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「わたしの研究開発雑記ノート

                                                                          
                                                            
2003年5月31日
しかし、経済指標のことは良く判らないが、経済の実態は何となく明るさを取り戻してきているような感触もある。人は不景気に合わせて質素倹約を続けても、しばらくすると倹約に疲れてくる。70年代、オイルショックで質素倹約が大合唱された。街角からネオンが消え、夏の冷房は抑制された。その後、何故かバブル期がやって来た。そして、90年代、バブルが弾けて、質素倹約時代が始まって、もうすぐ、14,5年。やっぱり、ばちぼち、物足りないな、何か買いたいな、といった倹約疲れが始まりそうだ。最初は処女の如く、そして、後には脱兎の如く、走り出す。食品、食べずに倹約したら直に舌が肥えてくる。鉄鋼、フル回転だ。重機、機械いよいよ走り出した軍需。紙パルプ、全く品薄。通信、苦境を抜けた。先行投資だ。電気、国内回帰とロボットマジックだ。不動産、あと3年で人口が減りだすと思ったら都市回帰が始まった。薬品化学、再生医療か、サーズ特需か。自動車、輸送、国内旅行だ。どこもいいことばかりじゃないか!おまけが、どこにでもあ りそうな銀行物語。これでもう潰れっこない。どこの銀行も安心だ。いいことばかりだ。中東に依存しすぎた石油も ロシアからの愛を込めて石油パイプラインは、この国に近づく。油上の楼閣はさらなる屋上屋を重ね行く。不景気な団塊の世代の交代と引き換えに、やがて、繁栄の時代を謳歌するのだろうか、今の若者たちは。それとも、定年退職してようやく自由を手に入れた団塊世代の 大量の高学歴人口の出現は、文化の大量消費を始めようとするのか。むかし、帝政ローマの陰で特権市民達によって脈々と築き上げられた1000年文化のように。あざ花のように咲き出すのだろうか。この国で。答えは、もうすぐ そこまで来ている。

発泡スチロールの基本的な素材関連のご質問ですが、業界の答えが返ってきましたので、QanndAに載せましたが、あと2,3のメーカーの回答を待っています。




2003年5月30日
不景気とデフレスパイラル現象の中で「電工の看板出しておけば安全だった時代は終わりやなあ。今は どのへんからか値崩れを起してきよるなあ。電工やのに何でか わからんわ。なんぼ立派な門構えでもコロッと次の日に行ったら なくなっとるさかいになあ」とある材木屋さんが話して帰られた。ここ2,3年激しい淘汰の冬の時代が続いたが トンネルを抜けるとまたトンネルだった。やっとの思いで爪に蝋燭の火をつける様な経費節減が不景気の強行突破を可能にしたのに、またまたやって来た。どこにでも あ りそうな銀行がやっぱりあ りそうな事になって、消費の減速は底無し沼モードに変換だ。関西の失業率7,6%。「家が建たないね」は、梅雨時だけでなくなった。会社を続ける為に、何か考えないと、、、。有難い事に アイデアは次々に浮かぶ。
QandA少し追加。


2003年5月29日
今日も快調にびっくりするような面白い発想のお持ちの先生からお問い合わせを頂きました。ありがとう御座いました。実にいろいろと思い付かれるものだと感心致しました。50年前、発泡スチロールは高価なプラスチックの一つでした。40年前、発泡スチロールで夏休みの工作に舟を作って学校で驚かれたのを覚えています。30幾年前、発泡スチロールがカップヌードルや魚箱等に進出しまして、工業以外に一気に広がりました。20年前、オイルショックをくぐり抜け、テレビのクイズ番組で「この白いものは何ですか」といった質問が有りましたが、かなり一般的に社会認知がされた瞬間でした。10年前、モータリゼーションと高度大量消費型社会の頂点がやってきました。そして、バブルの崩壊とその後の不景気と縮小右肩下がりのデフレ、環境重視社会へと移行してまいりました。各発泡メーカーの末端ではどこも青息吐息の状態に喘いでいると、お聞きいたします。各自治体ではゴミの分別収集に走り、リサイクル法はメーカーへのリサイクルを強制する事になりました。環境対応への国を挙げたムードつくりは、やがてエコの論理を発生させました。もし地球が100人だけの村だったら、世界有数の経済大国が一人か二人で何するものぞ。といったところなのでしょうか、それとも「富みて礼節を知る」からなのでしょうか、良く判りませんが、今の文明の美味しいところだけ、後1万年ぐらいは続けていくにはどうしたらいいのかの答えのようです。そのはずなのに、何故か、今日も発泡スチロールに対するどちらかと言うと暖かい思いやり溢れた、本当に有難いお問い合わせが大変多いことに内心驚きを隠せずにおります。一体これはどういった現象であり且つ、方向性を生むものなのか一度検証する必要がありそうです。


2003年5月28日
在庫積み上げ作業。少し、バテ気味です。毎日毎日、実に幅広く、様々なお問い合わせが舞い込んで参ります。大変有難いことです。大変勉強になります。発泡スチロールの加工性については、他の素材に比べて圧倒的に優位であることを、痛いほど確認いたしております。ありがとう御座います。今日も5件のお問い合わせがありました。ありがとう御座います。出来るだけ懇切丁寧を心がけておりますが、どうしても、と言う時はごめんなさいね。東京まで3”×6”判3枚送って欲しいお客様。ご無理を言いました。その方が安全だと思いました。水耕栽培のお客様。写真の「ハイドンくん」路線便にて代引きですね。少し、代引きでしたら運送業者に手数料が掛かりますが、そのようにさせて頂きます。音楽すきすきマンさん、岐阜の方と同じものをサンプルでお送りいたしましょうか。それから、、、、、もう時間がなくなりました、今日はここまで。


2003年5月27日
昨日の東北地震で被害にあわれた方々に、こころからお悔やみを申し上げます。「忘れたころに、、、」のたとえ通り、突然の災害、お気の毒様でした。いつものように、きっと、神戸からも誰か一人か二人は飛ぶようにして駆けつける正義感一杯の若者があるのでしょうね。あの材木屋の息子さんと、、、、。
今日も変わらず在庫積み上げ作業。 自分で作る防音室シリーズ「ぼん太郎U」の写真は製作実例集に掲載致しました。ご希望の方はご連絡下さい。水耕栽培用パネルセット「ハイドンくんーミニ」コーティング完成写真を掲載致しました。
北大阪商工会議所の村西様、7月号掲載予定ありがとう御座います。光栄至極です。最近では会議所のおたよりをどこでも皆さん そんなによく読んでおられることを知りませんでした。延々と続く不景気とデフレの中で 何とかしようと誰もがもがきもがいて辿り着いた「辿(仙)亭」前といったところでしょうか。N大学環境デザイン研究所の皆様、ご丁寧なお返事ありがとう御座いました。R大学の劇団「西一風」の皆さん、先日はありがとう御座いました。発泡スチロールをお使いになられた舞台、大変参考にさせて頂きました。久しぶりにボキャブラリィーと音楽と光のすがすがしいシャワーを浴びました。民宿経営の方、頑張ってください。「AUGUSTA CAMP 2003」の方、間に合いますでしょうか、ありがとう御座いました。今日はここまで


2003年5月26日
大工さんは雨が降ると「水入りだー」と言って仕事がなくなる。それに合わせてこちらの仕事もピタリと停まる。しかし、今年はその間に次の商品開発を手がける事にした。折もおり、サンプル出荷したSS-100B-「ぼん太郎」のお客様から電話。防音のことで、もっと多彩でデリケートなご希望をお聞きしている時、ふと、思い付きました。いいアイデアだと手前味噌ながら感心しきりです。2年間セルパネを作りながら、いいのかな、どうかな、と思っておりましたが、実際にお客様からご指摘を受けまして、本日、製作しましたら、なかなかいいものに仕上がりました。発泡スチロールで作ったセルパネの登場です。SS-100F−「ぼん太郎U」の完成でした。発泡スチロールでセルロースをサンドイッチにしてみました。これなら、自分だけの防音スタジオを作る場合も大きな骨組みは不要になります。発泡スチロールの板ですので腰がしっかりしていて、これだけでも組み上げが出来そうなぐらいです。これなら安いし、防音効果もかなり高そうですし、何より、寸法を指定して頂けましたら、オーダーメードの「ぼん太郎U」をお作り出来ますね。写真は後日掲載致します。特許出願希望。


2003年5月25日
「うの花の匂う垣根に ほととぎす早も来啼きて しのびねもらす 夏は来ぬ」一輪の花瓶に挿した白い うの花にまた今年も夏が来たんだねと 何気なく語りかけながら、「あれは亜多々良山か あの光るのは 阿武隈川 そう言って、、、」どこかの俳句読みが感嘆符を措くのに合わせて、近くの天の川の雑草が風にたなびく風景を思い出してしまい、 赤い鼻をこすったり鼻水をすすったりしておりました。どこかの作家が書き出しに、「道がつづら織りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ雨脚が杉の密林を白く染めながら凄まじい速さで麓からわたしを追ってきた。わたしは20歳、高等学校の制帽をかぶり紺かすりの着物に袴をはいて、ほう歯の高下駄で天城を登ってきたのだった」ら、きっとずぶ濡れになって、直に 風邪気味の黄色い鼻水に変わっていることだろう。「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ  、、、」ように、草枕をすればたちまち花粉症で噴出す白水に身動き取れなくなるだろう。そんな時は、「南宮括 孔子に問いて曰く、翠は射をよくし、ゴウは舟を動かす。共にその死を得ず。兎と燭とは射ら稼して天下を保つ。夫子答えず。」だ。じっとして上を見ておれば、鼻汁は引き、やがて眼下の天下は静まる。
つまらないことを つまらなく書き留めるのがつれづれ草子。今日は、ここまで


2003年5月24日
「ごめんな、1本足らんさかいな」朝から配達1件。そのあと、水耕栽培用パネル水槽「ハイドンくん」ミニタイプ300mm×300mm×100mmの製作。水耕栽培のページに写真を掲載しました。こちらからどうぞ。そして、ギター専用防音室に使う予定のセルパネSS-100Bー「ぼん太郎」サンプル出荷しました。写真はこちらから探してください。
お問い合わせが今日も6件あります。ご返事が遅れております。今日はここまで。
QANDA少し追加。


2003年5月23日
セルパネページ、少し拡充しました。そして、次、少しややこしくなって来ましたので 水耕栽培のページを始める事にしました。お客さんから本当に有難いご指摘やご要望を頂いておりますが、かなりメールが増えて参りました。ご返事遅れておりますが、かんにん下さい。
発泡スチロールの御同業者の現場で汗を流しておられる皆さん、「涙が出るほどうれしいよ」と、お客さんがそのアイデアに感激されましたよ。よかったですね。


2003年5月22日
いつもの営業。数社数十キロ。垂直上昇するジェット機を横目に、いつまで経っても変わらない 緑と白の神戸のしま馬バスを 追いかけたり 追い越したりして、どうも 梅雨が近づいて 力の入らない材木屋さんを点々と回る。「さっぱり勢いがあれへんねん。ほかはどないや」他も同じやないですか、と答えて次へ。次は「もうひとつやー。水入りかなあ」水入りですねーと答えて次へ。「どうもこうもあれへんわー、何の用やねん」別にと答えて次へ。「そうやなあー。リフォームもなくなったしなあー、暇や」気持ちはリフォームされましたねとは答えず次へ。「今看板作ってんねん」そうですか次へ。「ワンワン、ワンワン」犬の歓迎、次へ。次へ。震災から8年。復興需要も既に無く、あっちこっちの真新しい新築に大きな借金が見える。今が一番苦しい時でしょうか、神戸の街は、、、。近くの宝塚も閉鎖された。ズカの追いかけだけが街を闊歩していては白けてきそうだ。アトムの記念館に頑張ってもらうのでは責任が重過ぎる。例えば、ブームの温泉に「足湯サービス」をミックスしてズカの追いかけ少女達を宝塚の街へ引き付けるような工夫が欲しいものだ。そうすれば、大勢の通りすがりの少女達が ちょっとは足を引き止めてくれそうなものだ。宝塚のスターが揃って、癒し系ブームの足湯をしているシーンがあれば、きっと一斉に皆がやって来そうな気がする。携帯に呼ばれて戻ると昼過ぎ。

  おわび
御問い合わせのご返事でかなり文字化けが出て来ました。ごめんなさい。何気なく半角カタカナを使ってしまう癖があるようです。
パソコンに詳しい望月さんにお聞きいたしまして判りました。今後、気をつけますのでお許し下さい。わざわざお知らせ頂きました岡山県の川崎病院付属博物館の方、お仕事大変でしょうに お手間取らせてしまいまして御免なさい。そして ありがとう御座いました。チューブにビーズを入れる実験中の男性の方、大変ご迷惑をお掛けいたしました。もの凄くお時間がないのにお手間とらせてしまいました。気になっておられたようですね。御免なさい。そして、ありがとう御座いました。


2003年5月21日
ミセス発泡スチロールから東京でのベターリビングの表彰式の様子について報告がありました。始めに、関係各位に この場をお借りいたしまして、お礼申し上げます。この度は、入賞という大変有難いものを頂戴いただけましてありがとう御座いました。これを機に益々今後の励みにして行きたいと思う所存でございますので、何卒、よろしくお願い申し上げます。以下省略。
さて、ひかり都市綜合設計の鈴木さんをはじめ、王子製紙、新日本コア、ジェニスの皆様方、お忙しい中、当社社長のご引率のほど誠にありがとう御座いました。終戦直後、女学校の修学旅行に、日光東照宮へ来て以来、実に50有余年振りの東京でした。当時は旅費にお米を出せなくて 修学旅行に行きたくても行けなかった女学生も沢山あったと聞いております。たまたま、神戸の村の村長の娘さんでしたので 親切な村の方々に お米を工面して頂けて、やっと旅費に当てたらしいです。東京へは特急に乗って約8時間で着いたらしいです。駅前は闇市でいっぱいで大変怖かったらしいです。上野からまた列車に乗り、途中、何故か何度も何度も停止して、窓の外を、アメリカの人が行ったり来たりして 聞きなれない英語を話していたのが今でも記憶に残っているらしいです。東照宮を始めて見て、そのきらびやかで大きなことに感動して帰ってきたらしいです。当時と今との街の変わりようには、再び、感無量の感動を覚えたらしいです。神戸の地震の時の救援活動などをしていて他界した前社長へ いい土産話が出来たなどと話しております。この度は 誠にありがとう御座いました。総勢500人を越える 層々たるお集まりの おえら方を前に 広い式場でフジカットの名前を呼ばれて起立した時には、少しあがってしまったらしいですが、光都市の鈴木さんやジェニスの本間社長に ご親切なエスコートを頂けたと喜んでおります。重ねてありがとう御座いました。とりあえず、お礼まで。

お問い合わせ何度もありがとう御座います。水耕栽培用の水槽ですが、この前も書きましたがお尋ねの通り、全くご自由ですよ。オーダーメードのフリーカットフジカットです。どのような大きさでも結構です。水耕栽培のこのセットは水耕栽培に詳しいお客様のアドバイスによりまして まだまだ改良が待たれますが、決してこれで儲ける積もりはありませんよ。確かに、企業ですからそこそこの日銭ぐらいは頂きますが、同じようなことをされている有名な製品と比較していただけましたら一目瞭然です。

お問い合わせありがとう御座います。今1件岐阜県のお客様で同じような防音室を考えておられる方がございます。その方はギターの演奏用と聞いておりますが、基本的にピアノであっても同じだと思いますのでもう少し待っていただけましたらご本人のご了解の上でお話できると思います。この文をお読み頂けましたら連絡先をお教え下さい。


2003年5月20日
メールでのお問い合わせが7件。まだ今日は少ない方だが、少し丁寧にお答えしないと と言ったものばかりです。出来るだけ頑張ってお答えいたします。ありがとう御座います。不行き届きはごめんなさい。海外からの水耕栽培のお問い合わせでしょうか。ボンジュール。サンキュウベリンマッチ!この水耕栽培用パネルと水槽のセット「SUI子とハイドンくん」は水耕栽培にお詳しい方からのご希望により始めたものですので、特に何の特許もありませんし、ハイドンは「うちのやんけ」と言うような事もありませんからご自由に何なりと改良型をご提案していただいて結構ですよ。これで儲けようなどと おこがましい事は考えておりません。会社なのでちょっとだけ日銭を頂けましたら有難いだけです。それより、わたしも、14,5年発泡スチロールの水耕栽培用SPパネルや三つ葉の葉菜パネルを 蒸し暑い工場の中で成型製造しておりましたので、末端ユーザー様のお声が直接聞けて有難いです。それでは、ニイハオ チャイチェイ。good morninng anataga taisyoudesu sunkyu


2003年5月19日
男ばかり3人兄弟の息子のいる近くの材木屋さんのガンバリヤご主人が入院された。病院を3箇所たらい回しにされて現在京都の方の病院らしい。留守を預かる息子さん、親父さんに負けず、がんばってやー!「問屋泣かすのがわしの仕事や」の材木屋さんも以前、入院された事がありましたが、余りご無理をされず、問屋泣かしもほどほどにどうぞ。
そして、在庫積み上げ作業。仕事の合間に、2つの実験的製作。一つは、水耕栽培用水槽の改良型に発泡スチロールの表面のみを薄く溶かしたもの。なかなかうまく行かない。もうひとつは、わたし一人の防音スタジオ用セルパネ。出来上がりは、見るからに防音効果のありそうな 表面が波打ち なよなよとした出来上がりだ。さらに改良に飛躍ができそうだ。飛躍、、、三段論法でなく発想の飛躍。明日は、いよいよベターリビングの表彰式が東京である。国土交通大臣に「よしよし」してもらうのは会社代表の仕事。頑張ってや。ミセス発泡スチロール!


2003年5月18日
SS-100Bセルパネ標準タイプの製作、在庫積み上げ作業の後、『自分で作るセルパネ防音ギター室』の構想を練っておりました。仕切りを1/3程度に減らす事が可能かもしれないと思いました。室内に防音空間を作るわけですから、規定寸法にしておけば良いし、既定にすれば製作作業もはかどりそうだ。そのあと、水耕栽培用水槽の製作用道具を探しに既製服団地の近くの道具屋に行きました。末端ユーザー様から幾つかの改善案を頂きました。大変参考にさせて頂きました。今度探してきました加工道具でお答えしようと思います。

QandA少し追加しました。


2003年5月17日
ギター演奏用セルパネ防音室に使う材料を集めておりました、超多忙。今日はここまで


2003年5月16日
昨日の仕事の遅れを取り戻そうと朝から在庫積み上げ作業。マイクロビーズ出荷作業。やっと追いついた所で各種加工作業。結局今日まで1週間で全国大学研究機関から10校のお問い合わせが続いた。その前は全国の高専からロボコン絡みの問い合わせが続いた。何故だろうか全くよく解からないが、注目して頂けるのはまあ、有難い事だろう。継続して同じように流れてくる不思議現象。最早、若者たちの手となり足となり、考える道具になったパソコン。コの字をロにして、パをロの後ろにすれば””ソロパン””になる。電卓が無いころは計算尺かソロバンだった。何となく似ている。

パッと見て ソーだコーだと ンっ納得!(年末にどこかで見たなあ)

御問い合わせの有りました『部屋の中に、自分で、ギターを弾く為の防音室をセルパネを使って出来ませんか』と言う事ですが、早速、現在、セルパネを使って、「自分で出来る防音室」を作ることにしました。ご指摘の通り、ホームセンターでアングルを買って来て、小さな小屋のように 骨組みさえ出来れば、あとはセルパネを並べて、木工用ボンドで留めていけば出来上がりですから極めて簡単に、地球にも優しく、しかも最高レベルの防音室がたちまちの内に完成しそうですね。勿論、セルパネに入っておりますセルローズは、音のエネルギーさえ熱エネルギーに変えて吸収すると言われる恐ろしいほど吸音性の高い品物ですから その中に入って思う存分 好きなギターを弾けますね。防音室用セルパネとして中に入れる仕切りも工夫をすれば、製作する側も結構簡単に出来そうです。面白そうですのでちょっとやってみます。しばらくおまちください。面白実験で製作しました発泡スチロール製のギターでも弾いてみましょうか。

お問い合わせありがとう御座います。非営利の方のようですので、現在、数社の発泡スチロールメーカーに当たっております。その中で、1件協力的なメーカーの製造現場から報告が上がってくるのを待っております。まだまだ、希望的観測でしかありませんから、余り期待しないでくださいよ。PTAのお仕事大変ですね。昨年までは、山へ 子供たちの夢を狩りに行っておられたのですね、で、今年は、川へ 子供たちの夢を洗濯に行きたいということですね。面白いアイデアですね。一汗かいでからジャボンといきますか。そうですか。


2003年5月15日
雨上がりの京都は 霧に包まれていた。 1000年の重さを 白いベールで閉ざしているようだった。京阪三条から東西線に乗換え、終点の二条をさらにJRに乗り換えた。二条駅は、モダンな吹き抜けの ドームのような大屋根を ホームの上から被せた建屋に 建て替えられていたが、吹き抜けドームを支える鉄骨H型鋼は、線路に近い方が 早くも赤錆を飛ばしていた。これじゃー100年もしない間に朽ち果てるだろうと思った。この街にすれば束の間の出来事。次の電車を待つ工業高校の生徒が3人、新しい関数電卓とS字で遊んでいた。ヘッドライトがまぶしい園部行きに乗り、次の円町で下車してすぐだった。棺にかしこく仕舞われた彼は、空々しく絵写真で出迎えてくれた。ご親族が選んだ通夜会場は 用意した300席でも足りず、後ろの方は立ったままの参列となった。わたしが着くと直ぐ ご親族から焼香が始まった。東西本願寺のお膝元で聞く 導師のお経は、ツービートの軽いリズムに乗って「アミダ アミダ アミダ」と血液の脈流にあわせている様なノリだった。まるで、昔、アフリカのザイールの首都キンシャサで 植民地からの開放やその後の部族対立で荒廃しきった何百万人の都市生活者が、救いを求めて 一斉に路上に出、鐘太鼓を打ち鳴らして踊る時のような 激しくも悲しいノリに聞こえたのはわたしだけだろうか。たかが障子貼り、されど障子貼り!幾百年伝統工芸を守り伝えて来た 京都の町衆の 固い結束と誇りを聞いたような気がした。たかが、神社仏閣の障子を貼りかえるだけの簡単な仕事なんだ。5年もすれば誰にでも出来そうだ。されど、君なくして他にその単純な仕事を延々とやり続けることが出来る者はどこにもいない。1000年の時を越えて、今は亡き君の血は、人知れず あの神聖な者たちを支えて来た。安らかに眠り給え。


2003年5月14日
30パイ×500mm 実験用丸棒500本のオーダーにあたって、加工作業用に簡単な装置を組み立てていました。まともにすれば、相当の時間を取ったと思いますが、有難い事に同業者の元先輩方に かなり前 頂いたアドバイスを ヒントに 活かす事が出来ました。意外なほど早く納品まで漕ぎ着けましたので 研究所の方も きっと喜んでいただけると思います。

突然ですが、夜半、訃報がはいりました。京都で何百年と続く、伝統の障子貼り職人の息子が今しがた心臓発作で亡くなりました。46歳。発作を起して倒れたのは、昼過ぎだったらしい。家族が急いで救急車を呼ぼうとしたらしい。しかし、本人は、頑としてことわったらしい。これが、己の最期と悟っていたようだ。ついに家族も覚悟を決めて、伝統職人の住み慣れた家で、最期まで静かに見届ける事にしたようだ。それから、約1時間ほどで息を引きとった。その1時間は短かったのか、長かったのか 最早、誰にも解からない。「病院へは行かない。このままにしておいてくれ」 同じ世代として、本人が そう 息も絶え絶えに周囲に頼んだ”最期の望み”が、痛いほどよく解かる。本当に 死を覚悟したのだろう。それからの小1時間は、まさに 彼の短すぎた人生が走馬灯のように浮かんでは消えていったのだろうか。金も要らない、名誉も要らない、何も要らない、もうこのままにしておいてくれるだけで良い 激痛の中の安らぎ。残された我々同世代の者たちは、彼の最期の死に様を教訓にして、それでも前を向いて生きていく他ない。 明日夕刻、西大路丸太町セレマで通夜。


2003年5月13日
QandA一部追加。日に日に御問い合わせのメールが増えて参りました。返信だけで時間オーバーになりました。不思議なものですが、4件、大学研究者からのお問い合わせが重なって有りました。有難いものです。O大学、W大学、S大学、T大学、でした。余りお力になれず、すいません。そのようなご返事でよろしかったでしょうか。まだまだお若いようですし、いくらでもやり直しがききますよ、きっと。実験室の快適空間への改造の件、もし宜しければ、東京建築家協会で長年講師を勤めておられる方に直接、ご返事させましょうか。ものすごくお詳しい方ですよ。こんど、5月20日に、あるところで大きな賞を入賞され、国土交通の扇大臣立会いで受賞式があったりと超多忙のようですが、わたしから申し上げれば 必ず、相談ごとには のってくださるようですよ。
今日もここまで


2003年5月12日
技術員の一人が、円柱状に繰り抜いた発泡スチロールの抜け殻にコンクリートを流し込み シャフトを芯にして簡単なローラーを作りました。運送関係のお客さんからご注文の 2300mm×1000×90の発泡スチロールの板に フィルム貼り加工の作業をするのに使おうというのです。安くて立派なローラーが簡単に完成しました。これに、アングルを2本レールにしてベアリングの良く廻るピロを2個用意すれば完成です。今日はまだレールまで用意できませんでしたが、次回にはきっといいものが出来そうです。
御問い合わせの球面体化工には低速回転のロクロでもあれば簡単にできそうです。回転盤に低速モーターをプーリーで繋げて、一分間に1/8回転させます。発泡スチロールのブロッくんBを置いて固定し、回転をはじめ、熱線を円周上に移動すると球ができませんか。熱線移動に熟練が相当要りそうですが、これも簡単な方法だと思います。いかがですか。出来た球を2分割して、もう一度回転させながら内部を繰り抜くと、クス玉の出来上がりです。秋までまだ先ですのにご用意大変ですね。頑張ってください。
お問い合わせは今日も6件。今日はここまで。


2003年5月11日
花粉症に苦しみ たらたら鼻を真っ赤にして、近くの日曜診療の内科へ駆け込む。一通り診察を終えた内科の先生に「カモガヤ花粉症だね。今頃ねー、そこの天の川の土手に いっぱい咲いている頃だよ。余り、近づかないようにね」と冷たくあしらわれる。待合でシクシクやりながら薬の順番を待つ。窓の外は雨。スピーカーから中島みゆきの「地上に降りた天使がどうしたこうした」が流れてくる。大雨の中、傘をさして たらたら鼻も白い雨降りだが そちらは傘もさせず、その天の川の土手を 再びまた 歩いて帰る。
お問い合わせありがとう御座います。今日は休日にも拘らず、多くのお問い合わせ。返事に追われる。またまた、発泡スチロールを使った意外なアイデアが持ち込まれる。これも、面白そうだ。一度作ってみたくなる。皆さん、次々にいろんなことを思いつかれるものだ。世の中広い としか言いようが無い。

 天の川 ふりさけ見れば 加茂のはも しずよ年月 もとよりなくに 


2003年5月10日
テンシオレーターの保温カバーを急に作ることになりました。他にも2件の急な加工が来ておりました。一枚5円で1時間掛かっておりました。キンコンカン 今日も元気に鐘の鳴らない仕事。無いよりましか、無いほうがましか 解からない。すると、W大学研究室のお声のきれいな女性から問い合わせが有りました。研究室のお付きの人は大変だと思いました。深刻そうな話し振りで「100個分での お値段が10円なのでしょうか、あのー、予算がほとんどございませんわ、、、」思わず、絶句。一個です、と二つ返事。鐘のならない仕事。少しでも安く上がるかと思い、5mmぐらいの発泡スチロール板はポンチで簡単に穴あけが出来ますから、研究室の作業台でご自分でどうぞとアドバイス。その後、水耕栽培機「SUI子とハイドロくん」出荷。たわわな実りある事を お祈りいたします。ようやく、展示用セルパネ製作に掛かる。アクリル製セルパネ完成。夜9時半。外は真っ暗。遠くに暴走車の唸り声が聞こえるサタデーナイト。セルパネ表彰式に 扇大臣が見に来られるというだけでかなり緊張気味。あんな怖そうな大臣なら服装にちょっとでも隙があれば、すぐ目に付いて叩かれそうだ。次第に、足がガクガク震えて来た。あー、もうお仕舞いだ。この40何年 服装や髪型に無頓着で来てしまった。間に合わない。最終選考会のように いつもの作業着ではダメ。代理出席決定。

QanndA少し追加しました。


2003年5月9日
あの有名な R大学の”西一風”劇団の皆様、この度は 素材お買い上げ誠にありがとう御座いました。社を代表しましてお礼申し上げます。勿論、他の大学や演劇関係者からのご購入はよく御座います。先週も人形劇に使うからと名古屋の方がブロッくんGを買われましたし、東京の方で、コスチュームを着けた人と踊り子さんの50人位が飛んだり跳ねたりするのに一度使って見たいからといったお問い合わせが御座いました。あそこのランドは盛況ですね。わたしは、個人的には20歳頃から30歳頃まで、週に一回ぐらいのペースでドタバタ吉本、松竹新喜劇、赤テント、黒テント、状況劇場、天井桟敷、民芸京芸、演協、第2劇場、新幹線など各大学のアングラ演劇を 暇に任せて観て廻った経験が御座いました。その話は後日。
K製作所マリン事業部の皆さん、この度は素材お買い上げ誠にありがとう御座いました。時どき、当HPにも素人の方でヨットを作って、太平洋を渡りたいといった無謀な冒険家や、発泡スチロールなら軽いから北極を横断できますか といった頓智なお問い合わせが御座います。まだまだ日本は、海に囲まれていて潜在的な需要はあるはずですが、アメリカやヨーロッパに比べて、10分の一か20分の一のマリン人口だと聞いております。この不景気の向こう側に きっと たくさんの湘南野郎や神戸小僧が待っているのでしょうね。
マイクロビーズを使って敷布団を製作される方、お買い上げありがとう御座いました。シングルサイズの敷き布団なら200リッター強は必要ですよね。今流行の”癒し系”のマシュマロのようなふにゃふにゃ感の伝わる オリジナルなすばらしい敷き布団に仕上げて頂けるものと期待しております。
材木屋の一人息子さん、いつも配達大変ですね。ご免なさいね。ワゴン車用のラッカー、今探しております。もう少しお待ち下さい。改造車については誠に不勉強でして、どうしたらいいのかさっぱり解かりません。まだこれから調べてみます。車好きの業者が一人おりましたので聞いて見ますが、けど、いつまでも親御さんに内緒では心配されますよ。


2003年5月8日
朝、どしゃ降りの豪雨。近くの国道1号まで この雨で浸水して一時通行止め。工場建屋に一部漏水、急遽応急処置。仕事にならない。慌てて、あの、親切な材木屋さんに電話をしてリフォームの相談。向こうもこの雨で、仕事が大変な事になっている様子が電話から伝わってくるのに あれこれ細かいアドバイスを頂く。有難い。困った時はこういう材木屋さんが居られると本当にありがたい。こんな時こそ、材木屋さんの見分けがつく。あれこれ言われる通りに動いているうちに雨も峠を越えた。助かった。もし、家を建てるような人があれば、是非 こういう材木屋さんを紹介しようと思った。家は、人生に2度3度はあまりない大きな買い物だ。あのような材木屋さんなら間違いはないだろう。
雨の中、7代目、伝説の社長からの正式なご注文が入った。今日は、その直属の部下からの伝達。いくら考えても7代続く会社は、めずらしい。日経ビジネスの『会社の衰亡』という本に会社の30年周期説が載っているが、その30年を中期波動とすれば、その波動を すでに軽く打ち破って コンドラチョフのような長期波動に乗っためずらしい会社ということになる。徳間文庫の『シンボリックマネージャー』にはこのような現象には必ず、象徴となるような商材がシンボリックマネージャーによって継承されていることになる。これは、以前流行ったアメリカの『ゴール』という本のような物理理論を経営に取り入れたとか訳のわからないものの見方からは見えてこない、江戸時代の産業革命あたりから掘り起こしていかないといけないような人間の深層心理に深く根ざした問題が含まれる。平たく言ってしまえば、どこの会社にでも いてそうな 飛んだり撥ねたりする名物男が、ガラス張りで会社の外からでも すごくよく見えるような会社で、わざわざ、 物見遊山に 遠方からはるばる見にやって来た客に その名物男の作ったり売ったりしているところを ハイハイ言って見せてくれるような所かどうか、どうしても 遠くて見せられなければ、代りに名物男の作った品を送ってくれる所かどうか、ということだろうか。その男が社長に越した事は無い。気がつけば7代だ。


2003年5月7日
朝から在庫積み上げ作業。時々やって来るメーカーの黒髭が、またいつもの「値上げ値上げ」と騒いで帰った。もう耳にタコが出来た。もう少し若ければ、オオカミ少年ってところだが、絵にならない。一つだけ救いは、黒髭が来ると、何故か知らないが 電話がよく鳴ること。いつもなら、不思議に注文の電話が2,3件掛かって来るので、雨男じゃなくって、注文男として、業界では、その名が知れ渡り、有難がられている。しかし、今日はそうはいかなかった。黒髭が帰って、さあ、来いこい注文!いつものように門を出た途端、立て続けに4回の電話があったので、待ってました。流石、黒髭は何か得体の知れない男だと皆が感心したのだが、きょうはハズレ!金貸屋、保険屋、車屋、近所のおばさん、の4回だった。余計な つまらない話ばかりして行ったので、その通りになったのだろうか。余計な電話だった。いや、いつも つまらない話ばかりなのに、どういうわけか、来ると必ず、注文電話もあったはずだ。どうやら、黒髭疲れているな。メーカーも困ったものだ。黒髭を働かせすぎじゃないか。2,3日休ませてから、もう一度来させて呉れないだろうか。来れば必ず電話が鳴る注文男。


2003年5月6日
遠方から、軽トラに乗って ある材木屋さんの一人息子がやって来ました。中学を出てすぐの時に 一度お会いした事がありましたが、それから何年、大分腕の筋肉がついてきたようです。電話もなかったし、引き取りに来られたのかと思いましたら、「親に黙って来た」と言います。何でしょうかと尋ねると、この前、やっと自動車の免許が取れる年齢になって、早速、取って来て、車を乗り回したが、もう飽きてきて、連れの仲間で 改造車を造っている所を見ていて、これなら自分で出来ると思って、それでちょっと、仕事を抜け出して ここまで材料の発泡スチロールを貰いに来た、らしいです。ワゴン車の上の風除けに うさぎの耳のように伸ばしているのが、たまらなく かっこいいらしい。どうしてもあれを作ってみたいらしい。発泡スチロールにパテを巻いて強化プラで固めて作るんだと言い張る。「こんなもん 簡単にできよるわー」と、豪語する自慢の器用さは、実は、 先代からこの道一筋に 何十年と 叩き上げられてここまでやってこられた苦労性のまじめで物静かな親御さんから、偶々 授かっただけのものなのに、若さと探究心は抑えられないようだ。


2003年5月5日
急遽、滋賀県の北部まで出かける事になってしまった。先日来られたM商事の発泡スチロールを使ったアイデア商品が本当にそうなのか確認する為だ。製造に明け暮れしている我々には 平日ではとてもここまで来れない距離だった。結局、今回は 当社取り扱いではなくなったのだが、今後の参考にと かねがね考える所があった。琵琶湖のある小さな港から琵琶湖汽船に乗ってしばらくすると、あの伝説の孤島 竹生島へ向かう途中にそれはあった。確かに、湖であっても 水深がこの辺りでは140mを越える。突然、島に近ずくと、外海と全く変わらないような大きなうねりが押し寄せ、小さな観光船は木の葉のように上下に揺れ始めた。不思議なものだ。ただの湖であっても、この辺りだけは 何故 外海と変わらないような波が見られるのだろうか。有史以来、人々を余り寄せ付けなかった理由がこの島を取り囲んでたびたび起きる この大きなうねり現象にあるのも うなずけそうだ。正に、外界から遮断された伝説の島なのだろう。しかし、観光で来たのではない。島に 余り興味はない。問題は、この波と水深下で使われている発泡スチロールの浮体装置だ。船の甲板に出て、エンジンの激しい音と うねりの大揺れに苦しみながら 目を細めて見ていると、あった。あった。確かにそれはあった。業界の人間だ。一目見れば、それが何で出来ているかぐらい直ぐに見分けがつく。確かに発泡スチロールで出来ていた。周囲の不審な目も気にせず 何枚も続けて フラッシュをたいた。有難いものだ。ここまで来た甲斐があった。なるほど、そうか、そうだったのかと何度もひとりでうなずいていた。帰路、陸に上がって、港の近くの小さな喫茶店でお茶にした。5月のよく晴れた日。木製のサッシをまだ大切に使っている窓が大きく開かれた向こうに 湖面に沈む夕陽は黄金色にきらきらと静かだった。


2003年5月4日
当社は、町の小さな発泡スチロール屋に過ぎませんし、地球の裏側で何があろうと特に頓着せず、まっすぐ前を向いて日々是製作に励んでおりますが、HPの管理をしておりますと、実にいろんな人から情報が流れてくるものだとつくづく思います。何を考えてか、続けて元新聞社の人からメールが来ております。連休中ですのでちょっとだけ掲載します。題名は「孤独な影になった碑」でありました。「雨が降るように人の命が散っていった。山があり、川があり、まるで鳥が鳴くように親のない子が鳴いていた。空に月があり、村が見え、家があるのに、家の明かりは全て消えていた。ここはまるで、、、、、、」ごく最近も、ちょっと きな臭い事件が在ったらしいので 写真を掲載できないのが残念です。このあと未公開の写真が続きます。兎に角、地球は広い、世界は国際化の波が止まらない。海外から大勢の人が日本に雪崩を撃つように入ってくる。しかし、日本人も負けていない。ピラミッドの上の方の余裕しゃくシャク人では無くても、意地と勇気とアイデアで 底辺にあっても 世界中へ飛び出して行ってる若い人は結構増えてきた。いろんな商売があるものです。頑張ってください。カメラ片手に今度はどこへ行くのだろうか。
                            *ここは、発泡スチロール屋のページですよ。最近、セルパネも売っていますがね。

  人はいさ アッラーも知らず ふるさとは 花ぞむかしの シンドバット(字余り)


2003年5月3日
今日はお客さんからの引き合いが有りました 水耕栽培用水槽パネルセットの製作に朝から急いで掛かっておりました。何とかお客さんのご希望に添えるような形になればと思い、あれこれ工夫するうちに 時間ばかり過ぎていました。人件費無視、仮に出来上がったとしても 買ってもらえるかどうか無視して製作に没頭しておりました。受注生産、これを作ってください。わかりました。その通り作りました、が基本の仕事ですが時々こういった引き合い段階だけで製作に入る事もあります。先日も京都でマンションのハトの糞の被害に苦しまれている管理人さんからハトの糞除けを作って欲しいといったご依頼がありましたので、急遽製作にあたりました。儲からない。鐘の鳴らない仕事。今日は連休だからか、隣のなんとか工業も休み。向かいのなんとか産業は、事務所の横で車を洗っている。のん気なものだ。さすがに大工さんは休んで国へ帰ったかと思いきや、パネル工法で待たせたトラックにヒーヒー言っている所もあった。こちらは、水耕栽培用パネルで寧ろルンルン気分。ちょっと面白そうで夢がありそうだ。安くていい物を作りたい。ただそれだけの話に連休を潰しておりました。どうもパネルというと正月や連休を無視して製作してしまうようだ。製作実例のページに、水耕栽培用水槽とパネルセットの写真を掲載しました。こちらから探してください


全国の高専のロボット好き好き少年少女達と先生からの メールによるお問い合わせは 今日でやっと止まったようだ。天気がいいから みんな元気に外で遊んでいるのだろうか。今年もまた ロボットの熱い甲子園がやって来る。工業立国日本、この国の未来は 若いきみ達が そのすばらしく輝けるような英知と 星屑のように降りそそぐ勇気で 勝ち取って欲しい。君達にはきっとそれが出来るはずだ。残念だが、何十億もの人々がひしめきあって暮らす地球人が、この宇宙の中で、そして閉じられた空間である地球上で、今日明日と生命を維持し続けるには、科学と工業化社会の他に 選択肢は あまり残されていない。医学治療、老人介護然り、農業の工業化然り、中でもロボット技術は、その突破口に繋がる大切なものだ。だからこそ、若いきみ達が 各種競技を通してその技術を身につけていって欲しい。
健闘をお祈りいたします。


2003年5月2日
記念すべき日。ようやく梱包作業を終え、セルパネSS-50B 一般汎用型セル子-SOS出荷、済み。こうして、あの子は長い長い旅路についた。路線便を見送る右手に白いハンカチ。そっと目頭を押さえて、さようなら、さようなら、元気で居れよ。みんなと仲良く暮らすんだよ。決して帰ってくるなよー。Nハム三重研究所の皆様!どうか優しくしてやってくださいよ。ありがとう御座いました。
 そのあと、連休の合間で、静かになった工場街で、製作作業は続きます。合間の時間空間に水耕栽培用受け皿パネルの試作。NASAは宇宙船の生命維持装置を開発していく過程で「宇宙に浮かぶ閉じられた空間、地球はどのようにして綺麗な空気を作り出しているのか」といった基本的な問いかけを発信して、結局、植物による空気浄化に到達したらしい。そこで、一般住宅の居住空間に、積極的に植物による空気浄化システムを取り込もうというのが、最近流行のハイドロカルチャーらしい。ホルムアルデヒドをベンジャミンが吸収してくれるらしい。
今日もこの辺で。全国のロボット好き好き高校からメールが殺到しております。ロボットコンテストに発泡スチロールが採用されたそうです。返事を書くのでおおわらわ。


2003年5月1日
3時間ほどサーバーに繋がりません状態がありました。原因を調査中です。田舎者でよく解かりませんでしたが、あれこれ触っているうちに回復。今日は時間切れ、ここまで。


2003年4月30日
連休の合間らしいのに、御問い合わせのメールが殺到しております。今年の2003ロボットコンテスト、競技内容が決まったらしいですね。発泡スチロールを使われるそうです。ありがとうございました。伊藤忠プラスチックの小川主任教授よりあたたかい、そして懇切丁寧なお返事有難う御座いました。どちらの高校のみなさんも、頑張ってください。影ながら応援させていただきます。時計屋さんごめんなさいね。きょうはここまで。


2003年4月29日
今日は夜明け前からセルパネの製作。N本ハム総合研究所所長Sくんのご注文枚数まであと、のこり 2本まできた。セルパネを2本作れば、N本ハム研Sくんの分もようやく納品できる。あと2本でN本ハム、、、、。
御問い合わせのあった看板などのプレート板からハンバーグが飛び出したようなものを作れないかとのことで、お昼は早速、近くのマックへ。大いにお腹の参考になった。が、とりあえず、国道をはさんで向かい側のモスバーガーへも立ち寄った。これまた大いにお腹の参考になった。そのあと、少し走って、有料公園の金網越しに中の展示物を遠目で眺めて 今回は参考になるものはないかと探した。今回は、占い屋敷の古代エジプトの象形文字をかたどった浮き出したオブジェがいいかなあと思った。しかし、最後はこういったものは、イメージの共有化が出来るかどうかがみそだ。


2003年4月28日
営業数社。昼までに戻る。在庫積み上げ作業。加工品製作作業。あれだけ、毎日頻繁に連絡をしてこられた7代目の電話がないと気が抜ける。あの熱意と熱心さと行動力には、脱帽する。あの社長は、まるで 東京からでも ピューと飛んでくる鉄人7号だ。これほど、”商”太郎の呼びかけに直ぐに飛んできた鉄人は他に知らない(あとセルパネの発明家ぐらいかなあ)。そして、あっという間もなく、もう東京からで 電話してきている。実に素早い。その行動力には 大いに勉強させて頂きました。有難う御座います。よく見かけるような そこらの ぼた餅2代目あたりの ぼんぼんとは違った持ち味ですね。どうしてこのような成長の相違が起きるのでしょうか。今後の研究課題一つ追加。 

            うちは代々 孫まで知らず 親の楽。    子を 持って知る 親のあきらめ。

以前お世話になった上司が突然訪ねて来られた。64歳。仕事を探しているらしい。今のところ心当たりがありませんが、もし何処か見つかりましたらご案内いたします。ご免なさいね。不徳の致ス所です。不景気絶好調です。


2003年4月27日
セルパネの製作。及び、手製ローラーの部品探し。2軒ほど 材木屋さんの横を抜けて うろうろしている間に、道を一本間違えて 高槻の芥川の上流に出て来てしまう。ちょうどいい大きさの塩ビ管が、高槻河つり漁協の”初歩のつり教室”受付事務所の 隣の資材置き場に たくさん捨て置かれていた。残念、本日は休日でした。車を止めて、横目で大勢で賑わう釣り教室を見ていた。よく晴れた春爛漫の昼下がり、芥川の河原に沿って3キロぐらい、下流に向かって延々と つりキチ坊や、つり娘が竿をかざして並んでいた。昨日までの雨で水量は豊富だった。この辺りはまだ、川幅も狭く さらさらと緑の木々の間を縫うように流れていく水は 澄み切った青空を映してか 綺麗な水色だ。何かが釣れたのか 時々上がる歓声に 子供の世界には不景気はなさそうだ。
大人はこの不景気に立ち向かわないといけないから、しばらくしてから、材料探しをあきらめ 戻る。再び作業の開始。
 
お問い合わせ有難う御座います。マイクロビーズ、よく出ています。静電気防止加工済みですので、縫製作業がしやすいとお褒めのお言葉を頂きました。有難う御座います。砂のようなさらさら感とマシュマロのようなふにゃふにゃ感、そして、人に近づいたような生き物の温もり感をとくとお試し下さい。意外と、介護用に とても向いているのかも知れませんね。
もう一つお問い合わせ有難う御座いました。水耕栽培ということですが、70年の大阪万博の次の年、貝塚農協に うちのおじさんが話を持ちかけた時には、すでに、農協の進歩的な方が何人か発泡スチロールを使って水耕栽培に取り組んでいたと聞いております。わたしも、15年ほど、水耕栽培用SPパネル、三つ葉の葉菜パネル等をを発泡スチロールの成型機で作っていましたが、こうして、インターネットを通して末端ユーザーのお声を直接お聞かせいただけて大変参考になりました。有難うございました。今後とも、商品の売り買いは別にして、情報を頂けましたら大いに助かります。





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