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目標  製作実例を2000例にすること
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今日の製作実例から


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発泡スチロールの加工業者が贈る

『おもしろ最新アイデア工作集』は
 →こちら (未完)
 
 

『足湯くのいち容器』

これならリラックスできますか

空飛ぶ コウノトリ と 白鳥

本当によく飛びますね 

近所の小学生に脚立の上から
飛ばしてもらいました

「発泡スチロールペーパーでつくるふわふわ飛行機のじょうずな飛ばし方」

表紙絵「始祖鳥」
PDF形式の小冊子


4〜5mm発泡スチロールビーズ
5000個で4グラムですね

写真は 5000個入りです





手作りストレッチポール
アスレチックしませんか


発泡スチロールのビーズ占い

ブロックの加工面をよく見ますと、ビーズが変形してハート型になったものを見つけることが出来ます
そんなハートの数で あなたの愛の運勢を占いませんか
(ブルースキューブ愛の占いキッド)
そして出ました
『ハート型で
発泡スチロール愛のハート占い』

『軽量土のうくん 色白さん』


家庭菜園 家庭園芸用
土壌改良用にいかがですか
姉妹バージョン
『発泡ミンチの発泡ミンちゃん』

発泡スチロールをミンチに挽きました

※ハート、ゴールデンキーなど 』
          こちら←
§§§§§§

 

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営業部デスクの 
    「わたしの研究と製作ヒント集」
 



2010年3月3日 曇り 17度 訪問者数 小計117名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。超多忙につき この辺で



2010年3月2日 雨後曇り 17度 訪問者数 小計88名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。いまから追い込み作業に入る。時間がない。昨日の結論は、要は、大学の全入時代になってきたのだから、景気対策に、そこの所も、何かないかなあという落ちではあった。今日も、有難いことに、液体窒素を使った様々な測定などされている向きに、直接話を聞ける幸運があった。有難い限りであった。将に、このものつくり大国の、そのまたものつくりの末端では、もの凄いアイデアがひしめいているのだ。



2010年3月1日 曇り後雨 15度 訪問者数 小計141名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。本屋で立ち読みしていて、先日来合点が行かなかったことが、理解出来た。例の 貧困率15,7パーセントとか、失業率5,7パーセントとか、有効求人倍率とかの話なのだが、特に、求人倍率は、矢張り、大企業ではいざ知らず、我々のような中小企業においては、依然として、3、3程度は超えているようだと言う点だった。若者に仕事が無いと言うのは、早い話が、給料が高くて、休みが多くて、手を汚さないような仕事は無いと言う事なのだろうか。楽な仕事に就きたい傾向は、洋の東西、昔も今も変わらない。増して、今では、大学の全入制が ほぼ完備し始めた時代である。500万人か600万人が、大学人層を形成している時代だ。新卒で、入社採用している数字は、10年、20年前から企業努力で、グラフを伸ばして行けば、微増傾向は続いてるらしい。だから、採用する側も、景気不景気の多少の波はあっても、本当は、頑張っているのだろう。問題は、それよりも、さらに増えている大学卒業生の数なのかも知れない。それに、大学で一度、楽を味わうと、得てして、卒業後も何とかして、楽な暮らしをしたいと思うのが人情だろうか。ろくに、社会性とか人間関係の御勉強も積んでこないでも、学生中は難なく引きこもって過ごせた層も、ところ天式に、そのまま卒業して行くのだ。その数字もある一定の割合で増加して行く。一方、学費はうなぎ登りで上がるので、学生もおちおち勉強どころではなく、バイトにパートに、非正規雇用として働かざるを得ないし、逆に、親類に、学生を抱える親の話が、伝わってくれば、高齢者にも、非正規雇用でも何でも働いて、少しは負担を肩代わりとなるのだろうか。矢張り、構造が変化しているのだ。そこに注目しなければならないのだろうか。でも、本当に、楽を出来て、仕事をしたい時にして、休みたい時に休めて、などというのは、一握りの富裕層ぐらいなんだろう。だから、好きな時に休めて好きな時に働いて、好きなように楽して暮らしたいのなら、本当は、若者らしく一直線に、頑張って、富裕層を目指すべきなのだろうなあ。まあ、もう、50歳を越えてくると、、、、なあ。



2010年2月27日 晴れ17度 訪問者数 小計115名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。朝から例の急ぎの製作の後、昼から、また 例のトントン♪トンボ返しでポン♪♪の自家製加工機の出番になっていた。そう言えば、もともとこのポンポン♪トンボ返しでポン♪の加工機を自分で作ってみようと思ったのは、もう7年ぐらい前になるのだろうか。確か、とんからりん♪とんからりん♪の在庫積み上げ作業が全盛期の頃だったように覚えている。いつもの様に、とんからりんを続けていた時、JA○○AのE先生から、「こんなん出きんかゑー」とのお尋ねがあったのが最初だったものだ。んーなら、一度作ってみんかー、と軽いノリで始めたのだった。まあ、あれから、もう足掛け7年、あーでもない、こーでもないを繰り返し、現在に至ったのだったか。商工会議所の福の神のあだ名の御仁が見えたときも、またまた、どういう訳が、有難いことに、幾つかのアドバイスを拝聴し、早速、次の日から作業の合間に、工夫を重ねていたものだったか。本当に、我々のような、ものつくりの現場では、事は一朝一夕には、進まないものだ。たった一つの加工の工夫にも、5年10年と、それだけの年月が経過している。そのような繰り返しなのだろう。そして、また今日もある筋から、またまたチャレンジングしてみないか、のお尋ねがあった。頑張るしかない。



2010年2月26日 雨 17度 訪問者数 小計122名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。超ウルトラバタバタしている。クルクル廻るオリンピックのフィギュアどころではない。雑用ばかり増えているが、頑張るしかないか。昼前、あの造型のプロ集団、造型社の専務がお見えになる。こちらのページにも、もう何度も紹介させて頂いている。あれは、確か、まだ千里の万博会場にそびえる太陽の塔やエキスポタワーが林立していた頃、エキスポタワーが撤去工事が始った頃だったか、時々、お邪魔した記憶があるし、その時の印象なども紹介させて頂いた。実に、ひと目見て、芸術家ってこんなタイプなんだ、って感じの人ではある。 おっと、残念だが時間がない。では、この辺で失礼


2010年2月25日 晴れ 20度 訪問者数 小計143名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。某経済紙のコラムに、「走り続けなければならない」云々との書き込みがあり、将にその通りだろうと、思った。器の大きな所は大きな所で、新商品のクレームをもって公聴会がどうしたこうしたと 国家的な問題にされても、それでも立ち止まる事無く、次の次を想定して、走り続けなければならないのだ。次の新商品を開発し、更に次の世代で市場の圧倒的な競争力を確保するべく、研究機関を総動員して、新機種、新車、新製品、と、決して立ち止まる訳には行かないのだろう。確かに、モデルチェンジを繰り返すのも方便として必要だろうし、用途に僅かな追加を繰り返すことも必要だろうし、今問題の安全性もしかりだろうが、それでも、怯む事無く、何が何でも、前を向いて、進んで行くしかないのが器の大きな所だろうか。それは、我々のような器の小さな中小企業の場合は、実は、もっと過酷な前進が必要とされているに違いない。一発屋が儲かるのは、高々知れているし、それは、魔境の蜃気楼を見るような、10000に1回有るかなしかの現象だろうから、この場合論外になるのだろう。地に足を付けて、業容を維持し、僅かずつでも前へ進めて行く積りなら、矢張り、この競争の海の中を、手足をバタバタして、開拓と開発に死に物狂いで頑張るしかないに違いない。追いつき追い越せ、、追いつ追われつ、商売という血を流さない戦争を勝ち残るには、頑張るしかない。器が小さくなればなるだけ、自分の身体ひとつで頑張るしかないのだがら、この競争は熾烈極まりないのだし、実は、それこそ、商売人としては、遣り甲斐があるに違いないか。、、、おっと、とは言え、我が身を振り返ってみるに付け、この不景気ではなあ__。厳しいよなあ。


2010年2月24日 晴れ 21度 訪問者数 小計111名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。と言うことで、形状に『感動的な物語のある会社』を期待しても仕方がないのかも知れない。こちらのメインは寧ろ、素材の提供にあれば、その奇抜な用途の開拓開発にこそ、『物語』を探すべきなのだろうか。巨大なコーヒーカップに腰を抜かしても、一過性の驚きはあっても、あの感動は起こらないものだろう。謎は一瞬で解ってしまい、暫くすれば飽きてしまうのだろう。それよりも、ここに最低限必要とされる要素は、こころにジーンと来るような『込み上げて来るような感動』であるに違いない。アカデミー賞に名を連ねたことのある映画を見たときのような、素晴らしい至福の感動だ。皆の目を赤く腫らして涙で一杯にして、上映後も暫く、座席を立てないような、そのような物語が無ければならないという意味に取っている。だからこそ、こうして直ぐには答えが出て来ない訳だ。そんな感動を、どうやって、我々 掃いて捨てるほどある中小企業が、幾らでもいつまでも続く些細な日常の中に、生み出す、或いは発見していけるのかどうか、なのだろう。確かに、相当個々の感受性を引き上げなければ無理な面が多いのだろうし、唯でさえも、終始雑用に追われる我々のようなところで、そのような事象を現実から切り出して来れるかどうかも、解らないものだ。 逆に、この様々な事象を羅列網羅して、連続性を無視して、箇条書きにでもして行く方が、無難なのかも知れない。そう、以前7,8年前、このコーナーを、客先との質疑応答のコーナーにして、淡々と、質問とお答えを 匿名性に変えて書き殴っていた頃があったのだが、その方が、良いのかも知れない。最近では、10数件/日 になるので、これを350日で掛けると 3000件/年 となり、7年としても、2万件程度は、お答えを 将に 淡々と返して来たのだが、これなどを、匿名性に変えて、また、UPして行けば、この少なくとも、『感動的な物語』を探す、手掛かりとしての事象にはなるのかもしれない訳か。しかし、これも大変な作業だなあ。困ったものだ。どうしたものだろうか。




2010年2月23日 晴れ 23度 訪問者数 小計146名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

例の藪用のような ちょっとした仕事の後、時間待ちに、ふと目に止まった駅前の小さな珈琲店に入った。カウンターでブラックを頼んだ。振り返ると、冬季オリンピックの活字と各種演技の写真で賑やかな新聞紙が、誰が見ていたのか、慌ただしく2枚折りになって、無造作に カウンター横の小さなテーブルの上に 転がるように数ページがめくれあがっていた。気になって、ちょっと手を伸ばしてそれを取った。手を伸ばすだけで届くような実に小さな店であった。開いて目を通した。また、五位か、7位か、予選落ちかと、しがない涙の選手の写真が並んでいた。今年も前評判だけは上々で、それに乗っては、期待を膨らませていたのだが、ペンキが剥げ落ちたように、いざ 蓋を開けてみると、また無残な結果になったのには、同情した。「お待たせしました」の店主の声が何処からともなく聞こえてきたのだが、特に気にもせず無視していた。そして、オリンピックの記事を読み続けていた。しばらく、読みふけっていて、思い出したように、ふと珈琲が冷めないうちに、一口つけておこうと、おもむろに、コーヒーの方に 手探りのようにしながら手だけ伸ばした。しかし、何時ものことなら慣れたもので、当然この位 手を伸ばせば、カップの握り手に指がスッと入る筈だったのに、何だろうか、どうも指先が当たってそれ以上進まなかった。折角、面白いスケートシューズの紐が切れたがどうしたこうしたと言う記事の所を読み進めていたのだったが、指が進まないのも妙なものだと、新聞紙から顔を起こして、前を見ると、ビックリした。何とも、60センチ以上はあろうか 巨大なコーヒーカップが、ひとつ所狭しとそこに 置かれていたのだった。声も出ないほど驚いた。ずんのめって、カウンターの丸椅子から後ろに倒れそうになった。





2010年2月22日 晴れ 13度 訪問者数 小計135名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

疲れが貯まったか、土曜日も遅くまで急ぎの製作を続け、翌日は、その過労でか、漸く喘息から逃れても、終日万年床から這い出せなかった次第。また、あの悲しき発泡スチロールマンが夢に現れて、何時ものように、酷く うなされていた。何度となく枕元に現わる悪夢であった。案の定、夜半目を覚ますと、べっとりと寝汗をかいていたか。夢の中では、実に広い敷地であったのだ。例の第3工場の裏には、運動場まであって、ここに、なにやら、トンでもない事に、他の業界の知らない会社がどんどんと工場を建設していた。どうしたことか悲しき発泡スチロールマンと、必死に問い質してしたのだが、残念夢の中では、もとより声も届かぬか。どうもこうも無いか。先立つ丸いものが無ければ仕方の無いのが世の定め。こんな年齢になれど、日々時間に追われ、未だ、浮上せず。先日来の『感動的な物語のある会社とは』との詰まらない課題にすら、碌に答えを見出せずにいる始末。これが、大学入試の作文問題なら、200字以内150字以内と、軽くまとめて行ける自信ぐらいはあるのだが、何とも如何せん、この歳、我が事として、重い課題と身構えてしまえば、さらさら、答えにもならぬか。嗚呼情けなや。それでも、ぬかるむ泥面を 這いつくばって、最後の気力を、力一杯噛み締めて、拳を振り上げ、地団駄踏みしめ、小躍りしながら、羽の抜けたか毛が抜けたのか、飛べそうも無い大空を目指して、頑張って飛躍せんと進むしかないか。だた頑張るしかない。きっと、時期が巡って来れば、また あの夢を叶えることが出来ると信じて。



2010年2月19日 晴れ 9度 訪問者数 小計135名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。昼過ぎ、ある向きから、某掲示板に弊社を紹介して頂いているらしい主旨のお電話を頂いて、大変恐縮至極だった。まあ、このようなホームページを開設した当初から、学生さん相手に商売しようなどという考えはない。それもきっと、半分手弁当でしているようなところなので、可能なものだろうか。だから、いつまで続けることが出来るかどうかも不安になる。昨年の海外の学生さんの国家を挙げた取り組みと、国内の純粋に学生の枠内で臨んでおられる向きとをテレビで見ていて、余りにもあからさまな開きがあるのに、腹が立ったという事もあるに違いない。そもそも、それってオリンピック的に展開できるかどうかには、少々無理があるように思えても来たのだった。チーム毎にスポンサーを付けるとか寄付制度などを拡充するとか必要なのだろうか、、、。だから、場外で、チームを超えて、助け合いのシーンがあったのには、逆に、痛く感動した次第。だから、今年も、そんな、こころ温まるようなシーンを期待しているのだろうか。



2010年2月18日 曇り 6度 訪問者数 小計119名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。製作の途上、ふとまた、その重いテーマがよぎった。如何せん、どうするべきかと、孤高の精神か、はたまたその謎の実体が、闇を浮遊するかのように、未だ、その課題の解が得られない。全く、簡単な問題では決してない。この『感動的な物語のある会社とは』の問いに、平易に答えられたなら、それこそ 感動的な話なのだろうという矛盾したものだろうか。それとも、やはり、会社が長く存続することに尽きるのだろうか。それは、より具体的に、時系列に直して、精査できる内容のものなんだろうか。会社の歴史とか、会社の寿命などという解説は、それはそれで結構様々なものがあるのだろうし、或いは、年次の業容拡大が継続しているのなら、それはそれで素晴らしい話なのかも知れない。零細が巨万の大会社に発展したって話なのだろう。質素倹約を積み上げて到達したのか、彗星のような発明発見が導いたのか、などなのだろう。しかし、ここで問う『感動的な物語』とは、すこし異なるようだ。地に足をしっかりと下ろし、今、目の前の課題から、例え、ちっぽけではあっても、その奇跡のような話に並び立って、決して引けを取らないような話を、つくりだし、見つけ出して行かなければならないのだ。それは、如何に小さな、些細なことであっても特段構わない筈なのだ。静かに、こころの奥底に、「ほっとする」ような何かを訴え続けることが出来るかどうか、に掛かっているものなのだ。すると、矢張り、我々は、究極的な関心事にと、その先の先は、やがて到達して行く以外に、何も無いのだろうか。どのように些細な問題であっても、この「生きてこそ」と思える対象にして、きっとその解はあるのだろうか。解らない。が、考えなければならない。





2010年2月17日 曇り 4度 訪問者数 小計110名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。先ほど、漫画家の鎌田くんから知らせが入った。リイド社から歴史もので出ている『戦国武将列伝』に今度は『武田勝頼』を書いたそうだ。あと1週間先に発売になる。以下

鎌田くんからの知らせの写しだ↓

  『鎌田です。読者の皆さん!大変寒い日が続きますが,元気でやっておられますか?一昨年前あたりからリイド社の『戦国武将列伝』に不定期で「支倉常長」「太田道灌」「可児才蔵」「清洲会議」と掲載してきました。 今回、「武田勝頼」を描きましたので、良かったら読んでください。2/26発売です。 若い頃から日本史に興味を持っていまして、受験をはじめ独学で歴史の勉強を続けていましたが、今頃役立ってます。』
鎌田洋次 作 『武田勝頼』 リイド社『戦国武将列伝』より 2010年2月26日 全国一斉発売予定 お求めは最寄の書店などで


ということらしい。これから漫画家を目指す若い方には、プロの漫画家の仕事への取り組み姿勢や、実際、現場で通用するような絵を描くまでの並大抵では収まらない努力というものが、どれほど大変なものかが、きっと参考になろうかと思います。しかし、鎌田くんも中々上手になってきましたね。頑張って、後進の鑑になってくださいね。




2010年2月16日 雨後曇り 7度 訪問者数 小計120名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を急ピッチで進めた。例の、大会ものは、第一に公平であるべきだろうし、ニーズの裏側には、時間の無い声があるに違いないと、最優先で作業を進め、出来るだけ早めに出荷まで持ち込めるように頑張った次第。今年は、不思議なもので、実に様々な向きからのお問い合わせが重なっていた。早、体力の限界に挑戦しているようなものか。しかし、先日から、重いテーマとして横たわっている『感動的な物語のある会社』については、片時も脳裏から離れないのだが、残念何とも前進がないようだ。この課題を、クリアーしない限り、どうしようも無いのかも知れない。では、どうするか。ひとつに、継続している中小企業の他の殆どと同様、存続していることそのものが、振り返ってみれば、綱渡りのような、偶然の連続によって、今日まで、偶々生かされて来たに過ぎないという思いだろうか。そして、さらにひとつには、何とか、この素材にこだわり続けること、その「こだわり」になるのだろうか。おっと、時間が無い。では失礼


2010年2月15日 冷雨 5度 訪問者数 小計114名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を進めた。冷たい雨の一日。喘息は小康状態のようだ。学生の頃のT先輩のことを思い出していた。ひどい喘息持ちだった。丸で独房のような気持ちだけの小さな天窓が北側に一箇所だけの3畳一間が、T先輩の下宿屋だった。76年式ラジカセを置いた机と ミカン箱の本棚以外にはこれと言って何も無い本当に小さな安下宿であったのを記憶している。その片隅には、真新しい吸引器がいつも置いてあった。先輩は発作が出ると、蒲団を丸めて、座したままの姿勢で寝ていた。そして、時々ゼイゼイとその吸引器で、霧状の発作止めの薬を吸っていたのだった。それが済むと、今度は、木製のおもちゃの木槌で、胸の辺りをトントンとして、絡んだ咳の痰を気管に落とすのだった。その、木製の木槌のことを思い出したのだった。その頃は、なんで、そんなおもちゃの木槌などと、先輩も、詰まらない、暇な気休めをするものだと思ったものだったが、昨日は、自分も、丸で藁をも掴む思いで、おもちゃの木槌を押入れから引っ張り出して来て、同様な真似をする羽目になろうとは、人生確かに解らないものだ。昼から、土砂降りの雨の中、遠方より、とある有名な研究者がお見えになる。大学で長く、その基礎研究に務め、国内では○ーベル賞級のお方のようだった。何と言うべきか、こちらのウー、とか、ハーとかの擬音的音声を発した段階で、1を聞いて10を知ると言う方とは、確かにこのような先生なのだろうと言う位、ご持参頂いた図面の解説が、理路整然として、実に判り易いのには、正直、平身低頭、カルチャーショックであったか。こんな先生の下で教えを乞う学生さんはきっと、幸せなのに違いない。この国の最高学府には、こんなタイプの方々が、目白押しなのだろうか。何だ日本!まだまだ捨てたものじゃ無い。



2010年2月13日 曇り後晴れ 11度 訪問者数 小計107名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

昨日は、急ぎで掛かり付けの医者に駆け込んだ。この年齢になってくると確かに、方々に痛みやガタが出てくるに違いない。きっと、生死を彷徨うような重病を患ったことのある向きからすれば、「たかが発泡スチロールじゃないか」で終わるのかもしれないが、我々日々、この素材と向き合っている側からすると、確かに、「されど発泡スチロールなんだ」と改めて思うのは、こうして、急に咳込んで、胸の痛みに、底知れぬ不安を噛み締めて、ひとり病院の待合室で呼び出しを待ちながら、ふと、天井の蛍光灯を見上げた時だろうか。つい先っき、タンカで目の前を運ばれていった急患に まだ少し微動しているように見えた。確かに、重いテーマを引きずっているものだ。「感動的な物語のある会社」というテーマは、こんな徒然に、しょうもない事をタラタラと書いている輩には、じっと堪えるものがあるのだろうか。きっと、生死を彷徨った経験の中から、生還し、再び日常の中に戻って来られた向きなどにすると、大したことではないに違いない。生きること、「生きているかい?」と聞かれて、笑って答えることが出来たなら、もう それ以上の至福はないのかも知れないからだ。それ以上のことを何でわざわざ求める必要があるかい、と更に、突っ込まれるに違いない。では、何で、この素材にこだわるのだろうか。何で、そこまでして、この素材に、人生と引き換えになるほどの価値を見出そうと必死になっているのだろうか。正直、解らない。何故と問われても、答える言葉が見つからない。ただ、ひとり病院の待合室で待っている。次の番になり、呼び出しがあり、診察を受けて、「大丈夫ですよ」と医者に言われたなら、また、粛々と明日から、同様の作業を進めるのだろう、という単純な思いだけだろうか。もし、「、、、、」と暫く無言のあと、「明日再検査になりますから」などと言われたなら、その時、それでも、その発泡スチロールに拘って、納期近い素材の製作に、黙って出て行く腹つもりはあるのだろうか。解らない。本当に、感動を呼ぶのは、きっと、この辺りの覚悟を形に出来るかどうかなのだろう。




2010年2月11日 雨 9度 訪問者数 小計141名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作となった。急ぎの発送は何とかクリアー出来た程度か。昨日からまた喘息性の空咳が止まらなくなっている。季節の変わり目には出るようだが、今年は、まだまだ寒いのに、マイシーズン的には春なのだろうか。まだ、例の「あなたの会社には、感動的な物語はあるか」の重いテーマを引きずっている。だから、咳がでながら無理にまた、書き込んでいる次第。何しろ、20代から30代の若者が、生活支援センターに入所している割合が3割を越えたという今朝のニュースには、大変驚き、20年前まで、1億総中流と言われた頃との、何とも大きな時代変動だと思った。要はホームレスになっていた若者がそんなに多いと言うことか。では、今後、どうやって時代の激流を乗り切って行くべきか。将に、我々のような中小企業が、存続していく事、そして、ものつくりの現場が、何とかそんな激流にクサビを打ち込むことしか他に方法はないのだろうか。不思議の工業立国日本を底辺から支える「ものつくりの現場」だ。だから、頑張るしかない。




2010年2月10日 雨 9度 訪問者数 小計131名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。例の件でお問い合わせが重なった。最終的な大会のブロックの図面が決まったそうだが、一点 くり抜き加工を要すとなっているところが、どうも、単体の完成時750グラム設定と矛盾するようだ。その特定メーカーのブロックの場合、こちらでは何度も製作しているのだが、完成時、すでに750グラム前後に仕上がるのだ。ところが、大会の最終決定仕様によると、内部を半分程度くり抜くように図面に指示が記入されているのには、正直驚いた。これだけ、くり抜いてしまうと、スカスカになり、仕上がりの荷重は規定の半分程度がやっとになるのだ。なぜ、このような規定に変更されたのだろうか。さっぱり解らない。我々のように現場で、日々、発泡スチロールと取り組んでいる側からすると、どうも、机上の空論を得意とする方面の発想のように思えたのは、実に残念だった。机上であれこれ考えるのならそれでも良いが、せめて、『体積×密度』 でも良いからちょっと計算してみて欲しいものだった。決して750にはならないのだ。これ位の計算は、小学生でも出来るのだ。大学生を甘く見てはいけないなあ。一体誰がこんなこと考えているのだろうか。解らない時代になって来たものだ。



2010年2月9日 雨後曇り 9度 訪問者数 小計142名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作となった。淡々と作業を進めた。他に何もない。淡々と、終えて、次の作業を進めた。確かに、我々中小企業においては、その日一日を無事に過ごせたことが、何よりなのかも知れない。時間に追われ、納期に追われながらも繰り返す日常的な日々。またお問い合わせもコンスタントにあり、ひとつまた一つ粛々とお答えを返していく以外にないのだろう。だから、大きな突発的な、事件や事故に突然遭遇したとしたなら、きっと、非日常的な連続性のないことだからと言って、前向きに対応しないところは、本当は少ないに違いない。再び、連続的な日々が、戻りますようにと、誰もが、応援の手を差し伸べる程度の事は、きっと何がしか、しているのが、そんな、人の汗と涙にもまれて、日々繰り返し、頑張っているようなところだろうか。だから、本当に、ひとつ、何とか今日も例の製作を続けた、と言えること、それを積み上げて行く以外にない。こうして、それをここに書き始めて、9年が過ぎた。確かに、10年、そして20年、30年と書き続けることは、重い、そのテーマに合致しているのかも知れない。「感動的な物語のある会社」とは、その長い年月の中に、年輪として記録されていくのだろうか。



2010年2月8日 晴れ 5度 訪問者数 小計199名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。恐らく、この「感動的な物語のある会社」というテーマは、少し考えてみれば非常に重いものがある。それで、昨日は、また、例の悲しき発泡スチロールマン達が、今は昔、男の夢とロマンを燃え上がらせて、一世を風靡していたことも確かにあった 、例の発泡スチロール工場跡を見に出掛けた。今では、それが昔、発泡スチロール工場だったことを知る人は殆ど皆無になっているのだろうが、こうして屋根が抜け、壁が剥げ落ちながらも、かろうじて原形を残している廃墟は、朽ち果てる以前は、間違いなく、蒼蒼とそびえ立って、汗と涙と蒸気で濡れる感動的な発泡スチロールの物語を日々、果敢に作り出していたのが、その悲しき発泡スチロールマン以下、守り存続させていた発泡スチロール工場の今は無き建屋であった訳だ。道を挟んで、良く見える場所があるので、時々そこへは行くものだ。昨日も、ふと、思い出して、そこへ見に出かけたものだった。何とも不思議なもので、もうかれこれ10数年の歳月が流れ、都会の喧騒からは、とっくに排除されていそうな、その廃屋が、今でもかろうじて、原形を留めているのは、我々にとっては、丸で、発泡スチロールの忠魂碑のように思えて、こうして過去を振り返るには、実に有難いものだ。まあ、忠魂碑と言っても、こちらで勝手に、その廃墟をそう命名しているに過ぎないので、いつ何時、破壊されて、次なる建物が、建ったとしても、何の未練もないのだが、どういう訳か、今のところ、こうして、十数年崩されずにそこに鎮座しているのだった。そうして、何故か、ひと目をはばかる事無く、自然と手を合さずにおれない気持ちになるのだった。会社とは一体何だったのだろうか。



2010年2月6日 晴れ 5度 訪問者数 小計133名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。例のトントン♪とんぼ返しでポン♪の自家製加工機のほうも、寒い中、あれこれ微調整を重ねながらも何とか稼動させていた。急ぎの製作の急ぎの発送を済ませ、ふと、見上げると、よく晴れた夕焼け空を、冬の冷たい木枯らしが時々吹いて、カラスが鳴きながら去って行くのが見えた。それで、こう思った。何も、難しく考える必要は何も無いに違いない。我々のような、吹けば何処までも飛んで行って、泡のように消えてしまいそうな中小企業の場合、どちら様も同様なのだろうが、唯ひたすら、継続していれば、それこそ、日々感動的な物語が生じ続けるものだろう、と。だから、何とかして、何とかして、今日も明日も存続し続けて行けること、それのみが非常に大切なことなのだろう。ひと言では、決して語れない汗と涙の結晶が、本当は、この「存続」の2字に強く込められているのだ。そうして、汗と涙の積み重ねによって、1年が過ぎ、5年が過ぎ、10年20年と続けることが出来たなら、それこそ、感動的なストーリーが、どんなに小さな歴史の中にでも満ち満ちているに違いないのだろう。これが、我々中小企業なのだろう。だから、何のことはない。前を向いて、胸を張って生きて この生業を継続して行くだけなのだろうか。それこそが、素晴らしいことであり、離合集散、弱肉強食、勝ち負け官軍賊軍、浮沈の激しい競争化社会の中で、我々中小企業にあって大事なことだし、尊い責務だし、それこそが感動を生むに違いないのだろうか。ともに頑張ろう



2010年2月5日 晴れ 8度 訪問者数 小計129名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。急ぎの製作も入り、バタバタしていた。また幾つかのお問い合わせもあり、耳を手でロバの耳にしながら、電話に応じた。確かに、予定とは未定であり決定ではない。朝令暮改もなんのそので前進しなければならない。だから『理想の会社』(きこ書房)とは、こんな我々のような、這いつくばって、転んでも転んでも、起き上がっては頑張るんだと息巻いているような、せせっかしい所にはあらず、とは よく言ったものだ。何が、良かったか、何に感銘したのか、その楽しそうな仕事の何に こころに残るような小さくとも大きな影響を与えるような良きことがあったのか、こんな提案によって、このような前進があったのだとか、そして、素晴らしくも暖かい感動的な物語を、会社をベースにして各自各様に作り出せるような、そんな会社がいいと言う。が、それは視点が違っても、一昔前から、同様の提起はよく見られるものだろう。以前にも書いたが『シンボリックマネージャー』にも同様の視点を学際的に描写しているし、組織論などとなれば、もの凄く多種多様な論文がわんさと出ている。論じるのは、実に簡単なものか。本当はもっともっと現場の実体を掘り起こさなければ、『文学部唯野教授』にすら、肴にされかねないのだろうか。本当に感動的な物語は、会社という枠内からは、得てして外れてしまうのが現実なのだろう。それは何だろうか。人々に本当に感動を与えるには、会社なんてちびっこい幻想には、こだわれないものだろうか。だから、何度もこちらにも書いている。ここは、残念だが、営利企業であり、その枠内であれば、出来るだけの努力はさせて頂くと。でも、いずれ、こうしてソーシャルネットなり、民衆の力なりが、瞬時に全面に拡散する時代が訪れるのなら、会社自体の役割も変化していくのだろうか。




2010年2月4日 晴れ 8度 訪問者数 小計107名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。時代は、内外を問わず変化の渦中にあるのだろうか。アメリカでも、ブログは廃れていく傾向にあるそうだ。変わって、若者の主流は、ソーシャルネットワークに向かっているらしい。このような昔ながらのブログに興味を向けているのは、きっと保守的な中年以上のようだから、世代間のPCや携帯などとの距離感覚の違いもあるのだろうか。やがて、次世代は、確実に、主流派となっていくのだろうか。まあ、こうして、こんな会社の実名入りのHPに、たらたらと書き込みを続けているのは、考えてみれば、双方向性が非常に強いソーシャルネットワークを我流で構築しているようなものだろうか。こちら側の 書き手の身元も割れているし、何処へも逃げ隠れ出来ないのだから、ソーシャルネットワークと、対して変わらないと思う。こうして、会社のHPを中心にして、実際に、様々な出会いと、ストーリーが、日々生まれているのだから、当然、そういう事なんだろう。メールでの問い合わせも、出来るだけ簡単にして、別にペンネームでも何でもかんでも構わない構造だしなあ、、、。願わくば、残念だが、こちらは、営利企業のサイトであるし、私も、非常に残念だが、食って行かねばならないし、生活も掛かっていることだろうか。もし、金銭に拘ることをしなくても良いのなら、みんな友達になりたいものだ。発泡スチロールを通して、なんでもかんでも、情報の交換から、取り組みまで応援し、応援され、楽しく暮らしたいものだ。が、残念だ。働けど、働けど、じっと手を見る毎日だ。




2010年2月3日 晴れ 8度 訪問者数 小計130名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。昼過ぎ、もうあれから何年が過ぎようとしていることか、例の発泡スチロール工場で120数名を束ねておられた元工場長が
ひょっこり、引越しの挨拶に見えられた。実家の四国 松山、夏目漱石が住んでいた所から、程近い場所に、今度300坪ほどの土地を購入されて、田舎暮らしを始めるらしい。晴耕雨読で、道後温泉もあるので、気楽なものか。「遠くになるので、もう遊びには来れないから」と土産に、京都の九条葱を持って来られた。ごっそり、大人が両手を広げて、抱えても、3人は必要な厖大な量の九条葱だ。その生産現場へは、私も元工場長と何度か援農に行ったことがあるし、こちらのページにも以前何度か紹介したことがある、京都の祇園の高級料亭にもそこから出荷しているのだった。懐かしいそんな現場で収穫したものだった。元工場長とは、先々代からの付き合いになるか。私が生まれて、3,4歳の頃就職されたのだったか。だから、早、50年近くなる。何とも寂しくなるが、田舎暮らしも頑張って下さい、と見送った次第。昼から、またバタバタしていた。急ぎの発送も何件か重なり、漸く、落ち着いたのは、夕方であったか。そうして、事務所の窓から、まだ明るい冬の空を見上げていた。振り返っても仕方ない。前を向いて前進あるのみなのだ。頑張って頑張って、這ってでも一歩二歩進んで行かなければならないのだろう。残念だが、余裕の無い我々には、定年は無い。死ぬまでこの仕事は続くのだろうか。少なくとも、食って行く為に、何らかの手段で稼いで行かなければならないのだろうか。



2010年2月2日 雨 6度 訪問者数 小計140名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。実例集の更新を忘れていた。ページを用意していたのに、UPのボタンを押していなかったようだ。で、幾つかの提案もあり、終日バタバタしていた。と、ここで、書き込みは終了した方がいいのだろうに、また、のこのこと、詰まらないことを徒然に書き込んでいる。相当根性が曲がっているのだろうか。こうして、丸9年だからなあ。会社の紹介程度が目的だった筈だがなあ。さっと、ここまでにしよう。では、また



2010年2月1日 晴れ 13度 訪問者数 小計136名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。あれこれと急ぎの製作も入り、終日バタバタしている。この1行程度で書き込みは充分なのかも知れない。昨日本屋で、『翼を下さい』の英語バージョンの歌が流れていて、懐かしいなあと思いながら聞き、車のスズキの社長の書いた本を立ち読みしていたことや、矢張り、「前進あるのみ」って言うのが企業家の根底に流れる気概のようなものだと思ったことやと、書いていくと、また、たらたらと長くなってしまうようだ。さらに、例の元発泡スチロール屋さんの社長経験者が、先日、弊社までお見えになって、私の亡父がどうしたこうしたとか、どうでもいいことをタラタラと話して帰られて、「そんな詰まらない人だ」と早合点するのは、非常に失礼だし、本当に危ないし、そもそも200名300名をまとめた経験がおありの方には、それだけ客付けの才能もあった筈だし、或いは、部下からの突き上げを何年もかわして来られた凄腕をお持ちの筈だし、決して油断禁物だぞ、などと書いて行けば、原稿用紙10枚20枚と直に過ぎてしまうのだろうか。天網恢恢疎にして洩らさずや。将に、ここは戦場であり、臨在常戦で臨む以外に無いか。



2010年1月30日 晴れ 13度 訪問者数 小計112名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けていた。終日バタバタして、とても更新まで行かないようだ。昨日は、久しぶりに、またあの「悲しき発泡スチロールマン」の噂話を口にする例の営業マンが来たので、再度、矢張り、こんな、詰まらない徒然なページだが、まだ少し、続けてみようと、そんな気持ちになっていた。あの悲しき発泡スチロールマンを街で最後に、見かけたのは、もう10年も前になるのだろうか。早いものだ。七転び八起きを2,3回出来そうな長い時間が過ぎているのに、残念だが、こちらサイドでは、何ら進展が無いのは、情けないものだ。臥薪嘗胆、なんて、軽はずみな言葉が、今では、冗談に聞こえるのは、虚しいものか。矢張り、何らかの方法で、孤軍奮闘でも頑張らなければ、前進は無いに等しい。では、この時点で、どうするか。どうするか。で、昨日は、太平洋の向うの国の、中小企業の成功者達の、特に製造業で財を成した人達に、その方法と、簡単な自己紹介を邦訳した書を、読んでいた。海外でも殆ど同様の動きをしているのが、大変面白いのだったが、顧みて、我が足元を見ると、この現実の大変なギャップに、辟易していたものだ。そして、「では、どうして、その壁を突破していくか」の答えが見つからないまま、書を開いたまま、昨夜は寝てしまったのだったか。



2010年1月29日 晴れ 13度 訪問者数 小計148名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
どうやら、最後に「また明日」としてしまったのが、間違いだったようだ。このような徒然の詰まらない書き込みを、昨日で「当面終了」とする手筈であったのに、大した間違いであった。加えて、nハム研究所の今では、登り過ぎて、取り締まられ役になっているそうなsくんから、久しぶりに、ご機嫌伺いの知らせが入り、気を良くしてか、またこうして、タラタラと書き込みをする始末だ。そのs君から、衝撃的なニュースとして、何と同窓生だったmさんに、初の子供が出来たと言う知らせには、正直驚いたので、また こうして、何か書こうかと言うことになった。次回の同窓会が実に楽しみか。まあ、こんな感じで、今日も例の製作を続けている。



2010年1月28日 雨 9度 訪問者数 小計143名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も、となっている。暫く、この更新をせずにおこうと思う。情勢と心境の変化が主因になる。まあ8年も続ければ良しとしようか。では、失礼 また明日


2010年1月27日 晴れ 9度 訪問者数 小計165名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。何としても、この局面を突破して、前進し続けなければならない。こんな所に、鐘の鳴らない つまらない落書きを垂れている必要性も時間もないに違いない。違いないのだろうが、敢えて、終日を振り返り、我々凡人には、こうして支離滅裂であっても、文章化作業をしないことには、まとまる考えも、考えたとは言えない情けなさだろうか。そうして、それなりに、明日への作戦を練り、作業の効率化等を、計る訳だろうか。一々、細かい事をくどくど書いても学校の文章題でもなし、研究論文でもなし、ヒントと粗描き程度で充分か。ヒントなんて、一瞬の思いつきか閃きなら、更に、タラタラと文字を羅列しても仕方なし。寧ろ、閃きの瞬間の、前後の、導入部分の方が大切か。詰まりは、その閃きの、そこに至るまでの、長い過程の記録というのだろうか。数字で言えば、データ 或いはグラフのようなもの、そして、こうして文章化作業で言えば、先ずは、今日の昼の、例の うどん屋での、頑固オヤジのダシの出し具合から、となるのだろうか。或いは、窓の外を見上げると、この冬の何とも、寒ざむとして、どんよりとした工場街の風景だろうか。何を見て、何を感じ、何を思ったのだろうか、と。 時の過ぎるのは早いものか。早、52にして、未だに思うようにも進まない。痒いところに手を伸ばしても届かない。鼻をかもうにも鼻紙が無い。爪をほじくって、捨てる所が無い。屁をここうにも、他人がいてやり難い。所詮、この世は住み難い。



2010年1月26日 晴れ 9度 訪問者数 小計185名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。終日バタバタしていた。可能性なんて、言葉はきれいな言葉だろう。我々のような中小企業の現場では、結果のみが必要なのだろう。厳しいものなのだ。今日も、勝つか負けるかのギリギリの勝負が続く。油断しては、何も良いものは製作出来ないぐらい、100も承知での作業なのだ。その上に、さらに屋上屋を重ね、何とかプラスマイナスのプラスが少しでも出せたら良しとするような、丸で綱渡りの先で ふらふらしながらも3回転ジャンプでも狙わないとならないのだろうか。古来、現在に至るまで、若い画家のたまごは、キャンパス片手にひとり颯爽と屋外に押し出しては、街のそして自然に見える風景を、さーと描けばそれで上達すると言うようなものでは決してなかった筈だ。薄暗い作業場に籠もり、先人達が描いた街の或いは自然の風景の絵を、ただ必死に真似して、少しでも先人の描いた絵にそっくりな仕上がりが出来ることを念じて、何枚も描き重ねては、行くものだろう。完全に同じ絵を描こうとして、或いは自らの限界に行き当たり、壁を越える事無く去って行くものもあれば、再度、引き返した山道を、また違った方向から挑戦する者もあるのだろう。その積み重ねの上で、芸術作品は生まれていくのだから、本当に、新境地を見出すのは、それこそ、大勢の同じ方向を目指して もがいている若き画家のたまご達が、一本の細い蜘蛛の糸にしがみ付いて、地獄から這い出すような激烈な競争なのかも知れない。だから、我々のように、決まった形状の加工の場合は、まだまだ、一息も二息もつけるものだろうか。有難いことに図面が用意される訳だ。後は、加工方法に移る。如何に、手作りにこだわって行けるか。如何に独自の技術を編み出すことが出来るか。まあ、あまり大風呂敷も広げられないか。だから、可能性なんて達者な言葉だ。




2010年1月25日 曇りのち小雨 7度 訪問者数 小計100+126名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。夕方になって、また大阪の遠方の例の支援学校の卒業生だった若者がわざわざ遊びに来た。どうやら、また某社でいじめにあっていたようだ。彼の訴えを通して、実にリアルにその工場の製造現場の何とも暗く、凄惨な様子が伝わってきた。その会社自体、この不況に直面し、見境なくと言うか、間違いなく、緊急避難的な人減らしの嵐に、彼のような若者が、最初に遭っているのだろう。残念だが、こちらでは、ただ話は聞けるが、それ以上の事は何も出来ない。恐らく、いずれ、その現場でも、日本人を減らし、結局、外人に入れ替えるようだ。実に残念だが、巧妙というか、そうまでして、日本の雇用は、急激に削減されていく現実が、まざまざと、若者の口から伝わってくる。一体いつからこのような製造現場の最前線の構造が変化したのだろうか。解らない。急激に、急激に、情勢は変化している。正社員があって、派遣があって、そして彼らのような弱者があって、という変なピラミッド構造が、一体いつから出来上がってしまったのだろうか。ピラミッド構造も正確ではない。太平洋の向うの国でも、50年代、強い製造業があって、中産階級の太い層が、社会の繁栄を支えていた時期があったが、以降、今日に至るまで、格差の広がりと、製造業の空洞化に伴う、中産階級の崩壊があった。将に、こちら側でも、10年か20年遅れで、同様の現象が、しかも急激に進行している訳だ。だから、何とかして、我々のような『ものつくり』の現場が、そんな格差の広がりに、楔を打たなければならないに違いない。何としても、生き残ること、そんな、後ろ向きな、発想では行けない筈だが、、、。そうでは無く、前向きに頑張るしかないのだ。如何にして、この時代を読み、需要を掘り起こし、売れる商材を作り出せるかに掛かっているし、他に真似の出来ないことが、何処まで可能なのか、無い資金に頼らず、如何に現状の設備から開発出来るのかどうか。だが、残念だが今の所何も思いつかない。ひと通り、愚痴を飛ばして、少しは肩の荷が軽くなったのだろうか、その若者が帰った後、ふと暗くなった空を見上げた。降ったり止んだりのの頼りない雨は、どうやら上がったようだった。



2010年1月23日 曇り 6度 訪問者数 小計160名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。急ぎの製作も入り、バタバタしていた。先様の在庫切れ 間近至急頼むの連絡に、更に拍車が掛かっていた。昼から、例のPCソフトメンテをPCの専門家の望月さんに頼んでいた。矢張り、緊急の場合に備えて、外付けハードを付けておいて良かったと思った。フラッシュメモリーも拡張しているし、更に更に、もしもの場合に備えて、別の場所に、平行して、デスクトップのPCを同時進行させているのだから、3段構えのハードにしているのは、実に心強い。これまでに、何度も荒らしに合って、苦い思いをして来たから出来る事かもしれない。何しろ、データが消滅してしまえば、にっちもさっちも行かないのだ。斯様に、ここ5年10年で、企業から個人に至るまでの取り引き状況は激変してしまったのだ。ソフト上の見積もりデータや参考図などがソフト上にしか保存していない向きが、最早、大多数になっているのだろうか。しかし、こちらでは、ハードの3段構えでも、納得出来ず、取り引きのあった向きの受け払いや図面などは、必ず、コピーして、紙に保管することにしている。(まあ、全てがすべてと言うわけにも行かないのだが、9割以上だろうか)。なんと言っても、先様の手掛かりになるものが、メールしかなければ、メールを兎に角、どんな方法でも消えないような手立てを打たなければならないに違いないか。こうして、どんどこどんどこ、先様のメールのコピー用紙は増えて、今では、病院の受付の後ろの大きな棚に、患者さんのカルテが天井の方までずらりと並んだのと、そっくりになって来ている。あ行さ行で区分けしてたものが、あいうえお かきくけこで区分けするようになり、その上、形状別、団体別、素材別、となって来た。普通のスチール製の本棚なら、2つ分かなあ。これからもまだまだ増えるのだろうか。だから、決してペパーレスの時代は来ないに違いない。むしろ、却って、紙化作業が、一工程増えているのだ。



2010年1月22日 雨のち曇り 12度 訪問者数 小計188名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。何とか、今の所繋がっているようだ。本当にサイバーテロだかサバの塩焼きだか知らないが、トンでもない話だ。実に厄介な いたずらをする向きもあるものだ。大体こんな、ネットの世界で言えば、片田舎の本当にごく少数の方々を対象にした ちっぽけで、内輪で平和に細々と続けているような 専門的なサイトだというのに、ウグイスのガンブラーか、ウインウインのギャンブラーか知らないが、本当に、冗談とふんどしは、又にして欲しいものだ。また いつ何時 サバの攻撃が開きの餡かけになるか解らないと思うと、おつおつ寝てもいられないものだ。はー、もっと世の中、平和にならんかなあー。困ったものだ。ゆっくり書き物も出来ない。では、この辺で



2010年1月21日 雨12度 訪問者数 小計186名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。朝から、ウイルスに振り回されていた。例の年末年始にかけて、大手 グーグル ヤフーの占いサイト JR東 KDDIなどのHPが次々に攻撃を受けた 『ガンブラー』の亜種ということだ。とうとう巡り巡って、我々のような中小のサイトにまで、拡大しているようだ。果たして、このページを更新かけた場合、最後まで送信が可能かどうか、今からスイッチを押してみる。では この辺で

→どうやら良かったようだ → 次は再起動をかけてこれで繋がるかどうかだ やってみるかー→ 
→んー、またやられたかー ?




2010年1月20日 晴れ 19度 訪問者数 小計232名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。ネットと言うのは、需給は決して計画の立たない動きをするものだという事は、重々理解しているつもりだ。だから、ネットを宛てにしたような計画は立ててはいけないのだろう。あの向きが沈んだのは、きっとそのような理由からだったのだろうか。また終日バタバタしていた。昼から、例の由緒伝統の且つ剣道の全国大会でこちらの道場系の方がよく優勝されているところの例の材木屋さんに藪用があって出掛けたのだったが、つい 「厄払いですから」とぜんざいと餅にお茶をふるまわれ、で、有難く 頂いた次第。どうも、厄払いとは言え、高価な椀に高価な湯のみ、お点前の茶等々と、仕来りに則った格調高いご馳走を賜りまして有難う御座いました。で、その後、急ぎに戻り、例の製作を続けた。夕方、ネットをあれこれいじくっていると、暫く消えていたあの向きが、復活しているのを見つけた。1週間振りだろうか。一体何があったのかどうかは、謎なのだが、我々としては、この1週間の動きの変化をしっかりとデータ取りをして、矢張り、このネットと言うものの恐ろしさを、改めて知ったのだった。対岸の火事でなく、このような時には、このような動きになるということが解って記録に留めるだけでも有難いものだ。



2010年1月19日 晴れ 11度 訪問者数 小計178名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。あれかこれかの選択では無く、あれもこれもの集中が必要になるのが我々中小企業に違いない。全面的に、展開していかなければならないのは、中小の宿命的なものだろうか。決して、1点集中ではないのだ。あれもこれもに、しかも集中して取り掛からなければならないという意味になる。だから朝令暮改か、絶対矛盾の自己同一であるのかもしれないし、生物で言えば、確かにアメーバの喩えなのだろうし、タコ足広がりなのだろうか。或いは、こう言ったネットでは、『ザウルスの尻尾』を喩えに出される事が多いに違いないが、こうして、窓口をずっと続けていると、どれもこれも同様の意味合いだ。だから、前向きに、腰が抜けるほど這いつくばってでも前向きに、前進あるのみなのだろうか。亡父がよく話していた「勝てば官軍」の喩えは、この激しい現実に対して、様々な全く一様には行かないこの現実の経験から、ジワリと浸み出してきた一言なのだろう。そして、開発部では、さらに、如何にして新規の需要を発見出来るかに、この先も掛かっている。だから、更に喚起して、何としてもこのラインを突破して邁進していかなければならないのだろうか。我々に定年は無い。座して後に止むまで、日々勝負なのだろうか。そして、僅かばかりの時間があれば、先ず学を積み、資料を集め、情勢を判断し、この先を何とか読む努力を続けることだろうか。古来、商家が家訓にした如く。



2010年1月18日 晴れ 4度 訪問者数 小計114+90名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。週の始めは、大抵バタバタしているものか。しかし、どうも何時もより、物流の関係に引き締まった動きが見られるという運送会社の話は、果たして、どこまで宛てに出来得るものだろうか。今の所、何とも言えない。特に変化は見られない。単に、大陸系の旧正月前の掻きいれ需要を期待する向きの話なのだろうか。確かに、世界の五大陸では、物流に使用する緩衝材の素材は、発泡スチロールがごく一般的なのだろう。国内でも、5,6年前まであった、環境問題への偏見も、徐々に減って行き、海外からの圧倒的な物量が、発泡スチロールを使った形式なので、違和感が相当程度和らいで来たに違いない。その上に、今回の降って湧いたような、サブサブショックに続く、リンリンショックによって、効率化と安全性が再度見直しに入ったことがあるのは間違いないか。再度確認しておきたいが、発泡スチロールのリサイクル率は、各方面のご努力によって、早70パーセントを突破し、新聞紙 以上に向上しているようだ。および、最近では公共の焼却炉でも、燃焼力の高さゆえに、ダイオキシン発生を食い止める為炉内を高温にするには、発泡スチロールをくべて燃やす方が良いらしいので、更に、こう言った石油関連の無害素材が、関心を呼んでいるのだろうか。また、緩衝材としての 他の素材の群を抜く性能だろうか。紙関係の素材には、元々無理があるのだろう。クッション性でこの素材の右に出るものは今の所無いに等しいようなのだ。どうしても、ダンボールで梱包しただけの工業製品は、破損率が、ある程度発生するのだが、その率を比較した場合の優位は、言うまでも無いに違いないか。消費者は、安かろう悪かろう、では、やがて飽きてくるものだ。人の欲求は、その時、180度転換するのだろう。高くても、良いものを欲しい、と歴史的な転換が、いずれ起きるのだろう。欲求と消費のベクトル曲線が、需要と供給のX−Y軸の間を、こうして波動している。



2010年1月16日 晴れ 4度 訪問者数 小計162名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けていた。作業の合間、発泡スチロールビーズ2mm径のものを、アクリル系水性塗料で染めて、カラービーズにして、ペットボトルに放り込んで、スピーカーの振動で、音楽に合わして、そのビーズが面白いように踊ってくれないかどうか、あれこれとしていたが、どうも上手く行かなかった。矢張り、もっと、もっと無重力に近いぐらいな環境でないと、踊ってくれないのだろうか。解らないものだ。その後、例の急ぎの発送の後、今度は、いつも、自前の加工に使っていた道具類を、しげしげと眺めながら、そう言えば、一般には、弓形のニクロム線加工の道具は、よく出回っているが、あれでは、深堀り加工や、カット幅に制限が入るので、ひょっとして、自家製の加工道具も、市場に出せば、競争力はあるんじゃないか、等と思案しながら、また例の水耕栽培の問い合わせからお尋ねがあった、「水に沈む発泡スチロール」これは、外国製のようだったが、国内で、何とか弊社も猿真似を出来ないものかどうか、あれこれしていた。
たとえば、こちらは弊社独自のものだが、発泡スチロールと土を混ぜて発泡成型までしたものだ。まあ、どのように造るかは秘伝ではあるが、もう何年も前になるのだが、例の基礎研究所に持ち込んだこともあるものだ。土と発泡スチロールが混合しているので水を相当程度含むことが出来、且つ浮力を持っている優れものである。こういうのなら、特に既存の設備でも可能な範囲になるのだろうが、その外国製のものは、結局、金と暇に任せて、造ったのだろうか。解らない。



2010年1月15日 晴れ 2度 訪問者数 小計198名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作となっている。そもそも、何でこんなコーナーを開いて、8年も、たらたらと詰まらない書き込みをしなければならなくなったのだろうか。よく覚えていない。そもそも、8年前、ブログと言うのが、何故HPの必須ツールと言われたのだろうか。さっぱり記憶にない。こうして、この短い間、もう何社が現れては消えていったのだろうか。その会社のどれもが、このようなコーナーを開いていた訳でもなし、開いていたからと言って、矢張り消えていったところも幾つも見て来たものだし、こんなのが、アイテムとして、本当に企業のHPに必要なのかどうかも、さっぱり解らないようになって来た。どちらにしろ、さっと一瞬に消えてしまうネット世界というのは、字の如く、虚構の世界であるに違いない。それに、どうやって、事実をもって、現実性を補完するには、という辺りが、こういったものの発生のもともとなのだろうか。良く解らない。そして、所詮は、ネットを管理する所が、一番だろうし、そこが首根っこを掴んでいるものだから、それを解っていて、舞台の上を踊るしかないという見方も、その通りなんだろうか。ところが、今では、この現実のほうが、目まぐるしく、大きく変動を繰り返し、まるで虚構の世界以上に、事実を追うことすら出来なくなって来たのだろうか。液晶画面に、文字列を打ち込んだことは、少なくとも事実だし、その会社のHPを昨日まで、いつでも厭になるほど拝見できたのも、だれがなんと言おうと事実なのだろうが、最早、一瞬にして、泡のように消え、今日も「エラー」画面のみ無常に流れてくる。





2010年1月14日 晴れ 2度 訪問者数 小計154名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。いつも、発泡スチロールの検索で上位に顔を出され、随分と長い間、よく頑張っておられたところが、本日は朝から終日、HPそのものが繋がらない状態になっていた。一体全体どうなってしまったのだろうか。社員さんを70名お抱えになって、明治から創業の中堅の発泡スチロール屋さんだ。いつも常連のように顔を出されていた会社が、大変寂しくなった。気になって、作業の合間、時々チェックを繰り返していたのだが、夜になっても結局ネットが不通状態であった。残念だ。はっと、あの例の発泡スチロールマンが、淀屋橋の法律事務所の前を、いかつい男達に両肩をかかえられて、とぼとぼと事務所の中に消えていった場面を、偶然通りかかって、決して観てはいけないものを目撃したような悲しくも辛い場面、、、おおー、あれは、もう10年も前になるのだろうか、今では、まるで蜃気楼のような記憶しか残影がないのだが、ふと当時のことを思い出さずにはおけなかった。この世界は、我々中小企業からみれば、近代の資本主義がどうのこうのと言った、能書きは全く通用しない弱肉強食の凄まじい世界なのだ。これが、戦国時代なら、刀を持って振り回しながらでも、我が領地と家人を守らねばならぬようなものだろうか。江戸時代でも、切り捨て御免のお上に、逆らえず、取立て棒引きに泣き泣きながらも、商家を守りぬかねばならないようなものだろうか。時代が変わろうが、所詮は、勝てば官軍負ければ賊軍の、悲しい世界なのだろうか。対岸の火事に過ぎないのなら良いのだが、明日は我が身と、さらにこの細身に鞭を討って頑張るしかない。それしかないか。




2010年1月13日 曇り  4度 訪問者数 小計161名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を急いだ。幸か不幸か、少なくとも、この時代を生きて行く以外に我々の選択肢はないのだろう。どうせ、そうならば、楽しくないことでも楽しく暮らして生きたいものが人情だが、如何せん。何がしかの 丸いものが付いて来ないことには、もうひとつ 楽しさも倍加しないのが、この世の定めなのだろうか。それは、一種の共通した我々の丸いものへの信仰のようなものによって、有史以来、このかた 岩盤のように陰に陽に続いているのであるならば、さっさと長いものには巻かれての喩え通り、過不足無くその日を過ごす以外にないのだろう。しかし、はてどうしたことか、どうも、この丸いものと言うのは、好き好んで仲間の居るところへ寄って行くらしい。縁の無いところへは中々寄り付かないらしいので困ったことか。どうして引き寄せる手立てはないものか、と始終思案の日々が今日も続く。あの、由緒正しき、例の材木屋さんが、今日も、はるばる遠方から使いを差し向けて、その若くイケメンのお使いさんを介しては、また意味深な含蓄のある商売の手ほどきを身を持ってアドバイス頂けた。あれこれ、直ぐに、他へ転がって行く丸いものを、何とか60幾余年を賭けて、こちら側へ転がってくるようになさった方法を、有難くも有難くも頂戴し、されば、またこちらも以後60幾余年を積んで、何とか丸いものが転がり来るべく頑張ろうとは、思った次第。



2010年1月12日 雨  5度 訪問者数 小計123名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。ネットと言うのは有難いものか、将に全国津々浦々距離感なしで繋がるのだ。だから、とある遠方のメーカーの営業マンから 「発泡スチロールだけでは家が建たないですよ」と大変含蓄のあるアドバイスを頂いた時には、目からうろこが落ちたような気がしたのは不思議なものか。国の東西、似たような動きを知ったものか。そう言えば、あの同業者も、そしてその同業者も、多角経営にて、何とか急場を凌ぎ、且つ余力をつけて、一気に拡大路線を歩みだしたと言った噂話の元は、皆 ウエートを他に持って来て成功したという話ではあったのだ。近くの周囲で起きていたことと遠方で起きていた事とが、時間軸で同じ流れを見せているのだった。そうして、再度、足下を見直し、検討を加えて行かなければ、いつまで経っても発泡スチロールでは家が建たないに違いないか。発泡スチロールが国内に入り、60幾年。市場は、飽和し、更なる競争の激化は、足の引っ張り合いか共食いに墜するに違いない。では、どうするべきか。どうするべきか。、、、、早々答えが出ないものだ。先ずは、この情勢に対する読解力を再度確認しようと、昨日は、図書館で、周囲の目を気にしながら、柄でもないが、

を借りて来て、国語の入試問題をせっせと解いてみた。どうだろうか。もうこんな年齢になってしまっては、結構スラすらと解けるのには驚いたし、思っていたよりも、簡単な気がしたのは全く意外であった。こうして、毎日毎日こんな書き込みをしたりしているから、少しは国語力が育成できたのだろうか。そう考えると、こういった徒然なるままの、全く詰まらない書き込みではあっても、自分には役に立っているのだろうか。発泡スチロールで家までは建てられなくとも、人生の深さや広がりを付けられて、豊かに過ごせれば、まあ貧乏でも良いか、とも思った次第。



2010年1月11日 晴れ  6度 訪問者数 小計98+105名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の準備などでバタバタしている。こんな年齢になると、周囲の同年代が、突然亡くなったという話がチラホラし、これからの時間がこれまでよりも短くなることを少しづつ痛感し始める。だから、貧乏暇なしの壁を突破するには並大抵のことではないのだろうか。あれかこれかでは無く、あれもこれも状態を これでもかこれでもかと続けなければならないのだろう。あの夢の復活も地平線の彼方に陽炎のように追いかければ追いかけるほど遠のくようだ。年末、ふと、何を迷ったからか、年を廻ると早、よく覚えていないのだが、通りがかりに、暇そうで時間をもてあましていそうな易者を選んで、無理にと半額に値切って、してもらった占い見が、どうしたと聞くに「あなたは正財が2個の典型的なマジメ商売人タイプだ」とご卓見が出たので、そのまま気を良くして買ったジャンボ2枚ではあった。それで淡い期待を賭けていたのだが、どうも小心者で、未だに当選番号をすら知りたくなく、財布の中を『1コインで ひょっとして いい感じ 』状態を維持することに躍起でいる。こうして、良い気持ちをじっーと じらしているのだから、大変安上がりではあり、これがジャンボの良いところであるに違いないと改めて 合点している今日この頃。海外では、普通に金持ちと言うのは、以前テレビを賑わしたホリエモンクラスらしい。だから、ジャンボを10回以上は当てなければならないのだろう。将に、『坂の上の雲のはるか上の上』なのだろうか。頑張るしかない。




2010年1月9日 晴れ  8度 訪問者数 小計108名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算


今日も例の製作となった。昨日はお見積もりで1件数量を間違い、先様に申し訳ないことをしてしまった。こんな初歩的な見積もりの間違いをしたのは何年振りだろうか。こんな時には、こういう作業をするのが良い。我々のような手作りにこだわっている所では、1m数万円もするような特殊配合の合金を少しずつ切って、ハンマーで打刻して、加工用の刃を自分で製作している。写真は、昨日から始めたばかりの途中のものだが、こうして、ムシャクシャしたものを、特殊合金にぶつけながら、形状を整えていく訳だ。やがて、周囲のことを忘れ、一心に殴打して行くのだ。心の中が、空っぽになる頃には、丸で日本刀のような曲線美を作り出せる。後は、自家製の装置に設定して、電気を通して、発泡スチロールを加工する工程になる。鍛えられた金属は、導通しても、結構腰がしっかりしたものになるし、導通しなくても、厚紙くらいは切れるものになる。ご参考に








2010年1月8日 晴れ  6度 訪問者数 小計111名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。良く解らないのだが、幾つかのお問い合わせも重なった。夕方丁度、オンエア前なのだろうか、例の国営放送局からは、料理番組で 料理の保温に発泡スチロールの市販の箱を使うのだが、40度 50度のお湯を入れても大丈夫かの質問があった。ので、出来るだけ懇切丁寧にご説明をさせて頂いた。10分でも15分でも説明させて頂いていたのだが、最後になって「有難う御座います。それでは番組での参考にさせて頂きます」で電話をお切りになられた。で、暫くあっけに取られて、呆然としていた。なんだー、見積もりでも何でもなかった。はーっ、早合点した自分が情けないものか。我々のような所に質問されるのだし、1個ぐらい見積もりさせて頂きたかったとは、幾ら独り言を言っても後の祭りであったか。そのこと斯様に、不景気だ。儲からないものだ。、、、さて、昨日の続きでは無いが、芥川の『地獄変』に出る何とも言い知れぬ恐ろしい、生きた親族を焼いて燃える牛車の下りを先日、偶々読んでいた時の事だが、テレビで、神戸の地震に関して 15年になると言ったアナウンスとともに当時の映像が流れていて、ぞっとしたものだった。将に、声にならないのだった。このような、時代と伴に、我々のものの感じ方も、 年輪のようなものの跡を落として行かざるを得ないに違いないが、これも、その映像の為か、年齢の為か、30幾年前に読んだ時とは、全く違った読後感になったものか。時代だ。時代だ。『嘔吐』せずにおけない現実があるのだ。まざまざと、思い出される。



2010年1月7日 晴れ  6度 訪問者数 小計143名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。終日バタバタしている。漸く、一区切りした昼から、近くの材木屋さんへ年始の挨拶の赤いハンコを押した名刺を配って廻ったりしていたので、また時間に追われていた。相変わらず、どちらも100年に一度以上の超不景気の様子だった。夕方になって、『藤本さん、やっぱり大阪商人やなー 面白いなあー、話していることや、書いていることからそう思う』というご感想を頂いた。ネットと言うのは、不思議なものか。全国津々浦々、将に北海道から沖縄 石垣まで 或いは 富士山8合目から 某海洋観測室まで、或いは、どういう訳か、海外の日本のネットが繋がる、スペインやドイツ、カナダ オーストラリア、タイ、そして昨年は、エルサルバトルからでもメールが届くのだから、将にグローバルなこと この上ないに違いないので、その人の文化 性格などの微妙な差異から相当大きな差異に至るまで、バラエティな判断が当然あるに違いない。こちらとしては、それが面白いものか。ふと思ったのだが、多少話は反れるが、例えば、先日読み返していた川端の『伊豆の踊り子』に関して、時代背景として、大正デモクラシーの背後に、ヨーロッパの戦争に伴う国内の空前の好景気が、終戦とともに終わり、昭和初期の、これから世界恐慌に至る、暗い暗い時期に、不景気と時代の暗い雰囲気が漂う中、作家の性格も そうなのだろうか、そのままでは厭に涙もろすぎるところや、どうも何とも、今で言う ひきこもりのような性格とでも言うのだろうか、主人公の踊り子への思いとその表現に、我ながら地団駄踏みそうな、そんな読後感を受けたのは、一体どうしてだろうか。今から30幾年前、主人公の学生さんと同年代の頃に読んだ、あの、明るく軽い青春タッチの読み物程度の味わいだった記憶とは、実に隔世の感であったのだ。逆に、もう『踊り子』を書いた作家の年齢を過ぎることになるのだが、主人公の学生さんを突き放して、物語を組み立てて、小説を書く側から見れば、実は、もっと複雑な物語だったのに違いない。そう思えるような年齢に、こちらも至ったのだろうか。青春は遠くになりにけりか。或いは、将に世界恐慌が起きた100年前と似た、100年に一度のこの不景気が、そう思わせるだけなのだろうか。解らない。或いは、このような些細な点に どうもこだわる私も、作家と同じ大阪に住んでいたからなのだろうか。きっと表面軽いタッチなのだろうが、実は、それ程面白い人物ではないのだろう。ただ、ただ頑張るだけなのだ。頑張って、頑張って、ひたすら前向きに頑張るだけだ。、、、、おっと、湯が沸いたようだ。今日は、68円のカップ麺が手に入っている。有難いものだ。では、失礼してこの辺で



2010年1月6日 晴れ  6度 訪問者数 小計134名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。幾つかのお問い合わせもあった。例の発泡スチロールブロックを使った『軽量盛土工法』についてのお問い合わせがあった。矢張り、昨年の正月の名古屋の方の高速道路の陥没現場に発泡スチロールブロックが大量に使われ、素早い復旧に貢献出来たとTVに流れたことが大きいのだろうか。今回のお問い合わせも自宅の盛り土に使われるそうだった。確かに、似たような問い合わせが月に何件か、我々のような所にまで届くようになって来たこと自体、土木関係に新規可能性を求める動きが強いということなのだろう。不思議なものか、「たかが発泡スチロール、されど発泡スチロール」なのだろう。我々のような所にまで廻ってくれれば良いのだが、まあ、お問い合わせだけでも世間様の情勢の動きが得られて有難いとするべきか。それも こんなネットのお陰なのだろう。昼から急ぎの製作をこなし、またバタバタした一日となっている。寒い日が続く。しかし、それ以上に不景気を吹き飛ばすような風までは、未だに吹かない。春一番は、遥か先の先なのだろうか。頑張るしかない。前向きに、冬の稲妻の轟きにもめげず、この不景気の嵐に向かって突き進むしかない。決して、立ち止まることなく、積極的に、しかも、慎重に慎重に、一歩一歩、地に足を付けて進んで行かなければならないに違いない。



2010年1月5日 晴れ  5度 訪問者数 小計99名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。製作の途中、そう言えば、宝塚の水槽の無地のものには、折角だから 今度 湯村温泉の朝野家のマークを宣伝用に付けてあげようと思った。それとも交換用水槽の、また一個新規製作の際に、「旅館朝野家の水槽」と名打って、製作でもしようか、そのほうがこちらも花の栽培に枯らしてはいけないと熱が入りそうだ。しかし、先約もあるしなあ、、、、等とあれこれ考えてもいた。
『吠えよ トラトラトラ』
これは漫画家鎌田洋次くんの今年のモチーフではあるらしい。直筆の絵をこの前お送り頂いた。これからも 皆さんのご支援ご鞭撻 御声援をお願いしたいものだ。。

 ※どうぞ、立ち読みや回し読みはご遠慮ください。必ず お近くの書店か   駅の売店でご購入の上お読み下さい。いい読者あってのいい仕事らし   い。






2010年1月4日 晴れ  5度 訪問者数 平均38.2名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算


例の大家のご依頼と了承の上で水耕栽培の現地栽培の現状を確認している。先日修理した KKRホテル大阪 のマークの入った水槽には、シクラメンとヒナギクの花を植えることにした。この場所は、日当たりもある程度確保出来るのだろうか。シクラメン以外の緑の葉の状態もいい。発泡スチロールの保温性もあり、水槽の水も急激に下がることもない。また、荷重設定が甘かったようだ。おもしに 石のカエルさんを置いてみた


2009年12月31日 晴れ  5度 訪問者数 小計39名

    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

例の急ぎの足湯容器の製作が終了し、何とか年内の発送に間に合いそうな所まで来た。
どうしても既成の容器は、用途が、漁業用或いは、保冷用になるので、このような健康衛生面に必要なサイズと言うのは少ないに違いない。冷え性の患者さんには、どうしても膝下から、「第二の心臓」のふくらはぎ全体を湯に漬けて暖める方が、効果が違うそうだが、既製品では、深さを確保すると、縦横も巨大なものになってしまうのだ。結果、矢張り、今回のように、1ブロックからのくり抜き加工が必要になるのだろうか。発泡スチロールのブロックの場合、保温性は抜群なのだが、ネックは防水性が失われることだ。だから、ビニールの袋を内側に広げて、その中に湯を入れてお使い頂くように考えた。院内で多用される向きにはこれに移動用の駒を付けた板の上に乗せて、また泡の出る器具とサーモを入れて巡回にお使いらしい。流石に整骨院様だ。




2009年12月30日 晴れ  10度 訪問者数 小計57名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も幾つかの急ぎの加工の用意などしていた。特にネットには、正月も何もあったものじゃないのだろうが、まだまだ 明日まであるので、どんなお問い合わせが、ひょんなことで舞い込んで来るだろうかと、粘っている。この辺りが小回りの利く所の強みになるのだろう。しかし、正月の用意などもまだ手がつかないのは、例年のことか。却って、休みを使って、今まで出来なかった作業の方に力点を置くことになる程度か。  また、ヤフーの順位を上に出して行こうとも考えていた。それにはもっと、面白い誌面つくりにしなければならない。が、所詮、根が面白い性格でもなし、何に、重点を置けば面白い誌面になるのか正直さっぱり解らない。だから、頑張るしかないか。そう!、そう言えば、前向きに、一歩一歩前進あるのみで、頑張ることが一番良いのかも知れない。『継続は力なり』 とか、『こつこつが断トツ』というそれだ。後は、またまた乾いたタオルを絞って、次の企画を出すこと位か。、まあそのほうが、性格に合っているのかも知れない。例えば、昨日から製作を始めた急ぎの足湯特注容器にしても、もっと簡単に加工できることを思いついている。後は、防水と衛生を兼ねて、使用時は、内側に厚手の袋を探して、そこに湯を入れる方式にすれば良いのだろう。ポイントは、膝下 ふくらはぎが全部湯に浸かる深さにすることなのだろう。だから、今回の依頼品が出来たなら、また試作を開始となるか。



2009年12月29日 晴れ  14度 訪問者数 小計79名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。急ぎの製作もあり、宅配便が、この年末に集配に来るのかどうか、一瞬ヒやりハッとしたのだが、どうも今の所、高速の遅れは、あまり見られないらしい。例年と違い、よく解らないものだ。その後、早速、急ぎの、足湯特注容器の製作に掛かっていた。とある整骨院のご依頼であった。結局、先方の受け持つ患者さんに、少しでも早く、足湯をお使い頂きたいと言った共通の願いが、何となく、製作現場を、急かすのだろうか。病弱な方の場合、膝下までお湯に漬けて充分熱を体内に取り込むようにする必要がある。だから、こうした特注の深い容器が必要になる訳だ。昼過ぎ、ふと外の階段の下に、土ほこりで真っ黒になった 5センチ程度の小さなヤモリが、センベイのように動かなくなっているのを見つけた。どうしてこんな所にいたのだろうか。こんなに寒くなって、地上に出てくれば、直ぐに寒さにやられてしまったに違いない。人間様でも、昨日の寒さには、野外では、とても一夜過ごせない位だった。ヤモリは爬虫類だから、余計に体温を維持出来ないで、まいってしまったのだろう。人間様も、この年末年始、また大勢が野外で年を越すと、テレビニュースに出ていたのを思い出した。格差がどんどん広がっているのだなあ。そう言えば、図書館で借りて、昨日から読み出した紺野著『平成経済20年史』にも、この情勢の激動を事細かに記述してあったのを思い出した。バブルがはじけて、もう20年が過ぎようとしているのだなあ。戦後60年以上が過ぎたのだなあ。早いものだなあ。後の歴史家は、この今をどう描くのだろうかなあ。まあ、いいか、お湯が沸いたようだ。ちょっと、お茶にでもしよう。では、失礼


2009年12月28日 小雨のち晴れ間 14度 訪問者数 小計96名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の急ぎの製作が入り、また バタバタとしていた。周辺では、この前の前の休日から正月休みを開始した工場も依然として多く、この不景気の払拭出来そうでない稼動時間が極端に減った、まるで暗いトンネルのようなダークな期間が、否が応でも、好むと好まざるとに関わらず、長めに延びに延びて、とうとう正月休みに架かるようにまで、なってしまったに違いないか。昼から、藪用でちょっと出掛けたのだが、ふと空を見上げると、季節はずれの冬の鬱陶しいような雨がさっと上がって、雲の切れ間に、久しぶりに、綺麗な七色の虹を見た。最近は、足下ばかり見て暮らしているので、虹を見たのは、何年振りだろうか。一昨日も円形加工を続けていたので、大空に広がった、自然の造型的な巨大な半円形に、暫し、圧倒された。自然の造形物を前にしては、人間とは何とも小さなものだ。だが、しかし、小さなものだが、それなりに前を向いて頑張るしかない。一歩づつ、前進を期す以外にない。このまま くたばってしまってはならない。まだまだ、どっこい退場する訳には、問屋も小売も製造も行かないに違いない。何とかしなければならないのだが、何ともならない現実か___



  七色に かける明日とは よく言ゑた

         きりたちのぼる冬霧に 翼をなくしたエンジェルが 




2009年12月26日 晴れ  14度  訪問者数 小計83名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。依頼があった1m球の加工であったが、加工機のコンパスに垂直軸の5mmの誤差を見つけ、再度分解して、垂直を出せるように90度ー90度の当て板を足して動きを見た。また、少し精度を上げることが出来そうか。本当に一歩づつ、牛歩の前進の延々とした積み重ねなのだろうか。加工機と言っても全て手作りなので、経費は自腹だが、わざわざ、そう呼べるほども掛かっていない。小遣い銭程度だ。むしろ、それよりも、こうして3年4年という時間を提供しているところが味噌なのだろうか。それは、目に見えない小さな工夫とアイデアの蓄積、と言うところだろうか。こうして今回も、軸を合わし、精神の集中とともに 四角いブロックにニクロム線を入れて、無心で切っていくのだ。やがて1mの大きな球の曲面が少しづつ現れて来るにつれて、雑念のような角が取れて行き、どこから尺を入れても1mと言う、その「円形」の何とも捉えどころの無い不思議な形状が、徐々に心の癒しと言うようなものだろうか、何ともいえない安定感とでも呼べるようなものだろうか、形が見えるに従って、それらを与えてくれるのだ。そして、更にこの究極の曲面を目指して製作を進めることになるのだろう。この辺りが、技術者と芸術家の境界線になってくるのだろう。我々は、図面通りの正確さにこだわるのが仕事なら、芸術家は、この辺りから、その寸法の正確さよりも、自ら沸き起こるような この「こころの癒し」が一体どこにあるのかを追求して止まないものなのかも知れない。或いは、自らのその感性に従って、例えばこの1mの球を単なる球で済ませず、何とか進化発展させようとする。青焼きの図面のサイズ制限に、大胆に切込みの墨を入れて、それらに抑えられることを拒否して、何かを表現しようとするものなのだろうか。「時代精神」 明治の中ごろ、作家の夏目漱石は、その高まる状況を指して そう呼んだ。では、昨今のこの状況を彼らは、一体何と表現するのだろうか。この1mの球からだ。__頑張るしかないなあ。



2009年12月25日 曇り  12度  訪問者数 小計74名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。昨夜遅く、あれは何とも派手なパフォーマンスを、辺りはばかることなく繰り広げた盛者無常の跡か、はたまた 儚い夢 まぼろしの踊りの跡か。色とりどりの紙ふぶきが落ちたケーキ屋の店先に、ふと 売れ残りの小さなショートケーキを見つけて、一つ後生大事に持ち帰り、ささやかな年の瀬の年中行事としたものだ。しかし、その直後だろうか。いきなりのアッパーパンチのような衝撃とともに、あの例の親戚筋の勤める所が、何を血迷ったか、12月の今日のこんな日を わざわざ選んで、か どうかは知らぬが、会社更生法を申請したらしいとの知らせが入った。これじゃ折角の日に、ディケンズの『クリスマスキャロル』じゃあるまいに、図らずも今夜は、不気味な夢を見ることになるその親戚を始め800幾百人が出そうだな、等と、同情する気力もあまり沸き起こら無いままに、静かにそんな親戚の元気そうだった頃の思い出が、代わりに、走馬灯のように思い出され、もうそこまで来ていたのなら 或いは、とっくに諦めていたに違いないと、強く自分で肯いてみた次第。よく、会社の寿命は1サイクル30年とは言い古されたものだが、折角の勢いも、折角のテレビ新聞に鳴り物入りで押し出したのも、もうとっくに、今は昔のお話とばかり、人々の話題から消えて忘れ去られていくのだろうか。あのケーキ屋の店先の 色とりどりの紙ふぶきの如く、後の祭りとなって、パッと消えていくのだろうか。何とも情けなや。その会社のトップの子を知る者として、さあ、果たして、これから再起再建が出来るかどうか、遠巻きに見守る以外に無いか。今回1サイクルと少々続いたのだから、きっとその子や孫子の代には、2サイクルは続くように頑張ってもらいたいものだが、果たしてどうか。人は、得てして、一度甘い汁を吸うてしまうと、中々、今更 質素倹約、晴耕雨読な生活に戻れるのだろうか。どうしても、次の代、或いは次の次の代にまで、その夢と希望をじーと待たなければならないのだろうか。


   そな?師走す

         月欠け満ちる わが春よ

                      やがて君知り賜わること多し

       

2009年12月24日 霧のち曇り  8度  訪問者数 小計65名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

霧の中の出社であった。バイクやトラックの幾つかの関連した交通事故で、車道の一角が赤く染め上がった現場を横目にして、会社に着く頃にはすっかり霧も上がっていた。今日も例の製作を続けた。暗中模索とは良く言ったものか。我々中小企業では、世情の浮沈に引きずられると言うよりも、個々においては、様々な波動の盛衰があるのに決まっている。景気が最大盛り上がった時も、逆に最悪の時も、同じく曲がり者のように、異なる波動を描いて進むところは、常にあるのだろう。だから、このようなド不景気を横目に、一度で良いから肩をなびかせて闊歩してみたいものだが、所詮は、今、まだ見果てぬ夢のまた夢か。頑張るしかない。せめて磐石の布陣を敷いて、100年の計を打ち立てて、後生に残すことすら念頭に入れてでも、頑張りたいものだが、それもまた、はかない夢のまた夢と消えるのが我々のような中小企業なのだろうか。それでまた、作業の合間、赤く染まっていた事故現場を思い出したか、気弱になって、ふと窓から冬のどんよりとした空を見上げ、生きていさえすれば、またチャンスは巡ってくるに決まっている。7転び8起きだと、自分に言い聞かせても見るこの頃か。


2009年12月23日 晴れ  5度  訪問者数 小計95名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作の続きとなった。例の定食屋が休んでいた。今年は、早めに店を閉めて、故郷に戻って、来年から出直しだ、とか何とか店の常連に店主が威勢の良い話をしていたのを ふと思い出した。まさか、そのまま故郷から戻ってこないようなことにならなければ良いのだが、こんな ど不景気では、あちらもこちらも順に店が閉まり、何ともこの先が心配だ。それで、その近くの 持ち帰りの弁当屋で鮭弁当を買って戻った。早速割り箸を割って、半透明な蓋を開けて、空腹で腹の虫がピーチクパーチク鳴ってうるさいのだが、いそいそと、白飯と鮭しか入っていない容器の中の鮭を、間違えようも無く、摘んだのだった。あれは、何時だったか、まだ秋の紅葉がこの辺りの工場街でも始った頃だったか、それから僅か数ヶ月過ぎただけであったのだが、また、無常にも鮭の厚さが少し、ほんの少し気持ちだけ薄くなっているのが解るのには動作は要らなかった。もう、鮭の厚さが、ボンレスハム並みの薄さになってから、久しいのだが、ここまで来れば、箸で摘んでも、微風にさらさらとなびくような薄さなのだ。試しに、一切れ箸で割いで、申し訳程度の白飯から立ち上る湯気の上に垂らせば、ふわふわと舞いながら螺旋を描いて白飯の上に落下していきそうな按配だ。これじゃたまらない。これで空腹を満たせと言うほうが殺生だ。と、どこに不満をぶつけることも間々ならず、何はともあれ、これも試しとばかり、ハムより薄くなった鮭の切れ端を、こんなのじゃ食うておれるか、と少し生意気面を作って、湯気の上で箸を離したまでは良かったのだが、残念、一度箸から離れていったハム切れのような鮭は、ひらひらと舞いながら、追いかける箸を振り切って、ゴールの床を目指して、何度もフェイントを掛けながら、無常にも落下してしまった。それで、仕方なく、握り箸をしながら、指で、その僅か数センチあるか無いかのハム片を取って、洗面まで走り、洗っては口にしていた次第。今日も斯くありけり。



2009年12月22日 晴れ  3度  訪問者数 小計95名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。昼、今日は久しぶりに焼き魚の弁当定食を食べることにした。時々、店の近くの交差点の赤信号を無視するかのように国道をトラックが猛スピードで横切ると、画面に斜線の乱れが走り、その度に骨董屋のようなモノクロ画面に不意に戻る、いつもの定食屋のいつもの、今はまだ、頑固な店主のせいなのかどうか、 アナログのままのテレビを じっと見上げていた。良く見ると、地方の、何百年も続く 旧家の、ビルの3階建て位はありそうな大きな倉のある所で商売をされている向きが紹介されていた。広々とした構えで、何ともゆったりとした営業風ではあった。特にその日働かなくとも、数ヶ月は楽に食っていけそうなゆったり感が漂っているのが、奇妙にしっくりと伝わってきた。我々、日々、ギリギリの所で何とかアップアップで廻っているような、中小企業とは、将に格の違う世界だと思って、向き直り、焼き魚と、沢庵の漬物を噛みながら、麩が一切れ雲のように漂っているだけで、殆ど透き通って中まで丸見えの まるで定食だからと体裁だけでも添えてあるような味の無い味噌汁を、割り箸で すすった。これじゃー暫しの、感慨に耽るにも洒落にもならないのだが、また、沢庵の一切れを、ゴリゴリと噛みながら、情けなくも、我が半生を顧みずにはおけなかった。これでも、ここまで何とか頑張っては来たつもりではあった。必死になって、ただ我武者羅に、前向きに頑張ってきた積りだったのだ。残念結果が伴わず、折角の人材が、今まだ、こんな、太平洋側の冬の青空のように透き通った味噌汁に甘んじなければならないとは、実にもったいないものかと、思った。何年じゃない、何百年と言う長さで頑張らないことには、追いつけないのだろうか。矢張り、「100年の計」を打ち立てて行動しなければ勝ち目はないのだろうか、とそんなことを考えていた。



2009年12月21日 晴れ  3度  訪問者数 小計117名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。図面の見方によっては、百人十色となること自体その図面に無理があるに違いないと、考えても見た。まあ、頑張るしかないか。


  >最近の研究によると、危機的な状況に陥って必死にあがくときは、
  >脳の中にある種の脳内物質が分泌されて、
  >科学では証明できない奇跡的な力や、不思議な出来事をもたらすそう  >だ。
  >火事場のクソ力や、アンビリバボーな劇的な体験というのは、
  >どうやらそれらしい。

知り合いで講師で作家をしているn君の書き込みの一部だが、上記の一節を読んだ。確かに、面白い研究もあるものだなあと思った。以前、発泡スチロールのブロック状の幾つものサイズだが、これらを組み合わせて、心理の研究に使用される向きがあったのを、ふと思い出した。ある種の物質が分泌されるのかどうかはさっぱり解らないのだが、非常に軽量な発泡スチロールは、重さ感覚と形状への触覚的な感覚に大きなズレが出てくるのは、ごく当然のことなのだろうが(大きいと重たい筈が意外と軽い etc)、ここに、人間の心理的な何かを発見して、何かを探求することによって、何かの研究の発展があって、そして、人間の心理面を解明する一助にするのだろうか。まあ、さっぱり解らなかったのだ。さっぱり解らないまま、製作を続けている。さて、 図面通りに行かないのは、図面に無理があるとすれば、何ごとも簡単な訳だ。だけど、その図面を何とか生かして、奇妙な形状であれ、図面通りにしたいものなのだ。 これ位では、『危機的状況』とは遠く及ばないに違いないか。



2009年12月19日 晴れ  3度  訪問者数 小計130名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。例の加工において、ニクロム線に特殊な加工を施していた。単純な作業ではあったのだが、薬剤の配合などに手間取り、終日作業の合間に、あれこれとすることになり、結局1歩前進二歩後退で時間となっている。昨夜、あの、ラーメン屋さんの世界規模の大きさになった会社には、奇人変人を約2割雇い入れるルールを通していると聞いて、それが、創業当時の社風を温存させる手段にもなっているのだと、痛く感心したので、会社の大小に関わらず、あれこれと 新規開拓には 挑戦し続けなければ、道は開けないと思った。で、早速そんなろくでもないことを思いついて、していた次第。付け刃では、にっちもさっちも行かないに違いないか。昨日は、例の植物研究所の若い研究員の方が、結婚退職なさると聞いて、正直ビックリした。長年、水耕栽培の方法など、ご専門の植物学的な見地から、有難いアドバイスを幾つも頂いて来たのだった。かたじけない限りだった。せめてお礼の気持ちも込めて、この場をお借りして、一言お送りしたい。「ご結婚おめでとう御座います。 お幸せに」。 夕方になり、例の「花のタカラヅカ」用の水耕栽培用発泡スチロール製水槽 の修理も終了した。早く、「野菊の花」を探しに近くの山へ行かなければならないのだが、これだけ冷え込んでは、時期的にも、もう無理か!また、例のマーガレットの小さな花でも植えようかどうか。ふと、寒々とした北風が吹く年の瀬の、どんよりと黒ずんだ空を見上げると、仕事を如何に安全圏に持って行けるのか、の課題が、脳裏をかすめた。頑張るしかないか。これも、昨夜聞いたのだが、企業は、常々最悪の事態を想定して、対応できるように手を打っていかなければならないらしいのだ。花を植えている場合ではないのかも知れないなあ。


2009年12月18日 曇り  5度  訪問者数 小計102名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。幾つかのお問い合わせも何とか継続している。ネット部門は、将に、その立ち位置によって、大きく変動する現実を、何年か振りに、またしても、今回のように垣間見てしまうと、企業経営的には、まったく宛てに出来ないものに違いないと、再度了解した。それは以前、PCの専門家から警鐘とアドバイスを頂いた点と共通する。ネットと言うのは、ひとえに、極めて人気に左右される世界であり、また、ネットを構築している親元というような所が所詮は、上手くするようになっているに違いない。或いは、時間が経過し、4年5年と過ぎるに従って、初期の新鮮さや、或いはベンチャーに有利などという魅力は薄れ、資本力に余裕がある分野からの参入が、結局は、共倒れか、弱肉強食の餌食に墜するのが関の山となって行くような気がする。それが、普通一般の商売の世界で、一般に競争原理の働いているところでは日常的に常々、執り行なわれていく当たり前の商行為なことであったのだが、どうも、このネットの世界に、下手な夢を追い過ぎて、ネットの向う側には、現実世界と全く同じ影が静かに広がっているだけだと言う事実を、得てして忘れかけていたのだろうか。日本では、バブルの崩壊とほぼ同軸的にネットの広がりが起きた。ここに、幾つものベンチャーが、起業し、別天地を夢見て、商売の開拓を繰り広げて来た。しかし、それから10年、15年と過ぎるに従い、こんなネットの世界にも、初期の開拓者が、減少傾向を見せるようになるのだろうか。残念だ。供に戦わん



2009年12月17日 曇り後晴れ  6度  訪問者数 小計115名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算
今日も例の製作を続けた。仕事柄、灯台の先生とよく電話で話す機会が多い。今日も、よく解らない謎の研究をなさっている灯台の先生と話をしていて、妙に馬が合ってしまった。私のように非論理的非科学的「無茶な小路実篤」の飛躍一杯 空回り一杯の話の展開にかけては、自慢ではないが、そこそこ世間体な程の自信はあったのだが、いつの間にやら、どうも、上手に、ぐいぐいと論理展開の世界に落ちて行き、納得させられ、脱帽し、さっぱりこちらの刃が立たなかったようだし、逆に、流石に、そこそこの立場にて研究をされている向きは、「確かに違う」 と感心した。このような先生について学習をされている学生さんは矢張り幸せに違いない。1を言って、何とか2を言葉に出来ずに困っていても、むくむくッと来て、すっと、ぱっと、ハッとするような含蓄のある言い回しで、ご指摘頂けるに違いないからだ。だから、実感として、さっぱり良く解らないが最先端の研究を必死でされている向きは、この国には必要であるに違いないと思った次第。ああーこちらも勉強しなければいけない。、、、、おっと、湯が沸いたようだ。だいぶ冷えてきたので、ちょっとカップのうどんにでもしょう。では、失礼



2009年12月16日 曇り  10度  訪問者数 小計120名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。幾つかのお問い合わせも重なる。ある向きには電波の発泡スチロールに関してアドバイスをさし上げた。簡単に出来うる方法をお教えすると 喜んでお礼を言われたのだが、結局アドバイスだけで、商売にはならなかった。こんな繰り返しなのだろうか。儲からない訳だ(笑い)。だから、この世界で食っていくには、余程、フンドシを締めて掛からなければならないのだろう。否、どの世界でも同じか___。商売に駆け引きは付き物だ等と、仰せの向きには、きっとそんな、綱渡りの上手な人は、小学校の頃から、上手だったような気がする。或いは、ゴリ押しをするような向きも、得てして、きっと芽は、そんな頃から、出ていたような気もする。将に、「三つ子の魂百まで」、とは言い得ている。だからと言って、この歳になって、食うていくには、そんな真似をしなければならないのだろうか。煽る向きは、必死に煽るのだろうが、誰一人責任を取っては呉れないものだ。責任を取らなければならないのは、結局自分なのだろうから、更に、石橋を叩き割って、捨ててしまう覚悟の方が、今は重要に違いない。一歩でも二歩でも後退をする勇気は、大切なのだ。そうだ、「君子は豹変する小人は面革める」の言もまた、言いえて妙だ。朝令暮改など四六時中である時期なのだ。誰でも、安全第一と行きたい筈だ。それを、少し煽られただけで、面子を立ててしまって、引き下がれないようでは、困るのは結局自分なのだろう。幾らでも幾らでも、安全圏まで後退に次ぐ後退を進んで して行くべき時だろうか。それこそが、生き残る道だろう。



2009年12月15日 曇り  14度  訪問者数 小計120名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。遠方で、また一軒店をたたんだという話が転がり込んで来た。何とも無常な低気圧が吹き荒れている年の瀬なのかもしれない。だから、なお一層フンドシを締めて掛からなければならない局面が続く。そりゃそうだろう。靴下が1足 50円だ30円だと値下がりが続くし、カップラーメンも100円を切り、80円だ70円だ68円だと下がって行くのだ。それで収入が増えていれば文句も無いのだろうが、サラリーマンの平均年収もこの6年、毎年下がっているそうだし、不景気にデフレが輪を架けて、将に渦巻き状の急降下が発生しているのは、誰もが感じる生活実感なのだろうか。だから、余計に、我々のような中小企業では、爪に火をつける覚悟でも頑張るしかないのかもしれない。では、この総需要と総供給のアンバランスは、何によって解消できるのだろうか。時代屋の100年前の事例をあてはめても頂けない。ぱっと、一転急激に、水の沸騰するが如く解消出来るのは、何が必要なのだろうか。その動きが、きっとこれから起きるのだろうし、その時を、しっかり睨んで、我々商売人は、次の手を打たなければならないに決まっている。一方で、時代の動きをしっかりと形に出来るには、形になるような技を常々磨いておかなければならないし、大変なものだ。儲からないが、頑張るしかないか。



2009年12月14日 雨のち晴れ  15度  訪問者数 小計128名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算  

今日も例の製作を続けた。ハート型3点セットの御依頼分のお送り先を漸くお知らせ頂け、早速発送になった。時々 納期 指定されて 発送先の連絡が無い場合があり、仕方なく 製作の上 待機していることがある。



例の宝塚の賃貸マンションの大家さんの了解の上で始めた、発泡スチロールの自家製の水耕栽培の現地生育確認をしている。ここ数日続いた寒さで、ナス科のサフィニアブーケは、ほぼ 完全に枯れてしまったようだ。残ったのは、矢張り、リーガロイヤルホテルのシクラメンと、そして意外にもヒルトンホテルのサルビアの赤い花だった。今回、新たにマーガレットをリーガロイヤルなどに3株増やしてみた。さて、今後の生育状態が楽しみだ。水槽内の、水を自然に浄化するという人工石を各水槽に3個づつ、入れて見た。果たして、カタログの通りの結果を見るかどうかも楽しみだ。あと、追って現在、「野菊の花」で水耕栽培に丁度いいものが無いか当たっている最中だ。先日修理した大阪城ホテルのマーク入りの水槽に、それを使いたいものか。行く行くは、大家さんのご協力の下に、花一杯の賃貸マンションにしたいものか。仕事って、一番大切なものは、矢張り愉しむことに違いないなあ


2009年12月12日 雨  19度  訪問者数 小計98名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算  

今日も例の製作を続けた。1点、30キロの鉄板の梱包発送の場合の特注コーナーパットの件、相当荷重がかかると考えますので、重器の梱包の緩衝材に使う 硬さ 少し硬めの40倍グレードが良いでしょうか。また、貼りあわせではなく、ブロックからのくり抜き えぐりの加工をした一体ものが矢張り強度的には、良いと思います。形状も単純ですので そのほうが良いと思いますよ。ご参考に、おっと急ぎで、図面がFAXで流れてきて御見積もりをしなければならない。では、失礼


2009年12月11日 雨  9度  訪問者数 小計105名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算  

雨の中、今日も例の製作を続けた。少し考えてみると、何とも腹立たしいものだが、ここはじっと我慢で、頑張るしかない場面なのだろう。何も、自給自足の世界なら、特段笑って済むのだろう。と言うよりも、経済的自立まで、こちら側が頑張って、立ち上がれるのなら、詰まりは、押しも押されもしない所まで余裕のある状態にまで至るのなら、なおさら問題にもならない日々の余興程度の珍事だろうが、残念だ。未だに、こちらでは、こつこつと一兵卒の歩みを続けている訳だから、これ以上は何も言えないのだ。黙って頑張るしかないか。頑張って、宝くじに当たる確率で、次なる商売の突破口を見出さなければ、生き残ることすら出来ないに違いない。増して、『100年の計』など夢のまた夢か。



2009年12月10日 曇り後雨  9度  訪問者数 小計115名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算  

今日も例の製作を続けた。ヤフーの検索で 大きく後退したようだ。よく解らない。どのような点で ころころ変動するのかさっぱり掴めないでいる。これだけ、自慢ではないが、毎日毎日何年にも亘って 更新を繰り返しても、これじゃ 結論的に 更新しても 訪問者側に 毎日新規な情報を盛り沢山 提供し続けても、所詮変わらないと言うことなのだろうか。と言うよりも、所詮 恣意的な営利の世界の話なのだろうか。我々のような中小の吹けば飛んで行くような 零細企業などは、目障りなのかもしれない。もっと、数千人もの大所帯を抱える大手を持ち上げた方か、営業的には 良いのかも知れないか。砂上の楼閣でもなし、所詮は、大仏さんの大きな手の平の上で、暴れ回っても、仕方ない程度が、この8年間の我々の努力だったのだろうか。せめて、1社くらい、必死になってぶら下がって、頑張っているところが報われても良いものだが、そうは行かないのが現実なのだろう。それが、このヤフーの検索位置が如実に現しているに違いない。こうして毎日毎日8年間だ。8年間せっせとせっせと更新をし続けても、結局、ヤフーの検索に反映されないというこの事実を、我々は重く受けとめなければならないのだろうか。


2009年12月9日 曇り時々雨  9度  訪問者数 小計125名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。急ぎの製作をこなし、何とかこの時間になっている。幾つかのお問い合わせも入り、そんなご希望から、需給のバランスがどちらに振れて行くのかの予測も出来、実に有難いものか。何を、求めておられるのか、何を必要とされているのか、何を探しておられるのか、と、こうして何年も経つと、傾向が見えるもので、考えてみれば不思議なものか。だから、次の次の対策を如何に立ち上げるかに、次の成果は、微妙に影響を来たす訳か。我々のような「ものつくり」の商売といのは、そんな傾向と対策の果てしない積み重ねなのだろう。巨大な消費者の その巨大なザウルスの尻尾をひたすら、追いかけるだけなのだ。そして、時々、先が見えるので、振り落とされないように、先回りして対策を練るはめになるのだろう。これが、日常の延々とした作業のテーマ。そして、時間があれば、横広がりに関心の食指を伸ばし、情報を集め、解析し、出来る事なら、またまた自家製の加工機の試作をトライし、何らかの次の製作に繋げるべく、あれこれと 作業を進めるのだろう。こんなことをづっと繰り返しているのだが、それでいて、全方位に遅々として簡単には進まないものだ。一進一退が事の常なのだろうか。だが、だからといって、立ち止まることも出来ぬサガなのだろうか。頑張るしかない。頑張って頑張って、必死になって、前のめりに倒れても路傍の枯れ草を握り、這ってでも進まなければならないのだろうか。一向にその答えは出てこないし、一向にトンネルの出口は見えない。それでも、シジポスの神話のように止めることはできないのだろうか、我々中小企業では。



2009年12月8日 晴れ  11度  訪問者数 小計103名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算

今日も例の製作を続けた。まだ選挙権のない若い方から、最近の政事が面白いといったお便りを頂いた。丁度、日本史の江戸末期を学習している最中で、その頃の動きと良く似ているらしい。しかし、「申し訳ないが、こちらは、タダの発泡スチロールの加工屋さんのページですから、それ以上でもそれ以下でもないですので、日本史は面白いでしょうが、お答えには困ります。こんな所にメールを送るよりも、期末試験の勉強に励んでください」と返答をした次第。しかし、解らないものだ、ネットと言うのは。以前、進路相談を寄越した学生さんもおられたなあ。何度も書きますが、こちらは、吹けば何処までも飛んで行くような発泡スチロールの加工屋さんに過ぎません。先々の心配をされるようでしたら、先ず、勉強してください。例題を一問でも解いてください。先々に迷いがあるのなら、最小の努力で最大の結果を得ようなどと、虫の良い事は考えず、敢えて、非効率を選択して、回り道でも、迷うもの全てに同時挑戦をしては如何な物ですか。と、お答えしたい。まあ、発泡スチロールの加工に興味があるようでしたら、話はお聞きしますがね。人生なんて、解らないものですよ。恐らく、この先、高校を出て、大学へ進むのか進まないのか知りませんが、本当に普通の暮らしを続けて最後まで全う出来るのは、ほんの一握りに過ぎないし、その他、大多数は、否が応でも、好むと好まざるとに関わらず、これから先、きっと様々な紆余曲折が待っていると思います。江戸末期ではありませんが、これからも時代の激変は、何波にもわたって押し寄せてくるに決まっていますから。どこで逆転出来るかなんて誰にも解りませんよ。希望は幾らでも道端に転がっている筈です。まだまだ、江戸時代の自給自足の時代なら、他と差をつけられることも気にならなかったのでしょうが、今のように世界規模で繋がっている時代では、自給自足もままならないから、遮二無二意地を通しても窮屈だし、流れに棹を差しても流されるし、兎角、住みにくくても、鬼の世間を渡るしかないのでしょうね。それとも、江戸末期の時代の朝雲児のように、若者らしく 『翼を下さい♪♪』を謳いますか。では、失礼





2009年12月7日 小雨後晴れ  11度  訪問者数 小計100+46名
    (毎日の訪問者数 その日の最初の数字と翌日の数字から計算
と翌日の数字のメモから計算


今日も例の製作を続けた。ネットからのお問い合わせも漸く 山を越えたような空気か。本当に、ネットと言うのは、巨大ザウルスの尻尾であるに違いない。決して、油断は出来ない品物なのだろう。かと言って、では、こちらでは、どうするつもりなのか。先日、テレビで300年続く、豪農の話をしていたのを見た。その年月をずっと継続させるには、周囲から見ているほど 並みなことでは続かなかったに違いない。しかし、営々と300年を 絶える事無く続けてきたのには、秘訣もあったに違いない。そのような真似は、こんな我々のような業界で可能だろうかと考えていた。業容は時と場合、時代によって、変幻自在に変えて行くしかないのだろう。それでも継続させていくには、一体どのようなことが必要だろうか。資金も無ければ、増してや、吹けば飛んで行くような発泡スチロールだ。ここにコダワリながら、何らかの策を練るしかないのだ。『100年の計』か。、、、、、、そうかも知れないなあ。100年のスキームで考えれば、お客さんとの付き合いも、100年の長き付き合いと考えれば、楽に思えるな。一度お問い合わせを頂き、少額の買い物を頂き、やがて、10年の歳月が流れ、「おお、何とお久し振りでございます。お元気そうでなによりでございます」というやり取りがあり、また少額のお買い物を頂き、やがて、10年が過ぎ、20年が過ぎ、「親が一度か2度、お世話になりました。」というようなメールを頂き、「おおー、これはこれは、初めまして、親御さま お元気ですか。もう20年前になりますが、発泡スチロールの件でお取り引き頂きまして。おやおや、お子様ですか。もうそんな年齢になられたのですね。」といったやり取りが入り、また少額のお買い物があり。以後、数十年が過ぎ、足掛け50年、もうろうとする意識の中でメールが届き、「昔、うちの祖父がお世話になりまして」と言った内容があり、当時の時代屋的な、発泡スチロール製の骨董品の写真が添付されており、良く見ると確かに、何時のことか、あれは、まだ青春まっしぐらの頃、ご注文の依頼に合わせて製作したことが、ひょっとしてあったような、薄っすらとした記憶が蘇ってくるような写真に、次第に思い出が走馬灯のように廻り出し、思わず、涙声を周囲にはばかる事無く発し、「、、、、、」と一言も出せずに、暫くして「生きていて本当に幸せです。他には何も要りません」などと、言っては少額の品を、無償でお送りし、もう、何も出来ず、その商品を載せた宅配のトラックが見えなくなるまで、じっと見送っている、、、となるのだろうか。そして、その次だ。やがて、わたしの人生も予定終了となるのだろう。その次だ。その次がどう回転出切るかに300年の継続が可能かどうかが掛かって来る訳だ。では、どうするべきか。一般に、会社の寿命を30年とみる論が多い中、如何にして、300年まで、延長させることが可能か。確かに、単なる、売ったがお仕舞いのような商売では、所詮無理な話だ。自分だけ、好きな事をしてパッと散って行くような人生設計でも不可能な話だ。では、どうするべきか。、、、まあ、その前に年末ジャンボでも当たれば話は早いのだがなあ。








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 もう8年も前になりますか。こちらのHPを見たのがそもそもの始まりでした





漫画家 鎌田洋次くんは


Wikipedia『ウィキペディア』 「鎌田洋次」くんのコーナー

に紹介されています





だからタカラヅカ!!
  水耕栽培している賃貸マン  ション「ヴィゴラス宝塚」



RC造りの静かで素敵な賃貸マンションのご紹介



第69回美術文化展巡回作品展から

入賞作品の紹介
                        
 

入賞おめでとう御座います


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