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このページは、営業部のデスク
サイドで「わたし」が見たノート
の日々記録コラムです。
お楽しみに
営業部デスクのコラム欄
「わたしの研究開発雑記ノート」
『夢千代日記』の里から
巨大いちご製作と27mケーキの話し
研究ノート目次
2007年10月28日 晴れ 24度
向かいの刈田の何と青々としてきたことか。稲刈りもとっくに終わり、根焼きで香ばしい匂いと伴に一面真っ黒だったのは、僅かに3日ほど だったか。それからまた伸び始めて、状態が、青々との字のままに、まるで元の刈る前のような伸び放題の元気な田になって来たようだ。これなら、この辺りでも充分、2期作も出来そうだ。日本全国2期作 2毛作を始めたら、食料自給も可能なのだろうに、長い目で見れば、温暖化で日本国内の食糧事情は却って良くなるのではないだろうか。本当に、今年は凄い暖かさなのだろうか。さて、急な依頼も入り、また朝からの作業となるのだろうか。何処かの、会社で「面白可笑しく」を社是にして頑張っているらしいとラジオで聞いた。確かに、それは必要かもしれない。しかし、本当に、どこまでも究極的に面白くそして且つ、可笑しく、その技術開発を続けるのならば、果たして、そんな研究者なら その会社という枠にこだわることも、やがて、無くなるのではないだろうか。その枠も、時が来れば、単なる方便に過ぎなくなるのではないだろうか。さらに、突き詰めていくのなら、そのような問題意識の向上は、学究的な生活者へと向かうような気もするのだが、如何なものだろうか。その時、その会社において、どれだけ、そこまでを抱え込めるだけの度量があるかどうかに、1流へ向かうか2流で甘んじるかの分かれ道となるのだろう。しかし、結局、その先は、どうしても経営判断が優先されてくるのが、洋の東西を問わず、現実問題なのだろう。大中小のいずれを問わず、我々は、吹けば飛ぶ駒であるのだろう。一企業戦士として輝かしい過去が有ろうと無かろうと、面白くも無い現実を食うて行かなければならない。決して笑えない日常生活が、日々、繰り返し、この世に生を持ったその瞬間から継続しているのだ。そう、その視点が必要だと言う所に、どうも限界を見てしまうのは、何故だろうか。
二条河原現代落書
此ノ頃、都ニ流行ルモノ
夜討チ強盗似セ刑事、セクハラ早馬空騒動、生首蹴散ラス自由出家、
俄カ大名迷ヰ者、安堵恩賞空戦サ、本領ハナルル訴訟人、秘文書入リタル細ツヅラ
追証惨忍禅立僧、下克上スル成リ役人、器用税金還付ノ沙汰モ無ク
漏ルル人ハカリノ決断所、キツケヌ冠リ ウワノソラ、持チモ習ワヌ灼持テ
官吏マジワリ珍ラシ哉、美味賢者顔ナル伝統ノ、我モ我モト真似ヲシテ
功ナリケルノ偽リノ、オロカナルニヤ、
、、、、、略
、、、、、
京童ノ口スサミ、十分ノ一スラ貰ワザル
2007年10月27日 雨のち曇り 23度
今日も例の製作が続いた。例のムカデ式の微調整と試験的な加工などにも余念がなかった。急ぎの発送の件の加工も入りまた、バタバタしていた。有難いものだろうか。こうして、また一日、何とか過ごすことが出来た。1週間の過ぎるのも早ければ、1ヶ月の過ぎるのも早い早いとどんどん感じ出したようだ。きっと、年齢と伴に、身体を動かさず、じっとするのに慣れて来た非健康的な反動作用なのだろうか。いよいよ、来週は11月になる。ここに、斯くのような詰まらない書き込みを初めて、10月の終わりで、丸5年が過ぎようとしている。そして、11月からは6年目に入ることになる。製作実例集にしても、だから同じく6年目になる。今670例、重なったものもあれば、写真を撮れないまま出荷して行ったものも数々になるので、おおよそ670として、134例/年 の計算となる。だから、恐らく、概算ではあるが、目標の1000例までには、あと5年弱は必要ということだろうか。先は長いようだ。もし、願わくば、仕事をしなくても食うて行けるのならば、ボランテアでも何でも、兎に角、継続させて、その1000例にまで到達したいものだろうか。そしてその次は2000例か。この辺りまで来れば、きっと、グーグルにでも取り上げてくれて、発泡スチロール加工品実例辞書になってくるだろうか。まあ、2000例位になれば、漸く、時代考証好きの学者さんにも参考資料の価値は出て来るのだろうなあ。こうなれば、矢張り、まず食うて行けるように足元を何とか固めたいものだな。
2007年10月26日 雨後曇りのち雨 24度
今日も例の製作が続いた。急な製作が重なっているので、手持ちの時間が僅かになっている。残念だ。そういう時に限って、あれこれと書き残す必要を感じるものだろうか。円高だ、円安だ、と言ってもどちらが国内景気にプラスなのか、実に様々なヘッジがあれば、金融工学なんてものもあるので、サッパリ解らないのだが、取り合えず、国内景気でやってもらいたいものだろうか。日本の近海でもっと石油を掘削しないのだろうかなあ。隣が世界一の太平洋なのだから、海底を掘れば、石油がわんさか出てこないだろうかなあ。何、世界が不景気になれば、日本はまた鎖国するって本当かなあ。では失礼
2007年10月25日 晴れ 23度
今日も例の製作を急いだ。基本的に、矢張り特徴を如何に持ったものにするかに全てが影響するのだろうか。だから、常日頃、襟を正して、その技術的な課題に向かって前進あるべきなのだろうか。或いは、次の手を考えるべきであるのだろう。例えば、例のムカデ式において、本日、早速空いた時間に少し、その思い当たる節を改良するべく、あれこれと分解していたのだが、このような繰り返しと、さらにその加工において、如何なる技を実現していけるかに、今後の展開は勿論、大きな比重を占めてはいるのだろう。そして、次なる手である。そう、次なる手である。平たく言えば、ここでしか出来ない物を探す以外に無いのだが、何となく他の情勢を見るに、そもそもこの業界全体が、或いはさらに広げて、油上の楼閣社会そのものが、時代をして次なるものへと、ページを捲ろうとしているのだろうか。しかし、残念なことに、その次のページは今の所白紙に極めて近いのだろう。先日のドイツの研究機関の調べでは、いよいよ石油があと25年で半減するという事らしい。10年もすると今の25パーセント減なのだから、その頃には、国内外の社会に相当の影響は出てくるのだろうか。石油を燃やして、燃料にして成り立つ文明は、タイムリミットが刻一刻と近づいているのだ。やはり、自動車はこれから売れなくなるのだろうか。若者の自動車離れは決定的になるのだろうか。何らかの革命的なエネルギー源が見つからない限り、自由は制限されていくのだろう。統制された経済でなければ、石油使用を今の半分にまでは削減出来ないのだろうからだ。けど、反面、石油使用は半減せずにはおけないのだから、温暖化問題は、逆に急速に解消していくのだろうか。化石燃料を燃やして二酸化炭素を排出しようにも、石油が無くなれば、出せっこないからなあ。
2007年10月24日 晴れ 寒暖差込み20度
今日も例の製作が続いた。急な製作も入り、どうも忙中に閑ではなく、これだけ温度差があると、悪寒が走りそうなものだろうか。それでも、前向きに必死になって、もがきながらも頑張ってはいる終日であったのだろうか。過ぎてしまうと、あっと言う間の一日だった。昨日の『ガイヤの夜明け』だろうか。この番組は、例のsントリー研究所のH部長が出演したのをきっかけに、又2回目の出演が今に無いかと、出来るだけ欠かさず見るようにはしているのだが、昨日の番組の、現代アートのオークションの会場で物凄い値が、次から次へと落札していくシーンを見ていると、兎に角、凄いの一言になって、ふと自分の周囲4畳半一間の足の置く隙間さえ無い空間を見回すと、無言で沈没してしまったものだ。「何でも鑑定団」でも、この荒い値動きには、遠く及ばないのだろう。そして、今から、29年前、大阪の名前は確か、うる覚えだが、「関西交易」という所だったと思う。地下鉄御堂筋線でどこで下車したのだったか、恐らく一度見れば、必ず思い出すのだが、その関西交易とかいう所で、矢張り、様々な芸術品の競り市があったのだが、そこでアルバイトをしていたことがあったのを思い出した。中国系の壷や象牙の装飾品や絵画などが次々と、競りの会場に運ばれ、「何万、何万、何十万、、」と、どんどん値段が飛び上がっていったのだった。そして、その会場で競り落とされた芸術品を運び出す助手をアルバイトでしていた訳だ。だから、そのオークションの臨場感というのは、よく解っているものだ。そして、今から思えば、その時、絵画のバイヤーにでもなっていれば、人生全く今とは、変わっていたのだろうと、ため息をつきながら思った。颯爽と、現代アートの作品を抱えて、会場に現れ、「何億、何十億、、、、」と直に、トンでもない金額に跳ね上がって、それと同時に、こちらの気持ちも天井まで舞い上がって、果ては、大統領にでもなったような気分で おれたのかもしれない。人生とは解らないものだ。まさか、その時、30年後、時代は斯くのように流転して来たとは、予想だに付かないものだ。最初から解っていたら、何にも進路に迷い悩むことなど無いものだろう。青春ってそんなものさ。
2007年10月23日 晴れ 24度
今日も朝から例の製作が続いた。矢張り、球のお問い合わせと言うのは、確実に続いているのだ。だから、このポイントで何とか得点に繋げられればいいものだろうか。しかし、再度検証も繰り返していかなければならないのだろう。例の、薄切りスライスに関しては、お陰さまで例のお客様から有難い貴重な情報を頂けたので大変励みになっている。だから、さらに継続し、発展させることが出来れば何よりなのだろうか。また、例の別の件で、先日、同業者の素晴らしい設備に目を点にする他なかった所だが、別に、こちらとしては、出来るところから進めることで何ら問題は無いのだろうと、返って安心し、そして自信も持てたものだろうか。思い出せば、あのTVチャンピオンシリーズで何度か登場して、紹介されていた発泡スチロール王選手権の出場選手の映像が目に浮かぶものだ。どこの世界でも、同じなのだが、結局、『ものつくり』においても、その大半を占めている重要なキーポイントは、精巧な機械や様々な道具ではないのだ。最後はそれを使う側の力量に帰結しているのだ。それが、この不思議の工業立国日本の基だろうか。そのトップクラスが、大抵使っているのは、実に、簡単な髭の生えたような道具程度なのだ。或いは、相当精巧な機械でも、一旦完全にバラして、自己流に組み直したりする場合もあるし、独自に発案してでも他にない道具を ごく当たり前のように作り出して行くものだろうか。彼らは、皆、身体で憶えているのだ。昔、家を建てる棟梁は、図面も何も無しに木造の家を建てたと言うが、その言わんとするところは、今も生きている。加工用機械を作る技術者もいつもいつも、その独自性を見ている。言い直せば、それをどうしたら改善し、良くなるか、良いものが出来るか、を問題意識を持って常時追求していると、何十年も経つと、何となくトンでもないものが、形になっている、ただ、それだけかもしれない。知ることの喜び、ものつくり の面白さが、その過程にある。
2007年10月22日 晴れ 23度
今日も例の製作が続いた。例の急な加工も入り、終日バタバタしていた。途中、用があって、近くの材木屋さんまで足を運んだ。相当重症な様子が人目で読み取れた。先日来、ニュースでも ようやく取り上げられるようになったが、例の耐震偽造に伴う法律の改正で、審査が厳しくなり、承認までに、最近では60日遅れから、75日遅れ、中には3ヶ月遅れも出始めているようだと聞く。いずれ、積み上がっているだけだからそれだけ時間が経過すれば、止まっている住宅着工はいずれ、また始まる筈ではあるが、まだ、長いトンネルの先が、どちら様も見えてこない状態であるということだろうか。経済統計にもGDPを1パーセント押し下げると言うことらしいが、現場から聞こえてくる悲鳴は、それだけでは全く済まないというもののようだった。よっぽど大きなカンフル剤でも無ければ、この現状を打破するのは極めて難しいのだろうか。将に、現場では根比べが続いているということなのだろうか。
で、話は代わるが、東京の日本科学未来館で現在
企画展 『地下展 UNDERGROUND−空想と科学がもたらす闇の冒険』
開催期間:2007年9月22日(土)〜2008年1月28日(月)
2007年9月22日〜2008年1月28日、企画展『地下展』を開催。
と言うのが開催されているそうだ。
展示会場に地下空間をイメージするのに 発泡スチロールの500×500×400mmキューブ状のものを6000個近く使って地下空間を醸し出しているそうだ。何とも、凄い企画ではあるのだが、ここで取り上げるのは、その東京での企画そのものでは無く、不思議なことに、偶然と言うべきか、つい先日、大阪でもよく似た企画が独自にあったと言う点だろうか。大阪では、実際の地下鉄工事現場を使って、ファッションショーや演劇パフォーマンス等が行われた訳であるが、その際、矢張り、発泡スチロールのキューブ状のもの(350×350×350mm)が大量に使われたのだった。そしてその地下空間に何とも言えない不思議なムードを創造することに成功していると言うことだろうか。企画の準備段階は1年以上前になるのだから、日本の西と東で、似たような点に注目していたことになるのだろうか。(下記10月15日の書き込みを参照
こちら
からもどうぞ)
これは、当日の様子が新聞紙面に掲載されていたものを関係者の方から特別にお送り頂いた新聞の切り抜きだ
見出しに『おしゃれ地下神殿』とあるのがお判りだろうか。中央の白いソファや会場を取り巻くようにして設置されているのが、発泡スチロールを使ったものだった。
これも関係者の方からお送り頂いた現場のステージを撮影された貴重な写真だ。辺り一帯に整然と並んだ発泡スチロールのキューブが少し、写真に写っているのが確認頂けると思う。
こちらでは、東京とは違って、実際の地下空間を使っての演出ではあったが、発泡スチロールを使用することによって、矢張り、見事にその異空間の雰囲気を盛り立てることに成功していた訳だ。狙いは的中したのだった。これらを企画した関係者のレベルの高さは、相当なものだということだろうか。
2007年10月21日 晴れ 23度
そして、時間があれば、次を考えて、何をし、何をどう組み上げて行くべきかとあれこれ調べることにしている。そんな時、唯一当てになるのは、我々文無しのような身には、公立の図書館しか無いのだろうか。或いは、古本屋のはしごとなってしまうのだろうか。ので、休みの日でも立ったままで終日が過ぎることも多々あり、長年否が応でも仕事で足腰を鍛えてきたことは、こうして役にはなっているのだろうか。兎に角、そこには数え切れないだけの本が並び、その同数の所謂『作家』と呼ばれる人達の名前も並んでいる。だから、素直に「発泡スチロール」で捜しても何も見つけられないものだ。最後は、自分の感性か、それとも単なる偶然にでも引っ張られるようにして、お目当てを見つけるしかないのだろう。そうすればきっと、この、不景気の中でも、様々な所で、次なる息ぶきが聞こえて来るはずだ。国内景気に必要な最右翼は、今も昔も住宅需要のはずだった。折角、世界一の技術を持って稼ぐ輸出型企業が、儲けを海外へ再投資してしまっていては、国内景気は細るだけだ。それなら、家を建てるにはどうするべきか。皆がもっと気楽に家を建てるようにするにはどうするべきか。或いは、買い替えをもっとバブルの前のように気軽に出来るようにするにはどうするか。例えばあの「買い替え特例」は何故復活しないのだろうか。、、、、おや、もうこんな時間だ。
2007年10月20日 晴れ 23度
今日も例の製作が続いた。仕事ってそんなものなのだろう。若い貴君にはどう映るのだろうか。来る日も来る日も、特段変わり映えのしない、似たようなことを繰り返す毎日なのだろうか。あれは確か、今から31年前、貴君と同じ19才の時、始めてアルバイトをしたのは、京都の島津人形だった。倉庫で雛人形の梱包作業をしていた。3ヶ月程の短期ではあったが、朝8時から夜8時までの長い長い作業が続いていたような思い出がある。寒くて手がかじかんで雛人形を梱包するのに難儀したこともあった。丁度、構内のラジオから、その頃ヒット中の紙風船の「冬が来る前に」の歌が流れていて、今でも「冬が来る前に♪もう一度あの人と♪」を聞くと、どうしても島津人形の雛人形の絵がダブってしまうものだ。昼休みには、倉庫の横の小さなプレハブの煩場で何十人もが並んで弁当にして、後は倉庫の裏の空き地で野球をしたりする者もあった。恐らく先方は全く覚えていないだろうが、島津のぼんぼん(当時)が同年代で、修行中か何かだったのだろうか、同じように並んでアルバイトしていたのを思い出す。そんな、仕事であっても、作業自体は、日々、極めて単調なものだった。伝票にある雛人形を毛氈や五人ばやしに官女、お内裏様と様々なタイプ毎の番号に合わせたものが、パレットに積まれて運ばれてきたものを、大きなダンボール箱に繰り返し、繰り返し入れては蓋をしてテーピングをしていくと言った ただ、それだけのものだった。だから、途中で作業に厭になって幾人も辞めていく者もいたようだ。別に、辞めて駄目だと言うのではない。また、次の仕事を探せば良いだけの事だ。でも、多くの作業って、そんな、同じ事を繰り返すことが多いと思う。その次にしたのは、阪急電車十三駅で降りて歩いて10分の所にあったガソリンスタンドでのスタンドマンのアルバイトだった。そこで、朝7時から夜8時まで、2ヶ月間頑張った。ずっと立ちずくめで休憩時間である昼のメシの時間だけ座ることが出来たが、それ以外は一切座れなかった。それだけ、自動車が給油に入れ替わり立ち代わり引っ切り無しに入ってくるスタンドではあった。自動車がスタンドに入ってくれば、絞った雑巾を持って、「うおうー、」と大声を張り上げて飛び出していくのだ。そして、運転席まで行って窓が開くのを待つ間、右手はフロントガラスを雑巾で拭いている。窓が開くと「レギュラー満タンですかー」と声を掛け、車の後ろの給油口まで走っていくのだ。当時、殆どが、満タン客だったように覚えている。そんな繰り返しを2ヶ月頑張った。そして、次はあれは、北大阪急行桃山台駅だったろうか、そこで待っていると迎えの自動車がやって来て、伊丹まで乗せてもらい、関西サービスセンターという名前だけもっともらしく、それなりに大きそうな会社名ではあったが、迎えの自動車を降りると、6畳一間の小さなそれはそれは小さな貸しガレージに来てしまったので、始めてみた時はそのギャップに驚いたものだ。今でもあるのだろうか、あれは、ダイキンの冷房機器のメンテをする工場であったのだ。従業員は社長と若い背の高い人の2人だけだった。そこに、アルバイトの自分を加えても3名だけだった。、、、おっと長くなるなあ。アルバイトも実に何十もして来たものだ。では失礼
2007年10月19日 雨 19度
朝から冷たい雨となった。ついこの前まで、これも温暖化の影響よと、息の詰まるような残暑にも何時まで我慢を続けなければならないのかと、不満をぶつける相手すらなく、半分諦め、時の大河のような流れさえ 不甲斐なく抗し切れない物達に、堰き止められているようで、これでは先がまるで見えなかったのに一体どうしたことなんだろうか。こんなにも冷たく、こんなにも悲しく、不意に背後から肩を刺すような無常の雨が、いきなりに季節を夏から秋へ、そして初冬にまで、何かを忘れよと謂わんとばかりに、先へ先へと進めて行ってしまうのだろうか。矢張り、四季織り成すこの国の風土には温暖化の風来坊も、そしてその町の平安を乱す反逆者も、きっと逆らえないのだろう、と、ひとり曇天の空を見上げ、祈りににも似たため息をつきながら、はてさて、今日も例の製作が続いた。我々に出来るのは、それでもこうして今日もそして明日も明後日も、例の製作を黙々と続ける以外に何も無い。ただ、頑張って、頑張って打ち込んでいく以外に選択肢は無いのだろう。、、、だから学校の成績ぐらい一体どうしたというのか。そんなもの気にするなよ。君の人生だろ。こんな年齢まで来れば、全く関係ないやと、笑って自信を持って言える大人が周囲にいないのか。成績が悪くても、5年で10億円、60億円稼いだ若者を何人も見てきたぞ。みんな追い抜いて行ってしまったけどさ。
2007年10月18日 晴れ 25度
今日も例の製作が続いた。如何に効率を追求するべきかも問題ではあったが、どうだろうか。他に論点は無いか、対称性は無いか、類似性は無いか、現象であるか、概念であるか、時系列にするか、或いは真善美で進めるか。矢張り、それは如何に新規性、意外性、或いは利便性でもいい、何か訴求的で科学的求心力のありそうな現実的なアイデアを求めながらの作業であるべきかも知れない。我々のような中小企業では、丸いものを出せ出せ、と幾ら声を張り上げて 足をばたばたさせて そう言っても、鐘の鳴らない枯れ枝だらけの木には、虚しい秋の風が吹き抜けていくだけだ。それよりも、前向きになって、そんな何も無いところから、そして空虚な空っぽの空間から、魔法でも科学でも何でも良いから 無い所から何かを引き出して行かなければならないのだろう。それだけだろうか。開発とはそんなものだ。何と薄っぺらい丸いものが印字された紙切れに、ひたすら、唯ひたすら頭を垂れて、進む以外に無いのだろうか。そうではないから、否、そうはさせない為にも、頑張るしかないと言うのが、こんな年齢になって、思うことだろうか。確かに、本日も度肝を抜かれるようなお問い合わせもあったのは確かだ。だから、そう言うのではないだろう。他山の石とせず、珠玉の朱にまじわるべく、何か無いものかと、前向きに頑張る以外に無いのだろう。しかし、待ってくれ。『好きなことを知る喜び』とは如何。再度、そこまで遡って、再検証しなければならないのかも知れない。我々はここで何をしているのだろうか。そして、何を見つけようとしているのだろうか。やり甲斐か、生き甲斐か、、、いや違うなあ。「知る喜び」か、或いは「ものをつくる喜び」だろうか。それは、何年も前、トラックに跳ね飛ばされ、いつしか忘れ去られた路傍の石の、その石の下から茎葉を出して、やがて咲いた小さな一輪の花に、何と素晴らしく、美しいと、感動の思いをひとり 巡らす内に、人はそれを、絵にしたり、文章にしたり、或いは、同じものを、その小さな美しい花を 形にしたりして、咲かせてみたいと思うようなものだろうか。
2007年10月17日 晴れ 23度ぐらい
今日も例の製作が続いた。有難いことに様々なお問い合わせも続いた。街路樹の葉も心なしか黄色く染めた気の早いものも ちらほらして、季節は徐々に移り繰るものだろうか。この世に生を受け早、50幾年、50幾度の紅葉を見るに付け、感慨無量の言葉の意味も、この人生の重みに押し出されるように染みて出てくるものだろうか。だが、残念だが、何をどう言っても、短く、平たくまとめれば、我々中小企業でこうして、切ったり貼ったり曲げたり折ったり、と繰り返しているのも、ここは営利という活動ではあるのだ。決して鐘の鳴らない発泡スチロールの加工ではあっても、営利に違いない。日々、これで食って行かなければ、否、行けなければならない訳だ。頑張るしかない。唯、ひたすら前向きに 頑張るしかない。挫けることなく、振り向くことなく、途中、歩いてもいい、回り道をしてもいい、しかし、走り続けなければゴールは見えない、と。或いは、少しずつそして、少しずつ。 コツコツがダントツなのだと、頑張る以外にない。頑張って頑張って、頑張りぬいて頑張って、明日、また日が昇ると信じて頑張る以外にないのだろうか。『1日30分の学習』などと、薄っぺらな本を出してどうするのだ。我々は寝ても覚めても、メシを食いながら、歯を磨きながら、皿を洗い、洗濯ものを干し、何をしながらでも、何時もいつも勉強に次ぐ勉強で、来ているようなものだ。『好きなことを知る喜び』さえあれば、と言うが、もう18才19歳の頃から30年、一貫して探しては来た心算だが、そんな簡単に、中々見つからないものだろう。それも人生さ。生々流転する人生さ。さあ、続きの作業だ。では、この辺で
2007年10月16日 晴れ 23度
何となく、気象庁の長期予報の逆を行けば予報は当たりそうな気がしてならないのは、何故だろうか。之だけ残暑が続いて、漸く少しは秋らしくなってきたのに、このままの角度で、ずるずると気温が下がりっぱなしになって行けば、1ヶ月も過ぎれば、それはもう厳寒と呼ばれるのだろう。海外の機関が、全てCO2による温暖化の影響だ、その証拠もあると発表すればする程、どうも空々しく聞こえてくるのは、自分だけなのだろう。これから、温暖化が進み、環境問題をさらにアッピールして行けば、当然国内では、若者の自動車離れはこれから加速するだろう。車を止めて、電車バスにするか、歩くか自転車にでもするのが、一番手っ取り早い温暖化対策だと言う事は、誰でも知っていることだからだ。何も、わざわざ燃費の改善した自動車を買って乗るよりも、買わずに電車にでもすれば、一番排気ガスは少ないからだ。それが一番環境に優しいのだろう。こんな当たり前の温暖化対策だ。勿論、どうしても、或いは緊急の場合、或いは不便な場合は、当然自動車に乗れば良いし、そこまで駄目だと言っているのではない。やがてこんな傾向が進み、そうすると、国内の主要な生産構造がこれから どんどん変化していくのだろうか。否、そうでもないのだろう。そんな、急に国内自動車が売れなくなっては、自動車メーカー、日本の生産の屋台骨を支えるところが、やがて、之じゃ いけない。もっと、国内の自動車を売れるようにしなければならない、と言う方向へ動き出せば、恐らく、遅ればせながら、ガソリン代を下げるべく、相当大きな円高へ舵を切るのだろう。そこが見えてくる。と、矢張り、先読みする連中が動き、円高は近いか。待て待て、逆も考えられる。そうだ、あのバブルが起こった時だ。今から丁度20年前、今のような、海外要因に発して金融の急激な緩和が起きた年だったか。確かに似ている。今回も海外要因に振り回され、身動きが取れないまま、需給の緩和がずるずると慢性化している。決して、海外要因を無視できない日銀は、このままを、まだ暫く続けるのだろうか。そう、アジアも欧州もどちらからも、この状態に急激な変化は強く敬遠されるだろうからだ。そろりそろりと動いては叩かれるのだろうか。解らない。となれば、特に円高もなしか。さあ、やっぱりお上のことは予測出来ないなあ。どうせ、大手輸出中心メーカーは、円高になってもヘッジを掛けているだろうから、殆ど影響はないはずだ。すると、残るは、結局海外要因に尽きるということか。それは何か。世界の動き、それは何か、一体何だろうか。 まあ、我々中小企業に働くものには、景気の先行き、之だけが問題である。昨日何処かの新聞の囲みにあったように、聖人君子では、恐らく決してこの難局を切り抜けることは出来ないのだろうか。我々にとって、常に景気が問題である。大きくは国内景気であろうし、そして、足元の会社の景気だ。これが常に24時間、主要な課題であるからだ。だから、余計なことを書かず、考えず、働け働けか、、、、。
2007年10月15日 晴れ 24度
今日も例の製作が続いた。昨日の地下鉄工事現場で催された世界的に有名な東野祥子女史主演演出によるパフォーマンスの見学に出掛け、その時の様子をUPする作業が漸く出来た。ご縁あって、どういう訳か、これもきっとインターネットの不思議と呼ぶ以外に無いのだろう。そんなに有名で立派な方々なので、またまた、勝手にHPのリンクを貼らせて頂いた。有難う御座います。パフォーマンス自体は、大変感動的な、そして衝撃的なものでした。今から30年ほど前、当時私は、年に100本近いアングラ演劇を観劇していた事がありましたので、直ぐに、その頃の記憶とダブりました。そう、その激しい踊りは、当時まだ、アングラ演劇全盛期だったのでしょうか。全国各地でテント公演が、全く当たり前のように毎週末には開演していました。次々と、そのテントをハシゴしながら見ていたりもしたことがありましたね。今回のような環境音楽的なものに無声で踊るところは、確かに当時から御座いましたので記憶がダブりますね。全く今回と動きが正反対ですが、無声のお芝居は、当時から有名な山海塾だけではなかった。アングラ演劇では、直ぐに皆な真似をしてそんなシーンを取り入れていましたね。青森の劇団青い鳥(当時)でも山海塾のメンバーが友情出演していたりして、何ともコントラストが面白い効果を上げていたのをふと思い出しますし、ものすごく練習を積まれているのでしょうか、素晴らしく上手なその激しい動きは、矢張り、唐十郎の紅テント(当時)で李礼仙が激しく踊るシーンと今回の主演の動きも何となくダブルような気がしましたね。懐かしい限りです。有難う御座いました。
こちらに少しupしております
。HPトップの下段のほうを捜してください
2007年10月14日 晴れ 22度
発泡スチロールを使用されている現場を見学に行って遅くなっている。このような機会はめったにないものだろうか。後ほど写真をUPしたい。きょうは ここまでだ
2007年10月13日 曇り 24度
今日も例の製作が続いた。例の「ガタピシ ルンルン♪のとんぼ返し加工機」もこんなものだろうか。取り合えず、良しとしよう。そして、取り合えず、下記には1m球の加工用のつまらない自家製加工機をUPしておいた。何らかの参考にして頂きたい。中心に軸になるようにシャフトを付けたの で、先日より漸く ブレが減り、芯は出せるようにまで来た
。この加工にばかり取り組んでいたのではないが、ここまでで、1号機から始めてもう5号機になるだろうか。改良に改良を加え5年程度の時間が、無駄に過ぎている。いろんなノウハウも詰まっているのだが、お解かりだろうか。今回は、ニクロム線での削りになる。矢張り、この方が表面の仕上げ作業が断然容易であるし、滑らかなラインが、まだ少しは出せるようだった。次回は、ニクロム線を4本同時に張っての加工に挑戦することになるのだろうか。段取りは出来ている。勝算もある。これが出来たら、次は1200mm球、1500mm球へと進みたいのだが、いつになるだろうか。まあ、こればかりもしていられない。次に行こう
2007年10月12日 晴れ 28度
今日も朝から例の製作が続いた。例の「ガタピシ ルンルン♪ トンボ返しで(小休止)ガタピシ♪」の自作の加工機の設置位置を移動して、作業を続けた。こんな、アイデアをふんだんに含んだ自家製の加工機は、長い目で見れば、きっとプラスに働いてくれると期待しているのだが、どうだろうか。さらに、検証を続け、さらに 例のお問い合わせの件で、何らかの今後の方針と、それに伴う何らかの前向きで有意義なアイデアをたらふく練った構成を、考えて行かなければならないようだ。それにしても、何とも、不思議なものだ。一体いつまで続くのか、この国、不思議の工業立国日本。一体 いずこともなく、加えて、一体どれほどとも知れず、不思議なお問い合わせは、今日も続くものだ。この底辺に広がる、技術力の果てしない太平洋の海のような広がりを、今日も肌で、否が応でも合点させられる日々ではあった。それは、世界中、どこの国でも取り組んでいるであろう単なる 『ものつくり』の一言に尽きるのに、こうして、6年、ご縁あって、こんなHPをUPさせて頂きし時より、実に、未だに、尽きることは無い不思議なお問い合わせの数々からしても、この国、工業立国日本の 得体の知れない底力というのを痛感せずにはおれないのだった。延々、6年、決して途切れることなく、そんな不思議なお問い合わせは続く。これは、画一化された教育が問題なのではないのだろう。きっと、そんな時代を抜きん出た連中にとって、全くそんなことは問題ではないのだ。画一化、或いは強制された中であっても、拘束されずに、気ままに自由に徘徊できるのだ。だからこそ、こうして不思議なお問い合わせは続くのだろうか。ひょっとすると、これは、もっと自信を持ったほうが良いのかもしれない。ここは、世界に冠した、工業立国に違いない。
2007年10月11日 雨後曇り 30度水準的26度前後
今日も例の製作が続いた。有難い事に様々なお問い合わせも続いた。日銀の短観によると、まだ、緩やかな景気拡大のトレンドにはあるらしい。まあ、お上がそういう結論なので、そうなのだろうが、街角景気とは、懸け離れているのは、少し寂しいものだ。恐らく、お上の深い読みでも、おありのことなのだろうか。例えば、国内犯罪数の統計なども、マスコミなどは、可也作為的な発表をすることがしばしばあるものだ。過去10年の犯罪数は年、数パーセント増加していると言ったグラフを見せて、「ほら、気をつけなさい。犯罪は増えて社会は荒れてきていますよ」と世論誘導することがあるのだが、それを昭和20年からの統計グラフにまで、延長してみてみると、何のことは無い。昭和35年頃をピークに年々急激な減少を続け、最近はそのピーク時の6分の1にまで減って来ているという事実が読み取れるのだ。確かに日本は、世界一の警察国家であり、世界からすれば、極端に犯罪の少ないのは、警察の日夜取り締まりに目を光らせているご努力の結果ではあるのだろうし、国民性もあるのだろうが、一方では、当時の世情を考えれば、矢張り、犯罪の主たる原因は、生活苦、によるのだと言うことは容易に読み取れるのだ。そして、昭和35年から6分の1に激減した状態であると言うことは、国内全体として向上してきた、それだけの平均的な生活の状況であると言うことになるのだろうか。だから、昭和35年、日本の高度成長が始まる地点と比較するなら、現在は、物凄い、豊かな時代が継続していると言うことになるのだろうか。短観程度では翻らないようなものが、周辺近隣には広がっている筈、なのだろうか。斯様に、60年程度のスキームで景気を捉えるなら、明らかに未だに、国内は国家始まって以来、歴史的な好景気の世紀が続いていると見ることも出来るはずだろうか。しかし、どうも、、、、
2007年10月10日 曇りのち晴れ 30度
今日も例の製作が続いた。引き続き、急ぎの製作があり、作業には誠心誠意前向きに頑張る以外、何も無いのだろう。そんな中で、先日のある素材の加工性について、相当な誤解が生じていたことには確かに、力が入った。まあ、仕方の無いことか。ここは、発泡スチロール屋ではあったし、その素材に関して、どうかああかと聞かれても、正直1字違いでそれ程異なるとは、解る範囲でしか答えようがなかったのが、この6年だったのだろうか。それに近い素材は確かに在庫は何時もあったし、似たもの同士の素材程度だったのだろうか。まあ、こうして、有難くも、全て、お問い合わせのユーザー様からの暖かい知識或いは、微に入り細にも もう一つ入った情報のお陰、そしてその積み重ねで、ここまで来たのには違いない。例えば、ポリプロピレンに関してだ。何だ。そうだったのか、という結論は極めて単純なことではあったのだが、この6年の商売チャンスはフイになっていたのは事実だろうか。確かに、違うのだろう。しかし、見た目には同じ様なものでもある。結局は、実際に手に持って、いじくりまわして、切ったり貼ったり、ねじったり、引っ張ったり、アセトンでもシンナーでも吹っかけてみるなりしない事には、本当のことは解らないということだ。
ポリエチレン
ポリプロピレン
発泡スチロール
2007年10月9日 雨後曇り 24度
今日も朝から例の製作が続いた。急ぎの加工について、さらに腹をくくって製作に掛かっていた。掛かろうと終始頑張る心算でいた。10時前、フィリピン政府から電話。他でもない、本当に政府からだった。最初、全くピンと来ず、いくら耳を澄まして聞き耳を受話器に押し当てて聞いても「ふぃりふぃりの政府」がどうしたこうしたと聞こえてしまった。それで、「ふぃりふぃり」って一体何だろうかと、電話の受話器を持ちながら、相手を差し置いて、一人考えていた。そう言えば、スタジオジブリの宮崎駿監督の次回作品が、主人公が魚で、その魚の名前が確か、そんな感じの名前になっていたような違うような、取り合えずそれに近いのを思い出した。そうか、きっと、早速、その「ふぃりふぃり」を製作したいのだと言ったお問い合わせなのだろうと、全くの早合点ではあったが、そう急に自分だけ強く納得していた。その後は何とか電話の内容をオウム返しにして、用件が済み、最後に、もう一度お名前をお聞きしたいのですが、と念を押して尋ねると「ふぃりふぃり政府の観光省です。どうぞ宜しくお願い申し上げます」と大変丁寧なご返事が返ってきた。しかし、それでもまだ、一度先入観を持ってしまうと、人間固まってしまうものだろうか。受話器を置いて、3,4分、まだ、気が付かなかった。5分過ぎ、漸く、あれー、ふぃりふぃり」じゃないなあ。あれは、やっぱり、「フィリピン政府」やー、と漸く、疑っていた耳を信じるようになった。改めて、こちらから電話をすると、受付では案の定、フィリピンの公用語の英語でのアナウンスがあった。(急いで日本語の係りの方に回してもらったのだが、とっさに英語を切り出されると、全くしどろもどろになってしまったが、、、、、) インターネットと言うのは、このこと斯様に実に不思議なものか。そして、また楽しいものだ。
2007年10月8日 雨 25度
朝から例の加工機 2種の更なる改良に掛かっていた。一つは、例の「ガタピシルンルン♪♪ とんとん トンボ返しで(小休止)
ガタピシルンルン♪」の方だが、いっそ、トンボの向きを左右反対にして動きを調べてみることになった。確かに、数秒の稼動短縮にはなるようだ。だが、矢張り問題は、その小休止のロスだろうか。ここを取るには、赤とんぼや鬼やんまといったレベルではなく、古生代の昆虫全盛期に栄えたという 2mの古代トンボを走らせなければならないのだろう。そんなスペースが無い。では、小スペースでも可能なのは、立体式にすることだろうか。いっそ、4mの回転ループ形式にしてしまえば、滑空は可能ではないか。或いは、シーソーのような、反転返しの無尽回数を重ねるような発想で、助走に出来ないだろうか。或いは、そう考えて、更なる改良に取り掛からなければならない。一方、メートル球の加工機ではあるが、その数センチのぶれの原因が解らなかったので、芯に思い切って、杭を打ち込んでみた。そうすれば、ぶれの起きようが無いはずだった。結果は、思いがけない所から解決となった。左右の掛け軸の掛け位置に2センチの芯からのずれを見落としていたのが解ったからだ。これにしても、結局は、疑いのありそうな点をひとつづつつ塗り潰して行く他に、正解は出てこないと言うことだろうか。今回、再び、ニクロム線を使って表面の切れ具合を計ったが、矢張り、この方が、遥かに柔らかい仕上がりになるのだろう。後は、この加工機にしても、如何に稼動時間を短縮するかに掛かっている。噂では、削り加工の方法によると、何と、3、4時間で荒削りまで行ってしまうそうだ。すると、最低ニクロム線を4本は、張って行かなければならないのだろう。面の対角に1本づつだろうか、そして、そこから、どうだろう、60度程度ずらせて張ってみることになるのだろうか。その為には、基盤のぶれがゼロに限りなく近づけなければ、様にならないだろうか。このような、木組みのつなぎ合せで、どこまでそれに迫れるだろうか。やってみる他にない。
2007年10月7日 晴れ後曇り 28度
今日も朝から例の工作用の小道具の改良になった。事は急がなければならないからだ。本当に我々中小では、休みは無いのだろうか。実例の更新が遅れていたので、ページの更新に時間を割いでしまった。何とも、残り時間が無くなっている。作業を急ごう
2007年10月6日 晴れ 28度
朝 駐車している車のフロントガラスが曇っているのを見て、ちょっと驚いたが、気象庁の予報が、もし暖冬予測でも出しているのなら、逆に、今年は、これから何となく氷河期並みに寒くなるような気がするのは、単なる天邪鬼からだろうか。今日も例の製作が続いた。斯様に、どうやら、お上の予測とは逆に、巷では、不景気の嵐が吹き荒れているようだと、また、近くの材木屋さんが、ひょっこりお見えになっては、愚痴り飛ばして、お帰りになった。どうもこうも致し方ないのだろうか。このまま、ストップした状態が続くことも無いのだろうが、じわじわと、カウンタパンチは、こんな町外れにまで、利いて来るのだろうか。あれは、もう6年前だったろうか。街の材木屋がバタバタ倒れて行った時期があった。それは、関西の失業率も12パーセントもあった頃だから、業界のみの出来事でも無かった訳だ。それに比べて今回はどうだろうか。例えば、国内新車販売は減少しているようだし、景気の牽引役としての輸出型の業界の方は、国内景気にちゃんと恩恵を振り向けているのだろうろうか、解らんなあ。猛暑が続いて、秋物が売れず、しかも、折角の猛暑だったのに、7月までの長雨でエアコンの売り上げも思ったように伸びず、地価の値上がりも、点と点を結ぶところまでで止まってしまって、全国規模にまでは、遠く戻っていない。医療費が上がり、質素倹約で堅実な生活が優先されるので、消費も伸びないってことだろうか。例のとうもろこしへの転作の影響で小麦が上がり、果物が上がり、野菜が上がる。これは、もう「激しいインフレ」に入っているはずなのに、所得は下がり、物価はどんどん上がり、、、、何と困ったことか。と、そんなことをここに書いても仕方が無いか。機を見るに敏。危機をチャンスに変える努力は、我々中小企業で「ものつくり」に当たっている者にとって、常に心しておかなければならないのだろうか。
2007年10月5日 雨後曇り 気分は31度
今日も例の製作を続けた。先日より製作していた例の加工機は、その後、2,3さらにアイデアを加えることで順調に動き出したのは大変有り難いと言える。名付けて 「とんとんトンボ返し」とでも呼ぶことにしよう。何ともその稼動部が、優雅なトンボの舞に似ているからだ。ただ、残念なことは、静なトンボの舞では無く、 ガタピシルンルン♪ ガタピシルンルン♪ と言った変ロ短調な雑音が響きわたる事だろうか。 とんとんトンボ返し で(小休止) ガタピシルンルン♪ とんとんトンボ返し で(小休止) ガタピシルンルン♪ ということになるのだろう。有り難い限りだ。早速、本番になっていた。
そして、この8月にもこのページでお伝えしていた、住宅着工総数では、本日、新聞の囲み記事に、警鐘をならす一文が出ていた。例の、耐震偽造事件に架かり、6月から建築審査の法律が変わり、途端に、新規住宅着工総数が、全国で7月に前月の3割減、8月にさらに7月の2割減で、9月は、それに輪を掛けて、着工数が落ち込んでいると言うことだ。6月までは、例年殆ど数字に変動が無かったのが、前年比で50パーセント以上の落ち込みというトンでもない数字が出ていると言うことだ。この為、GDPはプラス2パーセントからマイナスに激減する見込みになったそうだ。新規住宅のこれ程極端な落ち込みは、産業全体のあらゆる設備投資の減に繋がっていくのだろうか。そりゃそうだろう。新しい住宅が出来たら、室内装飾品も、電化製品も、家具まで新調されるのが、全てばったりと停止してしまうのだ。僅かに、輸出産業のみ、何とか回っているだけか。それでも、全産業に占める割合と言っても2割弱なのだ。確実に、不景気の足音が近づいているようだ。この先、半年の動向を読む時、ここに、注意していかなければならない。この現状を前にして、我々は、どう手を打つべきだろうか。いっそ、2割の輸出を切って、20円30年の円高にして、ガソリン代も半減にして、国内景気の建て直しへ向けるのだろうか。まあ、我々下々の者には、お上のことは解らない。注意深く、見守ることぐらいかなあ。
2007年10月4日 晴れ時々曇り 30度
大変有り難い事に今日も例の製作が続いた。例え、1個何銭と言った手間だけ膨大な加工作業であっても、無いよりはまだ僅かにマシだという気持ちで作業に掛かるしかないのが、我々中小企業の悲哀ではあるのだろうか。それでも、決して挫けず、前向きに頑張る他に無いのだ。頑張って、頑張って、只管、前向きに誠実に、事に当たって行くしかないのだろう。世間では、値上げ値上げで、どちらが先に音(ネ)を上げるかの根競べが続いているのに、また、遠方のどこかの体力の無い同業者が、店を畳んだと言った噂が、いち早くネットを通してこんな所にまで伝わってくるのだから、何とも悲しいかな、隠しようがない。住み難い世の中になって来たものだ。こんなネットを通して、情報を頂ける向きには、確かに有り難いものだが、そして、世の中の動きが、間髪入れず、同時系列で、最前列の現場の我々に迫ってくるのだから、受ける方としては、確かに、ぞっとして、はっとして、思わず後ろを振り向かずにはおれなくなるものだろうか。ここで、再度、ふんどしを締めなおさなければならない。そして、再度、対岸の火事とせず、わが身を省みて、取り組んでいかなければならないのだろうか。 、、、本当に、今回のサブプライム問題の事後処理に伴った世界的金融緩和は、インフレ傾向の中の金融緩和であった為に、バブルの再来があるというのは、本当なのだろうか。田畑まで食糧危機で、値上がりし始めるのだろうか。こんな危機を、如何にチャンスに変えて、商売につなげろと言うのだろうか。大上段から見た情勢の中で、まず、足元を固めることからしていかなければ、ならない。
2007年10月3日 曇りのち時々小雨 28度
今日も例の製作が続いた。まあ、世間のことは我々のような、下々の つまらない輩からすれば、特によく解らない、捉えようもないものなので、敢えて、横に置いておく位が関の山だろうか。ここでは、再度、製作方法に関して検討を加え、如何に次を狙えるかを考えていくことの方を優先しなければならないのだろうか。それが何年経っていても、全く変わらないような態度で、そして孤高の学究のような姿勢で、再度、現状を確認し、そして、足下を分析し、そして、出来るならば、何らかの方策を発信していけたら、良しとしたいものだ。これから、一体どうなるというのだろうか。そして、どうするべきなのだろうか。何処に、如何に、それが、出来うるのか。まず、考えなければ、先には進めないと覚悟するべきだろうか。たかが、発泡スチロールなのだが、されど、発泡スチロールだ。しかし、その、余りにも短い前提に対して、命までも賭して良いものなのだろうか。ここでは、何を考える必要があるのだろうか。かつて、あの象牙の塔にて、今は亡き恩師は、将に、倒れる瞬間においてまで、その愛用のペンで、最後の最後まで、この期に及んでまで、その究極的関心事とは何ぞやを論理展開するために、大学ノートに、文字を追っていたそうだ。不幸にして、教え子から受けた善意の輸血から、最悪の事態になるとは、誰一人予想だにできなかったわけだが、事件を語らず、事件とせず、ただ、これとて、唯の 周辺的関心事に過ぎないと、掃いて捨てたのは本当だったのだろうか。そこに、記されたのは、未完のそして未発表論理であったのだろうか。最早、知る術もない。その位にまで激しくも、強く、考えて行くべきであろうか。、、、、、考えて、考えて、そして、タオルを絞るように考えても、今の所何も出ない。時間だけ過ぎたようだ。 腹が減った。では失礼
2007年10月2日 晴れ 31度的28度
今日も例の製作が続いた。世の中、格差は一段と広がっているようだ。昼間見たテレビから、臆面も無く富裕層はどうしたこうした、富裕層を狙った販売戦略だ、などと言った形容詞が氾濫していたのは、一方に、白々しくも、横文字がそんなに良いのか「ワーキングプア」と言う新規現代用語を好む向きと何となく対比させられるのは、悲しいものか。貧困層の拡大は、ここへ来て、堰を切ったような広がりを見せているのは、一つには、団塊の世代の大量退職が、今将に、進行しているからだろう。働かなくても食えるのは、極一部なのだろう。大半は、所得が半減しても日々食べて暮らすためにも、何らかの職を求めて、働き続けなければならない悲哀が待っているのだ。そして、一方では、矢張り、そうして起きている、第2次産業、その中心の製造業の長期凋落傾向が、この、極端な2階層をつなぐ、中産階層を徐々に消失させて来ていることが、原因なのだ、という事らしいと、どこかのコラムにあったのを思い出した。ならば、余計に、力が入るものだ。何とか、その端くれに位置する我々のような「ものつくり」の現場を、活性化させて、且つ、少しでも持続して行かなければならない、というのは、こういった格差に対抗する意味、社会的責任ではあるのかもしれないなあ。そうだ。確かに、構造改革の名の下、競争原理と営利追求一辺倒は、この国の古き良き伝統を失なわせて来たのかもしれない。、、、、、、郵便局も民営化し、金利もつかない なけなしのお金を、だれが、また 騙されて、信託か何かに入れるやつがいるのだ。どうせ預けたら、3年もすれば、半減しているものだ。先に、金利を上げろよ。金利を5パーセント位にしてから営業に来いよ。本当に、毎日楽しみにしていた、中学の同窓生のs田くんそっくりの郵便局の配達員さんも、もう何処かへ配置換えになって、ここへは来なくなってしまったのだ。もったりもったりしていて 、本当に声までそっくりだったんだ。今年の8月には5年ぶりの同窓会があって、s田くん本人に会って、何度も何度もしげしげと顔を拝んで、「やっぱり似ている」と確認して来たところだったのだ。楽しみが無くなった。実に困ったことだ。
2007年10月1日 曇りのち晴れ 28度
今日も例の製作が続いた。朝から、固定電話の回線の調子が良くなく、先方側、ほぼワンギリ状態で切れてしまうと言った状態で、受信側は、電話のベルが一瞬鳴るが直ぐに切れてしまう、今日は何とも妙な一日かなあ状態が、終日続いた。NTTの工事の方に来て頂き、原因を探してもらい、どうやら、回線の電柱側と会社側への引き込み部の接続が良くない状態になっていることが、夕方になって漸く見つかり、急いで修理工事をしてもらう。夕方、掛かってきたお客様にいちいち、お尋ねしてみると、何度もお電話をして頂いていたことがわかり、大変ご迷惑をお掛け致しましたと、平身低頭にて謝罪したが、これが、都合 4件になった。ので、ひょっとして、昼間、もう少し多くのお問い合わせが、回線に繋がらない状態があったのでは無いだろうかと、心配になっていた。取り敢えず、原因が解り、修理も終了して、明日以降の電話回線の様子を待つしかないのだろうか。本当に、お問い合わせが、電話回線が焼けるほど、これだけ多いのだろうか。の訳で、時間がない。では、失礼
2007年9月30日 雨 20度
朝から雨。近くの小学校の運動会は2年連続で中止のようだ。あれだけ、毎日暑い晴れた日が続いていたのに、今日に限って終日雨となった。例の35mm角3000個も集めて一体何を製作なさるのか、サッパリ解らないが、こんな雨では、この先どうなるのだろうか。担当者様の悲鳴が聞こえてきそうだが、きっと、また直ぐに晴れた日に戻るさ。帰り、『一日30分は勉強しろ』という本がベストセラーに入っているのを近くの本屋で見た。そうだ。こうして、日々、自省することも雨読することも必要か。おや、実例集の更新に時間を費やしたようだ。では、失礼
2007年9月29日 曇り 23度
いきなり季節が変わったようだが、有難い事に、今日も例の製作が続いた。加工に関しては、特段 これと言った本日的な話題とまで取り上げるほどのことは無い。だから、今日のように、繰り返し作業が延々と続く中で、却って、終始、そして再度、周辺を見回し、今後についてを考える余裕は、このような時に生じるのだろうか。発泡スチロール屋が、また今日も、こうやって、例の製作を続けるにおいて、何をどうして、こうなるのか、と、書いては行く心算ではあるのだが、その現状を論じていくのに、少なくとも、何らかの意義を見出せるのなら、矢張り、偶然かそれとも探しあぐねてか、ひょっこり、こちらに訪問される、多くの若い方々に、「何かを伝えること」にあるのだろう。やがて、社会へ巣立っていく若い方々に、その何かを伝えようとして、この5年をこのような形式で、費やして来たのだろうか。それは、また、自省と独り語り、或いは希望と願望の単なる、書き殴りの連続であったのかもしれないが、しかし、それでも、こんな小さな所でも、常に、頑張って、努力を続け、前向きに、只、ひたすら前向きに、力尽きるまで、製作作業に、或いは、開発作業に、精出して来ているんだと、言った短いストーリー性のこもったメッセージではあるに違いないだろうか。これが、我々の仕事なのだ。頑張れ、負けるな、投げ出すな。頑張れ、頑張れ。失敗してはやり直し、また失敗してはやり直し、そんな繰り返しを何十年も続けて来ているのだ。たかだが、数日数ヶ月で、一体何が出来るというのか。、、、、、、否、そうではないかもしれない。これは、ネットという同時代の、今、将に同時進行する物語ではある。ただし、他のネットのように、同時進行で、話の掛け合いで、共同作業的に文章を作っているのではないので、一方向的な発信に限定はしているのだが、恐らく、この同時代的な広がりは、過去、時代の過渡期によく見られた現象らしいので、きっと、これから、世界に さらに本格的な文化の激震が来る前触れでもあるのだろうから、全く否定する心算は毛頭ない。やがて、淘汰されていつしか、次の偉人が出現するのだろうから。こちらでも、文章の共同作業的な構成は、例えば日々、「お問い合わせ作業」を通して確かに実地で勉強しているには違いない。だから、却って余り面白そうでないので、特に、こちらのコーナーでは偶にしか取り上げることもないだろう。____しかし、では、こちらでは、何を訴え、何を画面に残せるのか。世界はどんどん狭くなって来ているのだ。それとも、依然人口の増加は続き、多種多様な文化を背負った次世代の若者が、狭くなった世界に、逆に、新しく見い出す世界は どんどん広がっていくのだろうか。
2007年9月28日 晴れたり曇ったり 31度
今日も例の製作が続いた。また、昼休み、NHKのドラマを見ながら考えていた。まあ、ドラマだから、ストーリーを先延ばしは出来ないから、どうしても無理な筋立てはあるのだろうが、あの自動車会社の会長が「勝つか負けるかだ」といったセリフだけが、またまた妙に耳に残っていたのは、こちらとしては、ドラマの展開を、全く無視しているものだったが、それでも、ぐさりと心の奥深くに突き刺さるような激震がしばらく続いていたので、それはそれで良いのかもしれない。戦後、60年が過ぎて、今も、世界の枠組みには特に大きな変化はないのだ。焼け野原から、着の身着のままで、バラック住まいで再スタートした向きもあれば、進駐軍の持ち込んだダンボールに賭けて、新規に商売を始めた向きもあれば、あちこちで様々な 無数の、中小企業への発展の新芽が一斉に出てきた時代は、同時に夢多い明るい時代でもあったのかもしれない。そして、現在、一斉に花開いた可能性のほうは、どこへ収斂していったのだろうか。オイルショックもあれば、長いバブルの後遺症が続いていた時期もあればで、その後、今に至るも、トップが考える基本は、その一言によって貫かれてきたのだろうか。「勝つか負けるか」。 だから、我々は、どちらを選ぶのかと言えば、勝って行かなければならない。決して、怯むことなく、常に前向きに、前進あるのみなのだろう。では、どうするか。戦略と戦術というが、まず、乾いたタオルでも、アイデアを絞って、勝つための道具を考案していかなければならないのだろう。先日、例のムカデの回転焼きのような道具を考えたのも、確かにその一例ではあったし、そして、とんからりん♪とんからりん♪とんとんからりん♪♪ の機織り機械音のする積み上げ機にちょっとした工夫の道具を組み合わせることでの加工の応用もその類であるに違いない。そう言う事だろう。車の両輪があるのなら、常にそのような技術の向上を続ける必要はあるのだろうが、さらに、もう一輪の、新規性のある商材の開拓、或いは開発は、さらに、ぴりりとした辛子の効いたアイデアが要求されているのだ。そうだ。勝つ為に、さらにその検討を継続する必要は緊急にして逼迫しているはずだ。で、さて、どうするか。
2007年9月27日 晴れ 28度
何はともあれ、有り難いことに、今日も例の製作が続いた。2件 バタバタしていた為に写真に収める所まで至らず、そのまま発送してしまったのを後ほど悔やんでも仕方がないか。実に妙な形状ではあった。トンでもない形状ではあった。不思議な形状と言ったほうがさらに言い当てているようだ。確かにこの件で、映像がなく、説明のしようがないので余計言葉で説明してしまうと 欧米的でミョウチクリントン的なのだとしか呼べないのが残念だが、翻ってみれば、お陰様で、他にも実に様々なお問い合わせも続いているものだ。そして、今回のお問い合わせでも、いよいよ、どうやら 本当に 発泡スチロールで巨大なピラミッドを作るのだろうか。それだけ、沢山のキューブを積み上げていけば、見上げるような大きさに組み上がっていくのは、ほぼ間違いないのだが、そこまで、本気になって、いざ、実物を組み上げようという心意気だけは、相当なご様子なので、出来上がれば是非 ご紹介したいものか。ひと読んで発泡スチロールで作る「水上ピラミッド」だろうか。本当に上手く行くと良いのだが。よく解らないが、力士の世界にまで いじめが入り込んでいる 斯様な世知辛い世の中だ。そんな夢はあったほうがいいのだろうか。
そして、東京の方の大学研究機関からのご連絡で、例の材質Xで作る一刀彫り液体窒素保冷容器が、1年半以上 順調にお使い頂けていたとのご報告をわざわざ頂きまして本当に有難う御座います。NASAで宇宙ロケットのタイルに使うような接着剤で発泡スチロールを繋げて頂き、液体窒素を入れてお使いでしたが、それがこの間、上手く行けていた、という事実のみで、本当に大変有り難い限りで御座います。矢張り、それなりのコツがあるようですね。今後の現場の励みになりました。重ね重ね、有難う御座いました。思い起こせば、今から6年前、東京の光都市設計の鈴木先生(共立女子短大講師)のアドバイスも御座いまして、このような容器を製作することになり、以降、実に様々な形状及び、材質にて液体窒素の容器を製作して参りました。皆様のご協力ご鞭撻のお陰で御座います。再度、再々度、お礼申し上げます。有難う御座いました。
2007年9月26日 曇り時々快晴 30度
今日も例の製作を続けた。が、本日は全く時間がなくなった。矢張り、こんな時、何処かの、日に何十万件も訪問者があるページと言うのは絶対に仕事をしていないで更新だけしているのではないか、と疑いたくなるものだ。現に、我々のような製造業で、しかも納期に追われていると、このように絶体絶命的短期間の超ウルトラQ加工等が立て続けに重なったりすると、もう時間がどうのこうのと言ってられないものだ。実に不思議だ。どうやってそれだけの時間を捻出出来ようか。おっと、もう機械のスイッチを切り替えだ。では、失礼
2007年9月25日 朝方まで雨 のち曇り 31度
今日も例の製作が続いた。様々なお問い合わせも続いた。つい、三越の誰それだったか、「損しても義理を重んじて客先の信頼を得て、今日まで拡大して来た」と言ったつまらない一言が終日脳裏を離れず、例のお問い合わせの件で、結局、客先を立てては、紹介また紹介が重なった。不思議と紹介をし出すと、これもまた重なるものだ。勿論、紹介に、他社がしているような下手な紹介料は一切取らない。そんなもので、商売をする心算も毛頭ない。それよりも、例のNHKの連続ドラマで加賀見家旅館の女将が「おもてなしの心」と言うのに気分的に似ている程度だろうか。紹介して、客先が喜んでもらえれば、それで良いのだ。こんな、発泡スチロール家業を先々代から数えれば、昭和23年からだから、60年近くは過ぎているので、それこそ、狭い業界だ。様々な紹介は出来るのだろう。こんなことで、損しても全く構わないと言った太っ腹で居なければならないのだろう、その三越の社長か誰かの言によれば。まあ、そんなことも時にはあるさ。では、失礼
2007年9月24日 曇りのち雨 31度
今日は少しは涼しいらしいが、それでも予報は32度と言うのには閉口する。我々にとって、唯一の資本は、体力なのだ。暑いだけで、何にもせずに、汗だけ たらして、体力を消耗していくのは実にもったいない限りだろうか。今年も、早、残り3ヶ月と少しになっている。ここで、再度、国内外の情勢の分析と、それに対応すべき業界への基調説明、或いは当社の方針と言ったものの検討が必要だろうか。巷では、『会社は頭から腐ってくる』と言った内容の本が出たらしいが、それは何も、会社だけではない。国家天下もそうだろうし、半値赤札につられて、近くのスーパーで急いで買って来た いわしの頭も、こんな猛暑では、直ぐに腐ってしまうものだ。腐らせてはいけない。腐る前に、断固、麦味噌でくるんで醗酵させておくべきなのだろう。そうすれは、長持ちするし、食べられる。(いやーどうかなあ)。会社についても同様だろうか。常に、この情勢の変化の中で、臨機応変に対応していかなければ、いい味は出せないようだ。ここに、結論をたらたら書き流しても、我々のような所では、状況を照らしたものには決してならないだろう。全ては、変化の内に消えていくのだから、それより、脳味噌のトレーニングに励んでいた方が、余程有意義だろうか。すると、矢張り、情報収集が先か、それとも、その分析が先か、はたまた、目的をはっきり出すことが先か。そうだ。ここは、単なる一営利企業である。この目的は、何か、を今一度再確認すべきなのかもしれないし、さらに、その中で構成する我々の生き方が、その営利企業とどう対比するのかも再確認は必要だろう。まあ、そのようなことが、50を過ぎてこんな年齢になって来ると、皆、解っているのだろうなあ。最後は、兎にも角にも、健康で長生きした方が勝ちやろうなあ。すると、こうなるか、「健康で長生きする為の営利企業にするにはどうするべきか」と。可也の矛盾だろうね。大概、その為に、まず、企業戦争の中で、営利を追求するしか他に無いのだから。では、その激しい戦いに勝つ為に、しかも「健康で長生き」できるようにするにはどうするべきか、の問いに答えなければならなくなる。んーん、共通項で答えるなら、矢張り、「頭を腐らせないように醗酵させること」だろうか。任天堂の脳のトレーニングには、他人と上手に仲良く付き合える脳のトレーニングゲームというのが無いね。戦いばかりだ。もっと、仲良くなるゲームは無いんだろうかなあ
2007年9月23日 晴れ 34度
確かに、この暑さは尋常ではない。通例「暑さ寒さも彼岸まで」で峠を越えるのだが、今年は、そうではないようなので、矢張り、気候の異変が次の段階に大きく踏み込んだのだろうか。仕事にならない。折角の、まとまった時間を見出せても、こう暑いと、話にならない。頭をひねって、アイデアを出せと言うぐらいなら、近くの図書館で好きな本に埋まって気持ち良く昼寝でもするべきだったが、残念だが、今日は休館だ。何処かの本屋で長居するにも、こう頻繁に涼を求めて通っては、例の店員と顔馴染みになっているし、もう少し、間を開けて、何気なく 偶々新刊が出た頃なので通りすがりに立ち寄った、と言った程度で、店員を横目で振り切るようでなければ、どうも体裁が良くない。困ったものだ。こうして、振り出しに戻って、貧乏人にとっては、またまた鐘の鳴らない仕事しか、行き場所がないのだろう。こうして、今日も例の製作を続けることになった。世界の情勢が、どうなっているのか、最近は てんで、関心が無くなって来たのは、単に、この暑さだけのせいではないのだろう。もっと、関心を持てと自ら急き立てて見るのだが、良くない傾向だ。この前、メリケン粉が10パーセント値上がりして、カップラーメンやサッポロ一番も値上げだと言うので、食欲も減退し出したのが、原因だろうか。 そう、世界的にはインフレ傾向は、基調として進んでいる。、、、、おっと、また長くなりそうだ。では、失礼
2007年9月22日 晴れ 35度
8月が2回来ている様だ。9月も3回来れば、これをもって、今年から季節の「冬」は無くなるのだろうか。まだまだ何十年も先の話かと思っていたが、地球規模の季節の異変は、こうしていきなりアウフヘーベンするのだろうか。大阪の中高学校でも、また熱中症で倒れた生徒さんが、何人も出たと、お昼のニュースで流れていた。昨日も書いている。それ見たことか、と言ったところだろうか。気をつけなければならない。それとも、体力の消耗戦が継続しているのを甘く見てはいけないと言うことだろうか。校内年中行事を優先してはいけないのだろう、注意だ。 フランスにある重さの世界基準の1キロゲージも、急に 0,5パーセント軽くなったそうだから、地球の回転速度まで、速くなってきたのだろうか。なるほど、それなら 偏西風も地球の回転に抗しきれず、弱まって、太平洋高気圧が巨大化してくるのだろうか。ひょっとして、当たっているのかもしれない。隕石でもぶつかって、地軸が少し、ぶれたのだろうか。解らない。 そして、今日も朝から例の製作が続いた。例の変な形状の加工は漸く、完成をみて、直ぐに発送の手順になっていた。また、簡単な工夫も1点、実際にそれを使ってみて、ある程度の時間短縮の効果は、確かにある、と言える様だと解った。工程的な見直しについても、2,3提案はあった。だから、どうだと言うほどでもないのだろうが、それなりに進めていく必要はあるのだろう。おっと、もうこんな時間だ。では失礼
2007年9月21日 晴れ 34度
確かにPCを定点固定にしてしまうと、全く時間がなくなる時と場合が頻繁に起きるようだ。今日も例の製作が続いた。また、様々なお問い合わせも、有り難いことに続いた。そして、このような時間になっている。まあ、今日も実にあれこれと走り回っていたものだ。更新などは殆ど出来てはいないが、例の件で一件、トップに1行割いて、ページを作ってみたのが、それはそれなりの確かな一歩ではある。客先にも「腹をくくって製作に掛かってみます」とご返答した件ではあるが、本当に、これで、全国から問い合わせが来るのかどうか、そこまでは、余り深追いはする心算もない。まあ、出たとこ勝負なのだろうなあ。では、この辺で メシにします。
2007年9月20日 晴れ 35度
今日も朝から近くの京都の中学の体育祭で熱中症で倒れた中学生が何人も出たといったニュースが、それ見たことかと言ったムードで流れる中、例の製作を急いだ。まだまだ、幾つかの課題はあった。例えば、例の水耕栽培用の水槽セットの件で、在庫はないか、と言ったお問い合わせにも、対応が必要であるのは確かに相違ないが、例の モルタル性のセメント水性塗料でも、特に 植物栽培に限定して行くのであるから何ら問題ないし、その方が断然、安上がりで且つ、発泡スチロールの特性 つまり 表面積が素晴らしく広い、と言った点を突くのに、メリットとしてあるのではないか、と言った有難いご指摘に対する具体的な返答をしなければならないといった課題である。だから、これはこれで急がなければならない。この世界は、将に奥が深いのだ。まず、季節を見て、再度、実験栽培を始めると言ったことも必要になるのだろう。そこから、さらにフィードバックしながら次の作業につなげるのだが、確かに一歩また一歩と言ったところだ。個別には、さらに様々な事例が有り、それぞれに、頑張って行かなければならないのだろう。そう、目標を立て、それに向かって前進あるのみなのだろうか。今、何が必要か、何をして行かなければならないのだろうか。そう考えると、まだまだ次々と思い出す。これらは、有り難いことに、全て、この不思議なインターネットを通してお客様から先にお問い合わせを頂き、そして様々な情報を交換して行く、積み上げの中から さらにこちらも必死になって勉強を重ねている過程に生まれる課題なのだろうか。こんな、箸にも棒にも掛からないつまらない発泡スチロール屋が、何とか、5年、ここまで来ているのだろうが、まだまだ、このインターネットの不思議な世界は、余りにも広く、余りにも深く、高々5年程度では、よちよち歩き、程度なのだ。
2007年9月19日 晴れ 36度
今日も例の製作を続けた。確かに、「とんからりん♪ とんからりん♪ とんとんからりん♪♪ とんからりん」の機織り機械音のような音がする在庫積み上げ作業用機械は秀作ではあるのだろう。そこに、先日来、「ギシギシバッタン♪ギシギシバッタン♪」のムカデのような形状の加工機はこれも自家製ではある。試作的に動きを見る程度で 軽く製作した機械ではあったが、1年以上過ぎて未だに、このリズムでの繰り返しをしている訳か。そして、例の「するする すってんころりん♪するする すってんころりん♪」製作専用加工機も自家製ではある。これも、確かに小刻みではあっても、早2年以上の稼動実績にはなってきたようだが、未だに試作程度の構造と作りで充分な動きは確保してきた。つまりは、構造が簡単にして、一番の急所だけ、アイデア粉団にちりばめて製作していれば、充分対応は可能だということだろう。昨日来、改良に改良を続けている 簡単な球面体加工用の道具(加工機とまでは呼べないレベルだろうか)にしても、何とか、次の改良方針までは立った(@加工に用いる歯は再度ニクロム線に戻し、ニクロム線の切れ味にこだわるA回転の芯に何か固定出来るシャフトと ppを使ってみる)ので、再度1m球の試作が待たれる段階ではある。そして、今回 スペインかおフランスのような画台式加工用具をその例の加工の為に、試作を急いでいたわけではあるが、先日、祭日に何とか一定の成果をみることが出来たので、後は付帯品を組み立てるだけになる。これは果たしてどんな音色を奏でるのだろうか。取り敢えず、熱波のような暑さが続き、机上で、その構造をあれこれいじくりまわす程度しか前進は今の所ない。おっと、そう言えば、先日、モーターの破損によって仕方なく修理に出した発泡スチロール専用ボール盤という年代モノの加工機も確かに一台あることはあった。例の「穴あけ作業ぞ 嵐とよぶらん」の平安時代にはあったような古い加工機ではあるが、今回の修理のお陰で、また芯は出せるようになったようだ。だが、矢張り、一番いいのは、独自の加工用道具や機械類を幾つも積み上げていった方が、断然有利ではあるのだろうか。先は長い おー、セルパネの加工機も途中だった。、、、いやいや、忘れかけていたのだが、もう一件あるにはある。時間がない。貧乏暇無しか
2007年9月18日 晴れ 34度
今日も暑い中、朝から例の製作に掛かっていた。有難いことに様々なお問い合わせも続いた。そして、今日も考えた。結局の所、唯一、我々のような中小企業が、世界のグローバル化か何だが知らないが、何とか現状で生き残る道は、独自性を如何に打ち立てて行けるかによるのだろうか。それは、少なくとも、会社単位でのものではない。もっと、厳密に言えば、そこに居る個人個人が如何に強く生きて行けるかによるのだろうか。何も、弱肉強食の凄まじい争いをしろ、と言うのではない。ここは、ボクシングのリングでも無し、相撲の土俵でもない。我々のリングは商売取引きであり、土俵は「ものつくり」ではある。真剣に間合いをおいて、立会う剣道の道場のようなものでも、或いは無いかもしれない。だが、そんな吹けば飛ぶような中小企業だからこそ、そこで働く個人個人が、真剣に 客先との間合いを読んで、如何に次の必殺剣の動きを封殺し、如何に次の手を、見えないように静かに、そしていち早く 打ち出せるかの真剣勝負が、何時途切れるとも無く、24時間勤務状態で、延々と何年も何十年も 続いているものだろうか。ひょっとして、これは西洋近代学者の言うような単なる競争化の社会ではないのかもしれない。増してや、ゲームやお遊びではないし、それじゃ人生もったいないじゃないか。もっと、厳密に、日々勝ち負けのみが空を行き交う修羅場なのだろう。勝つか負けるかのみ、黒か白かのみであるのが、厳しい商売の最先端の、あうんの呼吸に秘められた実情だろうか。だから、そう、先日、nハム研究所のs君と話した時も、じーんとその一言に痛く共鳴してしまったのだろうか。「勝てば官軍、負ければ賊軍」の意味に。だから、ここで果たして復活はあり得るのだろうか、といった問題も出てくるだろう。増して、捲土重来ならば、それこそ、覚悟して掛からなければならない訳だ。そんな勇気はあるのだろうか。勇気ではない。アイデアでの勝負となる。間合いをよく読むことだろう。
何とか、昨日の簡単な加工機の製作は、一日掛けて答えを出せたのは、せめてもの救いだろうか。
2007年9月17日 晴れ 35度
朝から例の加工の件でバタバタとしていた。兎に角、まだ真夏の暑さだ。健康管理が最優先されてくるのが我々のようなモノを作っている中小企業だろうか。歌舞伎俳優が、足の痛みを押しても舞台に上がり続けなければならないのは、我々でも同じで、身体が資本のようなものだろうから、暑さに負けず、頑張る以外に無いのだろう。何とかしなければならない課題は、依然として山積みである。矢張り、こんな曲面でも、あれかこれかの選択的なことは取り辛いものではないのだろうか。あれもこれも、同時多発的に諸問題に当たって行くほうが、却って効率的と思うのは、単なる勘違いなのだろうか。よく解らない。大きく深呼吸し、さあ今日も作業だ。、、、65才以上が2700万人になったそうだが、発泡スチロールの加工品で、何かアイデアをひねって、そんな世代に使われそうなものはないだろうかなあ、などとまた余計なことを考えてはいた。
2007年9月16日 快晴 くそ暑い35度
天気予報では大阪近辺が晴天でその他全国的に雨マークが入っているので、くそ暑い大阪を除いて、曲がりなりにも他は、‘秋‘に近づいているのだろうか。こちらは気温も朝から25度では、8月の暑い日と何ら変わらないようだ。実に妙な天気だ。そして、今日も朝から雑用に追われておりました。例の加工機の件もあり、また、例の製作の件もあって、前向きに、唯、頑張る他にないのだろう。幾つかのまたアイデアをひねる必要になった課題もあり、貧乏暇なし警報、財布乾燥注意報なのだろう。幾つかの予定しているページの更新も間々ならない。焦っても仕方の無いことだろうか。何がどう動くのか、何が次にあるのか、少し考える時間が必要なのだろうが、‘秋‘のような季節でもないと、こう暑いだけだと、確かに、、、 おっと、そうだった
2007年9月15日 晴れ時々大雨 33度
流石に朝夕は、しのぎ易くなってきたのだが、こう いきなりの土砂降りの通り雨では、後が蒸し暑くなりすぎる、などという暇も無く、折角、2年前、台風10号で傷んだ屋根の雨漏りの修理を済ました箇所から、また 豪雨のような土砂降りに耐えかねたのだろうか、残念だが、雨漏りが始まったようだ。仕方なしか、、、。空を仰いで、そして、今日も例の製作が続いた。急ぎの製作が入り、この分だと、連休も何もあったものでは無いのだろうか。否、そもそも こんなネットを始めた以上、常に 常にお問い合わせは24時間体制にて受ける以外に無いのだろうから、仕方なしか、、、。そうだ。残念だが、これが、我々中小企業の融通の効かない仕事ではある。偶には、ぱーと投げ出して温泉にでも浸かりたいという気分も確かに解るようだ。まだまだ、これ程 日中、蒸し暑い日が続くとは、気分転換に足を伸ばしてゆったりとした湯船に 腰を下ろして、こんな日の溜まった疲れを思う存分吐き出してみたいなあ、と思うものだろう。、、、、、、、、、、、、、、、、んー、ここまで書いてて忘れていた。このページにはいつもリンクを貼っていたのだった。そう!、あの夢千代の里だ↑ そう言ううことなのだろう。だから、温泉って世界各地に在るんだなあ。急に納得してしまった。おっと、時間だ。作業を急がなければならない。では、失礼
2007年9月14日 晴れ昼過ぎ 通り雨 34度
一雨では逆に湿度が籠もって蒸し暑くなるのだろうか。今日も例の製作が続いた。急な製作もあり、終日落ち着かない日ではあったが、早いもので、もう9月も半月が過ぎている。昨日、お問い合わせの客先とお電話で、sントリーのことを噂していたら、今日は、何とも久しぶりだろうか、突然のお問い合わせがあり、驚いたと言うか、古い電話のせいか、受信状態がノイズ混じりで聞き取り難くかったせいか、聞き耳を取り替えて、聞き直しても「sントリーから電話だ」のところを「佐藤ーさんから電話だ」と聞こえてしまったのは、それだけ、久しぶりだったからだろうか。そう言えば、佐藤さんと言う方からも、こんなネットを何年もしていると、何人もの佐藤さんから過去 お問い合わせもあったことは 直ぐにわかるのだが、そのうちの何方かの佐藤さんなんだろう程度の認識しか、最初全く無かったものだ。そのうち、懐かしさが込み上げて来て、人生の様々な交差点が行き交うように、或いは 言い古された言葉ではあるが、一瞬、走馬灯のように、目の前を、さーっとよぎって行った。あの研究所へはよく通ったものだ。あれこれと、様々な知識を習得することも出来たのは、将に、あの部長さんのお陰ではあった。世界レベルの、最先端の、その不動だにしない素晴らしい実験現場を、何度も何度も拝見させて頂いたことは、未だに記憶に新しい。最近では、おっとと、時間だ。ではこの辺で
2007年9月13日 晴れ 34度
今日も例の製作が続いた。様々なお問い合わせも続いた。有難い限りだろうか。こうして、一歩づつ進んで行く他に無いのかもしれない。以前、あの三越の社長のインタビューを読んだことがあった。「義理を大切にしている。損しても義理を取り 今日の顧客を開拓するに至った」とか何とか言った内容だったと憶えている。そう言う事だろうか。ただただ、一人ひとりのお客様を大事に大事にして何十年と積み上げて来たのだろう。だから、こちらでも決して、僅かなお取引にも、甘んじて応対していかなければならないのだろう。その繰り返しだ。後は、運を天に任せる他に無いのだろうか。結局、最後は運頼みか。「努力が4割、能力が4割、そして残る2割の運」といった解説本も以前読んだことがあった。誰でも、こんな中小企業では、能力一杯、精一杯の努力を日々続けているものだろう。だから、矢張り、後は運任せとなるのだろうか。頑張るしかないのだ。前向きに、ただ ひたすら前向きに頑張る以外にない。前向きに倒れるまで頑張って、倒れてもタダでは起き上がらないぐらいの気力もいるのだろうか。 おっともう時間だ
2007年9月12日 晴れ 33度
今日も例の製作が続いた。それは何だろうか、よく解らない。昨日も、ひょっこり滋賀県の長浜で浄土真宗の寺の坊主をしているM君からお気遣いの連絡を頂いた。また京都で深酒への招待かと思ったのだが、どうも、雪深い 湖北の そのまた人里離れた竹林の中の檀家も殆どいない荒れた小さな自坊にも、春がやって来たのか、文明開化の足音か、 漸く、一台のパソコンが届いたそうだ。それで、情けなくも時代の流行か、先日より、お勤めもそこそこに、ホームページを見るようになったようだ。それで、早速、当社HPの感想などを直接連絡したくなったようだ。 確かに、また、どこと無く違った、大変人間的な視点から様々なご指摘を累々と頂いて、大変参考になった。有難いものだ。まあ、こうして30年以上も、偶に あーだこうだとご連絡を頂いていると、もう一声だけで、何が言いたいのかよく解るものだろうか。不思議なものだ。そう言えば、あれは、もう3年も前になるのだろうか。南御堂の青年部に属しているという若いご住職がバイクで見えて、発泡スチロールの加工品を発注頂けた事もあった。昨年は、高槻から本願寺派の矍鑠とした、如何にも好々爺そのものの笑顔が似あうご住職がお見えになり、お勤めの合間に始めた趣味の鉄道模型の製作でジオラマに使用する発泡スチロール素材はないか、と問われたので、早速、超硬めで軽い素材の15倍グレード品を大変廉価でお譲りしたこともあったのを思い出した。確かに、品格と言うものは存在するのだろうか。解らない。人は、内面への修行を10年20年30年と絶えず、決して留まることなく継続していくと、皆、その人の持ち味以上に、何か共通した 光るものが自然と伝わって来るのだろうか。振り返って、我々、物を作って売るだけのタダの商売人ではある。しかし、物を作るにしろ、営業で人と接するにしろ、何か光るものを内部に持つと言うことは、何か、何と言うべきか、他人に優しく共感できる所が、必ず在るものなのだろうか。そうだ。あれは、伝説の障子貼り職人 I君のことだ。不幸短命にして今は亡きI君だ。今思い返せば、彼にも、確かにあの光るものがいつも 着いて回っていたような気がする。そして、そうだ、、、、、数々の思い出。亡父の思い出。
何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙するなり
それは亡父が病床で最期の日、病院のベッドの横に置かれた本の開いたページにあった江戸時代の作者不詳の短歌である
2007年9月11日 晴れのち夕方から雨 気分はまだ34度
今日も例の製作を急いだ。急な依頼も入り、終日バタバタしていた。昼過ぎ、元建築家で木造の家なら朝メシ前で自前で建てられるという例の異色の監督が遠方よりお見えになった。最近の映画界の生々しい腐りきった賞取り合戦など噂話は尽きないが、流石に監督だ。今度は、地球環境の問題提起を舞台演劇で派手に押し出したいようだ。ふと、監督の例の風変わりな運搬用トラック(これが監督の数ある外車のなかで一番愛用している自家用車らしいのだが)に目が行き、後ろのへんてこに組み立てられた小屋と荷台をよく見ると、高さ70センチ程度だろうか、木製の水車が荷台の片隅にあるのに気が付いた。これも、監督自ら製作した水車らしい。「これは」とお聞きすると、実は次回のその演劇にも身体の不自由な方々に舞台の演出を一緒に手伝ってもらう手筈らしく、その水車も、足の不自由な方に第3幕か4幕で舞台の影から水車を回転してもらうことになっているらしい。確かによく見ると水車の回転軸には、容易く 水車の羽を回転できるように、持ち手を工夫した細工が施されてあった。「監督らしい」と思わず声が出そうになったのだが、自動車の走り去る騒音に掻き消されたのだろうか、監督には届かなかったようだ。
夕方から雨
そして、今日もまた 考えていた。次に備えよ。そう、立ち止まって、この先の変化を考えていた。目を閉じても、超能力者じゃあるまいし、この先、情勢はどちらに転がって、何が売れ出すのだろうか、そんな事は一向に見えてこない。増してや社会派の元気な監督のような自由人でも無し、学生さんが、青春時代の真ん中は、道に迷っているばかりだから、あれにするのかこれに決めるのかと言われても、何も決まらないものだ、と言うのと、丸で同じで、こんな年齢になっても、何ら変わらないのだろうか。何が売れるか、何が出来るか、商売人だ。微力ながら、、、、解らないなあ。また、nハム研究所の所長のs君にでも聞いてみようか。おお、それとも岡山のm広告社のY君だ。、、、しかし、まずはメシにしよう。
2007年9月10日 晴れ 31度
こんな気温の変化を辿ったことが30年位前にもあったように記憶しているし、最近と言っても10年程前に、このように残暑が続いたこともあったことを覚えている。だから、殊更、騒ぐほどのことも無いのだろうが、流石に体力勝負の我々のような作業では、体力気力供に少しでも、抑えて作業に掛からなければならない。そして、余裕があれば、考えること。次に備えること。そう、次の情勢の変化に果敢に備えること。こうして何があり、そして何が過ぎ去り、また、何が起ころうとしているのか、大上段で天下国家のことはいざ知らず、我々商売人は、その変化を先回りして、如何に読みを明確に当てるかに、気力を集中する。この先、何が起こり、何が変化の渦中へ沈んでいくのかを読む。そこだ。そこが重要だ。何が売れるか、なんて、確固としたものが、到底 直ぐに出てくるものではないだろうし、持って生まれたような天才的で鋭敏な直感でも有ればいいのだが、悲しいかな こんな凡人にはそれも無し。ならば、少しでも、その先々に起こりうる世界の絵を描くために何か、当て になるような 参考になるような材料を集めて行くことだろうか。細切れの端材を集めて行けば、何とかその得体の知れない変化の輪郭でも見えては来ないだろうか。
2007年9月9日 曇りのち晴れ 34度
真夏のような高温と、変則更新が続いているので、左程自由に時間が取れないようだが、出来るだけ頑張る外に無いのだろうか。まあ、兎も角、とり止めも無い書き込みの更新という こんなことを始めて、あと、2ヶ月弱で5年だ。早いものだ。何の進化進展もないが、取り敢えずはそこまでは継続して行けるか、というところだろう。5年の流れで見ると、発泡スチロールの業界に足を突っ込んだ我々のような者と同様の業界人の様々な異動も見え隠れしてくるのは面白いことだろうか。そして、こうして我々は生きて来たし、またこれからも生きて行くのだろうか。立ち止まれ。振り返れ。現実の足元から見ていかなければならない。今の状況の中で、我々のように、中小零細企業に生業で暮らすものにとって、唯一、金を掛けずに出来ることは、そして立ち止まって、「ミネルバの梟」のように 何をすべきか、僅かに考えることだろうか。考えて表現することを止めないことなのだろうか。何をしたいのか。そして何が出来るのか。これとあれと、手持ちの駒はそれしかない。一人の生涯時間も幾らでもあると言う訳にはいかない。 目の前に在るのは、或いはここに存在するのは、何と何であり、それによって何が可能か。持って生まれた若い選ばれた者は、空気を売ってでも、上手に世間を渡っていくのだろうが、そんな事が出来るのなら、この5年はとっくに巨大な飛躍に繋がっているのだろう。来る日も来る日も、ひたすら その製作に掛かって来ただけではないか。或いは、閃きとアイデアに富んだ技術革新を伴う術を身に付けているのなら、この5年もあれば、とっくに時代をひっくり返していたのだろう。しかし、来る日も来る日も、ひたすら 例の製作に掛かって来ただけではないか。もう、恐れるに足りない年齢にまで来ているのだ。だから、じっと耐えて、さらに耐えて、その時を信じて頑張る他に無いのだろうか。
2007年 9月8日 晴れ 夕方豪雨 34度
朝から例の製作に追われていた。何とか、納期に間に合わせた発送作業もあったが、夕方には、うそのような豪雨の通り雨があった。確かに今年の雨の降り方は極端だ。白黒はっきりした降り方のような現象は、大気中に湿気が減っているからなのだろうか。熱の移動があって地球の高緯度低緯度など何となく平均的になっていく動きが、ギクシャクしているのだろうか。解らない。雨が止んだ後、例の変形加工において、また一つ、ある種の便利な方法を見つけ、早速、その一刀彫りの加工に使っていた。我々に出来るのは、こんなことの積み重ねなのだろうか。一歩づつ一歩づつ、こうして積み上げていく以外にないのだろう。漸く、発泡スチロール専用ボール盤の修理も終わった。ネットを始める前、こんな加工機が、何の役に立つのだろうかと思う程度であった。だから、お得意向けに細々と穴あけ作業を続けていた程度ではあったのだが、確かに、世の中は広いものだ。何と、様々なお問い合わせがあるのだろうか。だが、ここは大手ではない。何でもかんでも、あれも導入これも持って来い など、ナンセンスだろう。石橋を叩いても渡らない位の慎重さが必要なのだろう。設備を入れるとお決まりのように新しい需要があるなんて、どこの営業マンが無責任なことを話していたのだろうか。それよりも、既存の設備を自らアイデアを絞って、改良に改良を重ねること、汗を流して、何とか独自の製作に繋がらないものかを見つけることの方が大切なのだろう。
2007年9月7日 晴れ 34度
まだ、真夏と変わらないような蒸し暑い日が続く中、今日も例の製作を続けた。昼頃、いつものように郵便配達の局の人が、手紙を届けてこちらに、「まだ暑いですね」と振り返り様に声を掛けた。その声といい、顔つきなども、矢張り、中学の同級生のs田くんと瓜二つだと、痛く合点したのは、その中学の同窓会からまだ、1ヶ月も過ぎていないからだろうか。5年振りの同窓会であったが、s田くんをこの目でじっと見て、何度も確認してきた。顔つきから声の出し方から、あの何とも生ぬるい物腰しからつぶさに研究して来たので、ほぼ間違いは無い、と判断している。この世には、そっくりな人物は、確かに存在するのだろうか。不思議なものだ。こんなくそ暑い中、その配達の局の人が来る一瞬だけ、時を忘れる。おっと 時間だ
2007年9月6日 曇り時々一時雨 31度
今日も例の製作が続いた。昨日は、近くの小学校の先生が3名 お見えになり、「子供達がこんな発泡スチロールの板があれば
とっても喜ぶんですよ」の鶴の一声に、つい大サービスをすることをあっさり決めてしまった。その直後に、遠方からバイクに乗った若いペアがお見えになり、「友達の結婚式のケーキをどうしても自分達で作りたい」の息の合ったデュエットの掛け声に、迂闊にも、またまた、降参して、あれでもこれでも持って行ってお友達の結婚式には是非立派なのを作ってくださいと、話してしまったのは、きっと幻影が陽炎のように辺りを漂うまだまだ猛暑日や熱帯夜の続く暑さのせいだったのだろうか。実に不思議ではあった。それで、今日は可也 締めてかかっては見た。だが、ドライバーの病欠が続き、結局 それどころでは無かったのは、幸か不幸か、解らないほどではあった。遠方の高校への「ドラえもん型だるま落とし 改良型」の納品連絡が、あったのは、実に外が暗くなりかけてからだったのだろうか。近日の学校祭に何とか間に合ってもらえれば、幸いだろう。 時間が無い。ではこの辺で
2007年9月5日 晴れ 依然として34度
今日も例の製作を進めた。川向こうの高槻市の高校での体育祭で 生徒さんが熱中症で何人も倒れたというラジオのニュースを聞いてからは、どうも作業に力が入った。体力との勝負だろうか。倒れてはお仕舞いだ。今日はこの辺で
2007年9月4日 晴れ 35度
今日も例の製作が続いた。お陰さまで様々な製作も続いている。急ぎの製作もあり、中生代末期巨大バッタのいた昆虫黄金時代なら、それぐらい軽くバッタバッタと飛び跳ねたことだろうにと思うほど終日走り回っていた。おや、よく見ると、不思議なものだ。ここは現代なのだ。広く世界を見渡すと、アメリカのサブプライム問題で、換金停止のファンドがヨーロッパだけでも100は越えるという物騒な世の中になっているのに、足元の周囲は、そのサイクルではなく、もっと身近な問題で 7月より完全に 鳴りを潜めているようだ。例の新規住宅の建築申請が、以前は建物だけでよかったのが、法律が変わって、台所の申請、玄関の申請、風呂場の申請、 柱は柱の申請と物凄く細かい申請が必要になった為、役所の方で申請書類が急に増えて、どう承認すればいいか解らず、完全に停止状態の所が出て、承認されずに、机の上に書類だけうず高く積みあがっているらしい。なので、いつもの年なら、まあ、何とか食いつなぐ程度の仕事が近所の材木屋さんにも回って来ていたものが、この2ヶ月、完全に注文が停止状態が起きているそうだ。大変なことだ。住宅は様々な付属設備の需要につながっている。台所用品から、新規電化製品や布団、家具類に至るまで我々の生活の殆どの新規需要と深く繋がっているのだが、それらが全て、遅れてくるのだから、大変だろうか。間違いなく、経済統計にこれらの下方修正が、いずれ発表されるのだろうか。経済は、マインド 社会心理に大変影響している。今後明るい世の中が想像されるか、暗い世の中か、で、どちらにでも転がっていくものだろう。果てさて、今回の一連の法律の施行が、どういう結果をもたらすのだろうか。では、失礼
2007年9月3日 曇り時々雨 35度
今日も朝から例の製作を続けた。相当段取りを考えて掛からなければ、あっという間に時間だけが無常に過ぎてしまう。更新も何もあったものではない。こんな時、矢張り自家製の道具を幾つか考案しておいて、確かに助かっているものだ。だが、これだけでいいものかどうか、の問題だ。さらに、この路線を継続発展させていくべきだろうか。或いは、どうなのだろうか。例えば、例の大陸から入り出した 中国製ブロックの件だ。解らないものだ。どういうルートで、流れ流れて手元まで届いたのだろうか。可也 ありそうだ。結局、依頼主の希望に添えるようにすると、本末転倒のように、このようになって来るのだが、今現在、大陸からの樹脂類の材料としては持ち出し禁止が掛かっているはずだから、恐らく、国内に10年以上、倉庫の片隅ででも眠っていたものなのだろうか。だから、次の段階として、結局、類似のものを捜すことになる。が、用途によっては、このように粗悪品ほど使用目的に適った場合が起きるのだ。以前も、あれは、航空大学関係から、お問い合わせがあったこともある。粗悪品であればあるほど良いというもの。或いは、あれは、自動車の関係だったが、同様のこともあった。だから、いっそ、発泡させて発泡圧に負かして、蒸気をだらだら漏れにして金型を手動で少し開きながら融着させることをするなら、もう限界まで粗悪(逆に言えば、発泡倍率を極限にまで上げる)事もできるのだがなあ、、、、昔、やったことがあったなあ。1個のビーズが直径3センチ程度になったことを記憶している。「うううー」と発泡したビーズの大きさにうなり声が出たものだ。そんなことして成型機のシリンダーに過負荷を出してパッキンを壊したのかなあ。懐かしいなあ。まあ、今回は単に材料の問題で済みそうだが、さらに次の手を打っておいた方が良いのかもしれない。そして、其の路線と例の「品質 機能 デザイン性」中でもデザイン性を問う流れに変わってきた点だろうか。それをどうする、という点だ。取り敢えず、こうして日々問題視しておくことだろうか。やがて、潜在意識に入り込んで夢の中で整理整頓され、目が覚めれば、良いアイデアが一緒に出てくることを期待しよう。 、、、、いやーひょっとして、ロシアの発泡スチロールブロックだったのかなあ、それとも、インドの発泡スチロールかなあ。何しろ、軽いので海に浮かべて、タグボートで曳航すれば、インドで作った方が安く出来るかもしれないなあ。ブロック1万個ぐらい1航海で運べるよなあ。太平洋渡ってブラジルで発泡スチロールのブロック作って、流しそうめんのように、海流に乗せて流して運べば、運賃タダで出来るよなあ(笑い)。要る時になれば適当に海から引き上げて 乾燥させて使えばいいか。否、やっぱり一番いいのは、元々発泡スチロールは軽いのだから、もっと軽くして飛行船のように空に浮くまで軽くすることだろうか。こんな軽い発泡スチロールが出来たなら、世界の発泡スチロールは、シベリヤのツンドラ地帯で製造するだろうなあ。必要な時は季節風に漂わせて運べばいい。、、、、おっと時間だ。ではこの辺で
2007年9月2日 晴れ 33度
そして今日も昨日の残り作業を進め、限のいい所でまた、この更新の作業となった。変則更新が続いて1ヶ月が過ぎる。各ページの更新も遅れ気味になっている。そしてこのページ、こんな駄文を続けることが目的ではないのだが、さりとて、あたり障りのない範囲になると、矢張りこの程度で丁度なのかもしれない。しかし、では、あたり障りの無い範囲を越えてみる気力はあるかと言えば、そんな勇気は無い。例えば、昨日読んだ『マトリックスの子供達』(邦訳 『蛇であり龍である、、、』上下2巻 新刊 徳間)の書評をここに書いても、仕方ないのだろう。我々の現状世界認識と かけ離れ過ぎていて、ある意味面白いのだが、プリキュアやマジレンジャーとか仮面ライダーや恐竜キング等の若い世代には抵抗無く受け入れられても、我々より上の世代には間違いなく拒絶反応で終わるのだろう。少数派だ。しかし、面白い歴史認識であるには違いない。特にシュメール石板からの引用は役に立った。宇宙は広い。その広さを数字的に、無限に近いと言う意味を理解するなら、可能性なども無限に近いということを知る必要はあるだろう。この地球だけ何もないと言うことの方が、考えにくいものだ、というチャンネルを回すことさえ出来れば、比較的すんなりと最後まで読めるのだろうか。だが、問題は、唯ひとつ、このコーナーの発泡スチロールとどう関連するんや、と切られると、これ以上は没になるのだろう。それよりも、まだ、科学者の学説の45パーセントは、最近の気候変動と二酸化炭素の排出とは直接の因果関係はないとしている、という趣旨を書いた本の紹介の方が、面白いかもしれない。或いは、高校生でも読める(?そうじゃなくて誰でも読めるよね)論語の紹介本の方が、近いのかもしれない。いやいや、矢張り、ここでは、日々、作業現場での具体的な留意点を記していく方が、お役に立てるのだろうか。だから、前向きに頑張る他に無い。ここは、常に臨在戦場、吹けば、発泡スチロールのように どこまでも飛んで、直ぐに見えなくなる中小企業群の末端でうごめく厳しい現場世界だ。何の偉そうなことを書いても言っても通用しない。 おっと、もうこんな時間だ
2007年9月1日 晴れ 30度
今日も例の製作を続けた。さらに、急ぎの製作もあり、夢中で作業を進めていると、陽は直ぐに陰り、もう夕暮れも過ぎ、帳が降りて外は暗い。「様々な製作を積み上げて来たものだ」と、ふと、その遠くにまだ薄明かりが残る空を見ながら感慨に耽っていた。昼間、四条畷の方からお越し頂いた 100年続く由緒伝統の材木屋の息子さんには、以前も 建屋の真ん中に 電信柱が突っ立っていると言った面白いお話をしていただいた事があったのを お帰りになって 直ぐに思い出した。流石に、何代にも渡って延々と続く家系になると、電信柱が大通りに平行して貫く遥か以前から、材木の商売をしていたのだ。元々この国には木造の建築物しか無かったのだから、株式会社や商会になる前から数えれば、軽く何百年も遡れるのだろう。そんな以前から家業として存在するには、明治の文明開化まで遡っていく位、直ぐこの前の お話に入るのだろうか。電信柱を建てる建てないといった話でもあったのだろうか。結局、妥協して、材木屋の建物の真ん中に電信柱を建てることになったのだろうか。そこは、お手の物なのだろう。で、家の廊下を突き当たりまで行くと真正面の建屋の柱が電信柱になってしまった、という事だったのだろうか。優雅な時代だった。そして、材木屋さんが日本の建設業の中心に立っていた時代だろうか。それから100年以上が過ぎた。で、そんな話を思い出して、何代にも渡って続けると言うことは、中々出来ない、本当は凄いことだろうと考えて、また、薄暗い空を見上げてしまった。老舗旅館を100年続けるのも同じ大変なことだ。あの、7代続く団扇の若社長も本当は大変なことかもしれない。勿論、その先代、先々代からの苦労の蓄積があってのことだろうが、それでも、其の上に、さらに継続させることは、至難の業なのかもしれない。振り返って、こちらはどうか。果たして、100年の計を立てることは出来るだろうか。発泡スチロールは今後100年経っても存在するのだろうか。それが問題だ。生々流転の世の中、流れに逆らわず、じっと見ていく以外にないのだろうか。頑張るほかに何も無いか。100年位あっという間に過ぎ去る。それが商売さ。
2007年8月31日 曇りのち時々雨っぽい 30度
歌を忘れたカナリヤは♪ せっせせっせと 汗かいて♪ せっせせっせと 冬支度♪
窓の外ではウグイスが♪ 季節を忘れて 喉自慢♪ きっと楽しく盛り上がり♪ 今日も明日も正月か♪
歌を忘れたカナリヤは♪ せっせせっせと 汗かいて♪ せっせせっせと 冬支度♪
小道を急ぐ ガチョウの子♪ 季節を忘れて 首ったけ♪ きっと楽しく盛り上がり♪今日も明日もパーティーか♪
(大正98年 立秋)
今日も例の製作を急いだ。絶えずバタバタしている。暇がない。お問い合わせのディズニーランドのお城をそのご予算で製作の場合、そのアイデアでは如何でしょうか。10mmまでスライスして来ますと結構曲がるんですよね。それを曲げて曲面にすれば、簡単にお城の塔を8m程度の高さに組み上げることは可能でしょうか。さらに そのような塔を幾つか組み合わせていけば、夢のディズニーランドのお城は そのご予算内に収まるでしょうね。そんな方法もあります。ただし、風が吹けば、一発で倒壊しますが、発泡スチロールですから、軽いですので又直ぐに組み上げればいいのかもしれませんね。それもまた 面白いかもしれませんね。
以上どうぞよろしく
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