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営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
                         

2007年4月19日 晴れ 15度
どうも、地球は暖かくなっているというのか、寒くなってきているのかよく判らない季節変動が続く中、今日も例の製作が続いた。そうだ。我々はこうして日々、更新に力点をおいて、何とか頑張って来たのだが、将に人生とは、山あり谷ありで、一寸先は何が起こるか解らないものだという事を、思い知らされながら、生きているのかもしれない。まさか、そんなことがあろうはずもない、と、振り返ってみると、「そのあろうはずもない」ことばかりが、竹の節のように次々と現れては、何でもない日常の中に、硬い大きな変化を残していって、その何でもない、変化もない日常の中に、大き過ぎて全く気がつかないような変化を、厳しくも、残酷なほど激しくも、そして竹を割ったように、はっきりと我々の意識の中に残影として、いつまでも残していくものなのだろうか。今日も斯くあり、明日、斯くありなん、そう改めて噛み締める日常を、ただ、ひたすら、前向きに生きていく外に何もないのだろうか。ちょっと、外に目を向けるだけで、この日常の淡い小さな流れの中に出来た一瞬の気泡のように、変化は幾らでも何時でも我々を包んできているのにすら、何らの努力もなく気がつくものなのに、それでも、こうして、日々毎日を同じように生きようとしているものなのだろう。

   君に問ゑ 桜 サクラ散らすな 月に鴨
                            生きとし生ける哀れさ何
                                             やがて夜は明け 東へ西へ


2007年4月18日 雨  10度



                            記                               
                                                              火事見舞いの件 

  T工業褐苒
  T工業階工場 各御担当者様および従業員様

   この度の御社工場内における突然の出火、工場建屋および倉庫などの一部全焼に対しまして、謹んでお見舞い申し上げます。聞くところによりますと、不幸中の幸いか、人命第一の御社御方針の賜物か、日頃の避難訓練の甲斐あって、100名近い社員従業員の皆様におかれましては、全員一早い避難誘導の結果、一人の怪我人も出されなかったとお聞き致しておりますことは、他に代え難く、何よりで御座います。何分、突然のこととて、御社及び従業員関連会社の皆様におかれましては、お取り組み中の所、大変でしょうが、同業者と致しましても、見過ごすことは出来ず、取り敢えず、この場をお借り致しまして、今回の火事災害に対しまして、謹んで お見舞い申し上げる次第で御座います。
 また、企業団地内の周辺営業中の各企業、工場及び、住民の皆様におかれましては、多大のご迷惑をおかけいたしました事は、同業者と致しましても大変遺憾に思われます。御察し頂けます通り、担当者など取り組み中に付き、いずれご挨拶に回るやと思われますが、取り敢えず、こちらからも一言、お詫び申し上げておきます。周辺の皆様におかれましては、今回の火事の件、大変ご迷惑をおかけ致しましたことを担当者に代わりましてお詫び申し上げます。
 また、消防、及び関係機関の皆様におかれましては、大変迅速な対応、消火活動などして頂きましてお礼申し上げます。中には人命第一の為に身を張って救助などに当たって頂けた機関の方もおられたとお聞き致しております。重ねて、担当に代わり、お礼申し上げる次第で御座います。
 
                                                                 以上




2007年4月17日 晴れ 13度
今日も例の製作が続いた。作業は昨日とは一転し、、、というよりも厳密には昨日と同じ例の在庫積み上げ作業以外は、決して同じ作業はない。まあ、何でもそうだろうか。同じことの繰り返しに見えて、日々、変化の中にあっては、机で字を一文字書くにしても、同じ字が並んでいても、同じ文章ではないのと似ているわけだ。些細なことだが、こんな心境地に至るには、何十年と仕事を重ねて来なければならないのかもしれない。日々、ベルトの上で同じような流れ作業を延々と繰り返すのには、辟易して、もう 耐え切れないというのが、慣れない普通の感覚かもしれない。こんなことに慣れてしまえば、逆に、もう若くないのだろう。確かに年齢とともに、新鮮な感覚が麻痺してくる結果かもしれないが、それであっても、よくよく周囲を見渡せば、同じ出来事の中に、日々違った変化を見つけてしまうのには、ある程度、こんな麻痺感覚もあっていいのかもしれない。そこのところを、その長いトンネルを抜けると、この毎日続く、日々の製作作業の一つ一つが、全く違って、生き生きとして見えてくるのも不思議だ。どうも、語彙が不足している。それをなんと呼ぼうか。


 リミットと 尋ねたつもりが ハッとして 電話の向こうは タイム「メリット」大笑い(字余り)


2007年4月16日 雨 18度
この雨で桜は散るのだろうか。そして今日も例の製作が続いた。終日、終日前向きに一歩づつ、できる限り先へ先へと進めていった。漸く、夕方になって、例の開閉弁の製作にまで漕ぎ着けた。今頃になって、弁の製作を手掛けるようになるとは思わなかった。高圧蒸気の電磁開閉弁や調圧弁、それにドレンの開閉弁なら嫌というほど何度も何度も、そして来る日も来る日も分解修理に明け暮れていたものだったが、今頃になって、またまた弁の工作となった。まあ、今回は蒸気ではなく、空気を使って搬送して行く通り道に付けるだけの簡単なものだから、時間的には早々掛からなかったが、有り合わせの材料で如何に組み立てるか、そこを考えるのに少し時間を要した程度だろうか。後は、ホースバンドが無いので針金で縛り、吐出側はこれで出来上がりとなる。今度は吸い込み側に移る。今回は何とか物にしたいものだ。セルパネに掛かる期待の大きさには、我ながら驚いているのだ。しかし、貧乏暇なし。


2007年4月15日 晴れ 21度
一週間過ぎるのがg嘘のように早い。思いっきり全速力で仕事にかかっているので休みになれば、疲れがでるのか、花粉症でボーとしているためか、横になると直ぐに眠ってしまう。何度夢を見ただろうか。弾丸列車のような形をした最新式の発泡スチロールの成型機が並ぶ工場であったり、敷地が空港でもできそうなくらい広かったりする夢だ。余りにも広く、広大な敷地なので、一部を飛行場や飛行機の修理メーカーに貸している夢だったりする。目が覚めると 魘されてでもいたのか、汗びっしょりになっている。あれもこれも、夢また夢の世界なのだろうか。臥薪嘗胆。


2007年4月14日 晴れ 18度
終日それに取り組んでいた。矢張り、手作りの加工機には、極端な精度は望めないのだろうか。恐らく、このデータを基礎にこのような加工機を もし専門の機械工作業者に製作を依頼したら、目が点になるような金額になるのだろうと想像はつくが、そんな初期投資が出来る余裕など到底ない。だから、こうして工夫に次ぐ工夫で、有り合わせのものを切ったり張ったりしながら使うほかに無いのかもしれない。ただ前向きに頑張るほかにない。アイデアだけだ。見る人が見れば、直ぐに真似が出来てしまうようなものだ。それならそれで、この次そしてこの次と、アイデアを出し続けるだけなのだろう。まあ、それでもいいか。おっと、セルパネの加工機も進めないといけない。時間が無い


2007年4月13日 曇り 20度
そして今日も例の製作が続いた。何のことは無い。ただ、前を向いて頑張る他にないということだろうか。夕方になって漸く、例のムカデのような加工道具のその接合面をこうしてはどうか、という一点で閃きがあって、急ぎで遅くまでかかって組上げていた。これに明日再度、詰めを行って例の製作に再度の挑戦ということになる。遅々として進まないながらも、何とか目途が立つところまで行きたいものか。ふと、電話があり、応じると、例の某県某野市選挙管理委員会からのお礼がてらのご報告であった。どうやら、例の発泡スチロールを選挙の開票に用立てることで、開票速度がぐんと上がって、結果的に県内で、開票速度順位が今回4位に大躍進されたと言うことらしい。開票に当たった作業員の評判も上々で、申し分なし、といったことだったらしい。有難いお知らせであった。返す返す、ひとえに、今回の開票速度の飛躍的UPは、何といっても、最初に、発泡スチロールを使って、その工夫を思いつかれた ご担当者のお手柄にあるのに違いないが、ただ、こちらとしても、そのようなご連絡を頂けると、本当にその形状のものを製作してよかったなあと言った気持ちになれるのは不思議なものだ。最近、「たけしのテレビタックル」や「大田総理と田中秘書」や「たかじん」などのテレビではないが、「人民の人民による人民のための政治」に関心が集まり、そして、その為にも、公正迅速な開票結果のいち早い開示が、さらに求められている世の風潮の中で、これはこれで、また、発泡スチロールの可能性を示すことが出来たことは、確かに有難いことだろうか。そう言えば、今回あと数件、これとは違った形状の発泡スチロールを他の選挙管理委員会にも発送したのだったが、結果はいかがな物だったのだろうか。某県某岡市選挙管理委員会とか、開票用の用紙の置き方をこれまでと変更するのに使用なさったようだが、どうだったのだろうか、気になるところだ。おっと時間だ


2007年4月12日 晴れ 20度
終日、その製作になった。夕方には何とか仕上げまでに至ったのだが、考えてみれば、割の合わない作業である。ただ、ひたすら次を、そして次の次を願うのみだろうか。漸く、一段落あって、間をみてから、例のプリント基板を取り出しては、半田付けを急いで進める。まあ、確かに幅の広い何でも応用して行かなければならないのが現場の作業ではある。銅板が無ければ、銅の釘でも使ってしまえ、と発想を転換しなければならないのだ。その後、例のsントリー研のHさんに以前頂いた品種改良された水耕栽培の苗に元気がないので、赤色レッドのダイオードの光を当てたり、木酢すを噴霧したりして、今日もあれこれ対策を練ったりしていた。ここのところをクリヤーしなければ、水耕栽培の次のチャレンジが前進できないのだ。それに、折角H部長に頂いた苗なので、以来、製作実例写真のページには、いつも招き猫と一緒に登場させるのが、恒例になっているので、枯らす訳にはいかないが、確かに簡単ではない。難しいものだ。矢張り専門のそしてプロには適わないのだろうなあ。おっと、書き留めておくべきことは他にあったが、時間だ。


2007年4月11日 晴れ 17度
今日も例の製作が続いた。有難いことに、様々なお問い合わせもあり、大変勉強になっている。用途別に専門的な知識は、しかし、それほど持ち合わせていないのが現状だろうか。むしろ、こうしてお客様から、お教え頂いてきた事のほうが、圧倒的に多い毎日だろうか。だから、背筋を伸ばして、しっかと頑張って行かなければならない気持ちに自然となるのだろうか。

 なにごとの 居わしますかは 知らねども かたじけなさに 涙するなり (江戸時代の無名の詩人 路傍で自然に助けられて)

 なにごとも 居わすネットと 知らねども かたじけなさに あわてハタメキ 


2007年4月10日 晴れ 18度
取り合えず、書き留めて置かなければならない点は、今日は2点。その、西欧的思考とは何か、についての解答として、基本は「ポーカーゲーム」によるとするのには、同意できるものがある。要は勝ち負けだけのゲームを好むのだと言う点は、確かに東洋的な思考回路とはかけ離れている。勝つか負けるか、相手の裏をかき、相手の虚をついては最後にジョーカーを出しての、という騙し合いなのだろうか。或いは、戦争また戦争に明け暮れるものなのだろうか。或いは、今度始まる三角合併でも、同じだろうか、企業の乗っ取りに好都合なカードをしたためて来て、最後に裏返して、さあ勝ちだ勝ちだと騒ぐようなものか。果たして、競争の原理に、「正しい」競争なんてあるのだろうか、と言っては、ジョーカーを出すのが、その彼らの世界観だろうか。きっと、聡明な中小企業主は、この辺りをよくよく理解されている方は多いだろう。大手メーカーは、西欧的思考の大勢に媚びて、これから本格的な弱いものいじめを開始する危険性が、迫ってきている点だ。まあ、いつの時代でもそうだったか。安心なんてどこにもない現実だ。臨在常戦、もう常に戦国時代なのだろうが、少なくともこの西欧的思考の限界については、忘れないでおきたい。2点目。不思議なものだ。よく、研究所にて長年研究に没頭しておられるようなタイプが、当社には、どういう訳か、よく来訪頂けるのだが、とても「得るものがあるのか」というキーワードでもって、ご対応頂けるに越したことは無かったのだが、矢張り、どう、記録しておけばいいのだろうか、実にあのNハム研究所の所長(社長)のS君に皆、顔といい、話し方といい、物腰といい、似てくるものがあるのは不思議だ。こう言う営業の対面ケースでの仕事の話でなかったら、きっとs君のように、いつまでも面白いお話が尽きず、こちらも聞き耳を立てて、その面白いお話にいつまでも酔っているところだろうが、残念だ。これもこれも、仕事であった。しかし、何故だろうか、皆タイプが似てくるのだ。不思議だ。


2007ねん4月9日 晴れ 18度
何とかこうして一日が過ぎていったと思う間もなく、今日も例の製作が続いた。一歩前進2歩後退とは上手く言ったものだ。実際の作業とは、そんな連続である。だから、気を抜けない。前向きに頑張る他にないか。延々と朝から晩まで頓智の答えを探しているようなものか。鼻水が止まらない。では、この辺で失礼


2007年4月8日 晴れ 20度
今日も昨日の続きに例の工作用道具の製作に半日かかっていた。桜が満開で、杉の花粉の次、イネ科の花粉が飛び出す頃、また鼻水たらたらの季節が襲ってきた。仕事にならない。くしゃみが止まらず、、、、おっと今日もここまで


2007年4月7日 雨 10度
そして今日も例の製作が続いた。例の加工方法でそれぞれ、一歩具体的に進めたのだが、2歩後退もあった。こんなものか。これが現実なのだろうか。それでも、決して諦めることなく、前向きに頑張る他にないのだろう。再度、詳細を検証し、部分的に使えそうなところから改良を重ね直す以外にないか。そのピッチに対して、基盤の穴の位置が0、3mmほど広がっていてくれれば、こんな苦労はないのだろうに、既成の材料しか手に入らないので、そのようなもので取り合えず、間に合わせる他にないか。それとも、再度、その盤に小さなドリル穴を開けていくか、全部で2000はある穴だ。大変だ。しかし、それが正攻法だ。遅々として進まないが、立ち止まる訳にも行かない。


2007年4月6日 晴れ 14度
「完璧」という字の璧は、壁の下が土に対し、玉になっているのは、中国の故事から来ているのだとラジオの通信高校講座で解説していた頃、漸く、仕事に一段落ついて帰宅を急いでいる時だったので、結構遅くなっていたのはそれで分かった。今日も例の製作が続いた。例の、在庫積み上げも、手を抜くわけにも行かず、納期に追われた製作にしても、同じく、先を先をと続けて行かなければならないので、結果、このようなことになるものだ。だから、休まず、怠けず、仕事をして、終日頑張っている。そうだ、以前、あれはもう3年も前になるだろうか、確か、桜が散って初夏の匂いが周囲に満ちていた頃だったろうか、お問い合わせで、一日25時間仕事をする男だ、と名乗る名古屋の「ガチャガチャ」人がおられたのを思い出した。「おもろいなあ、」と言うのが率直な感想だったが、その後、まだ今でも、一日25時間仕事をしておられるのだろうか、解らないが、こちらでも、徐々に、一日が24時間を越えるようになって行くのだろうか。しかし、体力が問題だ。中には、オリンピック選手並みの体力をお持ちの方もおられるだろうが、それは100人も1000人もいる中で一人か二人だろう。我々凡人には、到底無理な話だ。、、、、おっと、ここまで書き込んでいて、疲れてまた眠ってしまったようだ。完璧に眠っていた。時間だ。それでは失礼。


2007年4月5日 曇りのち晴れ 14度
今日も例の製作を続けた。例の急ぎの製作もあり、今日も昨日に続いてかなり引き締まった一日ではあった。、、、、、と、ここまで書き込んで、また、疲れて眠ってしまったようだ。夢だ。あれは、どこだろうか。歩いて相当遠くまで来たようだ。淀川の堤防だろうか、それとも加茂川の、半木(なからぎ)の道だったのだろうか。確かに、学生の頃、よく歩いたものだ。そして、あれは何だろうか。燃焼用の釜があって、のぞき窓から内部の焼き物の焼き具合を見ている。そして、焼きあがった皿などを洗うのは1回生の役だ。何か話しながら洗っていると場面が変わって、京都旅行会館の屋上ビヤガーデンで、ウエイターのアルバイトをしていた頃に、一度か二度人手不足で皿洗いをした時があったのだが、その頃の場面に飛んでいた。やはり、夢だ。三畳一間の安下宿まで、地上から1m上の空中を、バタフライしながら泳ぐようにして帰っているシーンが続く。、、、、おっと時間だ。ではこれで


2007年4月4日 曇り時々雹のような雨のち晴れ 7度
寒い中、今日も例の製作が続いた。時間に追われた状態がしばらく続いている。だからと言って決して手を抜く訳にはいかない。それぞれ全力で前向きに取り組んで行かなければならない。あの有名な金属メーカーからのお問い合わせにしても、ある意味、その不可能性はチャンスなのだろうか。方法的には、何度か製作し、一応荒削りで完成の域にある球面体加工の簡単な応用に過ぎないのだが、これだけ時間に追われている中で、如何にこの方のみの為に、専用道具を組んで用意まで出来るかにすべてがかかっているのだろう。だから、試作まで上がれば、簡単なので、必ず喜んで頂ける筈だ。後は、仕事は段取りだ。じっくり考える時間も矢張り必要か。或いは、あれもこれもと、して行かなければならない。そう、それは何だろうか。両方か、ほんの少しで手が届くところ、なかなか もがいても もがいても届かないところ、その判断はどうして出来るのだろうか。1,2,3,4、、、と我武者羅に続けていると、5、6、と来た時に、待てよ、これは3のちょっとした工夫で出来そうだ、という事がある。そういうことだろうか。世界一小さなネジを作っている会社のことを思い出した。果たして、これほど小さなネジが何の役に立つのだろうか、と売れないネジではあっても、結局それが宣伝になって、そんな技術があるのなら、と他に製作依頼が来たという話だ。同じようなものだ。そうだ、発泡スチロールのビーズにしても同じだ。先日、筑波の金属材料の研究機関から、これが、世界最小の発泡スチロールビーズだと言うので、そのサンプルを、様々なルートを探して探し回って、やっと手に入れて見たら、何だ。これかあ、これ位の大きさのビーズなら とっくに手元に在庫しているなあ、と落胆したことがあったのだが、問題は、その探し回る過程で、それら、様々の渦まいた情報を整理し、日本国内の様々な発泡スチロールメーカーの発泡ビーズをほぼ、比較することが出来たという自信だろうか。小さな話が大きく膨らんだり、大きな発泡スチロールが小さくなったり、実に様々やなあー。我々のように真実を追究したい輩にはネットは有難い。


2007年4月3日 晴れ 18度
引き続き極めて時間のない中にあるが、今日も例の製作が続いた。情けないことに、ここの書き込みも、体たらくな3行書きが続いているし、実例の更新、或いはお客様から頂いた有難い写真などのUPにまで至らずにいる。また、例の更新についての企画もそのままである。調べて、細かく、その道具を説明出来れば、それはそれでお役に立てるはずだが、仕方がない。急ぎ、昨日upまで至らなかった、「1/4ブロッくん」をお使いになった あるお客様がグランプリ賞を受賞なさった大きな展示会の日程を下記に


第67回美術文化展 開催日程

■展覧会会場:東京都美術館
会期:2007年3月26日(月)〜4月4日(水)  わー、東京では明日4日までですね

■巡回展会場: 愛知県美術館
会期:2007年4月17日(火)〜4月22日(日)

■巡回展会場:京都市美術館
会期:2007年5月1日(火)〜5月6日(日)   是非、見に行きますので

http://www13.ocn.ne.jp/~bibun/



2007年4月2日 晴れ 20度
そして今日も例の製作が続いた。お客様から小さなブロックシリーズ「1/4ブロッくん」を使った芸術作品が大きな展示会で目出度く受賞されたと言う連絡を頂いた。おめでとう御座います。また、当社ブロッくんをお使い頂き、光栄至極、重ね重ねお礼申し上げます。


2007年4月1日 曇り時々雨 23度
帰りに図書館に立ち寄り、借りていた書籍を数冊返却した後、例のニクロム線以外に素材として何か無いか、文献を当たっていたのだが、そうそう大したものも見つからず、他のコーナーをぶらりとしていた。ビートたけしが案内する『大英博物館』の写真紹介があったので一応借りておいた。他に、『90分で解かるプラトン』と『ジョークの哲学史』などを借りた。ちょっと、基本に立ち返って真面目に、笑いについて考察し、こんなつまらないページに、もっと原初的な笑いを導入していこうと言うアイデアであったのだが、帰宅するとこの崇高なアイデアは、直ぐに「積ん読」に変身していた。たった90分でプラトンを理解しようなどど無茶な話だし、笑いの原理法則を歴史的に知ったところで、笑える話ではない。一応努力をしようと数ページ覘いてみたのだが、基本語の理解とその解説、そして基本語の理解暗誦の上に論理の例題の理解、それが連続的に続いている構成では、とてもじゃないが、笑えない。


2007年3月31日 曇り 19度
今日も例の製作が続いた。急ぎの製作の上に、さらに急な製作が加わり、スピードを上げ製作作業に掛かり、どうにか、やりくり上手で進めた心算だったが、そこへ来て、例の在庫積み上げも重なり、結局昨日に続いて、終日ばたばたした一日になった。極めつけは、有難いことに、例のシリーズの中で、今回最大の大きさに発展して来た、『復活』ものの急な製作であろうか、、、、、。永遠の命、恐らく、もう200年位、このまま人類の進歩発展が可能なら、遺伝子の組み換えの段階から、何千年生き続けるような完璧な生命も人工的に研究室で作り出されるような時代になるのだろうか。最早、下手な外からの外圧が無ければ、死すらも克服された生命体が誕生するのだろうか。よく解からない。しかし、過去、人類が誕生して500万年。だが、男性の遺伝子は20万年程度遡るだけで、僅か数名の先祖にまで収斂されるらしいし、女性に至っては、たった一名の女性から枝分かれして現在に至っていることが知られているのだ。そんな夢物語も、この事実からすれば、充分有り得る事かも知れない。これから200年も300年も継続した研究が可能な条件は、ある程度平和な時代がそれだけ続いていなければならないのだろうが、途中、核戦争や新型インフルエンザ等で、今の研究体制がストップすれば、また何百年何千年も先送りされるのかも知れないが、それでも、20万年30万年の歴史からすれば、あっという間の出来事なのだろう。、、、地球温暖、環境破壊はさらに進み、首都の某地で密かに工場生産された新人類、名づけて「モンモン族」数名を残して、他の人類はすべて滅び去り、そして、あっという間に20万年の月日が流れ、地球の植物も元のように増えて、環境も浄化され、地上は「モンモン族」の支配する世界になって、、、といったストーリーだろうか。光速の宇宙船に乗って新惑星に人類の開拓団を送り込んで、子孫を残すような「宇宙家族ロビンソン」よりも、まだ早く実現しそうだ。


2007年3月30日 朝方雷雨後晴れ 15度
とは言え、やって行かなければならないものは累々とあるようだ。だから、今日も例の製作が続く。発泡スチロールの世界だ。決して儲かって倉が建つようなものではない。爪に火をつけるようにして、しがみついて頑張って行くほかに、最低限食うて行けない世界だ。そんな、余裕のある暮らし向きでなければ、決して健康がどうだこうだ、とまで、お説ごもっともに述べられないと、川の向こう岸を眺めるように悲嘆にくれない訳にいかない現状の世界では在る。結局は、無理を重ねて、それでも体力だけは人一倍あって、唯一何とかの一つ覚えのように健康ではある、という事でなければ続けられないのかもしれない厳しいものだ。働いて働いて、倒れる直前まで働いて、そして健康を損ねてお陀仏一巻の終わり、と言う所まで行っても、涙を浮かべず、「上を向いて」を口ずさみながら、止むのだろうか。努力、努力、最後の最後まで努力、希望などとっくに何処かへ消え失せても努力だけを続けるのだろうか。 、、、、、電話だ。、、、おや、これはお久しぶりです。、、、昭和天皇巡幸指定御用達の由緒伝統、あの懐かしの7代目若社長からお電話があった。元気そうだ。さらに切り切り仕事に磨きがかかっておられるようだ。、、、しかしそのお声をお聞きしていて、改めて、実に不思議なものだと思った。どうやって、そこまで、都会のその大都会の変遷激しい中で、颯爽とそして、飄々と7代も続いているのだろうか、そんな会社は実に珍しいものだ。本日も、その片鱗に触れ、何となくその秘密に触れることが出来たような気がした。有難いものだ。


2007年3月29日 晴れ 18度
そうして今日も例の製作が続いた。やはり、50歳に成って来ると、健康であるかどうか、長生き出来るかどうか、それが最後の決め手になるのだろうか。まして、我々のような中小企業において、ご臨終の際に、振り向いて にっこり笑うには、健康であり続ける事位に他に何も無い。だから、本当は、仕事もほどほど、そこそこで何でも気分転換をメインに、おもしろ楽して、を際立て続けて 繰り返す日々毎日がいいのかもしれない。ノルマ、納期、或いは課題に追われる事無く、例え追われても、知らん存ぜぬと逃げ足早く、勝手に討っちゃっておいて、それでいて、世間様にはご愛想、角を立てず、長いものには巻かれ、意地や、プライドに拘らず、囃す者には先に行かせ、マイペース、マイペースをこころ掛けるに越したことがないのかもしれない。年齢と供に、確実に志向が変化しているのは、そのせいだろう。今まで、こうして何とかへこたれず、50年過ぎてきたからといって、最早、同じようにこれから50年が在る人は極めて少ないのだ。だから、これからは生き残った方が勝ちだと、そう思うのかも知れない。しかし、これが、70、80、となれば、生きることへの超越した或いは、達観したような境地に至るのだろうか。それは解らない。様々な人生が、これもあり、あれもあり、と括弧に括れる人生の生き方が無数に有るのだろうから、なおさらだ。そして、このページにもこうしてある人生の物語が綴られていく訳だ。振り返って、面白かったと言えるような人生が良いに決まっている。面白い、楽しい漫画チックな人生もいいものだろう。では、果たして、朝から晩まで寝ても醒めても例の製作に明け暮れる人生は漫画になるのだろうか。


2007年3月28日 晴れ 18度
今日も例の製作が続いた。半日、近くの商工会議所まで行って、定期健康診断を受けてきた。身長が5mm縮み、体重が変わらず、そして視力がまた低下し、血圧は110と70で、血液、心電図、レントゲン、胃カメラ、等と続いた。我々、中小企業に働く者には、こういった公共機関で定期に健康診断をして頂けることは、大変有難い限りだ。こんな機会でも無ければ、検査を受けられないものだ。戻ると、また様々なお問い合わせも待っていた。


2007年3月27日 雨 12度
今日も有難いことに例の製作が続いた。幾つかの試作的な段階の加工にもチャレンジすることになった。ここまでして幾ら、と言うものではないのだが、取り敢えず頑張ってそれが可能かどうか、勉強にもなるので、出来る範囲ではあるが、可能性として取り組んでみたものだ。そういうことかもしれない。結局は、ここでしか出来ない、他では出来ない、そういった得意をどれだけ守備範囲として広げているか、に懸かってくるのだろう。


2007年3月26日 晴れ 18度
今日も例の製作に追われていた。次々と様々なお問い合わせがあり、その対応にも追われていたのは、もう、かれこれ4年5年と続く日課ではあった。自分で始めたことだからこうして出来るのだろうか。他人に言われて、或いは仕事のレベルだけでは、決してここまでは、出来ないだろうなあ、と一人事のようなため息も漏れた。今日もお電話だけで、一体何件頂いた事だろうか。以前のように回数を付けることに無関心になっているので、よく判らない。ただ、『発泡スチロール選手権』のような発泡スチロールのCDでも作れたら、今度から、「それを見てください」と言えるので便利だろうなあ、と何度か思った。あの番組に進言するのもいいかもしれないなあ。そうだ、実例集のところに、プラスして、製作過程を記して行くようにすれば、いい訳だ。否、例えば、Wikipediaのような みんなで作る百科事典で、製作過程を完全に解き明かすまで、事細かに作り上げていく、というのはどうだろうか。もう直ぐ、新学期も始まるだろうし、「どうすれば加工出来るか」と言ったお問い合わせも増えてくるだろう。加工道具ももっと素人に簡単に出来るものを示す必要もあるのだろう。本当にあれもこれもして行かなければならない。貧乏暇なし。セルパネの一部部材まで


2007年3月25日 曇り 15度
一日の過ぎるのが早い。何とも、予定が立たない。一日無理をしても、こうして翌日が同じように出来るなら何と言うことも無いのだが、疲れを持ち越してダウンだ。最近になってインフルエンザも流行し出したそうで、周囲に咳き込んでいる人が増えて、ちょっと街へ出ても、おこぼれを頂き、鼻水に喉枯れに寒気では、横になる他にない一日となった。ほとんど、天井を見ながら、気がつくと眠っていたのだろうか。そんな記憶しかない。


2007年3月24日 雨 12度
今日も例の製作を続けていた。夕方一段落したのだが、突然のように急な依頼であった。断熱材の特注寸法切りであったが、簡単そうに見えて作業時間は恐らく4時間は行くだろうと思ったのだが、案の定、漸くこれで良いだろうと区切りがおりる程度までで夜10時になっていたので、考えた時間は過ぎたことになる。予定のセルパネ加工機も後回しになり、例のご依頼の件で道具を作るのも、他の予定もすべて飛んだ。戻ると、疲れで、倒れるように横になって眠ってしまった。もともと、デスクワークではなく、立って身体を動かしてする仕事には長時間は堪えるものだ。、、、、、夜中にふと目が覚めた。夢を見ていたようだ。もう何十年も前、どこかの教室にいた。窓から外を見ていた。窓の外には花壇があり、その向こうに少し、段差があって、下のほうに運動場があった。その運動場の草の生えた周囲を 野球部の連中が走っていた。陸上部の誰かが、一人で走っていた。バスケの連中がボールを投げ上げていた。ネットを張った一角がテニス部のコートになっていて、ラケットで打ち合いをしているのも見えた。ぞろぞろとサッカー部の連中が走って来る。よく見ると、皆、歳をとっていた。とても学生ではない。何をしているのだろう、と思った。おや、見るとテニス部の練習しているところに、誰か先生らしい女の人が立っているのが見えた。はっきり見えない。目を細めて見たが判らない。学生に何か声を掛けている。誤解だろうか、先日亡くなられた中学の先生だったのだろうか。、、、、そこで はっと、気がついて目が覚めた。そう言えば、あの亡くなられた先生とは、中学の3年間で、職員室で一度だけ声を掛けてもらっただけだったのだが、何故か印象に残っている。記憶に残っているのは、後にも先にもその時の一度だけだったが、妙なもので、その場面だけ今でもはっきり憶えている。あれは、確か、3年の夏休み、クラブの練習の後、いつものようにメロンパンを食べる顧問の、いつもにない激しい檄を皆で聞いていた後だったろうか、試合の前だったか、他に数名の先生しかいなかった職員室で、声を掛けて頂いたものだ。部長の私は足の怪我もあって、ずっと補欠だったのだが、チームはその年、市長杯で優勝出来た。確かに、その前だったように、今では思う。「あんたも頑張りや」と言われて、何となく「はい」と返事していたのだったが、そのちょっとした事が、35年が過ぎて思い出された。


2007年3月23日 晴れ 10度
そうして、今日も例の製作を続けた。この辺でもう一度、ふんどしを締めなおして、頑張って、進めていかなければならない課題がまたまた増えようとしている。諦めず、前向きに、何としても前向きに、一歩でも進んでいかなければならない。それを乗り越えて行かなければならない。立ち止まっていてはいけない。やるしかないのだ。 まあ、隙あれば幾らでもの ここは競争の世界だ。


2007年3月22日


吹田市立青山台中学校の太田君から緊急の連絡事項です

   <訃報>
突然の訃報です<宇都先生ご逝去です>

<詳細>
・先生:宇都洋子様

・お通夜 本日22日(木)午後6時〜
・お葬式 明日23日(金)午前10時〜

・喪主:宇都 脩(ウツ オサム) 様(御主人)

・場所:吹田市内本町1-9-10
        吹公社彌山会館(スイコウシャミセンカイカン)
      電話:06-6381-0042 

以上です。







2007年3月21日 晴れ 12度
ようやく、半日掛けて、その加工機の一部の組み上げが出来た。頑張ってこの辺りのようだ。そして、次の部材の製作が待っている。


2007年3月20日 晴れ 9度
そして今日も例の製作に追われていた。日々、これ前を見て淡々と進んで行くほかに何もない。2月も早かったのだが、3月も早い。何をしていたのだろうか、と疑いたくなるほど早い。何もしていないのではない。何もしないで良いほど、そんなに、のん気な余裕などどこにもないが、時間だけが過ぎ、無常にも3月も残り10日ほどとなっている。急ぎの製作に段落をつけ、早速例の製作用の加工機の部材の製作に掛かっていた。各パーツをまず、組んで、それからでないと全体の試運転まで出来ないから、急いでいるのだが、遅くに戻ると、くたびれて、机でまた、眠ってしまったようだ。貧乏に暇なし。


2007年3月19日 晴れ 8度
今日も寒い中、例の製作が続いた。@実験室段階だという某メーカーの0,05mm径発泡スチロール粒の件でお問い合わせのあった際、そこの工場とは、もう何十年もの付き合いがあるので、笑いが止まらなくなるほどの驚きがあった。確かに世間は狭いものだ。情報が相当独り歩きしているのだろうか。およそ、そんなことを熱心にしているところは限られている訳だが、さらに一体どんな人が、夢中になって取り組んでいるかとなれば、誰々と誰とまでに、限定されるほど、本当は、日本全国そうそう ごろごろいないのだろうか。誰も、普通はそこまで自分の立場を危うくまでして、夢中にはならないだろうし、そんな余裕も会社が与えてくれないだろうと思う。夢追い人は、会社のオーナーか、それとも相当な研究の実績を積んだ実力者か。或いは、幸運にもそれらの支援をうけているのか、後一つ、蒼き獅子 時代の寵雲児か。まあ、いずれにしろ、有難い情報を頂き、早速実行に移している。 Aそう言う事ですか。了解です。取り敢えず、ベストで臨む他にありませんよね。結局、何が境目になるのだろうか。流れとしては、御社の減は、見るところ、ここ5年、不景気から脱出する為に、他の多くの企業が辿ったコースの後塵を仰ぐような影響の下にあることだけは確かなのでしょう。ただ、その加工用の道具のせいではないことだけは、はっきりしている。何故ならば、そう言った加工の機械のベースがさらに一回り小さなものしかお持ちでない加工屋さんでも、まだまだしっかりとしておられる所も幾つか知っているからです。でも、そうですねえ。技術屋さんが営業兼ねろ、と言っても難しいよね。それは、大変よく判りますが、、、 Bサンプルの件で有難いご判断を頂きました。ねっ、四角錐の先端は丸くならないでしょう。増してや、融けて10mmぐらい丸くなるなんてことはならないでしょ。それって、きっと、間に現場作業を知らない営業が入っていますよね。


2007年3月18日 雪のち晴れ 4度→8度
午前中雪となった。ぼた雪なので積もるかなと思ったが、直ぐに融けるので積もらなかった。この時期としては、3年前にこんなのがあったような気がする。1週間が早い。あっという間にこの1週間も過ぎた。何ら進展はない。事も無くが如く、同様のことが日々続いている。反面、あせりだけが積み上がっていく。まあ、頑張っていく他にないか。


2007年3月17日 晴れ 8度
今日も例の製作が続いた。未来館から依頼の液体窒素実験用ペレットの製作にも一段落。サンプルで使えるかどうか試験済みのものを製作していたのだが、製作方法の工夫で、お金を掛けず、結構製作時間を早めることが出来たお陰で、例の加工機の製作の続きを進めることが出来た。一番大事な部分には、あえて透明なアクリル板を曲げて使うことにした。この方が、中身の移動がよく見えて、それに何となく、それらしいからだ。途中、また隣の鋳物屋の工場で火災警報の誤報が鳴り止まなかったりと、緊張する場面もあったのだが、ふと気がつくと9時を回っていたので、作業を止めた。


2007年3月16日 曇り 7度
昨日のように、どうしても「なごり雪」の歌を思い出さずにはいかない寒の戻りの中、今日も例の製作が続いた。計画的な作業手順の進行とは全く別個に、所謂今までに無かったものを世に出していくという事は、大変なものだ。あーでもない、こーでもないの本当に連続なのだ。だから、よく言われることは、その積み上げた上に次のテストをして行かなければならないのであって、同じようなところで空回りしていたり、前回までの結果を無視するか、忘れたり、不十分な検証だけで次を試してみたりでは、良い結果が出ていても、見過ごしてしまう場合があるということか。しかし、問題はそこに、純粋な実験だけでは済まない、経営サイドの都合が入ってくる点だろうか。


2007年3月15日 曇り 後 夜一時みぞれ舞う 4度
近くのダンボール屋のあの有能な営業マンの急死。享年47歳。最近お顔を見ないな と思っていると、急激な病状悪化で、最早手遅れのその癌に、家族周囲に、きっと本人さえも、無常の驚きと悲痛と慟哭と完全な虚無感とに ひれ伏すように倒れ、そんなはずは無いんだと最後の最後まで思ったことだろうに 必死の看病の甲斐もなく、数ヶ月の余命の後、静かに息を引き取る。式場に南無阿弥陀仏のお経の流れる中、焼香に続き、見納めの棺のお顔を順に並んで拝見し、手を合せ、通夜の会場を後にする。外は、季節外れの冷たいみぞれが舞っていた。100人程度が腰掛ければやっとの慎ましやかな会場であったのに、立って順を待つ人々が300人はあっただろうか。若い高校の学生さんが多い。制服もばらばらなことから幾つもの高校から来ている様子が見て取れた。故人の生前の知られざる遺徳なのだろうか。後から後から、会場へやって来る。「焼香をこれにて」、とのアナウンスの後もまだまだ遅れて到着した学生服が焼香を続ける。しばらく、こんな大勢の若者の真剣な姿を見たことが無い。皆誰かに呼ばれて嫌々やって来たのでは、こんな真剣な様子を見ることは無いだろう。何処にも誰にも雑談するものは無い。にきび面、染め上げパーマ、さっと数えて200人ぐらいだろうか、皆、大切なものを無くしてしまって、どうしたらいいのだろう、と言った顔をして、故人の遺影を眺めている。不思議な光景だった。一体あの有能な営業マンは、何者だったのだろうか。


2007年3月14日 晴れ 6度
今日も例の製作が続いた。夕方遅くになって、ようやく例の加工道具の材質をアクリル系にしようと決めて探し始める。そんなものか。たとえ牛歩であっても歩みを止める訳にはいかない。確かな感触と上手く行きそうなイメージを持って進むだけだろうか。

<緊急特報>

先程、漫画家の鎌田洋次くんから知らせが入った。プレイコミック(秋田書店)の4月号(毎月2回、増刊もあり)から新連載が一本決まったそうだ。今回は自らの経験を活かして、楽しい『子育て漫画』で新しいジャンルに挑戦してみるそうだ。架空の主人公をメインに展開していくのだろうか。それとも、いっそ、自らの紆余曲折に富んだ体験を赤裸々に、語り続けるのだろうか。これから、そして今、子育てに翻弄する若い世代には、大変参考にもなって面白いかもしれない。或いは、もう少し上の世代には、思い出を振り返るのも良いかも知れないテーマだ。(立ち読みや回し読みはご遠慮下さい。必ず、お近くの書店か駅の売店 コンビニなどでお買い求めの上、ご購読下さいませ。本人の生活もございますので、、、)








プレイコミック(秋田書店)3月22日号表紙から (鎌田洋次くんの連載は4月号から)
鎌田洋次くんの既刊漫画はこちらから


2007年3月13日 晴れ 7度
今日も例の製作は続く。例の急ぎの製作に加えて、夕方になりまた例の妙な製作も加わり、忙しい限りだ。残念だが、今日はここまでだ


2007年3月12日 曇り時々晴れ 6度
今日も例の製作が続いた。急ぎの製作もあり、また、次の例の加工道具の改良にも掛からなければならないし、空いた時間を見ては、実例集の製作例を写真に収めている。まあ、こんな写真集だが、きっと後進の何らかの一助になれば幸いだ。と言うか、今の若い20代30代の世代から、きっと次の時代を大きく動かしていくような人物が輩出すると信じてはいるのだ。なぜなら、これだけ多種多様なコミュニティー手段が開花している時代はめったに無いだろうからだ。そんな中で、今も、きっと自らの主張を何度も何度も熟成させて鍛え上げているのだろうから、ある時、一斉に世に現れるような現象になるのだろう。それを時代のうねりとでも呼べばいいのだろうか。大きな波は、地上に激しい変革を一気にもたらすのだろうか。そこまでは解らない。あるいは、一人またひとりと じわじわと来るのかも知れない。ただ、相当に鋭意な新感覚の持ち主は、その若い世代に、うじょうじょしていることだけは確かだろうか。例えば、これだけ多くの若者が、どんなに短い文であっても、これだけ長時間にわたって、文を書く、或いは文を打つという思考的な行為をし始めた時代が、他にあっただろうか。情に流された文だって、そんなことはない。そもそも日本の文章は、感情表現には大変向いた構造になっているのだから、今のような頻繁なやり取りには最も向いているはずだ。そうして、この時代の空気を鋭敏に嗅ぎ付ける彼ら彼女達の中から、次なる時代の胎動を開始するもの達が出て来るのだろうか。新しい時代の空気を読む新しい詩人は、シャーマンのように、たった一言二言であっても、20代30代の世代を虜にしていくのだろうか。やがて、その言は本にまとめられ、世代を超える。


2007年3月11日 曇りのち晴れ 6度
気温の変化が極端なのが最近の特徴だろうか。エルニーニョが収束して夏は普通の夏という予測は過去の平均値から出た数値だろうから、今日のような極端な変化が最近気候に現れている点は含まれないのだろう。だから、今年の夏は逆に冷たい夏になりそうな第六感がする。近くの公園に桜が咲き、農道の脇でおたまじゃくしが見られて、まるで初夏のような気温の日が続いたと思ったら、突然の真冬のような寒さだ。昔なら、大飢饉でも起きそうなところだろうか。そうだ。過去、天変地異は人の時代に大変化をもたらしてきた。現在はどうなるのだろう。取りあえず、住宅に断熱材は必需になりそうだなあ


2007年3月10日 晴れ 15度
今日も例の製作が続く。急ぎの急な製作もあり、終日ばたばたしていた。あれもありこれもあり、の連続ではある。例の新型セルパネの件で例のホースの異径接続をどうするかで、あれこれ走り回ったのだが、結局えいっやーで行くほうが手っ取り早いと考えるようになるまで今まで掛かっている。ブリキを巻いて布テープで留めてしまう 昔 発泡スチロールの送粒でよくやった手だ。この手を使えば何でも接続可能だなあ。しかし、運転は大変だろうなあ。スイッチを押すと、どうなるだろうか、、、。 夕方、未来館から連絡が入った。例の液体窒素のお皿であるが、試作品をテストして頂いた結果を伝えてもらった。有難いものだ。我々のような、中小企業では、こうして公共機関にお助け頂けることは本当に助かるものだ。今後の製作において、お電話一本の結果だけでも、それはそれは、こちらでは全く手の届かないような重要なものだからだ。


2007年3月9日 晴れ 12度
今日も例の製作が続いた。連続して起きる、物騒な町の事件を横目に我々は、黙々と働き続けるのだろうか。だから、商売とは何か、一体何をしているのだろうかと自問自答の繰り返しなのかもしれない。こんな狭い島国で、日本人100人のなかで、一握りの勝ち組と、多数の負け組みが一緒に仲良く同居できるはずは無い。やがて悲しい騒動は、こうしてじわじわと広がるのだろうか。そもそも勝った負けたで人を区別するのはこの国に似合わない。再度、この国の長い歴史を検証し、再度、何が良くて何がこんな結果へと導いてしまったのか考えていかなければならない。例えば、住友の家訓に「薄利多売をよしとし」とあり、その薄利とは、安請け合いの安売りがいいということでは決して無かったはずだ。それは、相手があってこちらがあってこその商売、よくよく相手を思い図って、こちらも我慢してぎりぎりのところまで抑えて、僅かばかりの薄利に甘んじ、といったものだったはずだ。ところがどうだ。いつの間に、売らんかな、売らんかなの利潤追求になったのだろうか。江戸時代にも一揆打ちこわしがあった。大正昭和に入っても米騒動はあった。戦後60年、どうも最近の物騒な事件を見ると、危ないと思う。
さあ、中東の戦争はこの辺でその会議で終戦としてほしいものだが、、、、


2007年3月8日 曇り 7度
今日も例の製作が続いた。ひとつ、またひとつと、様々な工夫の積み上げが必要なのだろうか。そして、またひとつと、如何にコストを掛けずにそんな方法を編み出すかの連続ではある訳か。果たして、しかし、それだけだろうか。商売とは何か。物を売る商売ではある。先日、テレビだったろうか、日本的資本主義を唱える論陣を流していた。そう、「安かろう良かろう」の経済行動が、やがて、生産拠点を安い海外にどんどん移転して行き、孤立した島国には、やがて何も無くなって行くのだろうというものだ。何も資源の無いこの国では、原料を輸入して加工して売ることで日銭を得て生活していたのだろうから、当然そうして得た少しばかりの蓄えも、加工して売ることを高い高いと言われて止めてしまい、安い国からさらに安い物を買って消費するようでは、やがて底をつくのも時間の問題だ。そりゃ確かに一部元気な部分は、逆に高くてもさらに高くても「良かろう」商品を作り出して勝ち残るだろうが、それは日本人100人の中で、一体何人になるのだろうか。残された大半は、やがて、地球規模の最も安いコストで作られた最果ての国の商品との競争の中で、消えて行く他にないのだろうか。だから、それではだめだ。グローバル化によって儲けるのはいいが、グローバル化によって困る層も相当激しく出現し始めているのだ。例えば、手元に日本人の貯蓄率のデータがある。それによると 1975年に23%だった日本の貯蓄率は、90年に15%、それから急激に下がり始め、2004年には4,2%、05年2,8%にまで下がっている。同時期、ヨーロッパOECDでは8,6%もあることから比較して、相当な落ち込みではないだろうか。最早、勤勉で貯蓄に励むというような日本的な美徳とされたようなことは、どこにも無く、ここ20年、少しばかりの蓄えを食い潰して生活が苦しくなりながら何とかやってきたということだろうか。この点で世界一の低貯蓄を誇るアメリカに並んでいる。これこそが、パックスアメリカーナの正体なのかもしれない。だから、再度、独自の方針をもって、諸外国に振り回されることなく、我々の生活を向上させるべく、そんな資本主義を唱えようということらしい。、、、、あれー、また大阪で金属泥棒だー。どうなっているのだろう。


2007年3月7日 曇り 7度
風の強い日中、我々のような中小企業でこんな商売を続けているところでは、皆どうやって生き残りを図っているのだろうかと、そんなことを考えながら、今日も例の製作が続いた。どうした訳か現業、回りまわって今のような事をお蔭様で何とか続けることが出来てはいるのだが、人生何て、長いようで短いものなんだろう。振り返れば、あっという間に過ぎているのに、さりとて、一体どれほどの進展があるというのだろうか。発泡スチロールの加工屋で蔵が建ったという話は、ついぞ今まで聞いたことは無いし、ならば、いっそ、ダイヤや金を発泡スチロールにまぶしてでも売れればいいのだろうか。そうも行かない。矢張り、黙って頑張るほかに無いか。一体何パーセントの努力が必要で、何パーセントの運や才能があれば良いのか、それも解らないが、最後は、自分を信じ、自分に賭ける他に無いじゃないか。最後まで、それこそ、棺桶に片足を突っ込むまで、諦めず、投げ出さず、時には、つまらない冗談を周囲に振りまきながらでも頑張っていかなければならない。、、、そう言えば今日の幾つかのお問い合わせの1つに、あれは確か夕方、当て板あてっ子の色艶美人の製作に急いでいる時だったか、「ちょっとお尋ね致しますが、発泡スチロ−ルって1キロで何キロでしょうか」という急ぎのご質問があった。それで、こちらも手を休めて、ちょっと考えてから、丁重に「んーん、それは非常に極めて大変、難しいご質問ですね。一度、国立の研究機関にでも申請して正確なデータをもらいますが、、、」とお答えしていたっけ、、、、。


2007年3月6日 急に寒い曇り 7度
今日も例の製作が続いた。季節が極端に逆戻りしている。確かに、激しい変化ではある。否が応でも地球温暖化への関心は高まるのだろうか。住宅に断熱材は無くてはならない時代に入ったのだろうか。おっと、時間が無い。実例集の更新で時間が相当押してしまった。どうも、実例集の更新が遅れ続けている。では、失礼


2007年3月5日 雨 17度
終日雨になった。今日も例の製作が続いた。ようやくその一件に決着がついた所で、さらに次の一件に掛かることになっていた。こうして延々と続いていくものだろうか。


東京の或る発明家が、エンジンで鳥のように羽ばたいて空を飛ぶ翼長3,3mの飛行機を作ったという記事がある、と知人に聞き、この切り抜きをもらった。羽に発泡スチロール系のものが使用されているようだ。何とも優雅だ。翼竜プテラノドンに似ている。将来空を飛ぶ飛行機はみんなこんな風に飛ぶようになれば面白いだろうなあ

朝日 2月25日号より


2007年3月4日 晴れ 20度
朝から、引き取り1件の為、店を明ける。その後、例の製作用作業台の修繕で半日が潰れた。新型セルパネの接続用を探しに行く予定であったが、こうして予定変更になってしまった。客先がどうしても都合がつかないとのことであったので仕方ないか。お客さんあっての商売だ。インターネットを始めて5年、24時間仕事のようなものだなあ。盆正月もなくなったし、まあ、好きでないとできないかなあ。


2007年3月3日 曇り 14度
今日も例の製作が続いた。ダクトホースに丁度のものが見つからず中々前進しない新型セルパネの加工機を前にして、空いた時間で、例の球面体加工機をあれこれ触っていると、先日来精度の悪さに辟易して、そのままにしていたのだが、おや、ひょっとするとその水平ゲージの基準値から既に10mm近く真芯をずれたままに設定しているのではないだろうか、という基本的な誤謬に気がついた。何だそうだったのか、それで、中央から周辺の局面へ向かうとき、10mmのロスになっていたのだろうか。きっとそうなのだろう。少なくとも、この10mmも原因しているに違いない。本当にそうかどうかは、一度1m球の加工に取り組んでみる必要がありそうだ。まあ、例の1mの卵型のお問い合わせがあれば、その時にでもテストしてみよう。そして、有難いことに、今日も様々なお問い合わせが続き、例の在庫積み上げ作業も続いた。先日、建築関係なのだろうか、アキレスコープランの難燃性ブロックで3500mmφの半円形ドームを製作可能かどうかのお問い合わせがあったのだが、基本的には製作は可能だろうか。恐らく、資金力と労力に余裕があるのなら、何でも可能だろう。ごり押しして、えいっやッーで製作すればいいのだからだ。しかし、我々のような中小企業ではそうはいかない。結局如何に簡単に、如何に安く誰でも引き取ってもらえそうなものにするか、そこが勝負になるのだろうか。つまり、例えば先日アキレスコープランの難燃性ブロックで810×420×200にカットしたブロックから加工した、1600mmφドームの製作方法のようになるのだろうか、この寸法を正比例して、要は横1750mm縦910mm×400mmにカットしたブロックを用意すれば、3500mmφドームの2/25の部材が製作可能だ。効率的にはこれが一番ロスが少ないのだろうし、おまけに2800mmφの半円も同時に製作可能になる。これから計算して定型ブロックが15本使用で完成だろうか。1600mmφドームの製作方法については、既に実例集に詳しく解説している。ブロックをまず、ショートケーキ状の三角柱にカットし、2段に積み上げてから、曲面加工していくのだ。その、単純な繰り返しになるが、可能か可能でないかで言えば、可能だろう。そして、こうするのが実際に製作した立場から言えば、一番球面に似た見た目のものが製作可能だろうか。恐らく、これにウレタンでも吹き付ければ、断熱性があって、しかも強靭なドームが仕上がるだろうかw。


2007年3月2日 晴れ 15度
ようやく、その例の製作品の引き取りに遠方からお越しになり、一段落したのも束の間、今日も例の急ぎの製作が続いた。有難いことに幾つかのお問い合わせも続いた。近くの材木屋さんの若旦那が昼過ぎ、軽でお越しになり、「こんな春みたいな天気がずーっと続いて呉れたら仕事がし易くて、いいのだが、大工さんは眠くなって棟から落ちよるなあーww」と、つまらないことを話しておられたので、つまらなそうに返事を返すと「ほんまやでー」と返された。どうも、何度かそんな現場に出会った経験がおありの様子だった。慣れないうちは、油断大敵、危険と隣り合わせの仕事なのだ。そう言えば、何年か前、他の材木屋の若息子さんが足を骨折して、暫く、松葉杖で仕事をされていたことがあったのを思い出した。100年続く、由緒伝統の材木屋さんだったが、「仕事変えて、自動車用品店にするんだ」とか何とか話されていたが、あの怪我の後、何が転機になったか、今も同じ仕事を続けておられるようだ。兎に角、食うて行かなければならない。景気は本当に回復しているのだろうか。


2007年3月1日 晴れ 15度
有難いことに今日も例の製作が続いた。急ぎの製作には継続して前向きに誠心誠意 そして注意深く、こころして取り組んでいる。何分、吹けば飛ぶような軽い素材な為、実入りは少なく、汗して頑張って埋め合わせする他にないのは、世間 他の中小企業様と同じだろうか。だから、常に周囲を気にして、目は先を見て、次そしてその次と打つ手をあれこれ思案し続けていかなければならないのも他と同じだろうか。これはどうだ あれはどうだと、ろくでもないガラクタのようなストックは、見本市並みに揃えているのも他と同じだろう。試して合点する事もなく、試してバッテンな結果は、最初の1つか2個で出るものだからだろうか。それでも、前向きにあーでもないこーでもないと常々キリがなく続くのだろうことも同じだろうか。鐘がならない、儲けは勿怪の他か、貧乏暇なし、食うために、食うて行くために、ひたすら先を見た心算が、うしろめたく、後悔先に立たず、積み上げたものをまた壊してはやり直し 繰り返しの日々も同じだろうか。


2007年2月28日 雨 11度
今日も例の製作が続いた。急ぎの急な製作があり、あっという間に時間が過ぎている。もう、2月が終わるとは、驚きだ。幾つかの民間研究所からの発泡スチロールの性質についてのお問い合わせも続いた。確かに、皆さんおっと驚くような発想をお持ちの方ばかりな 気がする。どこからそのような閃きを生み出す原動力を手に入れられたのだろうか、と驚く。そして、矢張り、天性のものか、それとも、東海の孤島、不思議の工業立国日本の奇異なる個性に根ざしているのだろか。心象ふるさと日本の原風景にまで遡るのだろうか。古代、何万年か前、人類発祥の地アフリカのサハラに乾燥化が起き、ピラミッドを砂漠が覆い、やがて次なる肥沃な大地を目指した民族大移動は、何万年の時を経て、古代シュメールから海と陸を次々に伝って、縄文のこの地への移動まで世界を動かした結果なのだろうか。幸か不幸か地勢的に、入って来るがなかなか出ては行かない民族の坩堝のようなこの国は、何千年の時を掛けて、混ざり混ざって、十分世界に冠するような独創的な人物を数え切れないほど、本当は排出しているのだろうか。ノーベル賞級の研究者何て、きっと、巷、研究所から様々な中小企業に至るまで、あちらこちらに ごろごろしているのだろう。教育の荒廃が叫ばれて久しいが、果たしてそうなんだろうか、と疑問を投げずにはおけない。まだまだ、捨てたものではないのではないか。幾ら画一化されていようと、幾ら、詰め込みやゆとりだと、言われていようと、一方で、歯を食いしばって頑張っておられる大勢の現場の取り組みがあるのも事実だろうが、不思議な東海に浮かぶ孤島の数万年を掛けて、長い長い基本的文化の醸成によって培われてきたものは、そうそう簡単に他国に真似はできないだろうなあ、と思った。


2007年2月27日 晴れのち曇り 17度
今日も例の製作を進めた。ただそれだけなのだが、見方を少し変えるだけで、実に日々含蓄に富んでいるものだ。ここをこう、ここをそう、と工夫には尽きることが無い。有難いことに、様々なお問い合わせが、輪を掛けて変化に具体性を持たせるようにと、督促しているようにも思える。本当にこんなことをあと10年も続けていれば、実例集も2000例 3000例を越えて、百科事典が完成するのだろうなあ。本当に有難いの一言に尽きるのだ。では、この辺で


2007年2月26日 晴れ 16度

気温は3月下旬並みだそうだが、とうとうこの分だと今年の冬は空冬なのだろうか。そして今日も例の製作が続く。各製作のうえで幾つか、目途がついてきたのは有難いことだが、これが終われはまた次の課題が待っている様だ。@難燃材のアキレスコープランで3500φの半球製作は可能か可能でないか、と言えば可能だろう。だが、問題は如何に簡単に安上がりに出来るかなのだろうか。Aダウ化工のスタイロのそのレベルのものは910×910までしか無いそうだが、お見積もりの加工品が、それだけ細かいと、材料が9割方余ってしまいますね。これは、あまっても廃棄するしかなく、結局困ったものですBよくあるご質問ですが、それ以上になりますと、球は発泡粒ではなく、金型成型品になりますねC単体の荷重1950gで全体では約40キロでしょうかD先日新聞にありましたエンジンで羽を羽ばたかせて空を飛ぶ飛行機ですね。主翼はスチレンペーパーを使っているようですよE


2007年2月25日 晴れ 16度
今日も例の終日作業となった。ようやくその輪郭が現れてきたところである。しかし、いろいろなご依頼があるものだ。戻ると疲れがどっと出て、横になっていた。これ以上のコメントはない。では、この辺で



2007年2月24日 曇り時々晴れ 13度
今日も終日ばたばたしていた。そして、全力で例の製作にあたっていた。ようやく、夕方遅くになって、ある程度の目途をつけたところで、ここまでとなった。それ以上でもそれ以下でもない。何故なら、課題が山積みだからだ。あれもしなければならない。これもしなければならないと言った連続だ。結局、何年と言った時間経過で見れば、確かに独自開発した道具を使った加工などには、一定の強い需給が継続出来ているような気がする。正しくそういうことだ。努力とアイデアなのだろうか。このパターンの先がよく見えるだけに、それもあれも頑張らなければならない。新型セルパネの加工機においては、橋詰電気さんのご協力でようやく電気配線まで完成した段階だ。まだまだこれからというところで、時間が無闇矢鱈のクラッカーのようにはじけて過ぎている。、、、取り敢えず実例集の更新をしておいた。


2007年2月23日 雨のち晴れ夕方風強し 12度
今日も朝から例の製作が続いた。精一杯出来る範囲で頑張った。これ以上どう時間的にやり繰りしても、しようが無い位に密に動いていた積りだ。どうしても、納期に間に合わして欲しいとのご依頼が一件、喉元につかえたように横たわっている。だめだ、だめだこれ以上時間が無い。なのに、どうして、何ページも更新が可能なんだろうか。仕事の合間にそんな更新が可能なんだろうか。或る所では、仕事の合間に書き溜めて、何ページも毎日更新していると聞き、こうして真似てはいるが、それでは、仕事に根性が入らないのではないだろうか。頭の中で、仕事と文章構成とまったく異なることが、同時進行しているのだろうか。確かに、そういうことだろうなあ。以前、一度に3人の話を同時に聞ける人に会ったことはある。確かに3人同時だった。しかし、きっと10人一度に異なる話が聞ける人もいるのだろうなあ。残念、こちらにはそんな才能は無い。こんな年齢だ。自分の特技、弱点など厭と言うほど経験して来た。だから、只管、前向きに出来るところまで頑張る以外に無い。


2007年2月22日 晴れ 16度
今日も例の製作が続いた。有難いことに、実に様々なお問い合わせもあり、そういう意味では充実しているのかもしれないが、ご期待に答えるべく頑張る他にない。以前、お世話になっていたあの研究所の主任部長さんの消息がひょうんなことから伝わってきた。今では、中国に家を借り、日本と中国と年間半々ずつ暮らすような、研究生活をなさっているらしい。もともと、工学博士からお仕事の都合で農学博士を取得なさるほどの秀才肌だったが、どうやら、今では中国語も達者に喋るそうだ。才能があると国境は関係ないのだろう。インターナショナルで緑化に向けて取り組む平和主義者だ。 ああ、そう言えば、もう一人中国の砂漠緑化に30年以上取り組んでいる日本の方もおられたけれど、どうしているのかなあ。おっと、時間だ


2007年2月21日 晴れ 16度
今日も例の製作が続いた。有難い事に、様々なお問い合わせが今日も続いている。前を向いてしっかりと進んでいく他に何も無い。兎に角時間が無い。そりゃ、24時間睡眠も無しで頑張れば1日が2倍になるが、その次の日がもたないなあ。地球温暖化が進んでいるのは二酸化炭素の排出量の増加が原因だとする国連のIPCCの報告に、各界からの反発も出ているようだ。@二酸化炭素の排出は増えても、温室効果があるとされるメタンガスの排出量は逆に年々減少しているA最近発表された太陽黒点の増減と温暖化の関連の研究が無視されているB海水面の上昇は二酸化炭素の増加にも拘らず年々上昇スピードが減ってきているC氷河の氷が年々減少しているというが、南極の氷は溶け出すのでは無く、年々6パーセント逆に増加傾向にあるC10万年単位で見て、今より大きな気候変動が起きているにも関わらず、過去、人為的な増減要因とされる温室効果ガスを現在ほど増加させる要因が見当たらないのに現在よりもさらに高温な時期が何度もあった。D空気中のガスや塵 などの増加は 雲の組成に関係し、むしろ寒冷化へ向かっているのではないかとする説 などが上がっている訳だ。特に以前紹介した水蒸気と気温の関係から地球全体のエネルギーの総量計算をだしてこの温暖化説に異を唱えた日本の研究者の著書もある。確かに、太陽黒点は今から3年ほど前、異常な爆発を繰り返し、太陽風で地球大気内の雲の組成に関係する宇宙線を相当吹き飛ばしてしまったのだろうか。それが、現在の気象変動に繋がっている。ということは、気候はまた、その内何年かしたら元に戻ると言うことなんだろうなあ。


2007年2月20日 晴れ 14度

そして今日も例の急ぎの製作に追われた。時間が無い。全く1行書き込みがやっとの状態か。ただ、黙って頑張るほかに無いのだろう。納期があるのみか。


2007年 2月19日 曇り時々晴れ 8度
今日も朝から例の製作が続いた。別に何処かの大臣が言うように「労働時間だけが売り物」でもない。ほっといてほしいものだ。何も好きでこうして毎日毎日休日も無く、24時間頑張っている訳でもない。食うていく為に止むを得ずこうしているのだから仕方が無いさ。健康であることも売り物でありたいものだが、そうもいかない。少しでも余裕があればいいのだが、そこまで行かず届かず、繋がらず。逃げる2月に去る3月。急ぎの製作が重なった週明けだった。しかし、仕事があるだけ有難いと思わなければならないものだろう。世間はまだまだ激しい不景気風が流行っている。ではこの辺で失礼 




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