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「わたしの研究開発雑記ノート

                                                                  
                                                       
2003年3月28日
安請け合い、春でも一日千秋(アキ)。発泡スチロールの板に10パイ、15パイ、25パイ、30パイ、40パイ、50パイ、60パイ、70パイ、80パイ、100パイ、300パイ、そして500パイと順番に穴あけ、一体こんなものを何に使うのだろうか。全く解からない。ただ、黙って作るだけ。丸あなアキ、2日の作業。儲からない。手間暇ばかりとる。しかし、大変でも、その先は、首を長くして待っておられるユーザーがある。大きな穴も小さな穴も、”あっちこっちトラック”に揺られ揺られて旅をして、末端ユーザーまで届けられます。板に穴ばかり開けていて、気持ちが穴飽きになりそうです。その前に、他の仕事に穴が空きそうです。急いで、在庫積み上げ作業。ようやくホッとして、空いた時間にセルパネ試作作業。うまくいきそうな予感。油断禁物、落とし穴に気をつけろ!

 今来むと いひしばかりに弥生つき 穴明けのツキを 町でつくるかな


2003年3月27日
北の方にある某有名大学の先生が、発泡スチロールをまさかと思うような奇抜な用途に使うことをご提案され、近くの民間企業の社長さんにフジカット(有)のHPのコピーを添えてその提案内容と資料を渡されたらしい。偶々、昨日は工場におりましたのでそのご連絡を直接受ける事ができました。とりあえず可能な限り、ご協力させていただきます。その内容については、当分の間、当事者様の利害に関係いたしますので公開は差し控えさせて頂きますが、兎に角、面白いなあ、というのが第一の感想でした。本当に色んなことを思いついて、考えて、形にしてみようとするもんだなあ。さすが、日本の大学の研究者はすごい人が揃っている。何の変哲もない物からでも、一体何を取り出して来られるか解からない。いつまで経っても、待っても手品の幕引きが無いのに似ている。次々と延々と累々と大河のように絶えることなく流れてくるようでもある。勉強しすぎて遊べなかった若者がようやく人生で初めて本当の意味で自分を発見する為に、思いっきり遊べる期間が大学時代だといわれるが、研究好きの研究者には、よき恩師を探す期間であったのかもしれない。やがて実がなり花が咲く。

昨日、空をどんよりとさせた黄砂は実は調べてみると先週エジプト辺りで吹き荒れた砂嵐の砂だったらしい。来週は今吹き荒れている国の砂嵐の砂が廻りまわってこの国に届くらしいとMr.NHKが話していた。そんな遠大な流れを調べる研究者もいるらしい。今日はここまで。


2003年3月26日
材木屋さんで、まだまだ元気そうな元大工さんが、原木に腰掛けて熱めのコーヒーをすすりながら「そやなあ、今はまだ、どう使ったろうか、誰でも、思案しとるとこやろなあ。興味はありよるんちゃうか。出来る大工やったら、あちこちアンテナ張っとるしなあ。その期間がどのくらいやろうなあ。3年か4年か、、、”あっとびっくり”があったら早いやろうけどなあ。それでも2年位かなあ。合板でも窓枠でも屋根でもやし、柱かてあっとびっくりあってんで。」と大変有難いご意見と、コーヒーと菓子まで頂戴できました。こちらも失礼して原木に腰掛け、伝わってくる木の温もりと、落ち着きを与えてくれそうな香りを嗅ぎながら、熱めのコーヒーに思いました。ローマは一日にして成らず、、、。例え、”あっとびっくり”から始めても下手にバチカンちがいじゃ、今日のケニヤは霧マンジャロへ行き過ぎる。さあ、どうする!どうする!セルパネページ拡充検討開始。


2003年3月25日
本当に発泡スチロールで筏を作ることになろうとは思わなかった。ショップの「小さなブロッくん」を使っての製作であった。何に使うのだろうかと、最初は全く解からなかった。濡れない様に袋梱包との指定がされていた。技術員から「お客さんの意向は防水バリヤ張りだ」と強い主張があった。数々の水槽製作の実績から発泡スチロールと水のコントラストは経験済みだ。しかし、フィルム張りにすると予算が相当オーバーしてしまう。高価な粘着フィルムを20メートルも使う計算になるし、作業時間もかなりかかる。「ビニール袋を2枚重ねにして、気持ちだけ、お茶を濁す程度のサービスでいいじゃないか、何年も使う訳じゃあるまいし」と、業務が割って入る。納期は、明日だ。夕方の路線便最終に間に合わせなければならない。これじゃ、そっちのけの完全無償奉仕だ。結局、この際、お客さんの意向を汲んで、防水バリヤにすることになった。幸い、手持ちのフィルムは幅が丁度そのままで使えた。儲からない。儲からない。その後、時間が押して来たので、地団駄を踏みながら在庫踏み上げ作業。


2003年3月24日
今日も在庫踏み上げ作業を一日。何の変哲もない、いつもの作業。いつもの作業で済ませたら何の進化もないが、『改善は何故何故なぜの繰り返し』と、以前、何処かの商工業の会議所で儲からないお話に効く薬だと、無名の診断士が「有名なセリフですから」と断りをつけて語ったのを思い出す。そんなことは、『改善』の文字さえ取れば今の小学生でもよく知っていることだ。「ぼく、なぜだと思う?うさぎさんと亀さんが競争したんだってさ。そしたらね、どうしてだろう!亀さんが先にゴールに着いたんだってさ。ホントかな」と試しに聞いてみると、「ふーん。亀さん、がんばったんだね」とか「うさぎさんも疲れてたんだよ、きっと」とか「おなかがすいてたのかな」とかの模範解答の他に、「亀さん、近道を見つけたのかなあ」といった回答が時々出てくるだろう。その近道の発見ですね。本当に有難いものだ。わざわざ、講習会を聞きに行かなくとも、小さな時から何度もこの発見授業は誰でも義務教育で教わって来たわけだ。学業を終え何十年、いまだに役に立っている。今日も続く、在庫と工夫の踏み上げ作業。北大阪商工会議所のおたよりの4月号にセルパネの写真が載りそうだ。今日はここまで。


2003年3月23日
セルパネ製作第2ステージ本日休業。私用で日本橋筋をさまよう。セルパネを簡単に、どこでも、いつも、いくつもホイホイ作る方法はないか?掘り出し物はないか、探し回るが、全くここは商品の分野が違うようだ。さすらいの後悔。五階百貨店へ入る角の電気工具店。もう亡くなって7年になる親父に連れられて、小学3年の時に、はじめて来た店が代替わりしながらまだ営業している。その時買ってもらった半田ごて、40年近く大事に使ってきたが、とうとう古くなってコードが硬化して焼けたので、先日、また同じところへ買いに来た。それからでも、1年経つ。その前来たのは、アマチュア無線の免許を取って、喜び勇んで無線機買いにやって来た3年前。中学1年の時にK君と南千里の無線技師の自宅にお邪魔してスゴイスゴイカッコいいと欲しくなった免許だったが、とうとうこの歳まで取れずじまい。そして、携帯やネットの氾濫する時代になってようやく取得できた。のに、未だ電波を発信せず受信だけ。今はそれどころじゃない。ホイホイ製作術の道具さがし。昼は近くで廻る寿司。

   イクラ食う ここぞとばかり 刺したるは おんなこどもの 悲鳴ばかりか 


2003年3月22日
昼から在庫積み上げ作業。夕方、一段落。メーカーの「大至急下さい。」のFAXに路線便で190円の商品を790円で発送する。儲からない。不景気だ。熱でうなされると、以前居たことのある会社の上司が夢の中に現れて《そんなんで儲かるんかい》と言いながら、壊れた洗濯機を直しもせずに、工場ドレン排水のお湯をバケツに汲んで 手ごねで真っ黒の作業着を洗っている、、、そんな!、儲からない典型のようなシーン。折角、誰かが拾らってきてくれた洗濯機なのに、半年、皆で使えて喜んでいたのに、壊したら修理ぐらい自分でして欲しいものだった。モーターのベルトくらい針金で締めればまだ廻る、SW壊れたら直で配線すればまだ廻る、ホースが詰まれば別のホースでサイホンにしたらまだ使える、それでもモーター焼けたら、隣の壊れた洗濯機のモーターと交換すればまだ廻る。わざわざ同タイプを見つけてきたものだ。何とケチケチ不景気な話。しかし、ふと忘れていた事があった。管内を流体が流れる時、背圧が直径の何乗かに係数を掛けただけ比例して大きくなったはずだ。ドレン管が小さければ直ぐに詰まる。上り下りを同径にするのは素人の設計だ。計算上決まっている。またやり直し、セルパネ第二製作、道半ば。


2003年3月21日
昼頃までセルパネ試作品の製作。旧来手法ではおそらく、こんな所だろうか。大体の流れをとらえ始めたから、次は如何に飛躍させるかだ。昼から、早退。大事をとって発泡スチロール製の”足湯くん”に熱めのお湯を入れ、両足を浸して温まる。汗が出てくると大分楽になった。足だけ温まって便利なものだ。こんな簡単なもので元気がつくなら言う事無い。

製作実例集に2件追加しました。ご参考にどうぞ。


2003年3月20日
昼から営業3社58キロ。体調がすぐれないで営業に出るとどうなるかの見本のような一日。「どちら様ですか」と受付で聞かれて咳こんこん。鼻汁ずうずう。結構大きな材木屋さんで、担当者は奥にいる。喉がいがいが、咳こんこん。名刺を取り出すべきところ、思わず鼻紙を探し始める。確か、右の上のポケットにまだ1枚残っていたはずだ。さっき事務所に入る前、2枚あったので1枚だけ使った。ポケットの奥にあったくしゃくしゃにしおれた最後の一枚を見つけて惜しみながら使う。上を見てイライラしながら待っていた受付の人に、ようやく名刺を渡す。名刺を不潔なものでも持つようにして中へ通される。老獪な担当者はすぐさま、相手の体調が良くないのに 無理を 押してやって来た相手だと見て取ると、容赦しない攻撃を開始する。そして、あーだこーだの一通り、ビジネス会話が終わり、「ご覧の通りや」と壁の黒板の予定表をあごで指して「ぼちぼち動き出したようなんや。棟上も来週から並んでいるやろ」とチョークで書かれたその”棟上”の2文字に、勝ち澄ましたような至上の幸福や感極まった悦楽の文字を読んでいる。しばし沈黙。過去の数えきれないご苦労さまが、走馬灯のように蘇えってくるのだろうか。この道に入ったのは終戦の年、大阪で、単なる偶然の出会いと本人は言うが、南方の戦地のジャングルで材木切る作業はいやと言う程させられていたので、先代の社長の旦那が、空襲で焼けた家の5寸か6寸の角材を切っていたのを 偶々 通りがかった本人が見かけて、ほんのひと助けの心算で一緒に切り出したのが始まりだったらしい。何十年経っても「旦那」だった。会社になって社長と他の人が呼ぶようになってもその本人だけは「旦那」と呼んでいたらしい。50年過ぎて、社長が他界され、息子さんに代替わりしても、永遠にその本人の心の中では「旦那」だった。その「旦那が見たら、、、」と、ここでこちらを振り向いて「もうすぐやな。家が建たんとあんたらも仕事にならんやろ。」

マイクロビーズのお問い合わせがまた3件ございました。ありがとうございました。それぞれ、ご返事をいたしました。


2003年3月19日
迂闊でした。電話の電源を切らずに横になってしまいました。朝から呼び出しを食らいました。980パイの円柱を作れとの業務命令です。明日、納品だから急げ。仕事をすれば熱は下がるからと、大変有難いアドバイスでした。われわれ中小企業で働く者は風邪をひいても熱が出ても会社を休めません。「折角、うちの方が安いからと廻って来た注文ですので、よろしくお願いします」とひと言残して、はやりの風邪が移るんじゃないかと嫌そうにさっさと業務は事務所に戻ってしまう。鼻汁たらたら熱がんがん喉がいがいが咳こんこん。これでも大きな円柱作って目がくるくる。足がくがく。今日はここまで。


2003年3月18日
今日は風邪気味。いつも通り、在庫積み上げ作業の後、少しはやめの帰宅。そのまま布団の中へ。早めの葛根湯がいいらしい。発泡スチロールでお人形作りの方、発送いたしましたので、もう少し、お待ち下さい。セルパネカタログ希望の方、もうお手元に届きましたか。マイクロビーズのお問い合わせの方、ご返事は後日致します、うちがメーカーの直の窓口を3社ほどしていますが、よく解からない事が1点だけありますのでまたよく確認とってからご返事します。「よし、業務の全面見直しだ」をなさる会社の方、頑張ってください。後日お返事致します。業務連絡の方、今日は休み、明日は休みにしておいて下さい。


2003年3月17日
営業の後、ちょっと私用で市役所へ行った。何故か今日は大変な混雑曜日。待ち時間と、たらい回しで結構時間を取られたが仕方ないかと諦めた。元小学校の校舎を市役所分室に使っているし、何処かのまだ使える小学校の校舎を無理に壊して建て替えようとしている市役所に比べてはるかに経費節約が外から見る限り行き届いていそうだ。学校を出て、そのまま公務員になる様な方々は、我々のようにウロウロしながら人生を送って来た者よりこれから実際に給料が下がりだせばやはり本気になってストレートに的を突いた方策を練ってくるのだろうか。やはり、官優位だ。あたふたしながら役所から戻ると、また在庫の積み上げ作業。その後、セルパネ製作用の簡単な装置を作った。思ったより上手くいった。技術は、民優位だろう。、、、それに、学になれば、近くの京都が優位だろうか、、、。学生密度と現役先生引退先生といった先生密度の高さが自立する町文化を創っているらしい。そこから独創が生まれる。といった見解は、携帯文化やインターネット普及前のお話かもしれない。最早、世界中にネットが広がり、、、といっても「もし、地球が100人だけの村だったら」やっと2,3人に広がっただけなのかもしれないが、少なくともこの国においては、知識や知恵を直ぐに共有できるシステムは、高い教育水準に合致して2倍3倍の優位性を発揮しそうだ。


2003年3月16日
セルパネ製作工程見直し。”よし、業務の全面見直しだ”とか言うコマーシャルを思い出す。展示会向け両側ビニール張りのセルパネを作りました。セルパネのページに写真を追加してみました。
QandAのページ2件目を掲載しました。
簡単なセルパネのカタログがやっと出来ました。これからはご希望がありましたら、コピーしますので、それほど待って頂かずに発送できると思います。
球体加工は、りんごの皮むき方式でいくのがやっぱり簡単でしょうか。発泡スチロールで作る保温用の樽が加工で出来そうです、5%曲げに耐えられるので、曲げて貼り付けていけば意外な面白い形状が得られそうです。


2003年3月15日
一日、セルパネサンプルの製作。幾つかの点で改善ができた。何枚ものセルパネを作ってきたからこそできることだと思う。2ヶ月かかって、やっとこの点がクリヤー出来た。結果だけ繋げれば何でも無い事かも知れないが、これが思いつくまでにこれだけ多くのものが経過した訳だ。またひとつ、またひとつと、その度にそれを達成できた満足感が得られる訳ではないものの、今回は、うまくいったという爽快な感触が伝わってきた方だ。1月から何度試してもそれを越えられなかった。不可能じゃないかと思った。もう一度、別のうまく行かなかった方法でうまくは行かないと解っていても、せずには居れなかったし、何かせずにはこのままここで終わりになりそうだったし、終わればいいとまで思っていた。それでも1日経つと、又、こうしてみようかと他をやってみる気力と探求心と次の提案が沸いて来た。


2003年3月14日
いつもの営業から戻って、少しバテ気味ながら工場内作業。ふと、愛と情熱の国スペインを思い浮かべるようなスペイン製のすばらしいタイル時計の、梱包用発泡スチロール貼りパットの試作サンプルを見ていました。中の実物は、お客様にお借りしています時計ですが、それはそれは、タイルの土色がどうしても情熱の国を連想せずにはおれませんでしたし、フラメンコと闘牛の荒々しくも激しい熱気でスペインを丸ごと焼き上げたようなタイル時計でした。それに、タイル表面の模様文字がまたすばらしい。未完成の教会サクラダファミリアのガウディ、そしてピカソと巨大な芸術家たちを次々に輩出しているお国らしい図柄が印象的です。

QandAのページやっと出来ましたが、ご質問にお答えしましたのはまだ1件しか掲載できておりません。あしからず。


2003年3月13日
路面を20センチの雪が覆っていましたが、車の通る道幅だけ除雪されていました。3日前比叡山に降った大雪です。30センチ以上積もったままのところもありました。頂上からロープウエイのところにかけて一面真っ白です。右にびわの形の琵琶湖、左に碁盤の形の京都の街が見えます。今はまだ、住むには少し寒いですが、ここは空気の綺麗な本当にいい所のようです。夏になると、景色もいいし、避暑地には最高のような気がします。都会までは目と鼻の先ですし、泳ごうか、ボートにしようか、遊びつかれたら京都の町で伝統の美味しい精進料理を食べて、おもむろに山へ戻ってきて寝てしまう、というコースでしょうか。いいところに家を建てる人もいるものだ。しかし、辺りを見渡しても雄大なパノラマの景色こそ見えても、深山を守る僧兵は、一人も出てこない。替わりに現場の棟りょうが出てきて、素っ気無く「ここやー、ここに下ろしておけやー」。と号令を発し、返す言葉も待たずあっちへ行ってしまう。われ一騎、中古のニッサンセルバンテス号にまたがって、はるばる大雪蹴散らして、ビクトリア女王の氏名背負って遣って来たものの、あにはからんや、風車小屋はどこにもあらず。後に残るは鐘のならない仕事だけ。雲の向こう、目を細めると、微かに下界の方を かもめの様な白い鳥が何羽も京都の街に、白い点線を付けるように横切っているのが、気のせいか、見えた様に思えた。
昼過ぎから営業。古い大きな木片焚きのストーブを囲んで材木屋さんと雑談。「そんな軽々しう言うもんちゃうでー」と急に物知りの出入りの大工さんが割って入った。「よう知らんが、東京建築家協会ゆうとこで講師をするいう事は、わしらにしたら、あんた、国会議事堂建ててもええぐらいのお墨付きもおたある人やー言う事やないかー。そんな偉い人の事軽るう言うたらあかんでー。で、誰やねん、その鈴木言う人はー」「ほおー、すごいなー、相当切れ者やなー」「大事にしなあかんでー」 とそこまで話を聞いてまた、軽トラックに乗って何処かへ出て行った。その後直ぐ、その材木屋さんを後にした。そうだったのか、建築家の鈴木と言う人はそんなに偉い人だったのかと感心して会社に戻る。   


2003年3月12日
古来、修行の地、シャバの雑踏や因果な人間達をまったく寄せ付けないかのごとく、遥か雲の上から下界を見下ろして来た比叡山は、堅く閉ざされていた。信長の焼き討ち以来、山の活況は、確かに東洋の学際基地の使命は下界に明け渡したとは言え、まだまだ、精神の支柱的関心は累々と続いていたはずだ。山の僧兵否、ガードマンに路面凍結無理といわれようが、何するものぞ、僧兵!と配達すべきだったが、あっさり引き返した。配達明日に延期。誠に儲からない。なにを言うか!精神の支柱 叡山に小言をいうとは、欲を出すな。下がれ下がれ。へっへー。<m(__)m>
ヘッ、へへへー(?_?)


2003年3月11日
不景気が続く。在庫積み上げ作業。ひたすら、わき目も振らず、既定の作業の繰り返しで一日が過ぎる。こんな日は時間が経つのが早い。会社の者が、集金の帰り、手みやげを買って来てくれる。不景気な時に、集金より高くつく土産の、一力餅のお饅頭。パクパク食べて元気をつける。明日はいよいよ比延山をトラックで一気に駆け上り、摩訶不思議、1200年間京都を北東から守る、あの延暦寺の、”隣”まで特注品の配達。しかし、経費まで入れるとこれまた無償奉仕。延暦寺まで拝みに行けるんだから、無償奉仕でも、冥土の土産話になればそれで結構か。今日はここまで。南無、合掌。

展示会向けビニールハウスのセルパネ本日発送いたしました。公的機関への製造スケジュール3/20〆切。というのにまた、工程の見直し。焦らず気長にこつこつと、こつこつがダントツです。

   こつこつころころこっくりこ お骨に仕舞って さあたいへん♪
   ドジして出てきて こんにちは ぼっちゃん一緒にあそびましょ♪


2003年3月10日
五十日にお金にならない急な配達。運送料の4倍も5倍もかかる製品ならいいが、製品の5倍も10倍も運送料がかかり、行き帰りに4時間飛んだ。不景気な時期に、不景気な話。営業1社。ある勉強家の材木屋さんで、家の平面図、立面図を見せられて話が始まったので困った。家の図面の事なら、先日、東京で建築家協会に呼ばれて講師をされたり、超多忙な大物有名人になられたあの発明家に聞いてくれと、喉まで出掛かったが、辛うじて押さえた。僅かに記憶に残る真空ポンプや歯車ポンプの機械図面や、、自動制御の制御盤回路図面、ビーズ法成形で使う金型の設計図面を頼りに、頭をひねり回すが、木造家屋の図面は素人には難しい。そこから先は守備範囲ではないと思っていた。両手を大きく挙げて、降参。事務所の奥で、えべっさんが「退却せよ」と笑っている。「また、宿題が増えましたね。」と事務所のすぐ外で大きな犬があくびをしている。今日の仕事が終わった大工さんが5,6人、ちらつく雪に焚き火で暖を取りながら、舞い上がる火の粉を目で追っている。夕方遅く、会社に戻るとその発明家から『外断熱が危ない』(西方里見著、エクスナレッジ社)が一冊届いていた。これだ、これだ。流行の最先端は再び内断熱へ。
ビニールハウスのセルパネ完成。これなら中が良く見える。展示会に使えそうだ。


2003年3月9日
一日掛けても終わらない資料整理。QandA問答実例集のページを作ろうと取り組みましたが、なかなか立ち上げる所まで作業がいかない。むしろ、想定問答を決め込んで勝手に資料をひっくり返して、夢中になってしまった。面白そうな資料や写真やデータが出てくる。15年前の軟水器の高分子を交換する前任者の写真と作業風景。親戚のおじさんによる営業会議の写真。結構決まっている。別の親戚のおじさんによる電験3種のよく解からない講習会の資料。未だによく解からない計算式。またまた別のおじさんによる奇妙なセラミックの分析データ。ただの石に見えるが、「情報を伝えるんだ」と言い張っていた。なんで手元にあるのか解からない営業会議の資料や、セラミックのデータまで見ていると、ちょっと図書館へ行って、もう少し詳しく分析データの肉付けをしたいと考え出すと、もう前に進まない。横道にそれて何をしているか解らなくなってきた頃、資料の合間から、紙切れが1枚ふらりと舞い落ちた。何だろうと思いながらおもむろに取り上げると、何かの領収書だった。よくみると、料理講習会とある。そういえば、意地になって何年か前、駅前の料理講習会に申し込んだ事があった。計5回分の講習費。結局2回しか行かなかった。1回目の、あれは確か、炊き込みご飯とうずらの卵スープ。山芋をすっていて、甲高い笑い声が聞こえるので振り向くと、「裏向けですよ」と言われて、すり器を見ると裏向けになっていた。裏向けでも力いっぱい押し当てていたのでどうにか芋汁ぐらいはようやく出てきていた。こういう料理かと自分ではすばらしいものを作っているつもりだった。2回目は、下を向いて教室に入ったが、どうも、ベテランの奥さんや新婚ほやほやの奥さんの声が皆、全員甲高く聞こえて、何をしていたか全く覚えていない。3回目は風邪にした。4回目は出張にした。5回目は忘れた。
お問い合わせ有難う御座いました。微妙なRを出来ないかといったお問い合わせですが、例えば、ハート型なら直ぐ出来ますが、3次元の立体ハートは、PC制御が必要なようです。あるいは、効率抜きで手作業でしたら可能ですが、何かの試作品のサンプルとして1個か2個作る程度でしたらお受けできますが、まとまったロットのご注文でしたら、ご相談下さい。


2003年3月8日
在庫積み上げ過ぎ、上まで手が届かない。すぐ、セルパネの試作にかかる。夕方までかかる。不景気だ。ビニール用ボンドを買いに、近くの文具店へ行くが、昨年の秋にオープンしたところだったのにもう、閉店セールだ。何ともいえない空しさ。後は、コンビニが入るらしい。コンビニが来ると、近くはコンビニだらけになりそうだ。コンビニはもう、こんびいい。
HPトップに取扱商品を追加しました。また、製作実例を集めたページを作りました。QandAのページは現在工事中です。頑張って作ります。パソコン屋の望月さんからアドバイスが頂けました。有難う御座いました。
ハートの篭ったハートする製品、お礼のお返しにとまでは行きませんが、ハッとするセルパネを製作中です。
面白実験リンク集、インターネット版「理科の部屋」が閉鎖しました。「なるほどの森」へリンクを変更させて頂きました。リンクの追加は後日まとめて他のご希望の方と合わせて更新致しますので、よろしく、もう少しお待ちくださいませ。御視聴有難う御座いました。
先日、近くの高校の生徒様から発泡スチロールのご注文が御座いましたので、ご希望通り、お昼休みにお届けいたしました。ありがとうございました。やっぱり、お昼休みの時間指定は大事ですよね。どうか、大切にお使い下さいませ。重ねて、有難う御座いました。


2003年3月7日
まったくだ。仕事が思うように前に進まない一日。在庫を積み上げて、その間にセルパネにかかる心算が、在庫が減る一方だ。在庫がどんどん減る。減るから在庫をまた積み上げなければならない。そうこうしている間に、ハートの篭った嬉しい別の注文が入った。有難い注文だ。こういうウイットの効いた注文にはみんな流されやすい。他の事をそっちのけで、ハートの篭った注文にかかり出したものだから、仕事が前に進まない。セルパネもこういうウイットを取り入れてハートの篭った、ハッとする型でも一枚ぐらい作っておけば、広告塔になりそうだ。ビニールハウス式セルパネ製作開始。いろいろ考える人がいるものだ。音のエネルギーまで熱に替えるセルパネらしいので自然のヒーターになりそうだ。
ビニールハウス式セルパネ写真は後日。今日もここまで


2003年3月6日
「何で、原価を割ってまで売らなあかんねや。やめろ、やめろ、そんなところ。断れ、そんな客。」というのが、ふらりとやって来た、ある、超一流メーカーの営業マンの個人的見解でした。「何でも安かったら買うのかは、昔からあるテーマやがな。結局、無理に安してどうなった。あのダイエーはどうなった。安い高いで左前になったのか。違うやろ。時代やろ。ダイエーが安いのは決まってるんじゃー、や。安かったらええ、いうからとうとう100均ばかりになってきよったやろ。何でもかんでも皆100円。88円。77円。50円。仕舞いにばらして1個10円。コピー1枚10円は、10年前でも10円や。値段に慣れてくる。慣れたら飽きる。飽きたら仕舞いや。そこまでや。だから安しろじゃ、やってられん。やめてまえ、そんな客。何の新規性もない同じ商品を、バカ値で商売人に売るような、そんな冗談とふんどしは、またにしろ」ここら辺でトーンが上がり「安かったらええいう時代もそろそろ終わりやな。」が結論らしい。じゃ、どうするの?解決策がない。さっさと、営業もせず営業マンは帰ってしまう。われわれ、下々の者には天を仰ぐしかないのか。てんは客の上に客をつくり、客の下に客をつくる(諭吉)。客はパンのみによって生きるにあらず。店は疎にして漏らす。 もっと光とツヤのあるお客を!(ゲーテ)。光あるうちに光の中を歩いて帰りたい(トルストイ)。今日はここまで。


2003年3月5日
今日は、また寒い一日。寒が戻ったままだ。「バカヤロー!メーカーに言うたらええやないか。メーカーに言うたらその位直送しよるわー」と、また気軽に、怒鳴られる。「750円やとっー、何ぬかしとるんじゃ。われー。わしらが、ひーひー言うとるんがわからんのかー。270円で持って来い。」と、無茶を言い捨てて自分は「ちょっと、散髪や」と事務員の奥さんに告げて、肩をなびかせ悠々と何処かへ出て行く。明日は久しぶりのトラック1台分、材木の出荷らしい。営業は大変な仕事だ。向き不向きもあれば、努力派、演技派、もあれば、根っからの社交派もある。理論派で対個人、対会社を問わず義を通すタイプ、利を乗せるタイプ、様々だ。もう40歳の中間点を回ってくると、大概の人は、それなりに大概のタイプに接して来ているものだと思う。どんな輝かしい半生があって成功したのか、どんな厳しい苦汁を舐めてここまで乗り切って来たのか、もし、先にこちら側にこころを開いて語りかける余裕があれば、きっと、教えてくれるはずだ。もし、こちら側に、対会社商談、大勢の社内会議を問わず、公私、分かたず内面から湧き出すような一貫した生き方をしておれば、幾千万の敵といえども怖くないはずだ。ただし、40何年一貫したようなものを創り出すのは難しいものだ。迷っているのは、青春時代だけじゃないから、心配するな。いつになっても迷ってばかりだ。若い時は世界は白黒決まっていたので迷ったし、そして、世界の壁が崩れてどちらがどちらか解からなくなって迷ったし、バブルだったのか水泡と帰したのかよく解からないで迷ったし、今また、京都の動物園のライオンマンかオズの魔法のライオンかで迷う。おそらく、迷い廻って数十年、螺旋階段を回り上がって地上を離れてあの世へ近づくうちに、見えてくる一貫性なのだろう。

折角のお問い合わせにも拘らず、お力になれませず、申し訳ありませんでした。2メートル×5メートルで、高さ20センチの台形状の大きな波板の鉄板が、発泡スチロールの上に密着している訳ですね。そして、密着面にT1から2ミリの深さ20センチの切れ込みを2メートルにわたって入れたいと言うご質問ですね。カッターではとても無理だからと言う事ですね。当社では、今はまだ在るのかどうかわかりませんが、10年前に購入しました石崎電気の発泡スチロール用マルチカッターを改造して独自仕様で使っております。元の製品歯は7,8センチしかありませんから、板状ニクロムが専門店などで1m4,5万円かかってしまいますが、何とか頼み込んで端材を安く分けてもらって改造なさってお使い下さい。お近くでしたらお貸しするか、小さな商品でしたら、お送り頂けたでしょうが、九州からこれだけのために5メートルの鉄板を運ぶだけでも、桜が咲いてしまいます。メーかーにお問い合わせされましたら、きっと最新式の器具を紹介すると思います。悪しからずご勘弁下さい。


2003年3月4日
やはり、考えてしまった。「何故、そんなに偉い人が、他でもない、これをわざわざ選んだのか」きっと、間違いなくそれだけの深い根拠があってのことだろう。何の変哲もないどこにでもありそうな紙を、少し変形させただけの品物。そのなかに、われわれの今世紀の世界の夢をすべて詰め込もうとしている。否、もう詰め込んだのだ、その中に。得体の知れない巨大な影を一瞬垣間見たからこそ、賢者は、そこに名前を与えて、「あれがわたしの見た最後の影だ」と鐘を打ち鳴らした。下々の、われわれに知らせてくれたのだ。声高に叫んでやがて賢者は走り去る。音のない静寂が辺りを包む。街のいつもの雑多な動きが再び始まる。向こうで「夢見る今日四郎は、鞍馬天狗に呉れちまえ」と、餅をかじりながら、通りすがりのばあさまが、余計な事を言う。本来、マーケットは影のようなもので、掴みようがない。その実体にせまろうと賢者は古来様々な策を練ってきた。策士策を練りながら策に溺れてきた。知るを知るとなし、知らざるを知るとなして来た。それほど斯様に予測は難しいものだ。しかし、それでも、あえてこれを選んだ。何故だろうか、愚者には見えない賢者の見た影。
大阪市内で大手メーカーの知識人に賢明なアドバイスを頂いてくる。有難う御座いました。この場をお借りいたしまして、お礼を申し上げます


2003年3月3日
今日はほぼ一日、在庫積み上げ作業。なかなか、うごけない。外は雨、ひな祭り。京都の島津人形はこの時分が、五月人形の箱詰め作業が始まる。ひな祭りの出荷はとっくにピークを越えている頃だろう。もう、何十年も前になるが、学生の頃、京都八幡にあった人形の箱詰め作業所にアルバイトで通っていた事を思い出す。偶然、島津の社長の息子さんと一緒だった。1m×1m×1mの箱に、五人ばやしから、赤いもうせん、お内裏様、と、注文書に従って順番に箱詰めしていく。朝9時から夜9時10時まで、毎年この3ヶ月ほど、よく頑張ったものだ。へとへとになるような作業にも拘らず、昼休みは皆んなで裏の田んぼで草野球をしていた。社長の息子さんも結構、野球が上手だった。投げた、打った、走ったが面白くて、昼からの作業もはかどった。ひと揃え100万200万円のセットの豪華人形が飛ぶように売れていた。中には、官女だけで100万円、すべて揃えると検討がつかない様な高額の人形まで売れていた。すべてが明るく見えた時代。確か、宮内庁御用達となっていたので、東京の愛子さまのところに、そのうちにお送りされるのだろうか。学生アルバイトをしていた者の一人として、ノーベル賞の製作所に掛けて、人形も売れて欲しいものだ。

御問い合わせの件ですが、発泡スチロールのカット品の場合、ニクロム線カットになりますので、ウレタンカットのようにはさみで切った歯カットのようにはなりません。むしろ、スポンジの表面のほうがイメージが近いと思います。30倍品をつるつるにしたいというご希望でしたが、@まず、100番位で、わざと表面に逆に傷がいくようにペーパーかけをする。A180番前後で仕上げのペーパーかけをする。すると、意外にもかなり表面がつるつるになり、滑らかさがつきます。ご参考にどうぞ。


2003年3月2日
昼まで私用で出かける。昼からセルパネ試作作業。夜10時、丁度の時間なので切り上げる。延々と終わらない。一歩ぐらいは前進しただろうか。名案の実行までいかない。スケジュール表提出まであと3週間ほど。
昨日出荷した発泡スチロール製水槽写真を掲載する事にしました。今度は、FRPでコーティングした発泡スチロール製保温タンクに挑戦してみようと思います。また、面白そうな課題ができました。本当に有難い事です。何でも知ってなんでもかんでもやってみよう、の「なんでも実験」の気持ちでした。今日はここまで。

水槽写真はこちら


2003年3月1日
週末毎の雨がこれで何回目になるだろうか。今日も雨。ある段ボールの会社で葬式。こじんまりとした式、関係者の黒い喪服に色とりどりの傘が、季節には合わない というので、咲いてすぐ散る花のよう。 天から激しく降り注ぐ、スコールのような雨を思い思いに受け止めていた。時々、お経のスピーカーさえ聞き取れない激しい雨は、止む気配さえない。奥で忘れえぬ人を偲ぶご親族。外で季節外れのスコールにあたりながら待つ、現世。傘の合間から、高校生ぐらいの娘さんの泣き崩れる姿が見える。雨で何も聞こえない。聞こえないのに、あまりにも激しい悲しみの声が聞こえてきそうだ。若く恥じらいを気にかけそうな年ごろにも拘らず、亡き人の棺を激しく抱いて一向に離そうとしないで、喪服の袖がめくれ上がり、あらわに見える純白の その白い両腕に、あれは、大粒の涙なのか雨粒なのか いよいよよく解からないが、ぐしゃぐしゃに濡れている様子から、痛いほどその少女の悲しみが伝わる。雨で雑音しか聞こえないスピーカーから何か流れてくる。お別れか。
昼から在庫積み上げ作業。夕方までかかる。その後、セルパネSS-45B作業準備。セルパネぶどう実験は少し甘すぎたので平行して再度試作。またまた、名案が浮かぶ。もっと簡単にいこう。公的機関による事業スケジュール表の3/20までの作成〆切。ああすればよかった。こうすればもっと良かった。いやいや、生きてるだけでよかった。今日は一日雨。

  はる嵐 しばしとどめん 吹きとじよ おとめのなみだ そ 幾歳月

発泡スチロールでヨットを作って太平洋を渡りたいと大胆な、そして成功すればきっとギネスものの野望をお持ちのお客様。海外ではヨット作りでこの人の右に出る人はいないと言われ、数々の輝かしい賞もお取りの、ヨットの専門家からかなり専門的な内容も幾つも含まれていますが有難いご回答がございましたので、今後のご参考になりましたらと、お送り致しました。

内寸1300×500×400の大きな発泡スチロール製水槽は、本日発送いたしました。もう暫くお待ちください



2003年2月28日
段ボールケースの会社まで配達。応接間は今日は大賑わい。嬉しそうなささやき声と 時々笑い声が聞こえる。大きな商談でもあったのだろうか、掃除の人まできびきびしている。その帰り、セルパネSS-45Bの製作用材料を探す。事務用品のリサイクル店2軒3軒とはしごする。新しいというか古い中古の什器がまた増えた。近くの何処かの会社が潰れたのだろうか。大阪の完全失業率は、また上昇し始めた。おそらく、一番困るのは勿論、中高齢者だろうが、その次でもいいが、仕事の無い若者が陸に上がったカッパに見えてどうしてもかわいそうだ。元気で、ひたすらがむしゃらに手足をバタバタしているが、残念無念、水がない。高齢者をいたわる気のいい若者は、どうぞお使い下さいと 職をパスして仕事がない。やる気満点の若者は、死に物狂いの中年に弾き飛ばされて仕事がない。技術を身につけようと勉強している若者に、熟練不足では仕事がない。後生おそるべし。どうする若者!故郷を捨てて町に出るか街を捨てて故郷へ戻るか、この国を捨てて世界へ出るか。世界を捨てて山寺にこもるか。国境にしがみ付くのが老人たちなら、国境を越えて新しい文化を創れるのは君たちだ。地球の旅に出ようか。「地球にやさしく」なんて企業ベースに乗っていてもわからない。見たこともない聞いた事もない地球にどうしてやさしくできるのか。どうする「自由に繋がれた」若者たち。日日是好日。
先日の新幹線を使った大々的なセルパネとんとん実験の結果を踏まえ、次は、ふさふさぶどう実験開始。

介護に堪能な老婦人から、有難いご意見をいただきました。マイクロビーズを使って、足先の冷えを防ぐ温足袋が出来ないか、と言った内容のものでした。有難う御座います。一度、製品化できないか検討させていただきます。商品名「温足むすめ」でよろしいでしょうか?中途半端な毛糸の厚手の靴下よりも風呂上りの濡れ足にも履けますし、歩く時はビーズが足の両側に寄って、老人でも地面をちゃんと触ってタビのようになるから歩きやすく、足を上げるとビーズが下りて足裏をすぐカバーして暖めてくれる、という訳ですね。


2003年2月27日
めずらしい事ですが、メールが12件有りました。ひとつひとつ、ご返事を書いていて何時間も過ぎました。1件目は、マイクロビーズの購入方法。2件目は、マイクロビーズの購入方法。3件目はマイクロビーズの購入方法。4軒目は、マンションのお隣さんの騒音対策のご相談。5件目は、小学校の同級生で東京のソニーに働いている友人から。6件目はマイクロビーズのお問い合わせ。7件目は、マイクロビーズの購入方法。8件目は、1300パイ円柱見積もり。9件目は業務連絡。10件目は、枚方ニュース。11件目は、元新聞社の人から。12件目は、元新聞社の人から云い忘れ分。今日はここまで。


2003年2月26日
くじらの子供なら入りそうな大きな水槽の水圧実験。発泡スチロール40倍品使用でも相当圧がかかるが、これぐらいならいけそうだ。明日、最終的に、外側表面のコーティングにかかってやっと完成。発泡スチロールでつくる水槽のメリットはなんと言ってもその断熱性の高さだろう。屋外に設置した場合、水温の変化が中の魚類によくない。当然、屋外でサーモスタットなど使うと電気代が馬鹿にならない。その点、水温の急激な変化は発泡スチロールでカバーできるし、クッション性もあって泳ぎ回る魚が壁に当たって傷つける心配も少ない。水槽作りを始めてこれで7個め、かなりノウハウの蓄積が出来て来た。制作上の幾つかのポイントがわかった。今回は外側表面にコーティングするが、ざらざらになってもよければ、ヘアードライヤーで薄く溶かし込みをしたいところだった。5枚のいたのつなぎ目は必ず、角落しが必要だ。できれば、外側と内側の両方、ペーパーの150番ぐらいで十分だ。
 球面体加工の件、曲面薄合板をニクロム線の指示板に使えないかとの有難いご提案があり、急いで曲面合板を取り寄せました。厚さ1ミリ、木材であるのに、長手方向に紙のようにグニャグニャに曲げられます。側に0,5ミリ程の溝を尖ったやすりで彫っていきます。だいたいで結構。テフロンテープを充ててそして、その上から溝にニクロム線0,8ミリを押し込みます。後は、曲面薄合板を半円形にセットすればいいだけです。これをぶろっ君1/16に回転させながら半円球の掘り込みを切っていくわけです。簡単に出来そうですので、一度時間があれば作ってみます。ご提案、有難う御座いました。
 今流行のマイクロビーズが売れ出す。この国の技術力によって、ここまで小さくなると人間の手の触覚センサーの間隔内にビーズが入ってしまうからだろうか、独特な触った感触。袋に入れたマイクロビーズは、大きなマシュマロを指で掴んで押したり、もんだりしたら、そういうやさしそうなはね返りの感じがするのとおなじだ。が、その上、体温の保温性が、実は自分の体温を自分で感じているだけなのに、まるで、マシュマロが36、5度の体温を持った生き物であるかのような錯覚さえ与える。いろいろ考える人がいるものだ。またひとつ、人間に近づいたってところでしょうか。
 遅れている仕事を取り戻し、夕方になってやっと、セルパネサンプルの製作。こちらは、グローバルスタンダードをめざす。この世紀の技術者の目標が、世界中で暗に共通しているのが、今流行のグローバル。からくり人形が声を出していよいよ介護をはじめる。携帯電話だけが小さくなるのじゃなくて、コンピューターがイヤリングになって、耳もとでいつも心地よい善智識を語りかける、、、。緑と水の惑星どこへ行く。


2003年2月25日
東京出張。この20年で東京へ来たのは今日が2回目。光設計事務所で大阪のメーカーの人たちと4人で打ち合わせになった。折角ここまで来たので、ソニーに勤めている小学校の同級生に会おうと、東京駅の「銀の鈴」待ち合わせベンチで携帯に何度も電話を入れるが、残念、繋がらず。二つ隣にホームレスの人が座っていた。50歳くらいのサラリーマン風の人が、立って、「におうね。君、向こうで待たないか」と連れの人と移動した。東京はやっぱり言うことも上品やなぁ、と思って我慢して待っている。と、暫くすると周囲は、二人だけになった。次に、「空いてるわ、ここで待ちましょう。」と50位の女性3人が来て、すぐ、「おトイレの臭いよ。」とまた席を立った。ほんま、言う事ちゃうわー。すると、すぐ、入れ替わりに深刻な携帯電話をしながら、70位のおじいさんが少し東北弁で訛りながら「やっとだべさー。あんた、こんなとこまでおじいーさん 連れ出しておいて、2800万円返さんのかー」としばらく返せ返さんかーの押し問答を大声で始めたが、こちらは話に我慢できなくなって、何処かへ消えていった。次は、介護のセンターを地方で始めた病院の先生風のひとが携帯で電話しながら空いている席をみつけてやって来る。「○くん。何度も云うようだけど、僕のいう通りやってくれたらこの事業は成功するんだから、解かったね。報酬は仕事になった人に払いたまえ。君が決めたらいいのだから。最初の3年は赤字でもいいのだよ。大丈夫だ。わたしがついている。」ここまで熱弁を振るっておられたが、僕たちの方を見てから、黙って向こうへ行かれた。東京の真空地帯。まだまだ次々と大都会人が続くつづく。


2003年2月24日
今日は、多数のお問い合わせ、ご意見等がありました。本当に有難う御座いました。ひとつひとつ、ご返信を入れるだけで時間がどんどん過ぎてしまいました。吹けば、何の支えもありませんし、一発で倒れてしまいそうな小さい会社ですが、お相手していただきまして、有難う御座います。社名を入れて個人名まで丁寧に頂ける方から、社名だけの方、個人の方、ペンネームだけの方、何やら怪しげな添付ファイルをわざわざ添えていただける方、公的機関の方、etc。政治にはまったく無関心無頓着で来ましたし、これからもおそらく、変わらないと思います。料理にもあまり興味を持っておりません。偶像が出来上がるといけませんので、今のうちに安全弁のガス抜きをしておきますが、何やら怪しげな添付ファイルをお送り続けて頂ける方、「金さえあれば」直ぐ、ころりと豹変しますよ、念のため、どうぞ御気楽に。それから、こちらの私もごく一般人ですが、「ごく一般の方」、目の覚めるようなご指摘ありがとうございました。本当にその通りだと思いました。勿論の事、お引止めいたしません。それよりも、何倍もの勉強ができました。最も知りたかった一般のご意見です。大事にさせて貰います。不景気の中で、積水化成が値上げを言い出したらしい。大手が、先陣を切って動けば、スチレン工業会でも波及効果は相当なものになると思います。鉄が上がり、パルプが上がり、化成が上がり、石油が上がり、やっぱり、えらい人達の思った通り、じわじわとインフレに振れて来たのでしょうか。「ごく一般の方」の目は、次に給料が上がればいいですが、ごく一般の会社は仕入れを上げないといけませんから困ります。とは言え、頑固を通せば窮屈だ。知に働けば角が立つ、情に掉させば流される。


2003年2月23日
昼まで工場内作業。昼から急いで近くの有料公園へ走る。ボート乗り場の係りの方と相談。以前、ボートの会社に勤務されていて、ボートの事は詳しい。やはり、エンジン付きまで凝った造りを求められているようでしたら、性能検査や、保安庁の許可なども必要だし、最低、4級程度の無線免許も必要になってきそうです。エンジンが無くとも太平洋を渡るとなれば、手作りだから勝手に渡っちゃえ、とはいかないようです。所轄の申請に用紙が何枚もあって、相手国の受け入れ許可まで必要です。「太平洋一人旅」は一人では成功しなかった、大勢の協力者があった訳ですよね。コンクリートで作ったヨットもアメリカに行くことが出来たのだから、発泡スチロールのヨットも可能だと思いますよ。仮にそうだとしても、大冒険をするだけのよっぽどの余裕があるか、「えいっ、ヤッー」で命知らずの冒険野郎になるか、だと思いますが、所詮、一度しかない人生。一か八かで挑戦してみますか。もしこれが、空の旅でしたら、無理だと言われてもご協力させていただきましたが、、、、。発泡スチロールは軽くて水に浮きますが、いくら軽くとも、硬質の有人飛行船作る軽さまでは、まだ、理論の上だけで、技術的にはそこまで到達していませんから(笑)。


2003年2月22日
一日工場内作業。朝、5時半出社。帰宅10時半。ずーと、おなじ姿勢でそれに取り組んでいました。とうとう、寝るまで、おなじ姿勢になってしまいました。き、今日はここまで。

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