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「わたしの研究開発雑記ノート

                                                                  
                                                           

2003年2月21日
「発泡スチロールを切って下さるところを探しておりました。やっと見つけました」と言って来られたのは、目の不自由な子供たちをみておられる学校の先生でした。光の届かない世界で、太陽のように元気な子供たちに様々な形あるものの そのかたちそのものを教えてあげたい、それがその先生の長年の願いでした。小さな積み木程度ならどこでも直ぐに用意が出来ても、1,2メートルの丸四角はなかなか簡単に手に入りません。まして、先生の希望されていた本当に様々な形となると、粘土で手のひらに乗る程度の形が精一杯でした。教師として、それだけでは不満でした。この世界で、 これからも勇気と自信を持って育っていって欲しい彼ら彼女らに、この世界は、大きなものも小さなものも凹凸も柱も三角もこんなにたくさんの形があって広がりがあるもの、生きとし生けるものすべてには、どうしても手にとることが出来なくとも、本当に様々な形があることを 今、教えてあげたい。そのための教材として、これほどふさわしい物はない。万が一顔に当たったとしても、柔らかいし怪我をすることもないだろうし、象のような大きなものを作っても倒れても安心だし、大きな積み木にして、手探りで身体いっぱい使って、自分たちだけで構造物を作ったりしても大丈夫だし、本当にいろいろな可能性があると先生には思われたようです。初めてこの世界を知ったのは、まだ京都で市電が走っていた頃だったらしいです。ボランティアで点字打ったり、全盲の方の手引きなどをしていて、夢によく白杖持った人が市電に撥ねられるシーンなどが出て来たらしいです。でも、若かった事もあって、すぐにみんなと慣れて、気持ちが通い始めると、彼らの世界は、光こそ届かないものの、純粋で無限の広がりを持っていたことに気づいたらしいです。わかりました。どうぞ、何なりとお申し付け下さい。単なる小さな一営利企業ですので、どうしてもやれることには限界があります。しかし、若し、他のお客様でフジカットの製品をお買い上げいただける方でしたら、きっと皆様ご理解いただける方ばかりだと思います。

  このひかり わがひかりとせ 澄みたるの かたちあるもの この世の人ぞ

とんとん実験無事終了。セルパネいもいも実験準備。明日からまた忙しくなります。ちょっと、ためしに福井県の材木屋さんに実験準備資料のサンプル依頼しました。余り知らない所なので(一回だけお電話でお声を拝聴させて頂いたぐらい)、果たしてスムーズに事が運ぶか、どのあたりまで有難いご好意を頂けるか期待しております。
大阪と九州のお客様カタログ、サンプルのご依頼有難う御座いました。


2003年2月20日
セルパネとんとん実験開始。まぁ、有り難い物です。いろいろできると言う事は。昨日の日経新聞が木材産業の苦境を記事にされていました。今更、書いていただかなくてもといった感じでしたが、不況下、みんなが飛びついた一部材木素材を除いて、他は目も当てられない状態のようです。ここへ来て、沈滞ムードに輪をかけようとしているのか、大きな破壊の嵐を前に、遠方の下手な加担をして、折角、木造の家何百万軒も建てられるのに それだけ莫大な費用の請求書を回されてしまうんじゃないのかといった不安があります。破壊は創造の始まりとは、この場合まったく、とんちんかんな言ですね。回る寿司でイクラを食べても100円で済みますが、目が回ることはありません。逆に、土壇場であっても回避されれば、ものすごく明るい材料になって、直に、現場まで伝わるだろうし、さあ、家だ!家建てるぞと、となってくれればいい。リヤドの王様にエールを!
お問い合わせ有難う御座いました。京都の魚市場でとうもろこしの魚箱が使われるらしいですが、あまり詳しい事は知りません。詳しい事は、伊藤忠プラスチックの小川東二さんに直接電話してお聞きください。そこらの大学の先生よりも詳しいですし、論文も幾つも書かれていますし、論文はネット上でも公開しておられます。社内でも先生と呼ばれているらしいです。このHP作製でもコメントを頂きました。まだまだ、一日3百万バレルも使うこの国の石油漬け生活は続きそうです。リヤドの王様にエールを。


2003年2月19日
女性の社会進出を、社会現象として捕らえるならば、それはそれ。環境破壊を起す化学物質の多くは女性ホルモンの活性化を促す物質ですから、街全体の女性化は、これからいよいよかもしれません。段ボール会社のいつもお世話いただいています女性の担当者が辞められる。段ボール会社の中では重要なポストについて居られたのに残念です。長い間、お世話頂き、有難う御座いました。
棺桶ぐらいありそうな発泡スチロールの水槽製作。今回は、納期に余裕を頂けて再度製作開始。見るからに大きなものだ。通行の多い道路沿いに置いて実験。通りかかりの人が、皆何事かと覗き込む。
以前、ある研究所が山野に設置するターゲットに使いたいのだが発泡スチロールに5,6種類の塗装までして貰えないかとの引き合いがありましたが、その、反省を込めて、カラー塗装も再び始める事にしました。


2003年2月18日
調べたら解かることですが、画家の小磯良平が戦時中疎開していたのが、うちの田舎の親戚の家で、そのおばさんの祖父母の肖像画や近くの風景画を描いて貰ったりして、以前までは、その絵を廊下に無造作に、所狭しと置いてあったと聞きました。今ではもう、何処かの美術館に往ってしまい、一つも残ってないらしいですが、、、一枚でもあれば、木造の家が建つのに、、、。親戚の家は、まったくのど田舎にも拘らず、周囲とは違った宗教を戦前から頑なに続けていた関係で(隠れキリシタン)、そんな立派な画家が、わざわざうちの田舎を疎開先に選んだのでしょうか。よく解かりませんが。昔から開明的なことをよくされていた家のようです。その親戚の家が、田舎では、有名な材木屋をやっております。
翻って、ここ、大阪。、、、「どこ見て歩いとるんじゃ、われー」事務所の前でぶつかりそうになってから話が始まり、「坪いくらや思っとるんじゃー。えーか、お客さんは神さんちゃうでー、いくら安できるんや、しか言よらんわー。」「天神祭りでお船に乗せとくんじゃーなー。勝手に流れて行きよるさかいに、へーへードンジャラ言うて、手ー合わせとけやー。今はまだ寒いから、自分で飛び込むなや、川に」で、話が終わる。春まだ遠し。

 太平の 画家も描けない イクラ銭 いくらなんでも かいますか 


2003年2月17日
足掛け2年。簡単そうに見えたセルパネの製作でしたが、ようやくこれなら何とかなりそうだ、という所に到達しました。セルパネを一枚だけ作るのなら時間を無視してHPに公開されたように作ればいい訳でしたが、量産化となると乗り越えていかなければならない技術的課題が相当出てきます。それに対して、ひるまず、立ち止まらず、ひとつひとつ丹念に解決の道を探り出すしか方法はありませんでした。とは言え、これで良いわけではありません。さらにこれからも改良は続けて参ります。これからも皆さんのご協力、ご支援のほどよろしくお願いいたします。
土曜がゴト日で、明けの月曜日。渋滞渋滞で仕事にならず。天の川の向こう側で大型トラックの衝突事故。さらに渋滞。ある材木屋さんで「上の役人は、この材料は使うな、あの材料を使え、と簡単に右から左へと言ってくるんやぁーけどな。坪45万で、なんができるんや?誰かの家の箱庭に、さらに 小さい家建てて住むようなとこやでー、大阪はなぁー。そやかて、風呂や台所や水周りに費用削られへんし、他を 徹底的に削っていくしかないやろ。どうやって、そないな値段で家建てろっつーねん」不景気が追い討ちをかけてきます。折角欲しい戸建を、デフレが輪をかけて何処かへ引っ張って行ってしまいます。良心的な多くの材木屋さんは、それでも何とかマイホームの夢を叶える事が出来ないものかと、愚痴のひとつも飛ばしながら努力を続けています。頑張ってや!ニッポンの材木屋さん。


2003年2月16日
発泡スチロールの球面体加工で、カーブしたカーテンレールにニクロム線を5,6本張って、回せば球になるのじゃないかと言ったあり難いのですが、よく判らないご意見を頂きました。とり合えず、ご関心を頂ける範囲については、お礼申し上げます。最近は、小中学校でもパソコンの授業があったり、インターネットのホームページをご自分で立ち上げたりでアンチグローバルスタンダートな情報が錯綜しているのかもしれません。所詮、バーチャルリアリチィーなのですから、上を向こうが下を向こうが、今のところ、構想の力によって、飛び出すのは、ハリーポッターぐらいで、球面体加工は出来ません。携帯が当たり前のようになって参りましたので、何でもかでも話さずにはおれない時代ですが、論語の中に、多くを見たり聞いたりしても他人に話す時は大事な所を集約してからにしろ、とか、君子は飄々として無口だとか、表現ばかりしていては固くなってしまう、とかありましたが、2500年前と現在とでは、全く非なる時代に突入したようですね。なにも、お若い方々に、其れをしろ此れをしろと言う心算はありませんが、カーテンレールがカーブしているからと言って(そこに着目されたことがご自分では有意義だったのでしょうが)長手方向にニクロム線を張っただけなのですから、うまくいって、円錐の湾曲したものになるぐらいですよ。こういうお答えになってしまいましたが、解かる範囲でお答えします。たまには、学校の勉強もしてくださいよ。


2003年2月15日
今日は朝から有資格者の女性の公認会計士さんが来られて、事務所で夕方遅くまで厳粛な計算にかかって居られました。吹けば飛びそうな小さい会社ですがこういうことにはしっかりしております様です。工場では、セルパネの試作を続けながら、時間の合間に、ちょっと、一人で、古い半田ごてを厳粛に分解しておりました。基本的にはニクロム線で加熱して白雲母で絶縁し、突起部分に熱のみ伝えておりますね。以前、真鍮のパイプに、ニクロム線を通して電流を流すと、真鍮部分は熱くもならないのにパイプから出たニクロム線が赤々となって焼け落ちた経験がありましたが、絶縁をしっかりしていなかった為に真鍮に触れていなかったニクロム線に余計な電流値が流れて、過熱しすぎた 過不足計算ミスでした。発泡スチロールの融点は金属に比べてそれ程高いものではありませんから、高価な雲母をやめて、例えば、エコノミーなクッキングペーパーを巻いて、真鍮のエル型アングルに挟んでペンチで絞るか万力で細めれば、円形ニクロムの代りに使えて節約になるかもしれませんね。これを二本の竹の棒に繋いで、電流をかけながら発泡スチロールのブロックに当てれば、ひょっとすると、以前、御問い合わせのあった「ブロックに半球の掘り込みを入れたいのですが、安価な方法を教えてください」とのご回答になるかもしれません。まだ、試した事はありませんし、どうも予算を取れそうにありませんが、壊した半田ごてを買い換え出来ましたら、作ってみます。今日はここまで。

セルパネテスト販売価格表掲載しました


2003年2月14日
雑用に追われました。急な仕事があって一日、今日は工場に釘ずけになっていました。最近、営業に出て、4件も続けて留守ということはざらです。金利が下がるから急に忙しくなって来たのでしょうか、材木屋さんは。家を建てようと言う人は、耐久消費財のようには反応しないのではないかと思っていましたが、どん底の不景気の中でも、儲かって仕方がないところもあれば、こつこつと計画的貯蓄によって、ゴールまで来た方も居られる訳で、金利が下がって家を今のうちに買おうと思われる方は、多いようですね。自動車産業の空前の好景気は続いていますし、鉄鋼重機の復活は華々しいものがありますし、この国でしか生産できない鉄がアジアにかなり輸出されています。機械は、ロボットはお国技で動かしようが無いし、PCの反撃も思ったより早そうだし、、、、。
と、ちょっと、電話がこんな時間に掛かってきました。また、知り合いの寺の坊主が、葬式なくて暇で、飲みに行こうとさそって来たようです。今宵、熱燗の終わりといたします。


2003年2月13日
今日は昨日の逆、28人の訪問者。過去最高。全くよく判らない。あまりこだわらない事。朝から、営業7社87キロ。材木屋さんでこの時期一番良く見かけるのは、事務所の隅の神棚に笑っている大きなえべっさんと、杉の木片をくべて赤々とよく燃えている年代物の鋳物で出来た大きな古ストーブだ。さすがに材木屋さんだ。次々と惜しげもなくくべていく杉の木片が ばかでかい。火力も強い。そして、何よりいいのは、木片焚きストーブでしか味わえない、気持ちのいい木の香りと暖かさだ。身体中が温もってしかも同時に森林浴をしているような感じになる事だ。都会の真ん中でこんな贅沢が出来るのはあまり他にはないだろう。何年か前、市が企画した「キャンプ初心者講習会」で物見勇んで参加した時もストーブは灯油だった。府が企画した「流れ星を見る会」で金剛山に登ったときもやはりストーブは灯油だった。二十数年前、立山連峰の蝶が岳に途中まで登って、というか下のほうをウロウロしただけだったが、その後駆け込んだ山小屋にあったのが確か木片焚きストーブだった。あのストーブの温もりには本当に救われたような気がした。単に暖かいだけじゃない。身体中が芯から温まってくるような感じだ。4,5十年前ならごく当たり前だった風景。近所の家の風呂も木片焚きだったし、のどかで、人間味溢れていた生活。都会の真ん中で味わえるのは、今では、材木屋さんぐらいしかないのだろうか。いつもは大きな角材を上げ下ろししていたり、帯ノコ、丸ノコの切断音をびゅんびゅうんさせていたりするので、皆んな荒っぽい人ばかりだと思うかもしれないが、本当は材木屋さんはみんな、人間味があっていい人ばかりかもしれない。木片焚きストーブの温もりと香りは何故かそんな気持ちにさせる。

  ♪おー おおきな のっぽの 古木焚き おじいさんのストーブ
   ♪おじいさんの 生まれた朝に 買ってきたストーブさー 
     ♪百年 休まずに ボウボウ ボウボウ おじいさんと一緒に せっせとせっせと 
       ♪いまは まだ 使ってる おじいさんのストーブ


2003年2月12日
昨日の訪問者数は何方だったんだろう。訪問者数一名になっていた。3ヶ月ぶりの少なさ。貴方だけのために書いているのではありませんよ。昼前から営業。5社1店、121キロ。ちょっと走っただけで、車酔い状態。悪寒がしてふらふらして夕方遅くに戻る。来客中。仕入れメーカーのいつも立派ないでたちの支店長が久しぶりにいつもの檄を飛ばしにやって来た。いつもの通り御説ごもっともと思いきや、様々なお話が舞い込んだようだ。偏西風がゴビの黄砂を巻き上げて遥か、5000キロの旅をし、上空にまで達してそこいら中に降り注ぎ、困ったものだと思っていますと、実は、黄砂を巻き上げる前、すでに、ヨーロッパで工場や自動車から排出されるガスを殆ど僅か一日で中国まで運んできているらしい。そして、黄砂とヨーロッパの排ガスは同時に、この国に降り注ぐ。太平洋を通過しているうちに 濾過されてきれいになった風は、アメリカ、ヨーロッパで立ちのぼる排煙や排ガスを多量に巻き上げ、黄砂で色ずけして再びこの国へ落ちる。何と巨大な悪循環!どうしたら偏西風で扁桃腺の腫れるのを治せるか!三寒四温で春まだ遠し。

お問い合わせ有難う御座います。球面体の加工でまた2件ほどご質問がありました。後ほど回答を用意いたしますので、しばらくお待ちください。以前書きましたが、昨年11月のテレビ東京放送の「発泡スチロール王選手権」を参考にしてください。プロがどのように、このすばらしい芸術素材に取り組んでいるか、発泡スチロールを使って、様々な形造りが、こんなに簡単だったのか、こんなに面白かったのか、一目でご理解いただけると思います。その上で、ご自身のアレンジを踏まえて、切ったり削ったり楽しんでみてください。きっと、たちまちの内にすばらしい作品が出来上がるに違いありません。


2003年2月11日
昨日は800年前から続く家柄の滋賀県長浜にある大きなお寺の坊主の倅の誕生日だった事を思い出しました。昨年、親父のご住職が亡くなり、後を継いで27代目になるんだったか。長いもんだが、本堂は当然木造だった。彼の親父のそのまた親父の、、、、と、延々と遡って、そこの木造建築で暮らして来た訳だ。
セルパネサンプル試作の一日。外は雨。生暖かい。重要な進展があった。有り難いものだ。今日はここまで。


2003年2月10日
本日は順調な一日でした。五十日の車の渋滞で門真の松下の前から京都八幡の洞ヶ峠を下るまでわずか十数キロを2時間掛かったのはいつもの事でした。営業に何十回と足を運んだ材木屋さんから「製品の事がなにもわからないから」サンプル持って説明に来いとの連絡が入りましても、月2回として一年で20回位だから、まだ100回もサンプル持って上がっていないし、仕方が無い事だと思いながら、夕方遅くに会社に戻りますと、急に櫛型加工の製品を720個作れ。今すぐ作れ。今からといっても、3時間はみないといけないし、今日中に出来るかなぁというと、お客さんにもそのお客さんがあって、その先のお客さんあたりからのお話で、申し訳ないが急ぐからと、トラックに乗って、間もなく引き取りに来られた。すわっ、大変。急げ、急げ,いそげー。お茶だ、お茶だー。無ければ、缶ビールじゃなかった、缶コーヒーだ。長い時間お待たせ致しましたが、無事出来上がった製品を載せて帰られたのは一体何時だったことか!うちのようなワンクッションがないと巨大な流通機構は決してうまく回らないだろうなぁ。

  うたたねの 春の陽気に金の髪 櫛さす君は 浦島か 


2003年2月9日
セルパネ作業一日。セルパネ関係の写真を撮ったり、工夫をしたりしていました。外は雨。やっかいな日。いつもの様に足裏カイロをしましたが、殆ど寒くない。セルパネ製造ノート拡充作業中。
 
お問い合わせ有難う御座います。発泡スチロールのカットですね。トップページの実験リンク集の中に発泡スチロールカッターをお考えになられた方がございます。簡単に出来そうですので、ご参考になさってください。発泡スチロールの加工などでときどきご質問などがきますので、いっそ、ご質問とお答えのページを作ることにしました。(作業中、あー忙しい。明日にしましょうか。)


2003年2月8日
本日一日外出。夕方まで戻らず。近くの本屋が車の中古屋になったと思う間もなく、今日前を通ると、コンビニになっていた。くるくる回るなぁと云いながら隣の養鶏場だった所に出来たホームセンターに入って、発泡スチロールを回しながら球体加工は出来そうだが、ドームの球面くりぬきはどう回せば良いだろうかと、金具売り場であれこれ、素材売り場であれこれ、行ったり来たりしてひっくり返していると、時計がお昼を回っていたので、店の近くの回るすしに入った。1m以上あっても球体加工をする場合は、基本的には同じ方法になるんるだろう。今度、時間があればテストしてみよう。


2003年2月7日
セルパネ(セルローズファイバーpaneruの略)を使った面白実験室と工作室を始めました。トップページに予告コーナーつくりました。

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                   セルパネは断熱、耐火、防音、防湿パネルです
                   しかも、エコ商品です。

 
セルローズファイバー自体が備えている幾つかの性質を使った面白実験や工作を募集しています
  @ もともと紙なのに、、、!? ガスバーナーを近づけて、1000℃になっても表面が少し炭化するだけで、炎も出さず、バー      ナーを遠ざけるとすぐに消えてしまう。
  A もともと紙なのに、、、!? 水を上から垂らしても、油もなにもないのに水を弾きます
  B 湿度が高くなると湿気を吸収し、湿度が低くなると湿気を放出する、コストゼロの調湿システム
  C 防音、吸音効果、、、、車で道路を走っていて急に静かに走れるようになる経験は有りませんでしたか
    折角、すばらしいピアノがあっても周囲が気になって、なかなか弾くことが出来ない。好きな曲を思う存分自由に弾いてみ     たいと思われた事がありませんか?ご自分で簡単に作れる防音ピアノ室。 
  Dもともと紙なので、、、、!燃えるごみとしてほかせる

   *火事が起きても大丈夫な手製の宝物入れ(1000℃に耐えて、断熱されて、しかも湿気も寄せつけないので、紙系のもの     でも紙幣でも大切なノートでも保管できます)
   * 手製のペット小屋(暖かいし、ペットが鳴いても吠えても防音効果抜群、湿気も自動調整、便をして捨てるのも簡単)
     
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   いろいろやっていきましょう。 今日はここまで。


2003年2月6日
近くの寝屋川の材木屋さんでご不幸がありました。本日御通夜、明日京阪葬祭会館にてご葬儀の予定。この場をお借りいたしまして、謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます。生前、ご活躍の中、大変お世話いただきました。故人の数々の御陰徳をご披露させて頂くとともに、在りし日を、切に、偲ばせていただきました。重ね重ねご冥福をお祈りさせていただきます。どちら様もこの度は御愁傷様でした。
「金利がちょっと下がったのが一縷の願いです」と不景気を語る材木屋さんも、ご葬儀だけは出かけられるらしい。

日経アーキテクチュア2003.2/3号届きました。48ページの入選提案の記事の中に小さく「フジカット有限会社」と印刷されていました。光栄至極です。有難う御座いました。記念に3冊買いました。1冊は営業用に、2冊目は保存用に、3冊目は亡父の墓前に供えます。本日もセルパネサンプル製作を続けました。頑張りますよ!もっともっと、この先を信じて。きっときっと、うまく行くと。
後日、ページのどこかに掲載箇所の写真でも載せようと思います。

ショップからですが、定型ブロックを造型作品に使いたいが、素人でも安価に出来る加工をお教えくださいといった内容のご質問がございました。基本的に、加工技術はどこでも殆ど公開はされていないと思います。皆さん長い時間を掛けて大変な努力を繰り返されて磨き上げられてきたものが、加工技術ですから、学校などで2年か、4年ぐらい取り組まれた位ではおそらく手に負えないものばかりだと思います。素人でも高価な機械さえあれば何とかなるとお思いかもしれませんが、芸術的といいますか美的感覚の必要な分野ではプロになればなるほど、皆、安価な道具しか使っていないようです。もし、あなた様が、油絵を描かれる時の絵筆とキャンパスすら解からないという段階でしたら、どうぞ、昨年11月7日テレビ東京で「発泡スチロール王選手権」が放映されましたがその時のビデオがありますのでダビングして差し上げましょう。プロが如何に簡単な道具で素材に立ち向かっているかご参考になると思います。その上で、あなた様の感性に従って発泡スチロールのキャンパスに絵の具を走らせてみてください。何と簡単なんだろうか!なんて面白いのだろうか!そう言いながら、たちまちすばらしい作品が出来上がるに違いありません。若しあなた様が、造型品を売り買いするために製作される方でしたら、残念ですが、今回は有償とさせて頂きます。よきご縁となりますように。


2003年2月5日
発明家の鈴木さんのホームページにリンクを貼っていただける事になりました。本当に有難う御座いました。私どものような、できたてほやほやのよちよち歩きをしておりますページですが、数々のメジャーな専門誌に掲載され、大変有名なそして、伝統も併せ持たれたビッグページにリンクさせて頂きまして光栄至極です。重ねて御礼を申し上げます。有難う御座いました。
セルパネ1/4に切断したサンプルをご希望のお客様に本日無料でお送りいたしました。どうぞ、お届けできましたら、ご確認ください。切断面から中味の構造がよく分かるように大きなセロテープを張ってみました。この方がセルローズファイバーと厚紙の整列ぐあいまで解りますし、この位なら机の上にでも置けますので、かなりサンプル性が上がるように思いました。どうぞ、ご観賞くださいませ。


2003年2月4日
枚方は今年も人形劇の時期が近づいてきました。劇の素材にと発泡スチロールを買いに来られるお客様がちらほら増え始めると毎年盛大に行われる枚方人形劇フェステバルの事を思い出します。日本全国から有名な劇団が招待されて、大人が観ていても充分に観賞に耐えられるどころか、すばらしい感動を与えてくれる名演技を次々に披露してくれます。地方から初めて来られた劇団の人の感想はよく「だろうー?子供たちのノリって、どこでもいいもんだけどさー、大阪の子供のノリって格別いいじゃん。」といったものがあります。気候風土土地柄でしょうか、吉本や松竹や宝塚や、OSK(これからどうなるのでしょうか)があったり、菊人形で有名なひらかたパークの野外ステージがあったり、エンターテイメントには総じて乗りやすい雰囲気があるのでしょうか。さーっと飛びついて一通り楽しんだらUSJのようにさっと飽きてしまう。すぐに、新規な次のエンターテイメントへ移りゆく。笑いの本質が大きなことから小さなことへの思いがけない移行にあると、お笑いを分析した書物に書かれてありますが、大きなテーマパークから小さな人形劇への移行は大阪的な笑いの象徴なのかも知れません。街全体がこれですから、敏感で、物怖じしない子供たちにすれば、舞台で熱演されれば、自分たちも構わずストレートにパフォーマンスを始めてしまうのでしょうね。
お問い合わせ有難う御座いました。1m×1mの大きなお皿12枚ですね。これからも勉強させていただきます。またひとつ、宿題ができました。有難う御座いました。後日、出来るようになりましたらご案内させていただきます。勿論、手作業加工ではなく、簡単な手作り機械でできましたらということで。


2003年2月3日
毎年の事かもしれませんが、また動きが止まりました。電話が鳴るときは続けて鳴るのに鳴らないときはピタリと止んでしまう。今日は、少しは鳴ったほうでした。こんな時は営業に出て行くものですが、いま暫く、試作作業を続けております。というか、やらずにはおれない状態に来ております。が、昼休み、近くの本屋へそそくさと、日経アーキテクチャーを買いに行きましたら、「この雑誌は購読者直販のみですから取次ぎできません。」とシゲない返事。仕方なく、その場で、電話を借りて日経サービスセンターへ購読の注文を入れる。明日発送で、土曜日までには自宅に届くらしい。セルパネ100uの仮発注があり、いよいよ試作サンプル作りに力が入ります。


2003年2月2日
今日一日、あーでもないこーでもないとPCをひっくり返しながら、ようやくHPにセルパネの写真を掲載できました。トップページとセルパネノートの2箇所です。どうぞ、ご覧ください。パソコンに詳しい望月さんの虎の巻が役に立ちました。夕方からは寝屋川のリサイクル店へ行って中古の機械の値段を探ってきました。なかなかいい掘り出し物に出会えませんでした。今日はここまで。


2003年2月1日
今日は、何ヶ月振りになるのか仕事を離れて私用で神戸の方まで出かけた。JR芦屋から普通に乗り換えてJR住吉で下車。南へ少し、住吉カトリック幼稚園を左へ歩いて、震災の時は、大変な被害を受けた住吉小学校の向かいにそれはあった。小一時間で駅まで戻った。大手の百貨店みたいな生協の中の喫茶クリエでお茶にした。最近、横浜にも店を出したらしい。セルフの皿にチラシが入ってた。昼過ぎだったので、くるみケーキと「チャイ」というミルク紅茶を頼んだ。チャイという位だからジャスミン茶のような味と香りがあって、表面に浮かんだ大きめのクリームの甘さが中国茶のつんと来る香りを抑えてくれていて、それが隠し切れない隠し味になっていた。一口飲みながら、スチーブン.スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」に出てくる魔都上海を何故か思い出した。本当に、長崎に落ちた原爆の光が上海からでも確認できたのだろうか。それ程の近くにある国から偏西風が止まらない。
明日からまたサンプル作りだ。5月中旬までに建設大臣に実際に見ていただけるらしいので、今度はとびきり上等のセルパネのサンプルを作らなければならない。急がなければならない。折角、そんなに偉い人に見て頂けるのだから、あれもこれももう一度もう二度三度製造工程を見直して、早急にやり直して、イの一番にいい製品に仕上げてからお見せしないといけない。のん気に、お茶にしている場合じゃない。


2003年1月31日
長年のお客様でお取引を頂いております断ボールケースの加工会社に久しぶりに行った。今日はこちらがお客さんだった。腰のしっかりしたいい厚紙を紹介して頂いた。やっぱり、お付き合いは大事だと思った。この厚紙ならセルパネ造りに最適だと思った。それに、セルパネ造りには、材木屋さんと段ボール屋さんの異業種の接点に立っているし、両者には無いサンプル作りが容易な素材がこちらにはあった。公的機関への製造スケジュール表提出は今日が〆切。2時過ぎ、枚方の商工会議所の広報の岸田さんが取材に来られた。会員向け広報誌の4月号か5月号に、もし他の方のキャンセルがあって空き枠ができたら セルパネを掲載していただける事になった。それでも大変ありがたいと思った。うちのような小さな会社を掲載して頂けるかもしれない、希望を抱かせるそれだけでもう充分だと思います。地場で張り付いて頑張っておられる方々が多い中で、今後もお付き合いはお付き合いとして大切にして行かないと、と思いました。
ショップの方からですが、先日商品発送したはずが、届いていないと言ったメールがお客様から御座いましたが、そのお客様から不在票がポストに入っていたので今から自転車で郵便局まで受け取りに行かれる旨のメールがありました。うらわかい御淑女に大荷物を運ばせて、ご足労お掛けしますが、此方と致しましては、ほっとしております。自転車の小荷物のひったくり事件が多発しております。お気をつけください。引ったくりの事は警察では「たくり」と呼ぶらしいです。何処にでもいてそうな普通の人が、犯人を捕まえた時は「ミンタイ」民間逮捕と呼び、大変丁重にもてなしていただけます。わたしの時は、枚方駅前のバス停で厚生年金病院へ行かれる寝屋川の73歳の老婦人がバスを待っておられる時でした。息子さんが心臓の病気で倒れられて入院され、ご看病にいこうとされていたと後からお聞きしました。わたしは、他の大勢の人たちと近鉄百貨店の前で信号待ちをしておりました。青に変わって、渡りかけた時でした。「だれかー助けてーどっ泥棒ー」と悲痛な、かすれて聞こえるか聞こえないかの叫び声があって、長髪の若者がニヤニヤ笑いながらハンドバッグをかざして走り去るのがちらっと見えました。何故か無性に悲しくなりました。と同時にだんだん腹が立ってきました。周囲にいる通行人の誰もが助けようともしません。ただ、見ているだけでした。あとは、自然に走り出して、追いかけていました。約300メートル。近鉄百貨店裏のかっぱ寿司の横を曲がって、みぎひだりと若者は逃げました。追いかけられているのに気づくまでは、いい気なものでした。笑いながらこちらを振り向いていましたが、シマッタ!と言った顔に変わりました。民家の電柱のところで追いつきました。後ろから倒れるように押さえ込みました。あばれて、もみ合いになりました。逃げようとしました。足を掴んで倒しました。横腹を殴ってきました。相当息を切らしていましたので全く力がありませんでした。こちらも、もう限界でした。「金が要るんや。逃がしてくれ。金がないねん」と苦し紛れに叫ぶその若者は、また逃げようとしました。とっさに、ベルトをつかみました。運良く倒れてくれました。両手でわしずかみにしました。その時、白のスクーターに乗った学校の先生のようなおばさんが追いつきました。「待っててや。すぐ110番するからね」と言ってくれました。その後、60ぐらいのおじさんが「近鉄のガードマン呼んだから、もうちょっとの辛抱やぞ。」と息を切らせて言ってくれました。もうひとりのサラリーマンさんが「何しよるかわからんからなー、離れるなよー、離れるなよー」と、遠巻きにしながら、やっぱり息を切らせて言ってくれました。この街もまんざら捨てたもんじゃなかったんやなぁと、必死で思いました。後から判ったことですが、若者には前科があり10センチの果物ナイフを隠し持っておりました。お巡りさんが来られた時には、もう全身の力が抜けてしまいました。足ががくがくとしました。110番して頂きました白いスクーターの学校のおばさんも60ぐらいのおじさんも励ましていただいたサラリーマンさんも一緒に警察まで来ると、さっーといつの間にか名前も告げづに消えていきました。わたしも一緒に消えようと思いましたら、最初に来られたお巡りさんに「逮捕者まで帰られると、この事件は成立しませんから」と強く引き止められました。事情聴取があって、現場検証があって、家までパトカーで送っていただけました。


2003年1月30日
本日工場内作業。実にいろいろな事がある。長年段ボールケースの会社と、お取引を続けていて良かったことも多い。これからも大事にしていかないといけないなぁと思った。日本のように6,7代さかのぼればみんな親戚という社会で本当に自由競争が正しい選択なのだろうか。こんなに小さな会社においてもアイデンテチィーを問わないといけない場面って結構多い。
またまた、面白い制作方法を思いつき、取り付かれていた。折角、あすは街の商工会議所の広報の人が来るから掃除をしておく予定が散らかったままだ。すわっ!大変。 今日もここまで。


2003年1月29日
もうぼちぼち雑記ノートは開きすぎたようだ。3ヶ月も開いたのだからもういいだろう。また、手書きの愛用の黒ペンだけにしようかと思うが、なかなか許してもらえない。「どうせつまらない人間が書いてんねんから、ええやないか。30年、日記書いてきたんやさかいもうちょっと位ええやないか」と総務部は勝手なことを言う。30年前に日記を始める前は、メダカの日記「メダスケの日記」を書いていた。その後、小学校5年生の時から、群馬県から来た顔が馬そっくりの 担任の宮下先生にひと言日記「ひとこと」を書くように言われ、毎日毎日どんなことでもひと言書けば、必ず赤インクでコメントしてもらって、それが面白くて小学校を卒業してからも一人でずるずると続けてきたが、16,7の時にやっとファイルの題名をただの「日記」に変更して、以降早くも30年が過ぎ去った。学生の時は「書を捨て街に出よう」の嵐の中で一時中断したが、2,3年もすると飽きて、またこのスタイルが復活している。そう考えれば3ヶ月なんてあっという間の出来事だ。「あっ」 今日はここまで。

                      
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