営業部デスクのコラム欄
「わたしの研究開発雑記ノート」 『夢千代日記』の里から
巨大いちご製作と27mケーキの話し
研究ノート目次
2008年2月16日 曇り時々晴れ 4度
時々、粉雪が舞う中、今日も例の製作を続けた。例の、次期期待主力曲線自家製加工器ではあったが、本日またあれこれと試作になって、さらに先日テレビで見た世界の洞窟物語さながら、あーでもないこーでもないと作り直しを続けている訳であった。先ず、この「あーでもない、コーでもない」と言ったパリコレ風 オートクチュールな何でもアリな試行錯誤というのは、必ず必要な初期段階ではあるのだが、それは、すんなり終えて、次の素材選びになっていた。またまた、これから、暫く、古道具屋を周回しなければならないのだろうか。忙しくなる。では、この辺で 失礼
あしびきの 山鳥の尾の ルカリオの 「波動はわれに」 ひとり ポケモン?
2008年2月15日 晴れ 6度
人間、慣れだろうか。朝から寒い中、例の製作を続けた。とんぼ返しでポン♪の自家製加工機も慣れると順調に動いてくれるものか。しかし、世の中広いものだ。あれもこれもと、お陰様で、様々なお問い合わせが本日も続いた。これもそれも、有難い限りだろうか。そして、その中で、こうして次なる課題を頂けた訳であるのだろうか。重ねて書くが、前向きに、真摯に出来るだけ謙虚に、そして、誠実に頑張って行くしかないのだろうか。例えば、昨日の一件からは、先日、大型の球面体自家製加工機については、掲載したように、何とかこれで、取り敢えずは一定のレベルに達したと見なしていた訳だが、今度は、そのような200φ程度の小さな球面体の加工をさらに、一発カンカンでカンカン加工は出来ないものか、と言った課題が、まあ、急に降って湧いたように与えられたのだったが、さらにそれに、球面型くり抜きも一発カンカンで加工出来ないものかということではあったのだが、ここからは、それを如何に安く、如何に何処にも無いようなアイデアで製作出来るようにしていくか、になるようだ。有難い限りだろうか。また、頑張ってみよう。では、この辺で
2008年2月14日 晴れ 体感温度氷点下2度
今日も朝から例の製作を続けた。それしかないし、後にも先にも こうして例の製作を続け、ユーザー様のお問い合わせに、ひとつ、またひとつと お答えして行く以外には、何も無いのだった。そして、前向きに、出来るだけ、そのお問い合わせを形にしてお示しして行くこと位なのだろうか。正しく、これをもってネットにおける「ザウルスの尻尾」現象とは、上手く言ったものなんだろうか。こうして、ここに書き込み始めてからでも、もう6年が過ぎようとしているのだ。それなのに、今日もこうして、またまた次なる課題をご提示して頂けるようなお問い合わせが、有難くも途切れることなく相次いだ。たった、この何でも無いことのように続く『世界 不思議発見』顔負けの奇抜な先見性と言うべきか、ごろごろ、うじょうじょとこの不思議の工業立国日本の隅々にまで、アイデア満タンの方々がお住まいなのだと言うことは、もう改めて書き残すほどのことでは、遠く昔に なくなったようなものかもしれない。しかし、それではあっても、さらに、様々なアイデアが底なしの水瓶から知識の清水が、とくとくと 途切れることなく湧き出るが如く、今日も斯様にお問い合わせがあるのだった。有難いものだろうか。そして、真摯にその一件に対しても、ならばこうすれば如何でしょうか、とボールを投げ返して行く段になって、こちらとしても、どんどこ、どんどこと 太鼓腹を叩いて、そして乾いたタオルをさらに乾燥機で乾かした上で、なんとかしょ、っといった力を込めて、絞り返して、投げ返して行かなければならない訳ではあったのだろう。こうして、また今日も過ぎていくのだった。
2008年2月13日 小雨のち粉雪混じる 5度
京都の3畳一間の学生寮に一緒に暮らしたことのある同年齢のT君の訃報を知ったのは、夕方になって、漸く、急ぎの例の半球型外260φ内220φの4分割加工の製作もキリがつき、何とか本日発送希望とされるユーザー様の出荷まで漕ぎ着けた時、突然のように届いたのだった。享年50歳。こうして、また一人、黙って見送る事となってしまった、あの思い出の学生仲間。手渡しで、急に届いた訃報に目を通した時、一瞬、我が目を疑いつつも、背中をさーっと、冷たいものが通り過ぎていったのは、気のせいだったのだろうか。だから、こんな時は、外を見上げずにはおれなかった。しかし、今にも落ちてきそうな、どんよりと重くそして黒々とした冬雲が一面に垂れ下がり、もう立春と言うのに、窓の外は、無常な粉雪が、風に舞う。それでも、今日はそんな空を、作業の手を休めてでも、見上げずにはおれなかった。残念だ、、、。ご家族は、言うまでも無いだろう。まだまだ、これからではないか。多忙ゆえ、疎遠にしていても、生きているなら何時かは会える筈と、以前笑って何かに書いたのが、結局最後になるのだろうか。また一人、また一人と、こんな風に欠けていくんだ。誰も、止めることの出来ない定めなんだと、幾ら繰り返して無言で唱えても、何にもならないとは、解ってはいる。解ってはいるのだが、きっと、またこうして今日も例の製作を続けなければならない。何時までも空を見上げている訳にも行かない。残りの作業も置く訳にも行かない。そうして、今日も過ぎ、明日も過ぎ、1週間、2週間と流れる時のままに、身を任して生きていくしかないのだろうか。そうだ、だからあの歌「千の風になって」を送る。
2008年2月12日 雨後曇り 9度
そして、今日も例の製作が続いた。幾つかの急ぎの製作も入り、お陰さまで終日、結構引き締まった動きとなった。そうだろうか。前向きに、タダ、前向きに頑張る以外に我々の取り柄は、早々他には無いのかも知れない。そうして、よしんば、次に続くような例の変てこな形状加工の為の自家製加工機を何とか、アイデアを注入して、完成へと持って行きたいものだろうか。本当に、有難いことには、このネット環境と言うのは、真摯に受け止めて行くのならば、その「ザウルスの尻尾」現象をまじまじと感じるものなんだろう。例えば、先日の、例の一段目の全長46mの直径4mという途轍もなく巨大な構造になる原寸大のサターンX型ロケットの製作の一件にしても、この狭い日本の或る所では、本当に製作してみようと言う、何とも意気盛んな、そしバイタリティー溢れる元気な向きが、居られるという事実に触れることが出来ただけでも、我々としては、本当に、有難いことであったのかも知れない。何をか況耶!その元気をお裾分け頂けたではないか。確かに、意外なことかも知れないが、あれは今から4年も前になるのだろうか、ある○○重工の方から、実際の細かい翼や配管に液体酸素タンク、耐熱レンガ、水素タンクなどから、噴射口まで、すべて原寸大で製作出来ないものかと言ったご依頼があったのだが、それ以来の巨大ロケット製作のお話ではあったのだ。何故、そのような原寸大の巨大なロケット構造物をわざわざ、発泡スチロールで製作する必要があるのかと言えば、どうやら、矢張り、本場ヒューストンでも、同様な製作作業の工程が一枚入っているらしいとのことの様ではあったし、詰まりは、平たく言えば、どうしても、図面だけでは、解らないところが幾つもあるんだと言うことに尽きるようだ。だから、我々と同様、アメリカの南部の何処かの発泡スチロール屋さんでは、例のスペースシャトルや宇宙基地の建設資材が決まる毎に、そんな、途轍もなく巨大なロケットを、毎日、せっせと製作を続けている会社も或るんだ、と言うことは容易に想像はつく訳だ。
これが、サターンX型ロケットの外観と内部写真だ
日本のH2Aでも直径2mの全長56mやなあ
やっぱり、まともに相手をして勝てる相手ではないね
こんなのを毎日せっせと製作するアメリカ南部の発泡スチロール屋さんって
どんな所だろうか!
世界は広いなあ 本当に「テラノザウルス」がうじょうじょ住んでいるんだろうなあ
東大阪のロケット野郎!頑張ってやー、負けるなよー
2008年2月11日 晴れ 7度
昨日は、いつもの様に、今日も幾つかの例の製作について如何なる展開が最もスピーデイで効率的か、或いは例の端材を使ってその次なる自家製加工機の組み立てを如何なる方法を新規に編み出して進めるべきかなど、あれこれ考えながら、冷たい朝の 昨日からまだ全く解けていないで、所々アイスバーンのように硬くなった、何年振りかの大雪の残雪を横目に見ながら、自宅の階段を下りて、ひとの通りがまだ殆ど無い 氷ったような前の細い道まで出たのであったが、ちょっと、忌々しくも、落語の落ちを待たずに笑い出すような そんな余計な悪さをするカラスの鳴き声が少し気になって ふと、空を見上げた瞬間だったか。青く晴れ渡った冬の寒空を、大きく円を描きながら、どういう訳だろうか、全く意外にも、視線が、中空を跳ねているのだった。その大きく輪を描いて、跳ねる視線と言うのは、そう、まるで、一昨日見た カンヌ映画祭受賞の黒沢清監督映画『回路』の中で、後半の最後に近い所だったろうか、主人公達が港へ何とか辿り着く手前のところで、旅客機が火を噴いて墜落していく何とも不気味なシーンが、否が応でも、異様な光景として重なって行ったのだろうか。ホラー映画には黒いカラスはつき物なんだろう、そしてその映画には、カラスの代わりに黒く変形した人間の影の様な幽霊が、漫画『デジモン フロンア』さながらにネット回路の中から現実世界へとリンクして、現れては現実世界の人間を消滅させていくストーリーなのだったが、そこから何とか逃れようとして、路面の至る所に無残にも黒焦げになった屍が無数に転がるような 廃墟となって誰一人居なくなった大都会の中を、必死になって、逃げようとする主人公達ではあった。その頭上を、火を噴く旅客機がビルの向こうに激突して大爆発を起こすシーンがあった。と同時に、それは一体何故か、映画でもないのに、その『生きること』に向かって、俺達の明日を信じようと、何処までも逃げ伸びようとする、そんな『回路』からの逃避行とは全く無縁で有る筈で、且つ有るべきであるし、全く別の作為的にその監督が制作しただけの向こう側の世界であるはずであったのに、一体何処でそんな『回路』にリンクされてしまったのだろうかと、一瞬、激しく、驚きを隠せない程の思いがこみ上げて来ながら、私の腰の辺りに、激痛が走って行ったのだった。そんな、馬鹿な筈は無い、と暫く、青く晴れ渡った冬の空を、ポカンと見上げていたのだったが、何時まで経っても、旅客機の墜落シーンは映らなかったし、廃墟になって人っ子一人居ないはずの都会の細い通りにも、見慣れた町の掃除当番の人の顔が幾つか、笑いながら見えて近寄って来て、「いつまで寝とんのや」と薄情な声を掛けながら、箒で激痛の走った腰の辺りを、コツコツするのだった。情けなくも、その日は終日、外には出ることはなかった。悲しくも、これが現実の「回路」なのだろうか
、
2008年2月9日 朝9時前から雪 積雪 75mm 2度
中国では50年ぶりの大雪だそうだから、こうして この辺りまで冷たく湿潤な冷気が流れてくるのも仕方の無いことなのだろうか。今日も寒い中、例の製作を続けた。何とか、例の水耕植物向けウエディング水槽の発送まで漕ぎ着けた。その後、例のぎしぎしばったん♪の加工機での製作もあって何かと、あれこれと バタバタしていたのだったが、昼前、米沢鉄工所の親父さんが、見えたのには驚いた。胃のポリープの摘出手術に入院されて、当分、例の加工断面の特注の見積もりには、お見えになれないものだと諦めていたのだったが、流石、大したものだ。若い時、戦艦大和の鉄の叩き出しにも加わったという曰く付きの凄腕は、そんな気力に支えられて来たのだろうか。我々の、先人の残していった高度な技術を伝える生き字引漢たるところは、確かだと見た。こんな、豪雪の中を、病み上がりの身体を押して、来て頂いたには、ただただ、頭が下がる思いでもあったものか。その直ぐ後、マキノの財部さんが続けて見えた。例の件での打ち合わせなどして、「わたしも後 残る 4ヶ月で定年ですから」とポツリと一言を最後に、この大雪の中をお帰りになった。雪は終日降り続いた。 おっと、もうこんな時間だ。では失礼
2008年2月8日 晴れ 6度
今日も例の製作を続けた。光都市設計さんに頼まれた、黒い発泡スチロールブロックが入荷した。まだ、納期まで実に2ヶ月も先になるのだが、中々入らない商材なので、念のためと言うことになった。例の、とんからりん♪とんからりん♪加工機に続いて、例の自家製加工機 ぎしぎしばったん♪ぎしぎしばったん♪を可動させながら、例の東京の展示会が本日千秋楽だったことを思い出した。さて、例のユーザー様は、果たしてどんなお顔で引き上げて見えるのだろうか、あれこれ考えながら、次の作業に掛かるまで、暦の上では、春だと言うのに、まだまだ寒い、よく晴れた青い空を見上げた。暫くして、例の水耕栽培用の円形 4段重ね水槽の水を張った面の漏れ状態をチェックして、どうやら1週間様子を見て大丈夫だったので、これで明日出荷しても大丈夫だろうと判断した。まあ、確かに、不思議なアイデアを次から次から出して見られるものだと思った。でも、可也似たような、こう言ったアイデアは、あのsとリー研究所でも、もう5年ほど前に、出されたことがあったものだと、今頃になって、ふと思い出した。確かに奇抜な、と言うか、眉間を掠めて飛んでくる矢に思わずのけぞるような、緊張感と切迫感が起きるような、活きた観葉植物をそのまま、結婚式のメインのウエデングケーキに据え付ける等とは、幾ら、sとリー研究所さんでも思いつかなかっただろうとも、強く唾を一気に飲み込んだものか。こんなアイデアを出されるトップが女性だと言う点は、矢張り、一応特筆する必要はあるのだろう。そういう面は、何と言っても、組織の中で、強い組織とは如何なるものか、について、あれはもう30年以上前であったが、京都で学生をしていた時、偶然、もぐりで、転がり込んだ或る大学の講義において、その名前も知らない教授が「組織論」を展開されていたのだったが(まあ、今考えると、実に楽しい大学生をしていたものだった)が、感銘を受けて、凄いなあと夢中でノートしていたのだったが、そこに、一行だけ、女性が生き生きしている組織は強くなる、ってなことを走り書きメモしたことだけは、こうして30年以上過ぎても、今でも記憶しているのだった。(大学って、今の大学は知らないが、自分で勉強するつもりがあれば、幾らでも出来るんだなあ、と思う。そんな、国公立私立を問わず、もぐりの学生を受け入れる大羅佳さは失わないでいて欲しいものだが、、、、)
おっと、時間だ。では失礼
2008年2月7日 曇り後雨 後曇り 6度
今日も例の製作を続けていた。有難いことに今日も様々なお問い合わせが続いた。そして考えた。こんなネットを張って6年も7年も過ぎた。事情通に聞くと、発泡スチロールの業界内では相当古株に入るように為って来たそうだ。そう思う。6年前は、発泡スチロールの業界でもHPを出していたのは、数える程だったし、その中でも、新陳代謝っていうか、数々の浮沈があって、数年で退場していった業者を幾つも見て来たものだから、まだ、こうして、ひつこく、何とかずり落ちないように、必死にしがみ付いているところも珍しいということだろうか。やがて、体力勝負だけってことになるんだろうか。否、それよりも、矢張り、HP作りに対する思い入れの方かも知れない。初心に帰って、こんなつまらない小さな小さな小企業ではあっても、世界に胸を張って、頑張っているんだっていう情熱がどれだけ表現出来るかになるのかもしれない。一昔前では、電話帳に大きな絵を入れ電話番号を出すのが関の山だったものか。こんな、発泡スチロールを切ったり貼ったりしていると言っても、誰も相手にしてくれなかったものだ。折からの、モータリゼーション大量消費時代からリサイクルの時代になり、一時期は粗大ゴミでしかなかった発泡スチロールに対する敵意に満ちた時代がつい最近まで続いていたものだった。そんな向かい風の中で、敢えて、大衆環視のネット世界へ押し出すには、心理的抵抗もあったものだ。だから、むしろ余計に、何とかしなければならない。発泡スチロールって、もっとお役に立てるような使い道が幾つも、幾つもあるんだって事を表に出したいと強く思ったものだ。そんな折、例のsトリー基礎研のh部長さんには、そのこちらの心情を見抜かれていたのだと思うが、もう何年前になるのか、初めてお会いした時、よく「発泡スチロールは、これからは 裏から表に出て行かなければならないよ」と何度も話された事を今も、後生大事に、そして昨日のように記憶している。彼の先見性っていうか、時代を見る力っていうのは、凄いものがあるなあと、今でも思う。例えば、ゴミ問題にしても、国内の先端的な分野では、プラズマ照射によって、ゴミを燃やさずに、資源に変える技術が相当進んできたし、何だ、一昔前の、ゴミの概念が全く変わってしまうかもしれない時代にさしかかっているからだ。だから、2重にも3重にも、今度は、発泡スチロールの他の素材に比べた優位性が引き立つ時代に入ろうとしているようだからだ。有難い限りだろうか。
2008年2月6日 雨 6度
今日も例の製作が続いた。例年、この時期から学生さんが帰省される向きが増えるからだろうか、訪問者数に変動があるようだ。で、漸く 先日来 まとめていたこの6年ほどの訪問者数が出たので取りあえずUPしておいた
これは、ご覧の通り、全てHPトップの訪問者数を手作業で毎日毎日数字を大学ノートにメモしていったものであるので
よく見られるような自動式のソフト等ではなく、多少の計算誤差はあると思いますが それはご了承下さいませ
毎日毎日データを筆記して来て、5年ちょっとになるが、こうして眺めてみると、これらの数字の動きにはすべて思いでも含まれていて感慨無量の感があるようだ。全ての数字の変動に、何となく、あの時あのようなことがあったり、あの時あのような工夫をしたものだと、振り返ることも出来る。
02年には無名のHPであったのだろうか、訪問者といっても殆ど 光都市綜合設計さんの方から見に来られるかただったようだ
それが 12月に 200名の最初の増加が起きたのは 財団法人ベターリビングで入賞出来た影響だったようだ。1ヶ月300名からか、ベターリビングから見に来られた数字だったのだろう。それでも、当時、本当に有難いことだと感激していたものだった。
翌03年2月21日に例の盲学校の先生がお見えになった時のことを書いた直後に訪問者が急増したことを憶えているし、自分にとっては特段何時ものように書き込みをしていただけではあったのだが、数字的には残るもののようだ
つまり、このHPって、やっぱり個人主体なんだろうなあ。そして、儲け主義一辺倒では、駄目だってことなんだろうかとその時思ったものだ
その年の4月に1000名を越えたのは、以後 毎年データ数が増えるに従って、傾向が見えてくるのだが、矢張り、学校 教育 或いは研究所関係が多いと言うことなのだろうか。だからこの年の8月には800名台に減少していた
おっと、こうして感想を書いていくと先月のデータに対するコメントまで届くには数日は掛かりそうだ
それだけ、実際にこうして自分でhpの更新を全て自分でしていると、思い出がたっぷり含まれているってことだろう
※何が言いたいかというと、例のヤフーの検索順位の件で 先日お問い合わせの有った何処の誰だか知らないが(一応名前は聞いたのだったが忘れた)、確かに、我々のような中小企業で、本業をこなしながら、ど素人の者が毎日更新しているHPだから、プロのHP製作者には叶わない「つまらない幼稚な構成」かもしれないが、こちらとしても、独自に常に、一体次にどうしたらいいのかを一応考えている心算だと言うことだろうか。
2002年10月 435名
11月 324名
12月 540名 計
2003年 1月 450名
2月 497名
3月 699名
4月 1065名
5月 1050名
6月 1042名
7月 1047名
8月 896名
9月 1102名
10月 1014名
11月 1069名
12月 990名 計10921名
2004年 1月 1183名
2月 1049名
3月 985名
4月 924名
5月 1231名
6月 2302名
7月 1763名
8月 1707名
9月 1459名
10月 2262名
11月 3147名
12月 1569名 計 19581名
2005年 1月 1544名
2月 1697名
3月 1361名
4月 1433名
5月 1681名
6月 1748名
7月 1707名
8月 1751名
9月 1575名
10月 1876名
11月 2166名
12月 1944名 計 20483名
2006年 1月 2122名
2月 1988名
3月 1875名
4月 1633名
5月 1749名
6月 2129名
7月 2372名
8月 2474名
9月 2150名
10月 2457名
11月 2655名
12月 2976名 計 26580名
2007年 1月 2830名
2月 2550名
3月 3064名
4月 3509名
5月 3730名
6月 3636名
7月 3790名
8月 3543名
9月 3150名
10月 3317名
11月 3327名
12月 2852名 計 39298名
2008年 1月 2883名
2008年2月5日 曇り 6度
今日も朝から例の製作が続いた。とんからりん♪とんからりん♪とんとん からりん♪とんからりん♪の例の在庫積み上げ作業の後に、例の自家製加工機 ムカデでごろごろ♪加工において、急遽 サイズ違いの製作となったのだが、無事に ムカデでごろごろ♪の調整が効いて製作まで行けたのには有難いことだった。そのあと、また、例のとんとん♪とんぼ返し♪の自家製加工機3台の順調な駆け出しを見て、そのまま滑るように続けたのだったが、例の東京ビッグサイトで本日より開催の展示には、どんな反応があるのだろうかと、大変楽しみな気分にもなれたのは、矢張り、この自家製加工機3台の順調な稼動のお陰だったのかもしれない。翻るに、我々のような中小企業において、生き残る道と言うのは、以前、東京の、、、、おっとこんな時間に来客だ。高校生のようだ。発泡スチロールのご相談のようだ。では 、失礼
2008年2月4日 小雨のち曇り 5度
今日も例の製作が続いた。例のとんとん♪とんぼ返しでポン♪の自家製加工機は、結局 2箇所の微調整つまみを入れたことによって順調に可動するようになった。有難いことだ。ボルトとアンペアの掛けたワットなんだと、順調に動く3台のとんぼ返し♪を見ながら、そう思った。後は、明日から始まる例のユーザー様期待の展示会の反応次第と言うことなんだろうか。こんな、ド不景気が続く中、何とか、手応えが在って頂きたいものか。昨日は夢を見た。あれは一体何処なんだろうか。イエズス会の修道院の白い外壁でも無し、伊射奈岐神社の厚い外堀でもなし、はたまた何処かの八百年は優に続く京都の寺院でも無し、その外側を何度も何度も、躓いたり、へたりながらも、ぐるぐると歩き続けていたのだった。よく解らない。一体何をしていたのだろうか。時々振り返ると、田舎の親戚の方々が、婚礼の礼服を着て、何人も何人も、ぞろぞろとついて来ていた。「皆さん、回り道をさせて大変申し訳御座いません」と頭を垂れて詫びている。そして、目的地は、実はこの城壁の堀の反対側まで行かないとなりません、と皆に話していた。一体何の夢だったのだろうか。よく解らない。それなのに、その堀の城壁の中から樹齢1000年はあるだろうか、うっそうと茂った巨木群の枝葉が低く垂れ下がった堀沿いの道を歩いていくことの何と気持ちの良い事だったのだろうか。
なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙するなり
008年2月3日 朝から雪のち雨 3度 今日のヤフー検索「発泡スチロール」 14位
今日もヤフーの担当はお休みかなあ。いいなあ、大手は休みがあって。、、、そして、が、今日も例の製作と例の加工機とんとんとんぼ返しでぽん♪の改良に掛かる予定ではあった。しかし、残念である。雪のままであれば良かったのだが、直ぐにみぞれから雨に変わった。その自家製加工機を設置した作業場は、例の建築サブサブ問題が表面化して以来、ストップしたままのセルパネ用作業場を、ブロアーなどを端に寄せて、急場しのぎに使っていたのだが、3年前の台風10号で雨漏りをして、2年前応急に雨漏りを修繕したのだったが、非常に残念だが、また、ぽたりん小休止ぽたりん♪が始まったのだった、(断っておくが、雨漏りはこの一角だけ、仮設的に増設した空間だけであり、他の作業フロアーは全く大丈夫である)。ので、雨よけカバーをしたままになり、今日の作業は中止となった。そこで空いた時間、さらに、我々のような、雪解けの雨粒一滴にすら左右されかねない中小企業において、如何に次を見て、何をどうするべきかを考えることにしてみよう。まずは、大上段で見て、書類一枚で景気は不景気にもなるんだと言うことは、この建築サブサブ問題にて明らかになったのだから、逆も真ということは言える。つまり、家を建てて、建てて、皆が皆、何となく家を建てずにはおれない様になる書類一枚、国の方で作成してもらえれば良いだけなのだろうなあ。例えば、もうここにも何度も書いたが「買い替え特例」 の全面的に幾らでもOKってな事を景気対策として復活するのは如何なものだろうか。建築関係も、皆大喜びするだろうなあ。幾らでも高くなった家を売って、その売った家を無税で新築や建売りや中古物件でもいいし、それに回せるんだったら、今なら地震対策にもなるし、いいんじゃないかなあ。でも、そう簡単に動かないだろうなあ。では、世界はどうだろうか。拡大する格差よりも、矢張り、これからは食料事情だろうなあ。農業は緊急に見直しとなるなあ。農業を再度、商売の軸にする向きは拡大一方なんだろうなあ。60億人から70億人80億人か、中国インド ブラジル そして統一アラブかなあ、そして、拡大ロシア圏、だろうなあ ここが食料確保に動くからなあ。でも、人口はまだまだそう簡単に爆発的に増加しないのかもしれないのは、各種伝染病 新型ウイルスの影響もあるってことだろうか、だとすれば、矢張り、地下室を備えた家に食料を備蓄出来る体制が欲しいってことになるのかなあ。テレビで見たが、新型インフルエンザが襲来したら2週間は誰にも会わないで籠城しないといけないらしいしなあ。おや、待てよ。断熱性があって、カビも生えない極めて居住性の高い地下室って、例の光都市綜合設計鰍ウんとこの地下室やなあ。売れそうだなあ。いいなあ。
008年2月2日 曇り後晩くに雨 6度 今日のヤフー検索「発泡スチロール」 14位
今日も例の製作を続けていた。そして、引き続いて例の、ぽんぽん♪とんぼ返しでポン♪の自家製加工機に手を加えていた。加工機の調節スピードを何とか3台とも同じ15秒に出来ないものか、あれこれ触っている間に、時間がどんどん過ぎて行った。微調整用のつまみにも工夫を加えていったので、これが最初のとんぼ返しでぽん♪かとも、見方によっては、そう目を疑う所までは行かないが少し見た目にも変更が分かる程度にはなってきた。まあ、そのユーザー様の期待の展示会での感触次第なのかもしれないが、こちらとしても、自家製の加工機に、様々な工夫を加え、取りあえず、3台体制で、その結果を待つことになる。まあ、出来るだけのことは、させて頂いた心算だ。と言うか、まず、誠心誠意、ここまで 工夫を積み重ねて、加工用に自家製の機械を揃えるところまでしてくれる、ってまず無いに違いないか。こうして、基本的な動き方、工夫について設計データを持っておれば、仮に、とんぼ返しでぽん♪をさらに3台、4台と増設するようなことがあったとしても、別に訳ないことだし、逆に、それ程の事も無かったとしても、費用の殆ど掛からない簡単なものだったので、まあ良しとしたい。が、矢張り、ユーザー様としては、並々ならぬ肝いりで取り組んでおられる様子なので、願わくば、上席に事が進んで欲しいものか。、、、おっと本日予定の作業が皆明日に延びたなあ。では失礼
14位で変わらないなあ。担当者、今日はお休みかなあ。日本のヤフーも買収されるのかなあ。大手はそれだから大変だなあ
世の中よ 道こそなけれ 思い入る ヤブーの億にも ため息ぞ鳴る
008年2月1日 晴れ 5度 今日のヤフー検索「発泡スチロール」 14位
今日も例の製作を続けた。有難いことに、様々なお問い合わせも続いた。今年のNHKの大学ロボコンに御使用の200角キューブの単重指定品のお問い合わせが何故か、これで4件重なった。いよいよ、今年も始まるんだろうか。あの見ているだけで面白くて、わくわくするロボコンが、、、。どこの大学も皆さん頑張っているのだなあ、早くも追い込みに入っている向きが有るには驚いた。そう言えば、一昨年優勝した大学の学生さんと8ヶ月程だったかメールの交換をさせて頂いたことがあったのを記憶している。何て言えばいいのか、沈着冷静なはずの理科系人が、どことなく、その競技の目標に一丸となって燃えていたんだったか。確かに、難しく言えば、計画性と行動力と99パーセントの努力と あと僅かなインスピレーションがあるか無いか、になるんだろうが、機動戦士ガンダム対ポケットデジモンのような競技って面白いのが一番だよね。こんな動きが、不思議の工業立国日本の基礎体力を形成しているんだろうか。おっと、もうこんな時間だ。空いた時間を使って、例の自家製加工機 ポンポン♪とんぼ返しでぽん♪の配線をやり直している。どうも、3台の導線の径が違うと、ワットも変わるんだよなあ。ついでと言っては何だが、さらに微調整の為のSWとつまみを取り付けている。時間がない。では失礼
2008年1月31日 晴れ 9度 今日のヤフー検索「発泡スチロール」 38位
今日も例の製作が続いた。その件についてだが、例の鳴り物入りで、敵前突破一点集中全面展開を狙った方法についても確かに検討に値するのだが、矢張り、ここは何と言っても あれで じわじわと正攻法として陣を進めるって手はある。だがその前に、ここは襟を正して、足元から再度、自省を含めて、周囲の見直しを掛けることが第一義的に必要だと考えるのは、我々のような立場の者にはきっと共通するものに違いない。ここまでの方針は、正しく正義に立った正しいものだったのかどうか、それは、論理的な帰結としてあったのだろうか、それは、非対称或いは対角に視点を返して常に相対化して考えていたのだろうか、それは、時間軸で見る柔軟さを失わずにおれたものだろうか、それは、言ってみればどういうことに当たるのだと平易に観点を押し出すことが可能だったのだろうか、或いは、それは、これからの何らかの価値あるものとしての期待を担える要素をもっていると考えているのだろうか。しかし、よく解らないが、まず個人が問題だ。我々のような中小企業において、ただ、その個人のことしか他に問題は有り得ない。如何に賢く、如何に強く、如何にしなやかにそこを生き抜いているのかしか他に何も無いはずだ。それを求めて、言い換えれば、社会ルールの中で、さらに、人間としての最低限のルールの上に立って、或いは受け払いの商売ルールを踏まえて、頑張っていく以外にない、に違いないか、、、、。何ーーんて書いても仕方が無いか。幾ら書いても、丸いものが無いことには、始まらないなあ¥!今日もカップのうどんになりそうかなあ。学生の頃は、下宿屋の近くの商店街まで、週に2回はパンの耳を買いに行ったものだなあ。もう50歳を越えても、余り変わらないなあ。(笑い)
おなかへらば また このごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 百人一首 84節をよく見よ
2008年1月30日 晴れ 8度 今日のヤフー検索「発泡スチロール」 39位
今日も例の製作が続いた。久しぶりにヤフーの検索で「発泡スチロール」を出すと39位に下がっていた。12位辺りをうろうろしていたのだったが、『いきなりかー』のフレーズ広告を思い出した。このページにも以前、このヤフーの検索順位の上下移動について暫く記録を取り続けていたこともあった。ずっと、160位になったり130位になったりしていた記録が残っているのだが、例の『夢千代日記』バンデミック現象が2年前に起きて、お陰さまで、どういう訳か、湯村温泉さんのHPから流れて来られる人が相当な数に昇り、1日の訪問者数が平均200から300名と言った状態が数ヶ月続いたことがあって、以来順位には余り興味が無くなっていたのだった。(その時のことを忘れない為に以来このページに湯村温泉さんを貼り付けております)久しぶりであった。矢張り、数日前、もぐりの業者からHPをお手伝いします、Yジャパンの委託です、と騙りの変なお電話を頂いて、気になったのだろうか。まあ、ここまで必死になって更新を手弁当で行っているところはめったに無いとは思うのだが、よく解らない。常に新しい情報を提供し読者の皆様のご利用に供する為と頑張っても駄目だと言うことなんだろうか。我々のような零細企業では、営業部として、何かもっと他に戦略を立てなければならないぞ、という警告なんだろうなあ。それは何だろうか。何か、他に順位を上げ下げしているページにでも他流試合に行かなければならないのかなあ。例の鳥インフルエンザではないが、何か訪問者バンデミックを起こすようなウルトラC級のアイデアが、またここらで必要なんだろうなあ。それは、果たして何か。次から考えてみよう
2008年1月29日 雨 4度
会社の寒暖計では4度になっていた。冷たい雨の一日。今日も例の製作が続いた。例の徳島の歯医者様からは車椅子患者様用の簡易軽量スローブの完成写真をお送り頂けた。有難う御座いました。流石に、器用な方が歯医者さんになるんだと思った。
写真を拝見して、なるほどと思いました。確かに、移動式でないと2箇所の出入り口が使えなくなりますよね。そして、スペースの都合上、スローブは横向きでないと設置が難しいのですね。しかし、表面のフローリング仕上げは、先生がご自分でなさったんですね。こんなに器用で、しかも思いやり一杯の歯医者さんでしたら、患者さんもきっと安心でしょうか
思ひわび 抜いても命は あるものを 憂きにたへぬは 虫歯なりけり 82節から
2008年1月28日 曇り後雨 5度
今日も朝から例の製作を続けた。1件 ユーザーから催促も1枚入り、作業をさらに引き締めて掛かっている。終日バタバタしている。お問い合わせも入った。Yジャパンの委託業者といったよく解らない謎のホームページ業者からの勧誘電話では、お仕事だから斯様な電話営業をなさるのもよく理解出来るが、我々のような中小企業では、矢鱈ポンポンと名前を出しても、勧誘業者にすれば、上前を固定して取るだけだから何ら問題も無いのだろうが、出される側からすれば、1円引かれ2円引かれて、仕事を取らなければならないのなら、そうして毎日が続いて来れば、一体何をしてそんなに名前を前面に押し出す必要があるんだろうか、と言った疑問が湧くとご返答した。コンビニを高い店代を払って、売れ残りの返品にはさらに高い料金を払わされて続けている向きと変わらなくなるんじゃないか、とも言葉を振ってみた。結局、みんな、どうにかして、我田引水にして成績につなげて行きたいのだろうとは、内心思ったが声に出しては答えなかった。そして、そろそろ、確かに、こう言った向きが、ネットの広がりを、国境の無い地平線までどこまでもどこまでも続く広がりから、村や町の境界を作って、ミクシィやヤフーの何とか等と言った会員仲良しグループ、気が合うもの同士の閉じたグループ或いは、ネット上での自治って言うか、中世ヨーロッパの『ハンザ同盟?』だったか、オーバーかもしれないが、そんな傾向へと、徐々に商売や取引にしても、やがて流れていくのだろうか。解らない。、、、解らないが、まあ、その方が、気楽に商売が出来るのかもしれないか、、、。しかし、ちょっと待てよ。ネットが爆発的に広がって約10年、これまでは、我武者羅に進んで来た時代、草創期なのかなあ。そして、そろそろ安定期を迎えるって事だろうか?まだか?どうも似たような事が、日本の歴史の過去の一時代に在った様な気がするなあ。でも、それまでには、急な波乱も何度も起きるんだろうなあ。そのお電話に、そんな事まで考えを巡らしていた。
富士の高嶺にスチロール♪
京都先斗町にスチロ-ル♪
溶けて流せばリサイクル♪
燃せば綺麗に花が咲く♪
2008年1月27日 小雪混じり時々雨 4度
今日は持ち時間の殆どを割き、製作実例集の更新に当てたのだったが、まだ思うように更新は進まないようだ。「更新待ちが増えてくると、さらに進まない」現象は、こんな所にすら見られると言うことだろうか。漸く実例も700を越えるようになった。取り合えずの目標まであと300弱になって来た。恐らく、あと3年は掛かる計算になる。実例が増えるほど、リピート製作もあり、中々更新例も増え難くなっているが、頑張って行こう。皆さんの何らかの、お役に立てれば良い訳だ。携帯小説なんて言うのがありなら、こういった携帯実例集もまた受けるかも知れない。しかし、今日も休みに関わらず続く若い研究者からのお問い合わせを受けていると、この不思議の工業立国日本って、本当に胸を張って、世界に向かって誇れるもの何じゃないのかと つくづく思う。だから、これから、まだまだ 凄い発明発見があって、そしてその技術的な応用も続くんではないかと信じられるようになっている。きっと何処かの研究室の奥で、こんな石油の高騰などもあっという間に解決するような、思いもよらない発明発見へ向けた研究が着々と進んでいるような気がしてならない。貴君にエールを!
2008年1月26日 曇り時々晴れ 6度
今日も例の製作が続き、こんな時間になって漸くの区切りと出来た。昨日は、大手の営業マン氏がヨーロッパ旅行の帰りにお立ち寄りになった。日々這い着くばって暮らす我々中小企業からすれば、それは、視察や出張や海外企業との取引って話であっても、矢張り単なる「海外旅行」にしか映らないのは、どうしてだろうか。有難くも、生々しい海外の現場の動向を教えて頂いただけでも、大変勉強になったので、これはこれとして、おこぼれに預かれた方だろうか。本当は、雑知識として、こんな中小企業に働く者でも、余裕が有りさえすれば、海外事情の視察もいいのかもしれない。しかし、情けな哉、そうも行かない財布の事情だろうか。だから、翻って、日本に居ても、幾らでも海外事情を推察することは出来る筈だと、PCをひっくり返してネットで検索するのだが、悲しいかな、どうも言葉の壁には辟易してしまい、厚い言葉の壁って、何処かのアラブの壁のように簡単に爆破するようなことも出来ないようだ、、、。しかし、長いお付き合いになったものか。話に水が入って、一息となってから、代わって、あの、もうとっくの昔、定年でお辞めになったS支店長の話になると、矢鱈 花が咲いた。もう、6年も過ぎたのか、セルパネの一件で、東京の光都市設計さんまでご相談に訪問した時に、世話好きなs店長が同伴して来られたのだったが、「あのオヤジ、建築のことは一切全く何も知らなかったんだよ」と今頃になって知って、それであれだけ喋れるって矢張り、巨大組織で鍛え上げられた逸材だったんだなあとも、惜しい人がどんどんいなくなるなあとも、感慨深くそう思った。そうだ。企業では定年があって、人材の循環があるんだ。多分、そんな循環も形骸化しているのかもしれないが、定年後、左団扇で暮らせる向きは、極一握りになっているのだろうな。我々のような、その他大勢の、そして格差の壁のこちら側に暮らす者にとっては、余り関係ない事なのかも知れないし、重しを背負って、70歳80歳でも倒れるまで働き続けなければならないのかも知れない訳だから、余り参考にはならないが、これもまた、雑知識として、何処かに仕舞っておけば、また何かに使える時と場合も有るのかも知れない、、、。そして、今日は、昼の休憩に見ていたNHKの15分連ドラで、バックに”翼をください♪”が流れていたのだったが、その後、8時間以上経っても、こうして更新している今も、ずっと、その”翼をください♪”が消えずに、耳を離れないで流れているのだった。何故だろうか。何とも、歳月が過ぎるのは早いものだ。中学の3年の時、文化祭でクラスでこの歌を歌ったのを、思い出していたからだろうか。あれから、35年過ぎたのか!そう言えば、毎年細々と続けていた中学校の同級生の有志の同窓会は、残念だが、音頭取りのnハムのs君が東京へ転勤して今年は中止になったのだった。
行くな行くな 東京へは行くな 泣いて見送る君の目に 企業戦士の ガラスの涙は似わない
2008年1月25日 晴れ 4度 体感温度3度
今日も例の製作が続いた。有難い事に、幾つかのトンでもないようなと言うべきか、よく解らない発明とインスピレーションに富んだお問い合わせもあって、お陰さまで今日も一日、引き締まった動きが続いた。どのようなお問い合わせであっても、出来るだけ懇切丁寧にお答えする以外に無いのかもしれない。特に、若い研究好き好き虫からのお問い合わせには、「君にはこの不思議の工業立国日本の将来が掛かっているんだ」という強い気迫位で ご質問に臨まなければならないのかも知れない。確かに、名前が知れ渡ってきたのだろうか。『知れ渡るに従って、メールでのお問い合わせよりも、電話での方が多くなる』法則は、矢張り、生きているのだろうかと最近考えるようになった。「こいつなら踏んでも蹴っても潰れない安全牌のようだ」と警戒感を解いて頂くまでには、我々のような中小企業の場合、もう7年か!これだけ長時間が必要だと言うことのようだ。まあ、兎も角、発泡スチロール屋さんで、他に毎日毎日6年7年とこうして書き残している所はないだろうなあ。でも、アニメの『デジモンアドベンチャー』では無いが、本当は、ネットの画像のこちら側では、終始、ただひたすら、前向きに、全速で作業に取り組んでいる以外にない。これが、私の仕事さ、と言うぐらいに軽く受け流し、漂々と丸で求道者の如く。 そう、今日も例の900φ半球の製作を続けて、仕上がり具合の高さに我ながら酔っていたものか。製作実例にUPするときには、題名はきっと『地球と生命の技術の進化の歴史____900φの地球の場合』になるなあ、とも考えていた訳だ。まだまだ書き残しておくべきことは、多いのだ。しかし、もうこんな時間だ。まず、カップ麺にしようか。では、失礼
書くとダメ エイヤーで いぶきの さしも草 さすが白々 燃えぬ思ひそ
2008年1月24日 曇り時々小雪 5度
雪が舞う中、作業の途中、近くの小学校の音楽発表の小演劇と言うのに呼ばれ、さわりだけ見学させて頂いた。結局、発泡スチロールは、この寒い中、一部参観者の冷える足裏を保温するのに使われた程度だったので、仕事的には大した収穫は無かった。しかし、現代の若者、中でも今回は10代前半の児童達の、横顔が垣間見られたことは、今後の参考になるのだろうか。よく解らないが、もう、学校の荒廃何て話はテレビやマスコミなどでは、この不況下、行き着くところまで行ったような気もするのだが、反面、こうやって小演劇で頑張って皆がひとつのストーリーを組み上げようとしている現場の姿勢を実際に見ていると、案外、まとまりがあって、いいんじゃないかと思ったりもする。ほんの20分程度で、学校を後にして、例の工場へのちょっとした配達になったが、その頃は、急に前が見えなくなるほどのぼた雪となっていた。しかし、今年は本当に温暖化の延長上の天気なのだろうか。どこかで、太陽黒点活動期が今年から収束期に入ったから、天候全般に寒冷と変化する、って発表していたのをふと思い出した。だとしたら、今年の夏は、長くは無い。春の訪れも遅れ、短い夏に、9月には、すこし肌寒さを感じるって、一年が予想されるんだろうか、解らない。夕方になって、例の900φ半球の製作をスタートした。この正月を潰して仕上げた例の自家製球面体加工機は、矢張りアルミのアングルを使って正解だったようだ。やぐらや回転コンパスの狂いが、ずっと少なくなっている。プラス0のマイナス5mm程度の精度まで追い込むことは可能になったようだ。まあ、加工機と言っても、好きなクレーンゲームをするのを控えて貯めた自分の小遣い銭で組み立てた程度のものなので、材料費には殆ど掛かっていないが、結局、基本的な、加工の動きと言うものはこれで理解できるので、良かったのだろう。
2008年1月23日 雨後曇り 6度
パソコンの内容を保存し、また昨年の夏のようなことにならない為に、バックアップの方法を再編中のため、本日はここまでになります
では、また
2008年1月22日 曇り後雨 6度
今日も例の製作を続けた。たったこれだけだ。しかし、われわれ中小企業で作業を続ける者にとっては、たったこれだけに有難いの一言に尽きるものがあるのかもしれない。ただ、ひたすら、ユーザーのお問い合わせに対し、真摯にお答えしていく、そして出来る範囲で、ご要望にお答えして行く、ただそれだけの繰り返しなのかもしれない。しかし、ただそれだけではあっても、時に、この仕事は、請われた仕事ではなく、「自らに課した修練なんだ」と言った覚悟で当たって行かなければならない場合が、時として多い。先日も、或る方とお話していたのだが、そのたったそれだけのことが、例えば、雇用されて、会社で営業の、或いは総務の、或いは開発事業の担当者が、通常の作業の上にその職責として負わされて、このようなネットのお問い合わせにもお答えし、さらに付随する様々な実務までするとなると、矢張り、どうしても限界が出てくるものだろうか。そうだ。そりゃ大手のように、24時間分業体制で対応できるのなら、問題ないのだろうが、恐らく、こんな目に見えないネットの世界でも『大は小を兼ねる』式の弱肉強食現象は相当広がっているのではないだろうかと危惧は確かにあるが、我々のような中小では、率先垂範 で常に最前戦に立って事に当たっていく心積りが無いと、ちょっとした中途半端では、直にネットから退場させられるのかも知れないようだ。しかし、さらに掘り下げて考えれば、時代を遡れば、明治でも良いし、江戸時代からでもいい、商売とは、そも、楽なものでは無かったのだ。ほら、形が通信革命によって、ザウルスの尻尾状態に似て、ありとあらゆる広がりを見せているだけで、それは見せかけだけであって、商売って、そのこと斯様に、課した修練如きものなのかもしれない。そして、願わくば、先回りして、時代を読んで、次の商売を見つけることなんだろうか。次の次、何が流行るか、それに注目しなければならない。
おほけなく 浮世の民に おほふかな わが立つ商い 白染めのスチロールそ
2008年1月21日 雨後曇り 6度
寒さ慣れしてくると、どうもこんな気温でも平気なものか。今日も例の製作を続けた。製作実例集の更新は遅れている。結構画像が溜まって来たのだが、まだバタバタした状態が続いており、残念だが、UPまで行っていない。昨日は、大阪にある一流進学校の高校の生徒さんが、彼のご両親の同意の上と言うことで、2時間程度、発泡スチロールの加工の現場で実際に加工作業をしてもらった。高2の本人は、以前、京田辺の学研都市の国立の『お仕事館』まで行って、「世の中の様々な仕事」なるものを見学したことがあるらしいと聞いた。その延長で、先日フジカットで、実際に発泡スチロールの加工を『さわりだけでも』させて欲しいとの依頼があったのだった。そうこうしていると、忘れた頃になって、ひょっこり連絡があり、それではと言うことで、昨日、どうせ、私も作業があったので、そのついでに、ちょっとだけ「さわり」の作業を実際にしてもらった。2時間でごめんね。缶コーヒー1本だけだったけど、社会勉強になりましたか。同世代の高校生になると、皆よくアルバイトに出ているらしいが、学校の方針も合って出来ないんだね。こんな経験から一体どんなことを学んで帰られたことだろうか。さっぱり解らない。でも、まだ、学研都市の『お仕事館』のような見世物ではなくって、こんな実践現場の方が、余程、真に迫っている筈なんだが、、、伝わり方、伝え方、って言うのは、また別問題だものなあ。 こうしてお帰りになった後、考えてみると、日本の若者って、まだまだ捨てたものではないなあと思った。格差が地球規模で広がり続け、若者の失業率7パーセント、ワーキングプア、ニートにネットカフェ難民。最近では、空気の読めないって意味で‘KY現象‘の蔓延なんて呼ばれるようになった。それでも、夢を見ることが出来るのは若者の特権だし、頑張って下さいよ。 「空気」って言うのは、今から40年前なら『状況論』なんて雑誌が出ていましたね。その事なんだろうかなあ。それとも、『気配りのすすめ』なんてノウハウ本が流行ったこともありましたね。それかなあ。「空気」の時系列変化が‘歴史観‘につながるのかなあ。解らないけど面白い表現だなあ。空気の比率が98%もある発泡スチロールは、ほとんど空気ばかりだし、発泡スチロールの 空気を読むには、やっぱりこうして空気を体験されるに越したことはないね。では、また来てね。、、、そうか、来年は大学生か。また、実験に発泡スチロールが必要な時はお出でね。
2008年1月20日 雨 5度
朝から寒い中、今日も昨日の続きとなった。とんぼ返しでポン♪返してぽんぽん♪加工機の微調整になっている。ではまた
2008年1月19日 晴れ 6度前後か
午前中はPCの回線が不通状態になり、CPUって言うのか、偶々在宅されていたパソコンの専門家望月さん(自分でハードからソフトまで、完全にPCを組み立てされる技をもっておられる)に来てもらって修理で、何とか繋がる様になったのだが、お陰で予定が全て変更になった。昼からは、例の奈良のイケメン社長さんがお見えになり、自家製の例のとんとん とんぼ返しでポン♪ とんぼ返しでポンポン♪の加工機をご覧になる。お付きの方が可動中をビデオ撮影されていて、2月5,6,7,8日に東京のビッグサイトで開催される『第65回東京インターナショナル ギフトショー』の催しに出すそうだ。こんなことなら昨日散髪屋に行って、綺麗に髭を剃ってもらって、一張羅の背広に、30年前買ったただ一本のネクタイに着替えて来るべきだったのだろうか。今日は、髭も剃らず、昨日、風呂で頭を洗って、乾かさずに寝てしまったので、髪の毛もぼさぼさで逆立ちのままであった。まあ、仕方が無いか。こんなことは、もう20歳の学生の頃からだったか、もっと以前からだったろうか、ろくに髪の毛を梳いたこともないまま、人生50年が過ぎた。と言うことは、世の若い無精者の諸君。髪の毛を梳かなくても、まあなんとか世の中、渡っていけると言うことなんだろうな。で、その後は、イケメン社長のご期待に沿えるように、3台のとんぼ返し♪加工機の微調整に次ぐ微調整で、もう夜も10時を回ろうとしている。この「微調整」という言葉には、実に思い出深い。以前いた発泡スチロールの工場では、発泡スチロールの30台の成型機の微調整に昼勤の時でも、夜10時11時まで機械に取り組んで、この「微調整」ってヤツで帰れなかったことが、何と多かったことか。そして翌日は、夜勤明けとの交替勤務で朝5時には会社に入り、ボイラーの逆洗(一応ボイラーの1級技師ですので)、から始まるのだった。こんなことを何十年続けてきたのだろうか。それに比べれば、まだまだ天国か。楽なものだ。会社に寝起きしてでも、この「微調整」ってヤツをやっつけよう、と考えていたのだが、なんとか目途がついた。続きは明日になる。では、失礼
2008年1月18日 晴れ 5度前後
今日も朝から例の製作を続けた。終日バタバタしている。お問い合わせに至っては数件、まだご返事を送信まで出来ないでいる。もう今日はご勘弁頂くとして、明日に順延と致します。これから、天ぷらうどんに白飯と沢庵をのせたうどん定食にします。 しかし、やっぱり、製紙会社まで、再生紙の古紙率を偽装していては、しゃーないなあー。何で、こうまで順番に次々と出てくるのだろうか。発泡スチロールの業界を目の仇のようにしていたのに、逆にわが身に降りかかるとはなあ。でも、短期間に、こうまであれこれ次々とでて来るのは何となく、組織的な動きが見えるのは、自分だけだろうか。それに、寒波だという。これも、可笑しな話ではないのか。温暖化じゃ無かったのか。解らないものだ。おっと、うどんがのび太になるなあ。では、失礼して
2008年1月17日 晴れ時々小雪混じり 5度
今日も朝から例の製作になった。寒い中、終日バタバタしていた。兄嫁の親族に不幸あり。それで、またまた、時間が無い。実にこの17日は、因果な日であるものか。震災から13年が過ぎたか、、、。これからまたばたばたしそうか。今日はこれにて失礼
2008年1月16日 晴れ 8度
今日も朝から例の製作を続けた。夕方4時前、まだ夕方の診断が始まる前の時間、急用で向山病院の救急に出ていた。色々なことがあるものか。我々には、身体しか資本らしいものは何も無い。兎に角、健康に気をつけて、それでも作業を止める訳には参らないのが、宿業なんだろうか。点滴のチューブ越しに窓から、例の機械部品のマキノ機工鰍ェ見えた。何だ、この病院へは始めて来たのだが、本当に玄関のまあ向かいに、在るものだと、初めて知った。マキノとは長いお付き合いになってしまった。発泡スチロールの成型機の修理用部品から、冷却層のポンプからボイラーの水面計から特注パッキン、高圧ホース、原料送流ホース、マグネットスイッチから、そう、170キロの油圧高圧ポンプの修理用パッキン、製品取り出しようスプリングに、ヒンジボルト、コンベア、調圧弁、それにエアー切り替えバルブの修理用パッキン一式などもあったし、思い出せばキリがないなあ。4時間ほどで戻りまた作業になった。 おっと、もうこんな時間だ。では失礼
2008年1月15日 晴れ 7度
朝、久しぶりに車のフロントガラスが凍っていた。この冬、数度しかないうちの一度になるのだろうか。しかし、それでも、これをもって地球温暖化だと言った結論には、『地球温暖化説は間違っている』本を再度読み返してみると、この大きな地球からすれは単に誤差範囲に過ぎず、やはりまだ、これでも温暖化だとは断定できないような気もしている。何故なら、CO2何かよりも、水蒸気による地球大気への熱の循環の割合が桁違いに大きいはずだからだ。降り注ぐ太陽エネルギーと水蒸気による放熱、そして保熱或いは反射熱などの方で見た方が、すっきりすると思うからだ。これから、さらに10度 20度高くなったとしても、我らが地球からは、そんなこともあり、なのだろう。しかし、だとしても、そこに住む生物にとっては、厄介な話であることには変わりが無いか。 2点目、地下深部では、密閉された高温高圧下、水が水素に分解されていて、そこにマントル対流などで、生物の死骸など炭素層があると、化学反応を繰り返して、常時石油が生成され続けているのではないか、という説があるらしいと知った。この説からすれば、石油は世界に無尽蔵にあるし、常に新しく生成され続けているのだと言うことになる。何とも有難い説である。石油こそ自然エネルギーってことだろうか。石油を消費してもしても尽きないのなら、これほど有難いことはないだろう。兎に角、この説が正しいのなら、早く、石油価格を引き下げてもらいたいものか。3点目、世の中解らないものか、nハム研究所の所長のS君が、東京本社に栄転してしまって、寂しくなったのだが、どうも、物腰しや顔立ちが、そのsくんと、よく似ているなあと前々から思っていた、n金属のfさんだが、本日お付きの部下3名ほど引き連れて遣って来られたのだったが、何気なく、何時もの調子で、図面など引っ張りまわしながら見積もりの話をしていたのだったが、話の中で、ひょんな拍子に、電気の世界のノーベル賞と呼ばれている「渋沢賞」を受賞なさっていたり、その他にも様々な賞をもっておられる大変な発明家であることを知って、びっくり仰天して、暫く腰が抜けて立てなくなってしまった。将に、世の中、何処にどのように偉い人が居るか解らないものだ。
沢の値は 絶えて久しくなりぬねど 名こそ流れて なほ聞こへけれ
2008年1月14日 晴れたり曇ったり 7度
昨日は、仕事の帰り、近くのスーパーのゲーセンで、なけなしの小遣い銭200円を、遮二無二に1点勝負に使ったクレーンゲームで、お陰さまで漫才師『欧米か』の大きな、40センチはあるだろうか、ライオンの縫いぐるみをゲットして、気分が良かったせいもあってか、休みの今日も朝から例の製作に掛かっていた。矢張り、発泡スチロールの成型機のハイサイクル化に1秒1秒を短縮してアクロバットのようなバランスを取りながら離型などの微調整を何年もしていた為だろうか、クレーンゲームでは不思議と勝っているのだった。 ようやく、アルミのアングルを使っての、しっかりした櫓を組み終えた。早速、納期が近い500φ球の加工に取り掛かってみた。
案の定、順調に作業は進んだ。可動部を木材で組んでいた時には、木材の自重で、コンパスの長さ自体が、曲面の角度によって、反りが出ていたのだが、今回は、流石に、そのようなことは全く無くなった。加工手順については、ニクロム線1本に絞った。確かに、これなら何本も一度に張ることも可能な、丈夫な作りになったのだが、それは止めた。1mの球面体を一発カットを狙って、1mの塊を用意して加工に掛かった前回の経験から、精度を維持する為には、少し、躊躇しているのだった。また、半球のみの加工に戻したのは、もう一点、半球のみの加工の方が、軸にしなければならない部分と、軸の周囲の曲面加工ができない部分が、軸が無いだけ、少なくなり、曲面を出すニクロム線での加工面が多くなるといったメリットの方を採用したからだった。このままでは、作業時間の短縮は難しいのだが、まあ、ゆっくりもったり作業も味があって良いものだろうか。アルミアングルの櫓は、最大1200mmφ球の加工にまで対応出来るようにした。如何でしょうか。
2008年1月13日 晴れ 10度
今日も例の加工用の製作に頑張っていた。ようやく、区切りがついて、ラジオから京都の女子駅伝の最終ランナーがゴールしたとアナウンスが流れている。京都は小雨交じりの冷たい、と言うかこの時期普通の天気のようだが、僅か数十キロしか離れていないこちらでは、快晴の雲一つ無い、良い天気になっている。作業を終えて、工場の外を見て、ラジオを聴きながら、ふと、そんなことに気が付いた。さあ、3時を回った。取り敢えず遅い朝飯にしたい。では、この辺で失礼。
2007年1月12日 雨後曇り 10度
今日も例の製作が続いた。土曜にも関わらず、幾つかのお問い合わせも、有り難くも、結構続いた。例の加工用の自家製とんぼ返し♪加工機を急ぎでもう一台組み立てたりしていた為、例の球の件は本日はそのままになっている。明日、続きに掛かる他になさそうだ。とんぼ返し♪はこれで、3台体制になる。果たして、50パーセントUPの目論見通りとなるのだろうか。実際に動かしてみないことには、何とも言えないのだろう。また、例の自家製「ムカデ返しでポン♪ムカデにポンポン♪」については、まだ解らないが、取り敢えず、専用のスペースを確保してみることにして、様子を見てみる。そのこと斯様に、独自性の方を充実させることは、意外と必要性を担保出来るのだろうか。ならば、矢張り、そのアルミアングルを使って、球の加工機の改良を急がなければならないようだ。そう、500φ球を製作して欲しいとの依頼者が、納期18日にてお待ちではある。夕方になって、例の3点突起の極めて破損しやすそうに見えて仕方の無いご依頼者から提供のサンプル用の梱包緩衝材の試作検討に入った。確かに、これはこれで難儀な形状なのかもしれない。そして、このような形状を見る毎に、矢張り、緩衝材としての、発泡スチロールの優位性を痛感するものだ。ダンボールにビニールを張って両側から挟むものや、ダンボールだけのものや、或いは、プチプチだけのものでは、どうしてもこのような形状の場合、不良品率って、馬鹿にならない量になるのだなあ。おっと、予定が入っている。では失礼
2008年1月11日 曇り後3時過ぎから、らしくない雨 10度
そして今日も例の製作が続いた。昼過ぎ、ひょんな話から、昨年4人の死者を出した例の茨城の三菱化学の火災で、ビニル袋や車のバンパーなどの原料の生産が全面的に停止しており、その後の当局のガサ入れや安全対策など改善策の指導などもあって、生産再開が7月以降になるらしいと聞いた。袋の原料では 全国4割のシェアを誇る全工場が全て停止し、半年以上、川下の中小袋製造工場に原料が供給されない事態になっているそうだ。時期が悪い。あわてて、他から供給を仰いでも、とっても賄えない工場が殆どらしい。もう、既に1社廃業に追いやられたことろも出始めており、今後、各方面に、影響が広がるのではないかと言った警戒観が出ているそうだと、聞いた。本当に、世の中、どこでどのような事が起きるのか、さっぱり解らないものか。まだまだ、今年も昨年に続いて、生産現場での、こういったトラブルに始まって、偽装事件なども収まらないのだろうか。心配なことだ。折から、日銀が、「どうやら景気は減速傾向に。不景気の範疇に入った」と言った大変遅まきな発言をしたそうだ。もう、とっくに、このページでは、昨年8月から世間は不景気になっているぞ、と警鐘を鳴らしていたのだったが、とても遅すぎる指標判断の変更だろうか。そもそも、このようなトラブルや事件事故が続くと言うことは、戦後何度かの長過ぎた好景気の後に、必ず起きていることらしいので、社会現象的には、景気不景気の変化を示すシグナルだということになるのだろうか。だから、一歩踏み込んで、では次の世の中の変化をイメージして、我々は進んでいかなければならないのだろう。昨日新聞にあった、或る大阪の大手企業の企業イメージを刷新する為に、社名を横文字に変更するのも或いは、必要かもしれない。企業の統合もあるのだろう。或いは、そんな時こそ、出るを抑えて、時期を待つ戦略も大切なのかもしれない。しかし、以前読んだ『シンボリックマネージャー』(講談社学術文庫 だったかどうか)のように、イメージは、これから作り出すイメージと、既に、社内的に出来上がった企業イメージとのギャップがあるものなのだろう。果たして、大なりと言えども、そんな簡単に、出来上がったものを新しく、将に新しくでき得るものなのだろうか。たったイメージの4文字の中には、企業の思想信条或いは哲学に至るまであらゆることが込められているはずだからだ。 だから、ここは、他山の石とせず、無関心を装って、我々は、足元の、開発或いは開拓にのみ、頑張る以外にないのだろうか。
忘らるる 名をば思はず ちかいてし 人の命の 惜しくもがもが
2008年1月10日 晴れ 13度
今日も例の製作が続いた。しかし、今日の書き込みはこれしかない。発泡スチロール製大鳥居だ(写真は大分県日田市内有名商店街 様より)
「商売繁盛でささ持って来い♪ 商売繁盛でささ持って来い♪♪」
「商売繁盛でささ持って来い♪ 商売繁盛でささ持って来い♪♪ 」
「商売繁盛でささ持って来い♪ 商売繁盛でささ持って来い♪♪ 」
わたの原 こぎ出でて見れば 大分の 鳥居にまがふ 沖つ白発泡
実例集 第670番 祭礼用架設大鳥居
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2008年1月9日 晴れ 15度
まるで、3月の下旬のような陽気だ。陽気というより、昨日の濃霧を思えば、”妖気”かもしれない。これからは、毎年、冬と言えばこのような悶々とした辺りで季節も止まり、となるのだろうか。今日のような気候で底を打って、これから春へ向かって行くようでは、矢張り、8月頃は、草木も枯れ落ちる熱波となるのだろうか。解らない。解らないが大変な世の中になって来たものか。そう、現場では危機意識も無く、今日も例の製作が続いた。あれこれ、急ぎの製作もこなし、また、有難い事に、幾つものお問い合わせがあって、どうやら、学校関係にも次のご準備が始まっているのだなあと言うことも解ったし、研究所関係も閃くアイデアのいち早い視覚化に待ちきれない向きもあるのだなあと言うこともよくよく了解出来たものか。例のお問い合わせでは、将にスケールの大きなお話ではあった。この不思議の工業立国日本を根底から支える重工業が、いち早く、そんな先の先まで提案されているって事が、理解できただけでも、本当に有難い事だったのかも知れない。そういう事なんだ。最先端の研究者って、本当は全く、物事の枠に縛られていないんだなあ。何も、この国の形式的な教育であろうが無かろうが、或いは文化習慣的な国情の制約とか、軽く乗り越えてしまうんだよなあ。そして実に上手に、そんな様々な制約の中を泳いで行ってしまうのが、この国が世界に誇る彼ら彼女達のようなトップレベルの ものづくり人間何だろうか。さあ、こちらは中小零細企業だが、頑張るしかないか。頑張って、頑張って、唯、ひたすら前向きに、取り組んで行く以外に、我々のようなところに 出来る事は何も無いのだろう。
心にもあらで 憂き世にながらへば 恋しかるべき 発明発見の ツキかな
2008年1月8日 濃霧のち晴れ 13度
朝から視界50mの濃い霧に包まれていた。何年振りだろうか。10年ぐらいだろうか。昼までには完全に晴れた。そして、今日も例の製作を続けている。ここの書き込みの年号も、まだまだ2007年のままにしておきたかった。今年も正月無しの開発作業を進めていた手前、新年の区切りが無い方が気分に見合ってはいたが、年初周りをしている都合、いつまでもそういうわけにも行かないようだ。
夕方、先々代の藤本顕次郎の頃から数えると、60幾年もの長いお付き合いの続いているD包装鰍ニいう包装関係の会社の社長様が、遠路はるばる、わざわざの年初のご挨拶にお越しになった。太平洋戦争の勝敗はとっくに決まったと言うのに、ひつこいアメリカ軍の焼夷弾を使った無差別爆撃があったのは、終戦の昭和20年であった。手塚治虫のマンガでもよく出てくる所謂「大阪大空襲」だ。大阪でも何十万人の民間の犠牲があり、テレビで見る血だらけで逃げ惑う人達があふれるイラクの戦場以上に その時、大阪平野一体が焼け野原になったのだった。その時、焼け出された大勢の人達の中で、焼け焦げたバラックを積み重ねて、いち早く、営業を再開なさった凄根性の人が、この社長さんだった訳だ。将に、裸一巻からの再スタートだった。そして今もって、第一線に張り付いて頑張っておられるのだった。この方からすれば、年齢なんて関係ないってことだろう。本日は、わざわざのお越し、有難う御座いました。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。商売とは、何か。この関係性の連続なのだろうなあ。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
2008年1月7日 雨 11度
予報が外れ、朝から雨が降ったりやんだりの天気になっていた。地球の温暖化予報も今日のように、まるっくそ外れて頂けたらいいのだろうか。年初回りで、材木屋さんを半日周回していた。多少のブレは当然あるのだろうが、昨年の8月のような、悲壮感はやや薄れたのだろうか、個人的には、何となく、大底は打って来たような手応えはありそうか。まあ、4割減からの5パーセント回復として、それをどう表現するかだろうか。少し良くなったとするか、丸でだめだめが変わらんよ、とするかなのだろうか。なので、本日も時間が無い。急ぎの製作と急ぎの発送が入っている。では、失礼
2008年1月6日 晴れ 15度
まるで、冬とは思えないような暖かい日であった。最近の冬はコートなしの日が断然多くなっている。だから、矢張りこのまま温暖化が、進んでいくのだろうか。そしてこの分だと、今年の夏は、昨年にも劣らない、猛烈な熱波が襲来するのだろうか。いよいよ、わいわい騒ぐだけでは済ませないような、自己防衛しなければならない時代が接近しているのだろうか。夏の、猛烈な高温には、住宅の断熱性をうんと高めておかなければ、所詮、エアコンでは限界が来るのだろう。昨年のヨーロッパであった熱波で、住民が最終的にどのような対応で乗り切るしかなかったのかが、参考になるのだろうか。エアコンだけでは、2台3台まわしてもだめだったようだから、矢張り、住宅の壁 天井 或いは 床下などからの細かい熱気の進入を防止する為の手段が事前に必要になるのだろうか。あわてて ばたばたしてからでは遅すぎるのだろう。或いは、もっと、もっと根本的に、せめて身の回りは電気を全く使わなくても可能な居住環境まで徹底するべきなのかもしれない。水は地下水にしよう。そう、地下空間にその熱波の逃避空間を確保しなければならない非常事態にまで、注意を向けなければ為らないのだろうか。究極的には、世界中の 石油 電気 ガス など 或いは非常時を除く全ての交通手段も一時的にストップして、熱波を停止するような緊急手段が数年間 恒常化させる必要も出てくるのだろうか。まるで、SFの世界やなあ。 さて、今日も例の加工に掛かっていた。アルミのアングルで枠組みをしてボルトで止めると、出来上がりは実に簡単なものだ。材木の端材を使って荷重に対して全体の反りをどうこうなどと考える時と、全く違い 力の係り具合は全て無視して組み立てが出来る訳か。半日で、もうほぼ組み上がってしまった。
2008年1月5日 晴れ 14度
この分だと、あと、5,6年もすれば、確かに、ヨーロッパ辺りが、地中海の南側のアフリカの砂漠気候に飲み込まれるというのも、何となく現実味を帯びて来るような、そんな1月初旬としては温暖な日中になった。まだ、日本は、直ぐ隣が太平洋だから、少しはそんな砂漠化の影響も他の世界より遅れてほしいものだが、さてどうだろうか。先日のローマ帝国の歴史ものに続いて、2日前には、テレビで『ローマ帝国の崩壊』ものをしていたが、それにも温暖化が影響しているそうだ。現在、世界規模の気象変動があり、世界の穀倉地帯が砂漠化すれば、大変なことになるのだろうと言うのもよく解る。だから、今年は、中小企業や、或いは個人レベルでも温暖化対策が義務的に課されるそうだから、断熱材としての発泡スチロールの出番なのだろうか。さて、結局、今日も、例の加工機の改良に掛かっている。最終的な判断で、矢張り、これまでのように、木材で芯出しは、素人には、どうしても計20mmのぶれは出てくるので、アルミのアングルを使って、最初からやり直すことになっている。球の加工では、ここ3年程度、材木屋さんで頂いた端材を寄せ集めて、組み立てていたのだが、無駄な努力を よくまあ、これだけ長い期間続けて来たものなんだろうか。まだ、結果は解らない。組み立てを急ごう。、、、、、おっと、こんな時間だ。取り敢えず晩飯にしたい。では
2008年1月4日 晴れ 10度
今日も、如何に曲面の打破をしていくべきかで思案中である。再度、今回の加工機はそのまま、分解せず、折りたたむ程度で片付けて、折角の新年だし、新規に制作してみるのもいいのかもしれないと、迷っている。費用予算はガラクタの寄せ集めなので、殆ど掛かっていない。必要なのは時間と、新しく長めのアングルを2本程度を見ておけばいいのだろうか。可動支柱は動かないようにしなければならない。ポイントはそれだけだろう。5mmのブレが上下左右で20mmになるからだ。将にこの点だけが注意と要点なのだろう。特に1mを越えて来るとこの5mmは小さいようで出来上がってみると、痛いようだ。球というのは、人の視覚に入る球は、何処から見ても円の輪郭だという期待値もあって、どうも比較し易いのだ。まあ、ぼちぼちしていくしかないなあ。
正月元旦 2日 3日にお問い合わせを頂きまして 有難う御座います。今日も、また幾つかのお問い合わせを頂いておりますが、有難う御座います。急いでご返事させて頂きます
2008年1月3日 晴れ 12度
結局、初夢にあったようには、 そうすることに何らメリットは見られないと言うことが了解できたのは、正月3日を無駄に潰すことと引き換えであった。寧ろ、基本的に半球加工に戻した方が、そして1線カットに戻した方が精度は上がるということだろうか。まあ、当たり前と言えば当たり前なのだが、ここへ来て、もう何度目になるのだろうか、再度の加工機の改造となるのだろうか。では、失礼
2008年1月2日 晴れ 7度
初夢に、この加工方法で鋭角45度以下に設定した刃を90度間隔にて2枚設定してみてはどうか、といった簡単な発想で、実に巧くいって、意気揚々、今年は春からいい年だなあ、と浮かれていたのだが、ふと目が覚めて、そうだ。そんな方法も ありかも知れないと考え、早速改良に掛かっている。将に、良い夢であった。全てが上手く行くのだった。何をやっても、何故か周囲から暖かい歓声が沸き起こるのだった。そして、あれは何だろうか、この不思議の工業立国日本が世界に冠する、ナンバーワン製品が、世界中の街角に氾濫しているのだった。そしてその夢の中では実に有難いことに、何故か、社員数千人に膨れ上がり、押しも押されもしない世界ナンバーワン企業に大きな飛躍を遂げているのだった。夢の中で、私は、後ろに手を組み、物思いに浸りながら、広い工場内を、コツコツと革靴の音を響かせながら歩いているのだった。しかし、その後は、昨日見たテレビの「故宮博物館」の番組がダブり始め、ラストエンペラーの格好に変身している。気が付くと、故宮博物館のような巨大工場から追放され、やがて流浪の旅に出ることになる。旅先で、小さな旅館に泊まり、そこで、1mぐらいありそうな大きな地球儀のパズルを発見する。、、、。おっと時間が無い。それでは、失礼
2007年12月31日 晴れ 7度
かなり寒さが盛り返している。が、矢張り 例年なら 当然のように霜が降りたり、車のフロントガラスが凍ったりしているのだが、それ程ではないので、全体の温暖化が影響しているのだろうか。北極の氷は越年出来るのだろうか。そう言えば、何処か中南米の夢占い師が、テレビで2011年には太陽嵐で電気が使えなくなる、2015年にはヨーロッパで熱波が吹き荒れる、と話していたのが、ふと思い出された。公証役場にも登録しているらしい。生き残る為にこれからは、電気を使わなくても済む生活や、熱波に襲われても大丈夫な断熱性の高い居住空間での生活が不可欠になるのだろうか。今年の夏以上に暑い夏が来るのだろうか。我々には一寸先のことすらサッパリ解らない。取り敢えず、今日も例の製作作業を続けよう。結果を出さなければならないのだなあ
2007年12月30日 晴れ 9度
目が覚めれば、その続きに掛かっている。この分で行くと、また昨年に続いて、ろくな正月ではなさそうだ。頑張る以外にない。何とか、結果を出せる所まで進めたいと焦っても仕方が無いのだろうか。再度、その道具を分解し、どこに問題があるのか検討しているうちに、はや、夕方になり、あーでもない、こーでもないでこんな時間になっている。それこそ、回転させて楽に削りで行こうかとも振り返ってみたのだが、それでは、芸術屋さんっぽくなるだけで、確かにいいものは出来るのだろうが、素材提供ってな方向からはちょっと外れてしまう事になる。まあ、今日はこの辺りにして続きは次回にしよう。あまり無茶をすると、昨日のように、へとへとになるだけなのだろう。まだ、20歳、30歳なら、昨日のようにぶっ通しで作業をしていても、疲れが翌日に残らないのだろうが、仕方が無いか。そうだ、他にも幾つもして行かなければならない課題が山積みだ。例の一件においては、来年から、ノートを付けて数値的な目標とまで行かなくても、日々の統計的な増減をチェックするだけでも始めよう。常に現状を把握し、そして常にそれに対して注意を向けることが良いのだろう。
、、、、、否、再度 全球での加工ではなく、半球ずづの加工に戻すか、どうか。ブロックからみて、どちらでも同じじゃないか。、、、また、ここで、振り出しに戻していくべきか、、、、、どうか。弱ったなあ、 やったこと無いものにするからこんな結果になるのか、それでも、7転び8起きで、またやってみるべきか、、
2007年12月29日 曇り時々雨 13度
朝から 昼飯抜きで例の球面体加工用の道具の改造に没頭していた訳だが、終日かけて特に 味噌付け努力になったようだ。体力が失せた。今日はここまで
2007年12月28日 本格的な雨 8度
雨の中、今日も例の可能性の製作となった。ネットモードも恐らく、正月に入ったのだろうと、昨年のデータとの比較で理解できるのだが、昨日の何処かの猛烈営業マンの話ではないが、「お客さんを拾うチャンスですよ」と言った意気込みは、もう6年、7年と同じようなことを継続していると、早々出来るもんじゃないなあ、と言うのが偽らざる心境だろうか。まあ、今年の正月のように、もし、元旦からでも急な問い合わせがあれば、淡々とお答えするだけだが。自然体で臨むしかないのだろう。それよりも、矢張りこんな時は、例の加工機 2点の更なる改良に掛かるべきと考え、早速 あれこれと道具をひっくり返していた。1点目の例の加工については、どうやら聞くところによると、最高級の3次元NC加工だと 4時間で完成するそうだが、しかし、日本国内にある最大のものでも 厚さは200mmも駄目だと言うし、凹み曲面に至っては、NCの刃長に制限があって50mm程度、首振り角度も凹角制限があって、おもちゃの加工程度らしいと聞いて、何だ、数千万も掛かって、そんなことか、それなら、数千万掛けてロボットアームを2,3機入れたほうがまだマシなんだろうと思った次第だ。そして、そこに、我々のような中小、極小企業の からだ一巻何も無い、あるのはアイデア一つというところが、討って出るチャンスなのかもしれないのだろう。だから、目標は、その『4時間仕上げ』を打倒できるかどうかになってくる訳だ。となれば、将に我々には、仕事以外に何ら求めず、休日無しで、365日会社で寝起きするような覚悟でその改良に臨まない限り、目標の突破は、有り得ないのかもしれない。頑張る以外にないか。頑張って、頑張って、必死になって、やっと一握の食い物にありつける、そんなレベルの生活で良かったのだろうか。立ち止まらず、諦めず、振り向かず、這ってでも進むしかない。製造関係の第2次産業が、この国を支えているのだ。「ものつくり」産業こそが、固定化する社会の2極化に楔を打ちつけることが可能なのだ。今では、世界第2位の貧富の差の激しい国日本。かつて、この国に中産階級が存在した、と言われて久しいんじゃ、何て、寂しい話だろうか。再度、この悲しい現状を打ち破るには、我々『ものつくり』の現場の、更なる健闘が必要なのだ。、、、そう、大上段に構えても仕方が無いか。
ちぎりおきし させもが露を命にて あわれ 年の瀬 今年もいぬめり
2007年12月27日 晴れ 12度
今日も例の製作を続けた。今日は、また一定の成果があった。例の1820×920×厚さ0,5mm 薄切りカットの件ではあったが、幾つかのアイデアと様々な小道具を駆使して、何とか成功まで漕ぎ着けた。我々のような素材の提供をしているようなところでは、今回の成功は、大変有難いものだ。この先、こんな0,5mmだなんて、普通に考えれば、薄過ぎて緩衝材にも断熱材にもなりそうにないものを、一体何にお使いなのかは、さっぱり解らないのだが、ユーザー様のご要望に対して、こちら側の受ける側のウイングを広げる事ができたという点は、何にも変え難いものだろうか。将に、有難い限りだ。そうして、また今日も様々なお問い合わせも続いている。それらの様々なお問い合わせに、一つ一つお答えしていく その積み重ねこそ 大切なのかもしれない。以前、あれはまだ亡父が健在だった頃か、亡父が今のこの子会社を別に発足して間無し、あれは19年位前だったろうか。今のようなネット環境の何も無い頃、寝屋川の図書館まで出向いて、電話帳で近畿一円のダンボールメーカーの住所を探し出して、封筒に 発泡スチロールのドーナツ型の見本の切れ端を入れて、ご担当者様宛てで、何百通も送付したことがあったのを 薄っすらと記憶している。封筒に住所を手書きして 切手を張って 何度も小分けして発送したのだったが、一体何処へ出したのか確か、合計1000通は越えたと思う。そして、有難いことに返信があったのは、1通だけだったのも鮮明に覚えている。その頃と比較して、正しく、この時代の大きな変化ってものだろうか。 否、しかし、ここで留まることは出来ない。手綱を緩めず、次、そして次の一手を模索し、早め早めに、駒を進めていかなければならないのだろう。そう、あの、四国の7代目団扇のイケメン若社長のように。
ヤマ勘で 風書にかけたる しがらみは 流れもあゑぬ 紅葉なりけり
2007年12月26日 晴れ 15度
今日も例の製作が続いた。昼間の暖かさは、季節を1ヶ月は逆戻りしているようだったが、夕方になると、かなり、12月に戻って来たようだ。訪問者数こそ、正月モードの研究所などが多く、例年並みに枯れて来た様だが、どうしてだろうか、お問い合わせの方は、昨年の動きが丸で参考にならないようで、数量的には今の所、少しも衰えていないようだ。不思議なものだ。まあ、郵便局でも正月もしているんだから、年末年始の厳かなムードも薄らいで、もう、単に、盆休みか、ゴールデンウイーク程度にしか受け止められない時代になってきたのだろうか。或いは、他所が休みの間に、何とか、もう一肌、脱いで汗をかいて頑張ろうという向きもあるのだろう。世は不景気だ。地方は、さらに不景気だ。だからって、愚痴り飛ばして泣いていても、暫く気が済むまでは良いのかも知れないが、泣き終わって、涙目を一度こすったら、しっかりと立って、前を向いて頑張って行かなければならないのだろう。頑張って、頑張って、仕事そしてまた仕事の毎日なのだろう。他に、方法がないし、食うて行くには、それしかない、と言うことなのだろう。だから、反面、こんな日々だから、今日も身近な取引先で、2件、重なって、緊急入院されたと言う話を聞くと、何とも、言葉に詰まる思いだろうか。一人は、60歳手前の方で、発泡スチロール工場の休憩所のコタツに入って、昼のテレビを見ている間に、嘔吐して、そのまま緊急入院、脳梗塞らしい。また、もう一人の方は46歳の女性で、事務所で机に向かっていて、急に倒れて、運ばれると、両方の腎臓が破裂しそうなほど大きく腫れ上がっていて、そのまま入院、と言うことだったらしい。本当に、怖いほど重なるものか。つい1週間ほど前は、発泡スチロールのどこの営業マンか、自分も脊椎と心臓をやられ九死に一生を得て何とか回復した経験のある人だったが、4人で客先で、発泡スチロールの商談中に、向かい合って座っていたユーザーの担当者が急に「右手がしびれるんや」と言って、右手を少し、ぐー、ぱー、ぐー、パーを始めた瞬間に、泡を吐いて、突然倒れ、そのまま、全身麻痺で入院となった話を聞いたばかりではあった。何とも言いようがないものだ。皆、平気な顔をしていても、それこそ限界に近づくまで、一生懸命働いているのだろう。誰の為だろうか。自分の為でもなし、家族の為だろうか。解らない。解らないが、それでも頑張って仕事を続ける以外に、出来ることは何も無いのだ。
もろともに あわれに思ふや この入院 花よりほかに 知るひとぞなし
2007年12月25日 曇り 12度
今日も例の製作が続いた。お問い合わせに至っても、まだペースが落ちていないようだ。恐らく、景気不景気の2極化の為なのだろうか。偏っているのかもしれない。一方で今日もまた「だれそれの何べえが廃業した」と言った噂がごろごろと転がり込んで来るのだ。世情逼迫したこんな中で、本日も、またひとつ、加工において、可能性を切り開くことは出来たので、良しとしたい。例の、とんからりん♪とんからりん♪ とんとんからりん とんからりん♪ の方の加工機の応用編になるのだが、無事、巧く仕上げるところまで漕ぎ着けたからだ。結果については、ユーザーサイドの判断になるのだろうが、こちらとしては、これまでの最大加工範囲を大幅に更新することになったので、今後のオーダーに対しては、またウイングを広げることが出来たということに繋がり、大変有難い事なのかも知れない。こうして、一歩また一歩と牛歩の歩みを続けることしか、我々には何も無いのかもしれない。おっと、急用が出来た。では失礼
2007年12月24日 晴れ 12度
昨日は、世間では、京都の宵々山ではなくて、イブイブ祭りの日ではあったのに、何時もの様に仕事から戻り、一息ついてちょっと横になると、どっと疲れが出て、万年蒲団の下に入れたままの蒲団乾燥機の袋がスイッチを入れると同時に脹らみ始め、その気持ちよい温風に誘われて、うとうととして眠りかけたのだったか、どうか定かではない。それとも さあ、世界の明日を決めるような予知夢の幕が開けようかどうか、という瞬間ではあったが、けたたましくも 厭らしくも電話のベルが鳴って、疲れも何もあったものじゃないなあと思いながら起された。電話の主は、また、例の恒例年末の、滋賀県の県堺の雪深い山奥に住むという、浄土しん宗の寺の滅法酒に強い餓鬼住職からの、京都で飲み会をしないかと言った、地獄へのお誘いであった。こんな、ジングルベルの鐘の音が街のあちこちで響き渡る天国への一番近い晴れやかな日に、世情にかまけてか、どうやら餓鬼住職も一緒にジングルベルを鳴らして踊りたいのだろうか。たまったものではない。1升瓶空けても2升瓶空けても平気な、時代こそ違えば、きっと弁慶そっくりな風貌の、それでいて憎めない餓鬼住職に付き合わされては、こちらの身が持たない。だから、二つ返事で、断ったのだった。それから、再度眠りにつくまでは、早かった。断ったお陰で気分がすっきりしたからだろうか、それとも、何とか、この娑婆の世界に辛うじて生き留まれたことに、何のご縁かその餓鬼住職に却って感謝の念が無性に沸いてきた為だったのだろうか。そう言えば、あの弁慶まがいの餓鬼住職との出会いは、かれこれ32,3年も前になるのだろうか。早いものだ。あの頃から、持ち前の体力と直向な気性でもって、先代の亡き住職がまだご健在の頃、その古びて狸が出て来そうな、今にも朽ちかけた山寺へ誘われて遊びに行くと、確かに、親子揃って、何時も仲よく勉強をしていた人達ではあった。小さな本堂の横に、掘っ立て小屋のような彼の8畳程の居間があったのだが、窓は冬でも障子一枚で、その部屋の中は、丸で図書館の書庫のように、うず高く、代々引き継がれてきた何千冊の古本が積み上げられていて、その無数の本が、障子紙一枚の窓や壁などの断熱材の替わりをしているような妙な部屋であった。そして、その中央に、彼の巨体からすれば、大変小さなコタツが一つ、積み上げられた専門書や理由の解らない蔵書類に囲まれて、何時でも911事件のビルの崩壊でも大発生しそうな位にうず高く置かれているのだった。遊びに行って、一泊2泊としていたのだが、どうやら子供の頃から何時もここで雑魚寝をして大きくなってきた様子だった。こうして、本好きの家系から、またまた本と寝起きするのが好きで好きで堪らない彼が、自動生産されてきたのだろうか、とその第一印象ではあったのだった。その晩、先代の亡きご住職から、実に、意味深で、面白くも為になる話を幾つも聞いたものだった。確かに、在野でも象牙の塔以上に学を究めた人ってごろごろしているんだ、と若いながら、その時そう思ったものだった。そして、「倅を頼む」とも言われたのが、その時は、一体何のことか、よく解らなかったものだが、こうして、30有余年が過ぎ、今となっては、そう言う事だったのだろうか。何とも、親って言うのは、子供の事をよく見ているものだ。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに 現われたる 親の網代木 しかけなば
2007年12月23日 雨後曇り 13度
今日も例の新規の製作用の簡単な道具の検討にあれこれと時間を潰している。果たして可能かどうか、となれば可能ではあるのだろう。方法さえ理解出来ていれば、誰にでも簡単に作れるものなんだろう、それは。後は、所要時間などの計算に移るのだろうか。こうして、またひとつ、ウイングを広げて行く作業を積み重ねて行くだけなのだろう。有難いことに、何とも様々なアイデアが次々と傾けた水瓶から水が流れ出る様に似て、湧き出しては溢れ出てくるものか。一方で、先日届いた、建材業界から発信した冷凍庫の中のような、世界サブサブ問題について、これが一時的な現象で終わってくれるものやら、さらに、ドル円、石油などの動向から世界を眺めて、再度 再々度、我々は、この先を検証しなければならないようだ。国家天下の舵取りは、いざ知らず、一弱小商売人として、この情勢危機を如何にチャンスに変えていくか。その判断材料集め、収集作業は常に継続しなければならない。そして、この場を使って、自分なりにまとめてみるだけなのだろうか。、、、、しかし、先日テレビで、予知能力者が、予知夢を公証役場に残していて、それがことごとく当たって来た、と言う番組があって、その最後の方に、この先、2045年には人類の大半に危機が訪れるし、その前、2015年にヨーロッパを中心に壊滅的な熱波と飢きんが起きるという予知夢が、どうも気になるものか。何とも嫌な話だが、今も、世界何処の誰も、生活水準を半減してでも、環境を守ろうという動きは、どうだろうか。果たして可能だろうか。例えば、今日から世界中の飛行機の運行はストップだ、何て果たして可能だろうか。しかも、一国だけがそれをしても駄目で、全世界が3,2,1 ストップと一斉に始めなければ、その言う所の危機の回避には、間に合わないのだろうなあ。これじゃ、まともに商売も何もあったものではなくなる時代になるんだろうか。早いとこ、物凄い発明家が現れて、ジェット燃料で飛ばない飛行機を作って飛ばしてもらいたいものだなあ。UFOのような飛行機がいいなあ。それなら、環境には無害だろう。否、そう言えば既に、「絶対にいる」と誰か、偉い人が話していたなあ
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 夢の奥にも トナカイぞ鳴くなむ
2007年 12月22日 雨 13度
朝から冷たい雨になった。一年で一番昼間が短い日、今日もいつものように、例の製作が続いた。そして、幾つかのお問い合わせもあって、年内あと残る何日と押して来た雨の週末にも拘らず、結構バタバタしていた。夕方遅くになって、何でまたうちなんかにドイツの車が入ってくるのだろうと思って見ていると、某発泡スチロールメーカーの若き常務取締の来客が、どういう訳か何故かあり、結局、終日時間の無い状態が続いていた。イケメン常務のお話を聞き、例の噂はやっぱりかと、唾を飲んだ。将に世は戦国時代に入ろうとしているのだろうか。生き残りのために、合従連衡は当たり前になるのだろうか。何処も大変だとは思ったが、関東の方では、それ程大変だとは知らなかったなあ。でも、やっぱり、ドイツの車に乗ったりして、余裕やなあ。ああ、あるところにはあるんやなあ。集まる所にばかりどんどん集まるんやなあ。仕方ないか、今日もカップめんの王様”どんべい”にしようか。はー
おらがカネの音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて ゆく年待たず聞こえけれ
2007年12月21日 曇り 11度
今日も例の製作を続けた。ずるずるバッタん♪の加工機を使っていたので、時間の過ぎるのは、何がしか妙に早いものだ。しかし、他のお問い合わせも幾つもあり、また、例の岡山県の病院の浴槽の嵩上げ用の図面が速達で昼過ぎに届き、矢張り本日も、徐々に年末の気せわしい、ばたばたモードが盛り上がって行くのだろうか。図面は、重度障害の方々にボランテアが集まって、皆で背中を流すのに、一般病院の浴槽では、深すぎるそうだ。それで、発泡スチロールを浴槽の形状に加工し、その上に、すのこを並べてお使いとのことだった。その形状の図面を内容や納期の都合上、大変お手数ではあったが、昨日速達でお送り頂いたのだった。電話で詳細を、再度打ち合わせをして、至急の製作に掛かることに準備を始めた。話の内容から、皆さん手弁当での奉仕ということゆえ、それならと、こちらも 加工費は殆ど頂かないことにした。まあ、このようなことが続けば、きっと経営的には苦しいかもしれないが、結局、こんな形でしか、我々には、人助けは出来ないのかもしれない。時間が無い。今日はこの辺で失礼
2007年12月20日 曇り 体感温度10度
朝から今日も例の製作が続いた。急な依頼も3本あり終日バタバタしていた。幾つかのお問い合わせも続いた。東京の大学の建築先生の「建築基準法改定」(建築確認遅延問題)の影響度アンケート結果の送付が本日届き、今回の影響は、全国的に相当深刻であるということを 出来立てホヤホヤのデータ分析や図表などで勉強出来たので、日本の建亡症問題を、改めて認識を深く出来た。いよいよ、影響度は、来年にかけて業種を越えた広がりを見せて行くのだろうか。「景気」とは気分が大きいものだから、アメリカの親サブ問題に比して、日本では子サブ問題として、この先、皆の気分を害していくのだろうか。よく解らない。まあ、仕方の無いことだろうか。親サブがこけたら、子サブもこけるのだろうなあ。きっと、例のnハム研究所のsくんも大変だろうなあ。人望厚いから、こんな大変な時に、最も困難な東京へ知恵袋として回されたのだろうなあ。頑張れな
あわれとも いうべきひとは 思ほえで 身のサブサブと なりぬべきかな
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