・ホームページ開設しましたこのページは、営業部のデスク
 サイドで「わたし」が見たノート
 の日々記録コラムです。
お楽しみに
トップページへ



営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
                          『夢千代日記』の里から
                                                  巨大いちご製作と27mケーキの話し
                                                             

                                             研究ノート目次





2007年12月19日 曇り 体感温度7度
今日も例の製作が続き、お陰さまで朝からバタバタしていた。不思議とこの時期、学校の休みや、研究機関など日頃、24時間体制で取り組んでおられる研究所などが、急に長期休暇を取る処もあり、お問い合わせも順次 減少傾向があったと、過去のデータには残ってはいるのだが、今の所、お陰様でと言うか、将に不思議なことに様々なお問い合わせが継続しているようだ。これは、恐らく「個人としては絶対にいるUFO」発言並みに、或いは信じられない現象なのかもしれない。確かに、様々なアイデアと工夫を生かした自家製の加工機(まあ、例の風力発電機や航空機の機体形状などを製作なさっている工場の最先端の技師にすれば、私の加工機は、加工機と言っても、或いは、おもちゃの部類なのかもしれないし、UFO何てそのうち我々が製作しますと仰るかもしれないが、)での、お問い合わせというものは、有難いことに、継続してのお問い合わせはあるものなのだろうか。だから、なおさら、亀のような歩みであっても、立ち止まる訳には行かない。何とか、次の次、さらにまた次を考案して行かなければならないようだ。例の、0,5mmカットにしても、恐らく1m×2m×0,5mmも本当は簡単やなあ。


  ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ 有明に UFO飛び去る


2007年12月18日 曇り一時にわか雨 12度
今日も例の製作が続いていた。江戸時代にベストセラーになっていたという近江の中江藤樹の『翁問答』には「お陰さまで」或いは「有難う御座います」というのが、大変大切だと子供にもわかるように書かれていたと以前、確かに何処かで読んだことがあったのだが、こんな年齢になってくると、本当は、何でもない、このような考え方こそ、商売をしていく上では、大切この上ない考え方であるのだという事を、本日も何度も思い知らさる場面に直面していた。決して、自分の手柄なんてあり得ないのだし、何か、そう、例えうまくまとまらなかった事とて、先方さんが気を揉んで、為るように計らって呉れていた訳であって、それに気が付かないで、自分の手柄などと、言えることなんて、思い上がっているに過ぎない。単にそんな切羽詰っているから、だから、「お陰さまで」「有難くも」お通し頂けたのだ。と、本当の所をよくよく解らなければ前進があり得ないのだろう。ここにも書いたかもしれないが、以前、ネットを始めてからこんな商売人の方もお見えになったことがある。「私は商売は下手だ。決して儲けは多くない毎日だ。しかし、損ばかり続いたとしても、信用だけは大切にして、この会社を続けてきた」と、白髪頭の白い長く伸びた眉が印象的なお顔で、どことなく、首にタオルを巻いた米作りに忙しいお百姓って雰囲気の方で、関西の某中堅企業主であったのは、お帰りになってから周囲に聞いたのだったが、ふらりと立ち寄り、私を見るなり、どうした訳か、開口一番、そんなことを仰ったのだった。あれは、もう6年も前になるのだろうか。ふと、その言葉が、どうした訳か、今日は重なって思いだしたのだった。考えてみれば、有難いことなのかもしれない。そう言えば、もう、かれこれ、25年以上前になるのだろうか、某有名新聞の今は亡き、社主に、縁あって暫くお会いしていた時だったか「見たところ、君は商売は下手だ。君の取り柄は、真面目にこつこつと続けること、それに尽きる」と私を見て仰ったことを今でも昨日のように憶えているものだ。それから数年が過ぎて、その社主の葬儀には数千人が集まり、その中の数千人分の一人として焼香と花を手向けさせて頂いたのだったが、あのように神通力というか、社会の裏も表もあらゆるところを見てこられた方ではあったが、社会にもまれもまれて鍛え上げられた眼力のある方から、そう言われた言葉というのは、若さもあるだろうが、深く心の底に食い込んで、今もってこうして、機会ある毎に、思い出すものなのだろうか。だから、矢張り、こうして儲かりもしない路線を継続しながら、こうして今日も例の製作を続けていくだけなのだろうか。


2007年12月17日 曇り 11度
夕方から急用で戻らず。夏からPCの故障の為、変則的な更新を続けていますが、まあ、こんな時は無理ですね。では


2007年12月16日 曇り 10度
今日は特に書き残すことはない。どちらかと言えば、我々中小企業に従事するものにとっては、もうすぐクリスマスや正月があるからという事よりも、来年のことを書いて鬼を笑わせたほうが楽しいものか。目先、来年の景気の判断材料はどうなっているのかが気になるところだろうか。世界を大局的に見れば、サブの問題から今後、欧米方面の輸出に頼る向きは、当然警戒を余儀なくされるのだろうし、一方、大陸方面への輸出に頼る向きは、五輪後の遠い先々を見ていかなければならない時期に来ているのだろうし、いくら五輪でも、3,4年前のような例の鳥インフル次第では、相当なクラッシュは起こりうるのだろう。反面、中近東の方面では、どうなのだろうか。このまま、底なし沼のように上昇が続くと見えた油も、実需価格の50円程度に戻すのか、逆に150円だ200円だ何て吹く向きもある、と言うのではどこでもありそうな変わり映えしない予測で、鬼も笑えない。ど素人には、判断停止状態になりそうだが、それでもと、ここでの見解を出せば、ここは敢えて、長い目で見れば50円の方だろうか。円も50円だろうなあ。油ロビイストが居なくなれば、きっとアメリカも変わるさ。OPECが強くなれば、安定化へ向かうし、石油も下がるさ。日本近海での例の石油掘削が始まれば、なおさら来年はきっと、ばら色の年だ。

    白発泡ビーズに 風の吹きしぐ 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける


2007年12月15日 曇り時々晴れ 12度
今日も例の製作が続いた。例の急ぎのお寺様からのご依頼は、何とか製作出しまで漕ぎ着けた。今年もあと15日ほどか。除夜の鐘にはこれで充分間に合って頂けるのだろうか。何とも解らないぎりぎりの所なんだろうか。考えてみれば、日本では、これからクリスマスがあったり、除夜の鐘があったり、初詣でがあったり、商売繁盛のえべっさんがあって、そして巻きすしの丸かじりの後、またまたバレンタインと続く。何と皆仲良く平和に共存していることだろうか。何で、中東でもこんな日本のように行かないのだろうか。解らないものだ。矢張り、この日本的特性を研究していけば、ノーベル平和賞も間違いないとは思うのだが、いかがなものか。

  ひさかたの 光のどけき 温暖化の日に しづ心なく 花の散るらん


2007年12月14日 曇り 10度
寒いと言っても車のフロントガラスが凍る程もない寒い中、今日も例の製作が続いた。有難いことに今日も年末モードへ向けた様々なお問い合わせが続いた。例年だと、あと、1週間程度が山なのだろうか。反面、残念なことに、アドレス違いでご返事が送信できなかったものが、今日だけで2件あった。

「日本学生フォーミュラ大会用車両」用に例の特殊な発泡スチロール部材をお探しの向き、もしお急ぎでしたらお電話でもお願いいたします
「460×455×420mm 5個」 1/8ブロッくんの材質をお尋ねの向き、例の卒業制作にお使いとのこと、もしお急ぎでしたらお電話をお願いいたします


      アド.ズレ別れ いなばの山の 峰に生うる 待つとし聞かば 今返し来む


2007年12月13日 雨後曇りの雨曇り 12度
今日も例の製作を続けた。例の自家製の加工も勿論急いではいたのだが、どうした訳か、結構多方面からのお問い合わせが続いている。将に、こんなネットの因果なのだろう。こうして、足早に年末モードに近づいているのだ。あと今年も半月余りなのだが、かと言って、正月と言っても、貧乏暇なしで、昨年も仕事があったし、一昨年も仕事でバタバタしていたし、もう3年前になるのか、例の旅行に遠征したのがその前で、4年続けての正月仕事の後だったが、以来また今年も例のように、幾つかのお問い合わせの課題を背負っての正月仕事になりそうな気配が濃厚だ。仕事しごとの毎日、一年365日、もがき迷いて、やっとこさ、かつかつすれすれの生活なのだろう。そう言えば、先日、休日の仕事の後、寝屋川の歳末売り出しでごった返すス−パーの2階で、7年振りに見かけた例の「ゴッドハンド(神の手)をもつ男」として発泡スチロールの狭い業界では恐れられていた元工場長にばったり出会ったのを、忘れないうちに、特記として、ここに書きとめておかなければならないようだ。何年経っても、全く変化を知らないご様子ではあったので、その筋には、或いは良い知らせなのかもしれない。思い起こせば、3人の別々の読み上げ計算を、暗算で一度に正解を出す聖徳太子のような才能や、発泡スチロールの成型機の蒸気配管の溶接修理等、正しく、神業のような凄腕をお持ちではあったのだ。今となっては、本当に有難いことに、20年近く、師事出来たのだった。又とない、技術の実践的な技を習得させて頂けたのだった。

  ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき


2007年12月12日 雨 12度
今年もあと何日となった冷たい氷雨の中、今日も朝から例の製作が続いた。これも因果か、こんな、ネットを開いていると、冬の冷たい雨に釣られてか知らないが、こんなご時勢なのだろうか、関東方面から、また同業者の発泡スチロール工場が急な閉鎖に追いやられたと言う噂を、2件立て続けにメールで頂いた。恐らく、同じ向きからのようなので、信憑性は高い。そして、こんな時は逆に、同業者として、黒く垂れ下がった冬の鬱陶しい雨雲から、いつ止まるとも知れず落ちてくる冷たく重そうな雨粒よりも落胆してしまうものだろうか。また、その町の何処かで 行き場を失った発泡スチロールの現場で働く大勢の人達が、こんな年の暮れになってさえ、路頭に迷い、このままじゃ年を越せないと、出る愚痴の捨て場も無く、嘆き、涙して額に宛てた手の下ろし所も無く、呆然自失の向きがおられることだろうか。決して、子供達には、その捨てる愚痴を向けないで欲しい、その嘆きの吐け口にはしないで欲しい。そう、ただ一人、勝手にそんな要らぬ心配が沸いては、どうも朝から仕事に集中出来ないものなんだろうか。所詮はこの世は、因果の巡る巡って回る舞台か!得てして、こんな「空が泣いたら雨になる 山が泣く時は水が出る」じゃないが、例の自家製の加工機の「とんぼ返し」の設定ミスなのだろうか、そんな知らせがあった後、2時間程度、空サイクルのような稼動となってしまった。急いで、微調整と設定の変更を急いだのだったが、バタバタしていた為か、元に戻ったのは、夕方遅くになってからだった。

    明けぬれば 暮るるものとは知りながら なおうらめしき ひとの道かな


2007年12月11日 雨  14度
今日も朝から例の製作を続けた。昨日と打って変わって、本日は自家製の加工機の するするすっとん♪すっとんとん用の例の最新式バージョンを駆使した新型自家製 期待の輝ける星、ウルトラ加工機のするするすーぷら、すーぷらら♪♪ではあったのだが、ここまで来ると終始まだ、微調整に時間をかけていないせいだろうか、何とも原因はよく解らないのだが、恐らく変圧器の電流計に過電流と思しき兆候に対して、まだ加工機としては、出来たばかりだと言うのに相当な負荷を掛けた稼動だった為なのだろうか。本日は、この1/8リズムに時々、エナメル線系の怪しい臭いを憶えながらの、長い小休止が3拍か4拍も入ってしまっていたのだが、期待倒れになることも無く、何とかこの時間までの長ロードを無事にこなしていたのは、大変有難いことではあるのだろうか。だから、再度まとめてみると、こうだ。するするすーぷら、すーぷらら♪するするすーぷらすーぷらら♪、 するする ずるんずるん♪♪ で リズムの変調 両手を叩いて膝打ち鳴らし、3拍休止に4拍休止、ついでに3泊4日で すーぷらら♪ と言った加工の流れが正しい表現に限りなく近いような気もするのだが、如何なものだろうか。まあ、何れも自分で製作した加工機ではあったので、今日はこれで良しとしたい。おっと、メシの時間を大幅に遅らせてしまったようだ。今日は、 なんとご馳走、豚肉入りのカップのメンちゃん特売の98円だ。では、失礼


2007年12月10日 晴れ 12度

今日も朝から例の製作が続いた。有難いことに幾つかのお問い合わせも続いた。たた たん♪、たたたん♪ひゅーひゅー、ととんがとん♪の‘‘とんぼ返し加工機‘‘の方も威勢よく、暖冬なのか厳冬なのかどっちなのかはっきりしない灰色の雲の垂れた冬空に、とんぼが飛び立つような錯覚を覚えながら作業が続いた。特に、1サイクル後の弦が撥ねるような余韻には、以前、___あれはもう30年以上前になるのだが、まだ20歳になるかならないかの若かった頃、アングラ演劇見たさの、単なる若気の勢いで、東京まで出掛けて、東京のあの街の名前も今ではすっかり忘れてしまったのだが、何とも大阪の梅田のど真ん中のような息苦しい人混み以上の物凄い混雑には、正直辟易したのだったが、暫く歩いて、その東京の名前も思い出せない街の、通りの外れの小さな公園で、偶然見かけた沖縄民謡と沖縄のエイサーという踊りだったと、踊りの名前のみ、こうして、かろうじて憶えてはいるのだが、その前後が、中々思い出せないが、そうして、ぼんやりとその見たことも無かった沖縄の踊りをこの日本の中心都市で見た驚きと感動、その後、例の沖縄三味線での実に、日本の万葉時代の懐かしい原風景のような音楽が聞こえてきた時、その第一番目の沖縄三味線の最初の弦を弾いた時の音色に、その自家製加工機「とんぼ返し」の1サイクルを終了して最後に跳ねた時の音色とが、ダブって聞こえてきたのは、何故だったのだろうか。決して単なるこじ付けではないのだろうか。昨日、夕方、枚方の駅前で、「コンドルが飛んでいる」の生演奏で流しをしているペルーの歌グループに、駅のガードマンの取締りが入って解散させられた直前直後をこれまた偶然通りかかった時に、耳に残ったその最後の「コンドルは飛んでいる」の悲しくも寂しそうな音色が、一日過ぎても、厭に記憶が残っていたのが、何故か、ふと過去に聞いた音色とどういう訳か、ダブってしまい、こうして、その妙な加工機の変弦振動に、思い出として吸い込まれてしまったのだろうと言った方が或いは正確だったのかもしれない。我々の記憶のキーワードなどと言うものは、実にいい加減なものなのだ。まさか、万葉の古歌とコンドルが飛んでいるが、何処かで交差するなんて有り得ない話なんだろう。

    秋風に たなびく雲の絶え間より もれ出る月の 影のさやけき   79番

        ( 冬雲の かな引く音色の 絶え間より もれ出る過去の 明るさを聞け )

   人も惜し 人もうらめし あじきなく 世をおもうゆゑに もの思う身は   99番

        (人も人 所詮この世は あじきなく 我思うゆゑに 在るは 悲しき万葉の )


2007年12月9日 晴れ 12度
今日も朝早くから例の自家製加工機「とんとん♪とんぼ返し」を使って、例の急ぎの作業のノルマ的な分に追われていた。加工精度を高める為に、あれこれと部品を触っている間に時間だけ過ぎている。昨日の稼動実績に比較して1,5倍に高まったのだが、それはデータ的な比較の問題であって、あれこれ触っている間に、肝心な出来高は、どうも思わしくない。こんなことでは、とんぼでは無く、カエル飛び加工にしておけば良かったのかもしれないと、深く悔やまれる。しかし、カエル飛び加工には、なりきりが必要だ。つまり、姿勢を整えて、「げろげろげろーん」と、カエルの発声練習から始め、次に平行に並べた加工機の間を、これがカエルか、ぴょん♪これがカエルか、ぴょん♪ぴょんぴょんぴょん♪と威勢よく歌いながら、次々とボタンを返して行かなければならない、といった具合に、結構足腰の筋肉はカエル以上のものが要求される重労働が容易く想像できるからだ。まあ、美容やメタボ対策にはもってこいの装置なのかもしれない。それは、今後の課題として、取り敢えず先を急がなければならない。何かと書き留めておくべきことや、こうすればびっくり仰天だと言うことや、あーすればすっきり青空なことなど幾つもあるのだが、仕方ないか。時間が押している。今日はここまでになる。では、失礼


2007年12月8日 晴れ 14度
そして今日も朝から例の製作が続いた。例の自家製の加工機「とんぼ返し」は、ひゅーひゅーくるりんぱ♪ひゅーひゅー、とんとん、小休止__たた たん、たた たん♪ひゅーひゅー、ととんがとん♪(このあと暫く余韻が入る) というようなリズムが本来その加工の流れから判断して、より近いのではないだろうかと何回か微調整など繰り返しながら、ふとそう思った。だから、単に、とんとん♪ 小休止が入って、ととんがとん♪の単調な繰り返しでは決してないと言うことだろうか。あと、4台この「とんぼ返し」を製作しておけば、確かに相当な時間の短縮まで可能なのだろうが、問題は、矢張りスポンサー次第なのかもしれない。難しい判断だが、有難いことに、これも全て自家製の加工機なので、台数を増やすのなら直ぐに出来るという強みはある。しかも、その器具のアイデア的なノウハウは、そうそう簡単には解らないのだろう。こうして、我々はまた一つ、妙竹林な独自性を高めて、ゲテモノ的製作のウイングを広げようとしているのだろうか。解らない。しかし、解らない訳ではあるが、長い目で振り返ってみると、こんなネットのお問い合わせの対応というのは、得てして、同様に、実に妙竹林なものが不思議と多数を占めているので、斯様にフェイントに次ぐフェイントでゴールを目指さなければならないのだろうか。それを指して面白いとも言えるのだろうし、または「考えること」ともいえるのかもしれない訳か。だが、何と言っても、残念だが、定年退職後の余暇でしているのではない。日々、生活が掛かった緊張に次ぐ緊張の連続であるはずなのだ。例え、ネットを通して、全国から実に面白おかしくも、不思議 奇天烈なお問い合わせが実に多いとは言え、決して笑ってはいけない。もっとフンドシを閉め直して、しっかり前を向いて頑張って行かなければならない。本日は、1点、例の女流漫画家としては、現代日本の最高峰に位置されておられる方から、大変有難いお問い合わせとそして貴重なアドバイスを頂いたことは、実に参考になったし、そして矢張り、型破りな発想方法って、こういうことなんだと、深く印象に残った。取り敢えず、この場をお借りしてお礼申し上げます。有難う御座いました。    では、この辺で、失礼


2007年12月7日 晴れ 14度
今日も例の製作を進めた。急ぎの製作もあり、終日引き締まっての作業ではあった。忙中、合間に時間の都合をして、例のコーナーパットの簡単な加工用道具の製作を詰めていた。様々なサイズに対応出きる様に幾つかの工夫と 激辛スパイスをきりりと効かせ、てはいたのだが、結局は本番になってからの微調整ということで良しとしたい。例の、発泡スチロールでの競走馬用の加工については、急ぎの製作となり、何とかこれでどのような結果を見るか、待ちたい。特に、勝ち馬投票券でもなし、単に発泡スチロールの加工品のお使い上の結果のみに焦点を当てるだけなのだろうか。そう言えば、以前いた発泡スチロールの工場に機械部品の御用聞きに出入りしていた機械部品卸のマキノ機工の社長は、10中8,9で競馬を当てるので有名だったものだ。一度、発泡スチロールの金型成型の作業の合間に、その「競馬で勝つ為の極意」と言うのを、1席設け、ご講義頂いた事が有ったのを思い出す。なんと、その極意は「全部の馬券を買い続ける」というものだったので、驚いた。お金の集まる所には、こうしてどんどん集まっていくのが世の常なのだろうか。淀にて馬主をしておられたのだが、今ではそのお名前もその噂も聞こえてこなくなったのは、正直 寂しいものか。大阪湾で船主をして釣りに凝っておられた後、船を売ったとまでは、解っているが、その先はてんで、音信が掴めなくなった。悲しくも、祇園精舎の鐘の音、諸行無常の理に、発泡スチロールの泡のように、何処へやらと消えてしまったのだろうか。確か、私と同年代だったと憶えている。満ちたる月の欠けたることの無きが如き日々も、今は昔の良き出来事よ。

 大丈夫 みてろよ 絵馬に願を掛け 走る競馬の影絵作れば 


2007年12月6日 晴れ 13度
インターネットは所詮、インターネットに過ぎないのだろうと、年齢のせいか、やけに物分りが良い様なことを思いながら今日も例の製作を続けた。もう6年になるんだよなあー。果たして、次の5年後の同窓会の時には、55歳かー。55で若いのは政治の世界だけだろうなあ。この国を本当に動かしているのは今も昔も、矢張り若い世代に決まっているさなー。こちらでは、まだこうやって書き込みを続けているだろうかなー。井ー友(いーとも)銀行のO君から「また、やりますから」といったお手紙が完璧に忘れた頃になって届いて、例の常連や何十年振りの友人にまた会えるのだろうか。解らないなあ。そして、まあ何とか、有難いことに、今日も様々な夢を見せて頂けるようなお問い合わせが、不思議と続いているのだが、どうしたことか、もう一つ、晩秋の枯れ葉舞うような感傷に浸れない。まだ、20歳の頃なら、京都の「秋の夕暮れは、コート無しでは寒い位で、丘の上の下宿屋はいつもふるえていました♪」の歌のように、ちょっぴりセンチになれたものだが、どうしても、最近のロック歌手なのか知らないが、町田康 の歌では余計について行けないなあ。だめだなあ。それでも、世代によっては、支持を集めているのだろうかなあ。わからないなあ。いやー、まだまだ町田では古いかー。ギャル曽根の大食いの時代なんだよなあ。、、、、さーてと、あと一息でその加工用の道具は完成か。こんな所で道草していても仕方が無いので続きだ。、、、、しかし、それは大変なものだなあ。こうしてネットを見ていると、実に世間は広いなあ。ではこれで。


2007年12月5日 晴れ 10度
寒いと言うのに車のフロントガラスは凍っていない。今日も朝から例の製作となった。矢張り、こうして毎日、来る日も来る日も、あーでもない、こーでもないと、加工について、小さな工夫を積み重ねていると、本日のように突然、目の前の困難な課題が、すーっと音も無く解決することもあるものだろうか。だから、早急にさらに、その加工について、その新規のアイデアを発展させていく必要はあるものだ。@は、球形加工についての、さらに簡単な方法であった。例の260φ特注半球加工に早速応用して、思いがけないほどの成果は出せたので、急ぎ、その方法をまとめていかなければならないものか。A例の特注コーナーではあったが、これも早急に例の方法を体系化し、それぞれのサイズにスムーズに対応できるように、簡単な自家製の加工機の製作にまで進めなければならない訳か。急がなければならない課題が、こうしてまた2点、新たに発生して来たのだ。都合、こういった課題が計6件になっている。将に、貧乏暇無しということなのだろうか。目を、国内に向ければ、日本の高校生の科学的応用学力が、またまた低下したと聞く。しかし、このHPにお問い合わせされて来る学生さんの多くは、実に元気で頼もしい限りの若者が多いのは何故だろうか。いつもいつも、彼らのそんな元気をおすそ分け頂いて、こうして今日も何とか一日が暮れた。


2007年12月4日 曇り 8度

朝から今日も例の製作が続いた。有難い事に今日も実に様々なお問い合わせが続いた。何とも、意外なお問い合わせが多く、この意外性の変移については、季節要因が大きいのではないかと言った独断的な見解が出来るのも、こうして6年になる経験値が将に意外に大きなウエイトを占めているのだろうか。重なるものか、実に重なるものか、先月は、東京の光都市設計事務所の発明家鈴木先生が、共立短大の先生でもあるわけだが、その短大のご卒業の方からのお問い合わせが有って、意外に思ったものだったのだが、本日はさらに2件 身内と重なったので、びっくり仰天していた訳ではあったのも、束の間、さらに、懐かしいあの象牙の塔の方からのお問い合わせが舞い込んではいたのだった。あの学長はお元気なのだろうか。北海道がご出身だったので、よく何度か、下宿にお邪魔させて頂いたのは、もう31年前になるのだろうか。そして、今は亡き恩師のご仏前に手を合わせに漫画家鎌田洋次くんと出掛けてからでも、もう直ぐ5年は過ぎようとしている。何と時の流れるのは早いことか。情けなくも、矢の如く時は過ぎ、功為らず、学さらに為り難く、やがては、亡き恩師の後塵にすら、微塵だに、かすりもせずに、路傍に朽ち果てるのみ何だろうか。

  立冬に 朽ち落ちる葉音さえも ざくざくと 辺りにぎわい 踏みしめし 噛みしめし 我がこころの封書 


2007年12月3日 雨 体感気温 8度
歌を忘れたカナリヤではないが、今日も例の製作を続けた。ぎしぎじばったん♪ぎしばったん♪の方の自家製の加工機は今日は終日動かしていたのだが、時々、その規則的なリズムに、ボルトが引っかかったか、ばねの弛みか解らないのだが、どうも頓珍漢な小休止が入るようになったのは意外ではあった。つまり、ぎしぎしばったん♪の次に1/3拍子程度ではあるのだが、リズムを丸で半音ほど低音にするような休止が入るのだった。後ほど、この加工機の分解修理も必要になってくるのだろうか。今の段階では、解らないが、このリズムもまあ良いのではないかと今日の終わり頃には思えるようになっていた。会津若松から有難いお電話を頂いたのはその頃だったろうか。先日、ユーザー様仕様の特注加工に対して、あれこれ挑戦してみた結果、その超微細加工には、却ってバネの反発力を使ってニクロム線の動きに変化を持たせた方が綺麗に加工できたので、そのようにさせて頂いた訳だが、「これでOK」のご返事は、有難い事に、将に、控えよ控えよの水戸光圀侯のご紋でござる、と言った時の気分にはなれたものだった。そのせいでもないのだが、余計にその自家製の加工機の1/3拍子小休止が、特に問題ないし、気にする程度のものではないように思えて来たのは不思議なものか。確かに、翻ってみれば、何年も、このように見たことも無い聞いた事も無いような加工のお問い合わせの連続ではあったのだろうか、実に不思議ではある。それは、また不思議なことの現在進行形でもある訳だが、おやおや、またまた妙竹林なお問い合わせが今しがた届いた。昔、何処かの展示発表でフレミングの左手の法則ではないのだか、発泡スチロールに銀紙を巻いて、浮遊させるというのをしていた所があったと記憶しているのだが、今回は結構大掛かりですね。磁力線を回して起きる力って、素人考えでは、引力と反引力って言うか、何と言うか、反重力って定義でいいのではないんでしょうかねえ。それなら、これは「円盤」じゃないですかね。矢追純一やー。どうぞ頑張ってくださいませ。ノーベル賞取れた暁には、当社も紹介して下さいね。そろそろ飯にします。以上


2007年12月2日 晴れ 17度位か

昨日は、PCのハードから箱ものの組み立てやソフトの作成まで何とも幅広いところまで今では全てご自分でなさるようになった、例の田圃の真ん中に骨組みを組んで、丸でミシシッピー河畔の湿地帯に、夢と冒険に燃えるトムソーヤーのように、枝葉の茂る大きな木の上に作った隠れ家のようなと、ちょっと目を細めて見れば確かにそう見えなくもないが、実際には、不景気で古びた土建屋の使われなくなった飯場の2階を仮の事務所にしているだけの実に風変わりなPC学の専門家である、あの望月博士に、例のこの8月に破損したPCの件で、何とかシステム化に向けて、遅ればせながら1歩進めるべく、お時間を割いで頂いて、あれこれと検討と打ち合わせをしていたのだった。確かに時代は、PC全盛期を今将に迎えているのだろう。しかし、と同時に、将に最先端に立っているプロの専門家達というのは、凄いことに、早くも次の次を模索しているのだということは、大変重い事実なのかもしれないと知った。我々のような ど素人には及びもつかないほど、科学や技術は進んでいるのだ。矢張り、こうやって大専門家から直にそういった情報を頂けると、ネットで検索したりするような間接情報よりも大変迫力はあるものなのだ。つまり、説得力があるということだろうか。ふと、あれは今から何年前になるのか。まだ30歳の前半だったろうか、あのイッツアの研究所のMくんの自宅に、今から考えればPCの若い蒼蒼たる専門家メンバーが集まっている時、一体何でだったのか前後関係が思い出せないが、ひょっこり遊びに行ったことがあったのを思い出した。まだ、NECの95シリーズから98シリーズが出始めた頃だったと思う。皆、妙に、横文字のアルファベットを略したような記号を羅列した会話だけで、話が互いに通じていたので、全く会話に入り込めなかったことだけは、鮮明に覚えている。「ウインテルの陰謀だ」と言う話題だったことは、随分後になってから解ったのだが、その後、マイクロソフトのウインドウが世界に広がっていったのだった。同様だ。同様だ。最先端に居てその分野の専門家というのは、実にその次の次を先読みしているものなのだろう。「考える」為には、ネットの検索よりも、まず「街に出よう」なのだろうか


2007年12月1日 晴れ 17度
今日も例の製作を続けた。さらに、例の加工方法に対して、何か方法はないか、対案を考えながらの作業ともなった。そして、夕方になって、そう言えば論語の一文に、‘我 終日考え終日思うも答えが出なかった。 他人に聞くにしかざるなし‘等と言った意味のものを思い出した。原文は残念だが忘れてしまったが、内容はそのようなものだったと記憶している。一人であれこれ考えていても良い答えは出てこない。周囲にヒントを求めた方が早いという言だ。では、どうやってそんな今までに見た事無いようなものを見つけるか。おっと、今日は約束があった。今日はここまで


2007年11月30日 晴れ 17度
今日も例の製作を続けた。矢張り、このネットと言うのは、実に早耳のようだ。日本中距離間隔が無くなって来るみたいだ。また、1社、例の建築基準法の審査基準の変更による大幅な認可の停滞がために、最近、発泡スチロール関係でも廃業に追いやられたところがあったということを知ったのだった。それ見たことか、だから、ジワリと影響は広がって行くだろうと、このページにおいても微力ながら、何度も警鐘を鳴らしてはみたのだ。或るお問い合わせの内容から、その一件を知った訳だが、決して「対岸の火事」と言う訳にはいかないのだろう。我々は再度、襟を正して、胸を張って、前を向いて頑張って行くだけなのだろう。その為にも、例の「未来工業」のように、『考える』ことを、最初からもう一度見直して行かなければならない。必要と理解出来れば、必ずそこに、需要があるはずなんだ。再度、発泡スチロールの有利な点をまとめて行かなければならない。
 加工性において、他の素材とは群を抜いているのだろう
 その保温性において、必ず 省エネに多大な貢献をするはずだ
 緩衝材としてはどうか、圧縮強度を見よ。必ず その必要性は無くならない筈だ。
 環境問題ではどうか、信じられないことにミカンの皮汁で融けるのだ。これだけ、リサイクルし易いのだし、自然にも優しいはずだ

 実験素材においては、こちらでも 幾つもの可能性を見出してきた心算だ。例えば、電波用として、滋賀のM教授のアドバイスがあって始めて、かれこれ6年以上が過ぎている。音の拡散材としては、全国様々なお宅族から実に素晴らしいアドバイスを頂きながらここまで来ている。そして、液体窒素の容器においては、あの待ち兼ねた山物性研の若い勇敢な研究者達から、素晴らしい実験結果を受けて、有難い事に幾つかの成果を残すことまで出来たではないか。水耕栽培では例のsントリ研のH氏には実に有難い実地での貴重なアドバイスを幾つも頂けたではないか。 
芸術素材としては、将に独壇場なところがあるのだ。1/2ブロッくん 1/4ブロッくん など小さなブロックシリーズは、有難い事に、芸術方面に限らず、多方面に好評を維持しているのではなかったか、 
発泡スチロールビーズにおいては、何年か前、手芸の専門雑誌『パッチワーク通信』などのパッチワーク通信社のSさんととタイアップして始めた企画が、今もって継続しているではなかったか、

もっと足元を見よ。何が出来て、何がまだまだ提案可能か、そのことを『考える』ことだろうか。
例えば、寺社仏閣の荘厳にお使いの用途など、将に誰も思いつきもしなかったではないか、例えば、ライブステージに発泡スチロールを設置して、音響効果が全く変わってくるなど、それも思いも付かなかった企画ではなかったか
そう、再度 足元を見よ、そして、再度、次に何が出来るか考えよう。


2007年11月29日 晴れ 16度
時間が無い。あと30分ほどで、掛かり付けの医者が閉まるようだ。全く、今日も何ら書き込みらしいものが出来ないようだ。仕方ないかな。すべてこの世は回る舞台、良い時もそうでない時も 紅白の縄の如しか。では失礼


2007年11月28日 曇り 15度
だとしても、頑張るしかないのだろう。我々に出来うることと言ってもたかが知れているのだ。1日は24時間でしかない。余程運よく、その運よくという点が分岐点なのだろう。だから、そうでないからと言っても気にすることも無いし、諦めることもないのだろう。情勢は刻一刻と変化しているし、一つとして同じ結果を生むようなことってまずあり得ない。流れに棹ささず、身を任す位が精一杯か。ただ、少なくとも、もう少しだけ、気持ちだけでいいから自信は持ってもらいたいものだ。何故なら、現実をみよ。世界では、あれだけ民主的な国々が、何時まで経っても、ドンパチしているではないか。様々な立派な神様達が、どうして何時までもいがみ合いを止めないのだろうか。そこを冷静に見て考えることだろうか。我々のような弱小の一商売人にとって、黙って見ているだけかもしれないが、当たり障りが無く、支障を来たさず、周囲に波風立てず、静かに、じーっと、商機を狙う以外にないのだろうか。考えよう。何が今必要か、考えよう。


2007年11月27日 晴れ 17度
そういうことなのだろうか。解らない。そして、今日も出来る限り前向きに、頑張って例の製作を進めた。幾つかのお問い合わせも続いた。確かに、皆、ここは変な奴じゃ無くって、安全牌だと解れば、そりゃ、電話で直接聞いて見るというのが、一番手っ取り早いし、キーボード叩いたりするよりも、話して聞いたりする方が、何よりも簡単だろうか。だから、電話でも「ちょっとお聞きしますが」と軽く、フェイントで済ますことが多くなっているのだろうか。それでも、より安全なのは、メールにして、アドレスしか解らないようにしながらのお問い合わせなのだろう。しかし、アドレスまで接続不可能なものを記入なさる向きも、1ヶ月に平均2,3件はあるので、こちらも、お答えのしようが無いので困るのだが、少なくとも、名前の欄はペンネームでも何でもいいし、面倒なら空白でもいいのだが、せめて、最低限、アドレスだけでも頂けたら、体調不良でも何でも、間違いなく、ご返事はお返しすることにしている。だから、やっぱりここは、安全牌 なのかも知れない。そういうことなのだろうか。対外的には、そのような開いた状態に置くって、中々出来ないことかもしれないが、頑張るしかないのだろう。一方、そう、この、発泡スチロールという素材をもっと、そして如何に煮たり焼いたりして料理していくのかは、こちら側に、強く問われている課題である。「考えること」が必要なのはそのことだ。そして、その辺りのこともついでに、ここに徒然に記しておくのもまた、面白いのかも知れないし、後人の参考に 或いはなるやも知れない。
では、何か。 例えば、今後、40年で石油は枯渇すると言ったテーゼが出された。
だから、温暖化問題は、今後長くても40年で終わる。
それに対して、発泡スチロールは、今後も必要且つある程度、需給のなかで一定のシェアを占めるものかどうか。
つまりは、石油化学系の産業は今後も今のような地位を維持し続けることが可能かどうか。
と言っても、何故枯渇して困るのかと言う場合、石油の95パーセントは、ただ燃やしているだけなのだという実態があり、
石油化学系は、その残りカスを切ったり貼ったりしているだけなのだから、結局、問題は、
全産業に亘っている、燃やして燃料にして使っている、そのことの方に緊急の問題があるのだろうか。
石油を燃やさなくても良いのなら、一気に95パーセントの石油が余ってくるからだ。
石油を止めて、石炭にもどしてもいいだろう。二酸化炭素の削減が出来ないというのなら、もっと積極的に、排出される二酸化炭素を化学的に他のものに置き換えれば良いのだろう。削減にポイントを付けて金銭売買できるのなら、二酸化炭素を他の分子に変えたりするビジネスにも商機はありそうなものなのだがなあ。重油を燃やしてボイラーを回すと二酸化炭素も煙突から出てくるって言うなら、そこに二酸化炭素を他のものに変換出来る装置を付けて売ればいいのに。その前に、石油を燃やすだけの装置を何とかしないといけないか。この前、皮膚からの再生医療の成功があったように、スカッとするような発明を誰かしてくれないものかなあ。 おや、もう時間だ。では失礼


2007年11月26日 晴れ 16度
昨日は、近くの休日診療の掛かり付けの内科まで行った。インフルが猛威を振るっているのだろうか。外来は診察待ちで一杯で、9時半に受付けて、診察は12時を回っていた。漸く 気管支拡張剤と鼻水止めの漢方の小青竜湯を貰って、帰ったのが3時だ。それからずっと寝込んでいたのだったが、今日は、もう作業に掛からなければならないのが、悲しいかな、我々のような中小企業の宿命なのだろうか。しかし、寝込んでいて、テレビで、名古屋の例の「未来工業」が映っていたので見ていた。その不況知らずの経営が大変勉強になった。同じ、番組で、5年位前にもその「未来工業」を取り上げていたのを憶えている。その「考える」がその会社の重要なキーワードなのだ。振り返って、確かにそう言う事なのだろう。「考えること」なのだ。不景気であーだこーだと言っても仕方の無いことだろうか。だから、再度検証し、再度方針を立て直し、こちらのような、徒然な無意味な書き込みを修正し、「考えること」を柱にして再度、新規に書き込みを組み直して行かなければならないのだろうか。つまりは、発泡スチロールで何が出来るか、深く掘り下げて「考えること」から再出発して行かなければならないのだろう。これは、重いテーマかもしれない。主体的に、且つ需要増を或いは、開拓を見越して、何が出来うるか、を提案しなければならないからだ。しかし、有難い事に、実は、そして実に様々な提案が日々、お客様サイドから頂いているのだ。だから、本当は、襟を正して、真摯にその実に様々なご提案に出来る限りお答えしていく、その積み重ねこそ、必要なのかもしれない。そして、その上で、さらに、我々の専門の立場からそれらを、昇華し、集約し、何らかの逆提案に至れば、幸いなのかもしれない。だから、「考えること」なのだろうか。例えば、カントの実践理性が世界を批判してこそ真理が存在するなんて、そこまで「考えること」を進める必要はないし、だからって、ソクラテスの真理が道義的に正しいことへの批判的接近だ何て、勝手な判断をもって「考えた」と言う必要もなし、逆に 押井守監督の漫画「攻殻機動隊」の中の「ゴースト」に対するロボットの可能性なんて進め過ぎるのも、確かに面白いかもしれないが、如何なものだろうか。おっと、発泡スチロールを外れているなあ。失礼。ではこの辺で


2007年11月25日 晴れ 15度
珍しく 終日ダウンしていた。


2007年11月24日 晴れ 15度
最悪状態になっている。喉がイガイガ、鼻がズルズル、頭がガンガン、咳がゼイゼイ、おまけにピーピーさんまでなっているようだ。とは言え、今日も例の製作を続けた。何としても仕事を休むわけには行かないのだ。それが我々のような中小企業の業なのだろうか。あれは、30年ほど前、20歳の頃ならば、この状態になれば、確実に1週間、長くて10日から2週間は寝込んでいたのだろう。虚弱体質の傾向だったのだろうか。医者で、注射に、点滴と、8,9種類の変な飲み薬をもらっても、そうだったのだ。それが、あれは、26年前、24歳の時だった。阪急豊津駅の近くの内科だったか、風邪で寝込んでしまって、必死の思いで、漸くその医者の受付に、這うようにして行って、注射でも薬でも点滴でも何でもいいからやってくれと頼んだのだったが、「風邪に薬は要らない。じっとしていれば治る」と、思いがけ無く、何の治療も無しで、情け容赦無く帰され、高温でふらふらしながら、安アパートに引き返して来たことがあった。ところが、それから僅か 2日目で高熱は下がり、3日目で嘘のように、風邪が治ったのだった。その時からだろうか。どうも、体力に微妙な変化が起きたのは。以来、風邪と高熱でも、10日や2週間も寝込んでいたことは一度も無くなった。そして、その後、あれば今から10年前になるのだろうか。縁あって、富山県高岡市の清水耳鼻咽喉科医院へ行って舌小帯と上唇小帯の切開手術を受けて、鼻の穴が人並み以上に大きくなって気持ちよく酸素を充分以上に呼吸が出来るようになってからは、さらに身体の調子が良いのだった。「ハイキングで空気の綺麗な奥山に登って、頂上で気持ちよく深呼吸をしているような」、という例えが一番実感に合致しているのだが、以来、実に空気が美味しい状態で10年がすぎている。本当に有難いものだ。あの富山の清水医院には今でも感謝している。、、というのも大きなバックアップになっていると確信しているのだが、だから、どういう訳か、これだけ最悪状態で高熱続きであっても、こうして今日も作業を続けることが出来た。人生、様々な転機に、自分に合った医者に出会うと言うことは、本当に有難いことなのだろうか。


2007年11月23日 晴れ 13度
咳が止まらない状態にある。掛かり付けの医者も休みだ。スキーにでも行ったのだろうか。今年は、インフルエンザが早くから流行しているようだ。気を付けなければならない。体力温存のつとめよう。いつもより着こんで、帽子にタオルマフラーに。それでは、と言っても、あれもこれもしなければならないなあ。残念だが、今日はここまで


2007年11月22日 晴れっぽ 12度らしい
なんとも長期予報はお粗末なものか。今年は温暖化の影響で暖冬って、つい1ヶ月前はそう言っていたラジオから、今度は何とか現象かどうか知らないが、この冬は、相当冷たい冬になるというのでは、予報じゃないではないか。冬が寒くなるのは、温暖化の影響だなんて、そんなバカなこと言うのなら、つまりは、理由は何でも良い訳か。我々には、よく解らないなあ、そんな予報は。以前ここでも紹介したが、温暖化で短時間に、急激にグレーンランドなどの地表の氷河が融けて、太平洋に流れ出し、暖流のメキシコ湾流の流れを遮ってしまうと、北半球は、いきなり、急激に寒冷化する、という説を思い出す。むしろ、そっちの方ではないか。北太平洋でも、アリューシャンから、融けた冷たい海水が流れ込んで、暖流の循環をストップしてしまうと、矢張り、いきなり、温暖化とは正反対の寒冷化へと向かうということなのだろう。何とも、地球はデリケートな品物なのだ。温暖化で極地方の氷が融けて、高緯度の周辺地域をその融けた氷が冷やしていく。すると、今度は、温暖化した地域は、逆転して、寒冷化する。赤道からの暖流の高緯度への海流循環は、高緯度まで行かず、赤道近くを循環する程度になってしまう。極と赤道付近との熱の循環は著しく減少し、それぞれ、一方向へ向かうが、極地方の寒冷化は、今度は氷河を成長させていく。、、、そんなことを考えながら、休憩時間メシ屋のラジオを聞いていた。ここのメシ屋は、この辺周囲300mでは、5ツ星だろうか。しかし、ミシュランに掲載されるには、何十年も先になるのだろうか。 今日も例の製作を続けた。昼からは、例の加工用の道具に最終的に判断して、どうにかこうにか、ものになるかどうか組み立ててみることにしたのだが、この温暖化の影響による寒冷化した冬の寒い北風が吹いてか、急に悪寒がして、まだ本調子ではないのに無理をしていた為か、咳が出始めた。おっと、今日はこの辺で


2007年11月21日 晴れ 14度
今日も例の製作を続けた。昼からは、例の3mものの加工について再度製作を急いだ。確かに、『するするぽったん♪』の自家製加工機についても同様なのかもしれないと、また同じことを考えながら作業を急いでいた。そして、例の小さな楕円について、試作の段階になってはいた。マジックハンドのようなものがあれば、きっと上手くいくのだろうかとふと思いついたのは、既に夕闇が重く垂れ込めて、季節並みの冷たい冬の隙間風が、足元から体温を奪っていた頃だった。『改善はなぜなぜ何故の繰り返し』とは、川上さんというのがその方のお名前だったか、昔、もう15年以上前になるか、例のT−ホー工業に席をおいておられた方で、後に独立して、発泡スチロールの生産工程を見直したりするアドバイザー業をなさっていたのだが、今ではご健在かどうかすら解らないその方が、良く、発泡スチロールの講習会で講師にお見えになった時、いつも話されていた決まり文句だった。他の、数字的な細かいことは殆ど忘れてしまったのだが、こんな詰まらない題目だけ憶えているのは不思議なものか。或いは、あの講習会を開いた値打ちは少なくともゼロではなく、何か有ったということだろうか。まあ、そういうことなのだろう。こうして、今も発泡スチロールに関係しているのだし、この加工の件も、ある意味で改善なのだろう。問題は、この先だ。何だかんだといっても、実際の仕事というのは、まず、目の前の課題をこなして行けなければならないし、それには、そんな記憶は、殆ど役には立たないし、すべてケースバイケースなのだ。すべて、前例が無いのが当たり前の現実だろうか。今日は21日であって、もう一度21日はやって来ないのだ。同様に、すべての起こりうる事態は、全て異なり、何処かの評論家チックに『前例がないからやってみよ』なんて、呑気なことが言えるのは、現場の最先端にて、実際に事に真正面から当たっている者には、余りにも歯痒いものだろうか。実践とは、何が起こるか解らないものなのだろう。それは、矢張り、例えば剣道で、面をつけ袴に胴を巻き、竹刀を握って、対面した時、何ともいえないあの緊張感は、その疑似体験に近いと思う。、、、おやもうこんな時間だ。接着剤はもう乾いただろうか。はてさて  では


2007年11月20日 晴れ 15度か
今日も例の製作を続けた。昨日遅くにテレビで流していた経済ニュースで「政策不況」というのがあると聞いて、正直驚いたものだ。例の建築基準の改正に伴う建築関係の受注が全国的にストップしており、単なる建築関係に留まらず、様々な業界に影響が波及し始めており、大変な問題になりつつあるそうだが、そのことだ。矢張り、近くの材木屋さんだけの問題ではなくなって来ているようだ。大変だ大変だと騒ぎ始めて、あれから、5ヶ月近く過ぎており、仮に極端にその改正部分を停止して、元に戻したとしても、一度には建築の出来る量には限度があるし、一気に全面再開は不可能な時期にさしかかって来てしまったと、そのニュースの解説者は声を張り上げていた。折りしも、景気の半年先を見ると言われる株価も全面安になっているようだ。すると、実体経済は、これから半年、将に、どん底を這うような出来事になるのだろうか。それは、今から僅か5年ほど前、いつか来た道なのだろうか。素人には解らないのだが、我々のような下々の者には、ここは、暫く我慢我慢で、質素倹約に努めていく他に無いのだろうか。すると、将に経済は生き物なのだろう。今までの活発な経済の動きは、どんどんと不活発の極へ方向を変えて、行き過ぎるまで進むのだろうか。そんな質素倹約、『欲しがりません、買うまでもなく』『贅沢は素敵だなんて』『めしめし奉公、めしくれ奉公』なんて反動で、これから景気は収縮して行くのだろうか。その辺りを、注意深く見ていかなければならないのだろう。んーん、すると矢張り、、、金利は上げられないなら、外債売って円高でガソリン値下げるかな、どう出るかな日銀。


2007年11月19日 晴れ 14度ぐらい
結局のところ、本日もバタバタとして終日過ぎたのだろうか。幾つかの特記しておくべきこともあったのだが、そこまでまわらないのだろう。昨日は、少しでも小遣い銭になればと、近くの古本屋に持参したのは、随分と昔に買った旺文社の『漫画 百人一首』だったが、カウンターで査定中に、急に気が変わって、やはり売るのは止します、と言って売らなかったので、腹の足しになりそうなものすら買えずであったのだった。否、久しぶりにその古くなってすり切れ一部変色が進んだ『百人一首』を開いて、含蓄に富んだその中の幾つかの歌を読んで、矢張り、売らずに良かったと、少し満足気分になれたというのはあったのだが、そうして夕暮れの寒い中、空気の抜けた自転車を、舗装道路の直線コースだけタイヤがそれ以上傷まない程度に恐る恐るペダルを漕ぎながら立ち乗りをして、帰ってきたのだった。お陰で、今日は朝から風邪気味になってしまったのだが、どうこうする訳にも行かず、今日も例の製作が続いた。作業は終日続いた。けったいな音のする自家製の加工機も回した。しかし、その間、風邪の為の頭痛というよりも、『年収200万の生活』本の作家が、年収7000万の印税を稼ぎながら、今度は『大恐慌に備える賢い倹約生活 』というタイトルかどうかは忘れたのだが、とんでも無いことはご遠慮頂きたいのだが、そんな本を出すと言う事を例の古本屋のカウンターにあった新刊案内で見てからは、どうも一日、如何に倹約し、やがて迫り来る不景気に如何に備えるべきかで、頭は一杯ではあった。矢張り、あの作家に見習って、『貧乏生活のすすめ』か『暇なし人生ハツラツ貧乏が一番』なんてタイトルの本でも出せたら、この不景気にポンポコ羽が生えた様に本が売れて、貧乏生活を克服出来たらいいのになあ、何て考えてはいたのだった。そう言えば、私も人生を始める早い時期に漫画家にでもなっていたら良かったかも知れないなんて、出来もしないトウヘンボクなことをふと思いながら、本日発送の急ぎの製作にも掛かっていた。


2007年11月18日 曇り 13度
そうはいっても、何は兎も角、ぎりぎりの所で漸く持ち堪えて、歯を食い縛っても、目に涙を溜めても、前を向いて、挫けず、笑顔で元気に頑張る以外に無いのだろうか。元々、そんな先々のことは、我々のような凡人には、解らないものだ。いくら、あれこれと考えて、周到な予測を立てようが、八卦占いでもあるまいし、得てして、大きく外れるのが落ちなのだろう。それでも、なお懲りず、こうすればいい、ああすればいいと、ただ、只管貪欲に、知識を吸収するしかないし、そんなあらゆる情報を漬け込んで、漬物石でも載せて、後は手枕横になって醗酵出来るように昼寝でもする位が関の山だろうか。やがて、夢中で、蝶か毛虫が私の夢か、私が蝶か毛虫か知らないが、勝手自然にアイデアが浮かんで来るのを待つ位の積極性がやっとなのだろうか。しかし、それでもきっと、じっと堪えて、じっと待っていれば、そんな凡人でも そんな気持ちを持ち続けて、1年2年と途切れることなく、人知れず継続出来たなら、10年が過ぎ、やがて20年が過ぎる頃には、何らかの目に見えて、形になって来るのが、我々、人という生物の凄い所と言うことらしい。
 そう言えば、また、鎌田君から双葉社の新刊のお知らせが届いた。この28日に『わたしのみんなの甲子園』の第4巻が出るらしい。彼も、努力努力の人なのだろうか。人生頑張りと粘り腰ってタイプなのだろうか。漫画家になって30年になるなあ。早いもんだ。それぞれの人生。特に、漫画家家業は浮沈の激しい商売なのだ。彼にも、本当は、あの奥さんの支えが無ければ、もうとっくに第一線から脱落していたのだろうか。よく頑張って、鎌田君を引っ張って来られているものだ。書店で、或いは駅の売店で彼の名前を見る度に、何故だろうか。鎌田君よりも、むしろ鎌田君の頑張り屋の奥さんのことを思い出すものだった。それは、いつも、鎌田君からの電話の話の中に出てくる ちょっとした奥さんの話題にほんの少し触れただけの、一言二言ではあるのだが、それを聞いていて、行間に思うことは、彼の漫画は、どうも彼と奥さんとの素晴らしい仲がベースになっているんじゃないかと言うことだろうか。

  原作 かわさき健
  著作  鎌田洋次  

『私のみんなの甲子園』第4巻 11月28日発売決定!!

(写真は第3巻表紙から)

株式会社 双葉社
630円

(本人の生活もありますので、くれぐれも立ち読みや回し読みはご遠慮下さい。必ず、近くの書店か駅の売店等でお買い求めの上ご購読下さい。)






2007年11月17日 曇り 15度程度
今日も例の製作が続いた。合間に、例の簡単な道具の製作に頑張った。時間があれば、次の次へと、手を打つことを怠らないようにしなければ、我々のようなところでなくても、どんな大きな所であったとしても、直ぐに流れが変わってしまうものだろうか。企業は生き物なのだろう。何もせずに、宙に浮かんでおれたら一番なのだろうが、幽霊でもあるまいに、未だ、そういう訳にも問屋は卸してくれないようだ。だから、それが、闇雲であろうが何だろうが、前を向いて頑張る他にないのだろう。そう言えば、あの調子の良い時には、毎日更新をしていたある発泡スチロールの業者のブログを見た。残念だが、景気の暗雲立ち込め始めてか、最近は、数ヶ月にに1度2度になった。あれはもう何年前だろうか。当初は実に気持ちのいい書き出しであったのを憶えている。残念だが、仕方なしか。せめて、企業までそうなって欲しくはないものか。余裕があるほど、多忙ならいざ知らず。しかし、自己表現や考える訓練の名の下に、そう言った書き込みは或いは、敢えて継続されていた方が、互いの為にはなるのだろうか。それとも、素直に、徒然な、つまらない書き込みは、ここと同様、みっともないので、さっさと、辞めるほうが良かったのだろうか。解らない。そも、そんなプライベートなことを喧しく書いていても、時間が経てば疲れてくるものだ。或いは、時事通信っぽいことを書いていても、さらに専門家には、遠く及ばないものだろう。ここ5年で、携帯の普及など、文章を書くといったことが、誰でも当たり前のようになって来たので、読み手の方も、レベルはどんどん高度化している。国内でも何千万人が参加した有史以来始まって以来の巨大な『作文教室』が、ずっと続いているのだ。如何に簡単に、如何に解り易く、情報を伝達できるかの実験が、数千万人が一つになって日々、悪戦苦闘しているわけだ。そこから、何が読めるだろうか。世界は英語で統一されるか?否。中国語で統一されるか?否。アラビア語で統一されるか?否。日本語でもない。きっと、絵文字の進化したものだろうか。そんなところだろうなあ。一方で、考えることを鍛える努力を続けないと、若い世代に取り残されるなあ。しかし、もうこんな時間だ。まずは、腹ごしらいか。


2007年11月16日 晴れ後時々曇り 15度
今日も例の製作が続いた。例の自家製の加工機の『ムカデカット』は、幾つかの簡単なアイデアをつけているので、そうそう なことでは、問題ない。今回の加工程度なら、心配ないのだろう。考えてみれば、矢張り、この『ムカデカット』もそうだが、出来るだけ如何にアイデアで勝負するかになるのだろうか。基本的なところだけ押さえて置けば、後の骨組みは、木でもアルミでも何でもいいのかも知れない。加工機を自分で組み立てているのだから、特に故障したって、また自分で修理したり、やり直したりするだけなのだ。そして、今回、次に急いでいるのは、例の曲面加工の卓上タイプになるか。何とか、これを急いでいるのだが、中々前に進まないものだ。早く、試作にまで漕ぎ着けたら、例の美術展を企画なさっている学生さんに、試作の球を1個差し上げようと考えているのだが、その美術展までに果たして、間に合うだろうか。(20面体とか8面体くらい自分で作って欲しいものだ)おっと、時間が無い。では、この辺で


2007年11月15日 晴れ 17度
なので、その件について、こちらのページにも何度も書いております通り、美的なものを作るといったことでは、年季の入ったプロになって参りますと、皆さん、見ていて殆ど道具らしい道具はお持ちではないんですよ。逆に、際立った特異な形を出す為に、思いも掛けなかったような方法で効果を見つけておられる場合もあると思いますが、基本的には、キャンパスにデッサンを何度も繰り返して基本を身に付けることに似て、簡単な道具で、何度も同じ形状の加工に挑戦され、自分の内側の心或いは感性といった方が適切か、そのようなものに従って、徐々に積み上げて、今まで誰も見たことも無いような、ある得体の知れない形にまで到達されるといった流れ、なんでしょうか。歌で言えば、それはきっと街角で小さな少年が歌う流行歌の、ちょっとした「替え歌」なのだと思いますよ。最大多数の世代年代を超えて、良い歌ってありますよね。あれですよ。そりゃ、細かく言えば、ジャンルが分かれているのでしょうね。水彩画なのか、洋画なのか、或いは、時代物のトーキー映画かもしれない。これも、何でも何度でも、チャレンジしてみる方が、本当は自分は何が良かったのかと、回り道でもよく見えてくるのでしょうがね。まあ、その為にも、こちらで練習用に格安でご用意させて頂いたブロックが御座いますが、本当は、発泡スチロールの加工においても同様で、そんなもので、何度でも練習なさる方が、近道ではあると思います。が、ここから本題ですが、表現力と内面の美への葛藤っていうか、そんな感性なんて、3年や4年で、そうそうざらに身に付くような品物じゃ無いと思いますので、逆に言えば、すでに、自分の中に生まれながらにして身に付いているところから、発展させていった方が、近道だという言い方のほうが正しいのかもしれませんがね。学生さんは、そんなに恵まれた立場におられるのだから、その継続して行く強い意志さえあれば、きっと道は開けてくると思いますよ。基本的に、人は言葉でコミュニケーションを取る以外に、様々な方法を身につけて来たんでしょうね。でも、その言葉ひとつ取っても、既に、自分だけのものではない。自分が生まれる遥か前から存在していたし、何か、新しい言葉を発した積りが、殆ど、どこかに誰かが使ったことのある言葉の組み合わせでしかそれを表現出来ない。そう、自分だけの言葉であった積りが、常に自分以外のあらゆる人々を巻き込んで、或いは、この社会を、通したものに過ぎない。それと同じで、他のいかなる表現手段を使ったところが、この社会から逃げ出すことは、不可能なのですね。つまり、自己の感性に従って、美的なそれを作っているつもりが、実は、この時代を鏡に映しているだけなのでしょうか。問題は、この時代にあっても、人も社会も、常に時系列で変化しているのですね。だから、厳密には、今この瞬間と1時間前は違うわけか。そして、その時系列の変化から、2次元の公式でもいいし、3次元4次元の公式を探し、その変化率を読んで、再び、その公式をあてはめることで、次の時代はどうなるんだって解を、見て取ることでしょうか。でも、それが、誰にも、中々出来ないものかもしれないね。元々、芸術家にプロも素人も無い。あるのは、そんな公式を見つけて、そして解けるかどうかなのでしょうか。残るは、学生さんで終わるか。それとも、本当のそれを探して、いつまでも継続してみるかの選択なのでしょうかねえ。


2007年11月14日 晴れ 17度
残念だが、今日もバタバタと例の製作に掛かっていた為、その例の加工の為の自家製の簡単な加工機の組み立ては途中になっていた。確かに、若い方々には、これからの この国の未来を背負って立って行くのだから、実は、不肖ながら、こちらから何ら、意見するようなことは殆ど無いのだ。昨日の、あの高校生の進路相談についてのメールにも一言したように、本当にそうだと思う。何でもいいから自由に好きな道を進んで頂きたい、というだけである。もし、好きなことが見つからないのなら、迷わず、文学を目指せ。一度、そこで追体験によって人生を仮想体験することだろうか。自身の考える力を鍛えることから、やり直しても、決して遅くないと思う。それじゃ、計算力や公式解法力が落ちてしまうと言うなら、両方続ければいいだけだし、それじゃ、外の世界が丸で見えないと言うなら、さーと、知らない街を歩いて来る事だ。誰も、制止など しないよ。この時代は、誰かの歌にもあるように、迷うしかないブルーな時代なんだよ。最初からこれをやりたいと決まっている人は、多くて3割。進路指導などで、何となくこれかなの人が3割。残りは、迷い迷って、いつまでも迷ってばかりなのかもしれないよ。高校を出て、何となく仮に選択して就職しても迷っている。暫く仕事を続けたが、20歳過ぎても迷っている。あれこれふらふらしてみたが、30歳になっても迷っている。これが最後と、40過ぎて職についても迷っている。そして、私のように50歳になっても迷っているものさ。なら、イッソ、開き直って、そもそも我々人間は、『考える崇高な葦』である前に、『迷って歩き回っているうちに香水漂う 匂える足』なんだ、なんて考えていた方がずっと楽なものさ。先を急ぐことは全く無い。それは、私の体験談だ。


2007年11月13日 曇り時々晴れ 17度
今日も例の製作が続いた。有難い事に幾つかのお問い合わせもあって、終日バタバタしてはいたものだ。昼から超一流のメーカーの若い営業マンが、アポも無しで、こんなむさ苦しい所まで、どうした訳か、お見えになった。ほんの、顔出し程度のお披露目だったのだろうか、4月に入って丁度今頃からあちこちで外に出される連中がいるのだろうか。これが人生初めての一人歩きでの営業だったらしい。お帰りになった後、他の作業でバタバタしていて、その忙中、ふと一息ついた時、お名刺の名前すら忘れていたのだが、その化け学を習い立ての 若い20歳そこそこの営業マンの事が、自分の古い記憶を手繰り寄せるキーワードになって、今から30年程前、自分が初めて営業に回った時のことを思い出す事が出来た。あの時は、毎日毎日、飛び込み営業に次ぐ飛び込み営業で、3ヶ月も経てば新しい革靴の底にすぐ穴が開いたものだった。それを、都合4年は続けていたのだった。その頃を思い出して、その君は、何と恵まれていることだろうかと、感慨に浸るでもなく、最近は、そんなものなんだろうとだけ、簡単に結論を急いだ。その君には悪かったが、時間が無かったので、nハム研究所の社長にまで上りきった例のS君の名刺を見せてあげて、お帰りになって頂いたのだった。頑張れば、ここまでなれるのが、この不思議の工業立国の祖国日本だ。だけど、特に頑張らなくても、出る釘は打たれ、足を下ろせば引っ張られるのが組織なら、じっと目だたず、我慢しているだけでも出世はでき、そこそこの生活は出来るのだろうが、その、どちらを選ぶのも君の自由だ。貴君は、まだ実に若いから、これから何度でも、それこそ何度でもやり直しは可能なんだ。だから、貴君の最大の武器はその自由な可能性の中にあるのだ。選びたまえ、若しくは、迷い給え、本当の自分を探しに出掛け給え。等と言っては、笑いながら、新米の気力に、少し、揺さぶりを掛けて見てはいたのだったが、そんなことも、次の仕事を前にしては、忘れていたものだったので、その君には申し訳ないが、全く眼中にも無かったのだろうか。そう言うものなのだろう、きっとそうなのだろう。こうして、50年が過ぎて来たのだった。意気高く、そして目標なお高く、七転八起を合言葉に、起死回生を信条に、頑張っては来たものだが、なお、さらに道遠し、幾多の困難さらに押し寄せ、なお、それでもこの位、と歯を食い縛っては来た50年だろうか。否、まだ50年だ。まだ頑張れるぞ。、、、等と、本当は、そんな若い世代の方々には、何も説明など要らないものだ。黙って、頑張っている姿勢だけで、その後姿を見せるだけで、伝わるものは伝わるはずさ。


2007年11月12日 曇り後雨後曇り やや木枯らしっぽい 15度
その後も例の製作を続けていた。昼からは、用あって、あの街外れの高校の隣に、創立120年になるその高校が出来る、遥か前から建っている例の材木屋さんにまで行って見た。しかし、残念だが、ここも暗かった。事務所の真ん中には、例の自家製天然の木炭を燃やす、おじいさんの古暖炉には、煌々と勢いよく、木炭の灯りが点っていた。それで、木戸を開けた瞬間何とも気持ちの落ち着くような樹木の香りが直ぐに鼻のところまで漂って来たのだったが、丁度、外を低気圧が通過していて、どんよりと 手を伸ばせば届きそうな厚く垂れた真っ黒な雨雲から時折、冷たい秋雨が針を刺すように降りそそいでいていたので、余計に、そのおじいさんの古暖炉から、漏れてくる明かりが、目に付いて離れなかった。暫くして、漸く目が慣れて来ると、奥の方では、健康診断の検診結果通知を持ってこられた中年の検診医と材木屋の若番頭さんとが、ひそひそ声で、何やら、真剣な相談を 互いにその通知評を交替で何度も何度も、丸で、長い舌で舐めるように顔を押し当てて、覗いて見ては、また、ひそひそ話を続けておられたので、来客のあったのも、暫く気が付かなかったご様子ではあったか。血糖値が、どうしたとか、レントゲンの結果がどうしたと言った話の末端だけ、語意が強調されていたので、こちらまで聞き取れ、ああ、そうなのだと、話の全体像が予想できたものだった。「こんなことは初めてだ。おれは、何も悪いことなどしていないのに」と吐き捨てるように向かい側に座った少し、小太りの検診医に言われている声も、この夏から続く、この建設業界のあだ花のように急に咲いた不景気と重なって、厭に力なく聞こえて来たので、それ以上、何も話さずに、材木屋を後にした。外は、雨が止み、何となく少しまとまった風が吹いていた。今年の木枯らし一号になるのだろうか。用件の方は、また出直すことにした。


2007年11月11日 曇り 17度
この日曜日はずっと、例の加工用の道具の設計に当たっていた以外、なんら進展はなかった。だから、1行も特記するようなことはない。まあ、出来てからのお楽しみというところだろうか


2007年11月10日 雨のち曇り 23度
昨年は、暖冬かなあと思っていると、この辺りからぐっと気温が下がったのだったが、果たして今年はどうなのだろうか。今の所、依然として昼間、暖かな日が続いている。そして、今日も例の製作を進めた。急ぎの製作も幾つか入ってから、夕方遅くには、例の昆虫博士が遠方からはるばるお越しになったので、例のジャイアントマウンテンウルトラスーパークワガタ(略してジマウスクワガタ)の養育用保温ケースについて、専門家のご見識から、大変有難いアドバイスを頂けたので、早速、その線に沿って、箱状の養育ケースに修正を加えていた。昆虫博士は、また暫く、東南アジアの方へ、研究に旅立たれるのだろうか。そう言えば、学生の頃、昆虫が好きで好きで堪らないって同輩が一人いたのを思い出した。年齢は5歳も上なのだが、一応同輩だった。いつも、採取用の白い網を持って、蝶を追いかけて、日本全国を駆けずり回っていたそうだった。それが、今では中学の国語の先生に収まっているのだから人生解らないものだ。「私は蝶になりたい」が行き過ぎたのかなあ。蝶の語り部になったってことかなあ。まあ、好きなことを職業に出来るってのはいいものだなあ。おっと、時間だ。では失礼


2007年11月9日 晴れ どうも寒くない20度
それからも、例の製作が続いた。昼前から、例の『とんからりん♪とんからりん♪小休止、 とんとんからりん♪♪とんからりん♪』の機織り機械音のする在庫積み上げ作業も始まっていたので、例の加工用の手作り加工機に関しては、また構想のレベルに留まることになっていた。もう立冬だが、途中、秋のスズムシが鳴いているのかと、耳を澄ませると、『とんからりん♪』機械のワイヤチェーンの滑車の部位に潤滑油が不足して、磨り減った金属音となっていたようだ。確かに、スズムシの鳴き声にも聞けないことはないようだった。もう、暦の上では、季節は、随分進んでいるのに、今が秋って事でも良いのかも知れない。漸く、夕方になって、例の製作などに一段落が着いてからは、例の新種のジャイアントマウンテンウルトラスーパークワガタ虫(略してジマウスクワガタ)の幼虫養育用保温ケースの製作になった。取り合えず、箱状に板加工の後、形状固定には、ビニル系のボンドを使ったのだが、今回、特に養育上 大変デリケートなジャイアントマウンテンウルトラスーパークワガタ(略してジマウスクワガタ)なので、貼り合わせの内側四隅部分を、完全保温を効かせる為に、発泡ウレタンを使用して、完全な保温効果が期待出来るようにした。(発泡ウレタンの使用上のコツは、まず 被体部分に霧吹き等で、水滴を乗せ、そこに発泡ウレタンを吸入させる方法だ。ウレタンが水滴と反応して硬化を促進するわけだ)おっと、作業を急がなければならない。依頼者の某昆虫学者様が明日遠方からお見えになる予定だ。本日はここまで


2007年11月8日 晴れ 朝の2度に昼の20度
今日も例の製作を急いだ。例の「ぎしぎしばったん♪ぎしぎしばったん♪」の方のムカデ競争のような自家製加工機をフルに動かしての急ぎの作業が入ったからだった。確かに、時間さえあれば、内外に亘って、あれこれと考えているものだ。まず、加工においては、矢張り、次の策を次々と練って行くことに尽きる。偶々、見たテレビの番組に、首都圏で「お姫様ごっこ」というのが、2歳3歳児で終了するのかと思っていると、成人以降にまで需要が広がっているとあり、グッズに個人の自室の改造まであるそうだと、紹介していたので、早速、発泡スチロールで、何か似たような展開は有り得ないか、検討をしては見たのだが直ぐに没となったし、或いは、例の一体何処の会社がされているのだろうか、よく知らないが、発泡スチロールのブロックから板切りして、溝を付けて、組み立てセット、ってどうだろうかとも考えていたものだ。そう言えば、あれは、今から25年は前だったろうか、亡父も似たようなことに凝っていた頃があったのを、ふと思い出して、この線も中止した。そしてその後、例のくり抜きだけで、材質をいろいろ変えてみた水槽の漏れをチェックして、矢張り、工業用ドライヤで溶解しただけでは、安定した防水層にはなりそうに無いと、解ってはいたのだが、そして、今回で何回目になるのだろうか、前回の結果を完全に忘れた頃になって、また同じ繰り返しをしては、同じ結果に、考え込んでいるわけだろうか。その後は、糸車のように回転出来ないかの例の形状についての再検討に入ってはいた。頑張らなければならない。何とか、先を見て、出来るだけの手を打って行かなければならない。有難いことに、ここは、吹けばどこまでも飛んで行って見えなくなりそうな、中小企業だ。鐘は鳴らないが、アメーバーのように、変幻自在に何なりと可能性を打診出来るというのが、唯一のメリットか。そして、有難い事に、そんな小さな中小企業にも、今日もまた、ネットを通して、遠方から様々な不思議なお問い合わせが続いている。矢張り、矢張り、またまた、確信しそうではあるのだが、本当にこの国には、何とも大勢の発明家がいるものだ。尽きることが無い不思議か。よくまあ、新しい そんなに いろんなことを考え付くものだ、と思った。若い人は決して侮れないものだ。不思議の工業立国日本のものつくり、ここにあり!ってところだろうか。


2007年11月7日 晴れ 20度
今日も例の製作を粛々と続けた。有難いことに、例の、加工に関してのお問い合わせも続いた。昼前、近くの材木屋さんがお見えになり、この建材関係の業界の困難な情勢について、よく解らないが、「姉(あね)さんが悪い。姉さんが悪い」と、ありったけの鬱憤を吐き出してお帰りになった。で、その後、気分は終日重くなった。矢張り、家族は仲良くあって欲しいものか。まあ、目の前の仕事を頑張る以外に我々に出来る選択肢は、そうそう無いのだろう。石油にしても、1バーレル100ドル何て、全く、実需を越えた動きになっているので、あと数ヶ月以内に暴落するのだと、個人的には、明るく、そう先読みを始めている。新興国の需要が増加しても、そして、オイルピーク説が飛び交っても、景気に不透明感が増せば、一旦、実需の僅かな低減が出れば、そんなものは、油上の楼閣のように瓦解するのだろうか。急いで石油の取り合いをしても、使わなければ、必要なくなるってものさ。新興国の経済も、先進国の経済と連動するのが、この狭くなった今の世界だ。やがて反転するのだろう。それまでの我慢だろうか。そうすれば、必ず内需を喚起せずにはおれなくなるのだろう。それは、何時なのだろうか。矢張り、大統領選挙かなあ。解らないけれどなあー。これからは、石油安と円高が同時進行するのだ。内需関連には、最高さ、、、。


2007年11月6日 雨 16度
      






フジカット有限会社 藤本篤実様
K高専学生会です
 
学校祭の準備、片付け等で返信が遅れてしまいましただるま落としの方も完成し、無事に学校祭終えることができました企画もとても盛り上がりだるま落とし成功者も出て、大成功に終わることが出来ましたこれもフジカット様のおかげです。ありがとうございました
 
完成しただるま落としの写真送付いたします
とてもお世話になりました、またの機会があれば宜しくお願いいたします
 
フジカット有限会社 藤本篤実様
 
                               学生会 



K高専 学生会様

メールを有難う御座いました。また、見事な完成写真を有難う御座いました。素晴らしい出来栄えですね。これなら、盛り上がりそうですね。アドバイスさせて頂きました幾つかの製作上のポイントも、上手に仕上げされていたご様子が、お送り頂きましたお写真を細かく拝見させて頂きますと、直ぐに見て取れました。確かに、『大成功に終わる事が出来ました』の通りだったのでしょうね。それに、矢張り、高専の学生さんですね。高さが2m以上もあるような『だるま』を倒さずに、器用に最後まで駒抜きが出来る成功者もおられるんですね。きっと、成功した瞬間、校内に「うおーっ、やったーッ」という若い元気な声援が、割れんばかりに響き渉ったのでしょうか。その時、みんなの気持ちがひとつになれた。ここまで頑張って来た疲れも、一辺に吹き飛んだ。この学校祭の企画を担当し、ひょっとして苦しい時もあったかもしれないけれど、みんなで手分けしてここまで漕ぎ着けたし、「うまくいけた」の成功感、達成感の体験は、又と無いこれからの長い人生における大切な糧になるに違いない、って。これからの人生、何十年かして、ふと何かに困った時、あの頃を思い出しては、きっと勇気とエネルギーがもう一度、込み上げて来る時の、大切な記憶のキーワードになるのだから。だから、『大成功おめでとう御座います』の一言をお送りしたいものですよ。こんな、成功体験なんて、なかなか得られない貴重なものだ、って。


2007年11月5日 曇りのち雨 18度
今日も朝から例の製作となった。昼からは、例の するするぽったん♪するするぽったん♪の方の自家製加工機の出番となっていた。確かに、こんな石油関連の素材を扱っていると、どうしても国家天下よりも、世界のほうに目が行き、そして、様々な情報に詳しくなって来てしまうものなのだろうか。例えば、数年前まで、例の『オイルピーク説』にしても、何度も何度も、そのピークは、繰り返し先延ばしされてきたので、技術革新と新たな油井の発見で、また直ぐに先延ばしされるだろうと思われていたのだが、どうもここ数年、石油の無茶苦茶な高騰の割りに、殆ど、明るい大油田の発見が、全く停止状態となっているし、飛躍的な掘削方法の開発も報道されていないようだから、今度はどうやら本当なのだろうか。後30年で半減と言うことは、今がピークなのだろうか。後は、局所的に、例えば、日本などは、東シナ海や日本海などの試掘で使用量の何割かでも、カバー出来たらいいと言うことなのだろうか。おいおい、こりゃー深刻だなあ。ほら、世界は、弱肉強食の戦国時代と何ら変わっていないだろう。だから、これから本格的な石油の取り合いになるんだなあ。怖いなあ。あの戦争は終わってくれるのだろうか。後、30年で半減なら、後15年で、2割以上の石油使用量を減らさなければならないのだろうか。年間2パーセントだろうか。しかし、国内、年間3,4パーセントの使用増を逆転して、2パーセント減に出来るのだろうか。石油使用の4割は火力発電にあるらしい。では、電気の使用を4割削減できるのだろうか。エジソン程度の発明家では追いつかないだろうなあ。そう言えば、以前ここにも書いたが、あの永久磁石だけで発電するって話はどうなったのだろうか。早くしないと間に合わないな。爆発的な普及が無いと、追いつかないなあ。


2007年11月4日 晴れ 18度
今日も例の件が重なりバタバタしているので、時間がない。東京ではいよいよガソリンがレギュラー 1リッター 180円のスタンドが出て来たらしい、。何年か前の、実に2倍になったようだ。こんなことが、決して何時までも続かないだろうし、続けてもいけないのだろう。瞬間的な、クラッシュであって欲しいものだ。目を世界に向けて、状況はどうだろうか。原油の地政学的危機の影響はどうか、新興国の急激な拡大はどうか、それよりも、どうも投機的な原因なら、いずれ、下がるのだろうが、それが、何時になるかを読む必要はあるのだろう。まずは、あの戦争が何時終わるのか、だろうか。どういう形で終わるのだろうか。あれだけの人殺しが続いても、それでもまだ止めようとしないのはどうも、日本人には馴染まないが、このままずるずると続くのだろうか。それとも、一気に決着を付けようとした途端、何かが起きるのだろうか。商売上手な向きは、必ず、その辺りまで、大局的な先の動きを正確に読んでいるのだろう。そして、きっと、誰も気が付かないような商機を先回りして、掴んで行くのだろう。国内では新築の建設が規制され、ストップが続く中、弱り目にたたり目は出るものなのだろうか。物価の値上がりに反して、金利は殆どゼロ状態の据え置きは続くが、それも時間の問題となって来たと見るべきだろうか。不景気の中の、金利高は何時始まっても可笑しくないのだろう。むしろ、銀行関係は、秒読みに入ったと見ているだろう。何故なら、不良債権も大方返済したのだから、ゼロ金利の前提はもう、どこにも無いのだし、そうなれば、速やかな円高へ向かい、石油の値段は下がるのだろう。その、海外要因が先か、国内要因が先か、それもきっと、商売上手な向きは、もうすでに3ヶ月先まで、先読みし、動きのシュミレーションを立てて、待っているのだろうか。何を持って、この情勢変化へと引き金を引くことになるのだろうか。得てして、我々の歴史は海外要因をじっと待つ事が多いものだろう。すると、矢張り、あの戦争の行方に掛かっているのだろうか。平和を祈りたいが、時間だ。失礼


2007年11月3日 晴れ時々曇り 19度
こうして、丸5年の時が過ぎた。ここに、駄文を掲載し続けているのは、果たしてどのような意味があるだろうか。この5年の間に、何度も何度も検証し、それらしい幾つかの論を立ててはここに書き込んで見たつもりだったが、今では、よく解らなくなっている。小学校の5年の時に、担任の先生から、日誌『一言』というのを毎日学校の終わる時間に全員書くように指導されたのだったか、確か、その前に、4年生の時に、近くで取って来たメダカを飼うのに、水槽の温度変化や天気等が気になった事があり、理科の時間に習ったのを真似て、自分で『メダ助の日記』というのを雑記帳にしたことがあったが、それに毎日天気や温度を書いていて、1年が過ぎた時、折れ線グラフにしてみると、1年と言うのは、実に、本当に温度が上がったり下がったりするものだと言う事を、小学生にしてみれば、大発見だと言う風に見えて、それで大変気に入って、それに何だかんだと書き残していたのが、実は、こうやって、毎日毎日、ロクデモないことを書き残している、そもそもの始まりなのだろうか。これが、ここに更新を始める今から5年前までは、ちゃんと継続していたものだ。だから、小学校の先生の影響力といのは、物凄い強力なものなのだろうか。未だに継続しないと、先生に怒られるような気もするものだ。そして、延々と、以後35年はペーパーに書き残すことが、毎日続いていたのだった。それからこちら5年が、こんな、恥知らずなネットの書き込みとなって続いているという個人史になるか。そうだ、あの時もそうだったか。今は亡き象牙の塔の恩師に学問に対する基本をご指導頂いた時のことだろうか。あれも、自分なりに相当なアッパーパンチは被ったという記憶があるものだ。どうして、そこまで今は亡き恩師に、義理立てしているのだろうか。『飢えた子を前に文学は有効か』こんなトンでもない命題を突きつけられて、笑いで誤魔化すか、逃げ出すか、或いは判断中止の選択が残る程度であるのに。持ち帰って、いずれ答えを出しますと返事もそこそこに、軽い気持ちで居たものだったのに、こうして、年齢を負うに従って、もう、30年も前のちょっとした亡き恩師との赤提灯での詰まらない雑談に出たその一話が、今では、ずしりずしりと重く圧し掛かってくるようにはなっているのだ。それが、恐らく、第二の推進力だったのだろうか。解らない。だから、再度、ここで立ち止まって、働くこととは、どういうことなのか、と自身問うて見なければならないようだ。当たり前だろう。人生だ。1日は24時間しかないのだ。仕事は金儲けの為であって、人生ではない、何て切って捨ててしまっては、1日が半分以下の時間になってしまうのだ。どんな時も自分の人生ではないか。仕事だから何をしてもいいなんて事は無い筈だ。何をしても良いと言うのが我が人生ならいざ知らず、我々のような凡人の多くは、そうも行かない。24時間365日を好き勝手に遊んで暮らすことも出来ない。かといって、仕事が終わってからだけの自分というのも、寂しいものだ。この、はざ間で揺れ動く、サラリーマン人生かなあ。


2007年11月2日 曇りのち晴れ 20度
今日も朝から例の製作を急いだ。時間の合間を見て、例のシリコンを使うも、期待していた割りには、もう一つ思うような結果は出ない。これなら、別に市販の建材用のシリコンに、薬局で消毒用アルコールの5パーセント液でも混ぜて使ってみた方が、まだ良い結果が出るのだろう。仕事に余裕があるのなら、その辺りをもう少し深押ししてみるのだが、残念だが又の機会にしなければならないのだろう。昼からは、例の「穴あけ作業ぞ 嵐とよぶらん」のボール盤作業を挟んだ。先日、起動部の故障の為、已む無く、修理に出した際、全面的に発泡スチロール専用のボール盤に仕様を修正した機械だ。業者の話では、こんなものを設置している所は、日本全国、今では、大変少なくなって、相当希少価値は出てきたようではある。確かに、加工性は格段に良くなった。これなら、充分、ポリプロピレン系でも綺麗な穴あけも可能な程の精度なのだろうか。取り合えず、今回 特殊オーダーの試薬ガラス管受けの発泡スチロールでの試作依頼があったのでちょっと製作してみたが、そのちょっとした工夫で穴と穴の間隔もかなり短く加工は可能になったのは、大変有難い。



2007年11月1日 雨後曇り  20度

今日も例の製作が続いた。お陰さまで何とか急ぎの加工に関して、本日発送まで漕ぎ着けたのは助かった。続けて次の作業に掛かることになるのだが、その前に、例のぎしぎしバッタン♪ぎしぎしバッタン♪の自家製加工機での急な加工となって、終日ばたばたすることになっていた。1個何銭の身銭にすらならないような加工ではあっても、我々のような中小企業では、有難くお請けして行く他に無いのだろうか。世は将に、好景気判断と不景気指数のギャップが大きくなっている。何で、パソコンの値段が下がったからって物価指数が下がるのだろうか。誰が、毎日買い物籠提げてパソコン買いに行く人がいるだろうか。ガソリンは上がり、小麦は上がり、焼きそばにラーメンまで上がっているのだ。好きな『赤いきつね』と『 どんべい』も、いよいよ、値上げになるのだろうか。やってられないなあ。冷凍うどんが1玉43円にうどんだしが先日の残りを使って、葱の代わりに帰宅途中の道端の秋の七草を取って入れて煮て食べなければならないのだろうか。そうして、食事も切り詰めなければならないのだろう。この欄では7月から警鐘を鳴らしていたのだが、今朝の新聞で、新規住宅着工数が、連続44パーセント減で66年に統計を取り始めて初めてだと言う。7月から急激な減少を来たしたのだった。住宅着工減は、あらゆる産業に波及してくるものなのだ。家電メーカーも減になるとコメントを出していた。鉄も売れなくなるのだろう。何でこんな時に武田まで新薬に失敗するんだろう。解らないなあ。本当に、経済とは生き物だ。気分が感染するんだろう。不景気とは、経済が病気になったようなものだろうか。気分ハツラツ明るく元気なら、景気は良いとは、よく言ったものだ。不景気がここまで来れば、もう円高誘導しかないのだろうなあ。日銀にそれが出来るかなあ。お上のすることは本当に解らないものだ。まあ、そんなことをたらたらと書いていても仕方がない。頑張る他に何もない。ただ、ひたすら、頑張って目の前の仕事を一つづつこなして行く他にないのだろう。では、皆さん幸運を祈ります。ちょっと失礼して雑草狩りに行きます。うどんに入れると結構美味しいよ。


2007年10月31日 晴れ 23度
今日も朝から例の製作が続いた。幾つかの急ぎの製作も入り、また終日バタバタとしていたわけだ。有難いことに様々なお問い合わせも続いている。なので、お答えコーナーの拡充も急がれる所だろうか。確かにインターネット環境の拡充にしても、さらに急がれる所なのだろう。或いは、その加工についての方法論的解法なんていうものもあって良いのではないかとも思いながら、探してはいるのだが、本当に初歩的なものは散見出来るのだが、ほんのもう少しここをこうしたいがどうしたらいいのかという所が、中々見つからないものなのだろうか。プロになり、年季の入った熟練レベルになればなるほど、この世界では、実際使用する道具と言うのは、誰にでも直ぐに出来そうな簡単なものに、どんどん退化していくのだろうか。世界は違っても、コンマ以下ゼロが幾つも並ぶような精度の加工が出来る持ち主と言うのは、道具では、コンマ以下を辿ることが出来ず、後は、自分の目と触感だけで、たったそれだけで、結果として物凄く凄いものを作って行く、といった話は、不思議の工業立国日本では、ごろごろしているものなのだろうか。この問題も、それとよく似たものだろう。本当にプロと言うのは、道具らしい道具も何もないのだ。だから、今回お問い合わせの在った、そのようなオブジェの価格にしても、値段のつけようの無い世界が背後にだだっ広く限りなく広がっているような気がする。そもそも芸術作品に値段はどうやって付けられるのだろうか。ネット上でオークションのようなことが可能なら良いのだが、こと 芸術作品というのは、どうもネットだけでは、判断し辛い面が多すぎるのだ。以前、一度だけ、あれはどこの何方だったのだろうか、「発泡スチロールの作品を集めて展示しています」、といったお問い合わせがどちらの向きだったか、あったことが確かにあったのを憶えている。しかし、そんな美術館か博物館、或いは工業技術館みたいなことをするには、相当広いスペースと余裕が求められるだろうから、真似は出来ない。出来ないが、せめて写真展のまね事程度が我々のような1民間企業で可能な範囲なのだろうか。


2007年10月30日 晴れ後曇りのち雨  23度
今日も例の製作が続いた。有り難くも幾つかのお問い合わせもあり、また、例の製作に関してお越し頂いた件でその加工の中心的な要点というべきか、加工上の最大の難所についての有難いアドバイスをわざわざ頂けた。有難いものだ。我々のように、長年加工製作などをしていると、そんなちょっとしたヒントを頂けると、曇りガラスが開いて窓の外の青く澄み渡った大空が飛び込んで来るように全面的に、解 が解けるものだ。だから、そのポイントを如何に高めるかに照準を合わせた、加工道具まで、こうしたらどうだろうと思いつくものだ。だから、再度、ご提案させて頂くこともあるのだろう。さて、例の水耕栽培に関して、あるお客様から次のようなHPを紹介された
http://www.sun-inet.or.jp/~sumio/index.html の「用意するもの」の写真をクリックすると 弊社が紹介されているという

大変有難いことに、この中で弊社を紹介頂いているのだった。ご紹介を有難う御座いました。一同感謝いたしております
上記HPの趣旨に沿えるべく、何とか格安なオーダーメードの水耕栽培用水槽が製作できないかどうか、さらに研究を重ねてまいりますので、弊社HPの水耕栽培のページが最近殆ど更新されていないことをご容赦下さいませ。なお、最近の動きですが、防水膜を如何に安上がりに出来るか、それのみに絞っております。例えば、シリコンゴムのスプレイ式でどれだけ耐用年数が出るかなども、現在鋭意研究中になります。まあ、表面を軽く溶かして、スキン層を形成できるかどうかにも突破口がありそうですが、取り合えず、バタバタしながら暇を見ては、この方面の開発に関しても急いでおります。ポイントは、何と言っても、発泡スチロールの全表面積が物凄く在る点、そして、保温性になります。上記のような面に加えて、如何に安くなるかが、今後の分かれ目でしょうね 以上


2007年10月29日 晴れ 24度
今日も朝から例の製作を急いだ。有難いことに、幾つかのお問い合わせも続いた。懇切丁寧に一つづつ噛み砕いて、ご説明させて頂いた。出来る限り、何とか、お解かり頂けるように頑張っていた。そう、我々に出来ることは、そんな事位に他に何もないのだろうか。だから、その製作にしても、何とか如何に巧みなそして、効率的に一番いい方法は無いかと、常々考えているものだろう。そうだ。そうなんだ。あのウルトラマン系の監督 故 実相寺昭雄さんの映画作品の『姑獲鳥の夏』の製作風景を斜めから撮ったものが手元にあって、昨日はそれを見ながら、延々、感慨無量に浸っていたものだった。舞台裏から映画の実際の製作風景を見られることと言うのは、中々少ないものだが、総勢100名近い実相寺組のプロの仕事が、映画のスクリーンからだけでは、決して解らないものであって、如何に厳しいものかと言うのが、とくと理解できたのだった。そして、そこに縦横に張り巡らされる超一流の感性というか、物凄い計算し尽された映像の そして光の組み立て、或いは役者の如何に細かな所に至るまで、指示、アドバイスが何十にも重ねられて、1カットが製作されて行くのかが、仕事は全く違えども、痛く理解出来たものだった。こちらでは、単なる発泡スチロールの1次的な加工止まりである。様々な開発関係、或いは緩衝材、オーダーブロックの加工、等といったところであるから、全く直接的には、素材の流れの上流と下流の末端ほどにもかけ離れてはいるのだろうが、何と言うか、仕事に賭ける真剣さ、全霊全身をその1カットに集中して製作が為されているというのが、大変参考になったものだ。まあ、同じ、カットではあっても、こちらは発泡スチロールのカットであって、映画の1カットシーンでは無いのは、「しゃれ」の字のままだが、、、、

フジカット有限会社
Copyright 2002 Fujicut Co.,LTD.
All rights reserved.