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営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
                       
                                                             

                                           



2007年8月30日 雨のち雨っぽい 30度
漸く、酷暑の方は高い山を降り始めたのだろうか。何となく、地球の温暖化が全ての遠因と思えるような夏でもあったが、過去振り返ると、この程度の暑い夏は、瞬間最高気温は流石にそうそう出ていなくとも、猛暑の続いた夏は何度もあったようだ。だから、不安をことさら煽るようなことは、慎まなければならないのかもしれない。反面、海に囲まれた日本は、まだ運が良いのだろうか。隣の大国が、工業化の嵐の中で、環境汚染された大気に工場排気の熱気流が流れてくれば、こんな猛暑で、もし地続きなら、とっくに乾燥して干からびて、砂漠になっていたのかもしれない。、、、おっと、時間が過ぎて行く。残念だ。ろくな更新にもなっていないのは情けない限りか。

 里芋に あんかけ食らい 送る夏 見上げし雲に目は涙  白い飯さえ 及ばざらしも  (昭和82年 秋)


2007年8月29日 曇り時々にわか雨  32度
予報によると終日雨であったが、実際にはさーと降っては降り止まる変則的な一日であり、却って不快指数が上がっていたのではないのだろうか。こうして、今日も朝から例の製作が続いた。取り敢えずは例の4分割仕様の加工を優先していたのだが、それ以外にも急ぎの製作も幾つか入り、バタバタと歩き回って、終日バッタのようであった。バッタと言えば、グラスホッパー。そう言えば、NHKのみんなの歌に『グラスホッパー物語』という歌が流れていたのを ふと思い出した。おじいさんのグラスホッパーが歌い語るのだった。、、、、さて、こちらに書き込む事柄として、様々な発泡スチロールの実際の製作工程を解説入りで追加更新していくのはどうだろうか、と考えた。それを何年も積み重ねて行けば、工作辞典のようになるのだろう。面白そうだ。早速、そうしたいものだ。そうだ、まず、あのドラゴンの製作風景をUPしてみたいものだ。先日、ブロックを納品させて頂いたのだが、製作のほうはどこまで進んでいるのだろうか。楽しみだ。、、、おっと、先日の土曜日がお祭りの当日だったようですね。優勝出来ましたでしょうか。きっと優勝でしょうね


2007年8月28日 曇り10時ごろ一雨のち晴れ 32度
雨に期待したがそれ程でもない。気紛れに庭に少し水やりでもした程度か。今日も例の製作が続いた。急ぎの製作も入り、結果的に終日バタバタしていた一日でもあった。そして、何故かお電話のお問い合わせと言うものは短時間の夕立のように重なった珍しい日でもあった。確かに時々そのような変化日というのがやってくるのだ。不思議なものだ。丸で、人智を超えているのだろうか。よく解らない。我々はそんな時、唯、只管に前を向いて、頑張る他にないのかもしれない。こう書いてみて、その場の臨場感をどれだけ表現出来るだろうか。丸で、こんな素人の物書きには及ばない芸当だろうか。それは、先日の例の黄金比率を発見して製作に掛かった時の驚きとは又、別のものかもしれない。黄金比率については、当初、寝屋川の聖母女学院の近くの例の教会に吹田から転任された関係者にお聞きするのが一番だと思いながら、バタバタしてそれも出来ず、結局 千里の方にある教会の関係者に、ツテを頼りに、それを実際にご使用なさる神父及び信者様や関係者諸兄に敢えて、ご質問させて頂くのがやっとではあったが、今回その製作の依頼主からすれば、その製作に当たって、そこまでして本物の寸法法則を極めた製作を目指したこと自体、恐らく少なくとも依頼主には評価していただけると確信しているものだ。黄金比率とは、又の名を神の比率と呼ばれているものだ。過去遡れば、エジプトのピラミッドの中にも出てくるのだから、恐らくインドの曼荼羅などにもひょっとして見られるのかもしれない、し、個人的には世界の繁栄と滅亡を繰り返す文明の多くにこれが存在して来たのではないだろうかと考える。それはそれは不思議な比率だ。それが、何故なのだろうか。実地で、本物の見本を拝見させて頂き、寸法をその本物から採寸させて頂くと、矢張りその比率に極めて近い形状になっていたのには、正直、驚いたものだ。ひょっとすると、あの美しい五重の塔の垂直と横に甍を広げた寸法比もこの黄金比率に近い構造を示しているのだろうか。全く推測の域なので解らないのだが。確かに不思議なものだ。この比率によって作られたものには、精神の平安と安定をもたらすと言うが、恐らく客観的に見て、その通りなのだろうか。しかし、一歩踏み込んで、我々はそれほどまでに、そのような数字的なものに、過去歴史の遥か以前の太古の時代から本当に、拘束されて生きて来たのだろうか。我々自身がその数字を好むのか、それともそのような数字が我々をして決定して来たのか、よく解らないが。考えれば考えるほど、不思議な製作体験ではあった。


2007年8月27日 晴れ 37度
また、見出しをやめた。と言うのには特に意味はない。そして、大変な猛暑の続く中、今日も例の製作が続いた。有難い事に幾つかのお問い合わせも続いた。時間に余裕があれば、例の続きをしなければならないのだが、どうも熱中症や脱水症が、テレビの世界陸上でも話題になっている所を見ると、気力体力共にセーブして、延命を図りたくなるのが、この天気だろうか。しかし、夏物商材は動いたのだろうか。これだけ暑いのだから、きっと動いたのだろうと思いたい。否、今じゃ人口の半数以上は住む関東周辺はどうだったのだろうか。そこが動かないことには、市場の雰囲気は好転しないのだろうか。しかし、好転しても国内全般、地方にまで波及効果があるのかどうかになって来るだろうか。都市近辺にて効果が閉じてしまえば、また意味もない猛暑に過ぎない理由だ。あれ、もうこんな時間だ。では失礼


2007年8月26日 晴れ 36,4度
矢張り、2ヶ月前南ヨーロッパを襲った熱波が2ヶ月遅れで日本に来ているのだろうか。やっとひと雨あっての後の猛暑は流石に身体に堪えるようだ。折角の休日に、例の加工機の再編成など予定していたのだが、外へ出る気力すら起こらず、終日ダウン。夕方になって、漸く、近くのスーパーの3階にあるゲーセンへ。今月の小遣い銭の残り300円を持って、涼みを求めて出掛ける気になった。今月は、特に同窓会などあって散財していた。しかし、これは発泡スチロールの成型機を20年近く触っていた為に発症する職業病だろうか。クレーンゲームを見ると、腕がうずうずして、付いてもいない蒸気配管を探したり、エアーバルブを回した心算になったり、タイマーの打ち込み画面とコイン投入口を間違えたりしても、どうしても稼動調整をしたくなるものだ。そして、また今日も、2枚目のコインで、5800円相当の携帯ゲーム機を1台ゲットしていた。有難いものだ。すると、急に人間やる気が沸いてくるのだ。なんと妙な存在だろうか。


2007年8月25日 晴れ 35度

要点
それは、「品質、コスト、納期」ではなく、今では「品質、機能、デザイン、コスト、納期」の順に変化している流れを見ていかなければ先が見えないらしい。機能性とデザイン、特に重要な変化は、そのデザインにあるのだろうか。奇抜で受けを狙ったものから、大衆に語りかける芸術的なものや、遊び心や癒しまで、今日も、そんなことをあれこれ考えながら例の製作を進めた。

その後、面白実験室の更新に時間を割いでしまった。では、この辺で失礼



2007年8月24日 晴れ  36度


開発
今日も朝から例の自前の加工機を使っての加工が続いた。その後、続けて昼からは、もうひとつの自前の加工機を使った急ぎの製作になった。暑さのぶり返す中、ここで負けてはならないとばかり 踏ん張って作業を進めた。この分だと出来上がるまでには相当夜も遅くなっているのだろうか。そこで、ボトルの麦茶を飲みながらこの長帳場に一息ついた。ふとまた昨日の研究所のS君の話が頭をもたげた。そう、「勝てば官軍」の話だ。我々のような商売では常に付きまとう問題だ。遊んでいてお金は入ってこない。楽して儲からない。それならば、どうするのか。ここで、この自前の加工機を見ながら、今更、と言うべきか、そう言えば確かに、他にはない加工道具を自前で作って揃えると、やっぱり結構注文も長続きするものだと気が付いた。やっぱりか。ほら、昨日テレビでしていた流木で家具を作る選手権の番組でも、皆さんこだわりの道具を無数に揃えておられたのを思い出した。そういう事だろうか。自前の独自の加工機をどれだけ揃えているかどうか、なのだろう。矢張り、矢張り最後に残るのは、アイデアであり、技術なのだろうか。確かに、昔より言われる「品質 納期 コスト」の問題もあるのだろうが、我々のような所では、まず乾いたタオルを絞ってでも、何とか鋭いアイデアが閃くことが重要なのだろうか。さあ、この辺にして続きの作業だ。では失礼


2007年8月23日 朝から雷雨昼までに止む 夕方再度雷雨  32度


勝負
この前の中学の同窓会の3次会でNハム研究所のsくんと、水割りを傾けながら話していたことが、ふと思い出されて、朝から脳裏を離れないまま、今日も例の製作を進めた。sくん曰く「、、、、ふじやん!その通りだ、ローマ帝国が支配した時代からでもいい、歴史ではいつもいつもの事で、残念だが 勝てば官軍なんや」との一言だ。何を話していてそんな話になったのか、全く覚えていないのだか、どうも 例の製作を進めながら 何度も その言葉が心に浮かび上がって来た。指摘の通りだ。我々のような中小企業においても、その歴史の論理は、残念だが貫徹させられている。確かに今は資本の現世謳歌する世の中だから、軍隊が強いか弱いかがすべてを支配するローマのような帝国が存在することはないはずだ。その代りだろうか、商売を通しての競争で殆ど決まるのだ。勝てば官軍である。負ければ、立ち去るのみなのだろうか。日々、そんなシビアーな競争化社会の中で、浮き沈みを繰り返しているのが我々のような中小零細企業なのだろう。世間で言うところの景気の拡大局面に関わらず、一向に増えない所得。転職が好機となるはずが、半値八掛け2割引の成功率。どんどん増える貯蓄ゼロ世帯。日雇い派遣に日替わりバイトが続けば、その内、仕舞いに 100円回るパートで目も回り、1日1”膳”何して暮らす、と言った具合だ。これじゃいけない。これでいいのか、、、何んて、声を挙げた途端、「隙あり」とばかりに、足元をすくわれる世の中だ。そうだ。そうなんだ。だから、勝ち続けなければ企業の明日はないのだろう。、、、しかし、そこで、ふと、立ち止まって見た。振り返って見た。本当は、商売とは何だったのだろうか、、、、と。夕方、どこの学生さんだろうか。問い合わせの後「いま、順に一番安いところを捜しています」と何と学生さんらしく、正直に話してくださった。もう10社以上聞いて回っているらしいので、「それなら、値段を任せるから勝手に決めてくれ」と答えていた。朝からそんな事を考えていたせいだろうか、特に、それほどまでして、値段がすべての風潮に少し、逆らっているところもありますよ、と行間に込めていたのだが、学生さんにそれが伝わったかどうかは解らない。もともと、もの作りの場合、値段で買ってもらえるだけなのだろうか。それでいいのだろうか。それで良いのなら、その内、もの作りは何もかも中国へ行ってしまうのだろう。学生さんの仕事もやがて皆、海外へ行くのだろうか。こうして、5年近くネットを開いていると、東西どちらも、それほど値段に開きはないものだろうと解ってきた。同じものを作るのに値段が違うのではない、皆きっと同じものを作っていないのだ。では、何で勝負するのか、だろう。何で勝負するべきか。それなんだ


2007年8月22日 晴れ時々曇り  35度

逆転
今日も暑い中、例の製作が続いた。こうして様々な製作を続けているのだが、昨日からの例の難題は、一晩寝て起きると、ひょっこり、浮かんだアイデアで、難なく乗り切ることが出来た。矢張り、寝ている間に脳内で勝手にその課題が整理されて、最も好都合な方法を探し出し、目が覚めると同時に、充分熟成して出来上がった「ひらめき」が意識の上に表示されて来たようなものか。我ながら、不思議なものだ。早速、それ用に簡単な道具を組み立てて製作を続けた訳だ。暫くは実に気持ちよく、ちょっとしたその難関を突破出来ると言うのは、何とも爽快なものか。しかし、これは仕事である。こうして、間髪入れず、また次の課題への取り組みが始まる。昼3時の休憩の時だった。甲子園の高校野球が小さな食堂のテレビに映っていた。決勝戦だ。4対1から逆転満塁ホームランが飛び出したその瞬間を見た。そのまま、釘付け、そして9回表、ゲームセットまで休憩時間内ぎりぎりまで見ることが出来た。今年の夏の甲子園は最後の最後まで、面白い場面が続いたものだ。逆転、また逆転だ。およそ、我々のような物つくりを続けている現場では、余りハラハラドキドキといった人と人のぶつかり会う場面は少ないのかもしれない。しかし、たった1本のラジオペンチをひねるだけでも、厳密に見れば、時には こうすれば、こうなったと言う場面だけでなく、意外と全く思いも寄らぬ結果に繋がっていくと言うことが、起こりうるものだ。技術開発や 或いは研究発見を目指して日々頑張っている現場など、その典型だろう。大きく見れば、人類の歴史なんて、その連続なのだろう。皆、何とかならないものか、どうにかその苦難難題を乗り越えられないか、と日夜頑張っているのだろう。だから余計に、それまで負けていた側が、そんな逆転の場面に出会うと気持ちいいものだ。


2007年8月21日 晴れ 36度

課題
今日も例の製作が続いた。急な製作も入り、終日 引き締まった動きになっている。そんな中、本日もその今までにない製作が可能かどうかと言った依頼があった。漸く、他の作業も一段落して、それに取り組むことにした。振り返ってみれば、確かに、このような 無数の課題を 一段一段解決しては積み上げて ここまで来たのかもしれない。今までに やったことが無い事、そんな事への挑戦を この 猛暑の続く くそ暑い中、矢張り、それでも前向きに取り組んで行くことにした。出来なければ、今までのような製作方法もあることにはある。切って貼ってと繰り返せば難なく出来るのだろう。しかし、それではだめなんだ。それをせず、また、最初から、段取りをひっくり返して、一から始めようとしている訳だ。時間だけではない、出来なければ、相当程度、後退することになるのだろう。敢えて、何故また今、その課題に取り組もうと言うのだろうか。何か秘策はあるのだろうか。作戦立てて 机上で勝ってから勝負しろよ、と言うのが世間の常識だろう。だが、何もない。在るのは、自身、信頼することだけだろうか。課題に取り組むと言うことは、孤独な作業でもある訳か。それが仕事だ。頑張ろう


2007年8月20日 晴れ 38度

ブログ
今日も朝から例の製作が続いた。そして、様々な面白いお問い合わせも終日続いた。確かに、こう言ったスタイルで4年も経つと、様々な、経験則のようなものに気づいて、対応の仕方という事には慣れが出てくるのだろう。元々は、発泡スチロール工場の単なる技術者で20年来た者だ。それが、こうして少しづつではあるが、はっきりとしたコツのようなものも身体で憶えるように努力して来て、やっと、幾つか何となく見えて来たようだと思う。だから、余計に有難いものかも知れない。石の上にももう直ぐ5年か。もし、これが、勤続30年の営業職ならば、それはそれでまた違った経験則が成り立つのは当然だろうか。前向きに、ひたすら前向きに取り組んで行くしかないのだろうが、継続は確かに力なのだろう。最初、こちらの更新には、何をどう書いていけばいいのか、これでも随分と迷ったものだ。先日の同窓会で「ブログですか」と聞かれたりして、一瞬、括弧でくくり、頭の中で、名前をつけて保存する作業をしようとして、名前に戸惑ったものだ。確かに個人の日誌ではない。そんなことをここに出しても、何ら得るものもない。個人の日誌は小学校の5年頃から初めて早、38年以上になるが、最近では将にキュービズムさながらに、思考のヒントとして浮かんだことを、支離滅裂に並べているだけだから、誰が読んでも解らなくなっている記号の羅列に近くなっているので、なおさら そのようなものとは、かけ離れている。以前、これは、単なる文章の表現練習だと書いても見た。だが、どうだろうか、果たしてこうしてたらたらと書いて、意味あっただろうか。或いは、益するところがあっただろうか。繰り返すが、先日の同窓会で自己紹介をする時間があったのだが、流石に50歳、社会の中堅以上になっている紳士淑女の自己紹介は、皆 実に味わい深いものがあった。「やっぱりなあ」中学のクラスの学級会でも上手に意見してた連中は35年過ぎても、やっぱり上手やなあと痛感したものだ。そこに何が在って何が無かったのか。高校の教師をしているd君が矢張り味わい深いことを話していた。彼らしいと思ったし、見習いたいとも思ったものだ。ここがブログなら、そういうことを書いて行きたいものだ。


2007年8月19日 晴れ 38度

回天
回転式ボール盤の回転軸の振動と回転に伴った横揺れが、目が回るほどではないが、相当大きくなってきており、これではメンテを回避出来ないだろうと考えていたが、とてもそこまで首が回らないでは済まくなってしまった。そして、暫くメンテをしないことには、いよいよ、使い物にならなくなり、今月22日より修理に回す予定になっていた。有難いものだ。まだ、部品交換や回転軸の周辺整備、他の修理で新品の精度が蘇ってくれるのなら、それに越したことはないか。発泡スチロールを回転する刃で切断していくのには、まだまだ、それなりの味があるし、使い方によっては、8回転ウルトラCのようなことも出来ないこともないか。まあ、それよりも地球を何周も回転したりする宇宙旅行が始まった時代だ、様々な方法は、幾らでもあるのだろう。しかし、結局、今のところは、或いは依然として、その『手作り、ものつくり』にこだわり続けている。これで行こうと誰が言ったか、解らないのでそんな回想にも浸れず、出来れば、簡単なアイデア道具の積み上げと応用で、こうして、出来るところまで来ている訳か。昼から、日課のように近くの古本屋廻りへ 涼みに出掛けた。しかし、二日酔いか、本棚を見回すと、ふらふらと目が回り、時々ベンチに腰掛けながら粘った。外は回るい茹で卵か、回る串焼きでも瞬時に出来てしまいそうな熱波が続いている。何とかこの時間帯をここで涼んで、時間を潰そうと粘っていた。夕方までには時間もあり外れの電化店で涼みのはしごをした後、また、クーラーの壊れ、カタカタ音のする古びた扇風機が一台きりのところへ戻ると直ぐに、体力消耗を避けて横になったが、背中を軽く回しての寝返りをする間もなく、疲れて眠ってしまった。夜遅くふと目が覚め、テレビを付けると、映画『出口のない海』をしていた。


2007年8月18日 晴れ また39度

「4年も続けて書いて文章がうまくなりましたか」ある高校生からのご質問
メールを有難うございます。中学の同窓会があり、飲み過ぎでまだ、多少頭ががんがんしていますが端的にお答えいたします。4年程度では、殆ど上手くなっていません。ボードを叩くのが上手になったくらいです。文章を巧くするには、貴君の学校の現場か、作文教室のようなところで、書く技術を学ぶ必要はあるのだろうと思いますし、それ程巧くなくても、上手そうに見える文章に仕上げるには、矢張り豊富な語彙力と、尽きない話の種がいるのだと思います。語彙も種も意識して収集すれば、集まるのでしょうから、ある水準、世間的に、例えば本屋に並ぶようなレベルの文章にまで上げるのがご希望でしたら、まず、そちらから入るほうが確かに早道ではあると考えますよ。しかし、こちらのような徒然な書き込みでは、最近漸く、見出しを貼った程度ですので、話題も特に数が限られ(この同窓会に50歳台が大勢集まってどうしたこうしたと書いても仕方ないか)、もとより、一日の内、殆どを例の製作作業に追われている身では、任天堂の『漢字』をさらりと流す程度が関の山です、と書けば、以前にも書いておりますが、内容を読まなくても、斜めに眺めるだけで、何か新しい文字が詰まっていて、今日もまじめに更新しているなと、読者に分かりさえすればいい程度の文章で充分でありまして、と、そのことの言い訳にもなるかも知れませんね。例えば、土屋賢二の『人間は笑う葦である』には正面から正攻法で その巧さを見せてくれるように思いますし、そのうまいの真骨頂のようなエッセンスが、もう一方の雄、『日本以外すべて沈没』でも笑わせてくれた筒井康隆の『文学部唯野教授』などに見られると思います。どちらも、難しいことを如何に笑える内容にして、つまりは誰にでも分かり易いか 逆に分かり難いか、兎に角そのようにして、つまり、小さなことから大きな事への思いがけない移行によって、笑いを誘うべく、真面目に書けるか、の一点にあるように思えるのですが、いかがでしょうか。こちらでは、そのような文章の巧みな面白さに当たるところは、こうして4年続けた位では、確かに特に進展はありませんね。むしろ、繰り返しますが、朝から晩まで、来る日も来る日も、例の製作作業に追われている。今日も作業をしていた。朝から晩まで作業をしていた。時々、麦茶を詰め込んだペットボトルを、顔を下向け歯をむき出しにして、くわえぶら下げ、続けていた。目筋鼻筋を伝って流れる汗も、続けて落ちて、ボトルに入った。巧く入ったと気分が良くなった。


2007年8月17日 晴れ 39,6度(工場事務所横寒暖計)

意識について
今日も例の製作が続いた。実例集の更新も遅れている。まあ、こう暑いと、何もかも仕事にならない場面だろうか。気温は朝からどんどん上昇している。世の中、下がっているのはドルと日経位なのだろうか。戻ると、横になり、カタカタ音の気になる古びた扇風機にスイッチをつけても、回転を始めて風になってくれるまで、少し時間があるので、いつもその間、スイッチの横に置いた団扇をパタパタさせて 急場をしのいでいるのだが、今日は疲れからだろうか、何時頃から、そのパタパタを腹の上に投げ出して、扇風機からの風だけになって、心地よく そよ風に当たっていたのか、今となっては、丸で意識に残ってはいない。長い夢を見ていたのだろうか。よく、大著に、人の意識はその底辺で潜在意識や無意識となり、さらにその下には、誰にでも入り込んだ共通意識があるんだと、読んだこともあれば、昔、何度も講義を受けたこともあった。その潜在意識などは、よく、眠っていて見る夢の「夢判断」などと言ったところで使われているものだ。、、、、飲み屋を出て、商店街を歩いている。可也、酔っているようだ。自棄になっているのだろうか。そして、信号のある横断歩道の向こうにイッッツアのsくんが自転車に乗って待っているのが見える。「sくんやないですか」と、皆が叫ぶ。それから、ぞろぞろと、他のグループと合流して商店街の外れの飲み屋へ向かう。しかし、先に席を確保しに入った幹事が、閉店らしいと言って出てくる。また、長い長い うなぎのような商店街の中をぞろぞろ皆で歩いている。立ち話、長い過去の思い出を話す声があちこちで聞こえている。中国へ行って、海釣りの仕事をしている者もいると言う。富山へ行った人もいるらしい。懐かしい富山。そう、そんなこともあったのかと話が尽きない夢の中。この夢の中には、沢山の仲間がいるのだ。潜在意識にそれを求めているのだろうか。さらに、掘り下げて、意識下の言語以前の状態を表示する作業。 まるで、言語にならないのに、世界共通に通用するもの、例えば、「顔の絵文字」のようなもので記号として言語化する以前の、それを表す、丸で意味のみ通じれば事足りる世界なのだろうか。泣き笑いがあって、怒り、苦しみなど単純な意味ほど我々には世界共通するのだろう。しかし、2進法3進法のように、それらの組み合わせが連続して重なるのが我々の世界でもあれば、そんなに単純な意味も、複雑な我々の世界のあらゆる意味を表現してしまうのかもしれない。そんな、すべてを表現した意識下の意識。それを掘り下げよう。


2007年8月16日 晴れ 39,5度

休み明け
営業再開になる。しかし、特に昨日と変わらない。問い合わせもあれば、お見積もり等もごく平均的な一日であることを考えると、ネットからは、全国津々浦々の、同一盆休みというのが、崩れ初めているのが よく分かるものか。だから、あるところが休み明けでも、他では昨日から休みと言うところもあれば、例の研究所のように、生き物を扱っているところなど、全く関係なく開いているのだろう。しかし、周囲に目を向けると、矢張り、殆どの事業所や工場は休んでいる様子で、蝉の鳴き声ばかり聞こえて来る。おっと、こうしてはおれない。あれもしなければならない。これもしなければならない課題が山積みだ。例えば、HPの更新で、もっと見て読んで役に立つページをつくれ、との暖かいリクエストがあったので、どうしても、先を急いで更新に時間を割きたいと考えていたのだが、例の正十二面体、20面体の製作工程をUPするところで、暑さに参って、精一杯面体になった。正4と正8に関しては、京都の変な大学の多面体大好きおじさんで 25年間多面体作りに没頭されている数学先生が以前、その課題を持ち込まれてから、まだそのままになっているので、今回、頑張って更新まで行く積りだったが、休み明けで、とってもそこまで届かなかったのは、少し残念だ。あとひとつ、どうしても 例のみのもんたの『今日は何の日』で発泡スチロールの日をテレビで流していたのだが、それをカメラ撮りして、一部 問題のなさそうな範囲でUPしたいと考えている。それは、どうしても、発泡スチロールについて、同業者として、わずか7分程の短いものだが、大変面白い番組だったからだ。、、、、、先を急ごう。では失礼。


2007年8月15日 晴れ 39度

終戦記念日
休みの今日も雑用に追われて出て来たのだが、猛暑だ。ここまで気温が上昇してくると、流石に、ちょっと仕事にならないようだ。例の製作を続けるにも、こう暑いと、作業場に冷房完備でもなければ、扇風機ならぬ熱風機では体力にも限度がある。立っているだけで、ふらっと立眩みしそうになるし、かと言って、ペットボトルの麦茶をくわえながらでは、発泡スチロールを動かす作業よりも、茶を口に運んでいる回数のほうが多い位になるので、まるで仕事と呼べない状態だろうか。そして、上を向いて、口から一気に水分を投げ込んでも、瞬間的に、皮膚から湯気になって飛び出してくるようでは、その瞬間蒸発芸が、丸で手品でもやっているような見事さなので、目に入る汗をぬぐいながら、痛く感心している始末だった。まだまだ、作業はいくらでも控えているのだが、焦っても、仕方がないと諦めて、早々に手仕舞い、近くのホームセンターやショッピング街のクーラーの効いた店内をしばらく涼みのハシゴして、戻ったのは夕方になっていただろうか。こうして、今日もあっという間に時間が過ぎた。疲れか、横になって、カタカタとモーター音のする古びた扇風機を回すと直ぐ、うとうとして、眠ってしまった。夜半、気が付くと、付けたままのテレビから、あれはNHKか、終戦の特番が流れているのに目が覚めた。やけに激しい議論が交わされていた。


2007年8月14日 晴れのち一瞬の30秒程度のにわか雨 36度

見出しについて
町田何某というある有名な作家の本をぱらぱらしていて閃いたのだった。そう、各 短い文章に見出しが入っているのだ。そんな見出し文の威勢のいいのをさーっとまとめれば、きちっとした一冊の売れる本に製本されて、本屋で、他のそれらしい新しい新刊と肩を並べているという、まあ考えてみれば何でもないことに改めて気がついたと言う程度の発見ではあったのだ。何故今までそんなことに気が付かなかったのだろうか。或いは、どうでもいいことのようにスルーしていたのだろうか。よく解らないが、それで、早速本日から見出しを入れてみることにした。テーマが出来れば、書き手はそれに向かって話題を集中するので結構引き締まったものになるのだろうし、読み手を意識した内容のあるものに きっとなるのだろうか。反面 徒然なるままには行かないのだろう。徒然が行かなければ、こんな駄文の更新も重くなって継続出来るだろうかと言った心配も出るだろう。だから、見出しを付けるといっても、つれづれな見出しに留めておくべきかもしれない。或いは、それほど カッコよく見出しを付けるほどに、ここは内容の豊富な書き込みでも無ければ、人様のためになるものでもなし、はてさて、こうして、ここのように なにやら得体の知れないことを毎日切ったり貼ったりしているようなHPが、突然妙な製作にヤケを起こしてぶっ壊れたり、電源を抜いて静かに途切れたりするような意外なことも無く、今日も例の製作を続けながら、何とか回転しているな、と新聞の見出しでも斜めに読むように、斜めにHPを開いて見れば分かる位の 軽いノリで済ます程度を当てにすることで、 100%充分ではあった、そんなWebの田舎なページ地方なのだ。文字がある程度何行か新規にごちゃごちゃ埋まっていればいいのだろう。「て に お は 」と何か訳のわからない文字列が続いておれば、何となく有難く成るのかもしれない程度の駄文。つまり、他人様に向かって、全然構えることもないだろうという判断も、或いは正しかったのかも知れない。それを敢えて、こんな見出しなど屋台の上に付け その上、ねじり鉢巻に横断幕に、キビ団子など持って出掛けるということは、つまり、いよいよ、そこから一歩脱皮するべき時期が来たのだと、岩の上に駆け上がって、満月に遠吠えする 、、、なんていうのも良いかも知れない訳だ。では、この辺で失礼


2007年8月13日 晴れ 36度
それでも例年よりその暑さの期間が遅れて始まったのには意味を設けるべきだろうか、確かに難しい判断かもしれない。海流の関係からは、温暖化が進めば、突如 海流の深層海流と表層海流のリンクが切れて、数年という物凄い短期に地表の寒冷化と氷河期へという逆転現象が起きるという説があるが、その入り口がどこになるのかが見えてこない。例の南極の氷が融け出せば、逆に南極周辺の広い海域に0度以下の地域が広がって氷塊層が増える。と、海面が下がる。温暖化で地球の海面は下がるのだ。下がれば、海流が流れを弱め、益々高緯度から順番に、そして急激に冷やされて行く、という論理なのだ。温暖化で備えなければならないのは、だから氷河期だというものだ。これは、地球に降り注ぐエネルギーの総量からも、或いは過去の温暖な時期と寒冷な時期の変化が必ずしもCO2の量に比例するものではないというデータからも、読み取れるそうだから、矢張りといった感であったが、この暑さからは、どうも一体どっちへ向かっているのか、速くはっきりしてもらいたいものだ。そうして、例の製作も続く。頭に水を掛けながらの製作であったが、気力も続かず、早々に作業を置いた。戻ると、今年も壊れたまま3年が過ぎ、全体に厚く絨毯のような白い埃を被ったクーラーの下で、その雲わたのような白い埃を吹き飛ばすように、カタカタ回る扇風機をかけて 横になると、疲れが出たのかそのまま眠ってしまった。明け方、すこしひんやりするので目が覚めると、さあ、また仕事だ。我々に仕事以外に残されたものは何もないのだと言い聞かせて、仕事に出掛けようと、気分だけは覇気は衰えていないなあと厭に感心して、その反動か、感心したことに自己満足したのか、また、そのまま寝転んだかと思うと、さっきの覚醒は、まるで夢の世界の出来事だったように思えて来たのは、まだ意識が在る間であったようだ。


2007年8月12日  晴れ 35度
更新作業も変則的なものになって早1週間が過ぎている。急ぎの出荷が1件入り、結局今日の休みも潰れた。我々のような中小に働く者達には、1年365日、休日は不要なのだろうか。手が酢味噌、顔が蛸スミになるまで働かなければならないのだろうか。この分だと、18日の中学の同窓会も出席出来るか解らなくなって来たなあ。仕方なく、と言うか、もったいないと言うべきか、空いた時間も、例の加工の製作になった。例の加工の件を始めたのなら、折角なので、その間、例の1箱100個以上梱包詰め合わせが課題の例のサンプルの制作にもかかった。しかし、正攻法では、矢張り其のサイズには、計84個までで精一杯だったと漸く解るまでには、本ちゃん同然の完成品サンプルを出来た上でないと、解らない数字だった。まあ、ここまでしてくれる会社は他にはないだろうなあ。と35度の猛暑の中、そう思い直すのかやっとでもあったが、しかし、続けて、目標の100個以上の梱包が可能な緩衝形態を考えて行かなければならない訳か。本当に、営利だけではここまで出来ないぞ、と汗を拭きながら作業を進めた。いつもは、第二京阪の延長に伴う抜け道の影響か10トントラックが隙間なく走って混雑している向かいの道路も流石に今日は空いてガラガラで 周囲は嫌に静かではある。蝉の鳴く声ばかりが聞こえる盆休の街の静けさか。そう、その上に、こうした更新作業を自ら課しているのだから、仕方がないか。ここに書くのは、振り返り、或いはまとめ、今後を予測するためにも我ながら僅かな勉強時間ではある。情勢の変化に、どう対応していくべきか、たったそれだけのことなのだ。たったそれだけの極 簡単なことだ。仰ぎ見れば、この世界の情勢の変化が見える。覇権と血を流す戦争に、金と血を流さない経済戦争があり、脈打つように振れる振り子の揺り戻しがあり、また新たなる2項対立の矛盾の主従の入れ替わりが始まろうとしているかのような流れが見える。それが世界、世界の常なる歴史か。ローマは一日でならず。しかし、1000年も続かず。正味何年が花だったのだろうか。何と、鮮やかに、よく見えることだろうか、この先が。商売人には、この変化は、将にチャンスと写るのだろうな。危機は一方でチャンスであるべきか。


2007年8月11日 晴れ 35,5度
結局成り行きで今日も例の製作となった。この分だと、今年も盆休みはなさそうだ。そして、例の加工に加え、例の試作に対してまた別の方法はないか、結局無駄に時間を浪費するだけではないかと思いながらも、あれこれと探し出していた。夕方になって例の1m球の加工方法について、矢張り見直しをするごとを考えた。この方法ではまだまだ、時間がかかり過ぎるようだからだ。そして、仕上げにやたら磨きを掛けなければならないのは大変だ。熱線カットの切れのよさを出したいものだ。そう考えただけでまた時間が延々と経過していくのだろう。飽くなき、改良の繰り返しだけなのだろうか。頑張るほかにない。そして、例の1箱100個以上を目標にそれを収める方法についても、平行して検討しなければならない。暫くボール盤が言うことを聞かなくなっているので、例えば櫛型で対応できないかどうか、いずれにしろ、またその、どうなるのか全く解らない結果を、どうなるか解らないサンプルとして形にしていかなければならないのだろう。他に、していかなければならない事は、まさしく山ほどあるのだ。ひとつひとつ努力努力でやっていくしかない。我々のような中小企業の多くは、生活の一部が仕事ではなく、寝起きし、住み込み仕事の一部に生活が申し訳程度にぶら下がっている以上に、仕事仕事で来て、やっと世間様並か、まだそれでも手が届かないほどなのかもしれない。前向きに倒れないことには、或いは倒れて道端の側溝に顔を埋めて泥まみれになっても、それでも、もがきもがいて、起き上がって、這い上がってでも、かじりついてでも仕事をしていかなければならないのかも知れない。前進あるのみ。さあ、次だ


2007年8月10日 晴れ 35度
暑い中、今日も例の製作を続けた。有難い事に今年の夏の動きは例年とは また、格別違ったものになっているのは、暑いだけではないようだ。特に、ボール盤の加工機の調子が落ちてから、その修理を依頼している古い付き合いの業者さんを2ヶ月も待っていたのだが、もうとっくに忘れ去られてしまったのだろうかと、半ば諦めていたのだが、本日、大阪松原の方からひょっこり見えられた。帰省の渋滞にて片道なんと4時間半もかかり、朝出て、3時前にお着きになったのだった。ボール盤製造修理メンテに係って55年。今年75歳の現役バリバリの職人さんだ。盤を撫でただけでどこが悪いか解ってしまうという。図面はすべて頭に叩き込んである。どうして、お呼びしてからこんなに時間が空いたとお聞きすると「静脈瘤の検査と手術で入院していた」とお答えがあり、その時の模様を事細かに話してくださった。将に、人生振り返ると、綱渡りのようなものか。あの時、そしてあの人にあんな形で出会いが無ければ、今でも入院していただろうに、はたまた、とっくに冷たくなっていたかもしれない。人生とは、紙一重で幸不幸とやってくるものだろうか。解らない。そして、其の後、あの発泡スチロールの元工場長が、ひょっこりお見えになった。数ヶ月前、原因不明の発作に襲われ家で倒れて救急車で運ばれ、集中治療室で1週間、生死の境を彷徨っていたそうだ。こんな話は何とも不思議と重なるものか。もう直ぐ迎え盆だから なのだろうか。元工場長もようやく退院まで漕ぎ着け、リハビリを兼ねて、土産に京都の農家で頂いた朝取り立ての京野菜を持って、会社まで来られた訳だ。こうして、我々は生きているのだ。様々な繋がりの中で。どうしても、過去そして先祖 或いは、短い自分史を否が応でも振り返る気分にさせるのは、そういう時期なのだろうか。そう言えば、もう5年前になるか。漫画家の鎌田くんと象牙の塔の今は亡き恩師の自宅に線香を上げに行ったのは今頃だった。先生の研究部屋に掲げられた遺影を仰ぎ見て、「なんや 先生やないですか」と思わず声が出てしまったのを記憶している。、、、、おっと こうしては いられない。時間が無い。次の作業だ。


2007年8月9日 晴れ 35度
そう言えば、もうすっかりここに、歌を書き込むことも無くなってしまったなと思いながら、今日も例の製作を続けた。こんな時、3年間同じだった高校の国語の先生が、卒業を前に最後の授業だったか、よく覚えていないのだが、これだけは覚えておけ、と語ったことを思い出す。読書、 日記に、新聞の切り抜きの3点 だった。あれからでも、もう32年が過ぎた。恩師はもうとっくにこの世にいない。新聞の切り抜きも、ネットが気軽に出来るようになってからは、丸でしなくなったし、新聞も20歳台は3紙4紙と購読していたのだが、これも同様に或いは資金的余裕の無さから しなくなった。読書については、もとより 時速10ページがやっとの速さでは、一向に進まないままだ。読書ノートをつけることも30歳を過ぎた頃には、ノートそのものも何処かに行って解らなくなった。こうして、残る日誌については、かろうじて、30年程、延々と続いてきたのだが、結局、こんな公開の場に詰まらない駄文を更新し始めて4年、余程、我ながら、余裕がなくなったのだろうか、丸で書かなくなってしまった。文化的後退なのだろうか。或いは、飢えた自分を前にして、文学は有効ではないのだろうか。そんな、生活の瀬戸際に来ているのだろう。だから、ここに好きな『百人一首』まで書かなくなってしまっているのは、繰り返すが、残念だ。おっと、『暑中見舞い』のたった一枚の葉書すら、今年は出さなくなってしまったのは、さらに後悔している。、、、暑中見舞いで思い出したが、もう直ぐ、中学の同窓会があるのだった。5年ぶりだそうだ。(Nハム研究所のS君とは毎年同窓会をしているなあ。)(sトリーの奥さん来るかなあ)。そう言えば、PCデッキのある足元には、誰が製作したのだろうか、今から35年前、中学の技術の時間に、全く覚えていないのだが誰かが製作した木製の本立てが今でも後生大事に置いてある。これは、要らないからと誰かにもらったものだ。実は、私は中学の時、今は亡き担任の技術科の先生に何故か反発して、皆が木製の本立てを製作するように言われているのに関わらず、勝手にその木の材料で木製の(その時は自分では素晴らしい出来栄えだと考えていた)小さな温室を製作していたのだった。だから、本立てはひとつも作らなかったのだ。それに、何故か、技術の先生は全く怒らなかったし。大きさは、本立て程度の材料だから、机に乗る程度のものだったが、確かに覚えているのは、「これで地球を少しは救える」という揚々たる気分に浸っていたことだろうか。「雑草でもいいんだ。少しでも緑を増やすんだ」と。もとより、そんな小さな温室では、何も出来ないことは解っていた筈なのに、それでも この地球を少しでも緑化出来るんだという気分。14歳の秋だったか、いい思い出だった。


2007年8月8日 晴れ 34度
そして今日も例の製作が続いた。遅れていた製作も何とか目途がつき、明日には発送できるものもあったし、これから工夫の道具を考案して製作に掛かろうというものも一件あった上に、そこへ、先日お客様よりご依頼の サンプル用のものも昼過ぎになって届き、どのような作戦で製作に掛かろうかと考えあぐねていたものもあった。だから、またまた、終始本気を出して事に当たる以外になかった。そして、今日もあっという間に日が暮れていった。まだ、昼勤務だけだから、と、安穏としていられるんだと、タカをくくってはいけない。確かに、あの頃、あの「悲しき発泡スチロールマン」が街に徘徊していた頃は、朝昼夜とほぼ24時間体制での勤務が何年続いたのだろうか。20年近かったか。朝から仕事で夜まで掛かり、夜になってもまた仕事で、明け方また呼び出しでそのまま夕方まで仕事と、休みも無ければ休憩も無い24時間356日の延々と途切れることのない無茶苦茶なサイクルでの仕事だったから 苦しいの一言であったが、よく頑張って来たと思う。前向きに、ただ只管 前向きに、本気を出して頑張って進んでいくしかない。ダカーポの『紙風船』ではないが、「落ちーて来ーたーら♪ 今度はもーうおーおとー♪ 高くー♪高くー♪ 打ち上げよーうおーおよー♪」の気分で頑張るしかないのだろう。不思議の工業立国日本にあって、『ものつくり』の末端のそのまた末端を担う自負心があるのなら、何とか前向きに頑張る以外にない。同志諸君に栄冠あれ


2007年8月7日 晴れ 34度
もう暫く変則体制になるので、更新もちょっと空いた時間にすることになる。今日も例の製作が続いた。幾つかのお問い合わせもあった。どうやら、周辺の会社では長い夏休みに突入したところもあるようだ。幾つもの工場の様々な生産ラインから流れる雑音が重奏組曲のようになって遠耳に聞こえてくるのだが、どうも音色がいつもと違うようだからだ。どこの工場が止まったのだろう。低音がないし、重みもない。もう、皆遠方を見ながら仕事に気が入らナイザー症候群が徐々に迫っていると言ったところだろうか。こんな時、本当は周辺を見回し、よくよく今後の情勢に対して、深く考えて行くべきなのかもしれない。例の加工機はどうしたか。そして、さらに、あの加工については如何にするべきか、或いは、折角このようなWEBを使っているのだから、さらに充実した更新を行い、何かさらに突飛なアイデアでもあれば進んで取り組んで行く必要もあるのだろうか。景気はどうか。本当に良くなって来ていると耳にタコが出来るほど聞いているが、今日も積み込みに来られた材木屋のアルジが「もう、あかんなんか言うてられへんわー」とぼやいておられたのだが、いつまで海外の木材を大量に輸入して行くのだろうか。今すぐにでも、全面輸入禁止にする位でないと、地球温暖化は止まらないのだろうか。それなら、少なくとも国内林のみでやって行かなければならないはずだ。なんて話すと、きっと「解ってないなあ」の返事もそこそこに、煙たそうに向こうへ行ってしまうのが落ちだろうか。日本なんて、世界の森林伐採の何パーセントを消費しているのだろうか。それなのに、一体誰が森林オーナーで元本割れを黙っていたんだろうか、と後ろ姿が話している。残念でしたね。今度はジャンボでひと山当ててくださいと、後ろから掛けた声は届かないようだった。ふと、こちらでも名案が浮かんだ。『発泡スチロール』改めこれからは、『幸せ一杯、HAPPY ハッピースーチーちゃんロールを彼方に!』というのはどうだろうか。これなら、みんな、黙って発泡スチロールを買ってくれないだろうか


2007年8月6日 晴れ 33度
今日も例の製作が続いた。また、いつもの変わらぬ様々な方面からのお問い合わせも結構続いた。出来るだけ、個々、前向きにお答えに応じたつもりだったので、またいつもにもなく、日が暮れるのは早い。急な製作も入った。深い事情あって直ぐにでもその製作を始めて欲しいとの方の為にこれまた出来る限り、頑張った積もりだ。 こうして、4年間一日も欠かさず、毎日毎日更新を続けてきて、今回 図らずも4,5日間 PCを離れることになって見ると、確かにある意味で、世の中の見方も少し違って来たような気がするのは不思議なものか。例えば、本当に我々の世界は、随分と狭くなったものなのだろうか。随所に、世界の片鱗が見え隠れし、とても日本的村社会の習慣が通じない場面が否応なく現れて来たのだろうか。若い学生さんに働きながら勉強しろとは、今ではどうも話しにくいのは何故だろうか。海外研修生の増加で、日本の学生さんのアルバイト先も昔のように勉強しながら出来る仕事が少なくなったのだ。「そんなのあれば、研修生に持って行かれるんだ」、って声を聞いてしまったのは、何とも感慨無量だ。一方、近所の若い学生さんで、「新潟へボランティアに行くんだ」とリュック片手に出掛けたグループがあるのもこの休みに見掛けた。果たして、出掛けたは良いがこの先どうしただろうか。格差と競争ばかり歌われて来たご時勢だ。何らかの新しい流れを生み出そうとするのだろうか。


2007年8月6日 朝
シェークスピアの劇の『真夏の夜の夢』なら、交換ばかりが次々に繰り替えされ、やがてハッピーエンドを迎えるのだろうが、夏の夜の美しい流星群の中から隕石がひとつ落下して、ノートPCキーボード中央に目視では判別不能な窪みであったが、表面カバーと内部基盤の間に大きな隙間ができ、読み込みモーターは勿論、基盤本体に20度近い相当激しい歪みを生じてしまうと、最早回復出来ない状態であることが判るまでには少し時間を要した。偶々、7月30日にバックアップを取っていたので何とか全滅はかろうじて避けられたのだが、大変申し訳ないが、以後30日31日そして8月1日終日分のデータはすべて消えてしまった。また、ようやく、今になって代用PCの立ち上げまで漕ぎ着け、メールを開く作業の手前までになったので、ここに少し、更新の再開とお詫びを記しております。関係諸兄には大変ご迷惑をおかけ致しました。今後、ネット環境の今回のような急な事態への対応が可能なように何らかの発展的解決策を打ち出す予定でございます。早、4年、10万を越える訪問者、1万人を越える新規メールのお問い合わせ者、数々のその後のやり取り、流石にPC自身には負荷も大きくなっていたのでしょうか。何ともかんとも仕方がないのでしょうか。ハードが破損してしまっては、陸に上がったカッパそのままでありました。西暦300年頃、エジプトのアレキサンドリアの世界最大の図書館がローマ人に焼かれた時、もし、パピルスの葉や木簡ではなく、石彫ならきっと今でも貴重な文化遺産として残されて、世界の歴史も随分と変わっていただろうになと、ふと思ったのは、カッパになった感想だろうか。さあ、今日から再開だ










2007年8月1日 晴れ 31度
今日も例の製作を続けた。ただ、それだけではあったが、本気だった。一心不乱にただ今日の製作に掛かっていた。或いは、他の様々な付帯事項というのか、目の前にある、この仕事に対して、前向きに、ただひたすら、本気で頑張っていた。今までも、そうして取り組んで来たように、今日も一日、やれるところまで本気になって頑張った。ただ、それだけのこと、書き留めるほどのことでもないかもしれない。、、、、、早、陽が暮れ、倒れるように眠ると、また、夢の中で、仕事をしていた。発泡スチロールの金型交換作業、機械は28号機、コア側、ピストンリングの12φオーリングが切れている。無視して交換作業を進めるか、それとも今、この時、作業を中断して、修理を開始するかの判断、このままでは、蒸気圧が抑えられないかもしれない。しかし、これ位ならまだ、微調整で逃げ切りが出来るかもしれない。構内は43度を越える。時間はどんどん押してくる。体力も持たないかもしれない、朝から連続の金型交換が続いていた。さあどうする。ほっておけば、2勤でトラブル発生もありうる。さあ、どうする、さあ。しかし、この商品の在庫は切れ、納期は迫り、直ぐにでも出荷まで行かなければならないのだ。  そんな夢だった。振り返ると、とてつもない広大な敷き地に、いつの間にか、誰が入って来たのだろうか、他人の会社が事務所を構え、他の製造工場を営んでいるではないか。こちらの作業場が無い。左右を見回しても突然消えている。先ほどまで、整然と並んだ発泡スチロールの成型機が見えなくなっている。「あちらですよ」と後ろから声を掛けられ、言われた方へ向かうと、そこは、何も無いぺんぺん草の生えた空き地になっていた。そこに誰かが立っている。顔が見えない。走って近づいても、丸で顔が見えない。心の中で、あの発泡スチロールマンだろうか、「悲しき発泡スチロールマンか!」と叫んだ。はっとして、目が覚めた。汗びっしょりになっている。


2007年7月31日 朝は寒いぐらいが昼から暑く晴れ 32度
朝は、夏の北アルプス並みに冷えた。昼ごろには、昨日のような暑さまで回復し、今日も例の製作を終えたのだったが、有難い事に今日も昨日にも増して様々なお問い合わせが続いて勉強になった。だから、終日頑張って頑張って、最善を尽くして、さらに頑張ばることが出来たと言うものだろうか。偶にあるミスマッチなお問い合わせには残念だ。メールのアドレスがどれか一字違いなのだろうか、全角での入力になってしまったのだろうか、今月は、これで1ヶ月に3件ほどご返信不可能なメールが出てきた事になる。、、、、、と、ここまで書いてまた眠ってしまったようだ。我々のような中小では、結局体力だけの勝負だろうか。そう言えば、円高に触れているようだ。日銀の金利をみた円キャリーの積み上げ解消が、何兆となって来ると聞くので、年内 円高傾向がジワリなのだろうか。目下の石油値上がりには、お湿り程度かもしれないが、内需には果たして、追い風となるだろうかがポイントなのだろう。家の売れ行きって、金利に影響するしなあ。もう、15年近く、金利の無いに近い経済だったのだろうから、どちらも自信がないのだろうなあ。かつて、日本も、今のユーロのように、円高内需好景気って時期があったのになあ。所詮は、生々流転の世の中、臨在常戦 の世の中、機を見るに敏にして、目は世界を睨み、一気に50円60円の円高の世界まで予測して、対処したいものだが、まずは取り敢えず、もうひと寝入りといきたい。では失礼


2007年7月30日 晴れ 32度
そして今日も例の製作が続いた。いったいこれで幾つめになるのかと言ったリターンの製作もあり、お蔭様で、相変わらず引き締まった一日となっていた。様々なお問い合わせも続いて、週の始めがそのようにあるが如く、ばたばたと過ぎていくのは、いかにもといった感じがする。ではこれで


2007年7月29日 晴れ 33度
やたらと1週間の過ぎるのが早くなってきたのは、どうも、気のせいではないのだろうか。6日間をぶっ飛ばして来ると、7日目は終日倒れたようにじっとして寝込む癖がついてきた。頭の中も真空管のようだ。身体を休めるなら脳みそ位は鍛えなければならないと思ったのはいつ頃までだろうか。今では、空っぽになって寝ては起きてで日が暮れる。どうも、世間が慌しいようだということも知らない。これではいけない。これではいけない。と以前古ビデオ屋で100円で買った『陽はまた昇る』というビデオレコーダーの製造会社の起死回生を描いた物語 があったので、それでも付けて見ようと思った、までは良かったのだが、スイッチを0Nにしたまま、またまた気がつくとあっという間に2時間が過ぎていたのだろうか、眠っていたようだ。物語の事は全く覚えていない。代わりに、夢を見たのを憶えていた。夢の中で占い師をしていた。入ってきた人は誰か、こちらからは顔も見えない 性別も解らない。鉛筆で書いた生年月日だけから、その人の人生を当てるのだった。数字を足したり引いたりして、9個の数字が見えてくる。そこから何やら、当たっているのだろうか外れているのだろうか、よく解らないが、何かそれらしい神妙な声で答えていた、そんな夢だったか。目が覚めると、『陽はまた昇る』のビデオの事よりも、そんな占い師になっていた自分の事のほうが気になっていた。インターネットの世界、メールだけのやりとりの中では、ちょっと考えて見ると、それこそ僅かな手がかりの中で、PCの向こう側を読んで行かなければならないのは、いっそ占い師のような能力があった方が良いのかも知れない。そう言えば、学生の頃、ちょっとしたツテで、今では日本エドガーケイシー協会の幹事をしている光田さんに紫微斗数 という数字の占いを一度だけ手ほどきしてもらったことがあったのを憶えているが、もう少しで、夢の中で眠りながら当たらない占いをしているので、、、、、おっと時間だ。


2007年7月28日 晴れ夕方一時にわか雨 34度
当分はこの暑さが続くのだろうか。8月はどうだろう、と思いながら今日も例の製作を続けた。夕方になって激しい通り雨があり、いい暑さしのぎになった。漸く、作業が一段落となったのは、通り雨が東の空に去って行った頃だろうか。まだまだ、キリが無いのだが、それにやりかけたセルパネの加工機の前回の試運転を受けて、さらに修正を加える作業が、ドカンと控えている訳だから、決して終わりと言うのはないし、時間的余裕も全く無いのだが、長丁場のこととて、暑い中、体力温存の為、健康優先との意味合いで一段落としたのだった。先を焦って、倒れてしまっては元も子もない。ほどほどに、しかし、抜かりなく、頑張る以外に無いのか。そして、戻ると今度は机上での、こうした更新作業が待っている。製作実例の更新も遅れがちになっている。何とかしなければならない。あれも、これも更新していかなければならない、と焦るのだが、、、、ふと気がつくと、また机で眠っていた。夜中に一度か2度目を覚ましたような気がするが、そのままだったようだ。、、、、夢の中の世界、あれはいつ頃だったろうか、町に路面電車が走っている。古本屋が何件も軒を連ねている。あても無く、また古本屋を次々と梯子していた。夕暮れにふと入った「名前のない喫茶店」に、流れていたジャズのレコード。レコード盤が数千枚、所狭しとあった風景。何故か、こんな時、夢に出てくる。


2007年7月27日 晴れ 34度
いつの間にか、いつもの暑い夏になったようだ。お隣の自動車の鋳物会社は今日も休業を続けていて、工場内を走り回るリフトのサイレン代わりに流れる、吉本の漫才師がコーラスで歌う「明日がある♪明日がある♪あしーたがああるのサー♪」の歌の電子音が聞こえなくなって、もう何日目だろうか。地震の影響が目に見えて続いているようだ。 今日も例の製作を続けた。あの京都の多面体好き好き先生なら、またまた喜んで聞いてくれそうな、例の12面体製作の話があり、またまた急いで、√の計算に頭を痛めたりしていた。実に計算ばかりで製作に至らないのが多面体の加工だろうか。この多面体で、とんでもない研究所からとんでもない実験に使用するからと依頼があったのは、もう、2年半前になるのだろうか。早いものだ。そう言えば、実に様々なとんでもない研究所がごろごろ実在するんだと知る事になったのは、確かにそれからだろうか。全国津々浦々、我々のような超ド素人からすれば、全く意味不明な得体の知れない研究所というのは、実に、毛沢山あるようだ。面白いものだ。何とか総合研究開発実験統一試験研究機構とか、開発研究の為の実験や研究をさらに研究する科学研究追求波及希求訴求変化球研究所があると思えば、何でもかんでも爆破破壊が研究の爆発現象研究所から、何でもかんでもくっつける接合接着密着癒着研究所や、とんでもない永久機関や、とんでもない現象やらを集めた もう、どうにもとまらない例の面白研究所もあったなあ。こちらも、いっそ、、、、、おっと時間だ。では失礼


2007年7月26日 晴れ 一時にわか雨 32度
矢張り大阪は荒っぽい話の人が時々出てくるものだ、と思いながら今日も例の製作を進めた。急な製作も混ぜながら、そう言えば、昔、例の発泡スチロールの工場にも、そして、そう言えば何処にでも、似た気の短い人は世の中ごろごろ居たものだと考えていた。確かにもったいないことをされたとも思った。違った展開になっていたら、ずばり、安くて良い品を製造出来る設備も人材もそろったぴか一のメーカーを紹介差し上げるところまで進んでいたのかもしれないからだ。こちらとしては、勉強にはなったんだと思い直し、例の加工の作業を進めていた。ご自分で、探されるのだろうか。それに関する関西のメーカーなら、残念かも知れないが、皆知っております。ご紹介差し上げたのになあ。もっちないなあ。まあ、いいか。それよりも、そんな大阪のローカルな事よりも、地方から届いたお知らせですと、また一件、発泡スチロールの加工業者を廃業なさった所があるのが解った。確かに、ネットの情報は早い。ついこの前のことが、もう伝わってくる。距離感覚も全く無い。先日は、埼玉の話であったのが、今度は福岡県の近況だ。再度、ふんどしを締めなおして、例えば、骨が折れて全治6週間の診断であろうと、呼び出しがあれば元気にサッカーでもして、草原を走り回る位の気力は必要なのかも知れない。頑張るしかないか。戻ると、テレビでまた「100人の村」シリーズをしていた。日本でも貯蓄率ゼロが1000万世帯を超えてきたらしいが、世界では電話を使った事も無い人々がそんなに大勢いるのだなあ。たった6歳で働く子供達、何と言う事だろう、、、、、、、、そう思いながら疲れて眠ってしまった。天神祭りも終わり、後は五山の送り火までが、暑さのピークだろうか。






2007年7月25日 晴れ33度
ヨーロッパ南部では熱波らしい。連日45度の劇温が続いているようだから、半周遅れで日本へも高温状態がやってくるのだろうか。解らないが、取り合えず今日も例の製作が続いた。確かに、有難い事に、様々なお問い合わせではある。そして、この時期出来るだけ体力の消耗に注意を払い、最大限にお答えに答えるようにしなければならないのだろう。と言った訳で、今日はここまで


2007年 7月24日 晴れ 32度
そして今日も例の製作となった。急ぎの製作も入っていたし、考えてみれば、1個1円2円の仕事ではあっても現状このような不景気の中、まだ、有難い事だろうか。しかし、やめる訳にも行かず、食べて行くためには頑張るほかにない。本日、サンプル製作のご依頼で、京都からお越し頂いた向きが、有難い事に「メイド イン オーストラリア」の発泡スチロールの加工品をご持参頂けたのは有難い一件であった。確かにそのお陰で、たった1個のオーストラリアの加工品ではあったが、我々には、オーストラリア国内の発泡スチロール業界の技術レベルを推し測るには充分であった。まず、原料自体の世界的な流通の占有、そして発泡スチロールの素材的な水準、粒子、端を少し切って鼻に着け、微かに漂う僅かな匂いから特定出来るメーカー、目視融着率、次に、加工方法、特に内径の加工方法と削れた面から見た加工道具の特定、或いは、商品用途に対する、材質のマッチング、選定方法の加減に対して、そして、何よりもこの発泡スチロールの小さな切れ端から想像できるオーストラリアという広大な国の、大らかさまでが、表面のその仕上げ方法ひとつから推測されてくるものだ。矢張り、世界の動向なのだろうか。海外での発泡スチロールの使用量は飛躍的に増産が続いていると聞くが、何となく、それまでが、手のひらに乗る小さな発泡スチロールの破片から見えてくる。


2007年7月23日 晴れ時々曇り 31度
2,3年前のこの時期は晴れると茹だるような暑さで気温は35度 36度の日々が続いていたのに比較して、確かに最高気温比で6度前後 下がっているのだろうか。だと仮定すれば、ひょっとして、もう海洋大循環のバランスは崩れ始めたのだろうか。数年で一気に変化し、地球は氷河期へ突入するのだろうか、その仮説によれば。そんな入らぬ心配をしながら今日も例の製作を続けた。本日は、数年に一度あるかないかのお問い合わせ増大特異日でもあった。ただ、ひたすら頑張って頑張って、続くお問い合わせにご返事を入れ続けていた一日でもあった。


2007年7月22日 曇り 30度
先週以上に1週間が早く過ぎて、「あっと言う間」などと言った表現すら正確では無いように思える。だから、日頃走り回っているので、こんな日は石にでも、なったように動かなくなって、唯、無駄に過ごしている。図書館で借りてきた『日経サイエンス』2005年2月号の中に見つけた「温暖化が氷河期を招く」を見て、これだこれだ、最近の気象変動はこれなんだろうと痛く感心していた。
副題にあるように『海洋大循環が氷河期を招く。』というものだ。海水と海に流れ込む淡水の濃度の違いで、大西洋の北部グリンランド付近で暖かい海水が沈み込んで大循環を起こしていたものが、温暖化で氷河の氷が溶けて大量の淡水が流れ込むと、海水の濃度が下がり軽くなって沈み込み難くなる。それがある時、バランスを崩して、一気にバランスの臨界点を超えると、軽くなった水は、それ以上沈まなくなり、その結果深層水と表層の海流の循環が止む。すると、寒冷地は、赤道付近からの熱の供給が無くなるから、一気に急激に冷え込み、平均気温が6度前後下がり、氷河期になってしまう、、と言った説だ。成る程、これもなかんか良く出来た説だなあ。


2007年7月21日 曇り時々晴れ一時小雨 29度
今日も例の製作が続いた。有難い事に、幾つかのお問い合わせも続いた。基本的な加工の件で昨日お問い合わせがあったのだが、明けて本日、電車バスタクシーなど乗り継いで、そんなに遠方から わざわざお越し頂き、その現物と加工に関してのお尋ねに直接 図を描いて説明すると言ったこともあった。ので、出来る限り、懇切丁寧に、それこそ、先方が、仮にご自分でその加工をなさるとしても、初歩からでも可能な位にご説明して差し上げた。だから、わざわざお越し頂けたものの、十分元は取れておつりが出るほどに、なって戻られた事と信じる。ので、なおさら、何時もにも 増してばたばたとした一日になっていた。 
 話は全く違うが、上記『夢千代日記』の里に動きがあると、いつも、こちらのHPの訪問者数も回りまわって、跳ね上がるようだ。今回は朝野家旅館の当主が例の「サンタプロジェクト」の入賞金を小学校に寄付したといった一件のようだ。なかなか、ここまで出来ないことだろうと思う。それが、あの当主の人柄だろうか。やっぱ、その道で名の通った出来た人間なんだろうろうなあ。ここまでは、なかなかやれないなあ。細かいところまで気のきいた こういう旅館だから安心して泊まれるのだろうなあ。流石に皇族も御忍びでお泊りに来られる訳や。おっと、さあ、次は、何をなさるのだろうか。楽しみだ。もうしばらく、このまま様子を見よう。


2007年7月20日 曇り時々雨 29度
蒸し暑い中、それでも、いつもの年のような黙っていても汗びっしょりになるような暑さでは無い中、今日も例の製作が続いた。どうもまた、他のページの更新に時間を費やしてしまい、もう殆ど手持ちの時間が無くなった。頑張る他に無い。前向きに、積極的に進んでやって行く外に無いのだろうか。時間だ。では失礼


2007年7月19日 晴れ 30度
長野方面の発送先で北陸道を使うルートになるところは、救援機関などの優先の為、民間輸送品は相当遅れが出ているらしいと、運送会社のドライバーから聞いたので、何件か、その方面のお届け先に、事の内容を連絡したが、皆さん快諾して頂けたようだ。今日も例の製作が続いた。あまり書かなくなっているが、とんからりん とんからりん♪ とんとんからりん とんからりん♪--♪の在庫積み上げ作業や、ぎしぎしばったん♪ぎしぎしばったん♪ ぴーひゃらぴーひゃらーー、 ぎしぎしばったん♪ぎしぎしばったんの自家製加工機の加工も何とかいつものように作業を続けているのだが、今日も、急な製作作業の合間に、こういった作業も挟みながらの毎日ではあった訳だ。例のセルパネの自家製加工機の一件だが、また修正すべき点が幾つか出てきた。こちらもなんとか、これらの加工機並みにしていきたいものだ。先は長いなあ


2007年7月18日 晴れ 30度
京都の祇園山鉾巡行、神戸のパレード、大阪の天神祭りと続く季節は、例年夏の最盛期で、梅雨の合間は連日35度前後のうだるような暑い日が続くと言うものだが、今年は矢張り、どうもそこまで寒暖計の針が届かない。本当に温暖化が進んでいるのだろうか。空梅雨のはずが、いつの間にか例年以上の雨量にもなるそうだし、、。今日も例の製作を続けた。急な製作も入り、いつものように終日ばたばたしていた。お問い合わせも、有難い事にいつものように様々な内容に亘って続いた。確かに、この素材の加工性によるのだろう。将に様々なお問い合わせが途切れることなく続く。


2007年7月17日 曇り 29度
隔世の感、とは将にこのことだろうか。世間の関心の移り方というか、流れというか、そんなものなのだろうか。昨日が「発泡スチロールの日」だと、誰が決めたか、テレビの みのもん太の『思いっきりテレビ』の中の「今日は何の日」と言うコーナーで、16日が海の日で、海にちなんで同じ日を「発泡スチロールの日」と題して、内容的にも発泡スチロールに、大変好感を持った組み方で、10分程度、取り上げてくれていたのを、知り合いから借りたビデオで見て知った。何という変化なのだろうか。今から10年前は、あちこちからバッシングが続いていたものだ。公共機関からは、粗大ごみの主犯格として、或いは、焼却炉を傷める元凶としてだったし、大量消費時代の遺物として、これからは環境リサイクル出来る物でなければ無用だといった論調が、ありとあらゆるマスコミからの垂れ流しと、それを受けた消費者からの攻撃があったものだ。このHPを開設した5年前でも、同様の趣旨での発泡スチロールに対する批判的な論調をもって、まともに批判してこられる方も、月に何人もおられた事を今でも鮮明に記憶しているものだ。それで、酷い批判に嫌になって、何度も何度も、発泡スチロールの事を書くのはもう止めようと思ったものだ。それが、今では「発泡スチロールはエコ商品だ」と言うことらしい。変われば、変わるものだろうか。確かに、この業界の絶え間ないPRと、それらネガテブキャンペーンに対する抵抗の努力の成果があったことも見逃せないし、実際のリサイクル率も相当実数字としても向上してきて、他の業界と全く遜色ないところまで来たと言った事実もあるのだろうが、矢張り、こうして身をもって経験すると一番怖いのは、このマスコミの豹変だろうか。逆に、何故今頃になって、こうまで180度態度が変化して来るのだろうか。この点だ。この点を見ていかなければ、決してこの先、10年20年先はどうなっていくのか、油断は出来ないし、展望が見えてこないからだ。それを論じよう。行く河の流れの如く時代は過ぎ、やがて大河となって歴史を刻む。後世の歴史家は刻まれた時を読むのだか、水をざるで汲むに似て霧を見るように中々読めないものだろうか。、、、、、おっとまた眠ってしまった。まあ、いいか、取り合えず面白い変化だ。 

2007年7月16日 曇り時々雨 25度
日頃から仕事で可也り無理をしていると、偶の連休になると、朝から横になったまま、そのまま夕暮れまで何する事もなく過ぎて、折角の一日を棒に振ることがしばしばある。新潟長野に大きな地震があって、原発が自動停止したなどと言ったニュースも夜遅くになって初めて知った始末だ。昼間、昼寝していたのに、遅い夕食を済ませると、また早くに床について眠ってしまう。抜け切らない疲れに、浅い眠りと長い夢の中で、返って、、、そう、あれはもう30年も前のことだろうか、遠い過去への幻か、それとも言魂でも徘徊するような訳の解らない不気味な夢の世界なのか、一人、あても無く旅して 宙を駆け回っていると、今は亡き恩師に出会い、そしてまた、今は亡き友人と次々に、見えない顔をこちらに向けては消えていく 物騒な蜃気楼のような夢に 背中にべっとりと汗をかく程うなされて、明け方には目が覚める。最後に、水の無い海に、筏を組んで漕ぎ出そうとする彼らを こちら側で見送っている場面が、意味も無く、脳裏に焼きついて、その残像を追うように、しばらく息も切れ切れになっている自分だけは、まだ生きているんだと言う喜びを、こうして強く握る こぶしに確認できたのは、まだそれから大分経ってからだろうか。


2007年7月15日 雨のち晴れ 27度
思ったよりも進路が南へ逸れたため、台風の影響も限定的だったようだ。吹き返しで、夕方まで秋のような全く暑くない風が続いた。何とか時間がある間に、HPのページ更新を急いだが、中々思うように進まないものだろう。そんな中で、次の進展を期待して新規商品と開発(と呼べるかどうか)に取り組むための準備を進めていた。、、、、おっと時間だ。では


2007年7月14日 雨 時々豪雨 24度

今日も朝から例の製作を進めた。途中、急な製作もあり、ばたばたしていた。夕方にはセルパネの加工機に取り掛かる予定が、この台風4号の接近を前に、浸水や風に備えて、工場内を片付けたり窓に雨戸を閉めたりと時間を取られてしまった。数年前の台風10号の時は、散々な目に逢ったものだ。今回は、工場の屋根を葺き替え、テントは新調しており、大丈夫だとは思いながら、矢張り、用心に越した事は無い。風、雨共に激しい。、、、ではこの辺で失礼


2007年7月13日 また雨 24度
そして、今日も例の製作になった。急ぎの製作も何件が入ったが、夕方には何とか、途中一段落と言ったところまで進めた。僅かな小使いでも、好きなクレーンゲームもせずに、数ヶ月もすると、何とか畳の大きさの塩ビ板1枚程度になったので、帰り、1枚買っておいた。例のセルパネ加工機の仕上げに使う分だ。そこで、又考えた。商売とは何か。あの三越が営々と続いている理由に「お客との義理を大切にしてきた」ことがあるらしい。薄利多売で始めたとしても、やがて、花が咲き実がなり、腰を落として頭を下げて、来客との付き合い第一へと進めて行ったのだろうか。あのような、何でも売ります百貨店なら、なおさらのことだろうか。丁度、安全と保障のかすみを売る保険や金融が一方の極なら、百貨店も一方の極であり、どちらも「付き合い」が商売以上に意味ありとなっているのだ。それでは、手作り一品製作等という、儲からない仕事をしている極最小の中小企業では、どうするべきか。、、、、、おっとここまで書いていてまた眠ってしまった。ではこの辺で


2007年7月12日 雨時折激しい 25度
今日も例の製作が続いた。人生最後の賭けに映画監督を目指して数年寝太郎、風太郎を覚悟で転職をするんだ、という、或る営業マン氏が最後の挨拶にお見えになった。30頃までは、京都で鳴かず飛ばずで、或る有名な助監督のかばん持ちをしていたそうだ。歯を食い縛って、やがて、自分にチャンスが巡ることをのみ、ひたすら夢見て、頑張ってきたそうだ。しかし、ことの成り行きか、矢張り同じ映画にあこがれて、女優を夢見ていた女性との間に一児が出来て結婚となり、家庭を構えることになってみては、偶に回ってくる脚本の清書や、通行人のアルバイトだけでは、とてもではないが、身重の家内と小さな子供を養っていく事も出来ず、思い切って、今の職に就職して、早10年が過ぎたそうだ。そして、発泡スチロールのご縁で、こうして顔なじみの受け払いをして来たといった流れだ。まあ、そんな秘めた過去をお持ちだった事は、知らなかった。何事にも前向きにをモットーに こなして来られたのだろうか。発泡スチロール以外の話には、これまでも、全く成らなかった、目立たず、しがない発泡スチロールを担いだ営業マンから、そんな打ち明け話には、正直驚いた。転職できるのも40までか、ならば、これがラストチャンスか、元女優の家内も快く、賛成してくれたそうだ。3年風太郎でも、家内がパートや内職で応援するから「あなた もう一度、わたしの分も、好きな事をやってみて下さい」と言われたそうだ。それで、今度、また、新たな決意で、監督を夢見て、「憧れの京都へ行きますから どうぞよろしく」と言う事らしい。なので、いやいやこちらこそ、よろしく頑張って監督になって素晴らしい映画を作ってください。そこまで硬い決心がおありなら、きっと上手くいきますよ。諦めないで、後戻りしないで、振り返らないで、希望を捨てないで、どこまでも どこまでも人生悔いなく、自分が一番やりたかった事を、したためていた事を、ずっと思い込んでいた事を、それを映画にするまで、これからは一直線に目指して、挑戦して下さい。頑張ってください。やりたい事をやる事に年齢はハードルではない。世の中、遅咲きの美しい花は幾らでも咲いている。何十年 蕾のままであったとて、ぱっと一輪さかせて、世間を見返してやりゃーいいじゃないか。、、、、きっと、こんなことが、日本国中、至る所であるんだろうか!何と、粘り強い動きだろうか!これが、本当は、世界に誇る、日本映画界の底辺の層の厚さを構成しているのだろうか。


2007年7月11日 雨 25度
そして、今日も例の製作が続いた。どういった訳か、得てして重なるものだが、制作上の、幾つかの微妙な問題に関しても、お問い合わせが続いた。不思議なものか、ネットは。場所も業種も全く異なるところから、同時間的なタイミングにて、同じような点にご質問が集中していくのだ。不思議なものか、ネットは。質問を受ける側からすれば、同じことを並べて、そう言えば、これもあれもと先程予行練習をしていたようなものなのだ。それだけ、加工性には定評がある素材なのだろうか。、、、、漸く疲れて、遅くに戻ると、「みるみる小説が書ける6つのレッスン」と副題のついた大塚英志著『物語の体操』を取り出した。先日、ラーメン屋で高校生が話している話に出てきた本だ。数ページぱらぱらして見たのだが、とても完読までいかないが、確かに、その小説を書く技術として様々な分析が、他の評論作家と同様になされているのは読めた。そして、結局、小説は書く技術を駆使して行けば、それなりのものには仕上がるそうだが、ただし、それでは小説であって小説にならない面が、残るとあった。「文学」というやつだ。小説だけなら幾つかのパターンに分けて、主人公を背景描写から始めて、性格へ行き、それなりの脇役を膨らませて行き、そのパターン別に場面を区切って組み上げていけば、原稿用紙に何百枚かの小説にはなるのだろう。主人公もその「成長の軌跡」を追っていくようにするわけだ。ここまでは、大変機械的だ。立体加工の場合に、様々な図面が何枚も必要になるのだが、そこから1個の立体を組み立てる作業と、よく似たものに思われる。図面には様々な決まりがあり、補助線があって、1個の複雑な構造を誰にでも解るように導いていくのだが、小説の場合、そこにさらに、龍の目を入れるような「文学」が必要なようで、それは、真似は出来ないという。まあ、そうだろう。図面を立案した立案者の人格の問題、彼の人生観、その図面への思い入れなど、全く課題が広がりすぎて、普通はその作業上、それらは全て、一旦無視して次の作業にあたるものだ。だが、小説の場合は、逆に、その辺りをとことん突いて行く必要があるようだ。詰まりは、それが「文学」なのだろう。


2007年7月10日 雨時々豪雨 25度
今日も例の製作が続いた。有難い事に様々なお問い合わせも続いている。自分で始めたHPだ。これが、雇われて、時間勤務で応対しているだけなら、きっと、こうは続かないだろうか。現業作業をしながら常にお問い合わせにも出来るだけ丁寧にお答えしていく事を延々と繰り返す毎日である。矢張り、こんな小さな会社ではあるが、大手企業と肩を並べて、HPを開設して見ると、初めてお問い合わせがあった時や、初めて製作にまで進んだ時の事や、訪問者が一日数人、初めてカウンターを打ち出した時の事など、感動的な思いが、5年が過ぎても、忘れることなく 未だに胸の中に消えずに残っているからだろうか。全く、唯の仕事だと言った感覚では、出来ないものだ。趣味以上にライフワークと言った究極的な関心事でもなければ出来ないのだろうか。よく解らない。よく、好きでなければ、長続きしないと言うが、実は、好きな事は他に幾つもある。そして、それなりの成果も収めている積もりではある。それはここでは特に書かない。成果を収めていないのは、そう言えば、本を出すことだろうか。「小説家」何て言う肩書きを付けて、或いは、「写真集」でもいいか、その解説でもする評論でもいいのか、それで、和服に胡坐を組んで、右膝を立てたりして、原稿用紙を何度も紙つぶてに丸めて、後ろに放り上げたりする あれだ。出版社の人が原稿回収に来て、「まだですか」と言われると、「人生いっぽんどっこ」とか「あんたが大将」とか意味不明なことを幾つか並べておいて、枕を出してきて、「今日は浮かばれない」とか言いながら横になり、さっさといびきをかいて眠ってしまうのだ。「先生、困りますよ」と出版社の人が、揺り起こすのだが、ぐーぐーと、たぬきになって いびきをかきなから、寝言のように「人生不可解」などというのも洒落ている。仕舞いに「先生、締め切りは明日なんですよ」と泣き出したりすると、漸く、おもむろに威厳をつけて起き出して、「ん、まずいもう一杯 を出せ」とか言ってふんぞり返るのも面白いか。しかし、社の人も、これじゃ堪らないと諦めて帰りかけたりされると困るので、「『おーい、お茶』でもいい。」と少し、トーンを抑えながら、横目で相手の様子を観察する。、、、まあ 何でもいいか。兎に角、時間が無い。勉強も出来ないなあ。



スペインからお問い合わせのss木様
昨日、スペインから芸術作品に使う発泡スチロールビーズの件で、お問い合わせなさいました 芸術家を目指して現在修行中のss木様。お伝えしたい事がございます。もし宜しければ、スペイン国内企業製造の発泡スチロールブロックが入手可能でしたらご連絡頂けませんでしょうか。海外の発泡スチロールに興味がございます。これから、ちょっと収集してみる予定をしておりました。ご連絡お待ち致します。どうぞよろしく。 



2007年7月9日 曇り後雨 25度 
今日も朝から例の製作が続いた。急ぎの製作も何本か重なって、有難い事に、引き締まった動きになっている。ところで、本日、訪問者数の方が、累計で、正味10万人を超えた。あれは、5年前、パソコンに詳しい望月さんに頼んで、東京の光都市設計の鈴木さんのHPを真似て、よちよち歩きで始めたのが、そもそもの始まりではあったが、以来、まあ、よく続いているものだと思う。ネットによるこういったPRと言うのは、どのような影響あるいは効果といったものが起きるものなのか、実は、未だにさっぱり解らないのだが、兎に角も、訪問者の数字として、この大台を超えてきた事には、個人的には大変意義深いもので、感無量と言う感じだろうか。まあ、世の中、半日で訪問者が10万人を超えるようなとてつもないHPも結構あるものだが、このような、特定業種の専門的な分野に特化したHPでは、日に1000人2000人も訪問者があってみても、そもそも余り目的に適わない構成と後処理作業が追いつかないことになるだろうから、まあ、この程度で一番良いペースなのかも知れないが、もう暫く、日々更新に頑張ってみよう

2007年7月8日 晴れ 31度
何となく晴れてもこの程度の暑さでは、思いやられる。太陽黒点が大爆発を起こして、冬でもストーブが要らないような暑い日が続いたのは4年か5年前だったのだろうか。夏は連日36度を越える日が続き、夜でも寝苦しく、明け方になっても30度を優に超えていたのを記憶している。今年はどうか、まだ解らないが、虫の知らせか、これがピークのような気がするのだが、さてどうなるだろうか。今日も夕方までの製作になった。


2007年7月7日 晴れ 30度
今日も朝から例の製作が続いた。急ぎの製作もあり、終日引き締まった作業になっていた。漸く、一段落がついたのは、陽も とっくに落ちて、原チャリに3人乗りで飛ばす若者の集団が、何度も前の道路を 遮断するようにして往復しながら けたたましい爆音を撒き散らして行った夜半過ぎだった。サタデイナイトなのだろうか。七夕だろうか。静かなところに、こう、バンバンされると、確かに仕事にならないものか。第2京阪国道の工事の進み具合で、全く車の流れが変化してきたものだ。前の道路も、以前は、この先が行き止まりで、車の流れも少なく、左右をよく確認しなくても道を渡れる程のものだったのだが、最近は、この先で、新国道につながり、京都大阪をつなぐ抜け道のひとつになってしまった為だろうか、実に車がひっきりなしに通るようだ。石油もあと40年で枯渇するというから、中国インドなど人口の多い国での大量消費がこのまま進めば、あと20年もすれば、供給が追いつかない時代になるのだろうし、そうすれば、あと10年もすれば、時代の大きな分岐点が訪れるのだろう。それまでに、次のエネルギー源を開発されないと、これほど自由に車を乗り回せる時代は、幕になるのだろうか。そう考えれば、爆音を上げて群れで走り回るのも、今のうちなのだろうか。こんなのが、今の太陽族じゃ、洒落にもならない。作業を止めて、戻ると直ぐに倒れるように眠ってしまった。


2007年7月6日 曇り 29度
景気には、暑い時は飛び切り暑く、寒い時には飛び切り寒いのが良いに決まっている。梅雨の幕間に、茹だるような暑さがなくて、どうするのだ。エアコンは売れるのだろうか。ビールは売れるのだろうか。国内新車販売は、低下傾向に歯止めは掛からない。都心のマンションに売れ残りが目立ち出したそうだ。鉄非鉄は、まだまだじりじりと上がっている。石油価格の高止まりは、代換エネルギーの需要を増し、バイオだ とうもろこしだ、ジャガイモだと繋がって来て、食品価格の値上がりを発生する予想外なことになっている。、、、、、おっとまた眠ってしまった。今日は急がなければならない。ではこれで


2007年7月5日 晴れ 27度
2日として雨の続く事はない。晴れた空に、もくもくと湧き上がる夏の積乱雲も無い。夏日だと言っても体温近くなる茹だるような暑さ カンカン照りの暑さは、やって来ない。どうした夏よ。空梅雨を予測した向きには一日おきの雨。高温少雨かと思えば、梅雨明け後は、冷夏なんて逆説なんだろうか。今日も例の製作が続いた。今日も精一杯動いてきた。そして、様々なお問い合わせも重なり一件一件出来るだけ丁寧にお答えするようにした。名古屋のどちらの方だろうか、ご回答に15分以上のやりとりになったお電話もあった。また、お手持ちの250mm 厚の畳状のブロックを5,6枚薄切りスライスにして欲しいと、遠方からお見えになったお客様もあった。何でも、これでミツバチの巣の保温にお使いなさるそうだ。おっと時間だ。では失礼


2007年7月4日 雨 27度
小説が主人公の成長の過程を描いたものならば、こちらは小説にはなり難いのだろうか。どうも、この主人公にそれがあまり見られない。目の前の課題に、一つ一つ前向きに積極的に、歯を食い縛って、頑張って行く他に無いのだ。ほぼ、毎日が連続して同じ事の繰り返しばかりだろうからだ。晴れようが雨が降ろうが、寒かろう暑かろうとお構いなく、今日も例の製作が続いた。取り合えず、あの道具を取り揃えておけば、ある程度の結果はついてくるはずだ。一方、例のぽっとんぽっとん方式の急な依頼があり、そして、例の急な製作とで、終日バタバタすることになって、有難くも、いつものように、夕刻には予定終了となった。、、、、、、、おっと、ここまで書いてまた眠ってしまった。机の上には、一枚の葉書があった。中学の5年に一度の同窓会の出欠葉書が届き、しげしげとその葉書に印字された文字を追いながら、あれこれと37年の時の流れを振り返っていて、いつの間にか眠っていたようだ。あのnハムの社長から加古川の研究所長に収まってしまったsくんが、映画『陸軍中野学校』並みに厳として出席するなら、こちらも敬礼なんか しながらでも出席にしようか。また、例の海外に出張がどうのこうのと言うなら、こちらも枚方の駅前まで、駅前留学中だとか何とか理由をこじつけようか、あれこれ考えていたりした。それとも、偶々その日は三重の田舎に娘さんの慶事があって、と言うのなら、こちらも多忙で、例の素焼きの招き猫にお相手を探しに出掛けるからな、と切り替えそうとも思ったが、結局、結論はつかなかった。さあ、どうしようか。


2007年7月3日 雨のち曇り 28度
中途半端な鬱陶しさと不快指数の高さの続く中、集中豪雨も空振り気味で折角用意した雨具も、昼からは使えない。遅い梅雨入り宣言を前後してイネ科の花粉の飛散も止まり、お陰で今頃は、どんな街中の雑踏の中でも 空気が大変美味しく感じられるので、我々のような霞を食っての毎日にも結構耐えられるものか。あれは、もう9年も前になるか。とあるツテに、半信半疑のまま、富山県長岡の舌小帯と上唇小帯の切除手術で有名な清水医院に出向いて、早速切除手術を受けたことがあった。それは、気分的には人生の転機のようなものだっただろうか。40年このかた慢性鼻炎と化して、諦めていた鼻つまりが、嘘のように治り、以来、実に空気が美味しい。何度でも書くが、実に空気が美味しい。恐らく、慢性化した鼻つまりから開放された人でなければ決して解らない爽快感だろうか。美味しい空気さえ吸っていれば、もう他に何もいらない気分なのだ。それでも、花粉による急性の鼻つまりは残った。だから、その花粉症が過ぎ去ったこの時期が、一年で一番空気が美味しくもあり、現実的には何ら進展が無かろうが、無一文であろうが、気持ち的には、実に充実した良い気持ちでいられる時期が次の花粉が来るまで、約9ヶ月続く。思えば あの手術で、鼻の穴が2倍に広がったのだ。空気がそれこそ腹一杯に吸い込める有難さか。そして、今日も例の製作が続いた。急ぎの製作が入り、また、いつものように ばたばたするほかに無く、気がつけば、夕方の雲間からの自棄に弱弱しい夕陽を拝む事になった。漸く、一段落を見つけて、例の加工の道具の改良に取り掛かれたのは、そんな夕陽を背にした頃だろうか。早速、例の「とんからりん とんからりん♪ とんとん からりん とんからりん♪♪」 の在庫積み上げ用加工機にその加工用道具を組み合わせ、ほとんど材料の用意が出来ていなかったので、ただの一度分だけの材料しかなかったのだが、試作を試みてみた。成功だった。


2007年7月2日 雨後曇り 28度
終日雨の予報ははずれ朝からの雨は直ぐに止んで後はどんよりした曇りの一日、今日も例の製作が続いた。急ぎの製作も加わり、納期に追われながら、来客数名、いつもの様に、終日ばたばたした一日であった。結局、昨日の途中まで製作していた自家製の加工道具まで至らないで、落ちが入った。こうして日一日、作業に明け暮れて精一杯頑張っていることそのものが、まあ小説みたいなものかもしれない。、、、、この後何を書こうとしていたのだろうか。ここまで書いて眠ってしまった。今日はここまで


2007年7月1日 曇り 28度
今日も昨日の続きに掛かっていた。結局、3番目の方法が、一番だと解るまでにはそう時間は掛からなかったが、その後の詰めの段階でなかなか前進しない。精度をある程度保たなければならないし、他の用途にも使えなければならないし、その自由度をある程度付加するために、幾つもの工夫を編み出すしかないようだ。漸く、取り合えず、一品製作してから、その結論を出そうとまで煮詰まって来る頃には、昼3時を回っていたので、今日もこの辺りにして、作業を一旦置いた。近くのラーメン屋で遅い昼食にしていると、隣のテーブルで、高校生風の若者が2人、話し込んでいるのが聞こえた。何でも、「小説の書き方」らしい。小説の書き方には、書き方を研究した学者がいるらしい。そして、その36通りの書き方パターンを練習さえすれば、小説家になれるというので、一体どこで開いていたのだろうか、よく解らないが、そんな講習会を受けてきたようだ。その、感想など有頂天になって話しているから、やけに声が大きく、お陰でよく聞こえる。、、、そうかそうか、小説家になるには、小説を書く技術があるのか。何だ何だ、そうだったのか。その、36通りの方法をマスターすれば、オレも売れっ子作家になれるのか_!?良いことを聞いた。今日のこてこてバターラーメンは、格別に美味い。そして、明日からオレは、夏目漱石、志賀直哉と並んで、伝説の有名小説家 無茶工事実篤なんだ。売れて売れて、書けばどんどん売れる賞取り、賞荒らしの粋な小説家に変身だ。はっはっはっー、毎日毎日ベストセラーの連続だ。、、、戻ると、急に疲れが出たのか、寝転んで、そのまま夜半まで眠ってしまった。


2007年6月30日 晴れ 30度
2日と雨の日が続かない中、今日も例の製作に明け暮れた。早くも、6月が終わる。一向に各 自作機の方は進まない。仕方が無いが、かと言って決して止めた訳でもないから、いずれ完成できると確信している。何とか一段落のところで作業を終えて、暗くなってから戻るとまた、テレビで『世界が100人の村だったら』が流れていた。世界には、残酷な子供たちの悲劇が今も続く。日本なんて、これから先は分からないが、まだまだ ましなほう なのだろうか。江戸から明治に勝海舟などの努力によって無血クーデターのようなものがあって百二,三十年、国家の方向性はこれで良かったのだろうか、間違っていたのだろうか。およそ歴史の事は解らない。しかし、日本では、あれだけ血気盛んな大勢の若者が次々と同時代に輩出したのは、不思議なものだ。現代の世界の100人の村では、極端な格差の中で、坂本竜馬や西郷隆盛といった人物は出てこないのだろうかなあ。それに比べて、この国には、先の見える輩が多いのだろうなあ。先が見えるかどうか。この先が、、、、


2007年6月29日 晴れのち夕方から夜半にスコール 30度
今日も例の製作が続いた。次の課題に直面していた。いずれ、その加工に関しては、簡略化の為のさらに簡単な自家製の加工用道具を、乾いたタオルを絞るようにして、無い脳みそを絞って発案しなければならない時があるとは、考えていたのだが、取り合えず今回、結果はどうあれ、その以前よりしたためた方法を活かす為に、考えてみる良い機会では、ありそうだ。方法としては3通りになる。内、2通りは新しく、簡単な道具に辛子を利かせたタイプの加工方法になるだろうか。もうひとつは、従来型の機械に、予想外の動きを可能にする為のそれを置くだけのアイデアではあるが、充分機能しそうだ。だが、問題は時間が無いということだろうか。だから、今回の一件をチャンスにするには間に合わなくとも、さらに次や、次の次、に向けた応用可能な自由度の高い作りにしておくことにしよう。まあ、忙しい上にまたまた忙しいものだ。セルパネの加工機の件と同じだろうか。次の次を考えて、秘策を打って来たのだが、1年遅れでその秘策も、、、。我々、中小企業の生き延びる道は、こんなところにしかないのかも知れない。幾つ、他では出来ないが自分のところでなら出来る商品を集めていくか、になるのだろう。先日、偶然、アメリカの中小企業の現状を聞く機会があり、昨日は中国の中小企業の現場を聞く機会と 重なった。アメリカでは大手の無国籍企業ばかりが、報道を通して、目にすることが多いが、ぎりぎりのところで、星条旗の鉢巻を巻いて、悪戦苦闘して、何とか日銭を稼いで暮らしている中小企業が、何と多い事かを知ったし、一方の中国の ピンからキリまで広がる にわか企業の何と多い事かを改めて知ったのだった。 どちらも、極端なまでの貧富の差、そして学問の有無の差は一体何だろうか。インドやブラジルにおいても同じ現象なのだろう。そして、彼らは何を目指しているのだろうか。彼らの言う良い生活とは何だろうか。そして、彼らの言う幸せとは何であったのだろうか。余裕があれば、世界の発泡スチロール屋さんの現状を旅して回って、見学してみたいものだ。そして、これはエジプトの発泡スチロールだ、これは、アイルランドの発泡スチロールだ、と展示出来れば、面白いだろうなあ。そう言えば、今では田舎の公民館の館長をしているおじさんが、或る発泡スチロールの会社の営業部長をしていた時、オランダやデンマークの発泡スチロール屋さんの現場写真を見せて貰った事があったものだ。文化が違うとここまで違うものかと、つくづく感心したものだが、広い世界ではもっと様々な違いがあるのだろうなあ。「世界の国旗」というのがあるように、「世界の発泡スチロール」って展示してたらよかったのになあ。ひとつ、今からでも世界中にお手紙を出して、集めてみようかなあ。


2007年6月28日 晴れ 29度
今日も例の製作が続いた。商売に駆け引きはつき物なのだろうが、ここでは、敢えて、と言うより最初からそれは不向きなので取らないことにしている。上だ、下だ、1円でも2円でも、と言うのは、確かに商売活動のスタイルなのだろう。水が上から下へ流れるように安い方へと向かっていくのだろう。ネットの世界にそれを適応すれば、オークションを見れば解るように、下手な競争をして行かなければならず、結果、我々のような特注品が殆どの所では、「ものつくり」に専念出来ないことにならないか。どんぶりの中の競争はあまりしたくない。例えば、今日も、業界の者からすれば、メーカー名を出さなくても、ひと言で解ってしまう品番を出して、「イラクだ 幾らだ」と質問して来られたって、あんた、中近東じゃあるまいし、戦争するわけにいかない。直ぐに、地域の同業者のお顔が目に浮かび、そして、ご家族の生活が想像できてしまうから、余計にこちらも構えてしまうものだろう。白旗と高めのお値段を出して、引き下がって頂くしか、今後のことを考えれば丸く平和に収まらないだろう。そんな、むき出しの剛速球を投げて来られても、見送るしかないものだ。もっと、気楽に空振りが出来るような、臭い玉を投げて来て頂きたいものだ。もう、かれこれ この5年で、1万名近い方々とメールのやり取りをさせてきて頂いた。お電話の方でも 5000件は超えてきたと思う。すると、まあ、200件に1,2件は、このような轟速球を投げる方もお見えのようだ。でも、恐らく、そういう方に限って、一度お会いすれば、きっと、うそを付けない真面目な方なのだろうなあ。本当は、この日本の「ものつくり」の世界って、大勢の そんな人達が支えているような気がする。


2007年6月27日 晴れ 31度
今日も例の製作が続いた。考えてみれば、こうして毎日毎日、無い時間を見つけて、ここに書き込みを繰り返して、読者に何を読んで頂こうというのだろうか。三流以下の小説家気分なのだろうか、それともちょっとした記者気分なのだろうか、或いは、論を起こして発表の場だとでも大上段にものを言うつもりなのだろうか、或いは、業務連絡用にいつも開いているから、だろうか。又は、それ以上に、ここは、こんなところなんだ、こんなことをして、日々時間が過ぎている何処にでもありそうな、ありふれたところなんだけど、良かったら一緒に「ものつくり」をしませんか?出来るだけ誠実になって、出来る範囲で協力しますよ。と、さらりと 交わす ノリ やオブラートのような書き込みを自分では続けているつもりなのかも知れない。恐らく、全て正解だろう。、、、そう突き放したように言ってしまえば、それでお仕舞いだ。人の性格分析なんて言ったって、解らないのが現実だろう。しかし、よくまあ飽きもせず、毎日毎日、あと4ヶ月ほどで丸5年になるんだなあ。さて、時間だ。では、どちら様も失礼。今からちょっと、トマトジュースを一杯飲んでから仕事ですね。


2007年6月26日 晴れ 30度
今日も例の製作を続けた。他のページの更新に当たっていたためもう殆ど時間が無い。取り合えず、何とか頑張っている。書き込むほどの事も何も無い。ただ、暑い日であると言っても、何かもうひとつ ぱっとしないものか。おっと、時間だ。では失礼


2007年6月25日 晴れ 29度
明けると晴れの一日。今日も例の製作が続いた。有難い事に幾つかのお問い合わせも続いた。世間では景気は反転して上昇傾向になったと、各種指標はいうのだが、世間様とは全く別個の動きをしているのが、我々のような中小企業なのだろう。世間の景気がどうあろうとも、一件大口がつけば、がらりと動きが変わり、2件大口がつけば、御の字なのだが、大口はやがて、変わりやすい秋の空以上に、振り向きもせず、急に去っていく事が間々あるものだ。2件大口が去れば、生存の危機に至るので元の木阿弥と化す。だから、常に心がけなければならないのは、質素倹約だろうか。常に、襟を正し、出るところを抑え、余裕がある間に、死に物狂いになって、次の手を打って行かなければならないものだろうか。「下請」の2文字の呪縛から解き放たれよ、とは、巧く言ったものだ。しかし、それが出来るようで中々出来ないのが現実だろうか。全国100万社はあると言われる中小企業の、その全てが独自な道を進めとは言わないが、多かれ少なかれ、皆 似たようなことは考えているのだろう。それでいて、なかなか、そうは行かないものだろうか。常に、損得勘定があり、常に、自分だけは選ばれた者達なんだという、甘さが起きてしまうものかもしれないからだ。だから、何度でもふんどしを締め直して、或いはたずなを締めて、身の回りを小奇麗にし、点検を繰り返す事を忘れてはならない。野放図な世間では、周囲状況の変化が常に起きるのだ。それではいけない。選民意識は青春時代を迷いながら徘徊する若者だけで充分なのかもしれない。「自分探しの旅」だ。しかし、如何に小さな中小企業であろうとも、仕事に対しては、胸を張って、堂々と事に当たっていく姿勢を見せ続けて行かなければならない。それでは、次世代を担う若者達に、希望を与える事は出来ないだろう。彼らに、将来への亘る明るい夢を与える事が出来ないようでは、大なりと言えど、否、小なりと言えど、我々のようなさらに極細の小なりと言えど、先はないと言い切る覚悟は、そんな現状認識の上からも必要なのだろうか。「若者に問え」とは確かに真理かもしれない。彼らの鋭い感受性は、いつも、時代をリードして来たからだ。だから、我々のような中小であろうと、常に若者の声に耳を傾けることは有意義だ。彼らが暗い未来と言えば、恐らく間違いなく、未来は暗い暗黒時代がやってくるのだろうし、彼らが明るいと言えば、明るいばら色の未来がやって来るのだろうか。さあ、最大多数の若者は今何を考えているのだろうか。それを参考にし、次を読み、次の手を打つこと。


2007年6月24日 豪雨 23度
今日も作業を継続していた。折角の6号機であったが、さらに改良の必要なところを見つけ、悪戦苦闘が始まっていた為、全ての予定は変更となり、再度の組み直しになった。痛い展開だ。一歩前進2歩後退は技術の世界では当たり前か。増してや、全部自分で作業をして行くとなってはなおさらか。結局、回りまわって、最初の方式の方が面倒ではあっても、それらしい線は出せたものだ。だがら、次に出来る事は決まっている。足して2で割るしかないか。芯をどうとるか、それだけのことではあるが、作業効率を下げる事になるので、ここは、またまた、ない知恵を搾り出す他に無い。結局、夕方近くまで あーでもないこーでもないの繰り返しとなった。、、、、まだ考えていた。歯の辺りだ。そこの改良が必要だ。図にしてみた。そこの点だけだ。そこをどう移動出来るようにするか、それだけなのだが、こうしてまた 休みの日も仕事で潰れた。


2007年6月23日 晴れ 29度
2,3日晴れると雨の日があるようだ。今日は、晴れて目出度く、例の製作を続けた。例の800キロの鉄のケースを浮かべるブロックの加工などをしていて、鉄が水に浮かぶのも考えてみれば不思議なものだし、増して、鉄の塊の飛行機も浮かぶなんてさらに不思議なものだと、改めて関心した。こうして、有難い事に、日々様々な加工製作作業を続けている。以前、東京の光都市設計の人が、レパートリーを何処まで増やせるかに掛かっている、と言われたのを思い出した。「ザウルスの尻尾現象」なのだろう。どこまでも、少量の多品種、他に無い商材、というのが、この世界で生き残るキーワードだと。だから、頑張る他に無いのだろうか。1週間が過ぎるのが、嘘の様に早い。、、、さて、あれをしてこれをして、それからまた、あれをしてこれをして、、、、、


2007年6月22日 雨 23度
世の中解らない事ばかりだが、天気はもっと解らないものか。終日雨。以前には、こんな日は、テントの下では雨滴で仕事にならなかったのだが、お蔭様で、先日より修理が叶って、作業に支障は無くなった。だから今日も例の製作の後、また、例の加工道具の工夫に余念が無かった。昨日もお問い合わせが重なってあったのは、1mの球の加工の一件だ。だから、急いで、球の加工機の最終チェックをしていた。今回の機の完成度は我ながら満足行けるものになったと思う。最初、或る学生さんから「簡単に球の加工を出来る方法を教えてください」とのご質問があって、あーでもないこーでもない、と試行錯誤を繰り返して、かれこれ5年が過ぎた。あの学生さんもとっくに卒業なさって社会人になっておられるのだろうか。こちらでは、高々、5年程度では鼻くそをほじくっている位の経過時間だろうか。いいものを作る作業なんて、5年は屁のつっぱりのようなものだ。今度の自前の加工機でNO6号機になるのだろうか。学生さんもこれ位の意気込みで、卒業課題に取り組んでおられたら、最早、単なる卒業証書を宛てにした程度じゃなくて、遠に、芸術家の卵の域なのだろうなあ。どうしても、その課題を達成したいとか、どうしてもその真髄を極めてみたいとか、発見したいとか、何か、本物の「ものつくり」に取り組んでいる連中からすれば、時間経過は、直ぐに5年や10年ははみ出してしまうものなのだろう。決して、途中で投げ出さないのは、何故だろうか。解らないが、作り上げる時の喜びなのかなあ。さあ、これも次回、試作が出来る段階に来た。次は、例のセルパネの加工機だ。また、アクリル板をどうして工面するかでストップしている。無い予算にまたまた、追い討ちを掛けるような出費に決断がつかない。何しろ、これも一度試してだめなら全ての労力がパーになってしまうからだ。それでも、やってみるか、どうかと言った段階に来ている。


2007年6月21日 秋のような晴れ 27度
まだまだ、カラリとした7月にもならない。ぱっと晴れた8月にも程遠い。こんな梅雨時であってみれば、天気もふと 中休みとなって 小気味よく、急に 空一面が晴れて、日差しはギンギラギンで積乱雲でも立ち込める暑い夏が来るんじゃないかと、一足早く、次の季節感をお知らせして来れるならば、何のことも無い 例年のことなのだろう。が、今年は、何と秋のすじ雲が出現するとはどうしたことか。窓の外を覗き込んでも、入道雲も何処にも見えない。妙に いつもの季節感と違っているのは気のせいだろうか。高々雲の上の話であってすら それらしくないと言うのは厭に寂しいものだろう。夏は暑く冬は寒いのが景気にとっても良いに決まっている。だから梅雨時は雨であって欲しいものだ。晴れたら晴れたで、うだるようなカンカン照りになって欲しいものだ。この分だと、たらたらと、いつ終わるとも知れない空梅雨と、予報が外れて、早すぎる秋の長雨にでもなるのだろうか。窓の内側では、今日も例の製作が続いていた。そして、それらしくあろうがなかろうが、いつもの様に変わらぬ作業が延々と続く。ばたばたと飛び跳ねる日々が続く。今日も例の加工機まで届かない。代わりと言っては何だが、もうひとつの例の加工機の件でお問い合わせが重なり、そちらの詰めを急ぐ事になった。お問い合わせでは、有難い事に、今日もまた実に様々なお問い合わせが続いた。確かに、それは、波のようだ。日々、周期を持っている。重なって疎密を繰り返し、その先に我々の生活における年中行事の周期があるのだろうか。そんな事まで見えてくるものだ。中には早くも、秋以降で動いておられる向きもあるようだし、波の先端は何処まで達しているのだろう。だから、却って、緩急見分けがつかない波の先端があるのだから、こんな文章も、日々、たらたらと、さらに たらたらと宛ても無く、無用につまらなく、限りなく 詰まらなく、人知れず無頓着に詰まらなく、 寝ても覚めてもつまらなく、そして、くだくだと書きなぐっている方がいいのかもしれない。そのほうが、どこまでも広がるネットの波で、地球の裏側まで届いた時には、こつん 混沌と 和太鼓が鳴る様に響いてくれるかも知れないからだ。気楽に行こう。焦っても仕方が無い。


2007年6月20日 晴れ 29度
矢張り長雨は今年はないのだろうか、今日は晴れて、例の製作になった。基本的な考え方としては、商売は石橋を叩いても渡らないぐらいの注意深さは必要なのだろう。確かに、えいっやっーで新規開拓や初期設備投資にお金を借りてまでしてジャボジャボ使うような、「賭け」 を打っていくような大胆さは、強運の持ち主なら 或いは良いのかもしれないが、自分の運試しなら、試験的にジャンボの宝くじでも買えば、明らかな結論が直ぐに出てくる事実があるというものだ。自分に運があるのか無いのか、そんな事は、その程度のサンプリングで充分だろうか。まず、当たったことは無い。だから、なおさら商売の基本は、身の丈に合わせて、決して背伸びをしないことなのだろう。後は、我武者羅になって頑張るか、乾いたタオルを絞るように無い知恵をさらに何とか絞ることだろうか。商売の難しさはそこにあるのだろう。運転資金なんて、本来売り上げの何倍必要だろうか。先日廃業された材木屋さんから、嫌というほど聞かされたものだ。一方、これでもかこれでもか、と乾いたタオル絞りは続くのだ。テレビの あんな、波乱万丈な会社なんて、何万分の1のお話しだ。大半の会社は、日々、石橋を叩いても渡らず、慎重に慎重にしか進まないものだ。そして、後は秘策を練ることか、、、


2007年6月19日 曇りのち雨  25度
今日も例の製作が続いた。こうして、毎日訪問者数の推移を見ていると、以外にも特異日のように、突如として急増する日がある。本日はそうだった。高々、日に30人40人の訪問者しかないような、数ある他の専門的な事に限定したHPと何ら変わらないはずが、突如として200人を超えるような事が起きるのだ。理由はよく解らない。過去に何度かそのような事があったのは確かだ。だから、特異な現象なのだろうか。昨年は、吉永小百合の『夢千代日記』の里が例のイベントをしていた頃は、こちらのHPにも、おこぼれなのだろう、毎日300人以上の訪問者が1ヶ月に渡って続いた事があったのだが、以来、また、元の訪問者数に戻って、落ち着いた数字になっていたのだが、このように、突然急増するのだ。解らないものだ。全国的に雨の為に、出掛ける人が減って、みんな机の前でPCにかじりついていたからだろうか。ちゃんと仕事をしているのだろうかなあ。面白そうな当HPで暇つぶしをしているからだろうか。、、、、、一昨日、私用で久しぶりに、例のSントリー研のHさんにメールを入れたら、現在、中国に単身赴任して、向こうで大きな仕事に取り組んでいるとのご返事を頂いた。お元気そうで何よりだった。本当にあのHさんは、研究所においておくのは勿体無い人だ。何処か、もっと国家天下の為に研究出来る所で好きな研究に没頭なさったほうがずっと良い結果をもたらすだろうと思うのだが。特に例の水耕栽培に関しては、もう押しも押されもしない、世界的な権威にまでのし上って来られたようだし、なおさらだ。実に勿体無い人材なのだ。会社はちゃんとそこまで見てくれているのだろうか。心配なものだ。確かに、北京オリンピックに向けた急激な工業化は、同時に環境問題を生み出し、黄砂どころか、オキシダントまで大量に飛んでくるような事態に至っては、将に、水耕栽培で孤軍奮闘し、大陸を緑化して一矢報いるのは、方向性としては正しいのだろう。如いては、日本国内の環境問題の改善にまで必ず、響いてくる大変な問題なのだろうからだ。中国では毎年九州程の面積が砂漠化しているのだ。このまま行くと、あっという間に中国全土が砂漠化してしまうのだ。そうなれば、一番困るのは日本だ。砂漠の熱波は怨念と化して、黄海を渡り、日本の雨量も激減していくからだ。それを食い止めずして、地球環境の問題は絶対に前進は無いのだろう。


2007年6月18日 雨 25度
雨の月曜日。今日も例の製作が続いた。例の凹凸の在庫積み上げも珍しく重なった為、またいつもに無く、ばったばったと飛び跳ねるように、自家製の加工機を上下させていた。有難い事に、幾つものお問い合わせも例の如く続き、止みそうで止まない曇天に似合わず、ある意味ご機嫌でもあったのだろうか。気が付けば、予定終了の夕刻を過ぎ、この日も遅く、漸く、作業を置くことになった。ここまでだ。今日も出来るだけのことはして来た。やれるだけのことは精一杯してきた積もりだ。しかし、我々中小では、そんなことで満足する訳には無論いかない。さらに、無い時間を見計らって、次の計画を立てては進んでいかなければ、やがて、今日のばたばた作業ですら頓挫するのだろう位の そんな危機意識は常にもっておかなければならないだろうからだ。だから、24時間が仕事のようなものだ。作業を終えてからが、また次の次を練る為の仕事のようなものか。次の作戦を練っていかなければならないのだ。様々な文献を取り出し、整理し、一体全体からこの情勢を発泡スチロールの立場からどう判断し、どうこの先の道筋を練っていくかが、最も大事な仕事ではあるのだろうか、、、、ここまで書いて、また眠ってしまった、、、、夢の中で練っていたようだ。、、、、ではここまで


2007年6月17日 晴れ 29度
今日も昼過ぎまで掛かってばたばたと製作。例の道具についてもあれこれと手を加えていた。何となく、徐々に1週間の感覚が麻痺しているような気がする。明けても暮れても連続した作業が続いているからだろう。気持ちの中で日曜も月曜も変わらないようになってきた。何しろ、課題はごろごろと積みあがっている。勇気をだしてひとつひとつ乗り越えていかなければならないのだが、例の加工機については、骨組みの組み立てで基本的なところは終了した。後は透明の板でも貼ってラインのチューブを繋げれば、取り敢えず、本当に循環するのかどうか、それで、行けるがどうかの試験は出来る。あと半月か1ヶ月ってところだろうか、、


2007年6月16日 晴れ 30度
矢張り、流れは、サバンナ気候なのだろうか、空梅雨の暑い中、今日も例の製作を進めた。急ぎの製作も入って、予定していた作業の半分も進んでいない。漸く、夕方になって、例の加工機の組み立て作業に移った。加工機の全容が見え出したのは、夜も遅くになってからだろうか。急いでいる。このような閉じた循環ラインというのは、全体を組み上げていかなければ、テストしても意味が無いのだ。しかも、試験動作を1度確認してしまうと、これまで苦労して組み立ててきても、全体の要不要が、○×式に或いは、300円の宝くじのようにその場で出てしまうものだ。修正出来るところは極めて少ないものだ。 まあ、何といっても、予算がないから、殆ど、寄せ集めで製作しているのだ。廃品に廃材に材木屋さんで頂いた端材に、中古の錆びたブロアーと、配線だけは、嫌にしっかりしたものだが、これで、セルパネになるのだろうか、と疑ってみても仕方が無いようなものかもしれない。あと少しだ。





業務連絡
大学院の方 お名前と連絡先をお知らせ下さい

研究用液体窒素のくり抜き容器の製作の件で 「55×200mmで深さ400mmのくり抜きが出来ますか」、とお尋ねされた方、
取り合えず出来るかどうか作ってみます、とご返事し、ばたばたしておりました為に、うっかり、連絡先 お名前などお聞きするのを忘れてしまいました
左記に出来上がりの写真を貼っておきます。このようなものでも実験に支障ないようでしたら、至急ご連絡下さいませ
念のため厚さ80mmとっております。材質は例の液体窒素用発泡スチロールになります。






007年6月15日 曇り後晴れ 29度

何だ、もう梅雨の中休みか、と空を仰ぎながら今日も例の製作を続けた。終日、例の加工と急ぎの加工に、まだかまだかの加工や、早く早くの加工と、そこを何とか、と言った加工まであり、終日休み無しではあった。不思議と重なるもので、加工用の道具についてのアドバイスをお求めの向きが、都合3件あり、市販の糸鋸型の発泡スチロール用のカットする道具では、もうひとつ痒いところに手が届かないような加工には使えないから、ここはどうしたらいいのか、また、こういった場合はどうしたらいいのか、と言った内容や、何度か使っていると、切れがどんどん低下してくるので、もっと良いものは無いか、と言った内容や、今まで数量が限られていたので、ちょこっと自分でカットして作っていたが、沢山いっぺんに作る方法はないか、との内容や、または、表面がつるりと油はついていないのだが油がついたような光沢のあるつるりとした仕上がりはどうしたらできるか、とか、内容的には様々でありましたが、過去何度が合った通り、不思議と重なって来るものでした。その為、例のセルパネ用加工機の組み立て作業まで至らず、残念だが時間もなくなった。ではここまで


2007年6月14日 雨 23度 入梅
今日も例の製作となった。例の、ぎしぎしかったん ぎしぎしかったん♪ の自作加工機での例の形状の在庫積み上げも ばたばたしながら続けていた。外は珍しく終日雨。内では、変わらない乾いた風景か。作業は少しずつ、一歩ずつ確実に進めていくほかにない。累々と その積み重ね以外に出来る事はない。頑張って、頑張って、我武者羅になって脇目も振らず、前を見て、じっと前を見て、さらに遠方まで見て、休まずに継続していかなければならない。きっと、その「継続」から道は開けてくるのだろうという多少淡いが確固とした期待と希望を持って何事にも当たっていくことは大事なのだろう。こうして 満50歳を迎えて様々な課題が目白押しだ。人生50年とは今は昔。今では、50年は、これからやるぞ、頑張るぞの合図や烽火なのだろうか。確かに、これは定年を指折り数えて暮らす多くのサラリーマン50代では見られないことかもしれない。或いは、成功した数を指折り数えて悦にいる億万長者の50代でもないのかもしれない。何しろ、吹けば空の彼方まで飛んでいくような発泡スチロールの加工販売業だ。せっせ、せっせと日々、頑張って頑張って、或いは、次そして次の次には何が来るのか、と時代を深読みしながら、「ひょっとして、もしかして、きっとそうかも」と、儲からない仕事に夢中になって、止めることも出来ずにいる50代なのだろうか。


2007年6月13日 晴れ 30度
今日も朝から例の製作になった。と或るご担当のお問い合わせで、価格comの一件についての内容があった。考えてみれば、日本の消費者は世界でも優れて商品選別には厳しいものを持っているのは、矢張り、消費スタイルの基本から来ているのだろうか。兎に角、昔から、毎日毎日、商店や市場へその日食べるだけの野菜や魚を買いに出掛けていれば、その都度、通り掛りのウインドウショッピングも相当蓄積学習されていくだろうし、商品に対する目利き、審美眼などは否が応でも鍛えられるというものだろうか。世界でも、これだけ、小まめに毎日買い出しに出掛ける国は少ないらしい。勿論、気候風土が高温多湿で生ものが日持ちしなかった事が基本にあるのだろうが、そうして、鍛えられた商品選別力は、世界でも稀に見る、厳格な消費スタイルを作り上げてきたのが、この背景にあると考えられる。これは、良いことである。だからこそ、この国発の世界的ヒット商品は、次々と世界を席巻して行き、やがて、例えばこの国発の世界トップモードから、面白カラクリ商品まで、ヒット商品が後を絶たないのは、そうした消費者の厳しい目に支えられての事だろう。そして、「なんぼのものか」と言う視点で全てを斬って行く事は、消費者サイドからは、矢張り重要な情報だろう。効率的であり、購買意欲を側面支援するものだろうか。そして、事細かにあらゆる商品に対して、網の目が張られて来たわけだ。しかし、ここで再度検証しよう。消費全盛の中、一方で、質素倹約というスタイルが流行っていた時代との比較だ。足るを知る、が美徳であった頃、、、、、、おっとまた眠ってしまったようだ。そうだ、先日、水の分子に或る周波数の電磁波を共振?させると簡単に「燃える水」に変換できる実証実験が島根県安芸市で行われていた、と言う事を とあるところから聞いた。理論的なことは全くよく解らないが(倉田式量子力学?)、日本人によるとてつもない発明なのだろう。だから、まだまだ、消費は伸びていくのだろうか。発泡スチロールも、37度程度で、灯油に変換するらしいので、驚きだ。灯油に変換する際のエネルギーは殆ど要らないで済むそうだ。オレンジの皮汁で溶かせば、元の発泡スチロールの原料に戻るだけだし、180度のてんぷら油で溶かすよりも、一桁低い温度でそれが可能だし、溶かすのにわざわざ他の特別な化合物が同量必要な面倒さも無い訳だし、何よりも、発泡スチロールが灯油にまで一気に分子レベルで変換していくことの凄さがあるようだ。 だから、科学の進歩発展は、我々を支える膨大な消費以上に、まだまだ際限なく継続していくのだろうか。そんな気もする。


2007年6月12日 晴れ 30度
まだ梅雨にならない。この時期に長雨がないのは、サバンナ気候にでもなったような気がする。昼間は暑く、夕方に掛けてスコールがあるというあれだ。気象台の予測は 暑い夏を想定しているようだが、いつかあった40度近い日が続く熱い夏は、甲子園だけかもしれないと思うのは、勝手な予想だろうか。今日も例の製作を続けた。急な急ぎの製作もあり、終日ばたばたしていた。昼には、胸に秘めた、ジャンボの当選発表があった。全国ではこの瞬間、100人以上の億万長者が生まれているのだが、なけなしの僅かな小遣い銭で買って大事に仕舞っていた1枚を拝むのも、敢え無く、そこまでになって、これが何度目になるのか見当もつかないが、残念だが、かすりもせず、屑籠行きとなった。大きく膨らんでいた夢も、パッと散って行った。ふと、振り返ってみると、そこには、有り合わせの部材で組み立て中のセルパネの加工機が、静かに横たわっていた。


2007年6月11日 晴れ 29度
今日も例の製作が続いた。そして、斯くもばたばたと過ぎた。その間も、お問い合わせの内容から、さらに幾つかの こうしたらどうか、ああしたらどうか、と言った提案まで有難い事に頂いた。各ご提案もいずれ至急に上市したいものだ。また、糊と小道具においては、現在検討段階に入った。これだけ 度々重なるお問い合わせには、発泡スチロール製の球と同様の考えで接していくべきだったかも知れない。改善あるのみだろうか。だから、こうして今日も時間がない。かたじけないと言うべきか。その間、例の加工機の蓋をどうするべきか、またまた無いところから 引き出そうと、合間を見ては、行ったり来たりとなっている。繰り返すが、先を急がなければならない。前向きに、只管 前向きに 前進あるのみなのだろうか。頑張って、ゴールの見えない先を目指して、休まず走って行くほかに何も無い。何か、もっと大事な事を書き留めておくべきなのだが、時間だ。ではこれで


2007年6月10日 晴れ時々スコール性の雨  25度
今日も、例の加工機の逆円錐型蟻地獄のような窪みの製作に掛かっていた。これ自体、材質を発泡スチロールにした場合、造作なくできるようだ。直に仕上がるも、装置の設置する空間の狭さからか、出来てみると、死に空間というか、円錐状の窪み以外の使えない空間が相当大きくなってしまうのは予定外ではあった。後は、この窪みを覆うべくドームの製作に移る。そして装置全体を閉じた循環ラインにするわけだ。ここからが、また幾つも秘策を練りながらの組み立てとなるのだろうか。、、、、、作業の手を休め、座り込んで、新聞の読書欄に目を通していると、野村進 著 『千年、働いてきました』(角川)の本の紹介があるのを見つけた。「あなたは知っていますか、世界最古の会社が大阪にあり、飛鳥時代から1400年も続いていること、、、」の解説を読んでいるだけでも、気持ちが大変勇気付けられるものがあった。後の、内容については、読んでいないので一切解らないのだが、全く構わないものだ。その会社がそれだけ長い期間、存続しているのだから、屋久島の7000年生きている縄文杉のようなものだ。そんなに長生きしているというだけで、こちらも大変神聖なものを拝んでいるような、有難い気分になると言うものだ。会社の寿命は普通に巧くいっても、高々30年が周期だという30年周期説があった。また、それを論じた本も何冊か読んだ事がある。だから、30年毎に、脱皮を繰り返す、時代のニーズの変化に様々な会社が、大企業も中小も、淘汰されて、殆どの会社は消えていくのだ。というのは、身近な世間を見ていても、特にごく当然のような事象現象のように思えていたのだが、30年60年程度では全く話にならないと言う訳だ。それは、伝統的な工芸品の会社なのだろうか、それとも何かをせっせと作り続けることで、結果的に伝統工芸品になったのだろうか、よく解らないが、師弟関係のような人から人へと、累々と全く絶えることなく、ノウハウの継承がなされて来たのだろう。それこそ、神がかり的に継承が旨く行ったのだろう。或いは現実社会の巨大迷路パズルの中を、1400回も、ずっと、正解してきたのだろうか。或いはイチローがぽんぽんヒットを打っているようなことを、まるで、毎年続けて1400回、連続安打打ちしているようなものだろうか。もう、何年前になるのか、あの悲しき発泡スチロールマンの会社の50周年を盛大に祝ったことがあったのを覚えている。或いは、あの、団扇の伝統工芸の溌剌とした7代目若社長の話を以前ここに書いた事もあった。或いは、22代目になる長浜の寺の坊主のみそぎ君の話を書いた事もある。逆に、数年前、突然のように逝った材木屋主人の後、残された家族が悲惨なまでに、一家散りじりになって夜逃げしていった話をここで書いた事もある。そして、昨日始めたという会社の新規事業の件でのお問い合わせは、不思議と毎日のようにある。しかし、1000年を越えて、といった話は聞いた事がなかった。1000年を越えて、存続する商売とその会社。1000年、1000の風になって、、、、千の風♪千の風♪、、、


2007年6月9日 曇り後スコール  24度
まるで、いきなり梅雨の末期のように思える雷を伴った激しい雨も長続きしない。梅雨前線が南から北上して来ないので、この雨も一過性の低気圧のせいらしい。今日も例の製作を続けた。段取りをつけて、夕方、また例の加工機の製作に掛かっていた。吸入ラインから分岐し、循環用のドレン管にチーズを挟むべきだった。支弁からの返しをチーズにつなげれば、何も長いものは要らないのだ。作業性も見た目にもその方が簡素に収まるだろう。そして、閉じたラインの吸い込み側に掛かる。吸い込みラインには、結局予算が無いので、あり合わせのもので、底面にL穴をつけたブロックを使う事になった。これで、最下部一旦平面にして、その上に円錐状の穴、蟻地獄の巣に似た形状を作るが、これもまた予算の都合上、発泡スチロールのブロックから切り出すことにした。まあ、確かに、軽く、持ち運びには便利かもしれないが、必要な形状を製作し易いのは確かだ。この形状を確保できれば、2ラインをここに集合して、後は、密封用の外枠を製作すれば、ほぼ完成になる。しかし、吐き出しの管の口径とドレンの自然排水の口径の差が、2倍か3倍必要だったように、今回も、このラインで管の口径に問題が起きそうな気がするので、矢張り、チーズはやめて、3ライン程度の方が無難なのかもしれない。また、アクリルで作った装置に詰まりが起きるかもしれない。果たして、エアーの場合、今回はどうだろうか。兎に角、一度閉じた循環ラインを完成までして、そこで実際に動かしてみなければ、何ともいえない動きなのだろうか。まだまだ、次々にセルパネを交換してどうするかなど、作業性を考えるところまで至っていない。まず、なんとしても、循環ラインを先に閉じなければ、2度目の試運転までいかないようだ。


2007年6月8日 晴れ後曇り 29度
朝方さっと通り雨ごときものあり。依然空梅雨か、お湿り程度。地面を濡らす程も無く過ぎる。午後からの雨予報もハズレ。発泡スチロールの端材舞う突風が2度3度、冬の枯らっ風に似て吹いては見るが、意外に肌に暑い風なり。こうして今日も斯くの如く例の作業を続ける。昨日と打って変わって、お問い合わせ やけに多し、可能な限り、応対に心掛けるも、また自ら始めたHPの事とて他に振る訳にも行かず。多忙極まりなくもまた、これも楽し。これも斯く精進、学の道の一形態とて割り切ってみる。
遠方よりのお礼の便り一報あり。第67回文化展 入賞作品に、別途単独に当社より、ささやかなる賞(『フジカット大賞』)贈呈の有難いご返答なり。写真のみ記念に掲示 以下
  


堂々と並ぶ『フジカット大賞』と入賞作品


 


 





そして、これが噂の『フジカット大賞』だ!





2007年6月7日 晴れ 29度
今日も例の製作を続けた。そんな話を淡々と聞かされると、頑張る他に無い。昼前頃、半年ほど見えなかった客先の若い営業マンがひょっこり見える。父親と共に、15のときから、リューマチで一人では立てない母親を、懸命に介護しながら十数年来たらしい。その父親を昨年暮れに僅か1ヶ月、あっという間に癌で亡くしたそうだ。それで、今は、ひとりで風呂にも入れない母親を見ながらの仕事になったそうだ。とっくに出世も結婚も諦めた。会社はいつ首になるか解らない。しかし今は、空いた時間の全てを介護にあてているそうだ。少ない給料から、生活費を差し引いて、なけなしの貯金を叩いて、先日は、介護施設の整った温泉に親を連れて行ったそうだ。夫を亡くして落ち込んでいる母親への せめてものプレゼントだったそうだ。スロープがあって家族風呂の温泉施設というのは なかなか少なく、予約制で、めったに順番が取れないものが、やっと行けたことで、リューマチの親も大変喜んでくれたそうだ。しかし、そうして、仕事はどんどん遅れていく。周囲にはどんどん先を越される。大事な話があっても、先に帰らなければならない。予定があっても、苦しむ親の顔を思いだすと、飛んで帰らなければならない。漸く、予約がとれた温泉は、会社を休んで平日に行く他になかった。だから、給料は上がらない。増して、ノルマの厳しい営業職だ。それでも、いい。それでも、会社に置いてもらえればそれでいい。何が大事か、何が必要か、今出来る事は何か、先に逝った父親の姿勢をずっと見ながら育ったから自分なりに解っている積もりだ、と言う。、、、だから頑張るほかにない。頑張って、頑張ってやっていく他に何もない。そんな話を聞いていると、どうしても こちらも頑張るほかに無いものだ。 、、、その後、マキノ機工商会の財部さんがやって来る。「長い付き合いですね。もう、かれこれ19年になりましたよ」と何時に無く、センチな話を切り口に、思い出を語リ始める。こちらも、センチな顔をしてたのだろうか、そうだそうだ、あれもあった、これもあったと話す。やがて、「あの悲しき発泡スチロールマンはどうしたのでしょうね」と消息話に花が咲く


2007年6月6日 晴れ 30度
今日も例の製作を急いでいた。兎に角、後しばらく作業を先へ進めて時間を確保していかなければ、例の加工機の組み立てが間々ならない状態である。そう言いながら、有難い事に、実に不思議なお問い合わせも続いている。ひとつひとつ、懇切丁寧に答えて行く以外に何もない訳ではある。こうして、その姿勢を4年5年と続けて来た訳だ。確かに、基本的に、ネットでのこういった取り組みは、待ち の姿勢でのことかもしれない。こちらから、打って行くようなものではない。しかし、だからと言って決しておろそかにできるようなものでもない。ニーズが何処にあるのか、常に初心に帰って探していかなければならないものだ。そして、それ以上に、本当は こういった取り組みの中から、どういったストーリーを作り出せるかなのかもしれない。逆の立場から見ればそうだろう。この限られたネットの平面の中に、如何に空間的な現実を作り出せるか、だろうか。さらに、ネットの平面の中に、その素材を通して、如何に真実性のあることを訴えて行けるか、なのかも知れない。確かに、ある意味で、製作実例は有効な方法ではあるのだろう。それ以外には、今のところ、お越し頂いたユーザー様に出来うる限りの対応をしていく以外に無いのかもしれない。これは、世の多くのウインドウを広げる商店とおなじであり、本来、客商売 とは、如何にあるべきか、などとは、イタリアのジェノバかアラビアンナイトか或いは論語に登場する数々の商売人の語りに描かれたとおり、基本的なものは変わらないのだ。そのたった一人のユーザーが何を求めているのか、から、その業種全般の傾向まで先をどう読むか どうか、これに尽きるのだろうか。言うは易く行なうは難し、だから、当たって砕けろ式に、前向きに全力で頑張る他に無いか。、、、、おっと疲れたか、また眠ってしまった。もう時間だ。


2007年6月5日 晴れ 27度
今日も例の製作を続けた。空を拝んでは天気を気にしていた。また、今年も入梅は遅れるのだろうか。乾燥した状態は続いている。一雨ではなくて、だらだらと、湿っぽい雨が欲しい場面だ。急ぎの製作が幾つかあり、夕方になって、また、例の加工機の製作に挑む事にした。これで、吸入側をひとまず完成として、今度は、チューブを伝わって2ラインを戻すエリアもいっそ、閉じた空間に仕上げていくべきだと考えるようになり、早速、その準備に掛かっていた。確かに、小さな娘さんのピアノの練習室とまで行けるかどうか、ここで、自分で製作して見る必要はありそうだから、こんなところで、もたもたしている訳に行かないのだが、さりとて、作業は遅々として進まないものだろうか。頑張る他に無い。結果を出さなければならない。セルパネも愛知の地球博に特別展示されていたんだなあ。それを見た方もおられるんだから、ご縁の広がりは、正しくネットの不思議だなあ。



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