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営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
                    


2007年 2月18日 曇り時々みぞれ交じりの雨 5度
      
  「水鳥の 行くも帰るも 跡絶えて されども道は たがはざりけり」   道元の言葉

  「見ず知らずの 行けど帰れど 靴跡絶えず さればこそナビ おっと忘れた」 武者の工事 篤実


昼間、今日も例の製作になった。少しでも急ぎの作業を追い込んで行かなければ、例の製作の準備が控えているのだった。夕方になり、作業より空腹の方が勝るようになって一段落とした。帰り、近くの図書館で例の予約の本を3冊受け取る。どうも、世界情勢が気になるので、結構状況判断の材料としては自分なりにぴか一と考えた資料集と歴史書などを遠方の図書館からの貸し出しで、滅多に無い資料であったが漸く目を通すことが出来た。それで、そんな確信を持つようになった。どうも、また きな臭い雰囲気が中近東で広がっているからだ。やはり、彼らは収奪の為の交換貨幣とでも呼べばいいのだろうか、それが単なる道具でしかないのだろうか。アジア或いは農耕民族などのお互いに与え合う物々交換を前提として発展してきた貨幣とは、歴史的にも異なるらしい。ラジオをひねると、通信高校講座現代文で 芥川龍之介の『はな』の朗読をしていた。ではこの辺で


2007年2月17日 雨 10度
有難い事に今日も例の製作が続いた。昼間、もう30年近い長いお付き合いの発泡スチロールのリサイクルの業者さんと話をしていたら、昨日茨木市にある東芝の冷蔵庫の工場の閉鎖が新聞に載っていたので、その話題になった。あそこへは、若い頃、一度だけアルバイトの募集があって出掛けたことがあった。面接では、組み立てパズルのようなことをさせられて、5分内に完成出来なければ採用で落ちるのだった。それで、何故か半分嫌気が差して、そういう強制的なものに反発する性格だったのだろうか、組み立てパズルを途中で止めて考え事をしていると直ぐに時間になり、残念でした、で交通費と食費をもらって帰ってきたのだった。優秀な人材を取り逃がしたものだ。なので、今となっては閉鎖なのだ。と、勝手なことをひとり考えながら、あそこにも専属で入っていた発泡スチロールの成型品メーカーがあったなあと業者さんと話していた。大手メーカーの選択と集中が続く。そこに連なったピラミッドの底辺でぶら下がっている何十万という中小企業の会社の存亡は、そうしてある日突然激変する。将棋の駒のようにひと吹きの突風で皆飛んでは裏返っていくのだろうか。またひとつ、またひとつと歯が抜けるように国内から企業が去っていく。城主が去れば城下町はあっという間に寂れていくのだろうか。そして、逆に大陸の人達の城下町はこれから栄えていくのだろうなあ。当然、企業の論理が働き、赤字では生き残れないのだから、一刻も早く選択と集中を進めなければ対前年比売り上げ向上の目標は達成出来ない訳なのだろう。だから、この事態を黙って残念がっていても仕方がないのだろう。この状況において、次の進むべきを探りだす外に生き残れる手段はないのだろうか。今のところ、こちらでは直接の取引は無い。しかし、発泡スチロール業界としては、またまた、痛い話として、こうして、井戸端での話題になるのだ。


2007年2月16日  晴れ時々曇り 12度
今日も例の製作が続いた。急ぎの例の巨大プロジェクト用の特注加工が、全体の作業を引き締めているのだろうか、それとも、例の新型セルパネの加工機の準備で、東奔西走している為だろうか、よくわからないが、時間が無い。あっという間に過ぎていく。この前、今週が始まったと思っていたらもう週末ではないか。もう一点、例の加工機の製作に掛かっている為もあるのだろうか。あれだこれだと妙案を出してはせっせと組み直ししている。何度も何度もやり直しだ。まあ、しかしこんな年齢になっても、新規の考案に諦めないで頑張っているものだ。出来るだけ簡単に、出来るだけ安上がりに出来ないものか。近々結果を出したいものだ。それが、お客さんの希望に叶うものだろうか。その横には例の球面体加工機が並べて置いてある。そう言えば、手作りシリーズの球のデパートページを始める予定だったが、それも伸び伸びになっているなあ。この前、670φ球を製作出荷したので、今度は1000φだ。670φ球の写真を撮り忘れていたので、670φ球ももう一つ製作しなければならないなあ。大変だ。時間が無い。
夕方、遠方から、中学のクラブだろうか生徒会だろうか、顧問先生の引率で、目のくるりとしたかわいい女子の生徒さんが、造花を挿す為の発泡スチロールのカット品を5,6個使いたいとお見えになった。大変多忙な時間帯ではあったが、急ぎで製作しお分けした。もう直ぐ、卒業式や入学式のシーズンだなあ。みんな、そして年齢を重ねていくのだなあ。別れと出会いの季節、、、、


2007年2月15日 12度 晴れ
結局、30Aに引き上げても焼けた。恐らく、この分だと100A辺りでなければ、その負荷に機具全体が耐え切れないのだろうと言うのが実感であった。今日も急ぎの製作に終日追われていたが、時間を少し、夕方になって確保出来たのでその続きになったが、どうしても、冷酷なものだ。正攻法では歯が立たない。ではどうするかになる。そこの絶縁をどうするかさえクリアー出来たらもう一つの方法は用意していたのだが、他にしっくり行きそうな方法を思いつかないものか、遅くまで、無いところに力を入れて踏ん張っていた。我々のように開発に携わる者にとって、結局のところ、ひとつひとつ延々と、絶えず、努力を惜しまず、このこと斯様に、可能性のある限り、ホシを潰していく他に無いのかも知れない。ここがこうなる、だったらこうしたらどうか。と、その繰り返しなのだ。何事も挑戦だ。前向きにアタックしていく他に無い。何度でも何度でも、やり直して、一から出直して、また挑戦する他に、それを突破する方法は何も無い。現状、100Aは他には使えない。だったら、30Aで出来る方法を試して見る以外に無い。それだけだ。後は、じっとして、机上の空想的試行というか、ヒラメキと言うか、現状、やれる範囲での実践と試作を続けるだけのことではないか。


2007年2月14日 雨時々突風 17度
気象台はこの突風を春一番としたらしいが、どうも釈然としない。本来なら、長くて寒いトンネルを抜けてようやく吹いた暖かい嵐のような風が「春一番」だろうに、まるで、冬らしい一定の寒い期間というものが無く、生暖かい だらだらとした天気が続いてからの、この風だ。ひょっとすると将に150年振りの異常気象が、銅鑼や太鼓を打ち鳴らして今から本番を迎える合図のようにも聞こえる中、今日も例の製作が続く。吹けば飛んでいく発泡スチロールなので、風の強い日は、特に作業に遅れを来たし、何年振りであろうと、厭な天気を気にしながらの、例の急ぎの製作も続けた。しかし、南極の3000mもある厚い氷を切り出して過去30万年程の気象変動を調査した結果は、10万年周期で、今よりまだまだ4,5度平均気温が高い時期もあったそうだから、どうも、この異常気象を直ぐに、排気ガスや自然破壊と言った人間社会の生産活動の結果に置いてしまうのには、無理があると思いながら、150年そこらの異常気象ではなくて、10万年振りの高温期に入っているんだ、と言った方が、例の製作を続ける上でも諦めがつくのだろうか。終日雨の降り続ける中、ばたばたしていて、例の加工機の組み立てまで至らない。、、、、、、おっとここまで書いていて眠ってしまったようだ。もうこんな時間だ。折角このページにもっともっとリンクを一杯貼り付けたりして、自分なりに他のブログみたいにしてみようと思っていたが、また次回だ。


2007年2月13日 晴れ  14度
今日も例の製作が続いた。一段落の後、また例の組み立てに掛かっていたのだが、基本的な点に立ち往生となった。5A程度では所詮、エナメル線の溶けるだけだったからだ。そこで、倉庫の奥から、使い古した30A変圧器を持ち出して来て、まだ使えないかどうか分解する手間となった。以前、真空ポンプも分解修理していたことがあったし、モーターもよく分解したものだし、油圧式の高圧ポンプも低圧ポンプも分解修理をしていたものだし、スチームの電磁弁などやけどをしながら何度も分解修理していたものだが、そう言えば、変圧器を分解するのは、これが始めてだっただろうか。中心のシャフトに付いたジャックナイフのような可変式が錆びてはいないのだが、まるで動かなくなっていた。本当によく、回り道をするものだ。これで、夜遅くまで時間を費やして修理となった。今日はここまで


2007年2月12日 晴れ 13度
今日も例の製作用の加工機でその結論を出せるところまで急ぎで組み上げていた。新型セルパネの部材もまだなので、動けるうちに動かなければならない。矢張り、思っていた以上に難解な点があって、その結果を出すまでに2,3方法を別に考えていてよかったようだ。何度か、調整の試し加工が出来る辺りまで組み立て、一段落とした。これで、明日にも試しが出来るだろうか。帰り、いよいよ地球温暖化は本当だと思わせるような暖かい昼下がり、ふらりと入った中古屋で『ネットビジネス入門』というDVDを見つける。「ネットビジネスであなたも簡単に明日から億万長者になれる」と言う題名に つい引っかかってしまう。これだこれだ、もうこんな生活から抜け出せるのだ。億万長者だ。大金持ちだ。と帰宅するまでは、確かに億万長者になったような気分に浸ることは出来た。温暖化の影響か、熱気でむんむんしていたのだろうか。開けて見て、ほんの5分ほど回すと、興冷めしていた。


2007年2月11日 曇り時々晴れ 13度
時間が出来たので、例の加工機の組み立てを続けた。確かに、それは上から見ると直線だが横から見ると目の錯覚なのだろう、きわめてデリケートな曲線になるのだ。これらを平面で一気に加工してしまおうというのが第一の方法であり、その機具さえクリアー出来れば最も簡単なのだが、今回は取り敢えず、被加工体を可動することにして、今日も時間の許す限り、組み立てを続けることにしたのだ。まず、90度を正確に出してそのまま平行移動が出来なければ話にならないので、十分な間隔でレールを並べてその上に駒で90度の台を平行移動出来るように組み上げてみた。ここまでは、左程難なく組み上がるのだが、これから針を立ててからが問題だろうか。この先は、いくら机上で動きを見ても実際にやってみないと解らないところだ。微妙なものだ。まだ一昔前、レコードの時代、針をレコード盤に下ろして、聞いたこともない曲を初めて聴く時のぞくぞく感に似ているのだろうか。反面、同時にさらにこのまま作業を進めるのではなく、この局面を打開できなかった場合、次の方法として、如何なるものがあるか、を思案していかなければならない。もし、ここで電源のスイッチを入れた場合、結果は解らないが、同様にスイッチを入れて、さらに別の結果を生みそうな方法はなかったか、と。つまり、ここまで組み上げてはいるが、この先何らかの方向転換は可能かどうかだ。結果次第だ。結果なんて、一瞬で決まる。だが、結果が出てから次の対処を決めるのも、今あれこれと考えておくのも同じだ。では、何が出来るか。その為のキーワードは、ナットひとつで留めてあるところを、複数にしておくことだろうか。だが、それをするためには折角ここまで組み上げてきたものを再度分解しなければならない。ここで、再度分解して、結果が2パターンか3パターンに対応出来るようにしておくか、それとも、えいやーで結果を急ぐかの判断になる。こうして、作業は延々と続く。


2007年2月10日 曇り時々雨 13度
今日も例の製作が続いた。例のスイーとんとん、スイーとんとん♪スイースイーとんとん♪の方の在庫積み上げ作業も続いた。少し設定の電圧に1目盛り程度の違いを作ってしまうだけでも、こんな積み上げでは、線がよく切れる。昼間、京都から由緒伝統の華道の家元だという色白美人がわざわざお足をお運び頂いてお見えになる。流石に、それとなく奥ゆかしい限りだ。お付きの男氏と例のその大きな加工品を運搬車にお乗せして、程なく一同お帰りになる。ほとんど お言葉を頂かずとも、お付きの人達に静かに掛ける「ごくろうさんどす」の一言に、千年以上に亘って続く京都の洗練された町衆そして貴族文化が営々とこうして生きた形で継承されているのが、まるで薪舞台に上がった人間国宝の究極の芸を拝むかのようで、ハッとして目が覚める思いであった。それはまた、あの のみ一本で静かに彫り上げていく仏師の宗教芸術のように、業師が生み出す独特の緊張感といったようなものが、「ごくろうさんどす」のたった一言から、一本の蝋燭の光とでも例えればいいのだろうか、 周囲に自然と白い明かりを灯して暗闇へ向けて煌々と伝わっていくのに似ている。ふと、もう4年前になるのだろうか、急性の肝炎で短い生涯を閉じた 伝説の障子張り職人Iくんを思い出さずにおけなかった。彼も一身に京文化の長い長い伝統を受け継いでいた。残念だが病に倒れ短命に終わることになったのだが、もし、生きてこんな場面に立ち会えば、きっと一言、同じような成り行きで、そう声を周囲に掛けたに違いない。そうだ。こうして、様々な加工製作を繰り返していると、伝統芸というのか、その道に生きる大勢の人々の横顔に接する機会も当然増えて来るものなんだろうか。


2007年2月9日 小雨 15度
ようやく一段落がついた後、また次の例の製作が続いた。回転体の平面展開図からはどこにも直線は見えてこないのだが、確かに回転する立体にサンプルモデルを立てれば、それは縦横に走る直線の乱雑さをともなっている不思議だ。これを手書きで書き上げるのは容易ではないのだが、こうしてモデルに書き込んでいけば結構簡単に概要はつかめる。さて、そこからが問題だ。では、そのような乱数表のような形状をどうやって出来るだけ簡単に、平面の加工で立体に仕上げるか、だ。展開図を可動式に見立てて加工を考えるか、それとも、被加工体を可動にして、いっそ曲線を一気に組んでしまうか、その2者択一の選択になっている。そこで、再度 回転体の形状特性を要素毎に分解し、最後に残った難解な直線に見える曲線、或いは曲線に見える直線とでもいうべきか、これも例の球面体加工の手法の応用として捕らえるのがいいかどうか、その判断になる。或いは、旧来式の方法で、手堅く駒を進めるように加工を積み上げる方が遠回りでも結果は早いのかもしれない。ではどうするか。さらにどうするか。とみていけば、この段階で3通りの加工方法を思いつくことになる。実際にこのような開発商品に携わると、机上で検討をして方法を論じ、ああだ、こうだの具体策を出すまでに、どこまで構想力を強く膨らませるかに、その後の別れ道があるものだ。いかに早く、如何に単純に出来るのかに全てが掛かってくる。そりゃ、今の時代、資金力にものを言わせるところなら、平気で広い地球を跨いで決めるのだろう。しかし、ここは大阪の片隅、有るのは、こうして、あーでもないこーでもないと考える余裕程度だ。他にどうしても、ない袖は振れない。だから、試作に入るまでに、何十回となく、机上での空想の架空製作作業が繰り返される。


2007年2月8日 曇り時々晴れ 13度
そして、今日も例の製作が続く。ただ、ひたすら、前向きに取り組んでいく他にない。連日、やったこともない加工の依頼もあり、これでいいのだろうかと後悔も先回りならず、日々時間と追われている。これも勉強だ、あれも勉強だと振り向いて、そう思いながら、もう こうして背伸びをして何年が過ぎたことだろうか。有難いことに、今日もまた発泡スチロール関係でお問い合わせも続く。何の脈絡も、似非科学的に神通力を念じているから、そんなとんでも突飛な且つ面白そうなお問い合わせが続くと言ったことでもないだろうに。だから、誠心誠意お答えする他にない。わかる範囲で、出来るだけ詳しくお答えする他にないのだろう。何故だろうか。恐らく、問い合わせの向こう側にも、お答えするこちら側にも、それぞれ別個のストーリーがあるからだろうか。お答えするこちら側の日々のストーリーに関しては、もう こうして何年も書き込んできた訳だが、間違いなく、それと同量か、恐らくそれ以上のストーリーが、問い合わせの向こう側にも存在するのだ。だから、余りにも多くの不可思議に満ちたご縁ではあるのだ。


2007年2月7日 快晴 13度
皆さん、本日はご多忙の中、遠路はるばる全国から新型セルパネの製造者会議にお集まり頂きましてご苦労様でした。中には、関東方面からお越しになられた方で電車バスをご利用頂き、大阪は初めてそうなご様子で、当社まで、バス停から歩きのご面倒をお掛け致しました。大変心苦しい限りですが、途中、近くの他の会社の看板をご覧になられた感想で、「やっぱ、大阪は凄いとこっきゃ、『クラヤミ 星堂』っつ名前の会社あるんでなあー。びっくらこいたら、よーく見てみんと 『クラヤ三星堂』だべー」、、、のいきなりのご発言には一同笑えました。関西景気が沈滞期に入っているとは言え、まさか社名にまで堂々と暗い名前を付けるところは、あまりないでしょうから。しかし、これで、場の雰囲気が一気になごみ、その後の細かい製造方法の各地域毎の違いなどの意見交換など割とスムーズに詰めることも出来ました。最後は、当社の大変狭いところで申し訳ない限りだったのですが、セルパネ作業場をご案内し、当社独自で開発して参りましたが、大変非効率なことが解り、現在運用を延期しております「セルパネ獅子落とし式」をご披露させて頂きました。皆さんこれで3年掛けました、とは余り胸を張って申し上げられず、笑いでやり過ごす他ございませんでしたが、その横に並べておりましたものこそは、今回新型セルパネに合わせて開発中の、加工機でした。この加工機に関しては、その場で、東京からお越しの○立女子大の先生から素早い改善方法のご意見ご指摘を頂きました。有難うございました。大変参考になります。あと、2週間もしますと例の部材が届きますので、組みあがり次第、テストしてみようと思います。また、中には設計事務所の方も、遠方からお見えで、図面書きのアルバイトの途中だということもあり、新幹線の発車まで時間がなく、今回の製造者会議は、取り敢えず、数時間程度で一旦、解散となりました。皆様ご苦労様でした。本日はお集まり頂きまして有難うございました。重ねて御礼申し上げます。


2007年 2月6日 晴れ 13度
有難くも、晴れて 今日斯く在り、そして例の製作を続けた。振り返ると常に一本の綱の上をふらふら揺れながら、かろうじてここまで渡ってきたようなものだろうか。偶然と必然の狭間で何をか言わん哉。あれもこれも偶然の積み重ねでしかないのに、これ、唯この一編のニクロム線の小道具を持つ手も、何の我関せずとは行かないはずで、次に待つ例の製作に追われては、追われ追われる風の中のように、吹き降ろす向きもあり、上げ下げする数もあり、曲げるべきは曲げ、貼るべきは貼って、こうして、日の暮れる頃には、丸で全てが今日も前もって、斯く決まっていたかのような 妙な錯誤と疲れの帳の中へ、自然必然に沈んでいく赤い太陽を見ているようなものなのだろうか。


2007年2月5日 朝寒く昼間暖かく快晴 14度
今日も朝から例の製作が続いた。今日もここに報告出来るのはこの程度になる。唯一、例の製作が続いたのだという点だが、それこそ無二無三であって、我々のような現場で作業をしているブルーカラーからすれば、兎に角、前を向いて作業を進める以外に何も無いからだ。単調な作業に何を人間的な生き甲斐というべきか、そこに働く人生観を見つけ出そうにも、最初、職に就いたばかりの若い人達にとっては、迷いというのか、自分発見への衝動買いと言えるかどうか、常に周囲がよく見えてくるものだから、細かい業種職種ごとの全国平均の「実質賃金一覧」などが雑誌で事細かに掲載されたりすれば、もう、居ても立ってもおれなくなるのだろうか。まだまだ、何度でもやり直しが出来るのだ。遊びたいし、興味嗜好の赴くままに 生きる冒険を そんな楽しい旅をしたいものだ。そして、それはそれでいいのだろう。何度も何度もやり直せるのが、現代ではないだろうか。若者の特権だ。あれかこれか、では無く、あれもこれもと積み重ねて、早、人生の半分を過ぎて、ようやく、単調な作業に慣れてくる程度のものなのだ。出来るだけ多くの、そして激しくも、時にセンチで、山あり谷あり、何度と無く数え切れない挫折もあり、それでも若者らしくまた再び立ち上がって、デリケートな世渡りを重ねていく経験を積む以外に、この足元の単調な作業を、自信を持って、前向きに、誠意を持って進めることまで行かないのかも知れないからだ。だから、逆説的に言えば、ブルーカラーの職こそ、『青い鳥』を追い求めて辿り着いた幸せの約束された場所なのかも知れない。この、朝から晩まで休み無く延々と続く単調な作業の中に、見つけ出すものか。それこそ様々な人生模様が作業着の下から見え隠れしているのが解ると、本当は全く単調では無くなってくるのだろうか。それとも、いずれまた再び、その それぞれの『夢』を追いかけていく心算で、日夜単調な作業に耐え忍んでいるだけなのだろうか。我々は、、、そして今日も例の製作が続く


2007年2月4日 曇り時々晴れ 8度
それとも、或いはこう言ったページでは、経験的な積み上げを踏まえて、出来るだけ詳しくそれぞれの場合に応じて加工方法を書いていった方が参考になっていいのかもしれない。つまり、結果的な所だけ出すのではなく、その途中の工程まで、これこれこうなました、といった具合だ。それは、一つの賭けになるかもしれない。儲からないHPが、さらに儲からないというか手間隙ばかり掛かるHPになるからだ。しかし、それで若い学生さん達の興味を引いて、回りまわってやる気を起こしてもらえるのなら、それでいいのかもしれない。では、このノートの更新はどうあるべきか、あいも変わらず、たらたらと書き込んでいるのだが、天下国家を吹いても仕方がないし、地球温暖化にしても、どうやら後戻り出来ないターニングポイントをとっくに越えていたらしいので、危機を煽っても仕方がないのかもしれないし、もともと仕事だけの人間に、趣味興味を書かせても何も出てこない。、、、おや、もう時間だ。


2007年2月3日 曇り 6度
少し寒い朝になった。そして朝から例の製作を続けた。終日、その製作に追われるのだが、中々肝心なところまで進めるにはそれ相応の時間が必要なのかもしれない。球面体の加工に関しては、ようやく670φ荒削り球の納品となり、客先の一定のコメントを得るところまで来たので、これでよしとしたい。後は楕円体 たまご体などは簡単なこの応用技術でしかないのだ。追って、時間があれば試作をつづけよう。また、例のサンプルだが今回、特に、この延長からはその精度のピッチのねじ溝加工については今のところ他へ譲りたいのだが、軸に対して平行に走る平行溝を何本も入れ、軸穴にキー溝を加工する程度なら、先日客先にも、それほど手間を掛けないで加工可能なアイデアを持っていると発言していた手前、そのサンプルの製作に、残り空いた時間を割くことになった。3個位あればいいだろうと思い3個製作した。しかし、こればかり作るとなると、目が回ってしまいそうな平行溝だ。新型セルパネの改造型獅子落としの利用については、諦めて、例のブロアー2機を並列つなぎにした加工機を考えている。まあ、恐らくこちらで独自に進めていくとなった場合、結局独自な方法へと枝分かれして行くのが、見えてくる。映画『マトリックス』というのがあるが、バーチャルなコンピューター内で展開する仮想現実支配プログラムが、逆に現実世界を支配する話だ。その映像の中に無数の蛇腹のホースが登場して来るのだが、そんな機械を夢中になって、つなげて行き、『マトリックス』にでもなれば面白いだろうなあ


2007年2月2日 曇り 8度
残念だが、我々は働かずにはおけない。昔、人口の7割8割が農村にあって、田畑を耕して食べていた頃は、本当に今現在のようにこれほど働かずにはおけなかったのだろうか。確かに、飢饉は襲ってきたのだろうし、医療はそれ程無かったのだろうし、日曜が休みだと言った制度もなかったのだろうし、そう言った点は今よりも大変だったのだろうが、農村の多数は、本当にそれほど、つまり今現在の我々のような勤務形態ほど激しい労働条件だったのだろうか。いつ頃から、こうして時間に追われるような生活が始まったのだろうか。江戸明治の境目辺りだろうなあ。明治期、地方はまだまだ大変豊かな地方も点在したのだろう。終戦後、集団就職とモータリゼーションと続き、農村から都市へ人口の大移動が続く。この辺りだろうか。それとも、江戸時代の大坂京都と言った都市化が始まった時期が出発点なのだろうか。そして、現象として目に見える変化として最後に都市だけの国になるのだろうか。都市には、我々のように朝から晩まで働かずにはおけない多数があり、これでいいのかと自問自答する毎日だ。いっそのこと、都市を分割していった方がいいのかも知れない。都市を出来るだけ細分化し、細切れにバラバラにしてしまったほうがいいのかもしれない。何百万人もの市長や知事や大臣が闊歩している方が、まだ いいのかもしれない。会社は潰れることがしばしばだが、村や町ならめったに潰れないし、それにぶら下がって助かる人もそれだけ多いだろう。一局集中して行けば、大が小を兼ねてまた大が小を兼ねて、、と繋がって、最後は富をみんな海外に持って行かれてしまうだけだ。しかし、状況はどうだろうか。5月にはまたひとつの結論が出るのだろうか。よく解らない。そして、今日も例の製作が続く。


2007年2月1日 曇り 10度
昨日聞いた厭な話しが、トラウマのように耳にこびりついて離れない一日であったが、今日も例の製作を進めた。それは、こちらへの転勤前に、合成樹脂業界の倒産劇に直面し、間もなく会社の厳格なルールに従って、関東方面から飛ばされて来たらしいのだが、こちらへ流れてきて間無しの昨年暮れに、またまたこの業界で或る倒産劇に直面し、早、その厳格なルールに従って、またまた関東方面に転勤となるそうだと言う。まあ、本人の家族にすれば、単身赴任のおやじさんが、また直ぐに帰って来てくれるのだから、嬉しいことかもしれないが、世間の深刻な状況が2重3重の意味で伝わってくる話しだった。本当に景気は回復しているのだろうか、、、おっともう時間だ


2007年1月31日 晴れ 13度
残念だが、今日も一言の記入更新がやっとになった。本来、我々のような中小企業では、こうなって来たら、寝食忘れ、職場に住み込んで、毎日、朝まで生シゴト とでもするのが適当なのかもしれない。寝て起きて直ぐ仕事に掛かれて、最も合理的ではある。仕事を苦にならなければ、まず最高なんだろうか。しかし、逆に、必ずこうして一日一回は、記録更新を続け、次なる戦略を練ることも大事なんだろうと思う。今日は斯く有り、そして明日は斯く有りなん、過去を振り返って明日に繋げる。そんなことは、本来個人の日記内に非公開に自省を込めた孤独な作業であるべきで、このような公開の場面には、日記など書いても仕方がないものだろうか。このような場では、常に向こう側に、不特定多数の読み手を意識し、練り上げたこちらの主張を窓の向こうへぶつけていく位の心構えと硬い決意表明の方がいいのかもしれない。例えば、今日はああだったこうだった、楽しかった面白かった笑った素敵だった嬉しかった幸せだった至福の悦に浸った、大喜びした、ぐっと抑え切れないものが込み上げて来てついに吹き出した、www等と感情移入が出来るなら、それはそれで『人間は笑う機械』だから『○○い国』でなく『おかしい国』になれて、周囲も受けて、意外といいかもしれないが、はて、ここではどうだろうか。そして、今日も例の製作を続けた。


2007年1月30日 晴れ 15度
今日も朝から例の製作が続いた。お蔭様で様々なお問い合わせも続いている。なので、気持ちだけは、世間の不景気に反して忙しくしている毎日なのだろうか。何とか、これが世間の二八不景気を突破してくれるような勢いがあればいいのに等と考えながら急ぎの製作などを、こなしている。夕方、ようやく一段落となって、例の新型セルパネの製作準備に掛かった。矢張り、電気屋の協力が必要になってきたようだ。さらに検討を重ねたい。我ながら、本当に次から次へと面白そうな事が思いつく
 大分 別府の和菓子店様からのサンプリング依頼の件で、一言製作実例集に載せた。あの美味しい和菓子の味を思い出していた。

2007年1月29日 晴れ 11度
今日も例の製作が続いた。とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりん♪ の機織り機械音のような在庫積み上げ作業も続いた。例の、駆け込み作業も数点入ってきた。遠方から、発泡スチロール中堅メーカーの方が670φ手作り加工球の加工方法を見学にお越しになったので、懇切丁寧に、出来るだけわかり易く、球面体の如何に安く簡単に加工ができるのかご説明させて頂いた。社員が100人もおられるようだから、若い暇そうな者に作らせたなら、金を掛けず、自社内製可能な点を何度も指摘したら、一度、飛び切り若い「ぴんぴんの髪の毛の社員を連れてくる」、と言うことになった。、、、、、おっと、時間だではまた失礼。


2007年 1月28日 晴れ 10度
つい、それに興味があって、しばらく年度末の休みに来週から入るので、閉館になる前の近くの図書館へ出掛けた。数年前、駅前にあった中央図書館が閉鎖されバス電車を乗り継いで行かなければならない遠方に移設されてから、この近くの図書館が、唯一の行動範囲内の図書館である。どうも、気になるのだった、どうもここ数ヶ月、世界の情勢は大きく変化するような気がするのだ。ほら、隣国の話題でもそうだし、地球の裏側の対立でもそうだ。だから、何か参考になりそうな資料はないかと、図書館へ出掛けて石油関係から調べていた訳だが、流石に、年度末で、大変な混雑だった為、ちょっと腰を下ろしてというわけにもいかない。それに、きっと同じようなことを考えている人もこの辺りでも何人かいるのだろうか、お目当ての著者の本も既に貸し出し中ばかりで、残念だがどれも無かった。ようやく、空いた席を見つけたので、取り敢えず、近くの棚から、何でもいいから本を一冊抜き取って、椅子に腰掛けた。と同時に疲れたか、眠気が襲って来て、つい、うとうとしてしまった。 


2007年1月27日 晴れ 11度
今日も朝から例の製作が続いた。静かな一日ではあったのだが、その割りに一日バタバタしている。何とか、作業に目処をつけて例の次の加工に取り掛かろうと先を急いでいるのだが、結局ようやく一段落する頃には、陽もすっかり落ち、エルニーニョで否に寒くない冬の夜になっている。とは言え、少しでも少しでも、前進あるのみだろうか。戻ると、疲れて倒れるように眠ってしまった。あれこれ、書き込んで保存しておこうという、心算もすべて後回しになった。今日も有難くも幾つものお問い合わせがあった。


2007年1月26日 晴れ 10度
今日も例の製作が続いた。急ぎの駆け込み製作もあって終日バタバタしている。夕方になって、近くの橋詰電機さんに来て頂き、ブロアーの接続の検討に入った。こちらとは大変長いお付き合いになる。先々代が、最初に発泡スチロールの工場をあの地に建てた頃からでも、35年は過ぎているのだ。早いものだ。、、、、おっと、ここまで書き込んでまた眠ってしまった。物事はなかなか進まないものだろうか。ピラミッドも一日では出来ない。新幹線のレールも一日では敷けない。こんな詰まらないHPも毎日毎日、5年も掛けて、こつこつと更新しているのだなあ、、、ということです。如何でしょうかお客さん


2007年1月25日 晴れ 11度
今日も朝から例の製作が続く。何とか時間を設けなければならず、あれこれと気持ちばかり先に走っていく毎日なのかもしれない。バタバタとさらにバタバタとバタフライだ。カエル飛びだ。逆上がりだ。懸垂だ。そして、次の一手を打ち続ける必要があるのだろうか。まあ、よくお問い合わせがあるので今日も大変参考になったのは、「御社で加工用の道具を販売されていないでしょうか」というものだった。矢張り、所謂市販のカッター類とでは、実際に何か大きなものを始めて製作したい方々にとって、丁度いい道具類がないのだろうと思った。その点は重要だ。一度、周囲のこういった道具類を見渡して、どのようなものが市販されているか、まとめて見たい。その上で、我々のように長年加工に携わっている者の立場からコメントし、さらに提案をしてみたいものだ。

手元に届いた中古のブロアーは開口径4インチ程の思っていたより大変小振りの、正常に動くかどうかも解らないぼろぼろのものだったが、ここから始めるしかない。小さ過ぎるので、どうしても環状に並べるのにはもう一機必要になるかもしれない。取り敢えず200v電源確保だ。


2007年1月24日 晴れ 11度
昼1時過ぎ、隣の鋳物工場でまた人身事故があり、救急車の唸るサイレンが周囲に響き渡って、現場工場前で止んだ。そんなに近くでサイレンの音が急に止まったのに却って驚き、急いで窓から外を振り向くと、隣の会社の作業服を着た社員が向こうの方で倒れているのが見えた。鋳型アルミ塊の搬送トレーラーとリフトに挟まれたか、それとも トレーラーから転落して轢かれた様子だった。心配して駆け付けた5,6人の同僚に囲まれて、倒れているその社員の手が、足の隙間から見えたが、力なく 少し動いただけだった。間もなく到着した救急隊員の担架に乗せられ、運ばれて行った。今年もこうしてまた、隣の鋳物工場で人身事故が起きた。昨年もあったし、2年前も、その前も事故で救急車が来ていたのを覚えている。悪いことに、これで4年連続で、毎年このような事故が起きているようだと、隣で、今日も例の製作に戻り、また事故の前の所からそれを続けながら、考えた。矢張り、外から見ていても、相当無理な仕事が上意下達、厳な社命によって行われているのだろうと、直に判断できるというものだ。それが、我々中小企業の現場の実態なのだろうか。決して好景気は、社会均等に振り向けられているのではないようだ。かなり偏って、起きているのだろうか。中小企業まで、そのおこぼれが、届く頃には、いつもこうして、悲しい奪い合いになってしまうのだろうか。その為、決まって怪我をして、痛い目に遭うのは、末端の現場なのだろうか。


2007年1月23日 晴れ 10度
今日も朝から例の製作が続いた。太陽が東から昇り、そのまんま、西へ沈んでいくまで同じような例の製作が続いている。東から昇っても、そのまんま、西へ沈んでいくのは、きっと早いのだろうと、大阪市内の方角を仰ぎ見ながら、疑いも無くそう感じつつ、特段関係もないやと、何とか、作業のペースを上げている。一区切りして、工場の東側に、そのまんまになっている、例のセルパネの獅子落とし式自作の加工機に変わる機械を製作する為の時間を確保したいところだが、幸か不幸か今日もバタバタ走り回ることになった。結局、大変残念だが、東から昇った太陽も、直ぐに、そのまんま、西へ沈んで行くまで、そのまんまになっている。だめだ、だめだ、そのまんまではだめだ、と自戒の念を込めながら地団太踏んで気持ちだけ頑張る他に何も無い。一体全体、あれもこれも そのまんまにして何が出来るというのだろうか。我々のような日々、中小企業で仕事に追われ、あれもこれもして行かなければ、決してそのまんまでは済まされない立場からは、このまま、そのまんまにしてしまうのには、どうしてもやり切れない節が残る。本当に、このまま そのまんまでいいのだろうか。しかし、他に選択肢がなかったのだ。


2007年1月22日 曇り時々雨 7度
今日も朝から例の製作が続いた。急用で、1件材木屋さんまで出掛けるも、出る話題は「いよいよ変な気候になってきたね」と言う温暖化のことだった。偶に寒くなる程度になったことそのものが、ここ何十年と比べても、どうも おかしい訳だ。戻ると、また、例の製作が続いた。時間が無い。実例集の更新にかかる


2007年1月21日 晴れ 7度
昨日の仕事の遅れを取り戻そうと、今日も朝から例の製作に出た。そして昼2時頃にはひとまず作業を終えた。これだけ毎日毎日仕事詰めで、休日と平日の区別も、勤務時間と勤務で無い時間の区別も丸で無いのが我々中小企業なのだろう。朝から晩まで言って見れば全てが仕事なんだろう。しかし、身体の疲れは出るが、気分的な疲れは全く無いのは不思議だ。流石に疲れてちょっと横になると、夕方まで横になったまま眠ってしまったが。ふと、目が覚めると、NHKスペシャルで「グーグルについて」を特集していたので、見た。目から鱗が落ちるように大変参考になった。そして思った。どうやら、何でも同じだろうが、仮想商店街に店子料を支払って出店するのと、結果的には同じ方向性を持っているのだろうか。仮想商店でも初めに買い物ありき、なのだろうが、グーグルの場合は、検索を使ってネットサーフィンをしているうちにふと買い物へ、と向かう、なのだろう。検索で仮想商店街が並んで出てくると言った点だ。やがて個人の消費動向を個人よりも先にPCの方が、より正確に把握して、違和感無く「あなたは、こういう嗜好をお持ちだから、こうありなさい」ということになるだろうと番組の最後で述べていたのも印象的だ。だから、当然この検索機能の次の形態を次世代のPCは装備するようになるのだろうと、容易に想像がつく。最早、客観的な(と言ってもその客観的なという定義も曖昧なものだろうか)検索というのではなく、PCを使いこんで行くに従って、各個人様々にバラバラの個性的な検索結果が出てくるのだろうなあ。しかし、人間って、時々突然嗜好が変化する場合もあるのだ。固定されていない。それが人間だろうし、、、、、


2007年1月20日 晴れ時々曇り 6度
今日も例の製作が続いた。いくつもリピートの製作が重なり、製作実例集の更新が進まないが、出来るだけ、リピートであろうが、これからも写真撮りを継続するよう努力したい。昼から、例のNハム研究所の元社長Sくんの招待で、市内のドーム会場まで今年度の研究所の試作品、新規開発商品等の試食会に出掛けた。一望して、健康志向がはっきりとしてきたのはよくわかる。品質表示コーナーでは、立ち止まって、幾つか質問してみたのだが、即座に納得した回答があった。今年は、野球チームの優勝もあって、例年にない混雑だった。そして、会場の一角を使って5年前より毎年Sくんが行っているプチ同窓会だったが、今年は本同窓会が予定されているそうで、集まりはもうひとつだった。まあ、益々、ぷくぷく太り始めたSくんのお腹を拝め、またまた膨れてきたなあと言いながら へその辺りを、通天閣にあるビリケンさんの頭をなでる様に、2,3回なでることが出来たので、良しとしたい。(他の中学の同窓生に聞いた話しだが、Sくんの腹に こうすると運が向いてくるそうだ)。早いものだ。小学校の頃からだと、38年目になるお付き合いだ。言われた通り、ビリケンさんの心算で時々こうするのだが、今年に期待したい。そして、「ソース介が大阪に転勤になったそうだ」「ほう、大変やな、この年で単身赴任か」等といった消息話しが尽きなかった。帰り、ふらりと淀屋橋から梅田まで歩いてみることにした。浪人をしていた頃は、中ノ島図書館までわざわざ出掛けて来たものだったなあ。あれからでも30年の時が過ぎた。河の流れは変わらないし、高層ビルはどんどん空高く伸びてきた。しかし、陸橋の上では、外人の小物売りが6,7人続く後に並んで、物乞いをする人が2人も座っていた。正しく、今の世相を見るような思いだった。夕方、会社に戻り、また例の製作を再開したので、作業に一区切りついたのは、夜中近くになっていた。


2007年1月19日 曇り時々晴れ 12度
そうではない。論点の再検討が必要かもしれない。本来、我々の営みの中で、と見て行けば、物々交換等は、日常茶飯事ではなかったか。カードの出現で、紙幣の存在価値が薄れ、やがてカードも消えて、個人認証へ至れば、そこには、数字だけの世界共通の全く詰まらない、まるで「裸の王様」の時代が訪れるのではないのか。そんな、何も無いものに、気がつき、破壊と創造のサイクルが起きるのには、それほど時は掛からないのではないか。、、、、ここから筆が進まない。それがどうしたと言うのだろう。そして、今日も例の製作が続いた。まるで時間が無い。ではこれで


2007年1月18日 曇り時々雨 12度
今日も例の製作が続く。中々思うように進まない一件にバタバタしていても仕方のないことかも知れないが、ここは筋を通すことが肝心なんだろうと、ひたすら頑張る他にない、それが我々のような中小企業なんだろうか。ネットからのお問い合わせも有難いことに順調に続いていた。何というか不思議なものだ。空間を越えて、どこまでもどこまでも広がっていくのだ。しかも瞬時に。今から、5年前、東京の光設計の鈴木さんの紹介で細々と見よう見真似で始めたネットも、少しづつ自前で改良を加えて、こんな展開になってきた。勿論、与えられた条件に、誠実に対応し、今やれることから進めていく他に、実際、方法と言っても何もないのだが、しかし「もし、何々ならば、、、」なんて書き込むのは、ネットのここのページだけで充分だろうか。現実は、厳しいものだ。無い袖は振れないものだ。翻って、世界に目を向けるにしても、このネットと言うのは、実に容易に、世界の最先端の情報に触れることが可能だ。例えば、中東のホルムズ海峡に展開する某国の空母艦隊の数なんて情報が、易々と手元に入ってしまうのだから不思議だ。次の物騒な話が着々と進んでいるんだという事が、こんな我々中小企業の名も無い一個人にすら理解できる訳であり、何も出来ないが、そして、打つ手も無いが、こころの準備だけでもして、そのとんでもないニュースがやがて流れてくるのを待つことは出来るのだ。商売とは、平和の前提で可能な受け払いだとする陣営にありたいものだが、現実世界は、巨大な死の商人が暗躍しているのだろうか。本当に忌々しきことだ。石油が下がりだすと、また誰かが仕掛けるのだ。金利を上げて円高に向け、石油の輸入代金が下がれば、国内景気にプラスと、その次に起こりそうな状況に、スケープボードとなることを期待したのだが、恐らく知ってか知らないでか、○銀の決定は下った。こうなると、さあ、次はどうするか。ここ数ヶ月先の世界の動向が、どっちへ転がるか、さあこの先をどう読み、どう行動に移せるか、、、、あまりこんなところで熱を入れても仕方が無いか、、、


2007年1月17日 曇り 10度
あれから早くも12年となった。先日より予定していて 神戸からお見えになった 天然素材の緩衝材や断熱材を製造販売されているご来客との話に、12年前の地震の時の事が話題になった。不思議なもので私と12歳、干支でいう丁度一回り年上の方で、12年前は、私と同年齢だったと聞く。激しい地震に相当な被害に遭い、米軍の奇襲攻撃に遭ったような壊滅的な打撃から立ち直って、以後、EPS製造から現在のような業務内容にて、事業を再度ゼロから軌道に乗せるまで、それはそれは言葉に表現出来ない様な苦難と努力の連続だったそうだ。そんな話の流れの中で、ふと、あの赤鼻の突撃営業部長の思い出話が出てきて、「うちの親戚なんですよ。世間は狭いですね」と相槌を返して、それはそれは妙なご縁と驚くと、続けて、あの伝説の発泡スチロールマンの話題へは直ぐだった。突如、世間から消えた発泡スチロールマン、前日まで、いつものように朝の犬の散歩にいつものコースを回って、いつものところで同じ散歩仲間と交わす挨拶も決まっているほど定期的な毎日が、その日の朝を境にして、突如消えてしまった あの伝説の発泡スチロールマンのことだ。「そうなんですか、そんなこともあったのですか」と進む話題に、益々、考えずにはおれなくなった伝説の発泡スチロールマン。数々の豪傑側近、三国志の英雄のような側近、或いは水滸伝のような奇妙な豪傑側近も今では、既に引退し、或いは町の公民館の館長に第2の人生を選び、或いは釣堀を開き、或いは晴耕雨読のユーターン人生、そして、中には衝撃的な事件、短い人生に区切りをうつ者さえあった実に様々な人生模様の軌跡を残していった豪傑側近達を他所に、、、、、おっと、時間だ


2007年1月16日 夕方から雨 7度
今日も例の製作が続いた。とんからりん とんからりん♪ とんとんからりん とんからりん♪♪の機織り機械音のような在庫積み上げ作業も続いた。有難いことに、様々なお問い合わせも継続していた。ようやく、完成した例の待ち兼ねた山大学の液体窒素専用ステン容器のぴったり保冷カバーの写真撮りが終わった頃は外は真っ暗で雨が降りしきっていた。同時発送で、深さ700mmの材質Xの発泡スチロール一刀彫り容器を製作して、試験をしてもらおうと、心算していた件は今回も結局間に合わず、延期になった。これが、気掛かりで年を越してしまったのだが、残念だ。またの機会にお願いしたい。、、、、、おや、もうこんな時間だ。また疲れて そのまま寝込んでしまったようだ。夢の中で、水槽にメダカを飼っていた。あれは浪人していた頃だろうか。将来のことで不安な毎日が続いていた。先が見えない不安、思うように進まない勉強、一体これからどうしたらいいのか、考えても仕方がないのに、じっと水槽の中のメダカを見ながら考えていた。いっそ、進路を変えてみるか、志望も一気に正反対の方へ変えてみるか。だが、それでいいのだろうか、と自問自答の続く毎日だった。浪人の頃って、傍から見ているほど気軽では決してないものだ。重い課題を一年間ずっと背負って行かなければならないし、だからといって、羽を広げに外へ遊びにも行けない、目的ひとつで頑張る他に無いのに、その目的自体が、中々思うように行かない一年なんだ。そして、一年しても、狭い門をくぐれたらいいのだろうが、駄目だったらどうする、落ちたらどうする、といった不安が続く。水槽のメダカは無関心か、夢の中では、元気に泳ぎ回っているなあ。あれは、何だろうか。今から31年前の話し。


2007年1月15日 晴れ 8度
しばらく、あの例の「人気ブログランキング」と言うのに引かれて、このスタイルでランキングに掲載出来ないものか、あれこれアタックしていた訳だが、小一時間で それも面倒になって諦め、また、こうして今日も例の製作を続けたと言う、こちらの書き込みへと戻って来たのだった。有難いものだ。前向きに、ただひたすら前向きに頑張って前進あるのみと、強く意識することこそが大切なのだろうか。ようやく、例の球面体加工機の第4号もほぼ例の部品を組み立てれば、完成の域に達するので、次の新型セルパネの成型機の自家製製作に掛かれる訳だ。そう言えば、以前発泡スチロールの成型工場で金型、機械調整からユーテリテーの設備全般(コンプレッサーやボイラー回りまで)扱う技術者を長年していたのだが、その頃、発泡スチロールの発泡粒の各成型機までの送粒ラインには、先カンブリア期に生息していたアンモナイトのような渦を巻いたような形状の 送粒用ブロアーを何十台も並べて使用していたのだったが、時々静電気や フロックなどで、偶には作業用の手袋ということもあったが、ブロアーに原料が詰まって、実によくブロアーを焼いたものだった。3キロワットか4キロワットもある大きなブロアーも立て続けに2度焼けたことも合った。200ワット程度のブロアーは、しょっちゅう焼けたものだった。勿論サーマルスイッチは作動するのだが、どうしても使用頻度が高く、酷使していた為に、こんな事になっていたのだろうか。よくまあ、今となっては、火事になったり大事に至ることがなかって良かったものだ。発泡スチロール工場は大抵24時間稼動の所が多いのだが、夜中に送粒のメインラインのブロアーが焼けた時は、それはそれは大変だった。夜勤の眠い目を擦りながら、原因を調べ、そしてブロアーの交換作業もしていかなければならないからだった。そんな時、アンモナイトのようなブロアーを一人必死になってラインからリフトで降ろし、スペアーの新しい、アンモナイトのようなブロアーを取り付ける作業をしていた時、確かに不思議な感覚に見舞われたことがあった。何しろ、最新式の発泡スチロールの、現代の工場の中に、ふと、周囲に視線を向けると、今から何億年も前の中生代かカンブリア紀に生きていた巨大なアンモナイトが、何十匹も、発泡スチロールの工場の中を、ブロアーとして、今将に、生きて活動しているような錯覚だったからだ。アンモナイトの分解修理も何十回もして来たものだ。ばらして、その化石の内部がどうなっているのか、よく知っている。


2007年1月14日 晴れ 8度
今ある現実を直視し、如何に生き延びていくか、その安全確実な具体策を練り、且つ実行していけるか、細々とでも、それで継続するなら条件は十分だ。だが、言うほどに継続は困難を極めるのが世の常。振り返ると、綱渡りの連続か、危なっかしいバランスの上に遥か先までそれは伸びている。そう、これが現実だ、中小企業の現実だ。緊張と軋轢の渦巻く商売、一皮むいたマロニエの樹皮の、存在と無に嘔吐しそうな余りにも重い現実だ。そこに、景気不景気は関係ないのだろう、増してや、今言う日銀の利上げ利下げに翻弄する巨大企業のこととて、我関せずなのだろう。黙々と足元の課題をこなして行く以外に何があるだろうか。例えば住宅ローンの金利なんて数ヶ月毎に上げ下げして来たではないか。それで売れたか売れなかったか、余り関係ないのだろう。消費税なら簡単に数パーセント動き、買い急ぎとその後の反動は大きかったが、結果それとて、我々の生き延びる条件に、或いは商売の具体的な受け払いにどれだけ支障があっても、乗り越えてきたではないか。大勢に順応する訳ではないが、順応せずに商売は成り立たない反面、常にその先を見て考えて課題を探り、慎重に解決策を打って行く他に何もない。それが売れるか売れないか、これが全てなのだ。そして、売れ続けること、延々と数百年継続する伝統産業並みに続くのなら一番なのだろうか。或いは、また始める増派にしても、見え見えなんだが、これとて、化け学産業の末端に位置すると、危険極まりないこの先の暗雲がよく見える。だから、脱石油か、それでもなお石油か、それは解らない。、、、、、、、おっとまた眠ってしまった。この先を書いているつもりだったが、夢の中だった。高校の古い校舎が見えた。木造でぼろぼろだった。昨日見たテレビの「ビフォーアフター」のように基礎がなく、階段も腐っていた。化学の授業があるので、鞄から何と古びたことだろうか、ぼろぼろの化学の教科書を出して、教室を移動していたが、階段が腐って上れず、立ち往生している様子だった。誰だろうか、首に蛇を巻いてその腐った木の階段を降りて来る女子生徒が見える。何と不気味なことだ。それで目が覚めたようだ。、、、、、、あれ、またここまで書いて眠ってしまった。疲れがたまっている様だ。もう直ぐ夜が明ける。そして、また仕事が始まる。


2007年1月13日 晴れ時々曇り 8度
今日も例の製作が続いた。昼過ぎ、近くの材木屋さんがお見えになって、新型セルパネの枠をご覧になって、有難い現場からのご意見を頂けた。やはり、こうして日常的に現場の方のご意見を聞きながら、話を進めるのは大変参考になっていいものだ。さて、夕方には、例の屋上緑化の件で、サンプルの引き取りに遠方からお見えになって、「上手くいけばいいのですがねえ」と話し合った。そうこうしている内に、例のスースー ぱったんぱったん♪ スス スースー ぱったんぱったん♪の方の在庫積み上げ作業も終了し、一区切りあってから、また、例の球面体加工機の作業の続きとなった。漸く この前思いついた改良に掛かってしばらくし、4mmの六角レンチを、置き忘れていたのに気がついた。手元 足元それに周囲を探し回ったのだが、暗くて 小さな黒い六角はなかなか見つからず、探しているうちに時間だけ無常に過ぎて、結局本日はこれで試作作業は諦めることになった。こんなものさ、諦めよう、ふと 暗くなった冬の空を見上げていた。


2007年1月12日 晴れ 7度
今日も例の製作が続く。毎日、決してマンネリ化しているわけではない。日々変化に富んでおり一度として同じ事はない。変化の繰り返しと呼んだほうがいいかも知れない。それだけに、ここからさらに何とか抜け出して常に飛躍を考えていなければ、埋没しかねない危険がついてまわる。だから、余計にバタバタして、先を急ぐ気持ちだけが、前に行く。頑張るしかないのだ。翻って、外の世界を見れば、世界は益々混沌としてきている。昔、何かで読んだことがあるが、「戦争は血を流す政治であり、政治は血を流さない戦争だ」というそうだが、これに加えて、現実社会では、経済も血を流さない戦争として、世界の国家間を構造的に支配する暗黙のテーゼなのかも知れない。戦後60年は、将にこの国は、武器を捨てて丸腰で経済という血を流さない戦争をして来たのだろう。それは、確かに戦争だから、孫子の兵法ではないが、現状周囲を見回って、様々な戦略があったはずだ。国家のレベルでも 我々庶民からすれば、どうでもいいようなことに いつもいがみ合いが続いているのは、その為だ。新聞を読んで、「そんなつまらないことはやめとけよ」と思う国際問題が次々に噴出すのもその為だ。では、「こんなことはこりごりだ」と血を流さない経済という戦争をやめるには、どうするか。そもそも、そんなことが 巨大恐竜のような大国が あちこちで のし歩く世界で現実問題として可能だろうか。日々、何をあくせく、何を角を建て、競争という足元の戦争を繰り返しながら、地球規模の問題に何を一言出来るだろうか。黙って、模様眺めが関の山。或いは、こんなところにちょろちょろと書き込むのがせめてだろうか。余り持論は出したくない。


2007年1月11日 晴れ時々曇り 7度
今日も例の製作が続く。年始の挨拶回りの予定だったが、急な製作が入り、中断して作業にあたった。我々のような中小企業の下請けは、仕事があるのは大変有難いことと、黙って作業を進めなければならない。作業の流れを開始前に見積もる訳だが、今回のように全く計算と合わない大変複雑怪奇な作業となる場合も少なくない。漸く、納期時間に間に合わせて終えてみると、単なる輪郭の へた切り直線カットの組み合わせだけのはずが、モザイクのようにすべて異なる決まった線の向きや柄の刻印等があって、作業を進めるうちにそれが見えてくると、もうここからはパズルを解いて行くような手作業だった。あーでもないこーでもないと並べては線の向きを確認して行かなければならず、結果的に大変な労力が要る割りに、まだ、先のことを考えると年始の挨拶回りの方がずっと有意義だったかもしれないこともあるものだ。所謂 目論見算段外の作業ではあるが、これとて、決して疎かにも出来ず、前向きにただ、ひたすら頑張って進んで行かなければならない。仕事なんて所詮そんなものさ、予定通り行く訳もないし、上を見てもきりがない。これも何かの勉強だ、位にして行かなければ身がもたないものだ。結論としては、この延長ではだめだと言うことだろう。、、、では本日は失礼


20007年1月10日 曇り時々晴れ 5度
磁気嵐が紫色の空を白く染める朝だった。ここは、ドームが厚く300m上空まで覆った地上基地なのでこんな光景も観測出来たが、アトランタにある建設中の第2地上基地はまだこんな磁気嵐の朝は大変だろう。人類が地上に第2の楽園を建設するために5000年振りに このとんでもない放射能帯で活動を始めて我々の代で、早くも6世代が人工冬眠機を交代で使用して400年が経過した。それでも、記録によるとこんな、白い空が出現したのは初めてだった。少しづつ環境の浄化は進んでいるが、放射能で加熱された大気にようやく水蒸気現象が発生しているのだろうか。地上に配備された8万4千機のロボタンクでも、ここまで浄化作業を進めるには、これだけの年月が必要であった。もう直ぐだ、天空の何処かに水蒸気現象で一塊の雲さえ生み出すことが出来れば、後は早い。100年もすれば、ロボタンク達は第2の任務を始めるだろう。緑化だ。我々の作り出した人工樹が、放射能を無化してくれる計画が始まる。恐らく、第11574人工冬眠年を終える頃には、私は今度は、紫の星空には緑の光輝く朝を見ることになるのだろうか。うまく計画が進んでほしいものだ。地下に暮らす人類にとって、これが本当の夜明けになるのかもしれない、、、、、、、、と、日付を間違えるとこんなことを延々と書いてしまうようだ。


2007年1月9日 晴れ 6度
冬の晴れ、フロントガラスを通して差し込む陽の光は、気持ち良いくらいで暑くならない。暖冬なのだろう、空を横切って流れ去る雲影は何故か、黄金に輝く秋色か。これから燃える秋となるんだ、と言っても間違いでないような街路樹の枝葉が続く道。未だに落葉とならない不自然さだ。淀川を渡る土手には、まだ緑が残り、ゴルフの練習場もまだ蒼い。昨日の冬らしくない突風でも景色の変化まで至らない。北から雪の便りが届いても、これではしっくりいかない日々が続く。そして、今日も例の製作が続く。昼からは材木屋さんの年始謹賀の挨拶回りとなった。ひと区切りあって後、例の待ち兼ねた山大学の超低温高速高実力磁力超長ハイパワー元気研究所まで出向く。発泡スチロールのカバーをご希望の例のステンの容器を受け取る為だ。こちらには大変御世話になって来た。昨年は液体窒素の容器材質実験などで、若い研究員諸氏に有難くも大変好意的な且つ勇敢で献身的なご協力を頂けた。お蔭様で、恐らく、同じようなお問い合わせの他からの研究所のご依頼には、こちらもその実績の上に真摯に対応が可能になったので、それこそ大上段から言えば、不思議の工業立国日本の様々な産業研究部門で使用されている同類の実験用容器に多大な貢献が出来たと、お問い合わせの数からして、こちらの実感としてある。だから、その治具を持参頂けるお話だったが、わざわざ先生にお越し頂くには忍びなく、材木屋さんの謹賀挨拶の用事もあり、本日引き取りに上がった理由。しかし、研究所の中というのは、知らない者にとって、実に不思議奇想天外な実験器具が、所狭しと並んでいるものだなあ、、、おっと時間だ


2007年1月8日 曇り時々晴れ  8度
様々な課題に向かって挑戦し続けること以外に我々に残された選択肢は無い。なんの余裕も無ければ、何の学も無いから、後はもう、我武者羅になって、前を向いて頑張るしかないのだろうか。それは、「そうさ、100パーセント勇気♪、遣り切るしーかなーいさー♪、」の忍玉乱太郎の歌が耳元に聴こえてくるようなものだし、或いは、ウラジミールホロビッツのピアノで弾くベートーベンの「ア パッションソナタ 情熱」の息も切らせないような早いテンポの鍵盤のうなり声が聴こえて来るようだし、或いは、懐かしい青春歌、例えばそれは、フォークソングなんだが、赤い鳥や青い三角定規に紙風船に、神田川は誰だったか、心の旅は誰だったか、最近では、あの地上に降りた天使がどうしたこうしたの歌だったか、そのようなものがみんないっぺんに耳元に聴こえてきて勇気を呉れるように、励まし励まされてでも、こうしてひとり 歩の休めることなく進んでいかなければならない。そうだ、トウモロコシの樹脂に関しては完全に膠着状態になっているのは忌々しきものだろうが、きっとそのうちに再度前進が見られるだろうし、セルパネに関しては、新型セルパネの企画が年始いよいよスタートした。これは有難い事だ。かたじけない限りだ。むしろこちらの体制が遅れているので、力が入るというものだろうか、頑張らないといけない。この欄を担当する者にとって、またまた、今年も天王山が続くようだ。


2007年1月7日 積もらない小雪後晴れ 3度
早速、670φ球の製作になった。自前の手作りの道具なので表面荒削りで誤差±15mmは出るので700φ近くなることは了解していただいたと判断して作業を進めた。400φから670φへの拡大には自家製加工機の立ち上がり部材に幾つか修正を加える必要があって、余分な時間をとった。どうせ時間を取るなら今回も、1200φ程度まで可能なように部材を大きめに変更したので、さらに時間を必要になり、670φの全球試作段階まで行けたのは夕方になっていた。結局、兵庫県の「県立人と自然の博物館」までこの前発見された10mもある恐竜の化石を見学に行く予定は中止になった。まあ、こんな事で集中して作業を進めることがなければ、中々ここまでは出来ないことだったので良しとしたい。他にもしていかなければならない事は山積み状態か。


2007年1月6日 曇り後雨 遅くに突風 5度
土曜日半ドンの予定であったが、漸く その加工機の改良に着手出来たのは 急に暗くなって嵐が始まった夕方になってからだった。例の、燈台の宇宙船研究所から依頼のひと呼んで”宇宙スペーサー”の急ぎの作業で丸3時間を他の作業の間に挟んだ為だ。休み明けにアメリカへ持っていくので守衛室止めで発送を頼まれた分だ。また、アリゾナ砂漠にでも並べて 皆で転がして走り回るのだろうか程度の認識でしかないが、何でこんなものが、宇宙のなぞの手掛かりになるのか、今回もさっぱり解らない。しかし、宇宙の謎解きを海の向こうで、あーでもない、こーでもない、と真面目に取り組んでおられる様子を想像しながら、製作をしていると、とても楽しくなってくるものだ。吹けばロッキー山脈まで軽々と飛んで行きそうな発泡スチロールだが、実に夢があるものだ。若い学生さんも一緒に先生に付いて 熱い砂漠を走り回るのだろうか。面白そうだなあ。発泡スチロールは軽いから、広い広い砂漠を、地平線まで ひゅーひゅーと 追いかけても追いかけても 何処までも飛んで行くだろうなあ。見上げると、有史以前より何十億年、水素爆発を繰り返す赤い太陽が、さんさんと照り付けているのだろうなあ。夜になれば、空一面、きらめく星空だ。まるで夜空の暗い空間よりも、銀河や流れ星やら輝く星々が空全面を埋め尽くして、総天然、自動発光ダイオード、自然色のイルミネーションの光のお祭り空間の中にいるような気分だろうか。そして、この我々の住む地球を思いながら、その宇宙の謎の解明に取り組むのだろうなあ。しかし、誰かがその謎解きを今しなければ、決して解けることは無い、永遠に解らないままなんだ。その問題を解く為に、こんな小さな発泡スチロール屋だが、これがその ほんの一助になるのなら、頑張ってもいいものだ。


2007年1月5日 曇り 7度
急ぎの出荷の合間に、例の製作が続いたのか、例の製作の合間に、お問い合わせの電話が続いたのか、それがどうだったのか、今となっては、はっきりしない一日となった。矢張り、材木屋さんの中には、今年も正月抜きで棟上作業をされていた向きがあるようだし、研究所の中には、正月の無い欧米とペースを合わせた測定実験をなさっているところもあるようだし、また、学生さんの中には、正月抜きで、一心不乱に頑張っている人もあるようで、世間的には、大型連休でも、こちらから見える風景は、随分と異なっているものだ。だから、どうしても、当方としても、シャキッとして頑張って一つ一つこなして行く他にないか。今年、50にして行く墓参も また格別の重みを感じたものだったが、こうして、今年も様々なお問い合わせに接して行くと、確かに、ずしりとした 人と人との繋がりを これも何かのご縁とばかり、不思議と 心底暖まる温もりを感じずにおけないのも、また 有難い限りだ。特に、本日は何がし様の紹介で、と言ったお話が、偶然かどうか、2件続いたので、内心驚きを隠せなかったものだ。インターネットの世界は、単なるきっかけに過ぎないのだ。特に、こんなオーダーメードの製作をしている所には、それが言えるのかも知れない。


2007年1月4日 晴れ 6度
この時期、あれ、と気がつけば、と、それ程 時間の経過に無関心になれるのも有難いものだが、かと言って、言うほどに余裕がある訳でもない。正月に特別な心境を持てるほどなら、まだしも、臨在常戦の修羅場のような我々中小企業の営みは常に寸暇を惜しまず、ただひたすら前向きに事に当たって行かなければならないのだろうか。何の為か、場当たり次第に、我武者羅に、努力努力で済ましている訳でもないのだから、常に機敏に変化に対応する癖を体質ほどに身につけて、周囲、地球規模、世界規模にまで目を向ける習慣を3度の食事ほどにわきまえて、進んで行かなければならないのだろう。特に、発泡スチロールのように、吹けばどこまでもどこまでも飛んで行ってしまいそうな、影の薄い 軽い素材であるにも拘らず、石油から出来、その産地輸入流通のあらゆる経路が、国際社会と密に絡み合う産業の米のおこぼれ的側面を持つのであればなおさらである。翻って、或いは仰ぎ見て、この国が置かれた位置関係からさらに、砂漠の地の果てに至るまで、眼光鋭く、凝視し続けなければ、枕を高く、一睡すら出来ぬというものかもしれない。ここに仮定として、あの、、、おっと、またトーンが上がってきましたね。この流れで書いて行くとまた長文になりそうだ。この辺で失礼


2007年1月3日 曇り 7度
早いもので、もう3日だ。今年もこうして時が過ぎていくのだろうなあ。大したこともない順調な一年を願いたいものだ。だが、課題は次々と山積みだ。一歩一歩こなして行く他にないか


2007年1月2日 晴れ 8度
他の分野を論じれと言われれば、年齢相応に、幾らでも持論を展開出来るぐらいは、それなりの一言は 我ながら、しっかり持っているだろうと、今まで自負していたのだが、先日、偶々大学の同輩で、滋賀県で長く高校の先生をしておられる○○女史らとテーブルを囲んでお話をもてる機会があって、何の拍子か いい気になって国家天下を話していると、ふと気がつくといつの間にか、はしごが外され、無残にも散々な、けちょんけちょんに、ぼろぼろに、此方の持論の隙だらけで浅はかなところを露呈してしまって以来、痛く後悔し、余り他の分野を論じるようなことは、こんなHP上にちょろちょろと、痛くも痒くもない程度に書く程度に控えている。教育の根本の問題とは大変なものだなあ。流石に伊達で教職をしてはいないのだなあと、その時は思ったことがあった。なので、お問い合わせで学校の先生をしておられると聞くと、どうしても一歩たじろぎ、臨時の大幅バーゲンセールを始めてしまうことがよくある。実に困ったことだ。何とかしなければならない。先日も、遠方から熱血先生がお見えになって、ブロックで大きな像を作って養護学級の生徒達に見せたいと言われると、つい儲けを無視してお売りしていたし、またまた遠方から幼稚園の園長先生が、子供達の発表会に使いたいからと幼稚園バスでお見えになった時には、ついバスに満杯になるほど発泡スチロールをお持ち帰りして頂いたのだったし、その前は、バナナのタタキではないが、北海道の医学の先生にも 病児学級の児童の楽しいゲーム作りにお困りのようだったので、それで、先日は、、、おっとこんなことを書いているといけないなあ。正月だ。一年の計を論じる積もりだったのに、、、時間だ。


2007年1月1日 晴れ 7度
企業の大小を問わず、「人 もの 金」の3拍子が揃わない所は結構多いのだろうか。どんな大企業においても幾らでも開発費は不足するものだし、激しい競争の中で、もの以上にその人となりを売れる人材なんて、そうそう易々と得られるものでは無いし、増してや、次から次とヒット商品を連発するようなことと言っても、めったに無いものだろう。以前、あるメーカーの水耕栽培の開発現場に、縁あって暫く関わっていた際、小さな白い花束のような新種の花が年間1200万本も出たことがあって、それが100年に1度あるかないかの奇跡のような出来事だと担当の方からお聞きして驚いたものだった。それなどになると、さらに、気象 天候に経済の流れと人々の嗜好性の変化を、その小さな新種の一輪の花が、偶然、上手く掴んだことに起因するのだろうか。人智を越えて、最早、運不運とか、或いは偶然の産物とでも呼ぶ以外にないものが、これには必要なのかもしれない。或いは逆に、あれは、もう17、8年前、金融バブルの時代、何でも高額で売れた時代もあった。次から次と物の値段が上がるのに、人々はそれでもこぞって、高値でも そのつまらない商品を買い、それがまた買いが買いを呼んで売れて行った時代があった。そうだ、何もしなくても、何でもあらゆる高額のものが勝手に飛ぶように売れていった時代だった。しかし、世界では冷戦の終焉と供に世界規模の過剰生産性の見直しが起きて、やがて国破れて夢の泡と消え、ここ一国のバブルは弾けて終わり、世界経済の冷戦後の東西統一とその後の中々進まない経済分担と再構築が、長いトンネルの出口の見えない不景気を国内に産んでいったのだった。ここ数年やっと、冷戦時代の東側地域と人口大国等のそれぞれの安定期を迎え、現在は漸く、不景気の長い長いトンネルに出口が見え出したところなのだろうから、一部基幹産業や、景気の良い輸出産業を含めて、そうそう このいつ散って終わるか解らない運不運にのみ頼る訳にも、まだまだ行かないだろうか。「人もの金」の揃った大企業ですら、この情勢の変化に振り回されるのだ。増してや、我々中小企業の場合、常に大波津波は覚悟しておかなければならないのだろう。人も無い、ものも無い、金も無い、それでもやって行かなければならない場合、はてさて、どうするべきか。最近富に激しくなってきた 極貧への負のけったいな自由競争の中で、座して値下げ切捨ての底無し沼に溺れるか。それとも、牛後となって生き急ぐか。、だがしかし、金が無いのは、日頃慣れ親しんだ事とて諦めようとも、人は無くても人はつくれる、人材をつくれば、ものも作れる。かくて、我々に残されたのは、昼夜を措かず、盆正月も無く、勤勉であることか。日々、質素倹約に努め、情報収集と新規商品開発に努め、独自技術の確立を目指す以外にないのだろうか。言うほどに簡単ではない遠い道のりだ。ただ、少なくとも見えて来ることはある。日々、状況の変化に勤勉で対応していれば、この次がこの世界どちらへ流れているものか、おおよそ輪郭が読めるものだ。だから、若い学生さんに唯一必要なことは、矢張り、基本は勤勉であり続けることだろうか。冷静になって、あらゆる視線で、この世界の側面を客観的に見て論じ、或いは科学の力を頼りにして自分なりの状況判断の訓練を読書によって擬似体験として積み重ねることだろうか。それは、社会へ出ても続く。こうして、生を受けて50年、今でも雑学となって続く。おっと、時間だ。


2006年12月31日 晴れ 6度
結局 それらしい寒さの中、年末の雑用に追われておりました。球面体加工においては、ようやく、これでいけそうだと言った確固とした手掛かりを持ったのだが、まだ400φ以外に試作は広がっていない。ただ、今回、「出来るだけ簡単に球の加工が出来るように」との課題通りにはなったと自負している。400φについては、これまでも半球を2個貼り合わせての加工で、2号機の試作を何度か重ねたことがあったので、一応製作は可能だったが、今回は全球での加工であり、さらに方式が全く異なるので、取り合えず写真をUPした。今日は日差しが弱く、周囲の工場も休みだったので、自然光を求めて屋外で撮影していたところ、流石に球面体なので、何度も風に、ころころ転がって 道路脇まで球を追いかけることになった。そこへ、通りがかりの親子が、こんな年末に何をしているのだろうと、関心をもって暫く門の所から見学されていたので、ちょっと声を掛けると、有難いことに気軽にお手伝いして下さった。
手を離すと、北風小僧に吹かれて、ころころ転がっていくので、撮影は大変だったが、ちょっと押さえてもらえるだけで、大変助かったし、人物との比較で400φ球の大きさがよく解る写真になったので、大変有難いものだ。まあ、この程度の大きさでは既製品がごろごろしているので、なんら新規性は無いのかもしれないが、問題は製作方法を何とか自前で確立出来たという点だ。しかも、前回よりも数段加工が簡単になった点がいい。形状については表面は荒削りのままだが、ペーパーを掛ければ綺麗な仕上がりになるのだが、我々の作業はここまでだ。後は、何度も書くが500φ600φ 1000φ、、、など大きな球の試作を行い、荒削りで在庫することだ。

加工方法についてもまとめておこう。@まず400φ円柱を予め用意するAターンテーブルを用意し、その上に90度角で回転する支持柱を2本固定するB円柱を支持柱にはさみ、円柱も回転できるようにする。つまりテーブル上で360度自由に回転出来る状態を作り出す。Cテーブルとは切り離した固定の支持台を用意し、そこに加工用の自前の道具を取り付けるD円柱の外周に合わせて支持台の位置決めをし、固定するEつまり、テーブルを180度回しても、常に加工用の自前の道具は円柱円周上に位置する。F電圧は10A6ボルト程度で十分なので変圧器の調節をするGゆっくり手で回転しながら切っていくH今回自前の道具は1箇所に固定しただけなので180度回転が必要になるが、対角で2機固定すれば90度で済むし、並列に並べれば、まだまだ加工速度は改善可能だろう。しかし、少なくとも、一気に全球の加工なので、前回のような半球加工よりも、これだけで効率が2倍になっているし、道具の位置決めなどの、所要時間が大幅に短縮出来ることになる。Iそして、ここがポイントだが、ホームセンター等で直径1mm程度のピアノ線を購入すること(200円か300円で1巻きあるので十分だ)これを、400φ円柱の中心からの対角の長さ から半径分200mmを差し引いた長さに少し余裕を持たせて、170mm×30mm×170mmのコの字に折り曲げた加工歯の道具を製作すること。これに変圧した電気を通して、リンゴの皮むきのような要領で加工していくのだ。道具自体余りにも簡単だから、これで、あなたも明日から「球面体加工博士」になれそうだ。


2006年12月30日 晴れ 8度
朝方守口の佐田中町付近の資材倉庫で火事があり、材木など大量に燃え、夕方まで国道1号線が一部封鎖されていた。年末になっての火事だ。つい4日程前も交野のゴルフ打ちっ放しの近くで火事があったところだ。7日程前は近くの団地でボヤ騒ぎがあったし、どうも今年終わりに近づいてから物騒なことが続いている。そんな中、今日も例の自作の加工機の改良を重ねていた。球面体加工機である。機械と言うほどの事もないのだ。単に道具と言う程度のものだが、ここ数年何とか自前で考えてアイデアを絞って、1号機2号機と改良を重ね、今回で4号機と言うべきだろうか。今日の改良で400φ球加工の試作を行った結果、漸くこれなら行けそうだという出来上がりに達した。今日の成果のポイントは、切断の材質をこれまでのものから、特殊なものに変えてみて、意外と上手く行ったという点だろう。これでも切れると解っていたら、何も2年も3年も改良を重ねた遠回りなど しなかっただろうが、現実はこんなものなんだろう。コロンブスの卵だ。解ってしまえば、本当に何の事も無いのだ。この方法を使えば、球を作るのは簡単なものだ。これで、400φが製作可能になったので、次は500φに移ることになる。基本動作は同じだから、早々問題は無い筈だが、矢張り営業レベルに持って行くには、一通り製作を繰り返す必要はありそうだ。500φ 600φ 700φ 900φ 1000φ 1100φ 1200φ 1300φ と、この辺りまで完成して、在庫を出来るようになれば、終了だ。


2006年12月29日 晴れ小雪ちらつく 5度
小雪がちらつく中、また古道具屋などを巡っていた。先日まで頂いた幾つかのメールによって、全国各地の様々な企業或いは大学の研究所では、例に漏れず正月無しのぶっ通しで、もしかしたら時代を突き動かすかもしれない物凄い研究実験が繰り広げられているのを知っているが、そんな「へんじん橋」の向こうや「象牙の塔」の内部のことは他所に、こちらでは、幸か不幸か例の製作用の発泡スチロール加工用道具で、1点思い当たることがあって、その材料探しであった。本来加工機は、出来るだけ簡単シンプルにして行くに限るのだろうから、その方向で、これではどうかという点を考案する積りであったが、残念だが、もう、どこも正月モードに入っており、残るはホームセンター巡り程度が関の山となった。そこで針の穴のようなものの開いた長めの材質を探していた訳だ。こうして、無用な時間が流れていく。人生80年として、あと、30年しかない。90年としても残り40年だが、その内、正味仕事が出来る時間はどの位あるのかと思えば、実際のところ、長いようで短いものだろう。だから、皆な急いでいるのだろうか。それまでに、若手は幾らでも次から次に生まれて、世の舞台にフラッシュを浴びて出て来ているのだろうから、どんどん追い越されて行くのだろう。それでも、我々は黙って木偶の坊のように、前を向いて走り続けるしか外にないのだろう。追い越されても、追い越されても、立ち止まらず、ひたすら走り続けなければ先は見えないのだろう。こう言った点が、我々のような中小企業の場合、定年を迎えて、それでお仕舞い、後は第2の人生だ、なんて気取っていれる向きとは基本的に異なる訳か。つまり、死んで倒れるまで仕事、仕事の人生であるのだ。人生設計と言ったって、保険屋のセールスではないが、これ位しかない。だから頑張るしかない。


2006年12月28日 晴れ 10度
寒の戻りか、秋で静止していた季節が進んだか、冬らしい懐かしいブルッと振るえる様な寒さと冷たい北風が吹く中、例の製作が続いた。風が強まると、我々のような、吹けばどこまでも飛んで行って戻って来ない軽い軽い素材の加工製作などをしている所は途端に、作業ペースがダウンしてしまう。1個1円何銭の加工品をテーブル台に並べては、出入りの扉の開閉や、シャッターの隙間など、何処からとも無く忍び込んでくる北風の子供達に、あっと言う間に 子供部屋のおもちゃ箱さながらに ばらばらにされてしまい、まあ諦めが付かないでも、また一から1個何銭の加工品を最初から並べ直しているのだ。そしてやっと積み上げて、さあ袋に入れて包装しようかとすると、また北風小僧が飛んできて ばらばらにしてしまう繰り返しだ。これでは到底作業ペースは上がらない訳だ。1個1円何銭を10個で10何円の仕事だ。これに何時間掛かっている計算だろうか。それでも、まだ仕事があるだけ有難いのだろうと気を取り直して作業に当たるのだが、こんなことになるのも国内企業の海外移転や、安い輸入品、100均ショップのせいだと愚痴を言う訳でもなく、仕方がないのだ、諦めるしかないのだ。これが世の流れ、流れに棹挿すことなく、忘れよう、忘れよう、平常心だ、全ては許されるのだ、と気分は修行僧の業か、はたまた、ギリシャ神話に出てくる兵士シジポス 神々から岩を休みなく山の頂上まで運ぶ運命を与えられた勇気あるシジポスのようだと想像を膨らませて 自ら言い聞かせても、残念これは ただの仕事だ。前向きに、ただ、ひたすら頑張って取り組んで行く他にない。 あー働けど、働けど、なお我が暮らし なのだろうか。先日、テレビで四国にある国内最大のタオル産地が、町の生産が1/4になるまで減産に次ぐ減産に追われて来た話があった。町では、何とか新しい商品の開発や様々な合理化によって立て直そうと必死になっている模様が、明るく語られていたのだが、どうも問題の基底にあるところが、見え見えなのだろうか、どうしてもその人々の表情に気になるところがあって、印象に残った。、、、おっとまた時間だ。今日もここまで


2006年12月27日 晴れ 17度
今日も例の製作が続く。当然、例のとんからりん とんからりん♪ とんとん からりん♪ とんからりん♪♪ の機織り機械音のような在庫積み上げ作業も続く。そして、時間さえあれば、何とか、例の球加工にしても先を進めたいところだが、年内あと少し、となってさらに、急な飛び入りの製作依頼があって、超バタバタに2乗を掛けなければならなくなった。そんな時ほど、我ながら面白いアイデアって沸いてくるもののようだ。ひとつ、進展があったのだが、果てさてどうだろうか。そのアイデアと言うのは、まず、、、、、おっとまた眠ってしまった。何だ、いつもなら、風邪引き予防に毛布に包まって、足をコタツに入れ、壁の上のほうに忘れたようにぶら下がっている壊れたエアコンを見上げながら、これを書いていたのだが、気がつくと、毛布は無いし、足はコタツから投げ出して、お腹が冷たくなっているのに、それでも寒くないなあ。年の瀬12月の末近くでこんなに暖かいとは、これでは、本格的な気象の異変やなあ。生ものが腐りやすく、ノロウイルスが大流行して、逆にインフルエンザの風邪があまり流行らない訳だ。なるほど、「冬は冷房 夏は暖房」 がよく効くので、いつしか放置されて壁の上のほうにそのままになって埃を被っている もともと白いが今ではこんもりとねずみ色になった、20年前には一応最新式だった、あの”エアコン”も年越しだなあ。


2006年12月26日 雨 16度
今日も例の製作が続いた。駆け込みの急ぎの製作が続けて入ってきている。何となく、唯、1週間もすれば、来年になるというだけで、焦るのには我ながら判らないものだ。、、、大変申し訳ないです。年明け早々にお越し頂けるそうですね。液体窒素容器保温カバーの製作ですね。有難うございます。紹介で広がるのは、有難い限りです。お待ち申し上げます。、、、おっと時間だ


2006年12月25日 晴れ 15度
矢張りこの冬は、このまま年を越すのだろうか。昨年はホワイトクリスマスだったように思うが、今年はそれらしい天気では全く無いようだが、今日も例の製作が続く。例によって、あれもこれもとバタバタ動き回っている為、何ら大きな進展はないままだ。HPの組み立てでも、折角これはという改善案件を貰いながら、手付かずで数日が過ぎている。その間、文面をあれこれと考えているのだが、考えながら自分で考えた文面の出来上がりに酔ったり、笑ったりしている程度か。ところで、製作実例集が、漸く500例を越えた。まあ、繰り返しの工作や、本当に簡単なものまで含んでいるので、どこまで製作例として、お役に立てるか判らないが、方針としては、特にこうだというものは無く、これでいいのだろうかと半信半疑に思いながら気がつくとここまで来た。しかし、自分で製作したものを写真を見ながら、振り返れると言うのは、製作時の製作方法や注意点などの記憶を思い出せて、本当にいいものだ。「あー、あの時のあれですね」と、お客さんと実に話がし易いものだし、見る側にしても、出来るだけ具体例を多くする事は、参考事例として、一番解り易いのではないだろうか。約4年で500例だったので、次の目標の1000例まで、これからまた4年か。徐々に発泡スチロールの製作百科事典に近づいている。面白いなあ


2006年12月24日 晴れ 14度
そして、急ぎの製作に出ていた。あまり、というか殆ど手をつけたことが無い分野での加工の 急ぎの依頼があった為だ。本当に課題は山積みしている。あれかこれか では無く、これもどれもと展開していかなければならない。そう言えば、今年も年賀状はこのような事情もあって、まだ全く手が出せないでいる。戻ると、ばたりと横になって、気がつけば、もう直ぐ、夜明けだ。


2006年12月23日 曇り時々晴れ 13度
クソ意地だけあってもなんら前進にはならない。ばたばた焦るだけでもなんら結果は得られない。右往左往してどうして先が読めようか。だんまりを決め込んで傍観者のつもりではさらによくない。あぐらをかいで腕まくらでは、お仕舞いだ。暖冬の雪の無いゲレンデをスキー板を背中に背負って坂道を走るように、北風が無いのに北風小僧が凧を持ってぼーっと風を待っているように、地団太踏んで思いやられるのだろうか。、、、、2極化が進む中、『サラリーマン___』(光文社)とか言う題の本が出たので、さーと立ち読みしていると、この2極化問題について書いてあった。至極当然のようなことだと思っていると著者の年代も近いのだと判った。日本の歴史で唯一、サラリーマンがのんびり生活出来たのは、寧ろ、戦国時代だったと言う指摘は面白かった。こんな指摘が出てくるのだ。いよいよ団塊の世代が去ると、この次は『サラリーマン』の世代なんだろうか。よく解らない。、、、、おや、ここまで書いていてまた眠ってしまった。高校の日本史の時間は面白かったなあ。こんな『サラリーマン__』の本の内容など、とっくに聞いていたものだ。今から、34年前か、早いなあ。では失礼


2006年12月22日 曇り 14度
今日も例の製作が続く。今年もあと僅かとなって来たが、急な製作も何件が入って、どうやらこのまま行くと今回も正月らしい正月は望めそうもないようだ。そして、来年からは、環境対応型リサイクル紙製の住宅用断熱材「セルパネ」の新企画の再スタートが待っている。在庫のスペースを如何に確保するのかに関しては、大変頭が痛いところだ。今年の挑戦を糧に再度来年一から頑張ってみることになる。再度、例の獅子落とし型のセルパネ機械の再構築も考えていかなければならない。そして、例の独自の展開に関しても結果を出していかなければならないし、そのことで各方面各向きに貢献していける体制にしていかなければならないし、課題が山積みである。そして、数日前、パソコンの望月さんが見えて、HPの構成に関してプロの立場から大変有難いご提案を幾つか頂いたので、そのデスクワークにも取り組んでいかなければならない。プロの目から見るとそんなに違いがあるのかに関して、目が点になるほど驚き、また大至急変更を企画して行かなければならないと気がついたものだ。そうそう、本日急なたまご型の製作の依頼が入ったのだったが(東京在住で枚方ご出身らしい)、これなども、結局は例の球面体加工機の応用に過ぎない訳だから、球面体加工機にしても、早急に準備していかなければならないだろう。球のデパート構想だ。そして、ここへ来てさらに、素材関連で浮上して来たのだが、例の展開にしても、早急に対応をお願いしたい点だ。だから、いっそ、食べられない化け学の産業分野に固執して、食べられないとうもろこし樹脂なんかより、食べられる樹脂に乗り換えたほうが用途も拡大していいのではないか、と言ったお客さんのお声には、うんうんと肯く以外に方法がないのだ。科学の進歩発展のキーワードは常に『いかに簡単に』と言う原則だ。フライパンで焼いて膨らましたらできたポップコーンの様なものをブロックにして、加工性を加味出来ないだろうか。結局、輸入もののポリ乳酸に頼っているうちは、駄目なんだろうなあ。どうせ、海外のメーカーが一番大事な技術的な裏技をはいはいと出してはくれないよなあ。日本のお家芸の外国から入ってきたものを少し形を変える、そして独特なものに展開していく、それが必要なんだろうなあ。言うほど簡単じゃないよなあ。


2006年12月21日 晴れのち曇り 14度
今日も例の製作は続いた。確かに発泡スチロール屋さんで、こう毎日毎日、365日、4年も更新を続けているところは他にないようだ。大概、皆さん請け負いが多いので、更新と言っても数ヶ月に1度程度のようだし、或いは資金力にものを言わせているのだろうか。大手ではある程度の売り上げを確保していかなければならないし、宣伝費として、計上しても、それ相応のところに落ち着くのだろうか。まあ、そんなところなのだろう。だから、逆に、こんな小さな会社が手弁当で更新を繰り返しているのは、希少価値が出るようにも思うのだが、果てさて、現実は、結果次第だろうから、そんなに甘くない、、、。でも、少なくとも、ここに賭ける熱意は訪問者に伝わるだろう。前向きに、一歩一歩、ただひたすら、前向きに頑張って行く外に無いので、何時更新が途切れても可笑しくないのだが、訪問する側にしても、「おいおい、5年も、まだ書き込みしてるじゃん」って程度でびっくりされて見れば、ある意味、意を得たり、なのかもしれない。だが、むしろ、「為にする」と言った腰の引けた取り組みでは、こんなのは、長続きしないのだろう。このページの更新は単なる素人の物書きほどの、軽い書き物ではあるが、きっと、以前、何処かで読んだ本居宣長の”ことだま”ではないが、或いは形而上学にみるようなものでもないが、街の芸術家が、その意思をそしてその信念を形にせずにはおれない衝動に駆られるのに似ているのかもしれない。だから、形の無いものを形にして行こうという仕事は、日々開発研究に当たる研究者と共通すると思うのだが、未だ存在しない幻想のようなものを常にその内側に見てしまうのかもしれない。何故なら、我々のように日々、日本の開発研究の最先端に立つ人達の依頼を受けた図面を立体的な形に加工し製作を繰り返していると、その理詰めで、数値計算し尽くされた形状の、ある種の静的な緊張感といったものが、漸く、形が出来上がって来るに従って、否が応でも、周囲に光のように溢れて漏れ伝わってくる様が、丁度、美術館を訪れた時、名画或いは芸術作品を前にして、一目して、避けようも無い何かを感じて、思わず足止めされた時に受ける緊張感と同じようなものがあるからだろうか。それを時代と呼ぶには早すぎる。先日も、遠方より、障害児学級を受持つ先生が、子供達に手で持って触れることの出来る大きな像を制作したいからと、発泡スチロールのブロックを見にお越し頂いた。代々、大工の棟梁の家柄の先生で、ものづくりには自信がおありの様子だったが、発泡スチロールの白い大きなブロックの固まりを前に、じっと、しばらく眼を凝らして、それをご覧になっていた。それは、どれ位の時間だっただろうか、実際には2分か3分、時計の針が進んだ程度だったのだろうが、じっとご覧になっている先生のお顔を拝見していると、その余りにも真剣なまなざしに、こちらも、思わず呑み込まれる様な凄いエネルギーを感じたものだった。あの真剣なまなざしの向こうに何を見ておられたのだろうか。白い発泡スチロールに写ったのは、大工の道を捨て、自ら率先してその障害児教育に携わることを人生に選んでこちら、30有余年の歳月だったのだろうか。障害を持つ子供達を通して見えてくるこの日本と言う社会だったのだろうか。発泡スチロールの白いキャンパスに一体何を描いて、そして、子供達にどのような夢とそして希望を託されるのだろうか。


2006年12月20日 晴れ 14度
朝方の冷え込みに反し、昼間は真冬とは思えない陽気ではあったが、今日も例の製作が続く。2点、球の加工に関するお問い合わせがあり、ご返事が遅れている。自家製の加工機の製作も急がなければならない。どうせなら、壊れた自転車でも分解して、部品を使えば、進むのだろうが、ここではガスや溶接の火は使えないし、あまり、しっかりしたものでは、当初の目的であった、「誰でも簡単に」といった利便性に適わないものになってしまう。今でも結構、アイデアぎっしり のものではあるのに、変更もでき難くなるだろう。なので、また木製であり、回転時の弛み歪みを如何に補正していくかが難しいところだったが、どれを回転させるかで一工夫することになったところで、急ぎの他の製作が重なり、そのままになっている。そして、例のセルパネのお問い合わせがある。、、、 また、眠ってしまった。外はまだ暗い。おや、いつの間に入っていたのだろうか、向かいの古墳の竹やぶから飛んできて昼間空けていた窓から入っていたのだろうか、灯りに薮蚊が寄ってきた。何と、今は12月だというのに、この時期に蚊が飛んでいると、一番寒い時期を生き延びて、蚊は年中いることになるんだろうか。これも、温暖化の兆候だろうか。


2006年12月19日 晴れ 11度
今日も例の製作が続いた。年内10日程になったところで、ラストスパートをかける業者さんもあって、結構バタバタしているのは、有難いものだ。ネットの不思議だろうか、今日も広く、広く、限りなく広く(地理的なというよりも、業種や用途)様々なお問い合わせが続いている。どこまで、広がりをもって行くのだろうか。こんなに、発泡スチロール繋がり、というか、「友だちの輪」とでも呼べばいいのだろうか、発泡スチロールの加工性の優位な点に、なお且つ、面白い機能をこれでもか、これでもか、と発見されたようなお問い合わせは続くものだ。今日も、例えば、”静電気が起きたほうが研究し易い素材”としてお探しであったのには、フェイントを掛けられたような不思議なお使いであった。静電気を取り出して、利用しようなんて、「ドプラー効果」以来ではないでしょうかね。エジソンと同時代に無名で終わった研究者、名は誰だったか、それ以来でしょうかね。本当に面白いものですね。是非、頑張って下さいませ。そして、研究にお疲れの際は、兵庫県の湯村温泉へどうぞ。今ですと、巨大な円形校舎のクリスマスケーキが見れますよ。そして、このギネスブックに申請予定の世界最大級のクリスマスケーキが出来るまでの苦節12年に及ぶ長い長い下積み製作物語に触れて見てください。きっと勇気付けられることでしょうね。いいものは、決して一夜にして出来ないようです。


2006年12月18日 晴れ 12度
朝、守口の佐田中町の1号線で起きた人身事故とトラック トレーラーの2重事故の影響による渋滞は、付近一帯に広がり、淀川の枚方大橋を越え、高槻の八丁畷まで達し、何ともはや、高槻側から枚方まで、橋を渡るだけで5時間以上かかった人もいた。丸で仕事にならない週明けではあった。そして、今日も例の製作が続いた。また、例の円柱型の製作を急ぐことになったが、途中、ひし形の急ぎの依頼が入った。お問い合わせでは、有難いことに、今日も様々なびっくりするようなアイデアに富んだものがあったし、素材的には相当激しいお使いの用途に関するご質問から、最近月に2,3件あるので、かなり慣れっこになって来てはいるのだが、お蔭様で全国的な広がりで、発泡スチロールを使った様々な情報だけは、どんどんストックが増えておりますが、いわゆる、ビッグプロジェクトと御呼びすればいいのだろうか、そんなプロジェクトのお問い合わせも結構続くものだ。勉強にもなっている。確かに、その素材に眼目し、目的の障壁突破に一役当てようといった思考は、洗練されたものがあるようだ。それが、垂直発射装置の投てきであろうが、土木工事の安全効率化であろうが、一体どのようなご縁あって、その発泡スチロール繋がりの理論体系に触れることになるのだろうと、有難い限りではある。その、数値的、或いは数式による論理の詰めでは、はて、ただの町外れの発泡スチロール屋に、さっぱり解る由もないが、皆さんの熱意に触れることが出来ただけでも有難いものかもしれない。ところで、昨日、関東方面の地方紙に、日本のトップ大学のT大学学生の8割が、卒業後を不安に思っているとのアンケートが掲載されていると聞いたが、ニートやフリーターになるのではないかという不安が一番多いらしい。日本のエリート層でさえそんな将来の不安を抱いているのだから、残念だが、若者の全体像は相当根深い悲壮感で溢れているのだろうか。先日頂いた高校1年生のメールにも、滔々と将来に対するあきらめに似た感想が綴られていたので、激励の意味を込めて、こんな発泡スチロール屋に出来ることといっても限られているのだが、一番柔らかい発泡スチロールの端材をお送りし、「ソフトにどうぞ」という積もりでメッセージを込めたことがあるが、矢張りと言った感だ。正義を愛し、真理を求め、平和と安定を目指す、純情可憐な若い彼ら彼女らのこころの奥底には、今の社会の暗い所だけがどうしても目に付くのだろう。海の向こうでは、もう4年も5年も戦争を続けているし、毎日のように戦争で或いはテロで民間の無抵抗な市民が負傷し或いは亡くなっていく映像が流れているのだ。丁度、70年代のベトナム戦争の当時を思い出すものだ。それで、純情可憐さが、激しく傷つかない方が不思議だろうなあ。みんな、集団生活で、仲良く手を取り、伴に生きて来たのだ。そりゃ、中には喧嘩やいじめもあっただろうが、本当は仲良く暮らしたいはずだった。そして、社会に出てからも仲良くして行きたかっただろうに。何の理もない変な競争に妥協するか、率先して自分なりの新しい理を立てるべく僅かなりとも挑戦してみるか、或いは、ニートとなって孤高の自由と平和を求めるか、フリーターとなって、敢えて、自分発見の旅をしてみるか。どうも50を手前の年齢になると、若いという事だけで全ての選択を許してしまいそうだし、その不安を前向きに評価してしまいそうなのは、誤りだろうか。
さて、やっと本題だ。昨日の続きだが、今回の一連の企画に関して、、、、あれーもう時間だ。何一つ書けない


2006年12月17日 雨 12度
今回の一連の企画に関して、こちらでもまとめてみた
@なんとも雲をつかむような最初の段階で、こんなものをしてみてはどうか、と提案した時は、果たして出来るかどうか全く未知数な面がある。それでも、企画が進むには、対象が周囲を次々にひきつけて行くような、象徴的なものであるかどうか、さらにその企画を実際に動かす中心になる人物が必ず必要だということか。そして、企画を具体化していく為に、或る程度の予算と、相談でき実行部隊となるべき良好な関係の複数のブレーンの存在がいるということだろうかAそして、発泡スチロール使用前に他の企画での蓄積された経験があったと言う点だろうか、、、、あれれ、もう時間だ。師走だなあ


2006年12月16日 晴れ 13度
早いもので今年も残り半月程となったが、今日も例の様に、例の製作が続いた。幾つか急な製作と、お問い合わせも続いた。夕方、例の自作の加工機のところまで何とか来たのには来たのだが、結局、手が届かず、予定終了となった。それでも、時間さえあれば、と言うほど段取りも何もないまま続いているのだが、取り敢えず、その日その日を乗り切っている状態だろうか


2006年12月15日 雨後晴れ 14度
今日も例の製作が続いた。グーグルの基本的な方針は「何でも簡単に」と言うことらしい。それは、それで同時代を生きる自伝としては面白いのだろうが、開発などに当たっている技術者はだれでもどこでも何処の国でも、同じ事を考えているものだから、そう持ち上げることもないかもしれない。考える基本ヒントは、ここでも何度か書いたが、@それは正しいことかどうかAそれは原則的に照らしてどうかBそれと比較できるものはあるかC歴史の流れや時間の流れでみてどうかDあとひとつが思い出せないが、そんな、基礎尺度を各個人で持ち合わせて、アイデアを常日頃ひねっているものだろうからだ。あーでもない こうでもないとそんな繰り返しをしていて、ある時、ふっと良いもの、良いアイデアが思いつく。それって、学者の研究論文でも同じなのだろうか。矢張り日頃の積み上げてきたアイデアを一気に吐き出していくものなんだろうか。よく解らないが、対象のものが形の或る一個ならまだまだ、まとめ易いのかもしれないなあ。どうだろうか。、、、、おっと、また眠ってしまった。どうも思うように書けないなあ。さあ、仕事だ


2006年12月14日 雨 11度
今日も例の製作が続いた。よくよく考えてみると、ニワトリと卵がどちらが先なのかの問題以前に、内容のレベルを落とさない事は重要だろうと考える。「最新式の機械が入ったとして、」という仮定で、これは、確固とした需要に見合った生産の機械でなければ意味がないのだ。当てずっぽに借金までして多額の資金を使っても、所詮他人の金なら、湯水のように浪費したくなるのが人情だろう。本当に必要なものかどうか。この一点に尽きるのだが、得てして、こんな場合は目的通りに事は進まないものだ。何も、立派な設備さえあれば、事はすべて上手く行くのではない。よくあるパターンは、「売れるだろうと思って機械を導入したら、売れなくなった」であり、「売れているのでもっと作ればもっと売れるだろうから機械をいれたら、ぱったり売れなくなった」であり、「その客先の部長が買ってくれるというので、機械をいれた途端に、その部長が転勤になったり辞めたりして売れなくなった」などという事がごろごろしているものだ。では、逆に、売れるだろうか、の判断の基に開発商品を提案する場合などは、さらに 一か八かの要素が多分に占めてくるだろうから、新型機械を導入するなどと言ったことは、さらに慎重になるか、よっぽど儲かって余裕があるかでないと、なかなか手が出ないものだろう。「それならマーケットリサーチはどうだ」などとカッコいい言葉を羅列しても仕方のないことだろう。何が売れて何が必要になるか。こんなことが、リサーチで判れば苦労はない。常日頃アンテナ張って暮らしていればマスコミなど通して誰でもある程度は見えているだろうし、その程度のご託宣が判っても仕方がないのだ。それより、一番判っていなければならない者は、現状生産に当たる者達でなければならないのが道理だろうから、そんな、小手先で下手にトップが口を挟むべきではないかも知れない。が、我々中小の場合だ、考える順番が後先逆だ。まず、売れなければならないし、まず、売りに行かなければならない、「売れる商品がなければ、かすみでも売って来い」とは、例の赤鼻の突撃営業部長のセリフだった。1円2円の商材が、たった1件であっても売れたもの、その売れた事実に全ての真理が含まれているはずだ。何が、どうして客先をして、その商材を如何に買う衝動に走らせたのか、本来、この内実に全ての回答が含まれているのだろう。その形状か、その品質か、色か匂いか、客はどちらから来たのか、遠方か、近くか、私用か公用か、何に使うのか、などと、そんなことでも、売れる理由が判れば苦労はない。目の前に、机の上に置いた一個の発泡スチロールの塊りが在り、売れたのは、果たして、目の前のこの一個のかたまりであるのかどうか、それとも、売れたのは、目の前にあるこの一個の発泡スチロールのかたまりではあっても、それだけでは無いのかどうかという問題だ。たった1円か2円の吹けばどこまでも飛んで行って、簡単に見失ってしまうような発泡スチロールの小さな塊りでは、そこに経済波及効果とかいった概念を設定しても、限りなくゼロに近いだけだろうから、社会的影響力と言ったって、この場合論外としてみよう。そこに何の要素を発見するか。 、、、おっと時間だ


2006年12月13日 雨 11度
昨年の気象状態ならこの場面はきっと、大寒波とともに激しい大雪になっていた一幕だろうか。今年は雨だけのようだ。この12月でこんな湿っぽい雨では、この冬は矢張り暖冬なんだろうかと思いながら、今日も例の製作が続いた。急ぎの製作が数点入り、いつものように例の在庫積み上げ作業もあって、結構バタバタしているうちに時間が過ぎ、一旦、小休止となった長雨の曇り空の雲の切れ目から 夕暮れの薄明かりが広がったのも 束の間で、また鬱陶しい雨が夜空を埋めた雨雲から しとしとと降り始めた頃、隣町の幼稚園の園長先生が菓子折りを携えて、足元の悪い中、わざわざお見えになった。例の園児の為の教育資材に出来ないか、とのことで、要らなくなった発泡スチロールの端材を引き取りに見えたのだった。小さな幼稚園児の為になるのなら、それならと、こちらも出来るだけ大量に出る四角や丸の端材をご用意していたので、乗って来られたお車では、全く積み込めないことが、一目見て判り、明日以降、出直して、今度は幼稚園バスを連ねて取りに来られる事になった。発泡スチロール屋さんの前に幼稚園バスが何台も並んで停車しているのも、また想像すると楽しいものだ。またまた、丸や四角の発泡スチロールを使って遊ぶ楽しそうな園児の顔が思い浮かぶと、つい、工場 倉庫の中を、まだまだ要らない端材はないものか、と目が探している。


2006年12月12日 雨後曇り 12度
いよいよ年末モーションに入ってきた。今日も例の製作が続く。変な自作の加工機による在庫積み上げ作業も急ピッチになる。お問い合わせの中にも、門松や年末注文は、最悪デッドゾーンは何時までかと言った問い合わせや、逆に追い上げ作業で多忙なところを気遣って頂いたものまで順繰りに入ってくる。こちらのメールでの受付は24時間休み無し(でもご返事は何時になるか判りませんが、夜中でも年越しそばを食べて起きていましたら直ぐに返事を入れるようにしますが(笑))だし、年末でも正月でも製作発送希望ならOK、365日お受けしますよ、とお答えする。確かに、小さな会社だから、そういった小回りは可能だ。受付係りがいて、営業マンがいて、製作係りがいて、、、となれば、正月が近づけば、帰省して工場はストップするだろうなあ。だが、こちらでは、ひとりスタンバイしていたら、みんな出来てしまう訳か!確かに昨年も正月は例の20面体加工で仕事をしていたものだ。その前は例のSントリーの水槽だったし、その前はセルパネ製作だったなあ。直近過去5回の正月のうち4回まで仕事に追われていたものだ。、、、、、、こんなことを書きながら眠ってしまった。足をコタツに入れて風邪にならないようにしていたお陰もあってか、気持ちいい夢を見ていた。時はまた、学生時代だった。校舎内を何故か、電車が横切っていく、倶楽部ハウスの2階が、吹き抜けのガラス張りになっている。向こうから歩いてくるのは誰だろうか。見覚えのある2人だ。、、、あれ、もう時間だ。では失礼


2006年12月11日 晴れ 11度
暖冬にしては寒い一日。昨年なら、ここは雪の朝だったのだろうか。逆に今年は下がってここまでなら、この冬は積雪はこの辺りでは、数ミリか、無いかもしれないなあ。今日も例の製作が続いた。幾つか急ぎの製作が入って、夕方になって、3号自作の球面体加工機を分解していた。取りあえず、昨日まで試行錯誤を繰り返した円盤型の自作4号機に目処がついたからだ。400φ球を作りながら、これなら行けるだろうと確信した。そこで、もう少し、大きな球を製作する為には、3号機をばらして、そのスペースに組み立てることになったのだった。今度の方式ならニクロム線を固定するので、機械の骨組みが材木屋さんで頂いた端材の継ぎ足しばかりであっても、結構精度は確保出来ると思う。随分前からのお問い合わせの件もあって、球のスーパーマーケットを開こうと思いながら、こんな基本的なところでジタバタしていて、前に進まなかったが、加工機の試作段階で好結果だったので、6号機の完成後にもオープンと行きたいものだ。早いとこ ここも前進させて、次の課題に進みたいものだが、なかなかだなあ。加工機の制作費と言ってもタダみたいなものだから、まあ、いいか。


2006年12月10日 曇り時々晴れ 13度
1週間の過ぎるのが早い。蛇口から水滴を週一滴落としても、週の半ばではほとんど止まっているようで、週末やっと、水滴が蛇口から離れて落ちた瞬間だけ、状態の変化に気がつき、「あれ」っと言う間もなく、次の水滴になっていては、まるで何も変化はなかったかのように時間だけ過ぎているのに似ているか。そうして、一ヶ月、一年ということになるのだろう。積年の重みは、さらに、覆水盆に返らずではないが、後戻りの決してできない重みだろうから、、、、、、ラジオから流れる通信高校講座現代文の『山月記』も気がつくと7回目だという。このテーマのひとつには、主人公の官僚として有能であっても敢えて、詩人の道を目指したものの挫折し、食うていく為再度官吏につくが、既に後輩に先を越され、再び挫折し、ある夜、虎になってしまうのだが、それが時間の後戻りがきかないのだ、と問いかけているようにも取れる。 、、、、何、もう朝か。時間だ


2006年12月9日 雨 13度
急ぎの製作の合間、例の球面体小型加工機で400φ球の試作をしていたのだが、10mmの誤差が埋まらない。再度分解し、ようやく、基盤に使う円盤が4mm程上下ににねじれているのに気がついた時は、夕方遅くになっていた。回転させると合計10mm程度になる。もともとの 物差しがずれているようなものだ。これでは幾ら試作を繰り返してみてもぶれた球になるわけだ。明日以降、完全な円盤を中古屋で探して来なければならないなあ。今日もここまで


2006年12月8日 雨 13度
今日も例の製作が続いた。本当に様々な来客があるものだが、はて、それが何に繋がるかと言った基本問題も多々あるものだ。しかし、確かに次の可能性を考える上で、大事なポイントにはなるのだろう。さて、こちらでは、いまだに、手作りをメインに進めている訳だ。果たして、その線を越えていいものだろうか。まあ、加工機まで手作りなら、まだ良いか。、、、、、さて、球面体の加工で、先ほど、また少し、ここをこうしようと思い当たる工夫が浮かんだのは良かったのだが、途端に疲れが出たか、机で眠ってしまった。外はもう明るくなっている。夢を見ていた。また、遥か思い出の過去へ飛んでいた。残念 時間が押している  では




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