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営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
          
2006年12月7日 曇り後雨 13度
年の瀬に みぞれ冷た哉 かたたたき いきなりに 走り欝つ 冬の雲 

      黒々蔽い空悲しも、白々霞む往く年月

嗚呼、われ 働けど働けど、皆、そなた彼方の涙と憶えしか。

      悲しくも 寂しくも 静けさのみそ、 こころまで

   錆びついて 朽ち老いて 猶まわる機械 無情の雨リズム

見上げれば そして仰げど落ちる 冬の雨  


今日も例の製作が続く。夕方、NHKスペシャルの『ワーキングプア2』という番組が放送されるのを広告で知った。これが、現実だ。7月の第一弾の反響が大きかった為らしいのだが、改めてあの番組を思い出したものだ。恐らく、2弾でも終わらないだろうなあ
では、今日はこの辺で


2006年12月6日 晴れ 14度
今日も朝から例の製作を続けた。ようやく、11月中頃から続いた津波のような訪問者の小爆発増加現象は収拾した。過去データを見ると、何度かこのような津波のように訪問者が押し寄せて来る増加現象はあったが、今回は明らかに原因がはっきりしているので、その解析によって、恐らく、訪問者を如何に増やし、と言った目的が特にあるのなら、十分意義ある回答までに、至ることだろうが、しかしこちらでは、そんな心算は無い。こちらでは、専門的な素材を扱うページなので、確かに、訪問者数と需給関係と直結しないようだからだ。それよりも、例の国立の、随一のユニークな変哲人が大勢集まることで有名な、京都のK大学という変な大学の或る立派な研究者から、特殊発泡スチロールで製作したオーダーメード一刀彫り液体窒素専用容器が、実際にお使い頂いて「何ら問題なく使用」されている旨のご連絡を頂けたのだが、たった一つのご連絡ではあっても、日に200、300の訪問者が訪れることよりも、遥かに有難いことだし、また有意義なことなのだ。もう、4年ほど前になるだろうか、東京の光都市総合設計鰍フ鈴木さんのアドバイスもあって、発泡スチロールで作るオーダーメードの特殊容器を様々な可能性を目指して始めたのだが、これで、旧帝大関係では面白いことにと言うか、変な話だが、とうとう4大学のそれぞれの研究機関の成功実績を積み上げることになった。もし、仮に我々のような小さな会社で液体窒素を大々的に取り扱って商品の開発をしようと思えば、大変な労力と膨大な費用や研究設備が必要なところだっただろう。それを、本当に有難いことに、それこそ、この不思議の工業立国日本の最高研究機関が、こぞって、代わりにして下さったようなものだからだ。本当に大変嬉しいものだ。関係者の皆様再度この場をお借りいたしましてお礼申し上げます。有難うございました。では、本日はこれで さようなら


2006年12月5日 晴れ 13度
今日も例の製作が続く。頑張る他に無いか。大変なのは一度製作したカット品を客先の都合で、急に変更が入る場合だろうか。客先にもそのまた向こうの客先の意向があって、回りまわっての話なだけに、まるで、人生まわり舞台か、因果の鎖でがんじがらめか。吹けば飛ぶような発泡スチロールだ。1個何円のカット品の寸法修正と言うのは、手間と時間だけ発泡スチロールと一緒に飛んでいく。数センチの小さな直方体をまだ、半分に割って呉れならこうなってみると、それでもマシなほうか。今回は何と数センチの菱形状に加工し直してほしいと言う厄介なご意向だ。昔の何とか財閥の家紋の形状だから「おう」とばかり聞こえ見栄えは誉れ高いのだろうに、、何しろ吹けば飛びそうな発泡スチロールなのだ。手間と時間だけ飛んで全部加工をやり直すのに、結局終日かかりきりになった。こればかり一日頑張って内職代の1時間にすら届かない世界だ。これではいけない、情けない、と「働けど働けど」の じっと手を見る。こんな事をしていて良いのだろうか。夕方、日の暮れるのが早くなり、周囲が暗くなって裸電球の明かりの下で、吹けば飛びそうな発泡スチロールの断片を1個また1個と積み上げて一人で作業に打ち込んでいると、何故か悪夢にうなされて、またまた『貧乏物語』の主人公を演じる気分に突然襲われるような辛さが、木戸の冷たい隙間風とともに こころの奥底まで入って来る。


2006年12月4日 晴れ 12度
当たり前と言えば当たり前か、少し寒い週明けの一日になった。師走のここまで季節が押してくると、例年のような冬の訪れかと思うのは当たり前であっても不思議だ。決まった時間に来る郵便配達にしても、(中学の頃のサッカー部の副部長だったs君に顔といい話し方といいそっくりなのだが)、以前は何と牧歌的な 世間の関心や話題にも上ることがなかったせいか、なあなあ気分でおれたせいか、はたまた、寒い中よく頑張っているなあと言った暖かい街の視線があったせいか、こんな寒い日は、一杯引っ掛けて、顔を真っ赤にさせながら自転車で配達に回って見えたものだ。 そして、今日も例の製作が続く。こんな更新を毎日繰り返していると、1年の動きが、感覚的に静止したように感じられる。書き込みしていて、今が夏であっても、春であっても、特に年中行事の一環でしかないからだ。だから、去年の今日はこうだった、その前はこうだった、と辿ればすべて判ってくるので、日々変化に富んでいるのはよく判るし、決して同じような出来事は起きていないことは理解できるのだが、時間だけが、無性に過ぎていく。空いた時間に例の球の自家製の簡単な加工機をさらに簡単にできないかというので、再々再度試作している加工機の試し加工をした。時間が無いため、微調整が出来ていない。細かい詰めをして再度試し加工が出来るのはいつになるだろうか。Nハム研究所の取り締まられ役のs君から便りがあった。また、暫く、研究所に閉じこもって新商品の開発に没頭しているそうだ。なので、Nハムの優勝もぴんと来なかったそうだ。流石に凄い研究熱意だ。数ヶ月、厚い扉の奥に閉じこもって、ようやく開発の目処がついて、髭ぼうぼうになって研究室から出てくると、何とチームが優勝していて、社内が沸きかえっていたのを知ったようだ。


2006年12月3日 晴れ 14度
まあ、どちらでもいいのだが、近くのスーパーへ買い物に行ったついでに、3階のゲームコーナーで先月の小遣い銭の残りコイン なけなしの2枚をはたいて、発泡スチロールの成型機の機械調整などでコツをつかんでいるので、割と気楽に操作しているのだが、クレーンゲームを2回して、2回目で『ドラえもん』を1個ゲットした。ゲーム機の方は、空間把握とバランスを取るだけなんだから、発泡スチロールの機械のように、良品生産の様々な調整をしながらハイサイクルを求めて行かなければならないのに比較して、簡単なものだ。形状の複雑な緩衝材などをエアーで吹き飛ばすのに、どれだけ泣いていたことだろうか。逆に小型機械に深ものの 大きな金型をオーバーハングのフレームを2枚も重ねて載せて成型し、大きな容器をアクロバットのように落としていた事もあったものだ。帰り、近くの図書館へ回ったのだが、自習室もどこも座れるところは満席で、高校生か受験生で一杯であった。追い込みに入っている時期だ。新聞コーナーで例の夢千代の里の小学校の巨大ケーキの校舎の記事を捜した。休日であるにも拘らず、今日も訪問者数が200を越えていることが後でわかった。


2006年12月2日 晴れ 14度
今日も例の製作が続く。残念だが、仕事以外、さりとて 他に取り柄がない。かと言ってめしの食いはぐれも困るので、でくの棒のように、前を向いて ひたすら頑張って、あれこれと終日製作を続ける以外にない。敢えて、特記出来る程のことでもないが、こんな めしの種にもならないHPの更新や書き込みで気分を晴らしているということは、もう5年も糞真面目に続けているので、それなりに取り柄だと言えるのだろうか。解らない。少なくとも気分は仕事といった目的意識であれば、決してこんな継続は出来ないだろうか。訪問者数では、先月の中頃より、数の小爆発現象が継続している。とうとう、それ以前では、週末土曜日には50程度で、半減以下に減っていたのに、逆に200近く、倍に増加しているようなので、何がどうなっているのか、事態の状況分析に苦慮している。過去例でみると、2004年の5月から6月にかけての1ヶ月弱の期間、今回と同様の数の上での小爆発現象があったのが記録に残っているので、この分で行くと今回で都合2度目の津波ということになる。


2006年12月1日 晴れ 14度
今日も例の製作が続く。途中、澄み切った初冬の青空の下、隣町まで急用で車を飛ばす。ラジオからNHKにしては珍しく、今年の『つまごいコンサート』の解説と曲が流れてきた。聞いていて元気になる、ということは矢張り、そう言うそこそこの年齢になったのだろうか。
取り敢えず、下記にUPは、11月30日に朝日新聞の社会面に掲載された兵庫県湯村温泉の巨大な温泉小学校の円形校舎の建て替えに伴ったお別れイベントのひとつ、小学生やPTAの方々が中心になって、直径27mの巨大クリスマスケーキに校舎を見立てて、大きなろうそくやイチゴなどの飾りつけを行い、ライトアップされた時の模様を伝える記事と拡大写真だ。当社は、ご縁あって、この大きなイチゴの赤い表皮部材に使用された発泡スチロールの『ブロッくん』をご提供させて頂いた。光栄至極、有難い限りだ。
  朝日新聞 11月30日


2006年11月30日 曇り 13度
今日も例の製作が続いた。今回の球面体加工用自作の道具は自信作だと思うのだが、なかなか組み立てまで行けず、終日急ぎの製作に追われていた。そして、3時の休憩になり、食堂でテレビの天気ガイドを見ていると、本日発送予定の北海道旭川の町の様子が画面に出てきた。積雪15センチの前方が全く見えないような猛吹雪らしい。本当に、日本は南北に長い。こちらでは、コートもマフラーも要らない晩秋を迎えているところなのに、北の方では、吹雪いているのだ。この分だと、商品の納品は途中停滞しそうだなあ。疲れて、遅くに帰宅。人から、朝日新聞の社会面に、例の兵庫県湯村温泉町の温泉小学校の円形校舎を使った直径27mのギネスブック級巨大クリスマスケーキのライトアップされた写真が掲載されているのを見せてもらった。こちらには、巨大イチゴの発泡スチロール素材の搬入や朝野家温泉(後から知ったが皇族も何度かご利用なさっておられる大変有名な旅館だったらしい。その時は、映画スターの吉永小百合さんがよくご利用されているとしか知らなかった。大変失礼)さんには、大変お世話になっていた訳であり、「おー」と思わず、ため息が漏れた。大きな蝋燭や赤いイチゴがライトで幻想的にまばゆく夜空に浮かび上がり、実に素晴らしい出来上がりだなあというのが、新聞に掲載された写真から受けた第一印象だった。この場を借り、関係者の皆さんに改めて、一言献上「お疲れ様でした」(詳しくは上記夢千代日記から↑)


2006年11月29日 晴れ時々曇り 15度
今日も朝から例の製作が続く。例の在庫積み上げ作業も続く。、、、おっと図面を見ながら考え事をしていると、また机で眠っていた。ぶるっときて、何となく寒い。いけないなあ。体調管理も仕事の内とは言うが、難しいものだ。まだしばらく、訪問者数の小爆発増加現象が先週から続いている。一日のお問い合わせ数も、ここへ来て大変増加している。昨日は20件を軽く越えただろうか。凄いなあと、驚いている。もう時間が無い。では、失礼


2006年11月28日 曇り時々小雨 15度
今日も朝から例の製作が続いた。ようやく一段落となった頃には夕方になっていたので今日も例の加工の件までは至らなかった図面の再考など時間のかかる一件があって、またまた加工機の方は中途半端になっている。これも仕方が無いと、先を急がないようにしている。ここへの書き込みも極力減らして来ているし、ま、マイペースで頑張る他に無いか


2006年11月27日 雨 15度
今日も朝から例の製作を続けた。有難いことに今日も様々なお問い合わせが続いたし、雨の中、遠方からわざわざお越し頂けた開発部の関係の方もおられたし、メーカーの営業の方も見えて、梱包方法に関してアドバイスを求められた。本当に、もう4年、5年と日本全国規模で様々なお問い合わせに応対させて頂いていると、仕事柄、可なり、お答えのバラエティーなストックが出来て来たものだと、我ながら感心する。最近は 「QアンドA」のコーナーの更新は全く手をつけていないのだが、手元のストックは膨大なものになってきている。今年も、あと1ヶ月残すだけになって来たが、年間のお問い合わせ回数でどれだけになるだろうか。最近は、回数の上では、手っ取り早いのか、みなさん「こいつは安全パイだ」と認識されて来たのか、お電話でのお問い合わせが半数近くになっているのだが、電話のお問い合わせ回数の記録が無い。ネットのお問い合わせ回数が今日時点で2000を越えてきたので、電話を入れると恐らく、年間4000回程度だろうか。一日平均10回というところは、こうして毎日お答えしている実感に合致してくる。まあ、それが売り上げに全く直結していないサービスになるところに、憂慮がすごくあるのだが、人の業だから仕方がない、と諦めている。むしろ、時間があれば、具体的な問い合わせを集計し「発泡スチロールを使ったおもしろ実例集とお問い合わせコーナー」と言った小雑誌にまとめて売り出せば、儲からないかなあ、と胸算用ばかり先に走っている。


2006年11月26日 小雨時々大雨 15度
曇りから雨になって、途中激しい雨になり遅くには小康状態、といったところの天気の移り変わりの日。最近は、よく眠る。昼間からぐったりとなっているし、空腹を忘れるようにそのまま朝まで動かないでじっとしているとまた眠っていた。また、明日から忙しい仕事が始まると思うと、ひたすらじっとしている。おっと、もう朝か。そして1週間が始まる


2006年11月25日 曇り 15度
今日も例の製作が続いた。朝から急ぎの製作に終始追われていたので、夕方ほっと一息となった頃には、気が付くと外はとっくに暗くなっていた。先日より少し部品を用意している次の自家製加工機の組み立てまでは進まない。一歩一歩だ。今日はここまで


2006年11月24日 晴れ 16度
結局、いつの間にか近くの山や街路樹は紅葉が始まっていた。京都方面では見頃になった所も多いと聞く。この前の秋雨が効いたのだろうか、そうして、この小さな工場では今日も例の製作が続く。休みが明けると、また、訪問者数が急増し、今週始めからの一連の現象が継続していることを確認した。何故だろうか、特に深く考えることも全く特に無いのだが、こうして書き込みを更新していて、つい、いい気になる反面、妙に重圧を感じるのは思い過ぎだろうか。つまらないことは並べるが、そんな大それたことも書いていない心算だ。それよりも、今日から売り出した年末ジャンボ宝くじが、まだ買えないでいるほうが気になる程度のつまらない輩ではある。一枚だけでも買わないことには、明日の昼飯を賭けても良いが絶対に当たらないのが、宝くじというものだ。と力説して歩いているのだが、拾って当たればどうする、貰って当たればどうすると、「はしを渡るな」式の突っ込みには弱い。ただ、こう言ったネットの面白さだけ挙げれば、こんなツマラナイ書き込みでも読んで頂ける画面の向こう側の、何と表現すればいいのか上手に書けないが、舞台の袖には、三波春夫の「みなの衆♪みなの衆♪」の歌声が聞こえてきそうな「大衆」を意識できることだろうか。言い換えれば、大衆に直接語り掛けが出来る喜びなのだろうか。それは歌のように手拍子と伴に体感出来る、一種の幻想ではあるのだろうが、言葉の成り立ちからして、言葉を記憶し使うことそのものが、対象を前提にしていることと、人の文化や歴史をすべて引きずって出来上がってきたものが言葉である以上、一個と多の中で、共通する何かを見出して来れるのがいいのかもしれない。更に平たく言えば、こういった大衆へのネットつながりと言ったものは、例えれば、舞台の「ひとり芝居」でも十分意味があるのだろう。反面、この「ひとり」の怖さも強く表現されてくる点は押さえておきたい。ここでの語りかけは、ストレートに相手の意識の中へ入ってくるのだ。舞台で演じられる有名な人達の上手い「ひとり芝居」を一度見てみるといい。暗いスポットライトの下で、途端に舞台の「わたし」とこちらの「わたし」が一体化するのに似ている。「わたし」は一体何者だと、、、、こう書けば書き過ぎか。


2006年11月23日 曇り時々小雨 15度
小雨が降ったり止んだりで時々風のあった一日だ。たまった書類に目を通しながら、昼間から机に向かっているとそのまま眠ってしまった。今回、風邪の掛かり始めから免疫機構が完成するまで約2週間かかったようだ。昨年などは、確か1週間程度で回復していたのと比較すると、また違うタイプの風邪菌だったのだろうと自分なりに整理している。外でカラスの鳴く声に目を覚ますと、これは何だ、枕に敷いていたのは、 『日本人の起源はシュメール人か』とか言う副題の付いた封筒だった。とても雄大な夢のあるお説のようだが、結局、封を切っていないでそのままになっていた。インターネットの時代は実に有難く、邪馬台国の富士山麓説や、ペルーの地上絵の絵葉書など、資料を集めようと思うと気軽に何でも出来てしまうのだ。だから、雑学の守備範囲はいくらでも広がっている。英語が出来ればもっと世界は広がるのだろうなあ。だが、海外の発泡スチロールのカット屋さんの話が入ってくれば面白いのだろうが、それが出てこない。以前から、何度もトライしているのだが、英語が苦手なのがどうもネックになって、海外のサイトをうまく開けないでいた。きっとあるはずだ。例えば、梱包形態にしても、世界中皆同じようなことをしているはずだ。それほど極端に違いはないだろうに、、、、あれこれサーフィンしながら探し回っているとまた疲れて眠ってしまった。


2006年11月22日 晴れ 16度
まあ、今日も朝から例の製作になって、いつものようにばたばたとしながら終日が過ぎた。ここ3日ほど、データを繰ると訪問者数が突然200名/日が続いていた。何故だろうか。時々 突然のように増加する時がある。前回は、8月の末のほうだった。その前は5月だったか、1週間ばかりそんなことが続いた。こんな、小さな何ら有名ではない専門的な分野に限ったHPでは、いつもの倍近い訪問者があると、思わず、またどこかの雑誌にでも取り上げて頂けたんだと、喜んで有頂天になる位なのだ。不思議な現象だ。それとも、また、学生さんの卒業制作の課題が出てくる時期なんだろうかなあ。きっとそうだろうなあ。8月の末にかけては、夏休みの宿題シーズンだったしなあ。5月は新規の実験課題が出てくる頃だろうしなあ。若い皆さんのお役に立てれば幸いです。しばらく、体調を崩していましたが、その間、グーグルアースで世界旅行をしていました。貧乏人には、これで世界旅行を出来た気持ちになれるので、有難いものだ。探すと、当社もグーグルアースではっきりと写真が写っていました。白い部分はテント倉庫ですよ


2006年11月21日 晴れ 18度
たった3日程の雨続きだったが、晴れると久しぶりと思うのは何故だろうか。そして、晴れてみると今まで数十年、11月のこの時期ならこの位の気温だろうと言う肌に憶えた感覚と掛け離れたジャンパーも帽子も要らない 少し、暖かすぎる一日になった。これはひょっとすると、過去、地球の歴史で、数え切れないほど繰り返されてきた小さな気象変動から、大きな氷河期や間氷期といったことまで、いずれも、人間にはどうすることも出来ない地球レベルの変動に差し掛かった兆候かもしれないようだ。これは、直近では、人間社会の二酸化炭素の排出が問題と一見さもありそうな風になっているのだが、どうやら、ノアの箱舟の時代や、エジプトのピラミッドの時代まで遡れば、民族大移動が、起きるような気象変動は、極当たり前のように起きているそうだ。ピラミッドにしても、出来た当初は、近くのサハラ砂漠は無かったそうだ。広大な草原とジャングルや森林が広がる肥沃な大地だったそうだ。それが、何故、今のようなカラカラの砂漠地帯になったのだろうか。有史以来の空気中の二酸化炭素濃度などと、いったデータばかり見ていては実態が把握できないだろう。有史はわずか、5000年程度だが、それ以前にはもっと様々な状況の変化が続いたし、現に日本が大陸と地続きになった氷河期だってあったのだから、むしろ、秋の夜長の ビロロンの響きに 耳傾けて という訳にはいかないのだろう。一昔前の秋はもう、秋ではない。一昔前の冬はもう冬ではない、冬は秋に、春は夏に、夏は秋に、と季節の変動は常に起こるものと、そう考えたほうがいいのかもしれない。そして、今日も例の製作が続く。


2006年11月20日 小雨 16度
有難いことに今日も例の製作が続いた。窓の外は、この時期としては珍しい3日続けての秋雨になった。道を走るトラックも伍と日にしては少ない。一部好景気の産業と裏腹に大半は構造不況下、零細企業を中心にむしろ倒産件数は増え続け、また、団塊との入れ替えによる新卒以外は、若年層を中心に失業者の高止まり傾向が見られるそうだ。ある統計では、輸出関連を中心に全人口の15パーセントがその恩恵に預かって後、特に中国特需だろうが、03年辺りから早くも3年以上続く、戦後最大の好景気とのふれこみと相まって、この実感との乖離に、社会との格差を必要以上に過少評価して見る向きが、返って様々な問題を起こしているのかもしれないとの評には、うなずけるものだ。だが、どうだろうか、国是に好景気を押すのなら、世界広しと言えども、銀行に預け入れ金利の殆ど0%という国家はどこにも無い。にも拘らず、サラリーマンの借りた金には、トンでもない高利が厳然と乗ってくる世の中だ。だから、この局面、早く日銀の政策金利を引き上げよ、の声は、まだまだ少数派だろうか。まだ、もう一つ解らないが、近いのではないだろうか。来年は段階的に結構上がっているのではないだろうか。はてさて、これが、街角景気に吉と出るか凶と出るか。
さて、これから他のページの更新だ


2006年11月19日 小雨 15度
風邪気味で終日横になっていた。ネットに書き込みをするのが変化と言えば言える程度の何もない雨の一日であった。しかし、こんなことを書いていても仕方がないか。こちらのページにはどう書き続けるのがいいのか考えてみたが、特段結論などない。今日もラジオから流れてきた高校講座の『山月記』(中島敦著)の漢語調の引き締まった朗読に耳傾け、否、斯くの文体にもの申す意を得たり、とばかりに、書くはいいのだが、残念至極 漢字が出ない。いけないなあ。指を使わないと、どうも文字を忘れて行くようだ。


2006年11月18日 雨 15度
今日も例の製作から入った。急ぎの製作が途中から乗り、雨の中、いつもの様に、終日、ばたばたすることになった。加工方法について、いつくか検討を繰り返していたし、例の風洞実験用の飛行機のh翼でも、ひょっとしてこれだけ取り出して北風の中、持って走り回ったら面白いだろうなあと思った。だが、体力温存を優先しよう。ここまでだ


2006年11月17日 晴れ 17度
しばらく風邪をこじらせてから、出来るだけ体調維持に努め、例の優先製作に全力を傾けている。なので、ガラガラ声でのお問い合わせもいつものお電話の先からすると「どこのテレビのアナウンサーの声かと思った」と驚きの声が返ってくるような状態だが、取りあえず今日も継続している。ページの更新や、果てはノートの更新など、もっと肉付けすべきことは多いのだが、後回しだ。今は体力温存が大事か


2006年11月16日 晴れ時々曇り 16度
今日も例の製作が続いた。いつものように時は待っては呉れず、ふと気が付いて振り向くと外は夕闇に覆われ、何ら今日の成果と呼べる程のものも無く、無情に過ぎていくのみか。せめて、ミネルバの梟でも、その夕闇と供に飛び立てば良いものを、疲れてダウンし、目が覚めれば、また、いつもの朝になっている。まあ、日々、是好日。


2006年11月15日 晴れ時々曇り 15度
今日も例の製作が続いた。例の、ずず するする ばったん するする ばったん♪の在庫作業も急にあって毎度毎度の作業も進んだ。スポットの急な問い合わせもあって、結構走り回ることになった。また、遅くなって、漫画家の鎌田君のサインを希望されていた方から、出版社に本を送ると鎌田君のサインが入って、返送されて来たので、お礼のメールが届いた。よかったですね。鎌田君はまた別の作品に挑戦して超多忙なご様子ですね。漫画家家業も大変ですね。実例集少しUP


2006年11月14日 曇り後一時雨 15度
今日も朝から例の製作が続いた。有難いことに様々なアイデアをご提案頂けることは、確かに、ユメユメ信じられないような、かたじけないものだろう。今日も全国各地からお問い合わせが続いた。よくよく考えてみて、さらに、それほど考えなくても、このネットでつながると言うことの大変さを毎日実感している。広く広く、どこまでも広く、つながっているのだなあ。さて、そして今日は、、、おっともう時間がない。前置きだけか、、、


2006年11月13日 晴れ 15度
今日も朝から例の製作が続く。如何にも、体調を落としていても、仕事とは勝手に休めないものだ。最近は、さらにお電話での直接のお問い合わせも増えてきたので、がらがら声での応対となっていた。世間では、「こいつなら安全パイだ」との評価でもされているのだろうか、よく解らないが、きっと使い放題0円などという電話が普及してきたことも原因ではないだろうか。これは、一考察に値する課題かもしれない。30幾年前の学生の頃、ある処で、『電話不要論』なる論陣を張っていた同窓生があったのをふと思い出す。正に、隔世の世の中か。まだまだ、10円で話し放題の時代が終わった直後だったろうか。公衆電話でも3分で10円になった時だったか。その頃、電話によって、「自己の安眠を疎外され、他者との関係の中に埋没し、究極の自己の発見を見失う、、、」等と偉そうに書き残して、やがて学校へも来なくなって、以来皆から忘れ去られた一人が、確かに居たことすら忘却の彼方にうっすらと記憶が残る程度なのだが、居たような気がする。それから、数十年が経ち、またまた、さらに拍車をかけて、電話だらけの世の中になって来ている。他者との関係の中に、希薄化した自己をかろうじて安定させている自己の存在に、疑問すら抱くことなく、やがて空虚な、実に空虚な馴れ合いと 不安からの逃走にしか自己実現は、ないのだろうか。はてさて、解らない。
夕方、セルパネの東西進捗状況の報告会が急遽開催となった為、急いで京阪丹波橋から近鉄に乗り継いで、京都まで出掛ける。今回は何とか時間に間に合った。京都駅八条口を出て直ぐの例の高級料亭の一角を借りて、ささやかな年次報告と、そして東京からは、セルパネの発明家でもある大学講師兼務の光都市綜合設計鰍フ鈴木先生にも駆け付けて頂き、割れんばかりの満場の拍手の中、乾杯の挨拶と、関東方面のセルパネの進捗状況の説明を受けた。と言いたいところだが、皆さん多忙のようで、今回の出席者は主催者を含め数名程度になった。高級料亭も急すぎてか、予約出来なかった事情も待って、駅前脇の小さな商店街を通り、外れの所にようやく見つけた居酒屋の小さなテーブルでの開催となった。質疑応答になると、話は白熱し建設的な提案が次々と飛び出した、となれば良いのだが、大方の時間を楽しい世間話しに費やすことになった。ネットつながりだと、距離感を日頃、得てして忘れ勝ちだが、こうして顔を合わして世間話になると、実に楽しく面白いお話が尽きないものだ。


2006年11月12日
カゼっぽい。終日ダウン。無理せず、今日もここまで。更新も何もない。わずかに製作実例集を少し追加した程度か。嫌な気候だなあ。


2006年11月11日 朝から冷たい雨 15度
今日も朝から例の製作が続いていた。随分UPが遅れているが、まあこんなこともあるのだろう。例の在庫積み上げも続き、汗をかいて悪寒が走った。今日も三行文がやっとだろうか、、、もう眠ってしまったか、朝だ。


2006年11月10日 晴れ 20度
今日も例の製作が続いた。円のくり貫き方法で一部改良を進めていた。如何に機械的な円形に近づけるか、無機質のカーブには、見た目の感じ方が不思議と違うものだ。そこへ持っていくだけのことなんだが、取りあえず、そんなことを思いつくにも、時間が掛かってしまった。毎日が、こんなことの繰り返しだ。妥協は許されない。自分を律して進んでいく他にないのだろうか。おっと、もう時間だ。では失礼


2006年11月9日 晴れ 17度
今日も例の製作が終日続いた。そして、来客も続いた。中でも、大変有難いことに、あのメーカーから業界の重鎮、スペシャルゲストのご来訪には、流石に驚いた。蒼々たるものだ。いよいよ、こんな小さな所に、業界の主だった殆どのメンバーが一度は顔を出して見える、そんな状況に至った。ただ、驚きだ。まさに業界情報の交差点と化している観だ。しかし、感傷に浸っているわけにはいかない。こんなそんな、とは言え、臨在常戦、「勝てば官軍負ければ賊軍」の商売の場ではある。駆け引きは特に苦手だが、「それを売るな、売るなら貴君の人格をまず売れ。人間関係の構築が先だ。信頼され、重ねて信頼に応えることが出来る様に自身を磨け」の百戦練磨の生の声には、平身低頭で相槌を打つ以外にない。今の希薄な若い世代になるほど、ひょっとして、このようなノリで押して来られると弱いだろうか。まあ、こころに余裕があればいいのだろうが、営業とは得てして、全てが全て、そうは行かないものだろう。会社あっての営業だ、が、ここまで来ると、何だろうか。我々は、寝ても覚めても、前を向いた取り組み以外にないか。


2006年11月8日 晴れ 18度
今日も例の製作が続いていた。遅くに戻ると倒れるように寝てしまったようだ。もう殆ど時間がない。毎日毎日、有難いことに実に様々なお問い合わせが続いている。思い出せば、あれもそうだったし、これもそうだった。そして、課題がどんどんと山積みになっていく。例えば、セルパネについてのお問い合わせだったが、そこへのリフォームは、兎に角、他の業者が、匙を投げたのだから、圧倒的に有利な局面なはずだ。ただ、その点だけでも充分勝算はあるはずなのだが、なかなかか、、、、、では失礼


2006年11月7日 大荒れ 15度
朝早く、例の正門の両脇に大きな花束を手向けてあるところまで出掛けた時は、まだ小雨の降りしきる最中であった。その大きな花束の間を抜けて車を止め、濡れながら小走りに、納品の目的地を目指していると、ふと、白百合や菊の真新しい花束と一緒に、その少年が生前遊んだらしい白いサッカーボールがひとつ、冷たい雨にさらされて路端に並べられているのが小さく見えた。プロに憧れ、少年サッカーチームに所属して、元気に毎日そのボールで練習に励んでいた明るい子だったらしいと、後で伝え聞く。納品が終わり、係りの人から受領印を押してもらい、工場建屋を出ると、さっきまで降っていた朝早くのひと雨が上がり、所々雲の切れ間から青空が見え、急に強い風が吹き始めていた。これが、今年の木枯らし一号となったそうだ。その、木枯らしは、今日の例の製作が続く間も、止まることなく、終日吹き続けた。ニュースによると全国的に激しい突風となって吹き荒れ、死者を出す災害まで起きた地域もあったそうだ。発泡スチロールは大変軽いので、こんな日は、仕事にならない。並べては、急に吹いてくる突風に散乱してしまい、また一から並べ直しになるので、仕事をしているのか、風で吹き飛ばされた発泡スチロールを並べている回数が多いのか解らなくなるぐらいだ。しかし、飛んでいく発泡スチロールを追いながら、朝、例の正門で見た白いサッカーボールはこの風で転がって行ってはしないか気になった。陽が傾きだすと、木枯らしと伴に急に冷え込んできた。事務所の温度計をみると10度ぎりぎりまで急激に下げていた。これに、突風が来ると流石に震え上がった。昨日までの天気と丸で違っているので、身体に堪える。沖縄から飛行機で北海道へ来たみたいに激しい気温差だ。夕方、暗くなってからの最後の来客をお送りしてから、冷たい夜空を眺めながら、あの白いサッカーボールを思い出していた。


2006年11月6日 晴れ夕方雷雨 23度
朝は車のフロントを白くする位のこの時期、例年のような肌寒さであったが、昼頃には冷房でも要りそうな位に暑くなり、夕方には雷を伴う通り雨があった。ごろごろ鳴ってさっと止む一雨も、丸で夏の夕立ちのようだった。確かに、相当季節感がずれているように思う。今日も例の製作が続いた。同様に球体に関するお問い合わせもあって、危機感も募らせていたし、例の水槽の件でも早く一定の成果まで漕ぎ着けたいと焦っていた。焦りは禁物とはよく言ったものだ。何でもそんな簡単に事は運ぶことは、極めて稀なものだ。あのセルパネにしても、もう4年になるのだ。その球の加工でも3年だろうか。だから、ぼちぼちでいいのだろう。ぼちぼち、コツコツ、ぼーちぼち♪あした天気にしておくれ♪ おっと、明日は朝からちょっと急用だ。では失礼


2006年11月5日 晴れ 23度

仕方がない。再度球の4号機製作のための青写真をあーでもない、こうでもないと下書きしながら考えていた。外は、朝夕の冷え込みに反して昼間は結構な気温になるので、3,40年以前の昔、寒くてコート無しでは丘の上の3畳一間の下宿屋も じっとしておられなかった秋を 郷愁するような、思い出だけの世界に浸っている、妙に逆説的秋の気分になるものだ。今年はまともに台風も来なかったし、秋の長雨もなかった。夏か冬か、乾季と雨季だけのサバンナ気候のようだ。幾度かのしっとりした雨で徐々に色付いて、落ち葉が街路樹の根元を埋める光景もない。なおさら落ち葉を踏んで遊ぶ小さな長靴も見かけない。あと、2週間もすると、例年だと、この辺りの行楽地の山々では紅葉狩りがあるのだが、どうだろうか。間に合うだろうか。そう言えば、近くの遊園地の80年も続いた年中行事の菊人形展も 昨年から廃止されて、さらに季節感が乏しくなっているのに、そんな哀愁だけが、秋の訪れを呼び起こして行く。昨年にしても、数度の冷たい季節風の訪れがなかったら、ただの珍しくない暖冬だったのだろうか。2年前は、11月の終わり頃、木枯らし1号が吹くまでは、雨もなく吹き抜ける風もなかったが、翌春まで1度雪が振っただけの暖冬だった。今年はどうだろうか


2006年11月4日 晴れ 23度

と言うわけで今日も朝から例の製作が続いた。あんころ餅ぽっとん するする ぽっとん するする♪の在庫作業も先を急いだ。夕方になり、ようやく一段落して、例の球面体加工の加工機のところに来て、その芸術的な異様な形姿を眺めていると、ふと、大変な間違いに気がついた。一体全体ここまで時間を費やしてあーでもないこーでもないと改良を加えて、何を面倒なことを続けてきたのだろうか。トンでもないことに、いつの間にかどこで増やしたのだろうか、よく見ると回転軸が、3つもあったのだ。我々の住むこの世界は余程のことがない限り、普通一般的には、縦横高さの空間で出来ている3次元だ。だから、回転軸はひとつでひとつの面を作るから二つもあれば、充分3次元の空間を形成できるのだ。ところが、それが3つもあると言うことは、必要もないのに異次元の世界を形成してしまうのだ。こんな町外れの小さな作業場では、宇宙から未確認物体でも飛来して、友好的に技術移転を受けなければ、縦横高さにもうひとつの軸を空間化した異次元の形状加工は、極めて困難だろう。実に参った。これで、またやり直しだ。


2006年11月3日 晴れ 23度
まだこの時期に、緑の濃い葉が茂った街路樹が産業道路の両脇に ずーと続いている事そのものが、この辺りでは異様ではある。稲刈りの済んだ田んぼは、刈り跡が、稲刈りの前のように30センチ以上も伸びてきた。急ぎの あんころ餅ぽっとんするする ぽっとんするする♪作業の下準備に出ていた。昼前、作業も一段落のあと、また例の球面体の加工で、少しひらめいた点があったので 必死になってそれを形にしていた。まあ、小さなものなら、以前からこの方法もあるだろうと試作などもしたのは、すでにUPしているが、それは半球製作になる。今度は全球加工でのまだまだ小型の場合の方法でしかないから、それほど急には役に立たないのだろうが、加工機の次の基本動作を考える上で大切な点だと思った。要は二つの回転軸が90度になっていることが球面体加工の基本ではあるのだろうが、扱う素材が柔らかいゆえに、如何にぶれずにそれを行うかになるのだろう。1m以上になって来ると、自体の単重でも相当ぶれてくるのだ。まあ、それでも これなら さらにレールなどで平行移動をつければ、楕円体まで可能になるのだろうし、面白いだろうか。だが、これ以上は木工日曜大工のレベルでは難しいかもしれない。鉄の登場だろうか。


2006年11月2日 晴れ 24度
今日も朝から例の製作が続く。ある経済新聞に「経済が幸福をもたらすか?」と言ったコラムがあったのを拾い読みしていた。そんなことは誰でも知っていることだと一蹴して、休憩の後、また昼から例の急ぎの製作に掛かっていた。世界の中で、井の中の蛙が、いくら立派なことを言っても仕方がない。ただ、ひたすら頑張る他にないのだろう。競争の社会で、実は殆どがアップアップしながら、ぎりぎりのところで生活しているのだ。こんな年齢になって来ると、もう、それ程 選択肢が残されていないのが普通だろうが、それでも頑張っている訳だ。静かに ほっといてもらいたいものだ。本当に戦後60年、豊かになったのだろうか。衣食住で、着るものは洋服が増えたら、それが豊かと言えるか、どこも同じような味のコンビニライスで美味しいだろうか、横に広がった長屋住まいが縦に伸びただけではないのか、戦前の農家はどこも大きな家構えだし、人口の殆どは農業で暮らしていたから、都会暮らしに移って、却って、我々の平均的な住まいと言うか、生活空間とでも言うべきものは どんどん狭くなって来ていないだろうか。だから、誰が、こんな競争を持ち込んだのだ。何時終わるとも知れない経済競争か。


2006年11月1日 晴れ 25度
飽きもせず、毎日書き込んで、今日で5年目に入る。こんな暖かい11月は昨年に続いて聞いたことが無いくらいだが、やがて、どこかで突然の季節風で こんな秋にも終わりが来るのだろうか。わからない。テレビで京都御所の一般参賀の模様が流れていたが、セーターも着ていない人の姿が目立った。これでは、紅葉の美しい京都の「萌える秋」の訪れは遅れるのだろうか、それとも、昼夜の温度差にメリハリが利いて 却って山々は早く色づいてくるのだろうか。しばらく見に行ってないので解らない。夕方になり、急に冷えてくると、人の健康なんて曖昧なものだ、と思いながら作業着にジャンパーを重ね着せずにはおれない。少し温暖な日が続いて急に冷え込むとすぐ体調を崩してしまうから 気をつけなければならない、と そう解っていても なかなか出来ないものかもしれないからだ。こうして、今日も例の製作が続いた。また、例の如く、急ぎの製作もあった。お問い合わせで気になっている例の水耕栽培用の件でも、決まったタイプのものが、やはり続いているので、早急に、善後策ではなく根本的な解決策を詰めて行かなければならないようだ。やっていかなければならない課題は山積みし、遅々として進まないのは、矢張り5年前とは変わらないようだ。


2006年10月31日  朝霜の昼残暑  25度
こうして今日も例の製作が続いた。急ぎのサンプルが入って、また急ぎの製作となっていた。いよいよ、こんなスタイルの更新も02年から始めて、丸4年となり、明日からは5年目になる。この位続ければ、もう良いのではないだろうか、とも思う。こんな所に書き込むのもこの辺にして、また大学ノートの世界に戻りたいものだ。だが、相当書き込みを繰り返したので、下手なモノ書き程度のこなれた文章になって来たと、自画自賛でもしたいものだなあ。ただ、読み返してみると、内容が乏しいようだ。毎日毎日、朝から晩まで、製作の繰り返しだけじゃん、って突っ込みを入れられて、落ちとなりそうなものか。例えば、もっと登場人物を増やして、小説風にしてはどうだろう、といった提案でも来そうだ。



 猫のふーちゃんは、今日も朝から、庭に出て、最近やたらご機嫌さんの お隣に住むヤギの稲村さんが、垣根越しに首をすーと伸ばしてこちらを振り向いたと同時に、「おはよー、」と元気な挨拶をしてから、また、いつものように花壇に咲いた猫種猫科の今時にしては珍しく満開に咲いているのが自慢のキャッツアイという名の赤くて大きなお日様のようなお花に水をやりました。通りを日課のマラソンで駆けてきた ゾウのモン太くんが、「おーい」、と鼻をゼイゼイ息苦しそうにさせながら声を掛けましたので、「おはよー、やあ、頑張るねー。ゴリラのパン屋さんに会ったら、後ですぐ行くからと言っといてー」と言いましたが、ゾウのモン太君からはそれ以上返事がありませんでした。きっと、先を急いでいるのでしょうか。息苦しそうに長い鼻をちょっと上に上げただけでした。その先にある小川に架かった木の橋で、ばったり朝帰りの 亀のヨっさんが夜勤の弁当箱をぶら下げて隣町から歩いて来るのとすれ違う時にも、また長い鼻を少し上げている様子が、猫のふーちゃんの狭い庭の いつも開けっ放しにしたままの出入り口から見えました。ようやく、一通り自慢の箱庭の動物的植物達にみんな水をやると、一緒に暮らすねずみのサンタロウくんの小さな洗濯物をまた、昨日からしまうのを忘れて冷たくなっている、、、、、


 おっと、時間だ。では


2006年10月30日 晴れ  24度
今日も朝から例の製作になった。昼間 ちょっと、腕自慢のその業者さんの所まで出かけることになった。阪神高速守口線は工事の為終日閉鎖になっていたので、外環から抜けてトラックターミナルの横を曲がる迂回コースをとったのだが、それでも大変な渋滞に直面してしまった。何でもない道のりに半日を無駄にしていた。のろのろと進む自動車のフロントガラスには、季節外れの猛烈な残暑なのか、午後の陽の光がまばゆいばかりに照り返していた。ふと、ハンドルを握る両手に目が行った。明日でこんなノートを始めて、更新をUPし始めてから丸4年が過ぎる。そして、5年目になるのだなあ、と思うと感慨無量な気分が押し寄せて来た。これまで、お蔭様で何と大勢の方々との素晴らしい出会いを体験することが出来たのだろうか。発泡スチロールの工場の中で、夜勤と昼勤の繰り返しで殆ど工場の機械調整や金型交換やボイラーやろ過器のメンテに明け暮れて17年も18年も過ぎていた頃とは、ほとんど全く、勤務形態が異なるのだ。あの頃は、明けても暮れても24時間が仕事仕事の人生のようなものだった。人と会話などするよりも発泡スチロールの機械や工場設備の機械と会話している方が圧倒的に多い毎日だったものだ。それから、縁あって、今のような事を始めるに至り、矢張り基本的な、行動パターンは、寝ても覚めても仕事という所だけが続いている。いやいや、そうでもなかったか、夜勤で昼間寝ている時間帯を使って、密かに将来の為にと、大阪まで経済学の勉強に通っていたこともあったし、電気の勉強に通っていた時もあったものだ。まだまだ、体力に余裕があったのだろうか、今となれば、こうしてくだらない書き込みを続けるのが精一杯になっているが、流石にこれだけ各界各方面からの方々とお話をするには、大変役に立ってはいるので、まあこれで良かったのかも知れないし、ならば、さらに勉強を積み、まあ くだらない雑学ではあるのだが、続ける意味はありそうだ。そんなことを考えながら帰社。夕方急な来客あり、啓蒙快諾し、お戻りになる。お見送りする後姿に、ふと、あれはどこのトップの残した言だったろうか、「技術畑は、即戦力を当てにして、社内の人材養成を疎かにすれば、きっと企業の寿命は短くなり、中には途切れるものも出てくるだろう」と言って、終身雇用や人材養成に力を入れ直した、という話を思い出したのだ。不思議の工業立国日本の今、目の前にある現実だ。農も工も、”ものづくり”という点では実は似ているような気がする。地に足をつけてじっと定点にてそれを続けていかなければ、いいものが出来ないのではないだろうか。でもしかし、最後は、トップの勝負運ってことになるのだろうか、、、おっと、またつまらない事を書き出した。長くなる、では失礼


2006年10月29日 晴れ時々曇り  24度
時間が出来たので近くの図書館へ出かけた。何も専門的な情報をいち早く且つ幅広く入手するには、今ではネットの方が一番だろうが、それでは一体何故、わざわざ図書館を利用する人が自分も含めて多いのだろうか。その答えは図書館そのものの伝統的なそれこそ太古より使用されてきたこと自体がはっきりした答えだろうが、そんなことより、他へ出掛ける余裕の乏しい我々には、財布無しで長時間を過せる数少ない静かな憩いのスペースでもある。例えば、物理書のコーナーで浮力の計算式を見つけては、発泡スチロールの問い合わせで また今度、質問があればこれを出そう、静電気の帯電が物質によって異なる表を見つけては、また今度問い合わせがあれば、使えるなあ、などとじっくり立ち読みが出来るのだ。演劇図書のコーナーに回れば、シェークスピアの作品を公開した様々な劇団の公演写真を集めた写真集を見つけ、『リヤ王』や『商人』それに『夏の夜の夢』『ロミオ』など、実に様々な劇団の公演が時系列で見られ、懐かしいなあ、と回想に浸り、国際関係図書コーナーでは、早速、現代情勢を映した特選コーナーが出来ていて、結構立ち読みしている人が多いので、同じものを2,3取り上げて読んでみたり出来るのだ。そうそう、そこがネットの検索作業とは異なるのだ。ぶらりと数万冊の書棚の間を歩きながら検索する行為は、ネットでは不可能なのだ。これに、無料の紅茶でも出してもらえれば最高なんだが、そうはいかない。帰り、ラジオからまた通信高校講座現代文で吉本ばななの短文が流れてきた。「わたし」が祖母の死をきっかけに花屋さんの就職を決めたくだりだった。「アロエのひとつの花も大切に出来なければ、どんな花からも大切にしてもらえない、、」だったかよく覚えていないが、その最後の台詞が「わたし」の耳について離れない、らしい。そうだ、また図書館へ戻ろうと時計を見ると、5時前だった。図書館は5時までだ。


2006年10月28日 曇り 24度
今日も朝から例の製作が続き、そして例の急なお問い合わせの一件で急ぎの製作があった。さらに時間の出来たのを見て、幾つか作業用道具に改良を加えていた。ほぼ毎日のような球に関するお問い合わせに対応するべく幾つかの焦りも織り交ぜて例の加工機の工夫にも力が入ってきたのだが、取り敢えず、という程度にしている。仕事から戻ると、早速、hpの更新などをしようと思いながら、本日は、迂闊にもネットサーフィンに嵌った様だ。本当に便利になって来たものだ。「情報の海」とは上手く表現したものだ。ネットが使い放題の定額制が普及して約5年か。最初は、夢中でネットサーフィンに明け暮れた時もあった。手当たり次第に開いて行って、いずれ、何か特定の体系的なと言うか、嗜好的というか、何かなあ、方向性のようなものが出来上がって来るだろうと思っていたのだが、その予想は、見事に外れ、5年過ぎても集めたHPの数が増えるだけで、残念だが全く嗜好の方向性がない。例えば、「発泡スチロール」で検索していっても、どんどんテーマ内容で検索を重ねてしまい、いつも果てしなくとんでもないところに辿り着くのだった。やはり「情報の海」なのだろうか。自分の乗る側に、羅針盤がなければ、風に流され、あても無く、ふらふらとしていくだけなのだろうか。逆にちょっと、専門的な切り口で、この「情報の海」に向き合って、それを集め始めれば、もうトンでも無い、いきなりプロ中のプロのような情報をいとも簡単に得ることが可能になる。だから、なまじ にわか専門になれてしまうのだ。ところが、それでも十分だ。にわか専門でも5年も継続してみると、この「情報の海」の広がりは、、、、おっと、つまらないことを書いている。では失礼


2006年10月27日 晴れ 26度
朝、窓に白くうっすらと霜がおりたのに、昼間は9月の残暑のような、可也温度差が大きい。今日も例の製作が続いた。昼から少し時間が出来たので、また例の球面体の加工機をいじくっていた。お問い合わせで大きな楕円体のものがないか、と言った内容のものがあったからだ。他の作業に追われ、こちらもそのままになっていた。本当に一歩一歩がせいぜいかもしれない。zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまった。もうこんな時間だ。世間からすれば、確かに、井戸の中の蛙が、目が覚めて、それなりに頑張っているだけかもしれないのだ。こんなところであれだこれだと言っても仕方ないか。どうせなら、ここには もっと面白いことを書いていこうかと思いながら、実は毎日ひっきりなしに飛んでくる様々なお問い合わせの方が、実に面白いのだ。日本の特許出願件数は出願だけなら世界ダントツらしいが、流石に、その一端を毎日肌で感じている訳だ。本当のこの国のアイデアマンの層の何と深く広いことだろうか。蛙には見えない。では失礼


2006年10月26日 晴れ時々曇り 26度
今日も朝から例の製作が続く。先日納品に行った湯村 温泉の小学校の模様は湯村温泉のHPから詳しいので、こちらでは何を取り上げようかと思っていたが、ようやく納品時の写真が現像出来て、それをまたデジカメに取り直しが出来たところなので、早速UPしようとしていると、おや、もう時間がない。残念だが、次回になる。一日の過ぎるのが早いものだ。1週間も流れるように経っている。これでいいのだろうか、と常に自問自答を繰り返しつつ作業を進めている。仮に50年前からこんなページを始めていたとしても、こんなことを繰り返していたのだろうか。今後、50年が過ぎても同じようなことを続けているのだろうか。松竹新喜劇や吉本新喜劇のように、飛んだり跳ねたり、泣いたり笑ったりしながら、果たして続いているのだろうか。解らないものだ。NHKの「いも たこ なんきん」の昭和の写真館も戦争に焼かれることがなかったとしても、こんな時代だ。技術の進歩と映像の更なる大衆化、価格破壊の連続する現在まで生き延びていくのには、相当のアイデアの連発がなければ難しい。誰もまだ手を出していないで、誰もが欲しがるもの、それを探し続ける作業は、こんな世界でも続いている。


2006年10月25日 曇り時々小雨または晴れ 22度
今日も例の製作が続いた。有難いことに急な依頼も結構あった。製作実例集の発泡スチロールで作る音響パネルだが、迂闊にも画像を消去してしまった。残念だが、また次の他の製作実例を逐次掲載していきたいものだ。こちらのHPでは、もう5年、このようなスタイルを続けてきた。まだまだ、多忙のため写真撮りが出来ずに出荷してしまった作品も多いが、出来るだけ仕事の合間に時間を見つけて、手弁当で写真に撮るように頑張っている。しかし、なかなか、そうそう全てという訳にいかない。本日も2件、出荷まで至ったのに、写真撮り出来ず後悔している作品が2件あった。 2m×90センチ×1センチの発泡スチロール板に2m×15センチ×1センチの板をつい立ての支えに使って、このセット177枚で巨大迷路を作る学生さん向けのものが1件。上手くいくと凄い迷路が完成しそうだ。そして、軽音楽部の方で、ステージの舞台に使用なさる特注ブロックが2件目。この上で、音響を出してみると、確かに普通のスピーカーが数段上のスピーカーとアンプにグレードアップするそうだ。会場で実際に聞こえてくる音が干渉が減って、いい音になって聞こえるのがとってもいいらしい。まあ、いいか 例の遺骨運搬用特殊加工容器の写真は撮れた。何とか目標へ向けて頑張ろう。まずは500例まであと少しだ。そして、次は1000例を目標にして行こう。



2006年10月24日 小雨時々曇り 23度
今日も例の製作が続く。例のスカート型の製作で、一部製作方法に工夫を追加していた。全く何でもないことなのだろう。しかし、日々、そんな何でもないことの積み重ねではある訳だ。例えば、今回は円柱からの変形で、ご希望のスカート型にしたのだが、さらに進めば、半円になって行くだろうから、もう少し精度を高める工夫もあれば、面白い展開になるのだろうと考えられるし、まあ そういうことだろう。やって見なければ解らないのだが、回り道でも、試してみることの重さ。気持ちを引き締め、作業に油断は大敵だ。 、、、おっともうこんな時間だ。ごめんね、理系にするか文系にするか、ご質問にお答えする予定でしたが、、、では失礼。



2006年10月23日 小雨 22度
今日も朝から例の製作が続いた。湯村温泉の温泉小学校の「温小サンタプロジェクト2006」の巨大イチゴ製作用発泡スチロールブロック現地納品の件に関して報告を受けた。片道4時間半の距離と納品予定日は午前中他の仕事や配達があり、どうしても昼過ぎからになるので、納品後の帰りは相当遅くなってしまう、出来れば、配送係と弊社75歳になる社長他随行員の一泊宿を 特に ふとん部屋でも何でも構わないので、確保頂きたい、と無理なお願いを入れておいたのだったが、納品先の宿のご主人の暖かい計らいで、特別に宿の最上階の最高級貴賓室を使わせて頂けた、とのことだった。誠に、かたじけない限りだ。20畳以上もある広々とした居間にそして個室用露天風呂が付いていて、効能素晴らしい完全天然温泉の湯が、常に新鮮な新しい湯を惜しげもなくあふれんばかりに流れ出し、仕事とは言え、健康を気遣う高齢の一行には疲れを癒せて申し分なく、大きなダブルベッドに枕は低反発性の高級枕で熟睡が出き、壁に一面特別な装飾があり、、、と数えると、きりがなかったそうだ。その上、最高級料理が次から次から振舞われたそうだ。重ね重ね、この場を借り、関係者の皆様にはお礼申し上げます。

今回、素晴らしいおもてなしを頂けた宿のhpは以下

 朝野家旅館 http://www.asanoya.co.jp/


当日の納品の一部はこちらに写真入でUPして頂けた

 温小サンタプロジェクト




2006年10月22日 曇り 23度

確かに、ボランテアで書き込みをしているようなものかもしれない。ただ、継続だけに意義があると思い、毎日飽きもせず、続けているのだが、これは全くの手弁当だから、恐らく、どちらかと言うと、そうかも知れない程度だ。しかし、今日は用事で 2度京阪枚方駅まで出掛けたのだが、最初昼頃、駅に昇る階段の隅で 交通遺児のあしなが育英会という旗を立てて募金集めをしている一行があった。服装からどこの高校生ばかりだろうか 4名が、マイク無しの地声で頑張って募金を呼びかけていた。その時は、いつもの街の風景程度に、横を通り過ぎて先を急いだ。その後、何だまた、面倒だが駅まで出掛けなければならない。今にも雨が降りそうで降らない うっとうしい秋の曇り空を見上げながら、傍らで聞こえる通信高校講座 現代文 の「吉本ばななの短編」の解説を 夕方の5時まで、去年も同じ解説をしていたなあと思い起こしながらも、矢張りうまい文章なんだと感心しながらラジオのスイッチを途中で切って 出掛けたのだった。駅前に着いたのは6時前になった。昼間歩いたコースと同じ道を歩いた。すると、角を曲って、階段の隅が見えたと同時に、また あしなが育英会の旗と例の高校生達の地声で募金を呼びかける姿が目に入った。呼びかけの声は、もう半分かすれた様になっていた。昼間ここを通ってからでも6時間近く過ぎているのだが、なんと、頑張るものだ。振り向いて、財布をポケットから出した。


2006年10月21日 晴れ 28度

また夏が巡ってきたような暖かい天気の中、今日も例の製作が続いた。結局 例の化石運搬用容器は製作に入った。本日昼からの『夢千代の里』方面の配達の際の お土産にと思って、朝方、1m四方の厚さ40センチの大きなハートを急ぎで製作した。温泉小学校の円形校舎の祝いに 少しでもご協力させて頂ければ幸いだ。他に小さなハート型や ろうそくを何本かご用意した。
そして、昼から自社便トラックが、巨大イチゴ製作用ブロック計28枚を載せて、兵庫県湯村温泉へ向けて出発した。片道高速を使っても4時間半の距離だ。同 添乗の者2名と一泊の長旅だ。夕方、先方の朝野家旅館より、到着のメールが入った。無事納品出来たようだ。 

これが、温泉小学校で製作予定の巨大イチゴ用ブロック計28枚だ。日本海側の季節風の関係でしっかりした木製の骨組みにこれらをイチゴ状に削ったり磨いたり塗装したり張り合わせたりしながら、出来上がりまで生徒さんと学校のPTAの皆さん協力して製作なさるそうだ。さて、どのような巨大イチゴが完成するのでしょうか、12月の完成予定日が、今から大変楽しみですね。






2006年10月20日 晴れ 28度
あの5年ほど前の太陽黒点の大爆発のあった時期以来だろうか、秋は長くなったものだ。昨年も、この分なら暖冬と思われていたのだ。それが、11月に入ってから、不意を撃つような寒波があって、後は大雪の冬になったのだった。何となく、そんな一八豪雪が一九豪雪にでもなりそうな、季節の巡りであるようだ。そして、例の製作が続いた。お蔭様で様々なお問い合わせも続いた。化石の搬送システムに関するお問い合わせについて、結論は明日になった。実に様々なご提案が日々尽きないものだ。夕方、早めの帰宅途中、NHKのラジオから、三菱総研のアナリストが、2パーセント以下の低金利が14年も続いたことは、歴史上、イタリアのジェノバで1601年から1610年にかけて9年間続いて以来のことだと話していた。そして、現在を帝国を頂点にした多重支配があった中世ヨーロッパに例えていた。しかし、聞きながら 直に、中世には、金利10幾パーセントの消費者金融はあったのだろうかと疑問が湧いた。すると、その言わんとするところは、実は、中世のようながんじがらめに固定化された格差が、国家を超えてヨーロッパという地域全体を支配していた頃と、現代日本のおかれた状況が、世界規模で同じように生じているのではないかが、主眼のようだった。全産業従事者のわずか11パーセントが、いざなぎ景気を越えて続く輸出産業の好景気と収入の増加に浮かれているだけなのだ、とアナリストの主張は続く。今の産業で、好景気が同時に世帯収入の増加を生んでいるのは、鉄鋼業、輸出関連の電気機械、そして一部のIT産業のみなのだそうだ。他の、産業従事者のすべてにわたって、好景気とは裏腹に、世帯収入は、寧ろマイナス傾向がもう何年も続いているそうだ。そして、この傾向はほっておけば、さらに格差が開き、やがて固定化されていくだろうとの予測でアナリストの話は終わっている。要は、何年か前、中国頼みで始まった輸出関連型景気が、グローバルか何か知らないが、インドや東ヨーロッパ、ブラジルへと、次々に飛び火していったのだろうか。産業の旗艦である鉄が必要になり、電機製品が売れ、携帯電話文化が世界を折檻して行ったのだろう。一方で、内需の広がりは見られないので、格差は広がる一方だという。、、、渋滞がひどく、途中、交通情報が流れている間に、その有難い解説も途中で終わった。


2006年10月19日 27度 晴れ
有難いことに今日も急ぎの製作が何件か入ったお陰で朝からバタバタとしていた。例の製作も続く。例の『夢千代の里』までの納品も正式に決まり、準備に追われた。我々のような中小では、日々同じ仕事の段取りが続くことは余りないものだ。こうして、変化に富んでいるのは、有難い限りな訳なのだが、時々遠方の同業者の「頑張り情報」も伝わってくると、何故かほっとするものだ。本当に狭い世界だ。そうこうしている内に、みんな伝わってしまう 良い意味でも、ここは島国日本なのだろう。特に技術の情報交換というのは、お互いのレベル向上にも決して無意味ではないのだろうし、皆がしていれば、青信号ではないが、確かに怖くないものだろうか。そのような方法をお教え頂けただけでも、大変参考になったものだ。まあ、きっとこのようなページも誰が目を通しておられるやも知れぬ。少しだけ情報の開示をもって、サービスに励むべきかも知れないなあ。ははは、確かに面白いものだ。


2006年10月18日 24度 晴れ
今日も朝から例の製作が続いた。例の如く、スポットのお問い合わせもあり、バタバタとしていた。あるお問い合わせから、確かに商売の極意のようなお話をお聞きすることが出来たのは、実に有意義であった。こんな、仕事をしている冥利に尽きる。その通りだろうか。それには得手不得手があるのだろう。ものつくりには、意外と様々な側面があって、バランスよく平衡を保っているのだろうか。しかし、考えてみれば、何でもない事かもしれない。立場が変われば、誰でも日常的にそんな受け払いはしているはずか、、、おっともうこんな時間だ。
実例集少し更新


2006年10月17日 晴れ 24度

今日も例の製作が続く。有難いことに、スポットの急ぎの製作が何件か飛び入りであり、思った以上にばたばたしていた。不思議なお問い合わせも続く。そして、東京の方からは、お名前に6の数字が付いた方なのだが、一昨年、初めてお問い合わせがあった時に、お見積もりを差し上げると、何度計算し直しても、3のぞろ目が出て、こんなこともあるんだなあ、と不思議に思っていたのだが、また、同じ6の数字がお店の名前に付いた方から、1年振りに別件で お問い合わせがあり、矢張り計算してみると、またまた3のぞろ目が出てくるので、思わず「おー」と唸った。こんなネットの仕事を5年も続けていると様々なことがあるものだ。2年ほど前に、一度他の地方の方で、お見積もりをしていると、7のぞろ目が計算上出て来て、大変お目出度いですね、とお答えしたことを記憶しているのだが、この方の場合は、不思議なことに、お店の名前に数字が付いていて、1年という期間を空けて、違う商材もので、2回目のぞろ目が揃う、という点だ。その上に更に驚いたことは、宅配の発送伝票の問い合わせ番号を見た時だった。この方の伝票の通し番号には、何と、9のぞろ目が来ていたのだった。流石に、これには参った。何故だろうか、解らない。単なる偶然と言えば偶然なのだろうが、この方のお店に付けられた6と言う数字といい、余程、何か数字と深い縁の持ち主なんだろうと感じた。本当に、このようなミステリーじみたこともあるものだ。



2006年10月16日 晴れ 25度
今日も朝から例の製作が続いた。「とんからりん とんからりん♪」 の機織り機械音のような在庫積み上げ作業も同様に続いた。例の「ぱたりんこん♪ぱたりんこん♪」のほうはひとまず区切りを付けた所だった。昼のNHKの「いも たこ なんきん」でまたまた昔の大阪はあんな町並みやったんや、と一息入れてから、また作業にかかった。お問い合わせも、続いた、実に有難いことに継続して、さまざまな問い合わせというよりも、こんなことがやってみたいのだが、どうだろうか、というアイデアに対するご質問が結構多いのだ。今日も、思わず笑いそうになったのだが、実際のところ、そう言われてみれば、そんなデータは貴重なものかも知れないのだ。それは、発泡スチロールの上にブルドーザーを載せて見たいというものだった。載せて、走らせてどうなるのだろうか。傾くのか、それともめり込んで、絡まって動けなくなるのか。本当にやってみるそうだ。、、、科学の前進には、こんな一つ一つのトレビアの泉のような繰り返しが必要なのかもしれない。3時のラジオで、関西の企業倒産件数がまた増加していると流れていた。

夢千代の里からお便りが届いた。小学校の円形校舎を丸ごと記念の巨大なケーキに仕立てようというこころみだが、何とか順調とまでは行かなくとも進んでいるそうだ。計画の一部変更があり、巨大なイチゴのぐるりを発泡スチロールにしようということになったそうだ。がんばって下さい。また、写真をお送り下さいね


2006年10月15日  晴れ 24度
実に因果な職業なのかも知れない。寝ても覚めてもこんなことをしているような錯覚状態なんだろうか。ふらふらと、時間に任せて、近くのスーパーの2階のゲーセンに またまたやって来ては、クレーンゲームをして、ディズニーの人形(ドナルドダックの彼女だったのだろうか、後日写真をUP)をゲットしながら、ゲーム機の駆動機構を一生懸命鉛筆でメモ書きしていた。矢張りレール部分は既製品を使っていたし、駆動のギヤも既製品だし、吊り下げのクレーン本体も同様だ。後は、小さなものはつなぎの伝導部をタコ糸で止めているものもあったが、恐らくこの辺りのみ手作りなんだろうか。先日、多忙な中、連れの野暮用で、夏の封切からとっくに過ぎて、殆どどこもしていないのに、今頃になって映画『ゲト戦記』を見たいというので、たまたま 同じ方向に用事があったので、高槻の材木屋さんの近くの映画館まで送っていったことがあった。その時も、1階がゲームセンターになっていて、ふらりと中に入って、矢張り、クレーンゲーム機の所へやってきて、楽しそうにゲームに興じる親子連れを横目に、左右駆動装置の固定具を必死になって、素早く鉛筆でメモっていたものだ。そして、どうも周囲の視線が気になって、一度だけクレーンゲームをしたのだが、そのときは、ポケモンの人形(ミッフィーだったかなあ 後日写真をUP)をゲットしたのだった。こんなつまらないことをしながら、資料を集めているのだ。実に因果な仕事だ。次の自家製加工機は、なかなか完成しない。



2006年10月14日 晴れ 23度
今日も例の製作が続く。そして、一段落の後、例の「ぱたりんこん ずず ぱたりんこん♪ぱたりんこん♪」の在庫積み上げの方の作業に掛かった。延々夜遅くまで、同じ動作を続けていたので、大変なことは大変だが、矢張り自分で製作した加工機なので、気分のいいものだ。加工の機械音が、ゲームの「太鼓の達人」の囃子のような音に聞こえてくるのは少し不思議だ。しかし、この延々と続く単調な作業をしていて、考えていた。昨日の、例の進路に悩む方からのお問い合わせの件だ。まだ、なのか、もうなのか、解らないが、その学校では高1で もうすく、文系か理系の選択をしないといけないらしい。それで、どちらにしたらいいのか、あと10日程で結論を出さなければならないそうだが、何とも決まらないそうだ。「つぶしの利く方はどちらでしょうか」との一文には、悩んだ末の取りあえず、届けだけでも出さなければならなくなった本人の苦悩が伝わって来るようです。こんなことに時間を取られるよりも、「好きな本でも読んでいるほうが まし」 だというのですね。確かにそうでしょうね。人生、何があるかも知れない。文系であろうが、急に理系になりたくなるかもしれないし、理系を選択していても、受験の時に、文系へ行きたくなることもあるだろう。たった、高校3年間と言えども、青春の頃の3年間は短そうに見えて実に変化に富んでいて長いものだ。だから、以降30年が過ぎようとも、この たった3年間のことは、脳裏に焼きついて 30年以上の重みは優にあるものだから。折角一大決心をしてみても、後で何度でも 進路って変わっていくものかも知れないしね。逆に 小学校の頃から将来の職業を決めて、それをずっと押し通している人なんて皆無に近いだろう。中学校に入れば、大抵、将来の夢は崩れ始めるものだ。それが、高校に入って1年。ここで、はっきりしてくれと言われても、困るよね。何かこれと言った好きなことがあればいいのだが、だが、、、、そう、本が好きなら、文系でいいんじゃないかなあ。後からやっぱり、理系も好きになったと言うのなら、そこから理系も勉強しても 全く何も遅いなんてことはないはずだ。


2006年10月13日 晴れ時々曇り 26度
今日もばたばたと例の製作が続いた。幾つものお問い合わせの中に、有難いことに次のステップへのヒントがわんさかと浮かんで来た。だから、お問い合わせというのは大変有難いものだ。今日も、こんな時間まで あれこれとヒントを素に無い脳みそを絞っていたのだった。そして、あれもあり、これもありと言うでもなく、次の朝を迎える。我々に休息はない


2006年10月12日 晴れ  28度
今日も例の製作を続けた。昼からは、大変楽しいひと時を過ごせた。寝屋川にある大手の事業所の支社まで、ある用件でお呼びがあって、2時過ぎだったか、出掛けたのだったが、その事業所の本社には、全く偶然ではあるが、学生の頃から(かれこれ30年になるんだろうか)友人が○○長などをしているのだった。まあ、支社の方は、何も知らず、仕事の用件でアポを入れて来られた訳であったのだが、お陰で、友人の所をお初に見学などさせて頂く事が出来た。はっ、はっ、はっー、危なく首まで、友人の名前が出そうになったので、営業もそこそこに引き上げることにした。まあ、いくら大手ではあっても、どうも、余りにも内輪すぎると、仕事にならないものだ。仕事は仕事だ。けじめはけじめだ。だから、こういうタイミングでは仕事を抜きにしたいものだ。楽しい、面白いもので済ませて、友人との付き合いの方を優先するのは、当たり前だ。


2006年10月11日 雨後曇り 24度
納期の迫っている加工製作に追われていました。外では、何だか、いつもより粒の大きめの 間違って触れると 大変なことにでもなりそうな嫌な気のする 黒い雨も続いています。例の在庫積み上げ作業も、お問い合わせも毎日変わらず新規のアイデアを含め、そして、そんな問い合わせに刺激されて、さらに、あれこれと考えていたのですが、思うほど時間の流れに逆らってまで 進む作業でもあるまいし。一歩また一歩と駒を進める以外にない。おっ、もう朝じゃないか。いつの間にか眠っていた。では失礼


2006年10月10日 晴れ 29度
今日も例の製作が続いた。昼から急ぎの製作が入り、多忙。まあ、有難いものに違いない。我々のような中小では、やはり 一つ一つの積み重ね以外にないのだろうか。遅くまで作業が伸び、戻ると寝てしまう。これではいけない。もう直ぐ朝だ。ん、何か書き残すべきだ。まあ、これだけ公開している訳だ。実名で更新するのも最初は気が引けたものだ。しかし、5年目となると、半分どうでもいいか、という気分になるのはいけない。こんな所に、誰がどうしたこうしたと書き並べても仕方のないことか。では、何を伝えたらいいのだろうか。ここで出来ることは何だろうか。再度、原点に立ち返って考えなければならないのかも知れない。振り返ると、2年目にも再度この検証をした記憶がある。3年目の区切りの時点でも同じように、再度見直しに入ったような気がする。そして、もう後20日程で5年目に入るのだ。こんな、何でも飛んで来そうな時代の状況と、果たしてウエブ動作における人間関係の虚構的逆説とを、あの今は亡き象牙の塔の恩師なら、何と答えるであろうか。常に冷静で、学府を一人超人のように束ねていた孤高の師は、悲しいかな、学生のたった一滴の善意の献血に あっけ無く倒れたのだった。あの強靭なる体力も病に勝てず、痩せこけて、病床に臥しながらも、最後まで、その独創的な論を書き殴って、前向きに、ただひたすら、前向きに書きながら、波乱の生涯を終えられたそうなのだ。少し九州訛りのその堪能な仏蘭西語を駆使した論は、敢え無く、未完に終わったのだ。だから、最後まで「のるかそるか」の未完の論は、正しく、実践されていたのだろうか。最早、何も解らない。「のるかそるか」残された我々は、チャート無き大航海を「のるかそるか」で前向きに渡って行かなければならないのだろうか。余りにも危険すぎる。


2006年10月9日 晴れ 27度
少し天気がよくなれば、気温の上昇巾は以前に比べると大きいのだろうか。このまま季節は秋本番と思われたが、荒い戻りがあるものだ。30年前なら、この天気は長袖にセーター着ていて、少し汗ばんで来たのでセーターを脱ぐタイミングだろうが、今では、まだ真夏の着込みの人も多いのだろうか、セーターを着ていた人を一人も見かけないし、ラフな半袖シャツが殆どか。そこまで、温暖化は進んだのだろう。かと言って、朝夕の区切りは秋らしい冷たさになって来たのを見ると、そうそう急激な温暖化でもないような気がするのも、判らないものだ


2006年10月8日 晴れ 23度
近くの町の運動会が、朝の強風が残る中で始まったようだ。風に乗って時折スピーカーから運動会マーチ♪が聞こえてくる。こちらは、我関せず、時間があれば机で、鉛筆を振ったり、丸く ちびった紅白の消しゴムを玉転がししながら、あれこれと次の手段を考えているのだった。何をというと、困るわけであるが、「次代を撃つ」などとこの時代を大上段に割ってみるのも大切なのだろうし、逆に近くのスーパーの2階まで出掛け、発泡スチロールの成型機の操作で鍛えた腕で「クレーンゲーム」の腕自慢を披露しながら、クレーン機の駆動システムを何とか自前で製作できないものか、先日ガラス越しに見ていたのを思い出すだけでもない。前後左右にそして上下に動くのがいいのだが、そんな簡単に真似が出来たら、専門家は要らないだろう。だが、例の加工には、その動きが丁度いいものだと、つくづく 見ているとそう思った。まあ、少しずつ積み上げていく他に無いのだ。出来る所からの改善だ。我々のような零細中小企業に毛がはえた程度のところでは、ひたすら、ただ前向きに誠実に取り組んでいく他に無いものかもしれない。企業とは因果なものだ。そして、我々の人生とは綱渡りのようなものだ。何が何時起きるかもしれない。ここまで無事にやって来れたことが、まるで偶然の連続のようなものだ。そんな人と人の集合しているのが企業なのだから、企業のこの先、将来も、その大小に関わり無く、そこで働く多くの人々の様々な生き様の投影になるのだろうか。そこを評して、「会社も生きものだ」という。大きくは、米国の企業の評価を ウオール街で長年取り組んでいる あるトレーダーの基準が、何と単純な一言 「誠実な企業かどうか」だという。そのような判断ルールだけで、長年、そこが成長していく企業かどうかを見て、ほぼ判断に狂いがないそうだ。こんな小さなコラムから何が見えてくるのか。そこからは、世界の頂点を極める米国企業と、そしてその燎原に広がる中小企業群だ。成長し、成功していく企業の基本的ルール。それは、人の偶然に生かされて来た生き方に、誠意をもって、前向きに取り組んでいく実に単純で当たり前のことのようなのだ。 だが、それが難しい。


2006年10月7日 曇り時々雨 23度
今日も急ぎの製作が何点か入った。お問い合わせに、また球の加工の件と水槽の件があった。この二つで、何らかの構想力を味方につけることが、必要なのを強く感じたものだ。偶々、納品出来た先様で、先日、運良くテレビ番組に出演された社長さんが「テレビに出られたよ」などと話されて、ご機嫌だったそうだ。よかったですね。番組をダビングするべきでした。zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまった。もう朝か、夜が明けてくる。インターネットは元々学問データのやり取りから始まっているのだから、善意の意思の前提で成り立っている環境かもしれない。だから、こちらも、出来るだけ、そうお答えするだけだろうか。残念だ。時間だ。でも、我々にはまだまだ人生という時間は幾らでもある。頑張ろう。


2006年10月6日 雨後曇り 22度

今日も例の製作が続く。例の常連の「あんころもち ぽっとんぽっとん♪」方式の自家製加工機の出番であった。終日、ぽっとん♪ ソレカラドウシタ ぽっとん♪ ソレカラドウシタ とリズムをとって動かしていた。これぐらいスムーズな球面体加工機にしていかなければならないと、作業の手を休めていた時、あれこれと考えていた。昼ごろ、伏見のほうから、獅子舞の御かしら部分の製作をしたいと言う向きが尋ねて来られる。いろいろとご相談の上、獅子舞のビデオ映像までお持ち頂き、映像を見ながら、獅子舞制作上のベストな材質とブロックの大きさを詰めていった。何とか、「いも たこ なんきん」時間には間に合ったので、見ていた。恐らくCG映像だろうか、昔の大阪の懐かしい町並みが何度か画面を埋めていた。そう言えば、戦前、亡祖父は大阪で市電の車掌さんをしていたときがあったのを思い出した。小さい頃、車掌のがま口鞄だけが 家にあったのを覚えている。市電の路面電車は守口まで延びていたし、トロリーバスも走っていたなあ。道路は殆ど舗装などしていなかった。天六の駅の前の壁がつる草で覆われたビルの前を市電が走っているシーンがふと思い出される。懐かしいなあ。



2006年10月5日 雨  23度
今日も例の製作が続いた。季節柄、もう『雪だるま』のお問い合わせが始まっている。なので、球面体加工の件で製作の見直しなど早急に進めないといけないのだが、実にさまざまな用件が重なって、バタバタしているだけで、時間が過ぎている。四国の山奥で山菜取りで年収1000万円を稼いでいる元気な村のお婆さん達がいるという話を聞いた。全国の料亭の一品料理の添え物用として、朝取れの山の葉っぱなどを ネットを使って売っているそうだ。売って儲かるから、みんな ほくほく顔で益々元気になっているそうだ。中には、孫にマンションを買ってあげたお婆さんもいるらしい。その、「儲かれば、元気になる」という点だ。学校の勉強などの動機付けでは、試験の成績といったことがあるのだろうが、それは間接的なものだ。本来、学問と試験の成績などは無関係のはずだ。だが、目に見えて、手っ取り早く効果を出す為には、テストがいいのだろう。しかし、こちらの 「儲かる」というのは、実に直線的に我々を動機付けしてくれるものだ。崇高な思想や論理はあまり要らないのかもしれないし、健康になる為のストレッチや健康食品も不要なのかもしれない。この「儲かる」が始まれば、誰でも元気になってくるのだろうか。では、再度振り返って、こちらでも何とか儲かるようなアイデアは思い付かないだろうか、、、、、、。


2006年10月4日 曇りのち雨 24度
今日も急ぎの製作を続けた。1件、電波実験用オーダーメードアンテナ台の製作が終わった時点で、カメラ撮りをしようとカバンの中をごそごそとしてみたが、自宅にデジカメを置き忘れていた。発送時間が迫っていたので、残念だが画像のUPはできなかった。アクリル板と組み合わせた斬新な構造で、例の滋賀の電波先生のご依頼の面白いものだった。問い合わせでは、有難いことに 本日も様々なお問い合わせが続いた。日本科学館の方からは、実際に青森三沢の科学館でお使いになった風洞実験の模様の写真をお送りいただけた。残念だがこちらには、アングルをどう工夫してみてもUPまで至らないのだが、生徒さん方の実に楽しそうに実験をされている科学体験のシーンである。こんな若い方の元気そうな姿を見せて頂けると、まさに元気を分けて頂けるものだ。有難うございました。 さて、昨日は「いもたこなんきん」ではないが、この余白を使って小説を展開しようと言った、幻想に囚われていたようだ。近未来のSFでも書くのならいざ知らず、毎日「ポテトのフライを食べたり、蛸のパスタに、ヘルシーなんきん食べて」どないしてん、と書いて見ても面白くないようだ。基本的に人と向き合った仕事では無いのだ。ものづくりの現場では、黙々と毎日毎日、登山家が黙って山に登るように、ものづくりに汗を流しているだけなのだ。つい、沖縄で小説家をしている友人のN君がいるが、最近取材旅行らしく、音信がなかったので、その間にこちらも、ちょっと小説家気分になって、もの書きになって、何か小説を出して、ひと山当てて、左団扇の 大儲けしようと思った訳だ。しかし、ふと目が覚めてみると、今日も変わらない現実が続く。




2006年10月3日 晴れ 25度
そう言えば、もうすぐ丸4年か。毎日続いているものだ。そして今日も例の製作が続く。人の生涯とは、かくの如く、知らぬ間にその人の予定終了まで黙々と続いていくのだろうか。日々、変わらぬはずが、変わらぬ事を期待して、その内に変わる他にない事を思い知らされつつ、生きていくのだろう。いつまでも、そう同じ事が あろう筈がない。そう思いながらここまでは続いてきた。こんな一言でも消息を発信し続けることは、意味があるだろうか。振り向けば世界では、、、原油が下がってきたね。この動きをどう読むか、だね。わたしなら、8点ほど挙がるが、まあ、クリスマスかな


2006年10月2日 曇り 27度
継続のみに意義があるのだろうか、今日も例の製作が続いた。急ぎの作業も1件入って また、ばたばたすることになった。と、実はこれだけで十分なのかも知れない。昨日今日のみの書き込みではないから、この4年を振り返ればこれだけで行間にずしりと伝わって来るのもがあるのだが、果たしてどうだろうか。やっぱり、折角だし、ここは小説でも書く練習の場としてみるのも悪くない。文章を書くことを毎日継続するんだから、取り敢えず駄文でもまとまれば売れるかも知れないなあ。と、今度は「いもたこなんきん」だ。


2006年10月1日 雨 23度
朝からの雨ですぐ近くの小学校の運動会も順延らしい。場所取りにシートを広げていた人が、ぞろぞろと傘を差して帰っていく後姿が、少し冷たい雨の為に締め切った窓から見える。終日雨となった。1週間の過ぎるのはだんだんと早くなっている。実例集の更新にしても満足に出来ていない。なかなか、500例を目前に控えて、同一繰り返しの依頼製作が重なっている為だ。同じものを掲載しても別にいいのだが、何故だかよく分からないが、同じものの依頼が重なっている、そんな時期だろうか。取り敢えず、本日一件、更新しておいた。




2006年9月30日 晴れ 26度
今日も朝から例の製作が続いた。例のゲジゲジのような加工について一連の工程の見直しに掛かっていた。同時並行で作業が進むため、ようやく一定の結論というか、新しいちょっとしたアイデアを入れた駒式を製作していたので、および、試作の上で、まだこの方がずっと良いだろうということが判ったのは夕方遅くになっていた。これで「ずるずる ばったん すーるする♪ ぷぷずず すーるすーる ばったん♪」の在庫積み上げの方に一定の成果をもたらすはずだ。本当にこの辺りはアイデアだけが、進み具合を左右している。時間を見つけて、例の新規の加工について進めようとしていたのだが、全て後日になった。、、、戻るとまた倒れるように眠ってしまった。あの球をザウルスの尻尾のように品揃えしてやろうという目論見もシャボン玉のように宙に浮いた状態だ。時間がない。なんで、仕事をしながら、毎日何千文字も書き込み出来るHPがあるのだろうか!


2006年9月29日 晴れ 29度
多忙な局面だ。今日も例の製作が続いた。至急に製作の方法を練り直しに入っているもの2件、新たに、これはいけるんじゃないかと期待を膨らませていながら、地団太しているもの1件、そして1件。例の 「とんからりん とんからりん とんとんからりん♪」の在庫積み上げもなかなかだが、やはり、先を見て、例の「かたりんこん、かたりんこん♪」と「ずるずる ぱったん すずずるぱったん♪」の在庫の2件は、進めていきたいものだ。勿論獅子落としのような「すっとんころりん すっとんころりん♪ぱらるれら」も再度至急に検討課題を抱えているし、その上に今日も緊急のお問い合わせがあって、その背景に相当大きな需要の感触を持ったのだが「ちきちき とんとん ちきちき とんとん♪」の加工に対しても必ず結果を出していかなければならない。何しろ、ネットのこのような需要の特徴は、正しく「ザウルスの長い長いしっぽ」にあると言うことなんだろう。、、、戻ると、倒れるように眠ってしまった。zzz zzz と言うべきだが、まさに爆睡状態で、気がつけばもう朝だ。遺憾この上なし。

 東方の 海の彼方に 漕ぎ出でつ  舟底はるかに振りさけ見れば
                                           冨士より延びし尾根の先 




2006年9月28日 晴れ 28度
今日も3行更新が精一杯か。昼の暑さの戻りのなか、とんからりん とんからりん♪の機織り機械音のような在庫積み上げ作業が続いた。例の急ぎの製作も続いた。妙な問い合わせも、ネットならではの事と思えば済む。そう言えば、あのダンボール屋を客を抱えて喧嘩して辞めていった今は亡き つわもの営業マンと、お声のよく似た方から、話癖までそっくりの電話があった。結局、周囲に荒波を立てて、後、短い生涯を終えられた方だったが、何でそんなに生き急ぐのか。zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまった。疲れがたまっているのだろう。夢の中では、百貨店の3階の事務所で働いている設定だった。のに、翌日事務所の自分の机の所まで出勤してくると、いきなりパソコン教室になっていて、働き場所が消えていた。そして、唖然、呆然として突っ立っているシーンで、付けたままのパソコンに気がついて目が覚めた。眠い目をこすりながらよく見ると、画面のニュース欄に、インドネシアで初めて人から人への感染が疑われる鳥インフルエンザ患者の死亡が確認された、という一報に目が止まった。過去、スペイン風邪や香港風邪など、大流行して数千万人が亡くなった時と同じ初動が始まっているそうだ。国と国の戦争や宗派の紛争を横目に、ふらふらと 鳥は世界中に広がって行くのだろうか。



2006年9月27日 晴れ時々曇り 30度
昨年と同じような気候が今年も起きるような気がする暑い昼下がり、今日も例の製作が続く。昨年は年後半、ずるずるとはっきりしないで 季節の区切りがまるで無いような 秋から冬にかけて、暖かい秋と寒くない冬がこのまま来年まで なんだろうか、と思っていると突然、寒い寒い冬に急変し、積雪20センチ、5センチ、10センチ、と言った大雪が こんな太平洋側にまで何度もあった。これでは、温暖化じゃなくって、氷河期に向かっているような気がしたものだ。そんな昨年と今年を比較して、何となく、今日のような昼間の暑さの中で作業を進めていると、解らなくなるものだ。原油価格の上昇は、その崇高な諸問題の解決には追い風になるのだろうが、どうしようもない氷河期以下の不景気に直面している向きには、GASの値上がりは、生活に直面して 実に痛いだけの何者でもないものだ。



2006年9月26日 曇りのち小雨 25度
今日も例の製作は続いている。そして、今日も数行の更新がやっとのようだ。毎日毎日数ページの書き込みが続くページを見たことがあるが、とても人間業には思えないと、こんな場面では思えてくるものだ。一体全体、、、激しいことも無いが単調な延々と繰り返す作業は、思考回路も冬眠させてしまうものだろうに、気がつけば、疲れでこっくり眠ってしまい、もう朝だ。時間がとてもじゃないがないので、数行書き込みが精一杯か。今日も、有難い事に、様々なお問い合わせが不思議と続いた。ひとつひとつ歯を食い縛って対応して行くだけかもしれない。



2006年9月25日 晴れのち曇り 26度
今日も例の製作を続けた。重なるもので来客4組。防犯カメラの方や、ご自分で造形に取り組んでおられる方、宝塚からは女性の劇団関係者数名。そして、例の常連の方となって、てんてこ舞い状態ではあったが、有難くも何とか受け応えさせて頂いて無事お帰り頂けた。振り返ってみると皆さん、それぞれその道のプロの方ばかりだった。おっと、時間が無い。ではこれで


2006年9月24日 晴れ 27度
夏目漱石の『こころ』の数行を朗読しているのを聴いていた。最初、この文を聞いたのは高校の頃だったと思う。割と長文が教科書の中にあった。しかし、碌に勉強もしていなかった所為か、それが遺書であって友情の裏切りと言うか、三角関係の中で心理戦のようなことをして恋愛を勝ち取っていった背景など、知る気も無かったので、くどいくどい説明が並ぶ文章だといった程度の読み込みがやっとだったと振り返る。今回、確かに有難い解説交じりの朗読をラジオから流してくれた御蔭もあったが、その数行の朗読に、受けて聞く側も、加齢と様々な人間模様の経験の蓄積もあってか、そう言えば、こんなことを昔、さも在りそうに演じた某君と某君もいたものだなあと、つくづく思い起こしながら、自ら接してきた体験の数十年の時を跨いで、深く事件分析官風になってしまうものだ。その上で、再度朗読に聴き入って、なるほど、流石に味わい深い人間模様を綴って、最後に漱石の主張の基本である則天去私などへ迫っていく流れを読み取ってしまうものだ。悲しいかな、若者の恋愛にはこうして様々な格闘が付きまとうものだろうか。「Kと先生」の友情と言えども、そこに割って入ったたった一人のためにもろくも崩れ去るなら まだ簡単明快で気分爽快なのだろうが、何かの青春小説の言うほどに友情の維持は困難で大変なものだろうし、やがて、多くの場合、目に見える形で強引な闘争心理や我欲の決着がついたりして、なにも最初から友情など無かったよりももっと酷い結果として終わることがあるものだ。だから、事細かに心理の描写を重ねることは、そんなつまらない争いから、さっさと出てきて、一皮向けた人間になりなさいというテーマを掲げた作者の主張ではあるのだろう。確かに50歳近くなると見えなかったものが見えてくるようだ。面白い。


2006年9月23日 晴れ 27度
例の大きな切り文字の製作において、結局結論的には従来通りの方法を踏襲することにした。馴れた方法のほうが、安全確実で早いと言うことだろうか。意外と材料素材も手に入りやすい恵まれた環境にあったのが有難いわけだが、それならそれで、ずーと引っ張って伸ばしてもいいのかも知れない。如何に安く簡単に進めることが可能か、だろうか、、、また一点面白いお問い合わせもあった。何でもドミノのコマに発泡スチロールを使いたいらしい。軽いので、ふわりとした倒れ方を利用するそうだ。発泡スチロールのドミノなら、体育舘一杯に広げられるそうだ。昼過ぎで作業を終え、戻ると疲れが出たのかそのまま「ドラえもん」ののび太のように、横になると直ぐに昼寝をしていた。今日も書き残すべきは山ほどあるのだが、継続の秘訣は、そのようなことをすべて無視して、ここで筆を置くことのようだ


2006年9月22日 晴れ 28度
今日も例の製作が続く。我々のような中小では、常に次 そして次の次を考えて行かなければならないのだが、また、それも面白いなあ、と言った一件を確認して早速進めてみようとは思うのだが、まず特殊な道具を考案しなければ何とも致し方ないので、やがてここで足踏みすることになり、日々、例の製作に追われて行く内に、明日になれば手掛けよう、じっくり時間があればやってみようと、いつしか、後手後手がホコリを被ってしまい、多くの折角の有難いアイデアも、アイデア倒れに終わるのだろうか。問題は、それで終わるのかどうか、本当にそれに将来的に、何らかの磨けば光る珠玉を見る事があるかどうか、その最後の最後の のるかそるかの選択だが、しかし、ここはどうだろうか、選ぶという行為以前に、成功者には、見えないはずのこの選択の先が、実は答えが見えているもののようなのだ。何故だろうか。まるで、向こう側から、扉を開けて手招きするかのように、選択肢が、うまく行く方へ進んでいくのだ。これは、何故なのだろうか。簡単に感性に従うなど言って、思考停止になってはいけない。必ずしも画家はキャンパスの前で何も考えていないのではないだろう。そう、感性の凝縮したような状態を自らに作り出しているはずだ。あれでもない、これは違うという葛藤は、極めて凝縮してくると、その先は、計算しかけの数式が黒板に所狭しと書き殴っている、数学的な最終的な結論を ひとつのヒラメキに待っている瞬間と何となく似ているような気もする。


2006年9月21日 晴れ 28度
今日も朝から とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりんと機織り機械音のような在庫積み上げ作業が続いた。昼過ぎ、例の琵琶湖での今年の『鳥人間コンテスト』の出場チームから連絡入る。22日夜テレビで放送するそうだ。当社で納品させて頂いた発泡スチロールブロックをお使い頂いて空を飛んだ飛行機が見事 準優勝したそうだ。取り合えず、この場をお借りいたしまして、ひと言、準優勝おめでとう御座います。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 

日    時   06年9月22日 午後7時から9時
テ レ ビ局  読売テレビ
         『鳥人間コンテスト』 録画放送
出場部門   「滑空機部門:フォーミュラクラス」
チーム名前   BirdmanTeam(バードマンチーム)
結    果      ☆ 準 優 勝 ☆


カッコいいなあ。絵になりますねえ。本番フライト、緊張の一瞬ですね。  そして、見事優々たる滑空。バックは近江富士でしょうか



2006年9月20日 晴れ 29度
今日も例の製作が続いた。バタバタと急ぎの製作が数本、例の特殊コーキングした難燃性発泡スチロールビーズの発送までで何かと時間を費やした。様々なご提案があってよくここまで対応出来たものだ。はて、これをお使い頂けた結果が大変楽しみになって来るが、如何だろうか。他に2点、こんなものは出来ないかと言った提案を頂き、またまた走り回らなければならないと思っているが、実にこのようなことの積み重ねが、ネットを通した世界とのやり取りの形式何だろうか。「恐竜の長い長いしっぽ」と言った表現が正にズバリ言い得て妙だ。製作実例集が500近くになって来たが、500のそれぞれが、また横に広がって行くような印象だ。解らないものだ、このネットの世界というのは


2006年9月19日 晴れ 29度
今日も朝から例の製作が続く。よくよく考えてみると、確かに、この「続く」までの数文字で事が足りるのかもしれない。含蓄が結構あるものだ。細かく見れば、日々変化に富んで決してぴたりと同じことは続いていないはずだが、問い合わせがあって、その件に関係した作業をしていたのだから、輪郭を見れば同じもの、同じような毎日が延々と続いているのだが、継続という事には言葉に言い尽くせない重みがあるものだ。毛が一本生えている程度の我々のような中小企業だ。いつどこで何があっても不思議ではない。何とか今日も無事に過ごせた事の方が不思議なぐらいで、有難いことこの上ないものだ。まあ、そんな線香の匂いを嗅ぐようなことを言っていても仕方が無い。一方で、今又、次のお問い合わせが待っている。ひとつひとつお答えしていかなければならない。


2006年9月18日 曇りのち晴れ 31度
台風が日本海に反れ、フェーン現象で気温が上昇した。やがて夕方になり、夜半を過ぎると、例年の気温に戻ってきたようだ。今日も時間がある限り、素材の件であれこれアイデアを練っていた。、、、zzz、zzz、zzz、、、また眠ってしまった。真夏の暑さを思い出すようなフェーン現象だったが、まだまだこの夏の疲れは癒えていない。ふと、世界に目を向けると、メキシコ湾で9月14日アラスカ油田に匹敵する海底油田が発見されたというニュースがあったのに目が留まった。原油がバレル80ドルから63ドルまで急に下がったのはその為らしい。実際の需給からすれば40でもいいぐらいなのだが、解らない。解るのは、まだ当面は油上の楼閣経済が続くということだろうか。おっと、もう時間だ。何とか今日も数行埋めることは出来た


2006年9月17日 晴れ後雨 28度
急ぎの作業が1件。既成の900φ御椀を使って貼り合わせ球をひとつ、直ぐにでも欲しいと急ぐ向きからだ。発送までの後、例の1600φ擬似半球の製作を進め、何とか各パーツ毎の仕上げまで持って行けた。810×420×200ブロックを合計13個使用した。ショートケーキ状に斜めにカットして2段に並べると15度分の弧が2個加工出来るのだが、全体では溶けシロがあるので25個で360度半球になる。ここまでで、25個の弧を製作出来た訳だ。今回の一連の作業を通して、更に作業効率のいい方法も考えた。ロスが多いのを無視して考えれば、同様な製作の場合、簡単に1600φの円筒状のものを一旦加工して、それを15度づつに斜めカットし、25個揃えた方が、作業時間としては格段に短縮可能だろうと思う。それにこれだけの大きさになってくれば、つなぎ面を磨けば結構半球体に近づくようだし、取り敢えず写真をUPしておきたい。円筒形を斜めにスライスする場合は、別に10度でも5度でもいいのだ。それだけ球に近づくからだ。恐らく、この方法なら、中学生でも巨大な球の製作が割りと簡単に進めることが出来ると考えるが、如何でしょうか。例の中学の先生からのお問い合わせがありました、クラスの生徒達みんなで1個の大きな球を作りたいのですが、みんなが部品を寄せ集めて球が完成する、と言った事が出来ませんでしょうか、とのご質問に対するひとつのお答えに、やっと実例をつけてご回答出来るところまで来た。まあ、サッカーボール状のもので、各パーツを正5角形にして、それぞれ磨いて持ち寄って球にすると言うほうが簡単かもしれない。計算値で正5角形の辺の長さ、或る角度に切った深さを持つ5角柱になるのだろうか、そしてその表面だけ球状にみんなで磨けば出来上がるのだ。んーん、確かにこれも面白そうだ。一度作ってみよう。


2006年9月16日 曇り時々小雨 30度
今日も朝から例の製作を続けた。有難いことに様々なお問い合わせも続く。検索エンジンの中で、特異なシェアを誇るサイトで、当社は大手常連に続いて3番目に入っているのに気がついた。有難い事だ。「出来るだけ具体的に」をモットーにこの5年、手弁当でHPの更新に努めてきたのだが、その成り行き上、この様なことになったのだろうか。言うのは簡単だが、実行は結構大変なものだ。兎に角500実例を目指して、それから整理分類作業を進めるつもりだったが、多くなり過ぎているのもまた味があっていいものだと思うが、目次に何か工夫でもしようと、数人のお客さんにお聞きしてみると、「探している側からは、全く気にならない」そうだ。羅列で充分で、無いか無いか、と探している時は、羅列の目次からでも、探しているものが直ぐ、目に止まるそうだ。、、、そんなものだろうか、、、。そんなものだろうか!それなら、早いところ1000実例まで頑張りたいものだ。その辺りまで来れば発泡スチロールの衛星写真を見るサイト並みになりそうだ。それも面白そうだ。


2006年9月15日 晴れ 30度
さすがに朝夕しのぎやすくなったが、今日も例の製作が続く。こちらには、左程のことも書けず心残りだが、仕事には、日々身を引き締めて真剣に取り組んでいる、とそのエッセンスを伝えるだけで充分なのかもしれない。次は何をし、そして次は何をしてと、考えて考えて 進めていくことも大事なのだろうが、逆に立ち止まって、作業の手を休めたとしても、もうこの歳になって来ると、人生至る処青山在り、と悔いなくいつでも振り返ることができるものなのかもしれない。今日も現状やるだけのことはやった。出来うる限りのことに取り組んできた。これ以上もこれ以下も有り得なかった。これがいいとか悪いとか言うことではない。ここまでやった、と、淡々と事を進めてきたのみだ。周囲が気にすることもなく、結果を気にせず、人生を語らず。今日も例の製作が続く。


2006年9月14日 曇り 28度
今日も例の製作が続く。そして、また他のページの更新に時間を割いでしまったようだ。全く時間がなくなった。面白いものだ。そんなことが重なって起きる。まあ、仕方が無い。まだまだこれから先を考えれば、良い時もあるだろう。上を向いて歩こう、の歌がいい。


2006年9月13日 終日雨 25度
今月になって2度目のまとまった雨。この雨の後は、また一歩秋が深まっていくのだろうか。今日も例の製作を進めた。有難いものだ。9月中旬にしてこのぐらいの天気なら、特に地球の温暖化でも何でもないような、そんな気分になるが、雨量の多すぎる秋にはなって欲しくないものだと案じながら、次の作業を急いだ。おっと時間が押している。実例集の更新が出来てまだ時間が残っていれば、続きを記入したい。では





2006年9月12日 曇り時々一時小雨のち曇り 29度
今の所、変わらぬいつもの例の製作が続く。何度も日めくりカレンダーに目が行き、もう9月も3分の1が過ぎた事を 大層に ため息など つきながら、痛く反省と後悔をしている。時間が過ぎるのは早い。暑い夏が漸く去り、四季の、春夏2季が終わっただけだと言うのに、今年もあと3ヶ月と少ししか残っていない、当たり前のような事に、改めて気がついて、深く落胆する思いになる。急いでいたちくわソーセージの保冷ケースも今日で目途がついた。この分で行くと、何とか間に合いそうだ


2006年9月11日 晴れ時々  31度
今日も朝から例の製作を進めた。こんな加工をしていく場合、様々な手作り道具が如何に豊富にあるかが、勝負の分かれ目かもしれない。多品種少量なのだ。自分で工夫を繰り返し、道具に掛かる固定費を極力減らしていく他に無い。昼過ぎ、例のコーンブロックの件で来客。そして、ネットからの様々なお問い合わせも続く。北の方からカニの値崩れをロシア産の大量輸入にあるということを聞いていたが、南の方からは、中国のバイヤーが来て、国内産の魚を大量に買占めを始めているという話を聞いて、驚いた。大陸では今まで魚は上流の一部が食する程度だったのが、昨年国家を挙げて魚を食べるキャンペーンを始めているとの事で、このところ急激な需要が起きて、魚の青田買いのようなことを、周辺国で露骨に行っているそうだ。ので、国内漁港で水揚げされて発泡スチロールの魚箱に入れて出荷と いう今までの需要が激減しているそうだ。船に乗せたまま、中国へ行ってしまうのだ。だから、発泡スチロールの魚箱が思うように出ない。養殖漁業の地域を除いて、折からの原油値上げと重なって、他は青息吐息状態に直面しているそうだ。世の中解らないものだ。




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