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「わたしの研究開発雑記ノート

                                                           
2003年1月28日
セルパネ製造スケジュール工程表原案完成。といいながら、早速今日は他に方法はないのか各種検討に入っていた。資金も時間的余裕もない中小企業でよくここまでやって来たと思う。かなり精度が上がりいよいよサンプルじゃなくって商品として世に問う時期が近づいて来たと思った。「セルパネ製造販売関西地区総代理店 ベターリビング次世代型住宅部品選定商品」といった名刺の原案も出来た。2/3号の日経アークテクチャが2/3に出るらしい。その号にフジカットとどこかに小さく書いてあるらしい。それ持って営業の開始だ。その間、様々な人にご迷惑をお掛けしてきた。お詫びいたします。
昨日、少し気になって、ショップのお客様で、発泡スチロールのマイクロビーズ(パウダービーズ、ミラクルビーズ他)をお買い求めいただいた方にメールを送りました。先日、こちらの数量計算ミスで再度発送させていただきましたが、まだ届いていないとのご返事でした。こりゃぁーいけない。こんなことしてちゃーいけないな。これからは、必ず、確認メールを出さないといけないなと、また勉強させていただいております。ごめんなさいね。猫好きのあの材木屋ならなんといってしごかれる事だろうか!とてもこんな話は出せないからここで 書いておきました。(後日、実は商品は既にお客様の所に届いておりましたが、ポストに不在者票が入っていたのをお気づきにならなかったそうでした)
仕事の帰りに、自転車がパンクして、とぼとぼと近くの自転車屋まで約3キロ、押して帰りました。いつもシャッターが半分降りているけどどうしたんですかと聞くと、「そうやろ、気になるやろ、そやから半分降ろしてんねん。いやなぁ、不景気やし、移転しようと思ってんねんけどな。移転するんやったら前もってこないしたら良いでって人から聞いたんや。何となく匂わせるやろ」この自転車屋さんに移転されると いよいよ 近くにはまったく自転車屋さんが消えてしまう。今度パンクすれば、さらにとぼとぼと3キロ歩かないといけない。

   とぼとぼと ぐちり道草 おにはそと 走り嘆いて こん竹梅


2003年1月27日
今日が誕生日と言う技術の人から新提案があった。1/31が公的機関への製造スケジュール表提出期限だと言うのに、その提案を採用した。折角だし、誕生日のプレゼントにと考えたわけではない。ここに来て、最早、他にあまり選択肢が残っていなかったからだ。またまた、製造工程の全面見直しに着手し、様々な部材他を緊急発注した。東大阪の部材加工メーカーの担当者に問い合わせた。偶々、今日の雨で工場の職人さんと出張予定だったのが足止めされていたのでラッキーだった。笑いながら「今日は徹夜ですわー」と言われた。”大工殺すにゃ刃物は要らぬ三日雨降りゃお仕舞いだ!”という諺は聞いたことは時々ありますが、出張が一日延びた今日の雨はまた格別で、助かりました。東大阪にはすごい技術をもった職人さんがごろごろいる。小回りが利いて無理にもすんなり応じてくれる。だから、こちらも間に合う。しかし、最近はそういった横の繋がりがだんだん希薄になり、自分の会社の自分の技術に見合った職人さんを探すのが大変になって来た。子供のおもちゃを投げたり受けたりしているのではない。相手の顔が見えなければ、いいものは作れない。いいものが作れてもいいものが一人歩きしてしまえば使い物にならない。FAX一枚の図面から正確なものなら少し腕のある人なら誰でも作れる。問題は相手が何をしようとしているか読み取って、プラスアルファーが正確に出来るか出来ないかだ。例えば、何ミリの鉄板にプレスを入れる。このアールに削りをほんの少し図面にないが、何ミクロン気持ちだけ入れておく。ただそれだけで使う側からすれば、機械の動きがまるで違う。間違った所にすれば元も子もないが、すべての流れをマスターしている人にはそれが出来る。そんな目利きが今ならまだ東大阪には多い。だからまだ探しやすい。日本の工業技術力が低下したと言われて久しいですが、技術を持った目利きの人の数は次々と育つ若い人たちによって補充されているような気がする。問題は集まる所に集まらなくなっているだけなのかもしれない。だから探しにくい。技術のスター選手ならテレビ新聞に載るから探す必要はないが、われわれが必要としている町の職人さんはミニFMにも登場しないし、自治会新聞にも出てこない。本当はこの国が100年を掛けて成し遂げて来た教育のおかげで、若くして技術の目利きの出来る人材は、世に出ることはなくとも、次々に生まれ育ってきているような気がする。世代を超えて彼らを発掘する努力は、誠実な人たちによって続けられている。


2003年1月26日
もうこんな時間だ。内寸が35センチ×35センチ×65センチの肉厚2,5センチの水槽の試作。内側に特殊コーテングをして今度はぐるりにガムテープを巻いた。水道口まで持って行き、水を入れる。ようやくじゃーじゃー水が漏れない水槽が出来た。発泡スチロールの場合、長手方向の側面に約80リッターの水圧がかかると外側に1,8センチ両側で約4センチ広がり、貼り箱のつなぎ面にねじれの力が相当働いてきます。ここまでで、4個試作品をダメにしました。まったく、割が合わない仕事。金型による成型物ですと、この体積で内部に水を満タンにするとなれば肉厚4,5センチ取るのじゃないだろうか。肉厚2センチじゃ乾燥物の奈良の椎茸入れるぐらいでしょうか。よくまぁそれで出来たものだ。しかし、出来上がってみると、コロンブスの玉子焼きで有明海の海苔巻いてダシ巻きにすれば誰でも買いに来そうだ。20年前も30年前も値段が同じで、最近じゃだし巻きすら作った事がない人がいるぐらい、何処のスーパーいっても並んでいる。こつが解ってしまえばこっちのもの。これからは、いくらでも注文お受けできます。矢でも水槽でも持って来い。、、、。で、1/31〆切の試作品の製作のほうは今日一日何も出来ませんでした。足掛け2年が過ぎて、あと、数日しか残っていない。今日は言い訳が出来るので枕を半分ぐらいにして寝られるが、明日からは枕もない。今日はここまで。


2003年1月25日
朝出社すると事務所の前が水浸しになっていた。今日は雨でもないし雪も積もっていない。また、例の2階でドンドコドンドコ腹をすかして走り回るタヌキのイタズラかと思いましたが、よく見ると昨日、実験で水を満タンに張って事務所の横に置いて帰った貼り箱水槽が、一つは中が空になっており、もう一つは無残にも側面が割れていました。タヌキにこれだけの水は飲めないでしょう。引っ掻いた痕もありません。大きさは内寸で350×350×650 肉厚25ミリ 水量は約80リッターの計算です。この分だと今日、明日は水槽作りに追われそうだ。よくまあ、お客さんにお渡しする前に、同じものを作って同じ実験を同じようにしておいて、そして、予めこちらで失敗しておいて良かったと思いました。コーテング費、材料費、作業時間を入れると完全な持ち出しになりますが、とりあえず、ネットの新しいお客さんですので、この際、営利抜きで、明日もう3度目ですが、挑戦してみます。
セルパネ作業台は結局、技術部の人に手伝ってもらって一階に設置してもらいました。何かとその方が効率が良いみたいでした。
岡山県に住んでおられる読者の方から温かいお便りが届きました。折角ですので掲載させていただきました。

「毎日関心しながら、共感しながら、読まさせて頂いております。
いつも独特の文体に感服致します。
人・営み・人生・安らぎを感じる実に良い雑学ノートです。」

3,4年前に大きな病気をされたと書かれていますが、今では元気に仕事をなさっておられるみたいですので、なによりですね!あれはもう27,8年前になりますか、名前はよく覚えておりませんが、私の友人にも若い頃、確か、京都で3畳一間の下宿住まいなどしながら新聞配達で学費生活費を工面して、育英会まで貰い、それはもう大変な苦学をしながら大学を卒業した男がおりました。早くも自費でコンピューターの学校に通ったりして、現在のようなネット時代の到来を予測しておりました。彼の場合はさらにネット時代の先に来るのはどのような時代かというところまで考えが及んで、ついにCPの勉強を途中で投げ出してどこかの仏教系の学校に入り直したという噂ですが、さざかではありません。参考までに、その後はある有名な広告代理店に勤め、繊細な時代感覚と大らかな性格、そして苦労性が認められてトップセールスマンを地でいってるらしいです。そんな彼もやはり同じような病気で一度、リタイヤしたことがあると伝え聞いております。その年代の人はつい仕事で無理を重ねる場合が多いものです。どちら様も御体にはお気をつけて健康で長生きなさってくださいませ。

   京都の秋の夕暮れはコート無しでは寒いぐらいで丘の上の下宿屋はいつもふるえていました♪♪ 加川良

   京都の冬の散歩道 きまっていつも北山で 左手に缶コーヒーの 哲学していました  武者小路篤実




2003年1月24日
午前中、加工作業の一段落した時間を使って、少し小さな貼り箱を作り、内部をコーテングしてみる。水漏れがないか確認してから蓋をしてきつめに押してみた。内寸縦横高さが300ミリで厚み20ミリの小さなものなので接着面も特に問題はない。なんら変化は見られない。27リッター27キロの水。何ら大丈夫。つぎ、内寸横に600ミリ他は同じ。内部をコーテング。蓋をする。さてと。、
セルパネ試作。いよいよ、火が着いて来た!。〆切まで一週間。本当に出来るのだろうか?出来てもサンプルで終わりになるんじゃなかろうか!ものすごく簡単そうに見えて全く簡単じゃない。足掛け2年になる。そもそも、莫大な投資資金と余裕のある大企業でないと無理じゃないか?。知らず知らずのうちに試作を始めてしまったが、本当はそんな余裕と時間のある会社の研究者に何年もおもちゃを持たせて、遊ばせて、ようやく飽きて来た頃、「度重なる試行錯誤と、開発担当の不眠不休の努力も空しく軌道に乗りませんでした」といったような、結局”出来ません報告書”を出して、下っ端のものが何人か地方に飛ばされて破局、上部の者は「知らぬ存ぜん、部下が勝手にやったこと」と周囲に放送局を押し通して、「そうかそうか」とトップは定年で辞めていく、程度じゃないのか。綿のような雲を掴む話。まわり道ばかりの人生。明日はやっと作業台を用意してもらえる。


2003年1月23日
朝からまとまった雨でした。小ロット多品種の加工ものが続きます。セルパネサンプル試作用材の入荷が明日にずれました。こんな時のために、将来は入荷ルートは3つ位にしないといけないなぁ。朝、発泡ブロックの仕入先から連絡があった時、雪のため「中国道は大変や」と言われていました。回りまわってみんな遅れだしました。いつもは10時過ぎに届く会社の弁当も 今日は昼抜きかと あきらめかげんの11時半になって届きました。小ロットすぎて多品種が続くと手間暇ばかりかかって全く儲けになりません。アニメのアンパンマンに出てくる「バタバタしてるよー」のバタこちゃんはそんなにばたばたしていないと思いますが、小ロット多品種製作になりますと、工程が遅れないようにと バタ子ちゃんに負けずにバタバタし始めます。それでも遅れてきます。で、終日工場内作業。と思いきや!4時半過ぎになってから、ある段ボール箱の会社から連絡が入りました。発泡スチロールの加工品が切れかけており、ラインが遅れだしたので今すぐ持って来てくれと言うもの。夕暮れの冬の京都へ車を飛ばす。桂川や宇治川などの合流する八幡まで来ると雨が一瞬上がり、橋の上から遠くに 比叡の山並みがその一瞬だけ 夕陽を受けて輝いた。西から次に流れてきた霧のような雲が、盆地になった京都の街を空から覆いかぶさるのが 信号待ちをしている間に見えた。島津人形の倉庫だった所を横切って、宇治のバイパスから小椋池の干拓地の農道の抜け道を突っ走って、ようやく到着。工場内へはフリーパスで入れる。「早いね」担当者のその一言に帰りは楽だ。しかし、あの会社だけ久しぶりに忙しそうだった。忙しいというのに、どの顔も 目が輝いて いきいきしていた。皆、踊るように仕事をしていた。世の中不景気の中、そこだけ特需があったみたいだ。もっともっと、スケールの大きい国全体の特需があって欲しいものだ。


2003年1月22日
営業9社。79キロ。「あかんわー、さっぱりやなー。家が建てへんわー、あってもリフォームぐらいやなぁ。リフォームしても木を使うのはたかがしれてるしな。やっぱり、新築でないとあかんわー、よそはどないやねん。営業のものみんな出してるんやけどなぁ。新築の注文あったらフジカットにいうからな。はよ、いい風吹いて欲しいわー」。次の会社、「今年に入って、やっと1軒だけやねん。それもリフォームでんがな。しゃーないさかいに 若いもん遊ばしといてもろくなことしよらんさかいに させとるがな。」電話が鳴る。「ちょっと待ってや。へっ、○○でおまー。さっぱりやねー。んー、んー、松山の木のほうが中が絞まってまんなー。秋田は中が空洞になってますわー。うちはあんまり使えへんけど、へっ、ありがとうございまー。、、、何や、聞いてきよっただけやー」。次の会社「こらー。帰れやー、何しに来たんじゃー、われー、耳どこについとるんじゃ、来るな言うとるんじゃー。、、、ベターリビングやとー、猫のえさぐらいあるんじゃ、われー」猫好きのあの会社は特別ー。次の会社、5人ぐらい男ばかり並んでテレビを見ている。無言。ひとりは居眠りをしている。1メートル以上もあるえべっさんの七福神が事務所の奥で笑っている。社長がこちらを振り向いたので、にっこり会釈だけして事務所を出る。次の会社、「社長はしばらく出社しておりません。急用でしたらこちらから連絡は取れますが、、、」何処に居られるのですか「それはわからないのですが、担当の○○ですか、今日は休んでおりますが、来週から出社の予定になっておりますので」家が建たないと辛いものだ。何処かのメーカーが値上げを言い出したので、駆け込み需要の反動が今頃になって出て来たのでしょうか。せめて木造の家だけ建って欲しいものだ。がんばってやー!ニッポンの材木屋さん。


2003年1月21日
営業、配達の合間を縫って、すこし大手の段ボール加工屋さんに初めて行って、感触を当たって見た。アポ無しだったせいもあるが、守衛室より中に入れず。「担当に電話してから来てくださいよ。それと、、、タイピンは握りこぶし二つ目がいいなぁ」と言われるので、ついイライラして、じゃ、担当は誰やねん?と聞き返すと、あっさり「お宅のような件やったら○○課の○○くんかなぁ。それとも開発の○○くんがいいなぁ」とお答えを頂けました。不景気の中、企業のリストラが進み人員整理や配置換えもあって、守衛室にどんな過去歴をお持ちの方が座っておられるか解らないものです。一言二言で大きな会社の全体像を掴む事が出来ました。アポが取れて再訪となれば、タイピン替えてこの方にお礼を言おうと思いました。しかし、その時まで辞めずに居られるだろうか。
会社に戻ると、ネットの方からお問い合わせがあったと聞きました。ありゃぁー、残念、こちらからお断りしたらしい。
水槽実験に使いたいと言う事だったらしい。重なるものです。先日も、東京のお客様で1300×500×400の水槽に使いたいとのお問い合わせが入ったところでした。で、水圧などによる歪みの問題もあり、こちらで一度同じものを作って実験してからご解答させていただこうと思い、材料など用意していたところでした。申し訳ございませんが、もう少しお待ちいただけませんでしょうか。
どちら様もごめんなさい。1/31までに公的機関に製造スケジュール表提出目途たたず。


2003年1月20日
工場内作業。外は雨。多忙な中、少し時間を見つけて先日お問い合わせのあった、発泡スチロールの屋外飼育用金魚の大きな水槽を製作して、水圧実験に取り掛かる予定で材料まで準備しておりましたが、急な配達のため出来ず、延期。日経新聞に、時々御注文を頂いております段ボールの会社のお客様の話が掲載されていました。段ボールで椅子を作ったり本棚を作ったりされている所が、そこの社長さんと一緒に大きな写真入りで出ていました。段ボールで椅子や机や家の家具類が出来れば、段ボールの家も近いなぁと思いました。そうなれば、きっと断熱材にセルパネ使ってくれそうだ、とも思いました。春はまだ先。

   「春風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花」(歌人)
   みを吊れば いやにしょっぱい くえん酸(凡人)
   まだ早い 宇治の白雪 梅の花(庶民)


2003年1月19日
朝からセルパネ試作。製作工程をまた見直す。昼過ぎまで試行錯誤。1時過ぎ急用で出かける。6時ごろ戻る。試作の見直しで詰めの所が出来ないで本日終了。1/31公的機関への製造スケジュール表報告〆切まで後10日ほど。もう、いつから休みなしで働いているのだろうか。ラジオから中島みゆきの「地上に降りた天使がどうしたこうした♪」歌が流れてくる。何故か、やる気が湧き上がってくる。ふと、また一つアイデアが浮かび急いでメモをとる。20歳ごろ、この歌手の歌がヒットチャートに乗って毎日何本も聞いていた世代は、今ではおじさんおばさんになっている。昨年の10月、アメリカ軍の爆撃を受けて屋上に機銃掃射の弾痕跡が残っていたり、爆撃の様子がアメリカ軍によってカラー映像で撮影されたフイルムが残っていたりする大阪では珍しかった高校の校舎が、老朽化とか何とか言って建て替えられるから お別れ祭りをすると言うので 用事をすべてキャンセルして出かけた時、高校の最後の音楽祭でモーツワルトのケッヘル200番か500番か忘れましたが、ものすごい速さとリズム感で弾きこなしておられた人に 26,7年ぶりにお会いしました。もうすでに、何処かの学校の立派な音楽の先生と、何処にでもいてそうな  ごく当たり前のおばさんを同時にこなしておられました。「♪この街は戦場だから男はみな傷を負った戦士」という歌はいつ頃はやったのでしたか覚えていませんが、その歌手の好きな古い友人も来ていたらしい。ここが戦場だったことも知らずに勉強していた子供たちは「戦争を知らずに♪」 今、世間の主戦場で戦っている。皆、ソクラテスやプラトンみたいな顔しているのだろうか。


2003年1月18日
わざわざ、お知らせ有難うございました。早速、近くの百金に行って来ました。ありました、お近くの海外MEIDOの発泡スチロール粒子(発泡粒)でした。韓国のLG化成さんのものでしょうか それとも中国の見竜化成さんのものでしょうか参考にさせて頂きました。有難うございました。お店は押すな押すなの人出で混みあっておりました。驚くような安さと品揃えにダイエーの千林一号店を思い出しました。小さい頃、千林店には何度も連れられて行った覚えがありますが、割れた板チョコの山がびっくりするような安さだった事は今でも記憶に新しいです。が、今は百金がその勢いを持っているのでしょうかねぇ。主婦の店百金千林店万歳じゃー洒落にならない。とりあえず、当社もサンプル数を増やしました。どうぞ、お問い合わせください。触ると感触が砂のようなサラサラ感のある半径0.5ミリのマイクロビーズ(パウダービーズ、ミラクルビーズ他別名同粒子)あります。どうぞお問い合わせください。こんどは、100円で買える発泡スチロールの板、始めましょうか?


2003年1月17日
あの日はボイラー主任をしておりましたので、工場の朝稼動の2時間前に出社の予定で、4時半には起きておりました。が、何故かその日に限ってグズグズとしておりました。それで、最初の大きな揺れの時はまだ家におりました。本棚からばたばたと本や雑誌が落ちました。食器棚の戸が開き、いくつか食器が落ちました。外の何処か遠くから悲鳴がかすかに聞こえてきました。急いでバイクで工場へ走りました。工場内外の水ライン、エアーライン、スチームラインすべて見て回りました。成型機のホッパータンクが一箇所落ちていました。最低燃焼に設定してボイラーの点火を始めたのは7時半でした。8時過ぎまた揺れがありました。これはまずいなぁ、すぐ停止しました。再び各ラインのチエックを終えて点火したのが9時過ぎでした。電話が掛かり難くなっていました。昼ごろまでほとんど繋がりませんでした。パートさんも半数は来ていませんでした。今思うとよくまぁ、工場動かせたなぁと思います。
あれから8年が過ぎた。元気だった父も弟も今はいない。そして僕は、セルパネを始めた。


2003年1月16日
営業4社91キロ。夕方より工場内作業。「よう来てくれるな。名刺いちばん貯まってるなぁ。よっしゃ、ええわ、今日は話だけでも聞いたろか」ここまでで約半年。「来た客に繋いだんやけどなぁ。もうひとつやったなぁ」さらにここまでで1年。机の隅っこにサンプルとかパンフ置いてくれたら御の字だ。陳列棚つくって他の商品と並べて置いてくれるところまである。さらに半年。時々どうなったか見に行く。「他で使っているのを見たお客が、いっぺん使いたい言うとるわ」ここまで来るのにどの位時間の経過があっただろう。大変な労力と時間を掛けて少しづつ前進していく営業部。販売の最前線はどこも同じでしょうか?お客さんにすぐ気に入られる人は急にそうなったんじゃない。何処へ行っても気に入られる。付き合い上手は友人も結構多い。仕事抜きで仕事の話をできるし、仕事付き合いの中からでも 此れだという友人を引っぱり上げてくれる。いざと言う時は死に物狂いでかばってくれる。だからまた人が寄ってくる。それが極当たり前であるかのように。しかし、そこを斜めから見て、では人付き合いの向上技術はないのか?とくれば「気配りのすすめ」や「エチケット、マナーNOW、HOW」から「己の欲せざるところ人にほどこす事なかれ」等々。目的が仕事の為にと狭い意味で限定されている限り、へたにそんな技術は磨かないほうがいい。「好きこそ物の上手なれ」人付き合いが上手なひとは本当に人付き合いが好きか、友人が多い人は友人が好きで多いか、多いのが好きかどっちかだろう。明るい、根っから明るい、誰かに言われて明るいのじゃない。不夜城のように明るい。集魚灯で魚を取るように人は寄ってくる。しかし、再び斜めから見て、そのような技術はないのか?とくれば視点が営業部を離れて、少し学問の世界へ踏み入れてしまう。だから、まずは商売が好きになるにはの問いに戻って、好きな仕事は無いか有るか、もう少し、好きなのか?今の仕事は?このあたりかなぁ。
われ十有五にして学に志し 三十にして店に立つ 四十にして客惑わし 五十にして疲れる 六十にして耳痒く 七十にして天命と諦める


2003年1月15日
神戸市北区鈴蘭台を東へ。一面の雪。5センチは積もっている。たったこれだけのものを、馴染みのお客さんのどうしてもの急ぎのご注文。プラスマイナス無視しての配達。前も後ろも見えない。急げ急げと言っても進まない。有馬で一風呂浴びて帰りたい気分。今日は京都も雪。

  ♪ フジの高屋根にふる雪も
   ♪ 京都先斗町にふる雪も
    ♪ 解けて流れりゃチリと水
     ♪ 解けて世渡りスチロール♪♪


2003年1月14日
重なりました、一日工場内作業。在庫回復に全力。電話の掛かりやすい日ってあるのでしょうか。掛からない時は午前中一本もないのに今日は何故かよく掛かります。在庫回復の工場内作業に追われ続けました。朝からほとんど同じ作業で夕方まで過ぎました。ある馴染みの材木屋さんに東京行くと年末に話したままで、その時の土産話をまた届けられず。まあ、いいか!
近くの土建屋さん、スーパーに泥棒が相次いで入ったらしい。買ったばかりのフォークリフトや店の大金庫が丸ごと盗まれたりしたらしいです。引ったくり犯でしたら捕まえて警察署に表彰していただいたことがありましたが、フォークリフト盗むぐらいだとかなりおおがかりでしょうね。先日も、近くの材木屋さんのお隣の機械工具屋さんに泥棒が入って道具類を盗まれてその盗んだ道具を使ってその材木屋さんに犯人が忍び込み、金目のものはないかと物色していたらしいです。ところがこちらの材木屋さんは日頃から用心深く、もしもの事があったらどうするか考えておられて、事務所の自分の机の上にいつも帰る前に現金2千円だけ、見えるように置いて帰られたらしいです。結局入り口付近に隣の工具屋さんで盗んだドライバーとドリルが捨ててあって 扉はこじ開けられる被害は有ったものの、盗まれたのはその2千円だけだったらしいです。「ああいう者は、何も無ければ あばれるが、何か一つでもあれば、慌てているし、それ持って逃げるものだ。一つじゃ悪いし2枚にした」と仰ります。見事に先読みが当たったわけです。ちなみに、その機械工具屋さんにはこれで泥棒が2回入ったらしいです。

   このごろ都にはやるもの
   夜討ち 強盗 偽綸旨
   めしうど 早馬 えせ坊主
   夜泣き カン虫 むしさされ
  


2003年1月13日
朝から、急ぎの生花束配送装置の製作に追われました。熱伝導率0,033の淡いブルーに幾つかの工夫を取り入れた簡単な装置を組み込みました。本当は底辺部分に、昔、親戚のおじさんがブロッコリーの運搬用容器を発泡スチロールで考案して特許など取って実用化したものが有りますし、蓋の部分にはこれまた別の親戚のおじさんが発泡スチロールの魚箱蓋で考案した特殊形状がありましたので、それを拝借しようと思いましたが、そこまでするとかなり大変な労力と時間がかかりすぎてコストも合いそうに有りませんでしたので途中で止めて、高知の青ねぎ配送スタイルのような簡単なものにしました。枚方近辺から ちょっと寝屋川のほうまで車を飛ばして花屋さんを何軒か回って、何気なく、遠方まで自分で花束を贈りたいのだがいい方法はありませんかと尋ねて一応情報も集めました。夕方6時のクロネコ最終便に何とか間に合わせようと今日も宅配便事務所まで持っていきました。受付のパートのおばさんが「昨日、送りはった箱、壊れないか心配やったんですけど どうでした」と顔を覚えられていました。取り敢えず、折角のこのような機会を与えていただいた東京のウェディングブーケの会社様にお礼を申し上げるとともにすばらしい実験結果のお知らせをお待ちしております。もちろん、費用などは今回にかぎり無料とさせていただきます。発泡スチロール容器は祖父の代から数えて50年、親類縁者を合わせて生業として来たのですが、魚箱塩干箱、生鮮野菜農産箱、弱電緩衝箱、といろいろ造って来ました。今回、またひとつデータ収集となりますので今後の参考になりますし大変有り難い訳です。中に入れました一刺しの小さなバラの花束が500キロ移動してどのように形状を保持しているか楽しみです。


2003年1月12日
あれこれ、考えもって作業をしていると、夕方になっていた。急いで、明日必着の品を宅急便事務所まで持って行く。何とか最終便に乗せた。明日は、話の成り行き上、ウエデングブーケを実際に淡いブルーの伝導率0.033の組み立て容器に入れて発送してみて、ブーケがどのように変化するかを実験することになった。外気温度10度前後だし、断熱性についてはそれ程問題はないと思われますが、念のため保冷材をひとつ入れましょう。そして、植物を密封状態に何時間も入れておくわけですから、呼吸しますよね。植物が吐いた息をどうするか?二酸化炭素が容器の中いっぱいになるでしょう。苦しくってシワガレするかもしれない。二酸化炭素だけ通すラップがありますので容器の蓋に穴を開けラップを二重にして中に発泡スチロールビーズを充填すれば、断熱するのに二酸化炭素は外へ出す簡単な仕組みになるかもしれませんが、その装置は次回にまわして、今回は炭を入れてみます。


2003年1月11日
終日工場内作業。来客3組。引き取り客一組。いちげん客一組。午前中在庫積み上げ作業。午後、サンプル製作。夕方、製作用機械探しに近くのホームセンターで業務用カタログのコピーを貰う。金網を使って曲面加工をしている所があると聞き、金網コーナーに座り込んでしまう。何度考えても解らない。掃除のおばさんが来たので立ち上がって帰る。よく判らない。金網を曲面に曲げて、加熱して回転させるか?テフロンテープで支え部分は絶縁するのかなぁ。それなら別に金網は要らないだろう。円形段ボールにテフロン貼っていいだろうが、そんなに簡単に球の曲面は出せないだろう。溶けしろにかなりのスペースとられてギザギザな出来上がりにならないか、上部中心は溶けすぎるだろうし、まだまだ課題が多すぎる。目標は発泡スチロールで望遠鏡の入る観測ドームを作ること。


2003年1月10日
挨拶回り。目が回る。集金4軒。配達1社。走行距離リセット忘れる。実家で生ったキウイをこの前キウイ狩りした内、15,6個ある材木屋さんに集金の時、渡す積もりでコンビニの袋に入れて店の中に持って入る。年賀挨拶などひととおりして、集金も終わり ほっとして出てくる。キウイ持ったまま、車に乗り、つぎの目的地へ出発。完全無欠の 忘却とは忘れ去ることなり。

      新年が 人の字かざる しわしらが わすれえぬこと わすれぬること

お問い合わせありがとうございました。大変結構なことにお使いなさるとのことで、お二人のために、影ながら微力ではありますが(申し訳ありませんが有料です。まだまだ本当に力不足です)が、ご協力させて頂きたいと思います。ウエディングブーケの熱除けは大切な事だと思います。結婚式の会場は二人の熱気が周囲に伝わって気温が否応なく上昇しますよね。シワガレしたものをお渡ししたら大変ですよね。うちの製品で会場の熱気を防いで頂いて、みずみずしいままをお二人にプレセントなさりたいと言うご配慮な訳ですね。淡いブルーの熱伝導率0.033キロカロリーのものというのは、平たく言えば南極大陸の昭和基地で氷点下マイナス5,60度の環境下で約50年間その断熱効果を維持してきた実績のあるものと同じ材質のものです。もちろん今回のお見積もりの分は厚みなどは違いますが、全く同じ材質のものです。極限環境下でも十分耐えます。(まさか、お二人の会場が南極大陸!)細かい数字データは今手元にありませんが、いわゆる結婚式会場やホテルでなさる限り特に問題なくクリアーできると思います。ただし、ひとつ案じておりますのは、お分かりだとは思いますが、材料のみのお渡しですので、組み立ての際、両面テープなどで隙間なくお貼りください。おふたりのすばらしい門出になりますようにお祈りいたしております。


2003年1月9日
挨拶回り。112キロ。配達61キロ。
行って帰ると一日終わり。いよいよ面白くなってきた。と言いたいところだが、個人的にお気に入りの材木屋さんにだけサンプル見せに行った。大変喜ばれ、るんるん気分で帰ってくる。帰り道、コンビにで好きなピーナツ買って噛むと、今度は左の奥歯のメタルが割れる。歯医者へ直行。中が、また虫食い状態。一言も痛いと言っていないのに「これやると痛みますから」と麻酔一本。ウガウガッー言いながら帰る。今日はここまで。


2003年1月8日
本日終日、工場内作業。電話がよく鳴り、来客多し。どういう訳か重なる。今日はその重なった日。昨日は一日待って3回も電話が来なかったが、きょうは一日中絶えることなく ひっきりなくかかってくる。この現象 よく分かりませんが、とりあえず有難い事です。一月も八日なので末広がりに走り出したのでしょうか。ひょっこり、馴染みの老獪な営業マン氏が立ち寄る。業界の様々な噂話をみやげにおいて帰られる。「ほぉーほぉー」言いながらうなずく。印象に残ったのは、古い知り合いの 潰れた会社の社長がまた、ビジネスを始めたという話。62歳からの再出発。第二の人生。片腕だった総務部長がそのショックで倒れ一年後に亡くなったというのに、それでも、また一人で 商売からのスタートを選ぶ。何故それほどまでして商売が良かったのか?まるで求道者のように商売の道を選ぶのか!死に至るまでそれを求めるというのか、そんなに「お金」はすべてを知っているだろうか?JR住道駅のホームで見かけた元社長は ケイタイに白い息を吐きかけながら ビジネス会話を終えた後、みぞれ混じりの小雨にうたれて、遠く線路の先を見ていたらしい。一年半前に見かけたときは淀屋橋、法律会館の前。両脇大男に支えられて引きずられるように車で何所かへ連れて行かれるのを いたたまれず、一声掛けようとしたが、間に合わなかったらしい。そして、今度は、すぐ側にいて 手の届く距離に居ながら声が出なかったらしい。「所詮、生々流転の人生よ!」後ろ姿がそう語る。「営業マン君、勝てば官軍だよ、負けたら風とともに去るよ、何度でもね 」懐かしい少し気取ったような皮肉が聞こえてきそうだ。




2003年1月7日
トップページ等少し変更しました。すべて、順調です。すべて。
いずれ、お伝えいたしましょう。では、そのときまで、ボンボヤージュ!


2003年1月6日
年始の挨拶回りが始まる。しかし、材木屋さんは、末広がりの縁起をかついで まだ、半数以上はお休み。一昨年に続いて今年も業界の激動を予測する向きがある。その一方でこれだけ淘汰が進んだ後なので 極きわまったから、後は昇りだとする向きもあれば、結局、我々庶民には一体この先どっちに向かうのか到底わからない。わからないから先祖の知恵に頼るのが手っ取り早い。縄文の頃からつい最近まで、森に宿る神とか木を祀ったところとか、木を切ることはすべて神聖な事だったらしい。神聖な事に携わる職は神聖な職だから、材木屋さんには年中行事が今も結構残っている。木に対するこだわりが、先祖より累々と続いてきたからこそ 本当は この国の森林は守られて来たように思う。ほとんどは人工林なので、毎日花に水をやる様に木の世話を毎日してやらないと木は枯れ山は荒れ、土石流が川を吹き、海の魚は逃げる。だから、森林破壊は、売れる木ばかりに集中して切られるからで、国中の木がよく手入れが出来て売れる木であれば、集中伐採もなければ保全管理放棄による荒廃もないといわれる。では、国中の木が良く売れるような いい木にするにはどうすればよいか。ほとんどの材木屋さんはその答えを知っている。
100年かけてこの国の基礎を創り続けてきたのが子供たちへの教育であってみれば、100年かけて森を蘇えらせよう。もっと木を使いましょう。がんばってや!ニッポンの材木屋さん。


2003年1月5日
昼まで作業。○○の試作。作業順を変えすぎてしまう。明日から通常業務。


2003年1月4日
昼過ぎまで試作品製作作業。昨日思いついた事の延長上で何とかフィニッシュに入れた。ようやくこのやり方で行こうと言えるところまで来た。○○サンプル計9枚目完成。2,3の問題点は今日のアイデアでクリアーできた。一工程は省略出来た。製品としてまあまあの完成度まで来たんじゃないかと思う。後は、この作業工程を回転させた場合の諸問題を明日再度チェックしてみよう。製品としてはまとまりがついて来ても、最後の難関はコストパフォーマンスだろうか。末端ユーザーの価値判断にゆだねる他ない専権事項かも知れないが、中小ながらもメーカーとして、仕入れ方面のご協力を仰いでいかなければならないだろう。しかし、このような新商品を世に問うて行く場合、縦横のしがらみを透明に通過出来得る代わりに、肝心な末端の価値基準の変化を読み取る事を見落とす危険性もはらむ。確かにベターリビングでの入賞は高い評価を頂いた訳だが、やがては それだけに甘んじているわけには行かなくなるだろうし、何故にここまで高い評価を頂けたのか再考の必要も出てくれば、翻って、末端ユーザーの評価を微に入り細に亘って再度再々度、検証していかなければならない時も来るだろうし。万物が流転するように嗜好も変わるものだ。まさに「世紀を通して」我々に求められる本当の住空間とは何か、これだけ重いテーマを突きつけられて、この基本的な課題に 果敢にも正面突破を図ろうとしたのが「○○」であってみれば、一企業が、洋としたユーザー側と ベターリビング二つの基本軸上の間で、如何に正確な異次元の波形を描き続けられるかにかかる問題だ。「世紀を通して」我々が求める本当の住空間はの 問いに答える側の姿勢が問われ続ける。


2003年1月3日
今日もあと少しで外は明るくなってくる。電柱の2羽のカラスがカーカー呼び合っている。この位にして、ノートに改善点を忘れないうちに記入。○○のサンプルはこれで計8枚、一坪分出来た事になる。しかしどれも満足出来た代物とはちょっと呼べない。そこで、今度は、もう一度、製造工程を一から替えてみる心算だ。いいアイデアが浮かんだ。これなら幾つかの問題点をクリアー出来そうだ。四段目の工程は省略できるし、あのところはうまく行きそうだし、残るは最後の工程でどうなるかだ。やってみるに限る。発泡スチロールをそのアイデアに使える。ありがたい。近くのコンビニでアンパンと牛乳を買ってきて、しばらく休憩。

     キウイなり 烏もおどる 胸騒ぎ からくえないに 身ちぢむとは


2003年1月2日
発泡スチロールのおもしろ実験についてお問い合わせがありましたので、リンクの了解はまだ頂いておりませんが(リンクの件でかなり以前にメールは送らせて頂いておりますが)、一般に配布されています雑誌という性格上特に問題はなしと判断させていただき、リンク集に1軒追加しました。発泡スチロールが生まれて、そして使い終わって再びリサイクルされるまでを実験を通して子供たちに楽しく理解させていくという内容のものです。「情報誌なんじゃもんじゃ」第7号”発泡スチロールの一生”より。ご参考にして下さい。リンク集もこれで33本になり、少しは充実して来たかなぁと思っていましたが、昨日頂きましたお問い合わせのように、まだまだ意外な使い道がありそうですので今後も勢力的に調べて行きたいと考えております。「奇奇怪怪」と言いますが、様々な現場で実際に使われている様々な発泡スチロールの使い方のほうが 本当はもっと面白くてぞくぞくするかも知れません。が、それは社内でのお楽しみに留めさせて頂きます。


2003年1月1日
昨日同様、試作品の工程改良に工場内作業。なかなか巧くいかない。もうすぐ夜明け。気分転換に近くのコンビニでおでんを買って来て温まる。しばし休憩。いつもは コンプレッサーやリフトの走り回る音で やかましいはずの隣の鋳物屋の工場は 明かりも消えて死んだように静かだ。一体正月を何週間みているのか さっぱりわからない。門松か しめ縄ぐらい立てないと正月で休んでるのか、それとも、止めてしまったのか見分けがつかない。近くにあった線路沿いの製材所も 昨年の夏、いつまでお盆休みが続くんだろうと思いきや、9月の中頃には取り壊されて区分け面取りされて今では分譲の宅地。製材所の息子さんが「重い重い」と台帳の12,3冊の塊かかえて「コンピューター入れるから、いらんのや」と話していたのが最後。街から原木ときりこの匂う風景がまた一つ消えたのが残念。  がんばってや!ニッポンの材木屋さん。


2002年12月31日
朝から○○試作品の製作。○○ツーバイフォー910×420×100 1枚を追加。これで計6枚になった。大分、工程がわかってきた。どの辺りに工夫を加えればいいのか、試作を続けるうちに少しずつ解ってきた。各工程段階で試作データの収集。急がないといけない。余裕と時間がどちらもない。試作の実践的工程の批判で飛躍させ、損益分岐ラインに到達できるか、一刻の猶予もない。「改善は、何故なぜなぜの繰り返し。」とある中小企業診断士が話していた事を思い出す。診断士のお話も少しはためになったか。


2002年12月30日
今日も朝から試作品の製作にかかれた。製造工程に対し幾つかのアイデアが浮かんできた。取りあえず今日はこのままで、明日もう一度他の方法に切り替えてどうなるかやってみるしかない。それから、15パイ径の加工に針金じゃ土台無理のような気がしてきた。ニッケルクロムの薄板も同じだろう。18ミリの立方体にして角落しを探した方がよさそうだ。いっそ、カッターで角を切り落とすか!1435個?青色の発泡スチロール立方体なら直ぐ出来るので白の15パイ径球体10個に対して1個混ぜてみるのはどうだろうか。水っぽく見えないだろうか。それなら140個だけカッターのカドキリで済む。しかし、二つの別々の水流実験に使うのじゃ混ぜたら意味がない。以前、巨大なドーム状の球体のお問い合わせがあったが、今度は小さな球を数多くのお問い合わせ。当社に対するお客さんの期待が何処にあるのか、少し見えてきた。ご期待にそえる様、少し力がはいります。やっぱり、三色だんごか10色だんごにして串を回転させながら円形ニクロムに通してみるか。出来るかなぁ、、、。


2002年12月29日
朝から試作品の製作及びトラック積み込み作業補佐。一日の過ぎるのがむやみと早すぎる。あっという間。
今年はHPを始めて、さらに時間がなくなる。日記も碌に書けないから、つい、HPで代用してしまう。以前はきっちり出していた盆暮れの安否お伺いや年賀状、近況報告書もなにもかもまだ。今年もあと2日というのに、球体加工が出来ないかとか、セルパネのサンプル用資材の捜し歩きとか、余計な雑用ばかり増えた。論語に 木の板と板の隙間から早馬が通り過ぎるのを見るようなこと
とありますが、材木屋さんと材木屋さんとの間をうろうろしている間に一年が過ぎました。取り急ぎ 乱筆失礼。


     
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