・ホームページ開設しましたこのページは、営業部のデスク
 サイドで「わたし」が見たノート
 の日々記録コラムです。
お楽しみに

    研究ノート目次
トップページへ
営業部デスクのコラム欄

「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                           



2006年4月4日 快晴後夕方大雨 21度
ようやく春らしい天気になって来た。今日も例の製作が続いた。朝から車で2時間も掛かる遠方から、工業高校の頑張る先生が来社。工業デザインの教材用にお車に詰めるだけの200×400×800の例の破格値ブロックを積み込まれてお帰りになった。それを使って生徒さんと椅子やコタツ机などを授業で製作するらしい。「表面に布を貼りたいのですが」と聞かれたので、専用の糊を使うと高いですが、木工用の白いボンドで十分引っ付きますよ、とお答えしながら、昨年、例のロシアから世界一のヘリコをレンタルして風車の巨大な羽を山の頂上まで空輸するのに、山上で降ろす時の巨大な枕木ブレードを製作した時を思い出した。発泡スチロールにはフェルトを貼ったのだが、その際、何種類かの接着性をテストして、結論的に完全に固まった状態での強さでは、一番安手の白い木工用ボンドが、高い布用専用接着剤よりも剥がれ難くて強いことが判って、それに決まったのだった。そんなお話をしながら、学校の先生も大変なものだと思った。生徒さん達のために、こうして日夜、少しでも役に立って喜んでもらえるために、授業の下準備に片道車で2時間も掛けて、走り回っておられる訳だ。不思議の工業立国日本の次代を支える若い生徒さん達と、彼ら彼女らを、しっかりと、見えない所で支えている教育現場の物凄い御努力。頭が下がる思いだった。西陽に少し傾いたかなと思う頃、またまた遠方から来客2名。今度は、「フジカットさん、発泡スチロールのカットもいいが、値段もカットしてくれんか、わっはっはー」と笑う変コな親爺タイプの研究者。、、、そう、本当は、この国の先端技術を第一線に立って引っ張って来たのは、このようなもう直ぐ「団塊リタイヤ」直前の世代なのかもしれない。産めよ増やせよのベビーブームの中で生まれ、大勢の兄弟の中で、生まれつき競争に馴れ親しみ、高度成長期、バブルそしてその後も時代を猛烈に突っ走って来た世代だ。そのプロジェクトに対する熱意とバイタリティだけは面白いほど参考になった。夕方、イッツアの中央研究所の主任研究員になって今度引越しした中学の同級生のMくんから電話。長年超ハードな研究生活のため伸び伸びなっていたのだが、ようやく、昨年になって目出度く結婚し、新居に引越しとなったのだが、引越し先を連絡して来てくれる。元気そうで何よりだった。子犬の里親探しの件、ごめんなさいね。その後、例のいつもよく遊びに来社されていたメーカーの営業マンのIさんが最近来ないので、どうしたものかと思い、ふとその会社に電話を入れると、なあーーんと、イスラエルに3年間の長期出張になったらしい。そう言えば、先日、ふらりと見えられた時、「ひょっとすると海外へ転勤するかもしれませんので」とそれとなく話をされていたのを思い出した。残念だ。とても、イスラエルからでは、ちょっと発泡スチロールの話になどと、遊びに来社できないだろう。早い話が、可哀相に、トンでもない所に飛ばされたのだろうなあ。出る釘は打たれたのだろうなあ。本人にはいい話と思わされたのだろうかなあ。結構、上司には煙たがられる出来るタイプの営業マンだったからなあー。戦乱と自爆テロの国だ。何気なく道を歩いていても、いきなり身体中に手榴弾をくくりつけた人が向かってくるような物騒な国だ。そうして、日本に帰って来たければ、会社を辞めるほか無いのだろうなあ__。否、もう二度とお会い出来ないかもしれないなあ。実に残念だが、これも現実か、、、、。この日本

   桜咲き 死に仕度と読む一茶の 気まぐれも 嗚呼、 ふるさとは遠くにありて思うもの 


2006年4月3日 晴れ 17度
今日も朝から例の製作が続いた。実験用発泡スチロール製パレットは、サンプルの試用結果を早速連絡頂けたので、大変有難かった。当初懸念された、その特殊な液体の温度差による収縮などは一切無かったらしいので安心した。内面の平面度も特にそれなら問題ないとのことであったし、よって、この場合の削り出しは、圧力がないからという前提で、可能だという結論になるわけだ。何ともいえないが、こうした現場での使用者側と製作側との往復フィードバックというのは、特に製造業においても必須だと思った。いいものをさらに少しでもいいものを求めて技術の向上を図るには、本当に大切なものだ。だから、本当は国の繁栄と製造業の活躍は合致して続くものかもしれない。おっと、時間がない。今日はここまで


2006年4月2日 雨 15度
雨の中、例のリサイクル法に関心があったからでもなく、特に宛もないのに古道具店をはしごしていたが、思うように成果もなく、夕方になって降り止んだ雨の後、西の彼方の雲の間から黄金色に明るくなった空が、ようやく咲き始めた桜の並木を照らして、靄に浮かび出た蜃気楼のようで綺麗だったので、しばらく足を止めて眺めていた。その一瞬、もう34年も前、高校生の頃だったろうか、雨の中を、一人、京都の古本屋街をはしごしていた時を思い出した。順繰りに古書店を覗いて回るのだが、途中で雨が上がって、綺麗な夕陽が雲の間から差して来て、霧のようなもやが街中に立ち込め、幻想的な雰囲気が足元から包んだことがあったのだ。まだ、東大路に市電が走っていて、途中の駅まで乗ったのだが、つり革にぶら下がって、窓越に見る風景も雲の中を浮かんで走っているようで、ここが京都とはとても思えないような気がしたのを憶えていた。あの時、手にしていたのは、やっと見つけたシュバイツアー選集の 『ランバネア通信』の第4巻だったと思う。今では、考えられないことかもしれない。世界は、まだ植民地政策が当たり前のような時代から東西冷戦を通して、アフリカ各地の独立が2,3の国を除いてほぼ終わった頃だろうか。だから、シュバイツアーの医療支援に対しても見方が分かれだした時なんだが、医療に燃えたシュバイツアーによる、当時としてはある種の成果は、ノーベル賞を受賞して、世界に紹介され、翻訳も数多く出されて、世界の偉人として、野口英世と並んで、若い一高校生にも興味を抱かせていたのだったが、どうも、わざわざ、交通費を使って、京都まで出向いて、うろうろしながら、それを古本で集める事を通して知ることに興味があったようだ。まあ、今も変わらない。回り道ばかりが多いのだった。今日も何故、わざわざ古道具屋回りをしていたのだろうか、例の部品探しに他の手段は無かったのだろうか。時間ばかり、無情に過ぎ去っていく。


2006年4月1日 晴れ 16度
朝から例の製作が続いた。半分以上の時間を割いで、例の○○未来館の実験工房兼研究開発部長のご依頼のものを、より精度を高めるために、以前sんトリー研の水耕栽培用フロートの試作品の製作用に購入して、そのままほったらかしになっていた木工用の旋盤に、大幅な改造を加えて、今回のご依頼品の外寸150mmφ×h25mmで内寸120mmφ×h15mmの削り出し仕様の皿のようなものの加工が可能なようにあれこれと、試していたので、仕上げ磨きに少し手を加えれば底面の平行も出るだろうし、ようやく、まあ、これ位ならOKだろうというものが出来て、宅急便の持込最終便で、試作を1点実験工房へ発送し終えた頃は、とっくに日が落ち、もう夜半近くになっていた。身体中疲れて、がくがくになるところだったが、不思議なものだ。ここまで出来たと言う満足感で、全く疲れはしなかった。たったこれだけの試作なのだが、幾つもの工夫が要ったのが、すべて何とかクリヤー出来たからだった。恐らく、こんなのを業者に特注で刃先を製作させれば、経験上このサイズの刃先だけで、1個何十万と掛かってしまうだろうから、原価に跳ね返って、とても子供達相手の発泡スチロールの実験器具としては、高すぎるだろう。だから、刃先からあるアイデアを思いついて、自作していたのだが、何とかそれが上手く使えた。つまり、発泡スチロールの切断の場合、ノコギリ刃のようなもので切ったほうがいい場合と、パン切りのようなもので切った方がいい場合とがあるように、削り出しの刃の形状がポイントになってくるのだ。これさえ解れば後は実際の刃の製作方法だ。そんな形状を簡単にお安くどうやって作るか、或いは代用して来るか、それが出来るかどうかに、今回のご依頼の平面の大口径の削り出し、の全てが掛かっていたのであった。まあ、試作をご覧頂く側からすれば、何とも言えない訳だが、ここまで、1歩駒を進めておけば、こちらとすれば、似たようなご依頼が他から転がり込んで来ても、即応が可能なだけではなく、例えば応用で500φ900φの皿まで可能になってくるのだし、結構強そうなモーターなので、この方法を応用すると、球面体の加工方法のひとつ、「球面削り出し」が大変お安く、可能になってしまうというわけだ。有難いものだ。だが、こちらとしては、そんな技術的な問題もそうだが、それよりも実験工房の開発部長から、「圧力が掛かりませんから、今回のようなものでは、それを入れても大丈夫です」とのご見解を得られた、というところの方が、何倍もかたじけなくもあり、又、有難いものであった。我々、素人には、一つ一つが奇異な物体である。まして、それが発泡スチロールに対して、どのような影響を与えるのか、実に詰め将棋をするように、1点1点、試行錯誤の連続と積み重ねでしか、結果が解らないのだから、一気に結論的なご見解を頂けると、サーと次のこちら側の駒の打つ手というか、様々な応用の道が広がるのだ。それが、何よりも有難い。


2006年3月31日 朝小雪舞う晴れ後曇り 7度

こちらはまだ、暖房を入れているのだが、今日も空をひらひら舞う雪を見て、例の製作が続く。面白いお問い合わせが不思議と数件重なった。解らないものだ。こんなネットを開いていると、実に、これでもかこれでもかと、発泡スチロールを使った聞いたこともないアイデアをご提案というか、問い合わせが、全国津々浦々から、数え切れないほど、瞬時に飛んでくるのだ。有難い訳だが、本当に尽きることがないので、ここは、矢張り、『不思議の工業立国日本』という呼び方が正解なのだろうか。画一化した教育の弊害とか、創造性の欠如とか、個性がない教育とか誰が言ったのだろうか。アメリカのように自由に研究ができない体制などと、誰が言ったのだろうかと疑いたくなる。これだけ、自由な発想を持った方々が老若男女、実に大勢、湯水の如く全国に散らばって住んでおられるのだ。本当は、このままの詰め込み教育で十分なのかもしれない。寧ろ、アメリカナイズしてしまった方がダメになるような気がするほどだ。物凄く大勢の創造性豊かな研究員が、どこから湧いて来るのだろうか。すべて、現状の制度の中からではないだろうか。堪忍を常と思えば不自由なし、かも知れないが、それよりも、自由な創造的な発想をお持ちのアイデアマン(或いはアイデアガール)というのは、他から教えられて身につくものでは決して無いのかもしれない。彼らにとって、現状の画一化した教育など別に全く気にしていないのだろう。内面の自由に基づいて、いくらでもそんな垣根を平気で飛び越えて行ってしまうのだろう。それはもう、遺伝子に組み込まれているものだろうか。そんな突飛なアイデアマンは、或る時は研究所の主任であったり、或る時は居酒屋の主人であったり、様々なんだ。、、、おっともう時間だ。では失礼


2006年3月30日 晴れ時々雨  8度
日本海側でこの時期に大雪が振るのは実に80年振りだという。桜のつぼみと雪化粧は、ここ最近の寒さの象徴だろうか。この辺でもまた、強風と伴に時折、みぞれが舞ったので、驚いた。ヒマラヤの氷河が融けたり、砂漠が広がったり、海面が上昇したり、熱波でお年寄りが何人も倒れたという話を時々ニュースなどで聞くと、温暖化説のもっともらしさを疑えないのだが、桜の時期になっても雪が花吹雪の様に舞うのも、温暖化の為だろうか。そんなことを考えながら、今日も例の製作が続いた。サイデングの急ぎの斜めカットの保温板に時間をとられてしまったが、ようやく空いた時間で、余った材料を使って、例のへんてこりんな形状の組み立てをしていた。兎に角、例の鹿児島の方からお問い合わせのあった件で、本当にそんな効果があるのなら、実際にこちらでもそれをくみ上げて見て、実験してみようということになったのだ。その材料としては工場のあちこちに転がっている端材を集めてくれば良く、後は貼りあわせに手間がかかるだけだったので、直ぐに出来た。糊の乾燥を待って、明日には実証試験が出来るだろうか。上手くいけば、特許などの関係があるので、こちらでは、材料の提供が出来る程度だが、恐らく、ご自分で作ってでも使いたいと言ったオーデオマニアは全国にごろごろいるのではないかと思った。何しろ材料でならその方がお安いだろうから。ふと、思ったが、メーカーのアキレスコープランという壁や床に使う保温材も、そう言えばいくつもスジが入っているようだが、あれもこういった防音効果を狙ったものなのだろうか、さて、不思議なものだが、よく解らない。


2006年3月29日 晴れたり雨が降ったり 8度
今日も朝から例の製作が続いた。有難いことに、あの製作では思っていたよりも進んだので、早速客先に問い合わせてみたりした。そして、例のお客さんから教えて頂いた、そのへんてこな形状のものを 夕方空いた時間で作ってみた。本当にこんな物で大丈夫なのだろうか。そのお客さんが話されたように、世間ではこれが正式に販売されていると言う。こちらでは、この変てこな形状の部材に相当するそれぞれのブロックなら、いつでも工場内にごろごろ転がっているのだ。それを或る法則に従って繋ぎ合わせ、並べて貼れば出来上がるのだ。本当に笑ってしまう。確かに、こんなものなら、直ぐに出来上がってしまうのだ。ところが、それが特別な、その効果を発揮するというのは驚きだ。そう言われて少しずつ思い出せば、これを天井に貼ったり、吊り下げたりしているのを、どこかの演劇会場か、コンサートの会場でだったか、それとも静寂の必要な展示会の会場だったかで、見かけた事があったように思う。綺麗に外形に塗装などして、完成品としては、その役割に相応しいだけの値段がするのだろうから、こちらでは、そっくりのものを販売は出来ない。だが、素材部材だけで、後は、お客さんで組み立ててお使い頂く分には、全く問題はないだろう。何故なら、その形状の部材なら、工場内にいつでもごろごろしているのだからだ。


2006年3月28日 曇りのち一時突風を伴う雷雨 11度
昼から、空模様が怪しくなっていたが、3時過ぎ、いきなりの豪雨が雷を伴って激しく、稲妻もけたたましく轟かせながら短時間続き、その後は、冷たい雨が夜半までとなった。どうやら、全国では大荒れの天気で、相当広い箇所で雪になっているようだ。さて、本当に今年の寒さ、雪の多さは、『温暖化による北極の寒気の吸引力の衰えで、寒気が周辺に流れた為に起こった』と言った公式見解は、本当だろうか、と疑問が沸いて来る。もうすぐ、4月ではないか。1年の1/4近くが過ぎている。温暖化で寒気が流れ出したのなら、その一方で、温暖化で温まった暖気は、どこへ行ったのだろうか。まさか、暖気は、赤道の温暖化で、赤道に閉じこもった、などと訳のわからない見解になるのだろうか。地球大気の二酸化炭素は継続して増加しているはずだから、1年の1/4が寒くなれば、残りを相当暑くしなければ、年間の平均気温を対前年比上昇傾向にはならないだろう。大丈夫だろうか。今年の後半、秋も冬も飛ばしてとてつもなく長い夏があって、やっと帳尻が合うのだろうか。まだ、よく解らないが、太陽黒点の活動期が終わっている為、とした方が自然で、良いような気がする。やっぱり、『誰も言わない環境論@ CO2温暖化説は間違っている』(槌田 敦著、ほたる出版)なのかなあ、と思いながら窓の外を見た。だとしたら、今後も石油の需要は、長い冬を越すために、発電暖房用として衰えないだろうし、CO2は増加しながら、地球は、しばらく寒冷化が進むのだろうか。それとも、2007,8年にまた太陽黒点の次の活動期が始まるというし、そこまでは、こんな天気が続くのだろうか。仮にこの説が正しいとすれば、今後しばらくの商売のポイントをどこに置くべきだろうか。例えば、戸建木造の家にして、断熱と保温性が独自に手厚くできる方が有利だろう。マンションでは個別の対応といってもエアコンを大きなものにする程度しかない。食料はどうだろうか、恐らく、世界的な需要の増加に、遅かれ早かれ、食料生産が追いつかなくなるだろう。未開のアマゾンを切り開くといっても、直ぐには出来ないだろうし、砂漠を緑化して耕作するのも直ぐにはできないだろう。食料の自衛的手段には、日本の昔ながらの伝統食が見直されるのだろうか。冷蔵庫を使わずに、半年や1年は保存が効く食料が売れるのだろうか。冷蔵庫を使わなくても大丈夫な冷凍食品は売れるだろうなあ。それに、このまま鳥インフルエンザの拡大が続けば、やがて何処かの町で或いは国家で、人々の通行規制が始まるだろうから、食べること位しか楽しみはなくなるのだろうか。おっと、時間だ


2006年3月27日 晴れ時々曇り 18度
今日も例の製作が続く。我々のような仕事は、正直、精一杯汗をかいでの作業に近いものだから、どちらかといえば、矢張り、現場のブルーに頑張るマンと言ったところだろうか。前進あるのみ、頑張るのみ、ガンバレガンバレ前向きに、ひたすら取り組んでいくのみなのだが、今日も、あっという間に時間が過ぎた。体力の温存を図る他に出来ることがない。

 ももしきや 古き軒端のフロートに しのぶにも なほあまりある むかしなりける

 もろともに あはれと思え スチロールの粉桜 花よりほかに 知る人もなし


2006年3月26日 曇り時々晴れ 16度
今日も、例の発泡スチロールの件で素材を探しに出掛け、街中をうろうろしていると陽が傾いてきたので、諦めて帰宅した。そのまま疲れて横になるとふと気がつくと朝方になっていた。といった具合で、ずっと眠ってしまったようだ。NHKの通信高校講座を聴こうとラジオを点けていたのだが、何にも聞いたような記憶が残っていない。残念だが時間も押している。少しでも、勉強をしようと思うのだが、残念無念、斯様なテイタラクだ。人間インプットが干からびてくると、中で熟成するものも無くなって、アウトプットもやがて無くなって来るだろうと、頑張ってみるのだが、如何せん、年齢だろうか。カラの霞を熟成させても、純粋理性にも程遠いトンでもない結論しか生まれてこない。zzz、zzz、では失礼。zzz、zzz、zzz、


2006年3月25日 晴れ時々曇り 13度
今日も例の製作が続いている。学校が休みに入ったのだろうか、よく解らないのだがページの方も少し静かになったようだ。日本○○未来館からの急ぎの製作で加工方法の変更を検討中、試しに、とある加工道具を思いつきで製作し使ってみたのだが、結構使えることが解ったのは、良かった。本当に我々のような現場で毎日あーでもない、こーでもないと齷齪している所は、こういったちょっとした工夫の積み重ねなのかもしれない。もしこの簡単に出来る方法を1年前に思い付いていたら、きっとあのSントーり研究所の例の加工ものでも随分と簡単に出来ただろうと、その研究所から急に例の色見本がまた欲しいと連絡があって、その発送の準備をしながら懐かしく思い出していた。また、あの加工については、加工機の心臓部分を牧野機工のタカラ部さんに依頼していたのだが、「日本橋でも行って歩き回って探してこないと、これだけ専門的な形状のものは、市販ではあり得ないのと違いますか」と言われていたので、結局未だに前進がないのだが、近々道具屋回りでも再開しないことには何にもならないようだ。1歩1歩か。1歩前進2歩後退か、しかし決して立ち止まる訳には行かない。


2006年3月24日 晴れ 14度
結局、季節は巡るのだろうか。春らしい少し暖かい天気の中、今日も朝から例の製作が続いた。有難いことに、実に様々なお問い合わせも不思議と飛んでくる。例の、発泡スチロールを使った丸でドンデン返しのようなそのアイデアの材質がお客様から指定が掛かり、そうかそうだったのか、と思いながらいつでもスタート出来る準備は完了した。どうせなら、‘フラクタル‘構造をもっと活用してみると意外な展開が待っているのかもしれない。世の中にも他に、穴が沢山開いているほうが役に立つものもあるだろうから、、、おっともうこんな時間だ。今日はここまで


2006年3月23日 曇り後雨 7度
今日も朝から例の製作が続く。昼前、京橋からJRで30分、そしてさらに徒歩30分かけて見えた設計事務所の方から、「どうしても昼から使わないと取引先を失う」と、円柱の急な製作が持ち込まれた。JR津田の駅から歩いて来られたそうだが、急げば急ぐほど道に迷い、「草むらを横切ってようやく着いた」と聞いて驚いた。随分と遠周りなさった様子で、ジャンパーが枯れ草だらけになられていた。よほど大切なお客さんなのだろうか。自然とこちらの製作にも力が入った。小1時間でご希望のものを製作し、お帰りは、駅まで車でお送りした。「有難うございます。助かります。またお願いする事があるかもしれませんが、その時には是非よろしく」と駅で下車なさる時に話されたので、いいえ、縁とは不思議なものですよ。どこでどう繋がっていくのか解らないものです。次回は無理と言うかもしれませんし、またまた、ハイハイと軽くお受けできるとは限りません。偶々、のことですので、お構いなく。そう言って別れた。発泡スチロールの小さな円柱1個に、この時確実に、若いその方の人生がかかっていたのですね。間もなく、駅のホームに快速が到着するのが、信号待ちをしている時に、赤信号の向こうに見えた。


2006年3月22日  曇りのち雨 8度
こんなページを開設していると、有難いことに毎日実に様々なお問い合わせが転がり込んで来るものだと、毎度のことながら、改めて関心し、うっとうしいい雨空とは逆に、気分が爽快になりながら、今日も例の製作が続いた。中でも、○○島の方から頂いた発泡スチロールを使ったその用途には、終日、とり付かれた様な興味が湧いた為に、製作作業中も、如何に面白い展開が出来ないものかどうか、何度も首を捻りながらの作業となっていた。先日もそうだったが、何とも早、まだまだ、この発泡スチロールを使った素材のアイデアの問い合わせは尽きない。もう、4年、こんなページを開いていても、未だに、新しい可能性を持ち出されて来られる方々が実に多いのだ。不思議なものだ。へんてこりんなものだ。軽くて、形が割りとしっかりしていて、それでいて、それなりに加工もし易い、といった特徴をさらに掘り下げて、追求されていくのだ。例えば、液体窒素の容器も然り、電磁波用ジグも然り、水耕栽培用フロート然り、勿論、保冷、保温、断熱材も然りであったが、正に、今回のご発言は、それらの柱に、さらにもうひとつが追加されるような強い驚きを伴っていた。確かに、原理的には、以前「面白実験」のページで ”フォトニックフラクタク現象”については、発泡スチロールで模型を作って、面白おかしく、実験と名打って、試してみたのだが、その延長上のものではないかと直感したのだが、今回、そのまま空気層が多重になっていて、光ですら、その幾何学構造が吸収するのだから、まず有り得る話なのだろうか。本当にここは、不思議の工業列島だ。日本国中、不思議の研究所がごろごろしているのではなかろうか、とさえ思った。空想より現実のほうが奇奇怪怪としているのだ。こんな現実を、若い学生さんにも知ってほしいものだ。きっと、びっくり仰天して、僕も私も勉強したくなるだろうに、、、。


2006年3月21日 晴れ 11度
やがて悲しき発泡スチロールマン。喫茶店のコーヒー代にすら為らない小遣い銭を握り締め、近くのスーパーの3Fへ駆け上る。例のゲーセン、テレビに見た「クレーンゲーム王選手権」に出ていた懐かしのクレーンゲームと同じ機種が並ぶ。そうだ、そうだこの機種だったぞ、テレビに出ていたのは。やがて、一息ついて、コーヒー代にも満たない、なけなしの小銭をおもむろに、投入口にそろりと押入れ、発泡スチロールのハイサイクル型成型機に向かって、サイクル設定しながら、発泡スチロール製品の離形微調整をしている時と同じような感覚に浸り、さながら、仕事の延長上のような緊張感に襲われながら、クレーンを夢中で落とし込んでいた。そして、有難い事に、今日も、成果はドラえもんの人形(今回は映画『南海大冒険』シリーズから)だった。自販機に残りのコインで、ヤクルトの2個1を買い、しばし、周囲の子供達の喧騒を他所に、ベンチにたたづんで、ほっとしながら、3Fの窓の外のよく晴れた空を眺めて、ちびちびと飲んでいた。もうすぐ49歳。やがて悲しき発泡スチロールマン。以前、発泡スチロールのハイサイクル機の機械調整をしていた頃は、形状の異なる製品の離形調整データを400か500種ほど集めていたことがあったので、どうしても、クレーンの到達位置、回転位置の3次元的調整には、仕事柄馴れていた。実に似たようなものだ。離形して、きれいに速やかに機械から下に落とすか、クレーンでバランスを取りながら、持ち上げるかの違いだけだ。有難い事にテレビで、クレーンゲームのプロによる指南までしてくれていたので、コツはつかめた。さあ、これからは景品集めをメインの生業にでもしたいものだと、窓の外の動きの早い雲の間からサッと差し込んだ陽の光が、ヤクルトの空容器を照らしているのを見ながら、ふと考えた。
 
 働けど働けど なおわが暮らし楽にならざり じっとドラえもんを見る


2006年3月20日 晴れ一時強い風 10度
単に、極の温暖化による吸引力の低下が冷気を周辺部へ飛散して起こる現象が、今年の大雪だとの説明が、どこかに掲載されていたのだが、これだけ日本やヨーロッパなど周辺部を冷やしたら、極も却って冷えるのではないだろうか、と思いながら、やわらかくなった春の日差しとは逆に、まだまだ寒い日が続く中、例の製作が続いた。足元、経済動向には常に関心をもっておらなければならない。それが、商売だろう。そこが、美と時代を超える意外性と、感動作りに没頭できる芸術家との大きな違いなのかもしれない。或いは、その5軸同時移動型が手作りでの可能性を短期即決的に共有できるレベルの技術なのかどうか、近くのゲーセンにまで出かけて、各種ゲーム機の作動を見ながらでも確認するほどに没頭するのがいいのかどうか判らないが、そこが技術とは違うモノかもしれない。残念だが、無限の手間暇をかけて満足行くまで作っていればいいという訳にはいかない。だからと言って、台帳に線を引いてばかりでも、何も周囲が見えてこなくなるだろう。例えば、この日銀の量的緩和解除を受けて、上げ始めた金利の動向だ。こんなものは、いくら台帳に線を引いていても見えてくるものでは無い。必ず、国家天下を越えて世界の情勢に目を向けていなければ、見えてこないものだろう。石油を始め、、zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまったか。きょうはここまで


2006年3月19日 強風曇り夕方遅く小雪 6度
もう直ぐ、彼岸だというのに冬の季節風と丸っきり変わらないような肌を刺す冷たい強風が吹き付ける、あいにくの天気となったが、馴染みの材木屋さん(M田木材店)の開いた展示会『大木の香祭』へ出掛けた。無垢材といわれる木材が中心の展示であったが、多くの巨木に実際に触れてみると、正直気持ちの良いものだ。太さが80センチも90センチもある大きな柱には、そこに横たわっているだけで、無言の存在感が周囲に充満してくるものだ。都会の真ん中では、人口構造物が氾濫し、幾何学的な図形に慣れた目には、そんな大きな自然の香り漂う『木材』に静かに触れてみると、矢張り、気持ちを落ち着けてくれる親密感が漂ってくるのは、実に不思議なものに見えるのだ。木材の『良さ』、木材が人を引き付けて離さない親和力とでも呼べるものは、この第一印象から始まる。そして太古より人が生き、暮らしてきた何十万年という気の遠くなるような時間の殆どを、我々はこの木材と共に暮らしてきたのではなかっただろうか。喜びも悲しみもその樹木に囲まれて、守られて、助けられて、過ごして来たのではなかっただろうか。だから、まるで、遺伝子にまで組み込まれてしまったような、絶大な安心感が、その柱の間に醸し出されてくるのだろうか。確かにいいものだ。こんな良いものを側に置いて、それで家を建てたいと思う衝動は、ごく自然の成り行きなのかもしれない。会社と自宅の往復で、社会の喧騒と緊張の連続の中から、せめて自宅だけでも、羽を伸ばして、開放されたいという切ない願いは、木材を使った家作りへ誰でも向かわせていくのが、自然に囲まれたこの国の形なのかもしれないと思った。




(M田木材店様主催 展示会『大木の香祭』より



2006年3月18日 雨 7度
そんな訳で今日も例の製作が続いた。矢張り「自由である義務」を負った学生期間というのと、そして、その後の社会の中に「投げ出された自由」を比較していた。と言っても、相当背伸びしているので、容易に結論など出ない。だからと言って、この課題から離れることは、思考的後退なのははっきりしている。そもそも、各種現物の製作が何年も続く中、インプットが殆ど無くて、アウトプットばかりが続くと、考える道具としての、いわゆる硬めの表現、というか格調高い抽象的な言語といったものが、使わない外国語と同じで、どんどん忘れて、消えていってしまうので、社会なんて、そんな自由もへったくれも何にも無いよ、と高飛車に、或いは逆に、足るを知れば全てが自由なものだとばかりに、当然と開き直ってもいいのかも知れないが、それでは前進がないので残念だ。どうしても、今日も雨の中、遠方より、わざわざの来客がお見えで、そんな考え事も一休止し、例の製作について、こちらで把握している基本的な製作方法を一通り、自分なりに、まとめながらご説明、ご伝授差し上げていたので、改めて、実際にはその製作技術といったところへ関心が走ってしまった。例えば、また例の楕円体加工であったり、他で、言うところの5軸移動式加工機なるものの基本的な動きをどうつくるかであったり、また、無茶な1m×1m×4mの1枚ものブロックの件であったり、液体発泡スチロールの件であったりした。果ては、ほかほかカイロをばらして、発泡スチロールの原料をさらに砕いて、これを混合することで、液体状発泡スチロールの代用にならないのだろうかと言った具合に、自由は、この辺りまで来ると、インスピレーションに変形していた。幸か不幸か、学生の言うところのモラトリアム期間からすると、それから以降、何十年という期間は、強制的にアイデンティテーを無自覚的にも確定してしまうだけの長さは確かにあると思える。後は、事後承認のように、容易くそれを表現すれば言いだけなのだ。そう、表現すればいいだけだ。ので、こうして、ここでそれを表現するべく頑張っているのだ。いやいや、再度、問うて見る。「自由とは何か」


2006年3月17日 曇りのち晴れ 9度
そして、その後も例の製作が続いた。格段の変化はないのだが、増して、それについてコメントの義務もないだろう。就業人員規模別賃金の年齢構成というグラフが新聞に出ていたので、我々がどの辺りに置かれているのかひとつの判断材料になるのだろうか。全国に100万社は在るという中小は、その圧倒する比率の上に、情けないような現状を振りまいている様に見えるグラフだ。学生の間、「自由である義務」を負ってその各自各様の将来像を描きながら、大きな可能性に夢を見ることは誰もが極、自然なことであったはずだ。そこには勉強をしなくてもいい自由があったし、むしろ義務化されることにすら激しく拒絶できた若い自由があったし、青い本当の「自由」を必死で探し回ってみることが可能であれたのだ。だから、中には、その身分をあっさり捨て去って、社会の荒波の中へいち早く飛んで行って、戻ってこない場合も結構多いのだろうか。では、その先の社会は何か。___確かなのは「生きる自由」が恐ろしいほど存在しているだけなのかも知れない。厳密に規制緩和などされなくても、「お前たちは自由にやっているではないか」と問い詰める人があれば、我々中小、零細企業にいるのも、まあその自由の果ての姿ではあるかもしれない。しかし、社会が大きな共同体である限り、何らかの制約や義務は、つき物だろうから、ここでもこの表現する「自由である義務」は、有効だ。、、、、、おっともう時間だ。考えることをまとめる時間もないなあ。では失礼


2006年3月16日 雨時々豪雨 9度
今日も例の製作が続いた。幾つものお問い合わせから、また次の商売のヒントというのも出てくるものだ。確かに、そういったご質問は結構多いので、早急に具体化できるかどうか、当たってみたいものだ。zzz、zzz、zzz、またここまでとなった。読んでもらえる文章を書き続ける作業というのは、結構大変なものだ。もう時間がない。また、今度書いてみよう。ではこの辺で


2006年3月15日 快晴 15度
朝から例の製作に追われていた。毎日が綱渡りのような作業が続く。材木屋さんの若い跡取り息子さんが来て、今度、ご自分で棚を作るから発泡スチロールの板で余ったのを欲しい、と。流石に、木の香りの漂う贅沢な棚を作るのは朝飯前なのだろうか。昼過ぎ京都の遠方から、高校の体育の先生がお越しになる。背がすんなりとして直立不動はいかにも体操の先生らしい。忙しい時間を割いでの遠方からのわざわざのお越し。体操の鉄棒、平均台などの練習時の足台をお探しだった。どうしても、跳び箱では重た過ぎて、瞬時の移動が難しいらしい。特にタイミングを重視しないといけない体操では、さっと飛び乗ったら、さっとリズムに乗れるように、足台を外せるものがベストらしい。なるほど、少ない予算を、生徒さん達のために、あれこれやり取りしながら頑張っておられる先生には、発泡スチロールは、正に打ってつけと思われたようだ。有難うございました。また、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。そして、今日も様々なお問い合わせが続いている。驚くような、この国の最先端、不思議の工業立国日本の科学者は、正にその問題に、いち早く、先手必勝の如く取り組んでおられることが、お問い合わせ内容からひしひしと伝わって来た。知る人は知る、そのままだなあ。これだけ全国からその件の情報が伝わってくるので、点と点を繋げれば、その分野では、早くも変化に対応するべく、相当大掛かりなスケジュールが進行しているのだと推測は出来たのだが、どうやら何となく、本当のように思えてきた。ほら、3年前ここにも少し書いたが、太陽黒点の大爆発があった年、夏は物凄く暑い日が続いたし、気候は数年かかって変動の波を打って来た。確かに、その反動はありそうだと思っていた。よく解らないが、それは宇宙天体の動きと本当は密接に関連しているのだろうか。


2006年3月14日 曇り時々今日も小雪 3度
寒い割りに日差しはしっかりと春に近づいているようだが、遠方では大雪なのだろうか、前の道路を走る長距離トラックのホロから雪の塊がバサッと落ちて、時折うっとうしい雲の間から差す、その、春に確実に近づいている日差しに当たって、溶け始めるのも何となく早くなったように思う。1月頃の一八豪雪の雲が日本海側から山越えして来て降らせた大雪が、この辺りでは幾ら何でも昼を回ると溶け出したのだが、その溶け出す速さが、道端に転げ落ちたその大きな塊のそれとは、比較にならないゆっくりした速さだったと覚えている。溶けて、みな完全に溶けて、消えて無くなっていく。泡沫の発泡スチロールなのだろうか。そして、このようなページを開いて、もう4年目の半ば、折り返し点まで来てしまった。早いものだ。中学を卒業するまでは早かった。それから、20歳を越えるまでは結構長かった。のに、20歳を越えると、あっという間に30だった。そして気がつけばもう40代も終わりに差し掛かっている。高齢化の進む日本で、いくら団塊の世代が今なお、国の牽引車のようなことを言っていても、所詮、10代20代の若い人々の素晴らしく柔軟な発想には負けるのだろうか。各地で、卒業式が行われて、旅経つ若者の涙するシーンがニュースに流れていたりする。今では、カメラの前で男の学生さんも結構大泣きしているようだったのが時代だなあと思った。こうして、また次の時代を背負って立つ若者が、トコロテンのように次々と社会に押し出されていく。早いものだ。彼らも、ふと気がついて振り返ってみると、あっという間に20代30代と過ぎていく自分を見つめなおす時があるのだろうなあ。旅立つ彼ら彼女らに、仲の良い皆との別れに涙する瞳は、熱く燃える太陽が燦燦と差して、その時代閉塞を確実に溶かして呉れる希望を抱かせてくれているのだろうか。解らない。解らないのに、急に 『なごり雪』の歌が思い出された。今日はこの辺で


2006年3月13日 曇り時々雪 3度
天気予報通り、時々雪が舞う一日となった。3月も中旬になろうとしているのに、雪とは珍しいのだが、今年のようによく雪が降る年では、慣れっこになった。先日まで4月下旬の春のような暖かさが続いたのだが、正しく春の天気は蛇行を繰り返すのだろうか。今日も朝から例の製作が続いている。或るメーカーから発泡スチロール容器の無償提供を受けた。有難い限りだ。介護施設、整形外科、リハビリ施術院、等から簡単な足湯容器の引き合いが結構絶えないと相談を持ちかけていたのだが、漸く、1社が乗り気になって下さったのだ。まだ、試作段階だが、これで1件遅れている北海道のモニターの方へ、容器の2個1、又は3個1の改造を経てお届けできる。如何に安上がりで簡単に出来うるかがテーマになる。足湯の場合、40度より少し熱めのお湯が、20分、30分程度、保持出来るかどうかが、身体の温まり方、血行の回復などからポイントになるらしいことは、これまでのモニター様からのご意見から解って来たのだが、その点は、何と言っても強みだ。これで、今後は、サンプル出荷の段階に移るのだが、どうだろうかなあ。本日も、様々なお問い合わせが続いたし、遠方からの来客も続いた。


2006年3月12日 雨 9度
終日生暖かい雨だったが、気を持ち直して、本屋へ出かけたのは、漸く夕方暗くなる前で、走り梅雨のような雨は上がっていた。どうも視力がこの4年で相当低下しているので、書棚に並ぶ本の背表紙もぼんやりと霞む事しばしばであったが、兎に角、本屋で立ち読みしながら疲れたらベンチに腰掛けて読み続ける事が出来る方式というのは、貸し本屋や図書館でもないのに、何となく趣味や特技の持ち合わせが特に無い者にとっては、ここへ来ると、ヨーロッパ調で流行の先端に乗っかっているような錯覚がして、贅沢なもので、気持ちが大きくなる。『日本の品位』とか言う本が売れているらしい。人は論理、合理だけでは立ちいかない、情とか思いやりのようなものがないといけないし、近年、アメリカ式の様々な論理、合理性が持ち込まれて、社会のギクシャクやトラブルを起こしているので、そのような合理性だけではない日本のいいところをそれらの解決策にしようというものだ。直ぐに漱石の『理にはたらけば角が立つ、情に棹差せば流される、、、』という一文だなあと思いだした。だが、こういう考えを数学者が書いているのが面白い。論理、合理で言えば当HPは幸か不幸か、実に様々な研究分野の最先端を突っ走っている研究者の方からの直接のお問い合わせが多いのだが、その方々は間違いなく公私共に認める様な日本を代表する合理的研究の一人者ばかりだろうと思うのだ。ところが、もう4年5年と問い合わせの在る度に、実際に受け応えを重ねて来て、そんな針を刺す様な論理、合理を突き付けて来る方は、不思議に一人もいないのだ。皆さん共通して、『日本の品位』に書かれている一面を既に体得されている方々ばかりなのだ。矢張り、どちらかと言うと、原理原則で押して来られるのは、大阪の商売人風の方からのお問い合わせが圧倒的に多い。「競争の原理」だけではアメリカナイズされてしまうなんて、そんな流暢な話などするな、商売は駆け引き、儲けてなんぼ、割ってなんぼ、マけて当然、という世界で押して来られるのだ。zzz、zzz、春眠あかつきを見る。もう朝か!先ほど夕方の通信高校講座現代文で『三月記』を解釈していたと思ったが、途中で不覚にも眠ってしまった。今日はここまで


2006年3月11日 曇り 15度
今日も朝から例の製作も続いたし、例の発送先の件でバタバタになって飛んだり跳ねたりの連続であった。運良く、発送先のドライバーに連絡がとれ、急遽発送エリヤ外にその商品を発送して頂く段取りが出来た時にはほっとした。昼からは、遠方から来客があった。遠方地域の発泡スチロールの情勢をお客さんの目を通して知ることが出来たのは大いに収穫だった。それで、こちらもそれに答えるべく、出来るだけ、発泡スチロールの加工について、お客さんの用に期するべく、現時点で説明できる範囲でご説明、ご紹介など申し上げた。今なさっている仕事は、他の業種がメインらしく、これから発泡スチロールを使って、何か立ち上げて行きたいとのことだった。こうして、発泡スチロールの加工方法でご説明を他人に差し上げると言うことは、本当に却って自分の考え方などを整理し、まとめるチャンスになるというものだ。有難いと思う。中には、電話一本で、メール一本で、加工をどうすれば良いか教えてくれ、と言われる方が、随分と大勢おられるのだ。特に学生さん等からのお問い合わせでは、特にメール一本で、こちらで何年も懸かって磨いてきた加工方法を意図も簡単に、教えてもらって当然の様に聞いてこられる事もあるのだ。だから、わざわざ遠方から新幹線、電車、タクシーと乗り継いでお越し頂くと、どうしても話に熱が出るものだ。zzz、zzz、zzz、zzz眠ってしまった


2006年3月10日 雨のち遅くに曇り 15度
NHKのロボコンのHPがあったので開いて見ていたら、大変驚いた。発泡スチロールの加工品の値段がHP上に出ていたからだ。公共の電波放送が、何でそないなことまでしはるのかと少しどころか、疑問に思った。そこに使用されている材質からして、その価格をNHKが出してしまえば、一般の方からは、まるで、その価格が公定価格のような響きに受け取られないか。よく解らないが、NHKには確かに、最近受信料収入の減少などが続き、予算面で大変苦しい事情は確かにあるのだろう。遮二無二経営を立て直さなければならないのだろうか。が、何も、こんな所で、儲けを取る必要はないのではないかと思った。相手は善良な未来のある学生さんだ。コンテストの経費にどれだけ掛かるのか解らないが、官僚的なけち臭いことをせず、もっと、サービスしてもいいのではないか。NHKだからこそ、逆に幾らか負担をかぶるとか言ったことが出来るのではないか。一般視聴者にはそんなNHKに対する淡い期待があったはずだ。あれは、確か3年前のロボコンの時もそうだった。メールが来て、「NHKの指定の業者なら発泡スチロールを買います」と聞いて来られた東京の方がおられて、何とまあ、そんな、今更むかし遊びでもしているような体質がまだまだNHKに残っているのだなあと、呆れたというか、煩わしくなって以後、返信もしなかったのだが、今回のHPを見ていて、どうやら、NHKの同じ担当の方がなさっているようだというのが、何となく解ったので、悲しくなった。恐らく、これが現実なんだ。だから、我々は、そんなことに構っていてはいけない。前を向いて、地に足をつけてしっかり前進していく他にない。これは、ひとつの教訓なのかもしれない。我々のような中小には、おおきなものには、敢えて抵抗せず、長いものに巻かれろ式にやり過ごしていく以外にないのかもしれない。そんな所に下手に盾を突いたら、圧倒的に、と言うか、残念だが、時間の浪費になってしまうだけだ。残念だが、そ、それが、それが、壁だ。我々のような年代ものは退いて、後は、若い学生さんのお作りになる期待のロボットに、そんな厚い壁を打ち砕いて頂く他にないのかも知れない。きっと、いい勉強になるだろう。そんなことを考えながら、今日も例の製作が続いた。
時間がない、例の研究所からのご返事を書けていない。取り敢えず、お礼だけこちらに書いておきます。有難うございました。試作品がどのようにお使い頂けるのか解りませんが、もし、水耕栽培の結果でも頂けましたら、今後の励みになりますので助かります。どうぞこちらこそ、今後ともよろしく


2006年3月9日 晴れ 13度
今日も例の製作が続いた。あっという間に時が流れていくような気がした。もうこんな歳だ。青年老い易く学為り難し。だが、前向きに一歩でも進めるしかない。今日もネット以外に、来客2名、わざわざのお越しは有難い限りだ。来客を通じて、様々な情報を入手出来た。世間のそんな動きを実感することが出来た。我々の世界が如何に広いようで狭いのか、そして、我々の世界が如何に、こころ温まるオブラートで包まれているのか、そして、そこに暮らし、そこに生き、如何につながりが網の目のようにあって端の端まで延々と続いているのかを感じたものだ。zzz、zzz、zzz、おっと、疲れが出て眠ってしまった。もう外は明るい。まさに24時間仕事仕事で来ているのだが、遅々として一歩前進がやっとのようだ。お問い合わせのお答えも遅れている。さあ、頑張ろう。


2006年3月8日 晴れ 18度
いきなり春のような一日になったが、例の製作が続いた。相変わらず、今日も有難いことに様々なジャンルから様々なお問い合わせがあった。こんな手製の小さなHPをご覧頂いてのお問い合わせは、考えてみれば、確かに「有難い」の一語に感無量の春のような響きがこもって来るものだ。ので、作業にもグッと手に力が入る。そんな作業の合間に、今日もまた、例の「すいーちょんどんどん、からりんた♪すいーちょんどんどん、からりんた♪」のナルミヤ国の獅子落としをしていた。その馴染めない音色に違和感を抱きながら、ここをもう少し変更してみたら、もう少し、むかし遊びのような懐かしくて、とてもいいリズムに音色が変わらないか、センサーのタイマー調整をあれこれと試していたら、日が大分長くなったとは言え、外はとっくに暗くなり夜も遅くなったのでナルミヤ国を停止した。まあ、この位に機械化が進めば、あの北大阪商工会議所の○○さんの紹介で来て頂いた、大阪府の新規産業か何かの補助金アドバイザーの方々も、これを見れば、首を横には振らないだろうに、惜しいことをした。恐らく、矢張り、こうして見ると、環境優等生の資源リサイクル型のセルパネにも大きな可能性が見えてくるというものだが、「津田のサイエンスヒルへ引っ越さないか」なんて高額で無茶なアドバイスでお茶を濁してお帰りになることも無かっただろうと思った。残念だが、矢張り、独力で進めるに限る。なんとか、次の技術的な壁を突破する為に、努力して、無い脳みその乾いたタオルをさらに絞って行く他に無い。


2006年3月7日 晴れ 14度
例の製作が続いて、漸く夕方になってからその改造機のぽんぽこ押し込み機の試運転まで漕ぎ着けた。スイッチを入れると音がいい加減にそんな音色を出すのだ。ナルミヤ国の獅子落としならまだ面白いのだが、はたまた、機織機械のような在庫積み上げ機のとんからりん とんからりん♪ならまだ趣きがあって、時代風情を感じるのだが、ぽんぽこ押し込み機の方は、まさにガンガンぎらぎらで、宝塚のような大回りで動きが激しく、花やかな、エネルギッシュな周期性を兼ね備えている。音色的には、「すいーちょんどんどん、からりんた♪ すいーちょんどんどん、からりんた♪」と 、このからりんた の所がどうしても間延びしているので、調子が合わない。確かに音色的にはまだまだこれからの改良の課題が残っているのだが、現状は矢張り、ナルミヤ国の獅子落としのようだ。だから、映画にでもなればヒットするのかもしれないが、現状は「すいーちょんどんどん、からりんた♪すいーちょんどんどん、からりんた♪」で我慢する他無いのかもしれない。自家製の機械なので、時間さえあればこんなのは幾つでも製作可能だから、効率の悪さを数と度胸でカバーし得るのだが、悲しいかな傘すらも置く場所が、無い。だから、試作品でも捌けて行くなら、テストデータを収集できるのでOKと結論つけたい。おっと、時間だ。では失礼


2006年3月6日 雨  12度
最近 名古屋方面からのお問い合わせが重なって、何かありそうだと思っていると、本日、ある名古屋のお客様から○○加工という発泡スチロールの業者が廃業されて、困って当社に問い合わせして来た、とその御事情を聞いたので、矢張りそうだったかと思った。ネットと言うのは実に情報が早い。昨年は、エ○○化成の倒産に始まって、神奈川の○○、などお客様から実に素早い動向をお知らせ頂いてきた。そして、今年に入り、今回の名古屋の件だ。これが動かし難い現実だと肝に命じ、日々製作努力にがんばる他に無い。世間とは無常なものだ。折からのコスト高と、業界全体への誤解を伴った圧力はまだまだ相当激しいと覚悟しておいた方が良いのかも知れない。例えば、CO2 二酸化炭素排出についてだ。何故だろうか、何で発泡スチロール業界がそれ程 目の仇の様に持って行かれるのだろうか。そもそも、リサイクル率は最早、古新聞に次いで高くなっているのだから環境優等生じゃないのか。それに、オゾン層を破壊するようなフロンは使っていないし、自動車や発電所のように、大量に石油を燃やしているのではなく、石油を固形化して使っているのだ。石油を燃やして使っている方がよっぽど環境に良いわけない。そもそも、発泡スチロールを使えば軽いから、輸送コストは下がる筈だ。他の重たい梱包材を使うより、トラックの燃料も少なくて済むのだ。梱包材としての突発時衝突緩衝性で他にこれほど優位な資材は無いということは、不良品率がどれだけ抑えられるというのか解っているのだろうか。車ごと冷凍車にした場合のコストとどちらが優位だろうか、或いは、通い箱にした場合、遠距離近距離でどれだけ差が開くだろうか。そもそも地球温暖化の原因はC02の増加と無関係だという物理学者の見解も出ているではないか。近年の気温の上昇は、同様のことが江戸時代中期にも見られたのをどう解釈するのだろうか。CO2は今より物凄く少なかった筈だが気温だけ2度4度と上昇していった200年間があったのだ。最近では92年94年とCO2の増加と気温の減少が起きたが、この結果に対しても何ら答えられていないのをどうするのか。地球温暖化とC02が関係しているのなら、この点をはっきりさせて頂きたいものだ。例えば、今年の豪雪は北極の大気の気温が上昇し、冷気が周辺へ出て行ったから起きた、と言うが、そうではないのかも知れない。そうではなく、もっと簡単に考えて、北極が冷たくなってきたからかもしれないのだ。200年周期の気温の上昇と下降サイクルが、下降へ移っただけなのかもしれないのだ、と言う。緑を大切にするとはどういうことだろうか。


2006年3月5日 晴れ 7度
日を書いて、何を書こうかと考えているうちに眠ってしまった。もうこんな時間だ。、、、夢の中で高校の授業だった。2日休んでいたので教科書も何も持ってきていない。英語の時間のようだ。AとBの二手に分かれているようだ。英語で台詞を言わなければならないようだ。机の席が一番前になっている。隣の生徒が先に出て何か喋っている。暗誦してきた教科書の一文のようだ。困った、その話にこちらが英語で答える一文を話しながら、振り付けをすることになっているようだが、さっぱり解らない。解らないまま前に出た。で、もぐもぐしながら、何か飛んだり跳ねたり、ぐるりと一回転してみたら、どっと笑いを取れたので夢の中で大満足していた。そう言えば、もう何十年も勉強をしていない。まして英語の勉強は苦手だった。英語の時間はいつも冷や冷やしながら、早く何も無く過ぎてくれるのを待っているだけだったので、完全に落ちこぼれていた。いやいや、英語だけではなかった。高3の終わりごろになると、周囲の受験準備が最終段階に入っているにも関わらず、もう、どの授業もついていけなくなっていた。何故か、授業には休まずへばりついて出席はしていたのだが、数学以外の興味は消えていたのに、帰宅してやっていた勉強は、あの頃急に目覚めた読書だったのだ。しかし、その時から都合10年程度つづいた読書も、残念今では全く皆無になってしまった。矢張り、何と言っても、重労働だ。肉体労働に限界まで働き詰め、夜勤昼勤交互に来ては、相当強い体力が無ければ、興味関心の在るなしに関わらず、文字を読むのは新聞程度になってしまうものだ。その上、機械技術の補修操作と来れば、ほとんど全て実践から獲得して行くようなものだったから、会社にあった発泡スチロールの機械ノウハウの簡単な暗号書にしても、現場で誰も暗号の読み方を教えてくれないので、自分で、あーでもないと繰り返すだけで半年が流れたし、益々嫌気がさして勉強のべの字も無い時期が相当続いたものだ。もう機械と取っ組む実践あるのみになっていたものだ。 おっと時間だ。では失礼


2006年3月4日 晴れ 7度
今日も例の製作が続いた。それは、工夫の連続だし、あれこれと迷いながらのチャレンジの連続かもしれない。何年も前、ある発泡スチロールの工場にやって来た経営コンサルタントと名乗る人が、「改善は何故なぜなぜの繰り返し」とよく話していたので、こんな時、それが呪文のように思い浮かぶ。1点、内側くり抜き加工にしても、方法は有りそうだし、その道具を自家製で試作中であるので、もう暫くの所まで来た。2点、発泡スチロールは、切り目から、含水する。水圧を掛ければ、水は中へ入って行き、やがて漏れ出す。3点、自動押し込み機、もう少しだ。結局、機械の試運転の為にも、試作品は、訳あり品として出していった方が、機械の次の試運転もし易いので、メリットは無いことはない。現に、こうして成果も得られたし、改良の余地も試運転あってこそ出てきたのだ。が、それよりも根本的に、羊かん状態のものを先に作って行く製法の方が良いんじゃないかと思った。当初、厚さ20mmだったから、断念したのだが、50mmや100mmなら特に問題なく、羊かん状態でも簡単に投入作業は出来るのだ。しかし、問題は広いスペースがないとそんなに大きな羊かんは出来ないか、、、後は、商品の特性をもっと良く把握する必要がありそうだ。例えば、保温性もそうだが、安全な上に、防音に効果があるというのは、問い合わせ的に、ターゲットを絞りやすいものだ。一番多いのは、楽器の練習室を作りたい向きからだ。今回、出荷予定の方も、恐らくそうだろうか。器用な人は実に器用なものだ。楽器を奏でるだけではなく、防音室を自分で作ってしまう。つまり、そういう建材用に特定するのではなく、例えば、枠は枠、中身は中身で教材用に出したり、趣味と実益の様々な展開をすれば良いと思う。、、、と、ふと、立ち止まる。そう言えば、こんな事は、確か3年前にも書いていたなあ。4点、取り扱う素材を拡大してはどうだろうか。もっと大胆に、例えば、近くのダンボール屋さんは、近くに焼肉レストランを開店しているのだ。一層、パン屋か、うどん屋でも開いてはどうか、安くなった使い捨てカイロを発泡スチロールのケースに入れて焼きたてほかほかの食パンでも売るか、名前は、近くのパン工場の向こうを張って、「ニューフジパン」でどうだろうか。5点、矢張りこのページをページ丸ごと売ってはどうか。最近知ったが、ついに「ホームページのブログを買います」という商売が出来たそうだ。幾らぐらいになるか、査定して丸ごと買ってくれるそうだ。中には、数億円の査定がついたHPもあると聞く。この雑記ノートを査定に出せば、幾らになるのだろうか。興味が湧くのだが、しかし、もともと企業のHPの一部なんだから、査定も何も関係ないか、、、。6点、そうだ、少なくともすぐに出来るのは、このHPの拡充だろうか。製作実例集も500例程度になれば、もう一度項目毎に整理するのもいいだろうが。7点、今からでは遅いかもしれないが、アニメを書いて売り出すと言うのはどうだろうか。題名は「事件ですよ。発泡スチロール事件発生!」でどうだろうか。 おや、時間だ。では失礼


2006年3月3日 曇りのちみぞれ混じりの雨 5度
ある人からのお奨めで、先月の20日に発売になったばかりの新刊を買ってきて読んでいたので、本日は全く時間がない。しかし、読んだ感想は、目からウロコが落ちるような、今までもうひとつシックリいかなかったものが、すんなり一本に繋がったというか、大変良く分かったというか、同感した興奮があった。

  『誰も言わない環境論@  CO2温暖化説は間違っている』 槌田 敦 著 ほたる出版

各種の測定結果と、物理学の立場から地球の温暖化とCO2の増加は全く関係ないと結論つけているのだ。兎に角、面白い。きっと、この見解はあの研究所のH部長が数年前に唱えておられた点と一致するのだが、、、、ので、しばらくはこれで走ってみようと思った。では失礼


2006年3月2日 晴れのち雨 8度
今日も朝から例の製作が続いた。時間をみて、例のパネルの製作も続けた。自家製押し込み機も何度か使用してみて、改良の可能な点が幾つか見えてきた。これ以上はどうも、という所にもいや待てよ、とアイデアが出て来るには、こうして何回もの試用が必要なのかもしれない。そして、早速思いついた点を試してみると意外と巧くいったのだった。機械のそこの所に重力を使わない手はなかったようだ。試行錯誤とは半永久に続くのだろうか。いつもそうだ。しかし、問題は足元だ。これでいいのだろうか。時間切れだ。今日はここまで


2006年3月1日 雨 11度
「1月の住宅着工数の伸びが全体で対前年度比マイナス6%」と言う数字が新聞に出ていた。特にマンションなどの減少は大きいそうだ。昭和38年以来の全国的な豪雪と気温の低さが物流全体をスローにしたからだろうか。例の事件の影響もあるのだろうか。そもそも家は、生涯でそう何度もある大きな買い物ではないから、安全性や安心には特に気を使うものなんだろうか。サラリーマン川柳にも、よく覚えていないが「耐震事件 モデルルームではねてみる」とかいう一句があったように思うが、困ったものだ。近くの材木屋の社長も「こんなに落ち込んだのは初めてだ。」とぼやいておられた。一過性のものなら、暖かくなるにつれて、回復していくのだろうが、どうしても量的緩和解除の先買いが途切れたといった理由では無いだろう。地域的には、関西では、大陸との物流が大きいウエートを占めているので、この時期、旧正月が始まる前、駆け込みが入ってもおかしくないはずだった。却って、2月のように、ほぼ3週間近く続く旧正月イベントの影響で物流の低下があるからというのなら理解できるのだが、よく解らない。矢張り天気か事件かだろうか。そうだとすると、やがて天気は回復するだろうし、様々な事件も人の噂も49営業日で薄くなるし、翻ってみれば、世界の人口大国の旺盛な需要はまだ当分は継続し、石油など資源需給は引き続き、引き締まり傾向を高めるだろうし、数次の米金利高は、日本の量的緩和解除をさらに後押しするので、必然的に円高、内需関連の需要の伸び、と繋がると見るのだが、どうだろうか。さらに、こと過ぎれば、税制の一件がまた注目されて来るだろうし、そうなれば、また税制前の駆け込み需給も大きく始まるだろうと見るが如何でしょうか。多聞に両刃の剣のようにも解釈できるのだが、結果のほうはどちらへ転がっていくのか誰にもわからない。


2006年2月28日 晴れ後雨 11度

限の無い仕事から戻ると、いつものようにラジオでテレビの音声スイッチを入れた途端、懐かしい『なごり雪』の歌が始まるところであった。アナウンスから、かぐや姫が歌ってからイルカが引き継いで今年で31年になるという。もうそんなになるのだ。17歳か18歳か、その頃始めて聞いた。当時も結構流行っていたので、余り歌は聴かない方なのだが、いい歌だと思いながら、この歳まで、この曲が流れてくる度に、じっと聞き耳を立てて、始めて聞いた頃を思い出しながら、そしてあの街に、3月の雪の降る場面が目に浮かぶ。だが、31年というのは長いなあと思う。18歳の時から遡って31年前と言えば、戦争中の頃だ。あの頃、既に、この国が戦争をしたことがあるなんて、遥か昔の過去の話だと思っていた記憶がある。青春真っ最中だったから、平和を謳歌していたのだろうか。なのに、それからでも、もうさらに、31年という気の遠くなる様な歳月が流れてしまったのか。何と長い時間が過ぎていく。早いものだ。今日昼の休憩時、昼ドラの一場面に、料理の美味しいと感じる大事な要素に、「ストーリーが必要だ」と役者が語るところがあって、前後の内容と関係なく、痛く同感したのだが、”ものつくり”とは皆、同じなのかもしれない。それに、供に共感し、取り組んでいくストーリーがあってこそ、良いものが作れるのだろうと思う。もっと言えば、それぞれの辿って来た長い人生があって、そこに出会いがあって、そして、ものつくりが始まるのだ。それぞれが辿って来た人生は、かけがえの無いものだ。振り返ってみると、偉大なそして素晴らしい人生であったはずだ。悲しみも寂しさも、振り返って見ることさえ出来たなら、きっと素晴らしい思い出の結晶になっているはずだ。誰でも今こうして生きているのは、そんな結晶を幾つも背負って生きているのだ。だから、ものつくりとは、『物語り』を作るようなものだ。作家が紙と鉛筆で物語りを書く時、決して彼の半生を離れては、何も書けないように、画家がキャンパスに描く絵は、如何に他人の肖像画を描いたつもりでも、どこか自画像になってしまうように、ものつくりは、それが如何なる素材であったとしても、出来上がってみると、その人の思い出の結晶が幾つも見えてくるものだ。きらめく輝きは、こころをときめかせ、わたしはこうして生きて来ました。わたしはこれからも生きていきますと、完成した”もの”が語り始める時、そこにストーリーが生まれる。だから、”ものつくり”とは、正直なものだ。隠そうとしても自ら、自分ですべてを話してくれるからだ。形にして、誰彼なく解るように、その人の人生を、すべての生き様を、その”もの”が、黙って話してくれるのだ。あの街の片隅で見た『なごり雪』の思い出は、ものつくりの原点なのかもしれない。











  トップページオンラインショップおもしろ実験室会社概要お問い合わせ
フジカット有限会社
Copyright 2002 Fujicut Co.,LTD.
All rights reserved.