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営業部デスクのコラム欄

「わたしの研究開発雑記ノート」

                                             





2006年2月27日 曇り 11度

そして今日も半日をセルパネに当てていた。夕方になって、筑波の高エネルギー研から代理の人を介して、デュアーの依頼が入った。そう言えば、先日nハムの元社長sくんと会って話をしていた時、中学の同窓生で2名が、高エネルギー研まで出稼ぎに出ていると聞いた。「ヨシンコー」のy井くんと、真冬でも下駄のおおmくんだ。世の中、狭いものだ。発泡スチロールという切り口で、どこで、どう繋がって行くのか、サッパリ判らないものだ。思い出せば、小学校の時、y井くんの家によく遊びに行ったことがあった。部屋の中へは入れなかった。というのは、いつも拾ってきた電気器具やガラクタの分解したもので部屋中が一杯だったからだ。あれは確か、豆電球で、北斗七星だったか、太陽系だったか、そんなものを作っていた時だろうか、y井くんに、分解してばらばらになったカメラのレンズ部分を貰ったことがあった。小学校の理科の時間にそれを使おうと思いながら、自分も粗大ごみを拾ってきて分解するのが結構好きな方だったので、街中をうろうろして、レンズが無いか、探しているうちに結局何もしなかったのだが、y井くんは流石に、立派な太陽系を豆電球で作って完成させていたものだった。そんな記憶の断片が残っている。そうだ、今思い出したが、y井くんと良く遊んでいたハヤ氏くんはどうしているのだろうか。彼は、中学を越境して、それからどうしたのか、記憶から消えているのだが、まだあそこに住んでいるのだろうか。転勤の多い町だった。計画的に造成された町だった。鉄とコンクリートの夢の跡。よく遊べたものだ。皆がみんな、他から移り住んだ人ばかりの新しい町だったのに、今ではほとんど知る人も居なくなった町なのに、

 ふるさとは 遠くにありて思うもの  忘れがたきや いろはにほへとち


2006年2月26日 豪雨 11度
朝から降り続ける雨は、春の嵐のようだった。終日考え事のあと、夕方、ふと、テレビのクレーンゲーム王選手権を思い出し、近くのスーパーの3階のゲーセンまで、ついその気になって出掛ける。「出来た出来た。あの裏技が出来た。金メダルだ」とばかりに、1回100円のクレーンゲームを僅か3回で獲得したドラえもんの人形2個を持って意気揚々と戻ると、急に疲れが出たのかその後、終日眠ってしまう。製作実例集を更新した。時間切れだ。では失礼


2006年2月25日 晴れ後曇り 10度
そんな訳で、今日は例の製作作業の後、夕方から京都まで出た。例の100年前のビヤホールで仕事の異なる者が来ての遅い新年会。異業種というか、異世界の人々が集まり意見交換となった。こういう場にはめっぽう弱く、終わるまで静かに端の方でちびちびしていた。帰り、加茂川の土手には春待ちきれないのか、結構若いカップルで賑わっていて、吹き抜ける風も何となく、気持ちよかった。三寒四温で少しずつ季節は回るのだろうか。遠方には、暗闇に沈んで比叡山の陰も見えなかったのだが、頂上付近に点在する灯りで山がそこにあるのがわかった。遅くなったので、駅からは、バスは途中までしかなく、途中から歩きになって、丘を一山越えてようやく戻ったのは午前様になっていた。今日はここまで


2006年2月24日 晴れ時々曇り 9度
めったに来ない発泡スチロールのメーカーの営業マンが来て、「面白そうなことやってたのは、最近どうなんですか」と聞かれる。先日も他の発泡スチロールのメーカーの営業マンが似たようなことを尋ねていたのを思い出した。昼から、例の研究所のアンテナポールの追加加工の指示待ちでスタンバイした状態が続いたので、時間がもったいないので、この営業マンの話が出たからではないが、例のご依頼の件で、セルパネの製作に当たっていた。忙中に忙中あり。多忙問い合わせが続き、継続作業にならない。綿のブロアー専用機の中古をアメリカから安く購入を考えたのだが、アメリカのメーカーが潰れたらしく生産中止で手に入らない状態が続いている為、再度、セルパネ用に自前で開発した自動綿押し込み機を、試運転などしていた。これを稼動させたのは、実は久しぶりだった。工場の一角をたたみ6畳ほどだが、スペースを区切って、この機械を設置しているので、一応セルパネの完成品までいつでも製作出来る状態になっている。帰り、東香里のTUTAYA書店でナツメ社の『図解雑学 プラスチック』を立ち読みしていて、高周波の通過特性に優れたポリスチレンが、第2次世界大戦末期、日本でもレーダーの開発を急ぎ、ポリスチレン製造装置が、ドイツから潜水艦Uボートで極秘に日本に輸送されて来て、これが、日本でポリスチレンの最初の製造だったと知った。つまり、日本では発泡スチロールは、緩衝材や魚箱として造られだしたのではなく、最初は電波機具の一部として軍事用に使われ出したのだった。正に長い歴史が、あのアンテナポールにはあるのだと思った。


2006年2月23日 曇り 7度
引き取りに見えた材木屋さんが、「だいぶ陽が長くなって来たなあ」と言われて、忙しそうに軽トラを運転しながらソソクサと戻られたので、日本の景気には一部明るさが見えていると、実に勝手に独断等しながら、今日も朝から例の製作が続いた。夕方、歯医者の予約の為、少し早めに戻ったのだが、ラジオから2極化が確実に進んでいると言う話が流れてきた。規制緩和と競争の中で、これからの世の中、将来自分は今よりも良くなると考えている人は2%で、70%の人は、逆に悪くなると考えているそうだ。20年前の総中流意識は崩れ、将来、中から下流へとなる不安を抱えている人が40%だそうだ。それは、ピラミッド型というものではなく、数パーセントの一握りの成功者と、ほとんどの生活に苦しんでいる人々がいるという、そんな構成の2極化らしい。食べる事にも住むことにも困る人が国内で23%は出てくるらしい。とんでも無い格差が開いてきている訳だ。医者で大口を開けて、キューンキューンしてもらいながら、その話が耳にこびりついていた。自宅に戻ると、「30分何も食べないでください」、そう言われていたので、何も食べずに横になっていると、そのまま眠ってしまった。この先、我々庶民はどちらへ向かっていくのだろうか。質素倹約だけで果たしてどこまで持ち堪えることが出来るだろうか


2006年2月22日 晴れのち曇りのち夕方春雨 13度
今日も朝から例の製作が続く。物の動きが止まっているのだろうか。不景気感が急激に増殖しているように思えて来たら、新聞に王子製紙の中国進出がストップしたとあった。大きな見出しで驚いた。日中経済交流が絶好調の中で、ぼちぼち何か、潮の目が変わりだしたような気がするのは、その不景気な気分のせいだろうか、それとも五輪でメダルが取れないせいだろうか。直近で、原油がまた上がりだしたし、都市部の貸しビル家賃が大きく値上がりとなり、インフレの強い圧力は顕在のようだ。あの、全国の土地値上がりは、どこまで波動を広げたのだろうか。ポケモンの映画の『波動の勇者』ではないが、立ち向かう前にじっと構えて静止するように、本格的な景気回復前の、一瞬、波がすーと引いていく状態何だろうか。それとも格差の広がりでもって、ここ何年も続いた中央突破の不景気対策は、全面展開とならず、単なる格差だけ地方に残すのだろうか。よく解らないが、どうも下がらないガソリンにしてもインフレの芽は最早、太い茎をもった葉を伸ばしているような気がするが、一体最後に誰が猫に鈴をつけると言うのだろうか。こんなので、戦後最大の「いざなぎ景気」を越えてもらっては困るのだ。これで、神話のような、何でも物が飛ぶように売れていた時期と同じにされては、たまったものではない。いつの時代にも、中小企業は、波動とは無関係なのだろう。しっかり足元を固めて、地道にこつこつがダントツだと、さらりと交わして受け流して、日々頑張る他に無いのだろうか。ポケモンの勇者曰く「波動はわれにあり」と。


2006年2月21日 曇り 10度
今日も戻ると倒れるように眠ってしまった。こうして、コラム如きを毎回発信し続けることは本当は困難を伴うことかもしれない。特に、決まった主張があるというのでもないし、その日の場当たり程度に書いているからだ。文章を読み返して校正などまるでしていない。読みようによっては、言葉尻を捕らえて両刃の剣のように作用することも多々ありそうだ。「中身が透けて見えるのでここは安全パイか」とお足を取られそうであるし、逆に「日々、頑張って時流に乗っているのが解って安心出来る」と言う声も聞こえてきそうだ。ええい、ほおっておけ、ここは唯我独尊、一方通行のページだ、とばかりに書き殴って進んでいけばいいのかもしれない。しかし、時々、暇なのか、馴れなのか、ふと、振り返ることもある。これでよかったのだろうか、と。ここに書き始めて、4年になるのだが、たかだか、4年書いて来ても、知れている。本当の所、こんな文章の中から、何が解ると言うのだろうか。そんなことよりも、@まず、毎日少しづつでも繰り返し継続して、仕事について書いて行くことで、自分なりの考え方、というのをまとめるには、絶好の機会ではあるという点に価値がある。Aは、考えをまとめる技術的な練習になるという点は確かだろうか。何しろ、一方通行とは言っても、劇場の客席を意識しない訳にはいかない。実名で仕事を持って、それこそ生活がかかっている上で、書き続けているのだ。決して、無闇矢鱈の前田のクラッカーのようには、実際やってみると直ぐに解るのだが、そうは行かないものだ。最大公約数的なことをさらりと書き飛ばすことが、意外と多くなるものだろうか。それとも、私小説風に自分の壁の中で、気持ちの塗り固めに励んで書いていくだけだったりするほうが、安全だからそうしたりしている。否、平たく言えば、「メールのガサネタ」しかない日だったのかもしれないが(笑い)、B最大の理由は面白いからだろうか。何といっても、面白いから、それだけだ。何の理由もない。さらりとしている。さらりとした梅酒なんだ。何の理由もない。こじつけて分析することもないのかもしれない。、、、、ここで仕事について書こうと思ったのだが、例えば、仕事上の経験という場合、それは正に経験という言葉と反対に、日々変化の中にあって、変化そのものに慣れるというような意味が経験だろうとか、同じことは決して起きないのが仕事上の経験だろうか、とこんな風に書こうと思ったのだが、ふと、nハムの元社長だったs君の話が耳にこびり付いていたのが、耳垢のように落ちてきた。「フジやん、冒険もいいが、一方でこれは確実っていうのもやっておきや」という言葉だ。その通りだ。今日も8件のメールのお問い合わせがあり、6件のお電話を頂いたのだが、その中で、2組、大変余裕のありそうだなあと思えるご返事の方がおられた。過ちて改めるに憚る事なかれ、とは言うが、それは決して余裕があれば出来るというものでもないだろうし、さりとて、なければないで早々出来るものでもないが、少なくても、多少の余裕があればそれはやり易いだろうか。だから仕事上の経験という場合、一方で常日頃からの質素倹約によって、事ある時の為に余裕を蓄えておかなければ、そんなに臨機に対応は出来ないものだろう。くそ不景気が続いている。果たしてどうやって、そんな余裕を蓄積できるのだろう。


2006年2月20日 雨 7度
戻ると眠ってしまった。今日も朝からばたばたしていた。例の製作も続いた。何のことはない。こうして、毎日変わらず、変化に乏しい作業工程が続くのだろうと見えるが、そうでもない。ネットを通して、今日も正しく世界と直接繋がっているのが、実感できる程の様々な所からの様々なお問い合わせがあった。それに従って、ケースバイケースで、伸縮自在に対応が必要となる。出来るだけ懇切丁寧に、こちらで知りうる事には、アドバイスなど、全力で対応しようと心がけているが、元々が、1個1円2円のお鐘の鳴らない仕事ばかりであったから、その延長上をそのまま走っているような感覚でいると、大変驚かれることが時々ある。今日も「まるで封筒貼り並みの値段やね」と話されたので、ごもっとも、とお返しした。長い年月、この感覚で作業に当たって来たのが、恐らく全国の発泡スチロールのカット屋さんの共通認識だったのだろうと思う。反面、逆のご指摘も当然、ネット世界だから、受ける。すると、これ以上どうすればいいのだろうかと、解らなくなるものだ。立ち止まって、振り返って、じっと手を見て、働けど はたらけど 我が生活楽にならざり、と言いながら、無い知恵を絞る。絞っても絞っても、乾いた手ぬぐいのようなものであるが、さらにぐいぐいと絞るだけ絞ってみるのだ。そうして生まれたのが、例のものだが、確かに好評なのだ。本当に解らないものだ、世の中は。


2006年2月19日 曇り 7度
例の研究所からのご依頼で水耕栽培用受け皿の製作の件で、ひとつだけ探し物をしていた。その道具が、あればいいという程度のものだが、探してみるとなかなかないものだ。しかし、思うに、製作上、確かに経験があるかないかの違いは大きい。昨年まで、あのSトリ基礎研の仕事をさせて頂いてきた訳だが、製作の技術的な様々な問題に取り組んで来たお陰で、今回の例の研究所からの分にしても比較的抵抗なく、ああ、ああいうのがご希望だろうなあ、と容易に想像がついたからだ。だから、製作の上でここはこうしよう、と言う方針は直ぐに決まったのだが、試作が半分出来上がって見ると、どうもそこが細い、という点が解って来たので、納品時、その点はコメントが要ると思ったりする。これらは、矢張り、長い経験がものを言う世界かも知れない。___まあ、兎に角、これから数十年で、地球環境は相当激しい変化を迎えるそうだ。少し前までは、日本が亜熱帯になるのは100年先と言われていたのが、最近では50年もかからない、どころかその半分程度の長さで気候変動が迫っているらしい。これはもう、大変なことだろう。となると、食料だけでも、自衛手段を立てていかないとならないのだろうか。そんな激しい変動の中では、天気任せの栽培には限界が必ず起きるだろう。ある時は、旱魃が続き、ある時は豪雨が続くというのだから、普通に栽培していては、どちらにしても満足な収穫は望めないのだろう。だから、こうして幾つもの、先読みの出来る研究機関で、急いで研究が行われ出したのだろうか。栽培方式を大胆に変革し、気象変動に備え、食料補給体制を確保すること。我々は今、大変な時代を生きているようだ。戦争をしている場合ではない。


2006年2月18日 曇り 6度
今日も朝から例の製作。エンゼルスウイング、0,5mm幅ニクロム熱線カットというのは、毎度ながら、いわゆる職人技にあたるのかもしれない。ニクロム線の長さを短くし、しかも磨いて0,3mm径以下まで細く落とし、熱による溶けシロ分とスライス幅を加減する自前のスペーサーを出したり入れたりしながら、カットスピードを0,5mmに切れているか目で確認して、早めたり遅くしたりしながら、且つ、手の押さえ方でも微妙に変わってしまうので、左右の溶け加減まで見ながら、切って行くのだ。我ながら、実に面倒なアクロバットな作業なわけだ。それでも、暫くしていると、前回の作業のコツが思い出されて、商品になるようになったのだが、その頃には、指定の枚数が終わっていた。材料的には、物凄く少ないのだが、結局半日この為に流れてしまい、何をしているのか解らないで作業を終えた。我々、中小企業が成り立つのは、こんなことを自前の犠牲にしながら平然と進めていかなければならないベースがあってなのかもしれない。0,5mm幅カットか。まあ、これも経験だ。では失礼


2006年2月17日 曇り 7度
今日も朝から例の製作が続いた。景気の回復は我々には無縁なのかもしれない。特に、大阪の企業倒産件数というのを聞くと、実感が足元から伝わって来る気がする。一方で、確かに企業の求人広告のちらしは2,3年前に比べて相当増えてきたと思うので、そのギャップの理解に苦しむ。よく判らないのだが、会社がどんどん潰れていくのに、臨時雇用は増えているってことになるか。社会の2極化と格差は広がり、至る所に不穏な空気とまでは行かなくても、事件事故が続く。正しく、昨日の、滋賀県長浜市で起きた幼児殺害事件もそうだ。だが、事件そのものよりも、何と驚いたことか、殺害された幼児2名を遺棄された現場が、生々しくテレビ中継されていたのだが、その国道から脇へ入って、ほんの50m歩いたところの、林のように見える、こんもりと木が茂っているところが、例のM君のお寺だった。ヘリコプターで、空からカメラが周囲を何度も写していたのだが、その度に、見覚えのある寺の本堂の屋根が見え隠れしていたのだった。その本堂へは、若い頃、何度も修行に行った事があった。泊り込みで、修行と言っても、虫取りや魚釣りが出来る自然環境の素晴らしい所だったので、で、虫取りや魚釣りをして遊んだり、その後、本堂でM君と酒を飲みながら、歌う、踊る、騒ぐ程度のことだったのだが、先代のご住職に大変ご迷惑をお掛けしながらも、いい思い出になっている。その寺の屋根の映像が全国に、、おっと時間だ。では失礼


2006年2月16日 雨時々曇り 13度
今日も朝から例の製作が続く。近くの馴染み客の来客。「一番いい風邪薬は仕事をすることだ」という。正に、我々、中小企業にメシを食らう者に休みは無いのだろうか。「真面目に働けば風邪など直ぐに消し飛んで元気になる」というのだ。風邪など引いているようでは、まだまだ余裕があるはずだと言うのだ。竹刀で2,3回根性を叩き直せば、薬もいらないらしい。インフルエンザのどうのこうのしたと言っても大したことではないようだ。仕事でギクシャクの方が余程に堪えるのだろうから、インフルエンザであろうが、何であろうが、恐れをなして何処かへ行ってしまうそうだから、我々のような若輩は、頭を垂れて、頑張る他にない。2月という月が、後から振り返ると、あっという間に「逃げる」ように過ぎてしまうというその感覚が、何となく解った。こうして、曲がりなりにも今週をやり過ごしたら、来週とあと少し、となるので、丁度、今頃が、あっという間に時間が流れて行く今月の、中間点だろうか。だから、我武者羅に、ひた向きに、前のめりで、積極的に、明るく、率先して、奮起して、がんばって行く他に無い。一つずつ、確かに、何度でも、繰り返し、繰り返し、挑戦し、その長いトンネルの先に一点の灯明を信じて進んで行くほかに無いのだ。きっと出口がそこに在るのだと強く期待し、強く新しい明日の在ることを信じ、雨が降れば傘を差し、風が吹けば、帽子を目深に被り、砂塵に負けず、雷雨に立ち止まらず、大雪に歩みを止めず、進め、進め、勇気を出して、、、と言った所だろうかこの2月。時の過ぎるのは無常過ぎる。壮年老い易く、学成り難し。


2006年2月15日 曇りのち雨 17度
結局、我々のような中小企業では、身体が、そして他に大したものがないので、それのみが資本だ。いつまでも寝かせておくわけには行かないのだ。こき使って、何回転でもさせて、動かして行かなければ、どうにもならないのだ。残念だが、風邪だ、腹が痛いとぼやいてはいられない。恥ずかしながら、体調を崩しても、仕事をストップする訳には決して行かないのだ。風邪で寝込めば、風邪の発泡スチロール、腹痛起こせば、腹痛の発泡スチロール、何か発泡スチロールは使えないかと考えて行かなければ済まされないのかもしれない。熱の出た体温計を見れば、発泡スチロール、冷えピタに発泡スチロール、寝転んで寝返り枕に発泡スチロール、といった具合だ。そして、今日も例の製作が続いた。改善するべき所は、幾らでも見つかり、改善は遅々として進まずとも、諦めることなく、前向きに、少しずつ、1っ歩でも前進あるのみか。何からでも取り組んで行こうとして、何事もチャレンジ、何もならなくとも、後悔せず、7転び8起きし、また斯くの如き、日々。共に頑張りましょう。


2006年2月14日  曇りのち時々雨  18度

風邪と腹痛が重なった。今日はお休みになってしまった。



2006年2月13日 晴れ  10度
朝から例の製作が続いた。昨日は、奈良からの帰り、24号線を通るうちに夕方となった。京阪奈の学研都市から、左へ切って、近道の山越えをして、私市へ抜ける積りであったが、くろんど池の辺りで案の定、道に迷った。山道をうろうろしている間に日が翳り始め、周囲が急に真っ暗になって来た時であった。ラジオからまた通信高校講座現代文の解説と朗読が流れてきた。先先週に続いて、原爆小説『夏の花』の第八回最終回に進んでいた。作者は、亡き妻の初盆に故郷の広島に疎開して、偶然、原爆に遭ったのだが、その当日から3日間、地獄の様な広島の街の惨状をドキュメンタリー風に耽々と書いていくのだが、そこが却って、余りにも怖ろしい。強い光線と爆風が過ぎた直後の街を徘徊する作者の視線に入り込んでしまって、原爆投下直後の焼けただれた街や、半分溶けたような「それは人間」と作者は表現するのだが、死体の山、まだ僅かに息の残る、それでも朝までには同じく死体の山になっていくに違いない意気絶え絶えの人の列を、ラジオから流れてくる朗読が進むにつれて、この目で見ている様に思えてきたのだった。そうして、暗い山道を、登ったり降りたりしながら、やっと枚方に入ったのは、ラジオのその通信高校講座が終わってから、可也経っていた頃だろうか。明るい街灯りを見ると何故かほっとしたものだ。そして今日も例の製作が続いた。


2006年2月12日 晴れ 2度
朝、例の発泡スチロールで作るケーシングの図面を、近くにお住まいの、町の碁会所の主に届けた後、事情あって、延び延びになっていた例の発泡スチロール製エンゼルの展示品の撮影に急ぎで奈良まで出掛けた。今日を外しては、その撮影のチャンスは無くなってしまうので、最後の最後となったが、漸く、本日昼から時間を取れた訳だ。枚方からだと車を飛ばして、一般道を片道2時間の距離だ。展示会場は、奈良県橿原市のまだ新しい、巨大なショッピング街の中にあった。昼頃、漸く到着となったが、奈良盆地を一望出来る屋上駐車場から、南の方に見える金剛山は一部雪で白くなっていたし、車を降りると小雪がちらついて、身体の芯まで冷えるような大変寒い日であった。しかし、小雪を払いながら建物の中に入って階段を下りていくと、程なくその、白い展示品が前方に現れたので、おーと言う驚きとも感嘆ともつかない声が、思わず、白い息とともに漏れた。広い吹き抜けの、中空に威風堂々と吊り下げられたその白い巨像は、辺りを圧して、壮観だった。正しくそれは、2枚の翼を広げた白い天使が、甲高い愛のファンファーレを魔除けの様に吹き鳴らしながら、地上に降りてこようとしている一瞬だった。明るいところでまじまじと見上げてみると、西洋の中世宗教画から飛び出してきた天使のようだった。本当に凄いものだと改めて息を飲んだ。先日来、タイミングを失って、この写真撮りが叶わなかったのに、どうしても今回カメラに収めておきたかった訳は、この作品の作家が、発泡スチロール業界では、知る人ぞ知る、大変有名な方のお作りになったモノだからだった。恐らく、日本でも3本の指に入る方であるので、是非にと言っても、めったにこんな機会はないものだ。実際、見てみると凄いものだ。全体で2m以上あるのだが、作りが細部に渡るまでこだわりと言うか、しっかりと製作されている。それに、どこの業者さんを介して施工までされているのか、此方には全く知る由も無いのだが、実にバランスよく、中空を遊ぶように浮かんでいるのだ。素晴らしい、としか表現が思いつかない。流石に日本屈指の有名な作家の作品だけはあるものだ。また一つ勉強になった。絵筆の見本は、やっぱり良いものを選ぶに限る。そんな凄い方のご協力の下に、この一企画が成り立ったことは、この催しをご覧になった一般の方々には、誰にも気がつかなかったと思う。美術館なら1000円以上の入場料が必要な作品が、無料でご覧になれたのだが、、、こんな機会に接するには、矢張り、ある程度の情報が必要かもしれない。では、この辺で







2006年2月11日 晴れ 7度
今日も例の製作に追われた。急ぎの製作が重なっている。何のことは無いのだろう、我々は、こうして何年も同じ事を続けているが、事業法人は何十年も同じ事を続ける間には、現場で繰り返し、誰かの手によって引き継がれて、同じことが行われていなければ、継続は有り得ないのだから、最後は何と言っても、人の重視、一人の技術力にのしかかっているのだろう事は、判る。確かに、設備、プラント 機械などの道具が無ければ、技術も活かせないのだが、最高級設備が完備されていても、それを使いこなせなければ、何にもならないし、もし、ぴか一の人材があれば、無い設備もやがて、独力で何とかして行くのだろうか。何とも個人ではどうにも手が届かない設備なら、まだしも、逆に、殆ど人材のウエートのみの技術ならば、会社として継続させていく場合、何が必要だろうか。例えば、論語の中に、願回が若くして奇病に倒れ、やがて誰も看病に寄り付かなくなった時、道理を説いていた孔子のことを、うわべだけの人だと恨んでいると、ひょっこり師が見舞いに来て、「この人にしてこの病ありや」、という一行があるのだが、願回は、直ぐに師を恨んだことを後悔するというものだが、それを考える上に参考にはなった。このような喩え話は、他にもごろごろしているのだろう。そんな聖人君子とは、およそ掛け離れているのだが、松下幸之助の「幸之助イズム」とはどのようなものか、我々のように外部のものには、全く理解できない世界であるが、そこを定年退職なさって後、独力で会社を興しておられるお客さんを通して、その輪郭を推し量ることは、本日出来たような気がして、それで急ぎの製作の納品までしてきた訳だ。世の中、実に人材だ。イズムは兎に角、何でもいいのかも知れない。偶々、その人の前にぶら下がっていたのが、そのイズムだったのだろうか。それが、日立の「その木何の樹」でもいいのだろうし、鉄腕アトムの三菱でも良かったのだろうし、食は日本を越えるハムでも何でも良かったのだろう。人生不可解。


2006年2月10日 晴れ 4度
例の製作が続いた。夕方、帰宅しようとしていると、雪国の電器屋さん研究所から「発泡スチロールのことは全く分からないんですが」とご質問の電話。この大雪でお困りのご様子だった。アンテナのカバーを作りたいがアドバイス下さい、との事だったので、徹底的にアドバイス差し上げた。「全然商売気ないんですね」と返して来られたので、いや、お困りのようですからいいんですよ、と言いながら、さらに追い討ち的に、掘り下げて、噛み砕いて、平たく引き伸ばして、喩えを交えて、判りやすく、それはもう 判りやすく、「へー、そんな方法があったんですね」「そんなに、簡単に出来るんですね」とため息が聞こえてきたので、そろそろ、退散しようと思っていたら、「図面をFAXしますから、待ってください」と言われて、結局帰れず、FAXの到着を待った。程なく、また電話が入り、「これなんですが、どうですか」と尋ねて来られるので、こうなったら、此方も、その図面を見ながら、思いついたアイデアを、全て出し切り、この5年で記憶に残る、似たようなご利用方法やお問い合わせで、思い出された方法のベストスリーを全て開示して差し上げた。後は、電気屋さんでしょうから、そんな道具の材料はご存知でしょうから、すぐに出来ると思いますよ。ただし、アンテナ1本は駄目になりますが、以後ずーと使えますから、とお話しすると、電話の向こうで、大喜び為さっている声が聞こえて、暫く「そんな方法があったんですね。」と何度も繰り返しておられた。で、結局、将に商売気無く、1時間以上何の利も無く、足止めを食って、ようやく帰宅の途に付いたのは、今日も9時を回っていた。ので、また時間が無い。風呂に入って横になるつもりだ。では失礼


2006年2月9日 晴れ時々曇り 4度
朝から例の製作を続けた。これでいいのかと疑問もありながら、他に思いつかず、また同様の方法で進めていた。近くの現場にコンクリートを打ち込んだ所に嵩上げ用のスチロール3500×7500×200の納品は何とか無事に終わった。特に段差の大きい現場では、有効なことが良く解った。こうして、土地改良に発泡スチロールを使われ出したのは何十年も前からだが、近くの何気ない現場にまで普及してくると、改めて驚いた。今日も日が暮れるのが早かった。時間がない、実例集の更新に移る


2006年2月8日 曇り後3時ごろ雨後くもり夕方雨風強し 4度
とうとう今日のお問い合わせは20件を超えた。時々、このような現象が起きるようになって来た。対応にも相当限界に近くなっているが、頑張る他にない。元々自分で始めたHPだ。自分で責任をもってできる限りお答えしている。3時間並んで3分の面診とならない事を願うのだ。所でこういう日の訪問者数は増えているだろうと思っていたら、意外と数量的には際立った変化はないので、おやっ、となった。矢張り、何といってもこのページは、専門的なページのようだ。問い合わせて来られる方々の大半は、恐らく以前からこのページの存在をご存知なんだろう。有り難いものだ。サービス向上へ向けて、HPの更新改良に努力を惜しまないようにしなければ成らないのだろうと思いながら、そうして、今日も例の製作が続いた。大半は個人様からのお問い合わせだ。特に、時期的なものもあるかもしれないが、学校の学生さん、生徒さんからのお問い合わせは増加しているように見える。それで、こちらも勉強家の学生さん、生徒さんのペースに何とか合わせて行かなければと、勉強している。在庫していた手作りの1mの半球も買い手が決まったようだし、また球面体の製作もしなければならない。、、、zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまった。夢の中で、あれは誰だろうか、中学の同窓生が、3人 また、勉強を再開した者がいると、夢の中だ、同じく中学の同窓生が話しに来た。そうや、通信制の大学での勉強らしい。切磋琢磨し、常に向上を願うのは、誰だろうか。よく見ると、駅前の学校へ歩いている姿が見えてきた。見習わなければならないと思った。と、場面が変わって、どうしたことか、警察署だろうか、上下の規律が厳然とした職場で働いていた。テレビの「相棒」の影響だろうか?、帰りに美味そうなおでんを相棒と食べている。店の電話が引っ切り無しに鳴るので、代わりに電話に出ると「おでん缶がでないぞ」と言う。それで店の外のおでん缶の自販機の蓋を開けて修理をはじめている。おでん缶が途中に引っかかっているだけだった。以前は、おでんの屋台を引いていたのに、今では味も素っ気もないなあ、と振り向くと、巨大なおでん君がこちらを向いて話していた。いや、おでん君ではない。よく見ると、それも中学の同窓生の顔をしていたので、驚いて、目が覚めた。


2006年2月7日 雨時々雪 3度
寒い一日であった。今日も例の製作が続いた。昼過ぎ、しばらく雨が小止みになったので、入り口のところに立ててあった会社名の入った1m半程の看板を新しいものに取り替えた。もう16年もそのままにしてあったので、ペンキが剥げて全く解読不可能な文字列の看板だったが、漸く、これでそれ本来の目的を果たせるのだろうか。遠方からお越し頂く度に、場所が判り辛いといった苦情も少しは緩和されることを願いたいものだ。この看板には、HPの会社マークとは、またまた一味違ったロゴマークが新たに入った。一見 パーラー風になってしまったのだが、看板屋さんの若い人が考えた自信作ということなので、そのままにして、良いマークは何個でもあってもいいものだと思って取り入れた。その作業の後、また小雪混じりの雨があって、夕方には雹が降った。半分溶けた氷というよりもシャーベット状態のものだったが、雨音が、ざあざあ から とんとこ とん とん、とんとこ とんとんに変わったので例の作業の手を止めて外を見ると、夜空をきらきらさせながらシャーベットが降っていた。作業に集中していたので今日も一日があっという間に過ぎた。そして、2月も逃げる、3月は去る、4月を知らず、5月は誤解で、6月はろくな事無く、7月は七変化、8月早く、9月また来る、10月重ね、11月いいかげん、12月、もう一年、と過ぎていくのだろうか。では失礼


2006年2月6日 時々雪  0度
この冬に「なんとか豪雪」と命名されるそうだが、確かに太平洋側のこんな所でもよく雪が降る中、今日も急ぎの例の製作が続いた。これだけ寒いと、「二八 の月」は商売が落ち込む喩えのように家を建てる仕事の手もしばし止まるのかもしれないと思った位だが、あれもこれもの状態は変わらない。出来るだけ前向きに、何でも来るものは拒まず、積極的に勇気を出して、新しいものに可能性を信じて、頑張って作業を進めていかなければならない。立体パズルを組んでいるような感覚になると、特に時間の過ぎるのは早い。朝からその作業に当たって周囲に気が付けば昼、再開して、また気が付けば夕方、雪が雨になったなあと雨音に気が付いて外を見ると8時を回っていたので、今日は作業を終えた。ここに住み込んでいたら、間違いなく朝までこの状態で加工作業をしていただろうか。集中力はまだまだ十分あるのだが、お腹が空いて来たようだった。こんな一日。一方、ネットのお問い合わせの方は、季節に関係なく、実に様々な不思議なお問い合わせが今日も続いた。皆さんの発想力というか奇想天外なアイデアにはいつもいつも驚かされる。もう、こうやって何年もお受けして来たのだが、次から次へと湧き出すアイデアの多さには脱帽以外に何ら手段が思いつかない位だ。そんな不思議なお問い合わせに日々接する事が出来て本当に有難い限りだ。こちらで、後追い実験をしますと回答させて頂いた事案だけでこれで3件になるのだが、その面白そうな内容のものを未だに開始出来ずにいる。今日は、その上に屋上屋を重ねるかの如く、また面白そうなお問い合わせもあった。


2006年2月5日 晴れ 4度
布団で寝転んでという生活と無縁になっている。こうして、座ったままで眠っていたので、目が覚めるとそのまま更新の作業だ。マリオネットの操つり人形のように、糸を上げると動き出すのに似ている。そうしてわずかな時間をひねり出して、この作文に当てている。毎日毎日、大変だが、もう丸4年過ぎた。何の為にこんなことをしているのか時々解らなくなる。もう、仕事だから、とかいう出来合いの理由は消し飛んで、情報の発信、などというそれらしい理由もない。時には、作文の練習だといったもっともらしい理由で取り組んでいた時も、そこそこ続いた。最近は、ブログとか言う公開の日記帳のようなものが結構流行っているが、我ながら自分の日記をこんな所に公開しようとなど思ったこともないし、自分の日記というのは、ちゃんとこのページと別にして、ルーズリーフの綴じ込みファイルにボールペンで書き込んでいる。日記を書き出して、34年が過ぎているので、まあ結構な量になっているのだが、日記とは誰にも読んでもらおうと言った目的で書き込みしている訳ではないから、好き勝手に気にせず書き流せるものだし、それで良いと思うが、こちらのような公開ページになると、矢張り、読んでもらう側を意識して書かなければならないので、常に学校の作文の時間のような緊張があって、種類がはっきり違うように思う。確かに、慣れてくると、不特定多数の読み手が、画面の向こうに存在することを忘れて、何でも好きなことを、自分のことをさらけ出して書いてしまうこともあるかも知れない。或いは、感情に走って、他人を傷つけて平気で書き込みをする場合も出てくるかも知れない。しかし、それは、自分の経験からして、ボールペンで紙に書く日記を10年程度まで続けているうちには、すべて吐き出して、次の20年目の日記になる頃には、あれこれといった わだかまりがとっくに消えて怱々と書き込んでいるのとを比較すると、このブログの流行も10年20年の長さで考えるなら、どうだろうか。はっきりした主義主張があったり、常に新しい情報の発信をしたり、経済の情勢分析なんかもそうだろうが、常に動くものを対象にしたりしているのなら兎も角も、何も無ければ直ぐに消えていくのだろうかと思う。そうだ、こちらにしても立ち止まれば消えるだろう。立ち止まらず、綱渡りのように何とか歩いているだけかも知れない。


2006年2月4日 晴れ 寒の戻ったような寒さ 1度
製作実例集の更新で時間となってしまった。何とか頑張って今日も例の製作を続け、取りあえず、切りのいいところまで頑張ったというよりも、お腹が空いてきたので作業を止めたという方が正しいか。もう夜10時を回っていたからだ。出来るだけ少しでも進めておこうと思うのだが、これが限界であった。本来、我々の様な中小企業では、24時間365日休み無く、仕事場に住み込んででも続けなければならないのかもしれない事を痛感するのだが、現状ではそうもいかない。隣に引っ越そうにも周囲が工業地帯で、住めたものではないし、当然その逆は論外だ。職住接近は緊急課題となってきたのだが、貧乏人にはどうすることも出来ぬ。せめて週1日は休みたいものだが、そうも行かず、戻るとまたネットのお問い合わせの対応に追われているので、休みがあるのか無いのか全く解らない状態だ。それでも頑張る他にない。へとへとになっていても、一息つくと、情報収集のために深夜の1時まで開いている東香里のTUTAYAへ飛んだのは12時を回っていた。お問い合わせの中で、JISの規格の件で気になっていた事例があったので、参考になる書でもないだろうかと探すためであった。調べ物があると、こうして本屋をよく利用する。勿論立ち読みだ。もし、24時間開館している図書館でもあろうものなら、恐らくそこで夜を明かす日々となっていたであろうか。最近は、本屋にベンチを置くのが流行りなのだろうか、本屋をはしごする長立ち読み族にはあり難い。ところが、TUTAYAの新刊コーナーの売れ筋ベスト10の書物が並んでいるところを ふと、流し目で見ると、ベスト10には入っていなかったのだが、その2冊下のところ、ランキングで言うとベスト12に相当するのだろうか、沖縄のN君の出した『沖縄学』がつけていたのを見付けて驚いた。おー、売れているなあ。凄いなあ。ええなあ、と思いながら気を取り直して、取り敢えず、一冊買って、N君に貢献しておこうと、うず高く積み上げられた『沖縄学』の一番上の『沖縄学』は、何度も誰かが立ち読みしているようで、折れ目が出来ていたので、その3冊下ぐらいを抜き出して、レジまで持って行った。「カバーはお付けしましょうか」と店員がいうので、勿論大事な本だから付けて呉れ、と頼みながら、ズボンのポケットから財布を出そうと思って、何気なく後ろに手を当てた瞬間、財布を忘れていたのに気が付いた。


2006年2月3日 外は晴れ 少し寒い5度
結局今日も例の製作が続いた。自家製の道具の精度に哀訴が尽きて、再度新規の自家製の道具を作りながら、またそれの製作に取り組んでいるうちに、建屋の外は晴れていたのか、はたまた曇っていたものか、よく思い出せないまま一日千秋の日暮れになった。図形描写の方法一つにしても、ふと思いついた方法に我ながら何で今までコンパスの持ち方を知らなかったのだろうかと悔いが出る。ケガキで精度を出すよりも、コンパスにマジックをくくり付けた方が、見え易くて却って良いものが描けると、当たり前すぎることに気が付いたのは、日が落ちてから随分と過ぎてからだった。技術というのは斯くの如し、牛歩蝸牛歩、はたまたアメーバのそぞろ歩きに似て気が付けば、人生を悔いて終わるのだろうような悠長な前進だ。今日のこの分野にはあまり深入りはしたくは無いのに、ついの脱線に乗って見たのだが、この加工というのは、奥が深すぎて、結局時間が膨大に取られてしまう。またまた、これも算盤的には、全く完全無欠の持ち出しだ。時間給の日当にも上らないのに、1週間も引きずってしまっている上に、さらに追い討ちをとの悲しいご希望だった。経営上、結論を急がなければならないだろうなあ。何とも、我々のような中小企業では、これでやっていけるのだろうかという『桶屋が儲かると会社が駄目になる』本のような仕事が付き物かもしれない。だから、先日、中学の同級生で、nハム研究所の所長に帰り咲いた元nハム社長のs君の話が耳にこびり付いての作業になった一日だった。「ふじやん、挑戦はいいけど、一方でこれは大丈夫という堅いところも押さえておきながら、それやりやー」と先日会った時に、アドバイスしてくれた一言だったが、もう半月も前になるのだが、未だに不思議と妙に耳に残っている今日の作業になった。何しろ、彼には数千人の部下が控えている。いつの間にか、実に大きく芽が出たものだが、それだけに、生きてきた時間は同じでも、一言に重みがある。確かにs君の腹もでてきたようだったが、、、。有難いものだ、利害を超えたところで、自由に話を出来るというのは。そう言えば、中学の同級生のイッツアsの研究員の村○くんはどうしたのだろうか。昨年やっと念願のというか周囲では忘れていたのだが、その結婚して大喜びだったのだが、その後ぷっつりと音信が途絶えた。元気で新婚生活しているのだろうか。例の電波永久発電の研究はうまく言っているのだろうか。大学の同級生の岡山の横○くんは元気だろうか。大病からの退院祝いに集まってから既に8年が過ぎた。、、、、、そうだ、こういった消息を書いていくのも結構面白いものだ。順番に知りうる全員を書いて見ようかなあ。では失礼


2006年2月2日 曇りのち晴れ 7度
その製作に終日取り組んで、結果的に如何なる機械道具を持っているか、が最大のポイントになるのだと改めて痛感している。しかし、一方で時代は簡単な方をみんなが選んで行くのだろうから、何を えらそうな事を並べて見ても、その差は開くばかりなのだろうか。最近は、光を当てるだけで樹脂を立体に細部まで図面通り、一瞬で加工してしまう究極の製法が序々にというか、急速に出回って来ていると聞く。なので、やがて、大は小を飲み込み、そんな巨大な集積技術が、製造業を制覇していってしまうのだろうか。そのシステム自体も売りに出されるだろうし、全て、機械任せでボタンを押しさえすれば、形になって出て来るのが、自販機で缶コーヒーを買う程の気楽さで製作されてしまうのだろうか。こんなものが欲しい、とボタンを押せば、それが出てくるのだが、今度は、出て来た物と物とをつなげて有機的に組み立てて行く作業までは、人手 研究員の知恵の独断場というのも、この技術革新のスピードからすると、直に怪しくなってくる。およそ、井の中の蛙だ。社内でこれだけは人手でないと出来ないと思っていても、あっという間に自動化の嵐に巻き込まれてしまうだろうか。或いは、逆に、これだけ自動化していたなら、ちょっとやそっとでは、誰にも追いつけないだろうと思っていたら、そこまでの最新ニーズに対応出来ても、市場全体が漸減していることさえ掴めないこともあるだろう。だが、再度確認してみよう。トップとそれに続く2番手3番手いやいやそのピラミッドの先端部は兎も角も、その後の旧式になった機械をいつまでも後生大事に使っているあたりまで来ると、一体全体どうなのだろうか。それなりのニーズは消えないのだろうか。ぼろぼろの使い古した機械が、そんな先端技術に打ち勝つことは、よもや無いのだろうが、多くは細々とでも息長く、持ち堪えて行きそうな気がするのだが、大量生産大量消費に使われる巨大集積技術に対して、隙間というか、小ロットの個別単品など、結局、中小企業の裾野の広がっている辺りでは、需要は消えないのだろうか。これこそが、インターネットの不思議なのかも知れない。こう言った、名も無い技術者に活躍の場を世界規模で提供してくれるのだから有難い訳だ。だから皆、一刻も早く、ネットに名を連ねましょう。高度な技術者には高度なニーズ、それなりの技術者にはそれなりのニーズが、きっとあるものだ。あり難い事に、それなりの技術にそれなりの需給バランスがあるのだろう、急ぐ事も無いだろう。しっかりと一歩ずつ、前を向いて今あるこの仕事を確実にこなして行くことだ。、、、んーん否違う。それだけでは為らない。それだけでは、単なる技術屋で終わる。そうではない、それでは、叩かれるだけではないか。世間はそんなに甘くないものだ。競争の社会という美辞麗句の影で、相当激しい突き落とし、揚げ足取り、引っ張り合いは世の常なのかも知れない。確かに、そういった事には、強くなければならないのだろうが、それでは面白くない。矢張り、常に、次の一手を用意しておこう。次の一手、、、果たして今年それが実現出来るだろうか。おや、もうこんな時間だ。では失礼。


2006年2月1日 曇り時々小雨  7度
という事で、今日も例の製作が続いた。戻ると倒れるように眠ってしまったので、時間がない。今日も1行が精一杯のようだ。ただ、ひたすらに前向きに1件づつこなして行く他にない。1年の内、早くも1/12が過ぎたのか。当社ではこうして、殆どを公開しているつもりだが、なかなか体力がもたない。こんな日もあって仕方がないのかもしれない。では、失礼


2006年1月31日 雨 11度
終日雨が降ったり止んだりの中、今日も例の製作が続いた。1個1円2円の仕事の他に、これならどうだろうと期待を込めてもたったそれだけに終日かけていては、元も子もない。道具を自分なりにアレンジして、揃えてみたところで、何をあくせくしているのだろうか。これも、最後は慣れと熟練の差になってくるのだろう。しかし、そこまでもがいて見たところで、これは、大変なだけかも知れない。世間では、有効求人倍率が1倍を超えてきたそうだ。本当にそうなのかどうか解らないが、景気は回復して来ているそうだ。5,6年前、ハローワークの前では人だかりが出来ていたし、求人データ検索コーナーでは順番待ちの長い列が出来ていたのを記憶している。、、、おっともう時間だ。今日はここまで


2006年1月30日 終日雨 11度
今日も例の製作が続く。確かに当社では電波関係のジグの製作では相当な種類に上っているような気がする。またお問い合わせにしてもほぼ全国から飛び込んでくるようなので、基本的な既製品を用意するのもいいのかも知れないと、準備を急いでいる。一方、相変わらず未知の分野への取り組みをも進めている。今日もそうだった。そのテーマは不確実性の時代には大いに楽しませてもらえそうなものである。先日、多面体では、発泡スチロールの場合の簡単な作り方を発表したばかりだったが、今回さらに、次の課題といえば課題かもしれない。それはある意味で、まさにモザイクなパズルのようなものかもしれない。まあ、一度トライしてみよう。本当にそれが可能なのだろうか。当然のようにそれ用の専用の道具を用意しなければならないが、すべて自前あり、資金がないので、矢張り道具からの自分での製作になるのだろうか。先日の多面体の製作を通して、逆に、例えば正8面体を幾つも作るには√の高さに切った三角柱を一列に並べて切っていくと早くて簡単に出来ると判ったのだが、今回も同様の幾つかの取り組んでいく上で発見があると期待したいものだ。そう言えば、球面体の超簡単加工方法も思いついたのだが、道具の工作が途中になっている。あれもこれも急がなければならない。残念だが休んでいる暇が無い。本当に貧乏暇無しだ。








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