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 サイドで「わたし」が見たノート
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営業部デスクのコラム欄

「わたしの研究開発雑記ノート」


2006年1月29日 晴れて赤焼けの夕陽 10度
午前中一杯、例の製作の準備をしていた。戻ると流石に疲れが出たのか、ばったりして夜中まで寝込んでしまった。しばらくして気がつくと、付けたままのラジオから、通信高校講座現代文の「原爆小説」の一文が流れてきた。作者は東京で妻を病で亡くし、故郷の広島へ疎開してきた数日後に原爆にあったのだという。次に、その日のピカドンの光線と爆風があって後の故郷の 町が、一瞬で恐ろしい変化をしてしまう様子が克明に朗読されていった。うとうとしていたのに、閉じた瞼にありありとそのすさまじい様子が目に浮かんだ。神戸の大震災の比ではないのは、却って現場を知るものには、描写の違いが相当に違い過ぎるので、容易に想像が出来ない程だった。「半分溶けたような」と作者は「それは人間である」と表現していた そんな人達が、20万人も広島の小さな街を怪しい光線が光った瞬間に、埋め尽くすことになったのだ。なんと恐ろしいのだろうと思いながらいつの間にかまた眠ってしまった。厭な夢を何度か見る度に目が覚めて、また眠ってと繰り返していた。戦争は恐ろしいものだ。競争の行き着く末は、人類史 決まって戦争だ。


 ラジオから 時を隔てて 聞く声に 「それは人間」 原爆の罪


2006年1月28日 晴れ後曇り 7度
今日は朝から急ぎの製作依頼があり、どうしてもその為の機械道具が必要になり、その製作も平行に行なっていた。なるほど、プロの先端の加工用の全自動加工機というのがどのようなものかを知っておれば、共通の手段で進めればまず間違いは無いのでかなり余裕があった。一先ず、これでトライしてみるつもりだが、恐らくこれにあと幾つか、工夫が必要になってくるのだろうが、することは皆同じだろうと思う。そう言えば、叔父さん(亡父の実の弟にあたる人)が、以前、発泡スチロールの金型の会社をしていたことがあった。今では、音信が途絶えて、イギリスにでも渡ったのだろうか全く何処にお出でか判らないのだが、その工場には様々な機械道具が所狭しと並んでいたのを見た記憶がある。原材料がアルミの塊か、発泡スチロールかの違いなので、道具は全く違って来るのだろうが、加工には、切ったり削ったり基本的に同じ工程があり、、、、zzz、zzz、zzz、こんなつまらない事を毎日書き込んでいるのだが、また途中で眠ってしまったようだ。外が明るくなってきた。仕事の続きが待っている。我々中小企業人に休みは無い。では失礼


2006年1月27日 晴れ 7度
今日は「不思議の国のアリス」の作家ルイスキャロルの誕生日にあたるのだが、こちらでは特に今日も変わらず、不思議なお問い合わせが続いた。1件目、恐らくその方は同業者の社長さんなんだろうか、発泡スチロールの加工に関してこちらよりも相当お詳しいのに、加工精度はどのくらいなのかと、くどく尋ねて来られたので、そこまで聞いてこられるのでは名前を名乗って頂きたいと振って見たのだったが、結局「それは言えぬ」の一点張りの反面、好きなのだろうか、実に雄弁に発泡スチロールを語るお方であったのには、ちょっと見え見えであったが、間違いなく、これもネットの不思議のひとつであった。2件目、その客のまたその先のお客さんからすれば、「梱包用の容器」とブロックの加工品とがそういう構造的な違いがあるとは、思いもしない不思議なことだったのかもしれない。だからその特殊な液体を入れるのに、何だ、簡単なことじゃないのか、と半分呆れておられたのだろうか、だが、これは実験に基づいて、当方も何度も経験済みのことであって、逆に「梱包用容器」を100%それに耐えるとして信じて疑わない方が、不思議なくらいだ。もう何十年もそんな容器に出会ってきたのだ。3件目、優先順位では最初に並べても良かったのだが、近くの府立高校の先生が、「不思議の国のアリス」に登場するアリスのような年代のかわいい生徒様2名をお連れになって来社頂いた。不思議の国のアリスが2人も居て、大変不思議であったが、文化祭か音楽会だったのだろうか、ついお聞きしておいて忘れてしまった。発泡スチロールの何か余りものの板があれば、文字を切り取って看板にしたいと言う申し出だった。特にサイズや材質にこだわりが無いということだったので、お安くサービスしてあげたので、後から事務員に強く叱られた。そう言えば、この事務の方は今日がルイスキャロルと同じ誕生日だったと後で知った。不思議なものだ。4件目、「発泡スチロールで植木鉢の特許申請をこの度とり行いました」のお手紙の方へご返事を出そうと、あれこれ同業者に電話を入れて業界での発泡スチロール製プランターやその植木鉢の最近の出荷状況などの情報を集めていた。あれはいつ頃だったか、大阪で開かれた2度の世界の祭典、鶴見の花博の前、「こんにちは、こんにちは、世界の国からこんにちは」の方の万博だったが、その前後だが、亡父が発泡スチロール製の植木鉢を持って帰ってきた事があった。確かに、保温性があったし、何でも物珍しいので、これは売れるなあと思っていたら、実は、それは日清食品のカップヌードルの容器の試作品だったのだが、まだ世に出回っていないので、その時は知らずに、不思議な発泡スチロール製の植木鉢だと思いながら、余った試作品にせっせと土を詰めて、朝顔の種を植えていたことがあったのを、ふと思い出した。そうですか、お手紙によると最近特許を申請なさったとなっておりますが、お幾ら位掛かるものか知りませんが、申請が受理されるといいですね。業界からすると、あまりにも当たり前すぎて、その間隙を突く特許申請は、ひょっとすると、不思議とうまく行くかも知れませんね。


2006年1月26日 室内は晴れていたが 5度
今日も朝から例の製作が続く。われわれの様なものつくりに携わる側では、そのことに一心に取り掛かれることが何よりなのかも知れない。決して、よそ見せず、無心になって、この世界にあるのは、目の前のこの素材がすべてでもあったかのように、次々と、流れるようにそれを作り上げていくこと以外にない。それなりに、様々な社会を上手に立ち泳ぐことが出来るほどでもなく、不器用なら、なおさら石にしがみ付いてでも、眼前の課題をこなしていく外に無い。以前、寝屋川の伝統の大手工場に納品に行った時、広い工場内を巨大なインド象よりも大きな切断、プレス機械が建屋のはるか向こうまで延々と並び、その間をアリのように小さく見える数百人のブルーカラーが、インド象のような機械がゆっくり回転するのに合わせて忙しく働いている現場を見たことがある。その時、突然、働くものの労働賛歌か、ニューオーリンズのゴスペル賛歌のような歌が、自然発生的にそれぞれの唇から聞こえてきたような錯覚を、確かに、工場内は規則正しい機械音しかなかったのだから、単に錯覚だったのだが、はっきりと抱いたことがあった。ものつくりとは、あのリズムなのかも知れない。神聖な歌のような響きが、単に生活が掛かっているからだとか、或いは金が要るからだとか、そのような各自のテーマが混ざり合って融合し合って、ひとつの不思議な緊張感を持った旋律になっているのだった。それは、判る、確かに各自のテーマは主要目的だ。だが、偶に、そんなテーマも消し飛んで、数百人の汗して働く人達が一心になってものつくりに取り組んでいる現場に遭遇した時の驚きは、こうしてここで例の製作が続く毎日に、ある種の糧となって、錯覚の賛歌を呼び戻してくれる。恐らく、そんな現場が、不思議の工業立国日本には全国のあちらこちらで見られるのだろうか。だから今日も例の製作が続く。


2006年1月25日 気が付かないような薄晴れ 4度 
今日も朝から例の製作が続く。世界の広さに遅ればせながら納得する。お問い合わせのあった会社の問い合わせ内容をあいうえお順にレターケースに入れて整理していたのだが、実によく似た名前の会社が沢山あることに驚いていた。全くこれでは憶えきれないなあと思った。病院の受付で患者さんのカルテが壁一杯に並んでいるのを見かけるが、あれは個人名だから、よく似た名前があるのは解るが、社名でも実によく似た名前がごろごろしているのは面白いものだ。ひょっとすると、国語辞典でも言葉の種類が多い行と余り使われない行があるのと類似してくるのだろうか。まだ1000、2000のストック段階なので何とも言えないのだが、「と」や「お」などで始まる社名が多いのは矢張り地名に由来しているってことだろう。本当に少しずつ病院の受付のようなスタイルに近づいて来たものだ。いつ終わるとも無く、毎日新規のお問い合わせが続いている。どこまでも、どこまでも広がっていく。お蔭様で、ある人の関係で、ロンドンに水耕栽培用水槽をお送りしたり、中国へも幾つか手作り品をお送りしたのは大変有難い思い出になった。他にお問い合わせでは、オーストラリア、カナダ、タイと続いている。有難いものだ。ろくに英語どころか、日本語もへたくそなのに、よくまあ対応出来たものだと感心する。ただただ敬服する。お問い合わせだけ頂けても、世界と発泡スチロールの情報を交換させて頂けるのでそれだけで有難いものだ。そしてネット世界の不思議に日々、感謝している今日この頃だった。


2006年1月24日 曇り時々雪ぱらつく 3度
発泡スチロールを使ってそのような大きな容器をくり貫いて製作し、液体窒素を入れる場合、余り甘く考えてはいけない。豊中の待ちかねて山大学の研究所で何度か、実験に立ち会ったのだが、発泡スチロールの材質や窒素に抗する形状やで、とんでもないほど結果が異なってくる。発泡スチロールが硬ければいいだろうと思って製作しても、窒素を入れる前は、どこにも針の穴ほども穴は開いてはいないのに、窒素を入れた途端、蛇口をひねったように その針の穴もないはずの表面から窒素が流れ出し、おかしいなあ、割れてしまったのかなあと、窒素を出してから、その表面を確認してみても全く何処にも穴が開いていないので、頭をひねって、この謎が解けずあたふたしている間に、気が付くと研究棟内にあふれ出していった窒素のために、酸素濃度が知らない間に一気に低下して危険水準になり、警告灯に気が付いて走ってその場を逃げ出さないといけないことがあるのだ。それほど、訳の解らない不思議な現象が起きるのだ。逆に相当柔らかい材質ならどうか、となって柔らかい材質の容器を用意して同様の実験をしてもらったのだが、これもまた30リッターの窒素を研究室内に溢れかえるような結果が待っているのだ。では、どれもこれも全然だめかと言うと、そうでもなく、絶妙なバランスの上にある材質で製作した容器の場合のみ、不思議と漏れなく、何年も窒素実験の使用に耐え続けていると言うわけだ。昨日も研究所の担当の若き将来の大科学者氏に確認してみたのだが、「ずっと、いけてます」とのご返事だったので、その絶妙なバランスの上に出来上がっている『発泡スチロール製一刀彫くり貫き容器』には、自信が持てたのだが、今回ご依頼のその形状の窒素容器の場合、経験上、何とも言えないですね。検討させて頂きます。というわけで、今日も例の製作が続く。遅れている製作には申し訳ないが、こうして仕事があるだけでも有難いのかもしれない。


2006年1月23日 朝積雪4mm後曇り 3度
何となく、急角度でHPの訪問者数が増えているだろうと思っていたが、1日平均70ショットで、それ程以前と変わっていないようだった。折角、「Haphoo! Haphoo!Japan」と頑張って、IT産業に洒落で掛けてみたのだが、テレビで様々な事件が起きるだけで、却って浮き過ぎているのだろうか、伸びないようだし、確かに世の中解らないものだ。まあ良いか!一日300人程度だと、何でもスポンサーが付いて、バナーを貼らしてくれるそうなので、こんな雑記ノートで読者を増やそうと頑張っているのだが、なかなかそうもいかない。やっぱり、ここはプロの作家の真似をして、文章作りにもっと真剣にならないといけないのかも知れない。その中で、学生の頃の同級生で、現在プロの作家として文壇を賑わす沖縄在住のnくんが続けているHPは参考にしている。1日軽く500人は見に来ているそうだ。読者の基盤がしっかりしているのだろうか。大した者だ。http://nakamura.ti-da.net/  流石に、本の出版を重ねる毎に作家らしくなって来た。ので、遅蒔きながら、こうして当方も文章書きを練習しているのだが、書いた文が売れるところまでは、到底届かない。一日数行を3年4年位書いていても、皆がはっとして振り向いてくれる様なスリルとサスペンスと、時にミステリーやロマンまで加味した感動的で面白いSF長編続き物の文章には、まだまだ届かないようだ。ヤッパリ、漫画家で一世を風靡した鎌田洋次君のように漫画に転向するのも良いかもしれないが、それにしても、簡単ではないだろう。結局、地味に足元の仕事をこなして行く他に無いのだろうか。、、、そうだ、何とか数子の「ズバリいうわよ、発泡スチロールね」でも面白いかなあ。、、、今日はこの辺りで


2006年1月22日  曇り時々晴れ 4度
不覚だった。疲れがたまって起き上がれず、終日布団に巻かれた節分の丸かじり寿司のようになって 包まっていた。仕方が無い。こんな日もあっていいのかもしれない。メールのご返事も遅れている。密かに計画している戦略も見直していた。一歩前進2歩後退は常だ。あきらめず頑張る他に無い。では失礼


2006年1月21日 冬曇り 4度
今日も朝から例の製作が続く。途中、Nハムの新開発商品の品評会へ2年振りに出掛ける。
京阪枚方から特急が早い。会場へは11時半頃に着いたが、既に8千人近い人混みであったと後で聞いた。Nハム先端開発チーム所長でもあるSくんの案内がなければ、この人混みに酔って、ハムソーセージの品評会どころでは無かったかもしれない程の凄い熱気が会場を埋めていた。会場を半周もする頃には、新開発商材の試食だけで、満腹になってしまうので、会場に詰め掛けた誰の顔にも満足そうな表情が溢れていたし、試食をしばし一服し、休憩できるコーナーは十二分に確保されていたので、超混雑のそんなムードに不満の声はまったく無かったと思う。それどころか、有難い限りだ。今後発売予定の、何十種の新商材が、店頭に並ぶ3ヶ月も前に試食、それもそれこそ、腹一杯食べられるわけだからだ。それで、開発所長のS君から食材開発の話を聞きながら会場を回った。首まで一杯になった頃、休憩コーナーで、ほんの今から35年前まで同じ中学生でおあしあそばれた今尚、相当うら若き4人のご夫人方に S君とお会いした。ほんの少し前まで同じ中学生だった人達が、6名も集まるのも珍しいものだが、こうして何故か偶然、ミニ同窓会のように集まるのも楽しいものだ。中学の頃、皆さんバトミントン部で汗を流しておられたとお聞きして、面白いものだ。ふーと、消えかけていた記憶が1シーンだけ蘇って来た。確かに、あれは、HATO先生だった様に思うのだが、記憶が混同しているかもしれないが、サッカー部の練習中、グラウンドからは高台にあったので体育館がよく見えて、その横で、しごかれているところが時々見えたのだろうか、そんなシーンが思い出された。あの頃のA中学では、先生が生徒を殴る蹴る叩くピンタが飛ぶ、黒板消しが飛ぶと言ったことは確かに今から考えれば恐ろしいことかもしれないが、ごく日常茶飯事で当たり前のことのように行われていたのだった。チョークが飛んで来て目に入った位では決して泣いてはおられなかった。特にK先生の数学の授業は恐怖授業そのものだったので、時間中、身体がガタガタ震えない生徒はいなかったと思う。だから、逆に最近の「荒れる中学」というのが不思議な位だ。だが、どうしてだろうか。それほど厳しい中学生時代だったのに、今となっては何と爽快な思い出になっているのだろうか。35年も過ぎてふと偶然集まって、その懐かしい思い出話になって花が咲くのだろうか。確かに、単なる暴力先生は一人もいなかったのだ。急所は必ず外してくれていたし、30年経っても仲良く同窓会に出席して頂ける先生方ばかりな訳だ。むしろ、最近は荒れる社会から学校を守るので精一杯なのかもしれない。おっと時間だ。
こんなみやげ物をs君にもらって帰りました。


2006年1月20日 結局降らなかった雪 4度
今日も例の製作が続く。こうして少しづつでも積み重ねていく他にない。細かく切ってばら売りしていては、端材が出て、本当は何にもならない。こうして、遠路はるばる見えられた新規に商売を始めたいと言うお客に、懇切丁寧に発泡スチロールは実はこういうもので、これこれこういった特性があって、加工にもこう言った裏技があるからと説明ばかりしていても、本当は何にもならない。お客さんの利になっても、時間を擦り切らせるだけで、何らこちらの利に叶うことはない。そうだとは、解っていても、くそ真面目に、出来るだけ解り易くご質問にはお答えしている。半分諦めのような境地でもある。しかし、それでも出来るだけ前向きになってお答えを繰り返している。本日は、夕方急に、Nハムの前社長のs君と淀屋橋で落ち合うことになって、いそいそと枚方から特急に飛び乗って出掛けた訳だ。淀屋橋の階段を上がって信号の角のビルの1Fセルフの喫茶店であった。明日の例の大阪ドームでのNハムの新開発商品の品評会のゲスト招待状を受け取るのが遅くなっていて、今日中に貰い受けておく必要があったからだ。現役社長を勤めていた時は、日本を北へ南へと飛び回っていたので、中々会えず仕舞だったが、何年振りだろうか、s君も相当後退が進み、腹も出て、好々爺に一歩近づいて来た感じだったので、内心思わず笑ってしまった。笑い疲れて、遅くに戻ると、夜半過ぎにも拘らず、電話が入っていた。正しく我々ネットに暮らす者達は24時間連続仕事なのかもしれない。


2006年1月19日 曇り時々小雪混じり 3度
反面残念だが、きょうもバタバタと動き回って日が過ぎた。来客4組。皆馴染みのお客さん方々だ。有難いことに様々な情報のやり取りを頂けた。隣の大陸での粗鋼生産は、幾つかの鉄プラントがいよいよ新規に工場稼動を始めて、日本などへの輸出まで始まったそうだ。鉄だけでなく、建設が進んでいたモノマー等の化学プラント工場も一斉に稼動を始めてきたらしいので、一時的にだぶつき現象になっている品種があるようだが、どうも、それが、そのまたお隣のインドの旺盛な購買力に食われ始めている状態のようだ。人口が密集し、且つ若い世代が特に多いこれらの地域が活況を制したら、確かに予想も出来ない巨大なうねりとなって新しい経済圏があっという間に作り出されようとしているのだろうか。そう見ると、どうしても後追いの工業力では技術力を高めて来るには、時間ラグが発生するだろうし、その点、世界に類を見ないほど器用で、不良品の少ない工業立国日本の優位性は暫く逆に際立つことだろうと思う(と見るとやっぱり円高かなあ)。まあ、窓の外を見ていても何にもならないので、黙って製作に励む他にない。目の前の課題に一つづつ全力で取り組んで行く他にない。
夜遅くになって、Nハムの前社長のs君から電話。懐かしい声には、最初、仕事で相当鍛えられて来たのだろうなあ、きらりと光る才能の輝きか、次々と飛び出す難しい漢文調の単語には、流れるような感じがあったのだが、暫くすると、「何や」、直ぐに中学校の頃の声とそんなに変化が無いのが解って来て、興醒めして緊張感が失せた。電話の向こうには35年前の少年s君がいた。


2006年1月18日 曇り 5度
今日も朝から例の製作が続く。ネットの世界は気まぐれだ。皆が何か他の事に気を取られてでもいるのだろうか、一気に電話の鳴り方が今日は少ない。確かに波があるのだ。そして、何故なんだろうか、皆揃って同じ事をしているのだろうか、解らないのだ。しかし、反面そういったこともあるが、お客さんを通して得られる情報は確かに早い。今日もそうだった。どうも、話を総合すると、また在るところで、今までお付き合いされていた発泡スチロールのカット屋さんが先日廃業なさったようだ。昨年も、2件、ネットを通じてエビス化成とか、神奈川の○○○とかの倒産を知ったわけだが、このような情報に触れる度に、驚きを隠せなくなる。国全体では景気が回復しているとは言われていても、残念だが所詮、競争の論理が貫徹している社会だ。気を抜けば、瞬く間に水面下へと落ちてしまうのだ。ぞっとするかもしれないが、悲しいかな、中小企業においては、さらに激しい浮き沈みが日々繰り返されているのだ。景気が良いのは、勝ち組の方なのであって、決して皆が全員、そのおこぼれに預かれる様な甘いものではない。これが現実であってみれば、こんなちっぽけなページのコラム欄に、確かにいつもいつもエンターテイメントをもって自負するような文章ばかりも書いていられない訳だ。西の巨大遊園地に入る10の業者の内2社は潰れたり撤退したりして、その上残り8社も皆赤字だそうで大変だと思っていたが、おいおい、東の巨大遊園地に入る業者は、もっと悲惨だという噂まである。どうなっているのだ。そうだ、国内では発泡スチロールを梱包緩衝材から紙ダンボールに切り替えると言いながら、何で大陸からの輸入材には何ぼでも発泡スチロールの緩衝材を使ったものが、安くなって国内に流れ込んで来るのだろうか。先日もそうだった。ある国内のおもちゃメーカーが大陸で製造して国内に逆輸入してきたら、ぼんぼこ発泡スチロールだらけだった。その空飛ぶ商品まで発泡スチロールをたっぷり使って出来ていたのだ。一体そのメーカーの営業は、今まで我々に何と言っていたのか、、、、厭きれるものだ。、、、残念だがこれが現実だ。勝てば官軍負ければ賊軍は、今日もテレビの向こうでも同じなのだろうか。まあいろいろあるものだ。


2006年1月17日 曇り 5度
今日も例の製作が続く。阪神大震災からは、早くも11年が流れている。この日が巡って来れば、何年が過ぎようと、その出来事が丸で昨日の事のように思われる。本日も、遠方からはるばる新幹線に乗って、あの有名な最高学府を飛び出したらなら、若い人は皆がこぞって受信しそうな、あの○○独立電波研究所の研究員の方に、例のアンテナポールの試作品の組み立て検分の立会いにお越し頂いたのだが、全国の、色白電波少年ならぬその飄々ハッシの電波研究員のために今回試作したアンテナポールを「これなら一層、研究用に既製品として売り出したら面白いですね」との大変有難いご託宣とご提案を頂けた際、事務所に大きく額縁に入れて掲げている、阪神大震災の救援活動で亡父が大臣から頂いた感謝状を指差して、「あれは感謝状ですか」と、その方も全国の色白電波研究員を代表してそうな上に、さらに歌舞伎の近松に出てきそうな程色白だったのだが、打ち合わせの合間、アンテナポールの今後について、夏目漱石っぽいポーズで右手をかざしながら、何か深く沈思黙考なさっている時に、ふと、そう呟かれたので、こちらも急に驚いてしまって、改めて、その感謝状を振り仰いで見たわけだ。そうすると、何故か、生あった瞬間から胃痛が走るほど経験豊富で世界のすべてを知りすぎているようなお顔のその方の、深いため息が乗り移ったかのように、暫く、走馬灯のようなあの頃の現場のシーンが甦って来た。あっという間もなく、あれから11年の歳月が過ぎた。


2006年1月16日 晴れ時々曇りのち夕方雨 9度
今日も例の製作が続いた。 、、、だが考えてみると別に何もこんなに小さな枠の中で、制限された時間内に文章書きに凝ることも無いのかもしれない。確かにエンターテイメントとして、感情移入の可能なほうが、つまらない駄文を並べるよりも読み手からは面白くもあり、わくわくしてくるに違いないし、このコーナーだけでも読みに来る人もあるだろうし、それだけ読者の支持を獲得出来れば有難い限りな訳だが、そこまですることもないだろうと、ふと立ち止まって思った。別に、闘魂丸出しに根性をいれて一個づつキーボードを押さえたところで、仕方が無い。どのように指が滑ろうとも、出来上がる文字列は、生身の人間の指跡であってみれば、ほどほどのいい加減なところで、指の軽いトレーニングのような気分で殴り書き程度で飛ばしておけば、それはそれで、十分なのかもしれない、とも考えた。指跡を後世において発掘してもらうには上等すぎるものが出来るに違いない。もっと積極的に横を向いて無茶苦茶にキーボードを押し続けた方が、現代芸術風になって、益々後世で発掘のし甲斐がありそうだ。意味の無い意味、或いは無用の用、空の空、徒然なるままに日暮し、何にこだわることもあるだろうか。、、、、こうして今日も例の製作が続く。
有難い限りだ。この1週間の動きをみても矢張り、相当問い合わせだけは増加傾向にあるようだ。その中で、1点、例の発泡スチロールとあの特殊塗料と薄手のブリキ板を組合すだけで防音効果が見られるという有難いご意見に関しては近々実験してみたくなった。この密度の違いが防音にどんな効果となってくるのだろうか。確かに不思議な話だった。


2006年1月15日 晴れ 14度
今日も昼過ぎまで例の作業が続いた。同時並行の作業も幾つか残っており、、、、とここまで書いてみたのだがほとんど一旦削除した。どうもこういうスタイルで続けて書いてはエンターテイメント的なホンワリフィットとはならないような気がする。毎日来る日も来る日も必死になって仕事にしがみ付いている姿が想像できる程度かもしれない。面白くも何ともないではないか、困ったものだ。受けを狙って随所に落ちをちりばめて置くべきものだったはずの笑いがこれでは全く出て来ないに違いないのだ。もうすこし、ダイマルラケット、いとしこいし、藤山寛美、を見ておけばよかったのかもしれない。だが、かと言って、文章というのはよっぽど感情移入が出来て、架空人物を泣いたり笑ったりさせなければ小説にならないだろうから、日頃からよっぽど連続してその課題に取り組んでいなければならなかったのかもしれない。あるいは、単に、それが好きでないと出来なかっただろうし、何十年も過ぎれば、そこそこの積み上げがあってしかるべきなのだ。おっと、時間切れかな。


2006年1月14日  雨  13度
メールを整理していますと、折角ご記入頂いたアドレスでは返信出来なかったものが、昨年1年で6件ございました。特にご住所氏名などもありませんし、応答のしようがありませんので先ほどきれいさっぱり削除しました。

今日も終日例の製作が続く。ふらりと夜間遅くになって、深夜まで開いている書店へ出掛ける。こうしてそんな時間まで製作作業に一日追われていた訳だが、どうも、これだけではいけない、このまま埋没してしまってはいけないと言った危機感がこの年齢と体力的な限界を乗り越えて、知的好奇心に誘われるようにして出掛けたのだった。しかし、無理をしてはいけないものだろう。却ってその広い書店に並ぶ無数の書物を遠目に眺めるだけで、目まいを感じてしまった。それは、このページのような拙い文章の書き手からすれば、まさしく所々に背表紙がきらりと光るような、無数のプロの書き手の隙のない完成品のうず高い山々を前にしては、到底越えられそうにない分水嶺のようなものが遠目にでも はっきり見えたし、昼間の体力の消耗戦の後では、焦燥感に耐えるだけでもやっとであった訳だから、その実在の隔離に嘔吐してしまってもある意味では無理もないのかもしれない。何時からだろうか。さらに、焦りに拍車がかかるようになったのは。それでも、書店に入るまでは、今日は何があるだろうか、と言った好奇心はまだ残っている。単に店側の客寄せに乗せられているだけなのかも知れないのだが、それでも知的なものへの好奇心に引っ張られるようにして来てしまう。今日もそうだった。昼間のこの世界の喧騒感を他所に、次々にひっくり返すたこ焼きでもないが、外から見ている限り背表紙や裏表紙は、ただ焼き写しただけだと言えなくもないのに、所狭しと並ぶ同じような形の無数の新刊書や文庫本に、これだこれだと見覚えのある作家の名前を見付け出すだけでも気が休まっていいものなのだ。だが、こうして公開の文章書きを4年も続けていると、どうしても、その奥の深さと広がりに否が応でも自身直面することになるものだ。広いフロアーに何十万冊と並ぶ小さな書物のその一つ一つの内側に、さらにそれぞれの小宇宙のような別個に干渉し合う閉じた世界が広がっているのだ。そのとてつもない広がりが、重圧として身をもって理解しなければならなくなって来たのだろうか。例えば、先日読んだ土屋賢二のお笑いの哲学に迂闊にも涙が出るほど笑いこけてしまったのだったが、それなのに、結局、目が覚めると、「われ、思うほどにハラから笑えない」我があったということだろうか。情けない至りだ。何を気取って書こうとも、単にエンターテイメントの一類に過ぎないのだから、読んでほっとして笑えたら良いわけであって、以前そんな割り切った路線で進もうと決意を固めていたのにいつの間にか頓挫していたようだ。もっと真剣に笑いを造りださなければならない。この課題はさらに重い。


2006年1月13日 曇り後時々雨 12度
今日も朝から例の製作が続いた。努力の甲斐なく今日は時間切れとなった。再度体制を立て直して頑張る他にないか。今日も1行がやっとの状態になった。多忙だが、、、では失礼。



2006年1月12日 曇り勝ち 9度
今日も朝から例の製作。HPにリンクの相談1件。昼少し出かけて戻ると、ほぼ4時過ぎまで電話が鳴り止まなかった。こんなことは大変珍しいことだった。電話を置いた途端に次の電話がなり、ご相談の電話が一件落着したと思うと、また直ぐに次の電話が鳴るという状態が、約4時間続くということだ。記憶する限り、過去最長不倒距離だろうか。まあ、めったにないものだ。こうしてみている限り、一体どうしたことだろうか、我々の行動というのは、得てして同一方向へ向かうようだ。日本中で、いつもに比べて、何故か、誰も彼も電話がかかるのが、多かったのではないかと、思いたくなるくらいだ。不思議なものだ。それが、一時的なウエーブなら、単にそうかそうか、で終わるのか、大衆心理の社会的現象の実例として取り上げ得るのか、どちらでもいいのだが、まあ面白いものだ。逆に、こういった現象から、心理的現象として社会は極めて、脆弱な実体という結論も、あちらからそちらへ結論を振って行った方が、或いは学術的で良いのかもしれない。その手の研究をなさっている方からすれば、喉から手が出るような現場だろうと、そう思いたくなるのは、全く手前勝手なものに違いない。おっと、もうこんな時間だ。では失礼 


2006年1月11日 曇り 6度
今日も朝から例の製作が続いた。確かに様々なお問い合わせも継続している。このページを開いたのが、02年からだから早いものだ。足掛けだと5年かな。準備段階からだとその位だ。と、思い出す度に時間の過ぎる速さに驚く。それは、ネットの定額制が始まって、1,2年過ぎた頃だろうか。電話代が安くなるし、ネットを使い放題でもよくなって、一気に我々のような庶民に広まって行った頃だ。それまでは、何分つないで幾らいくらだったので、このような環境には丸で手が届かなかったものだ。むしろ、アマチュア無線や、弱い電波でのミニFM局の機械を買ってきて、いじくっていたものだ。確か、ウインドウ95が出た頃だったか、そのはるか以前だったのか前後を忘れたが、NECの9801シリーズを買って、これで経済の勉強をするんだと張り切った頃は、ラジオ短波だったか、受信機をつないで、それをPC画面に開く方式のものを一時期使ったことがあったのだが、原因不明の故障が起きて(電源を入れて何故か15分すると勝手に電気が切れてしまう故障)、ウインドウ95を中途半端にマニアックに使った後は、世紀が代わるまで使っていなかったのだった。今から考えると本当に、90年代の初め頃、それはバブルがはじけて、これから不景気が来るぞ来るぞという頃は、逆にIT産業が攻勢をかけようという時だったのだなあ。先端の所では、様々な取り組みが進んでいたのだろうなあ、と後から振り返ると、解るものだ。時代はどんどん変わっていく。10年前に携帯電話を持ち歩く人は皆無だったのに、今では保育所の児童も2,3個ぶら下げているほど、当たり前になった。だから、さらに今後10年もすれば、さらに、とてつもない通信手段が、開発されるのかもしれないなあ。例えば、土の中を電波が走ったり、送電線が無線になって各家庭というか全地球的に電気が送られていたりして、、、、まだまだ先の事は解らないなあ。あれ、どこからか中島みゆきの『時代』が聞こえてきた。


2006年1月10日 晴れ 5度
発泡スチロールで作る簡単な正多面体 補足  これなら解りますか?


C正20面体の場合




これは、まず、出来上がりの正20面体の稜線をaとした場合、
半径が√3/2 a で、高さは その同じ半径(√3/2 a)と aの
合計(√3/2 a+a)の円柱を加工して用意する。次に、高さを1/2a を2個
 そしてこの残り(√3/2a)とに3分割し、これは後で再度貼りあわせる。










高さ1/2 aの円柱を底面にaの正五角形を作図し、上面中央とaを結んでニクロム線カットすること、合計5回。同じく、同じ高さの円柱にも同様のカットを行い、正5角錐を2体作る。








次に、残る円柱の上下両面にも
正五角形を作図するが、上
下の正五角形の頂点を36
度ずらせた位置に来るよう
にする。頂点とその裏側のaを
それぞれ結んでニクロム線カッ
トする。計10回カットする。これが
正20面体の中央部になる







こうして出来上がったもの3体を再度重ねて
貼りあわせると出来上がる。 
(写真は 稜線の1辺が200mmの場合です)




2006年1月9日 晴れのような曇りも 3度
成人の日だと言うが、しっくりしない。2週目に休みを持って来るより、15日の方が何十年も慣れ親しんでいたからだろうが、今後の成人はこの方が、慣れて当たり前の時代になるんだなあ。昼前から例の製作を続けた。正20面体の各段階での写真を撮って、先日書いた製作方法のわかり難い文章の参考補填にするつもりだ。ふと、何でもかんでも、製作方法をまとめて、こうして書いていけば面白いだろうと思った。大変な作業になってくる。それこそ、本の編集のような作業になるのだろうが、このようなページにまとめを出しておいても不足はないだろう。どうせ、やがてネットが世界にはびこる時代だ。知識は凄まじい早さで共有化されるのだろうから。さあ、もう時間だ。最近はテレビでも流行の様に「2極化」が言われるようになってきているが、こちらでは多極化した多面体の製作も、もう、ぼちぼち終了したいものだ。「2極」で良いらしいから。


2006年1月8日 晴れたり曇ったり 風なく 4度
早速、2,3近くの介護用品の専門店および大手スーパーとホームセンターの売り場を回り、末端での「床ずれ防止用品」の品種、売れ筋、小売価格、メーカー名、をメモチェックし、カタログを数種頂戴し、また実際にこの手に持って、感触を確認し、且つ用途に合わせて、展示のベッドに寝転がって、足や背中と、身体に当てて見て、その商品の出来具合をチェックしていった。長さ60センチから80センチ程度まで、円柱20センチ径タイプ2点、20センチ角柱タイプ1点、馬蹄形及び三日月型のもので、サイズ違い7点、ブイ字型のもの1点、紐型2点、直方体型は数点であった。おおよそ、中に使われる発泡スチロールビーズのタイプは、どこの専門店でも大方、2通りに分かれていたのが判った。6から8mmの強制発泡させた大きなビーズを使ったもの、そして0,5mm径のマイクロビーズを使ったものとがあって、そのいずれかだった。主に大きなビーズを使用したものは、直方体の枕又は座布団タイプに限られ、0,5mm径マイクロビーズを使ったものは逆に様々な形状のものに使われているのが、専門店を回る毎に判ってきたのは収穫だった。また、床ずれ防止用としては、中にウレタン又は低反発ウレタン等を使ったものは以外にも全く無かった。全てが発泡スチロールのビーズを使用していたのにも、その用途での優位性を理解できた。昨日、元毎◎新聞の記者の方からお問い合わせのものも恐らくこれではないかというものが2,3あった。休み明けにメーカーの方から連絡が入ることになっているので、それからでも遅くないだろうか。こうした機会でもないと、「床ずれ防止用品」の完成品とお目にかかることが無いのだが、こうして1日売り場を回り、随分と情報を集めることは出来た。最初、枚方の佐藤病院の看護婦さんに電話を入れて、以前弊社でマイクロビーズをご購入頂いたことがあったので、病院で御使用の「床ずれ防止用品」を逆にひとつだけ購入させて頂けないかとお頼みしたのだったが、矢張り、病院に入院されている患者さん優先ということと、看護婦さんグループのボランテアで考案して手弁当で非番の時に製作しているものなので、どうしてもとお頼みするまでも無く、気が引けていたのだが(本当に看護婦さんの仕事は大変なものだ)、こうして、各売り場を回ってみるとマイクロビーズで製作した看護用品も随分とあるものだと思った。何となく達成感があったのか、戻ると新聞の書評欄に土屋賢二の『哲学講義集』というのが先月発売になっているのを見て、ふと手元にずっと以前から転がっていた同作『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』の文庫を開いて読んでいた。読んでは見たのだが、ものの数行でどうも、遠藤周作か北杜夫かはたまた誰だったろうか、先ほどの介護用品売り場で見掛けた、杖をすべらせて一歩また一歩と歩くご老人とそれを手引きする20歳前だろうか、若い娘さんの姿が、ふと思い出されて、そんな軽いタッチの読み物に、急に付いていけなくなって、本を閉じた。もう成人式だというのに、青春を謳歌していても決して可笑しくない年頃だろうに、何と、けな気なものか、大事なお祖母さんなんだろうなあ、日本の若者もまだまだ捨てたものではないなあ。


2006年1月7日 曇り時々舞う小雪 3度
この寒さは北極の低気圧が弱って、寒気を北極に吸い寄せることが出来ずに周辺にあふれ出して来ている為のものだと言う。だが、もう一つ、よく解らない。弱っているなら、寒気そのものも何で弱くならないのか、と言った疑問も起きる。本当に温暖化しているのだろうかとさえ思える日々、寒い一日、今日も朝から例の製作が続いた。様々なお問い合わせも続いた。また、元毎○新聞の記者の方から、発泡スチロールビーズで出来た介護用枕を探しているとのお尋ねがあった。寝たきりになった母御様の病院を転院したのだが、次の病院では介護枕は自前調達が前提らしく、探したのだがなかなか見つからなかったらしい。了解です。探してみます。では、失礼


2006年1月6日 曇り 3度
今日も朝から例の製作が続く。有難いことにネットを通して、距離と業種を違えて、様々な所から依然として実に様々なお問い合わせが舞い込んでくる。結局、そのいずれにも対応していくと、その一件に本日などは終日追われてしまって、他の方々までご返信が大幅に遅れる事態に年明け早々至っているようだ。発送でも、日本海側の激しい大雪の為、流通全般に遅れを来たしているそうだ。一件づつ前向きに取り組んで行く他にない。合間、近くの馴染みのダンボールの会社へ引き取りに出た。あの工業団地にあるのだが、団地をちょっと、一周してみた。世間の不景気と裏腹に、2,3年前まで空き地、空き工場が団地のあちこちに目立っていたのに、もう何所も新規の会社で埋まっていたし、どこも、敷地からはみ出すように商品がごちゃごちゃして山積みしていたので、結構操業率は良いようだと思った。確かに、3年前、年明け早々にこの辺りをうろうろした時は、何所も閑古鳥が鳴いていたのを憶えている。正確には業種によって相当ばらつきが起きているのだろうか。だが、重厚長大産業は絶好調になっているし、任天堂のゲーム機が品切れになるなど、ソフトIT関連、弱電機械はさらに意気軒昂なのだろうか。食品もかつての様な事件も次々に陰をひそめていき、化学薬品では特許切れの次の動きが既に始まっているし、不動産も却って建て替え需要の喚起に向かっているようだし、金融銀行などにもかつての様な大型倒産など まるで何も無かったかのような賑わいが続いている。さらに目を海外に向けて、人口超大国の活況と比例するかのように(どこも若者の多い国々だなあ)、様々な資源大国が経済力強化に伴って新たな覇権を競うようになってきているほどだ。これは、確かにウエーブだ。わー、コンドラチェフの60年波動周期だ。波に乗らないといけない。だから、急がないとならない。ふらふらしている暇がない。何とかしないといけない。あっという間に、次の新興企業が世間の主役に代わっているのだろうか。時間がない。気持ちだけ空回りしながら、やっとそのダンボール会社に着いたのだが、以前までそんなに自由に工場内に様々なバックミュージックを流していなかったのに、今日はとても自由な雰囲気が漂っていたのには驚いた。矢張り、若旦那への移行が確実に進んでいるのだろうか。番頭さんも磐石の布陣を考えたものだなあ。おっと、さあ、翻って足元だ。、、、、100パーセント勇気♪やりきるしーかないさー♪


2006年1月5日 寒々曇り 3度
まとめ
発泡スチロールで作る簡単な正多面体
@正4面体
 小さなものだと正三角形の型紙を4枚用意し、カットブロックを間に挟んで、2枚ずつ両側に相似の立体に似たてて作り、ニクロム線で、斜面をなずるようにして60度づつ移動してカットすれば出来上がるが、少し大きめになると、出来上がりの正4面体の稜線をaとした場合、高さ h=√2/√3 ×a の三角柱のブロックを用意し、正三角の中心 頂点から(√3 /3)aの地点から斜めに底辺の正三角の一辺へ向けてカットしていく方法が一番簡単だろうか
A正8面体
これは簡単だ。出来上がりの稜線aとすると、a×a× √2aの角柱を用意し、底面の中心から√2/2aの距離の所に引いた水平線aに向かって斜めにニクロム線カットを、合計4面 4方向から行い、同様に上面中央からも4面4方向からカットをする
B正12面体
出来上がる12面体の稜線をaとした場合、半径√2 a で、高さ√(3/4 +√3/√2)a+√(√2√3 − 7/4)aの数値に切った円柱を用意する。上面中心にaの正五角形を作図し、同様に底面には36度回転させた位置に正五角形の頂点が来る位置に同じく中央に作図する。この作図した正5角形のaの各頂点から伸ばした直線の、円柱の円周から垂直に下ろした線h‘ 長さ√(3/4 +√3/√2)aの所に印を付ける。同様に各頂点から下ろしたh‘の計5点を設ける。下ろしたh‘と逆の面に予め作図してある正五角形のaと、この設けた点を結んでニクロム線カットをする。上面5回、反対側底面5回繰り返すと、出来上がる 
C正20面体
これは、まず、出来上がりの正20面体の稜線をaとした場合、半径√3/2 a で、高さは その半径√3/2 aと +aの合計(√3/2 a+a)の円柱を用意する。次に、1/2a を2個 そしてこの残りとに3分割し、これは後で再度貼りあわせる。高さ1/2 aの円柱を底面にaの正五角形を作図し、上面中央とaを結んでニクロム線カットすること、合計5回。同じく、同じ高さの円柱にも同様のカットを行い、正5角錐を2体作る。次に、残る円柱の両面にも正五角形を作図するが、上下の正五角形の頂点を36度ずらせた位置に来るようにする。頂点とaを結んでニクロム線カットする。計10回カットする。こうして出来上がったもの3体を再度重ねて貼りあわせると出来上がる。 
※なお、正6面体は省略した。
※電卓があるのでルート計算は今では簡単ですね
※手元には残念ながら無いのだが、CADシステムがあればもっと簡単かもしれないですね。これからはそんな時代かなあ


2006年1月4日 曇り 3度
寒い中で、正12面体の試作をしていて、急に悪寒を感じ、帰宅。どうやら、また風邪っぽいので、そのまま熟睡していた。それが初夢なんだろうか。謎の発泡スチロール屋が、夢の中に現れた。全く宣伝をしていないのだが、相当技術力が高く、手広く、手堅く商売をしているらしい。川の流れる横に工場があって、大きな倉庫は体育館のようだ。その横が社長室で、社長室の横に大きなグランドピアノが置いてあって、調律に誰かが来て、曲を弾いていた。その横には、デザイン室があって何人か、そのピアノの奏でる曲を聴きながら仕事が出来るようになっていた。いいものだと思った。その横は、24時間体制で工場が稼動している為だろうか、パートさんが母子の泊まり込みで仕事が出来る為の休憩スペースが広がっていて、そこまで僅かにピアノの曲が聞こえてきた。大勢の母子が寝起きしていた。工場から案内の人が出てきて、様々な商品のおびただしい量の在庫があると説明を聞いていたのだが、どうも以前にもこの夢は見たことがありそうだと思った。何とか無理を言って、記念にサンプルを持ち帰ることにした。正20面体の形に花柄の模様が印刷されていて、「これは、ヤフーで使っている商品です」と案内の説明があったので、それを持ち帰った。内側がドーム状になっていて、そこにも見たこともない花柄模様がされていた。何に使うのだろうか、夢なのでさっぱり判らない。帰り、電車に乗ろうと駅で切符を買おうとするのだが、行き先が解らず、なかなか自販機のボタンを押せない。その後、急に場面が変わって、工場で夜勤をしていた。夜中の2時か3時過ぎ、真っ暗な工場敷地に機械が作動していた。給水設備や古くなって今にも停止しそうなボイラーを見て回っていた。作動している機械の横に、あれは誰だろうか、井上さん?だったか、エアーバルブのマニュフォールドの修理をしているのが見えた。真夜中の仕事だ。あれは大変だと思った。それから、備品の整理をしようと2,3、古い工具箱を開けてみると赤い水中温度計が20本もあった。1本あれば十分なのに、何故こんなにあるのかわからない。戸棚には、昆虫採集の為に前任者が作った虫かごが2個、置いたままになっていた。これも、何の為に作ったのかよく解らない。こんな真夜中に、工場で虫取りなど必要なのだろうかと思いながら、懐中電灯を照らして、また、工場の中を歩いていた。夢はここで終わる。そう言えば、10数年、長い間、夜勤をしてきたものだ。今から、また夜勤をしろと言われたら、断るだろうなあ。


2006年1月3日 曇り 4度
特に、時間のあるままに「新年の抱負」という作文を書いていたので、時間切れとなった。早いものだ。正月も3日目が過ぎてしまった。では失礼


2006年1月2日 晴れ 4度
いつもの年に比べて大変寒い中、久しぶりに墓参りに行った。そんな余韻のある柄ではないのだが、年が明けて、早くも48歳の後半になり、50代の大台も見えてくる年齢になっては、どういう訳だろうか、墓参り、など格段の意味を設けなくても、先祖の墓碑を前にして、空を仰いで、黙って突っ立っているだけで、様になるのだろうか。周囲の古い墓に同じように正月から墓参に来られている同年齢前後の幾人かの人達の 身振り仕草を、もう、数十年、いつか、以前のこの時、何時だったか全く覚えが無くとも、その人達の影絵のような後姿をきっと何度も見かけたことがあったのだろうが、恥ずかしながら、またこの時も参考にさせて頂きながらも、杓で水掛けはどこからだとか、香は何度だったか、手を合わせてどうだったか、一応は儀礼、型通りのお参りは、こうして今年も済ませることが出来たのだろうか。結局、頭の中は仕事ばかりだったのだろうか、墓参りを済ませて、箕面の冷たい吹き降ろしの風を受けながら、ふと、そうだ、『Haphoo Japan 』というのはどうだろうか、と急にひらめいた。ただのパロデーなんだが、面白そうだ。ヤフーとハッポーを掛けただけなんだが、これは使えるなあと思った。「発泡スチロールバンクの『Haphoo Japan 』だ」と急に一人、つぶやいて、いま参ったばかりの墓碑を振り向いたわけだ。箕面墓地の少し高台になっているところにそれは建っているので、遠景に北摂山地が池田の方から高槻の方まで、映っている。途中、連山の少し窪んだところもいつものように目に入った。下の方に続々と墓参に訪れる人達が歩いてくるのが見える。そう言えば、日本の人口の減少傾向もはっきりし、団塊の世代の大量の定年退職も今年から数年がピークを迎えるという。年を追う毎に、老齢人口は増大し、回りまわって、こうした墓地の運営会社やそれに介護関係などは、忙しくなるのだろうなあ。戻ると、早速HPのトップに更新を入れた。


2006年1月1日 晴れ 7度
今日から新年だが、我々の探求は止まない。特に、この正12面体の実際の加工になる場合、矢張り、随所に例の「黄金分割比」と言うのが見え隠れするので驚く。こちらとしては、そんな妙な数式には関わりたくないのだが、製作上、結果的に後から繋いで見ると、それらしい数字になるので何とも言えない驚きを感じたわけだ。側面カットのhにしてもそうだし、加工上必要な円柱の寸法を割り出すとh’+h”の合計をhとして円柱を切り出すことになるのだが、これが約2,236aとなるから、この数字は何と√5のことだ。そして、黄金分割比率 (1+√5)/2 の中に出てくる√5 の数値に一致するのだ。つまり、1辺aの正12面体のaと隣り合うaの2辺の両端をつなぐ直線の長さの比になるので、同様に正五角形の一方の辺と、隣り合う辺の端を結ぶ線の比率ということになるのだが、まあ、こちらで計算すると、〔(1/2)a〕の2乗+〔(√3/2)a+(1/√2)a〕の2乗の合計を√にしたものだということだから、この結果は上の数式と同じ数字にならないといけないとなる。、、、が、実際にはどうしたら分解して同じ数値に表せるのかよく解らない。というか、計算方法を何十年か前に忘れてしまって、よく思い出せないのだが、どなたか、正多面体に凝っている方ならご存知なんだろう。正20面体を加工していく場合にも、加工上正五角形は何度も現れてくるので、何処かの辺を伸ばしたり引いたり繋げたりして数値を取れば黄金比率が同じように含まれているのだろうか。そもそも、正12面体もよく見ると各稜線を正3角形の1辺とみれば、これも正三角形の相似した集合体に見えなくもないし、勿論正8面体、4面体も正三角形の集まりだから、黄金分割比で例えば建築構造物の安定感や美観はこの比率があればよくなると一般的にいうのも、元々は正三角形が綺麗で安定感があるだろうという、前提があってのことだろうか。そんな単純明快な回答を何となく、有難く表現したものが、この黄金比なのかもしれない。そう言えば、あまり詳しくないが、占星術でも正三角形の60度と言うのは有難いラッキーな数字とされているし、紫微斗数とかいう中国の占いなどにも吉数として出てくるようだが、それもここからきているのだろうなあ。正多面体というのはそういう意味でも面白いものだ。


2005年12月31日 曇り 6度
正12面体に関しては、立方体を32度で稜線切りが出来たら可能であろうか。ニクロム線カットで試してみると、溶けシロが最後に12回目のカットでは約12mmは加算されてしまい、一筆書きのようには、うまくいかないようだと解った。結局ここまでで今日も一日が過ぎた。正しく、我々に正月はないのかもしれない。そこで、従来の加工方法に戻ることになった。
1辺aの正12面体を作る場合、√2 /2 ×aの半径の円柱 で、高さ √(3/4 +√3/√2)×a +√〔(√2×√3)−7/4〕×aの合計の高さのものを用意する。円柱の底辺から √(3/4 +√3/√2)×aの位置に円周に接する正五角形の頂点を作図し、一方の底面から √(3/4 +√3/√2)×a の位置に円周に接する正五角形の頂点を36度ずらして作図する。円柱両底面に1辺aの正五角形を作図し、それぞれの辺と円柱側面の各頂点を結んでカットしていく。、、、、、、文章で書くとこのようになるが、とてもわかり難いので後ほど写真入りで解説したい。こうして、今日も過ぎていった。正8面体ではないが、夜、テレビでハンコック氏?が登場して古代12000年前に栄えた文明があったという番組があった。ピラミッドなどは正8面体だったので、面白そうだと思って見ていた。これで年内最後


2005年12月30日 曇り時々晴れ 6度
正4面体 正6面体 正8面体 正12面体 正20面体の簡単な製作 __発泡スチロールの場合
幾つもの候補の中で、漸く、正4面体の製作方法を決めた。1辺をaとする正4面体を加工する場合。a×a×aの立方体に対して
√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕を稜線の端から引いて切れた点を頂点として、立方体を位置決めする。立方体の両側に1辺aの正三角形の厚紙を2枚で模擬正4面体を立てて、立方体と平行に並べる。√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕の点を切りさきにして、ニクロム線を模擬正4面体の外形稜線上を滑らせてカットをする。こうしてカットで出来たaの長さの線を60度ずらせて置き、同じカット作業を2度繰り返すと、正4面体の出来上がりとなる。いろいろやってみたが、木工加工、或いは発泡スチロールでもモデル加工のような大掛かりな準備をしなくても、これなら簡単に出来るようだ。
正8面体の製作についても基本的に同じだ。1辺をaとする正8面体を加工する場合、a×a×2a程度の直方体を用意する。この両側に平行にa×aの正方形を作図し、その一つの正方形の2辺に正4面体で使った三角形の厚紙を2枚並べて中心に向けて斜めに倒し、ここでも模擬正8面体の上部を作り、ニクロム線をこの模擬正8面体の稜線に合わせて、カットをしていく。正8面体の上部カットが出来れば、元の直方体をひっくり返し、同様に作業をしていくと、正8面体が出来上がる。何の道具もない場合、精度を保つには、この方法がいいと思う
正20面体の場合、1辺がaの正20面体を作るとすると、√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕を半径とするhは直径よりも溶けシロ分ほんの少し長めの円柱を用意してから作業を始めるほか、稜線落とし、が加わる程度の作業になる。まず、円柱の両側に√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕の円を2個作図して、コンパスでaに割って正5角形を作図してから上記で使った正3角形の厚紙を2枚並べて、正20面体上部の模擬角錐をつくり、円柱と平行に並べる。次に角錐の稜線に合わせてニクロム線を円柱の中心からカットする。円柱を72度回転させて同様のカットを繰り返す。上面が出来ると裏返し、同様にカットしていき、最後に、側面、稜線Rを上下の角錐の辺に合わせてカットして出来上がる。
ただし、精度を上げるために、正8面体、正20面体のカットは、上下2分割、及び上下3分割して行った。正8面体は2つのピラミッドを作り、後で貼りあわせる。正20面体は、材料を少し多めにして、√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕でhをa程度のものを2個用意し、先に角錐を2体カットし、次に√〔aの2乗−(1/2a)の2乗〕の半径でhも同寸法の円柱を用意し、側面上下互いに1/2aずらせた正5角形の頂点と稜線で出来る正三角形をこの円柱の側面に10面作るようにカットしていく。(一番早いのは円柱の上下の円に正五角形を作図し、定規を円柱の上下の稜線と頂点に当ててニクロム線カットすることだろうか) ご参考に


2005年12月29日 曇り 6度
遅くなった。多面体の加工方法だが、正四面体は、1対√2対√3の比率で、正8面体はこれに、平行切り、正12面体は、32度切り、正20面体は、同様に角度切りを組みでするのがいいとあったが、素材が違う場合、全くその通りには行かないのが、一日かけて判った。もともと、完璧な立方体を用意できたとしても、ニクロム線カットの場合、事前に歪みを補正しながら切ることになり、これだけ全面にわたって角度を要求されると、木工加工のようなスライスカットになるのだろうか。取りあえず、以前の方法に戻そうと考え直したのは、もう夜遅くになっていて、周囲の工場で遅くまで開けていた所もとっくに仕事納めで静かになっていた。おっと、急がなければならない。結論を出さなければならない。では、失礼


2005年12月28日 冬曇り 5度

朝から例の製作が続いている。正多面体の加工に関しては、結構簡単な方法があった。材料的にはロスが多いのだが、作業は簡単だ。まあ、確かにサンプル屋さんの複雑な形状加工に比べれば、基本的なものかもしれないので、ここは折角だし、例のけったいな大学の多面体好き好き先生の一件もあるし、少し、スピードを上げようと思っていたが、そういう時こそ重なるもので、急な持込の加工もあって、中々直ぐの前進まで行かないのかもしれない。と、している内に、形状加工したもので発泡スチロールに水を貯めたいが、中に入れた水は漏れてこないか、というご質問が入った。ここにも何度も書いているが、水が漏れないのは、金型成型品の場合で、蒸気融着した表面に薄いスキン層が出来ているために水が漏れないだけであり、切ったり貼ったりした発泡スチロールだと、幾ら隙間を接着剤で塞いでも、材質自体から水が浸透していって、やがて水は漏れると言うことを説明した。しかし、電話口のそのまた先にユーザーが控えておられるらしく、電話だけでは納得されないようだったので、已む無く、そのサンプルのそのまたサンプルを製作して、帰社途中にお持ちして、ご説明差し上げることにしたので、回り道になって、結局、毎度のことながら、帰宅したのは相当遅くなった。このような場合、発泡スチロールの張り合わせサンプリングの表面に後からウレタンの吹き付けなど表面のコーキング加工をしないことには、ご希望に叶うものは出来ないようだ。お、そう言えば、今日は、例のウレタン吹き付けの世界的特許(例の渦巻き状のとまで書けば直ぐに判るのだろうか)をお持ちのメーカーのいつもの営業部長が暮れの挨拶に大阪へ来たと、来年のカレンダーを携えて見えた。面白いものだ。不思議なものだ。そして有難いものだ。こんな小さな会社に、それこそ、ライオンと ねずみ程度に大きさの違う所までお越し頂けてかたじけない。東京の神宮球場のスタンドのウレタン吹き付けをされたのは、実はこの方だし、大阪府の公共建物のほとんどの屋上に防水をされているのも実はこの方だし、日本全国のドーム球場からホテル、プールの作業で日に平均何トンのウレタンをお使いだと聞いている。しかし、それでも常に前向きに、この方も、次の次、そしてそのまた次の作業素材を求めて全国をさすらっておられるので、偶に、こうして情報交換にお見えになられる。で、今日も幾つか面白いお話を頂いた。有難うございます。時間切れだ。では失礼


2005年12月27日 少し日が長くなったような気のせいな晴れ時々曇り 5度
今日も朝から例の製作が続く。例年この時期訪問者数もがたっと減るものだが、どういったものか減らない。zzz、zzz、zzz、と、とと、ここまで書いてコタツで眠ってしまった。確か、この時期のお問い合わせを昨年と比較してみようと考えていたのだが、不覚だった。目が覚めればまた、仕事が始まる。夢の中に喫茶店が出てきた。学生の頃、北大路通りに面した、最初は木造だった小さな喫茶店。そこへよく通っていた。店の常連が、いつの間にか、カウンターの中でお茶を沸かしていて、バイトでもしてるんだろうと少し不審に思っていたら、店の若奥さんと再婚してたりしている何となく人間味の濃い喫茶店だった。市電の路面電車の車庫が近くにあって、店の窓から路面電車を見ながら、備え付けの店のノートに果てしなく、店に立ち寄る様々な学生やサラリーマンの書き込みが延々と何百冊も溜まっていて、一時期、それに続けて毎日のように、そのノートに書き込みをしに通ったこともあった。すると、それを読んでか読まずか、また誰か知らない人が、次の行を続けて書き込んでくれている。今のネットの掲示板のようでもあった。本当に形が違っても古今東西、老いも若きも様々な思いを落書きする どこかの掲示板と似たものだったなあ。まだ、アパートに電話さえめったに無かった頃だ。公衆電話に10円があふれてか、一杯で次の10円が中々コインの入れ口から入らないで電話器をがさがさ揺すったことが、ざらにあった頃だ。夢の中では、紅茶を一杯すすっている。するとその間に、入れ替わり立ち代り、懐かしい人が店の扉を開けて入って来た。中学校、高校、と時間も場所も無茶苦茶なんだが、違和感が無く、皆懐かしい顔ぶれだった。おっと、時間だ。年賀状もまだ書けていないのに。では失礼


2005年12月26日 冬っぽい晴れ 5度
有難いことに様々なお問い合わせの勢いは 変わらないようだ。年末が近づいても日本の何処かでは合いも変わらず、それ相応の取り組みが続いている様子が、そんな動きから容易く汲み取れる。その動きを鏡にして、今日も朝から例の製作は続くし、こうして、日々情報を発信している。そして、次の次の手を打つべく、虎視眈々と備えに努め、、、と行きたい所だが、実際には、一歩前進がやっとと言ったところが関の山か。何年も同じことをしていた加工方法をちょっと向きを変えてみて結果が随分と良くなれば、それはそれで、素晴らしいことなんだが、これの繰り返しでは、思うようには、中々進まないものだと諦めてもいられない。しかし、それも現実、これも越えて行くべき技術の壁とて、そこにこだわる訳にもいかない。問題を整理しよう。@情勢分析 A技術論Bネットの展開方法論C個別感想文   @情勢分析__間違いないだろう、大胆に予測して、来年は円高だろう。輸入材はガソリンを始め、比較値崩れを起こし、国内景気は重税民意に反して前倒し現象として上向くだろうか。今回の金融緩和は飽和転換点を向かえて、金利先高観はさらに前倒し、買い走りで景気を加速するんだろう。これは、日銀の何某氏の最終判断だろうが、ゼロ金利解除或いはその宣言は、海外ヘッジファンドの一斉の円買いを起こすだろうから、逆に国債は一挙に低下する。ここで、国家と海外との綱引きが起きるが、やがて圧倒的な工業力を誇る国家の威信は保たれ、機を見たオイルの流入はさらに円高に拍車をかける。国債の低下を株高で補って余りある金融機関は、ようやくここに来て、預金に金利を付けるのだが、これがさらに景気に油を注ぐ。個人金融資産500兆に1パーセントの金利でも5兆円の経済波及効果は大きい。お金が動けば景気は良くなる理屈だ。問題マンションから土地付き戸建へ嗜好が変化し、土地が一気に上がりだすのだろうか。土地値上がりの経済波及効果もすごいだろうなあ。点から点の土地値上がりはいよいよ面から面の土地値上がりへ向かう。こうして、好景気は実態経済として形を現すのだろうか。本当に大胆な予測だなあと我ながら思う。果たして、足元の景気まで改善されてくるだろうか、ここが問題だ。A技術論__当然のように円高であろうが円安であろうが、オイルが上がろうがどうしようが、メーカー側は、けちだから値上げしたものはなかなか、値下げはしないだろう。だから、如何に、効率を上げ、売れる商材を開発する日々の作業は、情勢に関係なく続く。それを出来る限り丁寧に掘り起こし、公開する作業が、本当は有難いフィードバックを呼ぶものだ。技術論、それは何か。今では光を充てるだけで3次元の加工を簡単にこなすマシーンと素材とがあるらしいので、恐らく、精密加工品は金型段階から製品に至るまで将来的には、それに制覇されていくのが工業化の流れだろうか。それが一方の完全自動化の波なら、他方完全人道化の方向もあっても面白いのではないか、と言った発想にこだわった方向だ。、、、、、zzz、zzz、zzz、おっとまた眠ってしまった。
続きはまた今度、では失礼


2005年12月25日 曇り時々晴れ 5度
夜遅く、阪急の高速バスのターミナルまで、信州へスキーに遊ぶ知り合いを見送りに、これも世間見とばかり、わざわざ出掛ける。日曜の9時10時だと言うのに、この辺りには、流石に街をさすらう若者たちが、まだまだ多い。こんなところまで、こんな時間にめったなことでもなければ来ることがないのだが、記憶と言うのは不思議なもので、この辺りへよく来ていた20歳代とその後の20数年全くこの辺りへ来たことが無かった為か、記憶に断絶があって、街をふらっと歩いた瞬間、時間をワープしたような錯覚に落ちる。明るい街明かりの中を、黒いコート姿、黒い上下、黒いマフラー、黒いスカート、そんな いでたちの通行人が、シルエットの様に更に思い出の遠い記憶に重なる。あれこれしながら48年。その頃からでも28年が過ぎ、あの地震からでは11年、地震震災救援に疲れて倒れた亡父を見送ってからでも10年になるのか。早いものだ。こんなターミナルが出来て何年だろうか。帰り、ラジオから樋口一葉の『大つごもり』の朗読が流れていたので、イヤホンを付けて、ずっと聴きながら帰った。明治27年、文学界に発表のものだった。アナウンサーの名調子で、時折の漢語も解らなくても物語の中へ入り込めた。いつの時代にもお金の無理はあるものだろうか。明治からでは130年の月日が過ぎているのに、何とよくありそうな話だろうか。総中流意識が崩壊を始め、貧富の差がゆっくりと、また開き始めるのだろうか。明治の頃のように。


2005年12月24日 晴れ時々曇り 4度
今日も朝から例の製作が続く。また、次の簡単な製作の為の小道具を空いた時間に作っていた。先日仕入れた鉄クロム線を使って試してみたのだが、矢張りこれだけ太いと電流が相当流れてしまうのだろうか、可変器がいきなり煙を出し、焼ける寸前まで行ったので使用を中止した。これに見合った大きな可変器が必要なようだが、そうなると結局、既製品の加工機と切れ味が同じに落ちてしまうので、意味が無い。表面の柔軟な面を作らないと次の加工に支障が出るのだ。そうこうしていると、来客。遠方から、あの大手発泡スチロールメーカーの専務が、年末の挨拶を兼ねて、業界の来年へ向けた情勢の意見交換を求めて、わざわざ来られたわけだ。当社のような風が吹けばすってんころりと飛んで行きそうな会社へ来られて、外観でびっくりなさっていただろうか。申し訳ない。しかし、これだけ毎日毎日、相当な問い合わせが続くところへ、目を付けられたのには、流石専務さんだけあると思いますね。大企業の専務さんには申し訳ないので、お帰りには、山芋を7個、キャベツを半玉、京ねぎを4束、水菜を両手に一杯、大根を半切れ、甘柿を4個、それに今年の新米を幾らか、お口に合うかどうか解りませんが、精米済みでお持ち帰り頂いた。これで、何とか、そんなに遠方からのご足労であったが、お帰りのガソリン代にはとても及ばないかもしれないが、少しは収支はつくのではないだろうか。夕方になって、あの近くのダンボールメーカーの最高経営統括局の第一顧問をなさっている方が年末挨拶に見えたのだが、残念だった。既に、皆出払った後で、何一つ残っていなかった。残念でした。また、来て下さい。


2005年12月23日 晴れ 4度
疲れが取れず、一日寝転んでいた。これだけ寒い日が続くと、先月まで、毎日暑くて暑くて、クーラーを回して、矢張り地球は温暖化しているなあと思ったこともピタリと忘れて、いやいや、待てよ、これだけ成層圏にジェット機が排気ガスを垂れ流して、雲の芯を作っているので、太陽光線を遮断して地球は寒冷化しているという解釈も捨てたものではないな、と思った。しかし、細かく見れば寒さの振り戻しもあるのだろうし、空気中の湿度の割合が増加している為に少しの寒気で大雪になるとも考えられるし、よくわからない。お蔭様で、発泡スチロールのお問い合わせの他に、セルパネの件で昨日も大雪の中、熱心な方が、セルパネのサンプルがご入用で遠方からお越しになった。そう、来年はいよいよセルパネの倉庫でも建てないとならない情勢か、、、、。発泡スチロールで巨大な倉庫を建てるのも面白いだろうなあ。おっと、まったく、、、また眠たくなってきた。夢は枯れ野を駆け抜ける。


2005年12月22日 雪 積雪8センチ 1度
朝の出勤途中に降り出した雪は、突然、雪嵐のように吹雪き始め、あっという間に辺りは白い銀世界に変わった。そして、大渋滞が始まった。あちらこちらで、自動車がスリップして、道を塞ぎ、のろのろ進む車も、前方視界を遮られ、やがて、順繰りに停止する他なかった。12月の大雪は何十年振りだというが、この辺りに積雪があったのは、3年か4年振りだろうか。雪に弱い太平洋側の都市に、まともに影響が出る。配達も雪が溶けるまで

ここまで書いて更新UPを忘れて眠ってしまった


2005年12月21日 曇りのち遅くに雨 4度
とうとう更新時間までなくなった。実は、三重県の高校の調理科の先生に先日頂いたケーキの味が忘れられず、トップページにまたその高校の生徒様作品の専用ページを開く作業に時間を割いでいた為だ。しかも、そのケーキの写真を眺めながら、空色のシュガーアートの出来栄えに凄いものだと感心している間に時間があっという間に過ぎてしまった訳だ。有難うございました。再度、お礼申し上げます。今日もばたばたしていた。立て込んでいて、例の多面体がまたそのまま途中になっている。京都の独立行政になったk大学の多面体スキスキ先生を思い出した。「わたしはこれで25年暮らしてきました」と自信をもって、その4面体を使った不思議な写真ブロック販売計画のお話をされていたのが印象的だ。今頃はどうなさっているのだろうか。おっと、時間だ。


2005年12月20日 変わりやすい冬空 4度
今日も寒い中、朝から例の製作にかかっていた。年末近く、20日でもあるのか、朝からのお問い合わせが実に20件を超えた。人間の行動というのは、現象としては確かに傾向が見られるのが、ひしひしと感じた一日だ。会社の締め払い日があって、それに合わせて行ったり来たりするのだから、当然傾向として同一方向の動静変化が起きるのだろうか。ニュースでも国の概算発表があり、それを受けて走り回る人もあるのだろうし、、、、これだけ一度にお問い合わせが重なるのも特異日としては、久しぶりだ。以前にも瞬間風速的に一日のお問い合わせが、30近くになったことがあったと記憶しているが、このような土砂降りのような件数は、何ヶ月かに一度起きるようだ。それ以上は、原因はよく解らない。よく解らないが、兎に角、前向きに一つ一つお答えに当たるほかない。夕方、ようやく、区切りがついて、例の多面体の試作に掛かっていた。正4面体、正8面体、正6 これは簡単、正12面体、正20面体、とそれぞれの大中小となるのだが、一番簡単の方法はないかと、あれこれしていた。そう言えば、もう1年前、多面体好き好き先生から、この多面体を商売にするからと、うきうきしたお問い合わせがあって、つい、こちらもその話に乗って、必死で試作を試みていたことがあった。その時、正4面体をいかにロス無く、ブロックから切り出すか、相当詰めたものだった。それが、またひょんな所から話が転がってきて、また、取り組みだしている。その時は1個 4円、5円の話だった。んーん、んーん、
今日はここまで


2005年12月19日 くもり時々晴れ  3度
sトリ研究所の方から例のガラス容器を2個と来年のカレンダーをお送り頂いた。ガラス容器は、製作実例集に作品と並べて、漫画家鎌田洋次くんから送られた特注の招き猫といつも一緒にして写真に入るようにしている水耕栽培の奇妙な新種の植物を入れている容器と同じものだ。挿し木のように、落ちた葉っぱから根が出て来て、伸びてきたので、後2個容器が欲しいと思っていたところだったので、大変助かった。この場をお借りしてお礼申し上げます。お預かりしてからもう、かれこれ、3年以上過ぎているが、不思議な水耕栽培の植物だ。何時、枯れるかなあ、と冷や冷やしている時もあったし、ドンどこ大きくなっていく時もあったし、余り大きくなって大丈夫かと、思っていると、枝葉が落ちて、それを又、水につけておくと、また伸びだしたのだから、面白くなるのだ。最近は、寒さのせいで枝が曲がり、かなり元気が無いのだが、この冬を越してくれると又元気に伸びてくれるのだろう。それまでの辛抱だ。 そして、今日も朝から例の製作が続く。昼から延々と、自家製の機械を使って、櫛形の製作が立て込んでいた。今日も、待ちかねた山の研究所には行けない状態が続いている。例の材質Xで出来た液体窒素の容器を見学に行く予定だったのだが、こちらの都合で伸び伸びの のび太になって、尻切れトンボだ。ごめんなさいね。どこでもドアがあればいいのにね。科学技術の進展というのは、時々、思いがけない急変をもたらすのに、それは、本当に稀なことで、生涯獲物の小鳥が一羽もかからずに、まるで無用のようにして終わってしまうそれこそ無数の網の目があるのだろうなあ。鳥のかからない無数の網目がなければ、鳥のかかった1,2の網の目は役に立たない。それでもいいか。あれかこれかではなく、あれもこれもの状態は続く。


2005年12月18日 陽の弱弱しい晴れ 4度
ある人の紹介で、見学会があるというので、寝屋川の府立高専の学校見学に同伴した。背の丸まる風の強い冬枯れの昼下がり、構内の産学共同研究棟、通常工場棟と呼ぶ、金属機械実験棟などを見学させて頂いた。数千万もする超高級実験器具、機器が所狭しと並んでいるのを見て、感嘆した。CADルームには何百台ものPCが整然と並んでいたし、同じく、解析室にも何百と並んでいたのを見て、明らかに、これからの工業立国日本を担う若者達は、技術作業は、まず、PC操作から、始めるのだなあと、時代の流れの速さに驚いて来た。受付の女性の先生には何年か前、産官学交流会の時、セパネの展示で随分お世話になった方だったので、その節はどうもと、お礼を言うと、「交流会に来られていた方ですね」と記憶されていたので、助かった。


2005年12月17日  どんよりとした、風だけ強い冬曇り 4度
近くの小学校で感染性のお腹の風邪が流行り、学級閉鎖が続いているそうだ。パートさん休みで、今日も朝からバタバタしていた。その連絡を受けて、こちらまで悪寒と吐き気を感じた。嘔吐は伝染するのだろうか。フランスの作家で、マロニエの樹の下で嘔吐すると書いた本があったのをまた思い出した。それでも20歳代なら、飲み屋で、煙たがれ、騒ぎながら、吐くまで飲んでも、店のトイレの鏡の前で、嘔吐直後の厭な覚醒に、その作家のように存在のどろどろ感を追体験出来たと、うそぶいて、開き直れるものだが、この年齢で、昼間から飲みもしないのに、吐き気を催すだけでは、仕事を止める訳にはいかぬ。増してや、休むわけにも行かぬ。そして、今日も朝から存在を忘れて、例の製作が続く。何を齷齪、何を生き急ぐのか、振り返る間も無く、自己を省み何の為こうして日々働いているのか、考える間もなく、1個1円、2円の仕事が果てしなく続く。


2005年12月16日 冬のはっきりしない晴れ 5度
寒くて、扇風機のような形のハロゲン温熱器が、最近会社に一台入ったので、仕事の合間、その前でじっと固まっていた。今日も朝から例の製作が続く。こうして、実例集のページをめくるめく、日々を何とか過ごして来た。毎日が臨戦態勢で緊張の連続なんだ。一年なんて時間の区切りは、存在するのか無いのか解らないくらいだ。目の前の、温熱器のオレンジ色の暖かい光線が、じっと見ているうちに真夏の太陽光線に見えてきた。ギラギラと、まばゆく輝き、空の一角から燦燦と惜しげもなく降り注ぐ、溢れる様な陽の光に包まれて、人や植物も生きとし生けるもの全てが、全身にその恩恵を受けて大きく成長している真夏の思い出。全てがその絶大なるそして抗し難い信頼感から前進、ひたすらに上を向いて進もうという向上心を当然視していた。しかし、何故か、仕事の緊張感が癒えない為か、その違和感から暗い世相を思い出した。まるで、最近は、よくもまあ、これだけ暗い事件が続くものだ、とも思った。昔、フランスの作家で「太陽光線が光り輝いていたから、銃の引き金を引いた」と書いた小説を読んだことを思い出した。近くの寝屋川の殺人事件、この前の広島の殺人事件、栃木の殺人事件、そして近くの宇治の殺人事件、等、実にいやな事件が続く。まるで、マロニエの樹の皮をはいで、そこに存在のぶよぶよのぬるぬるしたイヤなものを見るような思いだ。


2005年12月15日 晴れ時折白いものがパラリパラリの曇り 6度 
今日も朝から例の製作で、動きがとれず。例の研究所への訪問の予定も宙に浮いたままだ。取り合えず、当面の課題を切り上げないことには次へは動けない。日々、まあ、こうして何年も過ぎてきたのだろう。そして、また、こうして過ぎていくのだろうか。明日のことは判らないのだが、兎に角頑張る他にない。さて、それと、今から、新規に発泡スチロールの成型工場を始めたいという方、頑張ってください。先は長いですよ。どの位のご予算がご入用でしょうか。一度計算してみます。


2005年12月14日 晴れ 7度
今日も朝から例の製作が続く。三重県の高校の方から先日の円柱を使った完成写真をお送り頂いた。素晴らしい出来栄えなので、写真を掲載したい。有難う御座いました。何の解説も要りませんね、このような作品に出会いますと、こちらと致しましても、また仕事を頑張ろうという若い方々のエネルギーが移って来るようで、物凄い元気が出て来て不思議です。
(三重県立 アイ○高等学校生徒さんグループ製作作品)
※5年連続でその大会で全国優勝なさっているのもよく解りますね。有難う御座いました。皆さんでお作りのケーキも美味しかったです。


2005年12月13日 寒い北風の晴れ  6度
今日も朝から例の急ぎの製作が続いている。あの製作にも追い込みが掛かってきた。その製作はこれからだし、どれの製作も気を緩めてはいけない。急がなければならない。今日はこれまでか。残念だが、次を急がなければならない。まさに師走なんだなあ。


2005年12月12日 少し強い北風で晴れ 7度
今日も朝から例の製作が続く。機織り機械のような機械音の響く在庫積み上げ作業も続く。こんな書き込みスタイルでいいのだろうかと思いながら、もう4年も続けている。果たして何処まで続くのだろうかと、確たるあてもなく、同じ調子で書き込みを続けている。今日も不思議なお問い合わせが止まらない。どうして!と思えるような奇抜な濃い口醤油のような内容が、次々と届くので驚いた。猫の実験と書くと、少し不気味だが、猫が実験にさらされるというより、猫の為に作った容器の方が目的であるのだが、本当に貴重で、有難くもあり、リアルな結果をご報告頂けたりしている。(このような、報告調の書き込みでいいのだろうか。)もともと、会社とは一体何だろうかと、考えている。状況的には、国家レベルでは、日銀総裁と政府の軋轢は本格化し、いよいよゼロ金利解除は、来年の大きな動きと見るべきだろうから、それに対して、こんな風が吹けば飛んで行きそうな中小企業においても、それ相当の準備は必要かもしれないだろう。反面、足下から見れば、会社とは、たった一人のキーワードで動いているものだ。会社の大小は関係ないのだろう。あんなに大きな会社でも、経営の神様と呼ばれた幸之助がいなくなれば、石油ストーブのあんなつまらない事件を起こしている。どれだけ大きな会社であろうと、何処まで小さな会社であろうと、シンボリックな人が会社の顔として、社の内外を問わず、認知されているのかどうか、求心的な存在があるのかないのか、これが重要ポイントだ。一人が倒れただけで、すべて停止してしまうのは、それこそ、大小関係ないのだろうか。大は大なりに、小は小なりに、次の手、また次の手と連続して打っていかなければならないことは、重々承知しているのだろう。江戸時代、大坂日本橋に何百と並んだ、米倉の所有者も、代々続いた所は数少ない。常々入れ替わり立ち代わり、明治大正昭和と時代を下って来たと言う。求心的でシンボリックな素質のトップが出て、盛り上げ、盛り返し、またいなくなれば、衰退し、また盛り返してという具合だ。では、果たして当社の場合、どうか、どうなるのかが気になるところだ。先々代から数えてもう60年以上が過ぎている。時には途切れることもあるのだろう。時には大発展するときもあるのだろう。所詮、悲しいかな、人間の営みだ。この火を絶やすことなく、前向きに、ただひたすら前向きに事に当たっていく他にないのだろうか。やがて、ひょんな時に、また家系から求心的でシンボリックなヤツが生まれてくる時期もあるだろう。その時まで待つ他にない。


2005年12月11日 冬の晴れ 6度
冬の晴れ間、北のほうで雪を降らせて乾っからになった雲が、細切れに分かれて、一部がこの辺りまで流れてくると、空は、晴れているのに陽が差さない、冬の晴れ間だ。雲は少し紫かかった分厚いねずみ色で、低空を断片的に流れて、弱弱しい太陽光線をさらに遮るとはなしに、遮っているので、暗くはないのだが、晴れ間にしては、暗すぎる、もう今年もあと僅かだと季節の到来を告げるような冬の雲だ。年の瀬の混雑で駅前まで、渋滞に1時間半、とろとろと進むバスのつり革越しに空を見ながら思った。わたしは、こうして生きてきた。あっという間の人生。48年があっという間なら、この一年など、まばたき2回ぐらいなものだ。早いものだ。これからくる年もまた、そんな繰り返し何だろうか。そし


2005年12月10日 晴れ時々曇り 7度
今日も朝から例の製作が続く。オーダーカットの壁床材で相当時間が押した。例の、手荷物一升瓶梱包材は写真に収めるところまでいかずに発送となった。残念だが、例の、特殊電波パットの溝掘り型60点にしても、カメラに撮れずにそのまま時間切れ発送となった。どちらも面白そうな形状に仕上がったのだが、残念だった。残念で写真に残せない形の製作品は今のところ、全体の3割になるだろうか。何とか、全品カメラを構えたいとは思うのだが、なかなかそこまではいかないのが現実だ。「ハッポウモン」のゲットも大変なものだ。出来るだけ、努力はして行きたい。これは、きっとこの時代を映す鏡になりそうな気がしてきているからだ。実に、次々と不思議で面白そうな形状のものが何処からともなく、遣って来ると感心しているのだが、まだまだ、実例集で300程度では、それほど大きなことも言えないだろう。以前、金型成型をしていた頃、金型が2000面になって一人歓声を上げたことがあったが、直ぐに8000面は置いている会社があると聞いて、驚いたものだ。同様に、この程度では、目くそ鼻くそを笑う程度だろうか。しかし、これだけは言えるだろう。顧客サービスか何か知らないが、お金にもならないのに、手弁当で、くそまじめに、ひとつひとつカメラに収めているHPは他には余りないだろうと言う点だ。こんなことをしている発泡スチロールのHPを他では見たことがない。なぜなら、普通はこんなことは社員さんが給料の範囲内でする仕事だろうから、当然時間経費が掛かってくるのだ。カメラを構え、ポーズをつくり、光線の明暗を測り、そうこうしながら写真を撮るとなると、大変な手間になって、すべて経費に跳ね返ってくるだろうからだ。それをまた、商品代に乗せるしかなくなるのだろうから、みんな、ここまではやりたがらないが、こちらは、最初から手弁当だ。そもそも、このHPを立ち上げたのも、自分のなけなしの小遣いを叩いて制作したものだから、会社の負担はないし、半分以上趣味の範囲で取り組んでいるものだ。そう、次々に遣って来る不思議な形状の発泡スチロールを面白おかしく、妙に好奇心を掻き立てられながら、写真に撮っているのだ。どこまで続けることが出来るだろうか、判らない。まあ、やれるところまでかなあ。


2005年12月9日 晴れ  6度
今日も朝から例の製作が続く。首を長くして、例の光都市事務所さんの結果を待つ。寒い一日だった。そして、相も変わらず、実に様々なお問い合わせが続いた。何度も書くが、それこそ発泡スチロールの不思議なのだろうか。まったく良く分らない。分らないのだが、お答えには出来るだけ誠心誠意を心掛けて、自分で書くのも何だが、何事も前向きに当たることにして来た心算だ。とは言え、これが本業ではない。HPの更新は本業ではないし、まだまだ、何処にもこれが本業とはとても言い難い地平をため息混じりに這いつくばっているのにはもう、4年が過ぎたが、依然変わらない。逆に、よくまあここまでやって来れたものだと、振り返れば感心することばかりなのかもしれない。我々のような、風が吹かないと桶屋が儲からない中小企業では、そんな苦労事は当たり前なのかもしれない。常に、再度、そしてまた再度と、手綱を締めなければならない。油断出来ない連続だ。よく、過大な投資をあっさりと なさるところがあるが、あれはどれだけの計算の上に勝算を出して、行っているのか、不思議なことがある。確かに、車輪が巨大なら、歯車の一つ一つも大きな気持ちになるのだろうなあ。しかし、幸か残念か、中小企業では、その歯車のひとつで会社だから、そんな軽はずみな投資は出来ないし、次の次、そして、またその次を、神業のように結果を見通して、まあ、実際にはあてずっぽで、小出しにして、外れたら直ぐに潔く、さっと引っ込める、連続だろうか。何しろ、すべて、自分の給料や全生活に直結するわけだから、無闇やたらのクラッカーでは決していけないのだ。「えいっやっー」で後は野となれ花となれ、では行けないのだ。例えば、スロットで10回出来る資金があったとしよう。10回一度に同じ台に使って無一文になるか、コイン1枚だして、後は出来るだけ時間をかけて、スロットの前で、決してコインを放り込まずに、ぐっと汗して手に握りしめたままで、係りの人から胡散臭い目で見られながらも、黙って姑息にねばっているかの違いだろうか。コインを投げ込んで大当たりして、一躍、帰りは、高級料理店で握り寿司でも食べて帰るかと、その時は鼻高々になるのかもしれないが、矢張りだめだ だめだと ため息ばかりになり、帰りは、スーパーの安売りで、賞味期限切れを買って、自分で味噌汁に入れて食べるか、となるかもしれない。確率は、どれだけ前宣伝を並べてあっても、同じ50%50%だ。人間の心理は怖いものだ。一度、これは行ける成功しそうだと思うと、今度は、思い込みが激しくなる場合が出てくるからだ。何が何でも、これだこれだ、上手くいくのはこれしかない、と信じ込んでしまう場合がとても多い。信じ始めると50%が60、70、90と確率が高くなって見えてくるのだ。平行線に斜めに横切る直線を1本入れると、平衡が崩れて中央が膨れて見えるのに似ている。これも不思議なものだ。だが、では、このスロット台は当たりそうだ、と判断させるのはどんな情報だろうか。どんな情報によって決定するのだろうか、われわれは。例えば、「足は地に付け、胸は国を思い、目は世界を見る」といった古い言い回しがあったが、現場で当面の課題に取り掛かりながら、社と地域業界の行く末を思い、広く世界全体の状況を常々察しながら事に当たれよ。というものだろうか。そんなことで、果たして、この先が見えて来るのだろうか。そもそも、「見えてくる」とは一体何だろうか。勝利が見えて来るのだろうか。大発見が見えて来るのだろうか。完成した暁には、この社会生活の大変革が本当に見えて来るのだろうか。その少数意見がやがて時を経て多数派を構成していると思わせるのは、一体何を根拠にしているのだろうか。簡単に価値観の違いだと切って捨てるな。何故かと問うているのだ。もっともっと、血と汗と涙にもまれたどろどろとしたものだろうか。それともガラスのように硬い不文律だろうか。恐らく、実史からモデルを幾つか取り上げれば、その傾向は以外に簡単に推定できるのだろうから、そこから始めるのもいいのかもしれない。いかにもその方が分析的で合理性がありそうだ。ところが、残念、ここで問題なのは、課題は「自分のこととしての判断材料か」どうかと言うことだ。おっと、時間だ。





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