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営業部デスクのコラム欄

「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
             

2005年12月8日 晴れ  6度
疲れて寝てしまった。もう朝だ。何一つ書き残せないが、時間があと1分ほどしかない。また、1行コラムになっている。こんな時は即興で歌を書くに限る。

 たわわ なるなる 青色LED ひかるよ箱庭 団地のベランダ ジングルベルでおめでとう


2005年12月7日 朝濃霧後晴れ時々曇り 9度
帰り道、またラジオでシャングリラの歌が流れてきた。これを聴くとどうもゴダイゴのガンダーラを思い出すのだが、さも有り何。シャングリラとは桃源郷という意味だと知った。歌っているのもチベット出身の3人娘らしいので、納得した。今日は、いつもの製作が続く。この10月にパッチワーク通信社から出た雑誌で『レッスンシリーズ マイクロビーズでつくる リラックスグッズ』に当社が掲載されているのだが、その雑誌を読まれた読者の方から、手作りクッションを作られたとの事で、写真をお送り頂いた。有難う御座いました。合わせて、マイクロビーズを袋に入れる方法で、こんなに上手い方法がありますということで、その道具の写真もお送り頂けました。本当に有難う御座いました。参考に写真を掲載させて頂きます。




「その節はお電話で親切な対応有難う御座いました。リラックスグッズを読ませて頂きました。大変面白そうでしたので、私め、趣味で洋裁をしておりますし、早速クッションを作ってみました。ふわふわとした感触がとっても良くて、気に入っておりますの。また、元町まで生地を買いに行く機会など御座いましたら、もう少し作ってみるつもりです。、、、、、、皆様のご発展をお祈り、、、、追伸 それと、マイクロビーズを袋に入れるのには、名前は存じ上げないのですが、庭の植木屋さんがお使いでしたので、同じものを園芸店で見つけました、こんな道具を使うと便利でしたのでその写真も同封致します。これに広告のチラシなどを丸めて大きくして使っています。」(芦屋市在住 ○○洋子様 お作り作品)
 写真からデジカメに撮り直しましたので少し見づらいかもしれませんが、右側のジョウロのような道具ですね。これに、新聞紙かチラシを丸めたものが左側のものですね。これをジョウロの様なものに被せてお使いだったんですね。貴重なアイデアを有難う御座いました。


2005年12月6日 みぞれ気味の雨 5度
滋賀方面へ出たトラックから京滋バイパスの南郷を抜けると一面雪で真っ白だったと連絡が入った。京都でも北区では雪化粧だったそうだ。12月に入って直ぐの時期で、金閣寺まで小雪で白くなったのは、何年ぶりだろうか。昼過ぎには雨も止んで、どんよりとした曇り空になったが、終日ぱらぱらと雨は続いた。今日も朝から例の製作が続く。どこかの新聞にマンション住み替え予定者1000人へのアンケート結果で、住み替えを凍結すると答えた人が33パーセント、戸建などに変更の人が6パーセントに上る、と言った調査結果が出ていた。「風が吹けば、、、」ではないが、戸建を売っている側には、ひょんな追い風になっているようだ。分らないものだ。何処でどうなって行くのだろうか。材木屋さんにとっては、今回の一連の事件は、戸建住宅の見直しとなっているようだが、景気に連結してくるのだろうか。こちら立てればあちら上がらずか。無闇と、安いからと飛びついてマンション買った途端、無一文になるよりも、戸建でも買っておけば、最悪、土地は残る、ということだろうか。その上、折からのデフレからインフレへの流れで、いよいよ土地も少し上がり始めた訳だから、マンション志向グループの一部が乗り換えに傾いて来たのだろうか。わからない。しかし、ここのところの変化には注意したいものだ。確実に、インフレへの基礎つくりが進んでいるようで、うがった見方をすれば、この一連の事件は、景気の腰を折ると言った発言は、どうももうひとつの見方からは、何ともいえないようだ。夏場にネクタイ外して、温暖化対策をしても、ネクタイ業界の悲鳴があったように、世の中、実に様々に繋がっていて、一概にはどうのこうのと言えないようだ。やがて、土地が上がるなら戸建を買おうという方向に進むのだろうかなあ。では、土地を上げるには、ゼロ金利解除だろうか、金利がつけば、国債は下がる、国債が下がれば、国債の運用機関は困るし、物価は上がる、物価が上がれば土地は上がる、土地が上がれば国債は下がる、国債が下がれば、年金運用機関は困るのだろうなあ。その分、穴埋めに銀行金利がどれだけ付くのだろうかなあ。運用金利があるではないか。金利が上がるから土地が上がる。かくして、お金は世間の回りもの。所詮、絵空言、たわ言、他人言。ということは、矢張り、来年、、、、、。飴とムチやなあ。


2005年12月5日 雪待ち曇り 13度
今日も時間がほとんど無い状態だ。このような中小企業では、それでも前向きにこなして行くほかにないか。こちらを立てれば、またこちらを立て、の状態で一日が過ぎた。漸く、一言コメントも、時間切れにてここまでになる。残念だが、まあ、こんな1行コメントが続いた時も、過去3年の間には何度があったものだ。以上


2005年12月4日 雨 14度
どうやら今日も時間が無い。気の利いた事を2,3行書いておきたいものだが、そうは問屋が卸さないようだ。あっという間に1週間が過ぎていくと言う実感は、さらに早くなっている。日曜も開いている近くの内科医で咳止めのいつものものを薬だけと頼んでも診察を受けないと出せないと言われて待合で待ったが、朝から並んで、やっと窓口でいつもの薬を手にしたのは昼2時を過ぎていた。インフルエンザの予防接種に来る人や風邪引き道中のお仲間の人で、いつもの3割増しの混雑のためだったが、お陰で直りかけた風邪に、もらい風邪が追い討ちをかけたのだろうか、昼からずっと寝込んでいた。つまらない話だ。では、失礼


2005年12月3日 曇り 14度
今日も朝から例の製作が続いた。直ぐにでもと言ったお客様が玄関でお待ちの状態だった。こんな中小企業にまで、お足を運んで頂き有難い限りだ。また、例の水槽で本日引き取りにお越し頂いたのだが、ロゴの製作にはちょっと採算度外視で凝った作りになったのだが、大変喜んで頂いた。あと、夜7時過ぎに例の液体窒素用の700φ×h700mmの専用容器の研究所での実験結果の第一報を頂いた。「ビミョウーなものですね」が結論だった。本当にビミョウーなんだ。確かに、上下二段式で接合面には特殊接着剤を使っているのだが、別々の下部のみでは、ほとんど何ら問題が無かったし、接合面には、漏れの問題はなかったのだ。ところが、どうしてだろうか、「接合面で硬くなっているので、発泡スチロールの伸び縮みが出来なくなったからでしょうか」とその研究所の先生から指摘があった。その点については何ともいえない正に「ビミョウー」だ。研究室長の先生が以前仰っていた「何らかの許容範囲にありそうだ」との一言が脳裏を掠めた。このまま進んでいくと間違いなく研究ノートの路線に向いそうだなあ。この開発も面白いかもしれないが、先は長そうだ。


2005年12月2日 雨かなあと思うと晴れ 15度
夜、10時を過ぎて帰宅。このような製造加工業で何時間だろうか、動きっぱなしでは、こたえるものだ。倒れるように寝てしまったようだ。朝だ。もう時間がない。まさに一日中、年がら年中の仕事のようだ。今日はここまで
愛知県の○野さん、セルパネ遅れています。ごめんなさいね


2005年12月1日 晴れ時々曇り 15度
今日も朝から例の製作が続く。有難い限りだ。体調を崩しているが、何とか頑張る他にない。それが、我々のような中小企業の生きる道なのだろう。前向きに取り組んでいく他にない。本当に景気は回復したと言うが、本当なのだろうか、よく判らない。我々は、本当は景気不景気に振り回されない商売に持っていかなければならないのだろうが、日々、目の前の事象に追われている。どうするべきか、の真剣な選択に直面しながらの作業だ。後ろを振り返ると、よくまあ渡って来れたと思うような細い綱が、延々と見えなくなるまで伸びている。前を見ても、これから先にも、暗闇の彼方にまで延々と細い綱が伸びている。1歩づつだ。1歩づつだ。おっと、もう時間だ


2005年11月30日 曇りがち 15度
実例集の更新を今日こそはと、思いつつ、急遽、ある北海道のお客様から頂いた美術作品のお写真をお送り頂き、拝見させて頂いた瞬間、それは次回に延期し、先ずその展示作品の感想を書くことに決めました。と言っても、こちらで出来るのは、せいぜい寸評程度が限度でして、所詮言語による表現には到底言い表せない領域に達したものを評すること自体如何なものかと、他から逆批評でもございましたら、只、平身低頭する他ないのかもしれませんが、誤解を覚悟して敢えて申し上げれば、これはこれは素晴らしい作品としか申し上げようのないものでした。或いは、もう伝説になりましたでしょうか「言語にとって美とは何か」と、ゴッホや近代ヨーロッパの芸術家を論じて戦前戦後の近代美術批評家としてその筋の重鎮の地位を長くしていた○林氏の論壇を根こそぎ、その激しいタッチと当時のリアリティを求める若者達の絶大な支持を得て、勇敢にも、解体に取り掛かった方がおられた訳ですが、その方が言語の属性をそんな風評で酷しておりましたが、今回、この作品を拝見させて頂き、「美にとって言語は不要か」と言う、古来ギリシャに始まる芸術のテーゼを、どうしても乗り越えられない幻想として、ここにまた告白する他に方法がないのでしょうか、と思います。確かに、ほら、視覚を通過して、信号が入力された途端、海馬の奥底から反応があって、次第に拡張しながら、反復して実体となりつつ、各感覚器官を制御しきれずに、舞い上がるような興奮は、すぐに発展的な幸福感を果てしなく広がる水平線に平和裏に水が滲み通るのに似て、無抵抗で得られるようでしたし、その先にあるものを、さらに継続して入力されてくる信号が、論理の基本原則であるべき三段論法や弁証法と言った鉄の鉄則すら融解して、血の争いと戦争の歴史の清算を求めて、斯くも清らかで、斯くも崇高で、斯くも原初われわれの目指したものが、そこにあるのだと言わんばかりの感動がありました。作品に付けられた題は「無題」でしょうか。はっきりしないのですが、はっきりしないところが良いのかもしれません。例えば、「天使の舞」かも知れませんが、最早、その感動の出力には、何の抵抗にもならない程の存在感ですから、題にこだわる必要はないのでしょうね。しかし、この素晴らしい作品を前にして、こんなぼろぼろの批評家ではありますが、ここで立ち止まる訳にはいかない、何かひとこと書き残さなければならないとしたら、それは何でしょうか。先ほどの古代ギリシャの例ではありませんが、生の希求を真善美とした哲学者がおりますが、真理は科学が猛追し、善はこの社会をみて語り尽くされることなく、残る美の祭壇が誰彼構わず易く問われる中で、ここに漸く人類幾千年の終止符を打つ時が来たのだと言えば、この作品にあたるとすれば如何でしょうか。






(北海道 Hさん製作作品。
       右 札幌市民ギャラリー  左 北海道立近代美術館 にて)



2005年11月29日 曇り 16度
戻ると、倒れるように寝てしまった。もう夜明け前だ。一日の過ぎるのが早くなった。1ヶ月の過ぎるのも早い。そして1年があっと言う間に過ぎていき、気がつくと、うたかたの夢の宿り木のような生涯が過ぎ去っているのだろうか。人知れず、そんな一瞬、物陰に人の生があったなどと、誰にも、信じられることもなく、気づく人とて、所詮なく。掴みかけた生き甲斐も、その早さに枯れる木の葉の散り落ちる間も待てず、嗚呼これが人の世とは知らずに生きて来たものよと、嘆き悲しむ暇とてなしに、やがて夜は明ける。今日も、また斯くの如き、然も在りなん、夢一夜の間隙に。


2005年11月28日 雨でもありそうな晴れ 17度
今日も朝から例の製作が続く。あれもこれもの状態が続く。モニター様へ足湯容器の試作を出す。あれこれと懲り出して、収拾がつかなくなり、とうとう少し未完成なのだが、取り敢えず、足のサイズ28センチの方の御用には供せると思う。続けて、例のキャットハウス、『暖かい猫の家シリーズ』出荷する。扉の部分がパタパタするように作ってあるのだが、接着剤の関係で少し硬そうだが、取り敢えず、御用には供せると思う。この他に、しなければならない作業が次々と続く。間隙を縫って、例の球面体の加工の道具に新たな工夫をしてみる。何とか、さらに作業時間を大幅短縮をみて、汎用化していきたいものだが、そうは直ぐにはいかない。一歩づつというところか。そうこうしている間に、時の経つのは無常に早く、どうやらまた体調を崩したようだ。体調を崩してみると痛く堪えるのは、何よりも健康が大事だということだ。製作実例集の更新出来ないまま10数例がそのままになっているが、次回にしたい。


2005年11月27日 晴れ時々曇りぐらい 17度
確かに、こうして書いていても、これは小説化は難しい類のものだ。ほとんど、1人称だからだ。「小説家というのは、男が女に女が男にと視線を自由に変えながら書けないと無理だ。だから、男女どちらでもない妖精のようなもの」と誰かが書いていたが、確かにそうかもしれない。何か、小話でストーリーを膨らませるにしても、どうしてもそこを乗り越えなければ行けないだろう。おれだ、おれだ、と書いていても面白くないだろうからだ。おれが、どうしてこうして転んだ、だけでは寂しい位に、くだらない独り言にもならないのだ。やはり、どこかで、やさしく手を差し伸べて呉れる人が現れて、話は回転していくのだろうなあ。中島みゆきの歌で「道に倒れて誰かの名を♪呼び続けたことがありますか♪」というのがあるが、夕方たそがれ時に、大阪梅田の雑踏の中で、転んで見るといい、必ずと言っていいぐらいに誰かが声を掛けてくれるものだ。若い女性が倒れたら、それこそ、直ぐに声が掛かる。老人が倒れると、志しのある人が意外と多いのに気がつくものだし、世間もそれほど捨てたものではない、と直ぐに世の中を楽観できるものだから意外だ。中年のおばさんが倒れても、働き盛りの男性が倒れても、小学生が倒れても、大学生が倒れても、直ぐに誰かが飛んできて不思議と声を掛けてくれるのだ。だから、歌のように「恋人の名前を呼びながら たそがれ時に倒れ」ようものなら、わんさわんさとお声が掛かり、泣いている暇もないかもしれないだろう。そこを小説家は、作文すると、さも、ありそうなように書くのだろうか
「その日、A子は、携帯のメールに目を通して、見てはいけないものを見たような気がして、それもいつもの様な洒落た嘘だとさりげなくスイッチを切ろうとするのだが、最初は怖いものを見てしまう他人心理にその正当性を確保したかのように思い直して、また再び、覗き込むようにして小さな液晶画面を見るのだったが、最早、はっきり見るまでも、あの時、あの会話に、このメールの伏線があったんだと、次第に思出だせる様になると、思わず涙が込み上げて来た。、、、、、」おっと時間だ。では失礼


2005年11月26日 曇り勝ち 15度
今日も朝から例の製作。昼過ぎ、馴染みの材木屋さんが引き取りに見えた。例の断熱材をいつものように無言でトラックに積み終えて、一呼吸間があってから会話が始まった。「寒なってきたな。」、ええー段々冬になって来ましたね。「発泡スチロールのブロックで、何か余ってへんか」、何しますの、端材で良かったらありますけど、「いやー、なー、うちで飼っている犬の”ポチ太郎”が、このー冷え込みで寒そうやから、発泡スチロールで、あったかい犬小屋を作ってやろうと思うんやー」 な、な、なんとタイミングのいい方だろうか。丁度、他のお客様からのご依頼で、朝から保温性ペットハウスを製作して、幾つか試作した中で、寸法違いのものを完成していたところであったのだ。どうせ、売り物にならないので処分するところであったものだ。 馴染みの材木屋さんは、丸で年末ジャンボに当たったような喜びようで帰られた。これこそ、本当にタイミングがいいと言うものだろうか。


2005年11月25日 晴れ 朝寒むの昼18度
お蔭様で有難いことに今日も例の製作が続く。肝心なところまで進めるには相当なエネルギーが必要と見た。例の工夫の道具にさらに改良を加えようとしていたが、また別件で業者数名と打ち合わせに入った。我々のような中小企業では、次を密かに計画していかなければならない。現業スピードを上げて休むわけには決していかないのだが、さらに、次を先回りして用立てていかなければならない。そんな、繰り返しだ。机上で済ませたらいいのだ。どれだけ、リアリティーに膨らませるかだけで、大方は出来るだろうか、だからわっと飛びついてお金を掛けることもなかろう。道具は中古でいい。あるいは自前でいい。人様のお金で開発費を湯水の如く使いたいものだが、そんな冒険をしてまで、何を齷齪、あくせくして生きるのだろうか。世のため人のため、役に立つため、一発の花火で終わっては、やり直しはきかないだろうか。だから愚直でいい。喜んで愚直でいい。そして、長生きしたほうが勝ちじゃないか。90歳で、なお未だ現役なら光栄だろう。もしかして、このようなページが後まだ、40年も続いていたら、それだけで、おもろいやないか。30年も前に一回見ただけだったHPが、なんだ電脳化石かと思ったら、まだやってたんか、となるだけでびっくり仰天だろうなあ。では失礼


2005年11月24日 雲の多い晴れ 15度
例の製作が続いている。少し、体調を崩した。無理をすると直ぐに喉にくる。毎日の関連にあたる地方紙の元記者の知り合いからメールが届く。おふくろさんが脳溢血で倒れ、意識不明で入院し、付きっ切りの看病にあたっているらしい。一人身で10年前に親爺さんを癌で亡くし、病気がちなおふくろさんの看病に明け暮れた日々が続いていたが、とうとう、先日階段で倒れ、そのまま入院したらしい。もう、1ヶ月、仕事も休み、そばに付いて寝起きしているらしい。大変だ。何とも申し上げようがない。 、、、、時間だ。

2005年11月23日 小春日和 16度
あれだけ、遅れ気味の秋の訪れだったが、かなり例年に追いついてきたのだろうか。実家の近くの今では押しも押されもしない紅葉の隠れた名所になっている、阪急北千里駅下車、阪大工学部へ抜ける道で、ここだけがヨーロッパ調で3列になっている並木道を見に行った。エキスポ坂を上がって直ぐの、坂を上がりきった辺りから200m位だが、楓の葉などが、道路と歩道の両側に三列に並んで続き大変綺麗な彩りに変色している並木道だ。昨年は、台風が多かったせいで、色づいた葉が日持ちせずに、あっという間に終わってしまったが、今年は、風の少ない穏やかな日が続き、ここへ来て適度に冷え込んで来たからだろうか。大変綺麗になっていた。もう最近では、相当知られるようになったのだろうか、大勢の人で混雑していた。ざっと見ているだけで、三脚を担いだカメラマン20数名、マイクロバス2台、交通整理のパトカー1台、と言った具合で押すな押すなの人混みだ。




並木道の入り口だ。この直ぐ近くに、Nハム研究所の元Nハム食品の社長Sくんの住んでいた家があったりする。ちょっと立ち寄ったが、あいにく、お留守だった。

  





大勢のカメラマンで一杯だった。


   

紅葉した並木道の中を歩けるのがいいのだろうか。樹齢30年から40年というのが、見頃なのだろうか。学生の頃、この坂道を通学路にしていたと言う気さくな老人が話してくれた。どちらからですか。と尋ねると、筑波からだという。近くの大学に夫婦で用事があったらしい。「あそこに通っていた頃は、それ程とも思わなかったがなあー」と時の流れに感無量な感想を述べられた。











本当に大勢の人が遠方からでも観賞に見えていたし、記念に落ち葉を持って帰る人までいた。どうするんですか、と尋ねると、洗って天麩羅にして食べるらしい。「結構、おいしいんよ」と笑っておられた。いろいろな観賞の仕方があるものだ。







2005年11月22日 また晴れ 15度
今日も朝から例の製作。来客数名。例の加工に追われ、また遅くまでバタバタしていた。zzz、zzz、zzz、おや、もうこんな時間だ。机に布団を掛けて枕まで持ち出して寝ていた。風邪を引いてはいけないと、用心の為掛けた布団が結構暖かく、そのままぐっすりしていたようだ。こんなことを繰り返しながら、日に一度、消息を世界に発信しているわけか。そう言えば、昨日は面白いものを製作していた。お寺さんのご依頼で100φの円柱だった。「壮厳に使う」とのことだった。年末年始も近い。基本的にどこのお寺でも同じだそうだから、需要はあるようだ。実に様々な所に広がりがあるものだ。解らないものだ。ふと、滋賀県の長浜の近くの大きな寺に住む、若いころから、飲んだくれで、自称「おりゃ破戒僧やぞー」のアル中坊主をやっているMくんを思い出した。何と違うものだろうか。一方で、着々と寺院に使う様々な用具に改良を加え、利便を高めているところがあると思えば、一方で、これでいいんだとばかりに、荒れ果てて、肝臓か腎臓の修行とばかりに遊び回っている者もいる。困ったものだ。どこで道を踏み外したのだろうか、彼も以前はそうではなかった。あのことさえなければ、、、。これが人生か。あれは確か、、、、、


2005年11月21日 晴れ 例年並の15度
今日も朝からとんからりん とんからりんの在庫積み上げ作業。穴あけ作業用に少し工夫の道具を使った。最近では、近くのホームセンターに様々な素材が並ぶが、少しの工夫だけでも、結構 お店の主旨を反れてしまうのか、その 工夫に見合う素材を探すだけでも一苦労だが。まだまだ、あらゆる作業において改良の余地があり過ぎるくらいにあるのだ。本当はこんな工夫は20年も前から始めておくべきだったのかもしれないような工夫をようやく最近になって思いついて取り組んだ訳だ。こんな、繰り返しだ。しかし、一歩ではあっても確実に前進している。その少しの工夫の道具だけで、作業工程は少し改善されたからだ。現場で、ものつくりに取り組むというのは、詰まるところ、絶え間ないこの繰り返しだろうか。逆に言えば、外野で如何にわいわい言っていても、マウンドでいいボールを投げられなければ、何にもならないのと同じだ。どう酷評しても解決できる問題ではない。今、目の前にある技術的な問題点を如何に美辞麗句を並べて膨らましても、丸で仕方がないことだ。90パーセントの努力と9パーセントの運と1パーセントのひらめきがなければ、どのようにもならない。恐らく、それはチームプレイでは無いだろう。個人レベルで、まずひらめきやアイデアがないと進まないだろう。99パーセントの努力とか運に任せて、我武者羅に試行錯誤を繰り返すうちに、ふとその輝かしいものを思いつくのは、うず高く積み上げられた失敗品の山に埋もれた孤独な貴方でしかないのだ。機械による作業の場合、そんな努力とひらめきも、マニュアルがあって制限されるのだろう。勿論予算もついて来る。折角ひらめいても、敢え無くお蔵入りというすばらしいアイデアも幾らでもあるのだろう。だから、わずかな一歩であっても積み重ねて行く他にないのだ。努力だ、また努力だと言う他に無いのだ。冗談とふんどしは、また にしろ ではない。何からでもやれるところから、微力であっても進めて行く他に無い。有難い事に、こちらでは定年は無い。倒れて身動き出来なくなるまで仕事は続く。

 今日も発泡スチロールを使ったそれはそれは、思いもしなかった面白いアイデアを2件頂いた。確かに、これはインターネットの威力だろう。他に、これだけのシステムは地上に存在しなかったのが残念だ。その巨大さを改めて痛感する。その絶大なる圧倒的な有利性は、何といっても全世界と直接つながっていることだろうか。まあ様々な意見もあるが、取り敢えず民主的に公平にあらゆる世界との会話が可能な機能を個人が手にしたということの意義は実に大きいと思う。そのシステムあってこその今日も面白いアイデアの提案であった。どちら様も有難うございました。大変参考になっております。


2005年11月20日 雲の多い晴れ 15度
本当は書き残しておくことがとても多いのだが、時間が無い。1件、こんなのがあった。作家志望の10代の方からのお問い合わせだった。恐らく、フジカットにちょっと聞いてみるのが、あまり支障がないと思われたのだろう。しかし、こちらで把握している限りだが、作家といってもそう簡単にはなれないで。「なれたらいい程度です」という事だが、そんな生半可では、物書きはでけへんやろうな。その程度のものでいいんやったら、ここみたいに発泡スチロールの加工でもしながら、毎日書いていればいいだけやろうなあ


2005年11月19日 晴れ 15度
今日も遅くなった帰り、ラジオから流れる『シャングリラ♪』という歌を聴きながら、勝手に独断的に良く似ているなあと決め付けて、同時並行にゴダイゴの『ガンダーラ』を思い出していた。急に、信号で停止したのかと思うと、前方にパトカーと救急車が来ており、ただ事ならない事故の様子だった。まだ、直後だったのだろうか、交差点に集まった大勢の人や担架に担がれて横たわる人が、闇夜のような真っ黒い夜景を背景に、赤ランプの照り返しで、全身が血まみれのように映った。ラジオの『シャングリラ』の最後に聞こえてくる歌詞が、絶叫と共に終わると同時に、口の中で『ガンダーラ』を静かに無心で唱えている自分が、すぐ横を車で通過した。自動車を運転しているとどうしても偶に、出会う光景だ。死んでしまえば何も残らない。生と死の物凄い隔絶を、その担架の横を通過する瞬間、否が応でも感じた。それがただ事でないことは肌で感じる。あれは、20歳台の前半だったろうか、アングラ演劇をそこいらじゅう見て回っていた頃だ。初めて一人東京へ行き、劇団”68/71黒テント”の芝居を見て、感動に浸りながら、見知らぬ街を、あれは確か下北沢だったろうか、うろうろして、それでその後、まだ当時、東京にいた作家( 『沖縄のオバア列伝』など多数)仲村君の下宿に泊めてもらったことがあった。その時観た、黒テントの役者が全員して、舞台で並んで歌っていたのが、前後のセリフは思い出せないが「、、、死んだやつは♪助け♪られーない♪、、」というところがあったのだが、どういうわけか、もう30年近い時を越えて、その舞台の瞬間が、名も知らない担架に担がれた全身血まみれの人を横目で見た時、耳の中に今この場で上演されてでもいるかのように聞こえてきた。やがてその現場を離れ、赤ランプの灯が後ろで暗い闇の中に次第に小さくなるに従って、劇団黒テントの舞台は大喝采と共に幕となるシーンが、大きく思い出されて来ていた。役者達は皆、舞台中央に立って叫ぶように歌っていた。「死んだやつはー♪たすけー♪られーない♪」まだこれからの人生、生きることに希望と夢と少しの不安に一杯だった頃だ。


2005年11月18日 少し寒々とした晴れ  15度 
今日も朝からとんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりん の機織り機械のような機械音の響く在庫積み上げ作業が続く。各種製作作業も続く。有難い事に様々なお問い合わせも昼から堰を切ったように続いた。と、こんなスタンスの書き込みだが、ここはこれでいいのかも知れない。しかし、ネットは不思議なものだ。学校等なら入学式があってその1年、新しい仲間に、よくまあ個性的な人がこれだけ集まるものだと感心するローペースなのだろうが、ネットの場合、殆どが、毎日新規のお問い合わせの連続になるのだ。だから、こちらでは、3年で個人法人を寄せて約2000件のお問い合わせ結果になっているのもうなずける。そして、明らかにこのペースは上がって来ている。(あれっ、学校なら3年も経てばちょっと大きな所なら2000人位生徒さんの名前を覚えないといけないよね 同じかな)全体のネット人口の増加によるのだろうか。よく解らない。ただただ、こんなつまらない書き込みを続ける当HPに訪問頂けて有難い限りだ。大切なお時間を使わせて、大変責任を感じている。折角だし、ここはおつなぎに、一曲歌うといいのかもしれない。それとも、面白い情報を流し続けた方が良かったのだろうか。これだけ様々なお問い合わせが毎日飛び込んでくるので、面白小話はごろごろと溜まって来たようだ。まあ、それはさて置き、我々のような中小企業が抱える問題を考えることも有意義だろうし、この世界の揺れ動く情勢の分析にネットを駆使して見るのもいいだろうし、もっと、硬く硬く、合成樹脂の精製から加工に至るまでを見ていくこともあるいは必要だろうか。先ほどの学校の例えではないが、我々のような企業人の経験から、これから進路を決しようとしている若い人達にアドバイスを発信するのもいいだろうし、あなた、君、諸君、君達、あなた達へと意見するのもいいだろうし、やっぱり、そんな老いた話は止めて、これから今をどうすべきか、斯く有るべきと言うのじゃなくて、こうやってエンジョイしているんだ、というのが良いのだろうか。さて時間だ。では失礼。


2005年11月17日 晴れ時々曇り 16度
昨日に続き、ウルトラ超特急のご希望のお客様にお応えするべく、多忙で疲れたのか、目が覚めると、もう空が薄明るくなっていた。今日も斯く在り、明日も在りなん。経済の諸情勢の中で、先を如何に読むか。じっくり考えたいものだ。


2005年11月16日 晴れ 17度
朝から例の製作が続く。あれかこれかの中であれもこれもの両立と言うのを 選択というのかどうか分からないが、そのような舌をかむような状態が続く。日々、ただ、有難い限りだ。近くの書店へ行くと、編み物コーナーには、早くも次の雑誌が並んでいた。年末から1,2月の季節向けの編み物関係だろうか。店に5冊あったパッチワーク通信社の 『レッスンシリーズ マイクロビーズでつくる リラックス グッズ』も全て売り切れてなくなっていた。当社が通販を担当していたので売れ行きが気になって、約1ヶ月、書店に行った際、ずっと動きを見てきたが、大体1ヶ月で次の雑誌へと読者の興味関心は移っていくのだろうか。だから、売れ行き等をみて5冊並べていたのだろうか。売り切ったと同時に次から次へと新しい編み物関係の雑誌が並ぶ。雑誌の編集の世界とは、そんなものなんだろうか。あの編集者も今では何も言って来なくなったが、次の企画に忙しいのだろうか。一人でいくつもの企画を受け持っているのだろうか。1年先の次の企画へ向けて、スタートから飛ばさなければ、来年のこの時期の売り出しに間に合わないのだろうか。ベテランの方だったから、もう何十年、そういった年中行事のような編集をなさっているのだろうか。いくつもの企画を平行して立ち上げておられるのだろうな。大変な世界だ。そして、その積み重ねと読者反応の経験の蓄積が、次の勝負の元気の元になるんだろうか。次々と、他社には見られない新規の企画、同じ編み物であっても、世間の流行があるように、今をおいて情報を発信するチャンスがないようなものが、必ず出てくるのだろう。例えば、この季節にしてもそうだ、今年のような温暖な天気が続くと少し冷え込んでも、随分と寒く感じる。このような時に、一流デザイナーは、季節をどう表現するか、そして、そのパフォーマンスは、波状的に伝播していく。やがて、パッチワークの世界ではこうなると様々な企画を通して流行は拡大していくのだろうか。確かに、感覚 これのみが真理の世界だ。言語にとってこの感覚を白と黒の文字記号に抽象化して置き換えることは不可能な世界かもしれない。意味の伝達が言葉によって可能なのだから、本来言葉自体感覚の積み上がった産物であるとも言えるが、それは、言語にとって美とは何か、その構造を解明できる程度であって、ここでいう時間的に流れ動くために常にその指し示す対象が変化するものとしての感覚では、掴みようがないはずだからだ。なおかつ、感覚 ここには言葉の本来の他者との共通の同意が含まれている逆説まで加味されているから不思議だ。つまり、個自体の全く孤立した問題提起であったはずの感覚が、どこかですーと知らない間にこの広く世界とつながっているのだ。だから、孤立し独自の意見であったはずの感覚が、世界の流行には、見かけ上、自らの狭い枠を越えて、共通の意思なんてものが、在るかのごとく、同じ方向に歩き出しているのだ。不思議なものだ。たかが感覚、されど感覚、つまり、深く掘り下げるならば、古今東西、流行をみて、感覚の問題としてきたものには、反面、まさに我々共通の問題が含まれているのだが、それを論じようとした途端、感覚は対象化されてしまい、その先の不可知論のようなことを言うばかりで、前に進まなくなる。だから、もっと、ソフトに見ていくべきではあるのだろうが、感覚というよりもフィーーリング、、、、、


2005年11月15日 晴れ時々曇り 17度
今日も朝から例の作業の続き。珍しい問い合わせに、久しぶりに光設計さんにTEL。これはまた面白い展開のお話であったので、来年から随分と発展が見込めそうな強い予感があって、終日、気分だけ、空回りしてばたばたしていた。様々なお問い合わせも続く。何とかしなければならないのは、その作業場のスペースだろうか。雨漏りのひどかった天井の修理は終わった。台風で材料が水浸しになってだめになることももう無いだろう。だが、どうしてもそれをするとなると、相当なスペースが必要だ。今度は、もっと大きく動かなければならないのだろうか、果たしてその為に、山は動くのだろうか。近くで続いている第2京阪国道の延伸工事もあと1年もしないうちに、この分だと外環状線までつながりそうな進み具合だから、それに伴ってまた、新しい、景観の秩序と街並みが出来て行くのだろうか。考え方によっては、これを使わない手はないかもしれない。交通が極めて便利になるからだ。しかし、人材確保からは、何といっても電車の駅の近くがいい。駅から歩いていける方が遠方から気楽に人が集まって来れるというものだ。職住接近も必要だ。こんな中小企業だ。24時間、臨戦体制で仕事が待っている。それには、500坪ぐらい要るんだろうか。それが、最も大事だ。最も、、、、おっと、最もその前に資金が無かった。(笑い)、、、、zzz、zzz、zzz 何を書いていたのか、気がつけばまた眠ってしまっていた。中小企業、全方位であらゆる可能性に、危険の分散で急場をしのぎ、生き延びていかなければならない。大きく世界の情勢に視点を離さず、これから半年先の経済の動きも何とか読み取れるようになってきた。「まだはもうなり」ニュースで盛んに増税を打ち消す発言が増えるということは、矢張り近いと言うことか。ゼロ金利解除は、まだまだと言うことは、矢張り来年には、金利は上がるのだろうか、公定歩合が幾らになるのだろうか。


2005年11月14日 晴れ 少しは秋らしい17度
あの材木屋さんの「大奥さん」が亡くなられ、本日1時半より、葬儀。今から60年前、既に亡き先代と初めて出会ったのはこの地であった。2人で相談して始めたのが材木の商売だった。結婚した当初からその材木の商売はうまくいった。材木が毎日飛ぶように売れた。まだ、当時この辺りでは珍しい女学校卒のハイカラな娘さんで通していたので、発売したばかりのバイクに乗ったりして、顧客回りをしたりする明るく活発な方だったらしい。だから、子供に嫁が来た時も、最初に「言いたいことは、なんでも話してくださいね」と、一言、やさしく断わりを入れる気さくな方だったらしい。そして、時代はモータリゼーションの波。お嫁さんが車の免許を取りたいと頼んで来たときには、周囲の強い反対を押し切って、お嫁さんに「あなたが、やりたいと思うことをやってみなさい」と加勢したそうだ。そして晴れて免許が取れた時には、なけなしのへそくりをはたいて、新車の購入資金を工面してくれたそうだ。それだけしてくれた「大奥さん」だったので、その大病に大奥さんが罹ったときから、家族親戚皆交代で看護に当たって来たそうだが、その甲斐なく、永遠の眠りとなられた。ささやかな葬儀ということであったのに、一体何処からお集まりになったものか、数百人も大勢の人が会場に詰め掛けた。既に亡き先代と二人で手を取り、材木に始まり、材木と伴に歩んだ人生だった。あの材木屋さんの精神的支柱となってこられた「大奥さん」の大往生だった。ご冥福をお祈りいたします。


2005年11月13日 快晴 18度
書き残しておくことがとても多い。が、時間も押している。一点だけ、本日はどういう訳か、ふらりと大阪梅田の阪急三番街から、かっぱ横丁を通り抜けると少し行った正面にみえるアロータワーというビルの13階の会議場まで足を運んだ。1階から5階までは
阪急グランドホテルになっているので、アロータワーで探しても何処にも看板がなかったのだが、最近殆ど来たことがないので、何とか迷いながら、随分この辺りの町並みも変わったものだと思って、近くに停車中のタクシーの運転手に道を尋ねると「ここですよ」と言われてやっと着いたのだった。既に満席の会場は何か熱い熱気でむんむんしていた。ここは、寒いからと首に手ぬぐいタオルを巻いてマフラー代わりにして、辺りを気にせずテッシュで鼻水を拭っている私のような発泡スチロール屋が来るところとは、とても場違いであった。相当上流の人達が、まあこれほど沢山お集まりになるのに出会うことは稀ではあるなあと思ったのが、第一印象であった。ここは、あの有名な世界経済を動かしているというヘッジファンドのマゼランファンドとか、日本の新興のさわかみファンドとかに並んで、最近の情勢に乗ってまた新しく、外国系のヘッジファンドを立ち上げようというこれもまた有名な○○○ークさん達主催の経済の情勢説明会であった。皆、背広ネクタイ、或いは如何にも超高級なビロード、毛皮のマフラー、足元まで垂れてきそうなネックレスの女性、ピカピカまばゆく輝く指よりも大きな指輪を5個も6個もした年配の方、生涯お金は使い切れないほどお持ちの方がそこらじゅうに大勢ぎっしり見えられていて、会場は、一種独特な雰囲気が漂っていた。しばらくすると、司会進行の、これもまたどこかのテレビ局の見たことのあるアナウンサーが、アルバイトか何かで雇われてきたのだろうか、、、、、
おっともう時間だ。では失礼。


2005年11月12日 夕方までにはすっかり快晴 20度
雨といっても、朝には止んでいたのだが、この時期11月の足元も凍るような冷たい雨とはいかなかった。雨粒が、どれもぶくっと成長しすぎているので、落下スピードも速いし、地面に落ちた後は直ぐに流れ去っていくような雨だ。肩に当たると氷のように硬くて痛いような冷たさがないし、衣服に残ってじわり身体を冷やすこともない。今日も、また例の作業が続く。仕事に、平常心は、特に無関係と思っていたのだが、こんな更新を始めて4年目になると、この扱いにくく古臭いような、「平常心」という言葉が、いやにしっくりいくような気がしてきたのは不思議だ。何があっても、それこそ何があってもこの更新を続けてきた訳だ。我武者羅に、他のあらゆることを犠牲にしても、更新を続けているというのは少し、オーバーだろうか。しかし、ほんの少しではあっても、時間を毎日必ず、見つけ出す、という作業行為は、それほどの気概なくしては出来なかったのは確かだ。それが、いつしか、そういった力みもなくなって、ニュートラルで走れそうなところまで来たつもりが、今度はちょっとした路面状態で何度も止まりそうになりながら、の迷い道を走ることになる。ようやく、いくつもの峠を越えるうちに、峠が当たり前の通過儀礼のように思えて来た時、ふと何処で見たのを思い出したのだろうか。営業先の社長室だったろうか。職人さんの仕事場だったのだろうか。学校の教室だったろうか、よく分からないが、継続して何かに打ち込まなければならない職場に共通して見える言葉のような気がする。我々は、立ち止まるわけには行かない。そこから逃げ出すわけにもいかない。剣道で言う「間」をとって、剣先に五感を集中し、相手の動きが周囲の雑踏の中から止まって見え出した時、平常心は、一瞬の激しいピリオドを打って、また再びのそれに、まるで何事もなかったかのように軽々と復帰しているような強さ、それが無ければ平常心の更新は不可能なのかもしれない。一瞬に立ち上げた剣、一瞬に振り下ろした剣、しかし、その後、丸でその激しい暴風雨のような風があたりを襲ったのが嘘であったかのように、不動の静寂が続く。


2005年11月11日 夕方までもちこたえた曇り 19度
帰宅時間は大雨になっていた。今日も朝から例の製作、とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりんの在庫積み上げ作業が続く。合間に例の試作をしていた。今回、モニター向け足湯くのいち容器だが、あまりに懲りすぎたようだ。幾つか他社の材質の異なる足湯容器を取り寄せ、その長所短所を比較検討し、これはだめ あれもだめ、矢張り、保温性では、発泡スチロールの優位は判ってきた。大体、さし湯しながら足湯なんてできっこないやないか、と思ったあるメーカーの足湯容器もあったり、やっぱり、蓋がなければ、思うような温かさは出せないんと違うかー、といったプラスチックの足湯容器もあったり、皆、いい加減なものが何と多いのだろうか、と思った。が、それだけに、こちらでも、では、いい物を且つ安上がりに作るとなると、流石に、あれこれと身構えてしまったようだ。昨日までは、足湯容器のデザインに凝った。外形を卵型で内側を今回のモニターご依頼人の足のサイズ28センチに合わせて足の形状にしてみたりした。材質も、自己消火性の燃えてもすぐに消えるもので且つ環境リサイクルの流れにマッチした発泡スチロールの使用済み回収品を再利用して発泡したものを使ったりしてみたのだが、、、、、。んーんちょっと懲りすぎたようだ。同じものを2個3個大量に、出来るかどうかの問題がありそうだった。丸で世界に一つしかない足湯容器になってしまった。このままではモニターだけが喜んでしまって終わりそうだ。これではいけない。何とかしなければならない。おっと、もう時間だ。


2005年11月10日 朝から雲ひとつない晴天  21度 
それは、夕方高槻の材木屋さんを出て、枚方大橋の上から淀川沿いに大阪平野を見渡して、黄砂で空が金色に光る頃まで、ずっと一日雲ひとつない晴天であった。今日も朝から各種作業が続く。とんからりん とんからりんの在庫積み上げ作業も続いている。そして、この書き込みだ。今日はまた特別 時間がないというのに、何とか一行でも更新しようと、こうして書いている。カッコよく言えばこりゃ、修行やなあ。物書きの修行みたいやなあ。万行書いて後に筆を絶つ、大変な作業だ。では、失礼


2005年11月9日 晴れ 18度
今日も朝から例の製作。しばらく書いていなかったが、とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりんの機織り機械のような機械音のする在庫積み上げ作業は連日続いている。そして、この前、また自前で造った小型の機織りのような、がっしゃんぎしぎし がっしゃんぎしぎし 糸の櫛きり通し音の響く在庫積み上げ作業も始まった。毎日が、お蔭様で何とかその日を送っている。それだけで有難いものだ。しかし、そんな作業の中、またまた次々とアイデアが思い浮かぶ。これもまた有難いものだ。今日は面白いアイデアが2つも浮かんだ。どういう訳か、アイデアは湯水の如く思いつくものだ。きっと、毎日こうしてホームページの更新をして頭の体操をしているお陰かもしれない。こんな有難いシステムを一体誰が考えたのだろうか。さあ、早速明日はその実行だ。


2005年11月8日 温風器のような風吹く晴 21度
それでも、さすがに夕方になると少し冷え込んできた。今日も朝から例の製作が続いた。ここも、もう早くも33ページ目になっている。個人法人を問わず、来る者は拒まず、積極的にご質問にはお答えを続けているので、Q&Aのページは更新するのが恐ろしいほど膨大な量になっているようだ。有難いことに、こうしてネットというメデアを活用することで、こちらとしても相当勉強になってきている事は実感できる。たった一つの素材から、皆様からのご質問は実に様々な方向へ展開していくので、日々、未だに新しい驚きがあるし、感動もあるものだ。そのひとつに今日も、深く感動とそしてちょっとオーバーに表現すれば、使命感さえ抱かせることがあった。だから、本当に再度、改めて、こういった書き込みのページにしても、一つ一つ書き続けていく者自身のこととして忘れずにいなければならないとすら思った。そうだ、一企業として為しうること、否、それはたった一人とて同様なんだが、世のため人のため、何が出来るか、ということに尽きる。そう、主義主張はもともと各個人違って当たり前だ。そんな事ではない。思う事は違えども、一旦事有った時に、何が出来るか、なんだろうか。それは、突発的な出来事もあり、長期であたる事もあり、何十年、それこそ生涯かかって、人知れず成し遂げなければならない事もあるだろうし、様々だ。そして、それが出来る人は、日頃から意志を高く持って継続させている方もあれば、一旦事有って、急変、日頃と全く違った献身的な自分をさらけ出し、人々に勇気と感動を与えてくれる人もあれば、それこそ、様々だった。だった、と書くのはもうこんな年齢になれば、そんな局面に遭遇してきた事が、我ながら関心するが、幾つもあるからだ。今日は、有り難いことに、お電話の間接的なやり取りではあっても、充分にその彼方の記憶の向こうの現場を推測することの出来るお話を頂いた。襟を正して、自分に向けられたこととして、お聞きした。これが、我々の住む社会だ。こうして今日、また本当のものに出会ってしまうと、矢張り、またあの象牙の塔の今は亡き恩師を思い出す。

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