・ホームページ開設しましたこのページは、営業部のデスク
 サイドで「わたし」が見たノート
 の日々記録コラムです。
お楽しみに

    研究ノート目次

 
トップページへ
営業部デスクのコラム欄

「わたしの研究開発雑記ノート」

                                          

2005年8月10日
今日も朝から各種製作が続く。有難いことに様々なお問い合わせを頂いている。とある工務店から、最近のアスベスト被害とそれに伴う報道の拡大からだろうか、「グラスウールを止めて、他の断熱材を使いたいが、住宅融資基準に合ったもので、グラスウール10キロタイプは、何mmになりますか」と言ったお問い合わせが、遇然だろうか2件重なった。話を聞いてみると「やっぱり、現場で大工さんが、作業中に、グラスウールだと、ちくちくするので、テレビなどで写っているアスベストのイメージが重なり、使うのを嫌がります」と言うことだった。まあ、当然かもしれない。少しぐらい安いからと言って、将来の健康には返られないものだ。
 その後、例の風力発電の様子を、その四国地方に川釣りに行った途中、車から見かけたというお客様が、様子を話して下さった。ありがとう御座います。日本のような海に囲まれて、国土の1/5しか平野が無く、4/5が山だと、風力に適した場所が相当あるのだろう。しかし、現実には、技術的な問題、例えば、資材を険しい山の上までどうやって運ぶか、など解決されていない課題が多すぎるので、なかなか進まないのだ。今回のその実験は、大いなる橋頭堡を築けるかどうかにかかる訳だ。
情勢は刻一刻と変わり、常に新奇の精神に満ちた冒険家や発明家が、研究所の奥で、長年のこつこつと積み上げた研究成果を一気に塗り替えるような挑戦を繰り返している。時に、無謀に見えたり、時に、非科学的に見えたりすることも多いのだが、直感という感性が、人類共通の羅針盤ででもあるかのように、まるで事前にその進む先を指し示して呉れているのだろうか。しかし、こつこつはダントツだ。この国のまじめな多くの人達は、地味な積み重ねに余念が無いのだろう。

 東方の 海の彼方の不老薬 探し求めた人は今 今は昔と 思ほさもなし


2005年8月9日
製作実例を少し追加しているともうこんな時間だ。今日もここまで



2005年8月8日
お問い合わせありがとうございます。しかし、様々なアイデアが尽きることがありませんね。今回は、生前墓碑の売り込みなんですね。アイデアとしては大変面白いですね。石屋さんに掛け合うのですか。頑張ってください。実際に現物を拝見いたしますと、相当インパクトがありそうにも思います。死後あの世のことは解りませんが、この世の自分のお墓の様子がこれによって、実際に確認できるので、何となく安心っといったところでしょうか。商売になりそうですね
今日も朝から例の製作が続く。こうして、仕事にありつけるということは、有難いことかもしれない。

 夏草よ 敗れて賊軍思う日に 雷鳴風雨は過ぎ去りしも 戦い止んで 幾歳月そ 


2005年8月7日
多忙な中、少し足を伸ばして、大阪南港のOTCへ行く。途中、天保山の例の水槽が気になっていたのだが、駅で余りの混雑で降りずに通過してしまった。現物の「ブイ」を再確認する目的であったが、OTCから海へ出ても、船着き場が無いので困った。遠方に何万トンかの貨物船が停泊しているのだが、そこまで数キロ歩いて行く気力もないし、結局、何もならずに帰ることになった。乗り物内の冷気と屋外の熱風との温度差で、帰宅する頃には体調を崩していた。


2005年8月6日
今日も朝から例の製作が続く。例の風力発電の件でいかなる方法で乗り切って行くのがいいか、悩んでいたが、前向きにやっていく以外にない、というのが結論であった。また、例の水耕栽培用水槽の作業を進める。これについても、先日、京都の援農家から有難いご意見を頂いている。高齢化と後継者不足の為、都市近郊でも、農産現場では、水面下で、相当貸し農家が増えているそうだ。互いに、以前農業に少しでも携わったことのある 所謂 農業経験者が、家庭の貸し菜園と兼業農家規模とのその中間レベルの 農地貸しをして、徐々に単なる趣味から、事業レベルに拡大して来ている人々がいるらしい。そして、さらに、その農地借りで規模を拡大して来ているそうだ。つまり、事業をしていくのが上手な人々が、資金が無くても、さらに上手に農業を拡大しているようだ。名前や名義はそのままなので、農家の不安も少ないし、形の上で農業を継続しているわけだから、問題も少ないのだろうか。この動きが、例の団塊の世代の大量定年時期と重なって連動して来ている様だ。その人達の間で、やはり相当関心を集めているのが、この水耕栽培だ。援農家曰く「水と電気があれば、単純に収穫が2倍に増やせるんだよ。これをやらない手は無い」と先日お会いした時も、有難い現場のご意見を頂いた。だから、この将来的な可能性には面白いところがある。しかし、時間が無い。せめて、この動きには注目しておかないといけないようだ。
そして、いよいよ9月20日に決まったパッチワーク通信社から発売の0,5mm発泡スチロール(ここでは総称としてマイクロビーズと呼んでいますが)を使った手作り小物特集号『癒しの小物』の通販を当社が担当することになったのだが、準備期間が、残り1ヶ月程度に押し迫ってきた。これについても、再度、経過を再点検し、ぬかりなく準備を進めていかなければならない。まあ、どちらにしろ、蓋を開けてみないことには、反応がどの程度あるのか判らないのだが、準備だけは進めている。
まず、通販形式は
 このような箱入り形式になる。小物の特集なので、500グラム入りと1キロいりにした。送料は運送会社営業部と協議の結果、「折角の企画だし、こちらも大変苦しいのですが、そんなに仰るなら、今回だけ目つぶっときます」ということで、北海道沖縄を除く 一律料金が今回可能になった。この写真に写っている招き猫は、商品とは特に関係ない。この前、漫画家鎌田洋次くんと京都に行った時、「100円ショップで買った猫だが、ここんとこが珍しいよ」と鎌田くんに記念に頂いた品物だが、時々、撮影時に居なくなったり、ふざけた真似をしたりするが、別段特に変わっているようには見えない唯の瀬戸物の安猫だ。しかし、通信社のプロの方からすると、「無用な誤解を与える」野良猫のように思われたのか、今回の企画からは、完全に抹消されているので、この招き猫をご覧頂くことは無いそうだ。矢張り、出版社が違うのだろうか(笑い)


2005年8月5日
暑い、ただそれだけ書き残すのでやっとだ。今日も朝から急ぎの製作があり、暑い中の作業となった。時間がない。ここまででやっとのようだ。では失礼


2005年8月4日
寝屋川の府立高専で産官学技術交流会というのが毎年開催されているが、そこで偶然知り合って、懇意にして頂いているMさん宅へちょっとしたサンプルを製作して持ってあがった。駅近くの、環境のいい住宅街の一角にご自宅があり、自宅の裏庭を仕切って、2階建ての建物を増築して、そこに囲碁同好会を開いておられて、結構生徒さんが大勢集まっているそうだった。「碁会所へ来てもらえば、家内がいるから直ぐにわかる」の 謎めいたお言葉の意味がようやくわかった。自宅兼囲碁同好会だったのだ。相当な囲碁好きで、相当な腕前だという評判らしいが、建物から、そう推測するのは簡単だった。その後、昨日、洗濯機で綺麗さっぱり、ごしごしと洗濯してしまった、ノン防水の携帯電話を持って、近くの電話サービスまで行った。

  うってうつての 碁会所に サンプル納品 夏は来ぬ


2005年8月3日
そして、今日も朝から例の製作を続けた。ものつくりを通して、社会の橋渡し役になろうとか、そんな歯に衣を着せた様な回りくどい話をする気力はもともと無い。ただ、有るのは、目の前に「これを作ってもらえないか」のお問い合わせとお答えの連続である。それ以外、何らこの小さなHPには求められていないことは、100でも200でもいいが、了解している。だから、今日も朝から例の製作だ。こうして、疑問質問 ご意見にも毎日向かい合って行くことによって、相当実践的な知識や情報の蓄積ができるのだろうが、それは、言うほど簡単なものではない。ひとつづつ、やれるだけのことはやってみなければならない。今日も、そうだった。1m50センチ×長さ6mの発泡スチロールを並べたものに、6mで30mmの傾斜角を端から300mm、180mm地点を基点に入れて欲しい、といったものだったが、最初から出来ませんでは、無性に寂しくなって、話にならないと思うと、結局、受けた。それで、夜11時前までかかって、そのニクロム線を7m張っての加工に取り組んでいた。一気にこれだけの熱線カットになると、電圧を100ボルトから普通かなり落として使っているのだが、100ボルトそのままでも足りないぐらいだった。むしろ、200ボルトの工業用電圧でも必要なぐらいだった。しかし、恐らくそこまで上げると他の器具が焼けるだろうと言った心配も出てくる。だから、これだけ無用な時間と労力の消費になってしまい、なんでここまで掛かって取り組んでいるのか、目的が解らない位になっていた。


2005年8月2日
本当のところ、政治には丸で関心が無い。だから、今日もあの研究所への川沿いの近道をるんるん気分で快走している時、視界が急に広がり、また、夏の入道雲の遥か下、大山崎天王山と枚方男山の山間から、水蒸気か湯気だろうか、古代都市の蜃気楼の様に白く霞む京都の町を、 周囲から囲むようにして立つ北山や比叡山が遠方に小さく見えたので、ちょっと、懐かしいムーミンか、中島みゆきの地上に降りた天使がどうしたこうしただったか、何か、バックミュージックにあればいいなと思って、スイッチを入れたのだが、期待はずれの ラジオでそんな国会中継が流れて来た。急いでまたスイッチを切ったのだが、スイッチを間違え、ひとつ上のエアコンのスイッチだったようで、急激に車内が暑くなり、ラジオから流れてくる厭に白熱し、紛糾する質疑応答と相まって、ゆでたまごになりそうになった。折角だし、まあいいかと思う余裕も無く、急いで窓を全開にして、爽快なマイナスイオンのたっぷり溢れた淀川の水面から上がってきた土手沿いの微風を顔に受けた。


2005年8月1日
青森から、昨日のいかだレースに見事1位優勝を果たされたというご連絡を頂きました。おめでとうございました。皆様の無事の完走と、優勝のお喜びが、目に見えるようです。一時は2位の船との差を5mまで追い上げられて、そこから突き放した上での1位ゴールという競技の展開からは、はらはら どきどきの連続で、見る側の観客の視線を釘付けにしたことと思います。最後はやっぱり、この日を目指してトレーニングに励まれてきた漕ぎ手の体力と精神力の勝負だったようですね。重ねて、お祝い申し上げます。宜しければ、レースの模様を撮った写真などございましたら、お送りください。助かります。有難うございました。

9月に発売予定の(仮称)『癒しの小物』特集の雑誌で、パッチワーク通信社様から編集の模様を写したお写真を頂きました。有難うございます。機会が御座いましたら別ページを開いて紹介などさせて頂きます。いよいよ来月になりましたね。時間の経つのは本当に早いですね。ご準備段階から、あっという間に1年近くが過ぎましたね。こうして、発泡スチロールを通してご協力させて頂いてきましたが、雑誌の編集というのが、どれほど大変なものであるか、また、どれほど気力と根気と周囲の協力が必要なものであるのか、少し、理解できたような気がします。お送り頂いた資料を拝見致しましたが、本当にいいものが仕上がって来ているなあと思います。これ1冊あれば、癒し系の小物は、本当に何でも作れますよね。指導に当たって下さった講師の方も皆さんテレビ等でよくご存知の超一流の方だし、そんな一流の技術陣が懇切丁寧に写真入の解説をして下さる、こんな便利な雑誌は又と御座いませんね。当HPでも、マイクロビーズの問い合わせは、時々御座いますが、きっと今回のパッチワーク通信社様からの特集雑誌が発売されましたら、皆様大助かり、と思います。有難う御座いました


2005年7月31日
とは言え、それに取り組んでいく他に何も無い。一歩でもそれに近づけるように頑張ってやって行く他にないから、黙って取り組んでいる。どこまでやれるかなんて全く解らないものだ。最初からそれがどういう展開へ進んでいくのか解っているならば、何もそんな苦労は要らないものだ。そうかと言っても一か八かと言った不器用な賭け事でも無いので、多くの場合は、まず、スケッチ程度の簡単な絵は用意している。後は、それはこの世間で何に当たるのだろうか。そんな商材を通して、遠く、遥か遠くの 極端に言えば、地球の反対側までつながって行くのだから、それを、最初から予測不可能にしてしまうのは、簡単だが、多少は、ひょっとして、と言った期待をもって取り組むものだろうか。「売れそうだ」というのは、最初から判って計画的に進めているのであれば、大したものだという他ない。中には、相当な確率でこの見通しを立てる方もおられるようだが、それは、殆ど稀な存在であって、大概は、雨が降っても風があっても、右往左往しながら、時の過ぎるのを地団駄踏んで待っているぐらいだろうか。「それでもいいから前進あるのみ」と言うのが、最早、商戦の先頭で戦う以外に方法がない、われわれに残された最後の手段かもしれない。こうして、日々無駄の連続が続いて行く訳かもしれない。「あれかこれか」の選択ではなく、「あれもこれも」の体力に勝負の選択が常に求められているのは、この為だ。例えば、福沢諭吉の『福翁自伝』には、彼の凄まじい勉強振りが出ている。起きたら勉強だ。倒れたら眠り、また起きたらそのまま勉強だ。だから、寝間着など何処にもないし、福沢の枕が無いのに気がついて本人がいやに驚いたと言った逸話まで載っているのだが、我々、こんなネットを管理する職業人もそれに近いようだ。気がつけば、机で眠っている。起きたら24時間お問い合わせの仕事だ。正しく体力の勝負かもしれない。結果は、人生の渚になって判るのかも知れない。


2005年7月30日
今日も朝から例の製作が続いた。そうだ。ここは、製作の現場であった。町内を自転車に乗って、駆け回って伝統文化を調べて、といった余裕もなければ、気力も無い。あるのは、唯一、この目の前に出された、課題をどうやって解決していくのか、ただそれだけだ。次々と、何処からとも知れない、問い合わせに、無心にお答えをしていく他に無い。前向きに、ただひたすら前向きに、その疑問とご指摘に謙虚にお答えしていくしかない。その中の一つに今日は、また球のお問い合わせあった。簡単に、出来るだけ簡単に、しかも安く出来ないものか、というものだった。小学校で使いたいという。HPに公開した通り、手作りの機械を使って、製作風景を一部公開しているのだが、まだまだ改良が必要だと思い、いくつか部品を集めて、準備をしているのだが、これも、力のはいる課題だ。この機械の上下振り子運動が、自動化できたなら、勝手に加工出来るだろうから、作りやすくなるのだろうが、それでは、面白みもなくなるが、そのような、方向に進めるのではなく、アイデアだけで、超簡単に出来ないものかと、思案中な訳だ。このまえ、またマキノ機工のTさんに頼んで、ベヤリングを4個用意したのだが、そこから先に進んでいない。まあ、焦っても仕方がないか。zzz、zzz、zzz、今し方、目が覚めた。また、寝転んでしまって、朝だ。そうだ、手作りで球を作る簡単な、製作用に最低限必要な道具を揃えて、セットにして、お貸しして、小学校の先生にご自分で作って頂く、と言うのはどうだろうか。これが、恐らく一番安上がりだろう。「クソ忙しいので、出来ないよ」と言われそうだが、逆に先日お越し頂いた奈良の小学校の先生は、入学式や卒業式の看板を発泡スチロールでご自分でお作りなさったのだが(経費節減の中これが一番安上がりだろうなあ、、、)「発泡スチロールはすいすい切れるので、結構、面白いよ。実家が大工なんで、切ったりするのは、幼い頃から、親の後姿を見ていたが、今頃になって、間接的にでも、親のしていた、ものつくりの仕事が、何て面白いものか、解ったような気がします」と話されていたから、興味が湧くように、また、出来るだけ作業工程をわかり易く解説してあげれば、みんな、乗って来るのかもしれないなあ。


2005年7月29日
30年間毎日書き続けた、とある地方紙のコラムニスト(長野県)が亡くなったそうだ(本日葬儀)。享年88歳。昨年の12月末まで連続30年間、毎日自転車に乗って、町内を取材して町の話題から伝統文化、社会問題などあらゆるジャンルを問わず、書いたそうだ。ご苦労様でした、ご冥福をお祈りいたします。まあ、本業が文屋さんだったわけだ。定年無く、最後まで書き続け、世に問うことが出来たのだから、それが本望だったのかもしれない。まだ、こういったネットの無い時代に、その見て歩いて感じた時代観を発信し続ける方法としては、限られていた。紙に書くのが、一番だろうが、世に問い続けるには、その時代、職業人で無ければ無理だっただろうか。中には、自分で作ったミニFM放送局といったアングラな方法も一部見られたのだが、どうしても技術的に限界があったし、有線放送でメデアに対抗すると言っても、相当限られるか、矢張り、職業人でしか不可能だったので、結局、こういったコラムや書評として、他の多くの有料ニュースに滑り込ませて、端のほうに書いていく、と言った方法になるんだろうか。それでも、そんな数行を30年間維持出来たと言うことは、相当の力量があったことは確かだろうと思う。それに比べて、当コラムは、まだ高々、3年だ。これでは短かすぎる。実に短い。まあ、プロとど素人の違いだから、比較にならないのは事実だ。それに、なんの競争もない。不評を買って、降板の危機など無ければ、好きなだけ、行数に拘らないで、下らないことを埋めることが出来るインフラが今では整備されている。有難いものだ。こんなインターネットの不思議は、いつまで続くのだろうか。さっぱり解らないが、取りあえず、波に乗って、こうして書いている訳だ。高々、石の上にも3年だ。


2005年7月28日
継続は力なりというが、大変なものだ。何とか今日も一行は埋まるだろうか。時間が無い。残念だが、ここまでだ。それでは失礼。


2005年7月27日
今日も朝から例の製作が続いている。お陰さまで、有難い事に、実に、不思議なお問い合わせが幾つも届いている。製作実例集の更新が出来ていないが、きっと、需給のバランスはそうして保たれていくのだろうが、我々のこの作業は、ひょっとすると、正しくこの一時代の側面を記念碑的に、発泡スチロールと言った素材形式でもって、写し取ろうとしているような気がする。もしそうであるならば、一種の使命感のようなものまで感じる訳だ。後世の小説家は、この一時代を何と表現するだろうか。まだ、薄っすらとしか見えてこないが、恐らく、実例集が1000を越える頃には、その地平が姿を現しているものと期待する。インターネットの不思議がここにはある。井上陽水の歌の一節を思い出した。だから、頑張れ、もっと、頑張れ、虹は東へ西へ。そうさ、頑張れ、もっと頑張れ、虹は東へ西へ。


2005年7月26日
例の製作が続く。明日からは、また例の水耕栽培用水槽の件が始まる。石調に追加が希望された為、あるものを探さなければならないのだが、有難くも、変わらぬ忙しさだ。台風性の雨や少し強めの風が吹く中で、ちょっと外を見ると、30センチ位の石調のものが動いているのが見えた。何だろうか、と近づいて見ると、何処から遣って来たのだろうか、大きな亀だった。こんなところに、すっぽんかな、と発泡スチロールの棒で甲羅をつつくと、直ぐに首を引っ込めた。が、今度は甲羅をゆすってやると、「やめてくれんかのう」と首だけ出して、払いのけようとした。

恐らく、夜の間に、大雨に紛れて、近くの農業用の池から這い出して来たのだろうか。ここまでは、相当な遠征旅行になりそうだが、元気なものだ。あれはもう40年も前になるが、小学生の頃、ある発泡スチロールの成型工場で暮らしていた頃だが、近くのどぶ川でよく、こんな亀を捕まえたものだった。フナを取ったり、亀を取ったり、ザリガニ釣りをしたり、蛇に追いかけられたりして、遊んだものだった。今の、都会の子供達は、どんな遊びをしているのだろうか。


2005年7月25日
朝から例の製作。電波実験用の無数の溝きりが、手間が掛かって大変だが、これも考えてみると、他でここまでしてくれる所は無いのだろうと思った。みんな、これだけ面倒で、制約が多いとは、例えば、寸法の決定は、6,5mmを√2にして決めていかねばならず、斯くの如し、まともに、これの作業時間から加工工数を割って計算していけば、全く無茶な、桁になるのだろうが、他でしてくれない、という言葉がつい脳裏を掠めて、こんなものに落ち着いてしまった。結果的に、世間的な常識を無視した作業になっている。そこで、再度、大局的観点から、この作業を見直す必要が出てきたわけだが、つまり、「安いか高いか」と言った尺度だけでいいのかどうか、という根本的な視点だ。恐らく、「安いか高いか」だけが、我々を含めて商売の基礎中の基礎であるには間違いは無い。その原理に従って、我々はこの社会で、常に生き残りの勝負をさせられているには違いない。だが、それだけでいいのだろうか、と言った問いや疑問を、後ろ向きな、結果的にではあっても一応発しておくことも良いのかも知れないと思った。何故なら、「安いか高いか」だけであれば、世界は、既に勝負は決まっているではないか、地球規模で起きている自然環境の破壊と反比例して、富の一極集中は続いているではないか。こちらも負けじとなって、まともに、そんなことに勝負を賭けても、一体何が残るだろうか。世界中で、一番の金持ちがいて、あなたはその序列が下から何番目です。でも、お隣さんと比べますと、まだ2つだけマシでしたよ、と言われて、それで予定終了の人生が、良い筈が無いではないか。それじゃ面白くないだろう。目を覚ませろ。いい加減、値段で決める勝負に楔を打ち込まなければならない。目を覚ませろ。、、、zzz、zzz、zzz、、と、ここまで書いていたが、書いていたのと裏腹にまた机で眠ってしまった。不覚だ。


2005年7月24日
夕方遅く、大阪梅田の阪急バスターミナルまで人を送って行ったのだが、こちらの方まで来るのは、早、5年振りだろうか、それで、直ぐ横の紀伊国屋書店へちょっと寄ったのだったが、パソコン関係のコーナーが随分と増えたので驚いた。その分、他の専門書コーナーが何となく、削られているようにも思った。ここが出来てから、40年近く経ったというのに、模様変えだけで、一向にフロアーは広がらない。広げられないからだろうなあ。それで、また書棚に並んだ本の題名をずっと横目に読んでいったのだが、どうも、暫くすると、気力が失せた。確かに星の数だけ、物語があるんだろう。こうやって、ものを書く側から見ていると、本のそれぞれの題名を見るだけで、どうやってそんな題名を作者が思いつたのだろうかと、やたらと詮索して、胸が一杯になる。大変な労力の積み重ねだったんだろうなあ。そんなところで、立ち止まった為に、折角、ここまで来たというのに、例の発泡スチロールの載った高校レベルの参考書を探す所まで進めなかった。


2005年7月23日
今日も朝から在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりんの機織り機械のような機械音が響く。そして、例の製作。製造業だ。立ち止まることは出来ない。目の前の指示をこなして行かなければ前に進まない。3時の休憩でテレビにイタリアからの生中継が流れていた。1400年代に出来た石の城郭だった。当時でも先を争って、建物の高さ競争があったそうだ。建物の石は、積み上げても、置き重ねただけだというアナウンスに「日本でなら、たくさんの地震があるから、とても不可能だろう」と思った。


2005年7月22日
今日も例の製作が続く。仕事の合間、工場内の不要な棚を取り壊していた。棚に使った角材を他の用途に使うのが目的だったが、意外と仕事のスペースが広くなった。とんからりん とんからりんの在庫積み上げ作業もこれでやり易くなったようだ。いつの間にか、梅雨が明けているし、暑中見舞いを今年は、出そうと用意し始めた。年賀状の発送が、大変遅れたので、ここらで挽回を図りたいと思っているからだ。最近は便利な機械もあるものだし、何とか行けるだろう。暑中を出す相手は、個人的なものに限定している。本当は官製の葉書ではなく、もっと凝った作りにしたいのだが、中々そこまで行かない。暑中葉書を復活するところまでで、今年はやっとだろうか。ここまで書いていると、懐かしさが、葉書の隙間から顔を出して、また脳裏をよぎりだした。中学の3年7組の同窓会を今年はNハムの試食会の会場でやっていたのだが、今回出席出来なかったのが、急に残念だったと、悔やみだした。先日、伝説の障子貼り職人I君の墓参りに学生の頃からの付き合いの連中達と行く予定だったのに、行けなかったのも また、悔やみ出した。本当に不義理なことばかりしているものだ。イッツアのM君が結婚したと言うのに、例の手作りのお祝いの飾りを作ったところまではいいのだが、肝心な飾りを本人に渡すところまで行ってない。すべて、中途でダウンしながら、結局、残された余力はすべて、今日も朝から例の製作に注いでいる。


2005年7月21日
今日も朝から、とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりん と機織り機械のような機械音の響く、在庫積み上げ作業。こんなちょっと風が吹けば飛びそうな中小企業ではあっても、志は大きく先を見て、歩いていかなければならない。有難いことに今日も、様々な所からお問い合わせがあった。昼前頃、地域のFMラジオ局で『FMひらかた』という所から、電話があって「電話インタビューの形式で今から番組につなぎたいのですが、責任者はおられますでしょうか」と番組編制の女性のデレクターだろうか、忙しそうに聞いてこられた。それで、直ぐに「今、誰もおりませんが、2時頃に戻りますが、パートの電話番の者ですが、それで宜しければどうですか」と返事をしたら、「2時では番組が終わる時間です。どうもありがとうございました」とすべなく切られた。一応、会社としてきっちりした了解を得てからでないと、インタビューに応じないという姿勢は、固いが正しいかもしれない。しかし、面白くないなあ。逆に、先方も同じことを考えたのかもしれない。ただの電話番のパートさんであっても、この事前アポで、番組を盛り上げてくれそうな人材かどうか、チェックされていたのかもしれないな。向こうも話術のプロなんだから、その位で当たり前だろう。そんなことを考えながら、また、とんからりん とんとんからりん とんからりんの在庫積み上げ作業は続く。


2005年7月20日
本日は、遠方からお付きの御車で、暑い中、わざわざのお越し、有難うございました。その上早々に例のもの その場でご購入頂きまして有難うございました。重ねて御礼申し上げます。商品と合わせて、領収書などご用意致しましたところ、「おつりは要りませんこと」との、大変有難いお申し出が、御歳の割りにまだまだ大変お若く、お元気で、差し出されたお手は、色白ですべすべしておられましたが、お元気そうな仕草を伴ってのその一言を頂きました。何しろ、私共、こんな発泡スチロールの世界ですので、商品の方は確かにご指摘の通り、かさ張りますが、この金額ですと、商品より、おつりの方が、少しだけ、多くなるかならないかの金額でしたが、お心使いを頂き恐縮しております。その場で「近くのコンビニの窓口で、恵まれない方々の為の寄付金箱がありますから、また、後で入れさせてもらいます」と申し上げました通りに、させて頂きます。宝塚でよく見かけるようなつばの大きなクリーム色の日除け帽を左手で直しながら、何か仰られたのでしたが、残念ながら聞き落としました。が、その後、夏のうっとうしい積乱雲のたちこめる遠くの空を目を細めてじっと、ほんの一瞬ではありましたが、厳しく見ておられましたので、何か、深い意味合いを感じました。少し責任を感じております。これからまた、神戸までお帰りとのことでしたが、お気をつけてお帰り下さいませ。そう言えば、神戸の震災から早10年が過ぎましたね。あの混乱とどさくさの中で、ひょっとしてどこかでお会いしていたかも知れない方でした。


2005年7月19日
今日も朝から急ぎの作業が続く。京都の山鉾巡行も終わり、神戸のパレードがあって、大阪天満宮の天神祭りで夏のピークとなるんだろうか。大文字まで、関西では大きなお祭りが続いてあるし、一方で、町内の祭りもこれからが多くなる。8月になれば、そこ彼処で花火大会や盆踊りが始まり、海や山への行楽で賑わうのだろうなあ。工場の前を横切って、今日は平日なのか休日なのか分からないが、ビニールの浮き輪を積んだ車が、走っていくのを見かけると、景気はどうなって来たのだろうか、とため息をつく。ラジオで、○村健一が、住宅の買い替え減税が、アメリカの現在の好景気を支えている、と解説していた。日本もバブルの崩壊する15年前までは、そんな制度があったものだ。何故、日本では止めたか縮小したんだろうか。難しいことは解らないが、景気は良いほうが良いのに決まっているなあと、いつもの にがりのある声を聞いてそう思った。


2005年7月18日
残念だが、何ら進展のない一日となった。水分を充分摂取して、横になっていた。折角の予定がこの日もすべてなくなった。梅雨も明けてしまったようだ。夕方にはふらつきもどうやら収まった。明日から、また仕事だ。製作実例集の目次に題名を付ける作業を少しした。映画「スターウォーズ」が28年して完結したようだが、あんな未来はいつになったら来るんだろうか。科学の進歩は遅い。夢ばかり先回りして与えられてしまうから、余計にそう思う。宇宙船が、車のように簡単に空を飛べないといけないのに、いまだに、スペーズシャトルの先端のRの製作ですら、日本の職人さんの手作りというから、確かに先が長い。


2005年7月17日
休日診療の馴染みの近くの内科へ行く。連休とあって、超混雑で、長く待ってもどんどん赤ん坊やお年寄りが急病とかで順番を追い越していくので、朝から待って、ようやく昼12時半に診察にありつけた。矢張り、「熱中症のようなものですね」と診断があった。37,5度、 熱で頭がぼーっとしているからというと、点滴をしましょうということになった。ベッドに横になり、看護婦さんが、「最初はちくりとしますからね。直ぐに楽になりますからね」と言われてから、30分ほどで終わった。 昼からの予定はすっかり変更になってしまった。まだまだ、頭の中がぐるぐる回っている。記憶が無くなっていた。無理をしてはいけないものだ。


2005年7月16日
朝から例の楕円形の製作用に現状でどのような方法がとれるか検討をしていたが、時間が経つにつれ、廃熱がテント内に篭ってきた。昨年とどうも様子が違う。屋根の修理のときに何か塞いだのだろうか。今日もダウン


2005年7月15日
朝から例の製作。今日も暑かった。テント内は40度を越えていた。暑すぎて仕事にならない。熱風が吹き荒れる砂漠のような作業場になっていた。エアコンの廃熱がどんどんテント内に溜まりだしたからだ。どうしたことだろうか。困った。或る発泡スチロールの成型工場も蒸気で砂漠のような暑さがひどかった所を知っているが、どうもそこと並ぶようだ。


2005年7月14日
作家に毛が生えた様な、毎日書き続けるということは、至難の業かもしれない。続けること自体が、それだけですべてを肯定してしまいそうだ。内容的に、誰が文句を言うような勝手なことをたらたらと書き連ねたとしても、3年4年とこうして毎日欠かさず、書いていくと許されそうな気がするのは、矢張り、これは書いておこう、これは書けないということを、毎日、文章作りをしながら連続して積み上げてくると、ある程度、どこかで、一般世間の常識とリンクしてしまうからだろうか。所詮、言葉だからだ。個的な、特殊思考や感情の、世間様への相対的一般化作業なんだろうか。自分でこんなことを言うのも変だが、この3年4年の公開作業を通して、ふと、本屋に並んだ小説に目を通すと、誰が書いたものでも、どれだけ無名のというか、知らない人が書いた小説でも、どうしても書く側の立場から、読もうとしてしまうので、内容の中へ入れないようになった。というか、さーと流し読みと言うのが出来なくなったようだ。1字1ッ句、出だしから、文字を追いながら、「これは上手いこと書いているなあ」と数行で停止して、小説の書き出しに篭められた作者のエッセンスとでも言うのだろうか、わずか数行に、感無量の感慨を抱いて立ち留まってしまうからだ。それはそうだろう、彼らはネットのこういった書き込みと違い、タダでは書いていない訳だ。何度も何度も書き直して、出だしの数行に、読者が本屋の立ち読みに耐えて、いかに興味を持って、小説を買ってもらえるかに、文章作りの一番骨の折れる作業をしながら書いているわけだからなあ。んーん、ではこのコーナーを金を出してまで買ってでも読んであげようと言う人がいるだろうか。まず、今のところは、このままでは、いけないと思いながら、、、。例えば、笑いがブームらしいので、その「お笑い」的特殊相対思考で再度、主張を構築するのもいいのかもしれないし、「永遠のテーマ」人類共通のロマンス的一般相対性性理論で迫ってもいいのかもしれないが、取り合えず、時間切れだ。本日はこれまで


2005年7月13日
昨日は、前の日に、熱海の中田物産さまから頂いた梅干が美味しかったので、食べ過ぎたせいだろうか、胃の検査もあるので、午後9時以降は何も食べられないと思うと、無性に、その梅干をたらふく食べてしまったからだろうか、定期健康診断の当日の検査で、血圧が、常時上が90程度だったのが、118に上がっていた。定期健康診断は、北大阪商工会議所の一角で、毎年あるのだが、並んでいた前列のどこの会社の人だろうか、看護婦さんに「血圧が160もありますよ」と言われているのが聞こえた。その返事に「今日は綺麗な看護婦さんが多いから、どうしても上がりまんな」と答えていたので笑えた。何十人並んでいる最前列では、順番待ちしている人同士で順番が後か先かで つまらない口喧嘩を始めていた。また、血圧が上がっているだろなあと思った。
今日は朝から例の水耕栽培用水槽の仕上げ作業。そう言えば、このシリーズも沢山作ってきた。接着剤に何を使ったらいいのかとか、防水に何を使ったらいいのか、及びその実績的なデータも幾つも集まってきた。光都市の鈴木さんからお預かりしている水耕栽培関係の専門書が今でも役に立っている。ビニル系の糊で張り合わせ、モルタル系の塗装で防水にした900×900×200mm水槽であっても、充分2年耐用出来たことがわかった。これに硬質ウレタンを巻いて、アクリルコーキングまですれば、相当硬いはずだが、ご自分で水耕栽培用に家庭でお使いなら、簡単なもので充分なんだろうか。最近は、例のトマトの栽培をしていないが、他にマングローブを植えたり、睡蓮を咲かせたりしている。エジプトのパピルスは残念だが、やめた。挿し木で増えると言う例の不思議系植物は順調だし、パイナップルの木を水耕栽培で出来ないかどうかは、現在芽が出るのを待っている状態だ。水耕栽培というのは確かに不思議なものだ。家庭菜園と商業園芸の中間を埋めることが出来るのだろうと思う。


2005年7月12日
今日も朝から各種製作。途中、定期健康診断で仕事をぬける。、、、、、zzz zzz  おっと疲れたか、こんな時間だ。今日も一行だけだ。



2005年7月11日
今日も朝から例の製作が続く。ヘリウム入りの風船は、20グラム程度で体積は、30リッター位だろうか。30000立方センチだから、1500倍というところだろうか。飛行船をもし発泡スチロールで出来たらいいのになあと、朝から妄想にこだわっていました。飛行船の模型を発泡スチロールで作りながら、風船のように15,600倍に発泡出来たら、きっと間違いなく、発泡スチロールは空を飛んでいるだろう、と考えておりました。今日もここまで


2005年7月10日
もらい物の、中古の小さな木工用旋盤を使って、例の発泡スチロール製「飛行船」に取り組む。あれこれと、何度か回転させたが、柔らかい発泡スチロール用に、いくつか改良が必要だと、試作しながら判った。噛みこみ歯で両側から挟みこんで固定しているが、これでは使えない。全ねじの長いもので、円盤か大きなワッシャで押さえるしかないだろうと思った。削り刃はどうしようか、ヤスリ系のもので代用するしかなさそうだ。これだけで早、半日が流れた。予定していた例の作業は延びた。外は雨。6月までの空梅雨から一転して、毎日雨が降らない日はない。気まぐれな天気だ。今日はここまで



トップページオンラインショップおもしろ実験室会社概要お問い合わせ
フジカット有限会社
Copyright 2002 Fujicut Co.,LTD.
All rights reserved.