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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                        



2005年7月9日
現状で努力する以外に、前進は何もないのだろう。目の前の有り合せで何とか、それを乗り切れないものか、工夫を凝らすことなら何が無くても、可能性はある。可能性のありそうな方を選んで、少しずつ進む他にない。やれることからやっていく。手の届くところからやっていこう。いきなりの、物凄い大きなお話には、飛びつかない。うまい話には気をつけろ。飛びついたところで、後が大変だ。数は少なくても継続していただける方が、まだ有難いものだ。だから、少ない個人のお客様を大切にしていかなければならない、というのは、経験上も、確かに道理だ。薄利多売、とはよく言うが、多くは薄利で少量で終わる。なかなか、薄利で質を量に転化していくことは、商家の家訓通りには簡単ではないし、相当難しいものだろうか。厚い利で少なく売るのが、逃げ道だろうが、それではリターン客が来ないだろう。ではどうするか。やはり、商家の家訓にもあるのだろうか、商売の質をどこまで高められるのかに掛かるのだろうか。営業マンは、身を律し、商品以上に自分を買ってもらえるような人格の修業に余念がなく、開発者は研究に没頭し、ひらめきを縦横ひっくり返しながら、重箱の隅をピンセットで掻き回しながらアイデアの創造に寝ても覚めても余念がなく、そうして質の向上に努力する訳だろうか。だから、現状で努力を惜しむ訳にはいかない。しかし、ふと周囲を見渡すと、山は実に多い。山また山の険しい道が続いている。一歩間違えれば、谷までで転がって、また最初から登らなければならない。すってんころりん、転がって、また登る前方の山の何と高いことか。絶壁のように見えるし、ようやく越えた峠から、油断大敵、下りの早いことよ。坂道を下り出したら、猛スピードで止まらない。

  泡(うた)かたの うでに憶えで食わねども かすみ食うなと だれにいうかも



2005年7月8日
今日も朝から例の製作が続いた。途中、近くの巨大な会社の工場へ雑用で呼ばれて出掛ける。枚方市内に在る工場だが、敷地内に入ると、まるで工場の敷地の一部片隅に枚方の町が点在するような錯覚を受けるほど大きな工場だ。これほど近くにあっても、中に入るのは今日が初めてであった。ここ2,3年増産に次ぐ増産で年次で50パーセント増が続き、フル生産が続いているそうで、その大きなキャタピラーの付いた車体が、羽の生えた様に次々と出荷されていた。生産ラインには巨大なベルトコンベアーが、ゆっくりと回転し、次々とラインを流れて来る、まだショベルの取り付けていない車体は、正しく、異様な、弾道のない最新式の戦車ではないかと見誤るほど、凄く込み入った高性能な制御盤や黒い高圧ホースの塊だった。ちょっと、目を遠目に周囲を見渡すと、そこには、大勢の黄色いヘルメット姿で、時々滴り落ちる汗を盛んに拭きながら無言で立ち働く人達の横顔や後姿があった。ここは千人規模で働く男の職場だ。微かなモーター音と、金属の摺れたような空気圧の突如抜けてしまう様な音以外、何も聞こえないはずだった。黙々と、作業にあたる男達の黄色いヘルメットのひさし越しに、鋭い緊張した視線が、辺りを支配していたので、そんな雑音以外何も聞こえないはずだったのだが、どうしてだろうか、何処からとも無く、また、働く者達の歌が聞こえてきたのは、私だけの幻聴だったのだろうか。働く男達の挽歌だ。これほど大勢の男達を一糸の狂いも無くまとめ上げている挽歌が聞こえたのだ。その足元を何百メートルに渡って流れる川の様な巨大ベルトコンベヤーのゆっくりとした低い、ラの音だろうか、圧搾空気のソの音だろうか、リズミカルなベースに合わせて聞こえてくるのだ。


2005年7月7日
朝から例の製作。「こんな世の中ですから、弊社では、幾らの品を幾らで入れておりますが、実際のところ、御社でしたら、お幾ら位でなら入りますかねー。こんなことお聞きするのは、何かと思いましたが、時代の流れと言いますか、出来ましたら聞かせて頂きたい」と言った直球のお問い合わせや、「発泡スチロールの相場というのがあるでしょうから、そちらをお教えいただけませんでしょうか」といったもっとストレートなご質問には、いつも出来るだけ高めで、さっと交わして、お答えすることに徹している。そして、出来るだけ無用な駆け引きには、巻き込まれないようにしている。きっと、商売でも得意不得意というのはあると思う。様々な、お問い合わせのお電話で、最初の一声から、この方は、生き馬の目を抜く様な大変、駆け引き上手な方かどうか、直ぐに判るような気がする。何となく、ヤルかヤラレルか瀬戸際で生きてこられている方には、急におとなしい猫かぶりの話し方というのは、有名な俳優でもなければ、出来ないだろう。時として、最初からずっと恫喝めいた灰汁の強いリズムを持ったお声の方もおられるようだが、まだこちらの方が一定したお声なので、白黒はっきりなさっているから、対応はし易いし、そんな人ほど、値段のことは余り聞いてこないのも不思議だ。この、値段のマジックというのは、実にやり難いものだ。そもそも、駆け引きは、はっきり苦手だ。そんなことに巻き込まれる時間があるのなら、例の開発途中のあのことの続きに取り組んでいるほうが余程有用だと思う。何のご縁だろうか、こんな風に、ネットにリンクを貼っているお陰で、全国から日々、新しい、アイデアや、情勢についての鋭すぎるほど鋭いお話を聞かせて頂けるので、メリットとデメリットでは当然、良いほうへポイントだろうか。


2005年7月6日
何がアンバランスかと言えば、例の塵肺で大勢の人が肺癌で亡くなっているアスベスト(石綿)が問題になっているが、そうだとすれば、単に安いからと住宅の断熱材に使われているグラスウール(ガラスの綿)は、本当に大丈夫なのか?という疑問だ。触ったことがある人ならお分かりだろうが、素手で触るとガラスの粉が手に絡み付いて、チクチクするガラスに黄色いコーキングをした綿のようなものなのだが、袋にさえ取り扱い注意として、必ず防毒マスクをして、手袋をしてから取り扱って下さい、と書いてあるのだ。あれは、本当に何も無かったのだろうか。あんなものが、広く、知らない間に住宅の壁や天井に入っているのだが、本当のところ大丈夫なんだろうか。結局、アスベストにしても、ずっと大した問題では無い、と言われて来たのが、どうして、何がきっかけで本当の恐ろしさが、ここに来て、表面に出て来たのだろうか。わからないことは実に多い。


2005年7月5日
暗い話が続いている。何かがアンバランスを起こしているからだという指摘は当たっているのだろう。例えば、この国の貯蓄率の変化だろうか。貯蓄ゼロの世帯が、20パーセントを超えたので驚いていると、平均値の1000万円と裏腹に、貯蓄500万円以下の世帯も20パーセントを超えて来たという書き込みが、どこかの経済新聞にあった。合わせると4割か。まだまだ、貯蓄が可能なだけ良い方かもしれない。通帳を全く見なくなって、もう何年も過ぎてしまった人は、我ながら確かに、多いのではないかと思う。基が足りてこその国の安定、それが、この国が世界に誇れるところであったはずが、子殺し親殺し、現実の暗い事件や出来事が、何故、これほど続くのか、ようやく理解できたような気がした。理想と情熱に燃えた若者が、何を目的に、と言われるのかもしれないが、矢張り、平たく言ってしまえば、お金儲け、が少なくても副次的な目的だろう。それに反し、現実の大人達のこの貯蓄率の不甲斐ない低下を見て、将来をどう見るのだろうか。本当に「お金だけが生き甲斐ではない。我ら若者には多くの夢がある」と幻想を抱くのだろうか。今の若者は、そんな甘く考えていないだろう。世知辛い世の中に、見え過ぎるほどよく透き通った感性で、あまり見たく無くても、遠くまで見えてしまうと、返って、耐え切れなくなるのが人情だろうか。だが、さらにその世界の先を、彼ら特有の鋭い感性で睨んで、そして何かいいものを発見して行けるのが彼ら若者たちかも知れない。若者たちの失業率20パーセントを越える厳しい現実の中で、未来に何を見つけるだろうか。開き直って、好きなことを好きなだけ出来るのが若者だけの特権だろう。その直向きに、好きなことを好きなだけしている後ろ姿に、大人達は、サイコロを投げよう。 そして今日も朝から例の製作が続く。


2005年7月4日
夕方、インスタントのコーヒーを飲んで急に腹痛。どうしたことか、全身に力が入らない。今日はここまで



2005年7月3日
「今日は何の日」http://www.nannohi.jp/07/03.html というページに漫画家鎌田洋次君が載っている、というお便りを岡山県の方から頂きました。有難うございます。学生の頃、その鎌田君が時々顔を出していた漫画研究会の隣には、確か、映画の上映会があった事をうっすらと憶えています。そこに、亡くなってもう3年になる、あの伝説の障子張り職人故I君が所属していましたね。早いものです。昼過ぎ、急な電話でした。久しぶりに、滋賀県の寺の小坊主が、修行をサボって京都へまた遊びに行こうと、そんな魂胆の内容の電話かと思いながら、その電話口で いい加減な返事で軽く濁そうと待ち構えていましたが、どうやら様子が違いました。落ち着いて、静かな声で「3年になるし、I君の墓参りに行きたい。」と、やけに真剣に頼んで来るので、こちらも応じずには行かなかった。今年は空梅雨だと思ったら、もう梅雨末期の土砂降りのような豪雨が、1日続く日曜でした。、、、おっともうこんな時間だ。今日はここまで


2005年7月2日
朝から例の製作。ぶっ続けで始めて夜の10時前になると、何とか目鼻が付いた。それにしても激しい雨だった。一昨年、度重なる台風の上陸 通過で工場の屋根から大量の雨水が漏れ出し、セルパネ用素材が全て台無しになる被害があって、ようやく、最近工場の屋根の葺き替えが完成し、雨漏れの心配は無くなったのだか、我々のような中小企業では、これだけでも負担が大きい。しかし、開発は止めるわけにはいかないから、工場の一角を区切って、作業場にしているのだが、ただ、力こぶしの上がる毎日だ。そう言えば、最近はセルパネの話題を書いていない。愛地球博に展示されているらしいので、一度写真を撮りに行こうと思いながら、当日熱が出たり、急用が出来たりが続いて、とうとう最近は、予定にも上げなくなってしまった。(本当は、ちょっとここで取り上げると、反響が物凄く大きいのですよ)、今また、次を検討しております。目的へ向けた挑戦は、少しもひるむことはあってはいけない。


2005年7月1日
最初の一回目の成功体験と勇気が大切らしい。「うまくいった」と言う体験が一回でもあれば、脳内でその体験が記憶されて、次から例え失敗が続いても、その記憶を道標に、成功するにはどうしたらいいかが解ってくるらしい。そして、光り輝いて、周囲からリーダーに推される人、周囲から人が集まってくるような人と言うのは、こんな成功体験をしっかり持っていて、しかも、これから起こる未知な事態に、常に勇気をもって進んでいるような人らしい。だから、例えば小さな子供達には、本当にうまく出来た時には、思いっきり褒めてあげろ、と言う。社会では、どんな仕事でも同じかもしれないが、「強くなければならない」というのは、恐らくこれのことだろうか。なければならない、では無くて、「強い」現在進行形なのだろう。完全に同じ出来事が起きると言うことは想定できないもののはずだ。何が起きるか、常にわからないのが現実だから、そのことに強く、勇気を出して挑戦し続けなければならないものだ。それが、我々の生きていく道なんだろうか。こんな狭い発泡スチロールの業界であっても、これは変わらない。常に次なる成功を信じて、その壁に挑戦し、やがて乗り越えて行かなければならない。そんな時、若い人が、頑張っておられるお姿を拝見すると、本当に元気を分けて頂けるものだ。









 戦え ガンダム! それが君の生きる道

兵庫県 T川中高等学校 今年度 学園祭 シンボル製作
 (発泡スチロール製)







2005年6月30日
と言うことで、今日も暑く雨無し梅雨空の中、例の製作作業。古い高校の化学の参考書を引っ張り出して、再度発泡スチロールの化学的な裏付けをしようと考えたわけだが、ポリマーを重結合させた高分子のポリエチレンの説明があって、その次のページがフェノール樹脂の説明に飛んでいたので、解らなかった。本当は、発泡スチロールの方が、エチレンよりも、身近に使われているような気がするし、もっと高校の教科書で解説を展開して欲しかったのだが、どういう編集方針からなんだろうか、32年前の本では省かれていた。結局、古本屋かどこかで、他校の今の教科書でも捜して調べる他にないようだ。きっと、こんな編集の高校の化学の教科書が全国では広く出回っているから、「エチレンとスチレンの違いを教えてください」と言った、大変つまらない問い合わせが後を絶たないのだろうか。困ったものだ。だから、自分ではよく解らないので、内心、いつも「エとスの違いですよ」と答えていたのだが、やっぱり調べていくことにした。実験室レベルでスチレンを化合するのと、実際に原油から精製していく工程とでは、かなり違うので、それぞれのルートを見ていかなければならないのだろうか。我々のような末端の現場では、成型加工性の優位が全てかもしれないし、そもそも細分化された現場ではこの保温性とか断熱とかは、当たり前のこととして、日々作業を進めているので、何で今更、といった声も聞こえそうだが、ここは押さえておかないとならないのだろうと思う。しかし、まあ、本当はここで論を展開しても、単なる自己満足になってしまいそうな気もする。現役の高校の化学の先生方が、ネット環境を最大限に利用して、生徒さんに、懇切丁寧に解説されているページが、物凄く沢山あるからだ。捜せばきっと、教科書以上の教科書にまで、HPを構成しているところがあるはずだ。あの高校の化学の先生なら、自分編集の教科書をとっくにネット上にUPするぐらいの反骨の精神は持っておられるのだろうと思う。何も今さら、大阪のはずれの無名の発泡スチロール屋さんが、大それと、そんなことをたらたら書いても、やはり自己満足に過ぎないか。 もう寝よう。


2005年6月29日
今日は朝から夕立のような豪雨がゲリラ的に降った。例年なら梅雨末期の現象なんだろうか。今年は梅雨に入って始めての雨がこれだった。異常気象に慣れっこになっているが、どうもその例年というレールからの脱線の程度が目に見えて大きく振れ出したように思う。我々庶民には、天を仰ぐ位しか出来ないのだろうか。今から40年ぐらい前、小学校へ行き出した頃は、梅雨は文字通り、1ヶ月程度じめじめした曇りか雨の日の連続だったように記憶している。黄色のゴムの長靴を履いて学校へ行った。体育の授業は、校舎の廊下で跳び箱や体操をしていた。みんな元気だった。昼休みが一斉清掃で、空雑巾で廊下の曇った窓ガラスを拭いていたり、雨の運動場をじっと見ていたりして、ベルが鳴るのを待っていた時があった。土砂降りのような激しい雨は無かった。いつまでもいつまでも途切れそうで途切れない連続した雨だったように思う。自分の掃除区域が、廊下の窓で、毎日その時間になれば、そこへ行って、雨の運動場を見ていたような気がするからだ。 さあ、仕事だ。あれもこれもだ。


2005年6月28日
毎日の何某かの更新は、これだけ暑いと大変なものだ。今日も朝から例の製作が続く。そして、本日の書き込みもここまでとなりそうだ。雨が降りそうで降らないで、クソ暑い猛暑空梅雨の毎日だ。仕方がない、頑張る他にない。あれこれと書き留めておくべき事があったのだが、今日もここまで

  さんさんと 陽の陰に鳴く 蝉時雨 いまだ六月 水足りぬ日も 


2005年6月27日
隣の工場の垣根にある大きな木で早くも蝉が鳴き出した。まだ、6月だと言うのに、今年は早すぎる。以前の空梅雨と比較にならないような季節の到来を予感させる。エアコンは昨年壊れてそのままだから、熱帯夜は身体にはきつい。、、、今日も朝から例の製作が続いた。あれこれ、次の手を打つべく準備をしているのだが、なかなか前に進まない。しかし、一歩一歩進めていく他にない。我々の所で何が出来るのか、挑戦を絶やす訳にはいかないのだが、本当にこの暑さは、こたえる。書き残しておくべきことは多いのだが、きょうもこれまで。


2005年6月26日
この1週間は先週よりもさらに早く、「っと言う間に」過ぎた。同じ時間であっても此れほどまでに違う。しかし、石油の値上がりは止まるところを知らないようだ。そろそろピークだろうといいながら下げない。 巨額のオイルダラーがやってくるといっても、元々値上がり分を払っているのは誰か、といったところを棚に置いて、さて、インフレが起きないのはどうしてだろうか。長期金利が動かないのは何故だろうか。解らないものだ。生活必需品の石油が上がっているのだから、しかももう1年以上続けているのだから、上がっても不思議ではないのに、可笑しいものだ。解らないものだ。誰が頑張って抑えているのだろうか。しかし、このまま続くようだと、どこかで堰を切って動き出すのだろうか。んーん。


2005年6月25日
寺のクソ坊主のM君と岡山へ行って、岡山名物のお菓子を買って、路面バスに乗った所で窓越しに、Y君が見えたので、手を振ると、Y君も気が付いて「おー藤本やないか」と走り出したバスを追いかけ、大声で呼んでいるところで、夢から覚めた。確か、Y君の心臓病の手術が無事に終わって、快気祝いに岡山に全国から20人も集まったのは、今から約10年も前になるのだろうか。早いものだ。そう言えば、中学の同窓会があったのは早、3年前になるし、ずっと続いていた中学同窓会のHPも、今では閉鎖直前になって、更新されなくなった。高校の方では、定時に官製の同窓会があるのだが一度も行ったことはない。大阪で、第2次大戦中に米軍の飛行機で機銃掃射を受けてその無残な弾痕が残っていたので大変珍しかったのだが、その高校の校舎が壊されて立て替えられるからというお別れ会に行ったのが、もう3年前だろうか、早いものだ。あの時も、A卿君やN島君、M島君らに会えるだろうと思っていたのが仕事の都合で昼からになってしまって行き違いで会えなかったものだ。しかし、今音楽の先生をなさっていると言う高校の最後の音楽の発表会でもモーツアルトの協奏曲を物凄い速さで叩いておられた有名な方にお会いしたものだったがあれは偶然だったのだろうか。もう半年前になっていくのだが、今年は、1月に日本ハムの試食会に招待されながら、行けなかったのが残念だった。中学の同窓生も何人か来るというので楽しみにしていたのだが、ちょっとした同窓会になりそうだったが、叶わずに過ぎていった。来年は、ハムの社長にまで登りつめた元研究所のSくんの匙加減次第、ということだろうか。、、、、、、、朝からぶっ続けで例の製作作業をし、夜の10時前になってようやく完成して、戻ると疲れが出たのか、そのままぐったりと眠ってしまったようだ。懐かしい人達にお会い出来るのも、せめて夢で会えたらの程度になってしまった毎日だ。
ようやく、簡単な自家製の機械で1000mmπ半球の製作に成功した。無機質な半球形は実現したのだが、結局この方式では、実用的では無いとの判断が下りそうだ。半球ひとつの製作に3時間を要したからだ。完全自動化してしまえば言いのだが、それではここでの製作趣旨から反してしまう。


2005年6月24日
蒸し暑い、雨の少ない空梅雨が続いている。気がつけば、今日も眠っていた。直ぐ、作業にかからなければならない。例のイカダの製作だ。夢の中でも円柱加工をしていた。おっと、ラジオも付けっ放しだったのか、昭和40年1965年に日本の人口は9000万人だったのが、それからわずか40年で44パーセント4000万人増加して行った、とラジオが話していた。日本の経済発展の原動力は、この爆発的な人口増加にあった、とするものだった。今は静止人口だ。これからも当分、こんな人口爆発は無いそうだから、高度成長もないのだろう。しかし、そんなに急激に増えたんだったら、減りだしても仕方が無い話だろうなあ、と思った。時間だ。


2005年6月23日
今日も各種製作。我々のような所では、大半は地味な作業が続いている訳だ。だから、時間の過ぎるのがやたらと長くく感じられる時もある。、、、、zzz、zzz、zzz、また机で眠っていたようだ。妙な夢を見ていた。とてつもなく巨大なソフトの会社の社長室にいた。ダンボールで出口を塞がれていた。社長の机はまるでステージのようだった。写真集が積み上げてあったので、開いて中を見た。彼の若い子供の頃の写真が幾つも見えた。若い頃は貧乏で、とても苦労していた様子だ。リヤカーで行商だろうか、重い荷物を引いて歩いている写真が見えた。写真の上には、その時の毎日の食事の献立が克明に書かれている。食事に米が出ることはめったにない。木の実や雑草まで食べて暮らしていたようだ。リヤカーを引きながら、遠方に銭湯の高い煙突が写真に写っていた。真っ黒になりながら風呂屋にも行けず、仕事をしていたようだ。夢の中とは言え、人の一生は判らないものだ、と感心していた。何が転機で、其れほどまでに、彼を今の地位に向かわせることになるんだろう、、、考えていると目が覚めた。不思議な夢だった。


2005年6月22日
あと3ヶ月程で丸3年の書き込みになるのだが、確かに最近は書き込む話題がなくなってきた。何故だろうか。更新時間が無くなってきたのも一因かもしれないが、だらだらと意味もないことを継続するのも結構苦痛なものだ。このようなことを続けていると、多数派迎合というべきか、強い自己主張というものが無くなってしまいそうだ。逆に言えば、角が取れてくるので、精神修練になっているようでもあるのだが、ほぼ、この分野ではどんなご質問にでもお答え出来るようになってきているので、旨味が無くなってしまったのだろうか、よく判らない。否、先日ご質問のあった原油から発泡スチロールに至るまでの反応経路をすべて詳細に教えてほしい、といったある受験前の高校生のご質問には、正直まだお答え出来ていない。原油から高圧で比重の違うガソリンとか重油を取り出し、残りカスがナフサと呼んでいる。ここから、さらに単結晶のようなモノマーを取り出すのだろうが、何と何をどう混ぜれば、モノマーになり、何を混ぜて重結合させているのだろうか。その辺りが、よく判らないのだが、きっとどこかの化学の面白先生が、その辺りを解り易く、解説されているのではないかと、現在調べている途中だ。もともとドイツの研究者が、実験室で偶然フワフワになった泡を見つけたのが、第2次大戦中だったそうだが、どうもそれ以前から、燃える水 石油が自然に湧いている所ではそのような泡があったそうだから、反応の原理は極めて簡単だったはずだ。だから、サラダ油をミキサーでかき混ぜて、泡立ててしまえば、いいのかもしれないからと、ちょっとやってみたのだ。納豆菌から樹脂が出来るには、ガンマー線を当てて反応の何かを破壊してやればいいらしいので、強引にこれをレンジでチンしてみたのだが、まったく駄目だった。そもそもオレンジの皮汁で簡単に溶けてしまう泡なのだから、逆にオレンジの皮汁をサラダ油に混ぜて泡立てて見たのだが、やっぱり旨くいかない。


2005年6月21日
北摂から遠路はるばる、若いお嬢様とその色白のお綺麗なお母様が、わざわざお見えになったのは、こちらまでの足の便もなかなか大変な事で、朝方申し出があってから、もう夕方になってからだったろうか。発泡スチロールでお作りになっていた例のものが、なかなか旨く出来ないからと、プロの技を、百聞は一見に如かずではないが、是非見たいということだった。一番ばたばたしている時で、余りお相手も出来ず、大変失礼致しましたが、お申し出の件では、得意としている当社の社員が代わりに対応したかと思います。技の幾つかを実演を交えてお説明出来たかと存知ますが、如何でしたでしょうか。例のもの、旨く完成出来ますようお祈り申し上げております。本日はここまで


2005年6月20日
納期が迫っている例の製作が2,3あり、今日も時間がない。だから何も書けないでは、つまらなさ過ぎる。例えば、近くの図書館で本の背に『発泡スチロール何々、、』とあるのは残念だが『発泡スチロールアイデア工作集』しかない。しかし、最近は便利になったもので、全国レベルで国内図書館を縦断して検索が可能だ。
まず、近畿圏では

「発泡スチロール再生利用マニュアル -卸売市場環境対策事業報告書-

「EPS工法 -発泡スチロール(EPS)を用いた超軽量盛土工法-‖」

「発泡スチロール球で分子模型をつくろう」

「たのしい立体貼り絵 -発泡スチロールボードと和紙/スプーンでつくる-」

「発泡スチロールのアイデア工作集(工作ランド)」

「発泡スチロールをいかすアイデア工作集(子供の科学工作文庫)」

これに例えば東京地区の全図書館では

「つくってあそぼう発ぽうスチロールとバルサの工作」


という本がかろうじて追加される程度だ。恐らく、国内全域にエリアを広げてもこの程度で、ほとんど変わらないだろう。しかし、業界で暮らす者からすると、なんとも寂しいものだ。何とかしないといけない。発泡スチロールの何とか協会が、HPで書いている程度ではだめだ。矢張り、本にまとめて全国の図書館に並ぶようでないと、意味がない。


2005年6月19日
今日も僅かな書き込みだけだ。時間がなくなった。他のページの更新を続けていた。夕方、近くの散髪屋で、大阪府立高専の技術交流会でお知り合いになった松下の音響事業部を定年退職なさったAさんと偶然一緒になった。薄くなった残り少ない髪の毛の手入れには余念がないそうだ。結局、今また、ある電化製品の設計部門に再就職なさったと聞いた。腕に覚えがあれば有利な訳か。歳が幾つになられても引っ張りダコのようだ。音響設計でこの人の右に出る人は恐らくこの国には、あと一人あの人位ぐらいだろうなあ。


2005年6月18日
漫画家鎌田洋次くんのページを更新していて、相当充実したと思うのだがお陰で時間切れだ。今日はここまで


2005年6月17日
今日も朝から例の製作が続く。他には何も無い訳だが、それでいて結構昨日と同じことは起きないものだ。確かに、写真の実例集は具体性がモットーなんだが、こちらは折角文章をメインの構成なんだから、他の取り組み方法もあっていいものだ。例えば、720ml ワインの発送用容器の件だが、既製品で対応しようとすると、瓶の種類も様々だし、ワインの場合、蓋に使うコルクの形状が世界でかなり違うそうなので、どうしても使えない容器があるようだ。例えば、オーストリアのワインで、コルクが瓶から3,4センチも盛り上がっている場合、これに対応した容器を既製品で製作した場合、他の普通サイズの瓶を入れた場合、隙間が開きすぎてぐらぐらしてしまうので、このワイン種のみの専用になってしまい、金型成型ではコストが合わないだろうから、作っていないようだ。だから、その場合、オーダーメードでの加工作成が必要になる、といった問題は、こちらのページで指摘しておくものだろうか。有り難いことに今日も様々なお問い合わせが続いた。本当に有り難い経験を積ませて頂いている。


2005年6月16日
お陰さまで、何とか今日も例の製作が続く。電波暗箱の台には発泡スチロールはその性質上、矢張り大変面白い成果が出ているそうだ。それ以上は書きませんが、兎に角、そういうことらしい。今日も2ヶ所の、と或る研究所からお問い合わせがあった。比誘電率が空気の1に極めて近い、と言うことと、加工性が簡単だという事が、携帯電話や無線ランなど次々と開発される商品には様々な条件での測定結果を引き出す場合の有利性があるのでしょうか。いくつも面白いお話を有難う御座いました。また、例の消耗品にとうもろこしを使いたいといったお問い合わせですが、生分解の旗手 小川先生がお聞きになりましたら、きっと大喜びしそうなお話でした。有難う御座います。____そんな訳で、出来るだけ具体性を表現していった方が、受けがいいようですので、しばらく実例を交えてのこのノート展開にして行きたいと思いますが、はてさて、できるかなあ。


2005年6月15日
今日もこの1行がやっとだろうか。兎にも角にも、例の製作が続いている。有難いものだ。そして、不思議なものだ。おっと、雨が降り始めたようだ。梅雨の日の朝が明ける。時間切れ、ここまで


2005年6月14日
日付を書いた後、机で眠ってしまった。もう時間があまりない。製作実例集を幾つか更新した。様々な製作があるのだが、なかなか全てをUPするところまでは至っていないが、これで、ようやく235例になった。あと10例出せると、ぺージが更新になるのだが、容量がかなり重たくなってきているようだ。500例まで来れば、写真集にしたいと思ったが、ジェイペッグでしか保存していないので、精度がでないので無理なようだ。写真コピー程度の写真集なら自前で出来るかもしれないが、、、住宅用壁材の新しい研究をなさっている方から「一番具体的で解り易いから問い合わせを入れました。」とお褒めの言葉を頂きましたので、特記しておきます。有難う御座いました。今後ともどうぞよろしく、、、おっともう時間だ。それでは失礼

2005年6月13日
今日も有難い事に、仕事に有り付けて、例の作業が続く。新聞の各種統計データに愕然としていた。日本の製造業の人口がさらに減少したようだ。確かに、時代は急激な変化をこの地で繰り広げているそうだ。昭和40年頃までは、農業人口がまだ、多数派だったのだが、高度成長期、製造業の人口は急激に増加し、農業人口と並んだ。しかし、オイルショックを経て、平成に入る手前から、第3次産業が急激に増加を始めた。今では、全人口の半分以上になったそうだ。そして、製造業はもう直ぐ1000万人を割りそうなところまで来たようだ。農業が300万人 、建設業が600万人、運輸通信 500万人、小売飲食店 1600万人、サービス業1800万人の就業者数だという。 製造業の比率が減れば、それだけ当社のような存在が俄然目立つようになってくると思うのだが、それよりも、社会の構造変化の中で、右往左往する大人達にもまれて、子供達の生活も随分と変わらずにはおられなかったんだろうか。大人達が子供だった頃、遊んだ原風景は、いまではどこにも無いから、子供達は、大人の話を聞いて、同じように遊ぶ訳には到底いかないのだろうか。この就業者数の変化を写すかのように、世代間の隔たりは大きくなる。やがて、イギリス並のサービス業が大多数を占め、農業 建設 製造 と合わせてやっと1000万人かそこらというところで、ようやく時代は静止するのだろうか。偶然かどうかイギリスと同じ島国だが、向こうの子供達は皆元気に遊んでいるのだろうか。大英帝国が静止するまでに200年ぐらいかかったのだろうなあ。今の子供達の大多数は、そのサービス業で暮らしていかなければならないのだから、教育は当然それに目標を設定したものに変わっているんだろうか。サービス業で暮らすべき正しい教育、とは何だろうか。


2005年6月12日
今日は特に書き残すことはない。下野していった複数の人達が、各地で頑張っておられるとお聞きすると、それだけで気持ちが一杯になって我武者羅に頑張らなければならないと思って、思ってはみたが、結局のところ、さりとて資金力も無ければ、体力も無い、残るはあーでもない、こーでもないの思案にクレールくらいが関の山なのだろうか。そうだ、あとは運気に任そう。テレビでアメリカバイソンを200頭も一気に眠らせてしまう『気』の力を見た。番組で、科学的に解明を試みていたが、第一級の物理科学の科学者の方々が「未だ解明できず」と見解を述べておられた。だから、人生の流れのようなものにもそれが在ったりして、、、、と半信半疑ながら、少し希望的観測を入れたいものだ。人生48年、そろそろ上昇「気」流に乗りたいものだ。

 遠い世界に旅に出ようか♪
 それとも赤い風船に乗って♪
 雲の上を歩いてみようか♪
 太陽の光で虹をつくった♪
 お空の風を もらって帰って♪
 暗い霧を 吹き飛ばしたい♪

 僕らの住んでるこの町にも♪
 明るい太陽顔を見せても♪
 心の中はいつも悲しい♪
 力を合わせて生きることさえ♪♪
 今ではみんな忘れてしまった♪
 だけど僕達 若者がいる♪

 雲に隠れた小さな星は♪
 これが日本だ 私の国だ♪
 若い力を体に感じて♪♪
  みんなで歩こう♪
  長い道だが♪
  一つの道を力の限り♪
  明日の世界を 探しに行こう♪♪
   

  ギターコード
   C Am Dm E7 
   F Dm G G7
   C F Dm G7
   C Am Dm E7
   F Dm G G7
   C F C G7 C


 ★★★社歌☆☆☆

富士の高嶺にフジカット♪
京都先斗町にフジカット♪
溶けて流れりゃ皆同じ♪
溶けて流れるスチロール♪


2005年6月11日
今日も朝から雨の中、例の製作が続く。東京の光設計さんから発泡スチロールを組み合わせた面白いアイデアを頂いたので、朝から、その利用可能性をあれこれとあたっていた。昼過ぎ、枚方人形劇団の方々がお見えになった後、例の発泡スチロールで作る『骨ツボ』の図面を何かといじって改良を加えようとしていた時だった。急に大雨が雨音の激しさを増しながら工場街の向こうから近づいて来たかと思い、振返ると、窓の外に傘を差してこちらにやって来る人影が、大雨の水しぶきで消え消えになっていながらも、次第に大きくなるのが見えた。或る発泡スチロールの会社の以前の上司だったTさんだ。お会いするのは4年振りだろうか。少し、痩せておられた。昨年の兵庫県北部を襲った2度の洪水で4ヶ月以上にわたって、仕事と掛け持ちで、手弁当で支援ボランテアを買って出て、無理をなさっていた様子で、相当過労が堪えたそうだった。いつもの求道者に似た姿勢というか、生き方というべきか、4年の歳月が過ぎても何ら変化はなさそうだったが、そんな姿勢は、矢張り、世間が、ほったらかしにはして置かない様だ。今では鳥取県で社員数十名を抱える発泡スチロールの製造を始めて、その会社を経営する社長さんに収まっておられたことは、後から頂いた名刺で解った。偉くなられたものだ。こうして、有るべき人材が、そのポストに自然と就いていくのだろうか。不思議なものだ。大したものだ。今日は仕事の都合で大阪まで出て来たついでに、時間が出来たので、わざわざお寄り頂けたそうだった。「枚方の街もしばらく見ない間に、随分と変わりましたね」いつもの気取りの無い軽快な流れるような喋りが、第一声だったが、17,8年の長いお付き合いだ。それだけで充分だったが、よもやま話に花が咲いて、お忙しい中、かなりの時間足止めをさせてしまった。この業界を知り尽くした人だ。事業の成功をお祈りいたします。


2005年6月10日
空梅雨のような晴天の中、暑い屋外作業が続いた。熱射病になりそうな感じだ。もう、今日で48になった。人生何ごとも経験かなあ


2005年6月9日
あの研究所からの近道だ。振返ると今日は、比叡山は霞んでいた。僅かにうっすらと影が見えるのがお判りだろうか。よく見えない日の方が圧倒的に多い、いつもの景色だが、、昔、劉備玄徳亡き後、蜀の国を守った諸葛孔明は、そこに留まることなく、2次3次と北伐を決行した。孔明率いる蜀の軍は、きっと山間のこんな関を通って行ったのだろうか。三国志のドラマが終わって、500年後、ここに都が造られる。悠久の歴史絵巻を見ているように、我々の一時代というのは、比叡山のように、はかなく霞んでいるのだろうか。それから早、1200年が過ぎても、あまり変わらない風景がここにはある。京都の北山にあったあの喫茶店では、中島みゆきの『時代』という曲は、もう流れていないのだろうか。我々に、把握できるのは、たかだか、青春時代のほんの数年だろうに、本当に悲しく、美しい思い出となって過ぎ去って行くだけだ。

振返ると、前方に枚方の町が対岸沿いに広がっていた。山並みの左外れに、津田のサイエンスヒルズが白い点に見える。雑踏が、静かな景色の向こうから伝わってくるような気がする。






2005年6月8日
独自色ということでは、結構面白おかしい内容ではないか、と思った。これだけの大きさのものを素人ででも、挑戦しようという方がおられて、当社は、直ぐに、ほいほいと協力しております。数日後にはUPできると思いますが、このタイミング的には話題性では、ナンバーワンだと確信致します。スターウォーズにジェダイが被っているマスクを高さ1m50センチ胴回り6mの特大サイズで作ろうとチャレンジなさる方に、素材の発送準備をしているわけですからね。ここまで


2005年6月7日
繰り返しになるが、独自性をどのように出すか、が全てなんだろう。他では決して無いような構成にする必要がありそうだ。この視点から再度見直しに入っている。内側にいるとなかなか見えて来ないものだが、これは重要だろう。しかし、徹底的に独自性を出すと言う視点から、他のものを参考に出来るか、となると、この業界では必ずしも、すばらしい、面白い ためになる 構成のものは少ないようだ。何と言っても基本は企業PRだからだ。見てもらえる為には、最後は、単なる宣伝の道具レベルを乗り越えて、何か訴えかけるような本当のものを、身体を張って、作っていかないとならないのかもしれないし、逆に、例えば、原油から実際に発泡スチロールを手作りで合成 反応させて造ってみるぐらいの独創性は必要なんだろうか。ドイツで最初に発泡スチロールの合成がなされたようだが、70年前、最初は、きっと実験室レベルだったのだから、そんなに大した設備も無かっただろうし、基本的な反応は簡単に出来そうな気がするから、そこからはじめてもいいのだろうか。、、、否、きっとそれ位のことは簡単だから、すでに何処かで、研究好き好き人間か誰かがやっているのだろうな。そのまた逆に、例えば発泡スチロールは、自然にとてもやさしく簡単に自然に帰る性質があることが解ってきたのだが、つまりオレンジの搾り汁を掛けたら、奇麗さっぱり溶けてしまうのだが、今度は植物性の何かをそれに振り掛ければ、またまた発泡スチロールに戻った、と言うことになれば、奇想天外、面白い発見だと衆目を引くのだろうな。普通、発泡スチロールは1,1パスカル程度の蒸気で膨らませるのだが、これが植物性のいい匂いのするもので匂い指数の高い香水なんかを使えたらびっくり仰天だろうか。___そうだ!!びっくり仰天だ☆、、、、オンラインショップも『楽天』に習って 『びっくり仰天』と呼び名を変えよう。


2005年6月6日
独自性についてだろうか。このHPならではの特徴を如何に出すか、というのが重要なようだ。大いに参考になった。有難う御座いました。今日も時間が押している。
ちょっとだけ写真をUPします。こんなものを作るのに2週間かけております


2005年6月5日
ようやく、書くことが無くなって来たようだ。今日は時間も押している。石の上にも3年というが、あと5ヶ月だ。つまらない駄文でも取り合えず頑張ろう。それでも、次々とお問い合わせは続くので、有難い限りだ。お付き合い有難う御座います。、、、会社とは何か、確かに、次の次、そこを見ることができるかどうか、それが会社なんだろうか。その次の次、それは芸術家にとっては、形にして表現するものだろうな。絵筆をとってさっとキャンパスに色を描けていくと、そこには誰の目にも 「次の次」が見えてくるのだろう。しかし、われわれのような中途半端な企業人にとっては、先を見ることは、大変な作業だ。我こそは次の次だと言ったところで、おおかみ少年で終わることが圧倒的に多いものだ。或いは、次の次のそのまた次では、余りにも未来では誰も気が付かないだろうし、次か次の次程度の丁度、いい加減なところでないといけない訳だ。90年代に大きなバブルがはじけて、次はネットバブルがはじけて、今度は中国バブルだと言う、ではこの次は何だろうか。並べてみると何となくこの次が見えてきませんか?


2005年6月4日
今日も朝から例の水耕栽培用特殊フロートの製作他。夕方5時頃、漸く時間が取れて、例の簡単な(といっても3年近く、ああでもない、こうでもないと考えている訳だが)球面体加工機で、860mmφの半球加工をしてみた。加工速度の微調整などをして、何とか860mmの半分までカットしていった頃には、ベスト速度を設定出来るようになった。時計をみると、もう9時半を回っていた。
少し硬めの40倍グレードを使ったので、速度調整が相当スローペースになったようだが、汎用品の60倍クラスだともう少し、早くなるのだろうか。もっと大きなコンデンサーでもあればいいのだが。この球面加工機は、誰にも相談せずにここまで作って来たので、逆に、これから全てHP上に公開しても、別に誰も困らないだろう。追ってその内、加工方法を公開致しましょう。簡単安上がりな方法だったが、思いつくまでに3年が過ぎた。商業用としては、精度はもうひとつなので向かないが、個人でご使用程度の球には使えそうだ。一応 1200mmφまで可能な設計にしてあるので、次は1200mmφに挑戦と言うことになる。そして、これをひとまず終えて、次は変な大学の正四面体を大量に欲しい先生の為に、その量産機に掛からなければならない。金にならないが、忙しい限りだ。その内、何かのお役に立てるだろうか。


2005年6月3日
今日も朝から例の製作が続く。また、先日の「鳥人間」の競技へ向けて製作の追い上げに入っている方から、そのお問い合わせが続いた。急げ急げ締め切りまでに何とかテスト飛行をするんですね。頑張ってください。いつの間にか、今年は、フジカットは、3チームの応援をすることになりました。zzz、zzz、zzz、会社とは一体何なのだろうか、と考えているとまた机で眠っていた。考えることが増えた。まあ、これもネットのお陰だろうか。今日はこの辺で


2005年6月2日
今日も変わらず、多忙だった。会社とは何だろうか。ある読者のこの疑問が常に浮かんだ一日だった。NHKの昼のドラマでバネの会社が操業停止になった話をしている。仕事がなくなって、家族離散で社長(ちょっと設定の割りに役者が若すぎるよ)が、夜は慣れないバイトに出るのだが、まだまだ。自宅を売り払ったとは言え、会社事務所や工場が残っているから、良いじゃないかと思った。自宅を売って、工場が残ると言うことは、支払い関係がまだまだ相当余裕があると言う設定だろうか。矢張り、ドラマだ。現実では、そうは行かないだろう。先日廃業された近くの材木屋さんでも、売り上げの半年分位の余裕が無ければ、商売は止められないものだ、と話していたし、結局、廃業が完了したときには、自宅も何もかも無くなって、アパート住まいの只の人になってしまって、食っていけないから、仕方なく、また、一から材木屋を始めた、という笑えない話がある。潰れた会社の話なら、発泡スチロールの会社関係で、ごろごろ情報が入って来ている。もう、あれから5年になるのだろうか、中堅の発泡スチロール成型会社の倒産劇をこの目ではっきりと見たものだ。最近では、矢張り中堅の発泡スチロールの会社がこの4月に倒産したのだが、そこの湯気がまだ立つ会社の生々しい最後の顛末記というものが、伝わってきている。原油が値上がりし、価格転嫁すれば済む大企業とは違って、末端では、ガソリンスタンドでもばたばたと廃業に追い込まれている所が目立ち始めた。生き残り競争、それが会社なんだろうか。そうだろうな。これから就職を考える若い方には、後ろ向きに考えれば、こんな競争が嫌なら、国家公務員や大阪市の職員という手もあったし、公務員でも最近は自衛隊では危険なようだが(笑い)。安全確実な、そう言った所に就職するのが、一番だろう。しかし、現実には市役所等に入れるのはほんの一部の人達で、残りの大多数は、矢張り、競争の中小企業に就職となるんだろうか。だから、我々の多数は前向きに考える他にない。季節ですね。じっくりと、いいところを探してください。発泡スチロールの会社にもいい所、すばらしい会社は一杯ありますよ。


2005年6月1日
今日も栃木の学生さんで飛行機作りに挑戦して恐らく琵琶湖の鳥人間コンテストにでも応募されるんだろうか、その「空計画」の方に、相当サービスをして発送してしまった件で後悔したり、関西では大村昆の写真で有名な墓石の会社の方の為に、あれやこれやと発泡スチロールの資料を揃えながら、また、「会社とは何か」を、ふと考えていた。もっと広々とした所があればいいのに、と言う願いは誰にでも共通したものだろうから仕方がないのだろうか。しかし、飛行機が飛ばせるようなスペースがあったら、きっと発泡スチロールで例のあれを使って、本当に飛ぶと言う飛行船でも作ってみるのだが、そうもいかない。あるいは、インカ帝国のカミソリも入らない壁を発泡スチロールで作ってみるのだが、そんな自己満足で会社は成り立たない。正四面体の作業は進んでいない。球面体加工機は一応完成してからまだ試作をする時間がない。水耕栽培用のこれはまた変てこな浮きフロートの製作は、もし今後も製作するようだと、設計段階から見直さなければ作業工程が無茶苦茶多すぎる。しかし、それでも製作は続く。そうだ、会社とは何か、の答えが出ないままだが、これらの製作は、ひとつひとつオーダーメードの製作ではあるが、何と言ったらいいのだろうか、「いいものを作ろう」と言う気持ちが働くようだ。例えが良くないかもしれないが、昔、大坂中之島の米相場で、大儲けを続けている相場師というのは、儲けることよりも、満足のいく自分スタイルの相場を張ることに生き甲斐を見つけ、その技術を磨いていると聞いたことがあるが、基本は同じだろうか。その技術、製作の加工技術であれ、営業の招客技術であれ、新研究の実験技術であれ、子供達を相手にした教育技術であれ、みんな「いいものをつくる」ことを目指しているわけだ。きっかけは、只の一枚の求人広告の募集の2文字だったり、人材の登録で偶然出向いた先であったりでよく解らないことが多いのだが、ましてこれから初めて就職しようという学生さんには、悩んで最後は、えいっヤッーで就職先を決定する他に実のところいい方法は無いのかも知れないが、そうして、皆が集まって来たは、グループが出来たはで、何をしようというのかというと、結局のところ、「何かいいものをつくりたい」という目的だろうか。学生さん、あなたにそれはありますか。無かったら、わたしがお教えいたしましょう。


2005年5月31日
いつもの通りの作業が続いている。有難いことにネットからのお問い合わせも続いている。この素材にどれだけの可能性が残されているのか、まだよく解らない。これだけ次から次から、情報が頻繁に飛んでくるので本当に解らなくなっている。朝から晩まで発泡スチロールのご相談に掛け合っているのだが、終わることがない。「一体、会社とは何なのだろうか。」また、そんな疑問がよぎった。海に手を差し出して誰にでも食えるだけの魚がつかめるなら、そんな疑問で困らないだろうに。野山に手を差し出して誰にでも食えるだけの木の実がつかめるのなら、困らないだろうに。空に手を伸ばして風が食えたなら何も困らないだろう。だが、我々は経済の海の中で、困難と立ち向かうしかないし、実のならない堅い荒地に、無常の竿差して進むしかない。決してつかめない虚空に、僅かな希望をつなぐ他ない。そんな中で生活しているのだ。会社とは何だろうか。我々に何の希望を叶えてくれるのだろうか。


2005年5月30日
今日も朝から例の製作が続く。有難いものだ。今日までは何とかこうしてやって来れた訳だ。それ以上、何をアクセクする必要があるだろうか。朝から晩まで木偶の坊のように加工に取り組んでいる。zzz、zzz、zzz、、、、また疲れて机で眠っていたようだ。さっきと言っても、時計を見るともう5時間前になるのか、、、アメリカの発泡スチロール業者のページを見つけた。流石にスケールが違う。果てしない、荒野の用心棒が出てきそうな広いスペースだ。だだっ広いのが自慢だった中学校の運動場並の作業場で、悠々と作業をしている写真があった。で、その業者に、ヤフーの翻訳こんにゃくで訳しながら、何とかコンタクトが取れないものかと四苦八苦していたのを思い出した。英語が解らないから、こちらのHPを貼り付けておけば何とか相手も同業者だと解るだろうと思ったのだが、後が続かない。サンキューではだめだ。ハッピーでもしっくりいかない。その後、視点を変えて、今度は思い切ってエジプトかイラン辺りの発泡スチロール屋が無いか探していたが、その後の記憶が無い。
その後は、夢の中になっていた。、、、、、夢の中では、広い広い工場に住み込んでいた。誰かが、地平線の荒野から馬車に乗って、白い発泡スチロールを運んできたのが、窓越しに見えた。早速、納屋から干草を運んできて、馬車が到着したら、馬に食わせようとして用意していた。「どうどうー。どうどうー、」カーボウイハットに手綱を引いていたのはいつもの見覚えのある運転手だった。「町はどうだった」と聞いた。「いつもの通りだ」「保安官はどうした」とまた聞くと「まだ、やっこさん、ニワトリを追いかけているぜ。捕まりっこないな。テキサス帰りの若蔵には、この土地は似合わないぜ。お陰で、狼やハイエナのごろつきで町は一杯だ。危なっかしくて歩けやしないぜ」と井戸の水桶を滑車で引き上げながら、冷たい水をがぶ飲みして、顎を左腕でこすりつけてから、掛けていたぼろタオルで顔をぬぐって、ホッと一息ついてそう言った。今日の馬車の積荷は発泡スチロールだけではなかった。なんでも、海の向こうの知らない国の聞いたことも無い人からの贈り物で、インボイスに「センベイ」とかと、たどたどしいローマ字で書かれたジャパニーズビスケットの木箱がひと箱、わら縄で2重にも3重にも厳重に巻いて包装されているのがあった。「おい、開けて食ってみないか」と言いながら、とっくに冷めたコーヒーを角のひん曲がったブリキのコップに注ぎながら、テーブルに並べた。運転手は、センベイとかいうジャパニーズビスケットに興味があったのか、一かけら口にくわえて、しばらくしゃぶっていたが、ペッと吐き出すと「何だこれは、噛めねーじゃないか、コーヒーまでまずくなっちまうぜ」と怒って井戸のところへ行ってうがいを始めた。戻ってくるともう一杯コーヒーを一気に飲んでから「とんだ食わせ者だぜ。ニワトリ追いかけている町の保安官より質が悪いぜ」と言って笑った。、、、、


2005年5月29日
毎日、これだけよく続けて書き込みがあるものだ。確かに、頂いたのは不思議なニュースだ。1mmの5000分の1だろうか、スチロールビーズを極小に細かく粉砕して、一列に並べ、それに光をあてると、光がいちいち、その極小のスチロール内をぐるぐる回りながら進むので光の伝わる速度を40分の1程度に落とすことが出来たらしい。光自体を閉じ込めたりする構造的な新発見ではないが、光通信などで、大容量の光で到着した情報を読み取って、振り分けるのに威力を発揮するそうだ。まだまだ発明発見は続くのだろう。zzz、zzz、今日はここまで


2005年5月28日
例の製作に区切りをつけて、また、例の球面体加工機の製作にあたった。手作りなので、どうしても3次元に移動するジグを作ろうとすると、有り合わせになってしまって高い精度は望めない。まあ、試作機の試作なんだから、成功すれば、基本的な動作確認が出来るので、次に本式に掛かればいいのだ。しかし、それでも、ようやく完成したのは夜の9時を回っていた。前回、480φの半球製作まで成功し、一挙に、1000φを狙った途端に、無理がかかって破損してしまったわけだが、今回はニクロム線を縦方向に張る方式に変更してみた。これで1200φまで想定上可能な設計になった。お金が無いので至る所木製の支えを使っているが、結構丈夫なようなので、今度は行けそうだと、期待をもっている。数日後には完成品をUP出来ればいいのだが、、、、。もういい加減、これに3年も過ぎてしまっている。早く、区切りをつけて、次の例の製作用の機器の試作に掛からなければ、東京の鈴木さんから大目玉が飛んできそうだ(\(^o^)/)。いや、待て待て、その前に例の生分解の件で何とか探さなければならない一件が控えているし、今のうちにやらなければならないことは山ほどある。急がなければならない。


2005年5月27日
今日も朝から例の製作が続く。会社とは一体何だろうかと考えていた。小説よりも奇なるものが現実なんだろう。恐らく、その人は、あの大病に、もう何度も死を覚悟されたことだろうに。それでも滔滔とその人の作業は、東に日が昇ってまた西に沈むまで、一日、今日も変わらず、周囲に微笑を振りまきながら続くのだろうか。何の不平も不満も言わず、黙して語らず、もとより金も無く、名誉名声と無縁な半生に悔いも無く、一体あと余命幾ばくと知らずとも、無闇やたらとばたばたせず、今日のこの日が無事に終えたなら、それで良し、と終止符を打ち続ける毎日の人生。ああ、何と対称的な二人なんだろうか。先日、「ヤマト消火器」の会社名を騙り、金を出さないと見て取るや否や、態度を豹変させて、何の言いがかりか、「乞食扱いしやがって」とわめき散らすは、殴る蹴るの暴力ふるって、逃げるように去って行った男がいると思えば、この人のように、正真正銘の「ヤマト消火器」をまるで十字架のように背負って、お見えになる方もおられる。「この消火器は、わたしが生きて来た証です。もしもの時に、あなたのお役に立てるのならば、それこそが、わたしが残して逝ったしるしです」とは、その人は決して語らない。たかが、消火器だ。されど消火器なんだ。人様のお役に立つのが消火器さ。とっさの時に不幸を消してくれるのが消火器さ。そんな大事なものが他にあるか!だからわたしは、何時までと知れぬ、残された余命をこの仕事に賭けるのです__黙々と作業を続けるその人の横顔にはそう書かれていた。仕事とは一体何だろうか。これから就職される若者に是非、あの逃げるように消えていった者よりも、十字架を背負って消火器を売るこの人の後姿を見て頂きたいものだ。生きることとは何だろうか、そして働くこととは何だろうか。こんな人に会うと、底知れない勇気をもらえるものだ。


2005年5月26日
今日は朝から来客が続いたし、会社とは何かを否が応にも考えさせられた。重い課題になってきた。戦後60年と言うが、戦後生まれがすっぽり世代交代してしまう長さだ。直後の農地改革で土地を得ても村のつながりは残ったのだろうか。集団就職で、都会へ出てきても誰の知り合いもいない中で、どうやって暮らして来たのだろうか。都市はどんどん巨大化し、周辺の農地を飲み込み、小さな平野も、見渡す限り、家だらけになってしまった。生まれたときには、当たり前のように自動車が走り、テレビがあり、24時間の内、ほとんど目の前の空をじっと見ていることもない生活があり、半世紀で9000万人から3000万人も増加したのに、さらに都市集中で過密感はそれ以上にひどいものがあって、自助努力という名の競争の原理が屋上屋を重ねる。なにをアクセクして我々は暮らしてきたのだろうか。何が我々を追い立ててきたのだろうか。しかし、問題は働かなければ、食っていけないという現実だ。団塊の世代が猛牛のように現在の日本の構造を作り上げてきたと言っても、彼らが表舞台を去って、人口が減少し出したからといって、誰が困るのだろうか。生活に水準なんて無いのだろう。あるのは、それで幸せかどうかだけかも知れない。

  来客の そのあなたの微笑みは 癌の腫れぼっくり 

                    それでもあなたは 働き続けるのか 
  
                           生かされて かたじけなくも 生かされて 夫婦の絆は重い いつまでも 


2005年5月25日
今日も朝から各種製作が続く。会社とは何かを考えていた。どうあるべきかとも考えていた。折から、HPをご覧になった方からのお問い合わせで、「御社は一般の個人様向けがほとんどとお見受けいたしますが」と言うくだりがあった。これに関しても会社とは何かを考えるには、ある種の材料だろうか。つまり、どれだけ大きな会社であっても、営業の窓口、仕事の窓口になられるのは、たった一人を相手にするのだから、個人であろうが法人であろうが、同じなわけだ。たったお一人のあなたの信用を勝ち取る為に頑張る訳である。男女差は無論あるのだろうが、それは脳の右脳か左脳のつくりが多少違うからだろうし、男性は矢張り、会社が!会社は!と言いたがるものだし、定年ででも会社を離れれば、本当は唯のつまらない人間に過ぎないのに、然も自分も総理大臣かその子分ででもあるかのように振舞おうとするものだ。それは仕方がないだろう。悲しい人種だ。このHPからご判断頂く事は別にどうあれ結構なわけだが、そう言えば、個人法人どちらでもいいのだが、学校の学生さん、生徒さんからのお問い合わせには、いつも破格の対応を心がけている。殆ど利益抜きか、とんとんベースで見積もり等も差し上げることにしている。それよりも、彼ら彼女達からその元気な「構想と力」を頂ける方が本当に有難いと思っている。そういえば今日も大変微笑ましいお問い合わせをある生徒さんから頂いた。有難う御座いました。思い出すだけで元気になれます。その生徒様からは、「始めて電話します。よく解らないんですが、発泡スチロールは小さいほど高くなるんですか。クラブの先輩が、小さくカットするほどカットが多くなるんで高くなると言ってます。」とのご質問でした。有難う御座いました。これで、日本の発泡スチロール業界の未来は安泰です。


2005年5月24日

今日はどういう訳か、特にお問い合わせが多かった。毎日、こうしてこつこつと書き込みを更新し続けていると、突然やってくる特異日のようだった。不思議なもので、人の行動と言うのは何かと共通するものだから、こうして重なりがあるのだろうか。このような特異日は時々やって来る。朝から夕方までものの30分も例の製作を続けて入ることも出来ない有様だったが、有難いお問い合わせばかりであったので、お陰さまで何とかお気楽に乗り切った。このような特異日は、きっとコンピュータのプログラムの影響なんだろうかとも考えた。一定の周期をもって、「発泡スチロール」と言うキーワードが他の工業素材に比べて、NHKのニュースや町の話題になって茶の間でも検索され易くなり、結果的にこちらに振り分けて来るんだろうか。実のところよく解らない。解らないが、それがまたある意味で面白いのかもしれない。そうこうしながら、会社とは何か、を考えながら、また例の作業を続けていた。我々はこうして生きている。様々な価値観の中で、、、、そう言えば、帰り、NHKのラジオで前頭連合野の辺りに「他人のことを思いやる」という高度な働きがあることが、脳科学の研究によって最近解ってきたと解説者が話していた。意識に上る以前の無意識段階には、物凄く多くの情報量によって成り立っているところがあるらしい。そしてそれがベースになってその高度な働きは意識に上がってくると言う。無意識の世界だ。それが様々な新開発の測定器によっていよいよ実際に科学的に解明され始めたようだ。人の学習とはどういうことか、また 教育とはどういうことか、面白いお話だった。振返って、このページの書き込み分量で、果たしてどこまでその無意識にまで到達できるのだろうか、これ自体、まあそういう意味で壮大な実験かもしれないとも思った。


2005年5月23日
あの研究所の帰り、淀川の河川敷では、もう夏草の匂いが南風に乗ってあたり一杯に漂っていた。日々、様々な表情を見せる比叡山は今日は霞んでここからは見えない。結局、他では製作できない所をこちらで製作していく、隙間を埋めるようなところがポイントなんだろうか。それには、、、、地面に足をしっかり着いて、腰を下ろしてじっくりと仕事に取り組んでいける体制を整えなければならないだろうが、そんなことを言ってると100年かかる。ではどうすればいいのだろうか。目の前の課題をこなして行く外にないだろう。ひとつづつ、、、、すると、またこんな課題が舞い込んできた。これは通常の作業の延長上なんだろうが、未体験ゾーンになるようなものだ。仕方がない、一丁やってみよう。インターネットの不思議だ。次から次へとなんと冗舌なウルトラ級の新規作業が続くのだろうか。有難くもあり、また不思議なものだ。矢張り、発泡スチロールが、加工は一番簡単な素材なんだろう。




2005年5月22日
今日は一日狭い部屋の掃除。様々な各方面からの有難いお問い合わせは今日も続いた。会社とはなにか、を問う。特に当社のような製造加工業である場合、最終的にどのような特徴をもったところであるべきか、に行き着くのだろうが、当社の場合、果たして何だろうか。未だ、見えてこない。ひたすらに、前向きに取り組んで行く外にないのだが、、、ではこれで








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