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営業部デスクのコラム欄  
「わたしの研究開発雑記ノート」
                   




2007年6月4日 曇りのち晴れ 26度
今日も朝から例の製作にかかっていた。あれは、約1年振りとなるだろうか。櫛型の自前の加工機を改良してさらにその幅に加工が可能なようにしてからだ。だから、1年を早いものだと この櫛型で思う事になった。その後、その櫛型の加工中、懐かしいものか、例の発泡スチロール工場の工場長の下で長年働いていたK君がひょこり現れた。何年振りだろうか。例の、枚方駅前でひったくり犯を民間逮捕して表彰された日に会って以来だろうか。ざっとでも5年は過ぎていると言うのに、不思議なものだ。昨日まで一緒に作業をしていて、今日はこんな時間に早番だったか、程度の感覚の開きしかない。矢張り、何年もあの発泡スチロール製造の激務に一緒に携わって来た仲ではある。こんな風に、つまりは、中学や高校の同窓会仲間に会うような感覚にまで至るには、幾歳月同じ釜のメシを食べないと行けないのだろうか。そして、こうしてまた檄を頂いた。こころの奥底には、重い重い義務観のようなものが漂っていた。だから、頑張るしかない。何とか、前向きに、ひたすら前向きに頑張って、頑張って、進んでいくほかに無いのだ。出来うる限り、さらに検証を加え、ここからか、それともここからか、秘策を練り、正攻法に見せ、休まず急がず、機を見るに敏たり、いつか、いつか、失敗は恐れず、猛勇を嫌い、それでも休むことなく前進あるのみ


 曇天に 「みてろよそのうち」言うは タダ  待たぬ月日に 学難く そして矢の如く 歳をとってはみたのだが


2007年6月3日 曇り 23度
今日も時間を見てセルパネの例の加工機の製作に掛かっていた。こうして、少しでも先に進めなければならない。決して、空想の世界ではないし、切ったり貼ったりを繰り返さなければ、目の前にそれが少しでもそれらしく現れてこない。取り合えず今回は外枠を作って、そこに前回アクリル板で製作した吸入器をぶら下げる格好にしようと考えている。先日も、家の中に、小さな娘さんの為にピアノの練習用の防音室がご自分で日曜大工程度で出来ないかどうか、と言ったお問い合わせがあった。それにも、取り合えずこちらで防音室に組み立ててみて、どの位の時間と費用で可能か計算してみます、とお答えしていた手前、矢張り急がなければならないのだ。解決していくべき問題を直ぐにでも解決して、日曜大工程度で骨組みを組み如何に簡単に出来ないか、この課題の為に、またまた急がなければならない訳だ。その後、例の次なる課題を背負うことになって、その問題の解決策として何か方法はないか、近くの本屋でまた、資料探しとなった。リサイクル屋をはしごすることとなった。こうして次の次、の模索が始まった。今日も貧乏暇なしのようだ。


2007年6月2日 晴れ 24度
今日も例の製作を進めた。ダンボールパック屋さんから急ぎの依頼の618φ球加工を進める機会にあったので、再度球面体加工の方法を検討していた。そして、一番簡単な方法と考えていた今の方式にさらに省略できるところを見つけて、見直しに入っていた。誰がどこで真似をするのか解らないネットのことだから、敢えて公開していく方が、若い人に参考にしてもらえるし、その先陣を切れていいのかも知れない。そうする事によって、将に道具らしい道具は無くても、球の加工が可能だと考えていたのだが、さらに、今度はその部材が無くても球面のあの無機質な、まあ荒削りではあるが、「曲面」が出せるようなのだ。結局、結論から言えば、一定速度で動く駆動装置があればいいだけのようだ。ろくろでもいいだろうし、壊れた自転車のギヤーを使ってもいいかもしれない。まあ、これすら、数人余裕あれば、人海戦でいけるというものだ。しかし、こう言うのは、何度も何度も、大きな球の試作を続けて行かなければ、見えてこなかったことだった。有難いものだ。時間さえあれば、全てのサイズの球を在庫出来るのだろうか。 その後、夕刻まで、セルパネの加工機の製作を急いだ。エアーの循環できるラインを組み込むことにした。


2007年6月1日 晴れ 24度 
今日も例の製作になった。急ぎの製作のあと、また例の巨大な指輪形状のものの依頼が入った。これが全て金で出来ているならどんなにか驚きだろうに、残念だが中身は空気98パーセントの発泡スチロールだ。ほとんど空っぽだから、と言って よく タダみたいなものではないのか、と言ったお問い合わせもあるのだが、金に比べれば、格段に安いだろう。だが、それでも、そこそこの価値は付いて回るのであれば、ユーザー様で価格に関してはご理解頂く他に無いものだろうか。確かに、我々の購買意欲は高いか安いかによって分かれるものだろう。だが、安ければいいものと、高いといいとは言えないものグループに対し、安ければよくないものと高くてもいいものグループに分かれるならば、高いか安いかの判断は結構難しいのかもしれない。過労であっても単価を抑えるか、それでは安いのか、秘伝の味に高い値段はそれでも安いとなるのだろうか、秘伝の味、、、、秘伝の味、、、、!!おっと、もうこんな時間だ。お湯も沸いたようだ。では失礼


2007年5月31日 曇り 23度
今日も例の製作になった。何とか時間をつくって次の作業をこなして次々と進めて行きたい場面ではあるが、中々思うように時間が取れないようだ。されど、我行かん、幾万人の人壁あろうと、進めや進め、我行かん。矢張り、そう言うことだろうか。どこでもそうだろうか。独自な発想で、独自な技術を編み出していくことが唯一、生き残る近道に違いない。さらに、そして、さーらに発想を換え、どんな可能性があるのか、検討を加え吟味し、あれかこれか、ではなく、あれもこれもと常に現状に負荷を、いや付加価値を見つけることを続けて行かなければならないのが我々中小企業だろうか。1本ヒットが出れば、もう中小ではない。2本ヒットが出ればすでに大手かもしれない。しかし、それ以上、これ以上のヒットが続かなければ、大手は横綱引退と言う訳にはいかない。倒れるか廃業か、勝てば官軍負ければ賊軍、『会社の寿命』の尽きるだけだろう。多くは30年、長くて60年。しかし、我々のような零細の場合、土俵際での小技、返し技での勝負なら負けない。否、負けられない。とは言え、食わねど高楊枝は武士だけさ、商売人はまず、食うていかねばならぬ 何事も腹が減っては戦は出来ぬ。 、、、、、おっと、お湯が沸いた。、、、、これであと3分だ。100円ショップで買ってきた3分の砂時計を逆さにしてと。急場の空きっ腹にきつねの『どんべえ』といきたい。♪♪♪、、、、もう3分だ。早いものだ。、、、××× しまった!手が滑った。何てことだ。何をしていたんだ。こんな年齢になって、台無しやないか。折角の急場の腹こしらえが、、、、嗚呼、、、、。もういい、今日はここまで


2007年5月30日 大雨 22度
今日も例の製作を続けた。結局のところ、こう言ったネットによる個別化の動きは、製造現場では、さらなる独自技術の開拓発展以外に切り抜けていく方法は無いのかも知れない。本日お越し頂いた方からは、大変示唆に富むご提案を頂けたのもその点だ。確か、昨年1mの試作の半球を納品させて頂いた事があったのだが、この試作にしても、こうして4年5年と継続して取り組んでいると何かしらの加工上のこつや簡単な小道具の蓄積があるものだ。やがてそういった蓄積は、言うところの独自技術となるのだろう。セルパネにしても同様だろうか。決して諦めず投げ出さず、挫折しようとも再度再再度立ち上がって挑戦していく姿勢こそ崩さなければ、何年も経てば、ある程度の蓄積があると言うものだろうか。だから、有難い事に今日もセルパネに関するそのお問い合わせが続いたのだろうか。さて、翻って、目を世界に向け、状況的にはどうか。例えば、地質学者キャンベルは、石油生産が2010年頃にピークを向かえ、以降徐々に減少を始め、2030年頃には今と比較して半減するだろうと言う。業界ではごく一般的な話ではあるが、所謂「ピークオイル」である。近年、世界の年間消費に見合う程度の新規の巨大油田の発見は見られず、このままでは確実に生産は減少に向かうのだろう。だから、脱石油化の社会の再構築を官民上げて早急に取り組んで行かなければならないのだろう。恐らく、地球環境 温暖化対策の問題は、実は、この脱石油化の為の伏線ではないだろうかとも思えるものだ。何故なら、このまま石油が無くなれば、温暖化問題は、明らかに自然消滅するだろうからだ。まあ、それどころか、今の油上の楼閣文明そのものが変わってしまうのだろうか。そこでだ。この先20年30年先を読んで行動に移し、商売につなげていかなければならないのは明らかとなるのだろうか。さて、どうするか。


2007年5月29日 晴れ 25度
今年は冷夏空梅雨の予測を出すところがあるらしいが、解らないものだ。偏西風の蛇行が猛暑にしたり、高原のように涼しかったりさせて、雨も夕立程度、通り雨程度とさせているらしいが、今日も例の製作が続いた。周囲、世間が騒がしくとも、ここでは振り向きもせず、唯ひたすら、作業に掛かるだけなのかもしれない。例の、青森容器の出荷作業も順調に進んだのだが、これだけいいものが仕上がると、手作りなだけに、何となく出すのが惜しくなるものだ。しかし、きっと喜んで貰えるだろうと振り返って、作業を進めた。、、、、、おっと、ここまで書いてまた眠ってしまったようだ。夢だ。屋上にいるのだろうか。足元に縦横に張り巡らせた配管が見える。蒸気のドレンに給水そしてエアー、原料の送粒配管か、寒い冬の朝の工場の立ち上げ作業だろうか、何十台も並んだ水のポンプにスイッチを入れていく。ボイラーに点火していく。低燃焼で暫く回す間に、電源のチェックに、リターン水を見、手動の濾過のバルブを次々に逆開閉を掛けていく。軟水タンクに異常はないか、燃料タンクに詰まりはないか、エアータンクに5キロ圧は確保できたが、水ドレンは大丈夫か、各工場から伸びてくる細い配管は給水層に集合して、エルボで落ち、スチームトラップからはまるで火山地帯のように連続してスチーム煙が上がる頃、今度は一斉に各工場の成型機に空打ちをスタートしていく。大型機も小型機も、マンモスが気炎をあげるような音が各工場内にこだまする。勿論、まだ、金型交換の済まない機械はまだ動かさない。そして、原料サイロの切り替え作業だ。5番6番7番 32番33番34番 各サイロに注入ホースの切り替えバルブはカシンカシンと唸って切り替わり、鈍いエアーの排気ドレンが小さく聞こえる。そして、ここで半開のメインのスチームバルブを最大に開け、圧に余裕が出来た頃、一瞬だ。工場始動ベルと共に生産が始まる。検品が始まる。そして、機械の微調整と続き、金型交換の終わった機械に走り、稼動データの入力。蒸気圧空気圧水圧そして送粒ブロアーの確認、ためし打ち、量産開始、とつながる作業もある。窓の外はまだまだ暗い冬の工場風景。何度、こんな事をして来ただろうか。3交替夜勤が上がる頃、夜が明け始める。


2007年5月28日 晴れ 23度
今日も例の製作が続いた。実例集の更新に思った以上に手間取ったようだ。どうも、時間がなくなった。3行いかないだろうか。仕方がない。花粉症が下火になったと思っていたが、またぶり返しているのは、黄砂と共に大陸から流れ込んだ工場ばい煙や有害ガスのせいだろうか。九州で光化学スモッグが発生しているニュースを見て、思った。本当に何でもかんでも輸出して来るものだ。困った。大陸の工業化は、国内企業が一斉に工場を進出させて行ったことがある意味では、深く関わっているのだから、たまらないなあ。大陸の汚染物質は無制限に、偏西風と一緒に自分のところに戻ってくるのか。そして、我々のような中小ではそんな被害に、、、、おっと時間だ今日はここまで


2007年5月27日 晴れ 30度
一日が嘘のようにあっという間に過ぎていく。確かに体力だけが勝負の世界は、どこでも同じなのだろうか。こうして、つまらない事を書いているのでも、4年5年となってくると、体力で、相当差が出てくるのだろうということは将に実感だ。休みの日には張り詰めたものが無くなると、じっと横になって動けなくなっている。しかし、毎日、例の製作を続けている上で、「ものつくり」の対極にはきっと、例えば「映画つくり」などは、人と人の関係を一人の監督の視線からフイルムの上でまとめ上げる作業として全く異質の作業だろうか。理由はどうでもいい。取り合えず、何でもいいのだが、この視線を替えてみることは必要不可欠なのだろう。それで、日本映画の最高傑作のひとつと言われる、例の『幕末太陽族』を近くのビデオ屋まで歩いて出掛けて、借りてきて、見ていた。映画自体は、戦後、まだ占領軍が進駐している時代に撮影されたのだろうか、物語は、そんな時代風景から始まり、一気に江戸時代末期、あと7年で明治になるという江戸品川の歓楽街へ飛んでいく、、、、。確かに、誉れ高い映画である。意外と意味深い描写が続くし、どうも、状況の複雑さの原点を突いているようにも思えてくるものだ。スタイルこそ違えども、いつの時代にも、たくましい庶民の暮らしがあったし、いつの時代にも、太陽族がいたのだろうか。現代の太陽族もまた何処かにごろごろしているのだろうか


2007年5月26日 晴れ 29度
今日も例の製作を進めた。例の青森容器だが、他の製作に一段落をつけてから、それこそ必死になって作業に当たったお陰で、相当出来上がりまで近づいた。夕方、暗くなり、8時を回って、今日は取り合えず、作業を置いた。これなら、きっと喜んでもらえると思った。いい容器が出来てきた。確かに、そうだ。そうして、何年も必死になって走って来たのだ。遥か彼方の、見えない相手方の、何をなさっているか解らない方々の、ご依頼に、ずっと、こうして必死になって製作を続けてきたのは、そんな、喜んでもらえるだろうか、と言った気持ちからであったに違いない。これは、「ものつくり」の基本的な取り組み形だろうか。そう言えば、先日も、埼玉の「ものつくり大学」から、製作依頼があって、製作に掛かっていたのだが、きっと、大学の教育として、基本的な理念には、この「ものつくり」の取り組み形をもっと、発展した形で、或いは、もっと掘り下げた形で、教科として取り上げているのだろうか。解らないが、このページにも、一度まとめてみてもいいのかも知れない。しかし、もうかれこれ、何年も読書らしい読書などせず、こんな書き込みを続けていては、低俗な深みのない形容詞でだらだら行を埋める程度が関の山かもしれないなあ。否、伝統の工芸の製作を師弟関係の中で、見よう見真似で、誰も教えて呉れず、全て自分で工夫をして身につけていった、というのが、よくあるが、実は、それはきっと、「ものつくり」の前の「ひとつくり」に重点をおいているからだろう。或いは、実は、「ものつくり」より以上にその人に対する教育的な作業が、もっとも大切なのだろうから、そうしているに違いない。「ひとをつくる」と言う作業は、ゼロから始めよ、ということだろう。まず、幼稚園で、或いは幼児教育で、教師が見守っている中で、おもちゃを使って、自由に遊ばせることから始めることに似ているのだろうか。どれだけ、由緒伝統の長い、作業場であっても、もう大人である新人にとっては、申し訳ないが、幼児と同じなのだ。師に当たる人は、黙って遠くから、新人がおもちゃで遊んでいるのをじっと、何年も見守って呉れているのだろう。何故なら、幼児の場合、成長が早いから、その過ぎていく時間が1ヶ月でも、18歳20歳になれば、その1ヶ月に相当する時間は1年や2年以上、中には3年4年は充分掛かるだろうからだ。その位、大人が長時間遊んで、やっと幼児の数分間のお遊び時間に当たる成長過程でしかないのだろうから。その点だ。だから、本当は、教える側は、大変な、教育という作業をしていることになるのだろう。おっと、時間だ


2007年5月25日 雨 23度
今日も例の製作を続けた。有難い事に、幾つかのお問い合わせも重なった。例の、青森のオーダーメード容器で、超硬めのブロックの皮切りをした残りの皮が、本当に偶然なのだが、字の如く、偶然6枚ほど余っているのに気がついて、これを使えばきっと喜んで頂ける良いものが製作できるので、依頼主はラッキーな方だと思った。表面が硬くて、しかも思ったより軽量の容器に仕上がる事、請け合いだ。まあ、そう、きっと喜んで頂けるだろうと想像するだけで、こちらも元気になって来て、製作に意欲も湧いてきた。この辺りになると、もう商売抜きだろう。良い物が出来そうだ。(その硬い皮の発泡スチロールは、後日 テレビのコマーシャルに使うらしい、形状のものを製作するからと、あるお客様に、ブロックを数本皮切りをしてお出しした残りで、偶然工場の片隅に置き忘れていたものだった。青森のオーダーでお作りする容器本体の材料よりもこの部分のほうが、お高いものになるのだ)


2007年5月24日 夏晴れ 30度
例年のように暑くなれば暑い、というのは当たり前か。今日も例の製作が続く。発泡スチロール専用のボール盤に、2重3重の工夫を込めて、難解な加工に挑んでいたのだが、結局、従来の方式での加工に戻り、形に収まるまでに半日を無駄にしていた。次の加工そしてまた次の加工と 押しているので、気が抜けない場面か。、、否 もうかれこれ何年も気が抜けない場面ばかりの人生ではあったか。私は、そうして生きてきました、か。、、、、、と、そんなことを書いていると疲れて気が抜けたか、また眠ってしまった。夢か。夏休み、小学生の頃、近くの田んぼの横に、田んぼのような平たくて広く、誰にも使われていない泥田があった。学校の帰り、ランドセルを置いて、廃工場の壁の板を取ってきて、それに乗って、泥田の上を滑って遊んだ。ザリガニも沢山いたので、タコ糸にザリガニの尻尾をくくりつけて、ザリガニ釣りもしていた。ある日、その泥田が立ち入り禁止になった。何故だったのだろうか。解らない。突然、大勢の大人が来て、その隣の廃工場と泥田を行ったり来たりしていた。次の年、その辺りは大きな壁で蔽われて、大きな工場になっていた。、、、、ふと夢の中に浮かんだ、過去の楽しかった子供時代の1シーン。それではこれで


2007年5月23日 晴れ 28度
今日も例の製作が続いた。昨日、京都から由緒伝統の材木屋さんの若旦那がお見えになった時、セルパネの件でひと言、激励を頂いたことを思い出した。「今、環境問題が流行っとりますよってに、丁度ええタイミングやおませんか」と。自らは、100年200年経って当たり前の家に関わって来たので、10年保証の家何て、「あほらしい」と自説をお持ちではあるのだが、こうしてまた、励ましを頂くと、頑張らなければならない、と改めて思うのは、そのお人柄のせいだろうか。そう言えば、セルパネのサンプルを置かせて頂いているのだ。このままでは済まされないだろう。頑張る他に無いか。何か突破口はないか、再度見直しに掛かっていた。


2007年5月22日 晴れ 26度
今日も例の製作を続けた。確かに、これだけ様々な製作を続けてくれば、制作上の本当に様々な、ほんのちょっとした工夫というものは、幾つも積み上がって来ているのだろうか。そして、ネットを開いてからでも5年という年月があれば、その小さな工夫は、個別の加工技術は、「ノウハウ」とでも呼べるようなところにまで至っているかもしれない。ここまで来ると、加工形状にしても、過去同様に加工した実績があるものが可也出てきている。だから、中々、実例集も増えなくなっているのは事実だろう。それでも、こうして時々、今日もそのようなお問い合わせを頂くと、まだまだあっと驚くようなことが、あるんだなあと思ってしまうのも また、事実だろうか。 この秋頃には600台に乗るだろうか、1000台まではあと何年掛かるだろう。


2007年5月21日 晴れ 28度
冬からいきなり夏のような、何と目まぐるしい天気の変化だろうか、そんな中、今日も例の製作を続けた。急ぎの製作の方法を新たに考案しながら、次へまた次へと、繋がりをほんの僅か期待しながら進めている。何度でも書こう、ひとつづつ、またひとつづつ作業を進めていくだけなのだろう。そして、有難い事に今日も様々なお問い合わせが続く。先日、ラジオで、ローマ時代の読み物を何十巻となく書いている作家の話で、人の顔にはその人の人生の全てを表すほどの情報が詰まっているから、顔を見れば即座にそのひととなりが読めてしまう、というところを思い出した。ローマ時代の戦乱と皇帝による統治、支配と階級間の競争の中で、様々な人間像が見えてこなければ、2500年も前のローマを、何十巻も描けないのだろう。史実から解きほぐしていく作業は、心理学が人物の性格を丹念に統計的に区分して行くのに似ているのだろうか。或いは、占い師など、手の平だけで、その人の将来までも読んでしまうのだから、顔ならもっとハッキリと解るのだろうが、それは、身振り素振りを伴った顔の表情からと言うよりも、人生に汗して来た共通の意思、個別には全く違っていて当たり前なのだが、矢張り、何となくではなく、意識して進めてきた似たような目的への共通認識とでも呼べば良いのだろうか、それがあればこそ、見えてくるものがあるのだろうか。「第一印象」などと、簡単に切ってしまえるものではないだろう。「第一印象」や「人は見かけで」などと言うだけで一冊の本が出ている位だから、感覚で割り切っても問題が先へ進まない。第一印象とは何か、と問い、それを受け止めるこちら側の人としての問題と、相手側の問題とに分けて みていかなければならないだろうか。例えば、こうして、今日も例の製作を進めながら遂には5年を越えて未だにそれを進めようとしているのだが、恐らく、5年分の書き込みを読んで行けば、FBIの心理分析官で無くても、その人となりは読み取れるのかも知れない。だから、まあ、こうして書き込みを続ける理由にでもなるのだろうが、作家は、そうして自分を2500年前のローマ人に合体させていく大変な作業をしているからこそ、それが可能なのだろうか。つまり、絶えず現代のトップの人の顔をよく見ているからこそ、ジュリアスシーザーの顔が読み取れるはずであり、そして史実から次に何が起こりうるか、その起承転結とどう向き合うか、と言う点か。


2007年5月20日 曇り時々小雨 15度
今日も例の加工機の改良に頑張ったが、途中で再度、図面でも引かなければ問題を進められないと思い、作業を一旦置いた。まあ、貧乏暇なしで、次から次へと課題は山積みであってみれば、気分転換に話題を代えてみるのもいいのだろうか。しかし、こちらへの書き込みも話題を変えるとなっても、国際情勢も振り返って見たところで、或いは、新人生論とでもいいが、それほど異論が百出するようなことを、そうそう何度も書けないだろう。すると、またそこへ戻ってくるのだろうか。「淡々と例の製作を続けた」の一語だ。望ましい形は如何にあるべきか。その一点に線を引いていく。では、この辺で


2007年5月19日 曇り時々小雨 24度
今日も例の製作を進めた。努力、努力、努力、前向きに頑張って、作業を進めていく他に我々には何も無いのだ。だから、頑張るほかに無いのだ、と自分に言い聞かせながら作業を進める。あれか、これかではない。出来る限り、あれもこれもと続けて行かなければならない。選択の余地はない。と言うくらいの気概で取り組みたいものだが、まあ、ほどほどと言うものは、時間が限られているので、自分の意思と反して結果的にそうなるのだ、程度のものだろうか。ようやく、作業の段取りにも、一段落が出来て後、セルパネの加工機に取り掛かる予定ではあったが、例の球面加工の件で、低速モーターに歯車を付け様と思案していたのだが、兎に角、負荷が小さな発泡スチロールなので、スポンジゴムを軸に巻きつけて歯車の代用にすることにして、その駆動部を工作し、首尾良く完成できたので、ここは作業の、のり だろうか、そのまま組み立て作業を続けていると、時計の駆動部の方が、もっと滑らかに回転して言ったのだろうか、気がついて、時計を見ると、もう夜遅くになっていた。これで、ほぼ、球の加工においては、荒削りではあるが、完成の域に達したと判断したいところだ。こんな試作機を後は、これから図面を引いて、近くの梅沢鉄工所さん何かに持ち込めば、きっと随分と素晴らしい本ちゃんの機械に仕上げてもらえるのだろうなあ。だが、残念だが、ここまでだ。試作機で今のところは、満足しなければ台所が許さないだろうか。さて、次はセルパネ加工機のほうだ、あの厄介なつまりの問題をクリヤしないといけない。んーん、明日にしよう


2007年5月18日 曇り時々小雨 24度
今日も例の製作を進めていた。毎日が日々変化に富んでいるのは、有難い事なのだろう。開く花も今日また萎み、次の蕾をつけてやがてまた開く。変化、sントリーの水槽につく青カエルに振り向くと、もうどこかへ飛んで見えない。息つく暇もなく、作業着の波板の洗濯板を押しつぶすように 同じことなく、日々変化に富んで、泡立つシャボンに、離れて空に舞い上がるシャボンも、一度瞬いて振りかえ見れば、もうどこかへ飛んで見えない。繰り返す変化に、同じものは無い。我々の、「ものつくり」の現場で、或いはそれは人生の現場であれば、そんな変化に幾つもの異なる物語りが対になって産まれて派生してくるものなのだろうか。そこだ。そこが重要なのだが、なかなか気がつかないのは、どれもこれも日々起きる変化が、そんな、まばたき程の変化でしかないからだろう。路傍に咲く名も無い一輪の花に、有難うと素直に頭を下げる気持ちになってみれば、この国の、自然に育まれて来た幾千幾百万同志に、ものつくりの不思議を知ってもらえるのだろうに。夢のまた夢、やがて、効率のコストの呪縛が、まるで魔法にでもかかったかのように、裏返り、そして法定伝染病の病魔に侵されたかのように、広がって我々を蝕んでいくのだろう。最早、芸術の名の下に、暫く避難すべきか、はたまた、則天去私が如く、戦うか。嗚呼、我々に誰か力を与えてくれ給え、そう静かに祈るのか。、、、、、頑張る他ないなあ。では、ここまで


2007年5月17日 朝通り雨のち曇りと強風 22度
有難い事に今日も例の製作が続いた。夕方、私用で駅前の役所のほうまで出掛けた後、本屋で立ち読み。例の、加工の事例に似たようなものがないか、捜していたが、何ら言うほどのものも見つからず帰宅すると、NHKのテレビで 『ワーキングプア』の問題を取り上げていた。アメリカの学者にアメリカの現状を語らせていた。日本の10年は先を行くアメリカの現状は、物凄いことになっているようだ。合間に、日本の現状をアナウンスにも語らせている。日本のワーキングプアの層が現在400万以上、世代を超えて広がり出しているのは、アメリカと同じ現象だという。ここ10年、製造業の海外移転と国内空洞化に伴い、製造業と伴に社会の構造を支えていた中流層が次々と瓦解して、わずかな蓄えすら食い潰して貧困にあえぐことになってきたのは、日本と同じだという。無気力無関心、食べて寝るだけの日々、或いは無責任な反社会的な風潮は、一昨年の台風カトリーナに襲われた町のその後を見れば、最早、「あのアメリカンドリームは何処へ行ってしまったのだ」と世界が驚いたことを思い出させるのに充分だ。アメリカは自由の国だったはずだ。頑張れば、誰でも成功出来たはずだ。一段ずつ成功の階段を上がっていけた筈だ。だが、それが、今では消えてしまって、どこにも無い、という。10年遅れの日本が、何故そんな国の真似をして行かなければならないのだろうか。


2007年5月16日 曇り 23度
今日も例の製作を続けた。その件のご意見有難う御座いました。謹んで拝聴させていただきました。確かに、ネットは便利なものだ。例えば、原油輸入総量をみると年間2億4300万キロリッターと直ぐに出て来る。それで、ちょっと考えてみると、
1キロリッター=1000リッター  石油の比重を軽いほうの0,75とすると  水1リッターは1キログラム
2億4300万キロリッター(243000000) ×1000×0,75 =243000000 000 ×0,75=18225 0000000キログラム = 1億8225万トン
これに対して 発泡スチロールの国内年間生産 約18万7千トン
18,7÷18225= 丁度 0,1パーセントということになる
つまり、この業界の年間使用量は
日本国内の年間石油使用量の0,1パーセントにしかならない計算だ。 これは、我々が2年か3年に一度車に乗るのを止めて家でゆっくりのんびりした日でもつくれば、事足りる程度の分量だろうか。それとも、1000人に1人か2人程、車に乗るのを止めた止めたと言って、健康のためかメタボリックのためか、歩いたり自転車に乗るんだ、と言えば済む量なのだろうか。それは、或いは、他の業界の例えば、ペットボトルのリサイクルに関しても同じ事だろうか。厳密に言えば、もう少し掛かるのだろうが、それほど食い違わないだろう。たったそれだけの事に、資源回収の名の下に、どれだけ多くの時間と経費とそして石油が使われているのだろうか。この問題だ。
或いは、逆の観点から見てみると 
年間2億4300万キロリッターの原油輸入のうち約90パーセントを精製し、燃料として燃やしていく。ガソリンやジェット燃料や重油としてだ。しかし、その精製した残りカスを何度も精製して、カスのカスが、発泡スチロールになってくるのだ。だから、石油を燃料として使えば、自然に発泡スチロールの原料は残ってくる理屈になる。それを、その”カス”をそのまま発泡スチロールとして使っていくこと自体が、石油利用の効率化であり節約ではなかったか。結局のところ、何といっても底辺にあるのはご指摘の通り、力関係やなあ。だから、これでしか出来ないような面を開拓して行くほかに無いかなあ。それとも、、、、


2007年5月15日 晴れ 26度
今日も例の製作を続けた。確かに、日進月歩で技術や素材は、更新されているのだが、それもこれも、一番広い 我々のような底辺で、日々、様々な ほんの僅かな改善や、ちょっとした工夫が行われているところが、全体として集まってくると、外側からは目に見えて大きな変化として、現れてくる結果なのだろう。内側にいて、末端の現場では、日々、ほんの少しの閃きや、偶然的な結果や、或いは、何千回もの つまらない繰り返しの中から、僅かな違いを捉えることなど、何でもないことが、繰り返し行われているだけかもしれない。そして、毎日こんな風に、それを検証し、反省し、寝ても覚めても、どうしたら もう少し巧くいくのか、何とかならんか、と考え続けていることが大切な動機なのだろう。この国の全体として、言われるところのように、技術の衰退が起きているとしても、恐らく、完全に衰退し、甘んじて世界の後進になる所までは落ちていかないのだろうという思いは、確かに強くあるのは、矢張り、有難くも、こうして、様々な現場からの物凄く様々なお問い合わせが、今日もこうして続いて行くところから、わが身に返って、ひしひしと実感するからだろうか。それは、世界から比較すれば、気候温暖、海に囲まれ、技術の伝統とその継承に有利な点が幾つも重なって来たから かもしれないが、そこに育った我々の品格と国民性にも きっと強く根ざすようなところがあると、ひょっとして言えるのかも知れない。だから、様々なお問い合わせは、逆に我々のような現場のもの達への、有難い励ましのお言葉に聞こえてくるのは、言い過ぎだろうか。


2007年5月14日 晴れると夏か 27度
そして、今日も例の製作が続いた。有難い事に様々なお問い合わせも続いている。例の保育園のホールの天窓のガラスカバーが昨年の台風で5個飛んでしまったというので、再度、製作し本日無事発送まで行えた。夏の間、暑くなりすぎるので、日除けに使う分だ。これで、園児達も喜んでもらえるのだろう。また、例の1500mm巨大ドライバーの完成品は、本日、引き取りに見えられた。まあ、そんなところなのでしょうか、皆さんで確認して頂けましたら幸いです。例の800mmφ球の梱包をする前に、再度800mmφの球を今回どちらを発送しようか決めかねていたが、結局、営業サイトの意見が通り、当初予定の通り、HP撮影用に使った800mmφ球を発送することになった。やはり、ここは機械的な曲面工作には、歯車が必要だと思い、早速対策を練るが、結論がない。昼過ぎ、近くの弁当屋さんが箱探しにお見えになる。、、、、、おっと、また机で眠ってしまった。新聞配達のポストを叩く音で、気がつき、それから うとうとして、ハッと夢の中で、夢のまた夢を追いかけていたのか、それとも現実の世界観に大きな隔絶を感じたのか、目が覚めた。目が覚めても、まだ夢を追いかけた状態なのだろうか、網膜に映るは、きっと決まって、3,40年前の学生時代か。まだ、何か希望に満ちていた頃、未来を信じていた頃、きっと、その壁を軽々と突破できると信じていた頃、誰にでもある青春時代か、幻想に現実の夢を見ていた頃か、、、、。確かに、未来を信じていたのは、こうして、3,40年も過ぎたと言うのに、それでも、呆れるばかりに、いまだに、未来を信じているのだろうか。今日も頑張る他に無い。


2007年5月13日 晴れのち曇り 21度
今日もわずかな時間をその製作にあてることになった。休み無く、前向きに頑張って進む他に無いか。何度かの積極的な改良の繰り返しこそが、それが集積してくれば、かなり大きな成果となるのだろうと思いながら、あれでもない、これでもないを続けている。ちょと、HPの動きが良くないようだ。制作用のサイト表示がでないので、ファイルを読み出してからの更新になっているため、時間が大変余分に費やされている。困ったものだ。ではこの辺で


2007年5月12日 晴れ 23度
今日も例の製作が続いた。急ぎの製作を進め、例の800φの件で取り合えず加工道具の修正などをしていたが、思ったように進まず、結果的に幾つか改善の必要に迫られていた。矢張り、例のモーターを減速して、使わないと綺麗な機械的で無機質な曲面を出すのは難しいかもしれないと考えるようになったのは、もう10時を回っている頃だった。おっと、時間だ


2007年5月11日 晴れ 20度
今日も例の製作が続いた。およそ、こんな短文では本にはならないのだろうし、形だけ出したとしても 自費出版か何かの自己満足の域に違いない。決して飛ぶように売れる事はないのだろう。そっと身内に配って終わりだろうか。それとも、付録に製作実例でも写真集にして付ければ、ちょっとはお役に立つだろうか。もっと、状況を根本的に解きほぐしたり、人の心情を極限まで平易に且つ、心情に訴えるものがなければならないのだろうし、或いは、博識博学などを誇るようなものがあれば売れるのだろうか、いずれにしろ、このままでは、それこそ 単なる雑記ノートでしかない、との お厳しい指摘はよくわかる。ストーリーも何も無いではないか。毎日、何か作っていた。今日も昨日も何か製作して明日もまた何か得体の知れないものを作るだろう、というだけだ。そんな事を延々5年も書いている。いっそ、題名を『何か製作した』とすれば、わかり易いのかも知れない。確かにそうだ。このページを起こして5年。兎に角、毎日何か製作していた。来る日も来る日も、何か製作していた。だから、そんな題名にした方が良いのかも知れない。それで、本になるのなら、苦労は要らない。それでなくても、巷には、本が氾濫しているではないか。立派な本、派手な装丁のものから、有名作家のものも、本屋に行けば、ごろごろしている。その一角にどうやって割って入れるというのだろうか。確かに、いっそ、ものつくり も この辺にして、心機一転、何処か、奥山に篭って、半年くらい朝から晩まで時間を掛ければ、もっと、今より長文を書けるだろう。直ぐに、一冊の本程度の長文になるのだろう。それとも、毎日毎日文章を書いていたら、今度は「今日も例の文を書いていた。」と、こんな風に書き込みをして、だめだ、だめだ、こんなことを続けていては、ろくな文章にならない、寄り道していては良い文章タッチが崩れてしまう、と嘆いては、また書き込みをしているのだろうか。 


2007年5月10日 曇りのち雨 18度
今日も例の製作が続いた。終日急ぎの制作に、予定外の製作、そして飛び入りの製作に、思いがけない製作と、極めて短期納品に目標を設定した製作から、前倒しでの製作まであり、その上、論外な無謀な製作までつながって、最終的には時間無視の、今日もいつもの風景となっていたのだが、精一杯頑張るほかに何もない。残念だが、斯くのような理由にてセルパネ加工機のアイデアが浮かんでも肝心なところまで進んでいない。まあ、焦っても仕方がないのだが、こうして、あと少しで、人生の40代も終わる秒読みに入って来た。全く大したことでは無いのが、分れば、もう50代なんだろう。50代もその10年を長スピードで駆け抜け、60代も時間をワープするように過ぎて行き、70代は雲の中、80代はひょっとすると空の彼方か、90代は伝説の中か、100代は最早、千の風になって、いつまでもそこに居て製作をしているのだろうか。おっと、時間だ。


2007年5月9日 晴れ 32度

通り過ぎて早くも夏だ。これは一体どうしたことかと思うような気温の変化ではあるが、今日も例の製作が続いた。そう言えば、あの3mの冷凍イカを山口から千葉の博物館まで運ぶ話は、その後巧く行ったのだろうか。そんなに大きなイカだと重さで100キロを優に超えて来るそうだが、大人2名で上げ下ろしにずっと掛かるのでは、大変だったろうなあ、と思った。そして、今日は例の発泡樹脂化した段ボールのサンプルが届いて、早速、幾つか加工性を試験していた。あれは、今から5年前だろうか。それこそ、発泡性のプラスチックと段ボールとを単純に混ぜ合わしただけのものでも、生分解だと売り歩いている向きがあったのを憶えているが、それと比べると雲泥の差である。一番凄いのは、段ボールの発泡樹脂が今回は、ニクロム線でカット出来てしまう不思議だろうか。切った後も、また べったりと再結合するようなこともない。あとは、コストだろうなあ


2007年5月8日 晴れ 29度
急激に夏に変わったのだろうか。先日、ヨーロッパで季節外れの猛暑が襲ったとか言ったニュースがあったが、半周遅れでここまで来たのだろうか。ヨーロッパからの暑い便りか。いきなり仕事の能率を下げている中、今日も例の製作が続いた。




これは、第2次大戦中、あの『アンネの日記』で有名なアンネ達が過ごした隠れ家の庭に咲いていた『アンネの薔薇』の実物だ。先日、高槻でアンネの薔薇を栽培している方から分けて頂いた本物だ。挿し木などで増やしているそうだ。確かに、本物の薔薇を見ていると、ぐっと こころに迫ってくるものがあるものだ。あの世界大戦で未曾有の死者が世界各地であったのは、60年以上も過ぎて、今では、忘れ去られようとしているひとつの事実なのだろうか。しかし、こうしてこの一輪の薔薇の花をじっと見ていると、時を越えて、戦争の悲劇を後世に伝えているように思えてくるのは、不思議なものだ。「人はいつまで戦いをやめないの」とアンネの生の声が聞こえてきそうだからだ。


2007年5月7日 晴れ 25度
今日も例の製作が続いた。そして、斯くも様々なお問い合わせが、累々と様々に各方面から届いた。有難い限りではある。お問い合わせに学びて、時に之を習い、また楽しく、時に遠方より来たりて、また嬉しかりし、日々、前向きに精一杯が可と為すなり、かもしれない。何ゆえ、そして、為してすら知らず、脇目も振らず、頑張るほかに無いのだろう。ここでは、その姿勢をお伝えするだけが良しとすべしなり、か。浅学薄学の徒でありながら、斯くも恥を晒し続けておられるのも、ひとえに、ここを学びの舎とでも認めていればこそ、なのだろう哉な。商売人は、お上の事、天下の大事に口を挟まず、唯、その機を見て、先を読むに敏なるべきか。確かに、『十八史略』の時代から、商売人の心得として、伝えられ、今に至るも、悲しいかな人の、その人の生業にあらず、それは、難しい。足下、まず、何をして食にありつけるか、唯、之のみに振り回される我らが庶民の悲哀なりか。


2007年5月6日 終日雨 20度
結局、今日も例の製作と試作に終わった。まとまった時間をなかなか取れないで来ていたのだが、矢張り、これでもそこそこであったが、それぞれに関して、ある程度、見込みを出せる所まで進める事は出来たのだろうか。そして、セルパネの加工機の試作ではあるが、何とか基本的なラインまで出来たので、1度試運転をしてみたが、思っていたよりも好成績ではあったが、問題は途中に、つまりが発生する問題だろうか。と言う事は、そこにもきっと幾つも技が、必要なのだろうか。取り合えず、1度目の試運転の後、直ぐに2箇所改良を加えての2度目の試運転では、さらに巧く行けた箇所があったので、期待だけは高まっている。今回の方法を検証してみると、意外な事に、寧ろ、発想を逆転して見たほうが、簡単なのかもしれないと思った。このようなものの場合、ヒントはその気密性が握っているような感触はあるからだ。気密性で流れがかなり変わるからだ。


2007年5月5日 晴れ 27度
今日も昼過ぎまで例の製作を続けた。矢張り、考えてみると、中高年の日雇い労働は昔から有名ではあったが、先日報道されていたが、 ネットカフェで寝泊りする多くの若者達が何十万人と発生している現象も大変忌々しき問題だろうか。若者に大量の失業者が生まれているので失業率も高いままだ。目に見える以外に、見えないところの失業状態の若者まで含めると、今の団塊の世代が老後の生活をどうしたといった話とは、危機感のレベルが違いそうだ。そもそも、国内に、使い捨て程度で 間に合うようなサービス業ばかり残って、継続した雇用の安定保証が技術水準の一定のレベルを確保するはずだった多くの製造業が、大から中小企業に至るまで、皆 海外移転を続けた為に、国内が空洞化してしまったことは、矢張り、最大の原因だろうか。馬鹿な事をしている。自らの職を失くして、海外の安い製品をどんどん買わされていく。安いから買い、買うからまた、仕事を失くして行く。確かに今の所、事業の海外移転を決行し、海外に工場を出した所で、順調なところと国内で事業の縮小に次ぐ縮小で何とか食いつないでいるところとの格差は相当開いてきているので、やがて、いくら、安いからと言う購買要因だけでは、消費が伸びなくなって、そして限りなくゼロに近い水準で、やっと生活できるかどうかの消費水準で、止まってしまうのは、目に見えているのだ。格差の反対側の富む側が存在するので、ゼロになる事はないだろうから、平均をとった学者の統計上の数字だけでは見えないのだろう。しかし、遅かれ早かれ、やがて、海外でもバブルが弾けるのだろうから、グローバルスタンダードの自由競争の中では、二度三度と、バブルの崩壊と混乱とを受け入れて行かなければならないのだろうか。その時、歴史はどう動くかを先読みして次を行動しなければならないのかもしれない。平成元禄か、はたまた平成飢饉か。何が来るのだろうか。


2007年5月4日 晴れ  26度
今日も朝から何時もの様に、例の製作に掛かっていたのだが、それは、突然のように空から遣って来たのだった。将にこれこそが世に言うところの『未知との遭遇』に違いないとでも言うかのようであった、、、。例の製作の後、何でもなかったのだが、ふと思い出して、それでも夕方になってから、近くのD.I.Y.ショップに出掛けて、その思い付きの部品の素材には これが良いのではないかと懸命に探していた部材が 結局のところ 何も見つからずに、諦めて帰宅する途中の、それは滅多に起き無いような出来事では確かにあった。もう辺りはすっかり暗くなっていたのだが、道路の街路樹と街灯越しに一瞬見えたのは、間違いなく、あの飛行物体だという、今、この目の前にある事実として 否、将に強く 眼前に焼き付いたような 確信に近い思いが心底から湧いて来て、小さく点に見える位置から急いで写真を撮り続けていたのだったが、直ぐに、宇宙の彼方へ飛んで行ってしまうだろうと言う焦りからか不安からか、それとも風に吹かれて飛んで逃げる大当たりの宝くじを追いかけるようなものか、それこそ、何か、得体の知れないものに吸い寄せられるような神秘体験こそは、間違いなくこのことだ とでも自分に言い聞かせながら だろうか。それとも或いは、社会正義に照らして、この真実を必ず世の中の、出来るだけ大勢の人々に知らせなければならないと言った堅い無私無欲の使命感からだろうか、必死になってその物体の、少しでも近くまで近づこうと走りながら、ゼイゼイと息を切らせながらも、それでも何度も何度もシャッターを押し続けていたのだったが、漸く、道路の土手を上って、辺りの夜景が一望出来る少し高台になった所へ、一面に茂った5月の若草に、へたりへたり滑りながらも 必死にもがいて、駆け上がってみると、もう すでに、先客の元気な高校生だろうか、数人が前方の土手沿いに一列に並んで、夜空を見上げながら、何やら落胆した様子で「なんや、飛行船や、胴体にニッサンの広告がみえるがな」と投げやりになりながら、その数人の誰かが吐き捨てるように、そう叫んでいるのが、いきなり耳に入った。そして、学校の体育祭の障害物競走でもあるまいに、ぜいぜいと息を切らせながら、土手の上まで、何の用か、カメラを片手に わざわざ上がって来た 早とちりで変な夢を追いかけている人のような目をした、悲しい中年男を、 ふんっと、冷たく振り返るように、こちらを見た。その一瞬に、世紀の大発見も何もかも水泡に消えてしまったような気がしたのは何故だったろうか。
  未確認物体であって欲しかった
拡大写真


2007年5月3日 晴れ 26度
丸で夏のような天気だと思いながら、時間を作って、例の製作に掛かっていた。急ぎのものが、何件か溜まっている。連休の間は静かなものだから、割と作業は集中して出来る筈であったが、結局、幾つかの更なるハードルが現れるや、またまた、考える他にない箇所に黙って見ているだけで、芸がなく、ここをどうするべきか、こうするべきかと試して見たりするうちに、つれづれになるものだろうか。一旦、作業を置いて、続きは明日にしようと戻っては見たが、そこをどうするここをどうすると決まらないまま、ここに書き込みなどするのだが、また疲れて眠ってしまうのは、よくよく考えてみると、液晶画面を長年こうして睨む様に見ていて、随分と目の疲れが溜まっているせいかもしれない等と、それらしい理由などつくって納得したからだろうか。さあ、これくらいで続きだ。


2007年5月2日 曇り昼頃通り雨 22度
今日も例の製作が続いた。最も大切なものは、そのストーりー性をどこまで構成出来るかに掛かっているのだろうか。受け手の方でも同じなんだろうか。単に、売りましたそして、買いましただけではないのだ。何とかして、それだけの希薄なものに楔を打ちに掛からなければならないのだろう。で、そうでも しなければ、これからは増々、その希薄性に拍車がかかり、海外へ海外へ、最希薄の地の果ての世界へと流れて行ってしまうのは、ごく一般的な「ものつくり」の傾向だろうからだ。では、どうするのか。例えば、セルパネを例に挙げてみよう。今回、さらに「目からウロコ」の発見があったと、大変有難いご報告を頂いたのだが、様々な取り組みをほぼ公開の上で継続して、はや5年過ぎて、尚且つ、進化発展を繰り返しているという脅威的な可能性というか、ある一定の型に嵌らずに、常に改良改善を繰り返し続ける姿勢のようなものが必要不可欠であるという点だろうか。その工夫と改善は必ず何処かで、受け手の中に、共感とインパクトを起こすはずだという、確たる信念のようなものだろうか。これは、ひょっとして、世代を超えて、時代すら超えて、日本独自の伝統文化と どこかで交錯するような予感さえ起こすほどに、ただ、只管に、頑張っているんだという、ものつくりの原点に立ち帰ることなのかもしれない。或いは、そうだ、我々は、石油があと20年か30年もすれば、枯渇するとは、もう耳にタコが出来るほど聞かされて来たものだ。その度に、オオカミ少年のように、その話を信じようともせずに来たのに、こうしてガソリンがいきなり5円値上がりしただけで、スワッ、大変だ、と気がつくのだろう。以前テレビで、地球環境シュミレーションとして、西暦2050年、2100年の世界の環境はこれ程酷いことになるといった気象予測結果をスーパーコンピューターが弾き出して、巷に脅威を煽っていたのだが、その前に、石油が枯渇すれば、確かに、いい意味でも悪い意味でも、石油漬けの人々の生活にストップが掛かるのだから、あらゆる環境破壊は一気に終息してしまうではないか。少なくとも、50年も過ぎれば、とっくに石油が生産減少に入っている世界なのだから、今よりも、二酸化炭素の排出減少に限らず、あらゆる石油漬け社会に急停止が掛かり、先々、大変な社会現象として起きているのは当たり前に予測がつくことだろうか。その先をイメージすることの方が先決なのかもしれない。石油の値段はこれからもどんどん上がり続け、やがて、需給が逆転し、脱石油の社会を再構築しなければならないのは、火を見るよりも明らかだ。脱工業化の社会がやって来るのだろうか。伝統復帰の循環型社会の再生となるのだろうか。どれだけ、立派な事を書いても、これだけ石油漬け社会となれば、それが無くなれば、一挙に方向が変わるのだろうか。その点、どうも芸術家などは、上手く時代の雰囲気を表現しているものだ。何で、それほど江戸期の絵画に共通点を見ているのだろう。、、、おっともう時間だ。では失礼


2007年5月1日 雨 23度
今日も例の製作となった。有難い事に様々なお問い合わせも連休の間にも拘らず幾つか届いた。だから、頑張る他に無いのかもしれない。あれこれ言っても仕方がない。ただ、前を向いて進んで行くだけだろうか。そうだ。こうして、手の内を更新している限り、何とかしたい、こうありたい、と必死でもがいていても、空滑りでずっと来ているような気もする。、、、おっと、また眠ってしまった。外はもう明るい。いつに無く、車の通りは少なく、カラスの鳴き声だけがいたずらに大きい。夢を見ていた。、、、、おや、またまた、うとうとしてしまった。いけない。今日も、内容らしいものがないか。夢を実現出来るのはいつだろうか。


2007年4月30日 晴れ 26度
風邪気味か、疲れが溜まったのか、情けない事に終日横になっていた。昼寝が夕方まで続き、引き続き、すっと起き上がる事も無い。それで、先日買って読む事もなかったテレビのたかじんの番組で話題になった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(武田邦彦著洋泉社 )を出してきて読んでいた。もう、かれこれ、ことある事に環境問題で結構叩かれて来たこの業界からすれば、何を今更、という読後感ではあった。リサイクルの問題は、以前より、他の環境問題の専門家なども、何度も取り上げている事だ。ここでも、地球温暖化問題について、実際には様々な意見が専門家の間でもあることは書いてきたのだが、二酸化炭素の排出で、石油の燃焼で排出される割合を1000とすれば、ペットボトルが1なら、発泡スチロール何て、0,1にも達しない世界だろう。つまり、自動車の利用を今の1/1000でも良いから、ちょっと控えるだけで、発泡スチロールの今まで数十年間に亘って業界ぐるみで取り組んでいた努力分が、全部クリアー出来てしまう量なのだ。なのに、何故、あれだけ今まで、この業界を袋たたきにして来たのだろうか。時代が変われば、将に不思議なものだ。あれは、一体何だったのだろうか。


2007年4月29日 晴れ 22度
結局今日も半日作業となり、追い込みに時間を割く以外には何ら進展はなかったのだが、頑張るほかにない。前向きに出来る限り頑張る他にないのだろう。、、、おっと実例集の更新に思ったより時間を取り、このページの更新もこの辺りにしたい。では


2007年4月28日 晴れ 20度
今日も朝から例の製作となった。大変細かな作業で終日となった。およそ、この辺りで一段落としたいと思い、本当は早速、例の加工機の続きを始める予定ではあったのだが、途中より、音響パネルのとうもろこしを使った製作を先に済ませる方が優先となった。厄介なものを先にこなさなければ、じっくり時間を取れないと思ったのだが、案の定、厄介なもので終日キリが無いところとなった。いつまでも、いつまでも終わらない1mmづつの異なる異形製作と、そして、この作業とで全ての予定は変更となった。、、、、、、おっと、ここまで書いて、また疲れて眠っていたようだ。体力維持がやっとやなあー


2007年4月27日 晴れ 20度
そうして、今日も例の製作が続いた。今の所、連休モードの兆候は特に無い。変わらぬ製作光景が続いているだけになる。急ぎの製作を数点こなして後、さらに、次を そして、その次を考えて行くだけなのかもしれない。確かに、経営とその製作作業とは、一見別物であるようで、その実、同じ面も持っているはずだ。先日、お越しになった、金属博士のことを思い出したが、常に、独自性を維持出来るかどうかは、簡単そうで非常に難しいものかもしれないのだ。仮に、有り金を叩いて国内唯一の金属製作器機を導入したと言うので、毎日毎日、そのマスコミ取材や見学に全国から人が押し寄せて、さあ、注文もこれから、わんさわんさと来るのだろうと期待していたら、半年も経たないうちに、他に、同様の金属製作マシーンが導入されるところが、全国あちこちに現れて、注文がばったりと止まってしまった、という苦い経験談をその金属博士から、有難い事に、お話しとして頂けたのだった。そして、それからが、さらに大変だったそうだ。何しろ、それほど、最新式のマシーンが出たばかりだから、それよりも凄い製品を作り出す、と言うのは並大抵のものでは無かったからだ。それから、何年にも亘って、水面下が続いたそうだ。何年も、何年もだ。物凄く苦しい経営が、人には言えない様な、苦しさ、絶望感、挫折感、悲壮感、虚無感、厭戦感、脱力感、そして、逃避行まで何年にも亘って、続いたそうだ。博士の偉いのは、それでも諦めず、次なる金属加工の道を独自に探して、或いは開発して、今では、例のロケットの先端部分では、世界で、ここだけでしか、加工が不可能な技術を築いたそうだ。そして、ここまで至るには、決して一代だけではなく、この苦難を乗り越えたのが、2代に亘る相当長期間の、水面下の切磋琢磨の研究と開発の賜物が、成功へ、導いていた と言う もの凄い事実なのだろうか。そうだ、そこの所だ。ここがキーポイントだ。たかだか、1代でも人生数十年しか、実際には研究開発に使えないのだ。それが、2世代3世代に架かって継続して、開発が行われた時に、奇跡が起こるのだろうか。親子何代かに亘って続く開発、それは、めったに無い幸運だったのだろうか、研究者冥利に尽きるのだろうか。何しろ、寝ても覚めても、年がら年中、家も会社もなく、開発の話が、娯楽の話しよりも楽しく、趣味の話しよりも仲良く、旅の話しよりも興味深く、延々と出来たのだろうからだ。挫折感も悲壮感も伴に分け合うことも出来ただろうし、助け合って、再び頑張ろうと言う気持ちにもなれただろうし、確かに、何世代にも亘って構築されるものには、アメリカ型では決して出来ない いいものがあるのだ。


2007年4月26日 晴れ 昼頃突然の激しい雷雨 22度
今日も例の製作が続いた。依頼のお見積もりに関しては、156種を高さ1mm毎に変えていく形状なだけに、計算だけで半日を要する厄介な一件であった。一体これが何になろうと言うのだろうか。不思議なものだ。実によく解らないものが、世間にはごろごろとあるのだろう。昼過ぎ、急用で例の材木屋さんまで走ったのだったが、土砂降りのような豪雨と激しい雷が鳴り響き、用件もそこそこに戻ってきた。夏の夕立そのままだが、3ヶ月程早い。再び、太陽の日差しが差し込めるようになった頃、遠方から芸術作品の製作では少し、有名そうな方が、少し硬めのブロックの1/2を引き取りに見えた。その鋭い感性に従って、何かを形あるものに変えていく場合、お聞きすると、矢張りこれ位、或いはもう少し硬め程度が、一番いいらしいので、大変参考になった。是非素晴らしい芸術作品の完成をお願いしたいものだ。



2007年4月25日 雨 19度
今日も例の製作が続く。
@音響パネルの製作の件、その形状がこちらでは、梱包用緩衝材として日頃より製作している部材と一部同じになりますので、部材としての製作なら可能でしょうか。後はその応用として、お客様で完成して頂くことになりますがどうぞよろしくお願いいたします。
A計測器機の製作と言う事ですが、幅がそれだけありますと30φの貫通穴を等間隔に80個開けるとなりますと、下穴段階でのぶれがありますので、相当厳しくなってくると思いますが、まだ、確かに倍の60φの方が確実になってきます。幅を200の重ね合わせだと今度は接合面が合うかどうかになってきます
B発泡前の発泡生ビーズはございます。工場レベルでは、3次に分けて発泡します。1次では0,4キロ程度に抑えた蒸気で蒸らすようにかき混ぜながら発泡させますが、この段階で終了して、ガス抜き乾燥させたものが、所謂発泡ビーズです。だから、学校で実験的に発泡させるには、電気ポットやお湯に漬けておく程度でも十分発泡は行えます
Cネジの先端のへこんだところでしょうか。結局こちらでは、手作業で切り取っていくだけの極めて単純な作業の繰り返しになります。
D横2700mmだと、つなぎあわせになります。一枚もののキャンパスをご希望でしたら、つなぎ目に、パテ埋めなどをされる必要があります。確か、マイクロバルーンなどという商品だったと思います
E国内では1m×1m×1,5mの単体ブロックはございません。海外に5,5m×1m×1mといったブロックがオランダ系の緩慢な発泡粒子を使ったものがあったと思いますが、最近その会社のことは聞きませんね

と言ったお問い合わせも本日も次々と続いておりました


2007年4月24日 晴れ 23度
今日も例の製作が続いた。公私ともに多忙な一日となった。そして、次々と課題にぶつかる日でもあった。私については、こんな所で書いても仕方が無いものだ。矢張り、ここに書き残しておくべきことは、技術的な改良についてのコメント、或いはそれが、制作上、如何に工夫の必要なものであるか、その要点において、最も大事だと思われる点を、またひとつ記録していくことだろうか。ひとつは、余りにも当たり前かもしれないのだが、我々中小に限らず、それは大手の研究機関でも同じだろうが、如何に独自性を発揮できる、例えば自家製の製作道具を持つか、或いは、いつ何時でも、そんな技術水準を維持出来ているかどうか、そこに尽きるのかもしれない。それは、出来合いの機械であっても、結局のところ、完全に分解修理が可能で、さらに改良し、応用し、全く新しい分野をウイングに収めることが出来るものまでに到達出来るのか、だろうか。基本は、タワシの発明と同じなのだろう。針金に毛を巻きつけただけのものと言えばそれまでだが、誰にその発明が出来たのか ということだ。或いは、過ちて改めるに憚ること無かれ、か。、、、、おっと、また眠っていた。そう言えば、かれこれ、こんな書き込みを始めて、4年半が過ぎた。石の上にも3年、と思って始めたが、桃栗も3年、柿は8年か。この50年の半生で言えば、5年は10%になるが、HPを立ち上げる準備期間からすれば、5年だから、10%をこれに割いで来たのだが、大層な事ばかり書き込み出来るようになった反面、文を書くということ、文章作成作業、に関しては、ほとんど向上が無かったような気もする。少なくともタイプを打つのは早くなってきたが、内面を自省するような文章作成作業に、なかなか至らないのは、「私」ではないが、小学生時から続けてきた『ひと言日誌』と違って、余りにも「公」を意識した書き込みに偏るからかもしれない。、、、本当にこれでよかったのだろうか。こんな所に毎日たらたらと書き続けて何になると言うのだろうか。再度、検証してみなければならない。、、、、そうではない。このページの更新も日々繰り返す、例の製作の単なる延長と考えるべきか。割り切るべきだ。ここはここで、コンクールの一等賞でも取るべく、文章作成に頑張るべきなのかもしれない。、、、


2007年4月23日 曇り 20度
今日も例の製作が続いた。府から何の用件だったのか、結局よく判らなかったが、問い合わせが一本入った。統計がどうのこうのと言ったもののようだが、取りあえず、現状、この業界の全般的な変わらぬ苦しさと、さらに益々激しくなる苦しさを訴える場も、他にそうそう無いので、この際、天井の上のお役人様には、顔の見えないあやふやなものだが、一言しておいた。この、我々の業界とは、如何なものか。それは、この業界に限らず、日本の中小企業全般の苦境と表現すべきが正解だろうか。公園のベンチや滑り台、果ては、お墓の供養花の受け台まで盗まれるご時世だ。何が起こるか一寸先は闇の中だろうか。一部上場企業の連続好決算が、総て中小の一次下請け2次3次の孫請けのコスト削減、首絞めにあるとは云わないが、或いは、産業の空洞化の先進国イギリスにおいてすら、路上生活者が全人口5000万に対し、170万人以上存在するという隠蔽された現実が物語るように、中小企業の衰退は、国内中流層の激減をもたらすのは、火を見るよりも明らかなのかも知れないが、元気な団塊の退場の後、層としての中流を盾として維持出来るところは、一気に飛散霧消するならば、国内の貧富の二極化は後戻り出来ないところへ移るのだろうか。少し、歴史を遡れば、そんな場面で、次に何が起こりそうなものか、予想を付けるのは簡単なことかも知れない。立てよ若者!目覚めよ若者達!という流れのようだが、まだ、相当先の話かも知れないが、判らない。どうも、その空気が読みきれない。それよりも、退職金には3年位は手をつけるなよ。甘い約束に騙されるなよ。気をつけろよ。


2007年4月22日 雨 23度
今日も例の続きの作業となった。一週間が過ぎるのが早い、と先週も先々週も書いていたように思うのだが、気のせいか、それにも増してさらに早くなっているような気がするのは、どうしてだろうか。こんな年齢になると、時間のアクセルを急に踏み込んでしまうものだろうか。人は、誰も生まれてから19歳前後までは、時間の過ぎて行く個人的感覚は、ゆっくりと流れるようなものらしい。だから、一日がとても長く感じられるらしいが、その19歳をピークに、徐々に早くなっていくそうだ。だから、それから数十年が過ぎる頃には、一日が3倍位早く過ぎていくように感じられるのだろう。なおさら、1週間なんて、あっという間だ。少年の頃、近所の大学病院の横にある大きな池まで、メダカ取りに、麦わら帽子にサンダルで、小さな網とバケツを持って出掛けた時の思いでは、今では、何と1ヶ月も2ヶ月も掛けて、地の果てまで遠征する大旅行でもしなければ、有り得ない思い出感覚なのだろうか。別に、時間が余っているわけではないのに、例えば製作実例集の実例写真なども、UP出来ていないストックが少しずつ増えだした。時間がない、たったそれだけなのだが、こうして次のUPに至っていないのは残念だ。、、、、、、おー、何て事だー。もう一日が過ぎた。肝心なことが書けていない。では失礼


2007年4月21日 晴れ 18度
今日も、例の製作を続け、何とか一段落して疲れて戻ったのが、もう夜遅くになってからだった。倒れるようにそのまま眠ってしまった。ふと目が覚めると、白みかけた夜空の向こうに、夢の世界が未だ、まざまざと残影として残っている内に、それを記録しておこうという気持ちになっていた。将に、夢を食うとはこのことなのだろうか。ひとつ、またひとつ思い出しては書き留め、味わっているかのようだ。やがて、あの歌のように「千の風になって」飛んでいくような年齢になるまで、我々は、多少の差はあれ、こうして夢を食って行くのだろうか。誰にでもやがて当然のようにやって来る夢の満腹と共に、そして「千の風になって」何処へやらと、彼方の先へ先へと飛んでいくのだろう。また一人、また一人と周囲から、大切な噛み合わせの歯が抜けていくように、同世代が消えては風になって何処へやらと飛び立つ後姿を見送る度に、また、そんな味わいも何時になく深まっていくものだ。、、、西郷隆盛が遺訓に「いのちもかねも名誉もいらぬ、と言うほどの人物でなければ共に大義にかなう事業をなすことは出来ない。」などと、あるらしいが、とてもとても、こんなつまらぬ商売人のご身分で、つまらぬ夢を食うて一生を終える位が関の山か。さあ、また作業だ。


2007年4月20日 晴れ 23度
そして今日も例の製作が続く。どうやら、例の工場は、仮設の事務所を構えて再出発を図ることになったようだ。健闘を祈りたい。さて、こちらは、例の花粉の影響は本日も否応なく続き、消防の放水にも負けない勢いで、鼻水たらたらどっこいしょ、といった所ではあるのだが、前を向いて頑張る以外にない。「落ちーて来ーたーらー♪今度はもーおーとー♪ 高くー高くー♪打ち上げよーう おおよー♪」の歌ではないが、鼻水をすするにも限界があって、タオルを巻いての作業となってはいる。戻ると、疲れて直ぐ横になるだけか。、、、、、おや、カーペンターの懐かしい歌がNHKのラジオテレビから流れているようだ。Top Of The World♪だろうか、プリーズミスターポストマン♪だろうか、Yseterday Once More ♪だろうか、、、、、おっとまた眠ってしまった。これにて




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