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「わたしの研究開発雑記ノート」
                         

2006年9月10日 晴れ時々豪雨性通り雨4回 31度
今日も例の製作用の加工機の改造に半日を掛けた。カット幅が362mmの為、前後20mmの合計40mmだけ機械の幅を広げなければ うまくそれが入らないのだ。結局、偶の休日もその作業に半日を潰した。他の予定は全てキャンセルとなった。我々のような中小の会社では、こんなことは日常茶飯事なのだろう。こんな事の積み上げの上にこそ、技術の前進はあるものか。もともと、休日なんて盆と正月だけでもあるのなら、まだ良いほうかも知れない。臨在常戦とはよく言ったものだ。浮かれて「戦いだ!戦いだ!」なんて、白か黒か、勧善懲悪的なというか、丸で単純な構図で物事を捉える向きがあると言うが、そんな生易しいものでは決してない。現実は複雑怪奇極まりないものだ。現場の羅針盤と言ったって、そんな白か黒かのような、与えられたものでは、たどたどしくて、雲を掴むようで、目の前の加工機を如何に改造するかにおいては、丸で用を成さないものだ。当たり前だ。最後は自分で決めるほかに無いのだ。そして、その連続である。何年も何年も終始24時間の緊張した連続だ。日本中の現場の先端で、日々、改良に取り組んでいる技術者なんて、大上段に構えた白か黒の判断は、油まみれの真っ黒な両手で小さなボルト穴をどこに開けたら良いのかの選択には全く関係しないものだ。一度開けたらやり直しは出来ない。決してPCでボタンを押し間違えたからやり直すような悠長なことは出来ないものだ。だから繰り返すが、何の為に取り組んでいるのか、その答えは後回しとしても、目の前の現場の課題をひとつ又ひとつ、取り上げては改造を掛けて行くだけではないか。それを、ハングリーなんて横書きにする人もあるかも知れない。そういう意味では、工業立国日本では、末端の中小企業の技術者ほど、手弁当でハングリー精神に徹して、作業に当たっている割合は、世界有数の高さなのかもしれない。確かに、生活の為ではある。だが、同時に「お金のため」といった欲求以上に、知ることへのモラルのようなものが底辺に強く働いているのだろうか。このノートももう直ぐ丸4年になる。毎日毎日、よく諦めずに続けて書いているものだと思う。ここまで来ると、確かに仕事で続けているのでは無いのだろう。同様なハングリーじみたものかも知れない。まあ、振り返ってみると、小学5年の時、担任の先生に『一言』という日記を書くように進められ、クラスの全員が始めたのが、最初だった。周囲の流れにうまく調子を合わせられず、小学校を卒業してからもせっせと毎日小学校の先生の顔が思い出されて、いずれ又『見ました』のハンコを押してもらおうと、その日のことを「一言」書き続けていたら、あっという間に37年が過ぎて、形を変えて、こんなものになっているのだ。これは、日記ではないのだから、誰がどうしたこうした何てちゃちなことは、別に非公開の日記に書くことにして、こちらには、ツマラナい駄文だけにしているのだが、それでもまあ続いている。高校の時は、文字数にこだわっていた。兎に角25文字に収めていたものだ。大学の時は、一時、書を捨て街に出ようが流行ったので必死になって日誌を書く時間も止めてはみたが、何故か、逆に曲がり者は読書と演劇に凝っていたものだ。その後、就職して、営業職にあり、直ぐの頃、半年で革靴を一足穴を空ける位の割合で歩き回っていた頃、必要に迫られてまた書き出したのだった。実に様々な事を書き残してきたと我ながら思う。そして、4年前、大学ノートに書くのを止めて、キーボードで打ち込むことになったのだった。

   こおろぎの 鳴く鳴く暮れる秋の夜に 思案ニクレール 思い出喫茶
     
       空き缶に飲み干すビールの泡もなめ 秋はモラルハザール ハングリラ




2006年9月9日 晴れ 34度
昼間は確かに、少し暑さが戻ると、真夏並みの猛暑というのは、今から20幾年前、発泡スチロール工場で成型品の袋詰め作業をパートさんの欠員から「ちょっと、補充に」と言われて、数日の積りだったのが、来る日も来る日も続き、結局9ヶ月だったか、朝から晩まで袋詰めをしていた頃のそんな思い出がある、あの暑い夏以来だろうか。今日も例の製作が続く。あのとうもろこしで作った発泡樹脂の2次加工にほとんど無駄な時間を潰すことになったのだが、開発とはこんなものだと半分、折からの戻り猛暑と合わせてあきらめ気味での作業ではあったのだが、何とか形にして行かなければならないのだ。確かに大変なものだ。様々なとうもろこし樹脂が、少しずつ市場に出始めているが、どれも、特定の形状にしたものか、或いは、例の おやき状態の物ぐらいだが、今回板状ブロックにして、不特定多数の用途までカバーできる形状は今回が初めてのようだ。意義深いものだ。だから何とか前進させようとこうして頑張っている訳だ。サブ六判のものは以前あったが、今回は490mm×280mm×10mmのとうもろこし樹脂だから、多用途に流用出来るのではないかとの期待が掛かる品だ。




これは、先日9月3日に近くの寝屋川の高校の文化祭の催しの一場面だ。或る人の紹介でブラスバンド部の演奏会を聞きに行った時に1枚写真を撮った。館内は40度近く、カチ割り氷を並べて扇風機で冷えた涼風を流して呉れていたが、若さと、むんむんとした熱気には、丸で効き目がなかった。結構いい曲を流してくれていたので、暫くすると、暑さも忘れるほどだった。演奏の後、校内を1周して帰ったが、ちょっとしたことでも、何となく最近の若者心理に触れる場面もあって、大変勉強になった。


2006年9月8日 晴れ 35度
暑い戻り夏の中、今日も例の製作を続けた。次々と不思議と新しい展開が見られる。その新素材に対する関心の高さに比べて、何がその大手に、そんな、傍目からすると、つまらないとしか見えない停滞をもたらしているのだろうか。昔から存在する一般的な食料品ではあったはずだが、こんなとんでもないものに先人達が開発を進めて来たのに、最後の最後のところで、何と饒舌な、何と笑い話な、落語の中の『落ち』に似て、またやり直しさ。で、問題はここで引き下がるかどうかだろうか。、、、一歩後退2歩後退、ではならない。今日も時間が無い。戻り夏では体力の温存がやっとだろうか。


2006年9月7日 雨時々曇り 26度
今日も例の製作が続く。気を抜けない場面が続く。その上に、またまた今までしたことの無い素材での絡みが出て来て、いずれも今後の新展開が期待されるのだが、兎に角いずれにしろ、頑張っていく他に選択肢が無いものばかりだ。また、それらの3点に関しては、正しく新展開次第では、初期投資位に考えていく必要もあるように思って進めている。更に1点、改善を今後に託せるような、それに関する問題においても、取り組むべきであると考え出しているし、その他の点を合わせると、都合 新規の課題を5点抱えての、例の製作作業となっているので、これでは気が抜けない。貧乏暇なしとは、我々に、時間と空間の格差まで呼び込むようだ。以上
そうそう、この5点の課題の上に、どうしても先日頂いた例の水耕栽培に関する、サンプリングの展開も進めて行かなければならないのだろうし、実はその上に更に4点進行形のものもあるのだ。いけない、ここまでにしよう。では


2006年9月6日 曇りのち雨 25度
まだ上旬だと言うのに、もうこの雨で完全に秋がやって来たような気がする中、今日も例の製作が続く。ただ汗をかかないでも、汗の出そうな作業を進めることが出来るだけ、まだ有難いものか。しかし、最近は毎度のことになっているのだが時間が無い。バタバタと走り回ってあっという間にその日が暮れる。時間の無いだけではなく、余裕もないのだろうか。人生論的には、無用な経験の蓄積などという矛盾した働きでも、全てが逆転して何かを それに見て行くものかもしれないが、幾ら後ずけして、論を立てても昔読んだ、武者小路実篤(わたしの名前はここから取ったそうだが)や三木清の『人生論ノート』でも取り出せば十分だから、こんな、書き殴りのページには それは無駄かもしれない。猛暑が終わって、読書の秋がやってきたからか、とうとう、壊れたままのエアコンを仰ぎながら団扇でぱたぱたするだけのこの暑く長い夏は、へとへとになりながらも無事に乗り切ったので、ここは何か書いておきたいところなのだろうか。しかし、ここまでだ。では失礼


2006年9月5日 晴れ 28度
今日も朝から例の製作が続く。最近特に書いていないのだが、例の とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりんの機織り機械音のような在庫積み上げ作業も続いている。あれかこれか、ではなく、あれもこれもと言うのがわれわれの様な中小のお決まりではある。だから、一点づつ、ただヒタスラ前向きに頑張っている訳だ。『狭き門より入れ』という有難い文言があるが、だから我々のような所では、何も回り道せずとも、毎日が是れ「狭き門」かもしれない。前を向いて膝を折って倒れようとも仕事あるのみ、なのだろうか。大変だ。、、、とは言え、それだけでは、現状維持が精一杯だろう。そうではないのだ。遮二無二頑張ればいいのは、この様な研究開発のページには余り似合わない。確かに、必死になって、薄利多売に徹して、モガく事が必要な場面も有り得るし、越えるべき峠を前に這いつくばっている場面も来るのだろうが、それだけでは無い。必ず、一歩下がるなり、一度レールから降りるなり、ちょっと、展望台に見物に行くなりする事もあるものだ。例えば、今回の携帯電話の番号持ち回りが可能になるなど、携帯電話の機能UPなどは、例の『Web2,0』から見れば、銀行決済が携帯で出来てしまうということは、その直ぐ先には、銀行が無くなってしまう時代が訪れようとしているように予測されているのだが、最早、カードの時代は、子供用ムシキングのカードか、ラブ&べりーのおしゃれカードが生き残る程度で、キャッシュレス、カードレス時代をもって終わるようだ。自分が選んだ携帯電話の番号、ただ、実体の無い数字だけが、自分が生きて来た証のようなものになる世界が始まる。問題は、そのWeb上で生まれた仲良しグループが、最初は宇宙開拓団のようなコロニー的なものから、実体をもった集団になって来たとき、Web2,0では、本当に富みの共有化、或いは所属グループ毎の世代伝承まで起きるのだろうか、と言った問題だ。正に、こうなれば、実体の無い仲良しグループが、あらゆる距離間隔を越えた新しい「村」の発生と成って行くのだろうか。後戻りの出来ない壮大な実験がこれから始まるのだろう。そんな時代、果たして「発泡スチロール」はどっちへ向いているのだろうか


2006年9月4日 晴れ 33度
今日も朝から例の製作が続く。急な加工も数件加わり、ここは更にひねりを利かせて効率化を見て行かなければならない場面だった。それでも朝夕は季節通りの気温に下がって来ているところを考えると、20年位前だったろうか、9月の中旬まで朝夕まで暑かった記録破りの暑い夏に比べて、まだ良い方だろうか。それでも、当時と比べて、地球全体は、相当温暖化が進んでいるのだろう。北極の氷河に大きな割れ目が出来た写真や、砂漠の大きさが2倍にも3倍にもなっている写真を見れば、一目瞭然だ。

 水耕栽培の件でお問い合わせがあった。HPトップの発泡スチロール関連書籍のところから、推薦図書に

『1、『これからのガーデニングシリーズ 
         水栽培 野菜づくりの愉しみ   土がなくても野菜は育つ』   著者 矢野謙介  グラフィック社

                     発泡スチロールを使った水耕栽培を紹介しています。東京の鈴木さんの紹介でした』
というのがあるので参考にして頂きたい。大変おもしろいですよ。こちらでは、現在、或るところでなさっていた潮の満ち欠けに似た方法での水耕栽培を取り入れようと計画しております。水槽の植物全体を時間タイマーで自動的に水面がら出したり入れたりします。シーソーにするか、ポンプを使うかといった点です。まあ、いずれにしろ時間がなかなか出来ませんね。貧乏暇なしか、、、。


2006年9月3日 晴れ 34度
今日も朝方少し、例の製作を進めた。昼間の暑さは超一級並みだ。残暑といったものではないようだ。夏の継続に過ぎないのだろうか。しかし、流石に朝夕は、少し、しんみりして来た。こちらのページは、素材の専門を取り扱うページなので、余り一般受けする内容では無いのだが、この前の、8月末にかけて、約1週間、訪問者数が、突如毎日200人を越えたのだが、どうも、学校関係の夏休みが短縮されて、8月20日頃から新学期が始まって文化祭などのの準備をしている所と、夏休みの自由研究に追われていた向きと、等が重なっていたのだろうか。こう言った事、つまり年中行事に合わせて時流を読み、細かくPRを変えていくことも大切ではないかと思ったので、取りあえず、こちらに書き残しておこう。夜、8時過ぎ、急な用事があって、例の廃工場の前を往復した。この前を通る度に、何故か、「臥薪嘗胆」の4文字が思いついて胸を憑く。だが、今日は誰もいないはずの真っ黒い建屋に誰か、人の気配があったので嫌に不気味であった。最近は窃盗、盗難、空き巣、放火など悪質な事件が、身近なところで本当に増えた。戦後60年、平安貴族の時代が終わって、何やら鎌倉室町のような動乱の時代に入ったのだろうか。残念だが、街の荒廃と、国の動乱に反比例して、優れた文化芸術が生まれた時代でもあったのだろうが、この先どうなって行くのだろうかと、廃工場の不気味な人の気配に要らぬ事を考えた


2006年9月2日 曇り時々晴れ 30度
今日も例の製作が続く。急ぎの作業が重なる。こうして気がつくと1週間が嘘の様にあっと言う間に過ぎていく。例の温泉町の旦那さんのプロジェクトで、27mケーキを小学校に作るというので、夢千代の里のページを起こす予定だが、なかなかUPまで行けない状態が続いているので、先日頂いた資料をそのまま羅列して、取りあえずUPの予定だ。


2006年9月1日 小雨のち晴れ 32度
今日も例の製作が続く。この4日間、訪問者数が平均200人/日になっていたが、漸く、いつもの状態に戻った。時々、このような現象が起きるのだが、未だに原因はよく解っていない。不思議なものだ。昼から暑さがぶり返したようだが、確かに1週間前に比べると季節は変化している。関東では雨の多い夏だったそうだが、関西は例年以上に、特に枚方は、体温以上の暑い日が続いた。が、しかし、9月とともに猛暑が終わるようでは、それだけ暑い日が続いた理由で、温暖化が進んだとは言えない様な気もする。四角い角を曲がるように季節が変わっているのなら、年平均気温なども同じじゃないだろうか。1月2月の大雪、4月の長雨、7月の豪雨、8月の猛暑と来た。今年も後4ヶ月だ。


2006年8月31日 晴れ時々曇り 一時さらさら雨 33度
そして、暦の日めくりとともに、この暑い夏の狂想曲も終わりを告げ、いつか知れない遠い過去の忘却となって、誰の胸にも何ら一片の慟哭すら残さずに静かに過ぎて行くのだろうか。あれはもう いつの事だったろうかと 振り返って問うのも億劫な程、嘲笑と揶揄の交錯していた時だったのだろうか。夏の終わりを、青春の時の思い出の始まりとは 良く言ったものよ。かがやく陽の中を強く飛び、思いに委ねて、丸で、曲がったでくの坊のように、どこまでも走って行ったのは、確かに誰のためだったのだろうか。そんな勇気を、大きな過てる勇気とともに、怪しげな希望より先には決して進めない後悔を密かに抱いて、幻想の海と樹林に挟まれた水平線まで一気に走って行ったのは、何故だったのだろうかと、今ではひとり事のように思う。


2006年8月30日 晴れ 32度
思うに、16,7歳で高校のクラブや勉強に忙しい時期に、何で又この上に、文化祭があって、わざわざそのクラスで出し物に取り組まなければならないのか、と言う疑問が起きるのも肯けるのだが、折角だ、もっと積極的に乗ってみても良かったのではないかと、そして、高校を出て30数年が過ぎて、振り返ってみると、文化祭の出し物がどのようなものだったかは知らないが、何であれ、その後の人生に役に立ちそうに無いように見えて、実は大いに役に立つ事ばかりだったとは、今頃になって理解できるのだ。貴君の通う高校は県内でも有数の進学校というし、確かに勉強が生活のメインであるのは、誰も否定はしない。だから、自分の立てたスケジュールをこなして行くのに時間的な余裕がないのも判るし、それはそれで、結構な生き方だとも思う。ただ、一言だけ、不肖ながら、ろくでもない経験を積んで、40の終わり頃になり、ひと周り上の年代がぼちぼち定年を迎えているのが真近に見えるようになって来ると、どうしても、貴君のような若さで、もったいないなあ、とつくづく思えるようになって来たのが不思議だ。
「16,7歳」というのは、本当は黄金色に輝いた青春真っ只中の筈だよね。「薬チェーン店の店の横手で要らなくなったダンボール箱を集めて来て、夜8時半頃、学校の門衛さんの所まで持って行った、」という生徒が隣のクラスにいたと書いているが、実は、それなんか、30数年過ぎて見ると、物凄く楽しくて、未だに どきどきして来るような体験として記憶に深く残っていくと思うよ。確かに11時12時なら、夜回り先生に見つかれば、厳しい罵声のひとつは飛んで来るかも知れないけれど、まだ8時半だし、暗くなった校舎に両手で一杯担いで遠い所から運んできた時には、おーまだ学校は開いているんだ、なんて強い印象は必ず残ると思う。それに、少しオーバーかもしれないが、ちょっとだけ既成のものを自分が少し変えたんだ、という体験って、わくわくするものだよ。その隣のクラスの生徒は、いい経験をしたと思うよ。


2006年8月29日 晴れ 35度
今日も例の製作が続く。ようやく、例の蒲鉾ハムに段取りの区切りをつけて戻る。壊れたエアコンを見上げながら、はーと一息ついてさあ、書き込みを更新しようと思い、机につくと、辺りが明るくなるまで気がつかず、そのまま眠っていたのだろうか。もう朝だ。時間切れだ。今日はここまで



2006年8月28日 晴れ時々曇り一時慈雨 36度
あれはいつの事だったろうか、遠い昔と呼ぶには悲しくて、希望の去った過去では寂しくて、もう会えぬ時の幻を追いかけるには何とあきらめの付かない冗舌と嘲笑の雲土に 背まで沈む例えに似た哀れな時。今日も例の製作が続く。確か、暦を落とし数えてはるばる待ったと言うほどでも無いのだろうに、そして、筆を置いて、静かに窓の外に投影する心情の果てしない錯綜と孤高を口すさぶことも無いだろうに、例えようが無い。再び、あれはいつの事なのだろうか、それが程遠くも無い昔に別れを告げ、また来る未来に希望を託し、誰彼皆にまた会おうと、敢て架空を追った寡黙と悲痛のさ迷いに似た楽しい時。これ以上、それ以上、あれ以上、に同じ時を歩むのだろうか、若き人達。


2006年8月27日 晴れ 3時ごろ夕立 36度
今日も変わらぬ暑い日だったが、昼過ぎ、激しい通り雨があった。連日の猛暑が続くこの時期に この雨は、一息つける恵みの雨のように思えた。雨の勢いが強かったのだろうか、乾いた地面に直ぐに水溜りが出来たりした。しかし、恵みの通り雨が上がって、1時間程経ち、西の空に雲間からまた陽が差す頃には、コンクリートの地面は元の木阿弥のように さらさらに乾いていたのを、夕方になるとよく聞いているNHKラジオの通信高校講座現代文で、今回は、宮沢賢治が、若き妹の亡くなる日の事を書いた詩集の朗読があって、続けてその解説が流れている時に、外に降るみぞれの雪を触って見たいとの 死の病床からの最愛の妹の最後の頼みに 「曲がった鉄砲玉」のように飛んでいく賢治が その時どんな心情であったのだろうと想像して、ラジオに聞き耳を立て、ふと窓の外に視線を移動した時に、今はまだ夏の残暑猛々しく、8月の終わりが夏の終わりとまでは到底行かない異例の暑い季節の筈ではあっても、人生に別れ、それが当たり前と、掃き捨てて言ってしまえば、それまでかも知れないが、ラジオから流れる賢治の「曲がった鉄砲玉」が厭に耳に残り、残像をまぶたに投影していたせいか、さっきの通り雨の水分を 1時間ほどで 全て蒸発させた夏の焼き付いたような白いコンクリートの地面が、いつの間にか視線を移した位では 外の現実にまで出しては来れない 詩集のその悲しい情景の中に、すっかりはまっていたせいだろうか、それが凍り付いて降り注ぐみぞれの雪化粧に見えた。やがて、短い解説と再び詩集の朗読でラジオが終わった後も、まだ暫く、窓の外の白いコンクリートの地面を見ていた。陽が沈み、辺りが暗くなる頃、もう一度見たコンクリートの地面には、走ってきた自動車のライトが光っていた。


2006年8月26日 晴れ 37度
で、今日も例の製作が続いた。急ぎの製作の後、例の蒲鉾ハム容器の試作を急いだ。ので、他に予定していた所は全て後回しになった。サンプルにお送り頂いた長細い蒲鉾をあれこれひっくり返し、あーでもないコーでもないと試作の作業をしながら、この蒲鉾ハムがブームになってくれると面白いだろうなと思った。今は商機だ。ハムのそっくりの味がする蒲鉾だから、今なら売れると読んだのだろうか。、、、、、、zzz、zzz、zzz、また疲れて眠っていたようだ。ふと、このような書き込みを続ける理由というのは、どこかで読んだのだが、時代は既にマスメディアに対して、個人レベルで発信基地局としてメディアを有している市民に相当傾斜し始めている、その流れに沿っただけのことかも知れない。zzz、zzzzzz、もう朝だ。ろくに書けないなあ。こんな時もあるものだ。では失礼


2006年8月25日 晴れ 34度
今日も例の製作が続いた。最低限、ここに3行の書き込みをするので精一杯かもしれないが、何とか継続することには意味があるんだと頑張っている。もう少し時間的余裕があれば、まだ何なりと、お茶を濁すだけでなくて、辛子の効いたウイットでも書くところだし、それ見たことかの甘い助言のひとつやふたつも ぶつけて見たいものだが、残念時間が無い。あれば、発泡スチロールをあれこれと捏ね回すように、一日書き込みを楽しんで居るはずだ。全く時間が無い。体力の消耗を最小限に抑え、では失礼


2006年8月24日  晴れ 36度
今日も朝から例の製作が続く。製作の方では様々な形状の問い合わせが正しくひっきりなしになっているのと、季節柄秋へ向けた動きに合わせたものもあるのだ。早いものだ。来月になれば、もう年末へ向けた様々な企画も動いていくのだろうし、年間スケジュールで一個を手掛けているところでも、次の新しい一個をあれこれ物色が始まるんだろうか。中でもよくあるのは、季節抜きで一世一代の一個のお問い合わせだろうか。実に様々なものだ。一方、昨日のお問い合わせの問題点は、難しい問題をはらんでいる。カタカナで書けば「企業のパートナーを探しています」と言ったことだろうか、何となく解ったようになるのだが。それをネットで探そう等とは、所詮無理があるように思う。大手ならネットで探すまでもない。能書きを読んで済むのだろうが、我々のような場合はどうしたらいいのだろうか。、、、おっと考え込んでいるともう時間だ。では失礼


2006年8月23日 晴れ 36度
今日も例の製作が続く。考えてみると、毎日どうしてこれだけ齷齪しながら、バタバタと走り回らなければならないのだろうか。ある、お問い合わせのお客さんから「他のところを5,6社と既に見積もりをもらっているから、値段的なものは大体検討が付いている。だが、もうひとつ、甲乙似たようなことばかりで、自分なりに納得するような説得力に欠ける。後は、金儲けだけではない。もうひとつ、自分なりに納得できない。大事なお客さんの仕事なんだが、どうしても、他でもない。これだけは上手く仕上げたいものなんだ」と言ったご意見が飛び出した。確かに、そうかもしれない。単に、そこに金儲けだけを求めている、と言うことなら、そのぐらいの事を誰でもしているし、そのぐらいの事を受ける側も、誰も、商売人になって、ソツなく対応慣れしてきているのだろう。増してや、最近はネットの世界が、気軽に垣根を越えて他の非専門分野に顔を突っ込む事をクリックひとつで簡単にした。いちいち相手の顔を見なくても良いどころか、電話での話まで苦手ならメールで用件だけ送れば事が済むのだ。だが待てよ、何か足りない、と感じられたのだろう。それだけでは、何かフィットしてくるものが無い。「これは、自分のこの商材に対する知識不足が問題なのだろうか」と振って来られたので、確かにそれもある、とお答えした。本来、他人に質問しよう等と言ったときには、『大学ノート2,3冊埋める位勉強して来てから、解らないというその概念を質問するものだ』とは今は亡き恩師の言だが、そんな究極の弁論を立てるようなことでなくても、最近は、ネットを使えば、水瓶をひっくり返したように、様々な新知識が幾らでも溢れているので、得られるのだろうし、十分すぎるほど十分な予備知識が手に入るものだから、却って、気軽過ぎて、ちょっとかじっただけで、ちょっと見ただけで、大変な専門家になったような気になってしまう方も多いのだろう。自意識過剰というか、自信過剰なまでに、使命感に燃えているケースだ。そのくせ、肝心なところは、他人任せにしようという、云わば、高等戦術かも知れないが、それ以上話の持って行きようがないのだ。、、、そうだ、思い出した。不可知論タイプだ。勉強熱心と大きな責任感に押しつぶされて、周囲が見えなくなっているのだろうか。デカルトのコギトは、一方で不可知論の罠を生んだ。やがて、それらをアウフヘーベン出来たのは承知の出来事か。確かに歴史を少し勉強すれば、そんな事は専門外でも直ぐに解る事か。


2006年8月22日 晴れ 35度
昼3時過ぎ、突然雷雨があった。おお、久しぶりだと喜んだのだが、10分程度で止んだ。しかし、その後はかなり涼が取れ、例の製作がはかどりながら進んだ。有難いものだ。そして、幾つかのお問い合わせの中で、次の次を考えるのに大変いい提案を頂けたのには、かたじけない限りであった。我々のようなところは、何と呼んだらいいのか、お問い合わせ先が社員200名で中小企業と仰るのなら、もう本当に我々のような所は ”コーバ”だとも呼べない。毛の1本も生えていない つるつる”点”だとでも表現すればいいのだろうか。おっと、もう時間切れだ。この続きは明日


2006年8月21日 晴れ 36度
今日も例の製作が続く。延々と毎日毎日作業を続ける、というのが仕事だ。今日もお問い合わせが繰り返し続いた。これも仕事だ。出来るだけ、謙虚に、誠意を出して、対応に努める。しばらく、3行書きが精一杯の暑い中、何とか、頑張って世の中渡って行くのだろうか。今日一日、無事に過ごせたら、それでいいではないか、と思えるようではだめだ、駄目だと、前向きになろうとするのだが、兎に角、暑い一日が続く


2006年8月20日 晴れ 37度

昼間はうだるような暑さが続く。とても、扇風機では我慢出来ないような暑さだ。こんな中で、ものを書くというのも、とても能率が落ちるようだ。まあ、仕方が無いさ、頑張るほかに無い。何とか、実例集のみ少し更新出来た。今頃になって、『飛行機 自動車の利用を1割削減して、電車の利用に切り替えたら、それだけで2酸化炭素の使用を1パーセント削減』になると言った記事が出ていた。当たり前だろう。例えば、東京大阪間の飛行機の定期便を無茶だろうが、禁止などしてみたら、7,8パーセントの削減が出来て、目標達成と言った数字だ。航空関係が大打撃を受けて、皆大泣きする一方で、恐らく大赤字の整備新幹線などは息を吹き返し、もっともっと建設しようってことになるだろうか。リニヤ新幹線も緊急工事を始めて建設されるのだろう。航空関係の方々の仕事が無くなり、鉄道関係の大笑いが果てしなく線路に響くのだろうか。


2006年8月19日 晴れ 36度
今日も例の製作が続いた。確かに現場で作業をしている者にはこの暑さはこたえる。水分補給を急ぐのだが、体力消耗がやたらと伴い、漸く一段落して、例の企画の作業に掛かる頃には、相当参っている。増して、足を引きずって仕事から戻り、ここまでたどり着いてからパソコンのキーを叩く頃にはぐったりとしている。zzz、zzz、zzz、おっとまた机に伏せて眠ってしまった。面白い夢だ。地理的に数千キロも離れているのに、不可能なことだが、タイ、ベトナム、中国の中小企業と思われる会社と同じ敷地で別々の仕事をしていた。治外法権の国際企業団地のようなものだった。そこでは、アジアの会社の人達は何とよく働くことか、これだけ暑い中、平気で寸暇を惜しんで丸で、自ら喜んで、ベルトコンベヤーの歯車の1つに成りきって働いている姿が夢の中だと解っていて、視界に入ってくる。あちらの会社でもこちらの会社でも、正しく日本の昭和30年代、高度成長の頃の雰囲気だ。もう、目的がハッキリしていて、電化製品のある生活が、幸福な生活であると誰もが疑わなかった時代のようだ。そして、働く人達にエネルギーが発散しているように見えた。夢の中だと言うのに、周囲がこれだと、働かずにおれないが、、、、ここから寝ていたのか起きてしまったのか解らないのだが、結局、何処にそして如何にまともに出ても、勝てないのだろうか。戦後60数年、この60数年の工業の蓄積を、そろそろ「伝統産業」ってことにカッコの中に入れてしまって、我々には工業という伝統があるんだ。と言えるかどうかだろう、、、、




<<<<業務連絡>>>

東京農大三高 生徒会の方へ
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2006年8月18日 曇り風強し 34度
今日も朝から急ぎの製作。漸く例のものが夜9時過ぎ仕上がる。結果的に、経営的な観点を無視した製作になった。今回も、今後につなげたらと言った一縷の望みでの製作になりそうだが、明日を見ているだけなのか、解らない。取り合えず、ここまで妥協できずに手間ひまを掛けて来た。昼3時過ぎ、高速を4時間もぶっ飛ばして来たという方が、遠方から見えた。空に夢を抱いている飛行機野郎と思われる方だった。今まで素材的にはEPPをお使いだったのだが、今回初めてEPSに幅を広げたいとのことだったので、それほどお好きな方には、矢張りそれを専門に何十年も好きで大空の夢を見ながら同じような製作を続けている超有名な方をご紹介させて頂いた。この時間からは、帰りは恐らく、旅館に空きがあればいいのだが、無ければ車中に一泊か、為さらなければならないのかも知れないが、先方の飛行機好きに電話を入れ、この時間からの訪問も好諾頂けたので、道順などナビで追いながら、急いでこちらを出掛けられた。そして、
おや、もう時間だ。では失礼


2006年8月17日 晴れ時々曇り 35度
暑い中、今日も例の急ぎの製作が続いた。その製作において、急ぎであっても、用途上の最低必要条件はマスターしておかなければならないのは当然だが、それにプラスアルファーとして、良いものは出来ないか、考えていたら、余計な時間が過ぎてしまった。急がなければならない。一方、様々なお問い合わせとご提案もあった。発泡粒を使ったそのご提案から、例のいちごの栽培用補足器まで、こう言ったHPを開設して、もう何年が過ぎたと言うのに、変わらない割合で飛び込んでくる。不思議なものだし、有難いものだ。 おっと時間だ。何一つ書けないままか、、、


2006年8月16日 晴れ 36度
五山の送り火となり、暦の上では秋になるのだろうが、今日も大変な暑さの中、例の製作が続く。テレビでまた、地球環境シュミレーションの温暖化警告番組を見た。尾瀬沼にシカが出没し出したり、瀬戸内海に亜熱帯に生息するエイが大量に見られてアサリを食い尽くしたり、琵琶湖の湖底に低酸素でヘドロが出たり、ロシアの永久凍土が融け出してマンモスの骨や牙が大量に出てきたりしているそうだ。、、、、、 台風性の強風が凄い。近くに11号が通過したそうだ。これも温暖化の影響か、、、


2006年8月15日 晴れ 38,3度
昨日から時間を割いで、うろうろとしていたのだが、一体何軒くらい回ったのだろうか、解らないくらいだ。大概のスーパーやコンビニでは扱いが発泡酒の登録になっているそうで、それは無いから、酒屋を回るのだが、何処も彼処も一斉に盆休みで開いている店が無かったのだ。府県境を越えて、田辺や八幡まで足を伸ばしてみたのだったが、不景気なんだろうか、ビールをがぶ飲みして憂さ晴らしをしようなどと考える人も減ったのだろうか、酒販店は何処も閉まっていた。それでも、漸く、寝屋川の駅近くのシャッターの下りた酒屋に玄関脇の奥に空き瓶が並んでいるのが見えたので、呼び鈴で家主を起こして、例のアサヒスーパードライの10リッター用か19リッター用の空き樽は無いかと尋ねると、19リッターの分が1樽回収せずにあるという有難い返事を貰えたのは、昼の4時を回っていた。この辺りでは、盆前にメーカーが一斉に回収してしまっていたので全くなかったのだろうか、兎に角、1樽だけでもあったので助かった。急いで、樽の保証金を1000円渡し、発泡スチロールの仕事で使うからと、借りて来たのだが、原寸容器から採寸するなど、作業が実際に始まったのは、もう夕方になっていた。これで、丸2日半を無駄に過ごしてしまった計算になる。急ぎの他の用事は全て出来なくなってしまったし、折角の盆休みもこれでパーになってしまった。夕方製作を始め、1機それが出来たのはもう夜遅くになっていた。最初の一機が出来たなら、残りはそんなに時間は取らないのだが、数があるので、あと数日と言うところだろうか。思い出せば、昨年のお盆休みも、急な製作依頼で潰れた。今年の正月も、例の多面体の急な製作依頼で潰れた。04年まで連続でお盆は潰れていたし、4年振りのお盆休みが04年にあったきりだ。05年の正月には沖縄に行ったのだが、正月に休みが取れたのは5年ぶりだった。今年の正月が潰れたのは先ほど書いた通りだ。ネットの為に『メール残業』が一般企業で増加していると警鐘を鳴らす新聞記事をこの前読んだ。雇われの場合は、大変だろうか。みんな、殆どはサービス残業に分類されて、その努力も甲斐なく消えていくのだろう。まあ、まだ文句を言えるところは良いではないか。こちらでは、今年も盆正月無しで無駄骨ばかりで走り回っている。一体いつまでこんなことが続けられるのだろうか。解らない。


2006年8月14日 晴れ 37度
昼から少し時間が出来たので、月曜臨時営業の大阪市立科学館まで暑い中 電車で出掛けた。例の発泡スチロール製の部材が末端ユーザーのところで、どうなってどう使われたのかなと言ったことが知りたかったのだが、今までなかなか時間が取れなかった。今頃になって漸く、いそいそと出掛けて見たのだった。しかし、残念、入り口まで来て気が付いたのだが、科学館のプラネタリウムや恐竜の映画などは本日休業であった為、例の部材を隅々まで捜すことは出来なかった。取り合えず、4階へ上がって、端から順番に展示品を見て行ったのだが、いつの間にか、肝心の目的を忘れて、様々なおもしろ実験が出来る展示品の数々に、完全にはまってしまった。発電の実験、アーク放電の実験、空気の実験、など数えたらキリがない、それに以前に比べて確実に面白い実験器具が増えてきていると思った。で、一日居ても飽きが来なかった。ふと、閉館近くなって、そうそう、忘れていた発泡スチロールのことを思い出して見たのだが、まあ、今頃来て見ても、とっくに撤去されているのが、関の山だろうからと、捜すのも止めて帰った。


2006年8月13日 晴れ  35度
今日も例の製作に少し時間を割く。確かに昼間はサウナに入ったような猛暑だが、陽が傾き、暗くなるのは少し早くなった。月が出ている。自転車を飛ばして近くのコンビニへ アロエジュースを買いに出掛けた。コンビニの前は、車座になって座っている若者が5,6人づつ3組あって、彼ら彼女達の楽しそうな広場のようになっていた。アロエをレジで買ってコンビニを出た時、携帯に例の滋賀県の寺の23代目住職のぼんから電話が入る。もう、50近くになったというのに、未だにぼんぼんで通っているのだから考えてみれば天然記念物にでもなりそうだ。ぼん、今年も京都の廟で墓参りか、と聞くと「今年はとても忙しくて行ってられない」というのだが、流石に、鎌倉時代から続く筋金入りの酒飲みだ。その時間は無いのだが、別に京都の飲み屋へ参る時間は取ってあるからと、電話越しに、酒の臭いがツンとして来たので、これはまずいと思い、ここまで走ってきたのは自転車だから、特に関係ないのだが、運転中だ。信号が青になったから。と言って急いで切った。確かに、彼の場合、商家ではないのだが、代々あそこまで続いていると、生きた化石として捨てておくにはもったいない気もする。一方、商売人の世界に激しい浮沈は つき物だ。『親苦労 子楽 孫貧乏』とはよく言ったものだ。たった一代でも構えを押し出すまでには、大変な苦労が付きまとうものだ。多くの場合、その構えを持ち堪えることはその代で終わるか、辛うじて次の代が石潰ししながら時間を浪費し、孫の代には元の木阿弥、極貧の生活に戻ってしまうというものだ。そんな富のリサイクル法則は、世の原理原則のようであって、それは、昭和、大正 明治 江戸 桃山 鎌倉と遡って見たところで、時の国の制度に関係なく繰り返されているのだろうか。二代続けて、盛り上がる商家は珍しい。三代続くと希有な存在だ。それが、四代5代となれば国宝級だ。確かに例の7代目社長など社業は国宝級の伝統工芸文化財な訳か。、、、、、、
おっと更新を送信していなかった。


2006年8月12日 晴れ 36度
そして2件、
まず、例の「とうもろこし樹脂」に関して、ご担当にわざわざお越し頂き、たいへん素晴らしいご依頼を頂いた。有難う御座いました。正しく情勢は流動化している見本のようなものだと、痛く感心した次第です。これが、突破口になれば、お互い様、何と有難いものだろうかと思います。是非、その実験の成功を悲願する次第です。さて、ご担当のお帰りになられた後、改めて少し考えてみた。近頃の、これだけ急激な猛暑となっては、直ぐに、気象変動の影響だから、何とかしなければならないという性急な動きは実際あるのだろう。反面、原油の急激な値上がりを前にしても、我々は、生活レベルの極端な低下までして、石油ガソリンの消費を減らしたりは そうそう完全には出来ないのが現状のようだ。地球温暖化がそれほど深刻なら、緊急車や輸送最低限のトラックを除いて、全ての自動車を停止したなら、CO2の4割は一気に削減出来ると言うものなのに、決してそのような極端なことをして発展途上国並みの生活レベルに落とすことには、先進国では猛烈な反対が起きるのは目に見えている。なのに、何故、気象シュミレーションのようなことをして、あと2年もすると地球温暖化は、後戻り出来ない臨界点に達するなどと、世間では、不安を煽っていたのだろうか。そして、決まり文句は、我々の身の回りで出来ることから温暖化対策を始めましょうと、お茶を濁すのだ。そして、包装パックの削減、過剰梱包の取りやめ、段ボールを使いましょう、発泡スチロールは控えましょうという流れを意図的に振り回すような警戒すべき動きだ。発泡スチロールや他の合成樹脂の使用を減らしたところで、全体の0,02パーセントしか減らないのにだ。なのに、何故、そんな0,02パーセントに矛先を向けるようなネガティブキャンペーンが横行するのだろうか。足元の自動車の利用を一日止めれば、それだけでその100倍の削減が可能だというのに、なんと不可解な話なんだろうか。そもそも、あの京都議定書にしても、最大のCO2排出国は参加していないし、経済発展の阻害要因になるからとお構いなしに、ぽんぽこ排出しているそうだ。これが現状なのだ。悲しいかな、高らかに平和のラッパを吹けど、次はイラク、次はレバノンと戦争が止まない。これが世界だ。だから、どうするか。んーん、、、、@本当に温暖化はCO2が原因かどうか再度確かめてもらう。先に温暖化した結果としてCO2が増加したという説が気掛かりだ。もしそうなら、人間はそれほど地球を簡単に動かせるものではない。人間がバベルの塔を築いているだけに過ぎないのかもしれないからだ。近代の工業化社会の出すCO2よりも、地球自体の高温化や寒冷化サイクルによって増減するCO2の量の方が桁違いに大きいのだろうか。Aまず早い所、石油に代わる安全なエネルギー源をその筋の研究者に発明してもらうことだろうか。Bとは言え、われわれ中小企業では、需給が全てに優先し、次々に売れる商材に的を合わせて、時代の流れに竿を挿して、泳いでいく他に何も無いものだ。その特徴をよくよく把握し、それぞれの優劣を比較し、求められる所へ求めるものを橋渡ししていくこと位しかないのだ。この「とうもろこし樹脂」がいいという向きがあれば、ただそれを提供していくだけだ。時代が、やがて「とうもろこし樹脂」でないといけないと言うのなら、さっと看板を書き換えよう。そうだ。もっとアンテナを高く伸ばしてみよう。例の「とうもろこし樹脂」の10mm厚サンプルも積極的に生産し、世に問うて見よう。
そうだ、それがいい。
例の「とうもろこし樹脂」の10mm厚は需要があるような気がする。何しろ、発泡スチロールのカット屋が言う位だから、良いような気が強くする。
そうだ、そのルートだ。そこではなくてこっちだ。こっちがあるのに気が付かなかった。今思いついたのだ。これは面白そうだ
もう寝よう


2006年8月11日 晴れ 37度
今日も朝から例の製作が続いた
一方、遠路はるばる日本海側から大変有名な旅館の若旦那がわざわざこの猛暑の中、時節柄夏季超多忙にも拘らず、万難を排し、寸暇をこさえて、お見えになった。例の町おこしの一件だ。映画界ではまだまだ現役の、最近ではよく液晶テレビの宣伝などに登場する、あのトップスターの本格女優がご利用され、以前、その女優主演映画のロケには そこの若旦那自慢の露天風呂が使われるなどした事が、本当にあったんだとは、そして、古い記憶を辿る程もなく三十数年前、テレビで、それは何故だったのだろうか、今から思えばその女優の魔力にとり付かれた様に、毎回欠かさず見ていた『夢千代__』の舞台だったとは、残念ながら、後から知った。こんなにも、むさ苦しくも、ぼろぼろの当社建屋に、そんな御香の匂う地元城主の末裔の若旦那が、お足を入れられるには余りにも、もったいない限りであった。思い起こせば、確か3年前になるだろうか、インターネットの不思議で、四国から創業200年、天皇も毎年お立ち寄りになるという宮内庁御用達の伝統工芸メーカーの7代目若社長がひょんなことで発泡スチロールのことで幾つか質問にと、若く清楚で輝いた瞳を快活にそして力強く輝かせながら、わざわざ お付の人達とお越しになって以来だろうか。その時も驚いたものだった。天皇巡幸のルートにあたるとは、確かに、ぴんと来なくて、とても不思議なものを感じたものだ。そして、皆さん、お家伝統に埋もれることなく、しっかりとそのベースの上に立って、さらに未来をしっかりとイメージされて、次の一手を打つべく、或いは、その重い伝統の、そして集まった 町ぐるみの とてつもなく大きな期待を支えるべく、縁の下の力持ちとして、時に果敢に時にエネルギッシュに走り回っておられる訳だと痛く感心したものだった。そう言えば、一昨年、奈良の大和郡山の幻の郡山城を発泡スチロールで復元しようと町の若衆が集まって始めた例の企画でも、単に町おこしの一環であったものが、市や教育委員会までも巻き込んで凄い広がりで、全国的な話題にまでなり、例えば、東京の観光会社から奈良観光のルートとして今後も定着して欲しい依頼まで飛び込んでくるような実際の目に見えた経済波及効果を生み出すまでになったのだが、その時にも、求心力を作り出した縁の下の力持ちは、何人かの若旦那衆であった。そして、市の担当の方々も加わり、大勢で入れ替わり立ち代り音頭をとっておられたことを記憶する。中には、身一つで献身的に、お城の部材作りに汗を流しておられた、 あの美味しい独自の味の卵つくりを自慢にされている、まるで三国志に出てくる劉備玄徳のような長身の 養鶏場の若旦那のことも記憶に残る。、、、さて、その『夢千代』旅館の若旦那には、普段は公開していないのだが、特別に工場内を案内し、発泡スチロールの機械をひとつひとつ実演を交えて、事細かに製作方法について自分なりに説明させて頂いた。たまたま、1名、若旦那のご出身地に近い所から来ている、元大手発泡スチロールメーカーで最終的に取締工場長までした経験のある者が待機していたので、さらに細かい加工の方法について解説をつけて実演させて頂いた。若旦那の抱く今回の企画の主人公は、他でもない、例の小学校に通う小学生達だし、そして、その独特の小学校を巣立っていった卒業生達なのだから、ポイントは、『夢千代』ではないが、如何に、町の将来を担う子供達に、はっきりと解る成功体験につながるような『夢』を体感してもらえるかにある訳で、それには、企画を担う若旦那に、まず、はっきりと発泡スチロールの加工方法について出来るだけ詳しく知って頂くことが先決だと考えたからだった。とは言っても、所詮、そこには技術の付きまとうもの、見よう見まねで直ぐに可能かどうかは解らないものばかりだったが、出来るだけ隠さず、洗いさらい、こちらに出来る限りのものをご説明させて頂いたつもりだ。考えてみれば、その通りだ。小さな彼ら彼女達が、「よかった」と思える記憶を残してあげること、これは単に教室の中だけでも、大変なことなんだ。ベテランの教師が6年間付きっ切りでこの新しいことを生徒達が、知って、学んで「よかった」という実感を、そう、共感するというところにまで、こころの深み広がりを作り出し、そこへ持って行くだけでも、大変な教育の技術作業であるのだが、それを、今回、教室の枠を飛び越えて、PTA、OB卒業生、同窓生、商店、旅館、町、等々この地元伝統の町を形作っている皆さんの手で、この町をやっぱり子供達が「よかった」と実感し、将来、いいことも苦しいことも避けられないだろう人生経験の中で、きっとこの町ぐるみの成功体験が、彼ら彼女達が大きくなった時に、きっと活かされるだろうという期待に繋げる試みであるからなのだ。そんな大変な試みをあえて、町の将来の為に、ひとはだ脱ごうという若旦那の目は、矢張り、どこか先を見つめて光り輝いて見えたのは、気のせいだろうか。

            夢千代の 夢見る里にも 夏来たり 
                悲しくも激しくも前向きに ゆきいそぐ その細き肩の君よ
                                              うつるる女将のこころへと 


2006年8月10日 晴れ 36度
今日も朝から例の製作が続く。有難い事に幾つものお問い合わせも続いた。京都の有名な変な大学からこれまた変なお問い合わせがあって、ご回答に苦しんだ。向こうでも、今回この件で大変お困りのようであったので、こちらも、解決策を箇条書きにして幾つか出来るだけ、少ない研究予算内で結果が出るようにと頭をひねったわけだが、向こうも、流石に変なところは有名な大学だ、その辺の事は、すでに2,3回頭をひねってみたらしいし、さらにゴリゴリとふけを飛ばして、掻きながらウルトラ一気に前後左右におまけを入れてひねって見たらしいのだが、旨くいかない。そこで何か妙案は無いか、とのご返信だ。zzz、zzz、zzzおっとまたここまで書いて眠ってしまった。夢でアライ君が出てきた。宇宙から大きなロケットが落下して来るのが窓越しに見える。おお、本当にロケットだ。町の真ん中に落ちて、おや中から怪獣が出てきた。何だ、バルタン星人だ。アライ君が「逃げろ」と言っているぞ。、、、、、と、そうだ。バルタンの誇り、バルタン星人の大きなハサミで思い出した。京都の変な大学の例のお問い合わせだが、10mm径の銅パイプなら普通のドリルのチャックで止めることは出来る。幾ら予算が無いからといってもパイプを切れ端程度なら買えるだろう。だから、ドリルで回転させながら、先をヤスリで9mmに尖らせる位なら、機械科の研究室なんだかすぐ出来ないかなあ。これで、9mmパンチの完成だ。


2006年8月9日 晴れ 35度
連日の暑い中、お茶を濁すどころか、水滴に万年筆のペン先からインクを針の先の点ほど濁すよりも、書き進める余力もないのだが、取り敢えず、今日も朝から例の製作が続く。そのような事態状況の中でも時に変化は絶えず目に見えるまで起きることは特記して行くべきなのかもしれない。それが、こんな今風の製作ノートのスタイルだろうから、さーっと、否、さらさらと書き止めてもいいところではある。今日もあのお問い合わせには示唆を随分と受けた。そしてその後の、あの学校の先生らしき人からも、有難いご提案であった。確かにそちらに広げる意義は大いにあると思った。そして、その後の、パンの生地を宅配販売なさっている方からは、この時期のその問題について、将に全国的に共通したお悩みを抱えておられる向きからの大変似た問題を課題として頂けたし、その後、またあるお問い合わせにはっと、気が付いたその広がりに関してはなるほどと痛く納得した訳だし、そして、その後のお問い合わせでは、矢張り共通したその問題についてのご提案もあったし、そして、例のとうもろこし樹脂に関しては、わざわざ、お越し頂く事になったし、、、、おっと時間がない。まだまだ斯様な日々が続いている


2006年8月8日 曇りのち晴れ 35度
テント倉庫のぼろぼろのテントの補修が終了したところだったので、今回の台風接近で以前より、多少気分的な負担は軽減されていた。が、気を揉みながら、台風は進路を反れ、多少の強い風が吹いてはいたが、今日も暑い中、何事もなかったかのように、例の製作が続いた。幾つかの点でコメントを発しておこうかと思いながら、この暑さではものを書けるような雰囲気ではない。まあ、何とか数行埋めるのがやっとだろうか。作業が終わって戻ると、ばたりと倒れるように横に崩れ、そのまま眠ってしまう繰り返しになって来ている。ふと、気が付いて起き上がるともうこんな時間だ。あれここれもと書き残しておくべきことも幾つもあったのだが斯様なように、、、、


2006年8月7日 晴れ 36度
今日も朝から例の製作が続く。暑い。周囲では早くも夏休みに入った工場もあった。それは、ただ長いだけの夏休みではないのだろう。必ず必要あってのものだろう。遠方では業界の合従連衡も頻繁にあるような話をよく聞く。ある日突然、社名が変わったなんて、あたりまえのように起きているのだ。世間では戦後最大の景気が続くと言うのに、中小企業間での浮沈の激しさは、今も昔もなんら変わっていないものだ。だから、こちらも手綱を締めて頑張って行かなければならない。そして常に、その先を睨んで動かなければならない。1個2個のお問い合わせも続いている。今日も何故か重なった。誠心誠意当たっていく他にない。
zzz、zzz、zzz、おっともう朝だ。では失礼


2006年8月6日 晴れ とうとう38,5度 
広島の原爆投下の日、地球の裏側では、どうやらまた大きな戦争が起きそうな雲行きらしい。原油高という直接我々の生活に跳ね返ってくる戦争なので、目が離せない。、、、おっと、もう朝だ。製作実例の更新をしていて随分と時間が過ぎてしまった。ではこの辺で


2006年8月5日 晴れ 38度
今日も朝から暑い中、例の製作を続けていた。実に会社の寒暖計は38度を指していた。それでも作業を黙って進める他にない。有難いことに幾つかのお問い合わせも続いたし、不思議と内容的に重なるお問い合わせ現象も見られた。その現象に見られた、そのご提案に、なるほどと、耳を傾ける価値はあると思い、さらに異形の製作に当たってみたのはエンゼルスウイングの薄手の発泡スチロール板の加工だ。293mm×210mmのA4サイズなら何とか0,5mmまで熱線の溶け加減を調節しながら加工して、一応品物になっていたのだが、これを大判の420×300mmで挑戦していた。さらに、600×400mmまで大きな面で試してみたのだが、0,5mmに設定しても結果的に1mm弱 0,7か0,8mm程度までがやっとと言ったところだった。ここは一段の工夫が必要な場面だ。で、うろうろしながら再度加工用の道具を、点検していた訳で、この辺りからやたらに時間の過ぎるのが早くなった。


2006年8月4日 晴れ 34度
今日も朝から例の製作を進めた。時間があれば、お客さんからご依頼の凸型4段階段形式の隙間緩衝材用に、道具を工夫していた。問い合わせ分量からすると僅かだが、こう言った4段5段凸型の加工の可能性を考える為に、あえて取り組んでいる。確かに例え10段であっても、2個3個の製作なら、製作実例集のように何と言うことも無く製作は可能なんだが、問題は、如何に安く、如何に簡単に大量にそれが可能か、の一点に尽きる訳だ。かと言って、設備に金をかけて、自動の高い最新式の加工機など入れたところで、原価償却が乗るだけ無駄になるだろうか。どうせ、高い機械であろうが安いお手製の道具であろうが、基本動作は同じである訳だから、どのように動かせばいいかの基本の動きのコツが掴めれば良いだけだ。こうして幾つかのアイデアを急ぎで形にして行く場合、矢張り、機械の骨材部分は、木製で組み上げるに限る。やり直しが早いし、何と言っても簡単だ。こうして、他の作業の合間、そのサンプリングが出来上がるまで、アイデア一杯の道具を完成させ、微調整をこなして3日というところだった。
夏休みらしいお問い合わせも増えている

小学6年の子ども達が、夏休みの工作で、発泡スチロールのビーズを使って、何か形を作ったり、貯金箱を作ったりするのですがどのような発泡スチロールのビーズを使えばいいでしょうか

つくり方
@簡単に木工用ボンドと混ぜて固める方法
 発泡スチロールビーズと木工用ボンドとよく混ぜて、ねんど状にしてから、いろいろな形を型にして その周りに貼り付けて下さい 色付けは水性アクリル系の塗料をお使い下さい
水性絵の具でもOKです 
 ◎  0,5mm 2mm 4mm 6mm
Aおもしろ実験のページを参考の上 湯沸したお湯の入ったポットなどで発泡スチロールビーズを
  圧力をかけて再発泡させて形状をつくる
 ◎    2mm  4mm 
 
Bてんぷら油で溶かして柔らかくなった間に 井形に入れて冷やして形状を固める
  ◎   4mm  6mm
C発泡スチロールをペンキ屋さんなどでよく使うペンキ落としの「アセトン」をかけて
  収縮させる、井形に入れてからお湯で沸騰させてアセトンを飛ばすと、発泡スチロールは元の大きさに戻るので 井形の形になって固まる
  (オレンジのしぼり汁をかけると溶けるが、元にはもどらないで、油状態になってしまう)

ただし、AからCは必ず大人が付いて行ってください



2006年8月3日 晴れ 35度
今日も朝から例の製作を続けた。暑さの為か、どうしても作業性は落ちているのだが、頑張る他にない。工場のテント部分の修理がほぼ出来てから、雨らしい雨が無いので、雨漏りの心配がない」と言う実感が湧かないが、取りあえず前進なんだろうか。足元から地球規模に至るまで周囲の様子から業界のそれ、世界の状況と時々刻々変化しているのには、常に注意しなければならないのかもしれない。まあ、だからこうして少しでも分析的になれるような機会をつくって、日々新たなるものにと、書き込みも続けているのだろうか。しかし、それよりも現場を視て回り、聞いて回る営業マンの方が、さらに風見鳥のように時事変化に過ぎる様子をいち早く、確認しているのかもしれないが、どちらにしろ、問題は、この需給の流れをどうやって掴んでいくのかに尽きる。他に出来ないことを見つけ出して行く他にないのだが、、、、


2006年8月2日 晴れ 34度
今日も朝から例の製作が続いた。技術というよりちょっとしたコツを掴めるかどうか、そしてその積み重ね、これの為に毎日作業を止めることは出来ないものかもしれない。今日も例の改良型の試作の依頼があって、先日自作済みの加工機を再度作り直しとなりそうな具合だ。だから、これらの加工機も鉄板での自作よりも骨組みは木材に限る。試作の為の加工機の試作のようなものばかりだからか。例えば、例の球面加工機にしてもそうだ。何もここまでニクロム線加工にこだわらなくても、ペーパーで丁寧に磨いてやれば、球面は意外と綺麗に出せるようだ。となると、特に大掛かりで面倒なセッテングはせずに、ごく一般的なろくろで回転させながら削れば言いだけの話なのだろう。ポイントは「軽く、軽く、鳥の羽で磨くかのように軽く」だろうか。zzz、zzz、zzz、おっとここまで書いていてまた眠ってしまった。熱帯夜のような暑い寝苦しい夜、疲れが勝って寝てしまった。厭な夢を見ていた。きっと、テレビなどでもう何年も連続して地球の裏側の戦場の様子が出てこない日がないので、その影響だろうか、町内で祭りの準備をしているところへ、突然巨大な火の玉が、向こうから発射されて、避けようもない。余りにも急に飛んできたのだ。これはまずいなあ、と1,2秒の猶予もなかった。火の玉が、ブロック塀に炸裂し、爆音と炎が周囲に集まっていた大勢の老若男女を包み、これで人生終わったか、と悲しむ暇もないのが、現実なのか、と最後の最後という時に、まだなお痛く、そのことに関心している自分がいるのに、何でそんな余裕などあるものかと、ふと疑問が起きて、それで、目が覚めた訳だ。汗びっしょりになる怖い夢だった


2006年8月1日 晴れ 35度
今日も例の製作が続く。と、このあと書き込みを続ける前に、例の青森県のいかだレースの無敵常勝チームのO様からお写真を頂き、いかだレースの迫力ある写真をUPしてページを開いておりましたところ、随分と時間が過ぎてしまった。残念だが、Web2,0のお話は後日。では失礼


2006年7月31日 晴れ 36度
今日も朝から例の製作が続いた。夏本番だ。暑中見舞いを例年通り、まだ書けていない。何とか残暑の過ぎ去る秋頃までには出す予定だ。そして、早くも明日からその8月になる。梅雨が明けたのだが、ようやく18年振りにテント倉庫のテントが一部張替えを終えた。これで、青空状態になっていたテントからの雨漏りが無くなる。有難いものだ。そして、紙系のものも安心して倉庫に在庫できると言うものだ。どうも、なるほど確かに、Web2,0とか言うものの進化は、これまでの商売の方式を一変していると思う。まだ、日本では、日本語でないと動けない当社を始めまだまだ地球規模からすれば、かなり偏りのあるネットなのかも知れないが、遅かれ早かれ、言葉の壁が壁で無くなる時が一斉にネットにもやってくるのだろう。そうすれば、文化の障壁さえ乗り越えて、海外からの激しい追い上げは続くだろうか。一方で、会社が商売のようで商売でないような傾向も増えて行くのだろうか。その昔、ギリシャの特権市民階級が、自由を論じ、科学を論じ、人生哲学を論じて尽きなかったように、食う為に働かなければならない束縛から解放された層、団塊の世代や富裕層まで含む厚い層の広がりは、ひょっとして、会計上常時年度毎に赤字ばかりの続くような、奇妙な商売を容認して行くのではないかという疑問がある。趣味で商売しているようなと言うか、逆に最早、商売ではないもの、趣味で趣味の拡大の為に暮らしている層が、これから一気に増加しそうな予感だ。「もし、地球が100人だけの村だったら」これは2人か3人だけの話だろうか。もっともっと増えていくような予感、単なる個人的な推測か、、、、おっと時間だ


2006年7月30日 晴れ 36度

最初、このページには他でもない、Web2,0の進化形についてこれまでの体験を踏まえて、取り敢えず、一論を展開して行こうと考えていたのだったが、昨年から埃を被って壊れたままになっている壁のエアコンに向かって、カタカタと時々空回りのひどい扇風機と、両手に昨日町内の盆踊りで支給された よれよれの団扇とで、遅い梅雨明けの この暑い急場をしのぐには、何故だろうか、精神的に余りにも惨めなものが込み上げて来たからだろうか、気分転換に ふと、まだいつもより1割方増水が続く近くの天の川へ、片手に虫取りの網と、手提げの小さなバケツをスーパーの買い物袋に入れて丸めたものを持って、自転車にまたがって、いそいそと出掛けることにした。昼過ぎのニュースで近畿の失業率が前年比また増加に回ったとか何とか暗い話題を東京出身のアナウンサーが他人事のように話し終えたところで、アンテナが遠い昔外れて無くなって、代わりに針金をくっつけて伸ばしてこれまた急場をしのいでいるラジオの、まだ辛うじて雑音が混じりながらも聞こえる音声スイッチを切った後、玄関を出た。残念だが、麦わら帽子が無い。剣道で面を被る時に使う日本手拭いを姉さんかぶりにして日差しを避けること位しか、とっさに思いつかず、とっても井上陽水の『少年時代』の歌のイメージで昔に戻ることは恥ずかしながら出来ぬ夢となりそうだった。ようやく、天の川の川原へ出たが、増水で足はぬかるみ、ぼうぼうと伸びきった雑草には、濁流の痕跡が痛々しく土砂をかぶり、虫など何処にも飛んでいなかったので、ええい、とばかり虫取りの網で川の水をかき回して、何か魚でも取れないか川岸でごそごそしていた。増水はしていても、既に濁流ではないので、川の水は、さんさんと降り注ぐ夏の太陽の光を、きらきらと反射させて綺麗に見えた。時々もろこかフナだろうか、魚影が走ったので、追いかけて裸足で浅瀬に入ったりしたら気持ちが良かった。それで、そのまま網の竹の棒で、水辺の草陰をつついていたら、いきなり、大きな蛇がするすると顔を出して、川の向こう岸へ体をくねらせて泳いで行った。それを見て驚いて浅瀬の中で尻餅をついてしまった。ようやく、その蛇が向こう岸の草むらに隠れて 行ってくれて、起き上がった時には全身ずぶぬれになっていたし、姉さんかぶりの日本手拭いも流されてしまっていたので、そのまま天の川を引き上げる他なかった。井上陽水の『少年時代』の夏の思い出のようにはいかなかった。


2006年7月29日 晴れ 3時過ぎ通り雨 35,5度
今日も朝から暑い中、例の製作が続いた。通り雨は、何となく数年前から、雨粒が大きくて重く、量も多く激しくなって来ているような気がする。所謂、バケツ状態の豪雨が、雲の無いよく晴れた日の、昼下がり、急に曇ってザーと雨を落として、去っていくのだ。ただの通り雨なのに、大きな水溜りが、あちこちにあっという間に遠慮なく出来上がっている。通り雨なら、以前は、小一時間も排水路を賑わせば、また明るい夏の陽の光に恐縮してか、元の何も無い静かな状態になって呉れていたような気がする。ところが、最近は雨が止んでから、いつまでも排水路を泥だらけの水が流れていくのだろうか。夕方、ふと今日は町内の盆踊りがあるのを思い出して、作業を早めに切り上げて、いそいそと出掛けようと、そう言えば、今日は3時過ぎに通り雨があったのを思い出しながら階段の横の排水路へ目をやると、まだ、泥だらけの水が少し、この排水路は町の中を、どこから流れてくるのかよく解らないのだが、まだ流れていたので驚いた。


2006年7月28日 くそっ晴れ 35度
今日も朝から例の製作が続いた。ここでしか出来ない加工をひとつでも増やして行けたなら、それが技術力と言えるのだろうが、問題はいつも最終ユーザーのそのまた先、その先々へと続いている需給というか、何というか、経済なのか、そういったものまでつながっているいるものだ。だから、結果を、後出しじゃんけんのように、これだこれだ、と言って、はしゃぎまわるのも寂しい限りだ。何が売れて何が売れないか、大発明があり、大発見があり、飛躍的に社会が大きな歯車を動かすだけではない。何が売れ何が売れないか、そんなことが、最初から解っていれば、問題などどこにも無い。おっと、もう時間だ。では失礼。また他のページの更新で時間をつぶしてしまったようだ


2006年7月27日 晴れで通り雨2回  35度
今日も暑い中、例の製作が続いた。1週間があっという間に過ぎるので、我ながらあきれてしまう程だ。あれかこれかではなく、あれもこれもとしているので余計に早いのだろう。そして、こちらの書き込みだ。最近はHPでも、お気に入りに入れたHPが数が多すぎて、どれだけ入っているのか、てんで分からなくなっている。仕事が終わってから、それらを一通り目を通すだけでも膨大な時間の浪費になる。ので、そちらも体系的に整理しないといけないのだろうけど、何分時間がない。机について、こうしてここの書き込みを繰り返しながら、ふと途中で思い出して、他をチェックして戻ってくると、窓の外を新聞配達の人が走り去って行くのが見えた様な気がしたかと思うと、そのまま眠ってしまっているのだった。朝だ。そして、また今日の始まりだ。今日も最善を尽くす他に何もない。


2006年7月26日 晴れ 35度
暑い中、例の製作を続けた。先日科学未来館用に製作したくり抜き内径120φの液体窒素用皿の120φ刃を加工機から外して、今回依頼主ご希望の200φがセッテング可能なようにあれこれしていると、無情に時間と汗が流れた。、、、HPのトップに項目別に製作実例の実例番号を入れる作業を始めた。お客様からのお問い合わせが重なったためだが、これが結構大変な分類作業になっている。時間がない。では失礼


2006年7月25日 曇りのち晴れ 31度
今日も例の製作が続く。どうやら梅雨明けかなあ。と、うっとうしい空を見ながら、自家製あんころ餅すっとんすっとんとん加工機
での加工も進めた。また、自家製の櫛形ざっくりざっくり加工機も微調整を繰り返していたのだが、球面体加工機は、一旦停止した。夕方近くになると、以前ヤフーのオークションで安く仕入れた中古の木工用旋盤の改造に余念がなかった。これまた、現在空き時間を見て、発泡スチロールの例の200φ加工用に手を加えている最中なのだ。だから、時間がない。こちらのような中小企業で、設備費にお金を掛けても仕方がない。出来ることはすべて自前で自製、改造などをもって当たっている。ガスや溶接機が使えたらいいのだが、残念だがそこまでのスペースに余裕がない。だから、骨材は殆ど材木屋さんのお世話になっている。かたじけない限りだ。そうして、やれることは何から何まで、自家製改造で頑張っている訳だ。で、今回さらに、ちょっとした加工機の件で頑張って見ていると、おや新聞で、王子様が北を越えて娘を強引に、自分の御后にめとる話が掲載されていたので、びっくりした。さては、そう言うことで、静岡辺りで止まっているのだなあ、と強く合点がいった。セルパネの自家製加工機の件も梅雨が上がったら再開しなければならない。正しく貧乏暇なしか。高校の同窓会がこの週末にあると葉書が来ていた。丁度30周年らしいのだが、残念だ。何で参加費がこれほど高くなってしまったのだろうか、世の中格差社会で、人生ここまで来て、勝ち組に何とかぶら下がれた連中はいいなあ。我々ようなめったにない人生的貧乏症に発病していては、行きたくても行けないなあ。懐かしい面々が集まるのだろうなあ。いいなあ。行きたいなあ。みんな薄くなっただろうなあ。おっと、ご婦人方は、皆さんいつまでもお若くて、全然お年を召されていないだろうなあ。どうせなら、その官製同窓会の向こうを張って、こっちでも何かしてみようかなあ。そうだ、そうだ中学の同窓会は今度何時だったのだろうか。こちらの参加費は、上がって来たとは言ってもまだまだ庶民感覚が残っているので、またセルパネを担いで参加したいものだが、ああ、あと5年先か、、、。


2006年7月24日 梅雨のような長雨 25度
今日もお蔭様で朝から例の製作がとんとんと続いた。気温が上がらず、天気を気にしなければコンデションは大変良いのに違いない。暑過ぎない、扇風機もエアコンも使わずに作業に集中出来るのは助かるのだが、雨だけは、今頃になって、梅雨の本番入りのような状態が続く。今日が宵宮の大阪天神祭りもこれだけ雨ばかりでは、もうひとつ状態だろう。暑い時には、暑くなければ夏物は売れない。暑いときに暑くなければ、育つものも育たない。だから、この先、景気の動向が気になるところだ。うん、うん、こうして毎日書き込みを続けて5年も経つと、不勉強ながらも、徐々に世界、経済に関して知識と自分なりの考え方というものをまとめていく練習には断然有利に働くものだ。きっと、こんな書き込みの続けるメリットは、自分の為にあって、他人の為ならず、かも知れないと思う。こんな、一介の名も無い中小企業のブルーカラーの作業員でも、様々な各界各仁氏のご縁の広がりによって、よくよく世界が見えてきたのは有難いものだ。正しく、ネットは知識の宝庫なのだろう。次の一手を打ち易いのだ、有難いアドバイスだ。


2006年7月23日 終日降り続く雨 27度
先ほど、漫画家の鎌田洋次くんから連絡が入りましたので、紹介しておきます。得意の根性もの野球漫画ですね。双葉社の『漫画アクション』7月18日号から連載です。お近くの書店やコンビニ、又は駅の売店でお買い求めの上お読み下さい。くれぐれも本屋での立ち読みや回し読みは、本人の生活に響いてきますのでご遠慮ください。
以下鎌田くんからです

 「鎌田です。いつも俺の漫画の宣伝、ありがとうございます。単行本を揃えさせて申し訳ないです。 
  最近(7月18日発売)双葉社の『漫画アクション』に高校野球漫画を連載してます。『私のみんなの甲子 園』です。是非読んで  ください。
   ところで先週、(※)野球投げ勝ちました。6対5であっぷあっぷの逃げ切りです。 」



     ※日本の有名漫画家ばかりが集まって結成しています漫画家の野球チームでのことです。皆さんご存知の有名な漫画         家が大勢集まっているんですね。




06年7月18日発売 双葉社 『漫画アクション』より

『私のみんなの甲子園』

かわさき健×鎌田洋次

スポーツ漫画界の両雄が贈る
本格高校野球漫画!!




以下双葉社HPから
  『宮城県気仙沼にある母校「十八鳴高等学校」に
保健体育の臨時教師として赴任してきた綿谷しほのは、
10年前にマネージャーとして出場した甲子園の思い出を
強く心に抱いていた。一方、同時期に東京の名門野球部
から同校に転校してきた小田原康平は、甲子園に拒絶反
応を示していたが、しほのの指導の下、次第にその才能を
開花させ始める…。
東北の港町を舞台に繰り広げられる本格「ドタバタ」野球漫画!!





2006年7月22日 快晴 34度
大雨が一時的に上がり、空が西から次第に晴れてくると、向かいの赤信号の、一瞬、不気味な静けさが、周囲の街路樹に広がった中、その僅かな瞬間を突いて、ようやくこの辺りでも一斉に、蝉の鳴き声が、町の工場街の喧騒に季節のリズムを折りこんでいくかのように、今年も始まった。昨年よりも随分と遅れているような気がするが、こうして何千万年と続く蝉の鳴き声は、高々数十年の我々の生活圏での揺らぎなど、全く気にしていないのだろうか。こちらも、その鳴き声が始まって小1時間も過ぎると、耳慣れして、わざわざ夏の風情だと言った情感も何処へやらで、鬱陶しくさえ思えてくる夏本番だ。気温も途端に33度を越え、暑い中、作業が進まない。そこで、先に近くのコンビニまで出掛けて、150×120×60mmの板氷を買って戻り、例の盛岡のケーキ屋さんと結ぶ、20mm厚発泡スチロールの板で、ケーキの専用箱を包んで、中に入れた氷の融け具合を、盛岡のケーキ屋さんで確認して頂く実験の準備を始めた。外気温33度、40センチ×50センチ×15センチのダンボールの厚紙製ケーキ専用箱に、ビニール袋を2重にしてこの板氷を入れて動かないようにテープで接着し、上下と側面を20mm厚の発泡スチロール板で押さえて最後は、発泡スチロールも一応サンプル品なので、割れたり汚れたりしないように、上下をエアーキャップで挟んだ。早速、先方に連絡を入れ、了解を取ってから、宅急便を呼んで、クール便ではない普通の方で、明日着の予定で発送した。


2006年7月21日 雨のち曇り 28度
今日も例の製作が続く。実例集を更新していたが、予定時間が過ぎてしまった。残念だがここまでだ


2006年7月20日 雨時々さらに激しい豪雨 24度
バケツをひっくり返して元に戻してもまた、直ぐに万杯になる雨の中、今日も例の製作が続いた。相変わらずお問い合わせも続く。秋の文化祭などの準備が始まっているのも伺われる。「聞いてみただけ」と言った向きにも糞丁寧にお答えを心掛けているし、「名を名乗れぬ」向きにもそれなりの対応をしている。それでいいのだろうと思う。学校の自分たちのご予算をこちらなりに推測してとてもそれだけ大きなものは不可能だと直ぐに分かるお問い合わせにも素直にお答えを続けているが、激しい雨の音でしばし中断することもあった。そうだ、今日は学校関係は終業式が多いのだろう。待ってましたとばかりに夏休み、自由研究や、秋の準備に走り回る若者の後ろ姿が目に浮かぶ。時間がないか、あと1行いけるかなあ。世の中の情勢はめまぐるしく動いているなあ。あそこの国はどうなって行くのだろうなあ。では


2006年7月19日 雨時々豪雨 24度
今日も朝から例の製作が続く。かたじけなくも様々なお問い合わせも続く。そして、豪雨が続く。昼頃、一時的に雨が止んでと言うより小康状態になって、夕方からまた激しくなって来た。昨日、青カエルがこんなところに迷い込んで来てどうしたのだろうと、その後が少し気になっていた雨水の溢れた工場横の溝には、白い発泡スチロールビーズが流れ込んでいた。その浮かんでコロニーをつくっているのが雪のように見える。今年の始め、大雪が何度もあったのを思い出す。雨のこの降り方で、気温が真冬のように寒ければ、同じような大雪になっていただろうとふと思った。夏冬を通して降水量を見れば、今年は随分いっているのだろう。例年の平均的なこの辺りの梅雨明けが今日19日らしいが、全く明けそうに無いし、これからが本番のようだ。ひょっとして、このまま8月に突入するのだろうか。20数年前にも8月まで雨が降り続いた年があったのを憶えている。だから、そうなっても今年だけの特異なものではないし、温暖化によるのでもないと思いたい。さあ、あと少し、、、zzz、zzz、おっともう朝だ。


2006年7月18日 豪雨 25度
高校へ入学して1学期がもう直ぐ終わりなんだね。遅刻を何度もしたし、テストでは欠点が幾つもあったんだね。まあ、良いではないか。気にするな。遅刻しながらでも学校へ行ってたんだから、それで十分だよ。急いで交通事故に遭うよりましだ。急ぐぐらいなら堂々と遅刻しよう。休まず続けてあと少し、期末まで頑張れとは言わない。特に行きたければ行ったらいいし、行きたくなければ行かなくてもいい。好きなようにするさ。「高校が自分に合わない。」と言うが、それなら辞めて転校してもいいし、そのまま就職しても別にいい。まじめな君に夢を持たしてくれないような高校の先生が悪いんだ。一介の生徒の悩みに気が付かないで、平気で給料もらっている先生が悪いのだろう。世間では、一般会社員は多くがサービス残業でへとへとになるまで働いて、働いて、働き続けているのだ。生産現場では、たった1個の不良品も作れば、どれだけ上司から袋たたきに合うことか。まだ、16歳なら、やり直しはまだまだ100回ぐらいは出来るだろう。時間はあり余るほど沢山あるんだから。しかし、だから、高校は合わないからと、結論を急ぐ事もないのかも知れないよ。例えば、高校へ入学して、たった数ヶ月で本当の友人に出会えるなんて、テレビの連続ドラマじゃあるまいし不可能と断言しておいた方が良いのかも知れないし、偶然集まった教室空間で一体何人と、人生までを語りあえると言うのだろう。甘い虚像を高校生活に抱かないほうが良いのかも知れないけれど、ちょっと君は周囲を、自分にとって、取るに足りない、こうなんだ、と独断してはいないだろうか。何故なら、同年代の若者が、何百人も一同に会することは、めったに無いんだということをこれから30年も過ぎると、強く思うからだ。人工的な同年代ばかり寄せ集めた空間に、3年も居ることが出来るのだ。これは、ある意味でラッキーではないか。それに比べ、社会に出て、多くの時間を仕事に奪われて、人と人との出会いと言っても、たかが知れているし、次々に何百人の同年代に話が出来る職場は限られている。多くは営利がどうしても絡んでしまうのだ。
zzz、zzz、zzzまた眠ってしまった。ではまた


2006年7月17日 豪雨 24度
雨の中の祇園祭の山鉾巡行は4年振りらしい。今日は終日大雨だった。これから神戸のパレードがあって大阪の天神祭りがあって、夏の暑さもピークとなるところだが、今頃になって梅雨末期の豪雨だ。これが上がれば、きっと梅雨明けなんだろうか。暑中見舞いの書状は、梅雨明けしてから出すのが礼儀だから、まだしばし、時間はありそうだ。最近は自動の便利な葉書き書き器が出来て、HPを始めてしばらく中断していた暑中見舞いも一昨年から、まあ形式だけ、極身内にさーと出すだけのような程度なんだが何とか、再開した。そして、今年も準備をしようと思いながら、結局時間だけずるずると過ぎてきた。早いものだ、1年の半分は、こうして過ぎてしまったんだ。また、水谷修先生のDVDドキュメント『夜回り先生 水谷修先生のメッセージ2 生きていてくれてありがとう』を延長でレンタルし、最後まで見ていて、一日何も手につかず、考え込んでしまった。同じ年齢の49歳だ。だがそこには全く違う生き方があった。ただそれだけなんだが、重い課題に、ひるまず向かって行く姿に共感せずにおれない。こちらは発泡スチロール屋に過ぎない。単なる第2次産業の物つくりに携わっている者のひとりではある。だが、こんなHPを立ち上げて、様々な所からお問い合わせが入って来るようになって、この4年の中で、1,2件ひょっとしてそれらしい生徒さんからのSOSだったのか、実際のところはよく解らないのだが、そんな問い合わせがあったのは確かだ。逆に言えば、教育現場と言うのは、相当病んでいるのだろうなあ、と推測もできるのだ。それで、このDVDを見ながら、もし、また生徒さんからのSOSがこんなHPにまで転がり込んで来た時の為に、現場の事をささやかではあっても、所詮畑違いなことではあっても、自分なりに、こんな時、そう返事を返してあげよう、などと勉強していた訳だ。


2006年7月16日 晴れ 3時ごろ強い雨 37度
暑さのせいだ。」そう自分に言い聞かせ、横になったまま天井の1本だけ切れかけた蛍光灯を見ながら、つまらないことを考えていた。所詮、発泡スチロールと言っても石油系の商品であるのだが、他の商品自体が石油系でなくても、その製造において、或いは流通において石油は無くてはならない。門真のれんこん作るにしたって、軽トラックで往復しないといけないのは当たり前だ。
京都で藤田嗣治の印象派だったか写実派だったか近代絵画展を開くにしても、絵画をフランスから空輸するんだ。いずれ、入場料に跳ね返って来るのは石油の値上がりだ。昨日、原油が一時78ドルまでなった。そのうち、この分だと100ドルを付けることもあるのだろうか。ガソリンスタンドでは、2倍どころか、2割程度しか上がっていないので、この実態は全く見えにくいが、元の原油は、2年位で3倍になっている。驚きだ。だから、石油関係、特に、石油系の商品を扱うような、元に近いところは今は、何処でも大変なはずだ。海外、特に中国辺りからの安値に抗して、どこも売値は叩かれて、容易に転嫁できないのに、仕入れはどんどん上がって行く矛盾が起きているのだ。何で、海外から安値の商品を入れて、国内では海外の安値商品に合わして、値を下げなければならないのだろうか。値段を下げなければ売れない現実、材料費が上がり、製造経費が上がり、売値は安い海外商材に、何故合わせなければ売れないのだろうか。残念だが、これが資本の論理なんだろう。世界はどんどん小さくなって行く。、、、、、zzz、zzz、zzz、とここまで書いていて眠ってしまった。おっともうこんな時間だ。NHKのロボットコンテストが始まる時間だ。東京農工大の競技練習用に当社製作の発泡スチロールブロック加工品をお使いだ。そして、2連覇の東大を決勝で破って、思いがけない優勝をされたそうだ。楽しみにしていた番組だ。では失礼


2006年7月15日 晴れ 36度
もう朝だ。何とか、数行埋めて体裁を保ちたいものだがどうだろうか。きょうも砂漠で熱砂を巻き上げたような暑い中、急ぎの例の製作が続いた。梅雨入りしてから長雨らしいものがなかったのだが、徐々に気温だけは例年の糞暑いところまで上がって来た。梅雨前線は北陸あたりだと言うので、これからがこの辺りも雨は本番になるのだろうが、まだ おしめり程度しかないから、余計に不快指数がどんどん上がる。暑い、会社の扇風機の風も意味のない熱風が羽の周囲だけに、カタカタと今にも止まりそうな音をさせながら、それこそ申し訳程度に吹いているので、ただただ、水分を補給し、体力の減退に備えながらの作業だ。ようやく仕事に一段落つけて帰宅しても、自宅のエアコンは昨年から壊れたままだ。よくまあ、、、修理にも出せず、冬は数千円のやぐらコタツでしのいだ。春には気温が上がり、しばらく、壊れたエアコンの事を忘れていることが出来た。それでも、さらに気温が上がり、蒸し暑い熱波の襲来と伴に、大変残念だが、忘れかけていたエアコンの存在を意識せずにはおけなくなった。首振り扇風機に両足をかけて、かっちんかっちんと無理に首振りを静止しながら、扇風機に当たって、左手で団扇をぱたぱたさせながら天井を見ている。ふと、眠ってしまったのか、気がつくともう朝だ。


2006年7月14日 晴れたり曇ったり夕立も 34度
暑い中、お茶を飲みながら今日も例の急ぎの製作が続いた。そして、今日も続けて、実例集の件で「最近、多いねえ」との声を聞いた。そこで「多いから安心です」と素早くお答えしたのだが、どっと受ける笑い声に変わっていた。こう言ったHPで一番参考にされるのは、実例写真かもしれない。そんなお声を聞く度に、力が入る。夕方、アメリカから電話。最近では距離感が以前とは相当いびつになってきたのだろうか。ちょっと、コンビニに おにぎりを買いに行く程度で、アメリカのコロラドか何とか砂漠か知らないが、ふらりと出掛けて行く向きもあるのだろか。しかし、一体どうしてだろうか、電話の向こうから聞こえてくる声は、何と親切で親しみの篭ったお声なことだ。耳をそばだてて、よくよくお聞きしてみると、はるか遠方のアメリカの砂漠から聞こえてくるのは、新聞や専門の科学雑誌などによく掲載されているのでご存知の方もあるかも知れないが、例のアメリカの砂漠にとんでもない大きな電波望遠鏡を設置して、宇宙の謎解きに日夜頑張っておられる例の先生だった。が、後から考えると、少し失礼だったかもと思いながらも、くすっと、思わず笑ってしまった事に後悔はしていない。しかし、この点は、これからの自分の進路に真剣に悩んでおられる若い学生さん方には、特に強調しておきたいのだが、やっぱり、自分の夢を持って仕事に当たっている人というのは、大学の先生であろうが、材木屋さんや大工さんであろうが、肩書きには関係なく、何ともいえない、聞こえる声に明るさと うきうきしたような楽しそうなところを感じるものなのだ。実際の細かい事業推進のご苦労は、はてさて全く解らないのだが、看板を見ただけでも、実に夢がある面白そうなお仕事ではないか。人は見掛けで決まるのだろうか。夜空に輝く幾千万の恒星を眺めて過ごす仕事だ。「わー、綺麗な星だなあ。あの、何億光年の遥か彼方から飛んでくる星の光の何と美しいことよ。」そう毎晩ため息をつきながら好きな仕事をして何十年過ぎれば、きっとこの先生のようなお声が出来上がってくるのだろうか、確かにそう思えることも実際にあるのだ。おっと時間だ


2006年7月13日 晴れ 32度
今日も例の製作が続いた。別に、この文言で始めることにしている訳ではないのだが、一日を振り返って何をしていたかと言えば、その大半は黙々と、もの作りだったので自然とこうなるだけだが、今日もお問い合わせがあったが、沢山作っておられますね、と実例集をご覧になりながら、感想を頂いた訳だ、が、実は実例集には、まだ少ししか掲載しきれていないのが、実情だ。ようやく、400台になり、あと70程で500の折り返しになる所だが、元々カメラマンでも何でも無い素人なので、1個づつ全てを写真に収めるというのは土台無理な訳だが、空いたちょっとした時間を見て、努力、努力と手弁当でカメラに収め続けているだけだ。これが、1000程度になれば、もう一度、ジャンル毎か、或いは、形状毎かに、整理する予定だが、中々そこまで進まないが、メインの仕事は、蒸し暑い中、今日も例の製作ではあった。そして、有難いことに様々なお問い合わせが続いた。


2006年7月12日 曇り時々雨 29度
今日も例の製作が続く。こうして、毎日があっという間に過ぎるのは良いことだろうか。、、、、どうあれ、練習の成果でもないが、毎日書き込みを続けてくると、時間さえあれば、だらだらと幾らでも文章が書けるようになってきた。読んで為にならない駄文なら誰にも負けない自信も沸いて来た。しかし、それでは唯の自己中に過ぎないが、そしてここでは、自己中心的に書いていればいいのだが、継続していればいいのだ。頭の体操には充分になっている。では失礼


2006年7月11日 曇り 31度
蒸し暑い中、今日も例の製作が続いた。以前より不思議に思っているのだが、お問い合わせと言うのは、重なって起きる現象を習性としているのだ。それは、特に月末とか五トビとは無関係なのだが、突然のように、それは飛び込んで来るのだ。そして、日本の西と東から、地政学的に全く無関係の立場から、似たような形状のこともあったりするのが、実に不思議だ。まあ、本来関係性の皆無なところに法則を見つけようとしても、余り意味がないが、確率分布として少ないデータでは意外な展開にどのような法則性を見ることも可能かもしれない程度で良いものだ。zzz、zzz、zzz、ここまで書いていてまた眠ってしまった。夢の中で、着物を着て、ベレー帽に革靴の出で立ちで、絵筆を持って絵描きをしていた。神社の境内に腰を下ろし、薄汚れたキャンバスに何か下手な絵を描いていた。そうだ、その光景は、先日行った象のうんちに触れるうんちの動物園だ。確かに、キャンバス片手にデッサンに忙しい学生さんが、広い園内に散らばっているが、結構沢山見かけたものだ。夢の中では、その後、岡山の横山君の下宿へ自転車を飛ばして遊びに行っていた。見慣れた3畳一間の下宿の扉を「おーい、来たぞー」と言って開けようとするのだが、何時もと違って鍵がかかっている。ベニヤ板一枚の扉に貼り紙がしてあって、”ヒトリニナリマス”とある。また、山にでも登りに行ったのだろうか。、、、、ここで目が覚める。


2006年7月10日 晴れ 32度
晴れたり曇ったりだが、雨はない。かと言って、例年の梅雨の中休みの時のような真夏の先駆けの”うだるような”の形容がぴったりの 35,6℃を越える厳しい暑さまでも行かない。そう、ぼちぼち蝉がぎんぎらに啼いていても良いものなんだが、雨も降らないのにカエルだけ無性に鳴いていて、反面、向かいの竹薮に生えた、何の木だろうか、”この木何の木、気になる、、”ですが、樹液に集まったクワガタムシが7月に入って10日で27匹も取れたと、連れの親御さんに自慢する小学生が、やたらに大きな声で「こんなの始めてだよ」と騒いで窓越しに通り過ぎる声が、どうも いつもの夏と違いそうな夏を 敢えて今年は迎えようとしているような予感の方に、そんな一言でそれとなく自分なりの確証が取れたからと、早合点の清き賛成の一票を無造作に入れようとしているのだったが、それでもやっと、その耳元の雑音のような音声に気が付くと、京都でも例年の山鉾の長刀鉾から組み立てが始まったというローカルなアナウンサーによるローカルなニュースが、ローカルな人民達のために、機械的にラジオに流されていたのだと解ったので、時々刻々と過ぎる時間は正確無比なんだと、ふと改めて我に返りながら、今日も例の製作を続けた。馴染みの材木屋さんからは、材木のHPを立ち上げたいが「何かアドバイスは」と意見を求められたので、2002年から足掛け6年も続けているHPで、ここはこうした方が良いのではないか、と言った重要なポイントを数点特にお伝えした。それについては、後ほど後述したい。時間がない。私と同じ歳の例の水谷先生の『夜回り先生云々』のレンタルDVDが今日までに返却しなければならない。残り20分ほど残っている。では失礼


2006年7月9日 晴れ 32度
多忙な中、時間が無いと言うのに、朝から象のうんちが触れるというので、あのうんちの動物園まで出かけた。一体いつ頃からこんなことが出来る様になったのだろうか。よく判らないが、企画としては、大変面白いものだと、この象のうんちを触りながら、痛く納得した。
もう、メジャーなマスコミ他で何度も紹介されていたのだろうが、この面白い企画を思いついた人は凄いものだと象のウンチに触った後、蛇口がライオンの頭になった水道で手を洗いながら改めてつくづく感心した。まさに、動物園に来場される大勢の人達が、檻の外から、動物達が、日常何気なく、或いは気持ちよくしているものに、遠くから観ているだけではなく、触ってみられる、と言うのは、意外性があって面白いし、動物の一部に触れることで、何となく親近感も湧いて来るというものだ。こんなに印象に強く焼き付いて離れないものがあればいいのだ。HPの制作においても、この視点が重要だろうか。ネットの内側と外側を如何に近づけるか、来場者を獲得し、以後へ繋げていくにはどうすればいいのか、「象のウンチに触ってきたよ」と言えば、これだけ強烈なインパクトなら、もう一生忘れないだろう。そんなのが必要だ。


2006年7月8日 晴れ 32度
今日も空いた時間を例の製作に使った。途中、方針転換して、近似球でもいいから大型球の組み立て用ブロックは出来ないものかと試行錯誤していた。効率はどうするのが一番いいか、何度も何度も試していて、最終的に写真のような形状のカット加工にするのが、ベストでなくてもベターだと思った。1600φの近似球の一部になる。こうすれば、定型ブロック2本半分から切り出した810×420×200mmのブロックを計24個使えば出来る。
作り方は、
810×420×200のブロックを、810×200の面を対角に斜めに2等分し、向きを揃えて縦に2段にする。これを800R1600φに切る。12個で24個の800Rの弧が出来る。角は15度だから24個で360度、近似球の上半球が出来る。同様に、下半球の製作をして、重ねれば、1600φ球になる。また、800Rの弧は厚さ118mmにしたので、同時に682Rの球も出来ていることになる。
加工の作業からすると、これが一番簡単に思われる。さらに幅400mm程の各パーツに分割して同じものを加工した方が歩留まりがいいのではないかと、あれこれしてみたのだが、出来上がりの数が同じだった割りに、加工の工程がやたらに増えてしまうようだった。だから、弧を切って行く方が単純作業で出来て早いと思う。

写真は800Rの弧を4個張り合わせたものだ。810×420×200のカットしたブロックを2本で出来る。
だから定型ブロック1本で、810×420×200は、9個取れるので、2本半とちょっとあれば、24個で材料は十分だ。最終的に表面をサンドペーパーなどで磨けば球に近いものに出来上がるだろう。加工用の道具としては、800Rの型の板を2枚 682Rの型の板を2枚、ニクロム線の熱線カット器(少し大き目ですので、ご自分でご用意する必要がありますが、簡単です。要は、弓の弦が、糸ではなくて、ニクロム線を張ったもので、絶縁に気をつけて、それに電気を通せばいい。電気は、100ボルトを電圧を10ボルト程度に変圧器を使って落として使います)、スライダックス(可変変圧器)、これはヤフーのオークションなどを見ていると2,3千円程度の中古がよく出ていますので、それでいいと思います。弓は60センチ×60センチ程度のコの字型に組んだ木片に両端にスプリングをつけて、ニクロム線を張ります。スプリングは、ニクロム線が熱で延びても垂れ下がらないようにする為のものです。
こちらは、先日完成した難燃材で作った800mmφ球です。


2006年7月7日 曇り 30度
時間が直ぐに過ぎてしまい、バタバタしているだけで何とも空回りのような終日。一日を終え、見っとも無くも、矢鱈と時間の過ぎるのが早いとばかり繰り返し、こぼす。石油がまた上がり、インフレ傾向は一段とはっきりして来たと言うのに、我々中小には、世間の景気とは丸で無縁の所で左右される現実に、腹立たしくも地団太を踏んでいても仕方がないと、何をあくせく、何を右往左往しているのだろうか。こんな時には、自分の運を信じる他にない、とそう強く言い聞かせた心算が、却って、その重さに耐えられなくなって貝のようになるのは何故だろうか。だから時間の過ぎるのが早いのだろう。それとも、残念、その言葉が出てこない。その青二才そのままの崇高な志しと自負する目標の言葉が出てこない。土佐のあの坂本竜馬が口癖のように言ったではないか。福沢諭吉もそれを口にしたではないか。熊本の西郷はもっと激しく言っていたのだ。それなのに出てこない。まるで出てこない。これでは、フランスのシモーヌベーユが言ったように「不幸な沈黙」になってしまう。だから、あれを思い出せ。思い出せ。、、、、、、zzz、zzz、zzzまたここまで書いて机で寝ていた。おっと時間だ。ではまた。


2006年7月6日 曇り時々雨 28度
今日も朝から例の製作が続いた。先日の豪雨でずぶぬれになった例の装置については、まだそのまま状態だ。時間が出来れば再度、何度でもやり直しして行きたいものだが、どうも時間がない。よくあるお問い合わせの、ブロックを大切りする為のニクロム線カット用に、どのような道具を使われているのか、にお答えするために、イッソ、こちらも、学生さんでも直ぐに出来るようにと、手作りの道具の実例を公開するページを準備しているが、これも少しずつしか前に進んでいないが、何とか、近じか立ち上げたい。と、終日ばたばたしながら過ぎた。で、残念だが疲れが出て、昨日、まるで魘された様な勉強したいという気持ちは、早くも一日でメッキが剥げてきた。この歳でもう一度、受験勉強というのは、開いた口が塞がらない程、メチャ無理なのだろうか。こちらも、正面きってでは駄目だろうと考えて、本棚の隅に積読状態で埃をかぶっていた和田何某の『受験勉強の指南何々』という文庫本を何十年振りだろうか、引っ張り出して来て、何十年振りかで初めて中を開いてぱらぱら見ながら、49歳から始める大学受験勉強の作戦を練っている内に、快い眠気に襲われて、途中で眠ってしまったのだが、どうしてだろうか、迂闊に眠ってしまったと言った後悔は今日は余り無かった。


2006年7月5日 曇り時々雨 29度
で、今日も何かと、ばたばたしている間に一日が過ぎていった。例の製作も例の如く続いた。1日の過ぎるのが早いのに比例して1週間の過ぎるのもミサイルのように早い。この分で行くと、一生もきっと『板張りの垣根の板と板のわずかな隙間から馬車が猛スピードで通過するのを見ているようなもの』との論語の故事のように、あっという間に終わってしまうのが人生なのだろうか。帰り遅く、今日奈良の、熱血ばんばんな頑張り屋機関車トーマスのような中学の先生からの「発泡スチロールのブロックを使うのは始めてですので、何かアドバイスを」との有難いお電話に、つい、先生のエネルギーに促されたのだろうか、憧れたのだろうかよく判らないが、わざわざレンタル屋へ回り道して、結構有名なあの『夜回り先生、、、、』のビデオを借りて来たのだった。見ているとどういう訳だろうか、こんな年齢になって、また勉強をやり直そうという気持ちが沸いて来たのは、一体何故だろうか。また、学校へ行って勉強をしたくなって来たのだった。


2006年7月4日 晴れ 32度
今日は例の製作が続いた。打って変わって快晴で気温も上がった。昨日の豪雨でふやけたダンボールを天干ししていたのだが、到底元に戻らないので、諦めた。開発とはそんなものだと、割り切っていく他にない。また、態勢を立て直そう。そして、例の製作の合間を見て、次の企画の準備を進めることにした。昔、発泡スチロールの技術アドバイザーのKさんが「改善はなぜなぜ何故の繰り返し」という標語を看板に講習会を何度か開いたことがあったのを思い出した。アイデアを出すには、幾ら気張っても仕方がないものだ。しかし、どこから ひらめきが出てくるのだろうか。


2006年7月3日 曇りのち豪雨  29度
今日も例の製作が続いた。また、空いた時間に例の加工の可能性を試してみた。正攻法ではとても取っ組み難いものだったので、どんな工夫をつけるか、それのみが課題だった。3時15分過ぎ、突然のようなとても激しい豪雨がやって来て、約1時間ほど続いた。台風でもないのに、今までに かつてこれ程激しい豪雨は聞いたことがないものだった。外の景色は「雨」と呼べるようなものではなく、雨音にしても、突然ガードレールの下で列車が通過したものに似て、 余りにも急激な轟音に耳が麻痺して、まるで水中に居るような異様な環境音楽に聞こえたし、空から幾筋もの水で出来たロープが地上と雲の上とを密集して渡しているようなもので、全く前方が雨水の為に見えなくなっていた。これが、集中豪雨だなんて誰が名づけたのだろうか。周囲から少し低くなっている工場敷地には、一気に濁水が噴出した。一瞬「はっ」と嫌な思いが走った時には、既に手遅れだった。セルパネの自家製獅子落とし加工機が半分水に浸かってしまったのだった。迂闊だった。正しく、災害は忘れた頃にやって来るものだ。解っていた筈だった。ほんの2センチでも嵩上げして設置しておけば、加工機のメインの部分のダンボールの箱とその仕組みの所は、何とも無かったはずだ。豪雨であふれた雨水が、容赦なく肝心な装置のところに あたり続けているのを見て、「がく然」とした。じわじわと水が染み込んで駄目になっていくのは、何年も賭けて来たあらゆる努力だった。


2006年7月2日 大雨のち曇りのち晴れ 32度
恐らく、そうではなくて、このページには延々と、そして坦々と、製作上のヒントになるようなことを書いていけば良いのかもしれない。それ以外のことは一切必要ないのかもしれない。と見れば、何年にもわたっての書き込みだが必要なところ役に立ちそうなところは、数える程度だったかも知れない。これじゃーなにかと考え直そうとあれこれ思案していたのだが、残念だが、早くも時間切れのようだ。更新ページを一人で4ページも確保してしまうのは無理がありそうだ。午前中の激しい豪雨の為、故障して壊れたままになったエアコンを眺めながら、「この雨ならまだエアコン無しでも済みそうだ」と、如何にも貧乏格差の中に埋没したような発想で今日も乗り切りそうだったが、どうしてだろうか、次第に雲が切れ昼から良い天気になった。気温は上がり、蒸し暑く、にじむ汗に完全にダウンとなって無駄に一日を過ごした。もう今年の折り返し点を過ぎたのだなあ。


2006年7月1日 雨 27度
今日も例の製作を続けた。昼過ぎ、あの例の材質での1m近いものを周囲10mm削り落としを500個近く、急いでしてほしいとのお問い合わせが都合2回入った。その材質は残念だが当社の守備範囲から外れてしまうのだが、お客さんとしては相当急いでおられる様子だった。お話をお聞きする他に無かった。で、その電話の後、じっと考えた。今後の為の課題を提供頂けたんだ、と前向きに、そう捉えようとした。ネットを通してこれまでも様々な驚くようなお問い合わせがあった。その度に、出来るだけ前向きに捉えて進んできた。これを何年と続けていけば、確かに我ながら勉強になるものだ。
800φの加工例だ。自家製の機械の動きを確認している。



2006年6月30日 晴れ また暑い32℃
暑い日が続くのだが、何年か前のように、この時期、暑くなればさらに暑く、あと3,4度は上に飛び越した暑さが、日常的にあった過激な夏のような暑さではないようだ。空梅雨でもなし、少し早いのだろうが梅雨末期のような激しい雨の日もあったし、それなりの空模様の中、今日も有り難いことに例の製作が続いた。とんからりん とんからりん とん とんからりん とんからりんの機織機械のような機械音のする在庫積み上げ作業も続いた。例のお客さんからご依頼のあったサンプルの試作にも漸くの目途が立って、この利用方法の全く未知数のサンプルを取り敢えずお送りした。結果が楽しみだ。時間が無い、この辺にして実例集の更新に移る。では


2006年6月29日  晴れ 蒸し暑い32度
今日も例の製作が続いた。お客さんからのお問い合わせで発泡スチロール関連書籍のお薦め本のなかで、『水栽培 野菜づくりの愉しみ   土がなくても野菜は育つ』と言う本が相当高値でプレミアがついていると知り驚いた。私のは、手元にいつも持ち歩いているのでぼろぼろになっているが、光都市設計事務所の鈴木さんに頂いたものだ。何年か前、小学校の時の同級生だった、当時よりそれはそれは凄い美人だと学校中で評判だった或る女の人があの研究所のその担当の方の奥さんに納まっていると知り、超チョウ チョウーびっくり仰天したことがあったのだが、その担当の方が研究されていたのが、水耕栽培であった。幾つか仕事でご依頼されたこともあって、それであちこち文献を当たっていて、資料も集めたりしていた時だったので、大変有り難いと思ったのだった。以来、この本は毎日持ち歩いている。その内、仕事に一段落がついたら、再度 水耕栽培のページの更新をして行こうと心算をしているのだ。zzz、zzz、zzz、、、、おっとここまで書いてまた眠ってしまった。何故か、会社の近くの深く暗い竪穴の洞窟に住んでいた。風邪をこじらせて、病院へ行く夢を見た。病院の廊下で、医者とどこかの3,4歳の娘さんの両親が立ち話をしていた。その娘さんは脊髄損傷で手術を必要にしていた。深刻な話のようだった。すがる様な表情で母親が「私の脊髄を娘に使ってください」と懇願していた。何と親とは強いものだ、そう夢の中でうなずいていた。目が覚めてもまだ、2度3度とうなずいていた。もう3本夢を見て寝苦しい蒸し暑い夜が明けた。


2006年6月28日 晴れ 31度
そんな訳で今日も朝から例の製作が続いた。昼頃、テレビで『純情きらー』を見ようとしていると東京大田区の町工場の話が流れていたので、面白そうだったので見ていた。東大阪の町工場と違って、画面に出てくる建屋は鉄筋コンクリートの数階建てっていうのが多いなあと思った。東大阪では、未だにガレージの一室を工場にして頑張っているところが多い。『オールデーズ 三丁目の夕陽』を今だに引きずっているところはゴロゴロしているのだ。矢張り東京は景気がいいのだろうか、建物まで立派になっていると思ってしまった。まあ、我々のように年がら年中仕事仕事で余り遠出が出来ない者にとっては、それでも画面に他所の風景を見学出来るだけ有り難いのかもしれない。 おっと、時間だ。実例集も更新が進んでいないなあ。では失礼













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