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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                              

2005年11月7日 何と言う晴れか 25度
今日も様々なお問い合わせが続く。有難いものだ。ところで、このページは、何か役に立つ事を探して来て書いてみたり、よいことを思いついたりして読み手をうならせるような事を淡々と書いていくのが、或いは大事かもしれない。しかも、それを毎日だ。延々と毎日だ。例えば、昨日書いた大手企業の対中国進出がピークを打ち、微妙に変化を始めたと書いた矢先の、仏暴動の欧州への飛び火についてだが、このことを論じるに、後世の歴史家は何と書くだろうか、と推測することは、面白いだろうか。えらい硬いなあ。発泡スチロールの15倍品並みかなあ。___ちょっと書いてみよっと___そう、理想と現実の相違、フランス革命の自由平等友愛の御旗の下で、旧植民地からの大量の移民の流入を自由に容認したが、その安い賃金とひたむきな労働力で、国家の国力はかろうじて、維持されたのだろうが、逆に社会の格差は広がり、折角金儲けの為にフランスへやって来たのにロクな仕事にも就けず、彼らの不満が爆発した、と言うわけだ。世界で民主主義の最も進んだはずのヨーロッパ、そして憧れの都パリでこのような事件が起きること自体、今年、世界の銀行であって大金持ちの国アメリカで、ハリケーンがニューオーリンズを水浸しにした事態と共通項を見てしまう。そう、その格差の広がりと次々に起きるその露見だ。本当は中国で起きた反日も、それ自体が主要なことではないのだろう。何故なら、日系企業が対中国進出と叫んでも、台湾或いは華僑等による対中国投資に比べれば、ずっと見劣りするからだ。それよりも、国内で相当格差が広がっていると見るべきだろうか。正当な商業活動の結果、世界の何処でも、我々はただ、働いて金儲けをして少しでも生活が楽になればいいと思って頑張っているだけなのに、、、、世界で同時に何が起きていると見るか。もう明らかだろう。いつまで続くのだろうか。今日も世界で激しい富の移動が起きている。血を流す戦争と血を流さない経済戦争。あらゆる競争の中で、片田舎の中小企業と言えども手綱を緩めるわけにはいかない。

 「逃げよ逃げよ すべてのジュネーブ」 誰が言ったか今昔 いまはた思お はなのパリ いつ見たとてか憧れの


2005年11月6日 雨 19度
○経連だったが、大手企業の対中国投資意欲で、今後中国に進出を希望する企業が、90パーセントから82パーセントに少し下がり、逆にインド、ベトナムが10パーセント上がったらしい。なるほど、ぼちぼち2010年問題が、警戒され始めたのだろうか。今から新規に投資をしても芽が出るのに遅くなると4,5年かかるかもしれないからだろう。流石に、大手は情報量が違い、素早く対応するところもあるのだろうな。まあ、我々のような中小にはマクロの影響以外、ほとんど無関係だろう。しかし、その微妙な変化が始まっていることだけはしっかり、把握しておく必要はありそうだ。何しろ、今では国内景気を支える殆どの商材は中国製ではないか。歳末セールのガラガラで当たっても、ああそうか、程度の末等の景品の洗剤にも小さくMADE IN CHINA と印字があるし、大体何で消費者の味方の○協の販売品に中国製が多いのだろうか。それで、日本の多数の生産者の味方なんだろうか、よく解らない。世界がグローバルスタンダードには行かないのはほんの50年程度歴史を振り返るだけで理解できるものだ。今後も同様な流れが続くと言うのは甘すぎる。中国の人もアメリカの人も頭がいいよ。そう、どんなに小さな会社であろうと、マクロの現状分析と情報収集は決して欠かさないこと。これは大事だな。「よーく考えよー♪お金は大事だよー♪」アメリカンファミリーのアヒルは、どうもよくないなあ。気のせいかなあー2010年問題。


2005年11月5日 晴天 うそのような24度
朝から例の在庫積み上げ作業は続く。汗が出るのは引き取りに見えた材木屋さんも同感でこの時期にしては、何か越えてはいけないラインを越えたような昼間の暑さだった。2,3日だけでなく、ずーとこの暑い昼間の気温が続いている。異常気象、地球の温暖化なのだろうか。今年は3月ごろから雨の降り方も、亜熱帯 サバンナ地方のスコールのような雨が多かった。それに雨の少ない梅雨があって、雨の少ない割りにドカンと集中して降るので月平均はそれほどでもないようだが、向かいの竹林の乾きようを見ていたら、肌色に変色した枯葉が多いので、相当水分が不足しているのがわかる。夕暮れ時にこれは懐かしい濃霧かなと思ったが、何のことはない近くで野焼きをしているだけだった。、、、どうあれ、われわれ中小企業に働くものは、日々頑張ってものつくりに励む他ないのだろうか。そして、今日も遅くまで例の製作が続いた。昨日、いつもはつまらない 金にならない値上げの話しか此の頃したことがない発泡スチロールのメーカーの営業マンが、こちらの自家製加工機を使っている時にひょっこり遣って来て、傍でまた、今日もつまらない事を捲くし立てるのかと無視を決め込んでいると、「そういう時は、こんな事をすればいいのではありませんか。何処かで見かけましたよ」とすごくひらめきのヒントに成るような値千金の一言の助言があった。それで、なるほどだ、流石、伊達でうろうろしているのが営業マンではない、とその改良に大いに役立つヒントに痛く有難くなったものだが、空いた時間を見計らって、早速その改良に取り組んでいた。この改良が上手くいけば、この自家製加工機もほぼ完成の域になる。次は、あの件に取り組まなければならない。


2005年11月4日 朝霜昼冷房の秋晴れ 25度
引き取りに来られた近くの材木屋さんが、「11月だと言うのに半袖や」と汗をかきながら断熱材を積み込んでおられた。寒くないのではなく、暑い一日だった。有難いことに、今日も例の製作に追われていたし、面白いお問い合わせも幾つも続いた。先日の岩を作りたいのお問い合わせの方は、どうなさっただろうか。工業用のドライアイスを大量に購入したらしい。そして、発泡スチロールの中へ全て放り込んだそうだ。大変残念ですが、本当にそれでは、100パーセント、やがてドライアイスは白い煙となって消えることはあっても、発泡スチロールは溶けないと思います。マイナス10度20度の世界ですからね。確か、寒いときはマイナス50度位になる南極の昭和基地でも、発泡スチロールは断熱に使われています。厚さは20センチもあるそうですが、それは溶けるからではございません。極地の寒さにはこれだけ必要だということ位の意味ですので、材質が溶けてなくなるようなことは決してありません。それに、ドライアイスで発泡スチロールが溶けるようだと、先日、豊中の待ちわびて山大学の研究所で極低温実験をさせて頂いたのですが、恐らく、全て無残な失敗に終わっていると思います。特殊な液体が、実験室内を充満し、酸素濃度が一気に、デッドラインの17パーセントを割り込んで、勇敢な若い将来の大科学者達と共々、みな即死して、「どこそこ研究所で何名死亡。流れ出したドライアイスのためか」とニュースになったでしょう。しかし、むしろ、ドライアイスで様々な極低温の実験が出来るのでしたら、本当に面白いでしょうね。

あの研究所のN女史からお便り、先端研へ帰任されたとのことです。わざわざお知らせ頂きましてありがとう御座います。これまでのご活躍お疲れ様でした。そして、ご帰任おめでとう御座います。盆正月なし、日祝なしのぶっ続けで超多忙なご研究が何年も続きますと、干からびて、きゅーり漬け夫人になってしまいますよね。本当によかったですね。今後も、更なるご活躍を期待致しております。


2005年11月3日 曇り 21度
正確にはこれで丸3年だった。これから4年目になる。まあ、詰まらないことにこだわっているものだ。だが、つまらないかも知れないが、確かに、3年間、ここの聞いたことない発泡スチロールの小さな会社は現存して来たということだけは誰の目にもすぐにお分かりいただけるのだろうか。意義なんて硬いものを振りかざすなら、そんなことになるのだろうが、少しは検索エンジンに架かりやすい古株になれたのだろうか。しかし、最近では有料スポンサーは上位にどんどん上っていくので、どうしても押されぎみだろうか。矢張り、ここにも競争の論理が貫徹している社会だ。この辺りからも何か4年目に入って、新機軸を打たなければならないのだろうか。それは何だろうか。再度、足元から検証し直す必要がありそうだ。

 君がため 秋の刈り圃に 若葉つみ 何と季節のもどろ おろおろ 


2005年11月2日 片腹痛い秋晴れ 22度
ふと、金型内で蒸気加熱した直後チャンバーに170キロ程度圧力をかけて形状を固定化するのが、通常の工程だが、その時、いきなり、その圧力を止めてやると、中の発泡スチロールは、飽和蒸気で発泡して膨張したままさらに膨らみ、コアとキャビの接点から大きくはみ出してしまう。もこもこのふわふわ状態の塊ができる。これが、例えば60倍品なら、原料がそれ以上に強制的に膨らんだままの状態なわけだ。何倍ぐらいになるんだろうか。通常はこれに両側から金型を押さえて形状に維持し、冷却して固定化し、決まった形になった商品が出来上がるのだが、その以前の、もこもこの状態の塊だから、これなら逆に、例の研究所のご提案の一件に使えそうだと思った。早速、あの発泡スチロールの工場に相談してみようか、面白そうだ。これならそれに使えるかもしれない。昔、あの工場のその又以前、古い成型機を使って、油圧シリンダの圧がかかる直前に圧を手動でOFFにして蒸気をかけたことがあったが、金型内に一杯に膨張した後、一瞬に蒸気が噴き出して、そんなのが出来たものだ。工場内の排水路をふかふか流れて最終処理場でかき出して処分していたものだったか。あれはどうだろうか。ところてんの様な触感だったが、取り敢えず試してみる価値はありそうだ。どうせ、あそこの研究所だ。忙しくて、まだまだ次の次をどうしたら良いのか、思いつかないでいるだろうなあ。そうだ、これをあれに使ってみよう。さらに面白い新商材ができるかもしれない。上手くいけば、うまくいけば、大金持ちだ。億万長者だ。旨いものをたらふく食べて世界一周旅行だ。はっはっはっはっー。上手くいかなければ、文無しだ。どツボだー。日本の貯蓄率ゼロ世帯が23パーセントだー。まあしかし、まだまだ、次から次へと思いつくものだ。


2005年11月1日 夏の終わりのような秋 23度
それから、一点だけ追加しますが、その点については、今後の経済指針とか、立派な経済評論家などがこれから徐々に出て来てはこの点をアナウンスすることになるんでしょうか。我々のような下々の者にはよく解りませんが、はっきり言えることは、前倒しでその税率が上がる前に「買い急ぎ」という経済全体に好景気のようなものが、今後1年程度見られるのだろうということでしょうか。大きな買い物の場合、その税率は、それだけでも相当なものになりますから、当然家を買う人もこれから一時的に急増するのだろうという考え方は、例えば、その税が猛反対の中ではじめて導入された時、その直前は、矢張り「買い急ぎ」の好景気があったことと似ていると思いますので、今回も同様だろうと言った予想です。つまり、旺盛な外需と、そして国内の仮儒のような前倒しで、これから1,2年はかなり、国全体では動くのではないか、という見方ですね。こんな、小さなHPに貴重なご意見ありがとうございます。動き出すと急には止まらないのでしょうか。そして、また何年かすれば、しぼんでしまう。はかないアダ花のように、咲いては散っていく景気の循環。我々は、ただそこを見て通る他ないのだろうか


2005年10月31日 まだかまだか秋晴れ  23度
今日も朝から例の製作仕上げ、そしてまた例の製作テスト。あれこれしている間にもう日暮れになった一日だった。HPの更新もこれで丁度丸3年になった。どうだ、発泡スチロールの業界広しと言っても、ここまで、くそ真面目に毎日毎日、365日×3年間、ずーと更新し続けているところは自慢でも無いが他には無いだろう。ざまー見給え、”赤鼻のショウゾウ”!、、、昔、とある発泡スチロール工場の所長に 慢性鼻炎で1日2箱もテッシュケースを使って鼻をかんでいるので、いつも鼻を真っ赤にしている人がいた。だから、巷では、その鼻のかむ音を聞くと「赤鼻のショウゾウが来たぞ。みんな仕事だ仕事だ」と所長がやって来るサイレンのように恐れられていたのだった。特に、鼻のかみ方に特徴があって、必ず、かむ前に右と左の大きな鼻の穴を右手の親指を表向にしながら爪で交互に押さえる癖せがあった。どうも、鼻腔内に貯まった鼻水を、誰でも健康に気をつけている人なら当然のように毎日習慣的に励行している歯磨きの、チューブを端から押さえて押し出す仕草のように、鼻先に押し出し、タイミングも絶妙なもので おもむろに胸のポケットからヘビースモーカーがタバコケースでも取り出すのかと見間違う程慣れた手付きで鼻紙を取り出して、「ふぐーん、ぶぶぶーん」と、周囲には痛々しい鼻紙の悲鳴のような音をさせながら 気持ちよくかんでいたようだった。その音が妙に印象的だったのは、あれは何時だったろうか、発泡スチロールの成型工場には、数十台の自動成型機が、それぞれの商品の製造に合わせてそれぞれ違った成型サイクルに設定して稼動している訳だが、何故かその日、工場内に”赤鼻のショウゾウ”がやって来ると、数十台の成型機のサイクルが全機一斉に微妙に合致し始め、各サイクル毎の終了コマンドが偶然合致し、突然工場内に 盆正月の様な静けさが辺りを支配した一瞬があったのだが、その間隙を突いて、ものすごい悲鳴のような音を聞いたことがあった。私は、成型機のサイクル設定の変更に夢中になっていたので、それまで気が付かなかったのが不覚だった。辺りが急に静まり返って、丁度舞台でクライマックスのシーンがあって、激しいファンファーレの前の静けさがあるのと似ていた。そのすぐ後の「ふぐーん、ぶぶぶーん」という例の鼻をかむ音だったから、物凄く驚いたものだった。”赤鼻のショウゾウ”(実は叔父さんにあたります)も引退して今ではある町の公民館が図書館の館長をなさっていると風の噂だ。静寂の必要な館内で今でも鼻をかんでおられるのだろうか。

   真っ赤なお鼻の♪トナカイさんは♪ いつーもいつでも 鼻ーたらしー♪


2005年10月30日 少し秋らしい晴れも夜になっていきなり激しいスコール 20度
時々あるのだが、幾つものお問い合わせが重なった日だ。もう時間がない。今日も実に様々なご意見、ご質問などが続いた。有難うございました。


2005年10月29日 似合わない雨後曇り 21度
今日も朝から例の製作が続く。3年間の訪問者数の統計を出している
 
02年10月 435 03年8月 896 04年6月 2302 05年4月 1433
    11月 324     9月 1102     7月 1763     5月 1681
    12月 540      10月 1014     8月 1707     6月 1748
03年 1月 450      11月 1069     9月 1459     7月 1707
     2月 497      12月 990     10月 2262     8月 1751
      3月 699 04年 1月 1183     11月 3147     9月 1575
      4月 1065      2月 1049     12月 1569     10月
(29日現在)
1801
     5月 1050      3月 985 05年 1月 1544
     6月 1042      4月 924     2月 1697
     7月 1047      5月 1231     3月 1361

PC設定のことはよく解らないので、02年10月より毎日数字を追って鉛筆筆記でデータを収集するという大変原始的な方法を取っているが、この方が自分なりに納得して、動きがよく判るものだ。03年3月頃から急激に増えたのは東京の光都市設計鰍ウんとリンクを貼ることが出来たことによるものだ。その後、04年5月頃からの急増は、製作実例集が2ページ目になった頃だが、6月、10月、11月と突出しているのは原因がよく判らない。訪問者数の日々データしかノートに残していないので、想像の域をでないが、様々な推測は成り立つ。ただし、結果としてその後、毎月500人程度の平均した増加傾向につながっている。また、季節変動が何となく読み取れるのは、学校関係の夏休み 学年末休みによると思われる。これを折れ線グラフに書き直せばさらに傾向がはっきりわかるのだが、04年6月の特異月の訪問者数を目指して全体に増加傾向にあることは読み取れる。折れ線グラフのピークとピークを直線で結び、傾向線を出して、直近の少数月05年3月の点に平行移動させると、2本の平行線から最も単純に今後の動向を予測出来るわけだが、それによると、来年後半にも、2000人/月は届くのだろうか。次の急増月が仮にあれば、この傾向は早まるだろうから、一気に2000/月 へ到達出来るのだろうが、その為には、確かに、新規の企画を打ち立てる必要がありそうだ。こちらのHPは、単なる見世物ではない。HPだけ念入りに工事をして作成して、訪問者を増やしても仕方が無い。だから、では、一体何につなげていけるか、この傾向からも、新規商品開発が急がれる訳だ。だが、逆の推測も成り立つ、このHP製作者の動向からして、今後半年以内に必ずとまでは言わないが、傾向的には恐らく何か新規開発を始めるだろうという予測だ。では、それは何か。


2005年10月28日 うっとうしい秋晴れ 21度
今日も朝から1号線は渋滞だった。307号は火災現場の現場検証を見て通る車で混雑し、1号線まで伸びて、その関係で朝方のバイクと自動車の衝突事故での渋滞が途切れずに夕方になっても続いた。今日も例の製作が続く。有難いことに様々なお問い合わせが続く。一番有難いのは、あの特殊な液体専用の容器を実験的にご使用中の研究所から連絡があって、その後も「材質X」で製作した容器のみが、底面の割れ等無く、全く問題なく利用できた、との連絡だった。大変有難いものだ。データの蓄積によってこれからは、少しは、それに自信を持って売り出せるというものだ。発泡スチロールの業界で、恐らくここまで前向きに困難な問題に取り組んでいる所は他にまずないだろうという自信でもある。これで次はようやく灯台の物性研仕様の特殊容器の製作に再度、再々再度の製作と実験に、いよいよ入っていくことになる。ここまで来ると、何となくぞくぞくして来るものだ。これ以外にも様々なお問い合わせが続いた。今月始め、と或る生徒会の議決を受けて製作発送した直径1mの荒削り球のお礼のメールが、生徒会会長に続いて、顧問の先生からも届いた。こちらこそお礼申し上げます。自家製球面体加工機を使って自慢の1m球でしたが、ご満足頂けまして光栄です。また、宜しければ地球儀の完成写真などお送りくださいましたら、今後の加工機の改良などにも使えますので、助かります。どうぞよろしく。 このHPを開設して丸3年になる。大学の講師や建築家協会主催の講師などもなさっている東京の光都市設計事務所の鈴木さんの真似をして始めたのだった。鈴木さんから「レパートリーが次第に増えてくれば、面白くなるよ」とアドバイス頂いてから、何とか努力を重ね、少しずつでも、アドバイスに従って品数を増やそうと3年間頑張って来た積もりだ。結果はご覧の通りな訳だ。桃栗三年柿八年。ようやく桃や栗の甘みは出せるようになった所だろうか。柿の渋皮煮はまだ作れないようだ。これから後5年。都合8年かかるのだろうか。亀は千年鶴は万年。HPで東大寺の大仏やダビンチのモナリザの表情を出すには、きっと後20年は試行錯誤が要るのだろうか。この辺りにしたい。本当にこのままだと、何年か先の次回の中学校の学年同窓会まで続いていたりして、、、さあまた仕事だ


2005年10月27日 ヘリコプター乱立の快晴 22度
朝から例の製作が続く。枚方宮之阪の廃油処理会社で起きた昨夜の大爆発事故の現場はここから歩いて500m程のところになる。朝から夕方まで報道各社の取材チームが走り回っていたし、空をひっきりなしにヘリコプターが飛びまわっていて、仕事に集中するのに力が要った。恐らく新聞テレビなどでご覧になられた方が多いと思われるが、建物は柱だけ残して全て吹っ飛び、横の稲刈りの済んだ田圃に屋根やドラム缶などが散乱していたし、少し離れた日産ブルーステージ店の大きなウインドウガラスが割れていたし、停車していたトレーラー10台ほどがすべて丸焼け状態で、この周辺だけ、戦争かテロでも起きたイラクのバグダッドの街の光景に変色していたのは、驚きだ。 、、、時間だ。昨夜は読売テレビの深夜2時20分からの沖縄の作家仲○くん製作の番組 『沖縄オバア列伝』を見て、笑いすぎて遅くなっってしまった。では失礼


2005年10月26日  立ち込める曇  20度
有難いことに今日も例の製作が続く。作業の合間に、例のモニター用足湯容器試作の検討少し。それから、以前工務店で建売の大工作業を何年かなさっていた方からセルパネの問い合わせ。セルパネが安く手に入らないか、との事だったが、困った。先日も同じような腕に憶えの経験主から 同様のお話があったところだ。ご自分で防音室を作ってカラオケをなさるらしい。団塊の世代は元気な人が多い。それからまた例の製作が続いた。学校の文化祭で直径2mもある大きな地球を作りたいが、予算的に限られているが、可能かどうかとのご質問があった。若く体力旺盛な男子学生さんを5,6人集めて、小さなブロックを2m球に円周上に並べて組むのに必要な数量だけ貼り合わせていき、糊が乾いた後で、皆でヤスリでゴシゴシ磨いて球面を作ってはどうでしょうか。と考えた。
夜10時過ぎ 枚方の池之宮の産廃処理会社で火災。自宅から5キロ離れているのだが、物凄い大音響の爆発音が2度、ここまで聞こえてきた。近くの11階に駆け上がって遠方を見ると、50m近い火柱が上がり、夜空を焦がしていた。表現が不謹慎かもしれないが、この夏に観た映画「スターウオーズ」でアナキンによって炎上した都市を遠景撮影したシーンがあったが、それとそっくりだった。テレビの画像では、イラク戦争や湾岸戦争などに同じようなシーンを思い出して、眼前の光景とだぶった。恐らく、60年前、太平洋戦争の時は、こんな光景が、大阪でも日常茶飯事にそこかしこで見られたのだろうか。


2005年10月25日 秋晴れ 22度
例の製作が続いた。有難い事に、あれもこれもと続くのだが、体調を少し崩した。喉が腫れ、空咳が始まった。この歳で、、、アスベストかなあ。そう言えば、発泡スチロールの成型機には蒸気配管からの蒸気漏れがよく起きて、パッキンの交換作業をよくしていたものだ。そのせいかなあ。、、、、、これ以上無理があるのかもしれない。こんなコラムも ぼちぼち潮時か。まあ、ここまでよく続けられたものだ。気が向けば、また書こう。では


2005年10月24日 いい天気 23度
豊中の、あの待兼山大学の研究所を後にして、途中1社立ち寄った後、近道をしようと淀川の枚方大橋まで戻ってみると、橋の中央で例のメーカーのトラックが、大きな左の後輪の止めボルトを全て根元から折断させて脱輪し、立ち往生していて、大渋滞になっていたので、帰社時刻は結局、夕方遅くになってしまった。1時間以上枚方大橋の上から秋のよく晴れて澄みきった空を眺めていたことになる。脱輪トラックの外れて転がって行った1m以上もある大きなタイヤは対向車線の歩道に乗り上げて欄干に激突し、シューという空気漏れの音を長い間させていた。それで、期せずして、先ほどまで待兼山大学の研究所で、若き将来の大科学者諸氏を交えて、繰り返された例の特殊な液体を使った発泡スチロール容器の性能実験のことをじっくり考える時間があった。もともと、このような機会でも無ければ、洋の東西、これだけ最大の実験設備を完備した所で、このような実験をして頂けるようなことは、長い人生の中でも皆無に近い。それだけに、背筋も凍るような緊張感と全身から一斉に汗が噴出すような情熱がこの実験の一点に集中されていたのだったが、結果はほんの10分もしないうちに、特殊タンクからその液体が慎重に黒いチューブを通して注入され始めて直ぐに出た。矢張り、例の「爆竹現象」と名打ったその特殊な液体を投入した直後に起きる破壊現象は、発泡スチロールのそのある一定の材質を使った場合だけに限って極めて軽微に止まったのだった。それより硬くてもだめであり、それより柔らかくてもだめであり、正しく何かしらの許容範囲にその発泡スチロールの材質のみが偶然入っているものとしか考えられなかった。一般通常の世界で通用するメーカー発表の熱伝導率など全くこの液体の世界では通用しないことが解った。むしろ逆の現象に近い実験結果であった。その発泡スチロールの材質名をあえてここでは、「材質X」と名づけよう。この「材質X」が何故この特殊液体に対して極めて有効なのかそれはよくわからない。しかし、前回の実験結果を踏まえ、容器をさらにh420mmから600mmに上げて今回実験をして頂いたのだが、当初予想では、容積が3割以上増えることから、恐らくこの許容範囲を超えてくるので、一気に「爆竹現象」が臨界点を越えて、また無残な破壊を見るだろうと考えたのだったか、不思議とそのような結果にはならなかった。というか、全く起きなかったので、却って謎が深まるばかりだった。一体全体これは何だろうか。よく解らない。これは一体どういう物理現象なのだろうか。そうこう疑問点を考えているうちに、実験室内の酸素濃度は20パーセントを割り、緊急避難を知らせるランプの点灯があって、若く勇敢な将来の大科学者達と一緒に急いでその実験室から逃げた。酸素濃度が17パーセントに至ると一呼吸するだけで即死する。19パーセントを割るだけでも2呼吸もすれば意識不明の重体になる危険とは背中合わせの実験だった。


これが、研究所の現場で、その特殊な液体が「材質X」で出来た発泡スチロール容器に満タンに注入された直後の写真だ。左が外径500φ×h600 右が同500φ×h420のサイズだ。緑色のリノリウムの床の所々が無残に破壊され、引き千切れている姿に注目されたい。発泡スチロールの「爆竹現象」によって実験室の周辺に噴出した液体の持つ物凄い破壊力を想像するに容易いと思われる。そして、この「材質X」のみが、見事にというか、訳が解らないまま、不思議にそれを克服しているのだ。この場を借りまして、この危険な実験に立ち会って頂いた先生を始め、勇敢な若き将来の大科学者諸氏に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。



2005年10月23日 曇り後夕焼け頃晴れ 21度
それで、ラジオの通信高校講座現代国語で作家吉本ばななの解説が懇切丁寧に2回40分程度続いていたので、これだこれだと思いながら机の奥から古い原稿用紙を取り出して、最近めったに使わなくなった鉛筆の先をなめなめ、聴こえて来る作家のある短編の書き出しのくだりの文体が、軽快で何故か主語のはっきりしない書き方だというのを真似て、練習程度に何か書いてやろうと気取っては見たのだが、しばらくして、ラジオのくどく論理立てて話す明快な講師の解説が程無く終わると伴に、一行も進まないままで、消しゴムが机の引き出しの一体、この前何処に仕舞ったのかと 頭を掻き掻き捜しているうちに、思い出せないまま、どこにも見つからなかったので、そのまま鉛筆も置いて、この軽快で何故か主語のはっきりしないという偉大な文体を真似て書くのも諦めた。実に残念だ。文豪誕生かの瞬間に消しゴムが見つからず、折角のチャンスを逃したかという苦い思いも「これで高校講座を終わります」の最後のアナウンスで奇麗に消滅したからだ。これからは、再び真人間として、平々凡々に生きて行かなければならないと反省などしてみるが、滅多にしなくなったお勉強のお陰もあって、また机で眠ってしまったようだ。それで、夢の中には高校3年の教室が出てきた。がらんとした教室だ。広い板張りの床にスチール製の机が、幾つか並んでいる。誰も座っていない机と椅子の一体型の机だ。窓際に、止まった時計が3つこちら向きに並べて置いてあった。窓から藤の樹の棚が見える。
こんな教室だったんだろうか。、、、おっと時間だ。仕事だ


2005年10月22日 終日曇り  21度
例年に比べて1ヶ月遅れで季節は進んでいるような気がするが、今日も朝から例の製作。時期的に、祭りや文化祭などのイベントのお問い合わせは峠を越えて、今度は、クリスマス用品へ。そして、オーダーメードの特注ストーブの梱包資材なども始まった。もう今年もあと2ヶ月と少しだ。そう言えば、あの研究所の方はどうしたのだろうか。例年なら、もう来年の準備に奔走なさっているのだろうが、風邪でもひかれたのだろうか、音信が途絶えた。時間さえあれば、来年からまた、例の水耕栽培のページを更新したいと考えている。やはり、テーマを持って独自企画を進んだほうが一番やり易い訳だ。本当にあの研究所の方達にはお世話になった。将に、日本のと言うよりも、全世界の最先端を走る化学研究力を誇るところが進めてきた水耕栽培を長い間、間直に、この目で拝見させて頂いて来たので、大変勉強になった。この上もない光栄至極、有難い、としか言いようがない。繰り返すが、本当に勉強になった。これからは、その吸収してきたものを全く独自に展開出来るチャンスが巡って来た訳だと思う。本当に、自分で言うのもなんだが、こういう時は、昔からアイデアがわんさと浮かんでくる


2005年10月21日 よく晴れた 22度
朝方はぐっと冷えた。駐車中の車のフロントガラスも曇っていたが、昼間はそこそこの気温になったのではないか。今日も朝から急ぎの製作。お蔭様でと言うか、有難いことに様々な製作が続いている。ここにこうして毎日書き出して、もう直ぐ丸3年になるのだが、我ながら相当なエネルギーをここに使って来たと思う。本業は製造や開発なんだから、文屋ではない。毎日様々なものつくりを夜遅くまで職場でも自宅でも続けている訳で、こんなHPを更新するのが仕事ではない。仕事と思っていては、恐らく続かないだろう。これだけ必死になって書き続けて掲載しておけば、表現力不足や語彙の不適当があっても、まあちょっとは、こちらの仕事をご理解頂けるものだと確信しているので、続けてきた訳だ。いや違う、こちらの都合で、好きで勝手に続けているというのが正しいだろうか。しかし、どうもしっくりいかない。まだまだなような気もする。それこそ、部屋に閉じこもって、或いは山寺にこもって3年、書き続けて発泡スチロール屋の仕事とは何たるもの哉、と問い続けるなら満足いくのかもしれないが、もう一つ、どうもこの程度では、余りに中身がない。結論もない。たらたらとくだらない事を書き殴って、気晴らし程度が関の山だ。このままでは、単に、たらたらとそれこそ たらりたらりと詰まらないことを3年間書いて来ただけのチリの積もっただけのような気がする。これでは、到底「本」にはならないだろうなあ。例えば、「本」にでもしたいのなら、もっと技術的な面やこちらでしか出来なかったことを系統的に書く必要があるだろうし、zzzと書いている途中で眠って終わるようではいけない。また、もっと、様々な人との交流を積極的に書いていかなければならないだろう。しかも、こんな15分のコマーシャル休憩でもないのだが、毎日少しづつ、の書き足しでは出来ないだろうなあ。、、、まあやってみようか。それには、まず論点を2,3絞ることから      zzz、zzz、zzz、しまった、もう朝だ。では失礼


2005年10月20日 また晴れ 23度
今日も朝から例の製作が続く。毎日はこんな連続なんだ。山在り谷在りといったストーリーものではないから、いつの間にか時間が来ては、日が暮れて終わる。しかし、その日が暮れる小1時間程前に、面白い出会いの場面の演出があった。若きベンチャーの勇士の精鋭が、狭い当社の前を待ち合わせの場所にお使いだった。程無くもう一方のベンチャーの勇士が、黄金の夕陽を背に歩いて来られたから、これは、絵になるなあと思ったわけだ。そして、この不思議な商材を前に早速、立ち話が始まった。やっぱり、横でお聞きしていると、精鋭同士の微に入り細に渉る緊張した話は、詰めが早い。あっという間に、互いに満足の結論に達したかと見るや、こちらに笑顔を残して去って行かれた。程よく太陽が傾き、丸で、夕陽のガンマン達だ。確かに、こんな面白い出会いの場面を演出してくれるのだから、発泡スチロールというのは、違った商材だ。んーん、、、、否。再度もう少し掘り起こして考えてみよう。例えば、この「ものつくり」とは何か、「商売」とは何か、そして、社会で暮らす我々は一体何者だろうかと。zzz、zzz、zzz、そこまで考察を進めて行くうちにまた、眠ってしまったようだ。夢の中に、またどうしたわけか、中学の同窓生が何人か出て来ていた。
そう言えば、昨日枚方で起きた中学1年生による母親殺しの事件が、テレビ等の報道で大きく取り上げられていたが、その中学校は、自宅のすぐ裏山の向こうにあるので、大変よく知っている所だ。いいところのぼんぼんの通う中学だったのだが、解らないものだ。おっともう時間がない。では失礼。


2005年10月19日 少し晴れ 22度
今日も朝から例の製作が続く。有難いことに様々なお問い合わせも続く。これが、インターネットの不思議なんだろうか。距離感覚、或いは何というのか、実際にある壁ではなく、しかも、日頃決して接することはない様な壁を軽々と突破して、社会の各分野あらゆる方面から お便りが届いてくる。そして、毎日そのご意見ご提案にお答えを重ねていく毎日が続く。発泡スチロールというのは、その意味で誠に不思議極まりないもののようだ。産官学 軍官民 医福衛 本当にあらゆる分野からのお問い合わせが続いているのだが、ある営業マン氏が先日お越しになって話されていたのだが、「商 ではやっぱり独自性がないと伸びないよ。うちでしか取り扱わない独自な商品を開発しなくちゃね。」と、いつもの あの 数々の営業の修羅場を百戦練磨し、人生の究極の目的を漸くに体得しえたというか、菩提樹の下で悟ったとでも言うべきか、はたまた、自宅に戻れない恐妻家がギリシャのアテネの民衆を前に真理の弁を説くかのように、と言った方が正しいか、そんな他人を惹きつけて止まない落ち着いた低い声で語りだした。確かにその通りなんだが、道遠く山険し、幸いなるかな 彼方。

 山の彼方の空遠く 幸い棲むとも他人は言わぬ。

    ああ 高槻のうどん屋よ! 何故に今度は神戸の六甲でピザ屋か


2005年10月18日 並みの快晴 24度
当て板「あてっ子」の色白フイルム化粧シリーズで急ぎの製作があった。確かに、オーダーメードが殆どなので、このシリーズもそうだが、一度写真を整理して、一覧表のようなものを掲示する必要があるシリーズが他にもいつか出てきた。中でも一番うれしいのは、例の特殊液体の特殊容器で、発泡スチロールでも耐用性のでる材質が幾つかの実験の結果、ようやく判明してきたことだ。まだ、細部はこれから詰めていかなければならないだろうが、聞くところによると、発泡スチロール屋さんで、ここまで本格的にこんな無茶な取り組みに挑戦したところは無いそうだ。有難い実践に基づくデータも貯まって来たし、実際に使用した容器のサンプルも多くなった。この点は、研究所の若き将来の大科学者諸氏の危険を顧みない勇敢なご協力の賜物なので大変感謝致しております。結局、発泡スチロールのこういった結果は独占しても仕方が無い。確かに、世の中は、このような時、私利競争の原理の上で、富と格差に怨嗟する余り、ともすれば、これをいいことに、私欲に走り勝ちなんだろうか。それが、世の流れなら、ここは、軽く交わして、その逆を行ってみよう。こんな大事な結果はどんどん公開してやろうと思う。その方が、きっと、世の為人の為になるだろう。こんなことで金儲けの種にするな。大事な真理探究の為に掲げた腕(かいな)を下ろさせてはいけない。単なる容器ではないか。中身が無くては、つまらないただの発泡スチロールの塊だ。それでいいんだ。たかが一度の人生。所詮は生々流転する人生さ。


2005年10月17日 曇り 24度
朝から例の急ぎの製作が続いた。途中、招かれて或る公立中学の3年生の数学の授業を個人的に見学させて頂いた。噂には聞いていたのだが、確かに実験的な試みが行われていた。その時間だけ、10名弱の少人数に分かれて、更に数名のグループ毎の個別指導が行われていた。そして、各個人がその進行状況に応じてグループを替わっていくようだ。このような試みは、数学だから出来るのかもしれないが、競争とグループ内の交互の教え合いを同時に行うそうだ。正に幕末尊皇志士を多く世に出した『適塾』もこんな風だったのだろうか。大阪の地域性だろうか、よく解らない。本当に公立中学校も昔と違い、硬い制約の中でも、このように様々な試行は続いているようだった。中学校なのか塾なのか解らない位の、その二つの垣根を取り払った様な雰囲気があった。平たく言えば、中学校で塾をやっているようだった。最早、これなら学校が終了してから、高い金を払ってわざわざ子供達を塾に通わせることも無い訳か!最近の中学生の塾通い率は90パーセントになったらしいが、昼間から学校で、教育のプロである学校の先生が塾を開いて頂けるのは一番、父兄には好都合な、そんな時代だ。PTAの強い希望も今では、そのまま学校に入ってくる時代のようだ。世界が、国が変わるように、教育現場でも、誰か元気な人がいて、次の若者を創り出しているのだと、この授業を見学して思った。


2005年10月16日 晴 25度
昼過ぎまで、倒れていた。時間の過ぎるのは早いものだ。ふと思い出して、急いで寝屋川の京阪車庫で開催中の『レールフェア』に向かった。しかし、残念だったが既に、電車関連グッズのオークションは、ほぼ終了していた。特に鉄道オタクではないのだが、この4月にそれまで25年勤めていた大手商社を辞めて自分で新大阪に会社を構えてやっていくと宣言していたH先輩が、大変な鉄道マニアであったのだが、3月頃から全く音信が取れなくなり、生存しているのか生存すらしていないのか、辞めた会社にも新しく開設した会社の事務所の電話も、つながらないで、半年が過ぎたのだが、こういう電車関連の催しなら、ひょっとして会場に現れるかもしれない、と考えていたからだ。特に、オークションの会場なら来るかも知れない、と期待したのだが、外れた。大勢の人混みの中を見渡したが、老若男女の鉄道オタクの中にはいないようだった。それで、特にお目当てと言うことも丸で無いが、昨日まで京阪京都線で実際に使われていた25φ径の銅線15センチ程を記念に100円で買って帰った。同年代の行方不明者というのは大変気になる。しかも、恐らく退職金を全額叩いて買ったのだろうか、新会社の事務所のマンションも閉まったまま、この半年、一体どこにいるのだろうか?Hさん。何があったのだろうか。妙な事件に、、、、


2005年10月15日 霧雨時々豪雨  27度 
急な製作でこの日は終わった。例の所まで作業は至らなかったものの、今日のところは良しとした。急いで京阪枚方へ出て、19時発京都行きの特急に飛び乗った。2階建ての1階に座っていたら、20才前後の女性がいきなり空いた隣の席にすり寄って来て、かざした携帯をこちらの顔へ向けながら「援助交際しませんか」と迫ってきたので驚いた。はいと返事でもしようものなら、その瞬間にカメラのシャッターでも押されるのだろうか。若いのに何故電車に乗り込んで来て、こんな事までしなければならないのだろうか。「お金がないんです」と感情を込めて小声で言うので、直ぐに返事に「こちらもお金がなくて困っているんです」と答えると、急に態度を硬くして横を向いてさっと立ち上がり、あれっと振り返って見ていると、次の座席の人の方へ移っていった。どうやら次々と流れ作業のようにして、求めている様子だ。大変な世の中だ。確率論でいくと、1度、このような出来事に遭遇するということは、矢張り社会全体では、1000、2000の単位でこのようなことが発生していると見て間違いないのだろうか。四条京阪下車、駅を出ると闇夜に激しい土砂降りの雨。人混みの中を木屋町で折れて、20ワット位の電球だろうか、さして明るくない雪洞の列が片側に続く道、こんな雨でいつもより流れの多い高瀬川沿いだ。しばらく水面に写った淀んだ明かりを見ながら南へ300m行くと、その京葱料理で有名な『葱屋 平吉』が見えた。読売テレビ系で10月6日から放送中の深夜番組『沖縄のおばあ列伝』の番組制作関西地区打ち上げ会の会場はここの2階であった。入り口で傘を差して長浜の寺のどら息子M君が待っていた。「遅いやないか」と言われながら、細い焼き板桧つくりの階段を上がると、既に打ち上げ会は終盤を迎え、番組スタッフ、編集者をはじめ番組関係者は、日中雨の中の京都見物談義に赤い花を咲かせていた。で、遅れて来たこともあったので、大勢の皆さんを前に、自己紹介を兼ねて先ほどの電車での一件を話した。よく解らないのだが、「こちらもお金がなくて困っている、、、」と最後に言うと爆笑が狭い会場に響き渡った。番組の総プロデユースを責任担当する沖縄の作家仲○君から、程なく紹介を受けて東京の編集担当伊藤さんから出版物がどのような経路で書店に流れていくのかプロの目から現場のシステムを掻い摘んで教えて頂いたのには、パッチワーク通信社の新刊『リラックス グッズ』のこともあり、大変参考になった。沖縄の作家○村君も番組制作に多忙な中、11月に新刊をまた出すそうだ。これで、かれこれ20数刊目になるそうだから、凄いものだ。皆さんと楽しくわいわいしながら、2次会の途中、終電で枚方に戻った。


2005年10月14日 晴時々曇り程度 28度
今日も朝から例の製作が続く。あの、特殊な液体の素性を確認すべく、帰宅途中、本屋にて立ち読みするが、特に参考になりそうなものは見つからず。取り合えず、あの現象の原因というよりも、素性をとらえることが先のようだ。例えば、表面近くにてそれが起こる場合と起こらない場合の決定的な違いを特定出来ていない。何も起きなかった小容器群を眺めていて、またまた解らなくなって来た。先日は有難いことに、様々なレベルのその実験をさせてもらえたので、大変参考になっている。今考えられることは
@あの、自然界には地上では存在しない特殊な液体で起きた「爆竹現象」は、フライパンにサラダオイルを入れて加熱した後、水滴の付いた冷凍食品を入れた時に似ている。あれをもう少し、激しくしたようなイメージだろうか。
A材質に原因がありそうだが、再度 その製造工程を確認しておく必要がありそうだ。つまり、製造の最終段階で、発泡時に空気と置換されるのだが、それは完全だろうか。24時間もあれば、ほぼこの反応は終わるというが、このような特殊な液体の場合はどうか、、、、いやしかし、違う。同じようにいけたものもあったのだ。
B小さな容器の場合、内側にしなっていた点だ。出すと元に戻った。明らかに膨張していたのではない。収縮している。ということは、硬度の高い硬いものなら大丈夫か、、、いや違う。最も硬いものでも、却って激しい現象を見た。
Cいやいや、容積はどうだろうか。
Dそうだ、良い考えがある。この有難いことに前回の実験でたくさんのサイズの実験をさせて頂いたのだが、うまく実験をクリヤー出来たサイズのものを少しずつ、大きくしていってやろう。、、、!
Eおっと、忘れていた。1個だけ思いかけず、その場では何とか上手くいった容器があったのだった。あれから4日。封印されたのだが、その後どうなったのだろうか。うっかり確認をしていなかった。しまった、明日は研究所はお休みだろうか!

しかし、まあ我ながら様々なことをしているものだ。面白いなあ。


2005年10月13日 晴 30度
今日も朝から例の製作。暑い。10月だと言うのに、暑い。本当に気候変動は急激にやってくるのだろうか。過去160万年の地上の気象変動は、1万年程度のサイクルで、何度も氷河期と温暖化の繰り返しだったらしい。前回の氷河期が終わって約1万年位過ぎているのだから、そろそろ、と言っても数千年もすれば、また氷河期が来るのだろうが、その前に、過去の実例では、年間の平均気温が、わずか30年で一気に10度上がった時期もあったそうだから、現在の様な状態が後20年もすれば、恐らくその頃と同程度の激変が起きるのだろうか。大変なことになってきた。気温が急激に上げたあとは、急激な低下となって、氷河期に突入していくのだろうか。解らない。全て予測の範囲であるから、実際にはもっとスローなのか、激烈なのか解らない。地球が太陽の周りを時々楕円軌道を描いたり、地軸の回転が時々左右にぶれたりする為らしいが、二酸化炭素の排出量にも大きな原因があるそうで、確かに毎日原油生産量の4,5パーセントは、ジェット機で成層圏に排ガスを直接ばら撒いているのだから、温暖化の効き目は大きいのだろう。その上、燃やした熱は、海に流れていくのだろうから、そのうち、南極の氷も融けるのもまんざら理解できないことではない。、、、待てよ、何十万年前、30年程度で急激に気温が上昇した時期、ひょっとして、現在の様な文明が存在してたりして、、、。やがて急激な気温の変化に その文明は滅亡したのだったりして、、、。


2005年10月12日 晴 28度
今日は朝から例の製作。昨日の余韻が残り、投げた疑問符に答えが出ないままではあるが、再度機会があるときに、検証し直すこととして、当面の作業を続けなければならない。例の製作作業の他に、当面の課題として、例の製作も待っている。その上に、急な製作の依頼が入っており、急がなければならない。東京の光都市さんからは、改造型の例の新作の写真をお送り頂いているので、まさに、またここは、踏ん張り所なのかもしれない。また、『リラックス グッス』の担当通販部門でも、幾つか、ようやくお問い合わせがちらほらし始めたのだが、どうも思っていたよりも、動きはスローペースだ。未だに書店の店頭に並んでいない所が実際には相当あるんではないかと、思ったりもした。ネットの時代だ。しかし、有難いことに、こちらの雑誌は、一過性のモノではなく、レッスンノウハウものとして、いつまでも店頭に置かれ続けても一向に差し支えない雑誌であるので、もっとスローな動きでも気長に待っていればいいのかも知れない。取り合えず、この通販部門でのご質問 お問い合わせは、本日都合3件入った。いずれも、店頭にて立ち読みされてから、もう少し詳細をお尋ねされてこられた内容だったので、ご質問内容に関して「本書に詳しく記載がありますから、お買い求めになってから、再度ご確認ください」とご返事をしておいた次第だ。(まるで編集者みたいやなあ)。そうだ、このジャンルは、雑誌ではあっても、例えば学生の頃、同級生だったのだが、今を時めく、漫画家の鎌田洋次くんが、日夜必死で読者の受けを願って頑張っている様に、読者カードの枚数で機械的に編集者の人気のバロメーターに使われる訳だから、蹴落とされないように、アップアップして、毎日がその人気に振り回されるような世界とは無関係だ。その点は助かる。隔週、週刊、月刊、と次々に、日々新たな笑いと感動の漫画シーンを継続的に生産していかなければならない漫画家というのは、矢張り大変な人気稼業だ。到底、真似は出来ない。しかし、そう言いながら、鎌田くんも、もうかれこれ30年近く、現役を突っ走って来ているのだ。大したものだ。そう言えば、先日知り合いに『アンデルセン』というデンマークの童話作家を描いたビデオを借りて観たのだが、鎌田くんにも、確かに次々とほとばしる様な面白可笑しい話題の宝庫のようなものがあるような気がする。それこそ、アンデルセン童話を日本版にアレンジして漫画で出せるのは鎌田くんだろうか。音楽ではモーツアルトの天才的な異彩、童話作家ではアンデルセンか、、、どちらも似た構成だなあ。そう言えば、どこかの研究所でベートーベンに似た異才をちらりとお見受けしたことがあった。あれは確か、、、 おっと時間だ。今日はここまで


2005年10月11日 曇り時々湿り雨  21度
今日は朝方、近くの研究所の若い方2名が見えた後、昼からは、試作品を担いで、再び、豊中の待兼山大学の研究室へお邪魔した。便利になったもので、枚方東から高速で第2京阪 大山崎 名神 近畿道とつないで走ると相当早く着いた。それでも、予定の時間から30分遅れであった。担当者の昼食で席を空けている時間ではあったが、研究室の先生がお待ち頂いていて、例の発泡スチロールを使った特殊液体の実験を、直ぐに始めて頂けたのには、大変有難く、痛く感動した。しかし、その特殊な液体実験が開始されてみると、状況は一変し、困難を要し、途中、研究実験室の酸素濃度計が20パーセントを割り始めたり、たった一度でも吸引すると、即死する危険な状態というデッドライン17パーセントへ向かう危険が何度も起きて、もうもうと立ち込める白煙の中、全員室外へ緊急避難すること数回を数えた。特に用意した500φ 4種の内、期待を込めたものは全て全滅だった。正しく、発泡スチロールの、バキバキと音を立てて砕け散るようにして割れていった様子からは、「発泡スチロールの爆竹現象」とでも命名しても良さそうな激しい破壊現象をこの目で見た。無念 残念ではあったが、次々と、その爆竹現象は用意したものに、連鎖してでもいる様にして起き、発泡スチロールの無残な姿をもうもうと立ち込める白煙の中に ひとつ又ひとつと、晒すことになった。そんな中で、特に期待もしていなかった材質の発泡スチロール容器だけが一点、それほどの爆竹現象も起こさずに何とかその場をクリヤー出来た。一瞬の勝負であったのだが、他の多くの容器の様にならず、却って、あっけにとられた位だ。唾一飲の後、ようやく声になって、目の前の現象にどうしても理由付け出来ず、それ以上の言語化に失敗した。「んーんーんー」これでやっとだった。何故こんなことが起き、そして何故こんな結果に至ったのか、全く解らない。不思議としか言いようが無い。

 取り合えず、今回このような実験をさせて頂き、研究室の偉大な先生以下、若き将来の大科学者の方々にお礼申し上げます。有難うございました。生まれて初めて、その特殊液体をこの目で見せて頂きました。しかも、有難いことに、その特殊液体を何百リッターも思う存分、使わせて頂けるという願っても無い栄誉を頂きました。重ね重ねお礼申し上げます。


2005年10月10日 雨時々曇り  22度
気分転換に近くの天の川の三角州へ行ってみた。どんよりとした空模様で霧雨が続いていた。川辺に下りて砂に埋もれた貝殻を幾つか拾い集めた。こんな雨にも係わらず、バーベキューをしている家族連れがあったり、川に入ってモロコを手網で追いかける家族連れもあったりで狭い川辺も賑やかだ。ようやく、9月の彼岸並みの気温に追いついたところなんだろうか。連日の暖かさに慣れてしまうと、肩にかかる雨粒が、今日は妙に冷える一日だ。

土手に出ると、本当に、時々降っては止む、はっきりしない小雨だと言うのに、連ダコを揚げている老人がいた。数えてみると41連のひし形の赤い手作りの一本足のタコだった。雨でも風が結構あるので、低く垂れ下がった雲の中へ、連ダコはぐんぐん揚がっていた。10月の連休の雨。見物に集まった他の数人の見ず知らずの人達と並んで、空を見上げながら、ふと、学生の頃を思い出していた。あれは確か、21才の時だったろうか。やはり、10月の冷たい雨の中、賀茂川の植物園の横を傘を差して、T田君の下宿を目指して歩いていた。T田君はあいにく留守だったので、また賀茂川の土手に出て歩いていた。どこへ行く心算だったのだろうか。川辺を北山の遠方へ目を見やると、連ダコを揚げている老人がその時にもいた。もう、何十年も前だから、その老人は恐らく、とっくにこの世にはいないのかも知れないが、不思議と光景が微かな思い出と重なった。連ダコには丁度いい風具合だったんだろうか。それとも、タコ揚げに懲りだすと技量を磨きながら年齢を取ると、連ダコに走るのだろうか。よく解らない。また、川沿いに、しばらく歩いてから、M君のアパートに着いた。入り口の直ぐ横が共同の台所になっていて、レッドツェッペリン等のハードロックに凝っていたM君が、誰もいない3畳一間の狭いアパートに、ハードロックのガンガンの音響を轟かせ、乗りに乗りながら、その共同の炊事のみの小さな台所で、得意のマーボー豆腐をフライパンで作っていたので、「おー 藤本か。入れや」と言われ、冷え切った身体には暖かいマーボー豆腐をご馳走になったのだった。その後、音楽に全く興味の無かった私を前に、暇に任せて、滔々とロックのお説を賜った後、当時貧乏学生の間では、ポンコツの軽ではあっても、自動車を所有しているのでは珍しかったM君と、宝ヶ池の近くの「異魔人」とかいうロック喫茶へ初めて連れて行ってもらったものだった。懐かしいものだ。こんな事を書き出すといくら時間があっても足りない。今日はここまで


2005年10月9日 晴 25度
急な発送が1件。その後、さらに実験用特殊容器を2個製作していた。恐らくその特殊な物質とは性質がまるで違うのだろうが、取りあえず、その2個の容器に水でも入れて放置することにした。何ら、役には立たないだろうが、気休め程度にはなった。昼過ぎ帰宅。『こじ付けで覚える英単語』という本で、語呂合わせをしながら、英単語を覚えようと努力する前に、疲れて眠ってしまった。今頃の年齢になって、英語の必要性を判ってきたのだったが、なにを今更と言う感じで、全く前に進まないようだ。それよりも、丁度いい、寝枕になっていた。1週間で1400語も記憶出来るなら、1000円何て安いもんだ、と先日本屋で、フジカット(有)が通販部門を担当している雑誌のパッチワーク通信社発行『リラックス グッズ』を購入する予定の心算が、ふらりとそれを買ってしまったのだったが、どうやら、この分だと、2日で8語止まりのスピードだ。パッチワーク通信社の販促協力の一助として、或いは社内資料収集の一環として『リラックス グッズ』を買っておいたほうが、余程好かったのかも知れない。或いは、少なくともダイエーの会長で、何でも1日で車を10台売ったというトップセールスだった人の書いた、題名まで思い出せないが『失礼ながら、その売り方ではモノは、、、、、』でも買っておけば良かったのかも知れない。、、、、zzz、、、zzz、、、おっともう直ぐ夜明けだ。またあれから一眠りしていたようだ。これでは、”のび太”みたいだ。

そういえば、講談社の『ドラえもん』の第21巻、の 105ページにも発泡スチロールの話が登場する。これで都合2箇所になった。


「ついでに 悪者どもをたたきつぶしてやろう」
「ビルなんか まるで 発泡スチロールだ」

1981年5月25日初版 発行 講談社 藤子F不二雄 『ドラえもん』第21巻
「行け ノビタマン」 から 



2005年10月8日  雨  23度
他の作業と平行して、例の実験用特殊容器の急ぎの製作。材質を4通り、計6種の容器を急ぎで仕上げた時には、夜10時を回っていた。お金にもならない、たったこれだけの事に、何で此処までしなければならないのだろうか。よく解らない。取りあえず、昨日の灯台の先生の語られた、「その特殊物質には、浸透圧現象があります」と言うお話をヒントに、発泡スチロールのみの容器の表面に積極的に、発泡スチロールのみで、ある加工を加えてみた。マキノ機工のTかばべさんが、昔、発泡スチロールを使って、そんれと同じ加工方法で、グループで製作して町の展示会で大変注目を浴びた、と言う話を、得意そうに語る伝書鳩の自慢話の合間にしていたのを思い出した。製法としては、きわめてシンプルなのだ。材質をこれだけ様々に用意できても、あと残る表面の処理方法としては、発泡スチロールのみでの加工としては、これ位しか思いつかないし、果たして、これがその特殊物質に有効かどうかは判らない。


2005年10月7日 曇り時々雨 24度
今日も朝から例の製作。来客2件、なんとタイミングのいい方々だろうか。交互にではあったが、全く偶然に、求める人と求められる人が見えた。発泡スチロールにそれがあったらいいと考える人と、発泡スチロールにそれがある人とが、見えたわけだ。天の巡り合わせ、とでも言ったらいいのだろうか。不思議なものだ。実に不思議な出会いだ。勿論、是非紹介頂きたいとのことなので、虹の架け橋を架けてあげた。
で、いよいよ、迷宮のラビリンスだろうか。最後の切り札であったのだが、大阪の実験の結果は、考えていた前提をすべて覆すことになった。何がどうなのか、いよいよ解らなくなって来た。その実験結果からすると、打つ手が尽きた様なもので、降りてほっと一息付くつもりの梯子をいきなり外されたようなものだったが、仕方がない。また一からやり直しだ。そうだ、灯台の先生も言われたように「何も魔法をかけているわけではない。全ての物理現象には必ず理由があるはずだ。基礎研究ってやつは、こんな繰り返しさ」のお言葉に、少し気を取り直し、気分転換に、帰り、近くの本屋へ寄った。何かヒントになりそうな本でも無いのだろうかと、広い店内をあれこれ夜の12時閉店間際まで、物色していた。とはいえ、その専門的な物質に関係した本のコーナーといったものは、専門過ぎて無いのだが、JIS規格の辞書のところに数行だけ、沸点がどうのこうのと言う行をやっと見つけた位だった。 おや、ふと、婦人物の裁縫、編み物つくりのコーナーに、パッチワーク通信社のレッスンシリーズ『マイクロビーズで作る リラックス グッズ』 の新刊が、2冊並んで置かれているのに気がついた。おお、ようやく、この枚方の郊外にも、その雑誌が届いたようだ。確かに、2,3日前は無かったので、ごく最近置いたのだろうか。この発泡ビーズの粒径は0,5mmだ。大阪の先生が話されていたのは「2mmぐらいで少し小さいからではないか」というご判断だったなあ、と直ぐにまた、そのラビリンスを思い出した。そう言えば、昨夜は、読売テレビで、深夜2時から沖縄に移住してもう何年になるんだろうか、作家の仲○君が書いて結構ヒットした『おばあ列伝』をシリーズ化して流し始めた。あんな、強腕のおばあが、あの研究所に、もし居たら雰囲気がかわっているだろうなあ。いや、待てよ、確か、どこかの研究所にはあんな『おばあ _』が数人、のっしのっしと歩き回っている所があったなあ。あれは、何処だったかなあ。


2005年10月6日 晴 25度
今日も朝から例の製作。どうしたことか、またセルパネの問い合わせが続いた。此方のほうの作業も進めなければならないと痛く思い知らされる。昼ごろ、東京の灯台から例の実験結果を知らせて頂く。謎の同じ現象が起きたとのことに、打つ手が尽きたと一瞬思ったが、気を取り直して、再度、手元の同型を見ながら、問題をひとつひとつ詰めていくほかにないと痛く思い知らされる。昼過ぎ、日本海側で元先輩が始めた発泡スチロールの製造工場からFAXが入る。(おっと、工場ではなく会社だった)有難いことに、そこに書かれていたのは、我々からすれば、それは新規商材のかたじけないアドバイスに見えた。本当に人と人の繋がりというのは大切にしなければならないと痛く思い知らされた。 何とかしなければならない。を3回唱えた。何とかしなければならない。

そうだ、@ その容量の違いに問題はないか A成型品では表面にスキン層ができるのだが、それはどうか、B 室温の中で230度差で蒸発するということは、相当激しい膨張、又は、、、B他ではどうか、Cこれと似た破壊現象は他にないか Dこれ自体何者なのかよく知らないといけない Eこれはそもそもそれだけの価値のあるものかどうか F 正しい方法か G 、、、何故、比率大きくしただけではないのか、H何かに臨界点でもあるのだろうか、、、Iいやいや、それほどの低温でも素手で触れると、表面に温度差の為に蒸発ガス膜が発生して全く火傷しない、というが、ひょっとして、発泡スチロールとそれとの境界線にそれが出来たりしているのだろうか。その為だったりして、、、、

兎に角、明日の大阪の実験結果を待つ他にないなあ。


2005年10月5日 雨 23度
今日も朝から例の製作が続いた。有難いことに、遠方から若い発明家が2名お越しになった。その大きな発明品を今度は、発泡スチロールで製作可能かどうかの相談に、わざわざ見えられた訳だ。しかし、直ぐに解ったのは、老若男女を問わず、発明家の皆さんに共通した『燃えるような意気込み』が、その透き通った瞳の奥に、毅然として、それこそ、将にそこに存在することだった。丸でそれこそが発明家の門を開く為の、そして社会の常識を激しく一気に覆すための免罪符ででもあるかのように、そして、他者と完全に対自しているシンボルであるように見えた。何故そのような常識的には、思いもつかない事を平然と始めて、あっと言う間に、彼らの少数意見が、世間の多数派に置き換わって行く流れを創り上げてしまうのだろうか。解らない。彼らは一体何者なのだろうか。
おっと、時間だ。今日はここまで


2005年10月4日
今日も朝から例の製作。完成品の写真撮りをしようと思ってふと、カメラを忘れていたのに気がついた。有難いことに今日も様々なお問い合わせが続いた。こんな手作りの粗雑なHPではあるが、見に来て頂けることだけでも有難いところなのに、お問い合わせまでして頂けることは、さらに有難いはずだ。中でも、時期的なものもあってか、中学高校生のお問い合わせが少しづつ目立つようになって来たのには、敬服しています。若い人の斬新な思考、今風の流行に敏感なセンスに改めて脱帽するのみです。まあ、本当は年齢はあまり関係ないのでしょうね。と言うのは、結構こちらのhpには、一物のアイデアを抱えた各業界の開発担当者からの問い合わせがありますので、自由に思考回路を飛び跳ねさせておられる方が、年齢に関係ないことは了解しているつもりですから。しかし、面白いことを面白く、ひらめくものですね。そうですか。そう来ますか。流石です。こちらでも、今日は、灯台のびっくりモンキーな先生から、宇宙船研究用の変てこな実験器具の急ぎの製作依頼がありまして、将棋倒しのような形状に必死で小さな穴を開けたりしていましたから、世の中、年齢は関係ないと、痛く同感しました。一つだけ追加しておきましたら、学校の文化祭で予定の原寸大のスペースシャトルで、君達のグループにとって一番大切な、外見の形状ですが、例えば、昨年大和郡山で発泡スチロールの郡山城製作にご協力させて頂くというお話がありましたが、それなども同じで、外側の屋根と白壁だけの張子の虎のようなお城でしたが、出来上がってみますと、それこそびっくりモンキーな凄い出来栄えでした。今回も、その張子の虎方式で進めるのがいいのではないかと思いますよ。お気持ちは十分解りますが、例えば、先日など、ある本当の国産ロケットの原寸大の模型で部材の振動実験をしたいからというので、発泡スチロールでロケットを丸ごと作れないかとの引き合いが御座いましたが、これなどは直径17mで高さ30mです。しかも、内部の燃料タンクから配管、各制御装置などもすべて実物大での製作らしいので、図面だけでも数千ページになるものでしたから、専門の職人さんでも、手分けして半年はかかります。この位の物を作るとなれば、文化祭までに到底間に合わなくなりますね。同じように完璧なスペースシャトルの製作となると、君達のグループがやっと完成させた頃には、周囲の同級生は皆、卒業して好きな人と結婚して子供が出来ている位の時間経過があるかもしれません。あなたのやる気やバイタリティーだけは高く買います。


2005年10月3日
今日も朝から例の製作。有難いことにHPを始めて、直ぐの頃のお客様からほぼ1年振りだろうか、お問い合わせがあった。このようなお客様の積み重ねの方が大事なのだろう。我々のように1円2円の取引が多いところではなおさらだろうか。先日、発売になったパッチワーク通信社のレッスンシリーズ『リラックス グッズ』の雑誌のことだが、近くの書店で見当たらないので、店主に尋ねてみると「取り寄せになるから、」と、何とも素っ気ない返事だった。大阪の中心まで行かないと、店頭で直ぐに買えないようだ。「いかんなあ。」とため息が出そうになった。これから、想像すると、全国各地でも、専門書コーナーが設けてあるような大きな書店でなければ、買えないということだろうか!そう言えば、知り合いの、ある有名な作家の奥さんから昔、本を売るのも大変だという話を聞いたことがあった。一軒づつ書店を回って、その主人の書いた本を店頭に置いて欲しいと頼んでいくらしい。何日も何日も、そして何度も何度も置いてくれるまで同じ書店にお願いに顔を出していって、の繰り返しだったらしい。問屋ルートに頼っていては、一向に書店に出ないかららしい。ご主人が本を書く一方で、毎日毎日、奥さんの涙の出るようなご苦労があったらしい。、、、、どうも、出版社の編集の人には、その位、腰を入れて踏ん張って頂かなければならないのかもしれない。決して、問屋ルートに任して、ほったらかしにせず、自分で一軒づつ、しらみつぶしに書店を回って、「『リラックス グッズ』を置いてください」と営業努力をして頂かないといけないのかもしれない。最後は、矢張り足で稼ぐのが営業の基本、これは変わらないのかもしれない。例えば、ここは編集責任者に、捨て身になって頂いて、東京から大阪枚方まで歩いて書店を一軒づつ回るくらいだと、きっと出版業界の話題に上がって、有名になるのだろうが、、、、「えー、歩いて! 東京から大阪まで書店を一軒づつ回ったの?! スゴ過ぎる。脱帽ー」と言う声が聞こえてきそうだ。、、、ちょっと無茶かなあ。私ならやりそうだが \(◎o◎)/!


2005年10月2日
とある所で、訳あって半日、あの桜の木の下で上を見上げていた。木の葉が例年になく小振りで、薄かったから、緑の枝葉が、全面に広がっているのに、その向こうの曇り空や、騒々しい町の風景の一部が透けて見えた。最近は、梅雨頃から、雨の降り方がどうもいつもと違って、しとしとと湿気を十分に含んだ雨 というのがない。一度にざっと来て、さっとあがってしまうから、地面が雨水で濡れている時間がとても短くなってきたような気がする。本当にこのまま、そんな亜熱帯性気候になってしまうのだろうか。この桜の木も、成長までは止まってはいないだろうに、もし切って年輪を見たなら、ここ数年から年輪の輪が小さくなっている事だろうな。そして今年も、12月頃まで寒くならない冬が来るのだろうか。冬に緑の枝葉では、ちょっと悲しい色やね。


2005年10月1日
もう10月だというのに、冷房でもないと仕事にならないような暑さだ。例の製作を続けた。どうやら、このままの状態が続くのだろうか。とんでもない事に至ったのか、ドツボに入ったのか、外れくじを引いたようなものだろうか。それとも、30キロ歩いて、ほっとベンチに腰掛けたら押しピンを踏んで飛び上がったようなものだろうか。3年の関所をゴールだゴールだ、としてきたのに、これを越えると、また3年、このスタイルから抜け出せずに、ずるずると過ぎてしまいそうだ。困った。実に困った。何でこうしてたらたらと書き込んでいるのか。だらだら文章で行数稼ぎをしている。zzz、zzz、zzzうとうとして、心地よい眠りに就こうとしているところだったのに、また長浜の寺の破戒坊主から電話だ。夜遅く、何時だと思っているのか。本当に幾つになっても、時間もわきまえず、世間の常識を覆す困った破戒僧だ。何々、沖縄の作家 仲村君の編集本『沖縄のオババ列伝』が10月から読売テレビの深夜2時半から毎週連続で放映すると言うことらしい。その編集苦労談披露と宣伝PRにこの15日、京都に立ち寄るから、局の人が帰った後、2次会の茶話会に行かないか、という。行くよ行くよ、例の京都の開業105年のビアホールだね。


2005年9月30日
今日も朝から例の製作。これで、残り1ヶ月で丸3年になるというのに、次のバッターが決まっていない。困った。このコーナーを次に誰が引き継いでくれるのか。困った。早く決めてほしいものだ。今日はここまで


2005年9月29日
パッチワーク通信社の全ての関係者のみなさん。新刊『レッスンシリーズ マイクロビーズでつくる リラックス グッズ』を、編み物仲間で読んで、ビーズを購入したい、と言う記念すべき、初めての問い合わせが入りました。と思いきや、続けてもう1件、「まだ 買えますか、ビーズは残っていますか」というこちらも、お友達グループで編み物をなさっている方からのお問い合わせがございました。どうもありがとうございました。どうやら、ようやく書店の店頭に並び始めたようですね。千に一とよく広告業界で統計が出されますが、2件のお問い合わせに対して 2000人位は読まれたということでしょうか。素人感覚ですが、物凄いのではないかと思いました。毎日2000部なら、全国に一体何部配られたのか分かりませんが、こういった、専門ノウハウものの本では、ベストセラーに入りませんか?ヒットチャート今週トップテンランク入り間違いなし、という訳にはいきませんでしょうか?このまま、連続して行けば、専門書にはめずらしい、増刷に次ぐ増刷!ということはないでしょうか。やがて過去のあらゆる記録を抜き去って、ベストセラー書の発売記録 に新たな歴史の1ページを塗り替える、のでしょうか!やがては、各家庭に1冊、無くてはならない金字塔となり、子々孫々、家庭の医学書に並んで、家庭の手作りグッズ書 として伝えられていくのでしょうか。大変楽しみです。


2005年9月28日
枚方からだと、北部市場の横を抜けて近畿道に入る道が距離的に一番短いのだが、案の定、大変渋滞していた。1時間かけてようやく近畿道に入ってからは、豊中の待兼山までは、飛ばすとほんの10分位で、直ぐだった。坂を上って信号を右へ切ると、5m位の石の大学の碑銘が建っている。ここをくぐるのは、何十年振りだろうか。最初は、確か中学の頃だったか、化石の地層を理科の先生に学校で習って直ぐの日曜日だったと思うが、自転車で、一人で、うろうろしていると、遠出になって道に迷ってこんなところまで来たものだった。最初は箕面の勝尾寺を目指して行ったのだが、と言うのは、その頃まだ山道が舗装されてなくて、その何年か前、遠足かそれとも、何だったか思い出せないが、黄銅鉱が見えた地層があって、その前を通りかかった時、その金色に輝いている岩を、本気で「金だ。金だ」と早合点していたのだが、恐らくその岩を掘って大儲けしようと計画したのかも知れない。箕面から石橋へと行って、ぐるっと回って北千里へ戻る積もりでいた途中、道に迷って、この辺りに出て来たのだった。中学2年当時、サッカーのクラブ活動で忙しいはずだったのに、一体何でそれに燃えたのだろうか。よく解らないが、地図を頼りに、化石探しと言うよりも、金の魅力だったのだろうか。その辺りは、緑が多く、あちこちに工事中の断層が見えたので、何かないか、好奇心に釣られて入って行ったようだ。大きな病院にしては、竹槍か大段幕などを振って大勢の大人が行進しているお祭り好きな変な所だということだけ印象に残っている。それ以上は日記でも出してこないと思い出せない。36年前の話。そうだ、そう言えばここの大学の生協で、今でも石に噛り付いて働いているH君という同僚がいたのを、帰ってから思い出した。会わずに帰ってごめんね
その研究所で将来の若い大科学者達と発泡スチロールを囲んで、打ち合わせ


2005年9月27日
そして今日は朝から、例の巨大科学プロジェクトの実験器具の出荷に追われておりました。
こんな記事を拾いました
『エネルギー原単位=原油消費量÷実質GDP(単位1000ドル)で計算すると、2004年は、日本は0.39バレルで世界6位(2003年は世界1位)(トップはスェーデンで0.32バレル)。米国は0.69バレル、中国は1.62バレルだそうで、米国のエネルギー効率は日本に比べて1.77倍、中国にいたっては4.15倍も悪い』(エネルギー原単位の国際比較統計表)
らしいです。日本は相当効率よく石油を使っているようですね。今回、この巨大風車の建設に伴う、様々なプロジェクトが各地で動いたようですが、この巨大ブレードスタンドの1件にしても、かの航空メーカーの技術者の突飛なアイデアというか、ひらめきがなければ前進は不可能だったのですね。特許申請も出されたそうですね。何しろ、これによって、風力発電の建設でネックになっていました部材搬入時の大変な自然破壊ということが、皆無になるんですから、大型風力発電の建設はこれから進むんでしょうか。かくて、現場の技術者の絶え間ない努力とアイデアの積み重ねによって、またひとつ、日本のエネルギー効率は上がっていきます。





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