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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                         



2004年11月10日
考えた。そう、真剣に考えてみると、本来、次が書き難いものだ。そもそも、面白くないことを考えても面白くないが、面白いことを考えたら面白いものだろう。しかし、同じ考えるなら、面白く考えたいものだから、面白く考えようと四苦八苦するんだが、これでは、流石にくたびれる。あくびが出るようなことでは、面白くも何とも無いんじゃないかと、努力してみるが、深みにはまってさあ大変、ドジョウが出てきて、こんにちは ぐらいだろうか。実に面白くもなんとも無い。今日はそれでいいのかもしれない。偶然だが、地球の反対側で又始まった大殺戮の模様を写したHPを見つけてしまった。一人の日本の若者が殺された国は今、そう遠くない国になったはずだが、これはこれでひどすぎるものだ。

 遠山の 日沈むより 赤く染まり 砂塵に消えるは 国境なき医師団
  
 逃げよ逃げよ すべてのファルージャ あなたの勇気は 砂と数えよ


2004年11月9日
今日は朝からこの25日から始める例の水耕栽培用水槽の製作の準備と、例のペンチの準備で、他に雑用が重なった。何も考えず、淡々と進めていくほかに無いが、1個何円の世界の作業で、このド不景気の中、僅かではあっても、有難いものだ。しかし、今年の気温はどうかしている。昨年のこの頃だったと思うが、太陽黒点の何百年に1度の大爆発があったと天文台で観測されて、これから暫く暖かくなるなあ、と予測していたが、気温が少しずつ上昇し始めて、この冬はまだセーター無しで出歩ける。たしか、昨年は、底冷えして、カイロを入れて作業をしていたと思うんだが。あの太陽のせいだとは言わないが、地球の活動も厭に活発化しているようで、困ったものだ。 おっと、本題に入れず、時間が来たようだ。今日はここまで


2004年11月8日
朝から、とんからりん とんからりんの機織りのような機械音の在庫積み上げ作業終日。今日も、教えられる事がいくつもあった。本当にあり難いものだったが、一番印象に残ったのは、夕方になって匿名希望の奈良県の方から、例の大和郡山に建ったギネス級の発泡スチロールのお城を取り壊す件で「もし、そう言ったルートがあるんでしたら、新潟県の地震の被災者の方にお送りすることは出来ないか。朝の冷え込みも厳しくなっているし、路上でテントで暮らしたりしている方に、断熱材としていいんではないでしょうか」といったお問い合わせでした。早速、大和郡山市の社会教育課の担当の方にメールを入れておきました。確かに、運搬手段がありませんが、何らかのルートが確保出来れば、大変喜ばれるかもしれませんね。削ったりした屋根の一部を除いても、畳何百畳分かわかりませんが、相当なまとまった量がありますし、多くの方々の テントの断熱保温になら充分使えると思います。これから寒くなりますし、豪雪地帯ですし、発泡スチロールの高い断熱性は、きっと喜んで頂けそうですね。一応、お伝えしておきました。さて、山は、いや城は動くでしょうかねえ。何とも言えませんが、せめて、関西からボランテァで現地へ向かわれる方に少しずつでも運んで頂けたらいいんですがね。

話は変りますが、1通のお手紙とサンプルが届きました。
「貴社HPを拝見し、ご連絡させて頂きます。当方は、梱包用に段ボール箱の下に敷く発泡スチロールの板を探しております。サイズは290×200×35です。当方は、素人の為、正確な図面を書くことが出来ませんので、底面だけですが実物をお送り致します。これを発泡スチロール板の前後左右丁度中央に収まるように作っていただけませんでしょうか。ただ、実物を見ていただいたら解かるように足が3つ出ていますので、板に三つの穴を開けて欲しいのです。個人でしていますので小ロットになってしまいますが、幾らくらいから作っていただけますでしょうか。問い合わせ内容は以上です。どうぞ、ご返事をお待ちしております」

そこで、早速作ってみました

@お手紙をじっくり何度も読む A送られてきたPC関連器具の実物をしげしげと何度も裏返しながら見る。そして採寸する。Bこの場合、ボール盤を使うことに決める。Cボール盤が傷まない様に厚紙で台紙を作り、位置決めに使う。D寸法に裁断した発泡スチロールの板に台紙を当てて、ボール盤で穴抜きをする。E出来上がり。といった作業になります。ご参考に


2004年11月7日
気になっていたことだが、10月23日頃より、突然訪問者数が急増し、月平均訪問者数のスピードから、3万人突破は早くとも来年2月頃と見ていたが、とうとう先ほど越えた。この2週間、1日250人訪問が続いたからだ。これは、1時間に10人の訪問者があったと言うことだ。確かに、この2週間は1時間も待てば、夜昼休日の何時であってもその程度の増加があったのは事実だ。しかし、本日は、どういう訳か、10月以前のペースに戻ったようだ。疲れてお休みの様子だ。明日から通常の1日4,50人ペースに戻るのだろうが、今回の現象を再度分析するのもいいかもしれない。HPの更新に何らかのヒントを得られるかもしれない。例えば、月刊誌に間違って掲載されたとしたら、販売日が23日頃だったとして約半月 有り難くも 読まれていたものなんだろうか、漸くここへ来て、それが一巡した?しかし、それ位でこれだけ猛烈に急増するのだろうか。解からないものだ。念の為、これを書き込んでいる間の数字を確認してみたが、矢張り、10月以前のいつものペースに戻っているようだ。気になる。2週間もの間、単なる数字追いかけによる大台目指しのような暇つぶしはいないだろうし、これは一体何だったんだろうか。不思議なものだ。

今日は、あるデザイン事務所のご紹介で大阪のど真ん中、心斎橋ソニータワー1階吹き抜けスペースで2日から今日までの期間開催されていた「日本パッケージデザイン協会」主催の関西老舗企業30数社の定番商品を関西在住の有名な新進デザイナー40数名による リ:デザインして商品化したもので 名付けて『OSAKA未来のれん』という展示会だったが、行って来た。残念ながら、Nハム研究所のS君は、流石に多忙で待ち合わせの駅に向かう途中、研究所からの携帯電話が入り、例の来期発売のNハムの新作食品の件で、急な打合せの為に その足で関東研究所へ引き返して飛んで行ってしまった。実に忙しい限りのようだ。確かに、もう彼の上には、数える程度しか上がいないとなると、分単位で動くしかないのがよく解かる。天晴れなことだ。恐らく、これは個人的な「観」だが、Nハムと言う会社は確実にS君を次の次ぐらいのトップに据えて全体が回っているような気がする。知らないのはs君位だろうか。

左から、心斎橋ソニータワー1階の展示スペース 遠景 近景、そして、今回ご紹介を頂きました大久保デザイン事務所の方の新作です。他にサントリー鰍フデザインなどもされているようです。私の方は、亡祖父の代から社名に「包装」と付いた会社で生まれ育ったせいでしょうか、パッケージには興味がありました。


2004年11月6日
Nハム研究所所長のSくん、ごめんな。例の心斎橋のソニータワーで開催している日本パッケージデザイン協会主催のパッケージデザイン展は明日までなんや。昼頃会場に居てるからな。来ーやー。ほんまにこいやー。午前中、ちょっと医者寄ってから行くよって、おらんでも待っとってやー。ほんまやでー。ほんまにほんまに来いやー。ほんならなー

取り急ぎ、乱筆失礼


2004年11月5日
今日も朝からとんからりん、とんからりんの在庫積み上げ作業。昼過ぎ、メーカーの とあるルートから関東方面で年内7回目の発泡スチロールの値上げが始まったとの情報が入った。とうとう来たか、と言った感じだ。今年は、原油が年初比2倍になっている。11月1日に買い物袋などのビニール系が、3度目の15パーセント値上げが有ったと聞いたばかりなので、シーソーゲームか、はたまたもぐら叩きゲームの様に今度は、どの業界が上げだすんだろうかと警戒はしていたのだが、ドサクサに紛れて、またもや、発泡スチロールが上げだした。小刻みに上がる段ボールなどもう値上げの回数だけで2桁を越えているそうだが、どこも似たようなことになりつつありそうだ。お正月が近づいたから、何だろうか、「たこたこ揚がれ天まで上がれ」、何だろうか。ぶら下がっている我々は、怖くて一緒に上がれないから、その内振り落とされるんだろう。困ったものだ。いくら発泡スチロールが軽いからと言っても、風が吹けば 直ぐに舞い上がって飛んで行ってしまうんだから、ほっておけない。折角、先日図書館で借りてきた『図解 ユダヤ人 大富豪の教え 金持ちになる秘訣』とか言う新刊も、急に読む気力が無くなって、そのまま帰りに返却ポストに放り込んで来た。「ノンフィクション 貧乏への道 」を自分で書いているような気がしてきた。今日はここまで 


2004年11月4日
今日も朝から在庫積み上げ作業。各種製作作業。有難いものだ。本当に僅かではあるが、この不景気の中で、何とかその日暮らしのような仕事にありつけて、かたじけないことこの上ない。半日掛かりで、掛け持ちで 600個作って、やっと1個が2円の仕事が、我々のような素材を扱う所の仕事だ。誠に申し訳ない。送料のほうが、新潟までだと結構高くなったのに、お買い求め頂き、本当に有難う御座いました。丁度、ご確認にお電話を差し上げました所、偶然にも、震度5の大きな余震の直ぐ後でしたので、電話口を通して、事務所の慌ただしく、緊張したご様子が伝わってきました。担当の方は、流石に落ち着いておられましたが、こんな自然現象の中でも、企業活動を停止は出来ない。まだ、建物が崩れず、事務が出来るなら企業のトップは営業を続ける判断を打たなければならない。その苦渋の選択なんでしょうか、決意の程が伝わって来るようでした。そんな中での大きな余震だったんですね。新潟OO文英堂様どうぞ頑張ってくださいませ。斯様な中、本日は有難う御座いました。
今日はここまで

製作実例集少し追加


2004年11月3日
大和郡山までは枚方から車で、約1時間ほどの距離にある。私市から山を越え、奈良県に入り168号線から7号線に入ると後は南へほぼ一直線だ。暫く道なりに走って 辺りに急に金魚の養殖池が増えて来たかなと思えるようになれば、到着だ。車は郡山の城郭の横に市民会館があってそこの駐車場に留めた。近鉄の2階建て特急が走り抜けたかなあと思うと、いきなり その向こうに、確かに、”幻の” 天を突き刺すように建つ白い威容がはっきりと見えた。発泡スチロールで作った将にギネス級のとてつもなく大きなお城だ。まだ、城郭の中に足を踏み入れた訳でもない。駐車場から出て、少し歩き出したところだが、もうそれ以上一歩も歩けなくなった。しばし、一瞥の興奮を抑え感動の嵐が過ぎ去るのにその場に立ち尽くす他なかった。大和郡山市民の皆様 本日は、僭越ながら この、よく晴れた大空の様に 又とない素晴らしい感動を頂けまして 本当に有難う御座いました。親子祭りの会場は、晴天にも恵まれ、押すな押すなの大盛況だった。関係者の皆様の今日に至る様々なご苦労ご鞭撻、ご配慮、ご好意、ご尽力に対し、市民の方々大勢のお出ましは、きっと本当に有難いことに違いない。

  8階建てビルぐらいの高さは充分ありますね

大和郡山市市制50周年になるんですね。亡父方の曽曽曽ー祖母まで遡りますと、実はこの町の近くに住んでいたらしいですし、親戚が今もこの町に住んでおりますので、人と人のつながりは辿っていけば、何処でどうなっているのか本当に解かりませんね。大昔、先祖の一人もこのお城作りに携わっていたりして、、、本当に見れば見るほど感無量な味わいがございました。


2004年11月2日
今日は朝から在庫積み上げ作業。このところ、やたらとHPの訪問者数が増えた。通常一日30人程度だったが、この1週間200人から300人の数字が続いている。どうしたのだろうか。こんな大阪の端っこで、すぐ向こうが京都になるような片田舎のHPなのに。半年ほどまえに、同じ現象がみられた。その時、直ぐ新種の「サッサー」とかのウイルスに感染したのを発見され、いきなりPCがダウンし、大損害だった。今回はウイルスチェックを入れて万全を期しているが、果たしてウイルスの攻撃から逃れられるだろうか。またまた、新種となると防ぎようが無いようなので困った。前回は、ドイツのPC好きの17歳の少年だったと新聞にあった。流石によく頑張るなあと思ったが、地球の裏側のこんな小さなHPにまでわざわざやって来て欲しくないものだ。ウイルスだけは、ちょっとあっちへ行ってほしいと言えたらいいのだが。それとも、よく解からないがサーバーのシステム的な問題なんだろうか、カウンターが異常カウントしているだけなんだろうか、いずれにしろ、やがて判明するだろう。何もなく穏便に元の状態になるようだといいが。今日は遠方へ例の取材に出掛けるのでこの辺で失礼

H大学の工学部の先生、お問い合わせ有難う御座います。そうですか、若い頃の学部3年大学院5年の8年間、北千里から藤白台の坂を上って通学されていたんですね。あの頃の楓の並木道は、地元では、今では立派な観光名所になっておりますよ
 北千里から大阪大学へ向かう坂を上りきった所の 昨年12月の写真ですが、毎年のように三脚を持ち込んでこの鮮やかな3列並木のキャンパスに油絵を画いたような景色を撮影に来られる方が何組もあります。8年間この下を歩かれたんですか。私事ですが、小学校の頃、この坂で、今では確か北海道の大学の先生をしているN桜君と簡単な手押し車を作って転がして遊んだ記憶がありますので、ひょっとするとあの時、足に当って、ご迷惑をおかけした人だったりして、、、。、


2004年11月1日
このHPを開いたのは、今から2年前の夏。東京の光都市綜合設計鰍ウんの薀蓄のあるHPを拝見したのが直接のきっかけだった。うちもこんなHPがあったらいいなあと思って、約2ヶ月かかってUP出来た。その後、リアルタイムな更新が出来なくてもそれに近いページが必要だと考えてその年の11月にはこのページをスタートした訳だ。以来、風邪などで休んだ日を除いてほぼ毎日更新してきた。そして、丸2年が過ぎた。石の上にも3年というが、今日からいよいよ3年目になる。発泡スチロールの業界で、ここまで熱心に更新しているところは、恐らく他に無いのではないだろうか。仕事として、上司に言われてやっていたり、会社の機関としてやっている所では、ここまで、つまり日曜休日関係なしに一人で毎日更新するのは、不可能ではないだろうか。しかし、何がここまで取り付かれたような使命感で更新を続けさせているのか、実は自分でもよく解かっていない。例えば、当社の営業業務実態をつぶさに観察し、確認するための材料を、出来る限り、読者に提供すること、、、だろうか。あるいは、研究開発部門担当の「わたし」の人物判断に供するための格好の材料を常にご提供し続けることだろうか、そうだろうか。およそ、心理学を学んだ人でなくともこの2年分のノートを読んで頂ければ、これを書いている人物がどんな性格でどんなことを考えているのかおおよそ想像がつくだろうと思う。2年分のストックは充分それだけの分量だ。だから、そのような向目的的意識で自律的に反復表現をしているんだろうか。いやいや、そんな難しいものではない気がする。では、経済的な目的だけだろうか、いやいや、そこまで卑下することもないだろう。では、何か。これは、もっともっと、軽いものだ。軽くて飛び上がって浮かんで流れていく風船のようなものだ。この前、ある作家が秋の功労賞を受賞して「いつも、楽しんでもらえるようにと思って書いてきた」と質問に答えていたが、2年間かけて毎日毎日頑張って、夜遅くまでかかってクソ真面目に書き続けてきたのは、実は、単に、一言で言えば、このエンターテイメントのことであったような気がする。これが、やがて10年が過ぎようとも、これは絵筆を使った劇場劇でしかないからだ。たかが一度しかない人生、笑って暮らそう。クソ真面目に浪花節かな。

で、昨日の続き
 先ずは遠景 ※
 
そして6倍ズームです※※
※※
ひと目見てお分かりのように、神戸にとって、港の占めるウエートが物凄く高いことが解かります。しかし、写真では少し見難いかも知れませんが、左上、艀が仕事が無くて空荷で多数停泊していますし、「キリン」と呼ばれる巨大なクレーンの周囲には、神戸の地震の後、コンテナが殆ど名古屋などに取られてしまい、未だに、がら空き状態が見て取れます。地上からではこの実態は決して見えませんね。この、港神戸の沈滞を神戸空港の埋め立てで挽回しようとしているかのようですが、右上が埋め立てが進む神戸空港です。「神戸は港が命ですからね。空港造って、貨物船がどれだけ増えてくれるんでしょうかねえ。また、名古屋空港に持って行かれるだけでしょうね」と、神戸の地震の前から毎日この景色を眺めて来られた、今年12月15日で廃止になる六甲山ロープウエイの車掌さんは、流れるようなガイドをしながら、そこで唸っておられました。
 ロープウエイが廃止になるとこういったアングルで避暑地の風景を撮ることは出来なくなりますね。台風23号の塩害で山が赤くなっていました。天狗岩駅で乗り換え、時間がありませんでしたので、表六甲駅で戻りました早くもガスストーブに火が入っていました。そして、これが本題。このレストランに来られた時は是非、天井を見てください。N材木店様通しで、フジカットの提供しました断熱材が使われております。あれからもう3年も経ちましたが、、、。


2004年10月31日
もう時間がないので、どこまでUP出来るか解からないので 簡単にしたいが、本日でこのページを毎日書き始めて2年になった。その記念でもないが、親戚に頂いていた六甲山のケーブルとロープウエイの往復乗車券の期限が今日まででしたので、折角だし、このまま使わずにいるのも もったいないので、急いで六甲山山頂まで往復してきた。ロープウエイは今年12月15日で廃止が決まっているので、これが乗り納めになるんだろうか
 JR六甲道下車 市バスで六甲山口まで行くバスの終点がケーブル六甲山下駅だ。途中、ゲームの『ムシキング』ファンには堪らないかも知れないが、バス停名が「ツルカブト」(鶴甲)とか カブトがつく名前がやたらと多い。神戸の大学も途中にあって、ムシキングファンは将来ここへ行くのも良いかも知れないと思った。
吹き抜けのケーブルだ。標高差500mは結構長い。途中で、気温が急に下がったのを肌で感じられた。

 これが今年12月15日で廃止される六甲山ロープウエイだ。勤続28年。ロープウエイの車掌になって18年だと言う車掌さんだ。神戸の地震の前からの変遷を手短に淡々とガイドして頂いた。

続きは明日になります。今日はここまで


2004年10月30日
今日は朝からとんからりん とんからりんの機織り機械音のような音に合わせて、みんな とんから手拍子で在庫積み上げ作業。だから、と言っては何だが、他の作業は全く進まず。

  秋の長雨 たらたらとんとん♪
  倉庫のトタンに開いた穴から 雨水 とんとん すっとんとん♪
  バケツで受けてはピーヒャラ ぴちゃぴちゃ すっとんとん♪
  飛んだハネたは 知らん存ぜぬ セルパネ 浸かった大騒ぎ。
  せっせ せっせとセルパネ つくって これじゃたまらん あめうらら。

  おー雨こさめに日が暮れて♪
     やーまのお寺でがけ崩れ♪♪
       ランドセルしょったみよちゃんも♪
               熊ン子一緒に道草よ♪
                   
お問い合わせ有難う御座います。本当に大きな魚箱ですね。もう暫くお待ち下さい。再度探してみます。
お問い合わせ有難う御座います。そのビーズは以前より濾過器の濾材としてよく使われています。所謂上からの通水ではなく、下からの通水が可能ですから下に落ちたゴミなどの掃除がし易いメリットがあります。
お問い合わせ有難う御座います。メールにて寸法やロットなど流しておいて頂けましたら後でお見積もりさせていただきます。今度は子猫の手術台なんでしょうか。
お問い合わせ有難う御座います。造園にお使いですね。図面をお送り頂きまして有難う御座います。ご返事が遅れております。もう暫くお待ち下さいませ。
お問い合わせ有難う御座います。水耕栽培用ウレタンマットですね。偶然そのメーカーの方とはよく知っております。先日は法事でお疲れの後風邪で休みのようでした
お問い合わせ有難う御座います。小物の冷凍発送には定番ですが、確かにそのようなお使い方ですと新しいですね。
お問い合わせ有難う御座います。保冷車用「あてっ子」ちゃんですね。勿論、製作可能です


2004年10月29日
今日は朝から在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりんと機織り機械音のような音が工場に響く。ある秋の功労賞を受けた作家が、「いつも、読んでくださる人達を如何に楽しませるか、と考えながら書いている」と答えていた。これだこれだ。zzz、zzz、zzz、おっともうこんな時間だ。昔、司馬遼太郎の講演会を聞きにいった時も、似たような事を最後に話しておられたのを思い出し、それから渡辺何がし氏の講演会ではエンターテイメントについてとくとくと説明があったのを思い出し、○本儀一氏の講演会でもお笑いがテーマだった時を思い出し、これは何か書けるなあと独り事をいいながら眠ってしまった。夢の中で、映画館の中だろうか、そんな所でボイラーの安全弁を分解掃除をしていた。スプールや弁芯も外し、スプリングを磨いていた。擦りあわせ面の欠けが気になっていた。今日はここまで


2004年10月28日
今日は朝から穴あけ作業。105π、40π、20π、の穴が何の製品になるんだろうか、意外性のある不思議なものだ。その後は、ひたすら台形の製作。これもさっぱり解からない。何にお使いなんだろうか。昼から、阪神高速が工事の為一般道が大渋滞だが、その配達と他3件。と或る工業団地に叙勲記念碑がひときわ光る会社があった。敷地内にバランスよく樹木が茂り、偶然、木陰越しに1階の会議室から背広組みとブルーカラー組みの後ろ姿が10数人見えた。他では真似の出来ない製品を作り続けてきた結果が、全体の落ち着きを周囲に与えていて、僭越ながら、ほんの一瞬、窓越しに見る会議の風景が、緑の多い工場の遠景と重なって、絵になりそうだった。恐らく、中央のこちら向きに腰掛けた 威厳のありそうな初老の白髪の人物がトップなんだろうか。一体何を話しているんだろうか。解からない。白線に沿って通路を進み、敷地の奥にある研究棟1階に納品。実に不思議な形状の球体装置が所狭しとテーブルに並ぶ。大きなものは優に2mはあるんだろうか。どれも青森で発見された宇宙人のような土偶に形が似ているので、始めて来た時には、軽いショックを受けたものだ。こんな不思議なものを何十年、真面目にこつこつ作り続けてきたのだ。叙勲ぐらい当然かもしれない。「そこの台に置いといて」と言われるままにして、研究棟を出た。一般の人には決して見ることの出来ないものだろう。不思議の工業立国日本の凝縮した風景なんだろうか。この宇宙人のような土偶を作る為に、そのトップ以下一丸となって組織し、何十年、目的に邁進して来たんだろう。たった一人の凄腕の職人さんが出来た出来たと騒いだ時代は遥か昔に経験してきたんだろうか。最早、組織し、チームワークと意識の統一が、無くてはならない企業年齢なんだろうか。やがて、人の年齢と同様に、一般的には会社も老いて行くのだが、こうして時々、老いて行く工場の現場作業員に反して、何故か緊張と緩和の分水嶺で静止したまま、1世紀近く続いている会社があるのは、本当に不思議なものだ。


2004年10月27日
今日も朝から、定型ブロックに400mm×450mm×400mmの大きな穴あけ作業。この11月1日に大阪心斎橋ソニータワーで開催の財団法人 日本パッケージデザイン協会主催の展示会の超特別出展品の製作だ。「フジカットさんが何でそんな所に出展すんのん」と言われそうだが、兎に角、展示の為には時間が殆どないので、物凄く緊張しながら製作に掛かった。本当は折角だからセルパネの展示をメインにしたい所なんだが、今回はすこし趣向が違うそうで、他のものになる。もし、お暇な方がおられましたら、是非、展示会にお越し下さいませ。お越し頂けましたら、間違いなく、きっとひと目ご覧頂くだけで当社展示品がどれか直ぐにお分かり頂けるはずだ。時間がない、今日はここまで


2004年10月26日
夕方遅く、しとしとと秋の冷たい雨の続く中、今月一杯で材木屋さん人生55年に幕を下ろされる方に会って来た。16で福井の漁村から大阪に出てきた。7人兄弟の4番目で、貧しい生活の中、なんでも良いから大阪に行きたかった。大阪に行けば腹一杯食えると思った。北陸からの夜道を歩いてきたのは若かったせいか 全く苦に思わなかったが、紹介で着いたその日から勤めだした材木問屋は、仕事は地獄のようだった。今のように重機は一台もない時代だから、数人で担いで運ぶ他なかった。肩の皮は直ぐむけ、血が出た。今のようにプレカットもなかったから 他の人がしているのを カンナ、ノミ、墨、ノコ みんな横で黙って見ながら憶えた。朝は4時半に店に出た。夜は11時に戻れたのは正月位だった。何年も故郷へ戻れなかった。毎日毎日、木を運んだ。木を切った。木を削った。30を過ぎるまで店と寮の往復だった。幸い怪我はなく、我ながらよく続いた。何人も何人も数え切れない同僚が辞めていく中で、よく辞めずに続いたのは、時々故郷から届く、懐かしい干し魚の匂いと一通の親からの便りがあったからだという。漸く、先代に認めてもらい、今の地に店を出して、嫁を取り、何とか今日まで続けて来られた。一人娘は東京のサラリーマンに嫁に行った。跡継ぎはなかったから、3年前から、70歳になれば辞めようと計画を立てていたのに70歳より2年過ぎた。「商売は始めるのは簡単だ。拡大するのも簡単だ。金を借りればいいんだから。しかし、辞めるのは難しいものだ。金を借りられないからだ。結局、毎月の売り上げ1500万の4倍の現金が要った。支払いはある。手形は切れない。税金は払わないといけないのに売り上げはない。そやから、今月で閉めるんだが、金を全部使い果たして、わしは、とうとう、すっぽんぽんになってしもた。」と仰る。「辞めないで仕事を続けたほうが健康にいいと、掛かりつけの医者にさえ言われた。600年の伝統の浄土真宗の寺の本堂の改修には、そこの住職から、店は辞めても個人の肩書きでいいから柱の選定の目利きをしてくれと頼まれたりした。」しかし、改修工事には出ないらしい。もう仕事は一切しないらしい。仕事を続けておれば、「社長社長」と従業員から呼ばれていたのに、辞めてなけなしの蓄えをすべて吐き出して、第2の人生は「ただの人」を選んた。__飛ぶ鳥後を濁さず__そのままの人生だ。自宅も売って、住み慣れない団地住いはもう始まっている。40年連れ添った奥さんは今日は先に自宅へ帰ってお見受けしなかった。もう、お目にかかることもないのだろうか。人生を賭けた仕事に幕引き。斯くのごとし。


2004年10月25日
今日も朝から各種製作。日が暮れるのが早い。zzz、zzz、zzz。書き続けることの大変さが身に沁みてきた。布団に丸まって椅子に腰掛けて書いていたが、一行も進まないで眠ってしまった。夢の中で、何処だろうか発泡スチロールの成型工場へ営業にお邪魔していた。蓋と本体が一緒に出来上がる金型のことを話していた。ソファーの後ろに水槽があって、白い三葉虫やアンモナイトが泳いでいて、30センチか40センチかありそうな古代のえびのようで ムカデのような白い生き物が、水槽から自力で這い出してきて膝の上に乗った。掛かりの人が「そのままにしてやってください。」というと、古代のえびのような ムカデのような生き物はあたりの様子をみてから、部屋の隅のほうへ何百もありそうなえびの足をブラシのように動かして 這って行った。続いて、やはり40センチ位の白いアンモナイトも水槽から這い出して来て、膝の上に乗ってからゆっくりと床に下りていった。「あとで、また水槽に返しておきますから、よしよししてやってください。」と言うのでその通りにした。夢の中のはずだが、既製品の箱の件で梱包形態とかロット数とか、考えながら話しているし、相手も、そこに居るかのように考えながらの返事が返ってきた。寝ているのか起きているのか解からない状態で外が少し明るくなってきたので起きた。 変った夢だった。今日はここまで


2004年10月24日
まず、新潟の地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。確か、新潟には大学の先輩で一昨年、京都から新潟に転勤になったTさんがおられるはずだ。大丈夫だろうか。連絡の取り様がない。しかし、今年は熊の出没と云い、上陸が10回になる台風と云い、もしこれが今から1000年前の出来事なら、きっと山の神や、海の神がお怒りになっているぞ、となるんだろうか。天変地異で人心も動揺して国家は大きく変わって行く場面なんだろうか。 福島県には、偶々この22日に発泡スチロール製の組み立て式左右非対称円柱アーチを県立高等学校の文化祭に間に合うようにと発送したところだから、地震の発生時刻は、荷物が福島県に向かう途中だったはずだから、到着は大幅に遅れるかもしれない。どうぞご了承下さい。

 そこで、これも何かのご縁かもしれません。もし、福島県立高等学校の皆さんで この一文をお読みの方で、地震の被災地へボランティア救援に向かわれる方がおられましたら、こちらから無償で「1/2ブロッくん」を30mm厚スライスしたものをお送りいたしますので、被災地へ救援物資としてお届け戴けませんでしょうか。神戸の時の経験から、これから寒くなる時期にきっと避難されている方々には、発泡スチロールの断熱性の高さは暖かくて、きっと喜ばれると思います。勿論皆さんのご家族、ご親戚で被災されて、発泡スチロールが必要とされている方がおられましたらご連絡下さい。1民間企業ですので、限度がありますが、出来るだけのことはさせて頂きます。以上 


2004年10月23日
朝から在庫と各種製作。ニクロム線に鉄のアングルを錘にして垂直切りを試してみたが、なかなか上手く行かず、ようやく発泡スチロールを水平に設置しないといけないことに気が付いたのは、夕方、薄暗くなり始め、他の作業にけりがついて、再びその作業に戻った時だった。すこし離れて横から見れば当たり前のことだったかもしれない。昼間、四条縄高校の向かいにある伝統の家柄の材木屋さんの倅さんが、配達の途中、立ち寄られた。製作途中のセルパネ製造機を見せたりしてセルパネの説明をしていた。「大変そうやなあー」と一言あって、そのうちに、ふと「東京の芸大で建築デザイン専攻しててん。発泡スチロールの匂いかいだら懐かしいなー。その頃は、朝から晩まで発泡スチロール削っていろんな物作ってたんや」と懐かしそうに、作業中の作業場をご覧になって仰った。ひょんな所でひよんなことがあるものだ。「おー、プロもやっぱり こないにして発泡スチロール切ってるんやー。」と痛く感心された。そこまで気付かれたかどうか解からないが、今頃になって少し、情けなくなった。ちょっとしたことかもしれないが、ここは水平に設置するのが基本だった。僅か1mで3mm程の傾きだったが、結局それが製品に出てしまうものだ。この手法には水準器が必須なのだろう。一日掛けてまた無駄な勉強していた。前に進まないものだ。6時過ぎ、何気なくラジオを付けると定時番組がいきなり中止して、新潟の地震の臨時ニュースに替わった。


2004年10月22日
福島県立高等学校の文化祭実行委員長様。
本日例のアーチお送りしました。相当大きいですので、10分割での発送となります。組み立ては、短辺長辺の短辺地上側から@ABと番号順に同梱の接着剤で貼り合せ下さい。全長が10m高さ2mにもなりますので接着剤だけでは折れたり倒れたりしないか少し心配です。何らかの補強が必要かもしれません。念のため、例えば30センチ程に切った細めの竹ざおを連結する接着面に前もって、突き刺しておいてから両側を合わせる方が良いかもしれません。とりあえず、接着剤の使い方は容器に書いておきました。余りたっぷりつけても効果はありませんから、へらなどで薄く延ばして接着する両面に付け、2,3分あるいはそれ以上表面が乾くまで待ってから強く押し当ててください。押さえたまま、円柱のぐるりをクラフトテープなどで動かないように固定してください。最低24時間か30時間テープははがさないで下さい。開催までの時間がないとのことですが、とりあえずここまでの作業をお急ぎ下さい。いろいろ有難う御座いました。完成しましたら、完成写真と一緒に余った接着剤もお返しくださいました助かります。それでは文化祭の成功をお祈り申し上げます。


2004年10月21日
この話題は以前にも何度か書いた覚えがあるのだが、今日ある会社の配達の人が来られて、話していた。実によく営業マンの替わる会社だ。会社自体はそう悪くないし、給料といっても そんなにどこでも違いがあるもんじゃないし、じゃー何故だろうか。「やっぱり、上に立つ者が強くないと周りが付いていけないで。人間性かなあー。そりゃー社長はたたき上げの苦労性かもしれないが、どうも、長年関わっているとわかるんだが、表の部分と裏の部分があるんや。その辺でついていけないんと違うかいなー」と、その10年選手の配達苦労人が仰る。通りで、2年で3人新人に入れ替わった。辞めていった営業マン諸君にすれば、確かに水が合わなかっただけかもしれないし、他にもっと良いところがあったのかも知れないし、ただ単に一言いわれて、発作的に「じゃーやめたるわー」ではなかったように思う。何しろ、やっと顔と名前を覚えた頃になって、担当が替わればこちらもやり難いし、会社としてもそれだけ痛手なはずだが、どうもよく解からない。その人事面に問題の分析と解決の手法を学ぶ謙虚さが見られない。小さな会社だ。みんな われわれの周りに寄ってくるのは社長の看板一枚で持っていそうな小さな会社ばかりだから、いくら売れる商材があるからといっても、黙ってほっといても売れる商材ばかりではない。僅かな日銭にも満たない商材が売れた買ったといっても、必ずその商材の前には人がいる。中学や高校のクラブや学級でリーダーみたいな光るやつがいただろう、あんなのがトップに居なければ、だれもぶら下がれない訳だ。だから、逆に言えば、中学や高校の頃から、みんなをどう引っ張って行こうかと内心苦労惨憺してきた方がきっと、小さな会社の小さなトップには向いている。でもしかし、そんな人材は大手に取られて、われわれのレベルまで到底、回ってこないんだろうなあ(笑い)。


2004年10月20日
今日はまた、台風で大雨となった。PCと見合って、或るお問い合わせにお答えしていると、窓の外では稲妻が轟き、ものすごい豪雨が始まったので驚いた。工場の中を見て回っていると、1箇所水はけのよくない所で、水路から水が噴出し、積み上げていたセルパネの材料が冠水してしまったのに気が付いた。これは痛い。実に痛い。マキノ機工のTさんに依頼している例のモーターがなかなか届かないので、その試作実験用に在庫してあった分だ。残念だがリサイクルに回す他ないようだ。まあ、リサイクル可能なので 良いとしたい。昼から、近くの段ボール屋さんに風雨の中、配達。台風接近で、仕事にならず、工場団地の会社はほとんど半ドンでシャッターを下ろしていた。そこの段ボール屋さんも今日は3時で終了するらしいので 早めの納品となった。車のワイパーが精一杯汗を飛ばしているように見えるのだが、それでも追いつかず前が見えないような雨が続く。まるで運河を船が渡るようにして道路を走る。これは本当に物凄い台風性の雨だ。いつもは渋滞の時間だが、交差する車もほとんどない。戻ってから、発泡スチロールの或る営業所に用事があって電話を入れると、繋がらず、おかしいなあと思い、そこの本社に電話で聞いてみると しばらくして「台風で全員帰ったみたいです」と返事。何故か、いいなあと思った。さあ仕事だ。 、、、、、zzz zzz zzzここまで書いてまた、途中で寝てしまった。夜明け前のまだ暗い外は、とっくに静かになっている。 毎日せっせと書き連ねてきたこのコーナーももう直ぐ丸2年になると思うと、台風一過の静けさが奇妙に合致して その2年間を過去の一隅に静かに押しやってしまいそうだ。ここに書いているのは、所謂あーしたこーしたの日記ではない。単なる日記なら、もう小学校5年の頃から書いてきたから、散々飽き飽きしている。文体に進化がない。論調に特徴がない。趣旨本題の解からないいい加減なものをたらたらと人知れず書き流し、書き捨てていくのも良いかもしれないが、こうして公開のPC上に活字になって画面に残るのはどうだろうか、未だに疑問がある。だから、と言うわけでもないが、この2年、出来るだけ押さえてきたつもりだが、ちょっと振り返ると本日の書き方は、確かに、こりゃまるで「ただ何となく書いた」日記やなあ。では、もうこの辺で


2004年10月19日
大雨の中、今日も朝から各種製作。例の施設向け特殊水槽2100×1000×480の製作では、ロゴマークの選定が進まないようだ。今回の水槽に限ってはこのロゴマークが特別な意味合いがあるからだが、こころを揺さぶるようなマークを狙っておられるようで そこが特に依頼者の気をもむ一点なのかもしれない。だが、不思議なものだ。何のご縁でこのような特殊な浴槽を作ることになったのだろうか。これ自体は目新しいものでは無いのかも知れない。かれこれ2000年もの伝統と言うべきかどうかわからないが、世界特にヨーロッパでは長い間、人生の区切りを付けるものとして使われてきている。余り、その歴史には詳しくないが、東西ローマに分かれてからも、一度破門された者が再び復帰して聖職者にまで登りつめた何がしチウスなどは、これを2回か3回使ったのだろうか、よく知らないがヨーロッパ中世から再び科学の改革の烽火が上がった時には、何がしルターとともに時代に揉まれながらその世界では一気に多様化が見られたことだろう。日本では信長の時代、何とか会使日本通信などにその詳しい記述があるかもしれない。長崎では謎の美少年が率いたのだろうが、フランスではそれは謎の美少女が率いているそうだ。反面悲しい歴史もあちこちにあった。或る旧知の学者がよく言うのは「物事には諸刃の剣があるから」。ヨーロッパ大国の世界植民地化の中で、それがいいとか悪いとかの問題ではないのだが、傷付いた人々のこころの癒しとして、それは使われてきた。アフリカの大地で信じられないような数の人々が奴隷商人によって、いきなり海を渡らされ、新天地で有無を言えず現状に目覚めていった人達もこれを使うことになっていったのだろうか。ジャズを聴いていると何処となく悲しくも力強い響きに出会うたびにそれを想像できる。確かに、不思議なものを作ることになったものだ。最近では、そう、世界に東西といったものがなくなった頃からだろうか、これにつけるマークを首飾りとして使う若者が都会では結構目に付くようになったが、果たして日本では一過性の流行なんだろうか。よく知らないが、新生ロシアでは、一時期物凄い勢いでそれが復活してきたと聞くし、アフリカのサバンナでは今も形状を極めて特殊形態に変更しながら時として爆発的な自己増殖をみたりする時には、それが使われるのだろうか。これを作ることになろうとは、人生本当に解からないものだ。思い起こせば、もう28,9年前になるが、一度だけ、これを使われる瞬間を見たことがある。中学の同窓生だったが、その人のことは今も印象に残っている。、、、おっと、もう時間がない。きょうはここまで

上智大学軽音楽同好会の皆様おはようございます。例のご注文有難うございました。早速商品の「ぶろっくん」定型サイズ、手配致しましたのでどうぞ宜しくお願いいたします

大学で「セルパネ」のご研究をしたいとメールを頂いたono akira様 資料を揃えてご連絡をお待ちしております。アドレスが御座いませんので、宜しければ大学に直接連絡を取らせて頂いても云いのですが、出来ましたら連絡先を郵送、又はFAXしてくださいませ。

福島県立高校の文化祭実行委員会の皆様おはよう御座います。今回は特別ということですので、もし宜しければどうぞご利用下さい。またまた、本当に時間が御座いませんが、折角の文化祭ですね。実行委員長をされたんですね。我々のような年齢になりますとよく聞くお話ですが、あなたにとっては初めての人生体験なんですね。あまりお力にはなれないかも知れませんが、最大の努力とご協力はさせて頂きます


2004年10月18日
今日も朝から各種製作。あーでもないこーでもないと時間がない。途中、近くの戸建建築中の現場まで、材木屋さんからのどうしてもとのことで直送。現場に着くと ふと、ここにも世代交代があるんだなあと思った。敷地が200坪の大きな家を建てる主は、一体何方なんだろうと見ていると30代の若い方だし、現場監督もまた30歳そこそこの様だ。そんな歳で、こんなに大きな買い物を出来るなんて羨ましい限りだ。そして、そんな歳で現場を指揮るなんて凄いもんだ。先日、新聞広告で日本が100人だけの村だったらと言う仮定で年齢構成をして年齢順に配列した大きな写真の 「日本はおじさんおばさんの国です」のフレーズのある見開き広告があったが、そこから連想すると、30歳台前半は本当に少数派のようだったが、まあよく頑張っているもんだ。現場から戻ると何故か急に仕事に力が入った。夕方、財団法人日本パッケージ協会の方が見えられて、11月に心斎橋ソニータワーで開催のパッケージ展への協賛依頼があった。「勿論、喜んでご協力させて頂きます」とは返事したものの、果たして開催までの時間があまりにも短く、余裕が全くないのが後で解かった。それで帰宅後、また『発泡スチロール王 選手権』のビデオを引っ張り出して来て研究していた。するとまたいろいろ発見があったが、「おやっ、第2回で優勝したのは、東京調布の (有)スドーアート工房様??、、、おっ!」確かスドーアート工房様は先日お問い合わせのあった方だったのを今頃になって気が付いた。すると、電話に出られたのは優勝者の猿渡さんだったんだーー。おっと、もう時間だ。では失礼


2004年10月17日
季節の変わり目で体調を崩しそうだと警戒していたら あにはからんや頭がんがん 喉いがいが、鼻ズルズル。先日、津田のサイエンスヒルに行った時、枚方パークの大観覧車が見えたので、本日は枚方近郊写真を撮りに大観覧車に乗りに行く予定をしていた。おサルと何とかは高い所へ登りたがると云いますが、、、ところが、大枚をはたいて大観覧車に乗り込んで見たのだが、残念、2,3枚デジカメのシャッターを押したところで、電池切れとなりました。
寝屋川、守口、淀川の向こうの茨木、そしてかすかに六甲山が見えますが、ここで電池切れとなりました。同時に、気力も電池切れで、そのまま帰り、ふとんの中で充電することになりました。


2004年10月16日

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大学のクラブ研究で紙リサイクルを調べておられ、断熱材に「セルパネ」を取り上げたいとメールを頂きましたono akira様
お伝えしたいことがありますが、アドレスがありません。至急ご連絡下さいませ

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今日も朝から各種製作、ばたばたの日でしたが、実に本日も面白いお問い合わせが続きました。今後の参考にさせて頂きたいものが何点かございました。有難うございます。

岩手県立高校1年C組のみなさん、どうぞ宜しくお願いいたします。例のもの遅れましたが本日発送しました。その耳よりなお話は「他のクラスの方々」止まりでお願いします。それ以上は内緒扱いでお願いいたします。(笑い)

東京の機械商社の方、その発泡スチロール製実験器具は以前 製作しました。「職人さんが減ってきました」のご指摘、ごもっともですね。何故なんでしょうかね。解かりませんね。「この器具のように部分的にはNCでも何でも使えば簡単に出来るんですが、それらを総合的に組み合わせて仕上げる、ということをしてくれるとなると結局、最後は腕と熟練になってきますから、手作業でしょう。それは手作業でないと組み上がらないんですね。手作業なら特にNCを使うこともないですし」そのようなことをずっとしてきましたから、ご指摘についてよく解かります。図面を見せて頂いた時、こことここはこうした方がいいのにと思いましたが、立場上言えませんし、言う必要もないんでしょうか。

お急ぎでした例のもの出来ました。当て板「あてっ子ちゃん」大判サイズ、2120×1280×100 大きな保温緩衝板ですね。しかし、ここにも時代の影響が感じられますね。有難うございました。


zzz zzz zzzおっとまた眠っていました。夜明けも大分遅くなってきましたね。今年もあと2ヶ月と少しですか。早いですね。夢の中で発泡スチロールの金型交換をしていました。ゾウのような大きなモルデックスの成型機に上がって100キロ近い金型をチェーンブロックで吊り下げていました。誰かが「今何してるんや」と聞くので、HPやってるねん、と答えると夢の中の誰かが「だいぶ上手くなってきたなあ」と答えてくれている様子だった。


2004年10月15日
大和郡山市の社会教育課の方からポスターチラシと案内状が届きましたので、早速事務所の壁に貼りました。先日もラジオの道上洋三パーソナリティーで紹介があったらしいですね。11月3日 いよいよギネスに挑戦でしょうか、果たしてどうなるんでしょうか、親子祭りのイベントの一環として 世界最大級の発泡スチロールで作る郡山城が披露されるんですね。台風がやって来ないか天気が心配ですが、大変楽しみです。関係者の皆様本当にご苦労様です。成功を切にお祈りいたします。
  ポスターとチラシです

お城に設置する完成した鯱2体です。当社の発泡スチロール 小さなブロック「ブロッくん」などを使い、奈良の人間国宝級以上の方々によって、洗練された見事な伝統の技が、今ここに甦り、鮮やかに完成しました。


2004年10月14日
今日も朝から各種製作、袋詰め、その他。バタバタとしておりました。zzz zzz zzz おっとまた眠っておりました。掛け布団を被って椅子に坐っておりますと暖かくてうとうとしたかと思う間もなく夢の中でした。つい10日前のまだまだうだるような暑い暑い季節外れの残暑とは、はっきり変わりました。地球温暖化が進み、これからは「暑さ寒さも体育の日まで」なんでしょうか。今日も実に様々なお問い合わせが続きました。
上智大学軽音楽部の皆様、おはようございます。矢張り、それが一番だと思います。発泡スチロールをスピーカーのボックスとして使いますと、不思議と音が全方向に満遍なく広がってくれますので、ステージに組み込みますと、大音量の場合、面白い効果が得られそうです。音作りに磨きを掛けた方々にはうってつけかもしれません。一度、小さな発泡スチロール片でお試し下さい。当社でも、沖縄のメーカーが作った発泡スチロール製三味線を真似て 発泡スチロールでギターを作ったことがございますが、あれっと思われるかもしれないですが、確かに音の発信場所が一体何処なのか解からないような 何処からともなく聞こえてくる__それを揺らぎ効果とでも呼ぶんでしょうか 不思議な味わいがありました。


2004年10月13日
朝から例の製作。納期迫るも、急な飛び込み依頼の為、中断。またサンプル屋のお仕事だ。どうせ受けたサンプル屋の仕事ならちょっと違ったこともついでにしておこうと思い、又2倍の手間と暇を掛けて、植物性発泡樹脂で依頼品と同形のものを作ってみた。何かの参考になればと思い、それぞれのページにUPする予定だ。その後、また例の製作。本日中に20点引き取りに来られると電話が入り、焦るも、夕方になって「今日は行けませんから明日伺います」で、ほっとする。この件についても製作方法の改良が必要と見て、その後、早速工夫を重ねた。お陰さまでHPのお問い合わせは今日も4件あった。有難いことだ。『バーバパパの壷作り』(アネットチソン、タラステイラー作 やましたはるお訳)ではないが、そんなお問い合わせもあった。面白いことだ。ワイン酒容器をお探しの方、一度こちらでご希望の形状を検討してみます、と言いながら遅くなっております。もうしばらくお待ち下さいませ。では今日はこの辺で

漫画家鎌田洋次くんからメールが届きました。暖かいご指摘有難うございました。さっそく変更しておきました。鎌田くんも頑張って次回作品書いてくださいね。では


2004年10月12日
本日は急用で材木屋さんへ出掛け、帰りが渋滞に巻き込まれたため、大変ご迷惑をおかけ致しました。お約束のお時間に戻れませんで、こんなむさ苦しい掘っ立て小屋にお待たせ致しましたご無礼をお許し下さいませ。この場をお借りしてお詫び申し上げます。しかし、流石に、天下のN下電器さんともなりますと、腰が坐っていると見え、少々の事では動ぜず、「明るいN、明るいN、テレビ、ラジオ、何でもN」とかの歌通り、数人の御付きの方をはじめ 皆さん結構明るい方ばかりで本当に助かりました。そして、大変面白いお話をして頂けましたし、正しくインターネットの不思議でしょうか、研究所の皆様の一言一言から、故N下幸之助イズムと言うのでしょうか、いわゆる利益誘導だけの会社集団ではなく、この国の寄って立つ、工業立国の基が、N下電器様のように従業員そして地元の町を切々と大切にして来られた所にあったんだと、今更ながら思い知りました。本日は有難うございました。
 社長も、話しておりますが、数々の大手さんがはるばる何のご縁があってか、これまでも当社にお越し頂いて来ましたが、今回、またまた わざわざ 菓子折り(特製化粧箱入り小倉屋のあられ)などご持参頂いたのは3軒めでした。長く記憶に留めておく為にも、ここにあえて記しておきます。今後ともよろしくどうぞお付き合い下さいませ。以上


2004年10月11日
恐らく、一瞬とて休む余裕は無いのかも知れない。セルパネを使った木造建築に、敢えて名前を名乗らず、送られてくる一枚一枚の図面の向こう側に 黙ってシステムの完成を信じて頂ける無数の期待が、距離を越えてインターネットの不思議を通して じわり伝わってくるからだ。例えば、府立中小支援センターの方々は、「セルパネを越えるところまで行ってこそ本当だ」と尤もらしいそれらしい事を捲くし立てるが、煽るのは簡単だ。誰でも言うだけなら何でも言えるし、言うだけならロケットはとっくに銀河系の反対側まで飛んでいるようなものだ。現実は、抜き差しならないのに、歩みを止める訳には行かないのに、マイペースで進む他にないようだ。百歩下がって、頓挫、牛歩の千鳥足だとしても そこに期待を持たれる限り、無我夢中で頑張らない訳に行かない。
 ふと、ラジオをつけると、ニュースでダイエーの事を言っていた。よく解からないが、寝屋川のダイエーは大変だろうなあと思った。今年、1月、茨木のダイエーの食品配送センターへ仕事で行った時を思い出した。以前にも書いたが、全ての照明スイッチに「このスイッチで電気代何十円」と張り紙があったのが印象的だった。そこまで徹底的に節約していたようだが、いよいよこの休み明けからが分水嶺なんだろうか。そう言えば、8月には 機構入りしたカネボウに、トウモロコシで出来た生分解樹脂の発注の件で大阪支店へ行った時は、本当に社内が暗かった事を思い出す、、、。次々と大きなところばかり 何のご縁か、生きた社会勉強を よくさせてもらえるもんだ。まるで、城山三郎のような小説でも書けそうだ。

 「その日の朝、一郎はいつものように通勤電車に揺られていた。機構の官舎からの出勤に最近ようやく慣れてきたところだったが、突然の辞令で15年振りに2年続いた電車通いはこれが最後になった。それでもいつもの癖か、売店で買った経済紙をつり革に掴まって右手の親指で少しめくりながら先を急ぐように見出しを追う姿は仕事柄 慣れたものだった。また、その行き先が大きく新聞の見出しになっていたのを見るのはかれこれ3度目だったろうか。左手には薄っぺらい なめし皮の安鞄が、もう30年此の方何の役に立ってきたのか直属の部下にさえ解からないが、大きなお守りのように その日も擦り切れてカビの生えたような六法全書の1巻を入れて 左手にぶら下がっていた。『城山さん いよいよですね』ここに来て以来ずっと直属で仕事を一緒にこなして来た田中は、含蓄を込めて小声で言った。その通りだと思った。大学を出てそのまま中央官庁をこの国の官僚の垂範とでも言えそうな気概をもってこれまで勤め上げてきたのが唯一の誇りだったのだが、、、、、


2004年10月10日
朝から急な製作作業。そのあと、セルパネの製作作業。昼過ぎ、疲れて帰宅。畳に横になったかなと思うと直ぐに眠ってしまい、気が付くと外は薄暗くなっていた。暮れるのが随分と早くなって来たのに この生暖かさは1ヶ月以上は遅れていて、9月のようだ。確か今日は地区の運動会だと、今頃になって思い出すが、後の秋祭りだった。我々には仕事しか待っていない。力の続く限り、最大限に努力し、積極的に前向きに その当面の課題に取り組む。これ以外に進む道がない。脇目も振らず、ただ、ひたすら、この先を信じて1歩づつ確実に、牛歩を泥地に食い込ませても 蝸牛の大河を渡るとも 我々はこの1歩を休めるわけにはいかない。
先日、進路に悩む中3生から、こんな鳩小屋のようなトタン葺き研究所にもメールが届きました。それだけ迷う真剣さに驚きましたが、思わず、自分の中学の頃と対比せずには、返答のしようがありませんでした。「もし、君に自信とそれに見合う能力があると思うなら 何の怖いものもないから、思う所に従って 則を越えるべきだろう。しかし、君の将来を案じる周囲は決して手放しではその君の勇敢な決断に応援はしてくれないだろうから、何か一計を立てて 充分過ぎるぐらい周囲の信頼に答える必要もあるだろう。自信と能力があっても 今だ視界不良なら 焦ることは全くない。周囲に迎合して 今、君の外に出しているごく一部分の能力に見合ったところの中間ぐらいに 大勢と似たところで甘んじてはどうか。性急な若者らしさもいいが、次か次の次で決するという老獪さをここで覚えるというのでは早すぎるだろうか。」と言った模範解答を出すのが精一杯かもしれない。人生とは中学生ぐらいでは全く何も決まらないものだと、この歳になると理解できるからだ。振り返ると、私は今から32,3年前、中学3年の頃は、1年2年と我ながらよく勉強ばかりしていたものだから、急に進路進路と言われだすと 返って天の邪鬼になってしまい、3年生になってからは勉強もせず、模型の船を作ったりして時間を潰していた。その上、進路もクソも無かったものだから 今は亡き担任の技術の先生に「ここはどうだ」と進路指導を受けた時、即答して「いや、こちらで行く」と 又 天の邪鬼を返答してしまった為に、先生の希望に反してそれに決まったのだが、しかし、特にそれで何ら気にも留めず、というか、何ら深く考えずにいた為にそちらへ進むことになった。30年以上過ぎて、今では全く後悔はしていない。そんな流れで 町なかにある普通科高校に入学したのだったが、どうも中学時代を引き摺っていたせいか、今でもそうなんだが、ちょっと一本気なところがあって、その入学式の時に同級生のN君が数人でガムを噛んで 後ろでたむろしていたのを注意したものだから、彼に、3年間ずっと目をつけられてしまい、2年生の修学旅行の後などは、クラブは剣道部だったが、部室に来たN君に殴られたりして随分と暗い3年間を送ったものだった。お陰で遅蒔きながら 勉強以外にもっと大切なことがあることを理解するきっかけになった訳なんだが、、、。この方向で書いたほうが参考になりそうだが、長くなるのでこの辺で失礼。


2004年10月9日
今日は台風が関東の方へそれるも、終日雨の中、各種作業。今年はこれで 上陸台風が9個、確率が4割台に乗った。
製作実例集更新しました。水耕栽培のページ更新しました。トップページからリンクを伸ばしたりしていますと、時間が過ぎてしまいました。
植物性発泡樹脂のお問い合わせ有難うございます。サンプルお送りしましたので、また後日 写真でもお送り下さいましたら助かります。お待ち致しております。


2004年10月8日
朝から各種製作作業。昼から、また発泡スチロールメーカーの営業マンが、気が重いようで うつむいて来社。そのまま 数時間居座る。またまた 例の値上げ交渉のようだ。溜まったもんじゃない。一体 何度上げたら気が済むのか。「それでも T社なんかびっくりするような値段でこの9月から一斉に上げましたが、うちはこうなんですから」と情けなさそうな表情で顔を見上げる。「ああ、営業マンなんてやりたくない。」とこぼす。「誰にも文句を言われずに暮らしたい」とも嘆く。かれの一言で、これで、関西でもまた何軒か廃業か、転職に追い込まれる業者が出てくるのが、目に見えるようだ。営業マン氏には責任はないんだろう。仕事で真面目に各社を回っておられるだけなんだろうか、その営業マンの『お告げ』の後、賽が投げられて、吉と出るか凶と出るか、 あちこちで また バタバタと同業者が消えて行くんだろうか。そうだ、第一次オイルショックの頃を思い出す。亡祖父の後、亡父の代だったか、石油がいきなり2倍に跳ね上がり、ボイラーなどに石油を使う発泡スチロール工場は大打撃を受けた。少しでも安い石油を使おうとA重油をやめてB Cと替え、仕舞いにはコールタールや砕いた石炭なども混ぜて使い始めたのだった。親戚の叔父さん等は、発泡スチロールを混ぜてボイラーを回すことを提案していたようだった。またもう一人の叔父さん等は、勇敢にもこの時とばかり、営業拡大に乗り出していたようだ。いよいよ、原油が50ドルを越えてきた現在、みなさんどこで如何しておられる事だろうか。申し訳ないが、雑用に追われ疎遠になっている。いずれにしろ、世界的な大きな混乱で需要側の経済がストップするようなことがない限り、この傾向は続くのだろう。先日の府立高専の産官学交流会でクリーンエネルギー関係の会社の展示がすごく多かったのが、思い出された。今日も各種作業が続く。ふと、セルパネの製作途中のものが目に止まった。


2004年10月7日
岐阜県の高校の先生からお問い合わせのありました生ビーズの件に関連して、おもしろ実験のページを更新していましたら、時間がすっかりなくなりました。今日はここまで

大阪市立聾学校のみなさん、こんにちは、文化祭でお使いですね。その形状ですと確かに業務用では、びっくりするほどのものですね。特別にお教えいたしました形状で再度ご検討下さいませ。これならご予算内に充分収まりそうに思います。送料は、路線便を使いましたら相当な額になってしまい、何をしているか解からなくなりますので、特別に阪神高速の片道分で結構です。一度先生にご相談下さいませ。こんな時ぐらいご協力させて頂かないことには、何のために商売しているのかわからなくなりますから、どうぞご遠慮なく何なりとご相談ください。


2004年10月6日
朝から各種作業。仕事の一段落後、セルパネの生産工程の見直しと製作続行。どうしても、先日の府立高専主催の産官学交流会が頭から抜けない。その上、先週お見えになった府の中小企業相談センターの高齢で老獪な方2名に「責任ありますね」の一言をいわれたのが、これまた妙に 耳から離れない。だからどうしても、この製作から目が離せない。昼から、近くの馴染みの段ボール屋さんが、他の用事で来られた時、「何してんねん」と声を掛けられたので、あーだこーだと話していると、幾つか、紙屋の専門からアドバイスを頂いた。これは、正しく、異業種を連結していくと、とんでもない広がりを見せていくものかもしれないと思った。面白くなってきた。

お問い合わせ有難うございます。700π高さ2mの大きなだるま落としですね。こちらに一計がございます。宜しければどうぞご利用くださいませ。まあ、考えてみるだけでもこんなに大きなだるまは面白そうですね。

お問い合わせ有難うございます。倉庫をひっくり返して探しましたら、そのタイプのコーナーパット40個出てきました。宜しければ御利用くださいませ。

有難うございます。ワインの地酒ですね。最近は各地で地酒の第3次ブームとかで、結構お問い合わせは増加しております。個人的には発泡スチロールの地酒用容器を作りましたのは第一次地酒ブームの20年ぐらい前になりますか、、、。サンプル用に瓶をお送り頂きまして大変助かりました。瓶の形状で肩を怒らしたタイプと肩を落としたタイプとございますのでその辺りが特に心配しておりました。これですね。了解いたしました。やはり、何と言っても現物での形状確認が一番ですね。確認が終わりましたら、念のため後日お味の方も確認させて頂きます(笑い)


2004年10月5日
帰り、ラジオでネットの『グロブ』がじわりと広がって来たと解説があったので、聞いていた。振返ると、今日も朝から各種作業が続いた。毎日が変化に富んでいる。有難いことだが、考えてみると当たり前のことかもしれない。この世界で、厳密に同じことなど決して起きないものだし、『グロブ』に広がる世界などもアメーバーのような変化と拡大が常に起きているからこそ面白いのだろうか。掲示板のような時として無責任な誹謗中傷を展開されることも少ないようだし、個人の主張は或る程度身元がハッキリしているので、責任を伴ったものになるところが、浮いた主張より、地に足がついて、共感を得易いそうだ。共感はどんどん広がり、ネット人口の多いアメリカではそれが、主流になって来たとの評だ。考えるまでもなく、個人が共感を求めて主張をする、というよりも、常々使っている言葉の性質上、主観的な発言にさえ他者との気持ちの共有やら指し示すものの記号の何やらが、前もって共通なんだから、それは、ごく自然な動きなんだろう。いつの歳になっても、主観の共感、あるいは間主観的な発想に出会うとき、個人は壁を越えるものだろう。会社に戻ると、例のセルパネ製造機改良に余念がなかった。そう言えば、今日も数々のお問い合わせがあった中に、1件、野球の『グローブ』の梱包用に100mmπの球が欲しいと言ったお問い合わせがあった。お問い合わせ有難うございました。

   そこはかと 稲穂の刈の におう汗 早過ぎし実と 遅すぎし秋 

   イチロウの 討った執ったと 騒いでも 代わらぬ小道を グラブで観戦 


2004年10月4日
朝から例の研究所へ水槽を届けに行く積もりでした。国道1号線 枚方中振の交差点に差し掛かると20トントラックが別の10トントラックに引き綱で引かれてゆっくりと京都方面へ進んでいましたのでその後ろは数珠繋ぎになっていました。枚方大橋に行く為にはここで右折しますので右折斜線に並んで信号待ちをしていました。直ぐ前が回送バスでその前がまた10トントラックでした。信号が変わり、右折を始めましたが反対側の車線の車とお互いに大型トラックで進路を邪魔されたのか、右折する側も、反対側の守口方面へ曲がる車も、進むに進めず、立ち往生しました。その上に 京都方面への1号線も数珠繋ぎで車で一杯でしたし、信号が直ぐに変わりましたが、ますます、どの車線も 動きがとれなくなってしまいました。あちこちでクラクションが鳴り響き、こちらも何とか前進しようにも 前方の回送バスが動かないことには、全く動けない状態になりました。そのバスはバスでその前の10トンが右折しないことには動けませんし、その10トンは反対車線の車が進んでくれないことには動けませんし、反対車線では、私の車やその後ろの数台の車が前進してくれないことにはうごけませんが、動こうにも京都行きの数珠繋ぎの車列が塞いで にっちもさっちも行きませんでした。まさに、辺りは車でひしめいておりました。反対側の車線のこちら向きのトラックの運転席が窓の直ぐ横、10センチ程度のところにありました。ここで、また信号が変わり、次の信号まで2,3分は前進が出来ないことになりますので、責任回避で 緊張が薄らぎました。すると周囲がよく見えるようになりましたら、直ぐ横の10センチほどしか離れていないトラックの運転席でしたが、よく見ると お馴染みのT木材鰍フ若息子様でした。これはびっくりしました。「毎度、T木材さん、フジカットです」と窓を開けて直ぐ横の運転席の人に声を掛けましたら、大笑いが返って来ました。「はははははーー、はははははー、はッ、毎度。こんな所でお会いしましたなー。近頃はどうですか」「はははははー、いやー、山あり谷ありですね」「いやーうちはもうひとつですわー。売れませんねー。この前から急に工務店 止まってしまって、それからはさっぱり家が建ちませんなー。フジカットさん、ところで、 後ろに積んでるのは何ですか」「あー、これですか 水槽ですよ。発泡スチロールの」「ほう、いろんな事されてるんですね」「不景気ですからねえ。早くT木材さんの注文だけて食べていけるようにしてくださいよー」「はははははー、頑張らないと、はははははー」ここで漸く少し、進みだした。かなり前方の方で進路を譲ってくれた車のお陰で少し動いて、その動きがここまで伝わってきたようだ。「それでは」「では、また」、、、ラジオから交通情報が流れる時は必ずといって良いほど名前が挙がる枚方中振の大渋滞の交差点のど真ん中で、偶然こんな会話になったことが、奇妙におもしろ可笑しい余韻を一日残していきました。10月だと言うのに、クーラーを付けずにはおられない1日でしたが。今日はここまで


2004年10月3日
午前中会社に出て急な製作の後、車で5分程の所にある研究開発型企業集団の街「津田サイエンスヒルズ」を見に行った。6,7年前、何の造成をしているんだろうと解からないままだったが、こんなものになっているとは知らなかった。隣接した府立公社の国見坂住宅地は完売御礼で順調に街の完成が進んでいるというのに、確かにサイエンスヒルは、ぺんぺん草が生い茂っていた。ようやく1,2社の研究施設が並んでいるだけで膨大な空き地があった。
      ※


小高いサイエンスヒルの一番高い所に何故か日曜が休業のカフェがある。そこからの眺めは絶景だ。京都の比叡山から北山、小倉山、ウイスキー会社のある大山崎の天王山、向かいの男山、そして北摂山地と大パノラマが広がる。この日は、曇っていたが、夕陽が沈むと綺麗だろうと思った。

                      
ここがそうらしい。例のセルパネの話にでた場所だ。最近、造成し直したような空き地もある。売れたのだろうか。大企業にしたら安い買い物だろうなあ。中企業にしたら社運を懸けたような引越しだろうなあ。小企業にしたらかすりもしないだろうか。当社のような零細企業からすると、気分転換になって、いい目の保養になるんだが(笑い)、、。さッ、津田の図書館へ行って例の調べものだ。忙しいぞ。


2004年10月2日
今日は朝から例の研究所の水槽仕上げに追われていました。特にフロートに関しては非常に難しいバランスが求められていますので、手作りでもう200個近く作っているとは言っても、また何度か作り直しました。その後、また別の建設メーカーの研究所のご依頼の例の発泡スチロール製建築実験用材の製作に追われました。その後は、また別の例の研究所の土壌改良用の発泡スチロール巨大花瓶の発送作業がありましたし、もう一つ、遠方の菓子製造メーカーの研究チームからサンプル依頼の件でアイデア絞りで追われました。まあ、この ど不景気の中、原油の値上がりと材料費の高騰が止まりませんが、仕事はあった方が有難いものでした。改めて、有難うございました。お問い合わせに関しても、順調に ひっきりなしに 絶えることなく 次々と 飛び込んできております。将に、インターネットの不思議とはこのことでしょうか。有難うございます。
 電子部品の微細加工の方、有難うございました。ワイン発送の方、有難うございました。京都の幼稚園の方、有難うございました。横浜のケーキ屋さん有難うございました。3mの巨大なクッションをお作りの方、有難うございました。角柱をお探しの方有難うございました。「何でも作れますか」の方、何でも作れますよ、有難うございました。合同で卒業制作をお考えの方、有難うございました。本日は計 8件のお問い合わせ有難うございました。斯様な小さなつまらない会社のHPを見て頂けまして、申し訳ございません。今後も、せっせせっせと更新、紙面改新努力して参ります。明日は、府の商工会議所から紹介のありました津田サイエンスヒルズへ ちょっと見学に行ってきます。以上


2004年10月1日
今日もばたばたしております。このページの更新もようやくの状態ですが、あと残す1ヶ月で、早くも丸2年になります。最近になって、予備校時代によく聞いた事でしたが、『継続は力だ』とか、何て詰まらないことを言ってるなあと思っていたことが、確かにそうだなあと思えるようになりました。こうして、つまらない事をくどくどと書いて 記録していることは、内容的には半ばどうでもいいのかもしれません。むしろ一害あって十利なし程度のものかも知れません。それより、個人的には、頭を動かして、当面の問題について 積極的に 前向きに 果敢にも努力していく 考えるトレーニングにはもってこいのsystemだと思います。ものごとの考え方については、恩師故T先生について学生時代に厭というほど学んだつもりだったが、さっぱり 埒が明かず 落ちこぼれていた。あの頃は、、、そうそう3畳一間の学生寮では、薄いベニヤ板一枚の様な壁で隔てられた 隣部屋のY君が、いつも山崎ハコのカセットテープを流して感傷に浸って一人で泣いていたり、向かいの漫画家鎌田君がホテルカリフォルニヤのカセットデッキの音量を一杯に上げて しこしこと好きな漫画を描いていたり、寺の息子のハナタレ坊主のM君が缶ビールを片手に 壊れたハンドルの自転車に乗ってやってきて、Y君の部屋に上がりこんで 突然 昼間から宴会が始まったり、奥では来年就職のSさんが英会話のテープをガンガン鳴らしながら、部屋に閉じこもっていたりする中で、ひとり静かに 頭を掻きながら 難しすぎて分けのわからないながらも、本屋で捜して来たあらゆるジャンルの読書を 「まとまって出来る機会は人生今しかないんだ」、と云った 今となっては どうでもいいようなトラウマにかられながら、私は小さな 歴代の使用人のほこりと汗と落書きにまみれた 木製の備え付けの机の前に 近くの新大宮通りの 腐りかけたバナナやりんごを5円10円で分けてくださった果物屋さんで貰ってきたみかん箱で丹精込めて作った本立てに「今日で203冊」とか読書数を書いた大きなシールを 大学の講堂の黒板から拝借してきた押しピンで止めたのを ちらりちらりと見ながら頑張っておりました。当時、恩師K先生の言やT先輩の助言とは裏腹に、考えることとは=本を読む事と独断していたようでした。お陰で書物とは、さっぱり解からないものだということが痛いほど解かったような気がします。隣の宴会がたけなわになる頃、どたどたと 扉のレールのベアリングが古くて外れた為にそんなとんでもない音のする扉を 誰の断りも無くいきなり開けて入ってきたM君が「おい、起きろ、仲村の下宿へ遊びに行くぞ」と叫びながら 連れ出されて そんな他愛も無い一個人の研鑽は よく途中で頓挫していました。


”ギネスに挑戦!!”
大和郡山市の発泡スチロールで作る高さ30mはありそうな世界一巨大な発泡スチロールのお城作り!

製作途中に出る発泡スチロールの要らなくなった大量の廃材を、リサイクルの為に遠路はるばるお運び頂き、この業界のリサイクル運動にご協力頂きまして有難うございます。缶コーヒー程度しかお出しできませんでしたが、汗にまみれての荷降ろし作業お疲れ様でした。やがてこれらの廃材は砕いてコンクリートに混ぜられるか、人形の芯材にされるか、溶かしてパレットになってプラスチック類として再利用されたりしていきます。循環型社会の形成に一役買うことになっています。有難うございました。
重ねて、いよいよ発泡スチロールのお城作りも佳境に入ったそうで、大和郡山市が誇る彫刻マイスターによる鮮やかなノミさばきによって出来上がりました 郡山城天守閣最上段に 郡山城下幾十里を するどく睨み付けて 雷鳴轟かせて立ちあがる予定の「しゃちほこ」の完成写真をお送りいただきまして有難うございました。この場を借りましてお礼申し上げます。
   流石に奈良1400年の歴史と文化が伝わって来ますね。





2004年9月30日
大阪 堺 泉北の方から耐震家具研究所の方がお見えになりました。有難うございました。大変参考になりました。これまでの家具を点と線で転倒防止するやり方に疑問をお持ちで、「だから面で受けるのが最高だ」というご意見には感服致しました。重ねて有難うございました。軽い上に形状を固定出来る物となりますと 素材的にかなり限定されてきます。確かに、以前、東京のs電気様の社員寮のロッカールームのロッカーが転倒しないか気になるというので 天井部との隙間を埋めるのに 少し硬めの発泡スチロールをその形状にカットして使いたいと言った問い合わせがございましたが、はっきりそのような利点を指摘されたのは初めてでした。大変参考になりました。
その直ぐ後、大阪中小企業支援センターの方が 2名でお見えになりました。長時間ご説明を頂き本当に有難うございました。セルパネの件で本当に有難いアドバイスを数多く頂きました。多いに今後の参考にさせて頂きます。、、、zzz、、、zzz、、、、zzz、、、遅くまで考えことだったせいか、目が覚めるともうこんな時間だ。とり合えず今日はここまで


2004年9月29日
不覚だった。また机で寝てしまった。夢の中では、何故かお祭りに参加して連夜の踊りをしていた。皆、赤や黄色やピンクや青や色とりどりの模様の入った浴衣姿で腕に襷をかけて両手を上に右へ左へ 行列をつくって狭い道路にはみ出し 練り歩いている。みんな楽しそうだ。これは何処の町なんだろうか、懐かしい光景だった。そういえば、昨日は和泉市のお祭りに使うからと夜9時過ぎになったが、特殊保冷用の容器を遠路はるばる引き取りに見えられた。(実例集145番参照) 威勢のいいお若い方だったので、きっと祭りの若衆で頭でもなさっているんだろうと思った。有難うございました。お陰で良い夢を見させて頂きました。おっと、疲れが溜まっているんだろうか、気が付くともうこんな時間だ。取り急ぎ失礼


2004年9月28日
高槻の中学の1年3組の皆さん、初めまして こんにちわ。先日、担任の先生が忙しい合間をぬって、350mm角14人分 お車で引き取りに来られました。真面目そうで いい先生ですね。発泡スチロールの350mm角が相当大きなものですから、全部で14個が先生のお車になかなか入らないので困っておりました。突然激しく降りだした雨の中で、先生と一緒にずぶ濡れになって何とか1個づつ袋から出して、あーでもない、こーでもないとひっくり返しながらお車に詰め込みました。その時、ふと気が付きましたが、小奇麗なレースの刺繍のカバーをした座席を後ろに倒した時、椅子の隙間から ほんのちらりとしか見えませんでしたし、ぼろぼろでしたので こちらの見間違いかもしれませんが、確かに先生の個人名での災害地支援の白い領収書があったように思いました。「やるじゃん先生」と内心思いましたし、拍手をお送りしたくもなりました。しかし、10月の文化祭まで後、休日を挿んで1週間程しかありませんね。生徒総出で頑張らないと準備が出来ない時期に来ています。350mm角をカッターで切り出して、目や鼻や耳を作り、髪の毛に見立てた毛糸を接着して人形の頭にし、絵の具で顔色を付けて仕上げるそうですので、よほど急がないといけないようですね。でも、この先生ならきっとうまく行きますよ。みなさん頑張ってこの先生に付いて行って下さいよ。影ながら応援致します。解からないところがありましたら何なりとご質問下さい。きっと今度の文化祭は大成功でしょう。


2004年9月27日
原油高騰の中で、どこまで価格を持ちこたえられるかの勝負になってきた。大阪周辺でも発泡スチロールの同業者が、バタバタと業種を替えたり、廃業に追い込まれたりしているようだ。こちらで把握している分で 数えると今年だけで3軒に上る。もともと発泡スチロールは、モータリゼーションの進展と使い捨て文化の矢面にたっていたので 広く大衆に沁み込んだ 「安いものだ」と言った印象が未だに消えていない。他のプラスチック類と同様に100円ショップに大量に並んだ安物のイメージが続いているから、原料価格の上昇分を迂闊に転嫁出来ない。反面、日本から海外に拠点を移した企業は、海外から製品を輸入する場合、企業論理の前に、平気でエコ破りをして、発泡スチロールの分厚い緩衝材で包まった どでかい電化製品を どんどん国内に入れてくるために、リサイクル面の請負などで業界は2重3重に複雑な局面に立たされている。国内では使うなと言われ、海外からは大量に使ったものが入ってくる。この矛盾だ。世界的には需給のバランスの中で原料価格の上昇だし、それに世界的にはインフレの中での原油価格の上昇だから、比較的穏便に価格の転嫁は可能だろうが、振り向くと、国内は違う。まだまだ、白書のどこにもインフレになったなどと書き込みは無い。依然街角には不景気のつむじ風が吹いている。確かに、商品価格には鉄鋼など一部には跳ね上がってきたものが出てきているが、全体はどうか。確かに都心や、大阪心斎橋周辺には土地の値上がりが始まっている所はあるが、少子高齢化、人口減少が都心回帰現象を生んで、地方、国、全体の情勢まで変えるところには至っていない。もぐらたたきのようだ。どこかが出ると直ぐに叩かれる。あるいは、、、やはり 出る釘は打たれるんだろうか。だから、急がないといけない。今やらないと一体誰が何時やってくれるんだ、と言った悲鳴にも似たため息と焦りがセルパネ製造機改良型の製作に打ち込ませていました。


2004年9月26日
今日の作業が終わったのは夕方4時過ぎだったか。正しく我々の休日は仕事のようだ。まだ、セルパネの生産工程の見直しに、使命感のようなものにとり付かれての一日だったが、何とかイメージしていたものに近づいてきた。やはり、府立高専の産官学技術交流会に参加したのは意味があったような気がする。間接的に、あの雰囲気が今でも伝わってきて、他の技術系の会社の展示で、内容は相当ハイレベルなものが多いので それはそれで さておいて、技術者 研究者 発明家 学者といった ものつくりに対して 求道心のようなものに燃えた人達の発するオーラのようなものを浴びてしまうと 何故か自分まで 研究者のような積もりになって 未だに消えないで残っている彼らの残像を瞳に浮かべながら、拡散思考なのか集中思考なのかよく解からないが素材に墨を引いている。学業を終えて25年以上過ぎた者が、今再び古びてカビの生えかけた書物を開いて 真剣にあーでもなかったか、こーでもなかったか、と言わせるのに充分だ。1週間掛かったか、昨年も高専の交流会の後、しばらくは、ある先生から頂いたアイデアを形にする為に燃焼していたが、今年はさらに、「このままではすまされないぞ」といった脅迫観念染みた勝手な思い込みにはまっているから、4機製作予定の機械が、もう最初の1機がほぼ完成になった。だから、今日は休日だとは言っても少し、達成感があった。おっと、もうこんな時間だ。では失礼





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