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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                         

2004年7月15日
遥か遠方に 夏の積乱雲に霞む京都比叡山を望むこの道は、あの研究所へ向かう近道だ。中学の同級生だった伝説の女将0さんが亡くなられて まだ10ヶ月も過ぎていないというのに、早くも 夏枯れる河岸の雑草に似て、人知れず霞み、寂しく忘れ去られて過去の人になることを許すのだろうか。それとも、時折 激しく鳴り響く稲妻のように 繰り返し 我々のもとを訪れる悲しみのメロディーとなって この澄んだ大空を焦がすことだけが 唯一の彼女の生きた証なんだろうか。生きとし生けるもの この世に生まれ、形を与えられし者達は、やがて又形を失いつつ消えていく。何のことはない。ごく当たり前のことであったはずだ。例え、万巻を読破したとて、それが当たり前の定義なんだと、あんなに若い時に教えを受けたはずだったのだ。それなのに思わず、あの積乱雲に問いを発してしまった。生きる事とは一体何だったんだろうか。河上の古都で 象牙の塔から いつも それに答えを流してくれた師は、最早この世にはいない。切なく流れる祇園祭の鐘の音が、今年もこの河を伝わって聴こえてくるだけだ。諸行無常、所詮は、生々流転の人生よ。


やがて秋が来てすすき野に また冬が来てよし焼き黒野に 白き年越し また春が来て菜の花黄畑に この河よ

    あの遠き山を見て そして1年 また1年
            きっと歳月は 読書以上に我々に含蓄を与えてくれたのだろう
                                           ならば、書を捨て街に出よう ブ ナロード


2004年7月14日
朝から在庫積み上げ作業。とんからりん どん、とんからりん どん、とんとんからりん とんからりん どんどん。故障__、近くの鉄工所のおやじさんに来てもらう。枚方の公園のブランコが全機種作りなおしになった為、超多忙らしい。例の高槻の小学生の連続事故の思わぬ余波のようだ。応急処置で再稼動。「70歳で現役、仕事が出来て有り難い」この道55年の現役ベテランの一言は重い。大阪は今日も35度。仕事場は45度以上か。先日自作したセルパネ用攪拌器のテストも1度しか出来ず、夏バテ気味。明日は例の引き取り。

トウモロコシの話が新聞にあったので、生分解のページに追加した


2004年7月13日
朝から各種製作。昼から、多忙な中に時間を削り、セルパネ製作。今日も、セルパネのお問い合わせが合計3件ありました。お電話で2件、メールで1件。やっぱり、世の中は、何はどうあれ、環境問題や、住み心地問題などに関心が向かっているように思いました。そこで、また、セルパネの製作。ちょっと時間を空けて製作方法を検証しますと、意外なアイデアが涌いたりします。さあ、いい物を作りましょう。おっと、もうこんな時間だ。東京はどうしているかなあ


2004年7月12日
今日も朝から各種作業。原油はその沸点の差を利用して遠心分離機でガス、ガソリン、ナフサ、灯油、軽油、重油、アスファルト、に分解される。この分解されたナフサからさらに エチレン、プロピレン、他が熱分解される。そしてこのエチレンから重合反応などでポリスチレンができる。ところが、ナフサは 需要に国産だけでは供給が不足し、今では多くを輸入ナフサに頼ることになるのだが、このナフサが世界的に不足し始めた為に、国際価格の急激な上昇が起きている。そして、国内市況に大きなインパクトを与えている。世界では、景気の活況とともに 物流の流通量は飛躍的に伸び、新規参入の現場では流通時の破損損失を減らす為、手っ取り早く、真っ先に利用されるのは段ボール箱と そして緩衝材だ。一時期国内から姿を消していた発泡スチロールは、皮肉にも、黒船に乗って海外から続々とやって来るようになった。さあて、どうする。開国するの、それとも独自に進むの?


2004年7月11日
今日も朝から例の製作。水圧実験、浮力実験。なかなか、セルパネの準備にまで至らない。これでも急いでいる。焦りは禁物と言いながらも急いでいる。折角の、8月末のマイドーム大阪での産官学交流会へ参加依頼があってから早くも10日が過ぎる。ここで根本的にセルパネのカタログから作り直そうと思いながら、なかなかの なかなかだ。が、前を向いて やるしかないようだ。
浮力実験器具だけで 1日 かれこれ 3個作り直していたので、時間ばかりが過ぎて、昼から立売堀の道具屋街へ行く予定も消えた。だから、こうなれば、また自分で 無い脳味噌を絞ることになるんだろうか。何でもかんでも 出来そうなことはやってやろう。そう思いながら、無い袖を振るわけにはいかないだろうが、これは、やっぱり、会社から帰っても会社の仕事の続きが出来る体制に持って行かないとならないんだろうか。どうも、そのような気がしてきた。自宅に実験室でもないことには、身動きが取れなくなり始めたようだ。引越しでもするべきか。困った。


2004年7月10日
今日も朝から各種製作に追われた。やって行く他に何もないが、何も進まず、何も終わらない。しかし、黙して語らずも良いかも知れないが、こうして世界に状況を発し続けることも、ガラス張りでいいものに違いない。我々のような 台風が通過するだけで飛んで消えてしまいそうな小さな会社にとって、世界へ常に話しかけることは、重要なアイデンティテーだろうか。昔、と言っても7,8年前までは、世界へ発する情報はすべて、遠く手の届かない既成のものだった。だから、ミニFM放送局を作るのも面白かったし、有線でテレビ局を作っていると聞いても大変 新鮮な驚きがあった。巨大なメデアに手弁当で対抗すると言うだけでゾクゾクするものがあったのだろうか。しかし、それから、情勢は一変した。、、、、まあ、取敢えず流れに乗り、さあまた仕事だ。


大和郡山市の皆様、倉庫に搬入された 郡山城の建設資材の一部写真をお送り頂きまして有難うございます。これから、が大変ですね。頑張ってくださいよ。ギネスが待っています。


2004年7月9日
朝から例の箱作り。各種製作。ただ、ひたすら前を向いて頑張って行く外に無い。焦るが、手を止める訳にもいかず、さりとて、断る訳にもいかず、全時間を仕事に当てて、このページの更新さえ暫く、「閉鎖」とか「しばらく工事中」にするべきかもしれないが、折角今日まで、流行の今風ホームページなるものに縁あって、じゃーこちらもやってみようと始めた手前、辞めるわけにもいかず、他人に代わってもらう訳にもいかず、長すぎもせず、短かすぎもせず、そこそこの文章にまとめる努力も惜しいとは、言えず、あーでもないこーでもないと、碌な愚痴を飛ばす かっこ悪さを書く年齢でもないだろうと、叫ぶ訳にもいかず、苦虫を噛むわけにもいかず、毎日遣ってくるおもしろ実験のご提案メールに、密かに笑いを噛み殺す毎日だ。だから、今日もひたすら前向きに前進あるのみだ。悔いても仕方がない。忘れような。諦めような。また、明日頑張ればいいじゃん、と言えたのはもう何年前の青い時の思い出だろうか。あいつのせいだ、こいつのせいだ、どいつのせいだ、と言えたのは、もう何年前の暗い時の思い出だろうか。偶然と偶然がぶつかり合って、まるで河の流れが斯くあるかのように今日も過ぎて行く


2004年7月8日
朝から各種製作。昼から いそいそとK大阪事業所へ出掛ける。セルパネ屋兼発泡スチロール屋が、そんなところまで これまた何をしに行ったのか、と言われそうですが、それはこの時期だからこそ、又と無いチャンスと思ったからです。偶々、某大手のお客様から依頼があったのが第一の理由でしたが、しかし、その事業所の一角には、とうもろこしの発泡スチロール作りに生涯を賭けた男のロマンスが、見えました。将に、現在進行形のNHKの番組「プロジェクト X’」張りで、是非番組に取り上げて頂きたいような意地と情熱と 地球環境保護に賭けた男達の物語がありました。「彼らは決して逆境にめげず、がんばった。頑張り抜いた」と、感情を押し殺したような例のアナウンスと 中島みゆきの”地上に降りた天使がどうしたこうした♪♪”の挑戦者達の歌が事業所のあちこちの廊下から聴こえてきそうでした。それは、あのカシオのデジカメが、幾多の逆境にもめげず、輝ける未来を信じて 密かに研究が続けられていたように、ここの事情所全体が丸ごと 事業の未来を信じきっているようでもありました。恐るべし、工業立国日本。

生分解のページ少し追加
製作実例少し追加


2004年7月7日
朝からまた各種製作。昼から或るコーキング、接着剤の研究開発型ベンチャー企業を1軒訪ね、有り難いご説に与かった。神崎川沿いに少し行くと内本町3丁目を左に切り、阪急の踏み切りを越え、暫く行くとそれはあった。考えてみれば、大阪土修町は大阪築城の昔から薬問屋の町だったが、土修町からそう離れていないこの辺りには 資生堂、大塚製薬、白玄、大幸製薬、武田薬品、仁丹etc、と薬品関係の会社がひしめき合って 結構多い。きっと、その土地柄と町のムードが、厭が応にも、現代の錬金術師達を その香る安息香肪に引き寄せられるようにして 次々に集めていくのだろうか。決して、50年、60年では形成されない もっと、もっと、100年300年の歴史のタームで語る必要のあるものだ。 何代にもわたって作り上げられて来た町全体の薬品臭だ。その壮大な先人達の営みといった視点から目を離さずに見ていけば、今回訪ねた会社も、数々の特許を持ち、今また、発泡スチロールに使える奇妙なコーテング接着剤を開発し、特許を申請し、新規に、将に 売り出しを始めようとしている事実は、100年前の資生堂かもしれないし、200年前の武田かもしれない。連綿と繰り返される 飽くなき知的好奇心だろうか。未知への好奇心が、突然の発見で、知に対する喜びに代わる瞬間がここにも或る。「いやー、困りましたな、今回の発明品は、あらゆる素材に引っ付くんですが、特に発泡スチロールを選んだのは、発泡スチロールは、素材の汎用性が高く、知名度も親近さも高いと言うことから、他のコーキング剤との差別化が容易だったからなんですよ」と仰る発明家からは、あの発明発見の喜びを味わったことのある人達に共通の何ともいえない、得体の知れない達観が垣間見られた。こんな人達を次々に輩出する、工業立国日本の恐ろしいほどに美しい姿だ。


2004年7月6日

朝から各種製作。お問い合わせ7件。セルパネの件で激励のお電話頂きました。有難うございます。ニーズが多様化する中で、ニーズにどれだけ付いて行けるのか、努力が必要だと言う厳しいご指摘でした。「8時9時で帰宅するな。仕事をしろ。セルパネを考えろ」と勇ましく、「10時11時は宵の内、まだまだ 朝まで幾らでも時間があるんだ」と。有難うございます。世の中、広い、広い、体力に任せて仕事に没頭されている方は大勢いらっしゃるのでしょうか。zzzz zzzz おっともう朝だ。また机で眠ってしまった。仕方が無い。マイペースでするほか無いか。頑張るほかに何も無い。確かに、インターネットは24時間だ。また、お問い合わせが来ている。こんな つまらないコーナーだが、また態勢を立て直して掛からないといけない。どうも後手になった。今日はここまで


2004年7月5日
朝から各種製作作業。夜、9時になって或る研究所向け急な配達。こんなこともあるものだなあ。10時前帰宅。こんな時間の配達は、昔、学生の頃に1回だけだったが 夜遅くの配達アルバイトがあった事を思い出させてくれた。あれは確か、国鉄尼崎の駅から、「中身を見るな」と言われて紫の風呂敷に包まれた怪しげなものを国鉄京都駅の「おたべ人形の有る売店」の前で待つ60歳くらいのおじいさんに渡すだけで、時間にして2時間もかからない仕事だったが、何故か相当実入りのいいアルバイトだった。バイト代の明細書には、交通費、食費の他に その雇い主から別に特別手当まで出ていたので、きっと大切な書類か何かだったのだろうか、中身を見ていないので全く覚えがない。帰宅すると夜中になっていたが、その時は 少し スリルもあったせいか 妙に気持ちがよかった。それで、2匹目のどじょうを探して翌日から毎日、扇町にあったアルバイト斡旋所へ通ったものだ。そう、確かそれから何年か過ぎて、例のグリコ森永事件が起きた。


2004年7月4日
いろいろ諸般の事情のある中、先日テレビ番組で モーツアルトの曲を聞くのが 発明発想に良いらしいとしていたので、特にモーツアルトが好きでもないのに、物好きと言われるかもしれないが、早速、それに行って来た。帰り道、ある人の紹介で隠れた名所があるとお聞きし 大阪天保山まで少し足を伸ばして 見に行って来た。

中央に帆船型回遊船サンタマリアが小さく見えます。右端は海遊館です。若者の失業率10%を越える大阪で、職がないのか暑いからなのか、岸壁をうろうろする若者が多いのに驚いた。あっ、何かイベントがありそうだ。
 ここだ。ハンギングガーデンだ。    
どこが運営している公園か、まったく知らないが、中2階に人工地盤を組んだ色とりどりの花の咲き誇る不思議な公園だった。


2004年7月3日
50mm×3’×6’の発泡スチロール板 第一陣 173枚いよいよ出発!これだけあっても世界一の天守閣のほんの一部にしかならないスケールです。向かいの会社では、タワークレーンを使った近代的な工法で工場増設工事が見えます。何となく対称的だと思いました。お城造りは、やっぱり大和郡山市市民の皆様による人海戦になるんでしょうか。街を挙げての一大イベントですね。
 大和郡山市と商工会青年団の皆様による、ギネスに挑戦する”発泡スチロールで造る世界一の5層天守閣”の資材搬出いよいよ開始です。100年に一度あるかないかの大きな天守閣作りという大事業に街の皆さんが燃えております。うまく完成すれば、間違いなく世界レベルのトップニュースでしょうか。私も、陰ながら応援致しております。早速、第一報を中学高校と同窓生で、今、NHKで働くN女史に連絡を入れました。これもご縁でしょうか、どちらさんも 何かのプラスになれば幸いです。


北大阪商工会議所のK様、8月31日のマイドーム大阪での産官学交流会のお誘い有難うございました。喜んでセルパネの展示をさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願いいたします。何とか空いた時間を見計らって準備に入ろうと思います。展示パネルは、また中学の文化祭並に模造紙にマジック書き程度になるかもしれませんが、若者の失業率10パーセントを越えた大阪の街で、このコントラストが良さそうです。完成されたスタイルになるのは、彼ら次世代を担う若者達にお任せします。


2004年7月2日
何とか、1行だけでも記入。お問い合わせ有難うございます。朝から計12件のお問い合わせでした。では、今日はこの辺で失礼。


2004年7月1日
多忙の為、ここまで。明日も更新できるかわかりません。


2004年6月30日
朝から在庫のとんからりん、とんからりん たらっ とんからりん作業。住宅関連の仕事をしていると どうも金利が気になる。住宅ローンをお使いの方が圧倒的に多いから家が建つ建たないに直接影響があるからだ。最近でも、金利が下がった途端にあちこちの材木屋さんで活気のいい声が聞こえた。或は、金利が上がりそうだというので昨年後半前倒しがあって年明けからは反動でみなさんがっくりなさっていたり、と言ったところだ。さて、現況の中で海外でFF 0,25%の利上げがある。これをどう見るかだ。一斉に国内ローン金利引き上げに連動するんだろうが、それが、吉とでるか凶とでるかだろうか。経験則からは、この不景気の中、また暫く、家が建たない、となるんだろう。さらなる先高感から 逆に、今のうちに こぞって家を建てようと言った機運に転化してくれるんだろうか。原油の値上がりから始まって、紙パルプ、鉄、化成品、あらゆる商材のじわじわと手探りで進んで来るような値上がりムードの中で、それを『インフレ』と呼ぶべきか、どうか。判断の分かれるところだろう。 それとも、途中 簡単に腰折ればかりあったこれまでの「判断景気」から、実際の 「ど不景気からの脱却」があり得るのかどうかなんだろうか。まっそれはさておき、今日も朝からとんからりんの各種製作作業。


2004年6月29日
朝から在庫積み上げ作業。配達などで外出の後、戻ると電話やメールが9件溜まっていた。不思議なものだ。この不景気の中、連絡ノートにはずらりと様々な研究所のお名前が並んでいた。電気の会社の名前だけでも 誰でもご存知の会社が4件ある。こうなったのも、お陰さまで、きっと滋賀大学の工業技術センターのM教授の有り難いアドバイスが活きているんだろうと思う。あの発泡スチロールの思い掛けない可能性の発見からだ。それ以外にもまだまだおもしろ不思議な用途が見つかった。しかし、時節柄、一番多いのは この夏、全国各地で開催予定のいかだレースに関するものだ。仙台、神奈川、愛知、京都、広島、福岡、鹿児島とお問い合わせのあった地域だけを並べれば、全国のいかだのレース概況が作れそうな具合だ。恐らく、その加工性からしても、必要浮力からしても発泡スチロールはもってこいの素材かもしれない。だから お問い合わせが多い。まあ、直接商売に繋がらないが、お問い合わせだけは多い。(笑い) もうこんな時間だ。明日は、朝から或る研究所の要人が見えられる。先日は青年海外交流団の団体さんを自社研究所に招かれて、英語で丁寧に事業の説明にあたられていた方だ。会社事業の進展具合をアジア各国インド、マレーシア、シンガポール、フィリピン、サウジアラビア、カタール、etc。のこれからを担う若い青年少女達に懇切丁寧に説明なさっておられたのを偶然見たことがある。恐らく、民間レベルのこういった直接お金にならない交流と支援は、一人一人のやるかやらないかだけの資質に掛かっているのかもしれない。それが、日本のNGOの実態かもしれない。やるか遣らないかだけの違いは、しかし、それを受け止める無名の若い次世代には、深く深く、世界に広がる。


2004年6月28日
それで、今日は朝から在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりん♪ とんとんからりん とんからりん♪ 機織りのような機械音を工場に響かせながら終日続いた。ど不景気の中、なけなしの貯金を叩いて買う夢は、関西では建て売りが圧倒的なのかもしれない。箱庭でも庭があるだけましなんだろうか。多くは1階が車庫のひょろひょろしたものなんだろうか。それでもお買いになる側からすれば、人生一代を賭けたおおきな財産だ。時局、難しい局面とは言いながら早くも今年も半分が過ぎた。金利はまた上がるのか下がるのか、中国の経済抑制も来年になれば、オリンピックまで後3年だから そんなこと言ってられなくなるんだろうし、、、んーん難しい判断だろうなあ。若さに任せてえイッやーでローンを積んで お買いになる方もいるんだろうか、そんなことを考えながら とんからりん♪ の積み上げ作業は続く。
 
今日も様々なお問い合わせ有難うございました


2004年6月27日
JR吹田に急な用事が出来、急ぎバス電車を乗り継いで行ったが、漸く昼過ぎになって それも事なきをみたので、かねてより予定のNハム研究所のS君と 今般の国際情勢や景気動向に関する状況分析を行なったり、各々得意の研究テーマの意見の擦りあわせ等しながら、美味しい日本ハムの例の中元向け新商品のハムを食べたり飲んだりの予定があったのだが、折角、待望の予定までキャンセルして、直ぐに 天満橋のキッズプラザ2階に 発泡スチロールを使ったおもしろ実験があるらしいと他人から聞いたので、足がそちらへ向かってしまった。ところが、急いだつもりだったが、つい駅を出て、天神橋商店街を南から北へ歩くべきところをうっかり北から南へ下ってしまい、行けども行けどもキッズプラザが見えてこない。おかしいなあと思った頃にはとうとう天神橋1丁目まで来ていた。商店街の南出口まで来て やっと気が付いた訳だ。また日本一長い商店街を 今来た通りを戻って行かなければならないのかと思うと、「発泡スチロールだ、発泡スチロールだ♪」と蒸し暑い梅雨の中弛みの中で 発泡させていた気力が急に失せた。ふと商店街の脇で目に付いた マジックで プッと口を膨らませたように書いたタコの絵の たこ焼き屋で、7玉200円のたこ焼きの小舟を買って、誰もいない木の長椅子に 腰掛けて楊枝でつまむことにした。熱いから水をくれと頼むと、振り向きもしない店の若奥さんに「ごめんな 」と言われたので、セルフかと思い、長椅子を端から端にしりを滑らせて冷水機まで来ると故障の張り紙がしてあった。それで、小舟に2玉残して、向かいの自販機でサントリーの健康茶を買って戻って来る積もりでいると、騒がしくしながら 一緒に通りから入って来た 中学のクラブ帰りの学生が 7,8人 先を争ってすぐ前に来て、長椅子の場所を盗られた。「おばちゃん、誰か残してるでー」と言うなり小舟とまだ食べる予定の2玉は、灯油缶で作ったゴミ箱に投げ込まれてしまった。それがまた厭に楽しそうに見えたので、ムードを壊すのもどうかと思い、店に戻るのはやめて そのまま手にした缶を開けて飲みながら とぼとぼと商店街を歩いた。失業率6,2パーセントの大阪とは思えないほど、夏の商戦を前にして商店街は華やかだった。


2004年6月26日
昼過ぎまで、あーだこーだの「試作人 試作に溺れ」状態でしたが、2時頃、漸く妙案がまとまった。まとまったと言うより、ふと、思いついたので忘れない内に直ぐ形にした。ここまでで10日掛かってしまった。鐘の鳴らない仕事だ。形にするのは慣れたものだがそれまでの試作の連続で時間と浪費がこんなに掛かっている。取り戻さないといけないので 完成を急いだ。夕方7時半頃、材木屋さんから無理な注文の電話、有り難く受け、特注品の製作になった。僅かな量の割りに9時半を回ってしまった。情けないが一体何をしていたのだろうか。気が付くと今日も夜10時を過ぎて打ち止めとなった。人件費の「じ」の字もない製作作業に終始振り回された。本当に世間は景気が回復したのだろうか。恩恵が伝わってこないし、実感が涌かない。 近くの弁当屋さんもリストラがあるらしい。120人の社員が60人に減らされるらしい。いつもの弁当屋さんが嘆いていたのを、夕食がまだだと鳴る腹がおもいださせてくれる。大口のお客さんが2社続けて中国大陸や三重県山中に工場移転したからだと言う。家計を支えるパートさんの大量首切りだ。この辺なんやなあ。頑張って行く他にない。

 しぐれさみだれ 霞み雨 空が泣くときゃ 雨になる おれが泣くときゃ 目やに目じりに ぬぐう はなくそ花粉症


2004年6月25日
朝から在庫積み上げ作業。奈良の方、遠路はるばる4名様でのお越し有難うございました。いよいよですね。皆様の故郷に巨大な発泡スチロール製天守閣の製作開始ですね。5層の天守閣は地上2,30mですからおそらく間違いなく世界一の規模になりそうですね。ギネス間違いなしでしょうか!本当に壮大な計画に商工会、青年団、様々な若者が参加なさって いいムードですね。それから、『テレビチャンピオン 発泡スチロール王選手権』の第1回 第2回のお貸ししておりましたビデオですが、ご参考になりましたでしょうか。発泡スチロールのマイスター達の技と作品は、天守閣の製作にお役立て頂けましたら幸いです。そして、ビデオをCD-Rに焼き直しして頂けました市役所の方 本当に有難うございます。このビデオは何度見ても面白いもので、余り何度も繰り返し見ておりますとビデオが伸びないか心配でした。これで思う存分繰り返し見て、関西を遠く離れた、東京近郊のプロ達の真髄に触れることが出来ます。この場をお借りいたしましてお礼申し上げます。
枚方の人形劇の方、雨の中有難うございました。
セルパネのお問い合わせ有難うございます。もう少し詳しくご返事出来るよう頑張ります。
その他、不思議な形状の製作ご依頼3件、有難うございました


2004年6月24日
HPの訪問者数もようやく落ち着きを取りもどした。いつもの様に在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりんの合間に各種製作作業。解からない やっかいな形状の製作が続く。有り難いものかもしれない。いつの間にか、職人さんになってしまったんだろうか。宇治から通りがかりに来た当社社外研究員のI氏が、作業風景を横目に見るなり「板についてきたなあ」と言う。薬品調合30年選手は、現在、調合指南を仕事に走り回っているが、今度、司法書士の資格を取ったので「制度が代わって、弁護士代理業務が出来るんじゃわい」と喜んでおられた。何でも 好きな推理小説の推理の解決が実地に出来るのが一番いいらしい。60有余年の経験も生かされる。しかし、そのうち彼のような自称弁護士が世の中に徘徊していくのだろうか。『名探偵コナン』くんのような正義観があって社会悪に立ち向かうのなら まだしも、、、時代は変わる。お上に任せれば大丈夫と云った古き良き時代はいずこへ。
Nハム研究所のS君からお知らせが届いた。「だいぶ職人さんになってきたなあ」と。そこで、「大親方の取り締まられ役S所長にはかなわないよ」と久しぶりに返事を出した。中学の同窓でHP出している人は何人ぐらいいるのかなと聞いてみたら、進歩的な生徒が多かったから60人は下らないと風の噂に知ったのは、単なる風評だった


2004年6月23日
朝から在庫のとんからりん作業。各種製作作業終日。不思議実験の発案ご意見1件。不思議商材お見積もり1件。不思議商品サンプル発送1件。今日も発泡スチロールを使ったおもしろ可笑しいアイデア商材のお問い合わせが来ました。皆様のひねり出したアイデアは、まだ続いています。全国の”研究所”と名の付く公的な研究機関、民間の研究機関、大学、独立行政法人は勿論のこと、大中小場所を問わず、広く大志を抱いて成功の喜びに沸くべく、日夜頑張っておられるあらゆる自称他推の研究者からお問い合わせが来ております。中には『闇研』(NHKプロジェクトXから)の方もいてるんかなあ

訪問者数の急激な増加は今日も1日で256人となっております。何故こんなことになったのか、さっぱり解かりません。どうやら、ウイルスの激しい攻撃に遭ってHPのバリヤーが撃退をしている最中なのでしょうか。きっとそんな辺なんやと思います。


2004年6月22日
今日は朝からとんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりん♪♪ 機織り機械のような機械音に合わせて在庫積み上げ作業終日。他に何も無い。ただ ひたすらの単純繰り返し作業は続いた。20歳代の頃は、延々と何年も発泡スチロールの袋詰めをしていた事もあった。たまらなく厭なものだった。完全に自分を否定されているような気がした。「ちょっと、袋入れるの手伝ってくれや」の上司の一言で 以来 何年も何年も暑い日も寒い日も 朝から夜まで発泡スチロールの袋入れだけの毎日があった。我ながら よく辞めずに続いたと思う。まあ、その後少し奮発して、ボイラー1級の資格など取り、機械技術に配属が替わったんだったが。しかし、この年齢になると、朝から続く繰り返し作業に 最早 抵抗感が無くなった。むしろ、物事を検証し、深く考えるいい機会だという位に割り切りだした。それで、今日も朝から在庫積み上げ作業。 世界は、1極になったのは 正確にはいつ頃だったんだろうか、と、ふと思った。パックスブリタニカからパックスアメリカーナになったのはひょっとして第2次大戦のずっと前、世界があちこちに当然のように植民地を作っていた頃からだったように思った。これほど 毎日平気で戦争のニュースが人の殺し合いを伝える。非日常的なものがこうまで日常的に茶の間に入り込んでくると あのベトナム戦争を思い出さずにはいないのはこの年齢の同世代にはひょっとして共通の感傷かもしれない。しかし、もう少し、若い世代はどうなんだろうか、小学生には この非日常的な梗塞感は、善悪の判断を抜きに 人を殺しに行く行為に自己を重ねてみてしまうんだろうか。危険だ。危険な状況は繰り返されている。記憶に深く残り始めている。単純な繰り返しは子供達にはストレートに入り込んでしまう。戦争好きが世界を1極に変えたのだろうか。皆が戦争好きになっていく裏で笑っている顔が見えてくる。ありゃー、こういう風に書き出すとまた長くなりそうだし、お叱りがありそうだ。今日はここまで

業務連絡 システム担当 
訪問者数が急激に増加しております。5月から1日平均50人でしたがこの4,5日 200人を越えております。カウンターの故障でしょうか。もう少し様子をみますが


2004年6月21日
朝から例のロック式の製作に時間を取られておりました。窓の外は雨、雨が降ってる。枚方では12時頃が台風6号に再接近だったんだろうか、大雨と強風が凄まじい。暫く、仕事にならず、古い建物の随所から雨漏りがひどく、バケツと雑巾を持って走り回った。昨年は8月ごろだったろうか、台風が接近し、お陰で今日と同じで仕事にならず、バケツを持って散々走り回った後で、時間に遅れて 中学の同窓会へ出席した覚えがある。学校は朝から全て休校だ。飛行機電車の欠航運休がある。50mもあるホテルの屋根が飛んで来て新幹線の線路を塞いだりしている。そんなこと 何処吹く風と、黙々と仕事は続く。仕事にならないが仕事は続く。試作の完成に漸く漕ぎ着けたとしても 試作だから まだ商品として自信をもって世間に出せるようなものではないが、今回はまだ形にすらなっていないが試作は続く。恐らく、時間割り、で作業費を計算できれば、相当な額になるんだろうと思いながら、それもできない中小企業の悲哀メロデーに 鐘は鳴らない。それでも、「やって行くしかないんだ」とキザな台詞に腹は替えられない。これじゃいけない。負けられない。陽は沈み 陽はまた昇る。

 こつこつが 断トツらしい 今昔 電卓握り 背に腹わらう

セルパネのお問い合わせ2件、有難うございました
発泡ビーズのお問い合わせ3件、有難うございました


2004年6月20日
今日は、また気になっていたので寝屋川まで道具探し。例の発泡ウレタンを作る場合、反応熱で発泡の瞬間高熱が発生するので発泡スチロールの生ビーズを入れるとどんな事になるのか の実験をする予定が延び延びになっている。お金さえあればキリがないほど工具を展示していたが、お金がないので見るだけになった。帰り、例のトイザラスの横の子供向けアスレチック遊具施設に立ち寄った。0,5mmマイクロビーズを使ったアスレチック遊具だ。3月に開園した初日に見に来て以来、盛況なので時々来る。本当にいろいろ思いつく方がいるものだ。 zzz zzz zzz おっとまたPCをつけたまま机で居眠りしてしまった。よくないなあ。もう朝だ。最近、仕事に追われている。、、、いや追われているのはもっと2,30年前からだったようにも思う。いつも何か時間に追われ続けてきたような気がする。貧乏暇なし。窓の外は少し風が強くなってきた。台風だ。吹けば飛ぶぞ 発泡スチロール。


2004年6月19日
朝から例の補正作業。各種製作作業。ステンレステープを巻いた貼り箱製作。1800×1400の板製作。時間はあっという間に過ぎる。

製作実例、おもしろ実験少し追加。オンラインショップ「ブロッくん」追加


2004年6月18日
朝から在庫積み上げ作業。最近はすっかり雑用に追われています。それでも災い転じて福とやら、何が幸いするか解かりません。考え方一つのような気もします。上向き向上するはずの我が人生を微かに信じて zzz zzz zzz もう朝だ

製作実例少し追加


2004年6月17日
朝から川向こうまで行った後、在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりん。2年前の今日ぐらいからだったか、HP製作準備に入ったのは。あれからでも まだたった2年しか過ぎていないのに随分といろいろなことが次から次へと起きるものだ。日々変化の内にあって 咲く花の同じからず 灯るいのちのはかなさや。 伝説の障子貼り職人岩崎くんが亡くなってからでも早くも1年か。大学の恩師が人知れず、名誉の死を遂げられていたのを知ってから1年だ。そうだ、近くの材木屋さんの同年齢の社長が亡くなってからでも1年になる。あのあと、その材木屋さんはとうとう潰れてしまった。車の改造に夢中だった18歳の息子さんは今何処にいるのか消息はわからない。昨年9月に亡くなられた中学の同窓生だった旧姓0さんは、去年の今頃は 最後の同窓会を病床で楽しみに待っておられたのだろうか。過ぎていく、月日は百代の仮客。、、、また長くなりそうだ。
 こうやって、駄文を綴っていると確かに頭の整理にはなりそうだ。人の為に続けているんではないなあ。では


2004年6月16日
朝から淀川の向こうの研究所まで2往復。結局68キロ。もしもの時の為に予備を1個在庫しておいたので、この時の為にあるんだと思えば、なんら苦にもならない。よかったよかったと安堵と納得して走った。それだけで1日気分がいいものだ。

昼から、奈良県から遠路はるばる市役所の教育課の方2名と商工会の青年会の団長が、例の発泡スチロールで作る世界一大きい5重のお城の建築プロジェクトの打合せにお見えになった。本日午前中は、5センチ厚のスチロール板をトラックの荷台に固定して時速65キロ走行での風圧に発泡スチロール板が破損しないかどうか、緻密な実験をなされて来られた。何しろ、世界一の5重の天守閣ともなると5階付近の自然風も相当なものだろうし、ちょっとした風が吹いても まともに当たる訳だから折角苦心して完成に漕ぎ着けても 発泡スチロールで出来た屋根や壁が直ぐに折れてしまわないか、最も気になるところな訳だ。緻密な実験の結果、幸い、風速18mから20mの風が吹いても発泡スチロールの5センチ板はびくともしない結論が得られたので、計画実行の機運は一気に高まった。「よし!世界一の発泡スチロールのお城を 我がこころのふるさと、奈良のこの街につくってやるぞ」この歳になると、今まで何人もの商工会議所の青年団の若き団長と呼ばれる方に会って来たが、何故だろうか、体格が良くてがっしりされているので もし、丁髷でも結われていたら この方が まるで代々続く都の城主の御曹司に見えたのは錯覚だろうか。
いよいよ動き出したんですね。幻の郡山城建築プロジェクト。


2004年6月15日
今日も散々だった。コーヒー代にもならない配達に車で68キロ走った。これでいいのだろうかと何度も自問した。窓から見える大阪湾岸は 製鉄所から上がる白い煙が 梅雨の中休みの うだるような暑さのせいか 太陽に向かって力なく昇っていた。阪神高速は中央線の渋滞がここまで伸びてか 暑さのせいか解からないが動かなくなった。前進あるのみ、以前お世話になった ある新聞社の今は亡き社主に、あれはもう25,6年前になるんだろうか「きみの取り柄は真面目なところだけだ」とよく言われたことを思い出す。何の長所もないのかと思っていたら それが長所だという言い方と似ているのかも知れないが、いつも激しい文章を新聞に書かれていた65歳は シベリヤ抑留組で 戦前戦後の大波を大勢の同期の桜と凍傷で また一人欠けしながら見てきた人であったので それなりに含蓄があって この何でもない言葉を今も覚えている。だからと言うわけでもないが 前進あるのみ。我々のような中小企業にとって それは至上命題かもしれない。勇気をもってやるだけやって行くしかない。艱難を常と思えば不自由なし、とはよく言うぜ。重なるものだ。戻ると例の製作の件だ。ようやく、今日もこれ以上は体力が続かないと 仕事を置いて10時頃帰宅した。テレビのスイッチを入れた。「♪風の中のスバル♪♪」の歌詞と中島みゆきの地上に降りた天使がどうしたこうしたのメロディーが流れてきた。北陸トンネルの列車火災に勇敢に立ち向かった人達の話だった。遅い夕食もとらず、そのまま釘付けになった。次々に倒れる人達を必死で助け上げる姿に、シベリヤ抑留で次々に飢えと凍傷で倒れる同僚を助けおこす 今は亡き社主の姿がだぶった。


2004年6月14日
朝から在庫積み上げ作業。とんからりん とんからりん とんからりんりん とんからりん 有り難い事に特注品の注文のようだ。運賃も出ない小ロット。いずれいい時もあるんだろうと今日も朝からとんからりんの在庫作業。そして、先日お問い合わせのあった例の”磁力発電装置”の件が気になっておりました。”磁力発電”が世に出て、あれから17,8年でしょうか。だいぶ広がりが出てきたようですね。面白い話ですが、、、、 おっともうこんな時間ですね。では失礼

セルパネのお問い合わせ今日も2件。有難うございました。


2004年6月13日
朝から、お気楽リンク集を作っていた。「リンクが弱いんじゃないか」とパソコン屋の望月さんから指摘を受け、そういうページも良いかもしれないと思い、急遽作製となったのだが、どうもネットサーフィンになってしまい、なかなか作製が進まない。立ち寄りばかりだ。発泡スチロールの同業者のページのお気に入りだけでも世界中となると何千もストックがあるから、それを開いて一つ一つ解からない横文字を無視して読んでいくとそれだけで時間が経つ。発泡スチロールを使った実験やアイデアとなるとさらに無数に広がる。よくここまで集めたものだと思うが、まだまだこれ以外に文学や経済や趣味のストックとなると呆れるぐらいになってくる。まあ、誰でもそうだろうが、2,3年すれば お気に入りはそこそこの数が貯まるんだと思う。では 失礼

製作実例少し追加


2004年6月12日
製作実例少し追加。
お気楽リンク集のページ作成中、少し公開しました。ふー、今日はここまで


2004年6月11日
お問い合わせ有難うございます。セルパネを使った防音性ペットハウスですね。世間に大事な愛犬のことでお悩みの方が結構多いことは以前から了解いたしております。問い合わせも何度も来ております。将来的には、セルパネを使った既製品サイズで『セルパネ_防音箱シリーズ』にまとめたいと思いますので乞うご期待、というところで宜しくお願いいたします。

発泡スチロールのブロックのお値段の件でお問い合わせでしたが、いろいろお調べ頂けまして有難うございました。そのような情報を頂けるのがインターネットでしょうね。そんなメーカーもあるんでしょうね。残念です。今のような ど不景気の中では どこもかしこも生き残りに躍起なんでしょうね。中小で中途半端な設備と借金抱えているところは これから 金利の上昇もあって さらに苦しくなるでしょうね。社会は まだまだどんどんと 2極化の進む場面でしょうか。お客さんからすれば、そんなこと関係ないからとチャンスでしょうか。当社としましては、これまで通り、頑固ながんこ爺のように既定方針で参りますのでどうぞ宜しくお願いいたします。品質は崩せませんが、近所付き合いも大事にしていかないと、と思います。まあ、無借金経営を続けるのは大変厳しいが いいものだ。


2004年6月10日
早いものだ。もう、47歳になってしまった。

       春過ぎて 夏来にけらし 白妙の Yシャツ干すちょふ 天の川越し

気が付くと、娑婆の世界では いつの間にか春が過ぎ 暑い夏が来たはずなのに、天の川では 壊れたナショナルの電気洗濯機に 明日は 雲界から来客があるんだと 途方に暮れても仕方なく、手押しでごしごししたYシャツを干したのだろうか よれよれの白い洗剤混じりのシャボンの泡と水滴をたなびかせているのが 窓越しに 遠くに見えることよ。

近代が始まろうとしていた頃、武者小路篤実は理想郷を作ろうとしていた。それに「馬鹿一」とか言う本もある。最近は近代合理主義の超克とかいっても、我々が使う言葉による社会共通化の以前に 個性はすべての人に本来的に存在するものなので 都市化されてしまえば 個性同士いがみ合って どうしてもだめになるとか、脳みそがどうだから馬鹿だ馬鹿だという作家が流行っていたかと思うと、今度は脳みそは100歳を過ぎてもニューロンが新たに細胞分裂を遂げて成長を続けていたことが発見されたり わからないものだ。

        ちはやぶる 神代も聞かず たつたそれ からくり五右衛門 袖くくるとは

富士山8合目 山小屋太子山様からのお問い合わせ有難うございました。ご返事をFAXしていましたが、FAX番号が「現在使われておりません」コールになって流せません。大至急ご連絡くださいませ。さて、8合目のお仕事も大変ですね。これから夏山のシーズンですね。そうですか、8合目までブルドーザーで登るとは豪快ですね。


2004年6月9日
朝から、例の製作。いかに簡単に加工をするか、カッテングマシンを引っ張り出してきたりしたが、なかなか上手く行かなかった。そこで、以前テレビで2回、放映された『発泡スチロール王選手権』の第一回、第二回のビデオを続けて再生して、何かヒントにつながるものはないかと丹念に探してみた。発泡スチロールの加工造形にその道40年 東映出身の大ベテランの方の作業シーンが参考になった。なるほどなあ、そうかそうだったのか、矢張り、プロは高級な機械は使わない。手作りの何処にでもありそうなものでちょっとしたアイデアを生かして、作っておられた。しかも早い。物凄く早くて正確だ。木や石の仏像が、京都や奈良の伝統の仏師に云わせれば「木の中から、石の中からノミを片手に 仏様をお招き出すのです」、、、と同じで、発泡スチロールのブロックの中から鮮やかに掘り出していく、まるで最初から発泡スチロールの中にそれが潜んでいたかのように その簡単な道具であっという間に扉を開けて取り出してくる。それにはビデオを何度再生しても新しい驚きに酔ってしまう。そして、作業に集中されている時の 何と目が綺麗なことか!当社のお客さんで 近くに まさしく造形のプロ集団 造型社という会社があるが、その道40年の東映の大ベテランの加工に打ち込む姿が、あの造型社の社長さんの作業に取り組まれる姿とだぶる。全てを忘れたかのように黙々と素材に取り組む。そして次の瞬間、突然、電光石火のように衝撃が走って それは未だ 呆気にとられて見ている周囲のもの達には 未完成のただの発泡スチロールの塊に過ぎないのに 彼らはまるでベートーベンの「ア.パッション.ソナタ」(情熱)をテンポの物凄く速いウラジミールホロビッツのピアノで聞いた時のように情熱と興奮を伴って もう、未来の完成品が手に取るように見えるのだろうか!戦いの勝利に酔っているようだ。彼らは素材に悪戦苦闘する前に 既に勝利してから戦いを始めているのだろうか。見える者にだけ見えてくる 目利きの世界。zzzzzz zzz zzzおっと、また机で眠ってしまった。夢だ夢を見ていた。土地を買った夢、夢のまた夢か、川の中の土地だった。橋がかかり、その下に「海運」と書かれた石碑が横たわっていたので引き上げた。何故かとても嬉しかった。


2004年6月8日
朝から在庫積み上げ作業。各種製作作業。雨の中、珍しくも、材木屋さんが一日で都合4回お見えになった。ご多忙の中、有難うございました。
奈良の方から遠路はるばる市役所の社会教育課の2人の方がお見えになりました。そして、例の仰天びっくり まさかの 発泡スチロール製の原寸大、高さ2,30mは優に超えるような 古くからの町のシンボルの城郭に幻の天守閣を建てようと言うお話を実際に持ち込まれました。嘘じゃないかと 最初は信じられないお話でしたが、町の青年会議所なども乗り気になっているらしく、11月の完成へ向けて動き出したところだということで完成予想図をお見せ頂いては、最早、信ぜざるを得ませんでした。5層天守閣は完成予想図で見る限り、白い城壁に黒い甍の波、天を突き刺す金の鯱、町の周囲幾キロにわたり 東西南北あまねく5層に見下ろす発泡スチロールの天守閣! 実に壮大なスケールのものでした。そして、11月の完成へ向けて来月から始まるという建設工事に 内心本当に大変だろうなあと思いました。それこそ町を挙げて青年会が中心になって突貫工事になるんでしょうか。
  これを発泡スチロールで建設しようと言うんですよ。これだけのスケールは日本で始めてですね。青年会の物凄い指導力と統率力があってこそ町の若衆を動員し、完成へ導くことが可能なんでしょうね


2004年6月7日
現在、双葉社から発行の隔週漫画雑誌『漫画アクション』に少し過激に、しかし充分持ち味を生かして連載中の鎌田洋次くんのことを当HPで取り上げておりますが、不思議なことに全く偶然ですが、同雑誌に4コマ漫画を連載されておりますiさんからショップの方に発泡スチロールで作る着ぐるみの原型素材のお問い合わせがございました。有難うございました。偶然とはいえ鎌田くんの同人ですから、お友達のようなものでしょうか。こちらと致しましても大変不思議な気分に襲われ、ちょっとだけメールを転載させていただくことにしました

「全く関係のない話しで恐縮ですが、鎌田洋次さんの紹介記事を見て驚きました…。実は、全く同じ雑誌で、現在連載をしております。(本名とは名前を変えております。「タマちく」というペンネームで、4コマ漫画を描いております)偶然とはいえ、ちょっと不思議な気持ちでした…。」web:

『漫画アクション』第3号 タマちく氏作 「殺し屋」から

復刊『漫画アクション』の編集に関してはかなりはっきりした賛否両論に割れているらしいですが、それはさて置き、取りあえずこれからも鎌田洋次くんとタマちく氏の作品にはご注目して頂き、且つご声援下さることを切にお願い申し上げます

※回し読みはご遠慮下さい。お求めは駅の売店かお近くの本屋でお買い求めください


2004年6月6日
午前中、一人乗りボートの船主と例の小型タグボートの件で打ち合わせに高槻へ。どうも判断していた形状に問題箇所が見つかり、また作り直しになった。船を作るのは意外と難しいものだが、こうやって何度か試作を重ねるうちにコツが掴めて来たのには驚きだ。また製作実例集にいずれ追加の予定だ。その、実例集だが、本当は製作の途中風景ももっと掲載して欲しいといったご希望が1件ありましたので検討させていただきます。 体力温存でまた、仕事仕事仕事の一日かな。


2004年6月5日
朝から在庫積み上げ作業。各種製作作業。一日の過ぎるのが早い。毎日同じ作業の繰り返しだけと言うわけには行かないが、同じ作業であっても一日の過ぎるのが早いし、そうでなくても一日の過ぎるのは早い。気が付けば夕方になっていた。まだ、一日に仕事の終わりがあるだけ有り難いと言える。以前は、発泡スチロールの成型工場で金型成型機の調整とボイラー設備等の保守もしていたから15年間、朝からぐるりと一日回って朝までが、年がら年中休み無く仕事仕事仕事だった。朝5時頃、工場へ出勤し、夕方6時頃帰宅すると工場から電話が入り、直ぐ出勤し、夜11時頃帰宅し、朝5時頃出勤するような毎日だった。恐らく、24時間稼動の会社が多いから、今日現在も 発泡スチロールの多くの成型工場では、誰かがそんな命を受けて仕事と割り切って頑張っていることだろう。夕方仕事が終わり、漸く今日は早く眠れるなあと思い、床について夜中の1時ころ、呼び出しがあって出勤、エアー噛み低水位で停止、仕方なく予備を稼動して3時頃帰宅し、朝5時には出勤だから、何処へも遊びに行くことも無かったし、何処かへ行くだけの気力が残っていなかった。それでも、まだ10年前だったら、3交代の夜勤の時、誰にも内緒で「今しかこんなチャンスはないんだ」と昼間、睡眠時間を削って週に2,3回大阪まで経済カレッジに通学したことがあった。実に離れ業のようなことをしても勉強したかったんだなあ。それを考えれば、今では有り余るような時間がある。しかし、体力が付いて行かない。また、咳が始まった。


2004年6月4日
朝から在庫作業。とんからりん とんからりん とんとんからりん とんからりん。重なるもので今日は特殊サイズが3件だ。だからとんからりんの機織り機械のような作業音にも、特殊なこんこん餅つきのような音が混じる。そこで、

 とんからりん こん  とんからりん こん  とんとんからりんこん からからりんこん とんからりん 

と鳴る。古い機織り機械のような 音にうなり振幅音がアクセントを付けている。今日も仕事にアクセントの笑みを得られる事は有り難い事かもしれない。不景気の中、鐘の鳴らない仕事が続く。まだ 仕事があるだけ、まだまだマシなのかもしれない。たった一つの世界にまたとないご依頼にも喜んで1歩1歩取り組んでいく他に方法はない。何故だろうかここ2週間訪問者数が1日60人を越え出した。在りがたいことだろうか。

製作実例に発泡スチロール製 動くフジヤのペンチ追加しておきました。ご依頼者は1m30センチをご希望でしたが、精度などはこの程度になります。まずはサンプルまでご参考に


2004年6月3日
在庫積み上げ作業の中、各種製作作業を平行。よくよく考えると確かに、このようなページにはしみったれた事を記しても仕方がない。やがて誰も詰まらないからと閉じるクリックで終了になるだけだろう。「もっと面白いことを書け」と非難でも飛んでくれば、まだ反応があるだけマシかもしれないが、そうそう面白い事ばかりあるものではない。しかし、そんな毎日の中 今日は違った。実に奇奇怪怪でアドベンチャーモンキッキな面白おかしい事ばかりお問い合わせが続いた。重なるものだ。たかが発泡スチロールに何で次から次へと こうまでも不思議にいろんな使い方が出現するんだろうか。解からないものだ。もう直ぐ開設3年目に入ってくるのだがまだ勢いは止まらない。ではこれで。最近夜明けが早くなりましたね


2004年6月2日
朝から 何時止むとも無し とんからとんびの 在庫積み上げ作業。昼から御来客3件。有難うございます。招福来客、同姓の藤本様がお見えに為ったのはこれでHP開設来4人目でしょうか。藤本という名前が 磯を歩いて転んでも手に付くのが貝殻と藤本ぐらい世間にはごろごろしております。ひょっとして遠い遠い親戚かもしれない○○儀一氏も講演で「親戚を騙る者がいるらしい」と言っていた事がございましたのをうっすらと覚えております。そこで当方以前より「武者小路篤実」という名前で独自色を出すことにしております。今日の藤本様がお持ち頂けたのが『ふじや』印の宮内庁御用達ペンチでした。マークは富士山に矢が突き刺さった威勢のいいものですね。当社のマークは或る包装資材の会社のマークを改良して富士山の上に明かりが付いた形です。面白いなあ。何で富士山にこだわるんかなあ。  おっともう時間です。またご指摘のリンク集の修正手が付いていません。では失礼。


2004年6月1日
「お金ではないのです。お風呂に入れてやりたいだけです」と、最初 その言葉をお聞きした時、正直いって サッカーでフェイントかけられて3,4人牛蒡抜きで すんなりゴールされたような、或は、長い間、しごと仕事の世界の中で 忘れていたものをたった一言のキーワードの計り知れない神通力が「はっとして」と言う意表を突かれた様な時に出る表現に その世界の限界を思い知らされた者が砂鉄のようになって ただ成り行きに万感を込めるしかない程 大切なこころの扉を開かせたように、後々この日一日余韻が残りました。有難うございます。身体の不自由なお子様の為に勿論、オーダーメードの浴槽を喜んでお作り致します。傾斜角度など ご注文が決まりましたらどうぞ、いつでもFAXをお流し下さい。微力ながら、各種手作り水槽で培って来ました技術を最大限投入して たった一つのあなた様のお子様の為の浴槽をお作り致しましょう。


2004年5月31日
朝から機織り機械音のような在庫積み上げ作業。とんからりん、とんとこ とんから とんとんからりん とんからりん。そして、例の実験用特殊フロートの製作。他、各種製作物。例のベンチャーの卵がここ1週間音なしである。どうしたのだろうか、大変な問題に直面している。大きすぎる問題ゆえに解決まで時間が必要だろうし、こちらでも何か新規のアイデアをご提案しないことにはそれを前進させるには 逆風が強すぎるようだ。折角のビジネスモデル特許が、、、、折角のばら色の人生が、折角の新しい社長の名刺が、、、花吹雪に散らしていいのだろうか。
今から産まれようとする哀しみがあろうかと思えば、一方で、例の7代目若き社長から、またまた今年も例の商品でご依頼が舞い込んだ。こちらは、サラブレッド、宮内庁御用達、天皇ご見学コースに必ず入る地域伝統の一押しの会社の御曹司だ。親苦労子楽孫貧乏で3代、4代目が立て直し、親苦労子楽孫貧乏で6代だから、7代目は苦労性のようだ。7代延々と会社が続くのにはきっと特別な理由があるに違いない と思いながら、なかなかその遠遠継続方程式を解法するに至っていない。社内の雰囲気が所々伝わってくるが老壮青のそれぞれが結構意見し易い雰囲気があって若い社長がワンマンに動いても強力にセーブが効いているようなところまでは解かってきたが、まさに、伝統の会社なのに常に新規事業に果敢に挑戦されているから、少し、危なっかしいが面白い。__と言うことだろうか。なんと対象的だろうか!しかし、数々のラッキーに恵まれたとは言え、1代目は最初は無一文で始めたベンチャーの卵だった訳だから、条件は同じようだ。例の社長のたまごさん 頑張ってくださいよ。

セルパネのお問い合わせ2件、有難うございました。
先日も、研究家からご指摘のありました「日本のように 世界に例がない高温多湿の環境下ではグラスウールのようなものを木造に使うと、何をどうしても結局、木材を腐らせてしまい、家の寿命を極端に短くしてしまう」との点が気になっておりました。「だからセルパネがいい」と結論をご教唆頂いた訳であります。

後一件、かえるが大変お嫌いな岡山県の方、貴重なご意見有難うございました。大変参考になりました。有難うございました。

後一件、Nハムの研究所所長からこの度ご出世して重役に抜擢されたsくん、仕事ばかりするな、身体が資本やで、仕事は怠けろ、するなするな、遊べ遊べ、適当に若い者に任せろ、いい加減に仕事ばかりするな。  、、、、ふーツ、さあ残りの仕事だ。おや、もう夜が明けたね


2004年5月30日
雨が降りそうで降らない蒸し暑い一日。我々に余裕はない。出来るだけの事をして前進あるのみだ。学生の頃の知り合いで不治の病に苦しむT君の所へ見舞いに行った友人から「まだ小さい子供の顔を直視出来なかった」と伝えてきた。出会いが合って、そしてまた別れが有る。また別の友人からで 沖縄へ移住したかと思うと奥さんが飲み屋を開いたと言う知らせを送ってくれたりする
栄枯盛衰、毎夜沖縄の泡盛を片手に盛り上がっているのだろうか、人生解からないものだ。次に何が起こるのかそれが解からないからいいのかも知れないが


2004年5月29日
朝から在庫積み上げ作業。とんからりんの機織り機械のような規則正しい連続音が工場内にこだまする。我々に休みはない。ただひたすらに、作業が黙々とそして淡々と続けられていくだけかもしれない。昼から来客。例の一人用釣り船の専用特殊タグボートの件だ。このタグボートには不確定要素が多すぎて、結局、第2回目の試験曳航をしてもらう他に結論がでない。
実際に試作をしてみないと何とも結論が出ない商材は沢山ある。お客さんは、満足いかないと買っていかれない訳だから、全てこちらの無償の持ち出しになってしまう。先日から続けて5,6回試作でお客さんと詰め合わせをしては作り直している商材があったが、こちらにしても何処まで負担に耐えれるかが勝負の分かれ目なのかもしれない。何とかいい物を作りたいといった共通の課題があってのことだが、商材の持つ夢というか将来性というか、もしこの商材が世間に出回れば 相当インパクトが在りそうだと信じているからこそ 5回も6回も試作に付き合ってきた。開発商品と言うものは実に回り道が多いものだ。鐘の鳴らない仕事だ。一縷の望みと期待を持って、延々と持ち出しが続く。セルパネを使った例のお客様のボックスの件もそうだ。面白そうなので、つまり将来性がありそうで奇抜な発想がニーズを生み出しそうなので取り組んだわけだがご覧の通りだ。例の生分解で作る飛行機と言ったものも在ったね。製作実例に上がってこない実例は本当に多い。われわれの小さな戦いは続く。


2004年5月28日
朝から在庫積み上げ作業。とんからりん、とんからどん とんからとんびも とんからりん。別注が重なった。めったに無いのだが、めったに無いものが別ルートから別々にやって来る不思議。分からないものだと案じる暇は全くない。我々に思案に暮れるシアンクレールな暇はない。本より、安否はびこる アンビリバブルな話でもなかろうし、一歩また一歩と進んでいくだけだ。目の前にそれが在るからやって行くだけだ。しかし、こんな姿を中学高校の生徒さんが見学に来られたら、恐らく、その場で参加型ハローワークか、はたまた 『わたしに出来る仕事館』枚方出張所ってところだろうか。あなたがもし、将来 発泡スチロールの加工屋で働くのだったらこんな具合ですね、と少しは説明でもしてお茶でも出せば、納得して帰ってもらえるんだろうか!ちょっとカッコよく言えば工業国家日本の最新辺境部へ下放 かな?それとも、よくお店に小さな黄色い旗を見かけるが、「こども110番」じゃなくて「こども8609ハローワーク番」かなあ。街中の様々な会社や工場、店舗に「こども8609番」の旗が掛かっていたら面白いだろうなあ。中学高校生は会社やお店に自由に出入りできて仕事の見学が出来る訳だ、、、、zzzz、zzzz、喘息のような咳で目が覚めた。いけない、また机に向かったままで うとうとしていた。今日はここまで


2004年5月27日
朝から在庫作業。前向きに焦らずただ何となく信じて進む他ない。情勢は一夜で一変するのが中小企業に働く者の共通した認識かもしれない。だから、今日が程なく過ごせたら良かったと、そして振り返れば 毎日良かったと、案じず、結果を積み重ねて暮らしていくのがせいぜいで、将来を夢見たり悔やんだりする暇はない。若いうちは買ってでも苦労をしろ という諺が、体力さえあれば、年齢に係わらず 誰でもそれに甘んじて挑戦する気力は充分持ち合わせているものだが、、、有り余る体力が、それに挑戦していける勇気を与えてくれるのか というと、一概にはそう言えないようだ。『13歳のハローワーク』と言う本がヒットしたり、京田辺の「わたしの仕事館」の入場者数が早くも10万人を越えたりするのも、丈夫で若くても、気力100倍あっても、挑戦すべきそれが解からない場合があると言うことなんだろうか。確かに一昔前は、町のあちこちで様々な仕事に 通りすがりでもお目に掛かることは一杯あったように思う。それが、モータリゼーションの普及とスーパー コンビニの蔓延に伴って商品の陳列された末端ばかりが目に付くようになり、その生産や流通の過程を覗くことがほとんど出来なくなってきた。だから、就職適齢期になる若者は、いきなり職業選択の自由の中に投げ出されるのだろう。「あなたは全てに自由だ。選びなさい」という過酷な自由は、若者に長すぎるモラトリアムを選択させてしまうのだろうか。わからないのに選べと言う方がむごいものだ。__それが一体何時からだろうか、こうして今日を無事暮らせたらそれで充分だというように悟りだしたのは。時の流れに身をゆだね、幸い今日も斯ありケリ。


2004年5月26日
風邪を押しての仕事が続く。他に、打った張ったの趣味もなし、日銭を稼ぐ方法も知らないし、仕方がない。タイムカードを押しさせすれば少しは気が楽になるからと うそぶいて出社する。前進あるのみだ。ラジオから、ニューヨークに住んでいる個人資産1000億円以上の人は31人で世界トップの位置を今年も更新かと思われたが、今年はモスクワが33人になって世界1に躍り出たらしい。時代は変わるものだ。複雑怪奇な世界だ。おおー、今しがた 門をまたぐは 怪僧ラスプーチンか!、いや、若禿の30歳の営業マンだ。はたまたもう来なくても良いのに、営業マンが「石油が上がるから」とゴマ擦り棒を片手に汗をかきかき 何で 何度も遣って来るんだ。不景気の中、営業マンの実に不快なその笑顔と その鼻ダレ声を聞きながら 骨皮筋衛門の病み上がりにとって 体中の血を吸われるような不快な気分の中でも 世界では確実に富の移動が起きているんですね。モスクワにも大きなピラミッドが出来たものだ。__どうも、この時期になると訪問者が急増する。連休明けから毎日60人程度の平均訪問者数になっている。いつもより倍増している。不思議なことだ。わたしはただ何となくここに続きを書き残して行くだけなのに。

製作実例集未更新4件あり
おもしろ実験リンク集更新作業もう少しお待ち下さい
 
セルパネのお問い合わせ有難うございました。大変勉強になりました。高温多湿の気象風土の中では、地下付けのグラスファイバーでは確実に木材の柱を腐らせてしまうと言うご意見有難うございました。以前は、グラスファイバーの放射性元素の問題を指摘された研究家もおられました。本当にいろいろとアドバイスを頂きまして改めてお礼申し上げます


2004年5月25日
我々に休みはない。体力が極端に低下してきたようだ。1晩寝たら直る は、遥か昔の20歳台だったろうか。今では 1晩 もたもた過ぎれば急速に悪化だろう。そして、今年はこれでもう何度目の急激悪化する”ただの風邪”だったろうか。明日出社の為に僅かな余力を温存せねばならない。休むわけには行かない。決して休めない。歩いてでもいい、這ってでもいい、しかし、仕事をし続けなければゴールは見得ないし、走者まで消えてしまう。『誰も知らない』状態まで行く他に我々のような情けない大人が生き残る道は無いのかも知れない。折角、ここに書き残しておくべき おもしろ楽しい逸話、夢物語は後日になる。この辺で書き続けるのも限界かなあ。以上 これにて失礼

         ____________0___________0_______________

発泡スチロールビーズでお問い合わせのございましたs藤まどか様 メールアドレスが違います至急メールを再発信下さい

「発泡ビーズ400キロです。 (一人がけソファ用です。展覧会用に10個ほど作る予定)
                 またパウダ‐の場合、布袋入りで売っているのでしょうか?、、、、、、、、、」




2004年5月24日
夕方遅くになって漸く早退できた。医者へ直行した。風邪をこじらせたが、我々に休むことは許されない。咳こんこん、鼻水ずるずる、頭痛がんがんでも仕事をしなければならない。これが現実なんだ。学生の頃が懐かしい。風邪で休むんなら誰も文句は無いだろう。今は、誰も文句は言わないのに 後ろ指を刺されるだけだ。大阪の同業者の発泡スチロール屋さん K化成の社長さんが昨日お亡くなりになったそうだ。まだまだ、世間は厳しい嵐が吹き捲っているようだ。景気回復が嘘のようか。ご冥福をお祈りいたします。次は誰だろうか。咳こんこん咳こんこん、鼻水ずるずるずるずる、、、、がんがんがんーーがんーーーー、バタリ___×。


2004年5月23日
熱を出して寝込む。継続は大変だ。今日は こ、ここまで



2004年5月22日
近所で田植えが始まった。情けないが、花粉症がこの時期ひどくなる。くしゃみが止まらない。どうも、風邪も併発してしまった。いつもの置き薬をと思ったら薬箱が空だ。掛かりつけの医者も、確か今日から1週間 カナダまで釣りに出掛けて留守のはずだ。待合室に大きな水槽を置いて釣り自慢の医者だが壁に貼った予定表に長い赤線が引いてあった。5月は長い線が連休のところと 2本引いてあったので 何かなあと気になって憶えている。仕方がなく、何処へも行かず 横になって4畳半一間の薄汚れた天井の裸電球を一人で見ていた。思い起こせば、4畳半の天井とは長い付き合いだ。学生の頃、3畳一間の学生寮から抜け出して 4畳半暮らしが始まって以来だろうか。紆余曲折がありながら何時も寝転んで天井を見上げると4畳半だったような気がする。4畳半の天井をテーマに小説が書けそうだ。情けない、今日はここまで


2004年5月21日
お問い合わせ有難うございます。セルパネを使った防音装置の件、これも一度試作をさせて頂こうと思います。出来上がりが我ながら楽しみですので、勿論手前味噌で製作させていただきますから、空いた時間に掛かりますので、出来上がりがいつになるか解かりません。と言うのも簡単に蓋をすれば出来上がりでは余りにも芸が無いと思いますので、いま簡単な線を引きながらあーだこーだと作り方を詰めております。いろいろ課題が山積みでして、この件が終わりましたら以前愛知県の方に頼まれておりましたフルートの簡易演奏室の件、下準備となります。

閑話休題、@炭焼き釜が売れているらしい。知り合いの知り合いが HPを立ち上げたら1釜50万円もする高級品が飛ぶように売れているらしい。以前京都の竹炭研究家から発泡スチロールに竹炭を入れられないかといったお問い合わせがあった事を思い出します。そうだ、パウダービーズに竹炭をまぶして売ってもいいなあ。
 Aあっと驚くベンチャー企業をこの夏に立ち上げたいと 元気一杯の建築家で 若い 夢見る教師郎さんからメールがあった。HPを立ち上げて以来、不思議と実に多くの老若男女の起業家がお越しになったが、皆さん共通しているのが60歳定年の方も、29歳転職の方も、何処か遠方を見ているようで とても透き通った目が綺麗なことだ。その方も、またそのうちの一人だ。まだ、全くのたまご状態だから これから夏にかけて孵化段階が来て、突然たまごの殻を破って忙しくなり(否、忙しいのは本人だけで、廻りから見ていると よちよち歩き段階だろうから とっても暇そうなことしてるじゃん かな)そして、青い何処までも青く広がった大空に羽ばたく時が来るんだろうなあ。「なんで こんなことを 今まで誰も手掛けて来なかったのかが解からない。先人達は問題山積みに挫折、頓挫を繰り返して消えていった途方もない課題なのか、それとも、灯台下暗しの様で 偶然誰も手掛けて来なかった 宝の持ち腐れだったのか、それが私に出来ることなのか そこが解からないからとても苦しいんですよ」

    『なせばなる なさねばならぬ なにごとも なせぬは おのれが なさぬなりけり』

確信が得られなければ、出来るだけ情報をかき集めることだ。中学の恩師でもいい。高校の先輩でもいい。全く知らない大学の聞きかじった名前の教授室へ行って思い切って戸を叩くのもいい。市役所には相談室がある。近くの工業高専の入り口の門に立って中から出てくるちょっと気の合いそうな先生をいきなり捕まえて質問するのもいい。必ず答えが返ってくるはずだ。そして、道が開けるでしょう。あなたはまだ若いじゃないか!まだ7回は失敗が出来る。8回目で成功すればいいじゃないか。ご結婚されているらしいが、実にいい奥さんだとご推察致します。今夫の居る大企業の安定したポジションを投げ打っても、あなたはきっと 連いて行かれるんですね。人生山もあり喜び 谷もあり楽しみ、起承転結、これから夢見る夫のその夢に賭けて見られるんですね。

  汝 力を尽くして 『狭き門』より鍵をあけて入れ
 

2004年5月20日
朝から穴泣け作業。続く水槽製作。
お問い合わせ有難うございます。新型のフットバスですか。結構大掛かりになりますよ。よろしいでしょうか。
お問い合わせ有難うございます。セルパネを使った箱の件、一度こちらで試作などして見ます。
お問い合わせ有難うございます。上から見ればS字型、横から見れば階段状、斜めから見れば波打つようで、厚さが十分ですね、恐らく可能です、と、ご返事するのが精一杯でした。簡単な鉛筆ででもフリーハンドで書かれました図面でもございませんとちょっとイメージが湧きませんでしたが、確かに複雑ですね
お問い合わせ有難うございます、アンテナ台大至急製作に入ります
夕方、若きベンチャー企業の社長のたまごが見えられる。 あれ、もう時間がない。今日はここまで


2004年5月19日
朝から2m近い貼り合せの箱作り、穴開け作業。とんからりん とんとんからりん とんからりんの機織りのような機械音の響く在庫積み上げ作業。技術とは、西田幾多郎によると深遠なわれわれ人そのもののような事だと書いたのが『善の研究』だったように覚えている。情けないが、善エネルギーで人は出来てるんだ、と言った程度の理解だ。本書の通し読みはまだなく、もっぱら解説書に頼る程度だ。彼が思索に歩いた疎水沿いの道は今じゃ、つまらない観光地化されてしまって、また別の意味の思索に向き始めた。京田辺に私立大学の一部が引っ越して20年。「大学が町を作る」と豪語されていた方も、まだまだ20年では町にはならない、と仰るかもしれないが、疎水に代わる思索のいい場所がなかなか現れてこない。仕事で時々その辺りを通るので見ているが、どうも人口的な街づくりには限界があるんだろうか。どうやら問題は職住接近の有無だろうか。先日も書いたが、近くの大きな工場が一部遠方へ引っ越して行った。伝統の60年の創業の地を後にしての移転だ。産業の空洞化というのは簡単に起きるものだ。トップの判断でバランスシートから赤字を消せばいいからだ。だが、後に何が残ったか?町を支えてきた人達とその町に住む熟練工だろうか。或はシンボリックマネージャーと呼ばれた工場のユニークな顔だろうか。かれらの多くは工場の移転とともに工場を去っていった。残った者は後進の指導に遠方へ単身赴任だ。しかし、新天地で100パーセント燃焼が出来る者は少ない。つまり、技術というものの移転まで可能かどうかだ。巨大恐竜は環境が変われば直ぐに死に絶えた。むしろ、アメーバーの寄せ集めのような東大阪のようなところの方が生き延びるのもその為だろうか。西田はややこしい言葉をちりばめて書くが、技術とは引っ越した建物ではないし、機械の塊でもないのだ。おそらく、年功序列とか終身雇用とかが日本的伝統だといったレベルの話を言っているのではない。伝統がどうだ、国がどうだと言っているのではないだろう。技術とは人の延長であり、つまりこの世界だと言っただけなんだろうが、心配なのはこの国の技術力。

暫く、おもしろ実験リンク集のページが更新しておりませんでしたら、かなり掲載希望がたまって来ました。もう暫くお待ち下さい。ぼちぼち、増やしていきます。


2004年5月18日
今日は一日掛かりで、弁当箱の崩れたような形状の 発泡スチロール製実験器具の製作に ついうっかり没頭してしまった。気が付くと人件費もでない。うず高く積み上げた削りカスは材料費にも届かない。鐘の鳴らない仕事だと解かっているのに、うっかりしていた。早く、セルパネを在庫して例のセルパネ実験を始めようと思いながらズルズル時間が無常に過ぎていく中のうっかりだ。柿汁と煮こんにゃくを使ってセルパネに工夫をするアイデアは本当に面白そうです。アドバイスを折角頂きながら、またまた寄り道です。ここまで来ると、仕事というよりも 何か、未来への賭け意地、と言った悲壮感でしょうか。ここも列記とした製造の現場です。物づくりの製造現場、、、。先日聞いた話ですが、寝屋川のネジ工場へ工場見学にやって来た或る幼稚園児とその付き添いの父兄の会話で、汗水流して油まみれになって働いている人達を前にして、或るお母さんが「ちゃんと勉強しないとあないになるんですよ」と子供に言ったらしい。横で偶々聞いていた工場長が、後で悔やんだらしい。製造現場のイメージと先入観だろうか。しかし、資源に乏しいこの国は明治以来、原料を輸入して加工し 製品を輸出して代価を得る加工貿易によって社会は成り立ってきた。製造業は年間60兆円輸出し、49兆円輸入し、差し引き11兆円の外貨を稼いでいる。金融保険、エンターテイメントその他サービス業が年間4兆円の赤字なのに対して、いかに貢献しているかが解かるものだ。製造業がこの国の基のようなものだ。その先端で日夜頑張っておられるのが、油まみれになって働く現場の人達だ。そして、末端であーでもないこーでもないと試作に没頭している我々だろうか。時間がない、ここまで


2004年5月17日
暫くぶりの配達に巨大工場へ。昔は1000人近いブルーカラーの賛美歌が聞こえる大工場だった。ずらりと並んだベルトコンベアーに向かうパートの人達は 手を合わせる様にしてから 次々流れる部品を次へ次へと流す作業をしていたが、6,7mは優にありそうな巨大な機械が霞むように整然と並び、ツービートで発する回転切断音が、ゴスペル調に聞こえたものだ。今は昔の話。ここも、又 遠方への工場移転が始まって、主力部隊は解散、跡地はレジャー施設とマンションに生まれ変わる。7つあった工場のうち残る1工場のみ創業の地で稼動を続ける。まあ、たった1工場といっても100人以上が働くのだから、我々のような零細企業からすれば、論外の規模だ。しかし、造成が終わった工場の 何も無くなった だだっ広い跡地を眺めていると、実に感無量な 寂しいものが込み上げてくる。この地でどれ程の人間模様が描かれてきたことだろうか。涙あり笑いあり、怒りあり、そして喜びあり。この工場がこの街をつくってきたんだ。、、、全くの他人事ではないのだ。あの大勢の聖歌隊は何処へ行ったのだろうかと、思わず心配になった。ふと足元を見ると、油で黒くなった床板の小さな切れ端が落ちていた。ここで働いていた人達が、汗と油で真っ黒になるまで60年間 代々踏み固めて来たフローリングの板切れだった。


2004年5月16日
雨、今は2億年前の全球凍結が終わって まだ氷河期だとテレビでしていたのを信じたくなるような雨だ。図書館を何軒か はしごして急な調べ物に飽きもせず終日使う。最初は電波の誘電率を調べていた。次はペットボトル関係だ。ペットボトルで作るロケットに改良型を提案されたからだ。こまごまとした注意点を書いた本を他の書物と併せて探した。発泡スチロールにはロケットの頭部を当てる。果たして可能かどうか。以前、何度もペットボトルで作るロケットは飛ばしたことがある。例の空気圧で噴射口から水を噴出すタイプだ。圧力が高いので優に100mは飛び、驚いてしばらく夢中になったことがあった。垂直でも20m位は上がったように思う。枚方の長尾の何とか大学の近くの山の上の空き地では、市の人が講習会まで開いてくれて、熱心な人達を20人位集めていたものだ。あれは確か、今から10年前だろうか。、、、いろいろやってきたものだ。、、、今回は 頭部に板を組んで三角錐の仕掛けを付けられるらしい。開いて中からそれが出てくるといった寸法ですか。材料の提供はさせて頂きますが、本当に様々な使い方があるものですね。頑張ってください。


2004年5月15日
朝から在庫積み上げ作業。各種製作作業。余り設計段階から水槽をオーダーされたことは無いが、「ある条件に合う様に作ってくれ」というのは、現物から採寸して条件に合わして組み上げていかないとならないから大変だ。時間だけ過ぎてなかなか物にならない。こちらを削ればあちらがはみ出す繰り返しだ。採寸して紙切れにフリーハンドで数字を並べて たてヨコそして高さと記入してはうまくまとまらないまま図面のようなものを仕上げていく。どうもこんなんではないんや。とまた採寸からやり直しては数字を組み上げていく。やがて端材で仮に組み上げては またバラして採寸に戻っている。だから時間だけが無闇に過ぎていく。今日もここで 





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