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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                           
2004年1月21日
朝から在庫積み上がり。作業を継続。技術的なことでアドバイスをいただける方がいるのは本当に有り難い。今日の局面もそんなことがいくつか重なった。皆さん、サービスでして下さっているのではない。そんな、一面的なことで人は動いてはくれないだろう。相手が困っていて助けて呉れるのは「当たり前だろう」と言われそうだが、お互いに お助け頂いた時の相手の顔が思い浮かぶので、今度こちらがその立場になれば、きっと誰かに お返ししてあげようと決めていたりするものだから、自然連鎖が広がるし、その技術の助け合い習慣と言ったものが、会社を超えて広がっているようだ。狭い島国日本では、不思議なことに会社を超えて地縁血縁学閥同窓、コネツテありとあらゆるたてよこの繋がりが、狭い狭いところにひしめいている。顔の見える狭いところで助け合って生きて来たから、顔が見えなくてもお助けしてしまうんですね。だから、お互い様、こちらも発泡スチロールでご質問があれば、誠心誠意解かる範囲で できるだけのことはご質問にお答えをしております。きょうも3件。それぞれ出来るだけご不明な点に 知りうる全ての範囲で回答させて頂いておりましたら、ついに本業がお留守になってしまいましたが、こんなこともまた在り何。これだけご説明をしておけば、きっと何処か他の発泡スチロール屋さんに行かれた時でも、けっしてお困りにはならないと確信しております。帰りに本屋で何気なしに『今昔物語』を文庫ビギナーズ版で買いました。遊び呆ける比叡の学僧が山を降りてきて深夜まで遊び、又いつものように山に帰ろうとすると 道に迷って、ある後家さんの家に一泊させてもらった、と言う話のくだりがありました。発泡スチロール工場の工場長にこんな人が以前いたことを思い出し、いつの時代にもいるものだと面白くなって、つい買ってしまいました。

 今昔 今は昔に 出る吐息 富士の高嶺に スチロール融け


2004年1月20日
朝から在庫積み上げ作業。途切れることなく、延々と繰り返すが、その割りに日々変化に富んでいる。今日は以前頼んでいた中古のカット機が届いたので早速組み立てた。世の中、ネットの時代だと 本当につくずく実感した。ほとんど送料と僅かな気持ちだけで、1m×1mもある大きな まだまだ十分に利用できるカット機が入手できてしまう。有り難いというべきか、時代だと思う。この方法で、まだまだ隗より始めよう。そうだ、送料程度なら もっともっとカット機を集めてやろう。不景気だからこそと言うわけではないが、世の中、設備の要らないところは うんとありそうだ。しかし、、、、、そんなにうんと集めて、そしてどうするの? 「うーん」
解からない、どうなるのか、先のことはわからない。出来るだけ費用を掛けず、「手作りで球加工は出来ませんか」 とのご依頼が依然ありましたが、その答え探しの延長線上なのかも知れない。あれから もう1年半が過ぎた。早いものだ。急いでも急いでも、また一日が無用に過ぎていく。我々に休みはない。休みは暫くお休みだ。


2004年1月19日
いつもの通り、水瓶の製作。ようやくピークを越えた。水瓶水瓶で暫く時間が過ぎた。よく知らないが星占いではもうすぐ水瓶の頃らしい。そのせいか大分、荷が軽くなってきた。今日も朝から在庫作業。今日も発泡スチロールを使った面白い発明品をお考えの方が見えられた。_、時間が押している。あと ご返事待ちが2件。これにて。


2004年1月18日
朝から水瓶の製作。なかなか前に進まないが、こんな仕事があるだけでも有り難いことだと思うべきか。有り難くも、また多くを語らずに それを突破していく他ない。ひたむきに、休まずに一段毎に階を上がるかのように、そのままを継続し、動かぬ姿勢を押し出し、一歩また一歩、前進していこう。焦っても為せぬ、ひるんでもならぬ。こうべを上げ、遠くをみつめ、その志は高く降りそそぐ星屑のように果てなく。そして、自分を信じ、きっと来る夜明けの暁を瞼に描いて、希望の歌を歌う。

 世の中よ 道こそなけれ 思い入る 山の奥にも し瓶ぞ鳴くなり 


2004年1月17日
今日は神戸の震災から9年。朝から在庫作業。昼頃、高槻のO技研まで仕事の打ち合わせに行く。有り難くもあり、また面白楽しい機械と技術の実践的な話が飛び交った。ものつくりにその道25年のO技研社長は若い頃、ボイラーの整備士で各地を走り回ってきたらしい。こちらもボイラーは、発泡スチロール工場で、1級主任としては8年ほど働いてきた経験があるので大いに話が弾んだ。平川ボイラーはどうした、荏原は大き過ぎる、三浦ボイラーは家庭用だったのに、とか云った大変詳しい話に 流石に 元整備士さんだと思った。一方で、あの発泡スチロール工場での懐かしい苦労談を ひとりだけ思い出していた。発泡スチロール成型機の原料サイロが2箇所、ボルトが飛んでしまい 崩れ落ちたんだったが、あの日も 工場は動かしたんだ!神戸では あれほどの被害があろうとは想像も出来ず、ただ神戸方面のお客さんへの供給責任で工場は半日稼動していた。その後、亡父が救援にと神戸へ走ったのは翌日の日付になって直ぐだったろうか。対応は迅速で早かったが、その時の無茶苦茶な過労がもとで1年後にこの世を去った。亡父が神戸の現場で何をどうしていたのか 今となっては殆ど解からない。ただ、9年の歳月を 残された者たちが 感無量に味わえるだけかもしれない。「この世のものとは思えない。地獄を見てきたような気がする」「大阪の大空襲の時もそうだった。わしは兵隊さんとリヤカーに遺体を山積みに乗せて焼き場へ運んだんだ。あの時の 遺体の燃える臭いを、また こんな年になって神戸で嗅ごうとは思わんかった、まるで地獄なんじゃ。」「わしに出来ることは、発泡スチロールの板をテントからテントへ配って回るぐらいなんや。そんなことしかでけへんかったんや。黙ってトラックで持っていったら 暖かいから言うて みんな持って行きよったんや。そやから、うれしそうな顔見たら 止められへんかったんや」と亡父が後日、語っていたのをふと思い出した。


2004年1月16日
朝から在庫積み上げ作業。様々なお問い合わせが続いております。有難うございます。出来るだけ誠実にそして慎重に回答を行っておりますが、多少ご返事が遅くなることがあるやも知れませんので、よろしくお願いいたします。一企業としてやって行ける事はどこまでか、営利企業ですから当然進む方向は営利です。反面、営利ですが営利範囲を厳格に決めてかかるべきかどうかは個人の裁量がおそらく100%働くのが現実でしょう。100%。最後の最後に、あれかこれかを決断するのは「わたし」だ。トルストイが『光あるうちに光の中を歩め』の中で、人はもともと善きところへ流れる、とか性善説を書いておりましたが、あるいは武者小路篤実が理想郷つくりに奔走したように 生活に余裕があれば何なりと善を描けるものなんでしょうが、、、。現実には、生活苦に甘んじることは難しいものだ。生活苦に耐え忍んで人生を語る時は言葉に詰まるものだ。悲しみに打ちひしがれて、絶望に涙が止まらなくなって それでも唇に歌を持つことが論語にでもあっただろうか。否、彼らは学究者だろう。

 冬なのに ザマヮザマワと 別れ告げ  過ぎ越しの日に もろこし畑


2004年1月15日
朝から在庫作業。続く、続く。様々なお問い合わせ。有り難いことに こんな形で世の中と接点を持つことが出来ますと実に様々な面白知識が転がりコロコロと仕入れることが出来ます。有難うございます。先日、何処かに大阪市内の土地は四条畷より下がったとか何とかいった材木屋さんのお話を書くと、早速ある方から、「昨年暮れあたりから、高さ制限を外した御堂筋の土地が大手の買占めで、約14年振りに値上がりを始めたよ。ハッピー」といったメールを頂きました。東京の六本木か銀座辺りと大阪の御堂筋と、お説ごもっとも、どうやら地価は底打ち反転を始めたんですね。住宅建築に常にアンテナをお張りの仕事柄、やはり、地価の動向は住宅事情に敏感に反映するんでしょうね。今のうちに家買っておこうと云ったにわか需要ですね。地価が本格的に上昇を始めたとなれば、”にわか”ではなく急激なカーブをつくって長い需要となりますことを期待を込めて見守りたいと思います。
府立高専の先生から有り難いお礼のお電話。「セルパネが古新聞で出来ているのに燃えないというのが、一番インパクトがありますね。始めて産官学交流会で展示を拝見した時も、えーなんでやと思いました。」早速、授業で使われるとの事です。「この綿のようなものはどうやって作るんですか」と聞かれ、昔 小学校の頃、紙鉄砲を作って遊んだのを思い出しました。筒の部分は既にその頃、竹ではなく、学研の科学と学習の付録だったとおもいますが紙の玉は新聞を水で固めて作っていたように憶えております。あれですよ。「あの交流会を始めて回がまだ浅いのですが、本当に随分と多彩で すごい研究の会社がたくさん集まりましたね。確かに、北大阪商工会議所の支援センターの木村さんのご尽力もあるとは思いますが、それにしては不思議なものですよ、高専の近所にこれほど世界的に物凄い会社がたくさん ひしめいているとは正直知りませんでした。これから卒業していく生徒達にとっても大変有り難い 自分達の目標に出来ると信じております」 長くなります以下省略。返事待ちメールがあと5通。


2004年1月14日
朝から在庫積み上げ作業。各種製作作業。今日も朝からお問い合わせ有難うございます。府立高専の先生、お問い合わせ有難うございました。明日より先生の授業はいよいよクライマックスの環境対応型商品についての講義だそうですので、ぜひともセルパネを授業で取り上げたいと言った強いご要望です。本日夜9時前、夜道を飛ばして寝屋川の府立高専へ行き、守衛さんに明日の朝、先生が見えられるまで、セルパネサンプル品を預かってもらいました。守衛さんに ここは何時頃まで開放していますかとお尋ねしてみたところ、「夜11時過ぎです。10時を過ぎても、まだ生徒さんが出たり入ったりしています。みなさん、忙しいようです」まだ若いのに すごい研究熱心なんだなあと 感じ入りました。守衛さんの了解を取って、少し夜の高専を見学させてもらいました。確かに、まだ明かりがついていて いくつかの教室からは、何か 熱心な研究か調べ物に没頭している生徒さんの シルエットが浮かんでいました。彼らがきっと時代の工業立国日本の未来を背負って立つのでしょうね。


2004年1月13日
風の強い日、朝から在庫積み上げ作業。今日も様々なところからお問い合わせがございました。パソコンの月刊誌から取材のご依頼がありましたが、あっさり拒否しました。これで、雑誌や新聞の取材依頼は何件目だろうか、よく憶えていない。
自然食愛好家様からのお問い合わせ、あのようなお答えでよろしかったでしょうか。徐々に発泡スチロールに対する誤解などは解けて来ているようです。有難うございました。業界の方でも今後も地道なPRが続くと思われますが、所詮、業界ですから「斜めから」のご質問には斜めからの切り口では答えてくれないと思います。そのような時は、またこちらに振ってください。現場の生の声を代弁いたします。
冷蔵庫のモーター音に お悩みの方、寝静まった深夜のパソコン作業大変ですね。日本の住宅事情からはどうしてもそのような問題に直面されるんですね。同じ部屋にある冷蔵庫のモーターの回転音ですが、天下の「セルパネ」を使っても そこまで完全に消し去るのは相当難しそうです。何せ深夜のことです。いっそ、エアコンのようにモーターを外してベランダに出せたらいいのでしょうが、また検討いたします。
トラックの方、お問い合わせ有難うございました。この経済不況の中、良い面でも悪い面でも流通業界にしわ寄せが向いているようですね。販売経路の多様化は需要を増やしましたが、やがて新規参入や過当競争がそのような形の軋轢を起こし始めたんですね。そのお話は何度も聞いております。製造メーカーは、環境リサイクルと経費削減から発泡スチロールを減らしましたが、結局、緩衝材として優秀なこの素材を抜きに輸送へ回すと 製品に割れたり傷がいったりする割合がどうしても相当増加いたします。その責任を流通過程に向けられるんですね。だから、「発泡スチロール無しにトラックを持ち込むな」と自己負担で業者に義務化される。、、、これが実態なんでしょうか。
定型ブロックから模型のロケットをデスプレイ用に作りたいとのお問い合わせ、有難うございました。車のような流線型を出したいということですね。発泡スチロールはこのような加工には向いていますね。___もし、実験用あるいは学生さんでご自分で仕上げなどなさるということでしたら荒削りですがお引き受けいたしましょう。それより、どなたか、模型ではなく、発泡スチロールで実際にロケットを飛ばしていただけませんでしょうかね、、、。


2004年1月12日
朝から在庫積み上げ作業。各種在庫作業。我々に休みはない。今日はいい天気だ。まるで一月とは思えない。このまま、梅の花でも咲き出すのだろうか。工場の窓から見えるのは季節に無頓着な隣の鋳物屋の菊の花壇。1年中菊が咲いている。この冬はまたよく咲いている。今日はここまで。


2004年1月11日
朝から水瓶の製作に追われました。昼から、先日より計画しておりました電磁波や光までも閉じ込めると言う不思議な「フォトニックフラクタル」の製作をしました。酸化チタン混じりのエポキシ樹脂で可能なら発泡スチロールでは、少なくとも音波位は吸収してくれないかと期待しました。鈴の音を鳴らし、耳元で音の変化を確認できたらと思い、発泡スチロール製フォトニックフラクタルを耳に当ててみました。その様子は『おもしろ実験室』に追加しました。

 おもしろ実験少し追加

 製作実例集62,63,64追加


2004年1月10日
午前中、ある人のコネでダイエーまで営業に出掛けましたが、たいした進展もなく 殆ど くたびれもうけに終わりそうな話で引き上げてきました。どこまでもどこまでも、まだまだウイングを広げようとしているのではありませんでしたが、「これも何かの勉強になるから」と行って参りました。まあ、確かに、売り込みの熱心な若手が引っ切り無しにアポイントを取りに来ているのは観ているだけで、壮観でした。ダイエーは立ち直り出したんじゃーないのでしょうか。昼から、終日、加工機の補修に油まみれになりました。結果的になんの成果もない1日でしたが、どうしてなんだろうか、空気がおいしい。胸いっぱいに空気を吸い込んで 美味しいなあーと手で空を描いている

 初春に マークはでえでえ 息を切り 心こころの わたしの風書  


2004年1月9日
朝から水瓶作り。仕事があるだけでも有り難いと思うべきかも知れません。どうも、関東の方で発泡スチロール業界に何かあったのだろうか。確認が取れていないから何とも言えませんが、とりあえず、詰まらない噂がちらほら流れてきた。中小の移動が激しいようだ。、、、。改行、熱心な研究者は寝ても覚めてもどこかで研究のことを考えている、有名になるような役者は24時間、生活すべてが舞台だと考えている、商売人も同じだろう、しかし、24時間金儲けではない、「ものを売る」を 売ってしまったら後は知らない「金儲け」、で終われば長続きしないから、長く続くように考えるだろう、長く続けて考えていると、研究者らしい人、お役人らしい人、役者らしい、商売人らしい、となるんだろうか。改行、ラジオからあと2年で日本の人口が減り始めると話していた。20年で、2000万人減少するらしい。大変だな。最大の原因は生活苦。今日はここまで。


2004年1月8日
朝から在庫積み上げ作業。水瓶座作業。各種製作作業。ひとつひとつ、何から進めたらいいのか選ぶほどアイデアは湧いてくる。有り難いものだ。今日もまた、そんな類は友を呼ぶかのように ひょこり会社に見えられた 或るメーカーの方々の貴重なご意見が頂けた。その現状を何とか打破しようとして始められた開発商品には、夢と希望を託しておられるんだろうが、そこに至るまでの過程は ひと言で云えるような簡単なものでないことは十分理解できる。様々な知恵と身を切るような努力、そしてまだそれでも残るいくらかの余裕。それはまだ、本業が好調な間に次の次を考えて動くことが出来るか、又は、そうだなあ、、、。束の間のよく晴れた冬の空を見上げ、そしてじっと手を見る。


2004年1月7日
朝から営業挨拶回り、走行距離72キロ。やはり、材木屋さんと言う世界は大羅佳な人が多い。事務所の5,6人次々に直立されて 丁寧な新年挨拶をして頂けたり、「まあ、座りーやー」と言われて 事務椅子に腰掛けると、男意気なそして大変義理堅いお客さんとの30年以上にわたる長い付き合いの思い出を 滾々と話して頂けて、正月明けにはというより 将に これから新しく始まる年のスタートに もってこいの講話があったり、金粉入り清酒で、こんな挨拶回りの一営業員にすら 振舞い酒を出して頂けて「フジカットさん。何とか ともに この不景気を吹き飛ばしましょうや」と元気付けられたり、と本当に有り難いものだ。そして、中にはもう、かれこれ100年も続く由緒伝統の材木屋さんもあり、「昨日の地震すごかったね。奈良で震度3らしいね。うちの事務所は100年になるけど、相当揺れたね。でも、なんとも無かったよ。」と1mも胴回りがありそうな柱を叩いて見せられ、流石だなあ、と独り言のように言うと、「実は これとこれは50年前の電柱ですよ。上の方、2階の天袋を開けると 電柱に使われていた頃のガイシがまだぶら下がっていますよ」と意外な事を言われるので、ためしにご一緒して2階へ上がると、確かに 白いガイシがそこにそのままあったので驚いた。終戦直後、事務所を建て直すのに木材が極端に不足した時があって、払い下げの電柱をそのまま利用したそうだ。曽祖父の方が、少し洒落が好きで 電柱だったことが直ぐにわかるようにして、ガイシを残したらしい。「後世に生きた教訓です」と4代目の息子さん。
時代は回る。高度成長期があり、オイルショックがあり、バブルが花開き、そして泡と弾けて不景気と質素倹約の時代になり、環境リサイクルにグローバリゼーションと流れ流れて、今また再度、経済の歯車が静かに西風に吹かれて回転し始めたような雲行きがあるそうだ。この国の何処かに確実に余裕のありそうな層が発生して そこから来たのだろうか。木造の家が売れるかどうかと、この国の経済から食生活まで 密接な関係があるそうだ。日本では、森は殆どが人工林だから 常に手入れをしていかなければ、やがて木が枯れ森は荒れて赤土が土石流となって川を下り海を汚し、魚が獲れなくなる。森の手入れとは、植林し 下草刈りに間伐にそして伐採をという森のリサイクルだ。森のリサイクルがあってこそ、水が美味く、稚魚が寄り付き、魚が増える。森のリサイクルを健全に且、自己完結させるにはどうするか、それには木に関心を向けることのようだ。そして、木造の家が建って、材木屋さんが儲かることのようだ。だから、材木屋さんにはエコロジイーなアイデンテティーが必要なわけだ。がんばってや!ニッポンの材木屋さん。


2004年1月6日
朝から、1時間ほど急な商談で○エーへ。○エーのセンターだ。厳重警備の守衛さんに車を遠くの「来客用駐車場へ止めて来て下さい」といわれ、何も解からないからその通りに車を返してその駐車場へ留めに行く。すると、また守衛室まで呼ばれ、「車に駐車票を貼って来て下さい」と言われ仕方ないからその通りにして、そのまま目的地に向かおうとするとまた呼び止められて守衛室に逆戻りで、「入行票を付けてください。」もういいだろうと行きかけると「入所リストに名前を書いてください」と しかも2箇所に同じ事を書き込まされた。他の会社では大概一度で通過できるところだろうか。2度も3度もうろうろさせられては、折角、気持ちよく商談に入る積りでも 帰りたくなる人も中にはいてそうだ。ようやく、フロアーに入り、「2階へは階段を使いましょう」と壁に大きく書かれていたが 気が付かずに エレベーターに乗って2階で降り、通路を歩く。どこにも電灯のスイッチに「このスイッチは6円/1分」と張り紙が貼ってあった。トイレに寄り、灯りを付けて用を済ませたが手を洗って外へ出ると、スイッチを切り忘れた。これは ”ついうっかり”でした。


2004年1月5日
朝から材木屋さんの挨拶回り。まだどこも正月休み。早々に引き上げる。走行距離87キロ。シャッターが降りた伊丹の方にある材木屋さんの前で 壁に貼られた営業開始の予定表を こちらと並んで眺めている背広姿のよその住宅メーカーの人が 軽く会釈されて「お宅もですか」と聞いてこられたので、何のことかよく判らなかったが、はいと返すと「ほおー、お宅さんもですかー」といやに同感されたので それ以上 余り深入りはせずにさっさとその場を立ち去った。車のバックミラーにまだ先ほどのメーカーの人が必死に携帯に話しかけているのが見えた。夕方遅く、滋賀県に住む大学時代の知り合いの友人が懐かしい電話を寄越す。卒業後も何度か数人で遊びに来たことがある。懐かしい可笑しいと 知り合いのそのまた知り合いの 去年で通算43回 お見合いに失敗している まじめ金太郎くんの噂話をしていると 突然、友人の実家が材木屋さんだったことが判り、「こんなこともあるんやなア」と本当にびっくりした。こちらで毎日、売りに走り回っているアキレスのコープランとかスタイロフォームとかをそっちで買って使っていると聞いて、二度びっくりした。「これからは高気密高断熱の住宅が流れなんやし、そやからなあ。これからも出るんとちゃうやろかー」が彼の意見。そこで、こちらもセルパネで(財)ベターリビングの次世代型住宅部品に選定されて、「国土交通省から入賞なんやで」と大きく出ると、「あのBLか!BLは知ってるけど、すごいやないか」と痛く感心された。また飲みに行こうとなって電話を置いた。


2004年1月4日
今日も朝から例の製作に追われておりました。結局我々に休みはない。あるのは前向きに ただひたすらの作業が延々と続くだけのようだ。積み上げては崩れるを 永久に繰り返すシジポスの神話でなくて まだ良かった。何千何万と果てしの無い実験から殆ど偶然のような幸運を掴もうと日夜神話を織り込んでおられる方もきっと世の中には沢山いるんだろうか。想像しただけでも大変な作業だろうと思いつつ、ただひたすら時間の或る限り作業は続く。もう何十年も発泡スチロールにこだわり、発泡スチロールという切口で我々は作業を進めている。祖父の代からすると かれこれもうじき60年ぐらいになるか。業態は変わりながらもこだわり続けてきた。これから先のことは全く判らないが少なくとも今日はこのままだろうから、だから今日も朝から作業が続く。夕方ちょっと調べ物に近くの本屋へ。

 不景気に 泣くに泣けぬは 納期様 コスト知らずに 正月返上


2004年1月3日
朝から今日も水瓶の製作。相当追い上げてきたが、結果はまだまだ先だ。光設計の鈴木さんから発泡スチロールを使って保温性のタンクやらないかとの有り難いお勧めを頂いてから早くも1年が過ぎようとしている。一番有り難いのがこうやって仕事を通じて各種ノウハウを蓄積出来る事だ。学校の勉強じゃあるまいし、テーマを自分で決めて好き勝手な実験を積み上げて適当にお茶を濁すという訳にはいかない。相手は残念ながら 経済に足を突っ込んだ生き物だ。待っているわけにも往かないし可と言って死なせてしまう訳にも往かない。最初から一番根本的なところに正解を含んだインスピレーションでないといけない様だ。間違いは誰も許してくれないようだ。だから後は、実験をするんだろうか。別に、机上の実験であってもいいんだろう。結果を強くイメージ出来るんだったら次へ進もう。あのアインシュタインでもこのイメージ造りは夢の中で完成させたのだろうか。寝ても覚めても仕事仕事になれば 誰でも夢にうなされる位になるものだろうか。そこに強い意志が働くんだろう。しかし、何が彼をそこまで突き動かすんだろうか。世の為人の為、はたまた生活の為なんだろうか、動機付けは、大概 立派な名文句がごろごろあるんだろう。しかし、右脳か左脳に偏りだすと もう夢中になっていて、石炭だきの機関車が走り出して止まらないように 楽しくて面白くて結果を知るのがゾクゾクして来て もう病められないんだろう。彼は相対性何某と言う理論を出したんだろうが、だから やがてきっとそれ以上のもっとすごい、そして簡単に解決できることを考えて、ゾクゾクと楽しく面白くなっている人も数えきれないほど夢の中にいてそうだ、この国には。


2004年1月2日
急な呼び出しで千里中央へ。その電話一本で 正月のお屠蘇気分は吹っ飛んだ。NハムのS研究所長から召集があったので、取るものも取り敢えず出かけた。発泡スチロールの加工品で有り難いアドバイスと提案だった。所長も 正月から仕事ながら 大変な役まわりだと思った。直属の部下を三百人も持つと言うから仕方ないらしい。ひっきりなしに提案が上がってくるようだ。所内にどうやってそんなムードを作ったのだろうか。不思議だ。一通り仕事の絡んだ話の後は井戸端会議となった。三住のO田くんはそれなりに大変そうだ。筑波の高エネルギー研究センターの○森くんや吉○くんは元気かなあ、堂○くんは京都の農学部に今もいるらしいとか、やっぱり一番有名になってるのは○林ケンだろうなあ、彼のお兄さんも音感ある人だったからなあ、とか自然と話が弾んだ。所長を難波までお送りし、早速、昼から例の切ったり貼ったりの水瓶製作。今日は前の通りを車が がんがんスピードを出して走って行くので 気が散る。ラジオから昨年の交通事故死亡者が46年ぶりに8000人を割ったと伝えているが。他にしなければならない事はいくらでも有るが、今日も水瓶に凝ってしまった。夕方5時ごろ、この位にして ラジオを切ろうとすると また、中島みゆきの「地上に降りた天使がどうしたこうした」の歌が流れてきたので聞いていた。


2004年1月1日
あけましておめでとうございます。朝から約3年振りにウインドウ95でHPを更新された恩師の新刊紹介を読んでおりました。大阪の或る女子大の教員をされていた後、また南ドイツへ客員に行かれたり、アフリカのザイール辺りをうろうろと長期旅行に行かれてたりと 文章を読んでおりますと、教員時代と余り変わらないお元気そうなご様子です。相当激しい文章になっていますね。この2月にはそれをまとめて新刊を出されるとありますので、また買って 枕を高くしてみます。表紙がいつも厚めですので木枕の替わりには 不肖者にとって好都合です(笑)


2003年12月31日
朝から水瓶の製作に一点集中。今位しかない、今日は流石に周辺の工業地帯は誰もいない。無人状態だ。昨年はそれこそ正月はなかった。兎に角、締め切りに追われていた。今年はどうかというと矢張り 締め切りに追われた商材をいくつか抱えているのは同じだが、少し様子が昨年に比べてよくなってきたように思う。水瓶作りに関しては計画的に追い上げてきたので大丈夫だろう。この時期ペースを落とさずにいけば良いと思う。あとひとつ、例のNGOプロジェクトは1月中旬には材料が揃いそうだから時間は余りない。昨日のことを思い出した。FM沖縄のDJをしている友人に会った時、奥さんが手相を診てくれるというので喜んで両手を差し出した。「うーん、65歳まで苦労するね。晩年は幸せよ」と言われた。まだまだ、波乱万丈で 残り 苦節18年過ぎれば ばら色のおつりの人生が待っているらしい。その頃には平均寿命は100歳を越えていて欲しいものだ。そう言えば、波乱の人生だからだろうか!何故だろうか ここ20年 毎年のように1年に一度は財布を拾って来た。昨日もそうだ。タヌキ腹の友人の住職に会いに行く途中、四条通りの南座から少し行ったところの仲源寺の前で財布を拾った。二つ折りの財布で中に何十万と入っていてカードも20枚ぐらい入っていた。これは大変だ。交番に届けようと思っていると 通りを向こうから新婚さんのような若い2人組が困った顔で下をきょろきょろしながらこちらに来られたので もしやと思い、尋ねてみると「よかった。あった。どうもすいません。有難うございました」と代わる代わるにお礼を言われた。昨年はJRの環状線で、その前の年は高槻の辻子のバス停で財布を拾って交番に届けた。数ヶ月して持ち主から電話があり わざわざお礼に来られた。それぞれ相当大切なカードと○○が入っていたからだ。その前の年は何もなかった。その前の前の年の夏だ。明石の海岸で高価な腕時計を拾った。二つ折の財布に巻いてあったのだが、海水浴で身軽な服装をされていたので落とされたのだろうか。砂に埋まっていた。財布の中身は砂に埋もれてか誰かに抜き取られてか空っぽになっていた。結局、交番に届けたが「まず持ち主はわからないでしょうね」と言った巡査の答えだった。6ヶ月して通知が来たが忘れてしまった。その前はどうだったか良く覚えていない。何処かへ行った帰りのバスだったような気がする。遡ると 26,7年前の夏、長野の黒姫山へ行った時、観光向け花火大会があった。うおーうおーと打ち上げられる花火を見ていると何故か急に下を見たくなって、目の前に財布が落ちているのを見つけ、交番に届けた。後日 落とし主からお礼のお手紙が届き、東京のOLで友人3人で北アルプスへ旅行に来ていたが、3人の帰りの汽車の切符が財布に入っていて落とした時どうしようかと思っていた云々とあった。あの年は続けて財布を拾った。京都で目の前をバイクが走っていくのだがポケットから財布が落ち中身が道路に散らばっていったが落とし主は気が付かずそのままどこへやらだった。急いで中身をかき集め交番に届けたが、後日持ち主が現れ、弁護士事務所でバイトをしながら司法書士の2次試験がもう直ぐだという人だった。その次の年は確か、お金だけを拾ったので、後日友人と飲みに行った。延々と詰まらない話が続く。長くなった、今日はここまで


2003年12月30日
朝から水漏れ試験中の水槽群の期日交換の後、例の液体窒素デュアーの製作にあたった。大変簡単な造りにした。何処にでもあるカップを中央の楕円穴に入れるだけで完成だ。蓋は以前納品分を代用してもらえばいい。構造を簡単にしたが製作には半日を要してしまった。毎日時間がないと言うのに不覚だった。夕方、長浜にある浄土真宗の寺からやって来た お腹がタヌキの腹のように膨らんでしまった親しい住職に誘われて、京都の大学の有志でつくる ささやかな同窓の会。京都八坂神社の前の”おたべ”で待ち合わせ、祇園会館の裏の小さな飲み屋へ行く。沖縄でFMラジオのDJをご夫婦で仲良くしている友人が 東京の仲間を何人か連れて来ていた。一人が劇団「青い鳥」で働いていたと聞いて、今から20年ほど前 大阪扇町にあったミュージアムスクエアーで寿司ずメ状態で観た「青い鳥」の『ザ、シン、デレラ』を懐かしく思い出した。あの公演にも道具持ちで来ていたらしい。今では出世してあちこちで脚本家をしているらしい。不思議なご縁だ。2次会へ話が弾み、四条河原町から少し京極の方へ上がった所にある”しずか”という名の日本で始めて出来た由緒伝統のビヤホールの2階へ移動した。天井も壁も床も木のテーブルも全て全面落書きだらけになってしまった。100年の歴史の中でこんなに落書きが増えたのは まだ45年ほど前だというから流石に京都のビヤホールだ。60年代の学生さんの落書きは硬派で文学的なものが多いが、最近は、アンパンマンやドラえもんにアバレンジャーの書き込みが目立った。中でも阪神優勝の書き込みが掛布やバースの頃のものだというのは流石に古いものを大事にする京都の落書きだと痛く感心した。


2003年12月29日
朝から急ぎの水槽製作。発泡スチロールで水槽作りを始めてこれで何個作ったのだろうか。試作まで入れると相当な数を短期間に上げているように思う。大変な作業だがやっていくしかない。その後、例の底面の厚み1mmの液体窒素容器の試作、こちらは殆ど前に進まない。前回の試作品ではかろうじて2,3時間ほど耐えただけだった様だ。そこで、既製品の成型品でそれに使えそうなものはないか探したが、なかなか思うようにいかない。何せ1mmだ。で、また振り出しに戻って ちょっとしたひらめきを形に変えてみるほかない。鐘の鳴らない仕事がまた増えた。こんな事していて良いのだろうかと思いつつ、或る学校でお使いになる実験測定道具。お役に立てれば、の願いひとつでまた時間が流れて消えていく。終わりがない。やるしかない。我々に休みはない。


2003年12月28日
朝から水槽のチェックの後、ネットのお客さんの発送伝票の番号を確認しに会社へ出た。4日目にしてまだ届かないらしい。運送会社に連絡すると年末で相当混乱しているような返事があった。その後、テレラジオで佐賀のジャパネット高田と言う会社の秘密に迫る番組が流れてきたので聞いていたが大変参考になった。早速、HPに少し修正をして見た。帰り、近くのビデオ店で何気なく有名なビクトル・ユーゴーの『レ、ミゼラブル』というフランスのクラリオン社のビデオを借りて帰り、ついに最後まで観て、落ち込んでしまった。ジャンバルジャンには『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンが演じる。重厚な演技だが、イメージがシンドラーとダブってしまったから厄介だ。物語に入り込むと 身動きがとれず、両手に拳をつくってテーブルに押し当てて観ていた。さすがに名作だ。フランスにユーゴーが居り、ドイツにゲーテが居り、ロシアにトルストイが居り、中国に阿Qが居り、この国には猫の我輩が居るのだろうか。我輩は武者小路篤実。


2003年12月27日
今日は朝から在庫積み上げ作業。周辺では工場街の轟音が消え、無人の街になっているようだ。高槻の馴染みの材木屋さんまで遅い集金に足を伸ばす。淀川を渡ると前方に広がる北摂の山々に白い霧のような雲が見えた。まもなく冬の冷たい雨の中に突入。車のワィパーがその冷たい雨粒を弾き飛ばして進んだ。「あかんなあー、なんぼ ー年振り返っても、しょうーないぐらいやな。ほんまー、ぱっとせーへんなあー。こんな天気ばかりの年やったなあー」と出るのは愚痴ばかりか。それでも、「今年一年お世話になりました。来年もよろしく。いいお年を」の行儀のいいご挨拶をされると 流石に 伝統の材木屋さんなんやと 思わず改まってしまう。走って誰もいない公園の横に留めていた車まで戻り、ワィパーを一度回すと 遥か前方にJR高槻をノンストップで走り過ぎて行ったスーパー雷鳥が一瞬見えたような気がした。一年を例えて、木の板の垣根のわずかな隙間から 馬車が猛スピードで走りすぎるのを視るようだ、と論語にあったのを思い出した。一年なんて一瞬だ。一瞬の星のまばたきみたいなものだ。そのまばたきすら 遥か昔我々が生まれるずっと大昔に光った光陰でしかなく、その星が今も輝いているのか 本当に在るのか無いのかは解からないらしい。やがて、我々のようなどこにでも転がっていそうな人生も ワィパーの扇型の形跡に 一瞬だけ 世間の片隅で見えたような気がする そんな程度で終わるのだろうか。恐らく、100%そうして終わりを迎えることだろう。それで何がダメなんだろうか。いいじゃないか。多かれ少なかれ 皆 そうなんだから それ以上何が要るのだろうか。分からないものだ。消しても消してもまた降り続ける雨粒をワィパーが機械的に繰り返して消していく。生きるとはそういうことやで、と教えているようにも見える。消しても消してもそれでもやっぱり何かをしたいんだ、何かを残したいんだ、生き甲斐が欲しいんだと叫ぶ自分がいる、一方で、矢の如し人生、この位でいいじゃないかと振り返りたい自分がいる、そして往復していく。生きていく。


2003年12月26日
朝から在庫積み上げ作業に追われる。夕方から急ぎの加工。もう一年も と言うべきかまだ一年だと言うべきか、ゆっくりではあっても確実に技術の向上は進んで来たと実感する。思い起こせば3年前、光都市綜合設計の鈴木さんの発明に一枚噛んだのが事の始まりだったような気がする。その後、鈴木さんから湯水の如き数々のアイデアやアドバイスを延々と頂いてきた。A4コピーにすれば軽く2,3冊の本が作れる量だ。将に延々と終わりがない。水瓶から底無しの様な水が流れ出してくるようにと形容するべきか、あり難い、砂漠のような不毛の娑婆世界を旅する我々のような中小企業の若輩達にとって無くてはならない師と仰ぐべき人達の一人だ(おっと、鈴木さんは大学の講師をされてましたっけ)。この一年を振り返るような時期になり 改めてこの機会にお礼を申し上げます。有難うございました。私をはじめ ひよこの様な若輩集団ですが、今後 セルパネの技術向上には最善を尽くして参りますので 来るべき年も何かとよろしくご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
そして、Nハム研究所長のSくん。この一年ありがとうございました。セルパネ「セル子ーSOS」シリーズでは大変暖かいご尽力を頂けました。世間で何かと騒がしい中、NハムにSくん在りき、と声を大にして言いたいと思います。彼ほどの人材、彼ほどのブレーンそして彼ほどの影響力を持つ男が、ハムに食われてハムに埋もれてしまうのは 何となく もったいないと思いますが、こんなご時世です。やがて会社もほっておかないに決まっております。どうか、お身体には気をつけて頑張ってください。そして、今後もご協力お願いいたします。
自然食愛好家の方からメール頂いております。余りにも長文です。まだ読み終えておりません。もう暫くお待ち下さい。


2003年12月25日
仕事は待ってくれない。むしろ時間は止まることもあるだろうが、仕事は休めない。それが我々のような中小企業の宿命かもしれない。朝から在庫積み上げ作業が続く。昼前、遅くなった納品物一件、長岡京まで配送。半割れのドラム缶を囲炉裏火にして門で待っておられた方に一声かけると「例のものかー、事務所第4号棟の5階やねん」と教えて頂き その指示の通り、工場内を右左と曲がりながら事務所へ辿りつく。受付の人が現れ、「例のものですね。そこに置いてください」と、また”例のもの”と同じ名詞でこの納品物を呼ばれた。相当有名になってしまったようだ。遥か彼方まで延々と並ぶ段ボールのライン。箱作り作業。印刷機、大勢の人達の規則正しく隙のない動作に 何か ブルーワーカーの美しい歌声が聞こえてきそうだった。今日はここまで


2003年12月24日
朝から在庫積み上げ作業。遅々として延々に。今日は今日だけのクリスマス。昼休み、近くのスーパーで液体窒素実験用の容器に使う明治のクリスマスケーキ保冷ケースを探すが、結局深さ270mmのものはなかった。残念だ、O大学の研究の虫嬢からのご依頼でしたが、ごめんなさい、今度はなかなかいいものが見つかりません。時間がかかりますがもう暫くお待ち下さい。もう7年前になりますが、深さと言い長さと言い、もってこいのアイスクリーム保冷ケースを自分で作っていた記憶がありますが、あの金型は今はどこへ行ったのでしょうか。残念です。雪の結晶のマークのケースでしたが、、、。あのマークの復活はないのでしょうか。
夕方、近くの人形劇の方が来られた。また、来年3月へ向けて枚方人形劇フェステェバルの準備が今から始まるんですね。有難うございました。毎年盛大になってきた枚方の人形劇ですが、今からとても楽しみです。また、観に行かせて頂こうと思いますので
卒業に800π球をご入用の方、一度、フジカットの現在の技術の粋を集めてその800π球を作ってみます。以前よりは相当綺麗な球加工が出来るようになってきております。球体加工に挑戦してもう1年が過ぎましたが、いろんな方からアドバイスも頂けまして、お陰さまでここまで来ました。継続は力のようです。
お問い合わせ有難うございます。セルパネ防音室の製作が遅れております。もう少しおまちください。完成次第データ集めに入る予定です。


2003年12月23日
例のアンテナ台4個の発送をして、水槽を少し削り、冬とは思えないような暖かさに気分よく、作業を続けたあと、昼過ぎ帰宅し、ずっと布団の中にくるまっておりました。読者の方から「体調に気をつけてください」のメールを頂きました。有難うございました。励ましを頂けますと、もう暫く続けナイトといけないなあと思いながら今日はここまで


2003年12月22日
今年もあと少し、あと少しと休めずに朝から在庫積み上げ作業。いつもの作業。どこのジャムおじさんからの電話だろうかと受話器を取ると、まだ中年のはずのO本技研の社長さんの潰れた声だった。完全に声を潰して折られて、「お大事に」とこちらも負けずに咳コンコンで応答にならない。昼ごろ、松下電器の音響部にこの前定年で辞めるまでおられたNPOの方が来られた。セルパネを使った例の実験の催促だ。「北大阪商工会議所の木村さんも期待されています。早く例の実験を」と、まさに年末は師も走りますね。「わしら、音響部の人間は徹夜徹夜で毎日毎日何ヶ月でも会社に泊まりこんで、1,2時間の仮眠で仕事をしておったぞ。会社のもん皆そんなんばかりやから、それで当たり前やったんや。それぐらい毎日毎日、レコード盤や最近じゃCDラジカセを割る実験や。割って割ってこれなら梱包を最小限のコストにに出来るまで削るんじゃ。ようやったと会社に喜ばれたもんや。ガッツやで、ガッツやないか」(。_。)”夜、9時半、ようやく4台の走れ大きな機関車ゴードンとヘンリー達のような変なアンテナ台完成。O電気様に急ぎの発送は明日休日に出てきてからになった。しかし、実に有難いことに毎日毎日様々な面白い実験談を聞かせて頂いております。大変参考になります。もう一度有難うございました。今日はここまで


2003年12月21日
咳コンコン、頭ガンガンで休日も診療している近くの病院へ行く。案の定、扁桃腺が腫れていた。「いつもの気管支拡張剤出しておきましょう。黒い液のやつやね」と いつもの 頑張り屋の機関車トーマスのような医者の言。待合で待っている間、最新式の血圧計に腕を入れて測定した。上が111下が68、脈拍84だそうだ。上下とも何となく年齢とともに下がりだしている様な気がする。以前はまだ上が120以上 下が70あったように覚えている。どうもいやな雰囲気だ。そう思うだけで頭がガンガンし始めた。今年は自分の周囲にいた同年代が3人亡くなった。そして、それぞれの死の送魂歌を直接、又は間接に聞いてきた。その度に、生き続ける事の苦しさや大変さを むしろ、死んでいった者たちよりも悲観していたように思う。まるで評論家の後講釈のように出来ない比較をしているようだった。しかし、人間は実に小さな生き物で、他人が倒れても本当のところ何も響かないのに 自分が風邪を引いただけで その発想は簡単に逆転する。そして、生き続ける事こそはかないと 苦痛を甘受する現状を否定し、生と死の また 比較の出来ない比較を始めてしまう。まさに他者を固定的に楽観視してしまう不思議だ。厭な生き物だ。今日はここまで


2003年12月20日
雪の舞う中で作業。体調崩す。折角新しいページを開いたところだが、ここまでとしたい。

実例集に少し追加







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