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「わたしの研究開発雑記ノート」

                                                                          
                                                         
2003年11月20日
今日も朝から在庫積み上げ作業。日々是好日。と行きたいものだが毎日同じことが続くのは珍しい。今日は今日で、又斯く有りけり、明日又斯く有りなん。

  前向きに ただ ひたすらに 途切れずに わあわあ言って 今日も好日 


2003年11月19日
今日は朝から在庫積み上げ作業。変わらない毎日。変化の激しい世の中と正反対か。しかし、HPのお問い合わせは有難いことに今日もしっかりだ。このような駄文を綴っていて大丈夫だろうかと思いながら、代わりの人がいないまま担当している。本当はもう少し、マシな文章にしたいものだが、語彙不足を物ともせず、下手な表現も気にせずに書き飛ばすと誰でも気長に続くものなのに残念だ。余り硬い文章にすると 確かに、何所からともなく直ぐメールが飛んできて「解かりにくいです」と言われますし、長々と形容詞ばらまき表現にすると「結論だけにして下さい」と来るし、断固主張を入れると「意見は後にして下さい」となる。大変有難いのだが、そんな所が デリケートに気になさる方にとっては、この欄を担当してまでは書き難いのかもしれない。しかし、そんな反応を頂けるところがまた、後学の助けになって面白いところかもしれないよと説得に掛かるが 却って、お茶をこぼす様なことになってしまう。もう少し、ウイングを広げ、政治、経済、文化 スポーツと書いてもいいのだが、余り関心がないことばかりで奮発して書いても他のHPと変わらなくなってしまいそうな気がしてくると 書くことがない。
例えば現代アートの混沌とした状況の根底に 時代性を訴求する普遍的美認識の揺れを感じ取ることは大変重要だが、それは受動的に被昇天な感性としてではなく、むしろ対立軸を縦横に張り巡らせた自立的緊張感の中に求めるべきではないか。現代はそれがますます簡単平益にわれわれの身近なものになり始めた。芸術の現場では普遍尺度を何処か緯経度のように引線し、世界容器のような地球が 将に 現実にリアルタイムに垣間見られるようになったからだ。一言で何を見たかが美意識の問題なだけだと言う風潮に成り下がったようなものだ。誰もがガガーリンになって見ると 地球は決して青くはなかった訳だ。皆が慌てたのだろうか。だから現代アートの状況は流動する。


2003年11月18日
ヨットを作る時使用するコーティングを入手して、水槽のコーティングを始める。もとより強度は抜群だ。これをさらに3回重ね塗りをしようと思う。昼から、材木屋さんへ急な配達。材木屋さんの世界も狭いものだと思う。やはり、独特の熟練した作業技術が相当必要なものだと言える。今日は他の材木屋さんで働いていた人を別の材木店で見かけたので 手を挙げて挨拶したら、忙しそうに首を立てに振っておられた。何所へ行っても技術が活きる。食いはぐれが ないんやなア。セルパネのように全く新しいものだとそうは行かないのでしょうが、発泡スチロールの業界でも結構、技術者の横滑り現象を何度も見てきた。お陰で、他の会社がどうなっているのか逐次刻々と判っていたものだ。何十年も見てくるとやはり、後進の指導には利害を抜きにしていくだけの余裕を持って指導されてきたところは 伸びているよなあ。


     『以前にも問い合わせましたけど、スノーボードを入れる発泡スチロール一個、作って頂きたくメールしました。写真にダイレクトに書き込んだ為、分かりにくいと思います     が、大丈夫でしょうか?<なにせ、PCに慣れてないもんで・・・。>あと、山形までの送料って、わかりますか?お願いします。』


上記の方、何度こちらからメールでご返事をお送りいたしましてもあて先不明で返ってきます。宜しければ電話かFAXでお知らせ下さいませ


2003年11月17日
朝一番に某大手から戻ると、また某大手の最近また流行のベッタンの素材作り、ドーナツの穴あけ人生。今年のクリスマス商戦はどうなるだろうか、子供達は今では ゲーム機から遊びの関心が携帯に行ってしまい、携帯電話は一昔前のゲーム機以上になり始めたようだ。が、その次を狙うのがベッタンだ。その後、また某大手の年末商戦の段取り打ち合わせ。そうこうするうちにまた某大手からの問い合わせ、屋上のコンクリ量を減らすのに発泡スチロールで何かいい物ありませんか、と聞かれて即答。その後、某百貨店に卸しているメーカーから急ぎで進物用容器の問い合わせ。この既製容器の問い合わせがじわじわ、ジワジワじわじわと増加しているのは特記しておきたい。一体何故だろうか、自分でもよく解からない。HPからではない。どこからお聞きなさってか、わざわざご来社される方も結構増えてきた。これで良いのかと思いながら何十年前から発泡スチロールの容器をお使いだというかたも何故か見えられた。しばらく買っていたメーカーが無くなり、何処かよそのO化成とか何とかいうところから買っていたが、、、と言った問い合わせが何故か舞い込んできたりも し始めた。以下略。昨年の今頃は、銀杏のぎんなん拾いに不景気の腹の足しをしていた記録があった。図書館の帰り、辺りは薄暗くなった中で三人の親子連れが銀杏並木でぎんなん拾いをしていたらしい。三人の白い軍手が6枚並んで上下して パントマイムの街頭パフォーマンスのように見えた、あの頃だ。コートなしでは寒いぐらいで、早くも材木屋さんでは贅沢な いい匂いの木片焚きストーブが煌々と光っていた。セルパネに係わりだして足掛け3年。このHPも2年目に入っている。

  じわじわと 青春燃やす ヨシ野焼き やまざき越えては けむりも雲か


2003年11月16日
朝早く1回目の塗装が終わり、その乾燥時間待ちをみて、京田辺の方まで、ネギ掘りの手伝いに行く。空は抜けるような青空、11月と言うのにコートが要らない。京田辺までは枚方から直ぐだ。遠景に立体交差のバイパスが横一本走り、大山崎と繋がった。交通の便も飛躍的によくなってきた場所だ。田畑が広大な広がりを見せる都市近郊の促成栽培型農業地帯。この前の大雨で倒れて売り物にならなくなったネギの掘り起こし手伝い。倒れたネギが延々と彼方まで続く。それが全て、廃棄になる。何とも言えない市場の論理だ。そして、数人でネギの掘り返し、掘っても掘っても限りがない。膨大な量のネギが廃棄処分となっていく不思議。半日がかりで 80リッター入りポリ袋14袋に入れたがまだ全体の100分の1もいかない。腰は痛み、足はがくがくだ。ようやく  半日援農アルバイトが終わり、ポリ袋2個分のネギを持ち帰るが、ネギばかり1年は食える量だった。その後、会社に戻り 作業の続き。


2003年11月15日
やるだけのことはやった。作業が終わったのは夜9時前。屋外に水槽性能試験のために実験場所を確保し、台を並べ替えたり水道の引き込み等で午前中が潰れた。昼から、例の水槽の代換品の製作に全力をあげた。ヨットの場合でしたら、これを5回重ねるらしいが、今回は2回にしたが、1回ごとに実際にチェックを入れている。明日、2回の塗り作業の後、艶出しをして、何とか月曜日納品の予定まで漕ぎ着けた。昔、ホンダワールド北大阪という会社の社長と話をしている時、「営業の基本は相手の顔を見て話すことやないか。何かあったらまず走っていくこっちゃ」と言っておられたのを思い出す。昔年の思い。今は、営業の後に研究開発の4字が並ぶ。だからもう、菓子折りを持って上がる事はない。あるのは、ひたすら、前向きに、そして真剣にその壁を突破していくことだけだ。ところが、途中また厄介なお見積もりが飛び込んで来たから頭が痛い。「超音波発生機から周辺に漏れる超音波の振動と言うか騒音を防ぐ、発泡スチロールの防音容器は出来ますか」と言ったものだ。依頼主は真剣にお困りのようだが、こちらとしても、真剣に困った。液体窒素の次は超音波だ。実に様々なお問い合わせはまだまだ続きそうだ。


2003年11月14日
今日はメールのご返事に時間をとってしまいました。一体今日1日で何本書いたのだろうか、ざっと数えると18本か。今日はここまで


2003年11月13日
今日は一日、大津へ出張。セルパネ施工現場の取材。夜8時半帰社。セルパネノートに写真を追加。以上ここまで。
現場での取材をまとめて後日ご報告いたします。現場は小雨が比叡おろしに激しく吹かれて最悪のコンデションでしたが、何とか実見聞録のようなものが出来そうです。やはり、聞くと見るのとでは全く違いそうです。


2003年11月12日
今日はどこの合成樹脂メーカーの偉いさんが来たのだろうか、昼から事務所できゃっきゃと言いながら時間を潰しておられるご様子だ。工場には、発泡スチロールの大手や中堅で長年工場長をされたご経験のおありの方々が、数名いて、誠に申し訳ないとは思いながら掃除や雑用をして頂いています。まあ、不思議な会社だ。重ねて、申し訳ない。例の水槽の製作に今日も忙しくしておりますと、ケイタイに懐かしい中学の友人でNハム研究所の所長をしているSくんが電話を入れて来た。「今なにしてるねん」と聞かれたので、例の水槽をつくってるんやないかと答えると、何故か大笑いされた。  時間がない、今日は大津だ。それでは失礼。


2003年11月11日
本当に有難いことに 毎日いろいろなことがあっていろいろな発見があって、そしていろいろなアドバイスを頂けます。本日は神戸の三木の近くから遥々る、セルパネの原料を運んでいただけました折、綿のメーカーのご専門の立場から実に有難い貴重なご経験談を頂けました。ご指摘のございました点が正に意を突いておりました。その点につきましては先ほどの寝屋川高専で ある教授からすばらしいアドバイスをもらっておりますが、今後の参考にさせて頂きます。
液体窒素の容器の件、以前よりK大学の先生からご質問のございました1件について、あるお客様の担当者から明確なアドバイスを頂きました。そうか、そうだったのか、それならこれで行こうと直ぐに決めました。有難うございました。いいことは直ぐに取り入れたいと思います。
生分解性発泡樹脂の件、YOSIDAスタジオさんから早速の貴重な実験結果をご返事頂けました。確かに吉田さんの直感通りの実験結果になったようですね。業界では、これから大変なことが起きるかもしれませんね。その節はよろしくどうぞ。
発泡ビーズを使った思いがけないような共振板の件、理科,物理サークルのようなアイデアが実に面白そうですが、実用化までいきますでしょうか、少し心配です。

 秋雨に 世を宇治山と いえぬ満つ月 渡月橋  衛兵渡るはバクダッド


2003年11月10日
衛兵がいつも直立姿勢で門の前で立っている大久保の自衛隊駐屯地を過ぎると、雨足が急に激しくなってきました。数量は僅かでしたがトラックと車の2台を連ねての重々しい配達でした。宇治の街に入った途端、さらにどしゃ降りの様な雨が自動車の屋根を叩きつけるようにしてから、ようやく空模様は小康状態になりました。街には1200年の伝統と顔がありました。京都らしい町並みが少し続き、平等院を指す道路標識が雨に曇ったフロントガラス越しに目に付き、ハイカラな宇治の市役所などを越えて、ようやく目的地に着きました。いかにも京都らしく、古さと新しさが共存している上に 周囲の環境には自信のありそうな町並みの一角でした。セルパネを無事に配達した日でした。


2003年11月9日
朝から在庫作業。0,5mm厚の加工で終日。実に面倒な作業だった。時間チャージにしたらいくらぐらいになったんだろうか。夕方、寝屋川まで新しく出来たプロのためのホームセンターを見学に行く。今日はここまで


2003年11月8日
セルパネ製造と、水槽加工。この全く2律背反するような作業を同時にこなしておりました。しかも全く支障がありませんでした。不思議なものです。有難いことに1点集中よりも 多方面同時進行の方が却って能率が上がることはよくあります。今日はその良い例でした。しかも、その上にサバの液体窒素での瞬間冷凍実験用具の一刀彫くり抜き、までありましたし、0,5mm極細スライス加工のスリルもありましたし、京都から子供用メンコ製作のおまけまでありましたから、ごめんなさい、スペインの陶器製時計屋さんの1っ件は明日になります。そうそう、広島県にお送りした、土木工事用かさ上げシステムは、いかがなものでしたでしょうか。昨日は兵庫県にお送りいたしました劇団関係者の方、例のものでいかがでしょうか。奈良からはまたまた劇団の方にお越しいただけそうでかたじけないです。そして、東京からは懐かしい7代目社長の「また年末にかけてよろしく」の例のご依頼。有難うございます。親苦労子楽孫貧乏で3代、そしてその親苦労子楽孫貧乏で6代、その次で確かに苦労性、買ってでも苦労を厭わない7代目でんな。会社が7代続くとなんでこないになるんだろうか!現物を前にしてやっぱり不思議なものだ。これだけ長期にわたって上昇志向を続ける会社は珍しい。三井や住友みたいなものだろうか。会社の30年寿命説を優に打ち破る。
どうも気になりながら、帰宅時、7代が、10代20代とさらに時間が経って来るとどうなるんだろうと、いらぬ疑問を思いつき、答えが出ずにいると 丁度、間が悪いことに、かれこれ鎌倉時代から数えて23代目にあたる寺の坊主から電話があった。世の中選挙で騒がしいが、23代続くと、やっぱり現世にはあまり用はないようになるらしい。「京都まで飲みに来い」と何やら夢うつつな声だ。今宵はどの辺りを彷徨っているのだろうか。くわばらくわばら くらわんか 合掌。


2003年11月7日
朝から変わらぬ在庫積み上げ作業。近くの材木屋さんがお初に、お買い求めにわざわざのお越し、有難うございました。「もし、材木屋の後 継がなければ学校の先生になりたかったんや」とおっしゃる初老の社長。「大工は施工性がどうかを最も重視するんやでー」のかたじけない そして有難い現場からのご意見、本当に有難うございました。「その、一点を忘れなはんなや」には、千金の含蓄がありました。流石に、苦学に苦学を重ね、螢燈時代を地でいった青春、あと少しで学校の先生というところで、已む無く家業を引き継がれた経歴には家の建築に対する御造詣に大変深いものがあると思いました。ずばり、その一点なんですよね。だから、やがて家は、不動産から自動車のように動産として工場から直接届く時代が近づいてきたのも確かですね。しかし、それだけじゃ、あまりにも味気ない。何かが足りない。


2003年11月6日
よほど楽しかったのだろうか、夢の中で、中学時代の学年同窓会があり 自分で 何か笑いながら喋っているのが夢だというのに夢と意識しながら理解できてもなお笑っており、そして目が覚めたら、まだ笑っている自分がいた。朝から変わらぬ在庫作業。
また、われわれ凡人には計り知れないような奇抜な実験のお問い合わせがあった。今の時期でないと生き物なので大きさなどにぶれが生じて うまくいかない可能性があると言うサバの瞬間冷凍実験とX線撮影。「それ何ー」といった感じであったが、お話を聞いてみると 結構大変な実験のようだが、それでも面白そうだ。ここにも発泡スチロールが大活躍する。海洋日本!世間は広い。いろいろ不思議な研究があるものだ。このページを開いて1年。まだまだ、これからも不思議なゾクゾクさばさば実験の問い合わせが続くのだろうか。


2003年11月5日
朝からの作業も夕方8時頃、漸く一段落つき、少し空いた時間で、以前お問い合わせのあった生分解性発泡樹脂について「製品例と価格例がありましたら教えて下さい。」のご返事用製品例を作りました。生分解のページに追加しました。今日はここまで


2003年11月4日
朝から在庫積み上げ作業。作業の合間、今回入荷した 新しい生分解性発泡樹脂を使って試作に入る。今回入手の樹脂は、切断時に綿飴の匂いが強烈だ。祭りの露店で必ずといっていいほど小さい子供から大人まで黒山の人だかりが出来ているのが綿菓子のコーナーだろうか。割り箸に巻いた綿菓子を誰でも一度は食べた思いではあるだろう。おそらく原理的に同じような性質のものを使っているのだろう。間違って、美味しそうに この生分解樹脂をかじりそうだ。アメリカ産のトウモロコシから出来るんだから もっと身近に、国産のお米の「ポン菓子」からでも直ぐに出来そうなものだ。否、全国の 研究の虫実験の虫達はきっととっくにポン菓子発泡樹脂をとっくに完成しているのだろう。面白いものがいろいろとある。


2003年11月3日
今日は朝から水槽を1件仕上げた後、セルパネ製作。昼過ぎ、原材料の在庫切れでここまで。馴染みの段ボール屋に出した材料の注文がまだ来ない。外が大雨になり、他にやりたかった実験も それどころじゃない。必ず月曜日は開けていたお隣の鋳物工場は 雨で機械のうなりギ音が 掻き消されているだけかと思っていたら、今日は珍しく開けていない。休みのようだ。隣は 山の向こうの三洋電機が中国へ引っ越してから、何となく勢いがないような気がする。為替の円が高いや低いやで そんな小さな工場まで うろうろさせられる時代なものだ。われわれの人生。羅針盤がない。鐘の鳴らない木に 朴訥な槌打ち囃し 走り回るだけか。そういえば学生の頃、壁に直ぐ、落書きに「直訴虫」なるけったいな虫の絵を書きたがる人がいた。京都の街中でその虫の絵を見た人がいたかいなかったかは 今となっては定かでない。あれを鐘の鳴らない木に宿り木したやつを作ってみようと思った。以下略


2003年11月2日
体調がもうひとつだ。昨日無理をした反動か、今日は一日動けず、咳の度に布団の中で転がっていた。折角の連休だ。遅れ勝ちの仕事を少しでも進めるのには絶好の仕事日和だったが、あにはからんや何の仕事も出来ず 時間だけ無駄に過ぎていった。残念だ。


2003年11月1日
結局、2年目もこのコーナーを担当することになってしまった。他に引き受けてもらう予定の方が、いないからだ。最終的に業務命令は出なかった。安易な自動継続ということらしいのでいつでもストップしてもいいとの条件付だ。次の1年はいつまで続くか全く解からない。まあ、お気楽に、発泡スチロールに因んだ話題やニュース、そしてセルパネのニュース、水耕栽培のトマトの花の話題、製作実例集の追加、QアンドA、何でもかんでも面白実験、と繰り広げていく予定ですが、どうなりますことやら、、、。

セルパネ業務連絡。例の件何とかいけました。ご心配おかけ致しました。有難うございました。
発泡スチロールで作る三角のお風呂の件、了解致しました。有難うございました。
生分解で作る試作品の件もうしばらくお待ち下さい。期待してくださいよ。
液体窒素の件、やっぱり100mmはいりますよー。蒸気が出るようで困るようでしたらFRPでコーティングしましょうか、硬質ウレタンで固めてしまってもいいですが、お待ちいたします。世の中を変えるような実験にこうして足を突っ込むようになり、びっくり仰天です。これからは世の中、超伝導でいきましょう。


2003年10月31日
ノートを書き始めて今日で丸1年になった。途中PCのトラブルなどがあったが何とか休まず1年間続けてこられた。一応当初の予定はここまでだ。明日から引き続き2番手がこのコーナーを綴っていくはずだったが、その2番手の若い事務員さんが断固拒否を申し出られたので困っている。あーとか うーとかアートでウルトラな文章は全く必要ないからと頼んだがこちらの強い申し込みを「ザワヮ ザワヮ ざわわ」とたゆたけしくお断りになられた。後は知らぬ存ぜぬだ。昨日はお茶も出してくれないし、デスクも拭いてくれない有様だ。危険なものには近寄りたくないらしい。結局、次の当番が決まらなければ、今日でこのコーナーも終了のようだ。
長い間、どちら様も有難うございました。お陰で1年間続けて参ることが出来ました。雨の日も風の日も大丈夫なご声援を頂けました。有難うございます。
今日は朝から東大阪まで納品物の検品に直行。営業職にはつき物かもしれない仕事だ。お客さんは昨日から かんかん状態だ。不景気の中、どういう訳かお客さんのところの町工場だけ忙しそうで立錐の余地もないほど作り掛けの商材で溢れ返っていた。「どかんかー」と怒鳴られ、仕方なく 作業帽を脱いで一礼し、工場の隅の方から中に入ると、箱詰め担当の工場現場班長らしき人が タオル鉢巻に汗一杯のランニング一枚になって ベルトラインで他の作業員と並んで箱詰めに忙しい。ちょっと手を止めただけでこちらを向きながら「おいこら、何ぼやっとしとるんじゃわれー、泣きツラ見せに来たんけー、ふざけんなー、おんどれの言うこと聞いとる暇なんどないんじゃー、われー、正念入れて働かんケー」いきなりで かなり厳しい。「おきまりはいいから早く倉庫行って検品して来いと いわはったんでっしゃろな」とラインの 他の年上の一人が近寄って来られて 倉庫へ案内してくれた。1個何銭の商品を1000個入りでやっと何百円で 一袋になったものをひとつづつ、開封して入り数を数え直していく 気の遠くなるような検品作業。昼のサイレンが鳴り止み、しばらくしてから漸く終わった。検品済みには自分のサインを全てに入れた。なんやー。どれも不足はないやないかーとは一切声に出せず、ラインの隅に置かれた木製の事務机に一人で 日の丸ドカ弁当を広げて ペットボトルのお茶でお茶漬けをつくり 黙々と 空の胃袋に流し込んでいるタオル鉢巻の班長に 先ほどの検品結果を報告する。「そうか、何でやったんかな、悪かったなあー、そうしてもろたほうが、気ー 楽に帰れるやろ」鐘の鳴らない仕事が続く。現場から戻ると遅い昼食になった。


2003年10月30日
朝から在庫積み上げ作業。どうもこれが仕事の原則のような気がしてきた。唯 ひたすらに脇目もせずに同じものを作り続けていかなければならないのが、在庫積み上げ作業。しかし、こんなつまらない雑記帳を開いて明日で丸1年が過ぎようとしている。セルパネに明け、七代目社長がやって来たりして、後半は水槽で、今年は水槽で暮れそうだと思っていたが状況の方は刻一刻と変化している。やはりセルパネで暮れるのだろうか。それとも、またまた何でもないこと トンでもない事 何でもかんでも実験な事など、じわじわと全包囲網が造られていくのだろうか。毎日予断を許さない。ここ4,5日体調を崩してしまったが、その間にも何とも言えない様な面白おかしいユニーク極まりないアイデアを出して頂きました。本当にその通りだと思います。熱管接続の対策さえ解かればそのアイデアはオーダーメードとして 時勢の流行に乗って結構面白くなりそうですね。接続部だけ材質を変えるのが現実的ですね。方法はいろいろですが大変でしょうか。超伝導を他で考案されているところには、ウレタンを流し込んではどうですかと提案したことがありました。硬いと液体窒素で割れますよ。


2003年10月29日
昼まで寝ているつもりだったが、事務員が寝かしてくれない。20回続けてガンガンベルの嫌なモーニングコールで起きた。直ぐに会社へ直行。そのまま急な配達の後、また1個何銭の特注品。会社に来ると 途端に鐘の鳴らないベル仕事。咳コンコン、黄色い鼻ダレ、また配達。馴染みの段ボール屋さんへ届ける。「その格好なんやのー」とパートのおばさん。タオル鉢巻と大き目のマスク、それにタオルマフラー、石調ペンキタラタラのポンチョを着たままで配達にやって来たからだ。今日もここまで


2003年10月28日
咳コンコンで鼻ズルズル、咽喉のイガイガ腫れ、頭がガンガン。それでもやめられない。休めない。ノートを始めてもうすぐ1年になるが、年に2,3回風邪で苦しんでいるのがよく解かる。しかし、1年前に比べてかなり体力が落ちてきた様な気がする。夜、布団の中で19チャンネルテレビ大阪の番組「ガイヤの夜明け」を見ていた。花王石鹸が今年関東で脂肪分が減らせるお茶を売り出したという。石鹸つくりで培った、油汚れを落とす技術から 人の体についている体脂肪を落とす飲み物へ展開してヒットさせたらしいが、大阪では見たことがないし、初めてのお話だったので結構面白かった。大手の会社でも 中心になって動いている年齢層がよく似ていたので少し、親近感もあった。カメラアングルのせいだろうか どこの会社も 登場する 燃えている人の眼つきがそっくりだったのが不思議だ。


2003年10月27日
風邪を押して仕事。休めない。夕方掛かりつけの医者へ。「しばらく休まれたらすぐ直りますよ」と。咽喉の痛みと頭痛。今日はここまで。トマトの黄色い花にエール。


2003年10月26日
朝から水槽のチェックをしていて、寒気が走る。昼ごろ自宅に戻り、寝込む。風邪のようだ。仕事にならない。合間に壊れたビデオデッキのスイッチを何とか動かないかとガチャガチャしているとスイッチの根本から折れる。今日もここまで。


2003年10月25日
朝から在庫積み上げ作業。在庫の積み上げにしばらくちょっとバラエティーに変化があった位か。他は変わらない。毎日が月曜日だ。今日はここまで、さあ、忙しい。
製作実例、水耕栽培写真追加


2003年10月24日
景気回復と、たまに聞かれるのはどこのお話だろうか。その若い女性は、病気でご主人に先立たれ、勤めていた会社は倒産し、二人の子供と京阪電車に飛び込もうと何度も寝屋川にある その踏切へ行ったらしい。しかし、なかなか飛び込めなかった。それでも、ようやく意を決して またその踏切まで行った時、上の子供が「おなかがすいたの」と言い出したらしい。せめて死ぬ前に、持ち合わせのわずかなお金でわが子にお菓子を買ってあげようと 線路の近くにある古びたお菓子屋さんに行ったらしい。中から、年とった おばあさんが出てきて「まあ、かわいいお子さんね」と温かく、そして心の底からあたたかく言ってくれたらしい。たった一言でしたが、その一言にハッと我に返り、死ぬのは諦めてもう一度やり直そうと決心したらしい。この子の為にも 精一杯生きていこうと 頑張ることにしたらしい。それからあちこち仕事を探し、転々とし、やっとこの内職を見つけたらしい。車に付けるお手振りアクセサリーの手の部分の加工らしい。どうぞ、もうそれ以上何もいわずにお持ち帰り下さい。今、発泡スチロールを少し分けて欲しいと ここまで来られた。 


2003年10月23日
昨日もまた繰り返し、『第1回発泡スチロール王選手権』のビデオを見ていた。もう昨年から何回繰り返して見たことだろうか。何でもない背景に一瞬写った特殊な機械まで見えてくるようになった。それを参考に今日もちょっと、工夫に没頭していた。仕上げの艶出しの問題。テープの中で、優勝者が発泡スチロール製のパンをペイントしているシーンがある。イタリアまで 発泡スチロールのペイントの修行に 3年間留学してきた芸術の本場仕立てだと言うだけあって、誠に、お見事の一言に尽きる。ちょっと硬いかなと思っていると次のシーンで仕上げに何か塗っている。いかにも焼き上げたパンの油が中までしみ込んでいるような艶出しをしていた。さて、やっぱりあれはあれかなあ。と、気になっていました。すると、ちょうど社外技術顧問がひょっこり城陽市の私設研究所から遊びに来たので、聞いてみた。「あれは、あれかなあとは思いまんがなあー。どっちかいうたらあれどっしゃろな。」と言いながらまた、「ある分子記号の液体に電気分解を掛けてから攪拌機で5分ぐらい回し、すばやくあれを混ぜるんやがなあー。そして、」と言い始めたので後が長くなった。話が長くなったので、話の途中で うなずくのを省略してもいいのかどうか、顧問弁士の了解を取り付けてから仕事を続けた。途中何度かまだ話しているのが判ったが、カット品の急ぎの加工が仕上がって、これからゆっくりお話を聞いてあげようと振り返ると、その雄弁家はとっくに帰っていた。


2003年10月22日
転送ソフトの不調でパソコン屋の望月さんに来て貰って話を聞いていると いくらIBMでも不完全らしいことが、偶然このソフトの不調を通して判った。転送に入ると固まる状態だったが、最新バージョンをダウンロードして、途端に直ったからだ。「コンピュウターの世界は 自動化が一番遅れているですよ。すべて、手作業で、一行づつ くみ上げていくんですよ。そして、組み上げたものが10万行になっても全て完全に矛盾なく組み上げていないと機能しない。その組み上げたもの同士がさらに何万と重なっても矛盾が起きたら動かなくなるし、そこまで来ても全て人間の手作業でしか出来ない、だから一番遅れた世界ですよ」という。なるほどと痛く感心した。恐らく、これからもずっと手作業が続くのでしょうが、これほど便利なものなら さらに発展していくのでしょう。最初は、計算機は機械仕掛けで、会社の経理の人が回すと がりがり言って、喧しいので計算尺の方が よほどシンプルで 使い勝手が マシでした。大きな計算機が日進月歩で小さくなって電卓になりました。大阪の女子大に勤めておられた恩師の先生が 何を間違ってか何百万円もする大きな箱型のワープロを買って、先進的な論文雑誌を書いたり教行信証と漱石の書評をご自分で発行されている雑誌に書いたりと「便利だ便利だ」と舞い上がっていたのが27,8年前だったことを憶えております。今はソニーに勤める友人宅では、 ラジカセの流行に反発して オープンデッキのテープを手で回してセットしてから使う旧式テープレコーダーを背中に担いで、国鉄私鉄の電車や駅の雑音を録音に走り回っていた頃でしょうか。長くなりそうだ、以下略。


2003年10月21日
道が便利になった。1号線バイパスから八幡京田辺と配達に回り 帰りは1号線に戻らなくても新しく出来た道を抜ければJR藤坂辺りへ近道できる。逆に、枚方から高速を乗り継いで名神へ抜けるコースを使うと吹田までも結構早い。やはり、近くの関西学術研究都市の拡充が影響しているのだろうか。何となく、着実に京田辺の周辺に関西の重心が動いてきているような気がした。その後、夏ごろから 黄色い絶縁テープで 留めている 折れたメガネのフレームの修理に 近くの眼鏡屋さんへ行く。「ガラスレンズは加工時にガラスの粉が飛散し、健康に悪いからと ISO1400を取得する時に 当社では一切販売を中止しました」と店の店長が言う。ISOではガラスの切断加工をしてはいけない取り決めのようだ。そんな!ずーとガラスレンズは何100年とガリレオの時代から使われてきたのに、何でいまさらと思った。しかし、確かに、住宅の建築現場などで ガラスマットやガラスウールを無造作に切断したり加工したりして 住宅の壁などに入れている所を時々見かけますが、店長さんのお話によると「全くよくない。健康に悪いし、周囲に人が住んでいるところでガラスウールを切断したらガラスの粉は長時間浮いているし、公害を撒き散らすだけだ。第一 世界標準をそれでは取得できないでしょうね」と手厳しく仰った。結局、レンズはプラスチック製になった。
東京では本日ベターリビング主催の展示会。セルパネ出展。大忙しらしい。


2003年10月20日
毎日、毎日 面白いアイデアをお聞かせいただけまして有難うございます。もう世間では とうに クリスマス商戦が始まっているんですね。ハート型のお見積もりですが、こちらで加工させていただくのは全てオーダーメードの手作業によりますのであしからず。他にも、お問い合わせがあります。有難うございました。他のコーナーに追加させていただきます。先日、ある方にもダビングして、お送りいたしました「発泡スチロール王選手権」のビデオをまた繰り返し見ていますと確かにまた発見がありますね。いよいよこれから、街に平面ペイントだけじゃなくって、立体的な落書きというか、”落体”というものがあちこちに氾濫する時代が来るかも知れませんね。それほど簡単に立体芸術が作れるんですね、発泡スチロールを使うと。


2003年10月19日
我々に休みはない。朝から東京とセルパネ業務連絡。福岡の百貨店から急ぎの商材の製作。昼から例の水槽の製作。又アイデアを思いついたり、新素材を探したりしていた。便利になったのか不便になったのか休みの日も集配が始まって、結局休みがなくなってきた。しかし、24時間体制で取り組んで約1年が過ぎようとしているが、何の苦にも思わないのは何故だろうか。何が、これほどまでに 前へ前へと駆り立てているのか判らない。これが、学者か宗教家なら 生きることへの究極的関心事をその答えに選ぶのだろうか。社会的に生き、しかも、生きながらに死んでいき、死にながらに生きてもいる妙な存在としての自己が問う最終選択は、もはや茶番の精神論ではアイデンテティに収まりきれない 途方もない雲のような広がりが 確かに 振り向けばそこに存在することに気ずき始めた。立ちタバコで一息するように 年齢のことを尋ねられれば、逃げ口上に それまでの過去を煙に巻いて答えとしたいものだが、いつまでも答えを出さない学者や宗教家じゃあるまいし、何も出てくるわけがない愚問に付き合っているわけにも行かず、必死になって その答えを見つけに 韋駄天走りを繰り返していく他にない。だから判らないし、当然わからなくてもいい性質のものだ。例えば、最大多数の最大の笑いは たった一人の最小の笑いに匹敵すると言えばどことなく面白いものだ。こんなところで小説を書いても仕方がないか。以下略


2003年10月18日
今日は仕事の合間、コーナーパット400個ほどを並べて ピラミッドを作っておりました。あるお客さんからのお問い合わせで「展示に使ってみたい」と言った内容でしたので、一度 どんな風になるかやって見ましょうか、という成り行きになり、忙しい中、ちょっと組んでみました。ほんの20分程でしたが、出来上がると結構味わい深いものでした。”コーナーパットのピラミッド”、、、工業立国を影で支え、東西南北 大輸送動脈を数えきれないほど往復し、あらゆる機械製品は多かれ少なかれコーナーのお世話になってきました。コーナーに守られてこそ、輸送が可能になり、数々の輸出が成功したのでした。将に工業の象徴的な商品です。最近は、この発泡スチロール製のコーナーにとって代わるかと思われた 段ボール製緩衝材が、緩衝能力に限界があり、輸送業者が自費で発泡スチロールの「あて板」で緩衝ブロックをしながら輸送させられている現実が表面化し、「なんだこりゃー」となって再び、脚光を取り戻しそうです。ピラミッドは崩れないのでしょうか。

製作実例に写真を追加


2003年10月17日
昨日までサーバーの繋がりにくい状態でした。本日はHPの転送にトラブルが発生”でしたが、ようやく回復したようです。さて、こちらフジカットのお送りする発泡スチロール面白河原新聞。今日もせっせと ガリ版刷りに汗しておりました。3段抜きトップの見出しはなんと言っても、遠く海外からのお問い合わせ。誠に 有難うございました。インターネットはすごいと思います。1秒間で地球を7回半するんですからね。加工のご依頼です。当然出来ますよ。確かに国情は違うと思います。言葉が異なるほどに文化習慣が違って当たり前だと思います。そこのところが、びっくりなさるのでしょうか。お隣の国 中国程ではありませんが、歴史がそこのところを重厚なものにしていると思います。この国で、フロンティアスピリットと言ったものが持て囃されたのはいつごろでしょうか。栗を栽培して食べていた頃でしょうか、始皇帝の命を受けて不老不死の秘薬を求めて遠征隊が富士山あたりまで来た頃でしょうか、騎馬民族が大挙して遣って来た頃でしょうか、奈良の大仏さんを造っていた頃でしょうか、地頭か誰がしが鎌倉様と朝廷に2重取りされるのを溜まりかねて、タイミングよく起きた一向一揆に寝返った頃でしょうか、北海道の墾田兵か、八郎潟の干拓か、全くよく判りませんが、ジョンウェーンの「黄色いリボン」じゃあるまいし、そんな単純なもんじゃないと思いますが、とにかく、今がチャンスと言うことで進出をお考えですか。スケールの大きな資本ですね。これも何かのご縁ですから時間の許す間、発泡スチロールのアドバイスはさせて頂きましょう。何なりと 捨て石に ご質問下さい。


2003年10月16日
朝から在庫積み上げ作業。昼前、「あと1ケース足らんから直ぐ頼むぞ」の電話が2件。何と世の中重なるものだ。鐘の鳴らない話。急遽、昼から乗用車にて配達2件。雑用1件。走行距離130キロ。東大阪変電所から新大阪の材木屋さんへ走り、そこから北へ新御堂を千里、中国道から宝塚へ、阪急山本の高架をくぐり 雲雀が丘の小高い山の上の新興造成地の現場に着いたのは4時過ぎ、急な坂と60幾段の階段をこんもりとした松林を正面に見ながら 息を切らせ、足をがくがくさせて しばらく上がると 辺りの視界が急に開け、振り返ると 神戸から大阪平野まで一望できるすばらしい所だった。1ケース持って来ましたとその場にいた大工さんに声を掛けると「おーい、なんかきよったぞー。だれかしらんかー」暫く待ったが返事がなく、3,4人の大工さんは皆、もくもくと今日中の仕事に忙しそうだった。違ったかな、頭を掻きながら、今上ってきた階段を ケースをかついで又 降りていった。大阪平野まで一望できた爽快感は消えていた。車に戻り、地図で確かめていたら、さっきの現場から誰か手を振っているのにふと気がついた。よく見ると「こっちやーこっちやー」と合図している。奥からもう一人いた大工さんが笑いながら呼んでいるのが見えた。やっぱりあの現場に間違いなかった。今度はどんな景色が見えるのだろうと思いながら長い階段を上がった。


2003年10月15日
朝から、ひたすらの在庫積み上げ作業。地球は温暖化しているらしいが、大気を取り巻く二酸化炭素の布団が地上からの放熱を抑えて温暖化しているらしいのに、今度は 地上から立ち昇るほこりは雲の芯になる微粒子を増やして雲を濃い目のねずみ色にして 太陽光線を 二酸化炭素と比べ物にならないほど跳ね返し、地球は冷えるという。全体の温暖化の中で冷たいねずみ色の雲が被う地球。どうなるのだろう。予測は難しい。
発泡スチロールを切り出して家具を作ろうとお考えの方、がんばってください。FRPで固めるのですね。面白そうですね。
発泡スチロールで沢山の引き出しを作るご予定の方、わざわざのお越し有難うございました。本当にいろいろなことが出来ますね
発泡スチロールでピラミッドをお考えの方、今しばらくお待ち下さい。ブロックの数を計算します。
発泡スチロールで幼稚園の文化祭かバザーでお使いの 少し彫刻入りの門をお考えの方、一遍作ってみて下さい。
発泡スチロールの発泡前の生ビーズ5キロご用意できました。熱エネルギー研究にお使い下さい。


2003年10月14日
朝から在庫積み上げ作業。あれもこれもと夢中で一日が過ぎてゆく。しかし、ひとつひとつ、確実に そして慎重にこなして行くのが仕事なんだろう。そのこと以外に明日を待つ方法はないようだ。午後は雨。秋雨。向かいの刈り穂の干し藁にも雨しずく。
一日メールサーバーのOCNが繋がり難い状態にありました。OCNのカスタマーセンターに直接電話を入れて確認しましたところ「サーバーへのアクセスが集中し、繋がらない状態です」の返事。仕方がないか、と思いながら復旧を待ちました。

 秋の夜に 待つ虫の音と 雨上がり しずくひとふた ざっとふたたび    


2003年10月13日
昼から天保山海遊館へ行く。此処まで来るのは何年振りだろうか。神戸の地震の時、救援活動で 会社の同僚と 陸路を諦めて天保山から海路神戸を目指し、関西汽船に乗り込もうとして以来だから もう8年になるか。早いものだ。辺りはずいぶんと変った。地震で4,50センチ亀裂の入っていたのが 特に印象に残っている船着場もすっかり修復されて全く新しくなってしまったし、第一、世界一級と言う巨大な観覧車が視線を塞いでいる。しかし、今回の目的は海遊館の厚さ30センチもあるアクリルガラスで出来た巨大水槽の方だ。一目見るだけで結論が出てしまうのだが、その30センチのアクリルガラスと建物の間をどういった素材で防水コーティングしているのか ただそれだけを確認するために わざわざ海遊館までやって来たのだった。どうも、水槽の仕事ばかりしているとそれが気になっていた。入り口前では 大道芸人の風船演技が人を集めていた。向こうの方で 近くのホテルシーガルで挙式の済んだウエディングドレスとタキシードの新婚さんが海をバックに写真に納まっていた。館内に入ると 連休の人波に押されて身動き取れなかったが、しばらく進むと 巨大水槽の前に出た。やはり、そうだった。厚さ5センチ以上はあるパテは硬化していなかった。指で押すと何と心許ない事か、へこんでしまった。厚さ30センチのアクリルガラスの向こうには 何十万トンの水圧がかかっていると言うのにである。それだけで、大変参考になった。


2003年10月12日
朝から水槽仕上げ。その後、昨日の続きで工場倉庫出入り口側一面セルパネ取り付け作業。昼前、多能工I氏来る。背広の縫製からアイデア介護用品の製作まで様々だが、今また、一戸建丸洗いを手がけているらしい。発泡スチロールを重宝がられた。よく判らないが面白いものだ。
以前、発泡スチロールの円柱加工品をお送りしていた名古屋の子ども会の方から お神輿の完成写真が届きました。ありがとうございました。今日はお祭りだったんですね。製作実例集に写真を載せました。


2003年10月11日
急ぎの水槽の製作。塗装、乾燥時間を使って、奥の倉庫の片付け。少しでも場所を確保して、研究実験室兼作業場に当てる心算でした。昼から、少し小雨混じりの天気になり 塗装は はかどりませんでしたので、かねてより計画しておりましたセルパネを倉庫壁面に実際に取り付ける作業に移りました。なんだーこんなに簡単なんだー、と言うのが正直な感想でした。使用したのは思い出の初期試作品の在庫です。そのまま何年も在庫しているより、使ったほうが場所が空きますし、使ってみて どんなものか今後の参考にもなると思いましたが、全くの素人でもDYIで取り付けが十分に出来ることがよく判りました。我ながらこれは便利なものだと感心しました。

セルパネのページに写真を追加。



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