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「わたしの研究開発雑記ノート

                                                                          
                                                       
2003年10月10日
朝から在庫積み上げ作業。昼前、京都から 由緒、伝統の ある材木屋さんの 色白の若奥さんが、バンを運転して引き取りに見えられた。五と日の急な配達で 偶々 店は皆出払っていて 仕方なく電話だけ娘に任せ、「主人がどうしてもと申しますの」と、めったに配達などされたことがないご様子でした。よそ行きの服装に一通り化粧などされて、ルージュの口紅がいやに爽やかにお似合いでした。3’×6’板の断熱材をお車に運び、後ろを開いて 2枚3枚と積み込んでいきましたが、丁度 運転席の頭上に何枚かはみ出してしまいました。「こうすれば大丈夫ですわ」と 少し恥ずかしそうに 腕まくりなどされて 後ろ手に束ねた黒髪の頭で 車の天井にその3’×6’板を押し当てて、「ホホホ、」と笑いながら しかし、かなり首に力を入れて 現場へ向かわれました。

 稲垂れて 実りの秋に 首を張り あなたは強い 古都のいろしろ


2003年10月9日
サーバーつながりました。HP復旧しました。
製作実例に追加。もうここまでです


2003年10月8日
朝から在庫積み上げ。セルパネお問い合わせ連絡。今日も來客沢山。山盛り豊富な面白談義。仕事の幅がどんどん広がります。全てに対応しよう。さあ、バッテリー切れですね。これにて失礼。


2003年10月7日
その方が見えられた時は最初、「てんのうじ、、、」と聞こえ、容姿やすっきりした目鼻立ちから 誰も 天王寺高校の物理の先生かと見間違えました。よくお聞きするとやっぱり、先ほどのお電話主の天王寺の温泉の番台のご主人でした。寺田町の教育大も割と近くなのでクラブの後にでもお世話になった方がひょっとしておられるかも知れない。そんな風な割と気さくな方のようでしたが、しかし、発泡スチロールを使った長年の野望を六甲山の山の頂上に実現させようと夢見てわざわざ来られました。世の中、温泉がブームになっていますし、そのコントラストが何とも面白かった。実にいろいろな事を発見される方がいるものです。六甲山絡みのお仕事は昨年12月、山頂展望台の断熱材に道路の凍結に泣きながら配達して以来です。昼から配達1件、引き取り1件、黒の色塗り1件、他。今日はここまで


2003年10月6日
今日も朝から在庫積み上げ作業。日々是好日といって欲しいものだがそうは行かず、日々変化に富んでいる。今日も不思議な実験道具を発泡スチロールで作れますかと 問い合わせがあった。平面アンテナの土台に使うらしい。詳しくお尋ねすると「マイクロ波2,5ギガヘルツは空気のような発泡スチロールなら問題なく通過してくれますので このような形状にすると実験には最高ですよ。」とのご返事だった。その後、A建設からの これもまた へんてこな形状の加工品の製作。今まで、ベニヤで面倒な球面状を作ってもらっていたらしい。ベニヤで製作するのならきっと加熱蒸気で蒸しながらベニヤを柔らかくして形状を整えていくのだろうか!発泡スチロールなら一発だ。建設現場へ納品終了。
セルパネのお問合わせが継続しております。有難うございます。どうやら、住宅ローンが変更になるとか、優遇処置が年度内廃止があるとかで住宅需要全体の前倒し現象の一環のようだといったご意見を頂いたが、まだよく解からない。何があったのだろうか。昼からウレタンのひたすら配合実験。今日、10月6日は旧友の誕生日。岡山のYくん元気かなあ。


2003年10月5日
今日は朝から頭痛がして一日布団の中に篭っていた。このノートもよくあるお問い合わせで代用いたします

はじめまして。こんどDIYで自室内に音楽用のブースを作ろうと思うのですが、吸音材として貴社の「セルパネ」を使おうかと考えています。それで、吸音材としての適性ですが、一般的に使用されている グラスウールと比較したとき、吸音効果はどの程度発揮されるのでしょうか? ま た、「製作実例集」のページ  にある防音用の 特殊セルパネについても詳しく教えてください。あと、これは蛇足ですが、「おもしろ実験室」のページ 発砲スチロールを油で揚げていますが、あれって平気なんですか??燃やしたりすると毒ガスが発生しそうなイメージがあるのですが。。以上、長くなりましたが、ご回答よろしくお願いします。

おもしろ実験で油で揚げていますが、特に何の問題もございませんでした。発泡スチロールは酸素と炭素と水素から出来ております。完全燃焼させますと二酸化炭素と水になるだけです。それに、発泡スチロールはグラスファイバーのように添加剤に何が入っているか判らない様な事はありません。製品の材質は全て公表され、シックハウス症候群に係わるような有害な物質は入っていないと説明を聞いております。グラスファイバーにはフェノールなど燃やすと猛毒の塩素系のガスが発生しますので実験など最初から怖くて出来ません。ただし、真似はしないで下さい。
 グラスファイバーとセルローズ(セルパネの原料)とでは6,70年前の昔から現在に至るまで全世界的に吸音材として一般的に使われているのはどちらだと思いますか?ヨーロッパの有名な音楽家、オペラ歌手、ロック歌手、ジャズ、現代ミュージックetcの大半が利用しているスタジオの吸音材は何が使われて、レコーディングがされてきているかご存知ですか?どちらがいい音のスタジオかご存知ですか?ヨーロッパでもアメリカでも主な有名なコンサートホールの吸音材に例外なく使われているのは何かご存知ですか。皆、値段じゃなくて いい音を追及していくと自ずと結果が同じになってきます。実例集の特殊セルパネは申し訳在りませんがまだ試作段階です。それでも宜しければいいのですが、出来たら定型品でお願いいたします


2003年10月4日
あるHP管理人の迅速な対処により早急な変更をしていただけました。関係者には多大なご迷惑をお掛けいたしました事をこの場を借りましてお詫びいたします。
 さて、今日も朝から在庫踏み荒らし作業。セルパネカタログ請求3件。何か様子が違って来た。と、今(0時55分)また一件セルパネに関する問い合わせのメールが入った。何かあったのかなあ!流れが変ったのが いくら、人様のご迷惑に鈍感な私にも理解できる。__昼から工場の一角に塗装場を造り、石調塗装用釣り道具を新調した。しかし、塗料が底を尽き、作業断念。その後、2液ウレタンの2液を他の種類のウレタンの2液と混同してしまう。急激に高温になり 危ないところだった。危険物免許は乙類しか持っていない。反応が急激過ぎて攪拌棒が抜けなくなった。『王様の剣』ならきっと抜けると思うが、生れた星は営業部の開発要員に過ぎなかったので やはり抜けないままだった。「サラダブーラ メチカブーラ ビビレバビレブー」と唱えてみたが、さっさと諦めて割り箸を替わりに持って来て、また配合実験。そして、水槽製作。、、、__この1週間毎日セルパネカタログを発送した。流れが変わったとしたら、やはり セルパネをここに語り始めて 1年以上になったが、毎日のように話題に取り上げて来たので ようやくその効果が出て来たからだろうか?そうだとすれば、それについても同じく、最低1年は 頑張って自己主張がいりそうだ。そして商品自体は最高にいいものなんだから 後は例えば、「セルパネ」とか「ハイドンくん」とかシンボリックな 憶え易い名前を付ける必要があるだろう。来週、生分解性の新商品の発泡ブロックが工場に入荷予定。これで、次の次に駒を進めることになる。


2003年10月3日
そろそろ、書き続けるのも限界のようだ。 ついうっかり秘密保持に触れてしまった。関係者にはご迷惑をお掛けいたしました。謝罪いたします。


2003年10月2日
今日も朝から在庫の山作り。バンクーバーからメール連絡が入り、発泡スチロールの海外輸送について検討した。枚方の山田池までのように「ちょっと、届けてくださいな」という連絡なら ルンルン気分で、ハイわかりました。ちょっとバンクーバーまでお届け物です、と いくところだが、実際にはカナダはちょっと とは行かない。しかし、面白そうだ。カナディアンロッキーの原生林が見たいものだ。100メートルもあるような巨木の下で 発泡スチロールを わざわざ日本から持ち込んで 何に使えるか分からないが、でも写真ぐらいは撮りたいものだ。発泡ロッキール。
今日も発泡スチロールを使った面白実験用道具のお問い合わせがありました。有難うございます。火山の噴火がこんな簡単にわかるんですね。面白いですね。作って試してみたいですね。N大学実験センター様頑張ってください。
セルパネのお問い合わせ、徐々に増加傾向にあります。カタログもう少しお待ち下さい、必ず発送いたします。じわじわと来ております。「最初ちょろちょろ、あとぱっぱ」でしょうか!


2003年10月1日
朝から山田池まで配達一件。松崎しげるのレオタウン。洋風直輸入の建築現場。街が少しずつ全容を見せはじめた。帰り、塗料問屋で探し物。戻ると来客。K淵化学の発泡スチロール売りの係り、先代から数えてもう16,7年の長い付き合い。遠方に転勤になってから久しぶり。大阪出張の合間にわざわざご足労頂いた。わざわざのお越し、有難うございました。いろいろとお話を頂けまして、大変参考になりました。この場をお借りいたしましてお礼申し上げます。日本に発泡スチロール原料の供給メーカーは大手4社らしい。H立がやめて3社体制になったと思っていた。昔はH立五井工場から祝辞を頂いたり、大型発泡機を頂戴した事もあったが、今はどうなったのだろうか、全く知らない。何の音沙汰も無い。解からないものだ。巨大な会社の表の顔と裏のどんよりしたところを見てしまうと 「会社って所詮そういうものだ」というのは正しいと思っている。中国へでも行ったのかなあ。何故なら、日本を除き、全世界で発泡スチロールの生産高はうなぎ登りの状態がもう何年も続いているからだ。ヨーロッパ然り、アメリカ然り、アジア然り、ロシア然り、アジアでは、タイ中国インドベトナムと物凄い増産だ。以前、上海大学を出た見龍化成の人と仕事を暫くご一緒させて頂いたことがあったが、今では発泡スチロールでは 世界一の生産会社になったようだ。だから、世界中から 発泡スチロール製緩衝材がいくらでも日本に入ってくる。世界から黒舟じゃなくて発泡スチロールの白舟が押寄せて来ている。いつまでもこの国だけ、発泡塞がりの 鎖国しているわけには行かないだろう。環境先進圏のヨーロッパ、アメリカでも増加傾向にある現実を冷静に分析する必要があるかもしれない。時代の先の先を読む必要がありそうだ。


2003年9月30日
今日で9月は終わり。あと1ヶ月でこの「ノート」のコーナーも1年になるので やっと閉じる事ができる。今日で閉じてもいいだろう。1年といってもあっという間の出来事になった。走馬灯が一周してきたようだ。若い人たちには、少しは社会の姿を伝える事が出来たのじゃないかと思う。小学生からも幾つもご質問があった。中には授業中にメールを送られる子供さんもあった。中学生からも真剣なご質問がいくつもあったので こちらも出来るだけ真剣に中学生の立場になって回答した。高校生からも幾つもお問合わせがあった。高専の学生さんからは一時期何故だろうかメールが毎日5,6通重なった事もあった。大学研究機関からは ほぼ北は北海道から南は沖縄まで地名のつくほとんどのところから何らかのメールかお電話を頂いた。社会人からは結構わけのわからない実験をなさっている真剣な若者のお問合わせがあった。もし、お会いしていたら きっと皆さん芸術家のような透き通ったまなざしで実験に賭ける熱い思いを滾滾と語ってくれたかも知れない。だれもその素晴らしい研究があと少しという時には、藁でも発泡スチロールでもつかむのだろう。オーストラリアからは広大な大地に永住しようとしている ある邦人の事業に賭ける熱い熱い素晴らしい決意を聞く事が出来た。感無量だった。さあ、あと少しだ。「忙しい」とは、おのれを亡ぼすと書く。この1年忙しすぎて何か大切なものを置き忘れたような気がする。今日はここまで


2003年9月29日
朝から無精に在庫積み上げ作業。兎に角、毎日、面白そうな研究話が何故か転がり込んで来ております。今日も2件ございました。あり難い事ですし、また不思議な事です。ある研究所の方、わざわざの貴重な実験サンプルを御携帯頂き有難うございました。見かけは たったこれしきの小さなモノですが開発費が7億円ですか、足掛け10年。大手のやることは違いますね。何と言ってもアイデアが物凄い。そして、その実現へ進める陣容が300名、ぐるりを固める2000名と機先を読んで決断するトップ。もうココまでくれば誰も真似は出来ないでしょう。これは、世に出ると相当のインパクトがあるように思いました。こんなところに発泡スチロールをお使い頂き大変あり難いと思います。きっとこの業界の人が聞けば、皆びっくり仰天でしょう。
もう一件、発泡スチロールを使って、減圧高真空の空間において 鉄のような物性と 熱を外からは内部へ伝え、内部からは外側へは伝わらないという働きを与える実験装置、面白そうですね。ここまで書いても誰も解からないでしょう。お話の途中で金銀の市販の塗装には金粉銀粉が使われているところで、ピンとこられましたか、スプレー式鉄粉を画けて鉄の物性を持たせてみますか。磁性体で熱を試験管まで送るといった事でしたら可能性はありそうですね 比重は1/60です。軽いですよ。スプレー画けても充分軽いですね。炭素粉を掛ければ、内部の重量を無視した おおきな炭素球も出来ますね。面白いですよ。今日はここまで


2003年9月28日
朝から例の水槽の製作。石調塗装。発泡スチロールなのに 石の塗装をしてあるので 石と間違えて重たいものを上に乗せて壊したお客さんがいたらしい。見るからに石のようだ。素材としての発泡スチロールは、将にペイントアートの世界だ。しかし、アートの世界なら見映え、バランス、意外性、あるいは感覚の先見性など いろいろと必要なのかもしれないが、水槽の場合、それより機能性が求められるのは第一だ。品質だ。昼頃、社外技術顧問が城陽市から来る。介護のボランティアに行く途中らしい。「本業の合間に、ボランティアを始めて やっと自分を取り戻せた」とお会いするたびに ひと言ある。「人助けとちゃうんやー、端から見たらそないにゆわはる。ほんまは 生き甲斐みたいなもんなんや。」似合わないトレードマークの赤いベレー帽。流石、本業は薬品調合!水槽の塗装であり難いアドバイス。早速 それに従ってやり直すも夕方になっても未完成。2歩前進2歩後退。
今日は神戸の田舎で親類縁者3、4十人が集まっての法事。とにかく大勢が集まって法事をするのは親戚の元村長さんの頃からの習慣らしい。当時の古い写真が出て来たので解かった。もう今年で、6,7十年になるようだ。


2003年9月27日
朝から在庫踏ん張り作業。配達1件、引き取り1件。面白そうなお問い合わせが毎日のように飛び込んでくる。全く、意外なものだ。いつの間にかこの国がインターネットの接続料の安さも通信スピードも世界で1番に躍り出たようだ。ネット人口も相当なものに拡大しているのだろう。工業地帯の端っこに位置し、不景気の中 道行く人もまばらで 直接は一人のお客さんも お尋ねに見えないというのに 遥か彼方から 時空を越えて ドラえもんの”どこでもドア”を開けて、ひょっこりお客さんがやって来るイメージだ。あり難い事だが 不思議だ。不思議ついでに「日本情報センター」とかの社名を騙る営業マンまで問い合わせが入った。あろう事か夕方本当に本人が会社までやって来た。例の「携帯電話の料金未払いですから」と不正な請求をされる時に この会社名が頻繁に使われたことがあるので騙された方々には 耳に痛い 記憶に新しい社名だ。案の定、正規の日本情報センターHPのコピーを見せると 急に取り乱したように「わたしは大阪の日本情報センターの者です。いかがわしい所とは全く関係在りません」と強く否定された。そうですか大阪と東京では紛らわしいですね。と答え、もう結論が出たと思い、作業の続きに入った。彼は興信所のもので信用調査の宣伝PRに来ただけだと弁解されていたが、ほっておくと 暫くすると、出したお茶は飲んで 帰って行った。


2003年9月26日
朝から在庫積み上げ作業。昼頃、急な配達。大手家具工場。整然と巨大な機械が並び、20年30年選手が次々と手慣れた作業をこなしている。見ていて気持ちのいいものだ。今日は何となく郷愁を感じた。街の中に高い天井の 18000坪の工場。見渡す限り遥かに先まで 規則正しく並んだ、その巨大な機械のそれぞれに付けられた 3mを超えるような歯車が ゆっくり独自のペースで回転し、5mも在りそうな巨大なカムの上下に合わせて 低音の切断音がリズムをとっている。大勢のブルーワーカー達がそれに合わせて 無言で 振りのない、正に、重厚な踊りを演じているようだ。黄色いヘルメットの下から汗水だらけの横顔が覗く。機械に染み込んだ汗なのか機械油なのか 相当年季が入っている。床はワックスのかかった木製張りだ。60年の苦難と成功の歴史が匂ってきそうだ。敷地中央を横切る用水路をようやく渡り、納品。500人を越える男ばかりが無言で働く世界がここにある。

お問い合わせ有難うございます。保温すれども一方向に熱を伝える発泡ビーズですね。また探しておきます。


2003年9月25日
今日も朝から在庫踏み上げ作業が続く。その間隙を縫って、ホテルの切り文字マークの製作。確かに数をこなすかどうかに懸かるようだ。簡単な手製の加工機械に もう一ランク精度UPの改良が出来た。これ位なら使ってもいいだろうと判断した。大手発泡スチロール会社の元重役さんが運転手兼技術顧問に来られたその日から急に何かが物凄く回転し始めたような気もする。全く不思議なものだ。そして、あり難いものだ。そして、東京の光設計事務所の方からは「手作りヨットを参考にするように」との思いがけないような広がりを持ったアドバイスを頂きました。その通り、この国は四方を海に囲まれて、海外とは船に乗って海を渡っていくことだった。だから、船作りは、ごく一般化した技術だ。勿論、強度性、防水性等は100%以上でなくてはならない当たり前のことだ。だが、発泡スチロールといったスポンジのような素材でそれをやってみようとなると、全く当たり前ではなくなる。当たり前ではないから、まあ遣り甲斐もあるものだし、新しいニーズも生れてこようものだ。しかし、時間がない。時間がない。漸くその例のメーカーを割り出したところだ。これからがまた忙しい。
セルパネ第124回実験準備完了するもスタートは明日。水槽実験18回目終了。


2003年9月24日
我々は生きて行かなければならない。前を向いて。諦めてはならない。投げ出してはならない。じっと、そして、そっと歩いていかなければならない。決して、後戻りせずに、決して、構えたりせず、怯えることもないし、過ぎ去ればまた再び、歩き始めよう。「どこかで誰かが口笛を 気持ちよさそに吹いている。朝焼けの空 明けの空 もうすぐ陽が昇る」と言うイズミたくんの歌を、歌ってみましょう。今年に入ってから昭和32年、同年代の死に直面したのは、これで3回目でした。今年は重なった。昨年までは、偶然かどうか殆ど無かった。じわりじわりとまた一歩近づいて来ているような、とんでもないが いやーな手応えを感じるのは気のせいだろうか。『どこかで誰かが泣きべそを 気落ち悲しく泣いている。おおつぶの涙、目に涙。もうすぐ、、、』 ちょっと見ると、Nハム研究プラント所長のSくんからメールが届いた。毎日25時間仕事をしているらしい。くそ忙しいようだ。そんなに多忙な彼ではあったが、、、
  「まいど。
   ほんまや!まだまだこれからやのに、…。
   フジやんも僕も、身体は大事にしよな!」  
やはり、じーんと というか、近くの一休さんの寺の鐘がゴーンと鳴らず何故か「ゴワーン、ゴワーン」と鳴るというが、そのゴワーンと鳴る感じで堪えるのだろう!ご同慶の至りです。
今日も朝から在庫踏み上げ作業。終日、水槽実験


2003年9月23日
朝から900×900×240mmオーダーメードの水耕栽培用水槽の製作。この辺りになると何度か同じものを製作しておりますので結構 スムーズに仕上げまで進めることが出来ます。それに現在 モルツの品質規格に挑戦中ですので 何となく自前の定番品の製作は楽なものです。モルツの品質をすべてフィードバックさせる事が出来てそれだけで、本当に大変有り難いものです。本当に勉強になります。しかし、モルツに飲むか飲まれるか、こちら側も何とか付いて行かなければなりません。その為、900mmの水槽を仕上げた後は、終日 実験を繰り返しておりました。時間のない 鐘もないこの実験に、可能性が残るとすれば、意外性とハプニングの積み上げのような事を強制的に次々に爆発させていかないことには 到底世間様には追いつかないようです。スプレイ缶に穴をあけてエアーホースを繋ぎコンプレッサーを最大圧で回したり、逆に霧吹きを2個同時開閉にして吹いてみたりしておりましたが、やっと 無駄な努力なんだ とも納得しないままで実験を切り上げたのは、休日にも拘らず仕事をしていた隣の会社がようやく明かりを消した8時でした。以前、或る発泡スチロールの会社の重役までされた事のある方が顧問として来られた時に「改善はなぜなぜ何故の繰り返し」とか何とかいう題名の 解かり難い講習会を3年ぐらい続けておられた事を思い出します。講習会は一向に解かり難く、今となっては何一つ覚えておりませんが、その顧問が講習会の後、発泡スチロールの成型機を1台独占的に実験用に使い始め、蒸気を100分の1しか使わずに発泡させるからと1年近く様々な実験を試みておられたことは、よく覚えております。寒い日も暑い日も周囲の声を気にせず、蒸気の積算流量計だけを見ながら、何か訳のわからないことを為されておりましたが、結果はともかく、昭和元年生まれの心意気か ひた向きな姿勢が大変印象的でした。すると、一人実験好きが居るとどこで噂を聞いたか、2人3人と実験好きが集まって来ておりました。蒸気を使ってハニカミ構造を作るや 地下水を使ってイオン化した活性水素を作るだとか、あれは一体なんだったのでしょうか。よく解かりませんが、その時の 実験に取り組むムードだけは 今もって受け継いでしまっているようです。お陰で ちょっと 行く予定にしておりました同窓生の御通夜にも行けず。遠い所からではありますが、手を合わせる事にいたしました。合掌。


2003年9月22日
ピンクフロイドがラジオから流れて来た。秋晴れの青空の向こうに比叡山が小さく見える。両側に八幡の男山と大山崎の天王山が大きく迫って見える。淀川土手沿いの近道はその間を真っ直ぐ延びている。比叡山がそびえる古都にも思い出が詰まっているし、八幡枚方交野と広がる淀川左岸にも、高槻茨木吹田千里と広がる北摂の街にも思い出が詰まっている。この近道を走ると一望に出来るのがいい。暫くすると 高槻あたりで 事故表示のパトカーに制止させられた。土手の下に白いワゴンが転落していた。おそらく5,6回転したのだろうか20m下まで雑草がなぎ倒され 腹ばいになって止まっていた。巡査が中を覗きこんでいる。運転手はいないようだ。川原に遊びに来た保育所の園児達が近寄る。先生がやめなさいと言っている。大分待った。漸くそこを抜け、また土手沿いの近道を走った。今度は快走した。研究所は近い。
とここまで書いておりましたが、ふと久しぶりに中学校の同窓会のHPにクリックしますと この時、3年の同窓生が重病で高槻の病院でしょうか、危篤状態だったことを知りました。23日御通夜だそうです。ご冥福をお祈りいたします。


2003年9月21日
セルパネ用にも使えるかと思い、寝屋川の例の古道具屋のおやじさんところまで出掛けたのは、大型水槽を一つ完成させた12時過ぎでした。道路沿いの狭い店は 以前にもまして 古道具で溢れかえっておりました。中古品に混じって1,2回しか使ったことが無いビニールを被った ほとんど新品に近いような機械電動道具がかなり目に付くようになりました。「以前は こんなことは無かったんや。」と 商売初めて40年の 電動道具一筋の店長が話します。「昔は使い古されて、修理せんことには使えへんもんばっかりやったから ワシのような器用貧乏も出番があったんや。今は、機械潰れる前に ポんぽこ 会社潰れよるよってに どんどん新品みたいなん 持ち込みよるなー。ほれ、ちょっと見んかいな。これもそうや、ペンキ屋が仕事無くなった言うて3回しかつこてへん コンプレッサー持ち込みよったんや。新品で買ったら25万しよるでー。ほれっ、ホームセンターのカタログや。明治のコンプレッサー型式見てみいや。25万やろ。」「ほおーほおー」「ひえーひえー」ただただ、肯くばかりです。世相を反映していますね と答えるのがせいぜいでした。で、2O万位で売るんですか と聞くと「あほんだらー30万じゃ。だれもカタログまで見よらんわー」と豪語する77歳のおやじさんでした。その後、会社に戻り、例の塗装の続き。


2003年9月20日
「帳ーハーにしといてーなー」の材木屋さんからの電話で午後の仕事は始まった。その後、珍しく土曜日に営業されていたDパックの方が雨の中、急ぎの引き取りに来られて「何作ってますのや」と言われ、水槽に何とか硬質ウレタンを巻けないか あれこれ泥んこになりながら目下鋭意実験中ですと答える。「おもろそうやなアー」。その後、塗装に切り替える。しかし、切り替えたはいいが、一日かかって何ら前進せず。終日、成果のない雨のサタデイ^。6時ごろ、以前依頼していたサンプルが造型のプロ集団『造型社』さまから「出来ました」とわざわざ 持参していただきました。流石に”プロ集団”と呼べる出来上がりに 一同 ただただ脱帽致しました。漸く、暫く 続いた虚脱感の中から誰が言い出したか 「うちもこれぐらいのもの作ってみましょうや」と言う事になりました。この先の道は遠い。手がけていた続きは、満足のいく塗装仕上げまで行かず、今日はこの辺にして仕事をおいた。途中、「天王山京都西山水系天然水100%使用」と書かれたモルツ生を一缶買って帰る。どうも今日のモルツは応える。夜11時を過ぎていた。ラジオから誰かが首相になったらしいニュースが流れていたが、よく判らなくなっていた。

  秋の夜に モルツでこたえ 夢うたた ケッヘルケッヘル モールツ在ると


2003年9月19日
時間がない、時間がない。あれもこれもで桃栗8年、改良1日。改良に次ぐ改良、こんなことでも出来ますよ、といったデパートリーを如何に増やせるか。今日もやっと一つそれが成った。機械の僅かな改良に知恵の出し合い。うまくいった。しかし、ホッとする間も無く次の課題が待っている。次はどうするこうする。どこまで広がるのだろうか。確かに発泡スチロールの使い様によってはまだまだ広がりそうだ。今日はまだ昨日の農学博士のあり難いアドバイスが耳に残っている。夢の中で、博物館に行って金色に輝く展示品の写真を幾つか撮っていた。目が覚めると何だったのか もう忘れた。黄金色に頭の禿げた日々だろうか!?


2003年9月18日
実験的に水槽にガラスウールを巻いてFRPを描けてみた。確かにカチカチになるが、かちかち山過ぎるようだ。あまり芸が無いと分かった。次に硬質2液性ウレタンを使って水槽の硬化を実験してみた。確かに早い、結構面白いように形成が可能だと判った。後は薬品の混合比と作業性をどうするかになりそうだ。そうこうしていると 夕方になって有名な農学博士が見えられた。民間で働く研究者にとっては受難の時かもしれない。ご専門の鉢植え観賞用植物群の中世ヨーロッパにおける歴史的考察は、会社では 殆ど無駄な研究の代表のように見られているそうだ。いつの時代でも 中に入る植物よりも外側の鉢にばかり関心がいき、貴族の間では大きなそして洒落た東洋製の焼き物に人気があったとかで、中に入っていた植物の生態系には あまり記録が見つからないそうだ。その流れは現代でも続いていて 外側の”入れ物”で大概の観賞用花卉類は判断される事が多いと言う事らしい。その為、仕事がいつの間にか植木鉢のアートデレクターかコンサルタントのような仕事がメインになってしまったらしい。新しい植木鉢とアートデザインを求めて最近は中国へ飛ぶことが増えたらしい。意外性が在り、「あっ」と人目を引く植木鉢がいいらしい。今日もそれを探しにここまで来られた。長時間にわたって いろいろ博士のすばらしいアイデアを提案して頂けました。


2003年9月17日
壊れたと諦めていたスピーカーの接続コードをぐいぐい引っ張っていると急に音が出るようになった。音が出たのは約2年振りだろうか。今のうちに また聞こえなくなる前に聞いておこうと、沖縄の大学で講師をしたり 文筆活動をしたりしている学生時代の友人が 現在、沖縄で『FM Champla エフエム チャンプラhttp://fm-c.jp』の「内地おばはんのずけずけ30分」(毎週土曜日7時〜)に夫婦でDJとして出演しておりまして、以前、他の方からメールでライブの音声コピーを頂いたものがございましたので 急いで 開封しておもしろ楽しく聞いておりました。半年振りやなあー、声聞くのは。次に またまた急いで中学校の同窓会のHPに懐かしそうな校歌がUPされておりますのでクリックしてみましたが、残念、また雑音か擬音か解からなくなり始め、どうしたのかなあとコードを引っ張るうちに また直ぐに 音のないHPに戻りました。束の間のライブ放送でした。 
今日も朝から在庫積み上げ作業。大型水槽の製作。コーキング他。例の石調塗料、昼過ぎ入荷。光都市綜合設計事務所の鈴木さんに以前手ほどき頂いておりました方法に従って早速、試し塗り。発泡スチロールは、アートの世界だと石調の出来具合を見ながら考えました。

東京文京区小石川高校の天文研究会の皆さん、太陽と地球と水星と金星と火星と木星土星etc本日発送いたしました。有難うございました。
東京T観光様、いかがでしょうか。おおよそですがそうなります。とは言ってもとても面白いと思います。こんな面白そうな発想はなかなか出てこないものです。折角ですので、一度時間がございましたらこちらで見本を作ってみようと考えました。こんな意外な発泡スチロールの使われ方は眠らせておくのは惜しいですねえ。

文化祭で宝塚のレビューのような階段を生徒さんと約束した中学校の先生、学級会での結論は出ましたか、ご返事お待ち申し上げます。
文化祭で巨大アーチを作りたいとお考えの高校の先生、いかが致しましょうか、ご返事お待ち申し上げております。

あるHPをお持ちの方、『発泡スチロール王選手権』のビデオお送り致しました。大変 ご参考になると確信致しております。プロがいかに簡単な道具を駆使しながら 鮮やかなタッチで軽々と発泡スチロールの素材に立ち向かっているか、そして立体造型の世界を自分達のものとして完全に征服し、尚且つさらに その道の造型プロとして 素晴らしい個性を発芽させているかの様子が手に取るようにご理解頂けると思います。なんだ、そうだったのか、プロは特別な道具も使わずにそうやってあの難しい曲線美を出していたのか!とか、そうかそうやって荒々しい脈動感を意図も簡単に生み出していたのか!とか、あの ものすごい集中力が 芸術に志す人達一般に共通するような 自己を世界に投射して止まない審美眼の根底で 自らも光り照らされて 澄んだ遠くを見るようなまなざしを生み出した事に起因しているのかとか!同業者としても大変勉強になりました。


2003年9月16日
朝から在庫積み上げ作業。途中、サンプル配達、打ち合わせ。昼過ぎ戻る。戻ると直ぐ依頼品の製作。と、こう書き込んでも何ら参考にならないようですのでこの辺にして、今日もまたまた面白いアイデア一杯のお問合わせが続きました。本当に次々と思い浮かんで来るものだと思います。不思議と尽きる事が在りません。もし、そんなアイデアをお聞かせ頂くだけで生活できたらいいだろうになあ。気が付いたら もうこんな時間です。それではこれで。


2003年9月15日
我々に休みはない。朝から例の大型定番の水耕栽培用『ハイドンくん』2個製作。時間がない。鐘も鳴らない。板合わせに少し工夫を凝らした。三式水槽にFRPを使いきってしまった。2液硬質ウレタンのサンプルはまだ届かない。もう1週間過ぎた。明日がタイムリミットだ。仕方が無い。諦めて別の製造メーカーにもう一度頼んでみるしかないか、「サンプルだけジャーネー」といきなり大量の受け払いをしたがるところばかりだ。他を当ってみよう。兎に角、時間がない。鐘も鳴らない。やるしかない。


2003年9月14日
弾性塗料を使って石調を出そうと四苦八苦しておりました。サンプルの塗装を終え、乾燥させている間に、例の水槽にFRPを撒いて組み合わせ実験をしておりました。昼から、京都の市立青少年科学センターへ向かいました。液体窒素を使った実験で今回発泡スチロールを使うという噂を小耳にはさみましたので急遽、出かけましたが、着いたのは3時を回っておりまして 実験はもうとっくに終わっておりました。仕方なく、見学に集まった大勢の小中学生と「蝶の館」のまえで 琉球アゲハが乱舞しているところを眺めたり、「カブトムシの家」の前で 一匹もいない網窓の中を一匹ぐらい見つからないかと せかされて探す子供達の親御さん達と並んで 一緒に覗き込んでおりましたが、やっぱりカブトムシはもう何処かへ行ってしまったのか 家の中には居りませんでした。化石の中庭に蝉の声は、流石に 何処にも聞かれなくなっておりましたが 京都の初秋は、真夏と変らない暑さでした。帰り、京阪藤ノ森の駅前のたこ焼き屋で クリーム入りの大判の回転焼きを2個注文し、空いている席に腰を下ろして、直ぐ前を流れる疎水を眺めていました。暫くすると、隣の席に 帽子を被り 鼻のすーとした老紳士が 何かの専門書を3,4冊抱えて来て座りました。すわり際「たこ焼き、それにビール下さいな」と言いながら よれよれの背広の胸ポケットから使い古したような万年筆と 薄汚れたハンカチを出して汗を拭いておられました。小ジョッキをごくりと半分まで傾け ちょっと疎水に目をやり、直ぐ持ってきた専門書のしおりを引っ張って続きのところから夢中で目を通しておられました。たこ焼き屋で開く分厚い専門書、京都の町だからこそ違和感の無い風景だと思いました。大阪のたこ焼き屋で専門書を開けば、今なら野球チームのマーク入りのスポンジバットで叩かれるところだろうか。京都にノーベル賞受賞者がごろごろしているのもうなずけます。この街は草の根的にアカデミックな様だ。


2003年9月13日
久しぶりにジンギスカン氏がやって来た。自慢のトラックが今日は1トン半。いつもの1/10だ。「へえー、へ配送ですか」使用前の空き缶輸送に ”当て板あてっ子ちゃん”は欠かせない。梱包資材の包装に発泡スチロールの使用が減少傾向にある反面、その分、トラック輸送の発泡スチロールの使用は増えている。結局、これに替わる緩衝材は他にないのだろう。だから梱包の簡略化と半比例して輸送時の衝撃削減策はどうしても増加していく。段ボールだけではとても無理があるようだ。どうしても輸送時の商品の破損率は悪化し、納品までを含めた良品の歩留まりは落ちる。歩留まり悪化は痛いはずだ。特に長距離は著しい。だから商品コストは2重に跳ね上がり、クレーム件数も上がる。我々は何をしているのだろうか。それを見ていると また発泡スチロールの緩衝材への使用量は いずれ 見直されていくような感触が持てる。発泡スチロールのリサイクル率はもう古新聞並みになったし、自治体の焼却炉での焼却に 数少ない無害の燃焼カロリー源になってきたし、漸く流れは変わってきたかに見えますが、さて如何に。

北海道職業能力大学校の皆様、セルパネサンプルのご注文有難うございました。校内展での各住宅用断熱材の ずらっーと並べての展示にお使いとのことでしたが、お急ぎでしたので至急便にて発送致しまして、その後どうだったのか 少し気になっておりましたが、昨日教授様からご丁寧なお礼の電話を頂けました。有難うございました。構内展の様子を写した写真を添付ファイルにて流して頂けるとのこと、首を長くしてお待ちいたします。宜しくお願いいたします。

N松学園大付属沼南高校の先生。文化祭に生徒達と幅4m奥行き2m高さ4mの巨大なアーチを発泡スチロールで作る計画どうなりましたか、熱線カットの経験者がおられないと言うことで今回はノコギリで加工されるそうですが、いけますか。

文化祭の公演で ステージに 宝塚のレビュー舞台の様な 長い階段を作るからと 生徒さん達に 真剣にお約束されました中学校の先生。頑張って下さいよ。先生が自腹を切ってでも生徒との約束を守るというお覚悟でしたら、こちらも それ相当の勉強をさせていただきましょう。勿論利害は抜きましょう。

本日は一日発泡スチロールで切り文字を作っておりました 製作実例に追加


2003年9月12日
朝からばたばたとしている日がめづらしく続いております。ようやくと言ったらよいか、事務所のオフィスオートメーション化の波がこの会社にまで押寄せてきました。中古のパソコン1台の導入です。世界を駆けるこの合理化の波は何処へ収斂していくのでしょうか。『もし地球が100人だけの村だったら』世界の富の58%をたった6人の人が握り、その6人の内6人までがアメリカ人だというこの世界で、文字すら読めない8億を越える人々が暮らすこの世界で、家すらない3億の人々が路頭で暮らすこの世界で、病気が4億、飢餓が5億、親を失った子供が8千万、、、、正義と自由と信念の名の下に 富の分捕り合戦なのか、3,4十年前までそこかしこにあった殖民地の復活なのか、テロへの応酬なのか 見テロよ見テロよ のよく分からない戦争が繰り返されるこの世界で、地雷で日に300人が殺され、拳銃が日に10万丁生産されていくこの世界。100人のうちたった3人か4人かがめざす未来世界。今日も仕事が終わったのは10時前でした。 これで


2003年9月11日
今日も出たり入ったりでバタバタしておりました。執りつかれたように 2軒ほどペイント塗料のメーカーへ行って来ました。あり難い事に夕方になって、また別のF原化学という塗料のメーカーの営業マンも来てくれました。仕様書2冊カタログ3冊広げ 京都での重要会議の後にも拘らず、長時間 目から鱗のご説明を頂けました。その後、夜7時半になりましたが今度は、またまたありがたい事ですが、偶々近くにございます各メーカーの塗料をすべてといっていいほど取り揃えておられますS村産業という塗料問屋さんへ アポOKとのことで足を運びました。こんな遅い時間にも係わらず、次々に駆け込んでこられる施工業者さんに それぞれのさまざまな違った いかにも込み入っていそうなご質問に 即座に回答をされている様子は、駆け込み寺の和尚さんのような風で、これはこれは逸材だと思いました。本当に みなさん御丁寧に熱心に そして何か大きな夢を語りかけるように説明していただけました。こちらも その各位、大変誠意あるご説明につい聞き入ってしまいました。 本当に良い勉強が出来ました。こちらから熱を入れて臨めば必ずと言っていいほど誰でも良い答えを返して頂けるものだと痛感しました。この街には良い人がまだまだ一杯いるんだなあと再認識です。夜遅くまで有難うございました。今日はここまで

セルパネシングル SS-50B写真をUP


2003年9月10日
明と暗は何でもつきものだ。我々は前を向いてひたすら駆けていかなければならない。止まるわけにはいかない。振り返るわけにはいかない。こだわり続けるわけにもいかない。忘れよう。諦めよう。「あれかこれか」の選択肢はやめて、「あれもこれも」の「時の流れに身を寄せて」、生きていこう。「青春時代の真ん中は迷っているばかり」だから「過ぎてしまえばみな美しい」

お問い合わせ有難うございました。小学校の子ども会の催しに お使いと言う事ですね。わざわざ お写真を2枚もお送り頂けまして有難うございます。
お問い合わせ有難うございます。私も20歳台の頃は毎週土日は そこいらじゅうのアングラ演劇を片っ端から観劇して過ごしておりました。テント公演でも赤黒白黄色青 銀色と今から思いますと花盛りだったようですね。関西の各大学でも芝居小屋がごろごろありまして、余り しょっちゅう桟敷に現れるので 何者だと言われそうになりまして、幕が下りてから書くアンケート用紙には 知り合いの新聞記者の名前を書いたりしますと 次から急に待遇がよくなったりしまして「○○タイムズの方ですね、こちらへどうぞ」と最前列に通されたりしました。(当時のO大学第二劇場のみなさま ありがとうございました)それがまた気分がよくて次の公演の優待券を送って頂いたりしますと、それでもうやめられなくなっておりました。今日はここまで


2003年9月9日
朝からセルパネSS-50Bシングルタイプの試作に追われました。仕事の合間、セルパネの改造型を試作してみようとあれこれと試しておりました。視点を少し変えてみるとなかなか面白いものだと思いました。昼から例の水槽に内側だけFRPをかけてみる実験試作を時間の許す限り試みておりましたがすぐ、急な配達があったり、電気屋さんが例の機械の修理に来られ修理後の微調整をしたり、MCサービスの望月さんがパソコン担いで来られたり、NTTの方が電話の修理に来られて電話のコードを屋根からぶら下げている間に、携帯電話を工場のどこかに落とされて探し回ったり、迷い猫が入ってきたり、と詰らない雑用が重なりました。 しかし、そこへメーカーからトラックで原材料の遅すぎる搬入、トラックはこの後すぐY川商店へ。、、、、。Y川商店の何と可哀想な実話。発泡スチロールの業界に暮らす者として何とも言えない悲しい話を思い出した。あれは確か、まだ平成に入るずーと前、まだバブルのバの字も無かった頃、人当たりも良かったし、とても器用で努力家で 発泡スチロールの機械を見よう見まねで手作りしてしまうような人でしたから、暫くすると その人は 小さな発泡スチロールのリサイクルの店を始めました。目のつけどころも良かったのです。当時としては全くめづらしいリサイクルの店は大繁盛しました。間も無く結婚されて子供が一人。人生希望と夢と喜びに満ちているはずでした。その日もいつもの通り、メーカーからのリサイクル材がトラックに載せて、搬入がありました。いつもでしたら搬入が終わればトラックは直ぐまた次の目的地へ向かうはずでしたが その日が突然ですが、搬入の最後になってしまいました。バックするトラックが小さな最愛の一人娘を、 「おとうさん」の一声を残して、 押し潰しながら なおもそれでも止まらずバックしていく瞬間を眼前にしてしまったからです。ショックでした。店をたたみ、2年3年、放浪の生活が続きました。ようやく気持ちの切り替えが出来たのは5年も経ってからでした。「娘の分も生きてやろう」そう決心されました。いろいろあるものだ。今日はここまで。

製作実例追加
水耕栽培追加





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